ナショナリズム・ルネサンス

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この記事はMMTの成立史に関する史料をまとめたものです。

 

MMTはヘッジファンド創設者のウォーレン・モズラーがイタリア国債の取引で大儲けし、そこで培った理論をポストケインジアンの集団に紹介したのが始まりだと言われています。

以下の記事によると、イタリア国債はデフォルトしないと見込んで大儲けしたモズラーは、自らを億万長者にさせた洞察をもとに経済学者と対話したいと考え、ハーバード大学、プリンストン大学、エール大学に自身の理論の説明を書き送ったが無視された。そのとき、ドナルド・ラムズフェルドの紹介で、アーサー・ラッファー(ラッファー曲線で有名)に会った。ラッファーからは、アイビーリーグの経済学部からは何も期待しないように、但し、ポスト・ケインジアンというイカれた異端派グループがあり、彼らなら興味をもつかもしれない、と言われた。) 

 
2023/3/2追記 モズラーの指摘により修正。赤字がモズラーの指摘内容。
MMTはヘッジファンド創設者のウォーレン・モズラーがイタリア国債の取引で大儲けし、数年後そこで培った理論をポストケインジアンの集団に紹介したのが始まりだと言われています。

MMTはヘッジファンド創設者のウォーレン・モズラーがイタリア国債の取引で大儲けし、そこで培った理論をポストケインジアンの集団に紹介したのが始まりだと言われています。

以下の記事によると、イタリア国債はデフォルトしないと見込んで大儲けしたモズラーは、自らを億万長者にさせた洞察をもとに経済学者と対話したいと考え(モズラー曰く「私は億万長者でもないし、その近くでもない」。)、ハーバード大学、プリンストン大学、エール大学に自身の理論の説明を書き送ったが無視された。モズラー曰く「そんな記憶はないのだが」。そのとき、国防長官を務めることになるドナルド・ラムズフェルド(モズラーが1980年代初頭にウィリアム・ブレア・アンド・カンパニー(William Blair And Co)で働いていたときから知っていた)の紹介で、アーサー・ラッファー(ラッファー曲線で有名)に会った。ラッファーからは、アイビーリーグの経済学部からは何も期待しないように、但し、ポスト・ケインジアンというイカれた異端派グループがあり、彼らなら興味をもつかもしれない、と言われた。モズラー曰く「いや、それはラッファーではなくBill Vickeryが私にPKグループを案内してくれたのだが(Billにはニューヨークの社会政策グループの会合で最初にPKを教えてもらったが、数年後の会議で彼に会うまで、それがBillであったことは覚えていなかった)」。) 

 

 

 

MMTの第一人者L・ランダル・レイが今年2020年に発表した論文「The “Kansas City” Approach to Modern Money Theory」の冒頭で、モズラーがポストケインジアンの集団に参加したときの経緯が詳細に述べられています。

 

現代貨幣理論(MMT)の誕生は、1990年代のオンライン・ディスカッション・グループPost Keynesian Thought(PKT)に遡ることができる。ヘッジファンドマネージャーのウォーレン・モスラーは、1996年1月にPKTに参加した。彼はSoft Currency Economics(SCE)(Mosler 1996)という論文を起草していた。最初の数週間で、彼は主権通貨の分析の基本原則を示した。税金が主権通貨の需要を生み出すこと、ソブリンによる債務売却は実質的な借金オペレーションではなく、むしろ銀行システムから過剰な準備金を排出するために使用されること、ソブリンは自国通貨を使い果たすことができないこと、失業対策として政府は最低賃金で雇用を提供すべきであることである。PKTの参加者の多くは、このアイデアを受け入れなかったり、敵視したりしていたが、少数の参加者は異端経済学の中でこれらの議論の基礎を認識していた。一般的に支持していた人たちは、バジル・ムーア(内生的貨幣供給論のホリゾンタリスト)、ポール・デビッドソン(「ファンダメンタリスト」ケインジアン)、ビル・ミッチェル(早くから失業への「バッファーストック」アプローチを開発した)、マット・フォルスターター(経済史家と経済思想史家として行動し、その学生であるパブリナ・チャーネバは、ウォーレンのSCE論文のレビューを書くために募集された)と私が含まれていた。

 

今回、私はPost Keynesian Thought(PKT)の当時のログをインターネット・アーカイブから発掘しました。

 

モズラーは1996年1月28日に、"Currency Definition (inflation)"と題したメッセージをPKTに投稿しました。

 

Mon, 29 Jan 1996 07:58:30 -0500
mosler@gate.net

I am a new subscriber. I have been working in the financial
markets for about 23 years.

Given that fiat money begins as a tax credit, the driving force is the fact
that the private sector needs the government's money to be able
to pay its taxes. This leads to the conclusion that the currency is
defined exogenously by the government with its spending policy.
The few pk inflation discussions I have read do not seem to consider this.
Are there any references available?
(It also means that from inception a government must spend, or otherwise
provide, at least enough of its fiat money to the private sector to be able
to collect the taxes due. This accounting identity means that a balanced
budget defines a minimum level of spending.)

Consider a model that appears in my paper, "Soft Currency
Economics." (http://inca.gate.net/~mosler/softecon.html)
In it the government offers a job, at an unchanging rate of pay,
to all takers. This defines the currency, and establishes what I
call a supplementary labor force, which acts as a classic stabilizer.
All other prices are allowed to float, allowing the market to
allocate through price.

Currently, governments attempt to target spending and taxing,
and let employment and prices float. My model attempts to fix
unemployment and inflation at 0 and let the deficit float. It is not meant
as a complete solution, but to open discussion.

I am also looking for references for the concept that sovereign debt
in local fiat currency is a monetary function. It serves as interest
rate support, not funding. A government offers to borrow its own fiat
currency not because it needs it to spend, but because it wishes the
interbank rate to be higher than 0 bid.

Thank you.

Warren B. Mosler
Director of Economic Analysis
III Finance

See:

"Soft Currency Economics"
=========================
http://inca.gate.net/~mosler/softecon.html

これを日本語訳したものが以下になります。

1996年1月29日(月) 07:58:30 -0500
mosler@gate.net

新規加入の者です。私は金融市場で23年ほど働いています。

不換貨幣は税を受領するものとして始まっているのだから、民間部門はさまざまな納税のために政府の貨幣を必要としているという事実がその駆動力になっています。このことは、通貨が政府の支出政策によって外生的に決められているという結論につながります。

私が読んだ数少ないPKのインフレの議論では、このことを考慮していないようです。

何か参考文献はありますか?

(また、初めに政府は、少なくとも課税額を回収できる十分な不換貨幣を民間部門に支出しなければならない、あるいは提供しなければならないことを意味します。この会計恒等式は、均衡予算が支出の最低レベルを決めることを意味します。)

私の論文 "Soft Currency Economics "に出てくるモデルを考えてみましょう。(http://inca.gate.net/~mosler/softecon.html)

その中で、政府はすべての雇用者に不変の賃金率で仕事を提供しています。これが通貨を定義し、私が補足的な労働力と呼んでいるものを確立し、規範的な安定化装置としての役割を果たします。

他のすべての価格は変動することが許されており、価格を通じて市場に配分をさせます。

いま、政府は支出と課税を目標とし、雇用と物価を変動させようとしています。私のモデルは、失業率とインフレ率を0に固定して、赤字を変動させようとしています。これは完全な解決策ではなく、オープンな議論をするためです。

また、国内不換通貨でのソブリン債は金融機能であるという理解についての参考文献も探しています。それは金利のサポートとしての役割を果たしており、資金調達ではありません。政府が自らの不換通貨を借りるのは、政府が支出するために必要だからではなく、インターバンク・レートが0よりも高くなることを望むからです。

ありがとう。

 
モズラーはこの最初の投稿で、租税貨幣論、スペンディング・ファースト、インフレなき完全雇用、主権通貨建ての国債の役割は金利の調整手段、といったMMTの基本的なアイデアを提示していることがわかります。

 

この投稿の"Soft Currency Economics"のリンクは切れていますが、おそらくこれは草稿版と思われます。

以下に草稿版と完成版のリンクを置いておきます。

草稿版

完成版

(草稿版のリンクを教えてくださった@tstateiwaさん、ありがとうございます。)

なお「The “Kansas City” Approach to Modern Money Theory」によると、"Soft Currency"とはペッグされていない貨幣、MMTが言うところの主権通貨という意味です。

 

最後に、今回インターネット・アーカイブから発掘したPKTのログをまとめておきます。

PKTのアーカイブ(1996年1月~2004年9月) 

これには月ごとのアーカイブのリンクが掲載されていますが、そのままではリンク先が切れていて飛べません。URLに工夫が必要です。

以下にモズラーが最初に投稿してしてから最初の一年分の月ごとのリンクを置いておきます。

(それ以上はきりが無いので、興味を持った方はURLの法則性を見つけてリンクを探してください。

モズラーの投稿は2003年末まで確認できます。)

1996年1月 1996年2月 1996年3月 1996年4月 1996年5月  1996年6月 

1996年7月 1996年8月 1996年9月 1996年10月 1996年11月 1996年12月

ちなみにモズラーはPKT内のハンドルネームを、mosler@gate.net, Warren Mosler, Warren B. Mosler、moslerと使い分けています。ややこしい。
 

 

 

 

 

 
MMTに対する典型的な批判に、政府支出を拡大すると「インフレ率が制御不能となる」「ハイパーインフレを誘発する」という批判があります。
 
こういった批判に対し、ケルトン教授などのMMTの学者は、MMTほどインフレについて真剣に考えている経済学はないと断言しています。言い換えれば、MMTの批判者はインフレ対策に対して不十分な分析しか行っていないということになります。
 
MMTは政府支出とインフレに対してどのような考え方を持っているのでしょうか?
 

何が政府支出の制約になっているのか?

主流派経済学の見方では、政府支出には財政制約と実物制約があり、この制約を破るとインフレが起こると考えられています。また、少なくとも長期的には財政均衡しなければならないと考えています。LSTMもこの類の考え方です。
図1.MMTの政府支出の制約の評価(ビル・ミッチェル教授の講演資料より
 
主流派経済学がこのような結論に行き着くのは、MMTと異なり主権通貨という概念がないからです。
 
主流派経済学の見方に対して、MMTの見方では主権通貨を発行する国には財政制約はありません。
図2.MMTの政府支出の制約の評価(ビル・ミッチェル教授の講演資料より
 
日本のような主権通貨を発行している国家においては、完全雇用かそうでないかで、政府支出の制約が異なります。
現在の日本のように完全雇用でない場合は、政府支出に制約はありません。政府は完全雇用に達するまで政府支出を行うことができます。
完全雇用の場合は実物資源が制約となります。実物資源の制約(つまり経済の生産能力)を超えた政府支出を行った場合には、悪性のインフレが生じます。
 

MMT流インフレとの戦い方

では、MMTはインフレとどう向き合うべきなのでしょうか?この問いに対してケルトン教授がインタビューで回答しているので、その和訳記事から一部抜粋します。

ステファニー・ケルトン教授、財政赤字神話について、財政とインフレについて

 
インフレに対する最善の防御は上手に攻めることなのですよ。MMTがやるのは、インフレのリスクに対しては物凄く神経質に考えるようにすることです。 マクロ経済の学派の中で、私たちほどインフレリスクの問題に注意を向けているところがあるとは思えません。私たちや議会が新しい支出法案を検討するときって、その新しい支出が赤字を増やしたり借金を増やしたりするかどうかが考慮されているわけですが、それはやめて、こう考えるべきです。その新たな支出にはインフレを加速させるリスクがどれくらいあるだろうと。そして、やり方を変えるのです。
 
これまでは議会予算局に行って「この法律をチェックして結果を教えてください。この支出によって債務と赤字が今後どうなりますか?」と聞いたものでした。これからはそうではなく、議会予算局なり他の政府機関なりに行って、こう聞きましょう。「インフラへのこの1兆ドルの投資を通過させることを検討しています。これが明細ですがチェックしていただけますか?この支出は今後5年間に分けて支払う予定ですが、これが実体経済に問題を起こすかどうかを教えてください。つまりインフレのリスクを計算してその結果を教えてください。」
 
それから、完全雇用に近づくほどに、追加の財政支出には常にインフレのリスクが伴うことになっていきます。政府支出だけではありません。米国で生産される商品やサービスの需要が海外で急増し、そのとき完全雇用であれば、外需にインフレリスクが伴うことになります。あるいは、消費者がとても楽観的になった場合、仮に住宅バブルが発生していて、人々が住居を元手に新たな支出をするとすれば、これもインフレリスクです。つまり、私たちの過剰支出には常にインフレリスクがあります。 MMTがやろうとしているのは、全体の支出水準を、完全雇用と物価の安定と両立する水準に維持しようとすることです。
 
もしインフレが問題になったら何をすると聞かれますが、その質問はちょっと違います。最初にこう問うべきなはずです。「このインフレをもたらすものは何だろう?このインフレ圧の原因は何だろう?」。なにしろ、政府の総支出が多すぎることで経済が過熱する結果、将来のある時点でインフレが重大な問題になる可能性が高いと考える、そのことが信じられません。

それはこういうことです。米国経済がデマンドプルインフレと呼べるものを経験したことは、この一世紀ほどもうないのです。米国で重要とされてきたインフレの実例は、ほぼぜんぶコスト面の要因から来たものです。これはコストプッシュインフレと呼ばれるものです
 
ですから、インフレとの戦い方を考える場合に最初に問われるべきことは、そのインフレ圧力の源がいったい何であるかを理解することであり、次に、そのインフレを撃つのにふさわしい政策ツールで対応していくことだと考えています。 エネルギー価格の上昇によってインフレが発生した場合は、FRBに金利を引き上げさせたり、議会に税金を引き上げさせたりしてもおそらくあまり効果はありません。もっと有効な何かをしなければなりません。

MMTはインフレと闘うために税を使うという考えを拒否します。それは私たちが書いてきた内容のほとんどすべてと相容れない誤解なのですが、なぜか皆さんはいつもそうだと言うのですね。 
 
 
まとめると、MMTの考え方では、政府支出をする場合に、その個々の支出によってどれだけのインフレ圧が生じるかどうか事前に計算することがインフレ対策になります。予想されるインフレ圧が大きければ、その支出内容をインフレ圧が小さくなるように変更すれば良いのです。
外部ショックによるインフレの場合も、そのインフレ圧が何かを特定することからインフレ対策を始めます。例えば原油価格の高騰の場合、天然ガスの規制緩和を行うことによりインフレは緩和するでしょう。
 
またMMTにおいて、税はインフレ対策だと言われることがありますが、このケルトンのインタビューではそれは誤解とされています。インフレ圧力の特定とその特定したインフレ圧力に対する個別対処がMMTのインフレ対策なのです。
 
 

 

MMTを含んだ反緊縮運動はこの一年で大きく勢力を増し、ネット上のみならず学者、政治家や世間一般にも認知されるようになりました。

この反緊縮運動は国家を対象としていますが、地方は未だ救われる手立てもなく荒廃が進んでいます。

 

そこで私は、MMTのアイデアを応用した「地域主権通貨」というアイデアを発案しました。

これは、(国政選挙に比べて選挙に勝ちやすい)地方からMMTのアイデアを広めていき真の地方再生と地方分権を実現し、最終的には地方や国家から財政均衡の呪縛を解き放とうという「運動」です。


11月上旬にMMTの第一人者、ビル・ミッチェル教授が来日し、京都と東京で講演をしました。

そこで、以前から(構想だけは今年の1月にはありました)考えていた「地域主権通貨」構想を整理して、ミッチェル教授への質問時間にぶつけてみました。

その構想の内容が以下になります。

 

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地域主権通貨(Local Sovereign Currency)構想

地方政府(日本には地方政府がないので都道府県などの自治体)が主権通貨を発行します。

(主権通貨とは、「本来は」主権を有する政府により発行される通貨です。日本円や米ドルが該当します。ユーロやドルペッグの通貨は主権通貨ではありません。自ら発行できる、固定相場制ではない不換貨幣となります。)
具体的には京都府に京都中央銀行を設置します。

京都中央銀行は京都府と連携して主権通貨である京都円を発行し、その京都円で財政政策を行う。
京都府は租税を日本円ではなく京都円で回収する。あるいは自動的に日本円から京都円に両替する。
日本円と京都円は変動相場制で交換できる。
これは国際金融のトリレンマを応用したアイデアです。
地域主権通貨を扱うMMTをLocalMMTと呼びましょう。

LocalMMTのメリット
・地域が主権通貨を発行できるため、その地域は均衡財政を目指す必要はなく

 (財政赤字を恐れることなく) 機能的財政に沿った財政政策ができる
・国内の地域格差の縮小(グローバル化で国家間格差が縮小したように、国内格差を縮小する目的)
・よって東京一極集中が改善する
・その自治体の(MMTで言う所の)政策空間(domestic policy spaceならぬlocal policy space)が広がる
・国内格差で貧困な地域の場合は通貨が日本円より安いので、

 その地域の企業の競争力が高くなり、地域の産業活性化が進む
・いきなり国家レベルでMMTを活用しなくても、一地域からMMTを活用可能
・地域レベルでMMTの提言にそった政策を実施可能(JGPでもOMFでもGNDでも国土強靭化でも)
・地域レベルからMMTのレンズを実証でき、中央政府がMMTを活用するのが最終目的
・出生率が日本で最も低い東京都に人口が流入しなくなるため、国内の出生率が改善する

 (ミッチェル教授は来日直前に日本の少子高齢化の記事を2つ書いていました)

  http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=43495

  http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=43512

・完全キャッシュレス化も進む?(二つも通貨持ってるのは面倒)

 

LocalMMTのデメリット
・1地域に2つも通貨が流通することから産まれるデメリット
・買い物するときに価格表示はどうするのか?

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質問時間が限られているということもあり、メリット・デメリットは説明できなかったのですが、概要は説明することができました。

 

この私の説明に対し、ミッチェル教授から思わぬ回答があり、また財政や税制に詳しい中村てつじ元参議院議員(偶然わたしの斜め前の席に座っていました)からアドバイスを頂きました。

(中村てつじ先生は反緊縮派の先鋒で、先生のブログは反緊縮派の人は必見です。)

それらはPart2以降で紹介していきます。

 

保守主義の国会議員から、国民主権や基本的人権を否定する復古的な発言が定期的に飛び出します。これらの発言は通常の教育を受けてきた人からすれば、狂気の問題発言に映るでしょう。
学者の言うようにこれらの発言は(彼らの考える)近代思想の否定であり、憲法観や自然権の否定だからです。しかし、日本の教育では保守主義についてはあまり説明されません。そのため、なぜ保守主義者がこのような問題発言を言い出すのかが判らないのです。
 
そこで、保守主義者が国民主権や基本的人権を否定する理由を、近代保守主義の思想に基づき解説していきます。この記事で言う保守主義とは、エドマンド・バークに始まる西欧近代保守主義者のことを指すこととします。
 
まず、基本的人権の否定には誤解があります。基本的人権の否定は、人権そのものの否定を意味しません。あくまで保守主義者が批判するのは、天賦人権論に基づく人権です。その代わりに保守主義者は「国民の権利」という名の人権の必要性を訴えます。
 
ハンナ・アーレントはその主著「全体主義の起源」の中で何度も、バークの言う「国民の権利」の重要性を訴えます。ユダヤ人は独自の国家を持たなかったため、ナチスに抵抗できずに人権を奪われました。民族が自身の人権を確保するには、「国民の権利」を擁護する国家が必要不可欠であることを、ホロコーストは教えてくれました。保守主義者から見れば、天賦人権論は人権を擁護する国家を不必要と見做す甘い考え方であり、結果的に人権が奪われかねないという危険な思想なのです。それ故、保守主義者は基本的人権を否定するのです。
 
 
次に、国民主権は保守主義者の父であるエドマンド・バークの言う「時効」、チェスタトンの言う「死者の民主主義」が考慮されていない、という問題点を保守主義者は指摘します。
バークの提唱した「時効」とは、数百年単位で維持されてきた法(法律には限らず、慣習なども含まれる)は、たかだか数十年の権限しか持たない政府が覆してはいけない、という考えです。「時効」の法が安全なのは歴史によって実証されてきました。
一方、チェスタトンの「死者の民主主義」とは死者にも選挙権がある、という考え方です。この考え方は柳田國男にも見られます。
 
それに対し国民主権は、現在に生きる国民だけに政治のあり方を決める決定権があるという考えです。これは今まで日本を守り抜き、現在の繁栄を導いた先祖への冒涜というだけでなく、歴史を通じて先祖が育んだ政治や共同体、国民の権利を破壊可能という点で非常に危険です。
現在に生きる人民が政治のあり方を決めた例は他国にあります。その代表格がフランス革命です。革命で王家という時効の法を破壊したあと、多大な混乱に見舞われ、やがてナポレオンを生み出します。その後もフランスの政治は現代に至るまで混乱し続けています。
 
戦後日本が色々と文句はありつつも平和なのは、国民主権を自制して破壊を最小限に留めてきたからです。しかし、これからもそれが続くという保証はどこにもありません。国民主権がある限りは。皇位継承問題が破壊されそうな代表格です。日本は世界で唯一独自の国体を維持し続けました。その最大の要因である男系による皇位継承は、「国民の総意に基づいて」、すなわち国民主権によって破壊されかねません。破壊のあとには混乱が待ち構えています。果たしてこれは日本国民にとって幸福なのでしょうか?断じて否、です。
 
現在の日本国民は、これまで先祖が千年単位で守り、そして育み続けてきた権利を享受しています。その代わりに我々は、千年後の日本国の子孫に対してその権利を継承するという義務があります。だから現在の我々は、国民の権利や日本の在り方を先祖や子孫に無断で破壊してはならないのです。もし破壊してしまったならそれを復元すべきなのです。例えば旧皇族の皇室復帰のように。
 
国家は地球の自然環境と同じで、針の上に立つような奇跡的なバランスの上に成り立っています。そのバランスを維持するには、今まで長い間続けてきたこと、つまりバランスが実証された法(バークの言う時効)を保つことが最も安全なのです。その意味でこのバランスを破壊できる「主権」という概念(国民主権に限らず、現在に生きる何者かが政治のあり方を決定できるという概念)はとても危険な思想です。このことが理解されないのは本当に不思議です。
 
保守主義者の復古的な発言は単なるロマンや狂気ではなく、現代に生きる我々の責務を全うしようという確固たる意思であり、学者の憲法観が如何に危険なものであるかを指摘するものなのです。

 

先月(2019年7月)、MMTの提唱者として脚光を浴びているステファニー・ケルトン教授が来日し、日本で2日にわたって講演をしました。

私も2日目の講演に参加しました。(1日目の講演にも応募したのですが、落選しました。)

2日目の講演の様子は、Kestrelさん記事に纏めてくださっていますので、皆さんご覧ください。(記事には私も登場しています。)

 

この講演のはじめに、ケルトン教授はMMTの源流となる経済学者を3人紹介しました。

この中で最も知名度が低いのはウェイン・ゴドリー(1926~2010)でしょう。(Wikipediaでも彼だけ日本語版の記事がありませんし。)講演会場でもケルトン教授が「ゴドリーを知っている人は手を上げて」と言ったのですが、挙手したのは60人いる参加者のうちのたった3人だけでした。

しかしウェイン・ゴドリーのMMTへの寄与は、ラーナーやミンスキーに比肩します。

ゴドリーの経歴は省略しますが、かなり変わった経歴を持つ経済学者です。

イギリス人のゴドリーは渡米後、レヴィ研究所でハイマン・ミンスキーやランダル・レイと出会い、MMTの源流となる理論を生み出しています。

それがSFCモデル(ストック・フロー一貫モデル)です。

 

SFCモデルはとてもシンプルなモデルです。

「ある経済部門(政府部門/民間部門/海外部門)の黒字(赤字)は、その他の部門の赤字(黒字)である。」というものです。

例えば政府が黒字(赤字)である場合は、民間部門と海外部門の合計が赤字(黒字)になります。

経済部門間のフロー(貸し借り)が経済部門のストック(金融資産/金融負債)を積み上げるため、「ストック・フロー一貫モデル」と呼ばれています。これは簿記会計を知っている人であれば、誰もが頷くかと思います。

 

このシンプルなモデルは、シンプルが故に想像以上に強力なモデル、すなわち予言ができるモデルです。

クリントン政権時代にアメリカ政府は政府黒字を達成しました。多くの専門家や当局者は喜びの声を上げましたが、ゴドリーやレイ、モズラーらは政府黒字に警告を発しました。政府黒字が発生しているということは(海外部門を無視すれば)過剰な民間赤字が発生していることになります。過剰な民間赤字は借り過ぎということですからバブルの発生を意味します。この警告はITバブルの崩壊という形で具現化しました。ゴドリーらの予言が的中したのです。これはMMTの最初の業績でもあります。意外なことに、MMTは経済黒字への警告から出発しているのです。

 

以下にアメリカの経済部門ごとの収支の図を示します。(この図はケルトン教授の講演でも使われました。)

図の青色が民間部門、赤色が政府部門、緑色が海外部門です。

2000年前後に政府黒字・民間赤字が発生しているのがわかります。2006年にも民間赤字が発生していますが(この時は政府黒字ではない)、これは住宅バブル(サブプライムローン問題)が発生していることを示しています。

 

次に日本での同じ図を示します。

1990年前後に政府黒字・民間赤字が発生しています。この時期は言うまでもなくバブルの時期です。

 

多くの主流派の経済学者は財政収支のバランスを気にしますが、SFCやMMTは違います。政府黒字はバブルが発生している証拠かもしれないこと、政府赤字は民間黒字であることを知っているからです。ランダル・レイは「経済の通常の状態は政府赤字である。」とまで言っています。常に拡大する資本主義経済では、民間黒字が継続し(フロー)、民間の金融資産(ストック)が拡大し続けなければなりません。そうでなければバブルのような良くないことが起きている証拠です。そのためには、政府部門と海外部門の合計が赤字である必要があります。政府は海外部門に主体的に関与できませんから、政府部門の赤字を目指さなければなりません。すなわち財政赤字です。

 

ケルトン教授も言及していましたが、財政収支のバランスを気にするのは間違いです経済のバランスを目指さなくてはなりません

ゴドリーのSFCモデルは、シンプルに経済が今どういう状態なのかのシグナルを教えてくれます。

 

 

ウェイン・ゴドリーについてはこちらの記事も参考になります。

「ウェイン・ゴドリー 危機をモデル化した経済学者【MMTの先駆者シリーズ@道草】」

「MMTについて⑥ストック・フロー・アプローチまたはGoldilocksの経済学」

 

貨幣に種類があるということとその重要性はあまり知られていません。

今回はイングランド銀行の四季報から、貨幣の種類を論じた論文の抜粋をします。

(全訳はその内経済101に掲載されるかもしれません。その場合、この記事は削除される可能性があります。)

本論文は、中野剛志氏が『富国と強兵』などで紹介した論文『現代経済における信用創造』の姉妹論文となります。

 

貨幣の役割

貨幣には3つの役割がある。

①価値の貯蔵

②計算単位

③交換手段

 

①価値の貯蔵

貨幣の第一の役割は価値を貯蔵することだ。

合理的に予測可能な方法で価値を長期にわたって維持すると期待される何か。何百年も前に採掘された金や銀は今日でも価値があるだろう。しかし、腐りやすい食べ物は腐るとすぐに価値がなくなってしまう。そのため金や銀は良い価値貯蔵手段になるが、生鮮食品はそれほどではない。

 

②計算単位

貨幣の第二の役割は計算単位、つまりメニューや契約、価格ラベルなど、商品やサービスが値段付けされる単位だ。

現代経済では、計算単位は通常、通貨、たとえば英国のポンドだが、代わりに一種の商品になることもある。過去には、商品は、主食(「沢山の小麦」)や家畜のような非常に一般的なものを単位として値段付けされていた。

 

③交換手段

第三に、貨幣は交換手段でなければならない。

商品それ自体を欲しているからというよりは、何か他のものと交換することを企図しているために人々が保有する物だ。例えば、第二次世界大戦でのある戦争捕虜収容所では、貨幣がない中、タバコが交換手段となった。非喫煙者でさえもたばこと交換しようとしただろう。 タバコを吸うことを計画していたからではなく、後で欲する何かのためにタバコを交換することができただろうから。

 

 

イングランド銀行の目的の1つは、通貨の価値を保護することだった。交換手段は優れた価値貯蔵手段である必要があるが、優れた交換手段ではない多くの優れた価値貯蔵手段がある。例えば、住宅はかなり長期間にわたって価値を維持する傾向があるが、支払いとして簡単に引き渡すことはできない。

 

経済における交換手段が計算貨幣になることは通常効率的だ。もし英国の店が米ドルで商品の値段付けていて、それでもまだスターリング通貨(英ポンド)でのみ支払いを受け入れているならば、客は何かを買いたいと思う度にスターリング-ドルの為替レートを知っていなければならないだろう。 これは客側に時間と労力がかかる。

 

貨幣はIOU(借用証書)だ

ロビンソン・クルーソーとマン・フライデー(ロビンソン・クルーソーの友人)は果実と魚を単純に - 貨幣を使わずに - 交換することができたが、現代経済の人々が行いたい交換ははるかに複雑な交換だ。多数の人々が関与している。そして - 重要なことに - これらの交換のタイミングは通常は一致しない。ロビンソン・クルーソーは旬の夏の間に大量の果実を集めるかもしれないが、マン・フライデーは秋まで大量の魚を捕まえることができない。現代経済では、若者は家を買うために借金したい。高齢者が定年退職のために貯蓄する。そして労働者は、給料日ではなく、毎月の月給を月に渡って徐々に使うことを好む。これらの需要パターンは、ある人々が借りたいと望み、後の時点で他の誰かによって返済される債権、またはIOUを保持したいと望むことを意味する。現代経済における貨幣は、単なるIOUの特殊な形式、あるいは経済会計の言語における金融資産だ。

 

それぞれのIOUはある人の金融負債であり、他の誰かの金融資産と一致する。

 

金融資産は、経済において他の誰かに対する債権 - 個人、会社、銀行または政府へのIOUだ。

 

金融資産は経済における他の誰かに対する債権であるため、それらは金融負債でもある。ある人の金融資産は常に他の誰かの借金だ。閉鎖経済における金融負債の大きさは金融資産の大きさに等しくなる。ある人が住宅ローンを借りる場合、彼らは銀行に長いあいだ金額を支払う義務、つまり負債を得る。そして銀行はそれらの支払い、同じ額の資産を受け取る権利を得る。あるいは、彼らが社債を所有している場合、彼らは資産を持つことになるが、会社は同じ規模の負債を持つことになる。対照的に、非金融資産は他の誰に対しても債権がない。誰かが家や金を所有している場合、対応するその負債がある相手はいない。そのため非金融負債は存在しない。経済のすべての人がすべての資産と負債を1つにまとめると、貨幣を含むすべての金融資産および金融負債が相殺され、非金融資産のみが残る。

 

貨幣の種類

貨幣には主に3つの種類がある。

①通貨(紙幣、硬貨)

②銀行預金

③中央銀行準備

それぞれが経済のある部門から別の部門へのIOUになっている。

 

①通貨(紙幣、硬貨)

通貨はイングランド銀行からその他の経済部門へのIOUだ。

通貨は消費者が保有する他、市中銀行も預金引出に応じるために少額を保有している。通貨は指定された金額(例えば5ポンド)を、要求に応じて通貨の保有者に「支払うことを約束」する。これにより、通貨はイングランド銀行の負債となり、その保有者の資産となる。

現代の通貨は、他の資産(金や他の商品など)に変換できない不換貨幣だ。不換貨幣は流通貨幣として経済のすべての人に受け入れられているので、イングランド銀行はその貨幣の保有者に債務を負っているが、その債務は不換貨幣でしか返済できない。

 

通貨が実物財に直接変換できないのであれば、交換でそれらが普遍的に受け入れられるものとなるのは何だろうか?一つの答えは、信頼できる交換手段は、社会的あるいは歴史的な慣習の結果として、徐々に現れるということだ。そのような多くの社会に現れる慣習がある。

通貨を快適に保持するためには、人々はいつか誰かがこれらの紙幣を、国が保証を促進する実物財まもう1つの方法は納税としてそれを受け入れることによって通貨の需要が常にあることを確認することだ。政府は、その通貨が「法定通貨」を表すと見なすことによって、その需要に影響を及ぼすことができる。

 

政府がこのように通貨の使用に根拠を与えたとしても、それだけでは人々がその通貨を使用する(または法的にしなければならない)ことを保証するわけではない。彼らは自分たちの紙幣が価値があることあることを信頼する必要がある。それは紙幣が偽造されるのが困難であることが重要であることを意味する。彼らは、紙幣の価値が、価値貯蔵として、そして交換手段としてそれらを使うことができるように、広く安定したままであることを信頼する必要がある。これは一般的に国が低く安定したインフレ率を確保しなければならないことを意味する。

 

イングランド銀行は国民の需要を満たすのに十分な紙幣を確実に創造する。 銀行はまず、商業印刷業者による新しい紙幣の印刷を手配する。 それからそれらを市中銀行の古い紙幣と交換する。それらはもはや使われるのにふさわしくないか、または回収された紙幣の一部だ。 これらの古い紙幣は、その後銀行によって破壊される。

 

紙幣の需要もまた、一般的に時とともに増加していく。 この追加の需要を満たすために、銀行はまた、古い紙幣を交換するのに必要な以上の紙幣を発行する。 追加で新しく発行された紙幣はイングランド銀行から市中銀行に買われる。市中銀行は、イングランド銀行の紙のIOUである新しい通貨を、電子のIOU、中央銀行準備、と交換することによって支払う。

 

②銀行預金

通貨は、経済の中で人々や企業が保有するごくわずかな金額しか占めていない。残りは銀行への預金で構成されている。安全上の理由から、消費者は通常、すべての資産を物理的紙幣として保管することを望んでいない。さらに、通貨は利子を支払わないため、銀行預金などの他の資産よりも保有するのは魅力的ではない。これらの理由から、消費者はほとんどの場合、代わりの交換手段である銀行預金を保有することを好む。銀行預金はさまざまな形態を取る。例えば、消費者が保有する当座預金や普通預金、投資家が購入する銀行債権。現代経済ではこれらは電子的に記録される傾向にある。

 

消費者が自分の紙幣を銀行に預金するとき、彼らは単にイングランド銀行のIOUを市中銀行のIOUに交換しているだけだ。市中銀行は追加の紙幣を受け取るが、見返りに、預金額が消費者の口座に入金される。 消費者は、常に返金できると確信しているため、銀行の預金と通貨を交換するだけだ。 したがって銀行は、彼らのIOUの返済のために、預金者から予想される需要を満たすのに十分な金額の通貨を常に取得できるようにする必要性がある。 ほとんどの家計の預金者にとって、これらの預金は、顧客が彼らに強気の姿勢を保っていることを確実にするために、一定の価値まで保証されている。 これにより、銀行預金は簡単に通貨に交換できると信頼されることを保証し、元の交換手段として機能する

 

現代の経済では、銀行預金はしばしばデフォルトの貨幣だ。ほとんどの人は現在、通貨ではなく銀行預金で給料の支払いを受けている。そして、これらの預金を通貨に戻すよりむしろ、多くの消費者はそれらを価値の貯蔵として、そしてますます、交換手段として使用している。例えば、消費者がデビットカードで買い物をすると、銀行部門はその消費者への借金を減らす - 消費者の預金が減少する - 一方で、店に支払う金額を増やすと - 店の預金が増える。消費者は、それらを通貨に変換する必要なく、交換手段として預金を直接使用した。

 

銀行預金は主に市中銀行自身によって創造される。銀行預金の残高は、誰かが彼らの口座に紙幣を支払うたびに増加するが、銀行預金の金額も、誰かが引き出しするたびに減少する。銀行預金の創造にとってずっと重要なのは、銀行による新規融資の行為だ。銀行が顧客のうちの1人に融資をするとき、単純により高い預金残高を顧客の口座に入金する。 その瞬間に、新しい貨幣が創造される。

 

銀行預金は銀行の単なるIOUであるため、銀行は新しい貨幣を創造することができる。IOUを創造する銀行の能力は、経済の他の誰とも変わりはない。銀行が融資を行うと、借り手も銀行に対して独自のIOUを創造している。唯一の違いは、以前議論した理由で、銀行のIOU(預金)が交換手段、貨幣として広く受け入れられているということだ。とはいえ、市中銀行が貨幣を創造する能力は無限ではない。彼らが創造できる貨幣の量は、特に金融、財政の安定、そしてイングランド銀行の規制政策など、さまざまな要因の影響を受ける。

 

③中央銀行準備

市中銀行は頻繁な預金の引き出しやその他の支出を満たすためにいくらかの通貨を保有する必要がある。しかし、物理的な紙幣を使って大量の取引を実行するのは、互いに非常に面倒だ。そのため、銀行はイングランド銀行とは異なる種類のIOU、中央銀行準備を保有することが許可されている。イングランド銀行の準備金は、中央銀行が各銀行に借りている単なる電子記録の口座だ。

 

家計や企業の預金と同じように準備金は銀行にとって便利な交換手段だ。中央銀行の準備金口座は当座預金が家計や企業に役立つように、市中銀行にも同様の役割を果たすと考えることができる。ある銀行が他の銀行に支払いをしたいのであれば - 顧客が取引をするとき、毎日大規模に行うように - 彼らはそれに応じて彼らの準備金残高を調整するであろうイングランド銀行に伝えるだろう。イングランド銀行はまた、市中銀行が必要とするだろう通貨をいくらでも準備金と交換できることを保証する。例えば、多くの家計が自分の預金を紙幣に換金したい場合、市中銀行はそれらの家計に返済するための通貨と準備金を交換することができる。イングランド銀行は、通貨の発行者として、そのような需要を満たすのに十分な通貨が常にあることを確認することができる。

 

まとめ

・今日の貨幣はIOU(借用証書)の一種だが、それは経済のすべての人が商品やサービスとの交換で他の人々に受け入れられると信じている特別なものだ。

・貨幣には主に3つの種類がある:通貨、銀行預金そして中央銀行準備。それぞれが経済のある部門から別の部門へのIOUを表している。

・ 現代経済のほとんどの貨幣は銀行預金であり、銀行預金は市中銀行自身によって創造される。

 

 

 

「人工知能を制する者は世界を制す」

この書き出しから始まる本、「純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落」(井上智洋氏著)を読んで、このエントリーを書いています。

 

人類は近い将来、人工知能技術の発達(汎用AIの発明)により、『純粋機械化経済』と呼ばれるステージに突入することになる、と言われています。

『純粋機械化経済』とは、これまでの機械と人間の労働力に代わり、AI・ロボットによる高度なオートメーションにより生産活動を行う経済のことです。

(上図は井上智洋氏著『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』より引用)

 

これまでの機械化経済では、人間の労働力が経済成長(生産規模)のボトルネックになっていましたが、AIやロボットは自分自身をいくらでも再生産できるので、生産規模をいくらでも拡大できます。

『純粋機械化経済』はこのようにして、供給能力を爆発的に拡大することができます。


この『純粋機械化経済』を達成した国と達成していない国の間で、第二の『大分岐』が起きるのではないかと考えられています。

『大分岐』とはもともと歴史学者のケネス・ポラメンツがその著書『大分岐』で提唱した用語で、産業革命により世界が豊かな地域(西欧)と貧しい地域(その他)に分かれたことを指します。

西欧、特にイギリスは世界に先駆けて産業革命を実施し、テイクオフ(伝統的な社会から工業社会への決定的な転換)ができました。これにより、イギリスは世界の覇権を握り、ヨーロッパはアジアやアフリカを植民地にすることができたのです。

(同じく井上智洋氏著『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』より引用)

 

この『大分岐』が『純粋機械化経済』への到達により21世紀に再び起きるのではないか、というのが第二の大分岐論です。

『純粋機械化経済』の提唱者である井上智洋氏の試算によると、『純粋機械化経済』では経済成長『率』が指数関数的に増加します。つまり、経済成長率が2%→5%→10%→・・・と、年を経るに連れて急激に拡大していくのです。

そして前回の大分岐のイギリス同様、最初に第二の大分岐をテイクオフした者が世界を制するのです。

この最初の第二の大分岐は2030年頃に起きると、井上氏は予測しています。

(同じく井上智洋氏著『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』より引用)

 

ただし、この経済成長率はいわゆる潜在GDPであり、需要側を無視したものです。

供給能力の拡大はデフレ圧力であり、『純粋機械化経済』では年を経るごとにデフレ圧力が強まることを意味します。

純粋機械化経済のピースが揃っても、潜在供給能力の急激な増大に重要が追いつかず、テイクオフに至らない可能性がある、と井上氏は指摘しています。それどころか、日本の「失われた20年」よりも遥かに深刻なデフレ不況に陥るとも指摘しています。

テイクオフを起こすには、莫大な需要、即ち政府の莫大な財政赤字が必要不可欠なのです。

 

テイクオフを果たしても別の問題が発生します。技術的失業者の増加です。

生産活動に人間の労働力が要らなくなるのですから、当然失業者が大量に発生します。

 

これらの問題に対して、主流派経済学の批判者でもある井上氏は2つの対策を示しています。

1つはマネーサプライを増やす政策(ex.ヘリコプターマネー)、もう1つはベーシックインカムです。

ヘリコプターマネーは、財政政策と金融政策を組み合わせることで、貨幣を民間経済主体(家計・企業)に直接給付してマネーサプライを増大させます。

ベーシックインカムは再分配政策でもありますが、『純粋機械化経済』で失業し所得を失った人々に対して給付することで、消費需要を高めます。

これらの政策により、需要を高め、失業対策を行う、というのが井上氏の提案です。

 

 

ここで、現在脚光を浴びているMMTで『純粋機械化経済』の問題点を分析してみましょう。

 

第一の問題点である需要の問題は、MMTの基礎理論であるSFCモデルで分析ができます。

MMTの考えでは財政赤字が普通の状態です。なぜなら、資本主義経済では供給能力は拡大するため、インフレ率を保つために民間の金融資産を増やす必要があるためです。民間の金融資産を増やすには政府の財政赤字が必要になります。(外国を捨象すれば)民間の純金融資産の増加分=政府の財政赤字の増加分になるため、財政赤字が普通の状態なのです。

実際の対策には、OMFや国債発行による、的を絞った財政支出(Target Spending)になるでしょう。

Target Spendingでは、商品・サービスの個々の供給能力を見極めて支出をします。すなわち、供給能力が需要より低い商品・サービスに対しては程々に、供給能力が需要より高い商品・サービスに対しては大きく財政出動をすることで、インフレ圧力を安定させます。

 

第二の問題である技術的失業は、MMTの代表的な政策提案であるJGPで対策が可能です。

JGPは、国が労働を希望する人全てに対し職を保障することで、事実上、失業を失くすことができます。また、不況の時は雇う人数が増えるため財政支出が増え、好況の時は雇う人数が減るため財政支出が減るので、経済の自動安定化装置、再分配装置になります。人々の所得も失われず、消費需要も安定します。

 

 

一方、今の世界の常識である主流派経済学ではどうでしょうか?

 

主流派経済が理想とする均衡財政では、莫大な政府財政支出は禁忌とされているために深刻なデフレに陥り、第二の『大分岐』のテイクオフができないでしょう。

主流派経済の誤ちに気づいた国からテイクオフがなされ、第二の『大分岐』が起きます。

主流派経済の誤ちに気づかない国の経済は一方的に引き離されるでしょう。

それだけでなく、テイクオフした国から安くて質の良い商品やサービスを購入することになり、国内企業の収益が減り、国内経済は縮小(シュリンク)します。失業者も大量発生するでしょう。

経済面だけでなく、安全保障面も重大な危機に直面します。テイクオフした国との軍事力の差は量・質ともに引き離される一方になるでしょう。

主流派経済学の軛から脱することが第二の『大分岐』の必要条件なのです。

 

『純粋機械化経済』の到来は、主流派経済学の誤ちを実証するでしょう。

 

 

今回はあまりに誤解が大きいトピックを取り上げます。

 

MMTが紹介されるときに、「日本がMMTの正しさを証明している」と言われることがあります。

 

焦点:財政拡大理論「MMT」、理想の地は日本か

https://jp.reuters.com/article/mmt-japan-idJPKCN1QP072

 

日本は「トンデモ経済理論」MMTの成功例か

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56283

 

「日本では既にMMTが実践されている!」といった風潮です。

 

中には『提唱者のステファニー・ケルトン米ニューヨーク州立大教授が「日本はMMTを実践してきた」』といった論説もあります。

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO45512980R30C19A5KE8000/

 

このような風潮に対し、ケルトン教授本人は苦言を呈しています。

https://twitter.com/StephanieKelton/status/1133741592647491589

https://twitter.com/StephanieKelton/status/1133741593582854145

Journalists keep reaching out to talk with us about Japan. Randy Wray and I keep telling them that Japan shows mainstream theory is wrong, but their policy has been overwhelmingly the opposite to that advocated by MMT.

Maybe one of them will eventually pursue this angle instead of continuing to present Japan as "doing MMT."

(和訳:記者たちは日本について言及させようと接触し続けてくる。ランダル・レイと私は繰り返し「日本は主流派経済学の誤りを証明している。しかし、日本の政策はMMTとは真逆のものだ」と答えている。

いつか、誰かが「日本はMMTを実践してる」なんて言わないで、ちゃんと報じてくれますかね。)

 

このように、MMTは「日本はMMTを実践している」とは主張していません。その逆です。

むしろ、「日本は主流派経済学の誤りを証明している」と主張しています。

 

主流派経済学は日本で起きた以下の事例を説明できません。

  • 巨大財政赤字の状態を維持している。
  • 持続的な巨大財政赤字なのにインフレが起きない。
  • 政府債務残高(対GDP比)が世界一高いのに、国債利回りは低いまま。
  • 国債発行残高が積み上がっても、金利が上昇するはずが、逆に下落している。
  • 量的緩和でインフレが起きるはずが、全く起きていない。
 
一方、MMTは日本の事例を説明することができます。
  • 健全な政府において財政赤字は普通の状態。
  • 日本の財政赤字はインフレ率に対して少なすぎる。
  • 自国通貨建ての政府債務で財政破綻することはありえない。
  • 国債発行残高と金利は関係がない。政府支出は金利低下を招く。
  • 量的緩和をしても、民間部門の貨幣が増えるわけではないためインフレは起きない。

 

MMTに言わせれば、日本の政策で財政破綻や金利の上昇、インフレ率上昇ならびにデフレ脱却が起きないのは当然なのです。ありもしない財政破綻に怯え、政府支出を拡大するどころか、消費増税をはじめとする緊縮財政で国民の資産を奪いとっているのですから。

 

つまり「日本がMMTの正しさを証明している」というのは、MMTを実践した良い例ではなく、主流派経済学では説明できない例として、日本の事例を紹介しているのです。

これは決して喜ばしいことではありません。

 

本当に「MMTを実践する」のなら、マイルドインフレになるまで財政赤字を拡大しなければなりません。

また量的緩和は行ってもいいですが、大した効果はないので期待してはいけません。

そして、国債発行残高は気にするべきではないのです。それは財政破綻にも金利やインフレの上昇にも結びつかない、ただの過去の記録に過ぎないのですから。

 

前回のエントリーで「明示的財政ファイナンス(OMF)」の解説を行いました。

今回は、前回の内容に対する質問が飛んできたので、OMFの補足を交えつつ質問への回答をしていきます。

ただし、OMFの細かい議論は本場でもなされていないため、この回答には私の推測が多々含まれます。

そのため、私の勘違いが含まれている可能性が高いです。もし勘違いがあればコメント欄で指摘して頂けると大変助かります。

 

 

Q1.OMFは日銀の国債直接引受に近い考えなのか?

 

A1.はい。OMFは日銀の国債直接引受に近い考えです。

まず、「明示的財政ファイナンス(OMF)」はJGPと違いMMT独自のアイデアではありません。

初出はアディール・ターナー卿の論文「DEBT, MONEY AND MEPHISTOPHELES: HOW DO WE GET OUT OF THIS MESS?」(2013年)と思われます。(タイトルを邦訳すると「負債、貨幣そしてメフィストメレス:この混乱からどのように抜け出すか」になります。)

この論文によると、OMFの原型のアイデアは皆さんご存知「ヘリコプターマネー」です。

日本で言えば日銀の国債直接引受ですね。

 

この論文が出る以前のMMTerもターナー卿に近い考えを持っていました。

例えば、オーストラリアのMMTerのビル・ミッチェルは2012年に、「Keep the helicopters on their pads and just spend」というブログ記事を書いています。(邦訳すると「ヘリコプターはパッドに置いておき、単に支出せよ」)

この記事では、政府部門は民間部門に負債を発行する必要がないことを主張しています。

考え方が似ていたため、MMTerがターナー卿のアイデアであるOMFを支持した、という流れとなります。

 

 

Q2.政府短期証券を発行した場合、それは日銀がずっと預かるものなのか?

 

A2.少なくとも政府小切手の回収(=政府の準備預金による銀行への支払い)までは、償還してはいけません。

この場合の償還は、政府が日銀に準備預金を支払うということになるからです。

政府小切手の回収後も、この政府短期証券の元本は償還する必要がありません。

償還すると、政府の日銀準備預金が減少してしまいます。政府の日銀準備預金の穴埋めは政府支出によりなされます。

そして、その政府支出は税金か国債によって充てることになります。

つまり「元の木阿弥」です。

借換などの何らかの手段で、政府の日銀への負債額=民間部門への支出額を維持しなくては、OMFの意味がありません。

 

 

Q3.国債が定期預金なら、OMFは普通預金で、国債で塩漬けされていた資金の流動性が高まるのではないか?

 

A3.仰る通り資金の流動性は高まるでしょう。定期預金と普通預金では流動性が異なります。

前回のエントリーでは「国債と準備預金の違いは利子だけ」と断言してしまいましたが、流動性を考慮していませんでした

 

 

Q4.準備預金に利息がつく場合、支払うのは日銀だと思うが、その原資は、どこから出るのか?

 

A4.準備預金を発行する権限は日銀にのみ存在するので、その利息を支払うのも日銀になるかと思われます。

ただし、その利息支払いは日銀の負債になるため、日銀のB/Sを政府が補填しなければなりません。

つまり、準備預金の利息の原資は政府支出になります。これは国債の利息の支払いと同じですね。

 

 

Q5.現在、日銀が国債を買い占めて準備預金の残高が凄い事になっているが、これはOMFへの移行が実質的に起きていると捉えていいのか?

 

A5.これは何とも言えないところです。いま日銀が行っている国債の間接引受は、確かに国債から準備預金への転換です。

政府支出は相変わらず国債で贖っていますが、新規国債発行量≪日銀の国債引受量であるため、間接的にOMFを行っていると言えなくもありません。

しかし、言葉遊びのようにも見えますが、「明示的」という言葉は「あからさまな」という意味合いが込められています。

間接的に明示的財政ファイナンスを行う、というのは明示的では無いように思えます。

 

 

Q6.発行済の国債をOMFに移行するのは、どのようなプロセスを辿るのか?

 

A6.OMFへの移行を現実的に考えると、日本の国債には60年償還ルールが存在しますので、それを利用するのが自然かと思います。

60年償還ルールは、国債の元本を60年かけて分割償還していくというルールです。

償還する際は、OMFによる政府支出で元本と利息を支払います。

保険会社等は日銀に口座を保有しておらず、一度購入した国債を手放さない傾向がありますが、60年償還ルールがあるため、最終的には発行済の国債を消滅させることができます。

 

 

以上です。

 

(了)

 

 

 

今回はMMTの中核的主張の一つ、「OMF(Overt Monetary Financing)」(日本語訳すると「明示的財政ファイナンス」)について説明します。

 

OMFとは何かと言うと、「国債発行や税によって裏付けられてない財政支出」になります。

ヘリコプターマネーと似ていますが、財政支出を強調している点、支出先が家計ではなく一般財源としている点でヘリマネと若干異なります。

 

このOMFが理解できれば、国債と準備預金の違いが明確になり、国債の役割を定義し直すことができます。

また、主流派経済学の誤ちを暴き出すこともできるのです。

ちょうど財務省がMMTの危険性を訴える資料を用意してくれたので、OMFの考え方でこの資料を批判してみましょう。

 

OMFが導き出す、国債と準備預金の違い

OMFによる政府支出の前に、まずは国債による政府支出を振り返ってみましょう。

ここでは統合政府で考え、企業Aに公共事業を代金を振り込むときの例を見てみましょう。

 

①統合政府は国債を発行し、銀行Bの準備預金と交換する

②統合政府は取得した準備預金を担保に政府小切手を発行して、企業Aに公共事業の代金を支払う

③企業Aは銀行Bに政府小切手を持ち込む

④政府小切手を受け取った銀行Bは、企業Aの口座に銀行預金を発行すると同時に、統合政府に政府小切手の支払いを要求する

⑤政府小切手を回収した統合政府は、銀行Bの口座に政府小切手と同額の準備預金を増やす

 

この結果、企業Aの銀行預金が増え、銀行Bは国債を入手します(準備預金はプラマイゼロ)。

つまり、財政支出によって民間資産が増加するのです。

政府支出による民間の資産増加は、②の段階で起きています。③④では民間内で資産の交換が行われただけです。

 

 

次に、OMFによる政府支出を見てみましょう。国債での例と同じ例で考えてみます。

 

①政府は政府短期証券を発行し、中央銀行から準備預金を受け取る(統合政府は準備預金を創造する)

②統合政府は準備預金を担保に政府小切手を発行して、企業Aに公共事業の代金を支払う

③企業Aは銀行Bに政府小切手を持ち込む

④政府小切手を受け取った銀行Bは、企業Aの口座に銀行預金を発行すると同時に、統合政府に政府小切手の支払いを要求する

⑤政府小切手を回収した統合政府は、銀行Bの口座に政府小切手と同額の準備預金を増やす

 

この結果、企業Aの銀行預金が増え、銀行Bの準備預金も同額増えます。

政府支出によって民間資産が増加するのは国債のときと同じです。

国債による政府支出とOMFによる政府支出を比較すると、銀行Bの国債が準備預金に変化したことが見て取れます。

国債も準備預金も、統合政府から見れば等しく負債です。国債と準備預金は同種のものなのです。

国債と準備預金の違いは利子の有無に他なりません。

 

 

OMFで財政支出すると、準備預金と銀行預金が同額増えることになりますが、ここで準備預金制度を考えてみましょう。

(日本における準備預金制度については、私の過去のエントリーを御覧ください。)

準備預金制度では新たに発生した銀行預金の極一部の額(現在の日本では約1%)を準備預金として日銀に預けるというものです。

そしてインターバンク市場(銀行間の準備預金の売買)での金利が、中央銀行の目指す政策金利となります。

したがって、準備預金と銀行預金が同額増えてしまうと大幅な金利低下圧力になります。

すなわち、財政支出それ自体は金利を低下させるのです。

 

国債発行による政府支出は、政府支出で産み出される準備預金と国債とを交換することで、銀行の準備預金額の変化をプラマイゼロにし、政府支出による大幅な金利低下圧力を僅かな金利上昇に変化させます。

また、中央銀行は国債を売買(買いオペ/売りオペ)することで、準備預金量を調整し、短期金利目標の達成を目指します。

つまり、国債の役割は金利調節なのです。

また、国債と準備預金の違いが金利ならば、国債は準備預金付利で代替できることがわかります。

つまり、原理的には国債は必須ではないのです。

国債を発行せずとも正常な経済運営が可能なのです。国債が嫌いなら発行しなくても良いのです。(国債不要論)


繰り返しますが、国債と準備預金の違いは利子の有無に他なりません。
この利子の有無は、我々の身近な銀行預金で例えることができます。

利子のある統合政府負債である国債は利子のある銀行負債である定期預金(または普通預金)に相当し、利子のない統合政府負債である準備預金は利子のない銀行負債である当座預金に相当します。

 

主流派経済学の誤ち

さて、さきほど国債を定期預金に、準備預金を当座預金に例えました。これは財政破綻論にとっては急所です。

銀行の定期預金が増えすぎてデフォルトするなんてありうるのでしょうか?

また、定期預金たる国債による破綻があるなら、当座預金たる準備預金による破綻だってあるはずです。

しかし、準備預金による破綻など、財政破綻論者からは聞いたこともありません。

 

冒頭の財務省資料のMMT批判は財務省自身はなにも批評せず、経済学者のMMT批判をコピペしているだけです。(ダサい・・・)

その経済学者のMMT批判もだいたい2つの理由に集約されています。

・MMTはハイパーインフレをもたらす

・財政赤字(債務)は金利上昇を招く

 

前者は置いておいて、後者は明確に間違いだということがOMFの議論からわかります。

財政赤字は金利上昇を招くのではなく、その逆に金利低下を招きます。

金利上昇は国債を発行したときに起きます。

国債発行による金利上昇が嫌ならばOMFを行うか、いま日銀がやっているように、既発債(既に発行されている国債)を買い取ればいいだけの話です。既発債の買取はOMFと同じ結果、すなわち準備預金の増加による金利低下圧力となります。

 

まとめ

OMFの知見を3行でまとめます。
・国債と準備預金はほとんど同種のもの。違いは金利だけ。国債は定期預金に、準備預金は当座預金に例えることができる。
・国債は経済運営に必ずしも必要ではない。別になくても良い。(国債不要論)

・財政支出自体は金利を上昇させるのではなく、むしろ金利を低下させる。

 

以上です。

 

(了)