ヨブ記は信仰書
うーん。ヨブ記はやっぱり難しいね。ヨブ記の注解書、説教集、いろいろ探して、それなりに定評あるものはあるにしても(私の恩師はヨブ記注解で知られていたけども)、結局はヨブ記は、信仰書なんだ。 信仰書はそれについてメタ視点で語ることにさしたる意味はない。 聖書の読み方の1つの基本は、結論から読むということ。それは安定した読み方でもある。 ヨブ記も終わりの神の語りかけから、ヨブの3人の友人への評価も含め読み解くことは確かにできる。でもそれだと、ヨブ記の魅力はほとんど無くなる。 ヨブ記を信仰書として読むと、いうことは、試練の中にあるヨブに自分を重ねるということ。ヨブの弱さを自分の中に認め、背後でサタンが働き、試練、試みの供与者として操られている(とはいえ、あくまでも彼らが信仰者であり、信仰の言葉であることは間違いがない)友人たちへのヨブの反論に、自らの自己弁護を認めること。 でもそれは、信仰の試練としては、とてもレベルの高いものだ。だからこそ、ヨブ記を読むことには常に難しさが伴う・・。でもそれこそが、ヨブ記の、尽きることのない魅力の源の1つなのだ・・。