井上神社 (奈良市井上町)


大和国添上郡
奈良市井上町17
(近隣コインP等利用)

■祭神
他戸親王


「奈良町」と称される歴史的な町並みの一つ、「ならまち」エリアの「井上町」に鎮座する社。
◎「奈良坊目拙解」(享保二十年 1735年)という書によると、当地は元興寺という仏教施設の南大門があり、その門前に井上内親王の御霊社の神輿舎があったからという「井上町」の地名由来。「元興寺古図」には神輿舎が描かれているとのこと。つまり現在の薬師堂町の御霊神社(当社より北300m足らず)の旧社地であったとされます。
◎そもそもの起こりは桓武天皇の勅命により創祀がなされたもの。桓武天皇の御代に疫病が蔓延しその原因を「怨霊」と感じた天皇が、丁重に祀れば「御霊」となり守護してくれるという発想のもとに井上内親王が鎮められました。それが宇智郡(現在の五條市)の御霊神社 本宮
◎奈良の町では「御霊信仰」へと発展、供物をして、僧侶の読経、雅楽を奏したりなどする「御霊会(ごりょうえ)」が盛んになります。井上内親王と御子の他戸親王に、早良親王(崇道天皇)ら六所を合わせた「ハ所御霊大神」が対象。
また奈良の都の南側には三つの出入口があり、「上ツ道」には崇道天皇社、「中ツ道」に井上御霊社(当社)、「下ツ道」には他戸親王社(不明)を祀り、疫病の侵入を防ごうとしました。
◎旧社地であるという当社は「上ツ道」のすぐ側に鎮座しており、かつての規模を想像するに「上ツ道」に面していたのではないかと思います。するとこちらも原初の創祀地から遷座されているということになろうかと。
◎当社から薬師堂町への遷座については、元興寺の焼失によるもの。その焼け跡に民家が連なるようになり、住民によりニ神が祀られたとされています。
◎これらの由緒とは別に、ご祭神を八王子熊野権現一殿二座とするものも。こちらは現在、東隣の会所に祀られているようです。


西隣の交番、東隣の会所に挟まれ窮屈に鎮座。