浜崎あゆみ「時代」を聴いた。 | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

浜崎あゆみの「時代」(中島みゆきのカバー)、聴きました。

 

 

今までのあゆの歌では感じたことのないような「光」を感じました。

そして私が思ったのが、「SEASONS」と全然違うじゃん!ということでした。

「SEASONS」とは、浜崎あゆみの 2000年のシングル曲で、中島みゆきの「時代」との共通点を指摘されることもある曲です。

それは歌詞の面から言われるのですが、私が強烈に覚えてるのが、新型コロナウイルスの影響で最初の緊急事態宣言が発令されたとき(2020年)、そのときの首相である安倍晋三氏がツイッターで「こういう経験もきっと、大きな財産になる。そして、いつの日か『あの時は大変だったけど、みんなで頑張って乗り越えたね』と語り合える日が来るよう、私も全力を尽くします」(←意訳)と投稿して、浜崎あゆみの歌詞(SEASONS)みたいだ!いや、これは中島みゆき(時代)だ!とか(おそらく茶化し気味に)書き込まれていたことです。ちょっと!こんなときにあゆのことを持ち出さないで!と思ったものでしたが、ああ、やはり、「SEASONS」と「時代」は似ているのかな?と思いました。

歌詞だけを見れば、確かに似ている。

 

今日がとても悲しくて
明日もしも泣いていても
そんな日々もあったねと
笑える日が来るだろう

(浜崎あゆみ「SEASONS」) https://www.uta-net.com/song/12384/

 

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ

(中島みゆき「時代」) https://www.uta-net.com/song/2416/

 

けれど、浜崎あゆみが歌う「時代」を聴いて、「SEASONS」は「時代」とは違う “絶望” の歌だったんだと 24年の時を経て思った。この曲が “絶望三部作” の三作目であることにはじめてしっくり来た。

「SEASONS」は、「どんなに辛く悲しいことがあっても、いつかは笑えるよ」ではなくて、ずっと続くと思っていた楽しい日々もいつかは終わり、悲しみさえもいつか終わってしまう、永遠なんてないんだ…と歌っているように聞こえる。君に話した夢に嘘はなかったけど、夢と現実の境界線は濃くなっていくばかり。それでも、諦めていた日々を抜け出し、限りある季節(とき)の中に何かを見つけようとするのだけれど、「すべてが移ろっていくのに、何を見つけることができるだろう(何も見つけられないのではないか)」という疑問のような不安のような諦めが残る。それでも生きていこうと聞こえるのだが、諦めていた日々を抜け出せそうで抜け出せない。

これは “絶望” の歌だったんだ。

 

対して、中島みゆきの「時代」からは確かに “希望” を感じる。

それならば、浜崎あゆみの「SEASONS」が中島みゆきの「時代」に似ている、パクリだなんて言われたときも、「何を言ってるんだ。全然違うよ。上っ面だけ見ちゃってさ」と言い返せば良かった。

けれど私は、浜崎あゆみが中島みゆきの「時代」に込められているようなことを歌っていないとは言い切れなかった。それは、届かないだけで、向こう側にはあるというような。

それでも、浜崎あゆみが歌う「時代」を聴いた今、「SEASONS」が “絶望” の歌だったと改めて思った今、中島みゆきの「時代」のような歌(歌詞)は浜崎あゆみには書けなかったし歌えなかったと思う。

それが今なぜ、歌えたか。

 

浜崎あゆみも 25周年、いろいろなことを乗り越えてきたからだ・・・とも言えるけれど、それは、浜崎あゆみが歌手だからだと思った。

 

いや、もともと歌手だけど、歌手だからっていつでも歌えたわけじゃない。あゆは今確かに、今までだったら歌えなかった歌を歌っている。

 

「自分では書けない歌詞」を歌っているあゆを私ははじめて聴いた。今までだってユーミンや宇多田ヒカル、TRF、 TM NETWORK、globe をカバーしているけれど、こんなにはっきりと「自分では書けない歌詞」を歌っているあゆははじめて聴いたと思う。(これは、“がんばろうぜ!” と歌うエレカシの「俺たちの明日」を聴いたときか、女唄を歌う宮本浩次を聴いたときの感覚に近いだろうか?)

 

中島みゆきの「時代」が、浜崎あゆみを歌手にしてくれた。そう思った。

 

浜崎あゆみの「時代」を聴いて、私は改めて、あゆの歌声が好きなんだと思った。

 

あゆが中島みゆきを歌っていることとか、歌詞の意味とかを飛び越えて、パワフルでいて優しく、丁寧だけど時に不良っぽく、清と濁を併せ呑むあゆの歌声が、大きなうねりとなって、または、優しい風になって、柔らかな光を感じさせ、私を包み込み、胸を一杯にしていく。

 

“吹かれましょう” のところとか、“果てしもなく” とか、音楽的快感や喜びに溢れてる!(なんか、このブログを思い出しちゃったよね。バンドがいなくても、自らの歌声だけで音楽的快感を生み出す力)

 

この歌声こそが、浜崎あゆみが「時代」を歌えた理由であると思った。


今まであゆの歌では感じたことのないような「光」。「SEASONS」では感じられなかった「光」。

 

「時代」は、「SEASONS」より「Born To Be...」(2006年)じゃん?と私は思っていたけど、それでも、「時代」からは今までのあゆの歌では感じたことのない「光」を感じた。

 

ここのブログで、光属性の Cocco、闇属性の浜崎あゆみの話をした。そこには、中島みゆきの名前も出てくる。

 

浜崎あゆみでは届かなかった「光」に、中島みゆきが導いてくれた。


「SEASONS」で限りある季節(とき)を歌っていた浜崎あゆみに、巡り巡りゆくその先に生まれ変わっていく景色を見せてくれた。諦めのその先、絶望の果て。

オセロがひっくり返ったような感動。

この景色を見たことは、きっとこれからの浜崎あゆみに新しい何かをもたらすだろう。

 

他には、ラストのサビ前のギターソロに、浜崎あゆみの音楽的返答を感じてぐっときた。

 

浜崎あゆみがカバーしなくても「時代」は名曲だけど、時代が受け継がれていくことは素晴らしいと思った。

 

ドラマ『万博の太陽』は録画してまだ見ていないが、これから見ようと思う。

 

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そして、3月24日、浜崎あゆみの 47都道府県ツアーが沖縄でファイナルを迎えた。といっても、まだ福井と石川の振替公演が残ってる。

 

 

この日は、すぐ隣で BABYMETAL もライブ(同じくツアーファイナル)だったようだ。BABYMETAL の看板とあゆのツアートラックが一緒に写った写真をネット上で見かけた。他にも沖縄で結構ライブがあったみたい。

 

それで、「浜崎あゆみはワイドショーとかでもやるのに、BABYMETAL は取り上げられない」という書き込みを見かけたのだけど、そんなことはない、BABYMETAL の記事見かけたよ?それに、BABYMETAL はワールドツアーじゃん!とも思ったが、気持ちはわかる。

 

あゆだって、今回はスポーツ新聞やワイドショーでやってたけど、取り上げられないときあったから。それでも、取り上げられてる方だって言われるかも知れないけど、やっぱ好きなアーティストのことは、取り上げて欲しいと思うものだよね。ライブに限らず、好きなアーティストが新曲とか出したときに、メディアが取り上げなかったり、(ファン以外)誰も話題にしていなかったりすると、虚しくなったりするよね。

 

けれど、メディアが取り上げなくても、誰も話題にしていなくても、そこにある「熱狂」は本物だ。あゆの 47都道府県ツアーで改めてそのことを感じたし、それは必ず伝搬していくと私は思っている。