強く硬いものほど
案外バキッといってしまうもの。
シーソーのように
メトロノームのように
柱時計のように…
ゆ〜らゆらと揺れていることは
とても自然なことのように思う。
朝、起きてすぐに
カーテンをさっと開けて
新鮮な空気に
入れ替えたい日もあれば
カーテンすら開けずに
寝癖がついたままで
静かに「陰の時間」に
浸っていたい日もある。
私も、特に理由もなく
「何もしたくない」日がある。
理由はいくらでもつけられるけど
理由なんて本当はいらない。
何もしたくないから何もしたくない。
調子が悪いようでもあるし、
一方で、なんとなく、そういう日は
「何もしないことこそが大切」
なのかもしれない、とも感じる。
「 "調子が悪いから" 何もしたくない」
のではない気もするのだ。
睡眠が大切なのと同じように
たまの断食が
体調を整えてくれるのと同じように
「すること」と「しないこと」も
陰陽のバランスで
どちらも大切なのだろう。
「 "しない" をする」
がむしゃらに "する" ことが
求められていた時代は過ぎ去り
今を生きる私たちには
沢山の「自由な時間」がある。
ここいらで一度、「しない」を
選択することができる豊かさを
感じてみるのもいいのかもしれない。
私は今そんなことを
カーテンを閉め切った寝室で
布団に転がりながら考えている。
昨日からどうも無気力で
パジャマに着替えるのすら面倒で
部屋着の上から
パジャマを羽織って寝たくらいだ。
朝起きてもまだ無気力で
着替えるのも面倒だったのだが
娘(3歳)が誰に言われずとも
せっせと身支度を整えている姿に
格好良さを感じたので
真似して着替えることにした。
羽織っていたパジャマを脱ぐと
昨日の部屋着が現れたので
ラッキー☆ということで
そのままの姿で今も過ごしている。
ズボラがズボラを救った形だ。
なかなかの無気力だなあと思うけど
今、ダラダラ過ごしている時間は
私にとっては至福のひととき。
夫と娘は用事があり
ちょっと出かけているのだが、
帰りにスタバでも買ってこようか?
と、言ってくれているので
至れり尽くせりではないか。
スタバを頼むから頼まないかは
またその時の気分で決めるとして、
寝癖のままで昨日の部屋着を着て
「パジャマ脱いだら部屋着だった!
ラッキー☆」って言ってる人に
優しくしてくれる家族をもてて
私はとても嬉しい。
案外忙しいとされている専業主婦でも
在宅ワークを抱えていたとしても
やんちゃ盛りの3歳の子育て中だって
覚悟を決めて本気出せばダラケられる。
「こうあるべき」という理想や
責任、罪悪感、正義感
ダラけを許さないそれら全てを
覚悟をもって手放す。
無気力を無気力のまま過ごすのも
なかなか大変なのだ。
ただ無気力と化した自分を
「それでいいよ、ゆっくりしな〜」と
愛情でもって受け入れることも大切だし、
家族への感謝も
決して忘れてはならない。
陰の時間が過ぎ去り
陽の時間がやってきたら
また家族のために頑張ることにしよう。