◆ 「土蜘蛛」 五顧 (八十梟帥)
今回より初めて
「土雲(土蜘蛛)」と表記されるのが登場!
長らくお待たせ致しました。
前回の記事では一旦菟田まで来たのに、また吉野へ逆戻り。
今回は再び菟田が舞台となります。
* 三顧 (兄猾)
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寄り道にしてはあまりに遙々と…
兄猾・弟猾(エウカシ・オトウカシ)の一件からおよそ1ヶ月後のこと。神武天皇は菟田へと戻り、「高倉山」に登り国見を行います。
この先の様子を探ったのですが…その先は絶望とも言えるものでした。
要衝すべてに八十梟帥(ヤソタケル)が軍隊を配備されていました。菟田から大和盆地入りするには峠越えが必須!「男坂」には男軍、「女坂」には女軍、「墨坂」には炭火が置かれていました。
また目指す「磐余邑(いわれむら)」には兄磯城(エシキ)軍が大勢と…。
━━賊の拠点はすべて要害の地。道路は完全に塞がれ通れそうな所は無し。天皇は困り果てました━━(紀の神武天皇 戊午年秋九月、大意)
今回の「土蜘蛛」は八十梟帥(ヤソタケル)。
征伐した後にも「八十梟帥」や「梟帥」という表記が見られます。
ここからは他の「土蜘蛛」成敗とは異なり、事の成り行きが詳細に描かれています。ごく手短に。
困り果てた神武天皇は「誓約(うけひ)」のみを行い、そのまま就寝。夢のお告げで「天香山神社の土を採ってきて天平瓮(あめのひらか、=酒杯)を八十枚と嚴瓮(いつへ、=酒瓶)を造り、天神地祇を祀って呪詛すると、自ずから降伏するであろうと」と出ました。
使者二人を醜い老夫婦に変装させ、まんまと敵軍の中を通過し「天香山神社の土」を採ることに成功!天平瓮などを造り「丹生川上」へ。天神地祇を祀り「菟田川之朝原」に呪詛して浸けます。
そして「誓約」などを行った後、遂に出陣。八十梟帥を「国見丘」で撃破します。
ところが敵がまだ残っているため、「忍坂邑」に「大室」を造り誘い出して宴会を催し一網打尽にしました。
これでもかなりはしょったのですが…。
紀の記述において、ここまで八十梟帥軍に対しては「虜」という表記がなされています。
ところが1ヵ所「愛瀰詩(えみし)」という表記があります。これは敵軍を壊滅した後に兵士らが歌った歌の中で出てくるもの。「愛瀰詩」とは「蝦夷」のこと。「土蜘蛛」に近いみなし方をしています。
一方で記の方は「土雲八十建」と明確に「土蜘蛛(土雲)」扱いとしています。
■関連史跡等(訪問済みのみ)
* 神武天皇聖蹟 菟田高倉山顕彰碑 … 国見丘の候補地の一
* 高角神社(高見山山頂) … 国見丘の候補地の一
* 天香山神社 … 土を採取
* 畝尾坐健土安神社 … 天香山の土が御神体
* 菟田の高城 … 神武軍が休息を取った地、日本初の城とされる
* 櫻實神社(八ツ房杉) … 菟田の高城のすぐ側、神武御手植えの「八ツ房杉」が有名
* 高城山山頂 神祠 … もう一つの「菟田の高城」の候補地
* 丹生川上神社 中社 … 丹生川上の有力候補地
* 丹生神社 … 旧社地
* 丹生神社(榛原雨師) … 丹生川上の「菟田川之朝原」の候補地の一
