明日に架ける橋 | ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

<土曜日>

土曜プレミアム『一流が嫉妬したスゴい人』で、さだまさしが「嫉妬した歌手」に中島みゆきの名前を挙げていた。その語りが素晴らしくて(コロッケが語る蛯名健一も素晴らしかった)、見入ってしまった。

全部メモをとっておけば良かったと思ったほどなのだが、

「女としての視点、男が生半可に書けない」
「(聴く人が)誰にも言えない、自分だけが思ってることを、自分のために歌ってると思わせる」
「中島みゆきの歌でしか救えない人がいる」
「中島みゆきの純情、シャイさ」


というようなことを言っていたと思う。記憶で書いてるので間違ってたらごめんなさい。そして、

「別の宇宙を見る思い」

「良質な流行歌」


と言っていた。

別の宇宙――。
そういうものに憧れて、男性は女性目線の曲を書いたりするのだろうか。エレカシでいうところの「彼女は買い物の帰り道」とか。

良質な流行歌――。
さださんは、自分は「カラオケで歌われてたまるか」みたいな歌ばかり作るけど、中島みゆきの歌は「歌いたくなる」、だから「良質な流行歌」と仰っていた。

「中島みゆきと松田聖子を足したような世界観」――浜崎あゆみのことをそう表した人がいたと二つ前の記事で書いたが、「中島みゆきと浜崎あゆみをつなぐもの」が私は前から気になっていた。両者はどこかでつながっている、その “秘密の地下道” のようなものが気になっていた。
その “秘密の地下道” はきっと大森靖子にもつながっている。というか、大森靖子がきっかけで気になりだしたのかも知れない。

いろんな人と比較され語られる浜崎あゆみだけど、マドンナと同じかそれ以上に、中島みゆきも重要なんじゃないかと思えてきたから。
ちなみに、スマッシング・パンプキンズも重要だけど、実はそれよりもクランベリーズなんじゃないかと最近は思ってきた。といっても、詳しくなくて直感だけど。

<日曜日>

そんなわけで、「中島みゆきと浜崎あゆみ」が気になっていた私なのだけど、そんな私のためにあるような、素晴らしい文章に出会った!!

万里小路譲『うたびとたちの苦悩と祝祭』
https://ameblo.jp/jm55mk172019/entry-12514084105.html
(万里小路譲著『うたびとたちの苦悩と祝祭―中島みゆきから尾崎豊、浜崎あゆみまで』より)

ここにはすべてのヒントが、中島みゆきと浜崎あゆみをつなぐ川が流れている!!

いままで読んできた浜崎あゆみに関する文章で一番感動したかも……と言ったら言い過ぎか。

クラシック音楽と現代日本歌謡の相違と相似の神秘。

「悲痛が美へと昇華してゆく磁場」

「押し殺した声をもういちど押し殺して現出せしめた反抗」

「音楽という奇跡」


……すごい。

私は、中島みゆきを聴いてみた。

ある曲で私の心は打ち震えてしまった。

この日はライブがあったので、私はそのまま会場に入り席についた。

そして私は、この日ライブで歌われた曲に、土曜日からのこの川の流れが辿り着く場所を見た気がした。



人生は、辛く、苦しく、そして、美しい。

そんなこと、はじめて思うようだった。

私は、浜崎あゆみを聴いてみた。

涙がこぼれそう。

この川の流れは浜崎あゆみにもつながっている。

それは、明日に架ける橋のようでもあった。


<オマケというか蛇足>

解放の音楽 ~あゆ、おまえはカンマエか!~

上記ブログを読んで、「これは、ロックやポップスとクラシックとの間にあった壁をどうにかしてしまった音楽なのかも知れない」と前に書いていたことを、なぜか思い出した。