2023年(令和5年)も色々あったなあ!

令和5年の年明けには新型コロナは5類に引き下げられていて、やっと収束に向かった。 3月のWBCでの侍ジャパンの優勝に全国が感動。 ウクライナの戦闘は続いていて、10月イスラエルガザ地区でも戦争が始まったことは悲しい。 今年は坂本龍一さん、谷村新司さんと二人の偉大な音楽家が旅立った。 12月になって大谷翔平選手のドジャース入団に、日本中が沸いたネ。 彼の愛犬”デコピン”も可愛かった。 コロナによる行動制限も解かれたこの一年は、世の中が活発に動き始めた。 

 

今年も振り返って「2023年度 うっちゃんブログ 10選」を選んでみました。 

 

タイトルクリックすると当該ブログへ移動します。 

 

 

 1/12 「FUKU51(ふく来い=福恋)マンホール←クリック

 

福岡市には幸福を祈る人々の願いを叶えてくれるマンホールがある。 福岡市の下水道事業が88周年を記念してスタートしたプロジェクトが「FUKU51マンホ-ル」で、「FUKU」とは福岡市の「福」と幸福の「福」・・・「51」は設置数であるが、「51」を「こい」と読ませ、「恋」と「来い」に掛けている。 つまり「幸福を呼ぶ」、「縁結び」のマンホールを市内に限定51個設置するプロジェクトで、このマンホールにはイエローハートハートマーク)が刻印されている。

千早駅の「なみきスクエア」前の歩道

 

 

 

 1/23 「田原眼科医院 ① 360年の歴史←クリック 

 

田原眼科医院 ② 高場順世の謎

田原眼科医院 ③ 須恵町を訪ねる

田原眼科医院 ④ 須恵の田原眼治療院

田原眼科医院 ⑤ 田原養柏と黒田長溥」 

田原眼科医院 ⑥ 国東半島の大友家一族

田原眼科医院 ⑦ 香椎宮参道の薬師堂」まで続いた。

香椎には110年前に須恵町から移転して来た「田原眼科医院」がある。須恵町での創業は江戸初期なので、360年の歴史がある。 江戸時代天保年間には、「日本4大眼科」の一つに数えられていた。 田原家の歴史浪漫を紐解いてみました。

香椎副都心区画整理事業前の浜男通りにあった田原眼科医院

 

 

 

 4/17 「香椎宮の起源 古宮←クリック

 

香椎宮本殿から北門を抜けると「香椎宮の起源 古宮」の標識が見える。 「古宮」とは仲哀天皇神功皇后の「仮の皇居=橿日宮(かしいのみや)」とも解釈できるが、「香椎宮の起源」となる仲哀天皇の霊を祀る「仲哀社(古宮)」があった場所となる。 神木「棺掛けの椎」の後面に、大正4年(1915年)まで「仲哀社」が鎮座していた。 今回、その写真が発見された。

写真左側に見える「棺掛け椎」の後面に建つ仲哀社

 

 

 

 5/17 「香椎宮クスノキ参道  植栽100周年にむけて

 

貞明皇后(大正天皇妃)の香椎宮行啓を記念して勅使道が整備され、大正15年(1926年)2月11日に参道両側にクスノキが植栽された。 県下27の市・郡・町・村の青年団、婦人会、軍人会の皆さんが、朝早くから苗木を搬入して165本が植えられた。 現在、大きく育ったクスノキのトンネルが参拝者を癒やしている。 約2年後の2026年に、クスノキ植栽100周年(現在137本が残っている)を迎えることになった。 クスノキを植えた県下27の行政の皆さんと一緒に100周年を祝いたい・・・。

大正15年(1926年)2月11日当日の写真

 

 

 

 6/16 6月19日は福岡大空襲の日」 ←クリック 

 

昭和20年(1945年)8月15日は終戦日。 それより約2ヶ月前の6月19日の深夜、福岡市街に米軍B-29大型爆撃機の大編隊が飛来し、投下された約1,300トンもの焼夷弾(ナパーム弾)によって町は焼け野原となった。 焼夷弾(ナパーム弾)とは、日本の家屋が木材と紙で建てられていることから、火災を起こすことを目的に開発された新種の爆弾だった。 毎年6月19日の「福岡市戦災死没者追悼式」では、死没者のご冥福を祈りながらも、平和を願い、この悲劇を伝えて行かねばならない。

旧奈良屋国民学校(現博多小学校)近辺の被害地(博多湾の先に志賀島と玄界島)

 

 

 

 7/12  「長政 関ヶ原之勇(飾り山笠2023)」 ←クリック

 

5~6年前の山笠から、人形師:中村信喬氏の作品を追い掛けている。 今年は2作品が発表されたが、中洲流 表の「長政 関ヶ原之勇」を紹介した。 慶長5年(1600年)9月、徳川家康の東軍と石田三成の西軍が、現在の岐阜県関ヶ原で向かい合い激戦となった。 東軍に付いた黒田長政は勝利に貢献し、筑前52万石の大大名となる。 この山笠飾りに登場している黒田官兵衛如水井上九郎右衛門母里太兵衛は、現地関ヶ原に居なかった筈だが・・・これは、九州でも東軍と西軍に分かれた戦いがあった、と言う話です。

中洲流 表の「長政関ヶ原之勇」 人形師:中村信喬

 

 

 

 8/29 「岩見重太郎の狒々(ヒヒ)退治と大浜流灌頂

 

8月25日、「大浜流灌頂(おおはまながれかんじょう)」の夏祭りに寄って来た。 「大浜流灌頂」と言えば、町内に掲げられる武者絵大灯篭が有名だ。武者絵は明治中期に、博多の絵師:海老崎雪渓(えびさきせっけい)によって描かれた。 その中に、名島で生まれた豪傑武将・岩見重太郎(薄田兼亮)を描いた武者絵がある。 講談で人気のあった武将であるが、父の仇討を果たし、大阪城冬の陣で戦死するまでの浪漫を書いてみた。

大浜流灌頂 岩見重太郎の武者絵  絵師:海老崎雪渓

 

 

 

 9/13 「飯田覚兵衛と大名町の大銀杏 ① 」 ←クリック

 

飯田覚兵と大名町の大銀杏 ② 文禄の役・晋州城の戦い」に続いた。

中央区役所の斜め向かいの明治通りに面して「保存樹」と書かれた銀杏の大木がある。 説明碑には「ここは、熊本藩の武将・飯田覚兵衛加藤清正公が亡くなったあと、黒田長政公に召し抱えられた時の屋敷跡」と書かれてある。 銀杏は樹齢400年の老木で、飯田覚兵衛が清正公を偲んで熊本城から移植したもの。 加藤清正と飯田覚兵衛は幼馴染・・・黒田長政と加藤清正は共に秀吉に仕えた戦友・・・そして、長政と覚兵衛の関係は・・・? 浪漫に迫ります。

 

 

 

 10/4 「月の引力を感じる有明海沿岸を歩く」 ←クリック

 

関連ブログ  「うっちゃんのJR九州ウォーキング

9年前の2014年10月、少しでも健康の為にと、地元香椎駅JRウォーキングに参加したのが始まりで・・・気が付いたら、あちこち出掛けて50回を超えていた。 それから、コロナ禍もあって参加回数も少なくなっていたが、今年の春編6月3日の福間駅コースの99回目で終わっていた。 そして、いよいよ秋編の最初に参加するコースが僕にとっての100回目参加記念コースとなる。 9月に設定された8コースの中で、どのコースにするか迷ったが長崎線多良駅に決めた。 100回記念と言うことで、奥さんも初めて一緒に歩いてくれた。

大魚神社(おおうおじんじゃ)の海中鳥居 (潮が満ちると参道は海中に沈む)

 

 

 

 10/25 「明石元二郎 ① 日露戦争を勝利に導いた福岡の男

 

明石元二郎 ② 黒田藩明石家の系図」   

明石元二郎 ③ 大名小学校から東京へ」 

明石元二郎 ④ 明治を突っ走った福岡の同胞

明石元二郎 ⑤ 欧州での諜報工作活動」 から、今も投稿が続いている最中です。

福岡藩は幕末の「乙丑の変」で、多くの優秀な人材を失った。 しかし、彼らの一世代後には、明治を引っ張っていく素晴らしい青年達が育っていた。 その中の一人に明石元二郎がいる。 幕末に天神の上級藩士の家に生まれたが、2歳の時に父を亡くし、母の手一つで育てられた。 陸軍参謀本部勤務の時、欧州でスパイ活動に従事し、日露戦争で日本優位に導いた。 陸軍大将に昇進し、最後に台湾総督を務めた。 福岡が生んだ偉人として、もっと多く語られるべき人物だと思う。

陸軍大将:明石元二郎

 

 

 

番外 12/5「ジョン・レノンとハッピー・クリスマス←クリック

 

ウクライナ戦争が1年以上も続き、加えて今年の10月にはイスラエルのガザ地区でも戦闘が始まった。 日本の街中では楽しいクリスマスソングが流れているが、世界の何処かではミサイルが飛び交っている。 1970年(昭和45年)のビートルズ解散後、ジョン・レノンオノ・ヨーコはクリスマス反戦曲「Happy Xmas War is Over」を発表している。 半世紀以上も前の楽曲だが、今年こそ相応しいクリスマスソングのように思える。 そして今年11月、ジョンが残したデモテープからポールリンゴがAI編集を施して、ビートルズ最後の新曲「Now and Then」が発表された。

ハッピークリスマス(ジョン・レノン)  You-Tube編集:香椎うっちゃん

 

 

 

2023年が暮れる。 コロナの行動制限が無くなったこの1年が短かったのか長かったのか・・・

でもコロナ禍だったこの数年の経験は大切にしなければいけないと思う。 そんな意味で、来年もしっかりと生きていかねばならないが、徐々に歳をとって来た感じもある。 ブログ投稿を続けることが辛い時もある。 粋がってないで毎日の過ごし方も変えていく必要があるのかもしれない。 健康に気を付けながらも、そんなことも考えていこう。  来年も宜しくお願い申し上げます。

 

 

うっちゃんのある日の想い・日記

香椎浪漫トップページ

 

年末年始の飲酒運転! みんな見てるぞ!