その7.②学校の閉鎖性

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 私の大学での大先輩にあたる方が40年余り前、教育困難校での教師がどのようにして困難な状況を乗り越えようとするのかを博士論文のテーマにして取り組んだことがある。「サバイバル・ストラテジー(生き残り戦略)」というキーワードで民族学、文化人類学が用いる参与観察という手法を使って教師や生徒の生態観察を試みたものである。

 私自身は素晴らしい論文だ、さすがは博士論文・・・などと単純に感心していたのだが、当の学校現場では必ずしもそう受け取られず、倫理面での批判があったと聞いた。しかし実はこのような、まさに「潜入捜査」でも試みない限り、すっかり村社会化し、自閉してしまった今の学校の内部や実情を探るのはどんなに優れた学者であっても困難を極めるだろうと私は確信している。

 つまり教育行政や学校現場の持つ牢固な隠蔽体質が研究者の学術的研究やマスコミによる真相究明を長年、妨害し、頑なに阻んできたと考えられるのだ。従って学校教育の病状が極めて深刻でその症状は誰の目にも明らかになっていたとしても、肝心の症状を生み出すメカニズムや学校や教育委員会の奥底に潜む病巣を明らかにし、適切な診断を下すことは相当の専門家ですら困難を極めるに違いない。

 それはあたかも医者がウソまみれの記述と空欄だらけの問診票、頭皮をそっとなでるだけの触診、それに体温と血圧の数値だけで脳腫瘍などの診断を行おうとするに等しいほど、無謀な行為だと思われる。

参考記事

「文科省と日教組が結託した治外法権」問題教員にも手出しできない市長の無力

 ダイヤモンド・オンライン 泉 房穂 によるストーリー 2024.10.27

   泉氏の主張には無条件に賛成できない部分もある。たとえば市長が学校教育へ不用意に介入することは公教育の「政治的中立性」を脅かす危険性を強めてしまうだろう。もちろん泉氏のような考えである限り、市長が介入することは学校現場としても大歓迎すべきであろうが、市長の方針によってはとんでもない事態を招いてしまうかもしれない。

   確かに「政治的中立性」を盾にして教育行政は外部からの介入を排除し、「治外法権」の領域を拡大しようとしてきたのかもしれず、その点に関しては泉氏の指摘通りなのだろうが、やはり斎藤元兵庫県知事のような人物がゴリ押しで公教育に介入してくるのはどうか、とも思うのだ。

   本来、こうした問題を解決すべく設置されたのが都道府県および市町村の教育委員会であったはず。戦後間もなく、アメリカの指導によって設置された教育委員は公選制の形を持って民主主義的に選出されていたのである。しかし教育委員会の役割に対する日本国民の理解が進まず、結局、公選制は瞬く間に撤廃されてしまった。長く公教育の運営を「お上」に依存し、ひたすら政治に対しても受け身のままであった国民を、主体的な主権者として育成していくにはそれなりの時間と施策が必要であったに違いない。戦後間もなくの段階での教育委員公選制は確かに時期尚早と言えた。

   教育委員は結局、学校の管理職候補と管理職で占められてしまい、結果的に学校と教育委員会との馴れ合い、癒着が進んでしまった。これが学校の不祥事隠蔽事件多発の土壌を生み出してきてしまったと考えるが、いかがだろう。

   相次ぐイジメ隠蔽などの学校、教育委員会による不祥事隠蔽事件は、教育委員会が本来果たすべき役割をこれまで十全には果たせてこれなかった側面が極めて大きいのではあるまいか。ならば、今、見直すべきは人事を含めた教育委員会という組織のあり方の方であろう。泉氏のような高い見識を持つ市長ばかりではない、という現状からすれば、市長による教育への介入強化はやはり好ましくはあるまい。検討すべきはむしろ教育委員公選制復活を視野に置いた、教育行政の民主主義化、自由主義化の方ではあるまいか。

 かなり遠回りに思えるようだが、教育委員会の抜本的組織改革が実現するには、まず児童生徒や保護者らが学校運営に積極的に関わっていく各種の工夫やシステムを構築して、国民の多くが望ましい学校運営とはどういうものなのか、ある程度の見識を持てるようにしていく努力が欠かせまい。そういった点でも児童生徒の主体性、当事者意識を育む授業改革は教育行政改革に向けた地道な一歩であると考える。特に社会科授業で学校教育問題を積極的に取り上げて児童生徒に議論させる取り組みは今後、一層重要となってくるであろう。

『あさイチ』学校内での「盗撮」にスタジオ騒然…博多大吉「途中から気持ち悪く

 なってきた」ゲストも激怒 中日スポーツ 2024.7.3

 一見、授業では使えそうもない記事のように感じるかもしれない。しかし使い方次第では面白い教材に化けるだろう。なぜこんな事が学校で起きているのか、まず生徒たちに考えさせたい。

 みなかみ町下半身検診問題や学校での盗撮問題、イジメ事件とその隠蔽問題などに共通するのは、学校が、自己責任を問われる大人社会と隔絶された奇妙な聖域、密室、ブラックボックスと化し、今や良からぬことを密かに行う場として最適な場所になってきているという点である、と私は考えている。

 「学校の中ならバレない、教師にバレたとしても大事には至らない」という心理的安心感も、学校での犯罪行為を後押しする大きな要因と考えられる。実際、余程のことでなければ警察官が校内に立ち入ることは無い。警察官が校内に立ち入ることを極端に嫌悪する管理職や教員は極めて多いし、事件を大事にしたくない多数の教師たちは結果的に「臭いものにはフタ」をしがちである。これらの要素は犯罪者やいたずら者にとって極めて好都合であり、実際、犯罪の横行する条件が現在の学校にはフルで揃っていると考えるべきだと思う。

 学校という場が現状として何だか無法地帯のような空間となってしまった背景には一体どんな要因が潜んでいるのだろうか。一つには教師の目が行き届かない「死角」が校内には少なからず存在しており、かつ教師数の不足や過重労働によって教師自身、生徒たちの動きを十分、追えていない点がまず考えられる。さらに少なからぬ教師たちが過重労働のもとで責任逃れをしたいがために事件の隠蔽や見て見ぬふりをする。そしてそうした教師たちの姿を児童生徒らは日常的に観察している。こうした点も、校内での教師や児童生徒たちによる事件を頻発させている大きな要因だろう。

小2男児が頭打ち嘔吐、担任ら保護者の要請断り45分間救急車呼ばず…頭蓋骨骨

 折など診断 読売新聞 によるストーリー 2024.6.6

 この件では主に二つの事が懸念されよう。一つは頭を打って嘔吐した、という、非常に危険な状態への認識に甘さがあったのでは…という点。常識に見て一刻を争う事態であり、容体を静観している場合ではあるまい。にもかかわらず、担任や養護教諭がただちに救急車を呼ばなかった…となれば担任や養護教諭の頭部打撲に対する認識の甘さ、知識不足が強く疑われる。本来ならば知識と経験豊富な養護教諭が真っ青になって救急車を手配する場面だろうが、なぜ、そうしなかったのか、理解に苦しむ。

 もう一つは学年主任や管理職の判断を待つために無駄な時間を費やしてしまった可能性。「ほうれんそう」、すなわち管理職への報告、連絡、相談を欠かさない姿勢が学校現場でも強く求められてきたが、それが行き過ぎると教師個人の判断力が鈍り、責任感も分散しがちとなる。管理主義の行き渡った小学校では教師個人による即断即決、緊急対応の力が十分に養われない可能性は大いにあるだろう。

 似たような学校における緊急事態への対応の遅れはこれまでも頻発してきた。最も悲惨な例は東日本大震災時の大川小学校での悲劇だろう。これはまだボンヤリとした個人的憶測にすぎないのだが、日本における義務教育段階での行き過ぎた管理主義と集団主義は教師個人の決断力と当事者意識を大きく損なう側面があると思えて仕方ない。子どもたちのかけがえのない命を預かっている、という教師にとって本来、最優先されるべき自覚が日本の場合、どこか蔑ろにされている、という懸念が私にはあるのだ。行き過ぎた集団主義、管理主義の下では教師個々人の当事者意識と責任感の薄さを招き、いざという時の初動の遅れをもたらしているのではあるまいか。

県警本部長「隠蔽」を否定せず 鹿児島、前生活安全部長が指摘

   共同通信 によるストーリー 2024.6.6

   公益通報は社会人にとって本来、重い責務であるはず。上司や組織の違法な行為を知っているにもかかわらず公に通報しない…ケースによってはそのことで生じる社会的損失には計り知れないものがあるだろう。しかし学校や警察、お役所などでは残念ながら市民のために通報、公開すべき事案を隠蔽する事件が頻発しているように見える。しかも勇気をもって通報した人が処罰されてしまう、職場にいられなくなってしまう、自殺に追い込まれてしまう惨いケースも少なくはないようだ。

 だが公的な立場にある人こそ、公益通報の責務は重くしなければなるまい。特に政治家の側近、秘書などはこれまでもっぱら政治家の悪事の手先、協力者とされてしまいがちだったような印象が強い。しかし政治家の秘書とは本来ならば自分が仕えている政治家の悪事を知ったならば市民のために直ちに通報すべき立場に置かれているはず。でなければ市民社会を守るべき政治家の秘書としては完全に失格であろう。口の堅さが秘書の資質とされがちな日本の政治風土こそ、異常なのではあるまいか。

 こうした閉鎖的な職場風土は他の公務員社会でも同様であろう。警察や学校だって公務上知りえた秘密を口外してはならない、とする原則が各種の隠蔽事件の続発をもたらしているのではあるまいか。

 今後は公務員の場合、守秘義務が適用されるケースを情報のリークによって一般市民に大きな被害が及ぶ場合に限定すべきだろう。守秘義務を悪用して公益通報の理念を形骸化しようとする今までの日本社会の陰湿な風潮にそろそろ反旗を翻す時ではあるまいか。

 ※参考動画

  #656 【塩ちゃんねる】鹿児島県警の隠蔽がついに~長くかかりましたが、ようやく始まったば

   かり~ 塩ちゃんねる 2024/06/06 4:41

  ◎鹿児島県警元幹部「闇を暴いてください」元キャリアも指摘する異例さ【サタデーステーショ

   ン】 ANNnewsCH  2024/06/08 10:31

  容疑者コメント「本部長でなければ誰でもよかった」名指しの幹部を変えた理由 鹿児島県警情

   報漏えい事件 (24/06/10 19:20) 鹿児島ニュースKTS  2024/06/10 2:41

  〇【留置場で遺体となって発見】警察官が取調室で暴行か「右足にアザ」が 法医学者が異例の告

   発 密室取り調べの実態 「取調室はブラックボックス」| 

   カンテレNEWS 2019年5月21日 9:12

   密室の怖さは学校にもある。 

 

 なぜカッパは学校の閉鎖性、責任逃れの隠蔽体質を強く問題視するのか…については以下を参照してください。そこで学校の根深い隠蔽体質を繰り返し、指弾しています。多くの学校教育に関わる問題の根っこにこの隠蔽体質が潜んでいるとカッパは睨んでいるのです。

 

 →§7.カッパの伝言板その5.1980年代以降の学校教育を巡る言説に関する私的覚

   え書き①

 →§3.学校教育編その1.画一的、管理主義的教育の弊害前編

 →§3.学校教育編その2.学校の隠蔽体質前編・中編・後編

 →§3.学校教育編その7.揺らぐデータの信頼性