思考は矛盾だらけ、だから、腑に落とす
施設で寝たきりのおばあちゃんに会いに行ったときのこと。「長生きしてほしい」というわがままと「楽になってほしい」という愛情が同時に湧き上がってしました。また別の話。毎日遊ぶように仕事をしている人が輝いて見える一方で、一年のうちの10ヶ月がっつり働いて後の2ヶ月はバカンスという働き方をしている人の話を聞いて魅力を感じたりもします。矛盾するんですね、思考って。私は「木」をイメージしました🌳この矛盾っていうのは、木の枝葉にフォーカスしているイメージ。ここばかり見ていると「私」の全体像が掴めません。そこで、ズームアウトしてみる。そうすると、そこでようやく1本の木が見えてきます。それが、「私」です。矛盾する思考の枝葉をそのままにしておくとどうなるか。はじめのうちはむしろ木全体の成長に必要だったりします。でも、一定の成長を遂げた後も縦横無尽に広がり続けた場合、栄養が分散して木の生命力を弱めてしまうことがあります🍂だから、人生のどこかのタイミングで不要な枝葉は剪定する必要があるのだと思います。おばあちゃんに感じた「長生きしてほしい」というわがままと「楽になってほしい」という愛情は私の成長のために必要な枝葉です。でも、仕事を楽しむか仕事とプライベートを切り分かるかは、最終的にはどちらかを剪定することになるのだと思います✂︎でも、その枝が本当に必要なのか、もう役目を終えた枝なのかは、頭で考えているだけではわからないことがあります。「腑に落とす」というのは考え抜くことではなく、いったん選んでみて試しにそれで生きてみることでしか辿り着けないのかも。仕事を思い切り楽しむ生き方も、仕事と暮らしを切り分ける生き方も、実際に経験してみるからこそ、「これは違う」「これは私らしい」という感覚が育っていく。その積み重ねの中で、たくさんあった思考の枝葉が少しずつ剪定されていきます。そして最後に残るのは、誰かの正解ではなく、私自身が「これだ」と腑に落ちた一本の木。思考は矛盾だらけ。だからこそ、考え続けるだけではなく、選んで、経験して、自分の人生で確かめていく。その先に、「腑に落ちる」という感覚が待っているのだと思います。