日本のキリスト教会は、果たしてマルクス主義と無縁であるか?
という話になると、甚だ疑わしくなるのが実際のところだ。
例えば日本最大のキリスト教団の日本基督教団が、30年以上も前に出した死刑制度反対の声明文。
その中で以下のような下りがある。
「確かに、束アジア反日武装戦線諸氏は、
自らの主張を展開する上において多くの死傷者を出す
という取り返しのつかない誤りを犯した。
彼らの手段は到底私達の許容しうる範囲にはない。
がしかし、彼らの、戦前のみならず戦後においても、
アジア諸国の民衆からの富といのちの収奪の上に
現在の日本の虚飾に満ちた繁栄があり、これを拒絶し、
否定的に乗り越えることにおいてしか、
ひとがひととして真に生きうる道はない、
との主張の前にたじろぎを覚えないですむ日本人が
ひとりでもありうるだろうか。」
http://haikiren.la.coocan.jp/proclamation2.html
死刑制度に聖書的立場から反対する、というのは特段、
問題ではない。それが聖書から導き出されたと、
少なくとも声明者が根拠づけるならそれで良い。
だけど上記の声明文の反対の説明文の中には、
明らかに「マルクス主義の立場」でしか言えないような理由づけが見られる。
こういうものを聖書から導き出したと説明するのはとても難しいことだ。
果たして30年前から、すでに日本のキリスト教界は、
マルクス主義に支配されているのか??
すでにしてキリスト教系の団体の声明文を、
「中核派の」などと裏読みする反対論も出てきている。
いや、イエスの弟子にも熱心党員のシモンがいたではないか、
という見方も出来るかもしれない。で
も、どうやったって、マルクス主義の立場とキリスト教の立場は、
あい入れるものでもない。これはすでに多くの文献研究、
特にマルクス自身の著書から、明確になっている。
唯物史観と有神論とは、両立しうるものではない。
問題は、何故この問題を、
キリスト教界が正面から取り上げる事が、
甚だ少ないのか?という事なのだ。