”言葉の戦争”~ビルトインスタビライザーという言葉の再定義と議論の促進 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

門前小僧、習わぬ今日を読む

反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

ビルトインスタビライザーと国民生活の安全保障①

ビルトインスタビライザーと国民生活の安全保障②財政支出

ビルトインスタビライザーと国民生活の安全保障③税制度

ビルトインスタビライザーと国民生活の安全保障④

ビルトインスタビライザーと国民生活の安全保障⑤裁量的財政論と安全保障

 

さて、過去5回に渡ってビルトインスタビライザーに関する記事を投稿させていただいたんですが、どうやらこの視点というのは一般的なものではないようです。

 

何をもって経済・景気の安定化というのか、

財政構造(ビルトインスタビライザー)は何と紐づけられるべきなのか、

そういった問題を明確にしただけの話なんだと思ったんですが、一般に流布しているビルトインスタビライザーのイメージとは大分異なるようです。

 

一般に理解されているビルトインスタビライザーの定義としては、コトバンクのモノが最も簡潔にまとめられたものでしょう。

 

自動安定装置。財政制度にそなわっている,景気変動を自動的に調節する機能をいう。 (1) 税収を中心とする大規模な予算,(2) 国民所得増減により税収が敏感に増減する租税制度源泉徴収制度,(3) 政府支出における失業手当といった社会保障関係の移転支出が大きな比重をもつ経費構造などが重要な条件としてあげられる。このような財政制度のもとでは,人為的に支出計画や税率を変更しなくても,財政は,不況時には税収が落込み,社会保障支出が増加するため赤字となる傾向があり,好況時には逆に黒字となりやすく景気変動を自動的に安定化する役割を果す。ビルトインスタビライザーは現代の財政制度のなかに機能しているが,景気変動が大きい場合には自由裁量的安定政策や金融政策など,他の安定策との相互補完をはかる必要がある。

 

ビルトインスタビライザー コトバンク

 

簡潔ではありますが、今一つ明瞭さに欠ける説明であるという印象を受けるのは、私だけでしょうか?

 

まず、ビルトインスタビライザーの一般的な説明と、私の理解で共通しているのは、ビルトインスタビライザーの本質が財政制度、すなわち財政構造にあるという点でしょう。

 

財政(政策)とは、そもそも政府の歳出・歳入を通じて経済(主に総需要)に影響を与える政策のことを指します。

この定義は、ビルトインスタビライザーの一般定義よりもはるかに一般的に通用する定義でしょう。

 

財政政策 - Wikipedia

わかりやすい用語集 解説[財政政策] 三井住友DSアセットマネジメント

財政政策(ざいせいせいさく) | 証券用語集 | 東海東京証券株式会社

財政政策(ざいせいせいさく)とは - コトバンク

 

財政=政府の歳出・歳入、すなわち財政支出と税制度であり、

財政構造を本質とするビルトインスタビライザーも、これら二つのアプローチによって経済に影響を与えます。

 

ツイッター上のやり取りで受けた印象としては、

このビルトインスタビライザーの二つのアプローチのうち、財政支出というアプローチの範囲がやけに狭められた意味で用いられているという印象を強く受けました。

 

実際、コトバンクの説明を見てみると、

(1) 税収を中心とする大規模な予算

(2) 国民所得増減により税収が敏感に増減する租税制度源泉徴収制度

(3) 政府支出における失業手当といった社会保障関係の移転支出が大きな比重をもつ経費構造

主に所得税の累進性や、

財政支出面では失業手当などの社会保障関係の支出のみに限定された説明となっています。

 

これは、Wikipediaの説明にも如実に表れており、

ビルトインスタビライザーの例としてこの二つが特別に強調されているのが解ります。

 

ビルト・イン・スタビライザー - Wikipedia

 

さて、ここで大きな疑問が一つ、浮かび上がります。

 

この説明にあるようなレベルの方策で、

経済を安定化できるのでしょうか?

 

不況時に、経済を好況に押し上げる機能が、

この程度で起こるのでしょうか?

 

ビルトインスタビライザー、

つまり経済を安定化させる機構を説明しようとしてるのに、

 

出てきた説明が経済を安定化するにはとても足りないような政策例のみ。

 

この時点で、この説明がおかしいということが解るでしょう。

 

進撃の庶民への寄稿に関して思うこと 拙ブログ

 

上記の記事でも取り上げましたが、現在こういった言葉の定義の主導権を握っているのは、いわゆる主流派経済学、あるいは財務省の御用学者の皆々様です。

 

言葉の定義にフィルター、あるいは制限を加わってしまうと、議論そのものが成り立たなくなります。

 

三橋貴明氏は、ブログでこう語っています。

 プロパガンダとは「言葉の戦争」です。言葉こそが武器です。
 プロパガンダを打ち破るには、「正しい言葉」を繰り返し発信し、広め、共有していくしかないのです。
 

「正しい言葉でプロパガンダを打破しよう!」

新世紀のビッグブラザーへ 三橋貴明

 

私の解釈は、少し違います。

 

私たちは、政治において私たちに有利となるように、

言葉の再定義を行わなければならないということです。

 

現在議論において使われている多くの言葉には、主流派経済学やグローバリスト、新自由主義者の影響が強く浸食しています。

 

言葉というのは無自覚・無意識に紡ぎ出るモノで、

人間が言葉でモノを考えている以上、

思考もそれに縛られます。

 

つまり、議論が始まる以前から、彼らに有利な思考に誘導されてしまいがちになるという状況が用意されてしまっているということです。

 

私たちにとって有利な言葉。

私たちにとって正しい言葉。

 

政治とは所詮利害関係の調整、ぶつかり合いです。

どちらかが絶対的に正しいというものではない。

 

神の存在を認める以外、世の中に絶対的な正しさというものは存在しません。

 

それならば、

 

この絶対的な正義など存在しないロクでもない世の中で、

我々のような多数派弱者が生き残るには、

私たちにとって正しい言葉を繰り返し、繰り返して、

プロパガンダ戦に勝利するしかありません。

 

圧倒的に不利な状況下ではあり、

極めて非現実的なのは重々承知です。

 

しかし、

この言葉の再定義を通じた議論の発展、促進こそ、

我々にとって有利な状況を提供してくれると信じています。

 

そして、我々にとって何が利益になるのか。

これについても十分理解していく必要性があるでしょう。

 

 

道のりは遠い。

 

でも、何もしなければ確実なゼロ。

 

このプロパガンダ戦、主役は三橋氏でも、ましてや私でもありません。

 

私たち、国民なのです。