落杣神社・御霊神社 (五條市黒駒)
(おちそまじんじゃ)


大和国宇智郡
奈良県五條市黒駒376
(御神域の北東隅、県道55号線から当社へ曲がる角に駐車スペース有り)

■延喜式神名帳
[境内摂社 落杣神社] 落杣神社の比定社

■祭神
[境内摂社 落杣神社] 大山祇神


「吉野川」に「丹生川」が合流してほどない場所、五條市「黒駒(くろま)」に鎮座する社。かつては「坂合部郷坂合部村」と呼ばれた地。
◎落杣神社が祀られていたところに、宇智郡(現在の五條市)で手厚く祀られる井上内親王の分霊がなされ、「式内社 落杣神社」は摂社へと追いやられた格好に。

井上内親王の御霊神社は小高い丘の頂に立派な拝殿と美しい御本殿にて鎮座。相殿神として「式内社 落杣神社」は祀られているとのこと。ところが麓の巨石前の小祠にも鎮座しており、旧社地ということなのかと思われます。

◎御霊神社の御本殿向かって右から石段を下ると、途中に横穴式石室の黒駒古墳(現在記事改定作業中、リンクには飛びません)があります。さらにわずかに下ると巨石と小祠(落杣神社)が見えてきます。黒駒古墳は直径10mの円墳(前方後円墳説有り)、7世紀(古墳時代後期)のものとされます。
◎社頭案内には以下が示されています。
━━大正十四年三月十六日奈良県史跡調査会嘱託上田三平氏の「調査による」として「奥行九尺横四尺ニシテ前方後円ノモノナリ、上石ヨリ推セバ奈良朝以前ノモノナリ。往古此ノ地ニ居住セル氏族ノ族長ノ墳墓ニシテ、年月ヲ経ルニ従ヒテ地下ニ埋没ノ結果、信仰ノ対象物ヲソノ付近ニアル怪岩ニ移シ、後世更ニ其処ニ祠ヲ建テタルナリ、コレニヨリテ考フレバコノ宮山ハ往古ヨリ霊物ノ俗念ノ有セシコトヲ知ルヲ得ルナリ。 士俗コノ小祠ヲ岩神様ト称ヒテ信仰ス」とある(当神社取調書)━━ 
要するに古墳が埋没したので御神体を巨岩に遷し、祠を建てて岩神として祀ったということ。式内社と成り得たことから、被葬者は相応の人物(神)であったかと察せられます。

◎御神体は陰石のような形状、高さ3m幅4mの露出岩盤。

御祭神については、現在は当社が大山祇神として祀られています。「神社明細帳」も同様。「大和志」「神名帳考証」「神社覈録」「大和名所図会」が神名の未提示、または祭神不詳としています。おそらくは自然神としての山神、岩神を祀った磐境が原始の姿であったように思われます。「磐境大明神」「岩境神社」等と称されています。
◎「式内調査報告」によれば、かつて当地を拠点とした坂合部連(境部氏)した社だろうとしています。旧地名から氏神であったと思われます。
坂合部氏については「新撰姓氏録」に、「造立國境之標 因賜姓坂合部連」とあり、国境を定める(或いは守護する)職に従事していたと見られます。

◎記紀等の記述から国境を画定する際には祭祀具を用いていたことが窺え、神事を伴うものであったと推察されます。また国境は山の山頂や尾根で決められることも多く、同時に山の維持管理も行っていたと思われます。御祭神はその守護神であったかと。

◎出自は「新撰姓氏録」等により多岐に渡ることが窺えますが、いずれも蘇我氏との関わりが強く見られます。実質の祖は蘇我稲目の子で馬子の弟である境部摩理勢であろうとする説も。
◎遣唐使として派遣される者も輩出し大陸の先進文化を大いに吸収したようです。蘇我氏滅亡後はその関連氏族である尾張氏と連携、外交や政治の中枢にも進出、記紀や大宝律令編纂者にも名を連ねました。そして律令国制が敷かれるにあたり、境界画定に大いに携わり、一族は伸長したものと思われます。式内社と成り得た要因かと思われます。

◎一方で御霊神社の方は光仁天皇を呪詛し殺害しようと企てたとし、宇智郡(現在の五條市)の配流幽閉された井上内親王を祀る社。藤原百川の策謀に貶められ、幽閉先で毒殺または自殺を図ったとするのが有力。都を震え上がらせた最強の怨霊神とされます。
「御霊宮本紀」には嘉禎四年(1238年)御霊神社 本宮より宇智郡内各所に10社の分祀がなされたとあり、次いで12社が分祀されました。当社は後に分祀された12社のうち1社。
◎当地に伝わる宮分け伝説によると、「阪合部地区の氏子は、当初犬飼に分祀する予定であったが、黒駒の落杣神社のあたりまでお渡りしてくると足が動かなくなり、この地に祀るようにと言う神意であろうと考え落杣の森にお祀りすることになった」と伝えているようです。御神体の箒は神の宿る神籬と通じていたものとされています。現在の御神体は神像であるとのこと。


*過去数年に渡る参拝時の写真が混在しています。


「御霊宮大明神」と「落杣神社」の扁額が並列に掲げられます。




拝殿の扁額も並列に。




改修前の祠、摂社 落杣神社。



改修後(令和二年五月二十四日)の祠。「岩境神社」と銘記されています。

草木等で覆われ全容は把握できません。

参道の始まり付近に鎮座する境内社。製鉄鍛冶が行われていたのか、或いは農耕時に災害を被らないように祈った社なのか。




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。