(平城京 大極殿)



【古事記神話】序文 (~その8 元明天皇 前編)


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前回の記事では、「帝紀・旧辞」を精査し正して後世に残る書を作ろう!…と稗田阿禮に勅したものの、当のご本人(ご本神というべきか)が薨去され、頓挫した状態になったまま…。

…以上のところまで。
そしていきなり元明天皇が登場。その間には持統天皇・文武天皇が在位していましたが…。


【読み下し文】
伏して惟ふに 皇帝陛下一に得て光を宅し 三に通じて亭を育みたまふ 紫宸に御して德は馬蹄の極まる所に被び 玄扈に坐して而して化は船頭の逮ぶ所を照らしたまふ 日浮かびて暉を重ね 雲散りて烟に非ず 柯を連ねて穗を并す瑞 史を書することを絶へず 烽を列ね訳を重むる貢 府の空しき月無し 名は文命より高く德は天乙にも冠りたまへりと謂ふ可し


【大意】
へりくだって思いますに、元明天皇は光を得て体制を整えました。皇居におられ、その徳は陸地なら馬が、海なら船が行けるところの果てまでに及んでいます。太陽は輝きわたり、烟も見えず雲もありません。枝同士がくっついたり、一茎から二本の稲穂が実ったりという出来事もあり、記録に暇が無い状態。通訳を重ねないといけないような遥々遠方からの朝貢も多く、役所の手の空く月すらありません。天皇の名声は夏の兎王よりも高く、徳は殷の湯王を凌ぐほどです。


【補足】
◎元明天皇を誉めちぎる内容に終始。次回にてようやく…ですが。
経歴から延々としたためた天武天皇の時に比べてボリュームはかなり少なく、いかに天武天皇を慕っていたかが窺えます。
◎平城京遷都を行った女帝ですが、とにかく朝貢は多かったことは想像できます。役所が抱える仕事量も膨大に増えたのでしょうね。