指にマメができちゃったじゃないか! | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

映画『ヘルタースケルター』のテーマソングが、浜崎あゆみの「evolution」に決まった。

監督:蜷川実花、主演:沢尻エリカ。

原作は、岡崎京子の漫画『ヘルタースケルター』。

ヘルタースケルター (Feelコミックス)/岡崎 京子


私は、作者について詳しいわけじゃないし、サブカルというのもよくわかっていないし、はっきり言って「ただのあゆファン」だ。だけど、原作は、あゆファンになる前に読んでいた。むしろ、あゆ嫌いだった時代に読んでいた。

だからどうしたというわけじゃないけど、せっかくだから書いておこう。結局「あゆファン目線」になるのだとしても。

ヘルタースケルターは、全身整形の主人公 “りりこ” が、芸能界のトップに上りつめ、転がり落ちていく……といえばいいのか、そんなようなストーリーです。衝撃だった。

そして、時が経ち、もうその頃にはあゆ好きになっていた私は、とある場所で、OL達のこんなような会話を聞いたのです。

「漫画といえば、岡崎京子! 私、好きだったぁ」
「あれすごいよね、ヘルタースケルター!」
「うんうん」
「私あれ読むとさぁ………浜崎あゆみを思い浮かべちゃうんだけど」
「ああ……」

そのときの私の感情をどう説明すればいいのだろう。「うんうん!」でもなく「違う!」でもなく。

そして今、テーマソングにあゆが決まったとき、ぞわっとした。「やった!」でもなく「がーん!」でもなく。賛でもなく否でもなく。

“この感じ”

あゆテーマソングについては、案の定なのかどうなのか、賛否両論のようです。ひょっとしたら、否の方が多いかも知れない。

でも私には、こんな言葉が一番しっくり来たかも。

「蜷川実花、沢尻エリカまではわかるけど、そこに浜崎あゆみが加わるとカオス」

“カオス”

ふと思い出したことがあって。2001年、『ロッキング・オン・ジャパン』の表紙に浜崎あゆみがなったときもこんな感じだったのかも知れない。

「原作をまるでわかっていない」
「岡崎京子ファンを敵にした」
「もうどうでもいい」

どれももっとものように思えたが、私にはちょっと不思議だった。なぜなら、あのときの OL のように、『ヘルタースケルター』のイメージに、もっと言えば “りりこ” のイメージに、あゆを重ねる人もいたから。
全身整形、「つくりもの」の美を纏った “りりこ”。嘘で塗り固められた、危ういトップスター。身勝手で、周りをめちゃくちゃに振り回す。しかしやがて、心身ともに壊れていき……。
実際がどうかなんて関係ない。あゆをそういうイメージで見る人もいるのだろう。
しかし、いざテーマソングになると、、、。

「『ヘルタースケルター』は、沢尻エリカや浜崎あゆみ的な「ハイプ」(メディアによる誇大広告)に対する鮮烈な批評なのに、これでは原作を読み誤っているのではないか」

わかるような気もするけれど、『ヘルタースケルター』はハイプへの批評なんだろうか?(ちなみに、『ヘルタースケルター』は 1996年まで連載してたそうなので、沢尻エリカや浜崎あゆみが出てくる前ですね) そして、沢尻エリカや浜崎あゆみは「ハイプ」なのだろうか? 更に言うと、沢尻エリカはよく知らないのでおいとくとして(ごめんなさい)、私には、浜崎あゆみが「ハイプに対する鮮烈な批評」に見えるとき、あるよ。

“N極とN極が近づいている”

私自身はどうかというと、テーマソングが「evolution」だと聞いたとき、あゆのイメージはともかくとして、「evolution」は合わないんじゃないかと思った。随分 “健康的” じゃないか!?
しかし、あゆに “りりこ” 的イメージがあることを知っていたから、「え?いいの?」とドキマギしてしまった。それどころか、あゆはコメントで「実は、原作がとても好き」とか言ってのけちゃっている。

もし、原作に対して、あゆの「evolution」は健康的すぎるじゃないかという意見があるなら、それはそういうことなんだろうと思う。パブリックイメージとのギャップってやつだ。虚像と実像。よくある話。けれど、そんな単純な話で済みそうにないのが、私を “しっちゃかめっちゃか” にさせる。

まず、選ばれたのが「evolution」であること。映画のための書き下ろしとか新曲ではなくて、過去の曲、それも 2001年、11年前の曲だ。そして、「evolution」とは、あゆの全盛期を象徴するような曲で、代表曲でもある。何冊も雑誌の表紙を飾ったり、もうとことん消費してくれとばかりに、怒涛の勢いで加速していく。あゆに “りりこ” 的イメージがあるとしたら、それを決定付けた時代の曲と言えるのではないだろうか。

ファンも知らない新曲ではなくて、ファンじゃない人も知っている代表曲を選んだのは、そんなような理由からだと思う。それはそのまま、浜崎あゆみを選んだ理由にもなるのだろう。

しかし、曲自体はなんだか、全然 “りりこ” っぽくないなぁ。むしろ、“りりこ” が嫌いそうな…。

前に、岡崎京子が「クラフトワーク」について書いた文章を読んだことがある。

「肉体なんてめんどくさいなー。機械っていいなー。何も感じなさそうだし。強そうだし」
「78年の『人間解体』は手塚治虫的クラシックさをもつ「世界の終わり」を夢みていた私たちのラスト・ダンスにぴったりのダンス・ミュージックとして出現した。パンクのやんちゃさとは全く異なった方法で同時にクラフトワークは「ロックの死」を宣言した。したんだと思う(でも、ロックがなかなかしぶといのは皆さんもご存知よね?)」
「結局、そうやすやすと「世界の終わり」はやってこないらしいみたい。91年にクラフトワークは『ザ・ミックス』を出した。素晴らしいリミックス。これは「終わりの終わり」ということ? それとも?」


おそらく、「evolution」は、肉体的すぎる。ロックすぎるし、リアルすぎる。要は、元気すぎるのか?

だけど、本当にそうか? 浜崎あゆみといったら、機械みたいでサイボーグみたいで CG みたいで、無機質で空虚みたいな、そんなイメージじゃなかったっけ?

それなら、“りりこ” だってそうだ。「つくりもの」で、虚飾の象徴みたいな。

だけど、本当にそうか? あんなに壊れているのに、正体不明で、自分の肉体なんてほとんどないのに、“りりこ” の妙な「リアル」。

あらゆるものが反転してるし、逆転してるし、反射してる。

そして私は、わからなくなる。

だけど、これに対して、「勘違い女」だの「落ち目」だのって、そのまんま……。

『ヘルタースケルター』がハイプに対する批評だとしても、私は、もっと先にいっているような気がしてならない。そして、『ヘルタースケルター』が何かに対する痛烈な批評なら、これは批評の批評、皮肉、逆説、逆襲、みたいなものになりはしないだろうか。どちらかが勝つのではない。

監督の蜷川実花さんについて、「本当に、まっすぐ斜めに育ってアングラとメジャーの境界線を生きている人」と言っている人がいた。
ひょっとしたら、私もそうなのか。いやいや、私なんてアングラもメジャーも全然だけれども、境界線、、、なのかも知れない。いや、わからんけどねー。

それとも、浜崎あゆみは、何をやっても、どこにいっても、ニセモノだと言われてしまうのだろうか。フェイク、フェイク、フェイク……。

例えばさ、原作や “りりこ” に「機械になってしまいたい」ってのと「機械になれない」ってのとがあるとしたらね、

あゆからはさ、

「私はロックだ!」

っていうのと、

「私はロックにはなれない!」

っていうの、両方感じるんだよね。

そういうところがもしかしたらさ、原作と通じるところがあるのかも知れない。いや、わからないけど、ほんとに。

といっても、これは映画だし、そんなにテーマソングの話をする人もいないだろうから、最初に賛否両論(というか否)の意見を見て、しかもそれが個人的に好きな人だったりもして、ちょっと凹んでいたんだけど、樋口真嗣さんがグッとくるツイートをしていたんだよ! 別にテーマソングについて言ってるわけではないけど。

「圧倒的に “正直” な映画です」
「こうなるだろうということに対して逃げも隠れもせず全力で描き切っています」


そしたら樋口真嗣さんって、映画『のぼうの城』の監督だったのよー!(犬童一心と共同監督) 映画『のぼうの城』って何かっていうと、野村萬斎主演で、エレファントカシマシ書き下ろし新曲「ズレてる方がいい」が主題歌の映画なのよー!(これ以上多くは語りません) で、『ヘルタースケルター』と『のぼうの城』、音楽が同じ人なんですね。上野耕路さん。

脱線しちゃったけど、これだけは言えるんじゃないかなって。

“圧倒的に正直”

“逃げも隠れもせず全力で描き切る”


これはまさに「浜崎あゆみ」じゃないかなって。ほ~ら、やっぱり「あゆファン目線」になっちゃったよ。しょうがないなー。

結局、自分の好きなアーティストや著名人が、自分が良いと思うものを良いと言ったり、自分と同じ価値観だと思えるようなことを言ってたりすると、そりゃ嬉しいし、私はす~ぐそういうのに「わーい!」ってなっちゃうんだけれども、それじゃダメなんだよね。誰も何も言ってくれないんだよ。大事なのは、誰も何も言ってくれなくても、自分が言えるかどうか、なんだよね。

といいつつ、これだけ。
野村萬斎さん、実は 1994年の大河ドラマ『花の乱』(松たか子や市川新之助時代の市川海老蔵も出てたぞ!)で見てから好きなんだけど、その野村萬斎さんがエレカシの主題歌についてコメントしてる!!

「本質を見極めているからこそ、時にズレることもある」

摩擦や違和感の先に何がある!?

「遠くの誰かに何かを伝えたいと思えば、近くの誰かに嫌われる」という。
この映画は、「遠くの誰か」に向かっているのか、「近くの誰か」に向かっているのか。

いずれにせよ、映画『ヘルタースケルター』観に行きますし、映画を観る前に、もう一度、原作読みます。

そして、そう、忘れてはならない!

『ヘルタースケルター』という題名は、ビートルズの同名曲からきてるんだよ!



※ リンゴが最後に叫んでいる言葉。それがこの記事のタイトルです。