カッパの伝言板53 高校教育の無償化
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
参考記事
〇高校無償化 「公立離れ」は放置できない 読売新聞 2026.4.10
…公立高には、地域に住む生徒の教育機会を確保し、多様な学びを提供する役割がある。このまま衰退させては、国の教育にとって大きな損失になるはずだ。公立は7割の生徒が通う普通科のほか、工や商、農業などの専門学科、普通教育と専門教育を合わせた総合学科などがある。このうち改革が急務なのは「授業が大学入試偏重で画一的だ」との批判がある普通科ではないか…
この記事には大きな違和感を覚える。確かに職業高校とよばれる高校や専門学科を持つ総合制の高校にはそれなりの施設と専門的な知識や技術を持つ教員が一定数必要であり、公立高校の果たす役割は小さくない。しかし地域によって大きな差異があるものの、そうした高校の多くはこれまで定員割れを繰り返してきた。特に農業高校や商業高校などはかなり以前から統合や廃坑の憂き目にあったケースが少なくない。
高校の無償化とは無関係に職業科を持つ公立高校の衰退はとっくの昔から始まっていたのである。加えて施設の整備にそれなりの出費を要する職業科の存続は財政難に直面する自治体の重荷にもなりがちである。
普通科全日制高校の「授業が大学入試偏重で画一的だ」にも高校の現状に対して大きな誤解が潜んでいるだろう。普通科の過半は既に学力の不十分な生徒や学習意欲に欠ける生徒たちで一杯となっている。現在の公立高校においては「大学入試偏重で画一的」かつお気楽な授業が行えている、許されている高校自体、相当程度、希少となっている。中位校以下の高校(中位校の過半を含む)では今や大学入試偏重の授業など出来るはずがない。むしろ勉強嫌いや学力不足で教科書を持たない、教科書を読めない生徒たちの存在を前提とする新たな授業の創出に苦しんでいるのが、大方の教師たちの実状である。
公立の普通科全日制高校の没落もまた都市部ではとっくの昔から始まっていたのだ。それにともない、授業の画一性自体が高校の学力ランクの差異に応じてある程度まで崩されてきたのが公立の現実であろう。以前から格差拡大に寄与してきた公立高校の現場はもはや授業の画一性を許してくれるほど平和ではない。
…文部科学省は2月、高校改革の基本方針をまとめた。AIに代替されない能力や個性を伸ばすことを目標に掲げ、普科の再編などを通じて、理系人材の育成を強化するよう求めている…
とのご託宣であるが、あきれてものが言えなくなる。そもそもマスコミのくせに文科省の提言を疑うことも無く真に受けていること自体、滑稽であろう。アノ文科省が白々しくも「AIに代替されない能力や個性を伸ばす事を目標」に掲げているというから、片腹痛い。個性を圧殺して画一的で管理主義的な公教育を作り上げたのは、一体、どこのどなたであったのか…
まして「普通科の再編などを通じて、理系人材の育成を強化」などときれいごとばかり並べておきながら、必要とされる人員と予算はロクに確保できていない…生意気にもほどがある。予算無し、余裕無し、教員不足のブラック化した学校現場をダラダラと放置しておきながら、教師への要求だけは見事に一丁前。
この提言、結果的には公立高校教師をこれまで以上に長時間タダ働きさせてブラック化を加速させるつもりなのだろう。実はきれいごとを並べて学校のブラック化を募らせることこそ文科省の官僚の腕の見せ所であり、古式ゆかしき伝統的な得意技といっても過言ではないのだ。
どうやらこの記事で露わになった読売新聞の高校に対する認識は少なくとも30年程昔のまま、ほとんど更新されていないようだ。こんな寝ぼけたことを言うヒマがあるなら、まずは同病の文科省官僚と手を携えて高校の現状をしっかりと自分の眼で確認してみたらいかがか。
何はともあれ、マスコミと文科省、特に政治家たちには一刻も早く学校への認識をアップデートしていただきたいものである。
〇今春の公立高校入試で33道府県で平均志願倍率が1倍下回る…私立含む授業料無
償化で「公立離れ」加速か、読売調査 読売新聞 2026.3.22
…愛知県教委の担当者は「今まで私立高は滑り止めとする生徒が多かったが、第1志望とする生徒が増えた。無償化の影響が出ている」と述べた。岡山県教委の担当者も「中学生の進学希望の調査で、私立高を第1志望とする生徒が200人以上増えた」と話した…と猫も杓子もズレまくった解釈をどの教育委員会も繰り返している。このままでは確かに公立離れは加速し続けるだろう。
…早稲田大学の菊地栄治教授(教育社会学)は「公立の志願者減は続くだろうが、定員割れを基準に統廃合を進めると、地域から高校がなくなってしまう。多様な生徒を受け入れる公立の価値を再確認し、国と自治体が連携して支援する必要がある」と指摘している…とのことだが、これは本当に菊地教授の言だろうか。ほとんどの公立には「多様な生徒を受け入れる」価値など、あるわけがない。そもそも慢性的な人員と設備の欠陥、不足によって公立には多様な生徒を受け入れるキャパシティが完全に欠けていたはず。むしろこれまで無制限に外国語を母語とする児童生徒や、重い障がいをもつ児童生徒、非行傾向の強い児童生徒を受け入れてきた事自体が間違いであり、詐欺行為そのものであった。
にもかかわらず受け入れてきたのは公立のキャパシティの有無とはまったく無関係であり、受け入れへの政治的圧力がかかっていたに過ぎない。つまり公立は「多様な生徒」たちをやむを得ずに、無理を承知で受け入れてきただけ。それがむしろ公立高校のブラック化と教員不足を加速させ、児童生徒の公立離れをも加速させてきた主な要因の一つですらあった。
繰り返すが、今の公立に多様な生徒を受け入れるだけの余地が無いどころか、その能力、意欲、資格すら無い。それはあたかもほとんどの学校が災害時に大勢の避難民を受け入れるだけの設備を持たないクセに、上から命ぜられるがまま、避難先としての指定を受けている、といった詐欺的な現状が続いているのとまったく同じ原理である。設備不足を重々承知の上で管理職らは自分たちの保身のために避難所を引き受けているだけに過ぎない。しかも設備改善のために校長らが奔走してきた形跡は現状から見てほとんど見られない。「多様な生徒を受け入れる」公立、という印象をバラまく事自体も同様に、まさに詐欺そのものなのだ。
これは児童生徒の安全を最優先し、慎重な配慮を重ねて実行されるべき修学旅行で死傷者を大量に出してしまった高校と類似する構図である。生徒たちの有意義で楽しい行事であるはずの修学旅行が、一部の教師たちの不注意、怠慢と団体の判断ミスとによって、救助された高校生たち全員に深刻なトラウマを刻み付けてしまった。一生、楽しい思い出として記憶に残るはずの旅行が、最悪の「黒歴史」となってこの先長らく、辛い気持ちから彼らが解放されることはないだろう。
できないことは潔くできない、として正直に断る勇気は教師にも必要であり、八方美人と化した詐欺師になることだけは教師として避けるべきだろう。
◎【「公立いじめ」との声も】授業料無償化先駆けた大阪のいま…公立高校の約4割が
定員割れ『私立有利・公立不利』の状況は“負のスパイラル”生む懸念【教育アドバ
イザー・清水章弘さん解説】 毎日放送 2026.3.15
公立高に安さと近さ(通学面での利便性)のみのメリットしかないのならば、その多くがたちまち淘汰されてしまうのは必然ですらある。「金太郎飴」のような画一性ばかりを謳って上辺だけの教育の機会均等、公平性を担保する傍ら、生徒,保護者らの要望、需要に真摯な姿勢で向き合うことをしてこなかった公教育が崩壊すること自体はめでたい事であり、学校教育の改革上、むしろ望ましい事ではないのか。
地域社会を支える役割を公立高校に求めるのはどう見ても無理であり、ムダですらある。穴だらけのザルにジャブジャブと水を注ぐようなものだ。地域社会を支えるだけの力が公立高校にほとんど残されていないことぐらい、とっくの昔にバレてしまっているはず。もっと現実的に考える必要がある。公立高校の立て直しにこれ以上の税金や労力を投入するくらいなら、高校教育を私学にすべて委ねて、自由競争を旨とする市場の法則で人気の無い高校を淘汰させた方がまだマシな結果になるだろう。
私学に通学できない生徒は通信教育で授業を受け、社会性を養う部活動は公民館などの社会教育施設に全面的に委ねる。体育や芸術の教科を高校から無くして一日の授業時間を5時限のみとし、残りの時間を社会教育に任せるのだ。そして体育科や芸術科の教師はもっぱら社会教育施設に勤務する…このくらいの強烈な改革を断行しなければ有益な高校教育改革など決して実現できまい。
〇公立高校の志願倍率、33道府県で1倍切り 私立無償化の影響か
毎日新聞 2026.3.10
「私立無償化」という表現は誤解を招きかねないだろうが、高校授業料の無償化措置が受験生の公立離れを加速したのはほぼ間違いあるまい。
ところで47都道府県中、33道府県で1倍を切った、という事は驚くべきことに都立高校が1倍を切らずに済んだ、ということをも示唆している。では都立高校の人気が回復したのかというと、もちろんそうとは限るまい。そこには千葉県の公立高校の受験倍率が1倍を超えているのとほぼ同じ理由が潜んでいるだろう。
都道府県の各教育委員会には多少、程度の差があるものの、ここ20~30年の間に公立離れの傾向が全国的に生じてきていたことは、共通認識として当然あったはずだ。したがって次年度の公立高校全体の入学定員を少子化の流れに沿って予め減らしておくだけではなく、公立離れをも考慮してかなり多めの定員削減を行っていた都道府県が数多くあったに違いない。
予め大胆な入学定員の削減をしておけば、定員割れの規模を縮小し、定員割れの高校を少なくして二次募集の負担軽減を図る事ができる。加えて大幅な定員割れで露呈してしまう「公立離れ」という「悪しき」印象も多少は緩和できるかもしれない。早くから私立高校進学者が増えていた東京都も、その程度の事はとっくの昔に予見できていたに違いない。
したがって「公立離れ」の実態を本当に把握するためには、公立高校の志願倍率なんぞを見るよりも、全受験生に占める公立高校受験者数の割合、あるいは高校進学者総数に占める公立高校進学者の割合の方を直視すべきなのだ。その動態は過去20年間程度の年次変化を見れば一目瞭然のはず。マスコミならばその程度の統計くらいは独自に算出して掲載すべきだろう。よそからすぐ手に入るレベルの統計をそのまま紹介するだけであるならば、余りにも記事のレベルが低い、というほかあるまい。
〇倍率0.69倍、前年度下回る 県立高一般入試倍率 宮崎 朝日新聞社 2026.2.20
「0.69」倍というのはさすがに衝撃的な低倍率である。まさに衆院選における中道の歴史的大敗に匹敵するレベルだろう。しかし、中道の壊滅的敗北と同様、この現象は決して意外な事ではない。公教育の没落はとっくの昔から始まっていたのだ。むしろ、こうなるのが遅すぎた、というべきなのだ。
「安かろう、悪かろう」の公教育がこれまで何事もなく延命できてきたのは長期にわたった日本のデフレ不況のお陰であり、既に「安価」以外の公教育のメリットはほほぼ、消失していたはずである。この「失われた30年間」、公教育はある意味、無駄に延命してしまったのである。しかし、景気回復と高校の無償化によってようやく日本の公教育に年貢の納め時が来たのだ。
次年度以降、多くの都道府県が宮崎県と同じ道を猛烈に加速しながら追随していくであろう。これは決して悲しむべきこととは限るまい。また都道府県教委、各学校や教師たちの責任を厳しく問うべきでもあるまい。公教育をここまで悲惨な境遇に陥れた責任の過半はもっぱら政府、文科省にある。
〇【全掲載】宮崎県立高校一般入試 志願倍率一覧(変更前)過去10年で最も低い0.73
倍に 私立高校の授業料実質無償化が影響か FNNプライムオンライン 2026.2.18
「宮崎県立高校の一般入試願書受け付けが2月18日正午に締め切られた。全日制の定員3873人に対し、志願者数は2814人。志願倍率は0.73倍で、前年度を0.11ポイント下回った。過去10年間で最も低い数字となっている。全日制34校のうち27校で、学校全体の倍率が1倍を割り込んでいる。県教育委員会は、私立高校の授業料実質無償化が要因の一つと見ている。」
授業料無償化が公立離れを加速することは誰でも予測できただろうが、本質的な原因は公教育の没落にある。こうした事態は教育委員会とは違い、公教育を淘汰させることで学校教育全体の質を向上させることに肯定的な立場からすれば、かなり好意的に受け止められるだろう。
とはいえ、各教育委員会が公立離れの原因を自分たちにも求める謙虚な姿勢がなければ、今、公立高校に通っている生徒や保護者への顔向けは出来ないはず。
〇授業料実質無償化で私立高校に追い風「志願者数3倍超」「専願生で定員充足」
学校側「強みを再評価してもらえる機会に」と期待
FNNプライムオンライン 2026.2.4
この現象を周囲が私学への「追い風」などと微温的な表現をしている限り、人々は公教育の停滞と腐敗から目を背け、結果的にその没落をくいとめる事はいよいよ難しくなるだろう。これは私学への追い風などではなく、私学の生徒募集における高額な授業料徴収という大きなハンデがようやく取り除かれた、と率直に表現すべき出来事なのだ。
高校における公私間の生徒獲得競争が授業料に関してはほぼ対等な条件で行われるようになった結果、私学がこれまでイマイチ振るわなかった地方においても突如として私学が公立に勝ち始めている。つまり受験生やその保護者は「安かろう悪かろう」公立、「学校独自の努力に乏しい」公立、「画一的、強圧的で自由に乏しい」公教育に対して、ようやく「NO」を突き付けることが出来るようになった、ということだ。であるならば、これはある意味、高校教育における消費者主権の尊重、選択の自由の保障につながる一つの社会的進歩でもあろう。
私学の少ない地方では長らく私学の高額な授業料の壁に阻まれ、地元の公立を第一志望に挙げるのが通例であった。数多くの公立が進学先に選ばれてきたのは私学の教育よりも公教育の方が優れていたわけでは決してなかった。
これからは東京都や大阪府のように公立高校の没落が加速する一方で、私学間での生徒獲得競争が一層、激烈になるに違いない。高校教育の場で「市場のメカニズム」がどのように働くのか、今後も注目していきたい。
〇<群馬>公立高志願倍率 初めて1倍割れ 東京新聞 2026.2.3
かつて公立王国とも呼べるほどに私立高校への進学率が低かった群馬県ですら、公立の志願倍率が1倍を切るらしい。しかも…高橋章高校教育課長は、少子化や私立高校の授業料無償化、通信制を含めた進路選択の多様化などが要因で考えられるとし、「公立高校の魅力を(生徒や保護者に)伝えられるよう努めていきたい」と述べた…とのこと。この言、呆れ果てるしかあるまい。
県教委としては公立高校の志願倍率が1倍を切ったことの要因を私立高校の授業料無償化や進路選択の多様化、といった専ら公教育の外部的要因に求め、根本的に公教育の改革が迫られている現状から今後もなお、目を逸らしていく姿勢を頑なに貫いていくようだ。
授業料の無償化によって何が変わったのか。ただ単に受験生の獲得を巡る公私間の競争が、授業料の撤廃によって以前よりも多少は公正に行われるようになっただけに過ぎまい。そしてそのちょっとした公正な競争の実現によってですら、公立は私立にたちまち敗北を喫した、ということが事の真相だろう。敗北を潔く認めず、公立の宣伝不足、という軽薄な要因こそが敗北の主因であるかのように装う県教委の責任逃れの姿勢にはただただ失笑するほかあるまい。
とはいえ、公立高校の過半数が定員割れの危険性を帯びてきた根本的な原因は各都道府県の教育委員会レベルなどにあるわけではない。国全体の文教政策を含む国政の巨大な欠陥が招いた当然の帰結が、今、起きている公教育の没落なのだ。
授業では以下のように生徒たちに繰り返し問うてみれば良いかもしれない。「現今の日本で実施されている学習指導要領は本当に高校教育にも必要なのだろうか?諸外国では高校教育への統制、画一化をどの程度行っているのだろうか?」「大学にも学習指導要領のような、国家による授業内容への統制、画一化の仕組みがあるのだろうか?またそれはどれほど必要なのだろうか?高校と大学との本質的な違いはどこにあるのだろうか?」
小学校や中学校のような義務教育段階では、ある程度まで教育内容への統制が必要だ、というのはほとんど議論の余地があるまい。しかしAIの急速な発達の中では今後、どの程度まで統制すべきか、何を教えるべきかは大いに議論すべき段階にきている。義務教育ではない高校段階ならば、なおさら、教育の根幹から見直すべき点は多い。それがなぜ、現時点まで根本的な改善がなされてこなかったのか?その謎に私たちはもっと注目すべきだろう。
10年に一度のペース(これ自体が現状ではあまりにも間の抜けた緩さではある)で見直されてきた学習指導要領は文科省、中教審の指導の下、教育課程検討のための組織(教育課程審議会以下、教科別の分科会まで)が結成され、教育課程改訂の原案を作る。そのプロセスに大きな問題が潜む点は割愛するが、ここではそのメンバーの属性をまずは確認しておくべきだろう。これまでは国会議員と同様、間違いなく高齢者の男性が中心となってきたはずである。近年、多少の改善はあるかもしれないが、やはり高齢者が多い傾向はさして変わるまい。
生成AIの知識、技能に欠ける人物が過半を占めるようなメンバーが、予測困難な10年先までの教育内容を決定できるはずもない。将来への備えにも通じるこの作業は変化が猛烈に加速するかもしれない、先行き不透明な現代において、かなり優秀な若者ですら相当難しい仕事なのだ。
未来に生きる若い人ですら尻ごむほどの難題を、あろうことか引退間際の高齢者があたかも名誉職としてであるかのように、各種の審議会に名を連ねてふんぞり返ってきた。そのことの滑稽さをまずは思い知るべきである。
しかも各種審議会のさらに上に君臨する国会議員の先生方の多くがいまだに生成AIの何たるかを知らぬ、学校教育の進化の何たるかをも知らぬまま、100年一日、時代遅れの陳腐な考えのまま、日本の未来を大きく左右しかねない国政、教育行政に強く関与しているのだから…これまで繰り返し指摘されてきた公教育の停滞も、必然的に不可避であったと考えるべきなのだ。
老害者集団から染み出てくる時代閉塞をもたらす毒素のトリクルダウンが、今まさに日本社会の隅々まで侵し始めているに違いない。やはりこの問題、ただ単に群馬県教委を一方的に嗤って済ませるほど、軽いものではあるまい。
日本は今、何よりも一刻も早く政治家と審議会メンバーの大胆な刷新を進めるべきなのではあるまいか。
〇多くの高校で導入「騙されない為の教科書」とは?【THE TIME,】
TBS NEWS DIG_Microsoft 2026.2.4
こういういかにも皮相な記事が近年、教育関係ではとりわけ目立ってきた。それにしても記事で紹介された「騙されないための教科書」という本の表題が、私的には実に皮肉に満ちていて思わず笑ってしまった。
「騙されない為の教科書」よりも今の高校生たちに一層切実に必要とされているのは、「今の教科書や学校に騙されない為の教科書」の方であろう。当然、後者の教科書は決して文科省の検定を受けてはなるまい。
ネットを通じて世界とつながり、世界の進展に遅れをとるまい、と努力している意識高い系(これは決して皮肉ではない)高校生ならばなおさら、後者の教科書が必要不可欠となる。たとえば10年に一度の、今やすっかり間の抜けたペースでしか改訂されない日本の教科書ばかりを学習していては、世界の進展にむしろ後れを取るだけであろう。そしてもっと重大なのは学校のブラック化によって教師たちもまたその多くが知らず知らずのうちに世界の進展に後れをとりがちになることだ。
日本の学校教育は欧米のそれとは既に周回遅れ、と言われるレベルで遅れており、今も停滞している。もちろん欧米の学校にも欠陥は多いだろう。しかし時代の進展に後れを取らない教育、という観点から見れば日本の学校は恐ろしくなるほど、システム自体がすっかり老朽化したまま放置されてきた。しかも本来、すべての国民が知っておくべきその実態を、日本の学校では決して教えようとしない。そのこと自体が、高校生たちを時代の進展から取り残させてしまう一つの重要な要因とすらなっている。
今の高校生に最も必要なことは日本の学校教育の停滞とその弊害のメカニズムを探る事、知る事であり、これまでの学校教育を通じていつのまにか身に沁み込んでしまった日本の教育の、時代を停滞させてしまう強烈な毒素を意識的にデトックスしていくことだろう。
参考動画
◎【日本の公教育は、古くて貧しい】東京と地方の差が大きい/不登校34万人/知識
の詰め込み方も多様/学校のWiFiが繋がらない/フリースクールの月謝補助を/教
育機会確保法による変化/軍隊教育マインドの名残
PIVOT 公式チャンネル 2025/03/22 29:56
白井氏が指摘しているように公教育の古さと貧しさは確かに日本の学校教育における大問題であろう。そしてフリースクールを含む学校の多様化を生み出すにはまず国家による学校教育への統制を緩めることが必要である。
公教育だから統制を厳しくするのは不可避だ、とするのは教育観の古さと教育予算の貧しさに由来する側面が小さくないのではあるまいか。教育行政の画一的管理主義こそが学校教育の管理主義を蔓延らせている根源ではないのか。
軍隊教育のマインドが残存する学校教師の問題は確かにあるが、そもそも軍隊教育のマインドを持つ政治家と官僚の責任こそ、強く問われるべきであると考えるが、いかがか。教師の質の低下を問う以前に、問われるべき問題は数多くあるはずだ。
〇公立学校の廃校、延べ数は8,850校…現存廃校の活用は7割超
リシード 2025.4.10
このデータが意味しているのは、かつて白井智子氏が指摘したごとく、まさに日本の公教育の古さと貧しさそのもの、であると考えるが、いかがか。
将来的に児童生徒数が大幅に減少していけば、やがて学校の施設や教職員にゆとりが生まれる、一学級の児童生徒数が劇的に減少し、一人一人の児童生徒へのきめ細やかな配慮が可能となってくる…などといった30年ほど前の教師たちが抱いた期待は無残にも悉く裏切られてきた。
むしろかつてよりも教師の負担が増大し、しかも不登校やイジメ件数は増加している。一クラスの児童生徒数が最悪の50人から35人程度まで減少したにもかかわらず、教師たちの中途退職や休職は増える一方となり、教員志望者数と正規教員数とが同時進行で急速に減少し、地方によっては学校としての体裁を保つこと自体が危ぶまれるレベルにまで不足してきている。
今後、高校の無償化が進むにつれて、公立を中心に高校の統廃合は一層加速していくに違いあるまい。そして東京や大阪に限らず、将来的に公立高校はいよいよジリ貧となり、全国規模で一気に縮小、削減されていくのかもしれぬ…
児童生徒数の大幅な減少という、教育環境の改善においてはせっかくの追い風を有効に生かせなかったばかりか、かつて以上に負担増という形でひたすら教師への逆風を吹かせ、教師の疲弊と若者の教職離れを加速させてしまった…教育行政の責任は、今こそ間違いなく「万死に値する」ほど重い…と言うべきではないのか。
〇橋下氏知事時代に教育委員会と激突して進めた教育改革 少子化で定員割れの公立
校に統廃合必要と主張 関西テレビ 2025年3月12日
橋下氏の主張に対し、私としてもかつては新自由主義的な側面を危惧し、大きな懸念を抱いたことがあったが、今となっては十分な説得力があると考える。今日、全日制普通科の府立高校の半数以上が定員割れを起こした背景には公立高校における改革の歩みの鈍さがあるだろう。旧態依然のままの公立はもはや時代の急激な変化についていけなくなったのだ。その責任の過半は学校ではなく、個々の学校の自由な取り組みをひたすら妨害してきた文科省と教育委員会にある。
この公立離れ現象は4月からの「高校無償化」によって瞬く間に全国に拡大するであろう。確かに詳しく政策を見れば、「高校無償化」とは名ばかり、高所得者層のニーズにばかり対応することでさらなる格差拡大へと向かってしまう懸念は大きいが、何はともあれ全国的なレベルでの公立の没落自体は大歓迎されるべきことである。
こうした事態を招いてしまった文科省や教育委員会の責任は極めて大きく、結果的に教育行政全体への根源的批判が大きく広がることを私は願っている。こうした動きが文科省や教育委員会のあり方、教員養成や教員採用のあり方、学習指導要領のあり方などを根本的に見直す、絶好の機会だと捉えたい。
〇知っておきたい!新しい教育の形「メタバースの学校」とはどんな場所?メリッ
ト・デメリットも紹介 saita 2025.3.12
こうした斬新な学校の在り方も視野に入れて高校教育の無償化を論じていく必要があるだろう。税金が投入されているがゆえの制約、不自由さが公立高校にはある。学習指導要領などでガンジガラメに学校を縛り付けてきた教育行政の在り方を根本から見直す上で、先進的な取り組みは大きなヒントとなるだろう。
N高やメタバースを利用した学校を念頭に置くことは柔軟な発想を生み出す上で役立つに違いない。たとえば週の二日は通学し、三日はメタバースの学校を利用する…といったような、まったくタイプの違う学校を組み合わせた通学もOK、とする視点は、学校への固定的な観念を柔らかくほぐし、自由な発想を可能にするはず。
しかし、日本の画一的で管理主義的な教育行政の現状ではこうした取り組みはとりわけ公立学校では極めて難しいだろう。大胆な発想の転換はN高のような私学の取り組みに期待するほかない…違うだろうか。
◎実はデメリットだらけの「高校授業料無償化」 日本維新の会による党利党略で「大
阪府」が丸もうけ AERA dot. 古賀茂明 2025.3.11
古賀氏の意見の多くは確かに正論であるが、やや現実的ではあるまい。公教育の動きを振り返ると、公立高校の改革を望むことをもはや諦めるほかないほどに迷走を繰り返してきたからである。少なくとも今の政府、文科省に本質的で根本的な取り組みは出来ないだろう。まず文科省自体を一度、全面的にリセットしなければ教育改革は前に進みようがないからである。文科省の迷走ぶりについてはブログの随所で指摘してきたのでここでは割愛するが、そのトンチンカンさには呆れるほかないのだ。
どうやら同じ官僚出身の古賀氏の認識には公教育への危機感が、文科省の官僚並みに欠如しているようなのだが、いかがだろう。
古賀氏の論点で特に違和感を覚えるのは「第2に、私立高校への志願者が増えると、財政的に楽になるため、一部の私立はあぐらをかいて努力を怠り、本来は淘汰されるべき質の低い私立高校の温存につながる可能性もある。」という指摘。「あぐらをかいて努力を怠り、本来は淘汰されるべき質の低い」教育を行ってきたのは一体どこのどなたなのか。それは日ごろから淘汰圧にさらされてきた私学ではなく、官僚制の下で上意下達のお役所仕事に甘んじて責任逃れに終始し、学校経営の当事者意識が校長ら管理職たちにスッポリと抜け落ちていた公立高校の方ではなかったか。
続発してきた学校、教育委員会によるイジメ事件等の隠蔽工作、入試を巡る数々の不祥事、繰り返される部活動や学校行事における体罰や学校事故などはまさに中央集権的で画一的管理主義をとってきた教育行政の有り難き賜物というほかあるまい。
文科省の致命的欠陥は地方の教育委員会以下、学校現場の実情にまったく無頓着で興味関心が無い、という点である。このお役所の現状把握の意欲の低さは驚くばかりであり、教育現場への認識能力が大きく欠ける組織にまともな教育改革を期待する方こそどうかしているのだ。教育予算を引き上げて教育の質向上と教育環境の整備、充実、とりわけ教師の労働環境の改善に早急に努めなければならない中での、文科省が次々と打ち出す的外れな政策の連打にはもはや絶望しか感じられない。
高校の無償化が公立高校の衰退を招いたとしても、それが直ちに高校教育全体の荒廃を招くわけではあるまい。私学、公立を問わず、高校における学校間格差は極めて大きい。むしろ当初は「安かろう、悪かろう」の公立が真っ先に淘汰されることで一時、学校の質が整う可能性だって無きにしも非ず、なのだ。これは古賀氏の言う、暴論などではない。それほどまでに文科省直轄下の公立高校は行き詰まり、停滞を極めている…違うだろうか。
私学のN高のような、新鮮で大胆な取り組みを、公立においてはひたすら妨げてきた教育行政の在り方を変えない限り、公立高校の再建は不可能であろう。つまり私たちが教育改革への期待を寄せられるのは個性的で大胆な私学の試みの方ではないか。したがって公立中心から私学中心へと高校教育の軸を変えていく事こそ、現状では高校改革の王道であり、「正義」であり、「正論」そのものかもしれないのだ。
ただし私学中心の高校改革を実現する上で重要な条件がある。当然すぎる事であるが、市場における自由競争に委ねればダメな学校が淘汰されて自動的に教育の質が向上する…とは限るまい。これは古賀氏の懸念する通りであろう。今後、どのような高校教育が望ましいのか、意見は大きく分かれる。今こそ、じっくりと腰を据えて現状をきっちりと把握した上で、時間をかけて検討を繰り返し、根本的で効果的な改革の道筋をつけていく時なのではあるまいか。
その検討を始めるためにはこれまで教育予算を削り続けて子ども、若者、女性を見下してきた老害政治家たちを政界から追い出す事が先決となるだろう。そのためにも政権交代がまずは必要不可欠となる。さらに文科省とは独立した審議会を設けて教育改革の方向性を定めていく必要が出てくるだろう。
「国家百年の大計」…拙速は禁物なのである。
〇ちょっと待て!「高校授業料無償化」で得するのは年収910万以上、私立に通わせ
る恵まれた世帯のみだ/佐藤治彦「儲かる“マネー”駆け込み寺」
アサ芸biz 2025.3.10
国民民主党が主張する「103万円の壁」の撤廃に対抗するために維新や立憲民主党と「高校無償化」で手を組み、政府の予算案を通過させて「103万円の壁」問題から国民の目を逸らそう、骨抜きにしよう…という魂胆を感じて政府に反発する声が出てくるのは至極、当然のことである。しかし高校の無償化自体はいずれ必要だろう。そして無償化の結果、公立高校が淘汰されてしまう事には、もちろんマイナス点があるだろうが、積極的な意義もまた見い出せないわけではあるまい。
加えて高校の無償は年収910万以上の恵まれた世帯のみ得をする…とはあまりにも視野が狭い指摘であると思うがいかがか。たとえ通学が不便でも我慢して遠隔地の公立高校に通っていた児童生徒にとっては、公立高校の没落によってバスの送迎でたやすく私学に通えるようになった方がよほど助かる話であろう。一部の私学の通信制高校では極めて意欲的に授業改革を推進しており、公立高校での「金太郎飴」のような没個性的授業を受けるよりは遥かに有意義な授業を受けられる可能性がある。地方にはびこる保守的な公立高校信仰を払拭する上でも、公立高校の衰退は高校教育全体においてむしろ極めて有益なのではあるまいか。
〇高校無償化「ますます教育格差進む」…知事、政府予算案修正案受け
読売新聞 2025/03/07 12:00
公立高校への依存度が高い地方では今後、少子高齢化の急速な進展に伴い、通学の便の悪さがさらに増大し、生徒数と教員数の不足による公教育の質の低下がいよいよ放置できないレベルまでに達していく可能性があるだろう。富裕層と貧困層との教育機会の不均衡は確かに問題であろうが、児童生徒の居住地間における教育環境の格差拡大にも目を向けるべきであると思うが、いかがか。
地方の私学の多くは送迎バスを用意して広範囲から生徒を集め、定員拡充や受験倍率の向上に努めている。一方、予算の無い公立高校は生徒たちの通学上の不便を解消する手立てをほとんど講じられていない。公立高校しか存在しない地域では私学こそが通学上の不便を解消してくれる唯一の高校なのであり、地方においても私学に進学希望者が殺到するようになるのは必然的なのだ。
現在、高校の無償化に対して経済的格差拡大の観点から盛んに批判する風潮が見られるようだが、無償化は公立の没落を招くことでむしろ格差の縮小と教育の質の向上にもつなげられる可能性を持っている、といった考えも成り立つはず。
無償化に反対する人々は、本音の部分では批判する目的を格差拡大への懸念には置いておらず、教育への国家統制を強化、ないしは維持することに主眼を置いて批判しているのではあるまいか。私学よりも公立の方がより画一的であるがゆえに文科省や教育委員会の統制下に置きやすい…したがって公立高校の衰退は好ましくないと考えている向きは、おそらく保守的勢力において決して少なくあるまい。
〇高校無償化は「地方公立に不利」 細る通学の足、私立は県境越えバス
朝日新聞社 2025.3.9
高校無償化が公立高校の没落を加速するのは大阪府や東京都の現状を見れば明らかであろう。最大のポイントは公立の没落が高校受験生にとって不利になるのか否か、である。すなわち全国すべての公立高校が消滅し、すべて私学となってしまう事でどんな事態が予想されるのか、よくよく考えておくべきだろう。
朝日新聞が指摘するように、通学の便からみて私学は圧倒的な優位に立っている。
交通の便の悪い地域の生徒たちはこれまで、本数の限られた電車やバスを乗り継いだりしながら1時間以上、場合によっては2時間近くもかけて遠くの公立高校に通学している。当然、放課後の部活動に参加することは極めて難しい。地方のこうした地域では私学が存在しないことが多いので、今まで進学先に私学の選択肢はほとんど視野に入れていなかった。そうした地域に私学のバスが自宅近くまで来てくれて送り迎えするようになれば、進路先にもっぱら私学が選ばれるようになるのは必然であろう。
私学の中にはドワンゴ学園の様に通信教育を柱にして全国から大勢の生徒たちを集めている学校もある。少子高齢化が進み、ローカル鉄道やバス路線の廃止、縮小が進む厳しい地方の現状がある。したがって今後、一層多くの中学生たちが通信制をも含めた私学を有力な進学先として視野に入れてくるに違いない。無償化が進めば、何も無理して地元の公立へ進学する必要は無くなるのだ。結果的に公立高校の多くは淘汰されてしまうだろう。
仮に公立高校へ通学するメリットがあくまでも教育費負担の軽さだけであったとしたならば、無償化の結果、公立高校が消滅していくとしても地方の中学生にとっては痛くもかゆくもあるまい。むしろ学校経営の個性と手腕が問われる私学を軸とした高校教育の方が選択肢の幅が広がり、受験生のメリットは大きい。これまで公立高校でも個性化が進められてきたものの、公立はやはり予算の制約が大きく、限界がある。たとえ授業がユニークで面白い、といったことなどで人気のある教師が複数集まり、高校の評判が一時的に良くなったとしても、公立では瞬く間に教師たちが異動してしまう。公立の評判は一部の伝統的進学校を除くとそのほとんどは極めて不安定。しかし教師たちの顔ぶれが急激に変化しない私学の評価は経営側が大きく失敗しない限り、さほど変動はない。
経済的負担の軽さ以外で公立高校へ通学するメリットはあるのだろうか…おそらく無いだろう。もちろん個々の学校をつぶさに見れば、状況にはかなり学校間格差があるだろうが、総じて通学の便、施設の充実度、個性的な学校経営…ほとんどの観点において、私学は公立よりも有利である。結論として今後の高校教育は私学が軸となっていく他あるまい。
もっとも私学に負けてしまう責任は公立高校側にはほとんど無い。先進国の中で教育予算が最低レベルまで低い、教科書検定制度など、公平さを求めるあまりの行き過ぎた画一的で管理主義な教育行政…つまり、これまでの政治が悪いから公立高校が没落するのだ。そして「安かろう、悪かろう」の公教育が淘汰されていくのは児童生徒にとって、むしろ大変喜ばしい出来事なのかもしれない。
結局、若者や子ども、女性、そして学問や教育を軽視する日本の政治が変わらない限り、公立高校のみならず、義務教育から国公立大学までの公教育全体が徐々に劣化していくのは不可避であろう。
〇「ますます教育格差も」 自公維の高校無償化に、和歌山県知事が苦言
毎日新聞 2025.3.7
高校の無償化が公立高校の志願倍率を下げ、私立高校のシェアを拡大することで教育格差の問題を悪化させるという意見は、保革の立場を超えてかなり多く支持されているように見受けられる。確かに東京都や大阪府のような、公立高校の低受験倍率状況が全国に広がっていくことの可能性は決して低くは無いだろう。
教育無償化を進める本来のメリットの一つは、この政策が一見すると、家庭間の経済格差によって生じてしまいがちな、教育を受ける機会の不均等さへの是正措置となりうるように見える点にある。しかし、維新の会の真の狙いは、それよりも無競争的であるがゆえに自己改革を怠りがちな公立高校の淘汰、すなわち学校間、教師間の競争を煽って公教育の民営化を強力に推進することにあるように見受けられる。そうした立場からは公立高校の没落はむしろ大歓迎されることになるだろう。
ところがこれまで文科省が及ぼしてきた高校教育における影響力と教育内容への統制力の大きな低下を恐れる官僚たちや自民党の保守派は、管理統制しやすい公立高校の没落を必ずしも歓迎しないのではあるまいか。だからこそ和歌山県知事のような論理を用いて高校無償化を危惧し、本音では公教育の保守性を固守せんとする…そういった動きも各方面で見られるのだろう。
教育の画一性を緩め、過剰な管理統制主義を排して児童生徒の個性や多様性、自己決定権を重んじる方向へと大胆に舵を切ろうとするのであるならば、改革への動きの鈍い公立高校の淘汰は少なからずプラスに働くかもしれない。
私立高校のシェアがたとえ半分を超えたところで、和歌山県知事のように教育の格差が拡大すると決めつけるのはいかがなものだろう。実際には、彼の主眼は教育の格差拡大を脅し文句に使って財政負担の避けられない高校教育の無償化を妨害しつつ、公立高校のシェアを守ることで公教育が孕んできた頑迷な保守性の存続を画策することにあるのではあるまいか。
〇高校無償化巡り、教育の質の重要性を石破首相強調「卒業証書さえもらえばよいと
いうものではない」 読売新聞 2025.2.26
〇県立高校一般入試、最終倍率は0.82倍 志願者は3159人
朝日新聞社 2025.2.26
県立の全日制普通科高校の受験倍率が県単位で平均1倍を割り込んだのは宮崎県だけではない。富山県では史上初めて0.99倍となっている。高校教育全体の無償化が検討されている中で、公立から私学へと受験生がかなり流れてきているのだろう。このようなことは大阪府や東京都では以前から表面化していた。当然、早くから予想されていた事態ではある。
競争原理が働かない上に、「金太郎飴」のような没個性の公立をできるだけ数多く淘汰して高校教育全体の質を向上させる、維新の会の目論見はいよいよ全国レベルで進んでいくだろう。しかし、無競争もあって停滞気味の公立高校の没落を今後、加速させていくことが実際に高校教育全体の質を上げていく…という保証は必ずしもない。私学の教育の質が公立よりも本当に高いのかどうか、は多少、議論の余地があるだろう。もちろん、公立高校の質は全体として決して高いレベルではないが…
真っ先にここで問われるのは学校教育における「質の良さ」とは一体、何なのか?ということだろう。石破首相が言葉にする「質の良さ」とは具体的に何を意味しているのか、詳細に問うべきである。学校教育を語る際、抽象的な美辞麗句、理念は誤魔化し、誤解、曲解を避ける上でも語るべきではあるまい。
〇東京都立高の一般入試スタート 全日制の倍率は過去最低1・29倍 無償化が影響か
産経新聞 2025.2.21
大方の予想通り、東京都も大阪府と同様、公立高校の入試倍率が低下している。しかし、それ自体は高校教育の改善に関してプラスでもマイナスでもないだろう。
府立高校や都立高校が多少、統廃合されたとしても高校教育の改善には必ずしも結びつかない。問題は教科書検定制度と共通テストによる授業内容の過剰な画一化や統制強化、教育行政の過剰な管理主義化、知識偏重主義の横行、一斉講義形式の蔓延、肥大化するばかりの学校業務、大学での教員養成教育の遅れ、旧態依然の教員採用試験と管理職登用試験、各高校における不公平な校内人事・・・などなど数多い。これら、山積する難題を学校間、教師間の新自由主義的競争、単純な市場原理だけで解決できるわけがあるまい。法制度の大幅な見直しを前提とする、1980年代の臨時教育審議会並みの、腰を据えた本格的で中長期的な展望に立った議論が、今後は避けて通れない、と考えるべきだと思うのだが、いかがか。
〇「大阪ではタダなのに…」大阪で私立人気高まり公立70校定員割れ 兵庫県の県立高
は独自策で志願者増 高校無償化巡る維新・与党議論は平行線
FNNプライムオンライン 2025.2.11
高校の授業料を完全無償化すること自体に反対する人は少ないだろう。現状として義務化と言って良いほどに高校の進学率は高い。同調圧力の強い日本である。高校への通学を半強制的に強いる日本社会ならば保護者の経済的負担は少ない方が好ましいに決まっている。しかし高校授業料の無償化自体は授業改革を柱に据えた、高校教育の質を高める経営努力に直結するわけではあるまい。
もちろん授業改革を軸に据えて学校の個性化を大胆に推進し、教育の質を高める経営努力を行えるような環境がしっかりと公立高校に存在していれば、授業料の無償化は教育の質を上げていく可能性が出てくるだろう。授業料という壁が取っ払われる分、授業の良し悪しを巡って公立と私立との競争が激化し、授業の質が良くない高校や教師は淘汰され、質の良い教師や高校は生き残る…結果的に高校教育全体の質は向上する…という事態は考えられなくもないからである。
問題ははたして公立高校が授業改革を軸とした独自の経営努力を行えるほどに自由な環境にあるか否か、という点。あたかも金太郎飴みたいに授業内容から授業方法まで均質で、共産主義社会の様に厳重に管理されてきてしまった伝統を持つ多くの公立高校は、決して民間企業のような、独自の経営努力を行えるような環境に置かれてはいない。そもそも校長を含めた教師自体、自分の所属する学校への帰属意識は極めて低いのが現実であろう。
社員ならば企業の成長が自分の生活に直結するため、管理職を含め、私企業の社員たちは会社の経営状態に無関心ではいられない。しかし公立高校の多くの教師は、勤務校の定員割れや中退者の増加に、我、関せず。公立高校教師の多くは運命共同体的帰属意識など勤務校に対してほとんど持っていない。学校経営の責任者たる管理職自体、勤務校の経営に無関心であるばかりか、授業の質を高める事への意欲、知識すら皆無の人物が少なくない。そもそも勤務校へ3年間しか在職しない管理職に独自の学校経営など出来るわけが無いのだ。彼られのほとんどは自己保身に走り、ひたすら不祥事が起きない事だけを欲している。ゴールはあくまでも自身の円満退職とその後の好条件な再就職先の確保なのであり、本音では目の前にいる生徒たちの人生など知ったこっちゃない…
管理職に授業改革の意欲、資質すらほとんど存在しないような公立高校と、少子化の中で必死に生き残ろうとあがき、独自の経営努力、授業改革を強いられてきた私立高校とがこれまでのような公私の「棲み分け」をやめて生徒募集で激しい競争を行うことになれば、その勝敗は明白である。大阪府や東京都の様に公立高校の過半は淘汰されていく他あるまい。もちろん、それは好ましくもあるのだが、視聴率稼ぎに奔走するあまり、不祥事を招いてしまったフジテレビの例もある。中学生の人気取りに走るだけの高校は大きな危険性も秘めているだろう。
特に管理主義的傾向の強い千葉県などでは学校経営という言葉が教師や生徒たちへの管理統制、というマイナスの意味合いでしか用いられてこなかった伝統が濃厚に受け継がれてきた。だからこそ入学試験の志望者が入学定員の3割にも満たない県立高校が毎年のように複数、存在しているのだ。そうした高校を含めて授業の見直しを軸とした独自の経営努力を目に見える形で行っている学校を、私自身も経験したことはまったく無い。
つまり、今、根本から見直すべき重要案件は公立高校の硬直した管理主義、画一的教育の在り方なのである。もちろん、授業料無償化は直ちに実現すべきであるのだが、授業改革もまた別途、真剣に検討されるべきである。ただし、授業改革にあたって先立つものがある。学校のブラック化対策である。授業料完全無償化と教師の仕事の削減は喫緊の課題であり、どちらも蔑ろにはできない。授業料の無償化に加えて、教師たちが自己の授業改善に取り組めるだけの時間的体力的余裕を生み出すべく、学校の仕事量の大幅な削減こそが、現在、真っ先に求められていると考えるが、いかがか。
◎なぜ今になって…? 教育研究者が「日本の公教育の崩壊が大阪から始まる」と嘆
く“納得の理由” 文春オンライン 鈴木 大裕 2024.12.5
新自由主義的な観点から導入された全国学力テストの点数争いと入学希望者数を軸とした学校間の競争が一体、学校現場に何をもたらしているのだろう。大阪府民の多くはこのことにあまり関心が無いようだ。
公教育の解体と教育予算の削減、節約が文科省の真の狙いならば大阪府の取り組みはモデルケースとしてかなり高く評価できるだろう。実際、大阪府の公教育は衰退の道を順調に辿っている。維新の会が大阪府政を掌握してから廃校に追い込まれてしまった府立高校は既に20校以上にも上っているのだ。東京都も大阪府に追いつけ追い越せとばかりに新自由主義的立場からの都立高校再編を矢継ぎ早に進めている。事は大阪や東京に限るまい。少子化という追い風に乗って全国的に公立高校の多くが定員割れを続け、統廃合の嵐が吹き荒れている。
はたしてこれで良いのか、真剣に問い直すべきだろう。
◎東京都立高校の4分の1が定員割れ。授業料の実質無償化で私立or都立のどちらを選
ぶべき? ダイヤモンド・教育ラボ 2024.12.5
いわゆる公立高校民営化の動きは大阪府、東京都で真っ先に先鋭化してきている。少子化への強い危機感をバネにして柔軟かつ大胆に改革を進める私立校の人気は今後、一層増大していくだろう。他方で硬直した官僚主義のシステムに縛られがちになり、改革が遅れ気味な公立校の人気はさらに低下していく。これは教育予算のさらなる削減を狙う都道府県としてはまことに好都合な状態であろう。
少子化に便乗して学校の統廃合を推進し、教職員のリストラも同時に実現できれば、行政としては願ったり、かなったり。確かに地方財政の赤字は緩和されるだろう。しかし選択肢の多い都市部はともかくとして、公立しか選択肢の無い地方はどうなっていくのだろう。実はこの問題もコンパクトシティ構想の枠からすれば想定内であり、財政的に重荷となってきた地方が今後はさらに情け容赦なく切り捨てられてていくことになるのだろう。地方もどんどん「スマート」になっていくのだ。
動きの取れない高齢者も切り捨てられ、公教育の改革は中途半端なまま、公教育の衰退だけが進行していく。現今の教員不足も、都道府県の財政からみれば人件費節約につながり、実に好都合。だからこそ文科省も都道府県も市町村も、軒並み、本音の部分では公教育の改革に消極的なのではないか。行政側は表向き、批判をかわすために「教育改革」を声高に叫ぶが、本当に改革する気は毛頭無い…とすればこれまでの文科省の的外れな弥縫策の連発も、実は本当の意図を知られないための、国民への「目くらまし」戦法として極めて有効なのかもしれない。
何よりも目先の損得勘定を優先すれば、確かにこうしたプランが生まれてくるかもしれないのだが、はたしてこれで良いのか、疑念は尽きない。