椋下神社
(くらげじんじゃ・むくもとじんじゃ)


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市榛原福地1
(P無し、麓のスーパー「プライスカット」から北へ50m余り)

■延喜式神名帳
椋下神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
高倉下命


榛原(はいばら)の中心街から東方の丘陵地、山腹に鎮座する社。
◎神武東征の折、神武軍は熊野で丹敷戸畔の反撃に遭い毒気にやられ壊滅的な状態に陥ります。そのときに武甕槌神の進言により天照大神から、高倉下命(タカクラジノミコト)を通じて「布都御魂剣」が下されます。神武軍はその剣で窮地を脱出しました。その功により八咫烏神社と同じ705年に、勅命にて創建されたとしています。
◎高倉下命(タカクラジノミコト)に関しては、多説あり非常に謎が多い神(人物)。
「先代旧事本紀」は饒速日神の御子とするが、それを否定する説あり。また天香語山命と同神としていますが、こちらも否定する説あり。「海部氏勘注系図」は天火明命(当書では饒速日神と同神とする)が大屋津比賣命と結ばれ、高倉下命が生れたとしています。ところがこちらも異説あり。最終的には越後国の彌彦神社 に鎮まったとされますが、こちらも異論あり。「神」ではなく「人」であるとも。また稲を保管する高い倉(蔵)の神霊であるとも。物部氏系の色が濃いようですが、結局のところ何も分からないというのが実情かと。
◎元々は東(南東とする資料が多いが正確には東)1kmほどの「福地岳(高倉山)」の山中、「クラカケ」に鎮座していたとか。その旧社地に関する資料が見当たらず、現在は不明になってしまっているのでしょうか。
◎なお「神名帳考証」や「大和志」は当社の式内社比定を否定、所在不明としています。

*写真は2018年11月2021年1月撮影のものとが混在しています。