畝尾坐健土安神社
(うねおにますたけはにやすじんじゃ)


大和国十市郡
奈良県橿原市下八釣町138
(社前の公民館に駐車可と思われます)

■延喜式神名帳
畝尾坐健土安神社 大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
健埴土安比売命
天児屋根命


古代にとりわけ神聖視された「天香山」にまつわる神社。「天香山」の土は霊力を持つものとして考えられていたようです。その霊力を神格化したのが当社と言えそうです。
◎神武東征の途次、「天香山の埴土」を取って80枚の天平瓮と厳瓮を作り天神地祇を祀れば賊軍を平定できるというお告げがあり、それに従うと天下を平定できたとあります。
また崇神天皇の御代には、武埴安彦が妻の吾田姫が取ってきた「天香山の埴土」をもってして謀叛(天下を取ろうと)企てます。→詳細は「埴安彦の謀叛」記事にて
◎当社は「天香山」の北西麓に鎮座、社頭案内には「香山のうねりをもった山の尾に鎮座する神と解釈する」としています。また近接する畝尾都多本神社の方では「田の中(畝)の丘」とする考えもあるようです。
◎式内社 畝尾坐健土安神社については、さらに天香山の北麓に近接する天香山神社と、東麓戒外町の春日神社が論社として挙げられています。
また天香山神社は式内社 天香山坐櫛眞命神社の比定社に宛てられています。この場合は山頂の國常立神社を式内社 天香山坐櫛眞命神社に宛てることになります。
◎混乱する原因は大和志(1734年)にあるようで、「畝尾坐健埴安神社 下八釣村にあり 今天照大神と称す」としているものから。それに該当するのが当社であったため比定に至っています。またすぐ隣に畝尾都多本神社があり、同じく「畝尾」を称することも加味されたか。
ところが天香山神社の境内には「天香山 赤埴聖地」の石碑もあることですし、天香山坐櫛眞命神社は山頂にあるべきだと考えれば、この説の方がしっくりときます。
◎なお天児屋根神は境内社を合祀したようです。また天照大神はどうなってしまったのかは不明。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


式内大社と呼ぶには少々寂しい感じ。



2020年に「天香山」山中で転がっていたのをこちらに立てたようです(情報出所はいつもお世話になっているzero_wifeさんの→ こちらの記事より)


大和国十市郡の神社