チャラン・ポ・ランタンの小春さんが出るということで、NHK Eテレ『クラシック音楽館』の「生誕100年 ピアソラの世界」を見た。(2021年7月18日放送、2022年3月6日再放送)
音楽はもちろんだけど、珠玉の言葉たちばかりで最初から録画しておけば良かったと後悔している。再放送済みだけど、また再放送してくれたら良いな。
自分の音楽を探し求めて彷徨う心の内を表わすような、楽団の変遷。
30代でフランスに渡り、自分がタンゴ奏者であることを隠して作曲家のナディア・ブーランジェに師事する。しかし、ナディアはピアソラがタンゴ奏者であることを見抜き、「あなたはタンゴを捨ててはいけない」とピアソラに告げる。
その後、ピアソラはエレキギターを入れた楽団を結成し、タンゴにエレキギターを取り入れる。それが保守的なタンゴファンから猛反発を受け、一方、若者からはタンゴは古いと思われていた。
ピアソラの新しいタンゴは「踊れない」と言われたらしいが、ピアソラは「やたらと踊りたがるやつらが唯一の敵だったね」と言った。
小春さんは「30代でミュージシャンが辿り着きそうな自分の破壊」と言っていた。
そして、タンゴにジャズやロックの要素を取り入れた「リベルタンゴ」が誕生する。そのとき、ピアソラ 53歳。
「50代で自分の一番の代表曲が発生するなんてなかなかない」と小春さん。「その柔軟性を 50代で持ち合わせてる。本当に勉強になります」と。
困難が起こる度にそれをバネに次々と新しい音楽を打ち出していくのがピアソラの流儀。
バンドネオン奏者の小松亮太さん曰く、「なんでこんなにピアソラは紆余曲折していたのかというと、自己満足になかなか至らない人だった」。「長い長い自分探しの旅をずっとやっている感じなんですね」と小春さんが頷く。
ピアソラについて、小松亮太さんは言う。
「とにかく老成しない。
50代過ぎてからロックバンド作ってみたり。
30歳くらいで『シンフォニア』なんていう曲を作った後で 50代になってからロックバンド組むか普通?っていう。
そういう止まらない人生」
「恥を恐れないというか、挑戦する心が本当に素晴らしい」と小春さんは言った。
敬愛するアーティストに重ねてしまう。
そして、ピアソラの話だけで長くなってしまうからこのことについては書かない予定だったけど(もうここまでで長いけど)、この曲を聴いたら書かずにはいられなくなった。
ピアソラにはコロン劇場でのリサイタルという夢があり、その夢を 62歳で叶える。
そのときフルオーケストラで演奏した曲が「アディオス・ノニーノ」。ノニーノは父の愛称。さよならお父さん。1959年に父の訃報を受けて作った曲だという。タンゴの道を切り開いてくれた父。父とタンゴそしてクラシック、大好きだったものに捧げた曲。
「私が今こうしてバンドネオンで生活できるのは、父が私のことを天才だと信じてくれたからだ。私に才能などなかったが、父は私に自信をくれた。私の人生を開いたのは父だ」(ピアソラ)
「リベルタンゴ」は超有名な曲だと思うが、私はどこかで聴いた覚えが強くあって。
それはこの曲だった。
PUSHIM(プシン)の「雨のバンドネオン」。タイトルからしてバンドネオン。
(と、ここでやっと、記事のタイトルである PUSHIM の登場です。この記事の主役は PUSHIM のはずなのに、ピアソラで長くなってしまった…)
クレジットを調べてみた。
“LIBERTANGO” (Astor Piazzolla)
やっぱり!
そして、もう一つ。
Awich(エイウィッチ)の新しいアルバム『Queendom』がえらくかっこいい。
Awich は、『孔雀』『8』のジャケットが浜崎あゆみの『LOVEppears』『appears』のジャケットだ!と話題になったり、RADWIMPS のアルバムに参加してたり、名前は知っていた。
ここにも浜崎あゆみからの流れあると思うなぁ。おそらく、つやちゃん『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』にも出てくるであろう田島ハルコさんとか、あゆ好きだしね。
で、『Queendom』といったら、私は PUSHIM を思い出しちゃうんですよ。PUSHIM にも『QUEENDOM』ってアルバムあるから。Awich をかっこいいと思う若い人にも、PUSHIM 聴いて欲しいって思っちゃうな。
これとか、Awich が歌っててもおかしくなさそうじゃない?
アストル・ピアソラ と Awich。
ぜんぜん違うところからかも知れないけど、PUSHIM につながった。
私がチャラン・ポ・ランタンや Awich を好きになれるのも、PUSHIM のおかげかも知れないなぁ。