センチメンタルな夜もある
我が子が可愛いと思うほどにこの感情を自分ほどに感じている人がいないことに漠然とした不安を感じる夜がある。夜とはそういうものだ🌙大切な大切な娘。どうかこれからの人生でたくさんの人に愛されますように。そのたくさんの愛を"受け取れる" 人でありますように。来月で4歳になる娘。今は手を繋いで守ってあげられるけどそれは今だけってわかってる。娘を守るために繋いだ手から伝わってくる色々に私もまた安心感をもらっていることだってちゃんとわかってる。(色々っていうのは、あたたかさだったりその時の娘の喜怒哀楽だったり「ママ大好き」っていう想いだったり…)「大変」で「幸福」な時間を今、私は過ごしているんだってことも痛いほどわかってる。いつも感じられることではないしいつも感じてたら疲れちゃうからそんな必要もないんだけども、今日みたいに繊細に感じられる日にはとことん感じようじゃないか。「子育て大変!ひとり時間がほしいー」って切実に感じる日があっていいし、「娘とずっとこのままくっついていたい」って真剣に願う日があってもいい。ただただ愛おしくて名前のない感情に飲まれ涙を流す夜があってもいい。 子育てを通して「大変」と「幸福」を感じる覚悟が私にはできているから。どれも本当の私だ。「子どもはみんな可愛いけど自分の子どもは特別に可愛い」母がよく言っていた言葉。その言葉を聞くたびに母がなんだか羨ましくて私も味わってみたいと感じた。晴れて、願いが叶ったわけだ。母の言った言葉の真意が今ならわかる。可愛く "見える" のだとばかり思っていたのだけど、少し違った。可愛いという感情が内側から "湧き上がる" のだ。その湧き上がる感情の中にほんの少しの苦しさというか胸が詰まる感じが混じっていることは自分がママになって初めて知った。地球は感情の星らしい🌏だとすると、子育てを通して新しい感情に出会えたこともまた「幸福」だと言える。すごい時間になってしまったので今日はもう寝よう。最後まで読んでくれた方がいたらどうもありがとう。嬉しいです。それでは、おやすみなさい。