☆ 神武東征 男坂傳稱地



大和国宇陀郡
奈良県宇陀市大宇陀半阪
(詳細住所不明、アクセスや駐車は下部写真参照)



神武東征神話に記される「男坂」の伝承地。

皇軍は兄猾(エウカシ)を斬った後、吉野へ引き返します(理由は不明)。井光(イヒカ)磐排別(イワオシワケ)の子、苞苴擔(ニエモツ)の子と次々に出逢い、また菟田(宇陀)へ進軍します。

それに続く紀の記述。
「神武天皇は菟田の高倉山の嶺に登り国見をしました。国見丘の頂には八十梟帥(ヤソタケル)が陣取っています。また女坂には女軍、男坂には男軍を配し、墨坂に焃炭(おこしみず、炭火)を置いています。これが地名由来です。また兄磯城(エシキ)軍は磐余邑に布陣していました」

*「高倉山」については2説有り。大宇陀守道の高倉神社が鎮座する「高倉山」と、東吉野村平野の高角神社が鎮座する「高見山」。
*「国見丘」は「女坂・男坂」の間、「音羽山」辺りのいずれかの山ではないかと思います。

*「女軍・男軍」は小軍・大軍ということで、性別による編成軍ではないと思われます。
*「墨坂」には墨坂神社が鎮座しますが、限社地は遷座後の地。墨坂神社 元宮という推定地があります。

菟田(宇陀)一帯は山村地域。兄磯城軍が陣取る磐余邑へはいずれかの峠を越さねばなりません。

ところが賊軍は「女坂・男坂」ともに抑え、その間の山の上には八十梟帥軍が見下ろしているという状況。

つまりは八方塞がりになってしまったということに。

地名「半坂」は、「男坂」→「なんさか」→「半坂」と転訛したものではないかとされています。


麻生田神社に参拝し、そのまま社前に車を停め置きました。

西方へ400~500mほど歩きます。

右手へ登る分岐が現れるので右折。このまま真っ直ぐ進めば半坂の剣主神社へ。こちらも神武東征ゆかりの社。


70~80mほど舗装路を登ります。

舗装路の終点は民家跡。ここからは杣道。民家跡前に車が停められるかどうかの確認はできていません。

春夏秋はヘビに注意!右手の藪の中では猪が潜んでいるらしく、鳴き声がします。

杣道は100m余り。

麻生田神社の社前から10分余りで到着。石碑と石灯籠が立ちます。


「男坂」傳稱地の石碑から先は、急な下り坂。