宮本浩次とCoccoが出たカバーズを見た | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

1月18日放送の NHK「The Covers」を見た。80年代ラブソング特集で、宮本浩次と Cocco がゲストだった。

 

宮本浩次は「Woman “Wの悲劇”より」(薬師丸ひろ子)を、Cocco は「I LOVE YOU」(尾崎豊)をカバーし、Cocco は自身の曲「ファンタジー」も歌った。

 

その「ファンタジー」がすっごく良かった。

 

 

Cocco といえば、

 

「浜崎あゆみはキラキラして見えて実は闇属性だから苦しく、Cocco はダークに見えて実は光属性だから苦しい」という、どなたかの書き込みを読んだことがある。

その意味がわかった気がしたというか、Cocco の歌声に光というか、太陽を感じた。体の内側から細胞レベルで温められていくというか、太陽の匂いもしそうで、まぁとにかく、歌声が好きだなぁって思った。

 

私は、Cocco を避けていたところがあったかも知れない。それは、Cocco のせいではなくて、あゆが「Cocco のパクリ」とか言われたりしてたからで。(「強く儚い者たち」とか「Raining」とか…)

マドンナとかビョークのパクリと言われても、マドンナやビョークを避けようとは思わないし、むしろ、あゆファンはマドンナ聴こうよ!ビョーク聴こうよ!くらいに思うのに(←ウザい)、Cocco は同じ日本で歳も(あゆと)近いからか。でも、例えば、YUKI のパクリと言われても、意識したり避けたりしないと思うから、Cocco には何か感じるものがあったのだと思う。心のどこかで「敵わない」と感じていたから避けてたのかも知れない。敵わない何かがあるというか。

 

それが「太陽」ってことだったのかも知れない。


キラキラして見えて闇

ダークに見えて光

 

でも今は、その両方がわかる気がして、こわくないというか、背中合わせというか、つながった気がして、もっと Cocco を聴きたくなった!

あゆ本人は Mステで「Cocco すごかった」とか言ってるからね。

 

どちらが光でどちらが闇というんじゃなくて、Cocco から見たらあゆの何かが太陽で、あゆから見たら Cocco の何かが太陽でという感じ?

パクリと言われるのも、感性に通じるものがあるからだろうし。

 

上記の書き込みでも「苦しい」というところがポイントで、どちらも「歪(いびつ)」ということか。だからこそ輝くものがある。

 

他にも、「他人の痛みを自分の事のように歌ったのが中島みゆき、自分の痛みを自分のものとして歌ったのが Cocco、自分の痛みを他人事のように歌ったのが浜崎あゆみ」と言った人もいて、わかる気がしたし、やはり何か引き合いに出されるものがあるんだろう。

 

それともう一つ、Cocco の歌声に太陽を感じて、Awich のことを思い出した。両者とも沖縄出身だし、太陽は沖縄から来るのかぁとも思ったけど、Awich も Cocco から影響受けたと言ってたなぁ。

 

そっか。私にとって、Cocco と浜崎あゆみをつないでくれたのが Awich なのかも!?

(それがここで言ってた話で、Awich と浜崎あゆみはジャケットが…!?とかあるので)

 

Cocco に対しては、私はくるりと結成した SINGER SONGER が結構印象に残ってたから、光や太陽を感じたのも意外ではなかったんだよね。

 

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カバーズでは尾崎豊の話にもなり、リリー・フランキーが語ったことにうなった。当時は青臭いと思ってたけど、早熟だったんだという話。

 

エレファントカシマシは、初期のころ、早熟とか老成かと思いきや、背伸びして大人を歌ってて、尾崎豊は、青臭いと思いきや早熟で、大人が子供を歌っていたという感じなのかなぁ。宮本浩次は今も「大人になりたい」と歌い、尾崎豊は大人が子供になりたい(でもなれない)と歌うというか。

 

そんなことを思ったけれど、Cocco が放送後にこんな投稿をしていた。

 

 

それでまた考えてしまったけど、難しい。

 

ただ、リリーさんも宮本さんも謙遜されていたというより…。確かに、「大人っぽい」と「子供っぽい」があったら、「子供っぽい」は誉め言葉として使わない感じがするけど、そこに上も下もなく、子供も大人も青臭いも早熟もどれも素晴らしく、それをリリーさんも宮本さんも(もちろん Cocco も)わかった上で・・・という感じはした。

 

もしかしたら、人は自分がよくわからないものに対して「大人っぽい」とか「子供っぽい」と言ってしまいがちなのかも知れない。

 

大人とか子供とかはわからないけど、私が有名曲しか知らない上で尾崎豊にハマらなかったのは、「笑い飛ばす」とかそういうところが欲しかったのかなぁ? それか、ナルシストに感じてしまったのかも。いや、宮本浩次にだってナルシシズムはあると思うし、それがある人が好きなんだけど。自己愛と自己批評のバランスかも!

 

「笑い飛ばす」で思い出したけど、こんなブログ書いてたんだ。そこに Cocco も尾崎豊も出てきてた。自己愛と自己批評のバランスか。

 

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二度目の「ロマンスの夜」の記事で、前回と今回の動画を見比べてみたら、「愛の戯れ」と「Woman “Wの悲劇”より」で曲が違うのもあるけど、前回の方が女っぽく、今回の方が男っぽく感じた。いや、女っぽい男っぽいというより、より自然になってきてるというか、過剰に演じなくても自然に入ってるというか。

 

過剰に演じては、それを自然なところまで持って行く…というのを繰り返すのが宮本浩次なのか?