ラフラフ日記 -7ページ目

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

浜崎あゆみの「時代」(中島みゆきのカバー)、聴きました。

 

 

今までのあゆの歌では感じたことのないような「光」を感じました。

そして私が思ったのが、「SEASONS」と全然違うじゃん!ということでした。

「SEASONS」とは、浜崎あゆみの 2000年のシングル曲で、中島みゆきの「時代」との共通点を指摘されることもある曲です。

それは歌詞の面から言われるのですが、私が強烈に覚えてるのが、新型コロナウイルスの影響で最初の緊急事態宣言が発令されたとき(2020年)、そのときの首相である安倍晋三氏がツイッターで「こういう経験もきっと、大きな財産になる。そして、いつの日か『あの時は大変だったけど、みんなで頑張って乗り越えたね』と語り合える日が来るよう、私も全力を尽くします」(←意訳)と投稿して、浜崎あゆみの歌詞(SEASONS)みたいだ!いや、これは中島みゆき(時代)だ!とか(おそらく茶化し気味に)書き込まれていたことです。ちょっと!こんなときにあゆのことを持ち出さないで!と思ったものでしたが、ああ、やはり、「SEASONS」と「時代」は似ているのかな?と思いました。

歌詞だけを見れば、確かに似ている。

 

今日がとても悲しくて
明日もしも泣いていても
そんな日々もあったねと
笑える日が来るだろう

(浜崎あゆみ「SEASONS」) https://www.uta-net.com/song/12384/

 

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ

(中島みゆき「時代」) https://www.uta-net.com/song/2416/

 

けれど、浜崎あゆみが歌う「時代」を聴いて、「SEASONS」は「時代」とは違う “絶望” の歌だったんだと 24年の時を経て思った。この曲が “絶望三部作” の三作目であることにはじめてしっくり来た。

「SEASONS」は、「どんなに辛く悲しいことがあっても、いつかは笑えるよ」ではなくて、ずっと続くと思っていた楽しい日々もいつかは終わり、悲しみさえもいつか終わってしまう、永遠なんてないんだ…と歌っているように聞こえる。君に話した夢に嘘はなかったけど、夢と現実の境界線は濃くなっていくばかり。それでも、諦めていた日々を抜け出し、限りある季節(とき)の中に何かを見つけようとするのだけれど、「すべてが移ろっていくのに、何を見つけることができるだろう(何も見つけられないのではないか)」という疑問のような不安のような諦めが残る。それでも生きていこうと聞こえるのだが、諦めていた日々を抜け出せそうで抜け出せない。

これは “絶望” の歌だったんだ。

 

対して、中島みゆきの「時代」からは確かに “希望” を感じる。

それならば、浜崎あゆみの「SEASONS」が中島みゆきの「時代」に似ている、パクリだなんて言われたときも、「何を言ってるんだ。全然違うよ。上っ面だけ見ちゃってさ」と言い返せば良かった。

けれど私は、浜崎あゆみが中島みゆきの「時代」に込められているようなことを歌っていないとは言い切れなかった。それは、届かないだけで、向こう側にはあるというような。

それでも、浜崎あゆみが歌う「時代」を聴いた今、「SEASONS」が “絶望” の歌だったと改めて思った今、中島みゆきの「時代」のような歌(歌詞)は浜崎あゆみには書けなかったし歌えなかったと思う。

それが今なぜ、歌えたか。

 

浜崎あゆみも 25周年、いろいろなことを乗り越えてきたからだ・・・とも言えるけれど、それは、浜崎あゆみが歌手だからだと思った。

 

いや、もともと歌手だけど、歌手だからっていつでも歌えたわけじゃない。あゆは今確かに、今までだったら歌えなかった歌を歌っている。

 

「自分では書けない歌詞」を歌っているあゆを私ははじめて聴いた。今までだってユーミンや宇多田ヒカル、TRF、 TM NETWORK、globe をカバーしているけれど、こんなにはっきりと「自分では書けない歌詞」を歌っているあゆははじめて聴いたと思う。(これは、“がんばろうぜ!” と歌うエレカシの「俺たちの明日」を聴いたときか、女唄を歌う宮本浩次を聴いたときの感覚に近いだろうか?)

 

中島みゆきの「時代」が、浜崎あゆみを歌手にしてくれた。そう思った。

 

浜崎あゆみの「時代」を聴いて、私は改めて、あゆの歌声が好きなんだと思った。

 

あゆが中島みゆきを歌っていることとか、歌詞の意味とかを飛び越えて、パワフルでいて優しく、丁寧だけど時に不良っぽく、清と濁を併せ呑むあゆの歌声が、大きなうねりとなって、または、優しい風になって、柔らかな光を感じさせ、私を包み込み、胸を一杯にしていく。

 

“吹かれましょう” のところとか、“果てしもなく” とか、音楽的快感や喜びに溢れてる!(なんか、このブログを思い出しちゃったよね。バンドがいなくても、自らの歌声だけで音楽的快感を生み出す力)

 

この歌声こそが、浜崎あゆみが「時代」を歌えた理由であると思った。


今まであゆの歌では感じたことのないような「光」。「SEASONS」では感じられなかった「光」。

 

「時代」は、「SEASONS」より「Born To Be...」(2006年)じゃん?と私は思っていたけど、それでも、「時代」からは今までのあゆの歌では感じたことのない「光」を感じた。

 

ここのブログで、光属性の Cocco、闇属性の浜崎あゆみの話をした。そこには、中島みゆきの名前も出てくる。

 

浜崎あゆみでは届かなかった「光」に、中島みゆきが導いてくれた。


「SEASONS」で限りある季節(とき)を歌っていた浜崎あゆみに、巡り巡りゆくその先に生まれ変わっていく景色を見せてくれた。諦めのその先、絶望の果て。

オセロがひっくり返ったような感動。

この景色を見たことは、きっとこれからの浜崎あゆみに新しい何かをもたらすだろう。

 

他には、ラストのサビ前のギターソロに、浜崎あゆみの音楽的返答を感じてぐっときた。

 

浜崎あゆみがカバーしなくても「時代」は名曲だけど、時代が受け継がれていくことは素晴らしいと思った。

 

ドラマ『万博の太陽』は録画してまだ見ていないが、これから見ようと思う。

 

******

 

そして、3月24日、浜崎あゆみの 47都道府県ツアーが沖縄でファイナルを迎えた。といっても、まだ福井と石川の振替公演が残ってる。

 

 

この日は、すぐ隣で BABYMETAL もライブ(同じくツアーファイナル)だったようだ。BABYMETAL の看板とあゆのツアートラックが一緒に写った写真をネット上で見かけた。他にも沖縄で結構ライブがあったみたい。

 

それで、「浜崎あゆみはワイドショーとかでもやるのに、BABYMETAL は取り上げられない」という書き込みを見かけたのだけど、そんなことはない、BABYMETAL の記事見かけたよ?それに、BABYMETAL はワールドツアーじゃん!とも思ったが、気持ちはわかる。

 

あゆだって、今回はスポーツ新聞やワイドショーでやってたけど、取り上げられないときあったから。それでも、取り上げられてる方だって言われるかも知れないけど、やっぱ好きなアーティストのことは、取り上げて欲しいと思うものだよね。ライブに限らず、好きなアーティストが新曲とか出したときに、メディアが取り上げなかったり、(ファン以外)誰も話題にしていなかったりすると、虚しくなったりするよね。

 

けれど、メディアが取り上げなくても、誰も話題にしていなくても、そこにある「熱狂」は本物だ。あゆの 47都道府県ツアーで改めてそのことを感じたし、それは必ず伝搬していくと私は思っている。

発表されてから 10日以上経ちましたが、タイトル通り、あゆが中島みゆきの「時代」をカバーです!

 

 

あゆが中島みゆきをカバーするということは、

 

浜崎あゆみが中島みゆきを歌うんですよ!(そりゃそうだ)

 

松任谷由実(荒井由実)と中島みゆきをカバーした歌手になるのかぁ、浜崎あゆみは。

 

宇多田ヒカルもカバーしてるし、「みんなのうた」だし、エレカシ(宮本浩次)もあゆも好きな私はどうしたら、、、

 

3月24日(日)放送のドラマ『万博の太陽』の主題歌ということで、あゆのコメントがこちらです。

 

今回のこのドラマが描き出す世界観、特に、女性の社会進出が全く認められていなかった時代に夢を追いかけ続けた主人公たちのストーリーに共感し、主題歌を引き受けさせていただきました。

中島みゆきさんの偉大な名曲に敬意を表しながら、最高のスタッフ、ミュージシャンたちと共に制作に臨み、私なりに精一杯表現させていただきました。
素晴らしいドラマに少しでも力添え出来ていると嬉しいです!

浜崎あゆみ

 

https://twitter.com/ayu_19980408/status/1764772875993858165

 

そして、神田プロデューサーのコメントがこちらだそうです。

 

未知なる世界へチャレンジし、昭和という時代を切り拓いた女性を主人公にした本作「万博の太陽」に、最強にして最高の主題歌が届きました!

 

世代を超えて愛され続けている中島みゆきさんの名曲「時代」を稀代のアーティスト、浜崎あゆみさんに歌って頂けるという事で、本当にワクワクしています。

 

夢を叶えるためには、時に勇気が必要です。夢の大きさや種類は関係ありません。それぞれの場所で何かを叶えた人々が渡してくれたバトンが、今に繋がっている…そんなメッセージも本作には込められています。

 

昭和に誕生した「時代」という曲が、浜崎あゆみさんという平成という時代にデビューし、圧倒的な輝きを持つアーティストの方に歌って頂ける事で、令和という時代に放送されるこのドラマに更なる力を下さると思っています。

 

https://twitter.com/ayu_19980408/status/1764772917387419946

 

テレビ朝日開局65周年記念ドラマプレミアム『万博の太陽』

https://www.tv-asahi.co.jp/banpakunotaiyo/

 
浜崎あゆみ、中島みゆきの名曲「時代」をカヴァー&配信リリース 橋本環奈主演ドラマの主題歌に起用

https://www.cdjournal.com/main/news/hamasaki-ayumi/109179

 

令和に昭和の名曲 浜崎あゆみ「時代」をカバー「私なりに精いっぱい表現」 テレ朝ドラマ主題歌

https://mainichi.jp/articles/20240305/spp/000/006/002000c

 

「みんなのうた」に中島みゆきに、、、

 

歌手としての浜崎あゆみが注目され、歌手としての浜崎あゆみが必要とされているのを感じる。

 

あゆの「時代」のカバーは、ドラマ放送直後の 3月25日(月)0時より配信リリースされるとのことです!

3月24日が沖縄公演の日で、そこから日付が変わってということだ。

 

記念に、中島みゆきと浜崎あゆみに関連した過去ブログを貼りたいと思います。

 

あゆには歌謡曲の血が? それを探していたら、「中島みゆき」に行き会った。中島みゆき、後藤次利、工藤静香、リアーナって出てくるところが浜崎あゆみの頼もしさ!?

 

さだまさしが語る中島みゆき。中島みゆきと浜崎あゆみをつなぐ秘密の地下道を辿っていたら、明日に架ける橋が!

 

そして、その記事内にも貼った、この素晴らしい文章に出会った!

 

↑は、浜崎あゆみに関する文章で一番感動したかもと思った文章です。これは万里小路譲著『うたびとたちの苦悩と祝祭―中島みゆきから尾崎豊、浜崎あゆみまで』からの文章で、浜崎あゆみが中島みゆきをカバーする今、また読み返したい。

 

 

つい最近もカバーズの話で、中島みゆき、Cocco、浜崎あゆみの話をしたなぁ。

 

楽しみに待ちたい!

 

 

【ayu25th】シリーズの記事も 11本目。「みんなのうた」は 4~5月で、もう 26周年じゃ?というのもあるけど、4月7日までは、または、ツアーが終わるまでは【ayu25th】で行くかな?

1月に行って書いてなかったライブをもう 1つ。

 

toa-toa 第3回公演 ~タツのムツキの巻~
2024年1月27日(土)昼公演 PetitMOA(プチモア)

 

藤田朋子と小林綾子のユニット、toa-toa(とあとあ)の公演へ。

 

朗読と音楽、ここでしか話せない裏話etc...
吐息も感じるような小さなシャンソニエで、
極上の物語をお届けします。

 

アコーディオンは、桑山哲也。

 

 

オープニングソングから頬が緩む。

 

第1幕は、筒井康隆「伝票あらそい」

 

朗読劇を生で観るのはおそらくはじめてで、徐々にヒートアップしていくお二人が可笑しかった。朗読だから俯瞰の視点みたいなものも常にあって、可笑しさをお二人とお客さんとで共有してる感じが楽しい。

筒井康隆は『家族八景』を読んで衝撃を受けたのを覚えてて、まだ読んでない他の本も持ってたと思うから読んでみようと思った。

 

これはヒートアップする前、衣装を紹介しているところ。

 

桑山さんのアコーディオン演奏では、「ボタン式クロマティックアコーディオンベルギー配列!」(間違ってたらすみません汗)と一緒に合唱できて楽しかった(笑)。ワルツが軽快で、アコーディオンは重そうでも風が吹くように軽い、みたいな。お洒落で手の込んだ美味しいパンを食べたくなる感じと言ったら伝わるだろうか。

 

第2幕は、金子みすゞの一生を語るオリジナル脚本「やさしいまなざし ~ミチとテル、そして、みすゞとふうちゃんの物語~」

 

私は金子みすゞについてほとんど知らなかったのだけど、こういうことがあったとは。

 

お二人の役が入れ替わったりするのだけど、役ごとに雰囲気まで変わって、朋子さんが男性に見える瞬間があった。

 

金子みすゞにとって、詩を禁じられたことは何より辛かっただろうなぁと想像した。


でも、根底には、タイトル通り、やさしい視線が常に流れていて、やさしい気持ちになった。それは脚本もそうだけど、朗読だからこそ伝わってくるやさしさと思った。

 

幕の向こうで桑山さんが生で演奏してるんだけど、姿が見えないゆえにどきっとするし、でもそこに存在してるのを感じるから、この物語が「今起こっていること」のように感じられた。

 

これは朗読が終わった後で、この黒い衣装で朗読したの。生身の感じがしてかっこ良かった。

 

朗読が終わった後のトークでは、石井ふく子先生に脚本を見てもらったらすぐにダメ出しが~とか面白かった。西村知美さんに山口言葉を手伝ってもらったとか。

 

二人+アコーディオン一人だけで、至近距離で、段差もほぼなく、家に招いてもらったような気分。いやホント、リビングルームに集まってる感じでとっても居心地良かった。

 

歌に朗読にアコーディオンに……他にない形というか、形がないなら作っちゃえ!というか、好き!がつまってて、こちらまで嬉しくなった。もちろん、それができるからではあるんだけど、好き!って良いな、好き!はすべてのパワーの源だなって思った。

1月に行って書いてなかったライブのことを。(これともう 1つあります)

 

THE☆歌謡ROCKERS
2024年1月20日(土) 北浦和エアーズ




この日は、あゆのライブで石川に行く予定だった。それが、能登半島地震の影響により延期になって、新幹線やホテルをキャンセルし……。

 

そんなとき、ふと目にしたライブのお知らせ。北浦和にエンリケさんのバンドが来る! その名も、THE☆歌謡ROCKERS。エンリケ(ベース)と八重樫浩(ギター)を中心に結成された、歌謡曲に ROCK魂を注入したカバーと秀逸なオリジナル曲で誰もが心底楽しめるライブをお届けするエンターテインメント・ロックバンドだという。これはもう行こうと!

 

調べたら、エンリケさんのバンドを観るのは 9年ぶりで 3回目。最初は 2012年に THE KEY PROJECT で。次が 2015年にベミーズ。どれも場所は北浦和エアーズ。

 

↑のブログ読み返したら、そうだ!ベミーズはアコーディオンがいたんだよなぁとか、2015年のときはエンリケさんがあゆ一座を卒業してすぐだったんだよなぁとか。そこでも、浜崎あゆみがスゴい(またはエラい)のは山を下りることもできるところだとか、それはこれから山を登る人にも勇気を与えるんだとか、あゆが登山も下山も繰り返してるから再会できる人がいるんだとか、いろいろ書いてるわ。

 

「サムライ」が聴けて嬉しかった! そりゃちょっとは期待してたよね。宮本浩次がカバーした曲も聴けるんじゃないかって。そしたら、サムライ!

間近で大音量でロックを浴びれる嬉しさ。しかも、地元。
エンリケさんも結構時事的なこと(?)話してた。

 

最後は「あの鐘を鳴らすのはあなた」。ボーカルの諷花(フウカ)さんカッコ良かった!

 

北浦和に来てくれてありがとうございます! また行きたいな。

 

 

そして、最近読んだエンリケさんのインタビュー。

 

 

あゆについて「彼女の根性は大したもんだったね」とか「彼女はセルフプロデュースに関するこだわりが、トップクラスだった。ほかのアーティストたちと段違いに強いものを持っていた」とか話してるんだけど、何より、(浜崎あゆみのバックバンドでは)「バンドマジックが起きない」とハッキリ言ってくれたこと。

 

やはり、バンドであってバンドでなかったんだ。あゆもそのことに気づき向き合ったからこその「今」だと思うんだ。ここで書いたように。

 

 

でも、そんなこと言ったら、テイラー・スウィフトだってユーミンだってバンドであってバンドでないと思うし(マドンナだって!)、今のポール・マッカートニーだって宮本浩次ソロだってバンドであってバンドでないと思うんだよ。エンリケさんはバービー(ボーイズ)が持っていたバンドマジックが起きないと言っているんだけど、そりゃバービーとは違うだろうなと思う。ポールの今のバンドがビートルズとは違うように。宮本浩次ソロのバンドがエレカシとは違うように。(※1)

 

で、私はユーミンのライブロックバンドとは違うバンドのかっこ良さに触れたし、どんな形であれ、「人が楽器を演奏する良さ」というのがあるよね。だから、エンリケさんがいた時代の浜崎あゆみバンドは終わってしまったけど、また新しいあゆにはあゆの「バンドの音」があると思うんだよなぁ。この前のカウントダウンライブ素晴らしかったし。

 

でも、浜崎あゆみのようなスーパースター(またはアイドル)のバックバンドって、どうしてもエンリケさんの言うように “ボーカル・浜崎あゆみのお友達” とか、あるいは “完璧な演奏に徹するバックバンド” みたいになりがちというか見られがちなのはあるのだろうね。そうすると、エンリケさんのようなバンドマンとやるのは限界になってくるのだろうし。でも、エンリケさんがいた時代の浜崎あゆみバンドにだって、エンリケさんが言うような「バンド」だった時もあったと私は思うんだけどね。それが完結したというだけで。

 

(※1)でも、ポールはビートルズから時間がたってるし、「ポール・マッカートニー」というのが確立されてるからわからないけど、宮本浩次の場合は、ファンもエレカシから来てる人も多いだろうから、「バンド」的であるかも知れない。いずれにしても、ポールや宮本浩次はバンドマンでありながらソロでもある・・・ということなんだろうなぁ。

 

エンリケさんのインタビューには続きがあった。

 

 

「もともと、打ち込みの音楽である浜崎さんの曲を、コンサートでは生演奏に置き換えている」

 

もうさ、ここだよね。

 

いや、あゆの曲には「生演奏」も入ってるんだけど、それはエンリケさんやよっちゃん(野村義男)ではなかったりする。それなら音源で弾いてる、例えば前に書いたようにドラムを多く叩いてる玉田豊夢がライブでも叩くとか、音源と同じ人がライブでも演奏するのを聴いてみたいというのはある。が、(音源が)全部同じ人というわけじゃないしね。

 

「人としてはいてほしいけれど、音としては欲しくないって言われているようなこと」というエンリケさんの言葉が刺さる。

 

だから私は、「バンドが良い」って簡単に言えない。

でもやっぱり、「バンドが良い」っていう葛藤。

 

音源は打ち込みでもライブでは生演奏でやる。その意味を。

↑の「浜崎あゆみとバンドについて」のブログでも書いたけど、バンドは音源を再現するためにいるのか? 浜崎あゆみにとってバンドとは?

 

それでも私は、あゆにはあゆの「バンドの音」があると思っているし、「浜崎あゆみとバンドについて」の記事に書いた、あゆの「バンド良いよね」という言葉に嘘は感じなかった。

 

【追記】

 

でも、こういうことってやはり、一人の話だけではわからないよね。だからシンプルに、あゆの求める音とエンリケさんの求める音が違っていったということだとも思うし。

「人としてはいて欲しいけど、音としては欲しくない」というのも、それは容易に分けられるものでもないと思うし。エンリケさんはわかりやすく話してくれたのだと。だって、逆ならどうだろう?とも思うもの。「音としては欲しいけど、人としては欲しくない」というのもどうかと思うじゃない? そっちの方が打ち込みでいいんじゃない?ともなりそうだし。う~ん。

 

そうか。エンリケさんもあゆも「人=音」(「人≒音」)だからこそなのか!?

 

結局(?)、浜崎あゆみの音楽が好きだ!っていう人がバンドをやるのが良いんじゃないかという、至極シンプルな話になっていくんじゃないか。

テイラー・スウィフト(以下テイラー)のライブに行ってからというもの、余韻がずっと続いてて、このままいったらすごく好きになっちゃいそう!コワい!という感じなのだが、約3年半前のこんな記事を見つけた。

 

 

『ラヴァー』(2019年)はぜんぜん聴いてなかったアルバムなのだけど、その記事に小沢健二、そして、岡崎京子が出てきた。

小沢健二が “岡崎京子展” に寄せた「『みなさん』の話は禁句」という文章の中でテイラーについて触れているという。

また、テイラーのドキュメンタリー『ミス・アメリカーナ』を観て、これは小沢健二の「『みなさん』の話は禁句」に対する見事な返答だと言っている人もいた。

 

(予告だけで「NHK MUSIC SPECIAL 浜崎あゆみ 完全版 ~ayu 25年の軌跡~」とダブるところが。まだの方ぜひー!)

 

私は『ミス・アメリカーナ』を観たくてたまらなくなってしまったわけだけど、岡崎京子といったら(このブログ的には)これで。

 

 

知っていますか? 映画『渚のシンドバッド』(1995年)を観て、岡崎京子が浜崎あゆみを描いたことを。(『渚のシンドバッド』、ほんとーーーに観て欲しい映画です!)

 

※ ゆっきゅんさんのツイートを引用させていただきました。または、この方のツイートでも見られます。

 

相原果沙音役の浜崎あゆみ嬢。
なんか一人で世界と戦っているかんじが
「ムっ!!」という口元とまゆに出てる。

 

映画『ヘルタースケルター』(岡崎京子原作)のテーマソングが浜崎あゆみの「evolution」に決まったとき、いろいろな声があったが(上記ブログ参照)、ちょうど『ヘルタースケルター』が連載されるころ、岡崎京子は浜崎あゆみを描いていたということか?

 

で、岡崎京子とテイラー・スウィフト、誕生日が同じなんですね。ほぉー!

 

上記「インターネットによりエンパワーメントされた“人々”によってキャンセルされかけたテイラーが向かった場所」の記事を書かれたのは柴那典さん。その柴那典さんの下記ブログも読んだ。

 

 

テイラー・スウィフトのなにがすごいって、ポップアイコンであることの「業」みたいなものに、誰よりも真っ向から立ち向かっていることだと思うのだ。

 

↑を読んで、私が真っ先に「浜崎あゆみ」を思ってしまったのは、言うまでもなく。

 

誰かが自分について言ってた評判(=レピュテーション)ではなく、自分の愛するものこそが、自分のアイデンティティになる。

 

それから、テイラーのライブに行く前に注文してた本が届いて、読んだ。

 

 

読んでいて常に頭の中で鳴ってたのが、『1998 これが世界のビッグヒットだ!』という番組で宮本浩次が言った言葉。

 

アメリカの音楽は気合いが違う。ぐっとくるものがある。好きとか嫌いとかとは別次元で真剣味が多いと僕は思うんだな。女性でも男性でも。マジになっちゃう。熱くなっちゃう。

 

いやもう読んでて、「アメリカすごいな」っていうバカみたいな感想と、同時に、「人間そんなに変わらない」っていう感想が押し寄せてきて、心躍ったり震えたりした。

著者である辰巳JUNKさんの記事やツイート、ポッドキャストでの語りなどが好きなのと、20組のセレブリティにそれぞれ興味があったのが本を読んだ最大の動機だが、「浜崎あゆみを欧米の女性歌手に当てはめるとしたら誰?」のヒントもあるかも知れないというのもあった。(それに対しては本当はマドンナ!と声を大にして言いたいのだけど、マドンナは大きい存在すぎてなかなか…)

 

読みながら、レディー・ガガと思ったけどやっぱ違う? テイラーやっぱ近いんじゃ? リアーナすげぇー! いっそメリル・ストリープ?……とかいろいろ思って楽しかったけど、何より、それぞれのスターや作品にもっと触れたくなった。

 

そして、20組には選ばれてないものの、時おり背後にその存在を感じたケイティ・ペリー。恥ずかしながら私は名前ぐらいしか知らないのだけど、そのケイティ・ペリーが出てくる「あとがき」に心を打たれた。

 

そのとき、私には思い出した歌があった。実は先日、浜崎あゆみの 47都道府県ツアー(第3幕)を観に島根まで行ってきたのだが、そこでも歌われた歌だ。東日本大震災があった 2011年に浜崎あゆみがリリースした曲。

 

単純な日々をおそれていたのはもう遠い昔
フクザツな日々こそ悲しいのを知ってる

戻りたいとかじゃなくて信じたい心がほら
背中で叫んでる間違ってなんかいないよって

(浜崎あゆみ「progress」)

 

歌詞 → https://www.uta-net.com/song/118434/

MV → https://www.youtube.com/watch?v=DPpQxpfDhDg

 

ケイティ・ペリーかぁ。テイラーともいろいろあったよね? それは私も当時なんとなく見た気がするよ。

 

 

テイラー・スウィフトに小沢健二に岡崎京子に浜崎あゆみにケイティ・ペリーに…。

 

僕らがただ自由でいられたあの頃は遠くて
無邪気な笑顔だけじゃこの頃は過ごせないけど

(浜崎あゆみ「progress」)

 

『アメリカン・セレブリティーズ』の「あとがき」にならって、我々に「前進(progress)する気力」をもたらしてくれるのは何なのか。今一度思い出したい。