高角神社


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市大宇陀守道776
(アクセス、駐車は下部写真にて)

■延喜式神名帳
高角神社 鍬靫 の比定社

■祭神
高角大神


標高440m「高倉山」の山頂に鎮座する社。境内には「神武天皇聖蹟菟田高倉山顕彰碑」が建てられています。
◎鎮座地は神武東征において、兄猾(エウカシ)を誅した後、いよいよ大和入りを図ろうと敵軍情勢を把握するために登ったという山(「神武天皇聖蹟菟田高倉山顕彰碑」を参照)。
◎かつては山頂と麓の二社に分かれていて、山頂が「大高角神社」、麓が「小高角神社」いたとされます。また山頂には「神武天皇望軍ノ旧跡」の碑が、麓には「神武天皇」と刻まれた碑があったとのこと。現在参道の途中、中腹辺りに五社大明神という社が鎮座し、横に「神武天皇」と刻まれた碑が存在することから、こちらが「小高角神社」の旧鎮座地であろうと思われます。なぜ二社に分かれていたのかは不明、また一社にまとめられた経緯も不明。
◎伝承として、元々は北西600~700m辺りにある「松山城」(現在は城跡)の地に鎮座していたとも。築城の際に現社地へ遷座させたとも言われているようです。当地からは目指す先はこの「松山城」の丘陵地に邪魔され見えないものの、そちらの方は遥かに見渡しが一望でき、情勢を探るのであれば適当かと。
◎ご祭神の高角大神とは高倉下命(タカクラジノミコト)とされます。当社が神武東征に因む社であると考えれば頷けるもの。
式内社比定を巡っては東吉野村の「高見山」山頂の高角神社、その麓の水分神社(平野水分神社)が論社として挙げられています。遠く離れてはいますがこの山は標高1248mもあることから、見渡すことはできたのかもしれません。ただし神名帳に記される宇陀郡ではなく吉野郡であろうことから、比定は困難かと思われます。


「万六」交差点から県道219号線を東へ400mほど。このような看板が見えます。


車は先ほど看板より20~30mほど手前。

車で上がられなくもないですが、落ちた木枝等で確実に傷めると思います。

山頂までは徒歩5分ほど。

参道途中に五社大明神への鳥居が現れます。