☆ 神武天皇聖蹟菟田高倉山顕彰碑


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市大宇陀守道776(高角神社境内)
※アクセス、駐車は高角神社の記事(後ほどUPします)参照


「宇賀志」で兄猾(エウカシ)を誅殺した神武東征軍(宇賀神社の記事参照)、「高倉山」に登り敵陣の様子を探ります。

その伝承地が当地。「高倉山」と呼ばれる山頂(標高440m)に聖蹟顕彰碑が建てられ、高角神社(後ほど記事UPします)が鎮座します。

周囲は敵だらけであることを神倭磐余彦(神武天皇)は知ります。
「国見丘」に八十阜軍が陣取り、「男坂」には「男軍」、「女坂」には「女軍」を配備しています。「墨坂」には炭を真っ赤に起こして士気を高めています(墨坂神社の記事参照)。

「国見丘」は当地からほぼ真西。「女坂」はその北側、「男坂」はその南側。「墨坂」は当地からほぼ真北。

目指すは北西方向の桜井市。山々が連なるところを峠越えする必要がありますが、全ての道(坂)が敵陣に塞がれていました。もちろん敵軍はそれが狙い。


ここで取った神倭磐余彦の作戦は…

とりあえず祈って寝た(笑)

ま…どないもこないもでけまへんわ…と。
さっぱりわやや…とは言ぅてないか(笑)


この後は丹生神社(榛原雨師)の記事にて。
ただ「ふて寝」したわけではなかったのです。

「屁~こいて寝よ」…な、大阪のおっさんではなかったのです。

さすが近い未来のプリンス!寝る前に祈っておいたのが大正解。
夢に神のお告げがあったのです。

寝る前に神棚に手を合わせるのを忘れんとこ…と。


さて…候補地は他にいくつかあるようです。
うち気になるのは2ヶ所。

かつて松山城があった丘陵地。こちらも「高倉山」と呼ばれていたらしく、築城のため現在地に遷されたという伝承も。現在地より北西600~700mほど。
手前に春日神社が鎮座しており磐座も座します。またすぐ南の尾根繋がりに気になる社名の神楽岡神社が鎮座。しかも境内から西方がとてもよく見渡せます。

もうひとつは「墨坂」に近い「福地岳」。
東征ルートを考えた際にこちらもわずかな可能性はあるかと。それとなんといっても、高倉下(タカクラジノミコト)を祀る掠下神社(くらげじんじゃ)の旧社地だったという伝承があること。

現在地からはこれまで通って来たルートは見えても、目指す地の方は見えないという難点有り。現在の木々はほとんど新しいものばかりで、古代の状態は分かりかねますが。


高角神社


吉野方面(辿って来たルート)は開けてよく見えます。