「天中殺の前って、何か前兆があるの?」
「天中殺に新しいことを始めちゃダメ?」
そんな疑問を抱いている人へ向けて、この記事では私が実際に体験した「天中殺」からの12年間の歩みをリアルに振り返る。
書いているのは、次の4つだ。
✔ 天中殺の前の年に起きたこと
✔ 天中殺の最中に「始めた」こと
✔ 天中殺が明けてどう変わったか
✔ 新たな天中殺に向けて思うこと
「天中殺ってどうなるの?」という不安や迷いを抱えているひとにとって、何かのヒントや安心材料になれば嬉しい。
天中殺とは?12年サイクルで訪れる“運命のリセット”
天中殺(てんちゅうさつ)とは、12のサイクルでめぐる運気の流れ。三柱推命(みはしらすいめい)では、12年間のうちの3年間を特に天中殺と呼ぶ。
天中殺のまっただ中だけでなく、それ以外の時期にも運気は上がり下がりをしている。運気が上がっているときは、自分の特性を活かしやすく、下がっているときは思うように物事が進まない。でも、これはこれで大事な時期だ。自分を見つめ直したり、運気が上がる時期に備えて学んだり準備したりする時間になる。
天中殺について詳しくは、こちらの記事も参照してほしい。
鑑定書を持っている人は、右上の部分を確認してみてほしい。これは私の場合の天中殺のリズムだ。人によって、天中殺がいつになるかは異なる。

私の場合、2022年が天中殺の入りの年だった。このちょうど12年前、2010年も同じ時期——つまり寅年だ。この頃、私はどうしていたのかを振り返ってみたい。
天中殺の前年は「頂点」の年
その前に一度、天中殺の前年である2009年を振り返ってみる。この年は、子どもの頃からの夢だった図書館司書として働いていた時期だ。
天中殺の前年は「頂点」の運気が巡る。2009年に至るまで長く願い続けていた、図書館で働くという夢が叶ったのだ。
ただし、待遇は時給の派遣社員。さらに勤め先は大学図書館だったため、開館時間が減る長期休業中は稼ぎが少ない。これでは暮らしていけない。ようやく手に入れた夢の職を手放し、第二新卒として就職活動をするか——そんなことを迷っていたら、月給で図書館に勤められる職場を見つけたのだ。
🌀【2010〜2012】天中殺
2010年:忍耐|仕事の変化と波乱の始まり
ようやく図書館での仕事が安定した。結構充実した毎日だったけれど、他の雇用形態の職員とぶつかった。頑固な私は、そういうとき丸く収められない。他の仕事をみつけて、お世話になった会社を去った。波瀾万丈の幕開けである。
新たな職は研究所の嘱託職員。9時から17時までという一般的な時間帯の仕事は初めての経験だった。楽になるかと思いきや、通勤が私にはハード過ぎた。図書館司書をやっていたときは13時から22時までの遅番で、行きも帰りも電車は空いていたのだ。
満員電車に草臥れきった私は、半年も経たないうちに新たな仕事を探し始めた。そして、元いた会社の求人をみつけた。家から近い湘南の大学図書館で、ひとつ昇格した現場リーダーの仕事だ。
おそるおそる正規ルートで応募すると、採用担当から「なんで直接言わないの」と電話がかかってきて、すぐに採用が決まった。現場はとても近所になったけれど、同じ会社への出戻り娘と相成った。
2011年:陰徳|震災と価値観の揺らぎ
新たな現場に馴染み始めた2011年、東日本大震災がやってきた。
勤務先の大学図書館は春休み中で、メインの業務は新たに購入した本をデータベースに登録する作業だった。計画停電の合間を縫うようにして、納期に間に合うようにひたすらデータを入力していく。
一体私は、何をしているんだろう。確かに、データ入力も大切な仕事だ。それが平常時であるならば。でも、多くの人が生きるか死ぬか、命懸けで復興の仕事をしてるときに、私はデータ入力をしてるだけなのか——そんなふうに思っていた。
この頃から、鎌倉には立ち呑み屋が増え始める。近所のコミュニティの大切さを、みんなが実感していた頃だった。たくさんのイベントが開催され、鎌倉での友達も一気に増えた。
そうして、現在のダンナであるジロウと出逢うことになる。ジロウには他の家庭があったし、私にも7年を共にした恋人がいた。「君には人の感情がわからないのか」——別れの日、男はそう吐き捨てて去って行った。そうしてジロウとの不倫生活が始まったのだ。
2012年:修行|母の死と覚悟の目覚め
翌2012年、母がこの世を去った。親は先に逝くものだとわかってたけど、そんなに早く訪れるとは思っていなかった。母を通してだけ繋がっていた血縁者との関係は、ここで途絶えた。
人間は、いつ死ぬかわからない。それはごく当たり前のことだけど、骨の芯まで実感したのは初めてだった。人は老いてから死ぬわけじゃない。自分だって今日死ぬか明日死ぬかわからない。じゃあ、やりたいことを後回しにしている暇なんてないんじゃないか。
図書館司書という仕事に就いたのは、安定収入を得て母を安心させたかったからだ。でも、もうその母もこの世にはいない。それはすごく淋しいことだけど、一方で私はとても自由になった。母のためにちゃんとした自分でいる必要がなくなった。
この一年は涙腺がうまくコントロールできなかった。謎なタイミングで突然ぼろぼろと涙がこぼれた。でも私は、この年からようやく自分の人生を生き始めたのかもしれない。
これが2010年から始まった天中殺で私に起きたこと。せっかくなので、この続きも書いてみよう。
🌅【2013〜2015】動き出す人生と小さな芽吹き
2013年:夜明け|人生初LIVEとKindle出版
2013年はミュージシャンの友人に誘ってもらい、初めてお金をもらって歌うようになった。

初LIVEのときに書いた日記が、はてなブログに残っていた。
ご来場ありがとうございました。Cafe GOATEE が満員! 40名以上の方にお越しいただきました。
ライブって生で歌を聴くだけじゃなくて、歌い手のエネルギーを浴びに行くものなのかもしれない。人前で歌ってみると、自分から溢れているエネルギーがわかる。観ていてくれる人たちからもエネルギーがでているのを感じる。うっかりすると負けそうになる。
ステージに立ってみてあらためて、音楽で生きてる友達の凄さを思った。平然と歌っているように見えるけれど、こんなに大変なことだったのか。
緊張するとか、恥ずかしいとか、間違えたらどうしようとか、そういうわかりやすい大変さではなく。見栄と恥と遠慮のブレーキを外した先にある状態で、持っているエネルギーを発散させること。それはすごく消耗する。よっぽど体力と気力がないと歌い続けられない。
ボイストレーニングはしたことがないし、酒に灼けたダミ声だし、音感があるわけでもない。「上手に、きれいに」はとても歌えない。それでも、聴く価値のあるステージにしたい。
ほとばしるものを観に来ていただけると幸いです。また歌います。
Kindle出版を果たしたのもこの年。
そして、長らく不倫状態にあったジロウとついに籍を入れた年でもある。
執筆する時間を増やしたくて、図書館の勤務日数を減らしてもらった。週4日勤務で固定給というのは、私の勤めていた会社ではまだ前例がなかったようだけど、ありがたく認めてもらえた。この頃から図書館司書と並行して、ライターの仕事を請け負い始める。
2014年:進化|フリーライターとして独立
ライターの仕事が増えてきた2014年。図書館の勤務日数をさらに減らして、より近所で働けたらいいなと思っていたら、自宅から徒歩圏内の図書館で嘱託として採用が決まった。
フリーランスの仕事を増やしたいと思っていたら、図書館コンサルの会社で見習いをさせてもらえることになった。業務委託契約を結ぶために、気がつけば個人事業主として開業届を出し、独立していた。
2015年:決意|図書館勤め卒業
図書館コンサルの仕事を本格的に任され始めた年だ。安定した月給のもらえる図書館勤めを、ここで卒業する。日本全国を出張で飛び回る毎日がスタートした。
⛅【2016〜2018】女優への挑戦と心の限界
2016年:休息|コンサルとして全国出張
夜明け→進化→決意ときて、4年目は休息の時期が挟まる。いわゆる運気の悪いと時期言われるけれど、新しく始まった流れを定着させる大事な時だ。
この頃は仕事が忙しかったのか、ほとんどブログを書いていない。忙しくはあったけれど、わりと楽しそうだ。

△出張中の福島県須賀川市でバルタン星人になる私。
2017年:青春|舞台女優に挑戦
青春の時期は新たな出逢いが多い時期と言われる。図書館コンサルの仕事は順調で、会社はさらに発展していく兆しがあった。業務委託だったスタッフ一同が、会社役員に就任することになった。
このままいけば順風満帆なのに、私の中に迷いが生じていた。私が人生をかけてやることは、本当にこれで良いのだろうか。天中殺の終わりの年に感じたことだ。人生は有限であり、終わりはいつ訪れるのか誰にもわからない。だから、今すぐに自分がいちばんやりたいことをやって生きるんだ。私にはそれができているだろうか。
学生時代にやりたかったけど、やり残していたことがあった。それが、女優として舞台に立つことだ。一度くらいやってみてもいいかもしれない。そんな軽い気持ちでいたのに、なぜか劇団に入る話が進んでいた。
会社役員と劇団女優の両立? そんなこと、できるはずがない。でも、現状を打破するには、それくらいのことをしなくちゃ。無謀な挑戦が始まった。

千秋楽が終わり片づけが終わったとき、気力のカラカラになった私が残った。それがメンタルダウンの始まりだった。
2018年:空転|精神科への通院
空転の時期は、その後にやってくる絶好調の3年間に備える時期と言われる。やることなすことが空回りするけど、パワーを温存しておく大切な時期だ。
しばらく休みをもらっていた会社に正月明けから復帰する予定だったけど、私にはもうそれができなかった。
その頃の長い日記が残っている。よかったら読んでみてほしい。
辞職して精神科に通い始めた。劇団にも出られなくなっていた。逃げるように、何もかも辞めた年だ。
生産性も無く稼ぎも無く、なんの役にも立たない私。そんな私に生きる意味なんてあるのか——そんなふうに思い続けていた。
こんなに時間ができたのだからと、小説を書くようになった。忙しかった仕事の代わりに、毎日大量にブログを書いた。この年の記事数、473本。
今読み返すと、わりと面白いこと書いている気がする。今までの自分を振り払うように10年振りにショートヘアにした。そして、このアメブロを書き始めた。

🔮【2019〜2021】サイキックとしての再出発と飛躍
2019年:飛躍|全頭金髪のヒーラーに
進化の時期あたりにお世話になった人から、ライターの仕事をいただいた。まだ自分が働けるかどうか不安だったけど、恐る恐る依頼を承った。このときのライターの仕事がやがて大きく発展することになる。
後に師匠となるThe Rock Girl®と出逢ったのもこの年だ。パワーストーンヒーラーなんて、いかがわしそうな仕事をする覚悟を決めようと、思い切って全頭金髪にした。

△自分の金髪になれなくてぎこちない。
年末からヒーラー並びにサイキックリーダーとして、ついに自分の仕事をスタートさせる。
2020年:絶好調|理想のサロン出現
師匠の予言通りに、望んでいたそのままの物件をサロンとして借りた。
コロナ騒動の始まりの年。幸いにして、遠隔でもできるサイキックリーディングには何の支障もなかった。Zoomで参加するイベントが増えて、オンラインの友達が大勢できた。
2021年:頂点|宮古島にも拠点を持つ
2021年はまさに頂点に相応しい一年だった。まず、初めてオンライン講座で講師役を務めた。
TikTokの最初の投稿がものすごい勢いで再生された。
売上が一気に伸びて、最終的には月50万円を達成した。
宮古島に家を買って、鎌倉との二拠点生活が始まった。
天中殺で「始めたこと」はどうなった?
さて、ここで改めて天中殺で始めたことを振り返ってみる。
・研究所の嘱託職員の仕事(2010年)
→半年も保たずにもとの会社へ戻った
・家から近い大学図書館の仕事(2010年)
→この仕事でいいの?と疑問を持ち退職
・鎌倉の立ち飲み屋に通う(2011年)
→2026年現在も毎日のように通っている
・ジロウとの出会い(2011年)
→2026年現在、新婚13年目を迎えた
一つ前のサイクルで築き上げたことのうち、もう役目が終わってしまっているものは、天中殺のタイミングで見直しをさせられる。すでにやってきたことに関連した新しいことを始めても続かないの。
でも、これまでの人生とはまったく関係のない挑戦の場合、天中殺が大事な芽吹きのときとなる。
「天中殺に新しいことを始めてはダメ?」——その答えは、「まったく新しい挑戦なら、長く続く芽吹きとなるから始めるべき」だ。
天中殺の破壊と再構築|12年を通して見えてきたこと
これが私の、天中殺から始まった12年。この12年間には、ひとつのテーマがある。
宙ぶらりんの天中殺でぶち壊されたのは、「図書館司書として月給をもらう私」だった。そうやって生きていく人生もあり得た。でも、運命は私にそれを許さなかった。やりたかったことをするために、自分で自分の仕事を作り上げる——それがこの12年のテーマだったと思う。
……さて、この記事を最初に書いたのは、新たな天中殺を迎える2022年の直前だった。2026年の今の私は、この次に訪れた天中殺で起きたこともよく知っている。最新の天中殺で、私がまた新たに手放したものについて話そうと思う。
というわけで、続きはこちら
みあんご!
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