好きなことをして生きる

人生を楽しむ

やりたいことをやる

自分軸をもつ













それだけが人生ではなくて














経験をするために心身を得て

この星に生まれてきたのならば




どうしても避けられないこと

やらなければならないこと




これらの存在もまた

確実にあると思うのです















やりたいことと
やらなければならないこと、とか




苦労なくできてしまうことと
努力を要すること、とか




「好き」の中に
時折混ざる不純物、とか














これらと
どう折り合いをつけて
生きていくのか?













やりたいことの中にも
やりたくない過程があったり




努力なくできてしまうことは
案外つまらなかったり




好きで好きでたまらないのに
自信をなくしてしまったり














そういう立体感こそが人生で

コントラストこそがアートで

そこにこそ

生きる意味がある気がします














ポジティブだけではのっぺりしてて

ネガティブだけではあまりに不安定

陰陽のバランスですね














バイオリズムの波に身を任せて

本当の意味で自分を生きること

大きな価値がある気がするのですね











私の自我はおそらく

責任感などの束縛から自由であることが

何よりも大切で





それに対して今一番の使命は

娘の育ちを責任をもって見守ること






面白いもので
いつもは「もうやーめたっ」って
突然切れるポンコツやる気スイッチも
育児に関しては切れません




切れたらどんなに楽かと(笑)




「なるほど、これがあの…!!」




これを母性と呼ぶには
あまりに陳腐だけど

自然の摂理に近いものを感じます




春に桜の花が咲くのを

誰も止められないように




春に桜の花が咲いても

誰も驚かないように




至極、当たり前。





だけど、
自我的には辛い時もあって

今年は咲きたくない〜〜〜!!!

とか

秋まで咲いていたい〜〜〜!!!

とか、そんな感じ














自我と使命の間に生じる摩擦を

軽減しようとしたり

見て見ぬふりをしたり

試行錯誤してきた今思うのは





「自我か使命か」という

大前提をひっくり返せばいい

ということ













自我と使命は対立しているわけでも

独立した点と点でもなくて

然るべき時に繋がって

その境界線はぼやけていくのでしょう












これは自分でこれは自分じゃない

ではなく

まるっと全てが自分

という、そんな感覚













自我も使命も

必要不可欠なことですらなくて

いつか自我は消えていくだろうし

息をするように使命を生きる日が来る














だから、ひとまず今日も

湧き上がる感情を

そのまま受け入れて




自我に苦しむのではなく

自我を愛して




使命に取り憑かれるのではなく

人生の主導権をしっかり握りしめて













今日もおつかれさまでした🌷

ゆっくり休んでくださいね☺️