私の防災・その275 あの日から28年~#災害時の備えにしていること
28年前の今日1月17日午前5時46分に阪神淡路大震災が起きました。
いつもは基本的に正午にブログを投稿しているのですが、今日は阪神淡路大震災が発生した時刻に合わせて投稿します。
参考にしていただければ嬉しく思います。
このブログでは何度も書いていますが、私の父は単身赴任先で阪神淡路大震災を体験しました。
2021年にそれまで書いた私と家族の体験談を纏めた記事です
上の記事の中にもリンクが有りますが、2009年に書いた私の防災の原点である父の阪神淡路大震災体験談全四回だけ抜き出しておきます
父は幸運にも大きな被害を受けずに済みましたが、震災直前まで住んでいたマンションは倒壊しましたし、発生したのがもう少し遅ければあの倒壊した高速道路上を走っていたはずでした。
また、その時住んでいた部屋から出た時に最初に目撃したのは道の反対側の古くからある住宅街が壊滅的な被害を受けている様子でした。
父も条件が何か一つでも違っていたら助からなかったかもしれません。
父の会社関係でも倒壊した家屋の下敷きになった方々が沢山います。
長時間閉じ込められても無事救助されて助かった方もいれば、残念ながら亡くなられた方もいらっしゃいます。
父は一級建築士でも有りましたので、単身赴任先で最初に住んだマンションは古く耐震基準を満たしていないことなどから、新しいマンションへ住み替えたばかりでした。
父以外の家族が住んでいた実家は父が設計し、父の仕事仲間でもある信頼できる工務店が建てた物です。
やはり住まいを選ぶ時には耐震基準を満たした住宅を選択することを最優先しなければならないと思います。
災害が来ることを止めるすべは有りませんが、忘れてはならないのは阪神淡路大震災にしろ、東日本大震災にしろ、100年前の関東大震災にしろ、被災地と呼ばれる壊滅的と言われるほどの被害を受けた地域であっても住民全てが亡くなった地域は無いと言うことです。
震災を経験するまで健康で体力に自信があった父の口癖は「健康な体さえあれば大抵のことは何とかなる物だ」でした。
ですが、阪神淡路大震災の現実を目の当たりにした父の口癖は
「全ては命あっての物種」
「住まいは命と健康を守る盾でなければならない」
「水とトイレは絶対に備えておけ」
に変わりました。
大多数の生き残った人達はその瞬間から生きていく為、生活を維持していく為の戦いが始まるのです。
貴方は命懸けの戦いが始まると知っていても何も備えず武器も防具も無しで戦場に向かいますか?
全ての人が防災に取り組まねばならないと私が考える理由です
今日と言う日を切っ掛けに防災について考え、行動する方が一人でも増えてくださる事を願っています。
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