三橋貴明氏といえば国債増発による公共投資拡大でインフレをプッシュする積極財政論者で、結局は「カネ、カネ、カネ」の人だと思っていたけれど…


 

いや、だって、今の日本のマネーの流れの構造からすれば、不用意に公共投資を拡大しても、株式公開企業の内部留保を経て外資に吸い上げられたり投機対象としていじられるだけ -- 日本の企業の株主の30%は外資だよ -- だから需要を拡大しても外国人労働者が増えてゆく。レントシーカーが噂される企業の外資支配率みてみなよ(四季報オンライン)。あ、ついでに国債ホルダーの日本の談大金融機関の外資率もご確認ください。三橋氏は規制は必要だという立場だけれど、見方によっては、竹中平蔵氏の無自覚な「裏」応援団になってしまうかも知れないくらいに思っていた。

 

変節したのですかね?……でも、内容を読むと、いつもの緊縮財政批判と、震災復興のサービスの供給能力の不足を緊縮財政の原因にする話で、思考のパラダイム・シフトはあまり匂いませんでした。根っこにはあるのかも知れませんけれど…言語化されてない。

 

政治家からメディア、社会評論はもちろん、媒体に載るものはありとあらゆるものがイメージ・ビジネスなので、「キャッチー」であることが至上命題のところがあります。良くも悪くも「子曰、民可使由之。不可使知之(民は、由らしむべし、知らしむべからず)」(論語、泰伯第八)ですね。キャッチフレーズでイメージを先行させ、そこに共感を生む方が早い。「骨太の改革」も同じ手法です。手法として否定するものではありませんけれどね。

 

ともあれ、三橋氏と私は同世代人で(”くま”の方が少し年かさで)、シェアできる感覚があるし、ジャーナリスティックな着眼点とスピード感はユニークなものがあるから生暖かい目で見ているけれど、経済政策カットだけで世の中を問うのはシンプルに「不足」だと思う。音楽的にいえばPunkムーヴメントの負の部分というか…。今回も、緊縮財政がダメ、緊縮財政が本来のあるべき供給力を萎縮させている、という議論もとどのつまりカネの話です。重要ではありますが、もっと大局での鼎の軽重を問うべきだと。

 

経済学の泰斗、宇沢弘文はこんなことを言っていた。宇沢はシカゴ大学に在籍しながら、あのミルトン・フリードマンと闘った1人ですよ。スティグリッツにも影響を与えた人です。世界はフリードマンに軍配をあげたけれども、こうした根源的な問いから出発しようとする人は稀有です。

近代経済学では、人間を損得の計算をする機械とみなします。そこに一人ひとりの人間の心はありません。経済学者も市場での取引や売買に焦点を当てて分析を行います。たとえば、国内総生産という重要な基準があります。市場で取引される様々な財やサービスを市場価格で評価して足し合わせたものです。しかし実は、市場で取引されるものというのは、人間の営みのほんの一部でしかありません。経済学の原点は、人間の心を大事にすること、一人ひとりの生き方をどのように考えていくかなのです。

 

宇沢弘文へのインタビューから

『マネー資本主義―暴走から崩壊への真相 』(NHKスペシャル取材班、新潮文庫) 

 

ここでいう「生き方」というのは、例えば、次のような言葉を代入してみてもいい。

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

 

「みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。」

 

ホセ・ムヒカ(元ウルグアイ大統領)

 

そして、このようなものも…

 みよ、兄弟たちよ、春が来た。大地は太陽の抱擁を受け、やがてこの愛の果実が実るだろう。種は一つひとつ目を覚まし、動物たちもまた生まれる。
 

 われらもまた、この神秘の力のおかげで生きられる。だからこそわれらは、この大地に住まう権利を、自分たち同様、隣人たちにも、隣人たる動物たちにも分け与えるのだ。
 

 けれども、聞いてくれ、みなの衆、われらは今もうひとつの種族を相手にしている。われらの父祖がはじめて出会ったときには小さく弱かったが、いまでは大きく尊大になったあの種族だ。どうも奇妙なことに、彼らは大地を耕そうとし、彼らにあっては所有への愛着が病気にまで嵩じている。
 

 あの連中はたくさんの決まりを作ったが、その規則は富める者は破れても、貧しい者は破れない。彼らは貧しい者や弱い者から税をとり、統治する富める者たちをそれで養っている。かれらは、万人に属する母なる大地を、自分たちだけが使うものだと言い募り、柵を築いて隣人たちを締め出す。そのうえ大地を、かれらの建造物や廃物でだいなしにする。この部族は、雪解けのなだれといっしょで、川床を飛び出し、行く手のあらゆるものを破壊する。」

 

タタンカ・ヨタンカ(シッティング・ブル、ラコタ・スー族のピースメイカー)の言葉

(「アメリカの異形の制度空間」西谷修著、講談社、2016年)

 

さらに…、も、あるけれど、この話はこの辺で。

 

 

The Style Council, "My Ever Changing Moods"(1984 Live)

 

Maj7thコードを多用した、ダンサブルで、ポップで、スウィートで、爽快感のある社会批評Punk。Paul Wellarもまた矛盾や欠落をたくさん抱えた人だね。でも、この歌詞の普遍性に溢れたアプローチは好きだよ。

 

 

Good Luckクローバー