■表記
井上内親王(イガミナイシンノウ/イノウエナイシンノウ)
*井上廃后
*吉野皇后


■概要
第49代光仁天皇皇后。
また京の都を震え上がらせたという怨霊神。
◎出生は養老元年(717年)、聖武天皇の第1皇女として生を受けます。11歳の時に伊勢神宮の斎王となり発向。卜定にて選定されたのは5歳の時であり、以来潔斎に入ったと思われます。天平十六年(744年)に同母弟、聖武天皇の第2皇子であった安積親王の薨去により斎王の任を解かれ退下したとされます。
◎酒人内親王、他戸親王を出産。他戸親王は45歳という高齢出産。そして他戸親王は立太子。
◎宝亀三年(772年)、光仁天皇を呪詛したとして廃后、他戸親王も廃太子。翌年には難波内親王(光仁天皇の同母姉)をも呪詛し殺害したとして、大和国宇智郡に他戸親王とともに配流、幽閉されます。そして同六年に薨去。
◎井上内親王と他戸親王の薨去は同日のこと。暗殺された、或いは母子ともに自殺を図ったという説が根強くあります。
そもそも配流幽閉は藤原百川らによる策謀であったと考えられ、無実であったのではないかと。そして京の都を震え上がらせる怨霊神へとなったのではないかと。
◎薨去後からは異変が次々と起こったことが続紀に記されます。2ヶ月後に光仁天皇擁立に功のあった藤原蔵下麻呂が死去。翌年には瓦石や土塊の落下が20間日も続き、またその翌年には妖怪が頻繁に出没したと。さらに光仁天皇擁立のもう一人の功労者、藤原良嗣も死去。これらはすべて井上内親王と他戸親王の祟りであると考えられました。
◎この一連の流れが「日本紀略」には記されており、列記しておきます。。
*宝亀二年(771年)
井上内親王と他戸親王が廃され大和国宇智郡に幽閉される
*宝亀六年(775年)
井上内親王・他戸親王母子が幽閉先で薨じる
*旱魃や大地震、疫病、雹(ひょう)、蝗害(イナゴ)が立て続けに起こり、祟りが続く
*宝亀八年(777年)九月十八日
山部親王の立太子を図り、娘を妃に入れた藤原吉継が没する(井上内親王幽閉の首謀者か)
*宝亀八年(777年)十一月一日
光仁天皇不豫(大病)
*宝亀八年(777年)十二月二十五日
山部親王が病に倒れる(精神病か)
*宝亀八年(777年)十二月二十八日
井上内親王の遺骨の改葬を決定、「御墓」とし御陵に準ずる応対とする
*宝亀九年(778年)一月二十日
遺骨を掘り起こし改葬
◎この怨霊は桓武天皇の御代まで続いたと考えられます。長岡京遷都の主導権を握る藤原種嗣の暗殺事件を巡り、早良親王が配流され幽閉。無実の恨みを抱いたまま薨去、怨霊神へと。崇道天皇と追諡されるのに合わせて、井上内親王を皇后と追后し御墓を山陵と追称。さらに霊安寺という仏教施設(廃寺)と御霊神社 本宮が建てられました。
宇智郡内には22村に分祀され、計23社もの御霊神社が鎮座します。
◎大和国宇智郡内には火雷神を祀るという宮前霹靂神社火雷神社の式内社2社が鎮座。ともに井上内親王第3皇子である火雷神を祀ります。社伝によると井上内親王が当地に配流された際に身籠っていて、出生して成人後に母兄が配流されたことを知り憤怒。火雷神となり都から諸国七道に至るまで雷雨を起こし続けたとのこと。おそらくは後世の附会なのでしょうが、これほどまでに怨霊神は恐れられたということが窺えます。



■系譜
父 … 聖武天皇
母 … 県犬養広刀自(アガタイヌカイノヒロトジ)
第1皇女 … 酒人内親王
第2皇子 … 他戸親王(オサドシンノウ、立太子後に廃太子)
第3皇子 … 火雷神(記紀には無い、伝説上か)


■祀られる社(参拝済み社のみ)
[以下すべて大和国宇智郡]

[大和国添上郡] 井上神社(奈良市井上町)

[大和国山邊郡] 御霊神社(奈良市針町)

[大和国葛上郡] 高天彦神社(境内社 御霊神社)

*御陵
[大和国宇智郡] 井上内親王 宇智陵


*関連社
[大和国山邊郡] 御霊神社(天理市前栽町)
[大和国葛上郡] 御霊神社(御所市稲宿)

[大和国葛上郡] 御霊神社(御所市増)