伊邪那岐命が黄泉国から脱出に成功、そして穢れた身の「禊祓」を行いました。
前回の記事ではその時に成った神々を記しました。まだまだ成ります。
前回は耳慣れない神名ばかりでしたが、今回はお馴染みの神々です。
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【読み下し文】
是に於ひて詔して上つ瀬は瀬速し下つ瀬は瀬弱し 而して初めて中つ瀬に堕り迦豆伎て 而して滌ぎし時 成り坐せる神の名は八十禍津日神 [禍の訓みは摩賀と云う下此れに效ふ] 次に大禍津日神 此の二神は其の穢繁き國に到りましし所の時 汚なき垢に因りて而して神に成りましし所の神也 次に其の禍を直せむと為て而して成りましし所の神の名は神直毘神 [毘の字以て音 下此れに效ふ] 次に大直毘神 次に伊豆能賣 [并せて三神也 伊以下四字以て音]
【大意】
伊邪那岐命は「上つ瀬(上流)は瀬が速い、下つ瀬(下流)は瀬が弱い」と詔しました。そして中つ瀬(中流)に飛び込んで滌ぎ(すすぎ)をしました。その時に成った神の名は八十禍津日神、次に大禍津日神。この二神は穢れが酷い国(黄泉国のこと)にいた時の汚れた垢で成った神です。
次にその「禍」を直そうとして成った神は神直毘神、次に大直毘神、伊豆能賣の三神です。
【補足】
◎今回は5柱の神々が成りました。
汚れた垢から成った神
・八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)
・大禍津日神
禍を直すために成った神
・神直毘神(カミナオビノカミ)
・大直毘神
・伊豆能賣神(イヅノメノカミ)
◎「禍」と「直」が対比されています。
「禍」の神の方には「成坐」とあり、「直」の神の方は「成」と。「禍」の神の方が神威は強大ということなのでしょうか。
◎いずれの神も思想上の神であり完全に理解するのは困難。これが分かるなら神道のほとんどを理解した!くらいに思っています。
そもそも「禍」などというとてつもなく恐ろしいものを祀るなんていうのは、日本人独特の発想かと。
八十禍津日神を天照坐皇大御神荒御魂と同神とし、さらに瀬織津姫とも同神としているのは「倭姫命世記」など。本居宣長もこの説を採っています。
◎「堕り迦豆伎て」の部分ですが、少々難解。
「堕」の部分、底本では「隨」となっていますが、真福寺本では「堕」。
(底本とは元になるものですが古事記には複数有り。真福寺本とは現存する最古の書写本)
本居宣長は「隨」を却下し、「降」の誤りであるとしています。
「迦豆伎」とは「潜き(潜り)」の意味と解されています。流れの緩やかな中つ瀬にドボン!と飛び込んだといったところかと。
◎「滌ぎ」とは水で洗い清めること。