㊱討論型授業のキモ

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

【思考心理学】本当に頭が良い人は何を考えているのか?

     深淵回廊@人間の脳と心の仕組み 2026/08/08 14:28

     議論する上での大切なポイントを知ることができる。議論を通じて思考を深めていくために何が必要となるのか、とても参考となるイチオシの動画。討論型授業を行う教師はぜひ視聴しておくべきであるが、生徒にも視聴させて、自分の意見や他人の意見をなるべくメタ認知レベルで理解できるようにさせたい。

否定的な人が組織に必要な理由【失敗を防ぐ思考法】

     Motocrab | 世界構造考察 2026/05/18 26:45

     この動画は討論を軸とする授業をする上での注意点にもなるだろう。自分や誰かの意見が否定された時に、どのようにして批判を建設的な方向に活かしていくのかが示されているようにも思える。教師として、ぜひ視聴しておきたいオススメ動画。

学校教育にも押し寄せるAIの波『生成AIパイロット校』で聞いたポイントは「AI丸

 投げ」ではなく「使いよう」 生徒はAIを「ほぼ友達」

 TBS NEWS DIG Powered by JNN 2026/05/05  4:59

 AIを授業に利用する際の注意点など、参考になるポイントが短時間でつかめる。AIの答えを鵜呑みにしたり、AIに丸投げすることを防ぐ上でも、討論型授業を導入すべきだろう。

参考記事

勉強しても伸びない子必読】頭のいい子が選ぶ参考書は「最小限の解説と図でわ

     かりにくい」のに成績が伸びるワケ     東洋経済オンライン 西岡 壱誠 2026.7.7

 もちろん、分からないことばかりのために勉強嫌いになっている子供たちにとっては、授業の「分かりやすさ」は高く評価すべき重要ポイントの一つとなるだろう。特に算数、数学、理科などの理数系分野でその基礎部分から躓いている児童生徒に対しての、度を越えた授業の分かりにくさはひたすら理数系分野への苦手意識を助長するだけになり、絶対的に禁物である。

 しかし、そうではない児童生徒にとって、西岡氏の指摘は極めて重要であると考える。また国語科や社会科においてはほとんどの生徒にとって重要であろう。もちろん文系教科においても度を越えた分かりにくさは禁物だが、下手な分かりやすさもまた禁物なのである。

 氏が提案している「連想マップ学習法」に類似する学習法を実は私もかつて日本史学習で使ってきた。「連想マップ」とほぼ同じものをたくさん作っては壁に貼り付けて実際につながりを再現、暗唱できるか、幾度も確認する。やがて物事の関連性が浮かび上がり、定着してくる。それまでバラバラだった重要単語がタコ足配線のように有機的に結びついてくる。これは歴史的事象が生じた複雑なメカニズムをつかみ、かつ長期的に覚えていく上で極めて効果的な学習法であった。

 西岡氏の指摘はもっぱら参考書の選び方に関する重要ポイントに関してのものであるが、このポイントは国語科や社会科の授業における注意点とも重なるだろう。一応、私はこれまで授業の重要ポイントとして「面白さ」、「役に立つ」、「分かりやすさ」の三つを三種の神器のようにして強調してきた。しかし「分かりやすさ」の持つ負の側面にも注意してきたつもりである。「分かりにくさ」の効用は意外なほどに大きい。

 この適度な「分かりにくさ」に加えて授業を意識的に中途半端に終わらせる手法も取り入れると、児童生徒はより「自分で考える」学習に誘導されるだろう。そのためにも授業中、討論を通じて様々なものの見方を知る機会を設けるべきなのだ。

教員志望の学生「知識がなさすぎる」大学の危機感

     東洋経済オンライン吉田 渓 2026.4.6

 教員の質低下の原因は多岐にわたる複雑なものである。教員採用試験の倍率低下は教員採用の入口の問題だが、他にもこの記事で指摘されているように教員養成教育のレベルの低さも大きな問題である。やはり教員養成教育を根本から見直して再編成し、大学院の修士課程修了を教員免許状取得のための最低条件とすべきだろう。

 質低下の要因はまだまだある。教員に採用されてからの、学校現場の環境の悪さも教員がなかなか成長できない大きな理由の一つである。官製研修のお粗末さ、学校の異様なまでのブラック化が本来、教員が持っているはずの能力の発揮を大きく阻害している事も、決して見落としてはなるまい。学校のブラック化こそが結果的には教員の質を一層、低下させているはずである

 つまりこの記事で紹介されている教員養成教育に携わっている「長野(仮名)」氏の指摘には一部、大きな違和感が残るのだ。教員の知識量の低下、だけではなく教員の考える力の低下までが深刻であるのは、当然のことながら教員養成教育段階での教育の質が低いからでもあろう。教員の知識の欠如は探求学習の重視によって知識の獲得が疎かになっているからだ…などといった短絡的な決めつけは大きな間違いのもとなのではないか。

     大学での教員養成教育段階で探求型の学習機会がどれほど用意されてきたのか、も問われるはずだ。知識が実際の従業で役立つまでに応用力を帯びてくるには、授業に関する知識を応用実践する機会が学生たちに豊富に用意されている必要がある。つまり学生一人一人が濃密な授業実践をどれほど繰り返してこられたか、がやがて教員の質を大きく左右していくはずである。

 従来型の授業こそが、深い理解を抜きにした表層的な知識の丸暗記を生徒たちに強要し、学習への嫌悪感を増幅してきたのではなかったか。その結果、大学生の質の低下をも招き、授業で応用のきかない教員を大量に生み出してきたのではなかったのか

 作者や出題者の意図を忖度させる、といった下らない出題を生み出すような従来型の発想が国語教育を堕落させ、日本人にありがちな「忖度マシーン」の大量生産に貢献してきた…いかにも長文読解に一つの正解があるかのような錯覚をまき散らし、やたらに忖度能力を高めて挙句の果てには作家名や作品名、文法、漢字の読み書きの丸暗記を徒に強いてきた…そうした古い国語教育の悪しき側面への深刻な反省が国語教員の養成に携わる人物に微塵も感じられないのは実に不思議である。

 国語教員の養成に関わる方ならば、まずは率先して従来の国語教育自体を根本から見直しておくべきだったのではないか。そして自身が国語教育のみならず、学校教育の在り方の根本的な再検討を探求型の学習を通じてきちんと行ってきたのか…手始めにしっかりと問い直した方が良いと思うのだが、いかがか。

教員の授業を「5分で可視化」、宮城県内の教育機関でAI分析アプリを実証

     こどもとIT 大塚雷太 2026.3.26

     授業改善の方法として授業中の様子を録画することは学校現場でも古くから行われてきたが、児童生徒のプライバシー保護の問題があり、今は難しくなっている。またこうした手法が悪意に満ちた管理職や教育委員会に悪用され、教師の教育内容や方法への過剰な干渉、統制につながる恐れも十二分にあるだろう。

     授業中での児童生徒の発言が十分に授業評価とリンクできていない、という点はこのシステムの致命的な欠陥と思えるが、いかがか。このシステムを「5分で可視化」と表現できるほどの分析能力は今のところ乏しい、とみた。そもそもブラック化した現状の学校で自分の授業を反省的に振り返る余裕などほとんどあるまい。まずは教師たちのゆとりを生み出す工夫こそ、急がれているだろう。

 授業改善の取り組みは確かにマストなのだが、それを易々と実行できるほど学校現場は甘くない。この取り組み自体も改善の余地が大きいようだ。仮に冒頭の不安要素を解消し、学校現場で導入可能なレベルまでシステムの改善が進んだとしたならば、最初に導入すべきは大学の教員養成教育においてであろう。つまり宮城教育大で教育実習の事前教育に用いてみて、その効果をしっかりと判断してから学校現場の利用を検討してみれば良いと思うのだが、いかがか。

「探究公害」とSNSで拡散高校「探究学習」の弊害

     東洋経済オンライン 杉浦 由美子 2026.1.29

 高校教師に探求学習の指導が困難な人は多いだろう。高校に限らず、職務があまりにも多くて、肝心の授業準備に十分な時間をかけられない事が教師たちの大きな悩みになっているはずだ。しかしだからといって探求学習や集団で議論を重ねる授業が不要、というわけでもあるまい。ネットを最大限に有効活用すれば、生徒たちが時間を費やして大学などを煩わせることは少なくなるはず。今時、多くの時間を教室内で済ませることは決して不可能ではないはずだ。

 探求学習を進路指導のための個別最適な学習法として狭く捉えているとしたら、教師の負担は無限大に増えていくだろう。テーマ別でグループ分けして複数の教師で指導することも負担を軽減する一つの手段である。その際、グループ内で生徒たちが議論する機会はできるだけ数多く設けたい。

 他方で学校や教師の大胆な職務軽減は探求学習導入のためにも必要不可欠な前提条件となる。先行すべきは探求学習の導入ではなく、職務の削減であり、この順番は決して間違えてはなるまい。

「1,2,3,4,5,6,7,8,9の中で素数だけ選べ」中学生の7割が誤答。全国学力調査で見え

     た“いまの子どもに足りない力――週末ベスト     日刊SPA! 2026.1.24

 このような浅薄な俗説をいつまでマスコミは垂れ流し続けるのか、理解に苦しむ。まず、学校教育は義務教育と非義務教育にわけて考えるべきだろう。小学校や中学校では義務教育なので必要最低限の学力を出来るだけ多くの児童生徒に身に付けさせていく努力義務が学校側にはある。

 特に10~12歳頃は理解力よりも記憶力が突出して勝り、とりわけ暗記力は人生において最高水準に達すると言われている。したがって重要項目の暗記は小学校高学年にこそ集中的に実施するのが学習心理学、発達心理学の観点からも好ましいといえるだろう。当然、授業を通じて記憶することを目標とすることが多いので、半強制的に反復、暗唱させることは一つの技法としてこれまでも授業に定着してきた。

 とは言え、相手は子どもである。楽しくもない授業に集中力が切れてしまう子どもを一方的に咎める権利は教師側に無い。「掛け算九九」であってもできだけ楽しく、お遊戯のように唱えて覚えていく方が、効果的であるに違いない。また、観察や実験などを通して事象の発生理由を考えさせることも、子どもたちの授業参加度を高める工夫の一つである。なんら工夫せずに暗記を強要するだけでは余りにも能があるまい。

 まして義務教育ではない高校以上の学校段階では、自らの力で調べ、考え、集団の中で切磋琢磨して知識と思考力をお互いに高めていく学習法を身に付けることが、今後は一層、重要になってくる。もちろん、この段階でも重要知識の習得は不可欠であるが、残念ながら年齢的に機械的な暗記力は急速に衰えてしまう。理解したことの記憶力はまだまだ衰えないので、中学生以降は覚えるためにもしっかりと理解することが重視されるのだ。

 理解は暗記だけではなかなか得られず、自分の頭で考え、自分なりに納得していくプロセスが欠かせない。この作業は単純に暗記するよりも脳への負荷が極めて大きく、誰もが気安く取り組めるものではあるまい。当然、理解したい、という欲求が強く湧いてこない物事はなかなか理解が進まず、長期的な記憶も難しい。内発的動機付けが大切となってくるだろう。

 授業中、生徒たちに考えさせる時間や工夫が不十分であれば、結局は訳も分からないまま、ただ受け身で教えられた「正解」を丸暗記することになる。これがいかに無駄で苦痛ばかりの学習かは多くの人の痛感するところだろう。

 高校生レベルになればダジャレを用いた丸暗記は、古文の助動詞の活用や化学での周期表など、一部のやむを得ない内容を除いて絶対的に禁物なのだ。どう見ても高校での「詰め込み中心教育」は多くの生徒にとって効果が少なく、苦痛ばかりとなり、基本的には百害あって一利無し、となるのではあるまいか。

中高の「やらされ探究」で大学教員が悲鳴の解決策

     東洋経済オンライン 藤原 さと 2026.1.14

 探求学習をめぐる諸問題をざっと捉える上で非常に便利な記事である。文科省、学校現場、大学等の問題点をそれぞれ要領よく理解できるだろう。

 もっとも探求学習が学びの多様化、個別化を軸とするものとは限るまい。議論を通じて生徒個々人の学びを集団で共有し合う側面も、探求学習には不可欠であると思うが、いかがか。

校則で「ツーブロック禁止」がゼロに 千葉市の市立中学・高校

     朝日新聞社 2025.12.9

 この手のような空虚な報道を繰り返しているから「マスゴミ」と批判されてきたのではなかったか?本質的に重要なのは「ツーブロック禁止校則」がゼロになった事ではあるまい。校則改訂がどのような議論のもと、どのような手続きを経て決定されたのか、が厳しく問われるべきはずであった。マスコミとしてそれに言及できない、記事としてのレベルの低さがまたもや露呈している。

 仮に「バスに乗り遅れるな」とばかりに周囲の学校の動きに追随し、世間体を気にする余り、校則改訂を急ぎ過ぎてしっかりと生徒側の意見を聞かないまま、校長主導のもとに職員会議で一方的に決めてしまったとしたら、どうだろう。むしろこのことこそ「教育の場」として極めて不適切であり、最悪の決定プロセスとすら言えると思うのだが、いかがか。。

 「ツーブロック校則」が話題になってから既に5年以上は経過している。にもかかわらず突然、今更のごとくバタバタと校則の改訂が行われてきた千葉市のプロセスには政治的な圧力によるもの、との疑念しか湧いてこない。「金魚の糞」のように、何も考えずにひたすら「右に倣え」を繰り返してきた千葉県の教育界らしい出来事、と周囲から茶化されてもおそらく教育委員会は反論できないのでは?

 とは言え、この記事、ぜひとも授業で議論させたい。議論噴出する活発な討論のたたき台として絶好のネタ、ではある。

学校の「カリキュラム」多すぎでも減らせない事情

 東洋経済オンライン 妹尾 昌俊 2025.10.22

 学校が引き受けている仕事量と同様に教育内容もひたすら増え続けてきた。もちろん「ゆとり教育」の際に学校で教える内容の大胆な削減が試みられたのは事実だが、その際に問題だったのは教える内容以上に膨れ上がってきた教師の仕事量への削減がほとんど進められなかった点であろう。

 教師の仕事量は教える内容が多少、減ったとしてもほとんど軽減されないほどにたっぷりと加算されてきた。そのことへの教育行政側の反省が無い限り、教育内容の見直しがどんなに適正に行われたとしても、児童生徒にもたらすプラスの効果は極めて限られてしまうに違いない。教師の負担軽減が大胆に進められない限り、肝心の状業改善が滞ったままだからだ。

 ただし授業内容の改善は授業方法の改善と密接につながる側面がある。もっぱら「覚える事」を軸とした受け身の教育から、多少とも主体的に学び、考える教育へと軸を移すべき時でもあるだろう。当然のことながら、教育目標の見直しに伴う教育内容と教育方法の改善は、授業以外での教師の負担の大胆な削減と同時に推進していくべきなのである。

・討論型授業のためのバイブル

 「子どもたちに民主主義を教えよう~対立から合意を導く力を育む~」

 (工藤勇 一・苫野一徳 あさま社 2022)

 この本さえ読んでおけば討論型授業への恐怖感、抵抗感は解消され、討論の本質的意義をつかめるはず。読みやすく、分かりやすいカッパ一押しの本。

 

・前提となる基本的スタンス

 現実の社会では今すぐに正解を見いだせない「不良設定問題」が多いことを前提に、敢えて論争を呼びそうな不良設定問題への思い切ったチャレンジを試みる。

 「VUCA」という用語が注目されてきているように現実の社会問題は学校のテスト問題とは異なり、正解が一つとは限らず、そもそも事前に正解が用意されている訳ではない。まさにVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)に満ちているのが現代社会である。

 そうした中で様々に異なる意見同士の粘り強いすりあわせを通じて、現時点での最適解を追求する討論型学習を行うとともに、生徒が自ら調べ、自分の考えを深めていくこと、そして各々が納得感の獲得できる個別化、個性化学習へと授業の軸足を移していくことが喫緊の授業目標となっている。

 

 これらの学習過程を通じて生徒、教師共に考え方の多様性に気付き、意見の異なる他者を尊重する姿勢を育むと同時に異常なまでに同調圧力の強い日本の硬直化した学校文化を徐々に相対化し、学校教育に一層の奥行きと柔軟性、多様性をもたらすことを目指していく。

 

参考記事

20年で7600の小中学校が廃校…統廃合巡り保護者や地域との合意形成に壁、

 文科省が事例集公表へ 読売新聞 2025.9.6

 …小中学校の標準規模は法令によって、それぞれ「12~18学級」とされるが、全国の小学校の4割、中学校は5割が下回る。文科省は、学校再編の手引で「児童生徒が多様な考えに触れ、協力し合う教育を行うためには、一定の集団規模の確保が望ましい」としている…とのこと。皆さんはこの文科省の考えをどう思うだろうか。

 今や小中学校での教育は一学級を20人以下の少人数にして教師の目がしっかりと一人一人に行き届きやすくし、学習の個別最適化を図るのが基本であると私は考えている。したがって現在の少子化の流れはこの少人数教育を実現させる上で絶好の追い風となっているはずだ。

 ところが国はこれまでもひたすら教育予算の削減を図るべく、少子化を理由にして学校の統廃合を推進してきた。その結果、少人数教育の実現は蜃気楼のようにひたすら遠のくばかりとなっている。

 学校で「児童生徒が多様な考えに触れ」るためには、日本の場合、児童生徒の意見表明の機会を劇的に増やすことがまず必要とされるだろう。そのためには当然のことながら少人数教育が実現できていなくてはならない。しかし国は相変わらず安価で効率的な多人数教育を理想としているのだ。

 おそらく多人数教育による画一的な一斉講義形式の授業こそが児童生徒に集団主義的心性を涵養し、協調性の豊かな国民を育てることにつながる、というのが老害政治家たちの本音なのだろう。児童生徒が「多様な考えに触れ」ることなどは実際にはどうでもよくて、それはあくまでも従順な国民作りという本来の目的をごまかすための口先だけの綺麗ごとに過ぎないのかもしれない。

 今も一学級35人体制すら徹底できていない劣悪な条件の下で、教師は文科省の指示に従って児童生徒の学習を個別最適化すべく奮闘努力させられている。おそらく国はICT化さえ進められれば学習の個別最適化はある程度可能だと踏んでいるに違いあるまい。しかしそれはあくまでも学力向上を目指すだけの手段であり、必ずしも児童生徒の個性や多様性の尊重を目指すものではない。

 児童生徒の意見表明権が小学校の現場に浸透するのは遠い先の事。実際には次の学習指導要領が登場する2030年以降の事である。しかし多人数教育の下でブラック校則や一斉講義形式の授業が残存するような現状では、今後も児童生徒の意見表明権など尊重されるわけがあるまい。「児童生徒の意見表面権の尊重」というフレーズもまた国民の目をごまかすための、ただの綺麗ごととして利用されてしまうのではないか。

 同質性が高く、同調圧力の高い社会は政府にとって極めて効率的であり、政治的な安定性を保てるがゆえに、日本の学校は安価で効率的な多人数教育の下、画一的な一斉講義形式による指導を通じて同質性と同調圧力の高い社会を今後も再生産しようとしている…実はそういうことなのかもしれない。

参考動画

【危険】今、日本人が自分の頭で考えられなくなっている理由

 曖昧な思考 2025/06/05  16:51

 面倒な事実関係の検証をサボり、深く考えることをしないまま、ただ単に周囲の空気を読んで大勢の意向に合わせることは簡単で楽な行為のため、省エネに走りがちな脳が自然に好む選択肢の一つであるだろう。敢えて意識的な努力を重ねなければ人は自分なりの思考を放棄しがちなのだ。したがって現代のSNS、ネット上にはびこる「思考の放棄」現象から自分を引き離すことは誰にとっても極めて困難となる。

 であるならばなおさら、高校生のうちから可能な限り周囲の空気に流されずに自分の頭で考える訓練を繰り返すことこそが今の日本で最も必要とされているように思えるが、いかがか。討論、議論を軸とする授業が生徒たちの自分なりの思考力を鍛える上で大いに役立つはずである。

 この動画はわずか一度の視聴で理解できるものではあるまい。解説を挟みつつ、できれば二度は繰り返してじっくりと視聴させたい。ただし「曖昧な思考」というチャンネルではかなりスピリチュアルに偏った内容の動画が数多く見られるので、宗教的勧誘の側面には要注意。したがってこれ以外の動画の多くは決してお勧めできない。

参考記事

乙武洋匡氏 ryuchellさんが「多様性は強要しない」と 「友達なんかじゃな

 かった。」と悔恨 デイリースポーツ によるストーリー 2023.7.15

 「多様性で大事なのは、強要しないことじゃないかな。自分はこう思うからあなたもわかって!ではなくて、なるほどあなたはそういう意見なのねって、まずは認める姿勢を見せること。相手にも自分にもどこまでやわらかくなれるかだと思うんです」

 多様性の尊重とはどういうことなのか、ryuchellさんが遺した言葉に耳を傾けたい。彼が討論の場でこのことを常に意識していたからこその、あのソフトな語り口調だったのだ。いつも討論する際には心がけたい金言。

参考動画

【賢さの価値は暴落】AI時代に親ができること「日本の教育の未来」【安野貴博 ×

     HR高等学院】HR高等学院の非常識な職員室 2026/01/29  29:16

 安野氏はAI時代に育むべき力として「何かを始める力」「不確実性、リスクに対する耐性」「コミュニケーション能力」(対人だけではなく対AIとのコミュニケーション能力を含む)の三つを挙げている。

     同様にHR高等学院でも「挑戦数」=「越境数」失敗数」「この指とまれ数」「表現数」を重要な評価指数としているという。これらはグーグルが急成長できた要因ともかなりの部分で共通する要素であろう。

 これまでの日本の学校教育では学習指導要領の改訂、すなわち学習内容の見直しが10年に一度という、世界の急速な変化にまったくついていけないレベルの圧倒的な遅さであり、なかなかアップデートされないもどかしさがまず大きな問題点として挙げられている。同様の観点から、学校教育へのAIの導入が完全に遅れたため、個別最適化の方向が地方の学校現場ではイマイチ実現できていない点も指摘されている。

 端的には日本の公教育が長年抱えてきた「画一性」と「アップデート頻度の遅さ」こそが日本の学校の大きな「バグ」の本質、と安野氏はいう。

 教師として今後、重要とされる仕事はおそらく一方的に教え込むことよりも、AIを多用しながら脇からサポートしていくコーチング的なものに主軸を置いていくことになるだろう。特に生徒たちにできるだけ多彩な数多くのロールモデルを提示して生徒たちの主体性を引き出していくことは生徒たちの挑戦欲を引き出す上で不可欠の体験であり、教師の本質的に重要な任務となっていくはず。

 今後の教育を考える上で極めて重要な示唆に富む貴重な動画であり、できれば授業でも使ってみたい。少なくともすべての教師が視聴されることをオススメする。

【コミュ障?】最近の若者が社会人になっても人付き合いを避ける理由…

 山田玲司の原作が10倍おもしろくなる解説【山田玲司 切り抜き】

  2022/06/07  10:25

 討論型の授業を展開するために最初に視聴させたい動画の一つ。相手の意見をしっかりと聞くことができる事と自分の意見を持ち、それを分かりやすく伝えることができる事がいかに大事か、まずは知っておきたい。そして日本の学校ではなぜ討論型の授業が広がらなかったのか、根付かなかったのかを考えさせたい。

【ファクトチェック】正しい情報を国が判断ってアリ?言論弾圧?民間企業に任せ

 るべき?ABEMA Prime #アベプラ【公式】2024/08/08  20:42

 討論の土台とすべき事実認識に一定レベルの思い違い、事実誤認が存在してしまう可能性を完全に排除するのはおそらく無理だろう。そしてたとえ多少の思い違いに基づく意見であってもその意見が全くの無意味であると決めつけること自体も実は間違いである可能性はある。そもそも私たちがある意見を持つために必要とされる知識はいつだってあまりにも不十分なレベルにとどまっていて、むしろ自分の意見を完全なものとみなすほどの知識を誰一人所有していないと心得るべきなのではあるまいか。

 日本の戦後政治はGHQやCIA、日米合同委員会などの働きもあって数多くの情報がいまだに国民には隠蔽されたままであると見て良いだろう。たとえば正力松太郎の戦後日本における役割とは何だったのか、その全貌を掴むことはおそらく今も不可能であると考える。アメリカの公文書館等に保管されている彼の関係資料には現在も黒塗りされた部分が少なくあるまい。同様に731部隊の全貌もすべてを白日の下にさらすことは未だに出来ていない。沖縄関係に限らず、日米間の各種密約の全貌もしかりである。それが極めて重要な知識であるにもかかわらず「ファクト」自体の多くがひどく限定されている日本のような状態では「ファクトチェック」もまた不十分なものにとどまるのは不可避である。当然、このような状態の下では政府側にファクトチェックを委ねることほど危険なことはあるまい。それは「知らしめず、依らしむべし」の愚民化政策を加速させるだけである。

 かつて動燃が原子力発電に関わる事故隠しを続け、国民の信用を完全に失ったように、日本政府もまた近年のモリカケ問題などに見られたゴマカシ、隠蔽工作を性懲りもなく繰り返し、国民からの信用をひどく失いつつある。こんな隠蔽体質に覆われた政府による検定教科書を教師が疑うことなく鵜呑みにして漫然と授業をして良いはずがない…という考えははたして極論なのであろうか。

 情報を発信する立場にある者はすべてファクトチェックの努力をすべきだが、誰であっても完璧なファクトチェックを期すことは不可能である。重要なのは乱立し、対立する多様な意見をただちに感情的に排除するのではなく、時間をかけて自説を検証し、出来る限り広く深く考え、とりあえず現状で探りえた事実、知識を用いて自説を補強していく事、ないしはより良い他説に乗り換える事。同時に自説と異なる各種の意見への理解を深めつつ、現状で考えられうる限りの反証を試みてみる…こうした地道な努力をすべての人がお互いに果てしなく続けていくことであろう。

 討論型の授業は以上のような観点からも高校での授業に積極的に導入されるべきだと考えるが、いかがか。

【議論の仕方】多様性を大事にしても議論はうまくいかないので、同質性を大事に

   しましょうということについて解説します

   謎解き統計学 | サトマイ  2024/06/28  14:23

   非常に面白い、かつ重要な観点を提示してくれている。ただし突っ込みどころが無いわけではあるまい。まずは生徒に視聴させて突っ込みどころの有無を問いたい。授業における対話型討論を有効に機能させていくために必要とされる重要な観点を生徒たちが見つけられれば極めて有意義な動画視聴に転換できる。

   個人的には差異、多様性よりも同質性に注目することで、一見対立する意見同士のすり合わせを実現する…これはスピーディーかつスマートな形で議論の収束、意見の統一を図ることを目的とするならば、当然の心構えと言える。しかしたとえ対立する者同士で目的、理念が共通していても、目的達成に至る方法論が異なればいずれにせよ自分たちの目的や理念に到達できない可能性はあり、まったく異なる結果をもたらす危険性すらあるだろう。方法論の違いの底には意外なほどに根が深い差異、対立点が潜んでいる場合は十分あると思う。それは民主主義をどう捉えるのかにも関わってくる重大な観点ではあるまいか。

 議論においてあらかじめ同質性を重視することも間違いだが、異質性を強調し過ぎるのももちろん間違いである。それは人としての遺伝子情報の同質性の高さとは無関係の話であり、社会のあり方を論ずるときには生物学や医学での学説を安易に当てはめて説明するのがそもそも筋違いなのである。

 日本社会における同質性の高さは、集団的作業での効率性の良さとなって高度経済成長期を実現させてきた重要な因子の一つである…このことはほぼ疑いえない事実だろう。しかし高度情報化社会においては組織の効率性のみならず、個の突出した力が問われる。常に周りを忖度し、個性をイジメの原因と見なして排除しがちな同質性過剰強要の日本社会で今、一番問われているのはやはり個性や多様性の尊重なのだと思うが、いかがだろう。

 今までの様に結論を急いで忖度を強要し、タイパ、コスパばかりを重視していると日本社会の息苦しさは強まる一方となるかもしれぬ。むしろタイパ、コスパを多少犠牲にしてでもじっくりと議論のすり合わせを続けていく努力が、少なくとも学校教育段階では切実に求められていると考えるが、いかがか。授業のタイパ、コスパを少しばかり犠牲にできる程度の、本当の「ゆとり」が今の青少年にはとりわけ必要なのではあるまいか。

 日本に限らず、世界の姑息な政治家たちはさも民衆に迎合するような政策を自分の理念、ポリシーとして掲げつつ、いつの間にか政策の実現方法や論点をずらして民衆の期待を根本から裏切る…そういった汚い技をこれまでも得意とし、長い事駆使しきたのではあるまいか。今や彼らの皮相な理念など信用する方が間違いなのであり、裏に秘めた彼らの本当の狙いに気付くべき時なのではあるまいか。

心理的安全性を高める。どうしたら皆が働きやすい会社をつくれるか?

 精神科医がこころの病気を解説するch 2024.1.16 11:45

 皮肉ではあるが今の日本の学校がどれほど「心理的安全性」が脅かされる場所となっているのか、なぜイジメがはびこり、不登校が多いのかがよく分かる動画となっている。相手の個性や多様性を重んじて時代の変化に柔軟に対応し、外部からの批判に学ぶような謙虚な姿勢があれば組織の心理的安全性は高まる、という指摘と真反対にあるのが隠蔽と自己保身に走り、画一的で管理主義的な今の日本の学校なのだと思うが、いかがだろう。

 当然のことながらこうした日本の学校文化においては、討論型の授業ほど根付きにくいものはあるまい。日本の場合、教師や生徒たちが活発に自分の意見を言えるような「心理的安全性」が極めて低いからである。しかしだからこそ討論型の授業を根付かせていく努力が必要なのであり、その努力こそが学校改革の中核部分になりうるのだと私は考える。

バカになるな!論破のテクニックで騙されてはいけない!【宇野常寛】

 たかまつななチャンネル 2022.10.10 22:50

 討論中心の授業とする場合、ディベートのような論争の勝ち負けにこだわる「ひろゆき」流あるいは「橋本」流の論破ゲームに陥らないような配慮が肝要となってくる。宇野氏の指摘する「スネ夫症候群」に要注意。基本的には討論の過程で多様な意見の創出をまずは目指すべきだろう。そして大勢の意見を聞くことを通じて多様な価値観がこの世に存在することの社会的意義を確認していく・・・それこそが一人でも多くの生徒を巻き込む、討論を用いた授業の最重要目標とされるべきだろう。意見の多様性を熱望する討論の場のあり方の中にこそ、ラディカルに「問いそのものを問い返す」可能性や問題解決に向けたオルタナティブで建設的な意見の創出に向かう可能性が胚胎するに違いない。従って教師は討論において決して議論を一つの結論に導いていくような誘導や断言をしてはなるまい。一つ一つの異なる意見が持つ様々な意味、意義を注意深く見出し、生徒達にもしっかりと気付かせていく事に教師は最大限の労力と工夫を払っていきたい。

 もちろん、議論の方向性が一定せずにあてどなく彷徨ってしまっては論点がぼやけてしまうので、ある程度構造化されたアンケートや発問計画を事前に用意してから討論に望むべきなのは当然の事である。

【心理的安全性】誰もが率直に意見を言える環境とは?組織改革を進めるカギ?超

 重要概念を学ぶ

 2022/05/29 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 24:20

 多様な意見を引き出すために必要とされる「心理的安全性」とは何か、理解できる。「心理的安全性」をまず確立しておかないと討論型授業は成立しないだろう。

【ハーバード大学准教授が語る】社会的に消す「キャンセル社会」の闇【ひろゆき 

 の妻&奥井奈南】 ReHacQリハック【公式】  2023/05/14  34:50

 多様な意見を引き出す上でキャンセルカルチャーの危険性に留意する必要があるだろう。

参考記事

Z世代に聞いた「理想の学校」──「居心地がよく、学びやすい環境が整っている」

    が半数超に【プレマシード調査】 EdTechZine 2025.9.27

 調査対象者数が600名と余りにも少なすぎてあくまで参考程度のことしか言えないが、以下の調査結果はぜひ記憶しておきたい。

 …「理想の学校の環境・コミュニティ」の条件を尋ねたところ(複数回答)、「居心地がよく、学びやすい環境が整っている(周辺環境・設備など)」(54.8%)がもっとも多い結果となった。「自分のペースで学べる」(54.3%)「相談しやすい教員や大人がいる」(44.8%)、「自由度が高い」(36.8%)がそれに続いた…

 さらに

 …「理想の学校の勉強」の条件を尋ねた質問(複数回答)では、「教え方がわかりやすく、やる気を引き出してくれる教員がいる」(50.3%)が最多となった。

以下「将来や社会につながる学びができる」(40.5%)「主体的に学ぶことができる」(34.8%)、「得意なことを伸ばせるカリキュラムがある」(34.7%)が続いている…

 とのこと。きわめて常識的な結果であるが、教師としては「学び」に必須の条件についてこの程度のポイントはあらかじめ弁えておくべきだろう。

多数派の考え方を変えるために少数派の人たちができることとは?

  【社会心理学】 ラブすぽ の意見 2023.6.22

 少数派の意見が多数派に影響を与えられるようになる条件として、少数派の意見が一貫している(多数派に阿らない)、他の論点では多数派の意見を持っている(ただの天邪鬼ではない)、多数派が現状に満足できず、改革を求めている、などがあるという。社会を変えていこうとする場合には大いに参考となる知見だろう。

 

 

 もちろん教科書を軽視するのではなく、重要事項の理解や暗記もある程度は要求しつつも、多様な意見を引き出し、多様な意見が飛び交う中で最適解を目指して粘り強く思考する対話的な力を養うことをより重視する。必ずしも多数派の意見を支持するわけではなく、少数意見にしっかりと耳を傾けることで多様性の持つ豊かさが担保され、すべての生徒が自己の意見表明をしやすくしていく・・・という目指すべき討論型授業への基本的スタンスを堅持する。

 

・討論型授業のキモ

 授業が十分に活性化しているならともかく、いきなり手を挙げさせて一握りの生徒に意見を言ってもらう展開は出来るだけ避けたい。討論や考える事自体を面倒くさがる生徒は多い。誰か一人が意見を言うと、他の生徒は自分なりの考えをまとめようとしなくなり、他人の意見に流されがちになる。教師には意見が出尽くすのを待つゆとりが必要である。

 意見が大体出揃った時にはA~Dどの意見に賛成か・・・などと生徒全員にそれぞれ挙手させて数を数え、その場でクラスの意見のあり様を類型化して確認させたい。

 ただしその際、マイナーだった意見の持ち主を見捨てない事が肝要。時にはマイナーな意見の背景や根拠を生徒全員で共有できるよう、深掘りしていくべきケースも大いに考えられる。

 当然、他の生徒から多く賛同を得られた意見が正しいとは限らない。むしろ多数派の意見がひっくり返るような、予想外の展開こそ、目指したい。もしもそのような展開になれば大成功。今後、多くの生徒が意欲的に討論に参加するようになるだろう。

 

参考動画

【天安門事件以来の盛り上がり】中国の言論統制と闘う若者たち 家族や仲間が拘束

 され銀行口座も凍結 [クロ現] | NHK  2023/09/14 9:46

 中国の若者たちの言論の自由を求める命がけの取り組みに対して、まず、どう思う

のか、生徒たちに問いかけたい。さらに、日本の若者たちに今、言論の自由が本当にあるのか、問いたい。

 特に李苹さんの「意見を持つことは国への最大の愛情です。希望を抱くからこそ声を上げるんです」という発言について深く考えさせたい。

 続けて言論の自由が成立する前提条件に付いていくつか列挙させたい。特に「情報公開」や「知る権利」をキーワードにして一歩踏み込んで深く考えさせたい。例として社会科の教科書で本当に自分の意見が持てるのかどうか、確認させよう。

 ここで「君が代」について歌詞の意味を問うのが良いだろう。

 そしてもう一度、日本の若者に言論の自由が本当にあるのかを問いたい。

ひろゆき、EXITアベプラ・平石アナはなぜ猛獣軍団をファシリテートできるの

   か? 新R25チャンネル  2021/04/26  9:00

 討論型授業におけるファシリテイターとしての教師の役割を考える上で大いに参考となる動画。

【論破ブームの危険性】アベプラ平石アナの「論破上手=優秀はテレビの世界だ 

 け」に若新雄純が本領発揮【前編】 新R25チャンネル  2023/06/07  29:52

【議論で重宝される人】「議論で熱くなってもなぜか愛される人」。アベプラコン

 ビ・平石アナ×若新雄純がたどり着いた結論 

 新R25チャンネル  2023/06/14 28:38

 討論の進め方、注意点がよく分かる。「ムキにさせる」「審判を下さない、勝敗をつけない」「多様性尊重」…

【誹謗中傷する人の心理】脳を惑わす3つのバイアス/SNSはロジックのズレだら

 け/ハーバード大学と日本の違い/脳は省エネモードで動く/違和感に向き合え 

 PIVOT 公式チャンネル  2023/05/20  35:51

 認知、認識における無意識のバイアスの存在と「中傷」、「攻撃的言動」の背後に潜む歪んだロジックを知っておかないと討論がただの論破合戦に陥ってしまう危険性が生じてしまうだろう。討論型授業を行おうとする教師にとって必見の動画である。

 

 したがって多数決にもっていくような展開は最悪ディベートはあくまで討論に刺激を与えるべく議論の導入時のみ、利用するだけ。一つの結論が欲しいわけではないので議論の勝ち負けや多数決は完全に無意味。特定の結論を出す必要もまったくない。あくまでも大切にすべきは、意見の多様性を確認させ、それぞれの意見の存在理由をできるだけ深掘りすること。

 

 またアンケート形式の質問用紙を多用し、口頭では発表できない慎重派や引っ込み思案の生徒の意見表明の機会をしっかりと保障すべきである。アンケート結果の集計と共に意見の一部は次回の授業で紹介する・・・などの工夫を重ねて生徒達の意見を一人でも多く、また少しでも多様な考えを引き出し、共有していくことを重視。アンケートの集計結果を公開する際にも少数意見に十分留意し、生徒たちが少数意見に注目するよう、繰り返し注意喚起しよう。

 アンケートへの回答を通じて生徒達が多様な意見の存在理由をしっかりと確認出来るよう、質問項目を工夫したい。同時に多様な観点によって混乱しがちな頭の中をスッキリと整理出来るような方向性を持たせた質問項目の内容と配列、組立て方を予め計画しておくと安心。これは相当難しい作業だが、議論の無秩序感を低減するためには事前に必要とされるものだろう。従って当然の事ながら教師側には議論のテーマに関する広い知識、深い理解が備わっているに越したことはない。

 

 ただし、十分な力が無い状態であっても討論型授業へのチャレンジは果敢にトライすべきである。何事も経験を積み重ねていかなければ前進できないはず。討論がアナーキーな状態のまま終わってしまう事は先生方の職員会議の場面ですら、普通に生じている。失敗は成功の本である。まずはトライあるのみ。

その6.防災教育と学校のブラック化

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

1.防災教育

参考動画

いざという時「救助袋」を使えるか? 東京の小学校火災を受け県内教育現場で訓練

 や講習の動き… 定期実施は18市町中7市町にとどまる=静岡県

 【わたしの防災】SBSnews6 2026/08/04 4:08

 いざという時こそ、むしろ救助袋は使えない…と考えた方が、実は現実的ではあるまいか。救助袋には主に垂直式と斜降式の二種類がある。斜降式に比べて垂直式は設置に際して教師一人で済み、短時間で利用できる利点はあるが、垂直に降りていく分、大人ですら恐怖感はかなり大きい。降下をためらう児童生徒が複数出てしまうと全員降下するのは時間的に見て難しくなるかもしれない。北区のケースのように、大勢が取り残され、しかも火が迫っている局面ではただでさえパニックに陥った児童たちを次々と手早く降下させることなど、ほとんど不可能とさえ思えるのだが、いかがだろう。にもかかわらず救助袋の利用を強制すれば、かえって犠牲者を増やすことにつながりかねまい。

 斜降式は地上で袋を固定する人が必要となり、垂直式に比べてどうしても救助袋の設置に多少の時間がかかる。加えて垂直式ほどではないが、滑り始めはスピードが速いため、悲鳴を上げる者が出てしまう。結果的に児童の中には恐怖感で降下をためらうものも少なからず出てくるだろう。短時間で大勢の児童生徒を降下させるのは斜公式でもやはり難しいという他ない。

 せっかく設置してあるのだから、非常時には必ず救助袋を利用すべきだ、との意見が強いようだが、優先するべきはあくまでも児童生徒の安全確保である。私の予測では北区のケースで現実的に救助袋の利用を可能とするには年に最低でも3回、全員に降下訓練を施す必要があるのではないか。しかも斜降下式と垂直式の二種類ある学校では二つを交互に降下させておく必要があるだろう。そうでもしておかないと、火が迫る中で30人を超えるような子供たちの速やかな避難などまず不可能である。

 全校児童生徒による年三回以上の降下訓練が、果たして過密化している現在の小学校のスケジュールの中で本当に実施可能なのか…しかもその訓練は実戦さながらの真剣なものとしなければ意味があるまい。恐怖でおののく一部の児童たちに教師はどこまで降下を強制できるだろうか。降下訓練は当然、時間との勝負となる。ためらう児童らをせかし、時間の短縮を懸命に図る教師たちの焦り…なにやら危険な匂いが漂ってくるではないか。訓練に際して悲惨な事故が生じないことを祈るばかりである。

 しかもこの議論は重要な視点を完全に欠落させている。非常時の際、様々な障害を持つ教師や児童生徒をどうするのか…車いすどころか、寝たきりの生徒までが全日制普通科高校への入学を試みている現在、この問題は多くの学校にとって無関係ではいられない。加えて言葉が十分に通じない外国籍の児童生徒も増えつつある。彼らにとって多くの場合、救助袋の使用はかなりの困難を伴うはずだ。コミュニケーションにおいても何らかの障害を抱える人が学校にいる時、教師はどうすべきなのか、学校はこれらの問題をしっかりと想定できているのだろうか…極めて怪しい限りである。

 救助袋の利用よりも初期消火をより一層重視して火の出やすい家庭科教室や理科教室及び3階以上の教室へのスプリンクラーの設置を義務付け、消火器の設置数を増やしていく。まずは初期消火のための備えを万全にした上で児童生徒の避難訓練を繰り返した方がはるかに現実的で効果的であるような気がするのだが…

東京の体育館は95%が冷房完備なのに…1600万軒が停電する「真夏の首都直下地

     震」で国が促す「新たな避難場所」

     プレジデントオンライン 横山 芳春 2026.8.9

     …最も低い佐賀県に至っては0.8%、鹿児島県1.3%、長崎県1.4%と、九州や東北地方を中心に「エアコンがほぼ存在しない」という地域が広がっているのが現実…これが地方における体育館の実態であるにも関わらず、学校が地域の防災拠点、避難センターであることに社会はもう少し注目すべきだろう。

 とはいえ、電気の供給が止まれば冷房完備の体育館でも結果は同じ。酷暑が続く中で発電機の使える時間は限られている。肝心の水の供給も大きな制限を受ける。これもまた、長年、政府が教育予算をケチってきた当然の報いなのだ。

 国民はもはや公共サービスに期待するのは辞めた方が良いだろう。学校での防災教育では今後、大して当てにならない学校などの公共機関に頼らず、住民自身の力でできる災害への備えをもっと強調したほうがより現実的である。

北区小学校火災、「人災」的な要因は危機管理意識が低い組織で起こる…脆弱すぎ

     た"学校の安全管理"から得る教訓     東洋経済オンライン 宮田 美恵子 2026.7.9

 この問題の根本はどこにあるのだろう。ほとんどの学校は防災の拠点としてふさわしいだけの構造、設備を備えていない。初期消火のカギを握るスプリンクラーすら備えていないのに、大勢の児童生徒が密集して生活していること自体、間違ってはいないか。冷暖房施設やトイレの不備が多い学校を地域被災民の避難先に指定していること自体、間違ってはいないか。そんな学校に夏休み中、子供たちを預かることを要求する文科省の判断は完全に間違ってはいないか。先進国で最低レベルの予算しか与えてこなかった学校教育に対して過大な要求ばかりを繰り返してきた文科省こそ、この問題の真の責任者ではないのか。

東京・北区小学校火災、校長は教員のストーブ持ち込み把握せず…区が避難状況を

     検証する会議設置へ 読売新聞 2026.7.4

 校長が毎日、校内を巡回して安全確認を行っていたが、準備室は確認しておらず、ストーブなどが持ち込まれていたことを把握していなかった…と記事にあるが、そもそも「毎日、校内を巡回して安全確認を行っていた」という校長の言葉をあまり真に受けてはなるまい。高校では校長が校舎内を見回る姿を私は一度も見たことがない。熱心な教頭が毎朝早く、校舎内を巡回していたことはあったが、校長が自ら動くことはまずなかったのだ。まして毎日の巡回など常識的に見て、校長がしているとは到底思えないのだが、いかがか。「4階の出火は想定外」とする記者会見での校長の言は、たとえ巡回が行われていたとしても形だけのものに過ぎなかった可能性を私としては強く感じる。

 通常、校舎の巡回、施錠確認は日番ないしは週番となった教師が放課後の一定時間内に行っているが、教科準備室内に入ることは一度もなかった。教科外の教師が巡回の理由だけで準備室に入室することは遠慮すべき、との空気感が教師間には強く漂っていたのだ。校長らの入室を嫌う雰囲気もあった。

 とはいえ、校長が一切、立ち入ることのない部屋が一つでも存在すること自体、校舎全体の管理責任者として極めて不適切な事態ではある。音楽準備室の状況を他の教師が誰一人、把握できていない、という事態も通常の学校では考えられない。当該教師が教師集団内で完全に孤立していた可能性はないのだろうか。

 学校での防犯、防火は教員全体が組織的に取り組む必要があるのは論を待たない。しかし当該小学校には組織的な取り組み姿勢が決定的に欠けていたのではないのか。そういった点でも組織の長である校長の責任は重大であると思わざるを得ない。

「私服」を音楽準備室で乾かしていた…滝野川第三小学校の火災 音楽教諭は以前か

     ら早朝の学校で洗濯 東京新聞 2026.7.2

     …高草木政浩校長と福田晴一教育長が音楽教諭から聞き取りをした。それによると、教諭は以前から早朝に登校し、1階の家庭科室の洗濯機で私服や金管バンドの衣装などを洗濯し、4階の音楽準備室で乾かしていた。火災が起きた6月19日も同様に私服を洗濯し、乾かしていた。

 また、音楽準備室にあった電気ストーブと数台のサーキュレーターの一部は音楽教諭の私物だった。火災当時、サーキュレーターや電気ストーブの電源が入っていたかどうかは不明。音楽教諭が洗濯などをしていたことは、他の教職員は知らなかったという…

 決して学校内に教師が私物を持ち込んではいけない、という決まりはない。もちろん程度の問題があり、物にもよるが、私の授業で用いる実物教材などはほとんど私物であった。ビデオテープも私物であり、本も私物、部活動のための用具やジャージ、靴等も私物であった。

     しかし、この教師はやはり常軌を逸しているというほかあるまい。これは最早私物の持ち込み、というレベルを遥かに超え、公共施設の私物化に近い。音楽準備室が一人の教師の個室とされている事のマイナス面が露骨に出てしまったようだ。

     当然、こうした事態をむざむざと招いてしまった校長の責任も重い。ただでさえ、多くの教師の目が行き届きにくい4階の教室は、管理職として普段からしっかりと気にかけておくべき教室だったはず。音楽教師、校長のどちらにも不注意と油断が生じていたのだろう。

 教科準備室の在り方は教科の違いによって大きく異なる。危険な薬品を扱う理科の教師は理科準備室に常駐すべきだろう。芸術科の教師も盗難などを避けるために一人で常駐するケースが圧倒的。もちろん個室化した準備室で多少、それらの教師が寛ぐ時間はあっても良い。しかし程度の問題があるだろう。

 当該教師が学年に所属していたり、どこかのクラスの副担任ならば、準備室に学年主任や担任が訪れることは一度も無かったのだろうか。最低でも校長や教頭が一度は訪れていたはずなのだが、音楽教諭が洗濯などをしていたことは、他の教職員は知らなかったという…まったく不可解である。他教科の教師の入室がはばかられてしまう何らかの理由があったと邪推されてもおかしくはあるまい。

小学校の火事で女性教師“洗濯物乾かしていた” 電気ストーブは通電状態 東京・

     北区 ANNnewsCH 2026/06/24 1:33

     ある程度は予想していたものの、元教師としては大変、残念なニュースが飛び込んできた。音楽担当の女性教師が音楽準備室で洗濯物を乾かすためにテーブルタップを用いて電気ストーブ、複数のサーキュレイターをタコ足配線で利用していたと証言したらしい。火災を招いた過失は小さくあるまい。また、校長らにも監督責任、管理責任は少なからず問われるだろう。

     芸術教科は他の教科と違い、中学校や高校の場合、担当教員に教科準備室がそれぞれ個室で与えられていることが多い。しかも多くの学校では授業中の騒音対策もあって、音楽教室が校舎の最上階に設けられている。また多くの場合、芸術教科の教室がある校舎の最上階には騒音対策としてクラスの教室や学年室などが存在しない。したがってとりわけ音楽準備室はあたかも音楽教師のプライベート空間のような部屋となりがちである。

     他方で美術や書道の教室(高校の場合は工芸室がある場合も)は2階、3階を割り当てられることが多く、比較的、他教科の教室や準備室、学年室なども同じ階に存在するために相互監視の機能が働き、度を越えたプライベート感が出てしまうことはまずないといえるだろう。

     そもそも音楽でなくとも芸術科の教師は既に初任の段階から校長と同様に、個室を与えられるという特権を有しているのだ。しかも音楽室は4階という、最も人気の少ない階にあることが多く、他の教員の目を気にする必要が比較的少ない点で、芸術家の中でも一層、特殊な環境にある。

 個室といっても訪問者の多い校長室の場合、事務室と隣り合っていることが多く、さすがにプライベート空間といった空気感を校長室が漂わすことはまずない。しかし、音楽準備室だけは非常に特異な条件下に置かれている。これは音楽教師だけが初任時代からずっと経験してこられた、極めて特殊な環境なのである。

 当該教師が仮に他の教科の教師だったとすれば、さすがに洗濯物を準備室に干そうとは思わなかったはず。もちろん冬季を中心に、グランドでの部活指導などの際に急な雨に降られ、濡れてしまったジャージや靴下を学年室や教科準備室のストーブで乾かしていた教師は少なからずいた。しかしその場合ですら、たいてい他の教員がいるため、本人が目を離したとしても火事になる危険性はほぼ無かった。ところが当該教師の場合、音楽準備室がなまじ個室であったため、他人の目が存在しない分、誰一人、出火の瞬間に気づくことができなかったと考えられる。

 つまり経験豊富な校長ならば、こうした4階における音楽室の特殊性と危険性を踏まえた、何らかの対応をしておくべきだったのだ。4階の音楽室の出火は想定外…という言い訳は通用するわけがない。そもそも、この校長、一度でも音楽準備室を訪問したことがあるのだろうか、実に怪しい。仮に一度も訪れていないとすれば、学校全体の防火管理責任を担うべき管理職として失格ではないのか。

東京・北区の小学校火災、音楽室の「救助袋」使用できなかった可能性…文科省が

     全国で設備点検など求める方針 読売新聞 2026.6.22

     とんでもなく間抜けな対応であろう。文科省が全力で取り組むべきは全校舎へのスプリンクラー設置義務付けであり、救助袋の点検などではない。あの状況で仮に教師が救助袋を利用できていたとしたら、むしろどれだけの惨事を招いてしまったのか、考えてほしい。おびえている小学生24人を全員、救助袋で無理やり迅速かつ安全に降下させるために、一体どれほどの人員と時間を要するのか、文科省の官僚はまったく分かっていないようだ。まず自分たちこそ、救助袋による避難訓練をその設置も含めて体験しておくべきだろう。

     救助袋を使わなかった担任の判断は完全に正しかった。にもかかわらず今回の火事が一方的に教師側、学校側の不始末であると断じられ、救助袋の点検や設置訓練、降下訓練を年に複数回、学校に義務付けられるようなら、今後、学校は災害時の住民の避難場所を決して引き受けてはなるまい。

     関東大震災並みの大地震が発生すれば、数多くの住民が学校に押し寄せる。体育館では足りずに教室の使用も十分、考えられる。とりわけ問題なのは海浜部の地域だろう。津波の到来に備え、海浜部の地域では体育館ではなく、校舎の上層階が避難所にあてがわれるはずだ。地震の発生が授業中だったとすればとりあえず、児童生徒の避難先も上層階の教室になる。場合によっては住民と児童生徒らで3階、4階の教室はすし詰めとなるかもしれない。しかも川沿いの低層階の校舎しかない学校や近くの幼稚園、保育所からの子供たちもそこには混じってくるだろう。

     その際、問題となるのはトイレだけではあるまい。避難後の余震や火事の発生に際して繰り返し校舎から脱出すべき状況が生じることも十分、予想される。その時、危険で非効率な救助袋など、一体誰が利用しようと思うだろう。

     そもそも救助袋自体、あまりにも旧式過ぎる器具ではないのか。一人ひとりがゆっくりとしか降下できない非効率そのものの救助袋を、この期に及んで再点検し、補修修繕することに一体どれほどの意義があるのだろう。救助袋など、せいぜい逃げ遅れて取り残されてしまったわずかの数の人々を救助できるに過ぎない器具であろう。これ以上、無駄を重ねる愚は避けたいものである。

 住民の命と健康を最優先するのならば、学校は避難所に適していない。学校が避難所を引き受ける能力に欠けるのならば、避難所は学校とは別に用意、設定すべきである。児童生徒の命と健康を最優先するならば、救助袋に頼らないで済む避難方法も別途、必要となる。また児童生徒の避難誘導が消火活動よりも優先される学校では初期消火の実現こそが最も急がれるだろう。つまり学校にスプリンクラーの設置は本来、マストの課題だったはずなのだ。

 スプリンクラーが常備され、エレベーターやエスカレーター、そして冷暖房完備の近代的なビルにお住いの文科省の官僚たちこそ、こんな非道を言う前に率先垂範、まずは一度でも学校に来て救助袋(できれば垂直式)で降下していただき、冷たい床で一晩、寝泊まりしていただければ、幸いである。いかがか。

小学校に津波“90人の命守った大震災前日の行動と避難マニュアル超えた校長の決

    断【サンデーステーション】ANNnewsCH 2024/03/11 10:01

    この件を校長や教師たち学校側の美談にしてしまうかのような報道姿勢にはどうしても強い違和感を覚える。災害に際して学校の判断のみが児童生徒の生死を左右するわけではあるまい。直前の地震を機にたまたま校長らが避難マニュアルを見直し、再検討したからこそ、マニュアルの問題点を把握できた…という点は決して見逃してはならない最重要ポイントである。

 仮に校長が出張中で、避難マニュアルを見直していなかったとしたら、震災当日、どのような判断を校長が下していたのか…実に不安である。校長は普段から出張が多い。大川小学校での悲劇を考えればそのことも問い直すべき大きな問題であろう。

 そもそもが、たまたま津波の高さが屋上に達しなかったから全員が助かっただけであり、それはあくまでも紙一重の判断だった。津波は屋上に避難した人たちの足下に迫っていたのだ。こんな偶然の積み重ねでかろうじて避難民が助かった出来事を、報道する側が安易に美談化するのは極めて無責任であり、軽率のそしりを免れまい。

 津波被害を繰り返し受けてきた東北の太平洋岸、それも海岸近くの小学校が何と2階建であったことにも愕然とする。一体、なぜこのような津波に弱い校舎があの場所で存在を許されていたのか、マニュアルの不備も含めて教育委員会に厳しく追及するのがまともな報道のあり方だろう。将来に向けて役立つ真の教訓とするためにはこの学校の英断を褒めるだけで良いはずがない。 

津波防災啓発動画「津波からにげる」   気象庁/知識・解説 2024/03/08 5:23

    「石巻の奇跡」はあくまでも中学生の迅速な避難行動によるものであり、実は小学校では津波に備えて校舎の3回に避難する予定だった。つまり小学校だけを見れば大川小学校と同等の悲劇がここでも生じていた可能性があったのだ。ただでさえ自分たちだけで判断することが難しい子どもたちである。せめて教師たちが少しでも早く指示して適切な避難場所へ誘導すべきだったのに…ここでも実際には出来ていなかった。つまり、宮城県では小学校の津波対策が所によって不十分であり、避難訓練も、避難ルートも、十分な危機感をもって行われていたわけではなかった

    幾度も深刻な津波被害を受けてきた東北の太平洋岸に位置する宮城県である。北上川という大河と標高の低い大きな平野部を擁する仙台市、石巻市を中心とする地域ではただでさえ津波の被害が生じやすい。したがって殊更に慎重な津波対策がとられていてしかるべきであった。これは一体、どういうことなのだろう?検討すべき課題は多いはずである。小学生向きのアニメであるが、高校でも議論のたたき台として十分に活用できるだろう。日本の学校の持つ体質を踏まえながら、災害時における教師、学校のあるべき対応について、しっかりと考えてみたい。

    なお、大川小学校の教師たちも犠牲になったのだから、彼らを後付けの知識で批判すべきではない…といった、妙な意見がネット上で見られる。しかしだからといって当時の教頭の最終的判断によって多くの人命が失われた事実を軽視して良いわけでもあるまい。学校は大勢の命を預かっているのであり、とりわけ管理職の判断がものを言う古風な世界である。一人の間違った判断で大勢の命が犠牲となった責任を、たとえ故人と言えども回避できるわけではあるまい。

 当然、避難ルートの選定と認定に関わった関係者もまたそれ相応の責任が問われるだろう。また以前から防災訓練に携わってきた歴代の教員たちの責任も重いと言わざるをえまい。なぜ、津波の被害を受けやすい川沿いのルートを避難ルートとして選んでしまったのか、厳しく追及するべきである。

“救われた命”と“失われた命”‥大災害の現場で教師に求められる決断とは!? 次の

     「その時」に備えて‥被災地で学ぶ教師たち 

     CBCドキュメンタリー 2022/04/19 10:05

 日頃からの徹底した取り組みが生徒たちの命を救った成功例は釜石東中学校の非難でよく理解できるだろう。しかしそれを「奇跡」と呼んで済ませられるものでは決してあるまい。

 これが仮に「奇跡」であるとするならば、日本の学校の多くは同じような災害にあった時に児童生徒を救うことができない、ということを無責任にも是認してしまうだけであろう。児童生徒の命を救う事こそが災害時の最優先事項だとするならば、釜石東中学校の取り組みこそが防災訓練の標準でなければならないはずなのだ。それは決して「奇跡」なのではなく、必然であり、当然でなければならない。

 大川小学校はどう立ったのか、に関してはこの番組では不十分な内容なので、「【なぜ子どもたちは避難できなかったのか】津波に襲われた大川小学校が“遺したもの” 東日本大震災から12年【newsおかえり特集】 ABCテレビニュース 2023/02/24 16:24」をぜひ、あわせて視聴させたい。防災教育の内、津波対策としてはこの二つの番組を組み合わせて利用することをオススメする。

避難所となる公立学校の防災機能…冷房85.5%、断水時トイレ75.1%

    リシード 2025.6.26

    避難所に指定されている公立学校の防災機能が急速に高まっている…こう受け止められかねないような文科省の調査結果ははたして本当に信用できるのだろうか?

    この記事では「別の調査(公立学校の体育館等における空調<冷房>設備の設置状況に係る調査)では2025年5月1日現在、公立小中学校における体育館等への冷房の設置は約2割にとどまっている今回の調査では、災害時に避難者が滞在することを想定している部屋等(体育館のほか、会議室や教室等を含む)のうち1部屋以上、利用可能な冷房機器を保有している部屋があれば保有しているものと取り扱っているためと考えられ、災害時におもな避難先となる体育館への設置を、引き続き推進していく必要があるという。」とある。

    ならば「冷房85.5%」という数字は現実的な防災機能のレベルを決して示してはいない、という事になる。よくよく注意して読めば、むしろ35度を超える猛暑日でさえ冷房施設のまったく無い学校=避難所がいまだに14.5%も存在している、という残念過ぎる実態の方が逆に浮かび上がってこないだろうか。

   これまで 学校での避難では授業優先の発想から教室よりもまず体育館の利用が優先されてきた経緯があるだろう。体育館では冷房どころか暖房すら不十分であることは今までの報道でも明らかである。たとえ体育館などにジェットヒーターが数台、用意されているとしてもはたして燃料は何日分用意されているだろう?おそらくせいぜいが2~3日分に過ぎないのではあるまいか。多くの学校では保管における安全面などを考慮して卒業式などに間に合う程度の燃料しか所有していないのかもしれない。

    自衛隊等による燃料の補給を当てにし、防災に必要な分の燃料を用意していない学校が一体どれほどあるのか…毎度のことながら文科省には自ら学校現場に踏み込んで本当の状況を調べる意欲がなさそうだ。回答者がいくらでも嘘をつける、盛ることの出来るアンケートごときで実態が把握できる、と思うこと自体、馬鹿げていることはない。文科省や教育委員会が当てにならないならば、実際に避難を強いられ、惨めな思いをするだろう市民自身が厳しく学校の取り組みを監視するほかあるまい。

    いかにも防災にしっかりと取り組んでいます、と虚栄を張り、上辺の見栄えばかりを取り繕うとする公立学校の管理職たちの悪しき性癖を、同じ穴の狢ともいえる文科省が知らぬわけはあるまい。こんな杜撰な調査をして事足りる、と高をくくり、学校現場での欺瞞を平気で看過してきた文科省ごときにケチで知られる財務省が防災に必要なだけの予算を気前よく用意してくれるとは到底思えない。馬鹿を見るのはいつでも避難民であることを忘れてはなるまい。

   さらに言えば 防災教育の任にあたるべき学校自体がこの程度の防災機能しか備えていない…という現実に日本の公教育の貧困と欺瞞とが見事に濃縮されていると思うのだが…

なぜ日本の学校は「暑くて寒い」のか…専門家が「先進国とは思えない」とあきれ

     る「日本の公共建築のお粗末さ」   プレジデントオンライン 高橋 彰 2026.5.18

     日本の学校は戦前からの鍛錬主義の残存と教育予算の削減を前提とした政府の財政政策によっておよそ先進国としてふさわしくない貧弱さを長らく維持してきたようである。災害時の避難先となって近隣住民が体育館で寝起きしない限り、その貧弱さは広く認識されることが無かった。近年、この記事のような指摘がなされるようになったのは、阪神淡路大震災、東日本大震災、能登沖大地震などが相次ぎ、人々の避難先たる校舎の居住性への関心が高まってきたことが背景にあるのだろう。

 問題は校舎の設備面、機能性の貧弱さを日々、痛感してきたはずの教職員側からの発信もまた貧弱だったことに潜んではおるまいか。学校に冷房の無かった時代、汗まみれになってどうにかこうにか夏をやり過ごしてきた児童生徒たちの不満を、教師たちはなぜ声を大にして代弁してこなかったのか…児童生徒の安全や健康を、日本の教師たちは本当に真剣な気持ちで心配してきたのか…いまだに鍛錬主義の亡霊が日本の校舎を徘徊してはいまいか…管理職らの責任も厳しく問われるだろう。

参考動画

津波から10日目に救出された少年「奇跡」の違和感間違いだった避難の選択”東日

   本大震災から14年【明日への羅針盤】

   仙台放送ニュースチャンネル 2025/03/26 14:04

   非常に貴重な体験であり、かつ体験者が高校1年生であることも生徒達には切実な問題として響く動画である。ぜひ視聴させたい。

3.11_東日本大震災_ONE OK ROCK 「Be the light 」

 yuki mizobata  2013/05/06 7:53

 東日本大震災を振り返るならこの動画が一番だろう。当時、有名となったシーンの数々がワンオクの「BE THE LIGHT」の曲とともに紹介されている。それぞれのシーンがどんな場面だったのか、できるだけ解説しながら視聴させたい。

 時折、衝撃的な場面があるので事前に予告はしておくべき。多くの犠牲を無駄にしないために、今、何をするべきなのか、どんな心構えをしておくべきなのか、視聴後はアンケートをとっておきたい。

 ※大川小学校の悲劇については「その1」で詳しく触れている。

猛暑と熱中症対策で夏休み延長の学校が全国に拡大中!教育現場のホンネは

    アサ芸biz 2025.7.10

 ろくに自分で現場を取材せずに教育専門誌の記者の言葉を鵜呑みにするような記事を「アサ芸」はネット上に晒していても良いのだろうか。そもそも記者はどんな調査結果を元にしてこんなにも無責任な事を語っているのだろうか。

    …文部科学省が昨年発表した『公立学校施設における空調(冷房)設備の設置状況調査』によると、教室冷房設置率は小学校99.1%・中学校98.9%・高校99.4%といずれもほぼ100%近い。学校関係者からは、『気温の高い日は屋外での体育の授業を避ける必要はあるが、わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる』との意見もあります…とのご指摘、呆れるほかない。真面目に取材する意欲の欠片も見えないような、いい加減極まりない杜撰そのものの記事であろう。

    災害級の暑い日にわざわざ児童生徒たちを学校に来させるのならば、学校はせめて普通のご家庭並みの冷暖房を完備できていなければなるまい。しかし学校の体育館に冷房が備わっているのだろうか、芸術科目の教室などの特別教室にも冷房は完備しているのだろうか、冷房費を節約するために、教室内の気温を無視して冷房時間を厳しく制限していないだろうか…児童生徒の命にもかかわりかねないほどの猛暑が続く現状の中で、「わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる」という、根拠不明で誰のものとも分からない発言をあたかも教育現場のホンネであるかのように紹介する、その鈍感で無責任な報道姿勢には怒りすら覚える。

【閲覧注意】子供が見たら泣くレベル…冷酷すぎる自民党と戦う山本太郎【最新国

   会】山本太郎の国会質問!参議院・予算委員会(2025年3月10日)

   山本太郎 on the BEAT【切り抜きch】 2025/03/11 18:53

   ボランティア、NPO頼みの能登における災害復興の実態がよく分かる国会の質疑応答であろう。震災から1年以上も経っているのに後片付けすら終わっていない能登の現状は一体何を物語るのか。「災害大国」日本は本来、「防災大国」でもなければ経済大国として立ち行かないであろう。しかし能登の現状は日本が災害大国であり、人災大国でもあることを雄弁に物語ってはいないか。

「復興・復旧なんて夢のまた夢」能登半島地震から1年 被災地で加速する人口流

   出【報道特集】TBS NEWS DIG Powered by JNN  2025/01/19 22:31

 1年経っても廃墟のまま、残骸の片づけすら進んでいない地区もあるという現状は日本がもはや経済大国ではなくなっていることを示しているのかもしれない。しかし、それにしても無残というほかない能登の現状ではある。

 今後の南海トラフや関東直下型あるいは千葉県東方沖の大地震、さらには富士山等の大噴火に対して日本政府や都道府県が出来ることはおそらく極めて限られている。それは石川県の現状を見れば一目瞭然だろう。この動画を視聴し、今のうちに私たちが日本政府や都道府県の残念なほどの無力さをしっかりと思い知っておくことは、各自が災害を生き残る上での大切な心構えにつながっていくに違いない。

 かつて都市部に人口を集中させて行政のコンパクト化、効率化を推進する動きが地方では数多く見られた。財政の苦しい地方自治体ではとりわけ、少子高齢化が極端に進んで過疎化した農村部などを容赦なく切り捨てて都市部への移住を進める政策がとられていた。そして今や地方の切り捨て政策はいよいよ大規模化し、市町村単位の切り捨て、さらには都道府県単位の切り捨て政策までもが進んでいるように見える。日本はきっと防災の備え、避難生活も、かつて以上に厳しく「自己責任」が問われる、非情冷酷な時代に突入しているのだ。

小学校の廊下、階段、教室を埋め尽くす避難してきた人 神戸の最低気温は1度 映

   像に記録された発災直後の混乱 水や食料はほぼなし 阪神淡路大震災と同じ課題

   が浮き彫りとなった能登半島地震 カンテレNEWS 2025/01/17 13:08

   この時の教訓が今、どこまで生かされているのか、きわめて疑問であろう。学校が避難所として役割を果たせるようになるのは一体、いつの事なのか。日本の政治と教育の本当の貧しさはここに集約されていると考えるが、いかがか。女性の視点が特に欠けている点は、いかにもトップレベルで女性差別の国である日本らしい。

南海トラフ巨大地震と富士山噴火に備えよ【鎌田浩毅氏】◎『M9地震に備えよ』発

   刊記念講演|PHP研究所  2024/08/26  17:16

   南海トラフ、首都圏直下型、西日本内陸部の直下型といった大地震に加えて、富士山の大噴火と気候の寒冷化について、簡潔に説明されており、防災教育として基本的知識を身につけるうえで最初に視聴させたい動画の一つであろう。

つんだもん】激詰めされ、ついに読み上げソフトと化してしまう大臣【最新国

   会】山本太郎の国会質問!参議院・環境委員会(2025年3月13日)

   山本太郎 on the BEAT【切り抜きch】2025/03/14 19:49

   国会では実際にどんな審議が行われているのか、その実態が非常に分かりやすく伝わってきて、大いに参考となる。やや視聴時間が長いが、ぜひ、最後まで視聴させたい。政府側答弁が言い訳、ゴマカシ、すり替え、官僚作成の答弁書の棒読みに終始し、議員との対話がまったく成立していないことに呆れるだろう。

 福島原発の事故以来、住民の避難、すなわち生命、安全の確保に関しては実効性のある対応がほとんど進められていないという現実に身のすくむ思いがする。こうした状況の中で原発推進の声が再び高まっている事にも大きな不安を感じざるを得ない。

   福島での放射能汚染は今もかつての住人達に大きな試練を与え続けている。コミュニティは破壊され、土地もすっかり荒れてしまっている。原発のある地域での住民への安全対策がいつまでたってもいい加減なまま、政府は当該自治体にいざという時の対応を丸投げしているという情けない事実に注目したい。

   東日本大震災の教訓は十分なレベルで生かされているとは言えないだろう。原発関連施設で散々繰り返されてきた事故隠しの隠蔽体質もまた十分に改善されているとは思えない。これで日本は「防災大国」を自任しているのだから実に恐ろしい。本当は「人災天国」という方がふさわしいのではないか。

「今来てますよ、津波が!」届かなかった絶叫…放送で命は守れるか 大災害発生

   時もう一つの最前線 アナウンサーたちの葛藤【テレメンタリー】

   ANNnewsCH  2024/03/16  24:28

   山田アナウンサーの絶叫がなぜ人々を動かすことができなかったのか、ぜひ、生徒たちに考えさせたい。

 「なぜ多くの人が逃げ遅れてしまったのか」東日本大震災から13年…住民100人の

   避難行動を映像化 浮かび上がった危険な避難行動 生死を分けた津波避難の教

   訓【テレメンタリー】 ANNnewsCH  2024/03/23  24:45 

   この疑問こそが津波の教訓が生きていたはずの東北での被害の謎を解く上で最も重大なものだろう。ぜひ、児童生徒に視聴前、あらかじめこの問いを突き付けたい。

 石巻では家族の安否確認やや防災グッズ、あるいは忘れ物を取りに行くために避難先から自宅や職場に引き返してしまったケースが極めて多いことが分かっている。いざという時に家族が集まる場所を決めておかなかった、過去、大きな被害が出てこなかったために住民たちの津波への認識が甘かった、さらには周辺の住民も自宅の後片付けをしていた、などのせいで避難が遅れてしまい、犠牲者が多数でてしまった過去をきちんと教訓にできるか否か、学校での防災教育のあり方が問われているだろう。

 

AkikinnJAPANチャンネル

【300万再生突破】【南海トラフ巨大地震】元自衛官として本当に無念としか言い

   ようがない。自衛隊の無力さに涙が出ました。【大規模震災保存版】

   AkikinnJAPANチャンネル  2024/08/09  30:07

【防災グッズ】1人だけ助かっても意味がないでしょ。リアリティが無さすぎる。

   実際の現場を経験した元自衛隊レンジャーが教える家族が実際に生き残るためのミ

   リタリー式サバイバル防災。 AkikinnJAPANチャンネル 2024.10.12 28:04

【防災グッズ】私ならこれを準備します。元救助隊員「防災リュック」の中身お見

   せします。東日本大震災で準備できなかった最も重要な教訓。

   AkikinnJAPANチャンネル  2024/08/14  26:19

   災害時の避難生活に対する心構え、用意する物についての、これまでの認識が完全に一新されるかもしれないほど、貴重で重要な示唆に満ちている。大災害時には混雑して避難所に入れないことをまず大前提とすべき。したがってテントと寝袋、防水バッグについてはもう一度、確認しておきたい。自宅を出て避難する場合は、食料と水を最小限にしないと避難、移動のスピードと距離が制限されてしまうおそれもある。

 同様のテーマで紹介してきた他の動画とは一線を画するほど、豊富な実践経験に基づいた斬新な指摘には目からウロコ。過酷な実地での経験を軸にした、元自衛隊員ならではの現実的、実践的かつ厳しい認識、アドバイスは大いに参考となるだろう。少し視聴時間が長いが、防災の心構えと実際についてのより有効でしっかりとした認識を作る上で、まず最初に視聴させたい最もオススメの動画である。

 なお次の動画も併せて視聴させると良いだろう。

【至急】南海トラフ地震、これ持ち歩いて。巨大地震を生き抜くホンモノの防災ポ

   ーチ【健康防災備蓄】 防災士いろはの『健康防災ナビ』  2024/08/12 20:30

   日常的に私たちが持ち歩くべき防災ポーチは、当然のことながら児童生徒や教師にも必携のものではあるまいか。こうした防災用品を常時、学校にもそれなりの数を用意しておくべきだろう。でなければ住民の避難所を学校が引き受けるのは無責任過ぎると思うが、いかがか。

 今すぐにでも防災意識を高めることを兼ねて防災ポーチの携帯を児童生徒、教師全員に義務付け、ランドセル、リュック等に入れておくことを徹底させたい。

・RESCUE HOUSEの動画

 このチャンネルは数々の被災地、救急救命の現場に立ち会ってきた元消防レスキュー隊員による豊富な経験を踏まえた実践的な防災対策、救助活動、効果的な避難行動等を教えてくれる貴重な動画が多い。

 以下、学校での防災訓練や社会科以外でも視聴させたいオススメのものを列挙しておく。

【TOP5】被災地はこの防災グッズが必要‼︎巨大地震発生後に買い占められるモノ

   を消防レスキューが紹介

   【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス  2024/04/21  13:30

【完全保存版】驚きの商品が防災グッズに無印良品の爆売れ〇〇を消防レスキュ

   ーが徹底解説

  【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス 2024/02/16  17:43

【注意】間違った防災を消防レスキューがぶったぎる

   【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス  2024/02/03  12:29

【防災NG行動集】9割の人が〇〇をします。防災はお金をかけずにできるのを消防

 レスキューが徹底解説

 【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス  2024/01/24  13:11

 被災時についやってしまいがちな危険行動とは何か、あらかじめ知っておくことは非常に重要。前の動画「間違った…」とともに必見の動画である。生徒たちに予想させたり、途中で動画を止めて危険な理由を考えさせたりすればより効果的。

【完全版】2024年絶対にすべきに防災対策を消防レスキューが徹底解説!

   【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス  2024/01/19  18:18

 事前にできる対策には何があるか、水や食料の備蓄以外で見落としがちな重要ポイントを知っておきたい。

【BEST4】現場で使う防災グッズを消防レスキューに本気で選ばせてみたinワーク

   マン。 レスキューハウス  2024/02/02  12:35

 正月早々の能登半島での地震で防災への意識が高まっている現在、防災グッズの見直しは極めてタイムリーな話題。ワークマンで販売されている品が中心なので授業での視聴は避けたいが、今回、紹介されている四つの品はどれも用意しておくに越したことはあるまい。飲料水、食料の備蓄や防寒対策等は他の動画などでこれまでも繰り返し紹介され,ある程度までは周知されてきているが、家族や近隣の遭難者を救護するためには消防レスキューの観点での用意が必要不可欠となってくる。大規模自然災害などの際に備えて家庭で実際に備蓄している物を列挙させ、今の自分たちに何が不足しているのかを認識していくためにも各自が今後、用意すべき物をそれぞれ確認する作業をさせておきたい。

【2024年最新版】100均で見つけたら即買いの防災グッズ!消防レスキューがオス

   スメするオススメの百均防災グッズとは⁉︎2024/02/28  16:02

   安く手に入る優れた防災グッズが紹介されていて大いに参考となる。

【2020年最新 防災術】南海トラフ巨大地震・首都直下型地震などの巨大地震から

 命を守る地震対策スキル(防災グッズ)を紹介!消防士たちが選んだコスパ抜群地

 震に対する100均防災対策スキルも同時公開! 2020/05/08 23:10

【防災プロ厳選】消防自衛隊員が備えている防災グッズを公開‼︎

 2021/04/16 10:57

 避難する際に持参すべき物はホイッスルと照明器具の二つであり、水や非常用食料などは後回しにすべき、との指摘は大切。大規模災害で人命が失われる、最も多いケースが「逃げ遅れ」であることは肝に銘じておくべき。

 モバイルバッテリー、使い切りマイ洗浄機「お尻シャワシャワ」(生理用品としても)、エアーマット、簡易トイレなど、あるとかなり助かる。

 ※防災グッズに関しては「【永久保存版】意外と知らない!?ホームセンターで買える防災グッズ -災

  害 あなたができるアクション- 【カインズ】 2021/04/09 日本財団 16:34」が役立つ。

  サランラップやアルミホイルコーヒーフィルター(汚水の濾過用)、避難先での防災時のポンチ

  ョ(トイレや着替えに利用)、レスキュー寝袋、アウトドア用カセットコンロ、ヘッドライト、

  リーザーバック(炊飯や防水パックにも利用)など日用品も含めて常備しておくべきだろう。 

  「【100均】100円ショップで揃う!誰でも防災グッズ -災害 あなたができるアクション- 【ダイ

  ソー】 2021/05/28日本財団 17:37」で指摘されているようにヘッドライト(人数分)、L

  EDソーラーライト(ガーデニング用)など数が必要なモノは安価なモノを手に入れたい。他にも

  「【防災グッズ】ほぼダイソーで揃う♪非常持ち出しリュックを作ろう🍀2021/02/23 なんで

  もない日ちゃんねる 8:29」、「【プチプラ防災】家庭の災害対策 在宅避難 編 2020/09/03

  eo official 7:59」、「100円ショップでそろう!今買うべき防災グッズ 2021/06/02

  福岡・佐賀 KBC NEWS 5:06」、「「枕元ポーチ」で大地震や津波から停電時に走って逃げる

  準備|防災グッズを学ぶ[そなえるTV]2020/05/08 死なない防災!そなえるTV 13:19」

  など役立つチャンネルは多い。特に夜間の停電時の避難を前提とした防災グッズの準備は必須

【実証】消防レスキューが3つの救出方法を徹底解説‼︎ ニュースには載らない現場

 での救助搬出方法が女性でもできるぐらいカンタンすぎた‼︎“阪神淡路大震災/首都

 直下型 2022/01/14 11:50

 被災者救出の大きなカギを握るのはこの搬出方法だと思われる。この方法ならば高校生でも大人を担ぎ上げてなおかつ片手をフリーにしながら素速く移動できる。救急隊だけでなく、全員が知っておくべきスキルの一つ。毎年、ただ急ぎ足で校舎外への避難と整列点呼ばかりを繰り返す訓練は見直すべき。

【緊急対策】火事で生き残る唯一の方法とは!?消防経験者が教科書には絶対に載っ

 てないたった一つの手段を伝えます2021/09/18 14:37

 出来るだけ姿勢を低くして外に避難することがなぜ大切なのか痛感!これも全員視聴させたい。

【危険】子供の救命時に絶対やってはいけない3つの行動‼︎消防レスキューがみた現

 場の裏側がヤバすぎた2021/12/29 14:43

◎【消防24時‼︎】消防士が経験した驚愕の心肺蘇生の事実‼︎〇〇をしないとあなたの

 家族が助からないヒーローがやっていることとは⁉︎2021/04/11 15:39

 5㎝ほど凹ませるので高齢者の場合、骨が折れてしまうことは当たり前にある、と言う指摘は非常に大切だろう。骨が折れることを恐れて心臓に届かないマッサージをしても何の意味も無いという。AEDによる電気ショックが終わったらすぐに心臓マッサージを再開することも覚えておくべき。

【驚愕】喉づめ時にこれだけはするな‼︎正月テレビでみたのは間違い⁉︎消防レスキ

 ューが現場で使った緊急救命対応を徹底解説‼︎ 2022/01/02 9:18

【死因TOP】子供がSOSを出せない危険なモノ過酷すぎる消防現場で必要な防災

   を消防レスキューが徹底解説

  【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス 2024.3.14 22:13

   まず喉詰に特有のチョークサインがあるのか、あったのかを確認。

 喉に詰まりやすい、誤嚥しやすい食物は餅、こんにゃく、イカの刺身、鯛の骨、リンゴ、パン、ミニトマト、ブドウ、ピーナッツ、枝豆等。幼児ではスーパーボール、ボタン電池、入浴剤等を誤飲、誤嚥して喉を詰まらせたりしてしまう。背部叩打法(左右の肩甲骨の間を掌の付け根で下から上へ抜けるように強く叩く)と上腹部圧迫法(ハイムリック法:拳で上腹部を押し上げるように強く圧迫)の二種類は絶対、知っておくべき。

 年に約9000件も発生している窒息事故に対する心構えは全員、必要。

 

RESCUE HOUSEの動画以外で役立つ情報

防災備蓄|これが無いと困るかも|内閣府推奨のおすすめ備蓄食料|値上げ・食料

 危機対策にも|正しく備えて安心 食料備蓄|何をどれだけ揃えるか分かります!

 2022/06/12 はやとの防災・防犯知識ch 6:06

 食料の備蓄に関して要領よくコンパクトにまとめられている。

防災|【新生活防災】 新しい環境での防災チェックポイントを解説|新社会人・

 新入生・引越をして環境が変わったという方 必見です!2022/04/17 はやとの

 防災・防犯知識ch ~不安だから一緒に考えたい~ 5:26

 卒業間際の3年生向けに視聴させたい。

スウェーデンの全世帯に配布される危機対策マニュアルを大公開| 危機の時に大切

 なこと、用意すべきものは?|北欧在住日本人ゆるトーク

 2022/04/09 Nord Labo -北欧研究室-21:06

 先進国のマニュアルは大いに参考となる。

参考記事

卒業祝う赤飯給食2100食廃棄 福島・いわき「3.11になぜ」で 市長「相談ない」 

    産経新聞 2026.3.16

   「3.11」がどんな日なのか、まさかいわき市の中学校5校で過去、一度も教えてこなかったはずはあるまい。この日に卒業記念の特別献立を計画した際、誰一人としてそのことに気付けなかったとしたら、事は極めて重大である。いわき市は海にも面しており、東日本大震災で大きな被害を受けていたはず。この日に黙とうをささげるだけではなく、直前には全校生徒対象に防災講話などの行事が幾度となく組まれてきたはず。それなのになぜ…

 いわき市市教委の対応も多少、奇妙であるが、最も重大な過失は保護者から疑問を寄せられるまで、当該学校関係者が日程の問題に気付けなかったことだろう。過去の防災教育の実施状況が深く疑われても仕方ないほどの失策である。被災地であるにもかかわらず、防災教育に消極的、無関心はあり得ない。

首都直下地震「犠牲者最大2万3000人」は楽観的すぎる地震工学の権威がはじき出

   した「最悪の被害シナリオ」   プレジデントオンライン 三浦 房紀 2025.3.27

   もしかしたら「徒に不安を煽る」との政治的判断からなのだろうか、東京都南部を震源地とする直下型大地震による被害想定があまりにも甘過ぎるとのこと。確かに犠牲者数を「最大23000人」と見積もるのは極めて現実離れしていそうに思える。仮に実際の犠牲者数が想定を大幅に上回った時、またぞろ政府は福島原発の時の様に「想定外」を口にするのだろうか。

   デフレの時代が続き、少子高齢化も加速する時代ではある。悲観的な見通しばかりで憂鬱さが募る一方であった日本社会、失われた30年…ようやく景気浮上の兆しが見えてきた現在、大地震や富士山噴火のような、いつ起きるとも分からない悲観的予測は確かに気分が悪くなる。せっかく立ち直りかけた日本にあたかも冷や水を浴びせかけるようで、誰しもが重い気分に沈むだろう。

 とはいえ、20年にも満たない間に東日本大震災、熊本地震、能登沖地震と立て続けに日本は大地震に見舞われている。これは現実の出来事であり、悲観的予測の話ではない。そんな日本で今、一人でも多くの人を大災害から救おうと考えるならば、どんな情報が必要とされるのか、政府にはしっかりと考えて欲しい。

 おそらく現在の日本国民に喫緊に必要とされているのは、残念ながら「最悪のシナリオ」の方ではあるまいか。オリンピック、万博…などと下手にお祭り気分を煽って現実の厳しさから国民の目を逸らさせている場合ではないのでは…

 こうした状況の中で石破政権の目指す防災庁の設置は一見すると正しい政策なのであろうが、子ども家庭庁が何一つ実績を上げられずに出生率の低下はいよいよ酷くなるばかり…という都合の悪い先例もある。この現状を考えると、防災庁の設置も形だけの取り組みに終わる可能性の方が高い。いずれ大災害による「想定外」の被害が発生した際、政府の言い訳、逃げ口上に利用するための防災庁の設置なのでは…と国民の多くは勘繰りたくもなるだろう。

「防災研修はリアル伝えないと無意味」…体育館で避難所生活し1泊体験、参加女

 性「過酷さは想像以上」 読売新聞 2025.1.20

 借金まみれの自治体が多い中で避難所の管理、運営は地方に丸投げ…「災害大国」でありながら、災害関連死を30年も放置してきた国家に果たして税金を払う義務はあるのだろうか…大いに疑問。政府は増税を言う前に役立たずの国会議員を減らして、重要な政策は国民が直接投票できるような法改正と体制の整備を早急に着手すべきだ。

 どう見ても男性中心のまま、すっかり高齢化した今の政府、国会議員にこれらの対策を実行に移せる力量は無い。ただでさえ複雑に高度化し、変化の目まぐるしい現代社会である。そもそも一人の人間が現代のあらゆる問題に通底していることなど考えられないのだから、代議制そのものを根本から見直す時期に来ているはず。

消防団員が足りない! 存続の危機 変革迫られる消防団

 NHK政治マガジン 2023年7月4日特集記事 

 市民の医療福祉、教育、安全にかかわるほとんどすべての機関、組織で深刻な人手

不足に直面している原因について考えさせたい。特に日本の場合、地域に密着したきめ細やかな介護や防災、防犯、貧困、子育てなどの対策はこれまで市民によるボランティア活動にその多くを依存してきたと思われる。

 しかし都市化や地方での少子高齢化などによってボランティア人材の高齢化と不足が現在、一気に表面化してきた。傍から見ても2024年1月の能登沖大地震の復旧が遅々として進まず、東日本大震災での教訓が十分には生かされていない印象を私たちが受けてしまう背景に少子高齢化への行政による対応の不十分さや遅れが指摘できるのではあるまいか。しかも行政側の人材不足まで深刻化する中で巨大地震の発生確率がいよいよ高まっている。事態は相当切迫してきているようなのだが…

 そんな中で強行された防衛力増強、老害政治家による差別発言と汚い利権まみれだった東京オリンピック、それなのにさらに強行されようとしている大阪万博…これらのお祭り騒ぎが高度成長期の時のように実際、日本の景気を浮上させ、人々の生活を向上させて国家が抱える莫大な債務を減らすことにつながるのならば確かに大勢の反対を押し切ってでも実行する意義はあるに違いない。

 が、はたしてその裏側はどうなのだろう。特定の人々だけが得をするような、醜い利権構造は今回、払しょくされているのだろうか…自民党議員たちの裏金問題を見るにつけ、政治家たちの主張を疑いもせずに真に受けるお人好しは今の日本にどれほどいるのだろう。パーティー券売買の裏側で蓄積されてきた国会議員たちの裏金、政策活動費の使途も見逃せまい。また安芸高田市に見られるように地方議員の腐敗は国政以上に深刻ではないのか。

 中国の低迷もあって日本の株価は今、記録的な値上がりを見せているようだが、これを手放しで喜べる人もやはり相当のお人好しなのだと思うが、いかがだろう。


 

④公立高校の独立行政法人化?

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

夏の甲子園に出場する公立校はわずか9校、男子校ゼロは4年ぶり データで見る高校

     野球 産経新聞 2026.7.5

     …今大会に出場する49校のうち、公立校は9校にとどまった。また男子校も年々減り続けており、今大会は4年ぶりに出場がない。歴代の出場校を見ると、新たに共学化や閉校が決まったケースもある。第1回大会からのデータを基に、延べ3843校の出場校を分析する…

     このところ学校教育関係の新聞記事に物足りなさ、突っ込みの浅さ、独自取材の少なさに辟易してきたが、最近の産経新聞は辺野古沖転覆事故の件の報道も含み、記事が非常に充実してきているように感じられるのだが、いかがか。実際、このブログで最近、紹介している記事の多くが産経新聞なっている。

     春夏の甲子園野球は特に学校教育を歪めかねないほどの負担を教師や保護者、生徒たちに強いてきた。そのしわよせは卒業生にも及んでおり、高野連の保守的体質とともに見直すべき点は数多い。今回の記事に見られる産経独自の視点に基づく統計データはこの問題を検討する上で大いに役立つものと考える。

     「全体の約8割を占める私立校が、新型コロナウイルス禍で中止となった2020年大会を挟み、17大会連続で全国制覇している」「私立の出場校は、1995年以降は常に5割を超えている。今大会は40校で、8割超を占める」との指摘は私立の優位性を野球の世界でも明確に示している。

     もちろん全国大会の優勝校は他のスポーツでも私立優位であろうし、進学実績においても同様の現象がみられる。公教育の没落は高校教育無償化の流れの中で一層加速していくに違いない。

GPT-5.2「共テ正解97%」が示すAI脅威論の現実

     東洋経済オンライン 野口 悠紀雄 2026.2.1

 現在、AIと人との分業の在り方が真剣に問われている。そして共通テストが測定している「学力」=「…定型化された問いに対し、正解が一義的に定まる問題を、限られた時間内に正確に処理する能力である。具体的には、暗記力、既存の解法を適用する能力、計算や読解のスピードと正確性など…」が既に相当時代遅れのものであることはもはや明白だろう。

    AIがはるかに人類を上回っている、そうした力を敢えてヒトに身に付けさせること自体は必ずしも無駄、というわけではないが、少なくともヒトの学習は後期中等教育段階あたりで「定型化されていない問いを問う力」、「正解が一義的に定まらない問題に取り組む力」にそろそろ力点を移すべきだ、ということであろう。

 とはいえ、このことは共通テスト、という国家的大規模テストの在り方を続けようとする限り、問題の作成、採点の難しさを考えると、その実現が困難を極めることは容易に想像できるだろう。

 考えられるのは共通テストをあくまでも最低限の学力、知識を問う、ただの足切り専門のテストと再定義し、最終的な合否判定には一切使用できなくする。そしてAIと分業できるような、今後、強く求められてくる学力の確認は個々の大学の試験に委ねるしかあるまい。

 いずれにせよ、急がれるのは高校教育の根本的な見直しである。教師、教科書が押し付けてくる「正解」をひたすら理解し、覚え込む…という受け身のスタンスから、最適解を求めて協働する、試行錯誤する能動的な学びへと軸足を移していくには相当の工夫と努力、時間が必要とされよう。

 しかしながら、すっかりブラック化し、ゆとりの欠片も無くなってしまった公立高校にそれが出来るとは到底思えない。真っ先に国が取り組むべきは大胆な学校業務の精選の方であり、それ抜きではどんな改革も実現できるはずがない。

 しかし改革への意欲の乏しい国がそんな面倒なことをするはずはない。結局、改革するための資源が圧倒的に乏しい公立を見捨てて、一部の私立の努力に高校改革と国家の命運を託する…という他力本願的方向を日本はグダグダと辿っていくのだろう。

高校授業料の「実質無償化」で公立、私立の選択はどう変わる?「私立と公立が同じ

     土俵で戦うことは困難」と専門家が指摘する理由

     AERA DIGITAL 柿崎明子 2026.1.23

 仮に高校の教育改革を一刻も早く進めようとするならば、頑迷固陋な文科省、教育委員会の無意味で意地悪な縛りから比較的自由な立ち位置にある私学を育てるのが手っ取り早いと考える。公教育の改革を待っていては貴重な時間と税金の無駄遣いが続くだけで馬鹿らしいだけである。

     今までの教育行政の迷走ぶりを振り返れば明らかなように、公教育こそが学校改革の足を引っ張っている…したがってこの事態を放置しておくと、何時まで経っても革新的な教育の進展は見られぬままだろう。それは日本社会全体をさらにどんよりと停滞させる大きな原因となってしまうはずだ。

 少子高齢化の弊害も本格的に加わってくることで、急速に変化を遂げている国際社会の歩みに日本社会は一層の後れを取るばかりとなる…事態は一刻を争うほどに切迫しているのではあるまいか。このような観点に立てば、公教育をとりあえずギリギリまで縮小させることこそが、公教育を含めた日本社会の改革を加速させる上でも、タイパやコスパが良いのではないかと考える。

 まずは東京都や大阪府で生じているような、一刻も早い「公立高校」の惨敗と縮小こそが私立の意欲的な試みをさらに活性化させ、依然として「親方日の丸」意識の抜けない文科省や公教育側には危機バネとして機能する、すなわち教育全体の改革への強烈な火付け役を果たす、と私は考えるが、いかがか。

都内公立高校受験は「英数国社理」ピカイチでも門前払い…内申で"致命的な減

     点"がある子の親の口癖 プレジデントオンライン清水 章弘 2026.1.22

     …近年、公立高校入試において実技4教科の比重が高まっているのは、「知識の活用」と「多面的な資質・能力の評価」を重視する文部科学省の方針と社会的な要請が背景にあります。

     文部科学省は、2020年度から全面実施された新しい学習指導要領において、育成を目指す資質・能力を「3つの柱」として再定義しました。これは、単に知識を覚えるだけでなく、それを活用する力や、主体的に学ぶ態度を評価する「新しい学力観」に基づくものです。

     実技4教科は、美術の制作、体育の実践、技術の設計など、座学の5教科では評価しにくい「思考力・判断力・表現力」や「主体的に学習に取り組む態度」を具体的に評価するのに極めて有効です。内申点の比重を高めることで、生徒が全教科の学習に偏りなく取り組むことを促しています。

     また変化の大きい時代において、企業や社会は、既知の知識を効率良く処理する人材よりも、協働性、創造性、問題解決能力を持つ人材を求めています。実技教科でのチーム活動や創意工夫のプロセスは、これらの非認知能力を評価するのに適しており、高校入試の段階から生徒の多様な能力を測る必要性が高まっています。

     実技4教科の重要度は、今後も継続して高い水準で維持されるか、さらに高まる傾向にあると考えられます。大学入試改革と同様に、高校入試も学力検査だけでなく、調査書の内容や面接、特色検査などを重視する多角的・総合的な評価へと移行しています。実技教科での高い評価や、特別活動の記録が合否に占める割合が増加する傾向は今後も強まるでしょう。…

 以上、引用が長くなってしまったが、いわゆる内申点における技能教科重視の傾向の背景をこのような綺麗ごとの表層的理解で本当に良いのだろうか、極めて疑問である。第一、四つの技能教科を入試対象5教科の倍、内申点において過重評価しているのが東京都、宮城県、秋田県、10倍もの過重評価をしているのが鹿児島県…などとくれば、これが「知識の活用」と「多面的な資質・能力の評価」を重視する文部科学省の方針に応じたものとは限らない、ある種の後ろ暗さ、表には見えない怪しさを感じてしまうのだが、いかがか。

 まして…実技4教科は、美術の制作、体育の実践、技術の設計など、座学の5教科では評価しにくい「思考力・判断力・表現力」や「主体的に学習に取り組む態度」を具体的に評価するのに極めて有効です。内申点の比重を高めることで、生徒が全教科の学習に偏りなく取り組むことを促しています…という清水氏の一面的評価が高校の実情とかけ離れた、まったくの見当外れとなる危険性を秘めている、と個人的には考えてしまうのだが、いかがだろう。

 …トップ校に受かる子どもは、勉強はもちろん、行事や部活、実技科目も前向きに楽しみます。この「何事も面白いと感じる好奇心」こそが、結果として内申点「オール5」を引き寄せます…という清水氏の指摘は文科省に媚びを売りつつ、どう見ても進学塾の経営者としての視点があからさまになっている…いわゆる進学校への受験しか清水氏の念頭にないから、こんな的外れの指摘をしてしまうのだろう。

 教育困難校では中学校から送られてくる内申点の評価を、今の東京都のように技能教科重視に変えていこうという議論はとっくの昔から出ていた。しかしこの時の技能教科重視の理由は、清水氏や文科省の観点とは似ても似つかない、極めて後ろ暗さのある理由であった。

 教育困難校では5教科の内申点が合否決定のポイントとして、必ずしも重くはない傾向がある。5教科の学力に関しては既に入試の得点があり、学力に関してはそれ以上の情報は余分なもの、とまでは言えないものの、大して重視すべきポイントにはならないと考える一部の傾向が、まず学校現場にはあるのだ。

 教育困難校ではそもそも5教科などの学業の評価よりも出席や平常点(提出物など)を重視する傾向が普段から極めて強い。したがって高校入試においてもその傾向は強く出てしまいがちになる。実際、授業中の態度の良し悪しは入試の得点とほとんど比例しない、という印象を持つ教師は少なくあるまい。その一方で、技能教科の評点が高い生徒は出席や平常点が良く、総じて授業態度も良好である、との印象が困難校の教師には少なからず、ある。

 学校生活の平穏を重視し、生徒指導を軸とする教育困難校では5教科よりも技能教科の内申点、出欠席を重視する傾向が昔からあるのだ。鹿児島県の技能教科偏重と批判されかねない内申点の評価は文科省の唱える綺麗ごととはほとんど無関係であると私は断じているのだが、いかがか。東京都、宮城県、秋田県も似たような観点から内申点を評価しているのではあるまいか?

東京都立高の一般入試スタート 全日制の倍率は過去最低1・29倍 無償化が影響か 

   産経新聞 2025.2.21

 大方の予想通り、東京都も大阪府と同様、公立高校の入試倍率が低下している。しかし、それ自体は高校教育の改善に関してプラスでもマイナスでもないだろう。府立高校や都立高校が多少、統廃合されたとしても高校教育の改善には必ずしも結びつかない。問題は教科書検定制度と共通テストによる授業内容の過剰な画一化や統制強化、教育行政の過剰な管理主義化、知識偏重主義の横行、一斉講義形式の蔓延、肥大化するばかりの学校業務、大学での教員養成教育の遅れ、旧態依然の教員採用試験と管理職登用試験、各高校における不公平な校内人事…などなど数多ある。

   これら、山積する難題を学校間や教師間の新自由主義的競争、単純な市場原理だけで解決できるわけがあるまい。法制度の大幅な見直しを前提とする、1980年代の臨時教育審議会並みの、腰を据えた本格的で中長期的な展望に立った議論が、今後は避けて通れない、と考えるべきだと思うのだが、いかがか。

高校無償化巡り、教育の質の重要性を石破首相強調「卒業証書さえもらえばよいと

   いうものではない」 読売新聞 2025.2.26

県立高校一般入試、最終倍率は0.82倍 志願者は3159人 朝日新聞社 2025.2.26

   県立の全日制普通科高校の受験倍率が県単位で平均1倍を割り込んだのは宮崎県だけではない。富山県では史上初めて0.99倍となっている。高校教育全体の無償化が検討されている中で、公立から私学へと受験生がかなり流れてきているのだろう。このようなことは大阪府や東京都では以前から表面化していた。当然、これは早くから予想されていた事態である。

   競争原理が働かない上に「金太郎飴」のような没個性の公立を、できるだけ数多く淘汰し、激しい競争を通じて高校教育全体の質を向上させる…こうした維新の会の目論見はいよいよ全国レベルで進んでいくだろう。しかし、長い事、無競争もあって停滞気味の公立高校の没落を今後、加速させていくことが、実際に高校教育全体の質を上げていく…という保証は必ずしもない。私学の教育の質があらゆる面から公立よりも本当に高いのかどうか、は多少、議論の余地があるからだ。もちろん、公立高校の質は全体として決して高いレベルではないが…

  真っ先にここで問われるのは学校教育における「質の良さ」とは一体、何なのか?ということだろう。石破首相が言葉にする「質の良さ」とは具体的に何を意味しているのか、詳細に問うべきである。学校教育を語る際、下手な美辞麗句、抽象的な理念は誤魔化し、誤解、曲解を避ける上でもできるだけ口にすべきではあるまい。

日本の公的教育支出は、GDP比で見ても子ども1人あたりで見ても他の先進国より低

    い ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者)2025.9.22

 この厳然たる事実は手を変え品を変えて繰り返し、指摘されるべきである。「教育立国」というまやかしのスローガンに騙されてはなるまい。政府はさらに教育予算を削るべく、大学のみならず高校まで独立行政法人化を図ろうとしているに違いない。

 こんなまやかしの政府を支持し続ける国民のお人好しさ加減に呆れるほかない。

50校中40校が定員割れ 熊本県立高校のあり方検討会が2034年度までに学級約2割減

    を示す 県立高校の魅力づくりに自治体や企業との連携も

    FNNプライムオンライン 2025.9.15

 「2027年度から熊本市内の高校も含め全校で計画的に学級を減らし、2034年度までには現在の約2割に当たる62学級を減らすことなどを示した。また、学校の魅力づくりのため、自治体や地元企業との連携を推進することも提言した。」とのこと。

    松下琢会長(崇城大学教授)は「高校は地域にとっては活力の源。地域創生の要。(学校存続を)目標にして地域で努力してほしい」と述べたという。

 この無意味な検討会の不気味なまでの無意味さは会長の言葉で際立ってしまっている。ただでさえ学校のブラック化が進んでいるのに、学校を地域創成の道具として地域社会で盛り立てよ、とのご託宣である。急速に少子高齢化が進む地域社会に県立高校を盛り立てていくだけの力が残っているはずがない。

 県立高校の不信は熊本県に限ったことではない。中学生たちから進学先として見放されている県立高校の問題点を全国レベル、県レベルでまずは縷々指摘し、その改善点を考えた上で熊本県における県立高校の魅力づくりに関する提言は行われるべきだろう。

 県立高校の魅力が乏しくなった背景に何があるのか、その責任はどこにあるのか…県教委の責任と国レベル、文科省の責任をも詳細に論ずることなく、高校再生の努力を地域社会に丸投げするだけの提言に一体何ほどの価値があるのだろう。呆れてものが言えなくなるほどに噴飯物の、意味不明な検討会の提言である。

 この記事からも分かるように、学校改革をめぐる議論のレベルの低さはもはや絶望的なものではあるまいか。なぜ教育を巡る議論がここまで劣化してしまったのか、マスコミや教育行政側、研究者側の責任も決して軽くはあるまい。

山内省二の一筆両断 公立高校の独立行政法人化? 変化し過ぎた「何でもあり」を

 危惧 産経新聞 2023.7.24

 公立中学校や公立高校の独立行政法人化を構想する政治家グループがいるらしい。明らかに少子高齢化に直面する地方の実情を無視する噴飯物の暴論である。これでは地域間格差の更なる拡大は不可避となるに違いない。

 かつて国公立大学で実施した政策をきちんと検証し、まともに反省しないうちに中等教育段階にも適用するという極めて無責任で安易極まりなく、かつ危険な構想。これ以上、学校現場を混乱させ、学校のブラック化を推し進めて何をしようというのだろう。

 競争原理を公立学校に導入して学校の淘汰を推進する試みの一部は大阪府で進められているが、大阪府での隠蔽問題を中心とする学校の不祥事は相変わらず続発している。特に表では学校の業績ばかりを喧伝する裏側で不祥事の隠蔽を進めかねないのがいかにもポピュリズムらしい「人気取り政策」の大きな欠点だと思われる。

 そもそも学校教育の質を向上させるにはまず教師養成教育の見直しを先行させる必要があるはず。それに仕事量の軽減と教師の授業力向上こそが喫緊の課題なのであり、余分な仕事を増やしかねない構想は百害あって一利無し。

 また山内氏は学校を保守的な任務を帯びるものと決めつけているが、大切なのは保守と革新のバランスであり、学校の保守的機能ばかりを強調するのは合点がいかない。こんな珍妙な議論が存在していること自体、今の日本の教育が腐敗しきっていて、まさに存亡の危機にあることを示しているのだろう。

高校無償化で公立離れ!? 「高校教育改革」を自公維が提案

    朝日新聞社 2025.6.13

 給特法改正や高校無償化が高校教育の改善と結びつく保証は無いだろう。もちろん、保護者にとって無償化は歓迎される。しかしそれは教育内容の改善とはほぼ無関係である。学校のブラック化やブラックボックス化を押しとどめるものでもあるまい。給特法改正に至っては教師の待遇改善すら望みようのないただのゴマカシに過ぎない。さも「教育改革」を進めているかのように見せかけ、その実、教員の持ち帰りサービス残業を増やすだけである。

    当然、教育内容のみならず、教育方法、教員人事を含む教育行政、教員養成…それらをすべて根底から見直すべきである。改革の目指すべき方向は部活動の地域完全移行を軸とする教師の職務削減、授業改革、授業改革を軸とする教員養成教育の見直し、画一的で管理主義的かつ不透明な教育行政の民主化、透明化などであろうか。

    「公立離れ」は主たる問題ではあるまい。場合によっては公教育の縮小すら視野に入れるべきかもしれない。いかがだろう。

「大阪ではタダなのに…」大阪で私立人気高まり公立70校定員割れ 兵庫県の県立高

   は独自策で志願者増 高校無償化巡る維新・与党議論は平行線

   FNNプライムオンライン   2025.2.11

   高校の授業料を完全無償化すること自体に反対する人は少ないだろう。現状として義務化と言って良いほどに高校の進学率は高い。同調圧力の強い日本である。高校への通学を半強制的に強いる日本社会ならば保護者の経済的負担は少ない方が好ましいに決まっている。しかし高校授業料の無償化自体は授業改革を柱に据えた、高校教育の質を高める経営努力に直結するわけではあるまい。

   もちろん授業改革を軸に据えて学校の個性化を大胆に推進し、教育の質を高める経営努力を行えるような環境がしっかりと公立高校に存在していれば、授業料の無償化は教育の質を上げていく可能性が出てくるだろう。授業料という公私の壁が取っ払われる分、授業の良し悪しを巡って公立と私立との競争が激化し、授業の質が良くない高校や教師は淘汰され、質の良い教師や高校は生き残る…結果的に高校教育全体の質は向上する…といったように市場の競争原理が健全に働く事態は考えられなくもないからである。

 問題ははたして公立高校が授業改革を軸とした独自の経営努力を行えるほどに自由な環境にあるのか否か、という点。あたかも金太郎飴みたいに授業内容から授業方法まで均質で、共産主義社会の様に厳重に管理されてきてしまった伝統を持つ多くの公立高校は、決して民間企業のような、独自の経営努力を行えるような環境に置かれてはいない。そもそも校長を含めた教師自体、自分の所属する学校への帰属意識は極めて低いのが現実であろう。

 社員ならば企業の成長が自分の生活に直結するため、管理職を含め、多くの社員たちは会社の経営状態に無関心ではいられない。他方で公立高校の多くの教師は、勤務校の定員割れや中退者の増加に、我、関せず、である。公立高校教師の多くは運命共同体的帰属意識など勤務校に対してほとんど持っていない。学校経営の責任者たる管理職自体がそもそも勤務校の経営に無関心であるばかりか、授業の質を高める事への意欲、知識すら皆無の人物は少なくない。

 第一、勤務校へ3年間しか在職しない管理職に独自の学校経営など出来るわけが無いのだ。彼られのほとんどは自己保身に走り、ひたすら不祥事が起きない事だけを欲している。ゴールはあくまでも自身の円満退職とその後の好条件な再就職先の確保なのであり、本音では目の前にいる生徒たちの人生など知ったこっちゃない…

 管理職に学校改革、授業改革の意欲、資質すらほとんど存在しないような公立高校と、少子化の中で生き残ろうと必死にあがき、独自の経営努力、授業改革を強いられてきた私立高校とがこれまでのような公私の「棲み分け」をやめて生徒募集で激しい競争を行うことになれば、その勝敗は明白である。大阪府や東京都の様に公立高校の過半は淘汰されていく他あるまい。

 もちろん、それは好ましくもあるのだが、視聴率稼ぎに奔走するあまり、不祥事を招いてしまったフジテレビの例もある。中学生の人気取りに走るだけの高校は大きな危険性も秘めているだろう。

 特に管理主義的傾向の強い千葉県などでは学校経営という言葉が教師や生徒たちへの管理統制、というマイナスの意味合いでしか用いられてこなかった伝統が濃厚に受け継がれてきた。だからこそ入学試験の志望者が入学定員の3割にも満たないような県立高校が毎年のように複数、存在しているのだ。そうした高校を含めて授業の見直しを軸とした独自の経営努力を目に見える形で行っている県立高校を、私自身も見聞したことは無い。

 つまり、今、根本から見直すべき重要案件は公立高校の硬直した管理主義、画一的教育の在り方なのである。もちろん、授業料無償化は直ちに実現すべきであるのだが、授業改革もまた別途、真剣に検討されるべきである。ただし、授業改革にあたっては大きな障がいが立ちはだかっている。学校のブラック化である。

 授業料完全無償化と教師の仕事の削減は喫緊の課題であり、どちらも蔑ろにはできない。授業料の無償化に加えて、教師たちが自己の授業改善に取り組めるだけの時間的体力的余裕を生み出す…すなわち学校の仕事量の大幅な削減こそが、現在、真っ先に求められていると考えるが、いかがか。

N高・S高の生徒数が3万人突破8年5か月で20倍に リセマム 2024.9.2

 なぜこの学校が急速に生徒数を増やしてきたのか、その理由について生徒たちに考えさせたい。また全日制普通科の公立高校が入学希望者数を増やすには今後、何が必要なのかも考えさせたい。

大学院卒なのに…「国立大教員の求人募集」で示された年収が驚きの低さだった

 ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.1

「日本の研究力」は韓国・イラン以下…20年で順位を急落させた「犯人」とは?

 ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.2

 国立大学の法人化から20年、その弊害が日本の研究力の低下と大学院進学者数の減少となって表面化しているという。日本の場合、大学院進学がかえって経済的なデメリットとして機能してしまうのだから、当然の結末ではある。若手研究者への待遇悪化はもっぱら人材力に頼ってきた日本経済をさらに悪化させるだろう。何せ、教育予算をずば抜けてケチり続けてきた日本である。当然の報いというほかあるまい。

 これは高等教育だけの問題ではない。高校以下、すべての学校が抱える問題でもある。講師の増加と正規教員の不足はすべての学校種で生じている。人材育成をケチってきた政策はいよいよ少子高齢化の極致に向かう日本をどん底の奈落に突き落としていくだろう。このことは何十年も前から指摘されてきたはずなのに、なぜ、政府はひたすら経済力を低下させる政策をわざわざ取り続けてきたのか、文科省はなぜこの動きを阻止できなかったのか、見直すべき点は余りにも多い。

 優秀な日本の若者はいち早く日本に見切りをつけて、いよいよ海外に飛び出していくだろう。中高年も同じように海外での再就職を目指すだろう。そして賃金が低く、外国人の受け入れに後ろ向きな日本には観光目的以外に外国人が来てくれる可能性は極めて低くなるだろう。日本における良質な労働力の、致命的レベルでの不足が生じてしまうのは最早、時間の問題なのだと思うが、いかがか。

 かつて「国家百年の大計」と言われて重視されてきた日本の学校教育はいまや瀕死の状態にある。目先の損得ばかりを優先し、教育や研究を散々冷遇してきた日本の今後に果たして明るい兆しはあるのだろうか。

 規律正しく、親切でサービス満点かつ安価な接客、独自のエキゾチックな伝統文化と世界最高レベルの料理、最高に安心・安全で清潔な社会、世界に冠たる日本の漫画・アニメ、伝統と共存する近未来的な東京の都市景観、時刻表通りに縦横に走る公共交通機関…少なくとも観光資源においては様々な観点においても断然、世界トップクラスを誇り、年々、日本を訪れる観光客は増えている。確かに現時点での日本は表向き、最も魅力に満ちた国ではあるだろう。

 ただし、それはあくまでも海外の観光客の視点に限られることはしっかりと認識しておきたい。今やネトウヨのごとく、もろ手を挙げて「日本万歳」を唱えている状況ではないと思うのだか、いかがだろう。

 もうしばらくすれば海外に雄飛できなかった日本の若者の多くが「無敵化」し、闇バイトは一層はびこるだろう。となればかつて日本が誇ってきた安心安全神話がたちまち崩れ出すに違いない。これまでは時間通りに運航出来ていた公共交通機関などでも、労働力不足等により遅延し始める。故障や事故も増えてくるだろう。橋や道路、ダム、高層ビル、港湾施設などの一部は老朽化し、深刻な人口減少に直面する地方では急速に廃墟が目立ってくるはずだ。

 研究力の後退によって日本企業の多くは競争力を失い、少子高齢化が進む中で国家の財政はいよいよ危機に瀕する。そして防衛費は倍増すれども教育予算は相対的に目減りしていく一方となる。これからの日本はこうした悪循環の中でひたすら落ちていく運命にあるのではないか。閣僚の選定からして石破内閣にそうした危機感はどう見ても感じられまい。

東京都立高校の4分の1が定員割れ。授業料の実質無償化で私立or都立のどちらを選

   ぶべき? ダイヤモンド・教育ラボ 2024.12.5

   いわゆる公立高校民営化の動きは、公立高校の独立行政法人化構想の改変バージョンとして大阪府、東京都で真っ先に先鋭化してきていると考えられるが、いかがか。いずれにせよ少子化への強い危機感をバネにして柔軟かつ大胆に改革を進める私立校の人気は今後、一層増大していくだろう。他方で硬直した官僚主義のシステムに縛られがちになり、改革が遅れ気味な公立校の人気はさらに低下していく。これは教育予算のさらなる削減を狙う都道府県としてはまことに好都合な状態であろう。

 少子化に便乗して学校の統廃合を推進し、厄介な教職員のリストラも同時に実現できれば、行政としては願ったり、かなったり。確かに地方財政の赤字は緩和されるだろう。しかし選択肢の多い都市部はともかくとして、公立しか選択肢の無い地方はどうなっていくのだろう。実はこの問題もスマートシティ構想の枠からすれば想定内であり、財政的に重荷となってきた地方が今後はさらに情け容赦なく切り捨てられてていくことになるのだろう。地方もどんどん「スマート」になっていくのだ。

 動きの取れない高齢者も切り捨てられ、公教育の改革は中途半端なまま、公教育の衰退だけが進行していく。現今の教員不足も、都道府県の財政からみれば人件費節約につながり、実に好都合。だからこそ文科省も都道府県も市町村も、軒並み、本音の部分では公教育の改革に消極的なのではないか。

 行政側は表向き、批判をかわすために「教育改革」を声高に叫ぶが、実際に改革する気は無い…とすればこれまでの文科省の的外れな弥縫策の連発も、実は本当の意図を知られないための、国民への「目くらまし」戦法として極めて有効なのかもしれない。何よりも目先の損得勘定を優先すれば、確かにこうしたプランが生まれてくるかもしれないのだが、はたしてこれで良いのか、疑念は尽きない。

なぜ今になって…? 教育研究者が「日本の公教育の崩壊が大阪から始まる」と嘆

 く“納得の理由” 文春オンライン 鈴木 大裕 2024.12.5

 新自由主義的な観点から導入された全国学力テストの点数争いと入学希望者数を軸とした学校間の競争が一体、学校現場に何をもたらしているのだろう。大阪府民の多くはこのことにあまり関心が無いようだ。

 公教育の解体と教育予算の削減、節約が文科省の真の狙いならば大阪府の取り組みはモデルケースとしてかなり高く評価できるだろう。実際、大阪府の公教育は衰退の道を順調に辿っている。維新の会が大阪府政を掌握してから廃校に追い込まれてしまった府立高校は既に20校以上にも上っているのだ。東京都も大阪府に追いつけ追い越せとばかりに新自由主義的立場からの都立高校再編を矢継ぎ早に進めている。

 事は大阪や東京に限るまい。少子化という追い風に乗って全国的に公立高校の多くが定員割れを続け、各地に統廃合の嵐が吹き荒れている。はたしてこれで本当に良いのだろうか、真剣に問い直すべき時だろう。

「部活動は教員のボランティア」のままでよい? 学校部活動が「地域移行」するこ

    とで生まれる格差とは…今後保護者がお金で買うべきサービスに

    集英社オンライン 2025.5.14

 学校現場からこういう根拠の乏しい発言が出てくることに驚きを禁じ得ない。まず「…日本では、政治が教育に介入し、教育が戦争に加担してしまった第二次世界大戦の歴史から、政治が二度と教育に介入できないよう、教育の独立性が保障されてきました。」というが、この間違いだらけの歴史認識には明らかにファクトチェックが必要であろう。

  戦後はアメリカの占領下、GHQによって日本の教育はアメリカの政治的影響を強く受けるようになっていた。そしてサンフランシスコ講和条約後にはたちまち戦前への回帰、「Uターン」が始まり、戦前、戦時中の勢力が教育の世界にも復活してくる。そもそも学校現場では戦前と大差なく、画一的な一斉講義形式の授業と管理主義、そして体罰が横行していた。1960年代にはアニメ、漫画の世界にチャンバラや戦争物が再登場し、柔道、剣道が学校体育に復活してくる。

 いずれにせよ日本の学校教育では政府や財界による教育への干渉が排除され、「教育の独立性が保障」されてきた…などといったことは、過去、一度たりとも無かったと言って良い。学校教育には時々の政治や経済の論理が現在に至るまで途切れることなく、強く、露骨に反映されてきたのだ。

 戦後、教育の憲法とも言われる教育基本法にズラリと掲げられている理想的建前はほとんどがただのきれいごとに過ぎない。戦後における学校現場での体罰の横行などを見れば分かるように、学校は戦前からの伝統的な慣習と戦後の新たな法律の共存に対して、常にダブルスタンダードな、矛盾した姿勢を取り続けていたと言っても過言ではあるまい。

 したがって教育基本法に定められた「教育における政治的中立性」などは、公教育ですらまともには守られて来なかったと言うべきなのだ。ただし私は公教育が政治や経済の影響を受けてはいけない、とは一切思わない。シンギュラリティの到来が目前に迫ってきたと指摘する識者が増えてきた現在、学校での生成AIの利用は必須である。それは児童生徒たちに対して、個別最適な学習の保障にもつながるだろう。

 ほとんど自浄能力を失い、自己改革の意欲にも欠ける公立学校は多い。児童生徒たちが時代の進展に取り残されないようにするためにも教育産業のみならず、特定の業界とのつながりが学校としては不可避となるであろう。学校業務や授業のDX化を推進する上でも業界のバックアップは必要となる。

 授業は今後、一斉講義形式中心から議論を通じた多様性の理解と学習者主体の、個別最適化を軸とする授業へと大きく切り替えていくべきである。ただしこうした授業方法の大きな変化は教師の負担を一時的にせよかなり重くする。結果的に多くの教師たちは部活動指導を行うヒマなどほとんど無くなるに違いない。そうした点でも部活動の地域社会への移管は不可避であり、地域移管のためにも学校と地元の公民館などの社会教育との連携をさらに強めていくべきであろう。

⑱辺野古沖の事故と北区小学校の火事

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

【緊急】テレビで言えなかった…東京北区の小学校の火事について

 【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス 2026/06/19 22:38

 このニュース映像に恐怖と疑問を強く感じた人は少なくあるまい。なぜ4階の危険な庇部分に子供たちが避難せざるを得なかったのか、火災報知器はどうしていつまでも鳴らなかったのか、音楽準備室の隣で発生した火事に隣室の音楽室にいた教師や児童はなぜ、気づくのが遅れたのか…疑問は尽きない。火災予防に対する知識の不足が根底にある、との指摘が動画ではされているが、不足しているのはおそらく防災への知識だけではあるまい。

 辺野古沖の転覆事故、校庭でのクギ放置問題、組体操(人間ピラミッド)問題、数々の学校事故、これらに通底するのも決して教師たちの防災知識の不足だけではあるまい。欠落してきたのは児童生徒たちへの安全に対する興味関心や配慮という、本来ならば決して失ってはならぬはずの防災への心構えそのものではあるまいか。

 安全配慮への小さからぬ欠如は、防火管理者であるはずの教師や校長らが根底に抱える大きな諸問題を予想させるはずである。公教育の貧困、つまり教育予算の不足に起因する学校設備の未整備、人員不足、学校のブラック化、ブラックボックス化…

そうした問題により停滞を余儀なくされてきた日本の学校が、皮肉にも地域社会における防災の拠点を担わされ、地域住民の避難先に指定されている。そして児童生徒には形だけの避難訓練を繰り返している…その結果としての、国民全体における防災意識の低下、停滞が学校事故の続発する根底に横たわっていないだろうか。

 だとすれば日本社会の「安全神話」はゆくゆく崩壊していかざるを得ないだろう。子供や若者の自殺が増え、イジメがはびこり、不登校が蔓延し、教職員のウツ、休職や早期退職が増え、深刻な教員不足が表面化している現状において、すでに学校における児童生徒、教職員の「心の防災」は機能不全に陥っている。この状態で学校における児童生徒の「心身の防災」が十全に機能するわけがあるまい。

参考記事

小学校で火災「音楽室から廊下にかけて白い煙」児童・教職員らはグラウンドに避

     難、けが人なし 長崎・雲仙市 FNNプライムオンライン 2026.7.14

     やはり音楽準備室からの出火だが、今回は清掃用具入れの周辺が火元のようだ。確かに清掃用具入れに隠れて授業をサボり、喫煙する生徒が稀にいる。吸い殻を階段や廊下の清掃用具入れに捨てていた生徒も少なからずいた。小学生の段階で薬物にまで手を出していたケースだってある。

     つまり小学生だから安心、学校だから安全といった思い込みは危険であり、地域を問わず、学校ならばどの場所であっても出火する危険性は必ずある。北区の小学校の校長のように「音楽室からの出火は想定外」とするような言い訳もまた、ある意味、大きな炎上の原因となる。

学校の火災 「あわや大惨事」から何を学ぶ     読売新聞 の意見 2026.6.23

     …袋の中を滑って地上に逃げる「救助袋」が設置されていた。教師は使用を試みたが、うまく使えなかったという…記者はこうした点を指摘し、なぜ、救助袋がすぐに使用できなかったのか、訓練不足を問題点の一つとして挙げているが、果たしてそうだろうか?この記者は実際に救助袋を使った避難訓練を児童生徒の時に受けてきた経験があるのだろうか…極めて疑わしい。

     救助袋には主に垂直式と斜降式の二種類がある。垂直式は降下するのが難しく、時間を要する。特に4階からの降下はかなりの恐怖を伴う。小学生では手際よくスムーズに行えるとは思えない。一刻を争う状況の中で24人の児童を次々と降下させるのはこの方式では不可能であろう。

 ならば斜降式ではどうだろう。これもかなりの安全配慮が必要であり、おそらくこのケースでは避けた方がよい。そもそも階下で児童たちを受け止める教員が、この方式では必須となっている。斜降式は垂直式よりも素早く多くの児童を降下できるが、着地地点での袋の固定はマストであり、これに問題があれば児童が腰を強打して大けがを負うことになりかねない。しかも斜降式では降下時の事故を防ぐために地上でもできれば3人の教員の配置が望ましい。地上での袋の固定には熟練とスピードが要求される。

 どのみちあの緊迫した状況では救助袋などの避難方法は使用不能。つまり、緊急を要するケースではほぼ利用困難な救助袋という、どうみても間に合わせの旧式な避難方法がいまだに学校では存続している…そのことがはらんでいる問題性は決して小さくはあるまい。

 加えて「学校では昨年208件の火災が起き、33人が負傷した。消防法の施行令によると、学校の場合、11階以上のフロア以外はスプリンクラーの設置義務がない。」という先進国としては見っともないほどのお粗末ぶり。ひたすら防災費用をケチってスプリンクラーの設置をサボり、初期消火の難易度を限界まで引き上げておきながら、いざとなると教師側の責任ばかりを問う…惨い、というほかあるまい。

【解説】学校に潜む初期消火の難しさ…スプリンクラー設置義務免除、消火より避

     難誘導を優先 最上階特有の怖さも     FNNプライムオンライン 2026.6.19

 日本の「学校では基本的には11階以上でないとスプリンクラーはつけない」ことになっているらしい。一事が万事。やはり日本の学校は児童生徒の安全を第一には考えていない場所なのである。当然、教師の安全も二の次にされる。

     消火活動よりも児童生徒の避難誘導が優先される、となれば教師の手による初期消火は不可能に近い。ならばなおさらスプリンクラーによる初期消火が必須とされるはずなのだが、日本という国は強制的に設置すべきスプリンクラーをいつまでたっても学校には設置させようとしない…これは一体全体どういうことなのか。児童生徒を預かる場所だからこそ、初期消火を目指してスプリンクラー設置を義務付ける…という普通の常識が日本ではまったく通用しないのだから呆れるほかない。日本の学校教育の貧困、ここに極まれり。

 加えて当該校長が「音楽室での出火は想定外」という、教師としては極めて不思議な言い訳をしている。確かに経験上、多くの学校はこれまで家庭科教室や理科教室を出火場所として想定し、避難訓練を実施してきた。しかし、これはその都度生徒たちの避難経路確定のための仮設定に過ぎまい。実際の出火場所がどの教室になるのか、多くの教師にとって事前に予測など不可能なはずだ。

 特定の高校ではタバコの吸い殻が校舎内のあちこちで見つかる。教師から隠れて吸おうとするので、校舎内ではとりわけ4階から屋上に上がる階段の踊り場やトイレ、特に4回のトイレは利用する教員の数が少なく、喫煙にとどまらず、恐喝などが行われうる、最も注意すべき場所となる。教師が校舎内を巡回する際には隅々まで絶対に見落とすことのできないのが校舎の最上階なのである。

 では小学校ならば校舎の4階は安全なのか?とんでもない。小学生の時からヘビースモーカーだった生徒はよく校舎内で喫煙していたと自慢していた。当然、屋上に向かう階段の最上階は教師たちから完全な死角になるため、絶好の喫煙場所となる。そうした場所では、私も実際、複数の学校で数多くの吸い殻を発見してきた。確かに今時は喫煙する小学生が少なくなっているだろうが、可能性ゼロと決めつけるのは早計であろう。4階の音楽室が想定外…これ、見え透いた嘘であり、ただの責任逃れの言い訳に過ぎまい。むしろ4階で不審火が生じる可能性は体育館裏や運動部室などとほぼ同じくらい高く、常日頃から厳重な警戒が必要な場所でさえある。

・辺野古沖転覆事故

参考動画

2022年度 辺野古コース【実施1年目】

    辺野古ボート転覆事故遺族日誌 2026/07/31 4:33

     ここでもスカート姿の高校生が映っている。大きく揺れるボートに無防備なこの姿で女子生徒を乗せて良いはずがない。あたかもジェットコースターのように、もっぱらスリル体験を売りにする、しっかりと安全設計されたアトラクションとこの無防備で命がけの研修とを混同したような「平和学習」には疑念しか覚えない。

 なぜ、この企画が継続されてきたのか、しっかりと検証すべきだろう。

2022年度 辺野古コース【実施1年目】

 辺野古ボート転覆事故遺族日誌 2026/07/31 1:44

 ただ単に「楽しかった」という程度の生徒の感想を聞くため、無防備な生徒たちを危険なボートに乗せている…その犯罪性を引率教員はまったく気づいていない。

2025年度 辺野古コース【事故の様子】

 辺野古ボート転覆事故遺族日誌 2026/07/31 5:51

 視聴するのに辛い場面がある。何のためのボートの操縦体験だったのか…疑問だらけである。相変わらずスカート姿の女子生徒が映っている。生徒たちを襲った波の高さも確認できる。授業ではまずこの動画から視聴させたい。

「猛省しなければならない」辺野古転覆事故の特別調査委が会見 同志社国際高の

     研修旅行中の事故で報告書提出     THE PAGE(ザ・ページ) 2026/07/31 9:37

     事故当時の状況がいかに異常だったかがよく分かる。死亡した船長や引率教員の異常さは特に突出していてまったく理解に苦しむ。こうした異常を許容し、生み出した同志社国際高校の学校風土もまた明らかに異常であったはず。当事者意識の欠落した無責任体制を長く続けてきた学校側の責任は極めて重大であろう。

 ただ「猛省」を迫ってみてもおそらくほとんどまともな反省は期待できないレベルの教師集団であると私は考える。そうでなければこれほど酷い無責任な手抜きをいつまでも行えるわけがない。また告発された校長、学年主任、引率教師らが、いまだに学校に在籍している、という常軌を逸した無智厚顔さもすでに度し難いレベルにたっしている。同校での不祥事を続発させない、との遺族の願いは、おそらく告発された教師を含めた教職員の全面的な入れ替え無しでは到底、かなえられまい。

「危険はあの日突然現れたわけではない」辺野古転覆事故 亡くなった女子高校生

     の家族が初めての会見 刑事告訴は「葛藤の末の決断」【news23】|TBS

     TBS NEWS DIG Powered by JNN 2026/07/31 5:37

     事故当時の波の高さや乗船中の様子が確認できる映像資料は、この事故を考える上で欠かせない貴重な資料の一つ。この映像があるからこそ生徒たちの安全を守ろうとしてこなかった教師たちの職務放棄ともいえる無責任な引率がなぜ何年もの間続けられてきたのか、その原因解明に役立つ資料の公開も、切に求められることになる。学校の牢固な隠ぺい体質を改めていくためにも、裁判を通じて教師たちの所業が詳細にわたって公に明らかにされていくことを期待したい。

【辺野古転覆事故】「真相明らかに」 遺族が記者会見 学校側含めた刑事責任追及

     へ 産経ニュース 2026/07/30 12:06

      学校長以外に刑事告訴された学校関係の人物が学年主任と引率教諭であったことがわかる点で重要な映像。ここを曖昧にしている報道は基本的にどれも信用できない。

【辺野古沖転覆事故】武石知華さんの遺族「子どもの命がずさんに扱われることの

     ない未来を」初の会見で思い語る 校長ら11人を刑事告訴 刑事責任を問う

     MBS NEWS 2026.7.30 8:37

     この声が同志社国際高校の校長や教師たちに届く日は本当に来るのだろうか。とりわけ乗船しなかった引率教師や学年主任に届いてほしいのだが…

辺野古沖転覆事故 遺族側は「刑事告訴」学校側の安全管理は…海保が同志社国際

 高校を家宅捜索 読売テレビニュース 2026/07/28 7:00

 ただの「事故」ではなく、「事件」というニュアンスがいよいよ強くなってきた。教員ならばこの事故の悪質さはすぐに理解できるはず。校長以外に告訴された学校関係者とは誰なのか、その中に引率教員は含まれているのか、引率教員は4月以降も学校で勤務を続けていたのか…問うべきことは数多い。告訴によってこの学校の問題点が洗いざらい表に出されてくることを願う。

参考記事

「学校は刑事責任を問われない…そんな前例にするわけにはいかない」亡くなった

     武石知華さんの遺族が会見 辺野古沖転覆事故

     FNNプライムオンライン 2026.7.30

     高知県の小学生水死事故で校長や引率教師の刑事責任が厳しく問われたように、学校もまた刑事責任を問われる事は教師として肝に銘じておくべきだろう。

同志社国際高生徒にも「教育中立性」問うアンケート 同校運営の学校法人、辺野古

     沖転覆で 産経新聞 2026.7.29

 この学校の対応が根本的に間違っている、という印象は一層、強まってきた。この件で学校として最優先で取り組むべきことは、学校、特に当該職員たちがなぜ生徒たちの安全確保を最優先して動いてこなかったのか、その原因を教師たち自らの手で解明し、追及することであったはず。また管理職ら、学校運営にあたる者たちもまた自らの手で修学旅行の準備段階から事故当日にいたるまでの教師集団の詳細な動き、判断の根拠などを徹底的に把握しようと努めることが急がれていたはず。これは当該教師らによる責任転嫁、過失の隠ぺいなどの動きを早期に封じる上でも、本来ならば管理職側として真っ先にとるべき行動だったはず。

 ところが、校長や職員らは重大事故を学校法人や京都府教育委員会、文科省の調査に事実関係の確認をあたかも他人事のように実質的に丸投げし、主体的に反省する意欲の欠片すら見せることがなかった。ただ単に外部の調査に協力する、という教師として無責任、無気力極まりない受け身の姿勢にひたすら終始してきた、との印象は免れまい。校長らによる保護者への説明が極めて曖昧で焦点のボケたものになってしまった要因が、そもそも校長らに教育の当事者としての自覚が大きく欠如していた点にあることは間違いない、と思うのだが、いかがか。

 にもかかわらず「生徒たちの安全確保」という最優先すべきテーマから世間の目をそらさせるかのように、文科省や一部のマスコミの動きに便乗して「平和学習における教育の中立性」という別種の問題に、学校側はいち早く話題を転じてしまおうとしている…違うだろうか。

 もちろん「平和学習の中立性」を問う側面も必要だろうが、今はあまりにも無責任で職務放棄とすら見える当該教師たちの動きをもたらした原因追及を学校として最優先させるべき段階だろう。この自省する姿勢が明確に表に出てこない限り、保護者や生徒たちの間にくすぶっている学校不信は決して拭えまい。またこの状態のままでは私学としての学校の個性と自治を守り続けることは不可能だろう。

 こうした不手際の連鎖はこの学校の教師集団の間に、何事にも「生徒任せ」「他人任せ」「業者任せ」の校風が蔓延している証拠ではあるまいか。残念ながら遺族からの刑事責任まで校長らが問われる段階に至ってしまった背景には、辺野古基地移設反対派側の問題に論点をすり替えようとするかのごとき校長、教師集団の当事者意識に欠ける、姑息さ、責任逃れの姿勢がいまだに無反省のまま、放置されている現状が続いていることへの遺族の強い苛立ちがある…違うだろうか?

<独自>辺野古沖事故 引率教員、死亡生徒の顔と名前一致せず 遺族「ずさんす

     ぎる」産経新聞 2026/7/6 17:41

 生徒を引率した同校の女性教師が知華さんの顔を知らず、身元確認ができなかった」という。また「引率教員は救急車に乗っても保護者の私たちに連絡をしてこなかった」と保護者も証言している。これで果たして「引率」の名に値するのだろうか。この引率教師たち、まるで折悪しく事故現場に出くわしてしまった無関係な観光客、ただの傍観者、下手をすれば被害者側であるかのような振舞である。

 …辺野古漁港に設置された防犯カメラ映像を確認するかぎり、救助された生徒が次々と搬送される中で、引率教師とみられる人物2人や平和丸の船長とみられる男性が、生徒の安否確認などを行った形跡はうかがえなかった

 遺族は「引率教員がバスに乗る前船に乗る前に点呼していれば、顔と名前ぐらい担当していなくても一致するはず」と指摘している。察するに当該教師はおそらく自分の担当するグループの名簿すら持参しておらず、船に乗る前にも生徒たちの点呼をとっていなかった、さらには事故後ですら点呼を取ろうとしなかった…ということになろうか。仮にそうだとしたら、引率教師としてまったくあり得ないレベルの無責任さを露呈しつつあることになろう。

 この二人は本当に旅行団の一員だったのだろうか?この二人は一体、何をしに沖縄に、辺野古に来たのだろう。救急車に同乗した程度しか仕事をしていなかった、とすれば事はあまりにも重大である。修学旅行は決して業者丸投げで行われる教師たちの慰安旅行ではない。

 当日の朝、引率を突然に割り振られたのだから、点呼を取らなくともよい…という言い訳はもちろん通用しない。ピンチヒッターだからといって生徒たちの安全確保、安否確認を怠ってよいはずもない。

 この際、徹底的にこの二人の事故当日の行動をできるだけ詳細に調べていく必要があるだろう。特に乗船グループに対する事前、事後の点呼の有無だけではなく、どのような事前指導をバス等での移動中にしていたのか、乗船中はどこにいて何をしていたのか、事故後、どのような働きかけを生徒たちにしていたのか、誰とどのような連絡を取り合っていたのか、加えてこの二人の修学旅行における役割分担の詳細と帰途につくまでの実際の行動もまたできるかぎり明らかにすべきだろう。

 通常、修学旅行に際しては「旅のしおり」のようなパンフを事前に配布し、詳細な日程や持ち物、ホテルの部屋の割り振り、乗車するバスの号車、見学別のメンバー等がすぐに確認できるようにしている。この二人の教員が引率時に持参していた資料を提出させ、そこに引率の際の注意点がどの程度書き込まれていたのか、もまた第三者の目で確認しておくべきだろう。

 これだけのずさんさを露呈したからには、この学校全体の修学旅行に対する取り組みの甘さ、とりわけ生徒の安全確保に対する無関心さが長期にわたって教師間に広くはびこってきたと考えるほかあるまい。この際、過去10年ほど前までさかのぼって、詳細にこの学校の修学旅行の取り組みを見直し、問題点をできる限り細部にわたるまで徹底的に洗い出すべきだろう。

 また旅行団の役割分担の適正さが気になってくる。特に辺野古コースの役割分担、人選の理由、学年主任、学年団の判断基準が問われる。転覆した際に生徒たちの救助に当たれないような女性教師を敢えて引率させてしまった責任は決して軽くない。「船の転覆は想定外」といった間抜けな言い訳は誰だってもう聞きたくあるまい。

なぜ「異論」が出ない? 教員の相互不干渉が蔓延か…同志社国際高校・辺野古事故か

     ら考える「学校ならではの風土」の問題点

     東洋経済オンライン 妹尾 昌俊 2026.6.21

     学校独特の組織風土からの分析は必要不可欠の視点であり、大いに参考となる。異動のほとんどない職場での「なれ合い」と「個人商店の集まり」のような相互不干渉の組織が生み出す議論の不在。これが客観的に見ればあり得ないレベルでの無責任な「引率」をも生み出していたことは確かに推測できる。

     とは言え、辺野古での「引率」教員の職務放棄ともいえる無責任さはあまりにも突出していないだろうか。「生徒と一緒に乗船しない」に加えて、あろうことか、生徒たちの様子を逐一、確認せず、点呼すらしない…これが仮に事実だとすれば、教師個々人の資質にまで言及せざるを得ないほどの問題行動である。

     仮にそうだとすれば、学年集団の責任の所在、個々の教師の責任がいまだに表に出てこない、という現状は隠ぺいそのものと疑われても仕方あるまい。ところが現場の実情に疎く、無責任さばかりを丸出しにする校長だけが表に出てしまうことによって同校の社会的評価はむしろ地に堕ちかねず、結局、同校生徒や保護者における学校運営への不信感が強まる一方となっているように見える。

 修学旅行における事故、特にコース別の研修に分かれる場合の事故責任は、実際には計画を策定し、教師の役割分担を決定した学年主任らに大きくのしかかるはず。旅行の細部までよく知りもしない校長がわけ知り顔で会見の場にしゃしゃり出るから、このような大失態をまねいているのではないのか。せめて生徒たちや保護者会の場では最大の当事者責任を負うべき教師たち(当日、「引率」した教員と学年主任は特に外せまい)が、一定の説明責任をも果たすべきだろう。

 旭川女子中学生凍死事件などでもそうであったように、校長や教頭が世間の矢面に立って釈明すればするほど、かえって隠ぺいが強く疑われることになりかねない。事件、事故に至るまでの詳細な経緯を知る教師たちを、校長は身を挺して庇っているのだ…という表向き麗くみえるポーズに隠れて、実際には問題を内々で矮小化し、誤魔化そうとする…こうした管理職や教育委員会のずる賢さに騙されてはなるまい。

<独自>引率教員と船長、生徒の安否確認せず 防犯カメラ映像入手 辺野古転覆3カ

     月 産経新聞 2026.6.17

 仮にこの報道が事実だとすれば、引率教員の罪は極めて重くなる。そもそもが生徒たちと乗船すらせず、加えて事故後において「生徒の安否確認せず」…は教員として絶対的にあり得ない行為であり、驚き呆れるほかない。これはどうみても「引率」の名に値せず、多くの教師たちの間に業者丸投げの無責任体質の蔓延を疑わせる。特にこの二人には引率教師としての職務の完全な放棄の疑いが極めて濃厚となってくる。やはりこの学校、管理職にとどまらず、教員組織全体に根本的な欠陥がある、としか思えない。

 今回の修学旅行の実態解明だけではなく、同校のこれまでの校外学習時において、はたして「引率」教師たちが、実際にはどのような「引率」をこれまでにしてきたのか、少し過去を遡って、徹底的に検証していく必要性まで感じる記事であろう。

 ぜひ、この件に関しても第三者委員会の綿密なる報告を待ちたい。

同志社国際 高2研修旅行先は「未定」 学校説明会も中止 沈黙する学校に保護者も不

     信感 産経新聞 2026.6.15

 …沖縄県名護市の辺野古沖で船2隻が転覆し、同志社国際高(京都府)の女子生徒(17)らが死亡した事故から16日で3カ月となるが、学校側から対外的な説明はほぼなく、保護者間で不信感が広がっている。同校の平和学習を巡っては文部科学省が先月22日に教育基本法違反を認定。ずさんな安全管理などを理由に京都府が私学助成金の減額を検討する事態にもなった。SNSでは根拠のない誹謗(ひぼう)中傷もあり、保護者は「事実と異なる情報は否定し、説明してほしい」と話す…学校側は第三者委が調査中として、積極的な発信や説明は行っていない。同校のホームページによると、4、5月の学校説明会なども中止とした……安全管理面での不安も根強い。「どうしてこのような事故が起きたのか。問題を指摘する教員がいない体制は変わるのか。そうした点の説明を急いでほしい」…3月の保護者説明会以降、保護者に対する説明会は開かれておらず、学校側から簡単なメッセージが送られてくるのみ。保護者は「私たちへの説明が全くされていない。もう少し丁寧に説明すべきだ」と訴えている…

 この学校の問題点は責任を負うべき管理職らを含む校内人事刷新への言及が学校側に一切無い、という点に集約できるだろう。第三者委員会の調査報告を待つまでもなく、安全管理に対する無責任体制を続けてきた学校側の体制転換を即刻、図るべきであった。むしろいまだに第三者からの指摘を待っていること自体が学校としての責任感の決定的な欠如を物語っている…そう保護者から糾弾されても仕方あるまい。

 3月時点で管理職らが一斉に退陣し、完全に一新された陣容の下で安全管理体制の構築に全力を注ぐため、次年度の研修旅行を含め、すべての校外学習を一旦中止する…この程度の決断すら即時にできなかった点が悔やまれる。

同志社国際高等学校の研修旅行等について(これまでの把握事項と文部科学省の見

     解)令和8年5月22日 文部科学省

     学校側が辺野古の平和学習に関して本来、事前に行うべき学習、とりわけ安全確保にかかわる事前指導を完全に放棄し、船長らに丸投げしていたという恐ろしい実態が明らかになりつつある。どうみてもこれは平和「学習」という名にまったく値しない、ただの手抜き、他人任せの行楽に過ぎまい。教師たちによる事前指導の内容があまりにも空疎すぎて生徒の学習にはほとんどつながっていないことが察せられる。

     これはやはり生徒の自主性を完全に無視した、大人たちの恣意ばかりが貫徹された奇妙な「何か」、ではないか。これは沖縄の活動家のための宣伝に一方的に利用される材料と化した何か、であり、同時に、修学旅行に名を借りた教職員のためのお気楽な娯楽観光に過ぎないのではあるまいか。

 むしろ沖縄の平和学習の価値を貶め、沖縄を愚弄するだけの、くだらない「行事」と化していたのではあるまいか。そしてそのことを一切、自覚せず、反省することもなく長年、続けてきた学校の責任はたとえいたましい犠牲者を一人も出していなくとも、すでに重大なものであり、学校法人としての存続すら、問い直すべきレベルの無責任過ぎる怠慢ではないのか。

 文科省が分析している通り、人事異動がほとんど行われない私学職員のなれ合い体質がこうした杜撰さの土台にあるのは間違いあるまい。やはり土台から腐っている組織であり、学校解体もやむを得ないレベルなのかもしれない。

【辺野古転覆】偏った情報を一方的に…「もはや平和教育ではない」遺族が投げか

     ける根本的な疑問 ダイヤモンド・ライフ編集部 2026.5.31

 遺族の学校に対する疑問の多くは私と重なっている。学校側はこの疑問に対して誠実に答えていくべきである。また他の学校がこの事故を他山の石として今後の教訓に活かしていくためにも、できるだけ包み隠さず、かつ詳細で具体的な報告が公表されるべきであろう。

文科省、学校法人同志社を指導 辺野古事故、安全管理「不適切」

     共同通信 2026.5.22

     この報道自体には何の価値も感じない。このような事故を二度と繰り返さないために文科省が何を問題視し、学校の何をどのように指導したのか、そして学校側が何をどのように問題視し、具体的に何をどのように教訓として活かしていくのか、私たちにはまったく不明である点で、日本の教育界全体にとってもほとんど意味不明な報道であろう。

     文科省が学校法人に指導を加える事は余りにも当たり前すぎて、この程度の空疎な内容を現段階で速報として仰々しく報道する意義が一体どこにあるのか、むしろ問い質したい。

     なぜ、これほどの杜撰な修学旅行が繰り返し実行されてきたのか、その実行に誰がどのように関わっていたのか、校長や引率責任者に個人的な責任は無いのか、旅行計画を事前に検討する学年会議ではこのコースについて一体どの程度まで検討が加えられたのか、引率教員らはなぜ、これほどの杜撰な計画を見過ごしてきたのか…等、問うべき点は多岐にわたり数多く存在している。もちろん、これらに関してはいずれ第三者委員会などによる調査報告がまとまり次第、私たちにも公表されるだろう。

     教師たちがこの事故を機に修学旅行、遠足、部活動の遠征などについて児童生徒の安全に対する配慮を徹底できるようになれるのか否かは、あくまでも事故に至るまでの経緯への詳細な検証とその報告が出てからの問題。詳細な事実関係が十分につかめていない現段階での文科省の指導なぞは、表向き「仕事してます」感を演出するだけのポーズに過ぎない。こんな演出ごときにマスコミが仰々しく速報を通じて反応する必要などあるわけがない。

参考動画

【辺野古事故】現場映像入手 生徒らを遠巻きに眺める引率教員の姿も

 産経ニュース  2026/07/03 17:33

 後発組の引率教員(男性)は生徒たちが続々と救出されてくる間、何もしていないように見える。その時、彼が何をしていたのか、詳しい説明が求められよう。また遭難した生徒たちの引率教員(女性)が初めて防犯カメラに登場するのは犠牲者の救急搬送の時である。救急車が到着するまでの間、救出された生徒たちが大勢いたが、彼女はそれまで何をしていたのか、これもまた詳しい説明が求められるだろう。

 この二人の説明は決して校長の口を介することがあってはなるまい。保護者への説明会の時に自らの口で時間をかけて詳細に説明されるべきであった。この現場にいなかった校長が訳知り顔に教員の対応に関して曖昧な説明をしたことは欺瞞であり、責任逃れそのものであった。保護者や生徒たちから不信を買ったのは当然である。

教員は乗船せず…状況明らかに 生徒死亡の高校会見 沖縄・辺野古 船2隻転覆2人死

    亡【スーパーJチャンネル】(2026年3月17日)    ANNnewsCH 3:24

    教員が一人も乗船していなかったという驚くべき事実が明らかとなった。そもそも女生徒の存在から見ても、また2艘で20人近くの人数から見ても各船に一人ずつ、せめて二人くらいは教師として乗船すべきであろう。ところが教師は一人も乗船せず、であった。呆れるほかあるまい。最悪の事態を前提にして生徒の安全確保を図るべき通常の教師の思考からすれば、まったくあり得ないレベルの大失態であり、最優先すべき安全面の配慮を疎かにした学校及び引率教員たちの責任は極めて重大である。

    沖縄への修学旅行ではかなり昔のことだが、高校生が潮に流されて死亡するという痛ましい事故があった。以後、マリン体験のほとんどを禁止する高校が出てきたのも個人的には頷ける現象であった。実際、私の経験ではホテルのプライベートビーチですら、生徒だけで散策することを禁じていた高校も20年近く前にはあった。

 当然、沖縄修学旅行の事前学習として海の怖さや海の危険生物、ハブへの注意などに関してもかなり詳細に触れてきた過去がある。生徒の安全を第一に考えるのが普通の教師のはず…ただ、進学校ばかり経験してきた教師の中には、ややもすれば「大勢の命を預かっている」という認識から来るはずの緊張感を欠き、教師自身がお気楽な行楽気分で引率している方が散見されたことは残念ながら事実である。

 もしかすると当該高校、私学でそれなりの進学校であるとすれば、聞き分けの良い生徒たちの存在によって教師たちがすっかり油断してしまい、生徒の安全確保に関して相当程度、散漫になっていたのではあるまいか。

【小型船2隻が転覆】 現場海域では波浪注意報も「急な突風と横波」か 女子高校生1人

 と70代船長が死亡 沖縄・辺野古沖 日テレNEWS 2026/03/16 3:45

 あってはならない死亡事故であろう。当然、船を乗せた側の過失責任は重いが、学校側の責任も決して軽くはない。この動画では女生徒たちがスカートで船に乗り込んでいた可能性をうかがわせる場面が出てくる。仮にそうだとすれば指導にあたった教師たちの責任もまた厳しく問われることになるだろう。

 加えて修学旅行に際しては大抵の場合、事前に教師たちが下見をすることになっている。少しでも危険が予想される場合には特に念入りな報告が校長らにも届けられているはず。一体、どのような報告があったのか、まず確認すべきだろう。

 個人的には20年余り前、沖縄修学旅行の引率でグラスボートに10名余りの生徒たちと乗り込んだ記憶がある。確か12月頃だった。風が強くて波もかなり高く、船が大きく揺れて少し怖かったのを覚えている。ただし馬力のある観光用の少し大きめのボートなので、転覆する危険性はさほど高くなかったように当時は感じた。

 今回、転覆した船はそれよりも小型船であり、揺れは相当激しかったに違いない。船体の左右のバランスを保つべく、乗員を左右均等に配置していたとしても、大波で急激に船体が大きく傾いてしまえば、船べりを掴んでいた手が離れ、乗員は左右どちらかに偏って移動してしまう危険性がある。実はグラスボートの場合、中央に海底を覗くためのスペースがあるため、結果的に人が突然片側に移動できないよう中央部で仕切られており、船体がバランスを崩す危険性も少ない。しかし、今回の船はそうした仕切りの無い、普通の小型船に過ぎなかったようだ。

 つまり今回の船は波の状態によっては転覆する危険性が決して小さくはなかったと素人でも簡単に推測できるものであった。ならば、教師たちはせめて事前に生徒たちへ、イザという時に備えて最低でも上下ジャージ姿で乗り込ませる指導をとっておくべきだった。学校長の会見では海や船の事はよく分からないのですべて専門家=船長に判断を委ねていた、との発言があったが、教師としてあり得ない発言である。航空機の飛行に関してならば教師が責任を持てないのは分かるが、船の航行に関して教師がまったく分からない、では大人としての道理が通るまい。責任逃れも甚だしいのだ。

 もちろん、当日の天候を踏まえれば、船長は万が一を考え、出航を諦めるか、より安全な航路に変更すべきだったに違いない。とはいえ、引率教師たちもまた転覆の危険性を予知し、少なくとも事前に生徒たちへ何らかの注意を促す程度の指導はできたはず。たとえば上下とも全員ジャージに着替えさせる、という厳し目に見える指導であっても、それが結果的には生徒たちに転覆の危険性を予め察知させ、お行儀の悪い一部の生徒たちによる船内での危険行為を予防することにも多少は役立つはずである(もちろん事故に遭った生徒たちはおそらく全員お行儀が良いのだろうが…)。

 この事故、知床遊覧船のケースとは違って、船長や船を所有する団体などへ全責任を丸投げできる案件では決してない、と思うが、いかがか。

参考記事

同志社国際高校が校外活動の自粛を決定 辺野古転覆事故巡り 危機管理マニュアルに

     多くの不備、京都府が要請 ABCTV NEWS 2026.4.28

 京都府として当然の判断であるが、学校側のコメントには相変わらず事態の深刻さを理解できていない、酷く危機感の欠けたピンボケぶりが窺える。

 …高校は27日、「全行事の点検及び再発防止策の策定が終わるまで校外活動を自粛する」と、保護者に連絡していたことがわかりました。高校は、校外活動をできる限り早く再開できるよう、努めたいとしています…

 とのことだが、この学校が今、目指すべきことは断じて校外活動の再開などではあるまい。その言葉を口に出す前に取り組んでおくべきことは数多くあるはずだ。学校や教師たちの安全意識の緩みが一体、どんな理由で生じていたのか、原因の追究は厳格に行われるべきである。さらに校長や教師たちの責任を一体、どこまでどう問うていくのか、こちらも決しておざなりにできる課題ではあるまい。また二度とこのような事故を起こさない体制をこれからどう作っていくのか等々、学校が検討し、解決すべき課題は山積している。

 最優先すべき生徒たちの安全確保を、第三者からすれば呆れるほどのレベルで蔑ろにした学校…この際、組織の膿を徹底的に絞り出す覚悟が学校法人側には求められている。ろくに生徒の命を守ろうともしなかった学校が校外学習再開、などという極めて不謹慎で余りにも暢気すぎる発言をして良い立場にあるわけがない。

辺野古転覆事故「リスク<教育目標」学校の重い罪

     東洋経済オンライン 東洋経済education × ICT 2026.4.8

 総論としては内田先生の指摘された通りである。論点が良く整理されていて大いに参考となる。ただしこの学校の体質には内田先生が指摘する以上のレベルで見過ごしできない、組織的問題があるように思えるのだが、いかがか。

     修学旅行の引率、という職務に伴う責任の大きさに対する教師たちの考え、思いが余りにも浅過ぎるようで元教師としては唖然とするほかない。安全に対する学校側の事前指導にも大きな欠陥があったことはこれまでの報道内容から見てほぼ間違いないだろう。

 生徒たちへの安全配慮に思いがほとんど至らない…生徒たちの命を預かっていることから生じるべき緊張感の欠片も感じられない…この教師集団が抱える組織としての病状は相当、深刻であると感じる。ただの油断、平和ボケ、という言い訳は決して通用しないはずだ。もしかすると学校全体が、既に解体的出直しを必要とする段階となっているのかもしれない。

<独自>私立高の修学旅行先、東日本18都道県で8都県が把握せず 平和学習に監督

     が及ばず 産経新聞 2026.4.2

 これはビックリする記事である。高校の修学旅行先の変遷は時代の流れ、流行も反映していて興味深いデータであろう。そのデータが公立高校に偏っている都道府県があるのは残念である。

     かつて修学旅行先と言えば関東ではもっぱら京都、奈良であった。もちろん歴史学習を主眼とし、寺社の見学がメインであった。やがて教育困難校では歴史学習をメインにすることの難しさから次第に東北、長野などへのスキー体験を加えたものへと旅行先を変えていく学校が目立ち始めた。また困難校ではない高校も、京都・奈良方面に加えて大阪・神戸、特にUSJをコースに加える高校が増えていった。同時に奈良での宿泊を辞めてしまった学校も多くなった。

     さらに修学旅行における飛行機の搭乗への制限が緩和されると、関東では2000年代から沖縄や九州への旅行が急速に増えていく。特に沖縄は困難校を含めて多くの高校が旅行先に選ぶようになった。

 今後は私学の無償化が進み、多くの公立高校が淘汰されて私学が大幅に伸長する時代になると見られる。旅行の安全確保のためにも、修学旅行に関して都道府県はすべからく私学にもきちんとした報告(事前、事後とも)を求めていくべきだろう。

辺野古転覆事故】女子生徒死亡の同志社国際の保護者が怒りの告白 学校側の船長を

     信頼の釈明に不信感 「学校と信頼関係が結べるのか心配です」

     NEWSポストセブン 2026.3.31

     …「去年の夏に学年主任と担任2人が沖縄に視察に行ったそうです。それなのに3人とも今回の船には乗らず、見てもいなかった。海上からの見学は2023年に始まり今回で4回目ですが、教員が(1日)2回の航行に同乗したのは2024年だけだったそうです。今回、引率した教員2人は波浪注意報が出ていたことも知らず、それで出航した。

 先発した船に乗るはずの教員は24日の報道では『体調不良』とのことでしたが、25日の説明では『乗り物酔いするから乗らなかった』。後発の船に乗るはずの教員は乗らなくても大丈夫だと思ったから乗らなかった、と。仕事をする気がなかったとしか思えない」…

 この学校の教員たちにはどうやら責任感の欠片も無さそうだ。次々と判明してくる教員の振る舞いには驚きを禁じ得ない。ただただあきれ果てるのみ。同じ教員とは思えないほどの無責任さであろう。おそらく修学旅行の下見に行った3人はタダで行けるラッキーな観光旅行としてひたすら旅行業者の接待を楽しんだだけではあるまいか。

 徹底的にこの学校の教師集団における安全に対する取り組みの問題点を洗い出し、修学旅行や学校運営のみならず、教師採用のあり方(もしかすると同志社の卒業生に偏っているのでは…)まで根本から見直すべきであろう。低レベルの「馴れ合い」ほど組織を腐敗させるものは無いはずだ。

沖縄・辺野古沖 船転覆事故 過去にも教師乗船せず出航   テレ朝NEWS 2026.3.25

 案の定、この学校は過去にも同じ過失を犯していた。おそらく生徒と乗船しないことが教師の職務放棄とほぼ変わらぬ極めて無責任な行いである、という共通認識すらここの教師集団内には存在していなかったということだ。大人としての良識の有無が疑われる、というほかあるまい。この学校の危険性に対する鈍感さ、無責任体質を育んできた教師文化には空恐ろしささえ、感じてしまうのだが、いかがか。

 敢えて厳しい言い方をすれば、生徒たちの命を預かっている、という真摯な職務に対する恐ろしいほどの無知、慢心、怠惰がこの学校には浸透してしまっている…

 今後はなぜこのような無責任体制がこの学校で存続しえたのか、しっかりと究明する必要があるだろう。そしてこの学校が自らの無責任体質を完全に改められる間、この学校の遠足、修学旅行は全面的に中断されるべきである。

 とはいえ以下に列挙されている通り、日本の学校事故を省みる時、児童生徒の安全確保に対する配慮の欠落が日本の多くの学校で生じているような印象を受けるのは私だけではあるまい。だからこそ人権意識や防災意識、設備すら欠損だらけにもかかわらず、どの学校も平気で避難所を引き受け、結果的に避難民を苦しめてきた、受け入れ能力を度外視して多様性尊重のもと障がい者や外国人を普通の学校で無制限に受け入れてきた、津波に際しては大川小学校などの悲劇を生み出した、校庭に数えきれないほどのクギを放置してきた、批判をよそに人間ピラミッドによる死傷事故を平気で繰り返してきた…違うだろうか。

 この事故が物語るのは日本の学校教育の綺麗ごとの裏に隠されてきた本質的なうさん臭さ、欺瞞そのものではあるまいか。そしてひたすら教育予算をケチってきた日本政治の本質的な貧困が学校教育の欺瞞、偽善性を生み出してきたのではあるまいか。

「辺野古沖の抗議船転覆に思う 市民団体と学校の安全意識」 東浩紀

     Yahooニュース 2026.3/24(火) 17:30配信 

    確かに私もこの事故をきっかけにして沖縄における米軍基地への反発や平和学習自体を貶める発信が急増しているように感じている。そしてこの事故の本質は安全への配慮義務に欠けた団体と学校の問題にあり、東氏の指摘するように、反米基地闘争や平和学習全体を否定する材料に利用することは許されまい。それは事故から得られる教訓を捻じ曲げ、ひたすら政治利用せんとする扇動家のやり方である。

 私としてはあくまでも元教師としての観点に立ち、このような学校事故が二度と起きないよう、重要な教訓をここから得たいと切に願っている。そのためにも学校側の安全意識の様相を深掘りしたい、という考えのもと、発信している。改めて言うまでもないことだが、沖縄の米軍基地問題は現在においても極めて深刻であり、未解決の部分もまだまだ大きい。また沖縄戦の悲惨さから私たちが学ぶべきことは多く、沖縄修学旅行に平和学習を取り入れるのは高校教育の一環としてごく当然の内容ともいえる。以上の点はこの件をめぐる議論の前提として決して見誤ってはなるまい。

引率教員の不在は体調不良のため 他の教員も代理で乗船せず 同志社国際高が釈

    明 産経新聞 2026/3/24

    代理だから乗船せず、というのは何一つ釈明にはなるまい。代理だろうが何だろうが、引率教員が生徒たちと乗船することはマストである。自分たちだけ安全な場所にいて、生徒たちばかりを危険な目に遭わせてしまった責任は余りにも重大。

 あらかじめ決められていた教員がなぜ二人も同時に体調不良になってしまったのか、代理の教師たちはなぜ乗船しなかったのか…元教師からすればかえって強い疑念と不信感が次々と湧いてくる。

 仮にやむを得ない理由があって教師たちが乗船できないのであるならば、波浪注意報が出ていた状況を踏まえて生徒たちだけの乗船を中止する、といった大人としての判断も十分有りえたはずである。生徒の命に係わる重大な判断を安易に船長らに丸投げする…といういい加減なレベルで教員らが判断をしたとするならば、彼らも校長と同様、教師として、大人としてまともな責任感があるとは思えない。

 やはりこの学校、教員集団、どこかが狂っているに違いない。もしかするとこのコースを始めた時から現在に至るまでの間に、教師が乗船しなかったケースが複数存在していたかもしれない。また旅行前、このコースの下見を繰り返し、教師たちはしてきたはず。下見の際、教師たちは乗船したのか、乗船したとすればどのような報告が引率教師らに提供されてきたのか…早急にその実態を過去にまで遡って調べ、保護者たちに納得できるような、具体的かつ詳細な説明を学校側は行うべきだろう。

 学校側は事故現場で誰がどのような判断をしたのか、判断の根拠も含めて詳細に説明する必要がある。とすれば保護者への説明会ではもはや校長だけではなく、引率教師たちによる釈明も求められるべきだと私は思う。

「平和丸」船長の男性、記者の呼びかけに応じず 辺野古沖転覆で11管が実況見分 

    産経新聞 2026.3.22

 この件に関する報道のあり方にやや違和感を覚える。もちろん船の運航に関わった団体の責任は極めて重大であり、報道各社が責任追及を続けること自体はマスコミとして当然のことではある。しかし、高校側の安全に対する認識の甘さにも、もっと鋭い追及が行われてしかるべきではないのか。

 加えて学校が沖縄での平和学習を重視していることに疑問を持ち、批判する文脈での発信も目立っている。特に辺野古への基地移転を反対する勢力への攻撃材料としてこの件が利用されている傾向には危うさを感じる。

    この件で学校関係者が重点を置くべきなのは、この件の教訓を生かして同じような事故の発生を未然に防ぐことだろう。今後の修学旅行のあり方を考える上でも、元教師の私としてはそこに徹底的にこだわりたい。

 なぜ、教員は生徒と一緒に船に乗らなかったのか、7つのコースにどのような教員を引率者として配置したのか、事前の引率計画はどのようなものだったのか、旅行団のトップは計画に対してどのような点検を事前におこなっていたのか…学校関係者として知りたいことは山ほどあるのだが…私の疑問に答えてくれるような報道がいまだになされていないように見えるのは極めて残念である。

辺野古転覆 学校側の甘い安全対策浮き彫り 船長任せ、教員乗船せず、「抗議船」説

    明なく 産経新聞 2026.3.20

    平和学習の内容に関する疑義は確かにあるが、ここでは詳細な内容や意図、事前学習からの流れが不明なので言及しない。ただし抗議船に乗ることと平和学習とは必ずしも直結しないし、平和学習という高尚な目的の陰で慎重に慎重を重ねるべき安全への配慮が教師側に欠けていたことはもはや疑いようがあるまい。

    平和学習の具体的内容をしっかりと把握できていない校長の釈明会見は、どこか漠然とした言い訳ばかりで、他人事のようにしか聞こえてこなかった。結局は管理職として安全への配慮が大きく欠落していた、という印象だけしか伝わらなかった。これでは事故の原因究明と再発防止に役立つ具体的な情報が余りにも少ない。

 今後は引率教員の責任者が事前にどのような安全確認をしていたのか、詳しい報告が必要とされてくるに違いない。なぜ小舟への乗船という安全への配慮を要するコースに38人もの生徒を割り当ててしまったのか、なぜ、たった2人の教員しか引率させなかったのか、なぜ、教員は乗船しなかったのか、教員の配置の決定、役割分担はどのような考えのもとに決定されたのか、旅行団の団長(副校長?)及び学年主任はどこまでこのコースの内容を把握していたのか、安全への配慮を教師たちへどこまで求めていたのか、特に乗船組の引率を任された2人の教員のおよその年齢と性別、水泳能力の有無についても学校側はしっかりと隠すことなく公表すべきだろう。

 

修学旅行に絡む児童生徒死亡、20年間で全国で計22件 同志社国際高マニュアルの不

    備は 産経新聞 2026.3.24

 高校側のマニュアルがどのようなものであり、なぜ、教員が生徒たちと一緒に乗船しなかったのか、等が報道を通じて詳細に明らかとされない限り、この事故は今後の教訓とされることなく、瞬く間に忘れ去られてしまうだろう。そして残念ながら高校側の修学旅行における安全確保に関わるマニュアルは私の知る限りいまだに報道されていない。なぜ、学校事故の教訓がこれまで生かされてこなかったのか、その理由がこうした表層的報道のあり方や学校側の自己弁護的、自閉的姿勢にも見え隠れしているのだろう。

    …医療費や見舞金が給付される「災害共済給付制度」。この制度を運営するJSCのデータベースによると、平成17年~令和6年度に学校行事中の事故で死亡見舞金を支払った事例は計87件あり、このうち修学旅行は計22件…と記事にある。JSCという組織のデータ(日本スポーツ振興センター「学校等の管理下における死亡見舞金の状況」)を参照しなければ、学校教育下での死亡事故の統計はほぼほぼ確認できない点にまず大きな問題があるだろう。つまり、報道側や学校側が自らの手でよほど積極的に学校事故の事例や統計を探さない限り、事故の教訓を学ぶことは出来ないのである。ここには厚生労働省と文科省と縦割り行政の弊害もあるのかもしれない。

    「校庭に放置されるクギ」問題や「人間ピラミッド」問題などがこれまで長らく放置されてきた背景にも、学校事故の統計や事例集が多くの教師たちにしっかりと共有されてこなかった、同じような構造があると私は感じている。

    このような状況下では、修学旅行などの学校行事における安全マニュアルが漠然としたものになりがちなのは当然である。具体的な事故の事例と統計が示されないままでの抽象的な注意点の羅列が説得力をもつはずはない。

    沖縄ではカヤックなどでマングローブの湿地帯を見て回る体験学習が人気となっている。波のほぼ無い浅瀬が多く、命の危険まではあまり無いだろうが、それでもカヤックの漕ぎ方や転覆した際の対応などは業者から事前にそれなりの時間をかけて指導されている。当然、救命胴衣は必須である。修学旅行におけるカヤックの死亡事故はこれまで報告されたことはあるのだろうか。おそらく無いはずだ。

    マリン体験は沖縄修学旅行においてこれまでも生徒たちにとって大人気コースとなっており、それだけに学校側は安全確保に対して細心の注意を払ってきたはずである。業者側もそれなりの事故事例と教訓を共有してきたに違いない。

    今回はそうした観光業者ではない団体が、安全性に大きな問題のある小舟で、しかも波浪注意報の出ている外洋に出てしまっている。加えて元教師としては驚き呆れることだが、教員が一人も乗船していない。

    これほど杜撰なコースを学校側は何ら疑問を持たずに設定し、何年もの間見直すことも無く漫然と繰り返してきた…そのこと自体がそもそも常識的な安全マニュアルから完全に外れている、余りにも非常識で無責任な行為であることはもはや疑いようが無い。これは生徒の安全確保を最優先すべき学校としてあるまじき大失態である。

    ならばなおさら学校側の安全への配慮を欠いたコース設定は、その意思決定の経緯の詳細を含めて公開されるべきである。そして多くの学校の教訓となるよう、その情報はしっかりと共有され、末永く記憶されていくべきではないのか。

小中高校の死亡事故456件、7割が国に未報告…文科省が指針改定で学校の調査

   対象や方法を明示 読売新聞 によるストーリー 2024.2.27

小中高校での死亡事故報告が不徹底、盛山文科相「改善が望まれる」…今年度内に 

   指針改定へ 読売新聞 によるストーリー 2024.2.27

 悲惨な学校事故がなぜこうも繰り返されるのか、これまで幾度も疑問が呈されてきたが、その都度、教育委員会や校長から事故発生の原因究明と再発防止に努める、との聞き飽きた形式的な声明が打ち出されてきただけ。

 今回、その背景はいまだボンヤリとしているが、しかし学校教育の闇の奥がわずかながら透けて見えてくるような衝撃の事実が判明したようだ。

 死亡事故ですらそのほとんどが国に報告されておらず、事故防止の教訓が学校現場で広く共有されることすらなかった…尊い命の犠牲が長きにわたってほとんど学校現場に生かされることなく徒に埋もれてきた…この事実が何を意味するのか、誰しもが考えれば考えるほど学校、教育行政側の対応に見られるあまりの無責任さ、杜撰さに怒りは収まらなくなるに違いない。

 記事では学校の忙しさが未報告の理由に挙げられているが、この件に限ってはその手は通じないだろう。間違いなく学校業務の優先順位の第一位は児童生徒の安全確保であり、その命を守ることである。まして死亡事故ならば文科省への報告が必須となるのはもはや疑問の余地無し。また当然のことながら学校教育には死亡事故がつきもの、といった時代遅れで無責任極まる野蛮な認識は今時、世間の共感を得られるものではない。

 通常、学校での事故による児童生徒のケガが発生した場合、関係するクラス担任や顧問などの教師は学校保健の手続きのために、事故の発生場所、日時、状況、経緯、考えられる主な原因…などを所定の用紙に記入して保健室へ提出するように義務付けられている。私としてはその後、用紙は学校保健の手続きだけにとどまらず、コピーされて関係部署に送られ、学校事故の統計などの資料に有効活用されているものと考えていた。

 もちろん学校保健上での全国的統計はこれまでもなされていただろうが、同時に事故の多い体育の授業や運動部の指導、体育祭などにそのデータは事故再発防止のためにしっかりと活用されているものとこれまで思い込んできたのだ。

 一体何のための書類作成だったのか…完全に裏切られた気分である。

 体育祭などでの人間ピラミッド、騎馬戦、特定の部活や体育の種目でなぜこうも執拗に重大なケガや死亡事故が繰り返されてきたのか、その反省が十分に生かされてこなかった理由の一端はこれでハッキリと示されただろう。冷静に振り返れば確かにこれまでの学校現場では事故発生の状況や原因についてのまともなデータが完全に不足しており、教師間でのデータの共有はほとんど無かったといって良い。もちろん当事者であった自分の認識の甘さ、迂闊さは遅ればせながら深く反省すべきである。

 一般教職員、さらには教育委員会や学校管理職にある者たちの児童生徒の命、安全に対する認識と関心の欠如がまずは指摘されよう。さらには学校側の落ち度を探られないよう、事故発生の本質的要因を探られないようにするための姑息な隠蔽体質が学校教育村の隅々まで蔓延している…ということに改めて気付かされる。

 こうした教育行政の古くて閉鎖的な体質が他方で学校でのイジメをもはびこらせ、教師による暴言、体罰、シゴキを温存させ、終いには組織ぐるみでの事件の隠蔽をはびこらせてしまった大きな要因なのはもはや疑いようもあるまい。

その1.沖縄観光の光と影…ジャングリアの挑戦

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・首里城の火災とコロナ禍における沖縄観光の現状

 

ア.首里城の火災

 2019年10月31日:沖縄観光の目玉の一つ、首里城、火災により正殿等が焼失。沖縄観光に大打撃。再建は10年越しの大事業となる。

新紙幣発行の影で忘れられてる「2000円札」 実は流通量5倍に増えてる県も 人気

 の理由は? 東京新聞 2024.6.24

 2000円札発行の背景と首里城が持つ意味について生徒たちに考えさせたい。

海の向こうの首里城 (沖縄テレビ放送/2020年)

   OTV沖縄テレビ  2023/10/06 47:20

   ハワイをはじめとする世界中に存在する沖縄出身の移民たちにとっても首里城は大切な存在だったことが再確認される。またそれを知った沖縄の若者が沖縄の伝統と文化の大切さに目覚めていく…首里城の火災が何かの終わりではなく、何かの始まりであってほしい。

首里城包む猛火に崩れ落ちる正殿 未明の衝撃に混乱の現場 (2019年放送/沖縄テ

   レビ放送)OTV沖縄テレビ 2023/10/20 4:16

阿波根あずさの沖縄観光チャンネル:2019年10月31日、首里城焼失。この日を忘

 れない。2019/11/02

再建急ぐ首里城の地下に眠るのは…「第32軍司令部壕」最新映像が炙り出す沖縄戦

 の実相 【琉球放送】RBC NEWS  2024/05/23 6:17

 首里城にはなぜ古いものがほとんど残っていないのか、生徒たちが見学する前にその理由を問いたい。本来ならば地下壕もまた見学すべき場所であるはず。なぜ、豊見城の海軍地下壕と違ってここが見学先としてポピュラーなポイントになってこなかったのか、その理由についても問うべきだろう。

 

 

 

 

イ.コロナ禍での沖縄観光

 観光収入に産業の中心を置く沖縄にとってコロナ禍は経済的な打撃が極めて大きい。今後しばらくは貧困問題の悪化も避けられないだろう。

 また中国政府による香港への支配強化の動きと台湾への干渉は沖縄への観光客数の減少を長期化させかねない。特に日中間の尖閣諸島を巡る領有問題が先鋭化すれば中国からの観光客が皆無となる可能性まであるだろう。

新型コロナ 沖縄観光業界に残した爪痕深く【ニュース2021】(沖縄テレビ)

 2021/12/20 6:38

修学旅行キャンセル 沖縄観光の先行き見えず(沖縄テレビ)2022/2/21

 2022/02/22 OTV沖縄テレビ 5:21

ハンセン病の負の歴史が刻まれた島 フォトジャーナリストが伝えたい思い(沖縄

   テレビ OTV)  2023/09/15 8:10

 沖縄における差別問題を指摘した貴重な番組。

「メタバース」で沖縄の魅力を体感!(沖縄テレビ)2022/4/22

 OTV沖縄テレビ 5:02

参考記事

沖縄で急増する外国人労働者…でも短期間で県外に脱出するのはなぜか

 アサ芸プラス 2025.2.12

 観光業中心に労働生産性を向上させる施策が必要だろう。外国の富裕層向けサービスの充実と低価格戦略の見直しは必須である。

修学旅行はリピーターにつながらない? ポストコロナの沖縄観光の課題とは 

 2022/2/23 真栄城 潤一 HUB沖縄

 沖縄振興開発金融公庫と日本交通公社の調査研究によると、旅行牽引世代(若い世代)の車離れが明らかになり、そのことによって沖縄旅行への意向が低下している傾向が指摘された。また、修学旅行のみで沖縄を訪れた場合には、修学旅行生がリピーターとなる割合が低いことも示されている。

 これらの結果を受けて公庫は、「車(レンタカー)に依存しないで移動できる交通体系を構築」することや、「沖縄を深く知り、興味・関心を高めるための修学旅行の内容の創意工夫の必要性」などを指摘している。また移動時間が長く交通費が高くても行きたくなるような魅力の磨き上げと「旅行牽引世代が活用している媒体を通じた情報発信の強化」などを提言としてまとめている。今後の沖縄観光のあり方を検討する上で非常に有益なポイントが列挙されているだろう。

 

ウ.「沖縄ジャングリア」森岡毅氏の挑戦

参考動画

海洋博がもたらした光と影(沖縄テレビ)2025/8/06

    沖縄ニュースOTV 2025/08/07 8:27

    1973年の第一次オイルショックによる狂乱物価の影響で開催が140日も遅れてしまい、その成果を疑う向きもあった沖縄海洋博から50年。当時は石油危機による世界不況も加わったため、結果的には予想の来客数を100万人以上も下回ってしまった。さらに「海洋博不況」と呼ばれた反動が博覧会の閉幕後、会場だった本部町を襲い、倒産、夜逃げが相次いだ時期がしばらく続いたという。

 しかし海洋博は内外に観光地としての沖縄のイメージを広く植え付ける大きなきっかけとなり、博覧会に備えた道路を中心とするインフラの整備も手伝って、中長期的に見れば本部町の観光業を発展させ、高齢化と人口流出を食い止めていく。2002年、海洋博公園の一画に美ら海水族館が出来たことによる経済効果も手伝い、今や本部町は経済的遅れが目立つ本島北部ヤンバルの中にあって大きな観光の目玉として中核的地位を築いていると言える。

 国家的プロジェクトであった海洋博とは違い、現段階ではジャングリアの開園が大きなインフラの整備を生み出したわけではない。それに地元住民の雇用拡大や観光業の発展に与える影響は今のところ未知数と言うほかあるまい。アトラクションの内容にもいくつかの課題はありそうだ。その行く末には若干の不安が現地を含む国内で早くも漂い始めている。

 とは言え、多くの観光客はこれまで美ら海水族館の見学を終えると本部などでは宿泊せず、ただちに本島中部、南部に戻るだけであった。美ら海に加えてジャングリアにも立ち寄るとなれば大抵は北部での宿泊を伴うだろう。宿泊者の増大は現地の観光収入の増大に直結し、北部の経済的活性化を促すはず。さすれば海洋博後と同様、若者の流出にも多少の歯止めがかかるだろう。

 ヤンバルの発展にジャンガリアがどこまで貢献できるのか、これからの創意工夫を長い目で見守っていきたい。

「ジャングリア沖縄」オープン!最強マーケター・森岡毅が挫折を乗り越えて到達

    した境地【森岡毅×入山章栄 70分対談(後編)】

    ダイヤモンド公式チャンネル 2025/06/15  20:22

沖縄北部テーマパーク「JUNGLIA(ジャングリア)」のイメージ映像

   沖縄タイムス公式動画チャンネル  2023/11/27 1:41

  まずはこのPVを視聴させて生徒たちに感想を書かせたい。次に下の「せやろがいおじさん」の動画を視聴して討論へつなげていきたい。

『JUNGLIA』から滲み出る植民地主義の感じどないかして成功させて欲しい件につ

   いて  せやろがいおじさん 2023/12/01 15:51

 確かに日本人がまったく登場せず、沖縄の伝統文化よりもハワイ風の味付けが強いPVである。これは「ヒドイ」と批判されて当然の内容。この映像ではヤンバルの自然ではなく、東南アジアや南太平洋のどこかをイメージさせてしまう。しかもこれは完全に欧米からの観点に基づいて作られている。日本やアジアからの観光客の視点は全く感じられないし、沖縄の人々を完全に無視して作られたと言っても過言ではあるまい。なぜこのような動画を作ったのか、解せない。

テーマパーク「ジャングリア沖縄」の開業日は2025年7月25日 入場料金も発表

   (25/01/28 18:09)   沖縄ニュースOTV  2025/01/28 2:35

 いよいよジャングリアの開園日が決まった。今後、15年間で6兆円を超える巨額の経済効果と約88万人分の雇用を創出すると予想する学者もいるようで、すでに名護市では地価がかなり上昇してきているらしい。

  まずこの動画をみせてから「せやろがいおじさん」の批判に応えたような映像となっていることに気付かせたい。視聴後、簡単なアンケート(あなたはこのテーマパークに行きたい?」…)をとって、その結果をもとに沖縄の南北問題、貧困問題について討論させてみたい。沖縄経済を発展させるために観光面でどのような工夫、アイディアがあるのか、生徒たちにできるだけ数多く提案させてみよう。それから以下の動画を通じて森岡氏の目の付け所を紹介していくと興味深く、分かりやすい展開になるだろう。

 少子高齢化による人口減が懸念され、中部、南部に比べると観光面でかなり後れを取ってきたヤンバルの活性化がどこまで実現できるのか、ジャングリアが地域社会,沖縄にもたらす影響を見守っていきたい。

ジャングリア沖縄 気になる渋滞対策その進み具合は?

   沖縄ニュースOTV 2025/02/05 10:26

 名護市及びその周辺の道路が大混雑する可能性は高い。那覇から直通の高速バス、フェリーの増発だけではなく、道路の拡幅などの工事や病院、救急車の手配も早めに考えておく必要があるだろう。10年ほど前、修学旅行で本部のホテルに宿泊した際、生徒が食べ物によるアレルギーを起こし、名護市まで救急搬送されたことがあった。夜中だったので混雑は無く、さほど移動時間を要しなかったが、開園後の救急搬送がどうなってしまうのか、懸念は残るだろう。

   結果的に地元住民の住み心地が向上する方向でジャングリアが沖縄経済に貢献できるよう、願うばかりである。

【森岡毅の野望:前編】USJを辞めてどうしてもやりたかったこと/沖縄に人生を

   賭ける理由/モデルはフロリダ/2000人を採用/観光のプロ人材/観光を学ぶなら

   沖縄/観光業の平均所得を上げる/勝負の分かれ目

   PIVOT 公式チャンネル 2023/12/25  36:06

 沖縄の人々が決して受け身になることなく、名護のテーマパーク構想へ自分事として積極的にかかわっていく体制づくりに時間をかけていくことがまず必要。そのためには沖縄企業の出資や協賛を増やし、沖縄の人たちとしっかり議論を尽くして地元のアイディアを取り込んでいく…

 高度な観光人材の養成と海外富裕層の取り込みこそが観光業の収益増大を実現する上でのカギとなる。まずは高度な観光人材を名桜大学などとの連携により現地で養成することを通じていずれ日本における観光学のメッカとしての沖縄、という名声を確立していく…

 同時に沖縄以外からも人材をリクルートし、ゆくゆくは数千人規模の人材確保を実現していく。そしてジャングリアの成功を通じて沖縄で育った観光人材がやがて日本各地に飛び出していき、日本全体の観光業を革新していく中心的戦力となっていく…

 加えて人口減、少子高齢化で疲弊する沖縄北部の活性化に貢献するには鉄道の敷設、高速道に整備等、北部への移動手段の充実が不可欠。さらにディズニーやユニバーサルのようにアニメ、漫画、映画など世界に誇れる日本のコンテンツを生かした第二のテーマパークを実現させてハワイやフロリダをしのぐような観光地に沖縄、日本全体を仕立て上げていく…

 森岡氏の構想力は止まるところを知らないようだ。科学技術力の低下、国力の衰退、少子高齢化の進展…日本の将来像にはやたら暗さが目立つ中で、森岡氏の話に勇気づけられる人は多いに違いない。

【森岡毅の野望:中編】アジアの富裕層が求めているもの/一流マーケターの条件

   /とにかく人が足りない/観光産業の3つのメリット/若い人こそ新天地に/日本の

   IPを軸にしたテーマパーク/AIにポジティブな理由

   PIVOT 公式チャンネル2023/12/26  40:13

  観光業を軸に置けば日本の未来は決して暗くない…日本の若者が目指すべき最大のブルーオーシャンは観光業である…多くの富裕層を抱えるアジアのヘソに位置する沖縄観光のポテンシャルは極めて大きい…アニメを中心に日本のもつコンテンツは世界のどこにも負けない競争力がある…AIがどのような進歩を遂げようとも人だけが与えられる喜びにむしろスポットライトが強くあてられるようになり、そうした喜びを提供できるものの一つがまさに観光業なのである…森岡氏の話を聞いているうちに多くの人は沖縄や日本の将来が光り輝いて見えてくるだろう。将来に不安を抱える若者こそ耳を傾けるべきイチオシ動画である。

【森岡毅の野望:後編】経営者とマーケターの唯一の違い/昔より臆病になった/

   700億円調達と修羅場/メガバンクが逃げていった/最後に地銀が貸してくれた/

   日本復活のために日本人を強くする/10年後の森岡毅

   PIVOT 公式チャンネル 2023/12/27  38:16

   森岡氏は沖縄の成長、人材の育成、日本のブランディングという三大目標を掲げている。やはり企業にとっても人をリクルートし、育てることが企業の命運を左右する最大のポイントであろう。これはすなわち日本の学校教育の停滞が現在の日本経済の停滞を招いている最大の原因であるということではないのか。

 森岡氏と名桜大学とのコラボが何を生み出すのか、注目していきたい。 

【ジャングリア】巨大テーマパーク沖縄北部に再来年誕生へ 期待と不安の声も… 

   日テレNEWS 2023/11/27  6:16

刀・森岡毅氏が右腕と認めたマーケター加藤氏「これからは沖縄が日本をリードす

 る」(沖縄テレビ) 2022/6/10 OTV沖縄テレビ 5:49

沖縄の新テーマパーク「JUNGLIA(ジャングリア)」について私の考えや気持ちを

 話します。 阿波根あずさの沖縄観光チャンネル 2023/11/29  7:40

 沖縄の人としてこのテーマパーク構想をどう受け止めているのか、非常に気になる点であろう。阿波根氏の胸中にわだかまる複雑な思いをぜひ重く受け止めたい。

 ただかつて修学旅行で本部に宿泊した際、夜間の急患で病院まで生徒に付き添ったことがあった。驚いたことに美ら海水族館のある本部町には救急外来を受け入れる総合病院が無く、名護市民病院まで行くハメになった。かつて海洋博が行われた本部ですらそんな有様であったのだ。

 鉄道の無い沖縄を考えた時、たとえ人口が少なくとも本島北部、やんばる地域にも総合病院が一つは必要であるし、本格的な観光ホテルももう少し必要だろう。

 少子高齢化が急速に進む北部の経済的窮状を少しでも改善するには観光業を軸とした開発が地域の発展を促し、雇用を創出して若者の北部からの流出を堰き止めるためにも一番、有効であると考えるがいかがか。

最強マーケター森岡毅「観光が日本一の産業になる理由」ホリエモンと沖縄PR戦略

 を徹底議論 2022/04/25 NewsPicks /ニューズピックス 9:40

【大好評につき再配信!】この人の話を聞け!最強の戦略家!森岡毅

 2021/11/14 日曜日の初耳学【公式】 33:36

大好評!続編!USJ業績をV字回復!現代最強のマーケター・森岡毅の熱血授業

 ★森岡毅流「自分を売り込む最高の極意」を公開‼︎

 2022/06/19 日曜日の初耳学【公式】 28:50

 沖縄の観光振興策に止まらず、どんな発想が事業の成功に導くのか、自分の活かし方も含めて森岡氏の慧眼と情熱には大いに刺激されるだろう。視聴時間は長いが、時間が許せば授業で視聴させたいイチオシの動画。きっと多くの人が「目から鱗が落ちる」貴重な時間を共有出来るはず。

【森岡毅】沖縄を南国リゾート地へホリエモンと考える観光事業を考える。ダイジ

 ェスト版 2022/06/30 教えますホリエモンch【ホリエモン 堀江貴文 ホリ

 エモンチャンネル】 41:05

 ハワイを遙かに上回る観光地としての沖縄のポテンシャルをいかにひきだしていくか、をめぐる森岡氏の戦略に学ぶことは多いだろう。

県内企業も熱い視線 「北部テーマパーク」本格的に開発始まる(沖縄テレビ)

 2023/2/7 OTV沖縄テレビ 2:45

参考記事

ジャングリア1年で100万人 代表「残念ながら」 識者の見方は

     朝日新聞社 2026.7.25

沖縄で長年の課題だった北部振興、起爆剤担うジャングリア沖縄が開業1年…地域

     内の周遊に向け「魅力ある仕掛けを」 読売新聞 2026.7.25

 現状は厳しい、というほかあるまい。スパリゾートをメインに据え、アトラクションは数を絞り込んで充実させる、遠足や修学旅行などの学校関係の団体客を増やす、「ヤンバルの森」をテーマとした探求学習に貢献する、長期宿泊可能な施設を拡充する…まだまだ打つ手はあるはずだ。

森岡毅氏も「相当厳しい」と認めた苦境のジャングリア沖縄 生き残る唯一の道は

    「テーマパークでなくなる」ことだった

     現代ビジネス 塩地 優(日本遊園地学会会長) 2026.7.21

 開園前から懸念されていた、迷走気味のテーマパークとしての方向性がついに根本から問い直される事態となってしまった。「沖縄らしさ」を真正面からテーマとして据えてしまうと既存の施設との違いを生み出すことは難しく、かつ下手をすれば過酷な食い合いになってしまう。とはいえ、現状のように、沖縄らしさを薄めて漠然と南太平洋の楽園をテーマにするのはどうみても筋が悪い。そもそもハワイのように国家プロジェクトとして政府がバックアップする体制は日本の場合、まったく期待できないのだ。

 ジャングリア構想の目標はまず沖縄本島北部の経済的活性化に置かれていた。少子高齢化と経済的沈滞が顕著な北部の活性化は沖縄県政の至上命題の一つでもあることは間違いあるまい。しかし現状におけるジャングリアの停滞は北部活性化の難しさをより一層浮き彫りにしてしまった。残念至極の一言に尽きる。

 塩地氏の指摘のように、「テーマパーク」であること自体を見直して、新規に第三の道を模索する必要があるのかもしれない。もちろん、すでに1年近く走り出してしまった流れがあり、現実的には極めて難しい状況ではあろう。資金もどうやら底をつきかけているらしい。出来ることが極めて限られている中で、指摘されているようにアトラクションの精選と人員の削減はもはや不可避というほかあるまい。

 美ら海水族館、備瀬のフクギ並木、今帰仁城、古宇利島など、周辺にはいくつもの観光の目玉がある。特に海にかかわる海岸部の施設は豊富。またヤンバルの森を生かした、体験重視の魅力的なレジャー施設も、やや離れているが、存在している。

 おそらく北部で最も不足しているのは外国人観光客をも長期間招き寄せることのできる特色を持った大型の宿泊施設ではないのか。アトラクション自体はジャングリアが自前で行う必要はない。むしろ既存のレジャー施設との連携を強めてホテルからマイクロバスを出し、各地の施設に移動しやすくする…といったサービスを謳うならば既存施設との競合は緩和でき、かつもっぱら宿泊施設としてかろうじて生き残れるかもしれない。

 沖縄を訪れる日本人の観光客には沖縄グルメを堪能したい人が少なからずいる。ジャングリアはその需要をほぼ無視してしまっていた。長期に滞在できる宿泊施設として生き残りを図るならば、ホテル内に既存の名店をいくつか招いて沖縄スウィーツなどの沖縄料理を提供する手もあるだろう。

 何はともあれ、アトラクションは二の次にして観光客を一日でも長く北部に滞在していただく、これさえ実現できればジャングリアの存在意義は十分に証明できるのではあるまいか。

「ジャングリア沖縄」はなぜ叩かれるのか? 大自然と人工恐竜の没入感ギャップ

  ITmedia ビジネスONLiNE 2025.7.30

 この指摘はかなり重要なポイントを突いていると思うが、いかがか。確かにヘゴの木を見ると多少、「恐竜の時代」感が出てくるが、沖縄には既にいくつもの観光地で恐竜が登場するアトラクションがある。そんな沖縄観光において恐竜自体には特に目新しさが無いだろう。ジップラインもしかり。

    またPR動画に白人ばかり登場させ、あたかももう一つのハワイであるかのような南国のパラダイス感、あるいは未開のジャングル感を打ち出す反面、いわゆる沖縄らしさのまったく欠ける演出が厳しく批判されたこともあった。動画は早速、日本人を登用することで修正されたが、USJやディズニーランドのような、人工的アトラクションに漂う不自然なまでの「作り物」感や白人向けの借り物的「南国パラダイス」感がさほど抜けていない…とすれば課題は決して小さくないだろう。なぜ、自然豊かなヤンバルの地で大金を投じてまでして敢えてテーマパークを開園したのか、当初の構想の妥当性自体がひどく揺らいで見えてくる。

 確かに沖縄の伝統文化を下手に取り入れてしまえば沖縄ワールドや琉球村など、既存の観光施設と悪い意味で競合してしまう。とは言え場合によってはジャングリアの存在自体が沖縄全体の観光業を活性化する上でマイナスとなりかねない瀬戸際に来ているのかもしれない。自然保護とアトラクションの魅力を同居させつつ、沖縄やヤンバル独自の個性とアトラクション自体の目新しさをも創出し続ける工夫とは一体…果たして森岡氏、この先、どんな奇抜なアイディアで乗り切っていくのだろう。

ジャングリア開業、沖縄「ザル経済」反転なるか 地元企業が株主7割占め連携を模

    索 産経新聞 2025.7.25

「日曜日の初耳学」で話題の森岡毅が語る「沖縄テーマパーク」の夢とは?

 DIAMOND online 2022.5.29

日本経済の「V字復活」、じつは「沖縄」がものすごい起爆剤になるワケ! 

 2022.6/13(月) 8:02 現代ビジネス

「ジャングリア沖縄」オープン前の県民感情の実態(前・後編)

    東洋経済オンライン 長濱 良起 の意見 2025.8.25

 開園して一か月段階での状況がよく分かる。課題と希望の二側面がバランスよく語られれていると感じる。授業ではジャンブリアが解決すべき課題とその解決法について生徒たちに考えさせたい。

 

エ.沖縄観光の現在

入域観光客数 昨年度327万4300人で3年ぶりに増加

 2022/04/29 【琉球放送】RBC NEWS 0:49

3年ぶり制限なしのGW 沖縄の観光事業者は

 2022/05/09 【琉球放送】RBC NEWS 1:48

解説】日本"観光世界1位" 交通インフラなど評価 課題は"デジタル化"の遅れ?

 2022/05/25 日テレNEWS 9:48

【外国人 感動】外国人 元観光ガイド解説!観光魅力度ランキング日本1位の理由

【kai tube カイチューブ】ー日本のイスラエル人ー2022/06/04 19:02

 観光面での魅力度で日本が初めて1位となったという。特に交通インフラの充実度の高さが注目されている。さらにアニメやオタク文化の聖地としての魅力、治安の良さ、行き届いたサービス、和食の魅力、若者のニート率の低さ(→治安の良さ)、独特の個性的な伝統文化なども日本の好感度を高めている。しかし気候変動への対応の遅れ、ビザの取りにくさ、デジタル化の遅れ(現金主義等)が問題視されている。改善の余地はまだまだ多いだろう。加えて日本の経済的低迷による円安が海外旅行客の増加に貢献している点は見逃せない。

観光一位は無意味、円安が追い風は妄想…アトキンソン氏らが日本の観光に物申

 す。「観光は日本再生の切り札になるのか?」について徹底討論!

 2022/07/13 NewsPicks /ニューズピックス 10:42

 高級ホテルの少なさが日本の観光業の収益率を低くしている可能性はあるだろう。沖縄への観光客の平均的な宿泊日数が2泊3日程度では少なすぎる。世界中からそこそこの金持ちを数多く長期的に呼び寄せる魅力は日本に十分にあるのに、彼らを長期的に留めるだけのインフラがなさ過ぎる…アトキンソン氏と森岡氏の指摘はかなり似通っている。

【観光立国】橋下徹×デービッド・アトキンソン「日本の自然は多様性が凄い」“観

 光魅力度“1位は意味なし? 2022/07/24 ABEMAニュース【公式】 10:04

外国人で溢れるニセコ。2400円のカレー実食。外国人の数に対して飲食店が足りな

   い キッドマン北海道探索  2024/01/10 19:42

 ニセコでは外国人向けにほぼ特化したレストランがスキー場にあって価格設定がごく普通のハンバーガーやラーメンでも2000円前後となっている。それでも外国人観光客であふれかえっている現状は沖縄の観光収入アップを図る上では大いに参考となるだろう。生徒たちにカレーライスやラーメンの値段を予想させてからレストランのメニューと値段を紹介した動画のごく一部だけを視聴させると良いだろう。全部、視聴させる必要は無い。

湿地はなぜ守らないといけないのか?つなごう沖縄 漫湖水鳥・湿地センタ

 ー2022/05/10 【琉球放送】RBC NEWS 7:24

 貴重なマングローブ林のある湿地が多いという沖縄の特色に気付く。

沖縄経済 ものづくりで新たな成長~本土復帰50年の歩みと未来~【Bizスクエア】

 2022/05/14 TBS NEWS DIG Powered by JNN 13:58

 観光業以外での沖縄経済振興策の今後を考えてみると、製造業の弱さを克服する必要性が見えてくる。

【OIST】日本人は、沖縄に集まる「秘密の科学者たち」を知らない

 2019/08/26 NewsPicks /ニューズピックス 1:33

OISTオンラインキャンパスツアー 2021/01/30 Okinawa Institute of  Science  and Technology Graduate University (OIST) 9:51

OIST サイエンスフェスタ「研究者の日常」編2021/01/30 Okinawa  Institute 

    of Science and Technology Graduate University (OIST)    5:36

 沖縄の製造業発展のカギとなる高度な科学技術を支えていく、世界トップレベルの研究機関が沖縄にあることの意義に注目したい。

“安い日本”で“爆買い”過熱 アメ横、かっぱ橋に外国人続々 2022/10/12  

 ANNnewsCH 8:37

外国人観光客 “アキバ”殺到 “爆買い”復活…日本の味も堪能「文化学ぶ方法は

 食」【もっと知りたい!】 2022/10/13 ANNnewsCH 3:45

“爆買い客”様変わり「120万円使った」中国から減少も インバウンド回復に光

 明【もっと知りたい!】 2022/10/14 ANNnewsCH 4:33

盛岡に外国人観光客急増…魅力は“B面の隠れた名曲日本人も知らない「大事な宝

 物」【Jの追跡】【スーパーJチャンネル】(2024年2月3日)

 ANNnewsCH  2024/02/03 14:20

 地方独自の魅力をいかに発信するか、「不便」、「遠い」を武器にする観光のあり方を模索する上で盛岡の状況は大きなヒントとなるだろう。

参考記事

「ニューヨークタイムズ紙」が「2024年に行くべき52ヶ所」で第3位に選んだ「意

   外な日本の地方都市」現代ビジネス山口 由美 の意見 2024.4.15

   沖縄の離島観光の可能性も視野に入れて地方経済の発展を観光業を軸に考えてみたい。「不便、遠い」が観光の武器になる、という観点に注目。

「円安ニッポン」の救世主・超富裕層がやってくる…!ロンドンの超高級ホテルに

 泊まってみて分かった!本物のセレブのおカネの使い方

 現代ビジネス 岡村 聡 の意見 2023.5.29

質は高いのに生産性が低すぎる日本のサービス業、コロナ明けの賃上げにつなげる

 には? 弁護士ドットコムニュース によるストーリー 2023.5.14

沖縄の経済がコロナで大打撃を受けたわけは?

  毎日新聞 2022/09/04 08:00

女性に関するデータ 沖縄タイムス社 2021/02/10 18:28

 沖縄県がまとめた男女共同参画に関するデータ「2020年度 沖縄県の男女共同参画の状況について」の中から、県内の女性の状況を反映するデータを紹介。

40年あまり沖縄観光を支えた『ミス沖縄』が休止 次の沖縄観光のシンボルは⁇ 

 琉球放送 によるストーリー 2023.4.21

 ミスコンの廃止が相次ぎ、ルッキズムへの批判が高まる中、ミスコンが盛んな沖縄でもついに「ミス沖縄」の選出を休止する決定がなされた。ある意味、それは時代の流れであり、当然の帰結ではあるが、一方で「ミス沖縄」の功績も大きかった。特に第39代による連日のYouTube発信はコロナ禍の逆風の中で沖縄観光を大いに盛り上げていく重責を見事に果たしたと評価しても良いだろう。

 注目すべきはさらなる沖縄観光発展のために「ミス沖縄」なきあと、次の策がどうなるのか…。また阿波根氏のように、ミス沖縄経験者による沖縄観光情報の配信を継続する動きが今後一層、拡大進化していくことも期待していきたい。

 

⑥一面に張り巡らされた献身性のワナ

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

小学校で「プールの授業は2回だけ」の衝撃…国会で改善を訴える“元体育教師議員”

 が語る「泳げなくなる」以上の弊害 AERA DIGITAL 井荻稔 2026.7.23

 こうしたいわゆる「昔は良かった」的な観点から現状を批判する、老害的指摘に一体、何の意味があるのだろう。水泳の授業が少なくなった背景には学校の予算の少なさと事故の危険性、生理が始まっている女子児童への対応に難があること、などいくつかの原因がある。授業回数を増やしたければ予算を増やす、教員不足を解消する、といった対策から先に検討すべきである。余力のなくなってしまった学校現場に丸投げはできない。

 …小学校におけるプールの授業は「泳げる」「泳げない」以上に大切なものを育んでいるのかもしれない…などと悠長なことをいう暇があるのなら、議員もマスコミもまずは学校のブラック化を阻止する方策を提案すべきだろう。水泳の授業は今や学校の存続をも脅かしかねないほどに過酷な負担、すなわち「弊害」そのものと化しているのだから。

・基本データで確認する日本の教育の貧困  ぶり  

  バブル期にGDPの5.5%余りを占めていた教育予算はバブル崩壊後の1993年には3.5%に下落。これは何と実質4割近くの予算が一気に削減されたことを意味する。

 以後、教育予算が増えることはほとんどなく、現在に至っている。大幅な予算の削減と同じ頃に「ゆとり教育」の推進が検討課題となっていた。今、思うとこれは予算削減のカモフラージュであったのかもしれない。実際、学校への週休二日制の導入と「ゆとり教育」が実現されるならば、未曾有の不景気のご時世において、教育予算が多少削られても教育公務員としては仕方あるまい…という教師側の受け取りがその頃に生じていたのは事実だろう。

 しかし、2000年前後から学校現場はむしろ急速にゆとりをなくしていった。むしろ教員免許更新制によって教師への締め付けばかりが強まり、職員会議はただの一方的な事務連絡の場、上意下達の場と化していった。同時に不登校とイジメが横行、教員の休職、早期退職も目立ってきた。

 もう少し、予算にかかわる基本データを確認してみよう。 

 OECD「図表で見る教育2025」によると…

 日本における初等教育段階から高等教育段階までの在学者1人あたりの教育支出は、年間平均1万4,130米ドル(購買力平価)で、OECD平均の1万5,023米ドル(購買力平価)よりも少なくなっている。教育への投資を対GDP比でみても、日本はわずか3.9%で、OECD平均の4.7%を大きく下回っている。

 このほか、日本はOECD加盟国の中で高等教育段階全体の教員に占める女性の割合が31%で、OECD平均の54%を大きく下回り、もっとも低い状況にある。

 バブル崩壊後、日本政府は実際、何をしてきたのか…厳しく問い直すべきだろう。

 

参考記事

若い女性教師が「学校に行けなくなった」深刻な訳

     東洋経済オンライン 広岡 清伸 2026.3.30

 おそらく認知行動療法をもとにした治療例だと思われるが、この記事で注目したいのは治療法だけではない。教師という仕事が孕んでいる業の深さもまた教師の心を酷く苛む。なまじ教職には有り余るほどの遣り甲斐があるがゆえに、若い教師たちはすべてをきちんとやり遂げようとしてしまう。しかし学校の現状は多くの場合、誰に対しても過酷である。普通の人はどこかで手を抜かなければいつか心身を病む日が来てしまう。それができない真面目で几帳面な人は、学校の現状が大きく変わるまで、教職を避けるべきだろう。症例で挙げられた女性が社会復帰する際に教職から事務職へと職を変えたことは極めて正しい判断だったと思うが、いかがか。

学校の合理的配慮「正しいけどモヤモヤ」する理由

     東洋経済オンライン 武田 緑  

 学校の教師がこの記事を読んで「正しいけどモヤモヤする理由」について簡単に論じてみたい。まず学校の校舎、教室やカリキュラム、教科書、教材、校則などはそもそも児童生徒の多様性などほとんど考慮されず、画一的に設計されている。元来が日本の学校は一人の教師が一斉講義形式で画一的な指導をすることに特化した制度設計に長らく依拠してきたのだ。

 現在、学校に要求されている児童生徒への合理的配慮の多くは、本質的には教師個人の問題ではなく、日本の学校教育の制度設計の問題なのである。この問題を教師個人の微々たる努力工夫や認識のあり方ごときに委ねようとするのは明らかに無理筋であり、政治、行政の誤り、怠慢を教師個人に転嫁する暴論に過ぎないだろう。

 この論点で致命的に欠落しているのは、児童生徒への合理的配慮と同時に教師への合理的配慮がより一層必要とされてきている状況に今の学校は置かれている、という認識なのではないか。教師不足の背景に横たわっている危機的な状況への認識が余りにも甘すぎる、というのが本論への端的な感想である。

教員の働き方「見える化」旗振り役に足りない視点

    東洋経済オンライン 妹尾 昌俊 2026.3.23

 この分析力、さすがである。教員ではないのに妹尾氏ほどこの問題に関して現場の教員の感覚に近い分析ができる発信者は他にいないのではあるまいか。改めて貴重な存在だとつくづく感心する。残業の「見えない化」が進行しつつあることは「持ち帰り残業」の実態を把握しようとしない管理職、教育委員会、文科省側の欺瞞によるものであろう。とりわけ教員は何に忙しいかが「見えない」化されつつある。この点に教育行政の最大の欺瞞が隠されているに違いない。

 教育行政側の本音としては教員の「働き方改革」に対して極めて消極的であり、実際には学校のブラック化を放置していたいのが透けて見えてくる。だからこそ、教育委員会から上げられてくる妥当性、信用性の欠けた調査結果を敢えて鵜呑みにして改善の成果を平気で誇示しているのだ。これではロシアで繰り返されているプーチン政権の「高い」支持率の世論調査結果と大差あるまい。

 最も重要な実態の把握をサボり続けている今の文科省に教育行政を主導する資格があるとはまったく思えない。やはり財務省以上に(あるいは財務省と同様に)解体されるべき極悪省庁こそ、文科省なのだ。

日本語ゼロの子どもが次々と転入 国の基準は時代遅れ? 現場が語る切実な声と教育

 の質の行方 FNNプライムオンライン 2026.3.22

 …大切なのは、学校や自治体がしっかり対応できる体制を整えること。そして、短期的な労働力の確保にとどまるのではなく、次の世代の子どもたちが日本社会で活躍しながら共生できるよう、長期的な視点で支援していくことだ。

 少子高齢化とともに地域社会の多様化が進む中、持続可能な共生社会をどのように築いていくのかが、今まさに問われている…

 私が勤めていた三部制定時制では母語を日本語としない生徒数が多く、日本語での授業をほとんど理解できない生徒も一部、存在していた。平仮名すらできない生徒に高校の社会科を大勢の教室の中で教えるのはまず不可能である。まして不登校の生徒も多く、精神面で極めて不安定な生徒もいた。そして学習面で問題のある生徒はさらに多い。宗教面で特別の配慮を要する生徒だっている。

 そうした生徒は往々にして家庭環境に恵まれず、両親が揃っている生徒は極めて少数派である。もちろん生活保護を受けていてギリギリの生活を送っている生徒も少なからずいて、中には児童養護施設から通ってくる生徒もいた。そこに日本語を十分に理解できない生徒が相当数、混じってくる。これだけの困難と多様性に満ちた生徒たちに、日本の高校はしっかりと対応できるだけの体制を全くと言って良いほど備えていない。にもかかわらず多くの場合、定時制高校は入学定員を満たしていないため、希望さえすればどんな生徒でもほぼ全員入学させてしまう。

 とは言え多くの定時制高校の入学時における定員割れはかなり酷く、入学時点で既に一クラス10人台である。つまり、結果的には少数学級が実現できている。しかも入学後、たちまち学校に来なくなる生徒も少なくない。ところが三部制の定時制は、私が勤務していた当時、入学試験倍率が常に一倍を超えていたため、一クラス35人余りの新入生を抱えて毎年、新学年がスタートしていた。

 対して夜間の定時制では不登校だった生徒が比較的少ない。そもそも定員割れの度合いが酷く、10人台でスタートする学級担任の量的負担は午前部や午後部に比べて相対的に軽くなる。もちろん非行少年、学校の指導に逆らう生徒が少なから存在するので、決して担任の負担が軽いとは言えない。質的な面からすれば教師は決して楽ではないだろう。ただし、午前部や午後部の生徒は質、量ともかなりきつい負担を担任に強いてくるのは間違いのない事実である。

 しかし冒頭の切り抜き記事のように、学校や自治体がしっかりと対応できるだけの体制はいつまでたっても十分には整備されてこなかった。にもかかわらず「探求学習」だとか「個に即した」指導とか、大きな困難を抱える生徒たちの就労支援だとか…無理難題ばかりが次々と降りかかってくる。

 こうしたことの積み重ねによって教員の休職や早期退職の増加が生じ、ついには若者の教職離れをもたらしてきた。その結果として教員不足が教師たちの負担を増大させ、教師の休職や早期退職を増やすという悪循環が既に始まっている。そのことへの教育行政側における反省と根本的な改善が遅々として進まぬうちに、またぞろ新たな負担が教師たちに降りかかってくるに違いない…

 どうみても教職の未来は絶望的に暗い。

小学校「朝7時開門」群馬県高崎市の方針に教職員が「猛反対」子どもの安全や、

 教育現場の負担を軽視して 東京新聞 2026.3.22

 高崎市の決定を主導したのは市長や市会議員なのだろう。小学校の現場をまったく知らぬ者たち=政治家たちが、強く「ノー」と言えない公立小学校の教師たちを7時に学校の「開門業務」につかせることを決定したという。

 市教委は内心、迷惑だと感じたに違いないが、結局は教師たちを市の暴政から守ることはせず、腑抜けにも学校現場に丸投げしてきた。これも見飽きてしまった、ごくごくありがちな地方行政の構図…公立学校へのシワ寄せ…

 あたかも教師たちは万能であり、何でも屋であるかのような扱い。そのくせ、奴隷のように社会的地位と給与は低く、時間外手当もほとんどつかない。さらに教師たちには家族が一人も存在していないかのような、実にぞんざいな扱いである。立場の弱い教師たちを守るべき教育委員会は自己保身を図り、むしろ教師たちの敵となって寝返る。これまでも執拗に繰り返されてきた現象である。

 若者の教師離れが加速するのもやむをえまい。

参考動画

【最大の病】"この"ラインを超えると一斉に叩き出す日本社会の闇がヤバい山田玲

    司の原作が10倍おもしろくなる解説【山田玲司 切り抜き】 2025/01/31  11:38

 今、お笑いやアニメ、漫画などの大衆文化を通じて時代の精神を語らせたらこの人の右に出る者はいないのではあるまいか。かの「グレタ叩き」などのネットリンチや炎上を生み出す時代の精神とは一体何か、ネット社会の闇に潜む現代人の心理を探りたいのならば必見の動画だろう。

 ただし、授業で扱うには難しく、時折、解説を加える必要はあると思われる。もちろん社会科の教師としては間違いなく授業の参考となるのでオススメ。教師の仕事における献身性を考える上でもぜひ視聴しておきたい。

【勝利至上主義】順位を決めない学校も?負けず嫌いは成長?本田圭佑&ひろゆき

 |アベプラ ABEMA Prime  2024/08/01  12:38

 大人主導の勝利至上主義は否定するが、子ども主体の勝利主義は必要…成功体験も失敗体験も必要であり、運動に限らず、様々な種目で勝負する、競争する機会を豊富に用意することが教育的には必要。目標達成のために合意形成をすることと同様に目標を立てた後の実行段階の経験も必要…いずれの議論も学校の現状をしっかりと踏まえたものではないため、学校の負担をひたすら重くする、お気軽な第三者的提案ばかりの、好き勝手な議論に終始しているといった印象は否めない。

 まず必要なのは学校の現状把握であろう。競争的な場面が減っているとの印象論ではなく、運動会の種目と実施状況に関する調査データを踏まえた議論にしてほしい。また競技によって生じる正の側面だけではなく、負の側面(事故、指導の負担、自己肯定感の低下…)にもバランス良く目を向けて欲しい。

 もちろん競争的場面は人間関係の中でも登場する。イジメは人間関係における力関係、上下関係の産物であろう。したがってただ競争を煽ればよい、というわけではあるまい。大切なのは勝利を目指す努力、工夫だけではない。自他ともに一つの尺度、限られた尺度で評価するのではなく、沢山の尺度を用いて多面的な人間理解が出来るようにすることである。そしてそのためにも日本の学校は実際、教科の学力だけではなく、運動や芸術、各種の技術、学校行事などを用意してきたのだ。

 とは言え、欧米に比べれば日本の学校は余りにも多くのタスクを抱えすぎたことですっかりブラック化してしまった、と見るべき側面があるのでは。実際、社会的に必要とされている事だからと言って、何も学校だけがタスクを抱える必要など無いだろう。学校は社会に対して分相応の負担を果たせれば良いのである。

 この議論の問題は前提とすべき議論の不在にあるだろう。日本の学校が負うべき分相応の負担とは何か、についての議論がしっかりと行えていないまま、理想論、机上の空論に基づいて学校の果たすべき任務ばかりが追及されてしまうと、学校のキャパを超えた無謀な議論となってしまうのは不可避である。

 最初に厳しく問うべきは日本の学校が今、何が出来て、何が出来ないのか、その原因は何か、しっかりとデータを用いて検証することだと思うが、いかがか。

「全て他人のせい」日本人に主体性が育たない背景とは?レジェンド校長“工藤勇

 一”が指摘する「教育の大問題」【成田修造/宮村優子/平川理恵/西村祐二】

 NewsPicks /ニューズピックス  2024/05/18  14:39

「みんな仲良くなんてできない」先生主体のいじめ対応が子ども自身の解決能力を

 奪う。当事者の生徒達が自ら考え、いじめを解決に導く方法とは?【工藤

 勇一/平川理恵/西村祐二/成田修造/宮村優子】

 NewsPicks /ニューズピックス  2024/05/25  14:31

 工藤氏の主張のポイントは日本の教師の児童生徒への過干渉と管理主義が児童生徒の自主性、当事者意識、主権者意識を損なっている、という点にあるだろう。またこの主張を少し敷衍してみれば教師の過干渉と管理主義が同時に教師の多忙化、学校のブラック化の大きな要因ともなっている可能性に行きつくかもしれない。さらに教師と児童生徒との関係性は教育行政と個々の学校現場との関係性と同質の側面を有しており、行政側の現場への過干渉や管理主義が個々の学校や教師の主体性、当事者意識を損ねるものとなっている。

 日本の教師の過干渉と管理主義は必然的に日本国民の間になかなか民主主義が根付いていかなかった歴史と大いに重なるはずである。そして当事者意識を持って社会問題に主体的に関わろうとする意識を児童生徒らに育むには工藤氏の、議論を柱とする授業こそが求められる。

 イジメ問題の発生を児童生徒たちの主体性、当事者意識、主権者意識を育むうえでの絶好の機会と捉える工藤氏の逆転の発想はイジメ隠蔽に傾く日本の教師たちを過剰支配と過剰労働の悪循環から救い出す力をも秘めているのではあるまいか。

参考記事

学校の裁量拡大で授業の増減可能に、重荷にも?

    東洋経済オンライン 松尾 英明 2026.3.13

 今の教師が欲しているのは決して難しい決断や難易度の高い授業実践ではない。そもそもそれらが実行できるほど、教師たちに余力は残されていない。

 学習指導要領の見直しに際し、教師たちの現実的な体力、意欲、理解力、取り組める時間などがどの程度のものなのか、予め中央教育審議会のメンバーが全員、信頼できるデータを共有してしっかりと見極めておくことが必要不可欠だろう。

 これまでも学習指導要領の改訂の度にきらびやかな理想はいくらでも語られるが、それを実現するために必要とされる条件整備に関してはほとんどまともに保障されないまま、結局は学校現場に丸投げされ、教師たちの疲弊が募ってしまう。学校のブラック化を推進するばかりとなっているこの悪循環を文科省が断たない限り、どんな理想論も絵空事に過ぎない。

絶対おかしい! 授業準備、テストの採点に「残業代が出ない」のはなぜ? 教員の

   “時間外労働”謎ルール All About  坂田 聖一郎  2024.11.12

   同感である。教師の仕事の内、その多くは学校外かつ勤務時間外で行われている。自宅への「お持ち帰りサービス残業」も多い。それらの時間の多くは厳密な測定が難しく、残業手当の対象とするのが困難ではある。したがって教師に対する残業手当の支給が始まったとしても、堂々と残業時間として計上できるものは実態に比べてかなり少ない時間になってしまうのではあるまいか。

 教師の持ち帰り残業は現在、残業代をもらわないサービスであるがゆえに、ある種のお気楽さをも保証されている。たとえば自宅で音楽を聴きながら、ワインを片手に、ペットと戯れつつ…といった、極めてお気楽な「ながら残業」が許される。もちろん仕事に飽きれば、しばし、おやつをつまみ、家族とふざけ合うこともできる。そうしたお気楽さが残業代の支給によって奪われ、職場と同様の緊張感の中で自宅でのお持ち帰り残業を務める、となればそのことに強い抵抗感を持つ教師はきっと少なくあるまい。

 教師の仕事は一旦、自宅に持ち帰るとなれば私生活の自由時間とランダムに混ざり合ってしまうため、どこからどこまでを正式な残業時間として申請するのかを厳密に判断できない場合が少なくない。すなわち教師の、厳密な意味での残業代支給はあくまで休日における研修、部活動、保護者等との面談、修学旅行中の勤務時間外での指導など、ある程度明確に時間が測定できるものに限られてしまうのはおそらくやむを得ないだろう。

 しかしながら自宅での持ち帰り仕事をまったくの無給とするのも完全な間違いであると考える。ノート、プリントといった提出物のチェック、授業準備、文化祭の準備等は教師として極めて重要度の高い仕事であり、定刻を過ぎていたとしても、さらには自宅に持ち帰ったとしても真っ当に評価されるべき不可欠の任務ではある。これをただのボランティアとみなす発想は学校教育を腐敗させるだけではあるまいか。

 そこで教師個々の役割に応じた、給与の基準を作り直すことが必要となってくるはず。クラス担任はどうしてもクラスに関わる事務仕事(成績、出席…)、文化祭や修学旅行の引率、生徒や保護者との面談、HRの運営といった仕事が加わる。したがってまずは担任手当として給与を一律に加算することが必要となる。

 ただし副担任や学年に所属しない教師に様々な分掌の負担が集中する場合も少なからずあるので、分掌の負担を併せて給与に反映させるべきだろう。たとえば学級担任ではなくとも生徒会の顧問、各種委員会(教師の組織)の長、学年での仕事(特に重いのは修学旅行担当)などが特定の教師に集中することはままある。さらに加えて部活動の仕事、たとえばブロック主任などで大きな大会の運営にあたったりすれば、たとえ学級担任や学年、分掌の主任ではなくとも負担は相当、過酷なものとなり、下手をすれば「燃え尽き症候群」にも陥りかねない。

 教務主任、生徒指導部長、進路指導部長、各学年主任はわずかながら主任手当をもらえるが、総務部長や管理部長などは主任手当を支給されないことがこれまでは少なからずあった。実は仕事の量と質に見合った評価や手当を教師がもらえていないケースが学校では数多く見られ、教師間に不公平感を醸成しかねない危険性が学校現場にはかねてから存在していたと個人的には感じてきた。したがって残業問題と同時に、肩書だけではなく、実際の校務の質と量にある程度まで見合った給与の支給をしっかりと検討すべきであろう。

 教職調整額として一律支給するシステムは、教師ならば分掌を問わずに必要とされる自宅への持ち帰り残業を給与として多少とも評価できるようになる点で一定程度有効だが、それだけではかなり雑な評価にとどまってしまう。かといって残業手当の支給にも問題は残る。とすれば、もう少し学校現場の勤務実態に寄り添ったきめ細やかな評価システムの構築が今後は求めらるのだろう。

 その際、学校の種別や個々の学校によって分掌のあり方や割り振りに多少の差異がある点はこの問題解決を難しくしているに違いない。そこでその実態を各都道府県教委などが緊急に調査して、給与・手当に結び付く、できるだけ公正できめ細やかな評価基準の策定を学校種別、職務別に作成すべきだと思うが、いかがか。

嬉々として「サービス残業」する部活顧問の深刻 「やりがい搾取」だけじゃない部活顧

 問の問題点 東洋経済オンライン広尾 晃 の意見 2024.7.28

 部活動の過熱化の背景には過度ともいえるような顧問の献身的、自己犠牲的指導が潜んでいる。実は部活動のみならず、教師の職務には専念すればするほどにやりがいが増してきてその中毒性から抜けられなくなるものが少なくない。たとえば生徒会の顧問や就職指導、文化祭の指導などもやりがいが大きいために強い中毒性があり、幾度転勤しても同じ仕事を希望し続ける教師は少なくない。

 かつてはそうした教師が熱心な教師としてもてはやされたため、多くの熱意ある教師が自己犠牲的精神を持って特定の業務に専念してきた。しかし生徒数の減少による学校の小規模化と事務仕事の肥大化が教師たちから仕事への熱意を奪い始めていたことを見逃してはなるまい。

 学校の小規模化は一人の教師の仕事の種類を増やし、一つ一つの職務の責任を重くしていく。特定の職務ならば自己犠牲的献身を惜しまない教師であっても、場合によっては苦手な職務を複数、任されることが不可避となってくる。そこに意味不明なブルシットジョブがこれでもかと言わんばかりにのしかかってくる。やがて教師たちの熱意は空回りし始め、徒労感が募り始める。かつて職務に燃えていた教師たちほど要職に就くがゆえに真っ先に燃え尽き始める。

 「嬉々として」サービス残業する部活顧問などは過労死さえ避けられればとりあえず自分の得意分野を多少任されている分、まだ幸運な部類に属する。しかし多くの教師たちは授業でさえ、自分の専門科目を担当できるとは限らず、分掌や部活動も同様に自分の希望が通るとは限らない。長く不本意な思いを抱えつつ、仕事は次第に多岐にわたり、不毛感きわまるブルシットジョブの山を前にして徐々に鬱屈していく。 

 今、多くの学校では「やりがい搾取」どころか根こそぎレベルでの「生きがい搾取」が始まっているのだ。それが教師の休職や早期退職の増大につながっていることは言を俟たない。

教育社会学者・内田良氏が公立教員「定額働かせ放題」問題に警鐘…「給特法」廃

   止と現場の意識改革が不可欠 日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 2024.6.9

   給特法の廃止と聖職論的な献身性を前提とするような働き方の見直しは部活動の地域移管とともに学校のブラック化を抑止する上で必須であろう。

「あった方がいい病」が組織の生産性を低下させる 優秀な管理職は「引き算」発想で仕

 事を取捨する 東洋経済オンライン 櫻田 毅 の意見 2023.5.11

 「日本人は人のサイフは盗らないが、人の時間は平気で盗む」―時間価値の意識が

乏しい日本人を、こう揶揄する外国人も…との指摘はむしろ学校現場や教育行政の世界に最もよく当てはまるのではあるまいか。

学校の先生は大変…給食を“64秒で食べる日も やりがいに依存した教育現場 何

 を変えれば負担は減るのか?

 【大阪発】 関西テレビ によるストーリー 2023.6.10

 

 運動部の顧問ならば普段の練習のみならず、朝練や合宿、遠征、部員のお誕生会、グランドの整備(草取りと石拾いなど)、ルールや作戦の講習会、炎天下での審判、特に大会の関係者になれば部員達の指導に加えて会場の確保、早朝からの準備、日が落ちてからの更衣室の清掃、顧問や審判の昼食の準備・・・

 教職員組合の学校におけるまとめ役ともなれば毎月の資料の配付、種々の会合への参加(夜遅くか休日)や教育委員会との交渉、駅前でのビラ配り・・・

 いずれも本来の職務ではなく、自発的なボランティア的活動であったはずの取り組みなのに、いつの間にか有無を言わせぬ重苦しい義務と責任がズッシリとのしかかってくる、ある種の「職務」にすり替えられてしまう。

 教師集団の同調圧力は極めて強い。従ってこうした事に運悪く個人的な事情(介護等の家庭の問題など)が重なった場合、あるいは勤務校が急激に荒れてきた場合、一体誰が自分の仕事を代替してくれるのだろう。そんな時、「昔からみんな文句も言わずにやって来た事だ、個人的事情を楯にして今更ワガママを言うな」という声が頭の中で反響してしまうのは私だけではあるまい。

 授業という本務を差し置いて、本来は強制されないはずの自主的取り組みを最も重い不可避の職務にすら変質させてしまうのが、村社会化してしまった学校をギリギリで機能させてきた猛烈にストレスフルな教師集団の、強烈に歪んだ集団心理のなせる業なのである。

 

 20年近く前、ある学校で美化清掃を担当する管理部長の教師はとあるスポーツ種目の専門家として県の仕事を任される一方で、近隣からの苦情もあって自分の空き時間を見つけては大きなゴミ袋を肩に学校内外を歩き回り、せっせとゴミ拾いをしていた。何と学校から数百メートルも離れた場所でも、である。

 私も当時は近隣からの苦情と変質者の出没などで雨天時以外は学校の周辺を2~3㎞ほどしつこく歩き回っていたので、彼の姿を時折見かけていた。その時、私もまた組合のまとめ役として県教委との人事交渉などにも休日を割いて当たっていた。

 さて、こうした苦労談はただの個人的な自慢話なのだろうか、はたまた素晴らしい美談なのであろうか。

 当時、他校の野球部顧問だった方は激務の中、組合の支部役員をも引き受けていた。実はそうした教師の中には分掌の主任まで同時に引き受けている方が少なからずいた。その多くはまさに「体力モンスター」でなければ務まるはずの無い膨大な仕事量に直面していたであろう。

 こうした無謀なまでの献身性こそが教師として持つべき当然の美徳である、とするような教員社会の歪んだ滅私奉公的価値観は教育行政側から巧妙につけ込まれて「やり甲斐搾取」を招く一方で、特定の教師を追い込み、深刻なレベルまで心身を疲弊させてはこなかっただろうか。心身の破綻や家庭での修正不能な軋轢を生み出してこなかっただろうか。

  献身性を美化する保守的立場の教師聖職論と労働者の権利を高めようとする革新的立場の教師労働者論とのせめぎ合いから一歩抜け出ようと 、50年ほど前、教師専門職論が台頭してきた。しかし専門職という、いかにも社会的ステイタスが高そうな言葉に幻惑されてしまったのか、教師の役割、職務を再検討する動きはそれ以降、さほど盛り上がらなかったようだ。

 そもそも50年前に問い直すべきは待遇改善と同時に教師の専門性をどこに見出すべきなのか、教師の職務を何に限定すべきか、という点ではなかったか。とりわけ何でも屋を強要してしまいがちな聖職論が、「金八先生」以後、形を変えて生き残ってしまったような気がしてならない。その一方で、世の中全体の保守化と組合運動の低迷が公務員や教師の労働者としての権利を軽視する、ブラックな風潮を助長させてしまったのかもしれない。

 私を含め、ベテラン教師の多くは今こそ胸に手を当てて学校におけるかつての自分自身と同僚達の仕事への献身ぶりを、絶対に美談化することなしに、虚心坦懐に反省してみてはいかがだろう。

 果たして誰のための、一体何のための仕事だったのか・・・今やそれが招いた正の側面だけではなく、負の側面をも直視すべき時ではあるまいか。現在のブラックな状況の進展にこれまで私たちは何一つ関与してこなかったのだろうか。むしろもう少し早く自分達の負の役割に気付くべきではなかったのか・・・反省すべき点は数多いと思うが、さて、皆さんはいかがだろう。

参考記事

「生徒のために頑張るほど、自腹が増える」29歳女性教師の嘆き。公立校の予算

 が使いものにならないワケ 日刊SPA!  2024.12.6

 授業準備のための実物教材や参考図書の購入などに関しては、教師として転勤後も個人的に使用し続けたいので、ある程度は「自腹」を切るのもやむをえない。また部活動での用具の購入も同様に、多くは転勤後も使い続けるものなので多少の出費は仕方ないだろう。「自腹」のすべてが教師にとって不合理なものではあるまい。

 しかし転勤するたびに違う科目の授業を持たされたり、指導したことの無い部活動を任されることはよくある。その都度、新たに購入するものが出てくる際に、高額の「自腹」を切らされてしまうことには私も強い抵抗感があった。基本的に自らが望んでもいない、不本意な仕事に対してさらなる自腹を強要されるのは誰でも辛さ、不合理さを感じてしまうのは当然の事である。

 もちろんクラス担任としても、文化祭等ではかなり自腹を切る場面が多かった。周囲の教師たちもある程度の自腹を切るのは、学校教師という仕事の性質上、仕方ない事として諦めつつ受け入れてきた流れは確かにある。これまで授業準備や提出物のチェック、小テストの採点などは自宅でのお持帰り業務とされることが長く当然の事とされてきたように、教師の勤務時間の区切りは本来、極めて曖昧である。そのため下手をすれば公私の別すらなく、際限も無い、原則無償の奉仕活動を周囲から延々と期待されてしまいがちなのだ。

 パワポを頻繁に授業で使用するために学校の備品では数的に不足しているプロジェクターやスクリーンを自前で用意している教師は今も少なくあるまい。それらは個人所有であるが、多くの場合、学校以外で利用することは滅多にないだろう。教育予算が先進国では極めて少ない日本のお寒い現状が教師たちの「自腹」の多さを招く主因である事は紛れもない事実なのだ。

その7.②学校の閉鎖性

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

精神疾患を理由に退職 公立小中高の教員、過去最多1319人

 毎日新聞 2026.7.22

 …2024年度に精神疾患を理由に退職した公立小中高校の教員が過去最多の1319人に上ったことが22日、文部科学省の調査で明らかになった。3年前の前回調査の約1・4倍に当たり、初めて1000人を超えた。

 文科省は教員の働き方改革を進めてきたが、効果が見えない現状が改めて浮き彫りになった…初めて調査項目に加わった10年度調査は599人だったが、前回の22年度調査は950人に。今回調査で1000人の大台を超え、15年で2倍超に膨らんだ…

 とのこと。これに精神疾患で休職中の教員数を加えれば、もっと学校現場の過酷さがハッキリしてくるだろうが、なぜか、それは新聞で取り上げてくれない。明らかに記事としては不十分であり、突っ込みが足りないのである。

     昨年、千葉県の新任の女性教師が教壇に立ってわずか5か月ほどで退職した、とのうわさがあった。多くのブラック企業がそうであったように、退職理由はおそらく「自己都合」となっているのではあるまいか。しかし、実態は新任女性教員の立場の弱さに付け込んだ、イジメとも見える、あり得ないほどの過重負担が主な原因であり、退職教師からは勤務校を酷く罵る発言もあったらしい。こうした事例は近年、急増していることが予想されるが、その実態は決して文科省の統計に反映されることが無い。

 精神疾患による退職者数などは学校のブラック化をわずかに仄めかすだけの、数あるデータの一つに過ぎない。ただでさえ当てにならない文科省の調査結果を、あろうことか鵜吞みにして紹介する…こんな表層を撫でただけの記事などほとんど無益である。なぜマスコミは学校に関して表面的な取材ばかりで現場の実態に肉薄する報告ができないのだろうか。やはり学校のブラックボックス化は教員の発信不足だけではなく、マスコミの怠慢、取材不足にも起因していると考えるが、いかがか。

【教員の悩み相談】ベテラン教諭の「指導案を簡素に」が却下…「味よりレシピ」

     重視の昭和すぎる学校文化にサラバ!  東洋経済オンライン 森 万喜子 2026.7.4

 …学校ってつくづく閉じた世界だと感じることがあります。世の中ではテクノロジーが発達して、公共施設のお掃除も警備もロボットが働いているような世の中になっていても、学校はほうきとちりとりで部屋を掃除することを手放さない。そして、不審者対策に「さすまた」(江戸時代からある道具)が配備されている。

     面白いエピソードがあります。友人が中学生に「3年B組金八先生」を見せたところ、中学生はこれを新しく始まった番組だと思ったそうです。ご存じでしょうが、あのドラマは最初のシリーズが始まってからもう50年経っているのです。

     でもその中学生は昔の学校だと思わなかったようです。よく見ると教室のレイアウトは当時も今もほとんど変わっていません。前面に黒板。黒板の右端には日付と日直の名前を書く。前面の壁には生活目標や心得が掲示されている。机は黒板を向いて並び、背面の壁には書写や絵画の作品が掲示されている…

     古色蒼然たる日本の学校に郷愁と慣れ親しんだ安心感すら覚えている教師は決して少なくあるまい。とりわけ管理職にその傾向は強い、としたならば、日本の学校のリニューアルが遅々として進まないのは当たり前であろう。

 …指導案は例えていえば料理のレシピ。日本の学校は授業のよしあしよりも、準備にかけた手間や時間を称賛することが多い。「力作です」「頑張りましたね」とレシピを褒められても、できあがった料理が美味しいとは限らない…

 ご指摘の通りであろう。指導案を作成する意義は、事前に児童生徒の反応を予測して、どこで発問し、どこでどのようにして児童生徒の興味関心を引き出すのかを考える点にある。その準備を怠ると、進度ばかりに気を取られて、授業は一方的なマシンガントークに走ってしまいがちになるだろう。

 教師の予測を超えた、無視できないレベルの反応が出てきた場合、当然のことながら教師は児童生徒の反応に寄り添った授業展開に切り替えるべきであろう。そこで問われるのは教師の臨機応変の対応力であり、それを可能とするだけの知識や発想の引き出しの多さである。授業案に囚われるあまり、プラン通りの授業展開に教師が走ってしまうと児童生徒は置いてけぼりにされてしまうかも。

 まずは教師が授業と授業準備に専念できるだけの時間を確保することが急がれるだろう。学校の業務量の削減に寄与すべく、指導案の内容の見直しとともにその簡素化を進めていくべきである。もちろん学校行事、とりわけ儀式的行事の大幅な削減は必要不可欠である。

「いじめ」でも「家庭環境」でもない…日本中で「教室に行けない子ども」が急増してい

     る"本当の理由" プレジデントオンライン 石井 光太 2026.7.1

 子供たちのコミュニケーション能力、言語能力の低下は確かに不登校増加の要因の一つとして見過ごせないものかもしれない。しかしそれは学校という場が子供たちにとって辛い時空となっている理由の一つに過ぎない。日本の学校が頑なに抱えてきた管理主義、画一主義もまた不登校を招く大きな要因だろう。

     かつて存在していたギャングエイジがほぼ消滅し、異年齢集団による集団遊びが激減してしまった現在、それを取り戻すことは極めて難しい。しかしSNSやネットの発達によって地域や学校の枠を超えた関係を築くことも可能になった現在、学校社会の囚われから解放された新たな関係性を生みだせる可能性はむしろ増してきている。ネットや学校教育だけではなく、社会教育の場が子供の成長に果たす役割もまた決して小さくない。地元の公民館だってそれなりの役割を果たせるはずである。

「森友問題」文書開示で見えてきた、衝撃の新事実…改ざんを指示する財務省の

    「なまなましいやり取り」 週刊現代 相澤 冬樹 2026.2.24

 隠蔽と改ざんを通じて官公庁が犯罪を行い、隠す。どれほど良心的な公務員であっても、内部告発がいかに難しいかを示すのが森友事件だろう。表では内部告発を奨励しながら、裏では隠蔽、改ざんを命じる官公庁…命じられた者は死に追いやられ、命じた者は刑に処されない…こんな現状が続く限り、公務員の世界において一体、誰が内部告発に踏み切れるだろうか。

 敗戦時の混乱に便乗して隠蔽に隠蔽を重ねてきたこの国の罪深い体質は、「ボタンの掛け違い」のごとく、延々と引き継がれてしまうかのようだ。

12県警が5年間で公益通報ゼロ 「あり得ない数字」と専門家

 毎日新聞 2026.2.24

 当然の結果であり、「あり得ない」などと何も今さら驚くべきことではあるまい。内部告発した結果、自殺に追い込まれることも有りうるのが風通しの悪い公務員の世界である。兵庫県での内部告発件数が最多だったのも、そうした悲劇があったばかりだからに過ぎまい。どうせ、のど元過ぎれば熱さ忘れる、といったところか。

 なお、教育公務員にも内部告発の制度は本来あるべきはずだが、おそらく多くの都道府県では、教員からの内部告発件数の調査報告すらほとんど表に出てこないのが実情だろう。そのせいもあってか、管理職や教育委員会によるイジメ事件や体罰、学校事故、管理職による不当人事の隠蔽が後を絶たないのではあるまいか。校長らによる強烈なパワハラやセクハラはさすがに事件として表に出てくる可能性が高いだろうが、入試や人事に関する学校や教育委員会による組織ぐるみの隠蔽となると、事件の多くは未だに闇の中だと思うがいかがか。

 本来ならば公立学校でも教育長以下、校長らが繰り返し、学校現場に対して内部告発を促すべきであるはずだが、なぜか、そのような動きがあったという情報はつぶさに学校教育関連の記事を確認している私自身、ほとんど記憶に残っていない。またたとえそのような動きがあったとしても、人事を握る管理職や教育委員会が主体となっている案件では旭川女子中学生凍死事件のように、衆人環視の下で何度も第三者委員会が調査したとしても、事の真相は遅々として表に出てこないに違いない。公立学校の組織的隠蔽体制はきっと長い時間をかけ、児童生徒のプライベート重視を逆手にとって既に鉄壁の守りを固めてきたのだ。

 公教育の腐敗はそうした隠蔽体質によって周囲からはほとんど見えないところからいつの間にか密かに進行してきた。これはあたかもステルス癌のように、一旦、症状が表面化してきた段階ではもはや手遅れとなっていると私は考える。そして今、公教育は既にほぼ再生不可能となってきている、というのが私の見立てである。

 あれだけ騒がれてきた鹿児島県警や兵庫県庁の事件を経ても、地方公務員の内部告発は今も驚くほどに少ない。ましてより一層闇深い場所に立たされている教育公務員が今後も内部告発をするようになるなどとはまったく思えない。したがって公教育の腐敗はいよいよ加速するばかりとなるであろう。

参考動画

「先生終わりだね」「消えろ」暴言に暴力も… 子どもから教職員への暴力行為が“

     加 熊本県民テレビ KKT公式チャンネル 2026/02/10 3:36

 この手の薄っぺらな「煽り」報道に対しては概して冷静に把握すべきだと考える。ただでさえ学校教育に関する統計の一部はほとんど信用ならないシロモノである。自らの落ち度をできるだけ隠蔽し、棚に上げて可能な限り軽く見積もる一方で、被害者意識だけは強い教育委員会や管理職側の一方的な言い分を、何の実証的、客観的検証も無く鵜呑みにするほど、浅はかなお人好しにはなるわけにはいくまい。

 児童生徒からの暴力的行為の増加傾向は実際、全国的に見られるようだが、これを理由にして単純に児童生徒への厳しい統制、行き過ぎた管理主義の復活を図ろうとする、復古的な動きには強く警戒したい。学校や教師側の問題やネット社会の問題、地域社会や家庭の問題なども同時に把握しつつ、児童生徒の暴力行為の背景にあるものをなるべく実証的に広く、かつ深く探るべきだろう。こうした表層的報道だけで「こんなことまで言われて先生、可哀そう!」と、変に憐れむのは厳に慎むべきである。

 「学校や教師が次第にコンプライアンス重視の風潮に縛られて徐々に指導が生ぬるくなってしまったからこんなことになるのだ」という一方的な決めつけだけは絶対に避けるべきだろう。こう言っては失礼になるかもしれないが、ただでさえ、イジメや教員の体罰がはびこりがちな、旧態依然の教育風土が強く感じられる熊本である。

 こんな薄っぺらなマスコミ報道を利用して他責的な姿勢を示す前に、まずは教育委員会や管理職側の教育の在り方に関する知識や意識のアップグレードが十分にできていたのか、学校側の生徒指導等に落ち度はなかったのか、等を含めてしっかりと内側の問題点を検証すべきだったのではあるまいか。

参考記事

校長が児童を突然怒鳴る、学校内の飲酒で発覚 市教委の報告漏れも

 朝日新聞社 2025.12.26

 勤務中に校長室で飲酒し、さらにPTA総会や、5月の運動会、職員会議でも居眠り。そしてあろうことか学校の校外学習に向かう児童らを突然怒鳴り、うち1人に精神的な被害まで与えていたという。まさにやりたい放題である。福島では校長が独裁者と同じような地位なのだ。

 加えて市教育委員会はこうした事態を把握しながらも、「非違行為との認定までできず、報告」の必要無し、と判断し、県教育委員会に報告さえしていなかったという。つまり校長ならば大抵のことは許されるべきだ、との考えが、実はこの校長だけではなく、市教育委員会全体に蔓延しているのだ。

 さらに県教委もここまで酷い失態を繰り返した市教委に対して「適切な情報共有を市教委に口頭で申し入れた」だけ。当該校長に対しても県教委は職務態度不良を理由にこの校長を停職12カ月の懲戒処分に処しただけというのだから呆れてものが言えない。

 校長ならば何をしても許される?…そんなはずがあるわけはない。むしろ管理職として一般職員よりも一層、重い責任を負う立場であろう。同記事では県教委が「高校の20代の男性非常勤講師を懲戒免職にし、発表した」らしい。当該教師は「10月に被害女性が18歳未満であると知りながら、わいせつな行為をした」という。

 責任重大な管理職に対しては「停職12か月」、20代の非常勤講師には懲戒免職…どうにもアンバランスで腑に落ちない。講師の懲戒免職に対しては事の詳細が不明なので断定的なことは言えないが、とりたてて違和感や疑問は湧いてこない。しかし児童生徒に有害な言動をとり、数々の信用失墜行為を繰り返してきた校長に対して「停職」で良いものだろうか。重い責任を負うべき管理職に対して軽い責任しか問おうとしない県教育委員会にも不信感が募る。こんなレベルの校長を登用してしまった任命責任は重大であるはずだが、一体、誰が任命責任を負うのだろう。福島の教育界では管理職同士の「庇い合い」の一線を超えた、ただの醜い「なれあい」そのものであろう。

 きっと学校教育村の内輪だけでヒソヒソと人事を決めてきたから、こんなみっともない事態を招いたのではあるまいか?

 

 私の大学での大先輩にあたる方が40年余り前、教育困難校での教師がどのようにして困難な状況を乗り越えようとするのかを博士論文のテーマにして取り組んだことがある。「サバイバル・ストラテジー(生き残り戦略)」というキーワードで民族学、文化人類学が用いる参与観察という手法を使って教師や生徒の生態観察を試みたものである。

 私自身は素晴らしい論文だ、さすがは博士論文・・・などと単純に感心していたのだが、当の学校現場では必ずしもそう受け取られず、倫理面での批判があったと聞いた。しかし実はこのような、まさに「潜入捜査」でも試みない限り、すっかり村社会化し、自閉してしまった今の学校の内部や実情を探るのはどんなに優れた学者であっても困難を極めるだろうと私は今も確信している。

 つまり教育行政や学校現場の持つ牢固な隠蔽体質が研究者の学術的研究やマスコミによる真相究明を長年、妨害し、頑なに阻んできたと考えられるのだ。従って学校教育の病状が極めて深刻でその症状は誰の目にも明らかになっていたとしても、肝心の症状を生み出すメカニズムや学校や教育委員会の奥底に潜む病巣を明らかにし、適切な診断を下すことは相当の専門家ですら今後も困難を極めるに違いない。

 それはあたかも医者がウソまみれの記述と空欄だらけの問診票、頭皮をそっとなでるだけの触診、それに体温と血圧の数値だけで脳腫瘍などの診断を行おうとするに等しいほど、無謀な行為だと思われる。

参考記事

そりゃ隠蔽するわ…「正直者がバカを見る」バッシング社会の病理

   ダイヤモンド・オンライン 秋山進 2025.3.12

   隠蔽に走りがちな組織に見られる特色として「リーダーシップの不足」、「証拠の不在」、「リソース不足」、「心理的バイアス」(現状維持バイアス、損失回避バイアス)が挙げられている。いずれも多くの学校に当てはまる特色だろう。2~3年でいなくなる校長や教頭に学校経営のリーダーシップなどあるわけがない。学校の組織的病理に通じている人材がほぼ皆無であり、多くの教師は学校経営自体に無関心。事を荒立てることなく無難にやり過ごせる能力が重宝がられる組織風土…学校自ら学校の根深い隠蔽体質を見直すことは極めて困難である。

「文科省と日教組が結託した治外法権」問題教員にも手出しできない市長の無力

 ダイヤモンド・オンライン 泉 房穂 によるストーリー 2024.10.27

   泉氏の主張には無条件に賛成できない部分もある。たとえば市長が学校教育へ不用意に介入することは公教育の「政治的中立性」を脅かす危険性を強めてしまうだろう。もちろん泉氏のような考えである限り、市長が介入することは学校現場としても大歓迎すべきであろうが、市長の方針によってはとんでもない事態を招いてしまうかもしれない。

   確かに「政治的中立性」を盾にして教育行政は外部からの介入を排除し、「治外法権」の領域を拡大しようとしてきたのかもしれず、その点に関しては泉氏の指摘通りなのだろうが、やはり斎藤元兵庫県知事のような人物がゴリ押しで公教育に介入してくるのはどうか、とも思うのだ。

   本来、こうした問題を解決すべく設置されたのが都道府県および市町村の教育委員会であったはず。戦後間もなく、アメリカの指導によって設置された教育委員は公選制の形を持って民主主義的に選出されていたのである。しかし教育委員会の役割に対する日本国民の理解が進まず、結局、公選制は瞬く間に撤廃されてしまった。長く公教育の運営を「お上」に依存し、ひたすら政治に対しても受け身のままであった国民を、主体的な主権者として育成していくにはそれなりの時間と種々の施策が必要であったに違いない。軍国主義が一掃されていない戦後間もなくの段階での教育委員公選制は確かに時期尚早と言えた。

   教育委員は結局、学校の管理職候補と元管理職で占められてしまい、結果的に学校と教育委員会との馴れ合い、癒着が進んでしまった。これが学校の不祥事、隠蔽事件が多発する土壌を生み出してきてしまったと考えるが、いかがだろう。

   相次ぐイジメ隠蔽などの学校、教育委員会による不祥事隠蔽は、教育委員会が本来果たすべき役割をこれまで十全には果たせてこられなかった側面が極めて大きいのではあるまいか。ならば、今、見直すべきは人事を含めた教育委員会という組織のあり方の方であろう。泉氏のような高い見識を持つ市長ばかりではない、という現状からすれば、市長による教育への介入強化はやはり好ましくはあるまい。検討すべきはむしろ教育委員公選制復活を視野に置いた、教育行政の民主主義化、自由主義化の方ではあるまいか。

 かなり遠回りに思えるようだが、教育委員会の抜本的組織改革が実現するには、まず児童生徒や保護者らが学校運営に積極的に関わっていく各種の工夫やシステムを構築して、国民の多くが望ましい学校運営とはどういうものなのか、ある程度の見識を持てるようにしていく努力が欠かせまい。そういった点でも児童生徒の主体性、当事者意識を育む授業改革は教育行政改革にもつながる地道な一歩であると考える。特に社会科授業で学校教育問題を積極的に取り上げて児童生徒に議論させる取り組みは今後、一層重要となってくるであろう。

『あさイチ』学校内での「盗撮」にスタジオ騒然…博多大吉「途中から気持ち悪く

 なってきた」ゲストも激怒 中日スポーツ 2024.7.3

 一見、授業では使えそうもない記事のように感じるかもしれない。しかし使い方次第では面白い教材に化けるだろう。なぜこんな事が学校で起きているのか、まず生徒たちに考えさせたい。

 みなかみ町下半身検診問題や学校での盗撮問題、イジメ事件とその隠蔽問題などに共通するのは、学校が、今や自己責任を問われる大人社会と隔絶された奇妙な聖域と化し、かつ外部の人からは妙に薄暗く、よく見ようとした途端にピシャっと閉ざされてしまうカーテンの奥、完全なブラックボックスと化した現状である。すなわち今や良からぬことを密かに行う場として最適な場所になってきているのが、現在の学校と言う空間なのだ、と私は考えている。

 「学校の中ならバレない、教師にバレたとしても大事には至らない」という心理的安心感も、学校での犯罪行為を後押しする大きな要因と考えられる。実際、余程のことでなければ警察官が校内に立ち入ることは無い。警察官が校内に立ち入ることを極端に嫌悪する管理職や教員は極めて多いし、事件を大事にしたくない多数の教師たちは結果的に「臭いものにはフタ」をしがちである。これらの要素は犯罪者やいたずら者にとって極めて好都合であり、実際、犯罪の横行する条件が現在の学校にはフルで揃っていると考えるべきだと思う。

 学校という場が現状としてあたかも無法地帯のような空間となってしまった背景には一体どんな要因が潜んでいるのだろうか。一つには教師の目が行き届かない「死角」が校内には少なからず存在しており、かつ教師数の不足や過重労働によって教師自身、生徒たちの動きを十分、追えていない点がまず考えられる。

 さらに少なからぬ教師たちが過重労働のもとで責任逃れをしたいがために事件の隠蔽や見て見ぬふりをする。そしてそうした教師たちの姿を児童生徒らは日常的に観察している。こうした点も、校内での教師や児童生徒たちによる事件を頻発させている大きな要因だろう。

小2男児が頭打ち嘔吐、担任ら保護者の要請断り45分間救急車呼ばず…頭蓋骨骨

 折など診断 読売新聞 によるストーリー 2024.6.6

 この件では主に二つの事が懸念されよう。一つは頭を打って嘔吐した、という、非常に危険な状態への教師の認識に甘さがあったのでは…という点。常識に見て一刻を争う事態であり、容体を静観している場合ではあるまい。

 にもかかわらず、担任や養護教諭がただちに救急車を呼ばなかった…となれば担任や養護教諭の頭部打撲に対する認識の甘さ、知識不足が強く疑われる。本来ならば知識と経験豊富な養護教諭が真っ青になって救急車を手配する場面だろうが、なぜ、そうしなかったのか、理解に苦しむ。

 もう一つは学年主任や管理職の判断を待つために無駄な時間を費やしてしまった可能性。「ほうれんそう」、すなわち管理職への報告、連絡、相談を欠かさない姿勢が学校現場では強く求められてきたが、それが行き過ぎると教師個人の判断力が鈍り、責任感も分散しがちとなる。管理主義の行き渡った小学校では災害時などでの教師個人による即断即決、緊急対応の力が十分に養われない可能性は大いにあるだろう。

 学校における緊急事態への対応の遅れはこれまでも頻発してきた。最も悲惨な例は東日本大震災時の大川小学校での悲劇だろう。これはまだボンヤリとした個人的憶測にすぎないのだが、日本における義務教育段階での行き過ぎた管理主義と集団主義は教師個人の決断力と当事者意識を大きく損なう側面があると思えて仕方ない。子どもたちのかけがえのない命を預かっている、という教師にとって本来、最優先されるべき自覚が日本の場合、どこか蔑ろにされている、という懸念が私にはあるのだ。行き過ぎた集団主義、管理主義の下では教師個々人の当事者意識と責任感の欠如を招き、いざという時の初動の遅れをもたらしているのではあるまいか。

県警本部長「隠蔽」を否定せず 鹿児島、前生活安全部長が指摘

   共同通信 によるストーリー 2024.6.6

 公益通報は社会人にとって本来、重い責務であるはず。上司や組織の違法な行為を知っているにもかかわらず公に通報しない…ケースによってはそのことで生じる社会的損失には計り知れないものがあるだろう。しかし学校や警察、お役所などでは残念ながら市民のために通報、公開すべき事案を隠蔽する事件が頻発しているように見えてしかたない。しかも勇気をもって通報した人が処罰されてしまう、職場にいられなくなってしまう、自殺に追い込まれてしまう惨いケースも少なくはないようだ。

 だが公的な立場にある人こそ、公益通報の責務は重くしなければなるまい。特に政治家の側近、秘書などはこれまでもっぱら政治家の悪事の手先、協力者とされてしまいがちだったような印象が強い。しかし政治家の秘書とは自分が仕えている政治家の悪事を知ったならば市民のために直ちに通報すべき立場に置かれているはず。でなければ市民社会を守るべき政治家の秘書としては完全に失格であろう。口の堅さが秘書の資質とされがちな日本の政治風土こそ、悪事の温床なのではあるまいか。

 こうした閉鎖的な職場風土は他の公務員社会でも同様であろう。警察や学校ですら公務上知りえた秘密を口外してはならない、とする原則が裏目に出て各種の隠蔽事件の続発をもたらしているのではあるまいか。

 今後は公務員の場合、守秘義務が適用されるケースを情報のリークによって一般市民に大きな被害が及ぶ場合に限定すべきだろう。守秘義務を悪用して公益通報の理念を形骸化しようとする今までの日本社会の陰湿な風潮にそろそろ反旗を翻す時ではあるまいか。

 ※参考動画

  #656 【塩ちゃんねる】鹿児島県警の隠蔽がついに~長くかかりましたが、ようやく始まったば

   かり~ 塩ちゃんねる 2024/06/06 4:41

  ◎鹿児島県警元幹部「闇を暴いてください」元キャリアも指摘する異例さ【サタデーステーショ

   ン】 ANNnewsCH  2024/06/08 10:31

  容疑者コメント「本部長でなければ誰でもよかった」名指しの幹部を変えた理由 鹿児島県警情

   報漏えい事件 (24/06/10 19:20) 鹿児島ニュースKTS  2024/06/10 2:41

  〇【留置場で遺体となって発見】警察官が取調室で暴行か「右足にアザ」が 法医学者が異例の告

   発 密室取り調べの実態 「取調室はブラックボックス」| 

   カンテレNEWS 2019年5月21日 9:12

   密室の怖さは学校にもある。 

 

 なぜカッパは学校の閉鎖性、責任逃れの隠蔽体質を強く問題視するのか…については以下を参照してください。そこで学校の根深い隠蔽体質を繰り返し、指弾しています。多くの学校教育に関わる問題の根っこにこの隠蔽体質が潜んでいるとカッパは睨んでいるのです。

 

 →§7.カッパの伝言板その5.1980年代以降の学校教育を巡る言説に関する私的覚

   え書き①

 →§3.学校教育編その1.画一的、管理主義的教育の弊害前編

 →§3.学校教育編その2.学校の隠蔽体質前編・中編・後編

 →§3.学校教育編その7.揺らぐデータの信頼性

㉚「教師のバトン」の皮肉と学校のブラック化

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

「教育困難」と言われた地域の学校を4年で全国水準へ 学力格差を縮めた学校の実

     践と「管理職失格」のジレンマ Jbpress 数実 浩佑 2026.7.14

     こうした学校の取り組みを文科省がさも自分たちの手柄のように自慢げに取り上げ、予算増や教師の増員をサボり続けることを決して許してはなるまい。現状のままでクラス増という偶然に恵まれて頑張っている学校の存在を理由に、学校のブラック化の悲惨な現状を絶対に軽視してはなるまい。

学校が"夏休みの子ども無料預かり施設"に? 文科省の"開放要請"に全国の先生が失

     望、"困ったら学校にお願い"の危うさ

     東洋経済オンライン 松尾 英明 2026.7.8

     …「子どものため」という言葉は強い。誰も反対しにくい。だからこそ、その言葉が使われるときには注意が必要である。

     子どものために、学校を開ける。子どものために、地域で支える。子どものために、教員の負担にならないようにする。どれも正しいように聞こえる。しかし、本当に問うべきはその先である。そのための予算はあるのか、人員はいるのか、責任体制は決まっているのか。

     この問いに答えないまま進めるなら、結局はまた、学校現場と地域の善意に依存することになる…

     財務省から予算を勝ち取る努力をサボり、ひたすら教師たちの善意に「悪乗り」して「教育改革」の名のもとに学校のブラック化を推進してきた文科省の狡猾さと怠慢ぶりにはもうウンザリ。これでさらに若者の学校離れが加速し、教員不足が深刻化するのは確実だろう。

     …最初にやるべきは、すでに子どもの放課後と長期休業を支えている学童保育を強くすることである。学童保育で働く人の処遇を改善する。保護者負担を下げる。待機児童を減らす。昼食支援を整える。支援が必要な家庭へ確実に届く仕組みを作る。

     そのうえで、なお足りない部分を、公民館、図書館、児童館、スポーツ施設、文化施設、そして学校施設も含めて補完する。それが本来の順番ではないか。

     「子どもの居場所づくり」は、学校へのお願いで済ませてよい問題ではない。社会全体が、そのコストと責任を正式に引き受けるべき問題である…

     まさに指摘されている通りである。少子化で統廃合が進み、廃校となる学校の再利用として施設を公民館や児童館に転用していくことも、この問題の改善に多少はつながるであろう。そのためにも教育予算の増額は必須である。

実は現場で読まれていない「学習指導要領」なぜ?

     東洋経済オンライン 寺田 拓真 2026.2.9

 文科省はさも教師や学校の自主的取り組みを奨励してきたかのような書きぶりだが、本当にそうだったのか…わずかでも過去を振り返ればすぐに分かるはずである。学校の業務をひたすら増やし続け、学校のブラック化を招いてしまったのは文科省ではなくむしろ学校側であり、文科省はそのことにまったく無関係?…そんなわけ、あるはずがない。

 学校現場に責任を押し付けるのは完全なお門違い。真っ先に自らが犯した失策を謝罪し、猛省すべきは文科省の方ではないか。冗談もほどほどにしていただきたい。寺田氏はこれまでの教育行政の歩みをしっかりと振り返るべきだろう。教員免許更新制に代表される教育行政側のとってきた愚策の数々が学校現場を無駄に混乱させ、教員を縛り付け、公教育を沈滞させてきたのではなかったのか。明らかに公教育停滞の責任を負うべき張本人は文科省である。「盗人猛々しい」とはまさにこのことだ。

 改訂される学習指導要領の中身がどんなに素晴らしくとも、それで過去の教育行政の犯罪的施策がすべて「無罪放免」となるわけがない。そもそもが「やりがい搾取」の状況を放置しておきながら、無知厚顔にもまたぞろ「やりがい」を持ち出して教師をこき使おうとするがごとき提案など、聞く耳を持つおめでたいお人好しがこの状況下で学校現場に生き残っているとは到底思えないのだが…

校長が「勤務時間改ざん強要」、公益通報のその後

     東洋経済オンライン 高橋 秀和 2026.2.8

 …校長は残業を前提とした教育方針を掲げているにもかかわらず、残業時間を削れと要求…とあるが、同じことを教育委員会や文科省も要求している。「文部科学省は20年1月に、教員の勤務時間が上限を超えないよう、適切な管理を教育委員会および校長に求める通達を出している。残業時間の管理が厳しくなったのも当然」なのであるならば、校長よりも罪が重いのは文科省の方だろう。教員の勤務時間が上限をこえないようにするには、まず手始めに業務を削減する通達を教育委員会や学校に出すことも文科省の責務であるはずだ。それをサボっているクセに、「適切な管理を教育委員会や校長に求める」という、上から目線の無知厚顔さに呆れるしかない。

     「1日2~3時間程度の残業が常態化していましたので、どうしても月45時間は超えます。校長からは、教員同士で話している時間を引いて申告することや、仕事を持ち帰ることを促されていました」とのことだが、これも校長の資質を問う以前に、文科省の無為無策を問うべきであろう。

 とはいうものの、何を言っても、何をしても、どうにもならない切なさ、やるせなさが学校現場には既に充満している。若者の教員離れ、早期退職の動きは当分、止められないだろう。もちろん、本来ならば教師たちが取り組めるはずの学校現場での改善点は有り余るほど山積している。しかしながら現状を変える力は学校現場にもはやひとかけらも残されていない、と私はみている。

 すべては教育行政の欠陥からきている…という私の考えはただの個人的な妄想でも教員たちの責任逃れや単純な他責でもない。教育行政を変える他に改善の手段がとっくの昔に無くなってしまっている、つまり学校現場は既に「詰んでいる」のだ。そしてこうした公教育の末期的症状を行政側がどれほど直視できるかどうかの一点に、公教育再生の可能性が辛うじて残されていると考えるが、いかがか。

 まずは学校現場という末端に責任を丸投げする行政の体質、構造を変えていくべきなのだろう。それが出来ないのであるならば、せめてもの願いとして学校業務の大幅な削減に文科省は即刻、着手して欲しいものである。

教員はもう限界「足し算」で壊れてきた学校の叫び

     東洋経済オンライン 松尾 英明 2026.2.3

 「先生、もう死ぬかも」という悲痛な叫びが学校現場から出てきてから、一体何年たつのだろう。部活動の地域移行は本当にどこまで進んでいるのだろう。高校でも部活動の社会教育への移管は進められているのだろうか。

     小学校教師の授業時数は減っていないどころか、新しい取り組みが次々と上積みされてきている。これが、学校現場の実態である。働く場としてはとっくの昔に通常の人間の能力、体力の限界を超え、我慢の限界を突破しているのに、この10年間、ほとんど何一つ、改善できていない。 

     ここまで教育行政の無為無策、無能ぶりが明らかになっているのに、教師たちは事態の改善を寸分も期待できない。この閉塞感と絶望ばかりが延々と続く中で、教員の志望者が減り続け、中途退職者や休職者が増え続けるのは至極当然の報いであろう。

 なぜ、教師たちの叫びがいつまでたっても教育行政側に届かないのか…学校が置かれているあまりにも無残な現状に、ひたすら歯がゆいばかりである。

「ネット出席」認知度に課題 学校側「前例ない」などと対応 不登校生徒の母「制度

 は絵に描いた餅」 専門家も「明確に家庭に伝わるように」   

 TBS NEWS DIG_Microsoft 2025.11.12

 これもまた学校のブラック化が新しい制度、改革の動きを受け入れる柔軟性や対応力を学校現場から完全に奪いつつある…という極めて深刻な事態を示しているのではあるまいか。私たちは文科省の通達が学校現場になかなか浸透していかない背景に潜む、教師たちの疲弊と言う事態の急速な進行にもっと注目すべきなのではあるまいか。

【年収超えの自腹】学校に貢いだ2500万円……公立学校の先生の財布が「無限の公

 費」になる瞬間 All About 福嶋尚子・栁澤靖明・古殿真大  

 「学校に貢いだ」という側面もあるだろうが、児童生徒に貢いだ側面も大きいだろう。いずれにせよ長い教員生活を通じて「貢いだ」額が巨額に上ることは間違いない。教員の方ならば、自腹を切った事例を挙げ始めるとおそらく枚挙にいとまがないはずだ。

 日本の極めて貧しく、古いままの公教育が、その貧しさにもかかわらず「やりがい」をちらつかせて無謀にも全人的な教育を教師たちに不当にも課してきた…「やりがい搾取」と呼ばれた欺瞞に満ちた歴史が必然的に生み出した現象こそ、教師による際限なき自腹なのである。こうした教師の自己犠牲的行為はかつてはほとんど問題視されることなく、いまだ学校に残存する教師聖職論によってむしろ美談化されてきた側面すらあったのだ。

 教師による自腹の総額は自腹と自己責任による出費との境が非常に曖昧であり、グレーゾーンが極めて大きいため、きちんと算出することが極めて難しいケースが少なくない。したがって2500万円程、というザックリとした数字に強い違和感を持たれる方はもしかするとかなり多いのかもしれない。

 しかし私の実感からすればこの数字、決して大げさで奇異なものではない。残業時間が厳密に把握されている企業の方ならばご理解と共感をいただけると思うが、教師には残業時間に基づくきちんとした手当は本当の意味ではほとんどと言って良いほど支払われていないのだ。仮に残業代等の総額及び教師の自腹分を「逸失利益」と見なして県や国に対し、損害賠償請求すると仮定すれば、損害賠償の総額は一体、どれほどの額になるのか…興味本位ではあるがザックリと概算してみたい。

 試しに平均的な教師一人に対して退職までに支払われてこなかった残業代などの総額(労基法で定められた残業代と休日出勤の手当を基準にした、あくまでも近似値に過ぎないが…)を算出してみれば、それがどれほどの巨額に上るものなのか、この試算で容易に想像がつくようになるだろう。もちろん、給特法による4%分を最終的にそこから差し引いて総額を出していく必要はあるのだが…

 私の某高校における月当たりの平均的な残業時間および休日出勤時間を用いて計算してみたい。さらに算出するために必要な数値として、本来ならばもらえるはずの月当たりの残業代、及び休日出勤代。これらは労基法の定める最低基準値、および現時点での公立高校教師の平均的給与さえ分かればとりあえず概算可能だろう。

 公立高校教諭の平均的給与は2023年度の文科省実態調査によると月給で35万7000円ほどだが、あくまでも概算なのでここでは36万円キッカリとしておく。この額を2025年10月のカレンダーをもとに出勤日数22日として日給を計算する。100円以下を切捨てると、日額約1万6000円となる。これを勤務時間の8時間で割ると教師の平均的時給は約2000円となる。

 労基法によれば休日労働に対する割増賃金は、通常の賃金の3割5分以上、深夜業に至らなければ残業代は一時間当たりの通常の給与額が在校時間の長さに応じて算出される。さすがに深夜業務は修学旅行や学検の採点、部活の合宿を含めても、年に数回程度なので今回の計算からは除外しておこう。

 問題は勤務日の平均的残業時間であるが、勤務校の実態によってかなりの差があるものの、平均するとかなり少なめに見積もっても2時間となるだろう。休日出勤もまたかなり少なめに見積もっても月に平均3日。月単位の総時数で言えば最低でも20時間となるはず。

 まず私の通常の残業時間は月単位でだいたい2時間(一日の平均的残業時間)×22日(2025年10月のカレンダーから特別時間割や学校行事などを度外視して単純にカウント)=44時間(月単位の平均残業時間)ほどであった。したがって当時、残業手当があったとすれば月給に上乗せされるべき額はとりあえず2000円(平均的時給)×44時間=8万8000円となる。

 ただしここから給特法に基づいて4%の一律加算分を引かなければならない。その額は一月で360000×0.04=14400円となり、100円以下を切り捨てれば、加算分はおよそ14000円となる。かなり大雑把だが88000-14000=74000円が毎月、もらえたはずの概算での残業代となる。これを単純に12か月分、すなわち1年分の残業代に換算すると74000×12=888000円。さらに教員の勤務年数を60歳定年退職として38年とすれば、かなり粗雑な計算となってはしまうが、38×888000=33744000円となる。

 これに休日出勤の額も加えてみる。月に平均20時間の休日出勤だとすれば2000(平均的時給)×20(平均的休日勤務時間)×1.35=54000円が一般企業ならば毎月もらえるはずである。これを年間に換算すれば648000円となる。この数字に勤務年数38年を掛ければ24624000円。残業代の総額33744000を足すと58368000円…

 実際には都道府県や年代、学校によって異なるだろうが、部活動を平日で2時間以上、休日で4時間以上指導した場合、その超過分に対して若干の金銭が支給される場合があった。ただしその金額は月にせいぜい1万円程度であったと記憶している。仮に1万円だったとすれば年に12万円、38年分で456万円となる。これも総額から引くと残りは538008000円となる。8000円は切り捨てて53800000円としておこう。

 以上の計算はかなり少なめに見積もってのものである。実際には運動部顧問時代、4月や9月は一か月間、ほぼ一日も休んでいない、修学旅行では一日平均で2~3時間程度しか寝ていない、入試の採点時や逮捕された生徒への対応では時に深夜に及ぶ…休日の試合では会場校の場合、12時間勤務が当たり前…といったような事態は一切、考慮されていない。

 53800000円に教師の自腹分を加えてみよう。この自腹分も教師の個人差は極めて大きいので平均的な総額を出すのはまず不可能であるが、敢えて自分を基準に概算を出してみよう。部活動関係の出費は、最小限に見積もっても年間で数万円は下るまい。これにクラス担任(自分の場合、文化祭での自腹が一番大きい)としての自腹分、教科担任としての自腹分(実物教材、印刷機、コンピュータ、インクなどの購入費。ただし最も高額な書籍代は除いておく)を足すと、極限まで少なく見積もっても年間でおよそ10万円は下らない。もちろん、こんなに少ない額で済むはずはないのだが、ここでは年間の自腹分をとりあえず最小値の10万円という事にしておく。

 自腹分は勤務年数の38年をかけて総額380万円となる。これに53800000円を足すと54180000円となる。退職金や年金が次々と削減されている状況を踏まえれば、公立学校の教師という仕事が経済的な観点からはいかに割に合わない、激烈なレベルの自己犠牲で成り立ってきたか、お分かりいただけたかと思う。

 もちろん、教師たちが失ってきたのは決して金銭だけではない。家族との団らんや休息、教材準備、生徒へのきめ細やかな対応…それらいずれも本来ならば最大限に尊重されるべき貴重な時間と体力、気力がことごとく失われていったのである。

 この過酷な自己犠牲を教師たちにひたすら強いてきた文科省が、現場で悪戦苦闘してきた教師に対してこれまで一切の反省を見せず、謝罪すらせず、どれほど高慢ちきで無能な存在であり続けたのか…ぜひ一人でも多くの方にご理解いただきたい。

 

1.「教師のバトン」ってどんなバトン? 

 かつて文科省が上から目線で使った「教師のバトン」というフレーズは教師の皆様方にどのように響いたのだろう。カッパはむしろ全国の教育現場に絶望的な思いを一層募らせただけだと感じている。多くの教師が激しい憤りを持って受け止めたに違いないとさえ思っている。

 「教師のバトン」という本質的に重い言葉は、悲惨な学校現場の泥水を一切浴びたことのないただの第三者、高学歴エリート役人達が脇からしゃしゃり出てきて云々するものであってはなるまい。当たり前過ぎることだが話の本筋としては学校という現場において日々行われている魅力的な教育活動を通じて当事者である教師自らが次世代の生徒達にバトンを渡していくはずのものである。とりわけ学校の教師が日常的に面白くて有益な授業をすることこそが生徒達に教職への憧れを募らせるのであり、そのことこそがバトンを次世代に渡していく行為そのものだと思うが、いかがだろう。

 

 そうであるにもかかわらず、目標申告シート(自己評価シートetc)の記入、学習指導計画の作成、朝令暮改を繰り返す大学入試改革へのネコの目対応、学習指導要領の改訂、進学用調査書や指導要録の改訂、果ては混乱ばかり招いた不備だらけの校務IT化、意味不明な校内研修のつるべ打ち・・・息つく暇も無く矢継ぎ早に文科省や県教委から下々へ、あたかも罰ゲームのように押し寄せてくる仕事の山、山…

 その多くは教育行政を熱心に「やってます」感を演出すべく仕組まれた、いざというときのためのアリバイ作りに過ぎないような、絶望的なまでに不毛感漂う雑務の塊。そして過熱する一方の部活動と噴出する学校や教師への批判、モンペアへの対応…これらに忙殺される余り、肝心の生き生きとした授業実践に手が回らなくなるどころかついには本務であるはずの授業までもが教師及び生徒達にとっても耐えがたい苦痛になってきている…

 日本の学校教育が直面している本当の危機はそこにあるはずであった。

 

 そうした学校の惨状に一切目をくれず、「定額働かせ放題」とか「やりがい搾取」という罵声が激しく飛び交い始めた学校に対して、現場で悪戦苦闘する教師の立場からすればどう見ても皮肉としか受け取りようのない「教師のバトン」という、美しすぎるほどセンチメンタルな表現を文科省の官僚は用いてしまった…

 この人たちの究極的とも言って良いほどの現場に対する理解の無さ、鈍感さがSNS上での大炎上を招いた主な原因であったはずである。当然の帰結として現在、全国的に教師のなり手が不足してしまい、いよいよ学校教育の危機が深まってきている。

 

 そんなことにすら今の今まで気付くことのできない、学校現場に恐ろしく無知な官僚や政治家が厚かましくも学校教育行政を動かしているのだから、学校現場が萎える一方となるのも致し方あるまい…などと思わず毒づいてしまうほどに学校現場のお上に対する積年の恨みが溜まりに溜まっている。これが現在の学校教師達の実情ではないのか。

 

 もちろん文科省の官僚にも言い分はあるだろう。文科省に限らず、官僚の多くが安月給で過労死ラインを遙かに超える重労働を常時強いられているという。つまりお互いの職場がブラック化しているのだから、実はお互いに被害者でもあり、今こそ鬱憤をぶつけ合っている場合ではないのだ。官僚も教師も、同じ公務員として分断と対立を乗り越え、お互いに連携し、自分たちの労働環境の劣悪さを世間にもっとアピールして労働環境改善に持ち込んでいくのが事の本筋であろう。

※参考動画

【働き方】過酷な教育現場は改善できるのか?

     精神科医・樺沢紫苑の樺チャンネル 2025/10/11 19:33

     これほど日本の学校の現状を厳しく捉えている識者も珍しい。しかしこのような認識を持たないと、もはや教師のメンタルが保てない…ということは事実だと私も思う。ただしスマホの過剰使用が脳の疲労を招く可能性はかなりあるだろうが、使用制限の問題については判断を保留したい。

※参考記事

「主体性の評価」見直し、高校教員83%が賛成教員の負担軽減へ    リシード 2025.8.22

    こんな程度の事で教師の負担軽減につながるわけはない。また生徒の主体的な学びを抑圧する画一的一斉講義形式の授業がいまだに残存している日本の現状がある。加えて職員会議の形骸化やブラック化などによって教師側の主体性がそもそも奪われ、損なわれてきた経緯もある。

    教師は自分たちの主体性が喪失してきているのに、生徒の「主体的な学び」を奨励し、評価しなければならない…この皮肉、矛盾はどう捉えるべきなのだろう。まったくブラックジョークとしか言いようのない、珍妙な事態である。

子どもの自殺防止、教員向け新指針作成へ…学校と医療機関が連携強化

 読売新聞 2025.8.22

 …文部科学省は、学校が医療機関との連携を強めて、児童生徒の自殺を防ぐための教員向け指針を新たに作成する方針を固めた。自殺の危険性がある児童生徒を早期に把握し、適切な対応を促す狙いがある…とのこと。

 一体、文科省はどこまで間抜けなのか、厚顔無恥なのか呆れ果てるばかりである。そもそも精神科の医者ですら、自殺防止は極めて難しい。しかも専門家であるはずの医者の中には東京の滝山病院のように、唖然とするほど質の悪い医師がいたりする。精神医療への疑念が消えない中で、素人に過ぎない教師に医師の技量や資質を見抜けるわけがない。

 そうした状況の下で、一体、どのような連携を学校と医療機関がとれるというのだろう?この程度の事、少し考えれば分かるはずだ。しかも文科省のおかげで加速した学校のブラック化がこうした難問への教師の対応力をひたすら削り続けている。

 あまりにも当たり前のことなのだが、どう見てもこの問題の主体となるべきは校内においてたった一人、学校カウンセラーしか見当たらないはずである。

 文科省は一体、教師に何を期待しているのだろう。仮に文科省の言う通り、教師が医療機関と好ましい連携をとるべきだとするならば、教師全員、最低でも学校カウンセラーの資格を必要とすることになる。無論、そんなことは不可能だ。

 実際のところ、当の学校カウンセラーですら、自殺防止にむけて役立つような医療機関を探し出すことは至難の業であろう。自殺予備軍が抱える問題は多様であり、千差万別である。しかも多くの場合、彼らは重いうつ状態や希死念慮だけではなく、家族の問題や身体的疾患、経済的困難、対人関係の問題、低学力、不眠などの深刻な課題をいくつも同時に抱えている。カウンセラーや精神科医ですら、単独では対応困難なケースだって決して少なくない。であるにもかかわらず、文科省のおかげで疲弊の極にある素人集団の教師如きに、一体全体、この件についてどれほどのことができるというのだ。

 学校が医療機関と連携する、ということは、医療機関との連携に対して学校や教師がそれなりの責任を負わされる、ということに他なるまい。仮に、それでも児童生徒が自殺した場合、教師側によってどのような連携がなされたのか、が問われてしまうからである。これでは教師たちまでもが深いウツと猛烈な希死念慮を抱くようになるに違いない。

 文科省が考えるべきは教師の負担を増やす事ではなく、教師の負担を大胆なレベルまで削減することであり、思い切った学校カウンセラーの増員と待遇改善である。そのための予算が確保できないのならば、文科大臣以下、教師や学校カウンセラーたちに平身低頭して謝罪し、自分たちの無力さ、無能さを深く恥じるべきだろう。

保護者からの過剰な苦情・不当要求「学校以外が担う」文科省が改訂案    リシード 2025.8.20

 この程度の業務見直しで教員の負担軽減になるとは到底思えない。そもそもが学校の事務職員自体、人数不足であり、学校カウンセラーなどの専門家も不足しているところが多いはずだ。実際、事務職員の不足によって高校入試事務や受付の仕事を一部、教師が負担するようになったのは千葉県の場合、二十数年前からだったように記憶している。カウンセラーやケースワーカーに至っては、ほとんどの場合、千葉県では一つの学校に常駐できておらず、複数校を掛け持ちするのが普通だった。しかも様々な面で待遇が悪く、学校、教育委員会に対して大きな不満を抱えている方もおられたようだ。

 既に過剰な負担にあえいでいる方々に教員の負担の一部をただ押し付けるだけ…これが文科省にとってはお手軽でとりたてて経費も要しない(財務省との勝ち目のない予算折衝を回避できる)、いかにも「賢明」な解決策なのだろうが、本来、検討すべきは教育予算の増額を前提とする事務職員の定数増加、カウンセラーらの待遇向上の方ではあるまいか。

 軽減すべき教員の負担は他にもまだまだ沢山あるはずだ。学校行事の大胆な削減、無駄な官製研修の削減等々、肝心な改革にはこれまたノータッチ…にもかかわらず本来、学校の当事者が果たすべき保護者のクレーム対応を学校外に任せる…この発想自体、おかしくないか。むしろ学校内にスクールローヤーを含む複数の専門家を配置する形にして保護者との話がこじれないようにするのと同時に、担任や学年主任が一定程度まで関われる余地を残しておくことの方が学級、学年の経営上、都合が良い場合だって少なくあるまい。

 文科省の官僚たちよ、今後は財務省と互角に戦えるレベルの予算折衝ができるよう、学校現場の生の声を少しでも直接、聞いて回る努力をしていただきたい。生の声が届いていないからこそ、この程度の下らない改訂案しか出てこないのだ。

教育現場のリアルな実態…教員の8割が10時間以上勤務    リシード 2025.7.29

 …出勤してから退勤するまでの教員の勤務時間は平均11.17時間であることが2025年7月29日、小学館が運営する教員向けWebメディア「みんなの教育技術」の調査結果から明らかになった。8割を超える教員が10時間以上、4人に1人が12時間を超えて勤務している状況にあった。

 教員の勤務実態に関するアンケートは、5月20日から6月30日にかけて全国47都道府県の教育関係者を対象に実施。Webメディア「みんなの教育技術」でのアンケート形式で実施され、有効回答数は5,412人だった。…

 この調査は文科省や各教育委員会による同様の調査よりも、はるかに信用できる。私の実感に近い結果が出ているからだ。生徒たちには「公立教諭の時間外勤務、「月45時間」以下は小高7割   朝日新聞社 2024.12.26」のデータと比べて議論させると面白い授業になるだろう。

公立中35人学級、教員1万7000人増必要 400億円の予算見込む   毎日新聞 2025.6.17

 少子化が急速に進む先進国であり、いまだに経済大国の端くれであるはずなのに、何とした事か、デレダラと何十年もの間、40人学級を放置してきた国があった…この日本と言う国は少子化という、学級の定員削減に絶好の追い風が吹き続ける中で、学級定員の見直しすら、まともに取り組もうとはしてこなかった。その国力から見ても35人学級程度の事くらいとっくの昔に実現できていたはずである。マスプロ教育の弊害が叫ばれてから一体どれほどの歳月が経ったと思っているのだろう。

    にもかかわらず、21世紀に入って四半世紀が過ぎ、マスプロ教育という言葉自体がとっくの昔に死語となった今の今となってようやくにして法改正を行い、35人学級を徐々に実現させていくのだという。かねてから口では「個別最適化」を唱えて生徒の多様性に応じた丁寧な教育の実現を謳ってきたクセに、「個別最適化」の足を引っ張る張本人たる40人学級を文科省は長らく放置してきた。

    何という怠慢であろう。何という欺瞞であろう。国家百年の大計たるべき学校教育ですらこのザマである。この国の無策ぶりに呆れ果てるしかあるまい。しかも政府の無策ぶりが祟って学校のブラック化が進行し、近年は若者の教職離れが顕著となって深刻な教員不足が慢性化している。こうした状況下、一体、どうやって公立中学校の教員を17000人も増やそうというのか。文科省はこれまで通り、自らの責任は棚に上げて厚顔無恥にも各教育委員会に、ひたすら困難を極めつつある教員募集という難題を平気で丸投げするつもりなのだろうか。

 このニュース、個人的には絶望しか感じられないのだが…

「子どもを救いたい」 その思いと現実の狭間で 採用数の4割超が退職…“子どもを守り職員も守る”

   児童相談所の挑戦を密着取材【news23】 TBS NEWS DIG_Microsoft  2025.1.25

   この国の老害政治家による若者や子どもたちへの切り捨て政策が、いかに学校の荒廃と児童生徒の不登校や自殺、引きこもり、非行、親による虐待、育児放棄などの諸問題をこれまで量産してきたか、しっかりと直視したい。不足しているのは教師たちや児相職員、民生委員だけではあるまい。何のための子ども家庭庁設置だったのか、もう一度、文科省、厚生労働省の責任を含めて厳しく問い直すべきだろう。

危機的状況な高知の教育界 「学校の存在意義を考え直さねば」相次ぐ教職員不祥事

 で“緊急会議” KUTVニュース 2025.1.24

 はたして高知県教委の対応はいかがなものだろう。かなり疑問のある、トンチンカンな方向性を感じてしまうのだが…教職員の不祥事が発生する背景に何があるのか、把握しようと努力した痕跡がこの教育委員会には見られないのではあるまいか。

 もちろん、不祥事の多発が教師たちの規律の乱れに起因することも有るだろう。特に管理主義的な体質の組織ならば、なおさら服務規律の整備や罰則の強化などで教員の不祥事にゴリゴリの対応をしようとするに違いあるまい。

 昔、校内暴力が吹き荒れた際、教師たちが体罰をも辞さない覚悟で厳しい生徒指導を行い、学校の沈静化に努めたように…かつての経験から、上から目線で生徒管理と教師管理の徹底を図ろうとする、老害管理職は高知県においても少なくあるまい。

 そもそも高知県での教師たちの不祥事は本当に規律の乱れだけに起因するのであろうか。高知県の教員採用試験における倍率は全国的にもかなり低いと言われる。倍率の低下によって生ずる教員の質の低下は不祥事発生の土壌を形成する一因となるだろう。加えて教育環境のブラック化が教員不足によって一層、加速してきている現状も考慮する必要があるだろう。今、教師たちのストレスがどれほど蓄積してきているのか、県教委としてきちんと調べたうえで対応しているのならば良いのだろうが…

 学校のブラック化を招いた責任は、もっぱら教師たちの仕事と責任をひたすら増やし続けてきた文科省と教育委員会にあり、現場の教師たちはそうした愚かな教育行政の被害者側に過ぎない…そうした側面があることを教育委員会はまったく把握できていないようだ。加害者のクセに被害者面して一方的に現場の教師たちを取り締まろうとする教育委員会の、居丈高な姿勢が教育界全体の崩壊を加速させかねない、最悪、最大の危険因子となってしまわないことを祈るばかりである。

 「今の若い教師はたるんどる。実にけしからん!」とばかりに管理職らが老害風を吹かせているだけであるならば、高知県の教員採用試験の倍率は今後、さらに低下し、教員不足は一層、深刻となるだけだろう。そして教師の休職や中途退職が激増する危険性まで招いてしまうかもしれない。

 「学校の存在意義を考え直さねば」ならないのは一体、どちらさんなのか…教育行政のお偉方自身、しっかりと謙虚に考え直した方が良いのではあるまいか。

6時間授業、授業内容増で子どもも教員も疲弊 現役小学校教員が語る「詰め込みす ぎカリキュラム」

   の実態 AERA dot. 西島博之 2025.1.24

   日本のカリキュラムがあまりにも過大であり、結果的に「詰め込み教育」がいつまでも改善されないままになっていることは、とっくの昔から明らかであるのに、今も何一つ反省されることなく平然と英語教育、情報教育や金融教育などが次から次へと教師の仕事として上乗せされてくる。そして教材研究の不足、授業方法の工夫の不足を日常的に自覚しながらも、疲弊しきった教師たちと、その教師たちから矢継ぎ早に、かつ大量に教え込まれる児童生徒たちとは、結局、退屈で未消化なまま、ひたすら前へ前へと勝手に進んでしまう授業自体を苦痛そのものと感じる点で、実は一心同体なのかもしれない。

 「スクラップ・アンド・ビルド」の原則は守られることもなく、仕事量が教師たちの力の限界をとうに超えているにも関わらず、非情にも様々な課題が際限もなく学校に丸投げされてくる。教師たちの疲弊には目をつぶり、現場の悲痛な叫びに耳を貸すこともなく、淡々と学校現場の仕事を増やし続けてきた教育行政側の責任は万死に値するほど重い。

 新たな仕事を次々と快く引き受けることが官僚たちの大きな手柄とされ、文科省や教育委員会での出世を約束する構造があるのだろう。しかし、結果的に児童生徒らの不登校は増える一方であり、教員の休職者や中途退職者も増える一方。当然の事、教員志願者は減り続け、教員不足が学校をギリギリの瀬戸際まで追い詰めている。そしてこれらの問題解決もまた、学校現場にほぼ丸投げされてくる。

 何が間違っていて、誰が悪いのか、明確なのに誰も罰せられず、だから何も変えようとしない…今の自堕落な教育行政に自浄能力を期待するのはあまりにも愚かであろう。

公立教諭の時間外勤務、「月45時間」以下は小高7割   朝日新聞社 2024.12.26

   こういう文科省がマスコミに垂れ流したまがいものの情報を、しっかりと学校現場の実態と照らし合わせることなく鵜呑みにし、短絡的にオウム返しするマスゴミの姿勢には怒りしか覚えない。ここで数値としてもっともらしく示されている「残業時間」はあくまで学校における残業時間であり、それが教師たちの残業の実態とはまったく乖離した数字であることは私も再三、指摘してきた。

 既に10年ほど前から高校でも定時を過ぎる頃に、教頭から半強制的にしつこく帰宅を指示されるようになっていた。まだ業務を終えていない教師たちの多くは、どうしても校内でしか処理できない業務を除き、渋々、多くの仕事を抱えて帰宅している。そして自宅で採点や提出物のチェック、授業準備などの「お持ち帰り残業」を続けている。つまり文科省のいう「働き方改革」という美名はその実、学校の光熱費の節約と管理職の手柄稼ぎとしての名目的な残業時間の削減に過ぎない。実際の教師の職務はかえって家族へ転嫁され、教師たちの家計を削ることになっただけである。これはむしろ「働き方改悪」と呼ぶべき文科省側の悪辣な策略であり、ただの誤魔化し、イカサマに過ぎない。

 こんなことだからマスコミは「マスゴミ」と呼ばれ、この10年ほどの間に教員不足がかえって深刻になっているのだ。文科省もマスコミも、もういい加減にしてほしい。

まだ8割の学校で“FAX使用” 校務デジタル化の進捗は? 教員の働き方改革にも関連 文科省調査 

   TBS NEWS DIG_Microsoft 2024.12.26

   もはやどこのご家庭でも骨董品となっているはずのFAXを、いまだに学校の8割が使用していることの持つ意味を軽く見過ごすことは許されまい。すなわち日本の学校自体が骨董品と化している、と言っても良いほどに、日本の学校はあらゆる面で先進国の教育から遅れをとっているのだ。

 もちろんハード面では児童生徒一人に一台、タブレットが支給された学校もあるだろうが、タブレットを学校でどう利用していくのか、授業ではどのような利用の仕方があるのか、きちんと理解できている教師がどの程度、いるのかは疑わしい。そもそもタブレット導入の先頭に立つべき管理職自身、タブレットの利用自体が心もとない人は決して少なくあるまい。

 学校でのFAXの残存はDX化の流れに日本が取り残されているのみならず、個別最適化と自律協働型の学習導入にも完全に乗り遅れ、惨めにもガラパゴス化した日本の学校の現在を象徴していると思うのだが、いかがか。もちろん、これを打開するのはそんなに難しい事ではあるまい。DX化の推進役であるべき管理職や教育委員会のメンバーを大胆に若返らせれば良いだけである。

 多少の例外もあるだろうが、多くの場合、DX化への抵抗勢力、すなわち老害教師が実は管理職や教育委員会に数多く潜んでいることは疑いようもあるまい。もちろんメンバーの若返りは年功序列の人事に囚われている限り不可能なので、まずは文科省が率先垂範、年功序列人事を辞めてみたらいかがだろう。いや、その前に都道府県教育長を文科省官僚などから選ぶことをまず、禁止してみてはいかがか。

教職大学院、定員充足率85.6%…18校が100%以上   リシード 2024.12.27

   高校での授業内容や技術は科学技術の急速な発達、目まぐるしい世界情勢の変化などによって年々、アップデートされる必要性が増してきている。特に難易度の高い生成AIの修得が教師にとって必須になりつつある現在、その修得の機会を教師たちから奪うような、ブラック化した学校のままではかなりマズイだろう。

   仮に校務の削減がなかなかはかどらない場合には、当面、教師が己の知識、技術をしっかりとグレードアップするために、煩雑な校務を一旦離れて教職大学院に進学することがより一層奨励されるべきだろう。でなければ肝心の教師たちがIT化、DX化の流れから取り残されてしまう。ところが、そうした危機的状況であるにもかかわらず、教職大学院の定員割れが常態化している。これこそがまさに日本の未来を危うくする重大事態だと考えるが、いかがか。

 教職大学院の定員割れはなぜ生じているのか、文科省は一刻も早く、その原因を探り、具体的な打開策を提示すべきである。

給特法は枠組み維持、抜本的改正は議論なし 教職調整額は10%

   毎日新聞 によるストーリー 2024.12.25

   やはり予想通りの、最悪の結果になってしまった。全国の教師たちの多くが求めているのは際限のない仕事量と重責の積み重ねによる疲弊の軽減、解消であったはず。年1%の給与の増額など、「焼け石に水」どころか、まったくの見当はずれ。むしろ絶望感だけが深まる結果となった。これで次年度もまた全国的に教員不足が深刻化し、休職や退職に追い込まれる教師が増え続けるに違いあるまい。

 物価上昇率はその上を行くことが予想されているというのに、そもそも、年1%の給与引き上げに私たちは一体どんな魅力を感じたらいいのだろう。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい…いや、つまりそういう事なのだ。

   日本の教師たちは150年を超える近代的学校教育の歴史の中で、ひたすら馬鹿にされ続ける存在に過ぎない…先進国内における教育予算の圧倒的な低さがそれを物語ってきたはずである。教師に向けられる世間の視線の冷たさもまた、その社会的地位の低さを物語ってきたはずである。

   文科省が示す働き方改革の方向性が残業時間の削減という、ほとんど意味の無い、それでいて数値でゴマカスたぐいの詐欺的政策に集約されようとしている。そのことこそ、文科省が本当に意味のある改革を決して志向していないことをいよいよあからさまにしている。それでも教師たちは年1%の給与引き上げに狂喜乱舞する、と思われているのだから、もはや絶望するしかあるまい。

   表向き、残業時間の削減は既に相当程度進んでいるはずだ。10年近く前から、学校に遅くまで居残る教師は年々、減少しているという印象は強い。ただしその裏側では自宅への「お持ち帰り残業」が増え続けてきたはず。業務が削減されていないのだから、それは当たり前である。つまり文科省は学校での残業を減らすことで電気代や水道代などを教師たちに節約させる一方で、本来、国家や自治体が負担すべきそれら業務上の必要経費の多くを教師たちの家計に転嫁させる、というとんでもない欺瞞を力強く推進してきたに過ぎない。

   実に教師たちを馬鹿にしきった「働き方改革」である。だから、今後も淡々と日本の教師たちは絶望し続けるのだ。

精神疾患で休職の教員、過去最多に 生徒指導や人間関係が負担   毎日新聞 2024.12.20

   若い教師、とりわけ女性教師の休職件数の多さは、相も変わらずの年功序列によって男性の老害教師が幅を利かす日本の学校現場の特色が背景にありそうだ。すなわち管理職の無責任な人事による若者への仕事の集中と学校での男女平等度の低さが休職という最悪の事態を招いていることを示しているに違いない。またその結果、児童生徒に大きな悪影響が及んでいることも推察できるだろう。加えて教師不足が叫ばれている中での休職の多さは、いよいよ日本の学校教育全体が軋みだし、破綻しつつあることを物語っていると思われるが、いかがか。

   こうした事態を招いた背景には、既にポンコツと化した男中心の老害政治家が国政のみならず、地方政治にも幅を利かしている、情けない現状がありそうだ。そうした閉塞的な政治のあり方が、少子高齢化の急速な進展とともに日本社会の隅々にまでしっかりと浸透してしまったのだろう。すなわち、この問題は遅かれ早かれ学校社会を大きくはみ出していき、広く日本社会全体を機能不全に陥れていくのではあるまいか。

三重の公立校教員採用、受験者数が最少に 試験の前倒しも効果なし?    朝日新聞社 2024.12.5

   一体、いつまでこうした的外れの、泥縄式対策が続くのだろう。教育行政への不信感は募るばかりである。高知では近年、教員採用試験の合格者の7割ti近くが教職に就くことを辞退している。実際、どの都道府県でも文科省が推薦する受験日の前倒しが何らの効果も見られない理由は誰の目にも明らかなのに、なぜ文科省や教育委員会はこうした不毛な駄策、的外れの弥縫策を繰り返すのだろう。

 こうした惨めな状況を創り出し続ける教育行政側に最も欠けているのは、自分たちの過ちを認めようとしない、恥知らずなまでの頑迷さにあるのではあるまいか。企業側の採用試験が教員採用試験よりも早い日程だから、結果的に教員採用試験の受験者や教職に就く者の減少を招いている、との認識は見当外れも甚だしいのだ。

 おそらくこうした自責の念を欠いた他責的認識が文科省には広くはびこっているのだろう。間違いなく若者の教職離れの主因は学校のブラック化にある。ブラック化への対応が不十分なまま、教師たちに過重な負担を課し続けてきた教育行政側の責任は極めて重大であろう。

 ただし一番の責任を負うべきは教育改革をとなえて学校に大きな負担を課しながら、ひたすら教育予算を削り続けてきた歴代内閣である。立場からすればむしろ文科省の官僚はその被害者に過ぎないと言えるかもしれない。もちろん、おぞましいほど時代遅れで的外れな教育行政によって最も大きな被害を被っているのは児童生徒たちであり、それは教員の中途退職と教員不足の増大に比例するよう、徐々に増加してきたイジメ件数、不登校者数を見れば明らかである。

 改革を阻む老害政治家たちが実権を握る日本政治の弊害、毒素はまず年功序列の世界の住人、とりわけ官僚たちに垂れ流されるに違いない。やがて官僚たちは地方に天下り、老害政治の毒素を地方にも浸透させる。いや、地方議会もまた老害地方議員たちによって既に国政以上に酷く汚染されているかもしれぬ。その毒素は末端の公務員、とりわけ教員に浸透し、無残にも児童生徒をくまなく汚染するはずだ。まさに老害のトリクルダウンが隅々まで行き渡っているのが日本の現状ではあるまいか。

なぜ若い教師の代わりを私たちが…割を食う「氷河期世代の40代教師」の嘆き【学校現場の働き方改

   革の実情】 THE GOLD ONLINE によるストーリー 2024.7.9

   割を食っているのは40代だけではあるまい。大胆な負担の軽減と公平な職務の分担が実現出来ていない責任を教育委員会や管理職が一切負わないままで済んでしまうような人事考課システムこそ、大きな問題なのではあるまいか。思い切った職務の削減と公平な校内人事を上手にできない管理職の存在こそが学校のチームワークを崩壊させる側面を決して過小評価してはなるまい。

   当然、文科省の当てにならない調査結果も決して鵜呑みにしてはなるまい。「働き方改革」の推進が管理職のお手柄となるような、「見せかけ」の定時退勤が横行している学校現場の実態は文科省の調査結果にはまったく反映されていない。信頼に足るデータを持たないままブルシットジョブをひたすら垂れ流してくる教育行政のあり方を根本から変えていかない限り、教員不足は加速するだけであろう。

教師の過酷残業と消える ”当たり前” テレ朝news によるストーリー 2024.3.28

 日本の教師不足の現状は私からすれば予想以上に軽度と言えるだろう。個人的には日本の学校教が直面している絶望的な現状においてすら、まだ教師を志望する若者が今それなりに存在していること自体、実に不思議なことだと感じているのだ。

   内田氏が指摘しているように「半世紀遅れの教育現場」がほとんど改善されることなく、「もはや学校教育は崩壊している」と捉えるべき現状があるのに一体なぜ、一部の若者は「沈む船」に乗り込もうとするのか…どうして日本では少なからずの若者が敢えて教師を志望しているのか、その動機と原因が何としても気にかかってしかたない。つまり若者たちは「教育」というバラ色の幻想に目をくらまされ、大学の古臭い観念にとりつかれたままの教師たちによっていまだに洗脳されているのでは あるまいか。

   仮に私が大学の教職課程を教える立場ならば、現状では学生に教職を積極的には勧めないだろう。 むしろ学校現場で教師が直面する数々の問題点を講義の中で赤裸々に取り上げていき、決して教職に関してはバラ色の未来を語るまい。そしてそれでもなお問題点を克服する意欲、体力、能力のある若者に限り、教職に就くことを渋々黙認する、という立場を選ぶだろう。

 つまり私が大いに懸念しているのは大学での教員養成の中身が日本の学校の悲惨な現状をきちんと捉えたものにはなっていない、という恐るべき可能性なのである。一部の大学では相変わらず大昔の「教師聖職者論」に依拠した、教職の無限の可能性…などといった古の幻想を学生たちに無責任にもばらまき続けているのではあるまいか。その一方で学校の急速なブラック化による児童生徒及び教師の心身の不調や幸福度の低下問題をひどく矮小化してしまっているのではあるまいか。つまり今、教職を魅力あふれる聖職として大学が宣伝することは極めて罪深い、詐欺的所業ではないのか。

   若者をだまして先々精神疾患などに追い込むことは犯罪的行為に等しいと言っても過言ではない、と私は思うのだが、いかがだろう。

 「無理ゲー」の霞が関 退職官僚がつづった思いとは   毎日新聞 によるストーリー  2024.1.9

  諸悪の根源は政治家の見識の低さであり、そうした政治家を選び続ける選挙民の意識の低さである。そして選挙民の意識の低さを巧妙に醸成してきたのはもっぱら日本の因循姑息にまみれた学校教育であろう。時間はかかるが、学校教育のあり方を根本から見直さないと日本の政治はいよいよ低次元の俗悪なポピュリズムに流されてしまうに違いない。

 ○日教組加入率2割切る=過去最低更新―文科省 時事通信 2024.3.1

 学校のブラック化を止められなかった原因の一つが教職員組合の衰退。組合はなぜ衰退したのか、組

合のあり方を含めて問い直さなければなるまい。

 

 …と思いつつも、「どうせお上はきれい事を並べては自分たちの手柄稼ぎのためにこれからも次から次へと現場の仕事を増やすつもりであろう。これまで通りに学校で生じた問題の責任も教師の資質の問題としてひたすら下々へ押しつけるだけであるに違いない」などとついつい愚痴ばかり並べてしまう。 

 この官僚達に対する根深い不信感とひがみ根性はもちろん健康的でも建設的でもない。それにわざわざお上から言われるまでもなく「教師のバトン」自体はしっかりと次世代へつないでいかなければならぬ教師自身の大切な使命であることに誰だって異論は無い。

 バトンをつないでいくためにはまずもって教師のゆとりを回復することが最優先されるべきであるのは現状からして当然である。そのための制度的見直しは大いに必要だ。しかし制度面の見直しに関しては現場の教師が出来ることは極めて限られている。せいぜいSNS上で学校の実情を訴えるべく、「先生、死ぬかも」といった苦痛に満ちたうめき声を上げるくらいしか出来ることはないのである。ただし折角勇気を絞り出して教師が「死ぬかも」とまでつぶやいたにも関わらず、文科省は一切聞く耳を持たないまま、例の「教師のバトン」の炎上騒ぎを引き起こしているのだから教師側としてはもう、どうしても憤懣やる方ないのだ。

2.学校のブラック化

 ※カッパの伝言板でも詳しく紹介されている。

・教師も生徒も息苦しい学校という空間

元気な小学生が中学生になると面白みのない生徒になる…「みんなも我慢している

 んだから我慢しろ」無能教師がはびこる日本の同調圧力教育

 集英社オンライン 2023.08.07

なぜ多くの日本人は昔から、同調圧力が「好き」なのか…自由を「わがまま」や

 「自分勝手」ととらえ、厳しい校則で圧をかける教師もいる

 集英社オンライン 2023.8.8

日本はなぜ幸福度が低いのか? キーワードは「寛容さ」

  世界経済フォーラム  ForbesJAPAN 2022/10/20 09:30

 人生における選択の自由度の低さ他者への寛容性の低さが日本人の主観的幸福度を先進国最低のレベルとしている原因・・・だとすればその原因に大きく関わってしてしまっているのが多様な価値観を認めようとしない日本の画一的学校教育であろう。

参考動画

【教育】日本の教育現場、問題点山積み…

 2020/02/24 たかまつななチャンネル 4:39

 日本の学校での授業の問題点が短時間で整理されている。導入時に「授業への不満、要求アンケート」をとり、その分析を行う際に利用できるだろう。

【給特法】「むしろ残業を増やすかも」定額働かせ放題?教師の仕事はどこまで?

 田村淳と議論

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】  2022/08/03  15:02

【多忙な先生】「休むのが逆に違和感あるくらい」朝から晩まで多忙な教員の1

 日...一方で府を訴えた教員は完全勝訴「自主性の一言で片付けていいものなのか」

 2022/06/28 MBS NEWS 10:46

 教師の「やり甲斐搾取」、「定額働かせ放題」の側面についてアンケートをとっておくと良いだろう。特にどのような教師が生徒にとって理想なのか、どのような授業が良いのか、さまざまなアングルから質問してみたい。

【給特法】月4%上乗せで"定額働かせ放題"に法律が残業増加の温床に?教育現

 場の働き方を考える ABEMAニュース【公式】2022/08/02  18:52

【ブラック教師】「残業はしてないコトに‥」教師の"定額働かされ放題"の実態と

 は|#アベプラ 2020/03/18 38:35

【#先生死ぬかも】現役教師「過労死でも好きで働いただけとされる」ブラックな

 教育現場の背景にある給特法とは?コロナ禍で業務量が膨大に|

 #アベプラ 2020/08/19 15:52

【#教師のバトン】現役教師「閉鎖的な組織」先生たちがブラック労働をTwitterに

 暴露?前川喜平元文科事務次官と考える教師の働き方改革【EXIT】|

 #アベプラ 2021/04/10 

【#教師バトン】悲痛の叫び…なぜブラック労働?橋下徹「チームで分業でやらな

 きゃいけない」『NewsBAR橋下 #116 』2021/04/18 6:02

【ブラック労働】教員不足を加速させる部活の負担 外部の指導員を雇う学校も‥ひ

 ろゆき「教育に専念すべき」教師&先生の仕事って何だ?【働き方】|#アベプラ

 《アベマで放送中 2020/12/06

【内田良が語る】『ブラック部活動』 2018/10/28

【教育対談】苫野一徳 × 内田良『みらいの教育』を語る 2018/10/17

教員の”ブラック勤務”問題【報道特集】 

 2022/02/20 TBS NEWS 22:23

「先生は、読み・書き・そろばんのみを教えれば良い」たかまつななが宇野常寛に

 聞いてみた #うのなな 2019/10/11 8:53

「学校は、世間・コミュニティを担うべきではない」たかまつななが宇野常寛に聞

 いてみた #うのなな 2019/10/14 13:06

【毎年5000人が〇〇】日本の教員が「世界一ブラック」な理由

 原貫太国際協力師 2021/12/03 16:43

【教師不足】文科省が全国調査 教頭が担任代替のケースも…

 2022/01/31 日テレNEWS 1:13

参考記事

日本の小・中学校教員 仕事時間世界最長 学習へのAI活用は国際平均の半分程度

      OECD・国際教員指導環境調査 FNNプライムオンライン 2025.10.7

 「教員の働き改革は進んでいる」との勘違いが世間でなぜいつまでも払しょくされないのか、その理由の多くが文科省や教育委員会が公表する怪しいデータによるものであることは間違いない。表向きの勤務時間が減少しようとも、それは持ち帰り残業の増加を意味しているに過ぎず、正教員の不足が深刻化するなかで教員の実質的負担はかえって増大している…そうした現場の実態が、このようなOECDのような外国のデータでしか、明らかにされてこなかった点こそ、日本の公教育の最大の病巣であり、恥部であろう。

 そもそも学校のブラックボックス化を改善できない限り、学校のブラック化は止まりようがないのだ。

現役教員3人に2人が「休憩ない」 勤務実態調査     労基旬報 2025.10.2

     小学校現役教員5千人超から回答を得た調査であり、学校のブラック化を裏付けるに十分な量のデータと考えられる。ただし、休日の出勤が月に南海平均あるのか、のデータについては、小学校の場合、部活動指導が多い中学校や高校の厳しい実態とは大きく異なる点があることは留意しておくべきだろう。

     政府がこれまで力を入れてきたとされる教師の働き方改革の進み具合を、たかだか表面的な学校での勤務時間の減少だけで自画自賛しようとする文科省の欺瞞、卑劣さも、この調査である程度は明らかにされたと考えるが、いかがか。学校での勤務時間の減少の裏で持ち帰り仕事の増加があることはもはや明白だろう。

公立高部活動 例外措置に3条件 茨城県教委 新方針巡り個別審査

 茨城新聞社 によるストーリー 2023.6.2

教員不足、ハローワークに求人も…授業できない事態に現場悲鳴「毎日電話で頭下

 げてる」- 読売新聞 - 2022年2月1日

尾木ママが教員不足に嘆き 採用試験の倍率は過去最低「全員合格」「質を保障でき

 ない」東スポWeb 2022/02/01 16:52

「中学の部活動を変えれば日本の学校とスポーツの風景が変わる」改革の現場を取

 材 FNNプライムオンライン - FNNプライムオンライン 2022.2.28

意外と知らない教師の夏休み事情…「生徒が登校しないからヒマ」は大間違い! 日

 刊ゲンダイDIGITAL 2022/08/04 06:30

「部活の地域移行」成功の鍵はやはりカネか 不安尽きぬ受け皿側

 毎日新聞 2022/08/05 06:00

あなたの先生は大丈夫?教師の過重労働 その果てに何が 

 クローズアップ現代全記録 2022年4月27日(水)

求む!教員免許の保持者 不足深刻、埼玉県教委がセミナー開催へ

 毎日新聞 2022/11/15 14:56

 労働環境の見直しが不十分なままでは事態の改善は見込めないだろう。

「教師にも営業時間がある」 現役教員の保護者への投稿が話題、本人が明かす発信

 の意図 ENCOUNT の意見 2022.11.20 19:28

東京都、都立学校153校で「部活動指導員」募集

 リシード 2022.12.26

 教員免許状の保有を条件としている限り、部活指導員不足は解消できまい。

あなたのまわりにも?一見優秀だが実は主体性がない「いい子症候群」の若者たち

  現代ビジネス 飯田 一史 2022/06/03 05:00

今の若者たちはなぜ「絶対に失敗したくない」のか 自己責任論が生んだ「ゼロリスク

 世代」の未来像 東洋経済オンライン稲田 豊史,金間 大介 2022/10/28 08:30

 

参考文献

○「学校ってなんだ!~日本の教育はなぜ息苦しいのか~」工藤勇一・鴻上尚史 講

 談社現代新書 2021


 

⑳10年前のOECD調査

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 世界経済フォーラムが発表する国際経済競争力調査でも2001年から2006年までフィンランドは首位または二位の座を維持していた。厳しい自然と少ない人口を考慮すればたしかにフィンランドの健闘ぶりには目を見張るものがある。一方、日本の学校事情は先進国としてはお寒いばかりであった。1970年代半ば以降、日本政府は残念ながら国家予算の伸び率に比例するようには教育費を伸ばしてこなかった。その結果、国家予算やGDPを基準に見た教育費は先進国中最低の部類に属している。2014年の対GDP費ではOECD34か国中24位。しかも国家財政中に占める教育予算の割合は31か国中30位。学校教育費に占める公的負担の比率も28か国中26位である。

 

 つまり教育における私費負担の割合が非常に高い。しかも学校教育費には個人的な通信教材費や塾代、家庭教師代、予備校代は含まれていない。日本の場合、こうした学校教育費以外の教育費の支出が異常に高いと言われている。

 

 総じて日本は国や自治体が教育予算を大胆なまでにケチっており、家計に大きく依存した教育が行われているといえる。この結果、日本では家庭の経済力の格差がそのまま学歴、学校歴格差につながりやすい社会となっているともいえよう。日本が格差社会であるといわれて既に久しい。かつて「国家100年の大計」といわれ最重要視されてきた教育政策の現状が今、いかにお寒いものとなっているか、私たちはきっちりと確認すべきだろう。

 

 一学級あたりの児童生徒数は2013年、小学校で27.9人(OECDの平均値は21.2人)、中学校で32.7人(同23.3人)であり、日本より悪条件なのはOECD加盟国では韓国だけという有様である。教員一人当たりの児童生徒数もまったく同じ傾向がみられ、韓国とともに日本ではOECDの中で最も劣悪な環境のもとに初等・中等教育が行われていることになる。

 世界では少人数のクラス、小規模の学校ほど教育効果が高いというのはもはや常識となっており、WHO(世界保健機関)も生徒総数100人を上回らない学校規模を勧告している。

 

 確かに日本はかつて国民の同質性が高く、集団主義が広く社会全体に行きわたっていたため、クラスや学校規模が大きくとも児童生徒は極めて学力が高く、規律正しいといわれてきた。

 しかし地域社会の崩壊(隣近所の助け合い減少)、家庭教育力の低下(核家族化、共働き…)、格差の拡大、個人主義の蔓延と外国人の増加(=同質性の低下)などが進んできた現在、かつてのような高い教育の効率性が維持できるとは思えない。

 

 本来、10年以上前に騒がれたPISAの順位の低下が示していたのは日本社会のこうした激変とそれに対応できなくなった日本の学校教育の残念なまでに遅れた姿であったはずである。

 

※実はカッパは個人的に日本の学校教育が北欧のそれとある意味では百年余り、遅れてしまっていると

 感じている。これは決して大げさな表現ではない。

  実際、100年以上昔の日本には大正「新教育運動」が教育界の最先端の潮流としてあった。その動

 きの中では…チャイムをなくす、学習集団は固定化せず、時間割もフレクシブル、一斉講義形式を辞

 め体験学習を重視する…といった斬新な取り組みが既に一部で試験的に行われていた。そこでは児童

 生徒への内発的動機付けが試みられ、子供たちの自主性が今以上に重んじられていた。

  この100年近くの間、日本は学校教育に対して一体何をしてきたのか…厳しく問われなければなる

 まい。

 

 ところが今の日本は1000兆円を超える国家全体の負債を教育予算や福祉予算を削ることで賄おうとしている。現在、日本の各地で小中学校だけでなく、高校もまたすさまじい統廃合の危機にさらされていることを皆さんは知っているだろうか。

 

 日本では世界の趨勢である小規模の学校が望ましいとする流れに完全に逆行する動きが今、加速しているのである。急速に進んだ小中学校の統廃合によって170億円の「効率化」が進められたと財務省はむしろ学校の統廃合を手放しで絶賛している。しかしその陰で自宅から遠く不便な大規模校に通学することを余儀なくされた児童生徒が大勢いることを忘れてはならないのである。

 学校基本調査をもとに学校数の変化を表示してみる。

 

 

平成20年

平成29年

増減

小学校

22476

20095

―2381

中学校

10915

10325

―590

高等学校

5242

4907

―335

 

 少子化によっていずれは小規模学校や少人数学級の実現が苦も無く実現できるという楽観論も学校の統廃合の強行によって完全に消え去った。ただでさえ教育予算をケチってきた日本がさらに教育予算をケチり、正教諭の数を急速に減らして非正規雇用の講師を急増させ、教育条件をいっそう悪化させている。公立小中学校の教員に占める講師の割合をみると1980年には全体の2.6%に過ぎなかった講師率が2007年には8.9%に達している。3倍に増えたわけである。不安定な雇用の下で低賃金、過重労働を強いることのできる講師を増やすことは教師全体の労働環境を悪化させることでもある。

 2013年、OECDは34の国、地域の中学校に当たる学校の教員に勤務実態調査を行っている。その結果は日本の学校教育が衝撃的に劣化している深刻な状況をあからさまに示した。まず日本の教員の仕事時間は週に約54時間でOECD平均の約38時間を大幅に上回った。

 部活動や事務活動などに費やされる時間が飛びぬけて多いからである。週当たりの部活動に費やされる時間はOECD平均が2.1時間に対して日本は7.7時間、事務作業はOECD平均が2.9時間なのに対して日本は5.5時間。

 

 ところが肝心の授業に費やす時間はOECD平均が19.3時間に対して日本は17.7時間でやや平均を下回っている。

 また校外で行われる研修への日本の参加率は極めて低く、参加しない理由の8割が仕事のスケジュールを理由にしている。多忙感で教師として必要とされる知識や技能の習得がおろそかになっているという事態は日本の場合、致命的な結果を招くはずである。

 

 日本はかつての師範学校による専門的な教師養成教育が戦時中の全体主義的教育を支えてしまったとの反省からか、専門的な教師養成教育自体を否定的にとらえられる傾向を戦後強めてしまい、師範学校が廃止されるとともに教員免許は極めて容易に取得できる(この事態は教員免許の「開放性」と呼ばれるが、その実態は教員免許が専門的な教育を受けずとも取得できる安易な資格に堕してしまったことを意味するに過ぎない)ようになってしまった。

 したがって教員になりたての若者は学校教育が一体どんなものなのかをほとんど学習せずに現場で教えることになる。当然、教員になってからの研修で教師としての知識・技量不足を補っていかなければならないはず。実際、かつて日本の教師の自発的な研修は極めて盛んで、参加率も高かったはずである。

 ところが現在、その肝心の研修が不足してきているということは日本の教師が多忙の中でどんどん劣化してきていることを意味する。教師の不祥事が相次いで報道される背景にこうした事態が急速に進行していたのである。

 

 当然のことながら日本の教師の自己評価は世界の中でダントツに低い。「学級内の秩序を乱す行動を抑えられるか」という質問に対し、日本はおおむね「できている」と答えたのが52.7%でOECDの平均87.0%を大幅に下回る。「生徒に勉強ができる、と自信が持たせられる」に対し、おおむね「できている」と答えたのが日本はわずか17.6%、OECDの平均は85.8%。「勉強にあまり関心を示さない生徒に動機づけできている」に対し、おおむね「できている」は日本が21.9%でOECDの平均よりもやはり50%あまり低い。

 かつて日本の教室は世界のどこよりも秩序が保たれていると絶賛されてきた。しかしそれは遠い昔のことになりつつある。特に教師にとって最も大切なはずの授業に対する自信の欠如は、授業や学級経営といった本務をないがしろにしてはびこる部活指導や事務仕事に大きな原因が求められる。研修不足の教師は自信を欠いたまま保護者からのクレーム対応にも追われる。教師の間にうつが蔓延するのも当然である。

 2002年、精神疾患で休職した公立小中学校の教師は2700人近くだったが2009年には瞬く間に倍増しており、現在は年間5000人前後で高止まりしている。その数は当然、部活指導に追われる中学校が一番多い。

 

 2013年のOECD調査で「もう一度仕事を選べるとしたら教員になりたい」と回答した日本の教師の割合は下から二番目という実に痛ましい状況も、日本の教師が直面しているこれらの問題点を知れば十分納得できる結果なのである。

 

 自信に欠けたまま学校教育への理解も進まず、技能を向上させるチャンスを奪われ、ひたすら雑務に追われる日々。若い教師はただ自分の所属する学校現場しか知らず、酷い視野狭窄に陥っている。海外まで視野を広げれば日本の学校の異常さや自分の多忙さの背景を知ることができるのに、そうした自己研修の機会も奪われている。

 

 若者が理想に燃えて保守的なベテラン教師を批判するという風景は完全に過去のものとなってしまった。今や若手はストレスをためこんだまま、眼前の職務を果たすことで一杯になっている。現状を批判し、変えようとする意欲を持つ若手は極めて希少。むしろベテランよりも保守的であるのが今の若手教員の実態といえよう。これでは現場からの変革は絶望的である。

 

 自殺する教員、精神を病んで休職に追い込まれる教員の数は2000年に入って急速に増えた。サービス残業を強いる部活動の盛んな中学校や高校の顧問は過労死の危機にさらされ、ストレスをため込んで暴発し、体罰事件などを引き起こしたり、離婚や過労死、家庭崩壊の危険にまでさらされている。そして批判の矛先は常に教師個人の資質に向けられている。ひたすら予算を減らし、教育現場を荒廃させて多忙に追い込んでいる張本人に責任を求める声は小さい。日本の学校はもはや世界でも最悪レベルのブラック企業に近づいているのである。

 

 こうして日本では予算の後ろ盾もない中で多人数の学級という悪条件が放置されたまま、無謀にも「自ら学び、考える力」を養成するための手厚い教育が学校・教師に求められてきた。ごく一部の恵まれた家庭の子供たちは「お受験」を経て私学での充実した教育を受けられ、優良企業への就職まで可能となってくる反面、過半数の他の児童生徒は「安かろう 悪かろう」の公教育を受け続けることになる。

 そして進路の結果がたとえ無残なものになったとしても、責任を負うのは生徒や家族であり、国ではないとするのがまさに「自己責任」の国、日本の学校事情なのだと思われる。

 

 技術の高度化が進み、技術革新の担い手は一握りのエリートで十分な時代となってきており、企業の多くが正社員を大幅に減らして使い勝手のよい安価な非正規採用でコスト削減と人手不足の解消を図っている。多数の国民が今後、十分な教育を受けられずに学力を低下させたとしても、国家としては一定数のエリート層が健在ならばさほどの国家的損失は生じないと高をくくっているのだろうか。

 もしもそうだとしたら…諸君の将来も、この国の将来も相当危ういだろう。

 

 確かに日本の自殺者数は統計上(警察と厚生労働省がそれぞれ統計を出している)はかつての年間3万人台からここ数年で2万人台にまで減少してきている。これは景気回復に伴い、特に中高年の自殺者数が減少してきたからである。

 しかし実は15~24歳の若者の自殺者数はこの間も増え続け、ついに世界一位になっていることはあまり知られていない。今や日本の若者の死因の一位は自殺なのである。若者の自殺は将来を悲観してのものが多いと考えられる。

 

 つまり若者にとって今の日本は「出口無き絶望社会」となっているようである。若者に将来への夢や希望を持たすことに失敗した社会になっている日本という国と、若者を相手とする日本の学校の疲弊ぶりとはまったく無関係とは言えまい。

 もういい加減なんとかしないといけないのである。

 

 ではどうしたらよいのか?日本の若者の危機を救う手立てはあるのか?他の国を参考にして考えてみよう。ここ数年、国連が3月に世界幸福度ランキングを発表している。2017年3月20日に発表された最新のランキングトップ10を見てみよう。1位ノルウェー、2位デンマーク、3位アイスランド、4位スイス、5位フィンランド、6位オランダ、7位カナダ、8位ニュージーランド、9位オーストラリア、10位スウェーデンの順である。北欧を中心に白人系の常連国が並んでいる。日本はというと51位。やはり教育と福祉が充実している国々が上位にきている。日本が目指すべき方向は教育・福祉の充実であることは明白である。

 

 しかしどうみてもこの目標達成には時間がかかる。今、現在を苦しむ日本の若者を救出するには別の観点も必要である。教育と福祉の充実は中長期的目標として取り組むにしても、短期的目標は別途に掲げておく必要があるだろう。そもそも国連の幸福度調査の観点は一人当たりのGDP、社会的支援、健康な平均寿命、人生の選択をする自由、性の平等性、社会の腐敗度などであり、どうみても先進国に有利な観点に偏っている。私たちは別の観点から幸福を捉えなおす必要もあるのだ。

 

 先進国からは貧しくて自由度も低く、客観的には幸福に見えなくとも、主観的に国民が幸福感を強く感じている国々がある。フィジーやコロンビアである。幸福はやはり主観的な要素が大きい。どんなに豊かで健康であっても本人が幸福を感じられていないならば意味がない。そこで最後にフィジーの人々の幸福感を支えている考え方を紹介しよう。

 

 フィジーは330ほどの島々からなる南洋の楽園。四国ほどの総面積に85万人が住む。平均寿命は世界119位、一人当たりのGDPは102位、民主主義指数は119位、報道の自由度は107位となっており、先進国の価値観からすれば幸福度は中の下。しかしフィジーの人々の満足度、幸福感はダントツの世界1位。物質的には恵まれなくともハッピーになれる秘訣はフィジーの人々の独特の価値観に潜んでいる。絶望的な日本の若者でもフィジーの価値観の中になら光を見いだせるかもしれない。

 

 フィジーの人々の独特の価値観はまず物事を共有し、シェアする精神が豊かである点。彼らには私有の概念が極めて薄く、お金も土地も家族までも共有する。豊かな人が困っている人に金品を贈るのは常識である。また過去を振り返らず、未来を案じない。くよくよしないのだ。そのかわり今、この瞬間への注力度が極めて高い。

 悪く言えば刹那的、享楽的。必然的に貯金はしないし、肥満も気にしない。細かいことは気にせず、実におおざっぱ。レストランや役場でも間違いだらけ。仕事はスローで効率は悪いがその分ストレスフリー。しかし人間関係をつくるスピードは光速で、瞬く間に友人となれるフレンドリーな国民性…

 

 日本人の生真面目さ、律義さが悪いのではない。ただ少しだけ肩の力を抜いてみるべきなのかもしれない。般若心経が説くように物事は容易には変わらなくとも、それを受け止める私たちの主観が変わることで案外、楽になれるのかもしれない。

 まずは自分の心を少しだけでもリラックスさせることから始めよう。

 

 

 以上はカッパが10年ほど前に作成した授業プリントの一部。

 

 この時からも既に10年経った…一体、日本は自分たちの学校教育に何をしてしまっていたのだろう。どんなことをやらかしてしまったのだろう。

参考動画

先生がいなくなる 日テレNEWS NNN 2024.10.30 5:35

    授業で視聴させるなら、時間的に見てもこの動画が一番だと思う。10年以上前のOECDの調査から何一つ、改善されてこなかった学校現場の実情。「働き方改革」の掛け声だけが虚しく響く教員の世界で、今、学校教育は着実に崩壊してきている。文科省を含めて政府はそのことのリアルな認識を完全に欠いており、ただひたすら教員の仕事を増やし続けている。

 生徒たちにはなぜこのような事が続いてしまっているのか、その原因と対策について考えさせたい。

参考記事

「教師を殺す気か」現役教員が語る"沈みゆく教育現場"、給特法改正は「評価でき

    ない」 弁護士ドットコムニュース 2025.6.12

 西村氏が指摘するように給特法改正は学校のブラック化とブラックボックス化の歯止めにはつながらないだろう。学校行事の削減や校務のDX化が一気に進み、高校も含む部活動の地域移行が完全実施されない限り、教員の負担軽減は実現できない。確かに教員の給与引き上げも必要だが、他の公務員とのバランスを考えれば引き上げには限度がある。何より重要なのは教員の負担軽減および教育行政、とりわけ教員人事の透明化、民主主義化なのだ。

 文科省、教育委員会、管理職が教員の仕事をひたすら増やし続けてきた過去への痛切な反省が行われない限り、西村氏の予想は的中するに違いない。また教師の職務を徹底的に授業中心としていくには大学での教員養成教育の見直しも不可欠である。無謀な「全人教育」を目標として教師の職務を無限定に膨張させてきた過去をしっかりと反省し、教師の職務を授業中心に限定していく作業が今、痛切に求められている。

業務減で長時間労働改善を 教員不足解消へ大学教授ら訴え   共同通信 2025.1.8

   妹尾氏だけでなく内田良氏、現役高校教師の西村氏らが再三にわたり、業務削減を訴えてきたにもかかわらず、文科省やマスコミの反応は相変わらず冷淡なまま。一体、いつになったら現場の悲鳴は教育行政側に届くのだろう。中学校での部活動の地域移行が多少、進展したとしても、その波はほとんど高校にまで及んでいない。小学校もまたほとんど業務量の削減は進められていない。

   給与を多少、引き上げたところで業務量が減らなければ教師たちは心身を病むばかりになる。業務量を減らさないまま、上辺だけ残業時間を減らしたとしても「お持ち帰り残業」が増えるだけである。そのしわ寄せは、高齢者介護医療の負担増とともに次世代を担う若い世代に集中するだろう。

   こうして政府が何事も先送りしてゴマカシながらズルズルと日々を無駄にしている間に、日本は大地震、大噴火に襲われる日がきっと来てしまうのだろう。

今こそ金八先生が必要?部活は教師が指導すべき?大空幸星氏「授業外での教師と

   の人間関係に救われてた子供はいる」

   ABEMA TIMES (Microsoft)  2024.12.28

   部活動を巡る老害発言の典型、まさに昭和の「ふてほど」発言がどんなものなのかを分かりやすく確認できる点できわめて役立つ記事。授業での利用価値は高い。武内彰氏は「部活は全人教育に必要」としているが、この「全人教育」の発想こそが学校のブラック化を招いた最悪の張本人である。そもそもただの教師に「全人教育」を担わせることの罪深さをまったく気付いていないらしいところに武内氏の老害としての痛々しさを感じてしまうのだ。

   児童生徒にとって部活動の意義は極めて大きい。これはあらためて指摘されるまでもなく、分かり切ったことだ。スポーツ、音楽、美術、演劇、書道などが児童生徒たちにとってまったく無意味だ、と否定する人はまずいない。しかしそれをほぼ全面的に学校教師が担おうとする事は完全に時代錯誤。それが可能と思うことほど傲岸不遜なことはあるまい。再三、繰り返してきたが、教師はスーパーマンではないのだ。

 私は体育や芸術科の教師でもないのに、剣道(3回)、バスケットボール(2回)、ハンドボール(1回))、ソフトテニス(1回)、ソフトボール(4回)、軽音楽(1回)などの顧問を任されてきた。太字の部活はメインの顧問を任されたことのある部活である。もちろんサブの顧問ではあっても大会や練習試合の引率は引き受けてきた。なお肩書だけの顧問としては書道部や美術部などもやってきた。同時に二つの部活を任された時さえある。一体、どこの誰がそれらすべてを児童生徒や保護者に満足のいくレベルでこなせる力をもっているのだろうか。

 このような酷い校内人事が横行している現状があることを教師生活の長い武内氏が知らないはずはないだろう。にもかかわらず、学校の部活動には教育的意義があるのだから存続させるべきだというのは、「自分は頑張ってきた、だからお前たちも頑張るべきだ」という老害教師による、あまりにも痛すぎる自慢話、すなわち若い教師たちへのマウンティングに過ぎまい。しかも、おそらく彼が部活動を頑張ってこられたのはもっぱらバトミントン部ばかりの顧問生活という幸運に恵まれた事に加えて、察するに、夫および父親の長期の不在に人知れず(?)耐えてきた家族の大きな犠牲があったからこそ…なのではあるまいか。

 大空幸星氏の「授業外での教師との人間関係に救われてた子供はいる」との指摘も耳にタコができるほど聞き飽きたセリフ。当たり前すぎて「だから何?」と言い返したくなる。この発言の最大の問題点は「授業外」での役割を重視するあまり、授業自体を軽視しかねない点であろう。もちろん大空氏は決して「授業を軽視しろ」などとは言っていないのだが、日本の教師の多くが部活動や様々な校務によって不本意ながら結果的には授業を軽視してきた(「10年前のOECDによる調査」参照)これまでの経過がある。

 生成AIの活用など、日々刻々、教える内容と技術のアップデートが絶え間なく必要とされてくるこれからの教師たちにとって、授業準備時間の確保は教職に留まろうとする限り、深刻な死活問題となってくるはずである。自身の授業のレベルの低さを部活動の熱心さで補う、などということが決して許される時代ではないことに多くの教師たちは気付き始めている。

 極論すれば、既に教師たちには部活動などに割く時間がほとんど残されていないと考えるべきなのだ。そんな中で、転職してまで部活動に拘るのか、それとも学校に踏みとどまって授業を磨いていくのか、の二者択一を実情として今の教師たちは迫られている…そしてこの問題は非常に切迫してきており、教師たちを心身ともに追い詰めている…だからこその教師たちの休職者、中途退職者の増加であり、若者の教職離れなのではあるまいか。

 そうした、教師たちの切羽詰まった状況にあって、大空氏のような、どっちつかずの曖昧で、あまりにも無難、表面的過ぎる国会答弁そのものの発言を敢えて記事にして紹介する、さらには「今こそ金八先生が必要?」などと一応疑問符は付いているものの、教師たちをひたすら不快にさせる煽り方をしてくるマスコミの鈍感さも、もはや我慢の限界を超えて噴飯物。やはり教師を愚弄しているとしか捉えようがあるまい。この記事、まさに報道する者としての責任感や誠実さをそっくり失っており、もはやどうにかしているマスゴミレベル…だと思うのだが、いかがだろう。

定数改善や授業こま数減を 長時間労働で日教組   共同通信 2024.12.11

   日教組の影響力の低下がなぜ起きているのかをまざまざと見せつけられる記事であろう。教員の定数改善や授業のこま数の削減では長時間労働の改善に結びつくわけがあるまい。学校行事やクラブ活動の削減、学校カウンセラーの増員、事務仕事のDX化による負担軽減をまずは急ぐべきである。

 教員定数の改善や授業コマ数減を先に進めてしまうと、給与引き上げ等の対応も加わることで教員の業務自体はかえって増やされる危険性まで出てきてしまう。英語や情報の授業などが追加され、小・中学校教師の負担はこれまで増える一方であった。わずかな定数改善やコマ数減ではたして教師の負担がどれほど軽減するだろうか、極めて疑問である。

 授業負担の軽重は週当たりのコマ数だけでは判断できない。教師一人が担当する教科・科目数と単位数、及び担当学年数との兼ね合いがより重要なのだ。たとえ一週間の授業数が減ったとしても、担当する教科・科目数、学年数が多ければ負担はむしろ重くなる。ただし授業負担の軽減が教科数や科目数、あるいは担当学年数を減らすことで実現できる可能性があるとしても、その実現は現状ではかなり難しい。

 組合として最初に強く要求すべきは学校行事の精選と簡素化、クラブ活動の廃止、学校カウンセラーの増員と各学校への常置化であると考えるがいかがか。

学校教員の給与増額、首相に提言 条件なしで、自民党特命委

   共同通信 2024.12.10

    政治家の多くがいかに学校の現状を把握していないか、この提言だけでも明らかである。教師の給与増額で教師のなり手が増えるという、恐ろしいほどの的外れな見通しを立てているようだが、勉強不足も甚だしい。教員採用試験の前倒しと同様、これでは教員不足の解消にはつながらない。また、たとえ教員定数を少しばかり増員したとしても、それだけでは効果が上がるとも思えない。

 教員不足をもたらしているのは常人の能力をはるかに上回るレベルにまで達してしまった教師の過重負担であり、それに加担してきた教育行政への無責任さに対する猛烈な反発が学校現場に充満してきていることに求められる。たとえ熱心な教職志望の学生であったとしても、わずかな教育実習期間ですら体験する仕事の過酷さを感じて教職を諦めるケースが後を絶たないのだ。

 問題なのは膨大な仕事の量だけではない。見過ごされがちな質の問題も極めて大きい。教職は言うまでも無く、人間相手の仕事である。質を落とすことは出来るだけ避けたいのが「サービス過剰」気味を良しとする「おもてなし」日本の精神的風土であり、教師もまた質の低下を恐れている。

 しかし、不登校や引きこもり、イジメ、学習指導に進路指導、部活指導、保護者対応、学校行事、それらすべてに高度な専門性を求められても常人には無理。教師はスーパーマンではない。自分の能力を遥かに上回る質と量の仕事を抱えて心身共に疲弊し、病んでいく。質を落としたくない真面目な教師ほど真っ先に病んでいく憂鬱さが学校から無くならない限り、教職を目指す若者は減り続けるしかあるまい。そしてわずかばかり給与が上がり、教員定数が増やされても、この問題は一切、改善しないだろう。理由は簡単である。

 心身の健康を害することと引き換えにわずかばかり増額した給与をもらいたいと一体、どこの誰が思うのであろうか。ブラックなままの学校現場に高潔な使命感だけで就職した若者が辿る人生は決してバラ色ではあるまい。真面目な若者ほどひどい目に遭うのが落ちである。もちろん、教員定数を増やそうとも、人気の無い高校が定員割れを毎年の恒例行事のように繰り返してしまうように、人気の低落した教職を希望する若者は減り続け、教員定数の増員は多くの場合、ただ単に教員の定員割れの規模を大きくするだけである。つまりこの提言では人手不足による学校ブラック化の進展を押しとどめることは一切できない。

 教師にスーパーマンであることを期待するような日本の学校教育のあり方そのものを根本から変える必要があるのだ。端的に言えば学校でのすべての部活動を禁止し、社会教育機関や民間に完全移行させる。さらに学校行事の多くも大幅な削減を実行すべきである。事務仕事の合理化もより一層大胆に進めるべきだろう。

 他方で増やすべきなのは教員定数ではなく、学校カウンセラーやケースワーカー、スクールロイヤーといった専門職の方である。給与や定数を含めた待遇改善はむしろそうした専門職を最優先すべきなのだ。教師の双肩に背負わされた重荷を分相応のレベルまで軽くする上で、教師以外の専門職が学校で果たす役割は極めて大きい。

 自民党の特命委員会の顔ぶれをじっくりと見てみたいものである。

教職員84%「勤務開始前の日常的な業務がある」実態調査

   リシード 2024.12.4

   個人的には初任の時から早朝の出校は日常的なルーティーンと化していたので、特に意識せずに多くの日々は早朝出勤を続けて来た。最初の20年間では朝7時を超えると酷く道路が混雑する勤務校だったので、敢えて6時30分頃に自宅を出て7時頃に学校へ到着する日課を続けてきた。結果的には技能員の方よりも早く学校に来てしまい、校門がまだ閉まっていて私が校門や昇降口を開けることもままあった

 学校にまだ誰もいない時間帯はもっぱら提出物の点検や授業の準備、教室の清掃などにあててきた。もちろん時折、朝補習や登校指導にも加わっていたが、普段から7時20分前には出勤していたので、特にそのために早起きすることはほとんど無かったと記憶している。ただし遠足や修学旅行、文化祭、部活動の大会、練習試合などでは普段よりもさらに早く自宅を出なければならないことがある。大会の会場校を任された時などは天候とグランドのぬかるみとが気になってしまい、朝6時には学校に来ていたこともあった。併せて10回、引率した修学旅行では三泊四日や二泊三日の行程で合計の睡眠時間が10時間を超えたことは一度も無かった。こうしたことはおそらく普通の企業ではほとんど考えられないような、極めて歪な勤務形態だろう。

 しかも学校を出る時間は早くとも午後7時であった。勤務先によってはほぼ毎日、午後8時を過ぎないと帰宅できない時もザラにあった。午後5時以降の多くの時間はもっぱら部活指導にさかれていたが、進学補習、就職指導や提出物の点検、授業プリントの作成にもあてられていた。

 早出の時間帯も残業の時間帯に含めれば一日平均の残業時間はだいたい4時間前後だったように記憶している。当初は週6日間勤務だったので一週間では平日(月~土)が合わせて20数時間の残業、それに日曜の部活指導などが加わる。日曜の場合、普段は4時間程度の出勤時間となるが、かなりの割合で練習試合や大会が入り、その時には一日勤務となってしまう。試合が遠くの学校や会場の場合、自宅を朝6時過ぎに出ることもあり、かつ帰宅時間が午後8時になることもあって、平日の勤務よりも祝祭日の方が「校務」に費やされる時間が多くなったりした。当然、試合の方が練習よりも疲労度が大きい(監督・コーチに加えて審判も任される)ので翌日の月曜日から体と頭が重く、週の始まりから気持ちがドンヨリとしていることは決して少なくなかった。

 通常、一か月間の残業時間は合計で大体100時間以上はあったかと思う。これに加えて組合員だったので分会長や支部長になると動員がかかり、わずかな休日でも出かけざるを得ない事がある。さらに結婚後は家族サービスとして少なくとも月に一回程度、家族を連れて外出するのだから時間的な余裕などどこにも見いだせずにひたすら時ばかりが慌ただしく過ぎていく。特に体力的に衰えてきた40代後半以降、授業の準備にもっともっと時間と労力をかけたい、という焦りに似た絶望的な気持ちに苛まれる辛い日々がとうとう退職の日まで続いてしまった。

 以上は決して私だけの特殊な事例ではなく、多くの教師が似たような経験をしてきたことであろう。文科省はこうしたブラックな働き方をしっかりと直視し、「やりがい」という言葉で美化したり、給与の引き上げでゴマカスのではなく、教師の業務量の大幅な削減を最優先して全力で取り組むべきだと思うが、いかがか。

大学院卒なのに…「国立大教員の求人募集」で示された年収が驚きの低さだった

   ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.1

   国立大学の法人化から20年、その弊害が日本の研究力の低下と大学院進学者数の減少となって表面化しているという。日本の場合、大学院進学がかえって経済的なデメリットとして機能してしまうのだから、当然の結末ではある。若手研究者への待遇悪化はもっぱら人材力に頼ってきた日本経済をさらに悪化させるだろう。何せ、教育予算をずば抜けてケチり続けてきた日本である。当然の報いというほかあるまい。

   これは高等教育だけの問題ではない。高校以下、すべての学校が抱える共通の問題である。講師の増加と正規教員の不足はすべての学校種で生じている。人材育成をケチってきた政策はいよいよ少子高齢化の極致に向かう日本をどん底の奈落に突き落としていくだろう。このことは何十年も前から指摘されてきたはずなのに、なぜ、ひたすら経済力を低下させる政策をわざわざ取り続けてきたのか、文科省はなぜこの動きを阻止できなかったのか、見直すべき点は余りにも多い。

 優秀な日本の若者はいち早く日本に見切りをつけて、いよいよ海外に飛び出していくだろう。中高年も同じように海外での再就職を目指すだろう。そして賃金が低く、外国人の受け入れに後ろ向きな日本には、観光目的以外に外国人が来てくれる可能性は極めて低くなるだろう。日本における良質な労働力の、致命的レベルでの不足が生じてしまうのは最早、時間の問題なのだと思うが、いかがか。

 かつて「国家百年の大計」と言われて重視されてきた日本の学校教育はいまや瀕死の状態にある。目先の損得ばかりを優先し、教育を散々冷遇してきた日本の今後に果たして明るい兆しはあるのだろうか。

 規律正しく、親切でサービス満点かつ安価な接客、独自のエキゾチックな伝統文化と世界最高レベルの料理、最高に安心・安全で清潔な社会、世界に冠たる日本の漫画・アニメ、伝統と共存する近未来的な東京の都市景観、時刻表通りに縦横に走る公共交通機関・・・少なくとも観光資源においては様々な観点においても断然、世界トップクラスを誇り、年々、日本を訪れる観光客は増えている。確かに現時点での日本は表向き、最も魅力に満ちた国ではある。

 ただし、それはあくまでも観光客の視点に限られることは認識しておきたい。今やネトウヨのごとく、もろ手を挙げて「日本万歳」を唱えている状況ではないと思うのだか、いかがだろう。

 もうしばらくすれば海外に雄飛できなかった日本の若者の多くが「無敵化」し、闇バイトは一層はびこる。となればかつて日本が誇ってきた安心安全神話がたちまち崩れ出すだろう。これまでは時刻通りに運航出来ていた公共交通機関なども、優秀な人材不足等により遅延し始める。故障や事故も増えてくるだろう。橋や道路、ダム、高層ビル、港湾施設なども一部は老朽化し、深刻な人口減少に直面する地方では廃墟が目立ってくるはずだ。研究力の後退によって日本企業の多くは競争力を失い、少子高齢化が進む中で国家財政はいよいよ危機に瀕する。そして防衛費は倍増すれども教育予算は相対的に目減りしていく一方となる。これからの日本はこうした悪循環の中でひたすら落ちていく運命にあるのではないか。

教職調整額について教員259名に調査「引き上げで教員志望者は増えない」が 

 96%、給与増より業務改善を求める

 こどもとIT 正田拓也 によるストーリー 2024.11.27

 これでは調査対象の人数が少なすぎてあまり参考にならない。財務省案に反対の立場をとるならば、このような調査をもう少し大規模にして文科省主体で行うべきだろう。せめて千人単位の調査人数でないと説得力に欠ける。ただし教師たちの意向をこれまで徹底的に黙殺してきた文科省がこのような調査を行うはずがあるまい。

 まもとなデータ集めをサボり続け、相も変わらずふんわりとした要求しかできない、不甲斐ないお役所に教師たちの命が預けられていることの悲しさ…

忙しい職場ほど「考えない人」が増える驚きの理由 本人と組織の「ラクしたい」が生ん

   だ悲惨な結果 東洋経済オンライン 深沢 真太郎 2024.11.27

   この記事を敷衍すれば、教師が忙しい学校ほど、考えない教師が増えてしまうと考えて良いだろう。実感としてこれは相当程度正しいと思うが、いかがか。「思考」ではなく、もっぱら何かあった時の、管理職や教育委員会、文科省が責任逃れに利用するアリバイ作りに過ぎないような事務的「作業」と部活動、学校行事などの雑務に忙殺されている。これらこそが今の教師たちを疲弊させている元凶なのだ。

 もちろん教師たちの中には学校教育への専門的な知識や理解が足りないため、学校において本来、教師は何を重視すべきかをしっかりと考えることが出来ない、残念な人物だって少なからずいるに違いない。そうした教師ほど、他の教師たちへ平気で無意味な作業を増やしてそれを手柄に管理職に就こうとする妙な傾向が、これまでの管理職をみていると時々感じられないわけではなかった。おそらく文科省の官僚や教育委員会にもそうした小役人体質の人物が少なからずいるに違いない。

 教員採用試験で問われてきたのは明らかに学校教育に関する些末な「知識」が中心であり、批判的、創造的「思考力」ではなかった。淡々と正確に、表向き規則通りに、最低限の事務的処理ができれば教師として合格、と言わんばかりの教員採用試験だったのだ。「知らしめず、依らしむべし」は教員採用においても千葉県の不動の方針であったと思うが、いかがだろう。

 かつて面接試験などで学校教育の現状を批判的に捉えるような思考力を不用意にも表に出してしまおうものなら、ブラックリストに名前が載ってしまい、ほぼ永遠に正規の教師として採用されないことは千葉県の場合、明らかであった。そんな採用試験を合格してしまった公立学校教師に、そもそもまともな思考力など期待する方が間違っているだろう。

 いずれにせよ、教師たちの仕事を増やすことばかりが官僚や管理職の手柄とされている限り、学校でのブルシットジョブは増える一方であり、その中で教師たちは自ら考える気力、能力を失っていく。教師たちの思考力を回復すべく、学校の仕事を大胆に削減する方向での政策立案が文科省官僚たちの手柄とされる時代は一体、いつ来るのであろうか。

モンペ対応、無制限残業...教員の「ブラック労働」の改善は、日本全体の「生産性

   向上」の試金石に ニューズウィーク日本版 加谷珪一 2024.11.21

 見当はずれな対策ばかりひねり出す文科省と比べ、極めて常識的な意見である。学

校の業務削減こそ、最優先させるべきだろう。

他の教員も「過労死ライン」超え 訴訟で明らかになった残業の実態

 毎日新聞 によるストーリー 2024.4.7

教員多忙化「支援体制を」 OECD局長インタビュー

 共同通信 によるストーリー 2024.4.3

 教員の多忙化に対する取り組みの不十分さが現今の教員不足、不登校やイジメ事件

の増加を招いているとの認識はOECDでも共有されているのだが…

不登校のキミはどう生きるか? 鴻上尚史が解く「不登校」の背景 学校・教師が抱え

 る問題とスマホの悪影響 コクリコ編集部 の意見 2024.10.31

 日本が教育予算をケチってきたがために様々な問題が生じてきているのは間違いあるまい。なぜ手遅れとなるまで学校教師を放置してきたのか、政治責任が厳しく問われるだろう。

 鴻上氏が参考にしたユネスコのデータを下に紹介してみる。

 

・公的教育費の対GDP比率 国際比較

 単位 : %  出典:UNESCO  データ更新日:2024年9月20日

 ・世界の公的教育支出・教育費の対GDP比率 国際比較統計・ランキング。

 ・各国の公的教育費に対するGDP比率と国別順位を掲載。

 ・単位は%。

 ・公的教育支出は公的機関における教育上の全ての支出を含む。

 ・公的機関は中央政府・地方政府・地方自治体・市町村及び他の公的教育関係機関

  を含む。

 ・ランキング表示では当年のデータが無い場合、過去のデータで補完表示。

 

 以下、トップ10に加えて日本の順位の周辺にある国も併せて列挙してみた。このデータがどこまで信用できるのかについてはトップ10の国名を見ると、特に途上国のデータはかなり信頼性が欠けるように感じられる。したがって本来ならば比較的データが信頼できる先進国間での順位を重んじたいが、途上国込みのデータ自体の衝撃度はかなり大きいので、今回は途上国こみの順位の方を紹介する。

 なお日本の順位は男女平等度の国際比較での順位と極めて近く、子どもや若者、および女性を尊重しようとしない歴代内閣の政策がものの見事に反映されているように思えるが、いかがか。

 

     トップ10

1 キリバス       14.20       

2 ツバル        12.85       

3 バヌアツ       10.64       

4 ミクロネシア連邦   10.54       

5 キューバ        9.39       

6 ナミビア        9.04       

7 ソロモン諸島      8.29       

8 ボツワナ        8.06       

9 ナウル         7.81       

10モントセラ       7.61      

 

   日本の順位と周辺の国々

119      フィリピン           3.62  

120      アゼルバイジャン   3.58  

121      ザンビア              3.58  

122      アンギラ              3.55  

123      パラオ               3.44  

124      サンマリノ           3.43  

125      コートジボワール   3.43  

126      パラグアイ      3.41  

127      ベナン        3.38  

128      パナマ        3.37  

129      ルーマニア           3.32  

130      タンザニア      3.26  

131      セルビア              3.24  

132      日本         3.24  

133      カタール              3.23  

134      グアテマラ           3.18  

135      エルサルバドル    3.17  

136      ヨルダン              3.16  

137      マダガスカル       3.14

前年比1.4倍に大幅増の「いじめ重大事態」 調査する校長にも大きな心身への負担

   「今でも涙が出る…」 医療機関にも通院 弁護士を自費で雇おうともしたが…

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー  2024.11.1

    日本の教育予算の少なさは先進国内でも突出している。このことがイジメ問題の解

決を極めて困難にしている事は明らかだろう。「子供中心社会」という口先だけのスローガンでは一時しのぎのゴマカシに過ぎない。

じつは「日本の15歳」は世界でもトップクラスに「数学ができる」のに、なぜか

   「数学に自信がない」…最新のPISAの結果から見えてきた意外な実態

   現代ビジネス 飯田 一史 の意見 2024.4.30

   PISAの結果だけで日本の学校教育を評価するとこんな暴論が出てしまう点に総

じて日本の学校教育に対する理解の低さが現れてしまっているように感じるのだが,

いかがだろう。一向に減らない不登校やイジメ、教職志望者の減少、児童生徒の自己肯定感や幸福度の低さ…どれをとっても日本の学校教育の行き詰まりは明白。

 そもそも通り一遍のPISAの調査で判明するのは学校教育のごく限られた一面でしかない。この結果に一喜一憂する方が間違っているのだ。加えて日本は伝統的に数学を得意としてきた。さかのぼれば高度経済成長期から政財界の圧力を受けて理数系の教育が重視されてきたのだから、今回の数学の高得点など決して不思議ではあるまい。ましてこの結果が日本の教育行政の素晴らしさを証明する材料になるとは到底思えない。

 解答の正誤が明確な数学の場合は日本の学校教育が持つ画一的で管理主義的な体制がプラスに働く側面もあるだろう。しかし日本の学校に根強く残るこの体制は社会科のように必ずしも答えが一つに限定されず、どれが正解なのかを決めつけること自体難しい内容を扱う教科ではマイナスに働く側面が少なくあるまい。だからこそ管理主義的な日本の社会科授業ではあたかも数学のように正解を一つに絞る暗記中心の学習を主体としがちになるのだ。

 もちろん人材の選別配分の基準としての公平性、客観性を担保する上でどうしても一問一答式の設問が多くなるという、試験の宿命的な性質が社会科にも及んでいる側面が大きいのは否定できないのだが…

 「…産業界を中心になんでもかんでも教育のせいにする風潮があるし、保護者も学校現場も大学の先生もメディアもみんな口を開けば文科省批判をしがちだが、もう少し客観的に実態を把握した上で日本の初等・中等教育に対して提言したほうが、生産的な話になるだろう。」とのご託宣、実に軽薄な意見であり、飯田氏は文科省の回し者なのではないかと疑わざるを得ない。「もう少し客観的に実態を把握した上で日本の初等・中等教育に対して提言したほうが、生産的な話になるだろう。」という言葉はまさにブーメランとなって飯田氏を直撃するだろう。

全国で相次ぐ学校の外壁や天井の一部落下…子どもの重大事故は時間の問題!「改

     修経費高騰で公立学校が建て替えられない」が招く危機

     現代ビジネス 南島 和久(龍谷大学政策学部教授) 2026.7.13

     いよいよ日本の学校教育が崩壊の道へ向かって着実に歩みを進め始めた。猛暑が続く中で冷房完備には程遠く、学校によっては校庭内に無数のクギが放置され、校舎の破損や火災発生の現場ともなり、旅行や遠征中の死亡事故を引き起こす…もはや学校は防災の拠点となるどころか、学校自体が各種災害の発生拠点となりつつある。被災民の避難場所になるどころか、災害を招き被災民を生み出す災害発生現場そのものと化しつつあるのだ。

     ひたすら教育予算をケチり続けた政府の怠慢は児童生徒の安全を脅かすだけにとどまらず、学校を周囲の住民をも脅かす存在にまで堕落させつつある…この現状に対して、文科省は恥を知るべきである。

その3.沖縄戦 ウチナーとナイチャー

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

【若一調査隊】本土決戦に備えた“巨大戦争遺跡”今なお長野県の山中に残る巨大地

     下空間“松代大本営地下壕”を徹底調査!太平洋戦争末期の政府の極秘計画に迫る

  読売テレビニュース  2023/08/14  17:53

 授業では沖縄戦と松代大本営との関係を考えてみたい。特に天皇の御座所とされた遺構が気象庁の管理下に置かれて今もまだ非公開になっている理由を推理させてみたい。

一般民家~沖縄戦の砲弾の跡~南風原町津嘉山~沖縄の激戦を伝える民家の壁を探

   す~ 街歩きokinawa 15:04

 いきなり残酷で重苦しい内容から入るよりも、日常風景に残るさりげない戦争の痕跡から徐々にイメージを膨らませていく展開の方が平和学習への抵抗感を少なくできるかもしれない。海軍壕のある豊見城地区と首里、最後の激戦区となる糸満・八重瀬地区などと南風原との位置関係は地図で確認しておくと良いだろう。また実際にグーグルマップで「津嘉山236」を検索させて壁面の弾痕を確認させたい。

沖縄の戦後はここから始まった~「魂魄の塔」そして沖縄戦最後の健児の塔「開南

 健児の塔」戦争で廃校になった旧制中学校・沖縄平和の創造の森公園内の慰霊塔・

 魂魄の塔から始まった墓苑の事情 街歩きokinawa  2024/05/27 12:25

 深く考えさせる動画。「街歩きokinawa」の動画の中で最も重要な内容が含まれており、ぜひ視聴させたい。沖縄戦で生徒教員の多くが戦死したため廃校となってしまった開南中学校の犠牲者が2019年になってようやく確定したことの持つ意味を考えさせたい。また「街歩きokinawa」の他の動画でも繰り返し触れている現地住民の意向を無視した遺骨の収集、移動に対しても考えさせたい。さらに沖縄における遺骨が持つ意味を「洗骨」という沖縄の伝統的な風習からも捉えさせたい。

「沖縄戦の生き残りは皆、艦砲射撃の喰い残し」 強烈な民謡を生んだ作曲家の壮絶

 な人生 【慰霊の日企画 #あなたの623】RBC NEWS  2024/06/21 8:48

沖縄戦の記憶を時系列で辿る旅:沖縄本島戦跡巡りと慰霊の日

 JtripTV【ジェイトリップツアー公式】 2024/06/15  15:51

 時系列に沿って沖縄戦の概要を知ることが出来るが、突っ込みが浅く、やや物足りない内容。導入として沖縄戦の概要を押さえておく分には利用できるだろう。

原爆投下の真実と日本人が忘れてはいけない4つの日

 むすび大学チャンネル  2023/08/07 11:50

 沖縄戦は一切、登場しないが、「ファクトチェック」の練習台となる動画。戦争に関しては扇動的な論調に流されやすくなるので要注意ポイントを早めに気付かせたい。この動画は幸いにして突っ込みどころは多いので生徒たちにどんどん突っ込ませてみよう。ただし言い分として正しい面もある。どの点が正しくてどの点が事実認識として間違っているのか、それぞれ列挙させ、それぞれ意見を出させたい。

  いわゆるネトウヨの主張パターンの典型を知ることが出来る点でもこの動画を視聴させる意義は大きい。基本的には戦争に関して自国の綺麗ごとを並べ、美談化する論調に流されてはならない。同時にアメリカのような他国を単純に美化することも間違い。軍事に対しては冷徹に事実を確認していく努力が求められる。

戦争で負けることは分かっていた?【昭和16年夏の敗戦】総力戦研究所・黙殺され

 たシミュレーション「日本必敗」猪瀬直樹執筆のキッカケ!

 ホリエモンのうわさ【切り抜き】 2025/06/28 7:16

 NHKの朝ドラ「虎に翼」などで注目された総力戦研究所関係の動画は数多いが、短時間で要領よくまとまっている動画としてはこれがオススメ。なお、最近のNHKのドラマのなかで史実では総力戦研究所の所長が「日本必敗」の結論を出すことに反対していなかったのに、ドラマでは若者たちの結論を握りつぶそうと動いていた。これは明らかに史実に反し、所長の遺族が怒るのも無理はあるまい。なぜNHKは史実を敢えて歪めたのか、本来ならばその理由をしっかりと説明すべきだろう。

 一体、NHKとしたことがなぜこんな幼稚ともいえるヘマをしでかしてしまったのだろうか?おそらくこの問題の背後にある闇は相当、複雑で深そうである。

 ところで負けると分かっていた太平洋戦争をなぜ当時の指導層は始めてしまったのだろうか。その理由は一つに尽きると私は考える。一般的には同盟国のドイツの快進撃を日本が買いかぶり過ぎてしまった点が挙げられようが、しかしこの点は既に研究所のメンバーがドイツの敗退を科学的根拠を示して正確に予想しているので除外。

 むしろそれよりも重大なのは、これまでの戦意高揚を柱とした巧妙な世論誘導の結果、国民が余りにも激しく日米開戦を求めてしまっていた点にあろう。この期に及んで国民の強烈な反英米感情を鎮めることは、洗脳策を強力に遂行してきた張本人たる近衛内閣として、限りなく不可能に思えていたはずである。

 仮に研究所の見解を世に知らしめれば最低でも暴動、はては最悪、内乱まで引き起こしかねないほどの危険性があった、と指導層の多くは考えたはず。それは指導層が何にも増して優先してきた国体護持をも危うくしかねなかった…

 明治憲法下、まがりなりにも国民に担がれた天皇制政府である。神輿の上に担がれている天皇制政府として担ぎ手の国民の意向は決して無視できない。下手をすれば神輿ごと天皇制まで転覆されかねまい。それこそが絶対的に回避すべき最悪の事態である。そして最悪の事態を回避するには開戦しかあるまい…これがカミソリと異名をとった東條の、熟慮の末に下した冷静な決断ではなかったか。つまり国体護持のためには開戦をも辞せず、それはすなわち敗戦をも辞せず…ということ。

 サイパン島陥落時、大本営は既に打つ手が無くなっていることを自覚していたと思われる。陥落直後の東條内閣総辞職が陥落の痛手の大きさを物語っているだろう。しかし敗戦に至るまで日本は打つ手が無くなっていたはずのサイパン島陥落から1年以上を要してしまった。なぜ勝ち目のない戦争が始まったのか、という疑問と、なぜ勝ち目のない戦争をグダグダと続けたのか、という二つの疑問とに対しては、いずれも国体護持のため、というまったく同じ理由を見出すことが出来る。

 731部隊の番組などで近年、日本の戦争責任に関してかなり攻めの姿勢を見せてきたNHKであったが、総力戦研究所に関する朝ドラやスペシャルドラマでは結局、どこか肝心の部分で歯切れの悪さが残っていたように私は感じてきたが、皆さんはいかがだろうか。率直に言ってそれらの番組の歯切れの悪さは、敗戦をめぐる本質的問題が国体護持、すなわち天皇制の問題に行きついてしまうからであると私は考えている。仮にそうだすれば、開戦や敗戦への疑念に正面から向きあおうとすればするほど、番組は天皇制を根本的に批判することにつながりかねない…さしものNHKであっても、この展開は放送する上で極めて厳しい…だろう。

 しかし本質的問題の追及が出来ないのであるならば、マスコミとしての社会的役割を十全には果たせまい。それはあたかも公教育がまともな政治教育、平和教育をこれましてほとんど出来てこなかった理由とほぼ重なってくると私は考えてきた。

 公教育と公共放送は天皇制によってガッツリと縛られている…だとすればこれまで日本が太平洋戦争への本質的反省をまともにできてこなかったのは無理もないこと…ならば私たちはここで諦めて引き返すしかないのか…ぜひともアンケートや議論を通じて生徒たちの意見を募りたい。

参考記事

沖縄に残る1900トンの不発弾、今も続く戦火の影響…「爆弾がなくなるまで戦

    争は終わらない」 読売新聞  2025.6.19

    「鉄の暴風」が残した不発弾の恐怖は、戦後100年経とうとも沖縄の人々を苦しめ続ける。沖縄を語る際に、そのことへの理解は不可欠だろう。

「急きょ、大和の特攻を考えたと」連合艦隊参謀の“肉声”発掘 戦艦大和「水上特

   攻」79年目の真実 文春オンライン 太田 啓之  2024.8.15

   この録音もまた沖縄戦に対する昭和天皇の関与が少なからず存在していたと考えられる証拠の一つであろう。天皇の沖縄戦における焦りが無謀な特攻作戦を助長し、一層t戦いを激化させていたとすれば天皇の戦争責任は決して軽くない。

謝罪もせず「研究させろ」とは何事か アイヌ民族と研究者の初対話から考えた「知

 りたい欲求」が持つ暴力性 東京新聞 2024.4.22

 沖縄も同じ問題を抱えていることに気付きたい。

「キノコ雲」をシンボルマークにする学校も。バーベンハイマー騒動の背景にあ 

 る、原爆投下を”ギャグ”にできるアメリカ人の感性

 集英社オンライン オピニオン 2023.8.15

 立場が違えば戦争への見方も大きく違ってくる。その典型的事例としてこれまでも

よく挙げられてきたのが原爆投下を巡る日米間の評価の食い違い。立場を超えた平和教育を目指すには何が必要か、沖縄戦を扱う上でも考えておく必要があるだろう。

平和の詩 「こわいをしって、へいわがわかった」【2022年度沖縄全戦没者追悼

 式】琉球新報  2022/06/23  3:47

 やはり「こわいをしって、へいわがわかった」が平和教育の原点では…まずはこの詩から沖縄戦の授業に入っていっても良いだろう。戦争の怖さを知ることが立場を超えて平和を築くための第一歩。

 ※参考動画

  惨劇伝える「沖縄戦の図」 2年ぶりに展示画家・丸木夫妻 創作活動追った映画公開

   ANNnewsCH 2023.6.23 3:54

  ドキュメンタリー 今も続く沖縄戦の傷「晩発性PTSD」QABドキュメンタリー扉2014 

   2014/03/02 11:25

  「この世の声とは思えない祖父の断末魔」近親者の死で戦争の記憶が蘇る“戦争PTSD 戦後78

   年も癒えぬ心の傷【琉球放送】RBC NEWS  2023/06/29 6:42

 

Nenes 平和の琉歌 tabia75  2009/05/26 4:54

 沖縄の人と多くのヤマトンチュとでは太平洋戦争や戦後の日米関係に対する考えや感じ方に大きな違いがあり、両者の間には相変わらず深い溝が横たわっているように感じられる。それを分かりやすく感じられるのがこの歌だろう。作詞・作曲はサザンオールスターズの桑田佳祐で1997年に発表。ウチナーポップスを牽引してきた知名定男も沖縄方言での作詞を担当し、本土のことばとウチナーグチと呼ばれる沖縄のことばで歌われている。

 この歌詞が意味していることとは何だろうか、太字の箇所を中心に問いかけていき、沖縄の授業の最後にもう一度視聴させて同じ問を繰り返したい。特に桑田と知名の歌詞が大きく異なる箇所には注目させてみよう。「愛を植えましょう この島へ」はいかにも上から見下したようなヤマトンチュの沖縄観がはしなくも露呈してしまっているとも受け取られかねない言葉遣い。確かに訳知り顔の他人から憐れみを受けることほど屈辱的なことはあるまい。これに対して知名の「情け(なさき)知らさな この(くぬ)島の(ぬ)」はウチナンチュからの痛烈な返しとなっている。愛が足りなかったのはヤマトンチュの方ではなかったか…愛を植えるべきは愛の足りないヤマトンチュの方ではなかったか…

 

この国が平和だと

誰が決めたの?

人の涙も渇かぬうちに

 

アメリカの傘の下

夢も見ました

民を見捨てた戦争の果てに

 

蒼いお月様が泣いております

忘れられないこともあります     

 

愛を植えましょう この島へ

傷の癒えない 人々へ

語り継がれてゆくために

 

この国が平和だと

誰が決めたの?

汚れ我が身の罪ほろぼしに

 

人として生きるのを

何故に拒むの?

隣り合わせの軍人さんよ

 

蒼いお月様が泣いております

未だ終わらぬ過去があります

 

愛を植えましょう この島へ

歌を忘れぬ 人々へ

いつか花咲くその日まで

 

御月前(うちちょーめー)たり泣ちや呉(くぃ)みそな

やがて笑ゆる節(しち)んあいびさ

情け(なさき)知らさな この(くぬ)島の(ぬ)

 歌やこの(くぬ)島(ぬ)暮らしさみ

 いちか咲かする愛(ぬ)花

※現代日本語訳:お月様よ 泣かないでください やがて笑える時がきますよ 情けを知らせたい この島

 の この島では歌が生活そのもの いつか咲かせる愛の花

 

市民を「土人」呼ばわり 機動隊員、沖縄のヘリパッド建設現場

 琉球新報  2016/10/19 0:41

沖縄戦の始まり 10・10空襲 悲劇をくり返さないために体験者の記憶をつな

   ぐ(沖縄テレビ)2023/10/10 OTV沖縄テレビ  2023/10/11 8:52

 沖縄戦はここから始まる。第9師団の台湾への移動が沖縄の「捨て石」としての位置づけを決定づけた点に言及したい。

【沖縄戦②】粟国島 1945年6月 / アメリカ兵に促され投降する島の人々 - 太平洋

 戦争 沖縄戦 20世紀映像チャンネル  2021/04/15  2:10

 沖縄戦の授業はこの動画から始めても良いだろう。沖縄戦の授業のキモはなぜこのような悲劇が沖縄で起きてしまったのか、その原因を生徒たち自らが興味を持って深く考えてみたくなるようなきっかけを作ることだと考える。

 沖縄の離島、サトウキビで有名な粟国島の住民がアメリカ軍に投降するシーン。武装した米兵に最初はおびえていた住民がやがて安堵と感謝の表情に変わっていく様子が分かるだろう。個人差は大きいだろうが投降後、粟国島の住人たちが「鬼畜米英」を日本政府によるただの戦争プロパガンダに過ぎなかったと悟るまでにはさほど時間を要しなかったようだ。この動画は粟国島の位置を示す以外の説明、発問は一切せずに淡々と視聴させてから直ちに「昔の沖縄 米国施政下~」の動画を見せたい。

【沖縄戦①】映像と解説 / アメリカ軍上陸と島民へ投降を呼びかける日系兵士 - 太

 平洋戦争 沖縄戦 20世紀映像チャンネル  2021/05/25  2:42

【沖縄戦③】映像と解説 / 戦いが終わった日 - 太平洋戦争 沖縄戦

 20世紀映像チャンネル  2021/06/02  2:38

 ①では日系兵士に頭をなでられて笑顔になる子供が印象的。③の白旗を掲げて投降する少女の写真は非常に有名なので、上の①か③から沖縄戦の授業を始めるのも良いだろう。なお、アメリカ軍はサイパン島攻略の際、日本人住民の多くが投降の呼びかけに応じず、崖などから身を投じる悲劇を目の当たりにしてきた。その反省からか、沖縄戦ではハワイなどの日系人、特に沖縄出身者を沖縄戦に同行させて住民の説得に努めていたようだ。授業ポイントはなぜ沖縄戦がこのような無残な終わり方をしなければならなかったのか、その理由を考えていく事であろう。

 ※参考記事

     ◎激しい地上戦が繰り広げられた沖縄、記録フィルムに登場する“震える少女”は「私だ」と名乗り

   出た女性が語る“記録の裏側”と“記憶の事実”【かんさい情報ネットten.特集】読売テレビニュー

   ス  2023/06/27  16:18

      首里城地下に眠る旧日本軍の拠点・第32軍司令部壕 全容解明の鍵を握るアメリカ軍のインテリジ

        ェンスモノグラフ FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.2.24

 

 記録を残そうとしなかった日本と詳細な記録を残したアメリカとの「歴史」に向き合う姿勢の違いに気づかされる。一方でアメリカ軍による残虐行為はアメリカの記録には残されていない。何を記録し、何を残さないのか…

【昔の沖縄】米国施政下のもと、沖縄が戦災から復興していく様子をご紹介してい

 ます。OKINAWA a la carte  2022/03/29 8:50

 開始1:05から1:47の写真解説に注目したい。まずナレーションによる解説が始まる前に動画を一時停止してこの場面は一体どんな場面なのか、生徒たちにこの写真が撮影されるまでの出来事を予想させてみよう。彼女は米兵に救出されるまでの間、一体、何を見てしまったのか…

 二人の子供を自らの手にかけ、自分は死にきれずに担架に乗せられてアメリカ兵の応急処置を受けている母親…首を負傷したらしい。おそらく自分で首を切って死のうとしたのだろう。しかし死にきれなかった。茫然自失となった母親の顔のあたり、写真がすっかり黒ずんでしまったようで表情はやや読み取りにくい。しかし解説を聴きながら薄暗く見える母親の顔をじっくりと眺めている(顔を拡大してみよう)うちにやがて私たちも気付いてしまう。そして彼女の顔から漂ってくる絶望的な悲しみに圧倒されてしまうだろう。なぜ、このようなことが起きてしまったのか?まずは問いかけてみたい。

   なお戦世から80年 沖縄の白黒写真カラー化で見えたもの(沖縄テレビ)

    2025/4/08 沖縄ニュースOTV 2025/04/09 7:33」では上の写真がより鮮明に確認できる。そちらの動画もあわせて視聴すると、一層、理解が深まるだろう。

 ※参考記事

  ◎沖縄戦、新版教科書は集団自決の日本軍関与触れず 市民団体調査

   毎日新聞 によるストーリー 2023.6.22

  村民73人の集団自決、自責の念で自殺した村長…「その孫だからこそ」

   満蒙開拓団の悲劇語り継ぐ 劇作家・胡桃沢伸さん 東京新聞 2024.1.24

   沖縄での集団自決は中国東北部やサイパン島などでも多数、発生していた。胡桃沢氏の思いを共

   有したい。

[NHKスペシャル] 新発見 78年前の戦場を記録した音声 | 戦い、そして、死ん

 でいく 〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録~| NHK  2023/06/30 4:59

 日本軍による沖縄の住民虐殺や自決の強要がアメリカ兵の音声から明らかにされている。非常に貴重な動画であり、上の動画視聴後にぜひ、視聴させていわゆる「集団自決」の惨さを確認しておきたい。

防衛隊の父の手榴弾で~渡嘉敷(金城節子さん)

 沖縄県公式チャンネル  2013/12/16 6:15

【沖縄戦】衝撃の集団自決!奇跡の回避を果たしたリーダーの勇気と機転【真実を

 解明】 OKINAWA a la carte  2023/05/20   9:11

 集団自決を避けることの出来た島があったことはシムクガマのケースとともに記憶しておくべきだろう。運命の分かれ目はどこにあったのか、生徒たちに時間をかけて考えさせたい。

【信州の戦後80年】兵士の看護にあたった女学生に「生きろ」と言い遺し 佐久市出

    身の医師=軍医 小池勇助隊長 最期の地 沖縄の壕を整備 戦争を後世に伝えたい 

    TSBテレビ信州 2025/04/01  8:33

    小池隊長のような日本兵もいた、という事実は押さえておきたい。

戦争を知らない教師と生徒による『新たな平和学習』「OTV Live News イット!

 (沖縄テレビ)」2021/06/30 2021/07/02 OTV沖縄テレビ 7:19 

「思っているだけでは平和は来ない」 中山きくさんの想いを紡ぐ(沖縄テレビ)

 2023/6/22 OTV沖縄テレビ  2023/06/23 8:28

戦禍のウクライナから避難 “戦争の記憶”残る沖縄での生活沖縄「慰霊の日」に何

 を思う…? 読売テレビニュース  2023/06/24  10:11

 地上戦を経験した沖縄だからこそ出来る国際貢献の一つとしてウクライナ難民の受け入れがあるだろう。24人を受け入れているというが、少なすぎる印象はぬぐえない。もっと人数を増やせる工夫があるのではないか。

Q.平和学習のマンネリ化を乗り越え、自分事として平和考えるにはどうしたら良い?

お笑い米軍基地20周年 小波津正光さんが見つめる戦後80年(沖縄テレビ)

    2025/6/12 沖縄ニュースOTV 2025/06/13 8:03

    平和学習をいかにして高校生に自分事として捉えてもらえるのか…触れる事すらタブーとされるほどの悲劇を敢えて「お笑い」に昇華させて「突っ込む」…勇気あるお笑い米軍基地の取り組みに若者向けの有効なメッセージの在り方として、一つの可能性を感じる。

【修羅場・衝撃】修学旅行で沖縄へ行った時、沖縄戦を経験した女性の講演を聞い

 ていると、1人の男子が「ふざけるな!!」と言って立ち上り…

 22ch本当の話修羅場ch 2018/05/17 5:07

 討論の題材にうってつけの動画。ここでできるだけ様々な意見を生徒達から出しておきたいので、十分に時間をとってアンケートも用いてはいかがか。

 ※琉球新報デジタルによると沖縄戦での死者数約20万人の内訳は「沖縄戦では約20万人あまりもの

  人が亡くなりました。そのうち日本兵の戦死者は6万6000人、アメリカ兵の戦死者は1万2500人

  です。沖縄県民の犠牲者は一般住民が約9万4000人、沖縄出身の軍人・軍属が約2万8000人で、

  合計約12万2000人です…」とある。重要なのは日本兵の内、沖縄出身者を除いた戦死者が6万6

  千人ほどで沖縄県民の死者数のおよそ半分であり、軍人・軍属を含めて沖縄県民の4人に一人が死ん

  でしまった、というデータが意味することだと思うがいかがか。すなわち沖縄戦は本土決戦のため

  の時間稼ぎに使われた「捨て石」である、という評価について生徒たちがどう思うのか、アンケー

  ト等で確認しておき、その結果を踏まえて議論してみたい。

積徳学徒隊 証言11 学徒隊の解散命令

 沖縄県 沖縄戦継承事業チャンネル   2016/03/10 3:06

【戦争を知る】「ひめゆり」以外にもあった「女子学徒隊」~日テレ戦争アーカイ

 ブス~日テレNEWS  2021/08/13  10:13

 当然のことだが、日本軍にも素晴らしい人物がいたことは事実である。積徳学徒隊

では小池隊長の独断で6月18日、本来出されるべき解散命令は出されなかった。6月23日を待って解散することになっても隊長は隊員たちに自決することを戒め、生きて父母に会うべきこと、生きてこの戦争の悲惨さを伝えるべきことを訓示し、自らは自決。おかげで積徳学徒隊(ふじ学徒隊)ではわずか3名の戦死者を出すにとどまった。

むかしむかしこの島で/沖縄テレビ(2005年)

 OTV沖縄テレビ  2023/06/16 48:14

 かなり長い視聴時間になってしまうが、沖縄戦に触れるならばぜひ授業で扱いたいイチオシの傑作動画。慶良間諸島での集団自決、日本軍による住民の処刑を中心とする前半と泡瀬、宜野湾や糸満での住民救出場面を中心とする後半に分けてそれぞれ解説と質疑、討論の時間を設け、少なくとも併せて二時間分は使ってじっくりと視聴させたい。ポイントは降伏した住民の日本軍による処刑と住民の自決が相次いだ理由。とりわけ重視したいのは皇民化教育、少国民教育を軸とする学校教育や熱狂的な戦争報道を展開して軍部に協力したマスコミの役割・責任となるだろう。

師範鉄血勤皇隊 証言5 住民への宣伝工作も担わされた学徒

 沖縄県 沖縄戦継承事業チャンネル  2016/03/24 3:17

 高校生にナレーションを行わせるなど、若者への平和学習の継承をはかる「沖縄戦継承事業チャンネル」の存在意義と、当時のウソだらけの報道、宣伝工作の在り方を理解しておきたい。宣伝工作を教師養成所だった師範学校の学生に背負わせた点に、国民の洗脳という当時の学校教育の裏の目的が明示されているだろう。

【戦世77年】戦火の中の住民の犠牲を物語る電文を再現 戦争を知らない世代に戦

 争の重みを伝える(沖縄テレビ)2022/6/17

 OTV沖縄テレビ  2022/06/20 7:46

 ※参考記事

  ◎「GHQの占領政策を聞いてガッカリした」戦争体験者の存命中に集めた「当事者ならではの言

   葉」の数々 現代ビジネス 神立 尚紀 の意見  2023.7.20

   戦争体験者が亡くなっていく中でどう戦争体験を受け継いでいったらよいのか、留意すべきこと

   は何か、教えてくれる。

『沖縄戦に関する教科書記述は1行と少し』時代の変化に揺らぐ“沖縄の平和教育

 ”の課題【琉球放送】RBC NEWS  2023/06/22 7:14

「沖縄戦」って何?どんな戦いだったのかを分かりやすく解説【慰霊の日】

 公式 池上彰と増田ユリヤのYouTube学園  2023/06/23  11:58

 分かりやすい解説で知られる池上氏だが、今回はかなり歯切れが悪い。内容面でも突っ込みが浅く、期待外れ。たとえば6月23日の持つ意味は沖縄において必ずしも大きくはないだろう。第32軍司令官の役割を過大視する危険性がこの日を特別視する考えの中に潜んでいるかもしれないからだ。

 仮に自決した牛島司令官が戦闘終了を促すために部下の投降を呼びかけていたのならば、この日の意義は決して小さくはなかっただろう。しかし、当時としては当然のことながら、彼はあくまでも組織的抵抗を諦めただけであり、日本兵個々人としての徹底抗戦を呼びかけて自決していた。そのこともあって軍民の中には8月15日以降になっても敗戦を知らずに抗戦を続けて、各地に潜伏し続けた者が出てしまった。何と年末までガマやジャングルに潜んでいた者もいたという。結果的にはその間、戦死をしたり病死してしまった軍民の人々が数多くいたわけだ。

 大本営によって本土決戦のための時間稼ぎとされ、「捨て石」とされてしまった沖縄にとって最後の最後まで米軍の「出血」を強いる徹底抗戦の作戦は同時に日本軍と沖縄県民との、一層の「出血」を強いるものでもあった。したがってこの日は「慰霊の日」という、沖縄戦の区切りの日をイメージさせてしまうような名称はあまりふさわしくあるまい。むしろ沖縄戦の終結を決定的に遅らせてしまい、犠牲者の数を徒に増やし続けてしまった日として記憶されるべきではないのか。少なくとも司令官らが潔く自決した日という妙な殉国美談にごまかされてしまうことだけは絶対に避けるべきだろう。

戦後70年の地平から「久米島での住民虐殺」

 【琉球放送】RBC NEWS  2015/07/24

 日本軍は久米島で6月から8月にかけてスパイと疑われた住民の虐殺を行っている。久米島で日本軍が降伏したのは9月に入ってからであった。久米島の住民にとってはアメリカ軍こそが日本軍の恐怖による支配から解放してくれた、まさに解放軍だった。現在、沖縄慰霊の日とされる6月23日は離島の久米島住民にとって何の意味も持っていなかったといえよう。

【沖縄戦を歩く】【沖縄の慰霊塔】糸満市・真栄里「山形の塔」沖縄戦の慰霊塔と

 防空壕・山形之塔・ 街歩きokinawa  2020/09/23 10:40

【沖縄戦を歩く】【沖縄の慰霊塔】米軍バックバー中将の慰霊碑(慰霊塔)糸満市真

 栄里・沖縄戦の慰霊塔で唯一、敵の大将をたたえる慰霊塔・沖縄戦跡・沖縄観光

 街歩きokinawa   2020/09/02 11:39

「国が民を食った」遺体と遺骨の山、沖縄戦終焉の地から考える 慰霊とはどうあ

 るべきか【報道特集】TBS NEWS DIG  2023.6.25 24:40

 1960年代の都道府県遺族会らによる慰霊塔建設ブームで「大東亜戦争」「英霊」「殉国」という言葉が乱用される一方で、本来、慰霊されるべき沖縄の住民たちの犠牲は顧みられることなく傍らに押しやられる傾向が強く見られた。

 加えていわゆる戦災遺族援護法によって沖縄の戦争犠牲者はすべて戦闘参加者として名簿に登録された後、遺族へ援護金が支給されるシステムが成立。その名簿は遺族には勝手に靖国神社へ届けられ、英霊として祀られた。

 他方、沖縄の住民の遺骨は糸満、八重瀬を中心とする人々によって各地で集積され、「骨塚」として慰霊されていた。靖国化が進んでしまった摩文仁の丘を国籍、軍官民を問わない民衆の視点に立ち、沖縄をはじめとする一般の人々の手に取り戻そうとしたのが平和の礎を築いた故大田昌秀(当時沖縄県知事)であった。とはいえ、平和の礎ができたからといって、はたして6月23日が本当に「沖縄慰霊の日」としてふさわしいのか、いまだに疑念は残ると思うが…

漫画家 新里堅進さん “地獄の世界”それでも描き続ける(沖縄テレビ)

   2023/10/18 OTV沖縄テレビ  2023/10/19 8:06

 戦後生まれが戦争を描くことの難しさと意義について考えさせられる。

【戦後80年なぜ日本は「あの戦争」をしたのか】辻田真佐憲「歴史は65点で語って

    OK」/なぜ語りにくいのか/被害者か加害者か/「大東亜戦争」か「太平洋戦争」

    か/「新しい戦前」に今できること【1on1】

    TBS CROSS DIG with Bloomberg 2025/08/14 46:37

    日本の近現代史に関して、知的中間層に広く届くメッセージ、一定の共有されうる認識が必要とされているとする辻田氏の主張に賛同する。参政党のような、分断を煽る乱暴な言説ではなく、一定の事実認識を踏まえたアジア太平洋戦争に対する評価、反省点をバランスよく持てるような言説を広めることで日本がアジアにおいて果たせる役割は拡大するだろう。そしてそのためにはまず中学校や高校における社会科学習で、もう少し戦後を含めた近現代史の学習を充実させるべきだろう。

    どういうスタンスで沖縄戦、アジア太平洋戦争を授業で扱ったら良いのか、迷っている教師にはお勧めの動画。バランスの取れた授業展開の方向性が見えてくるはず。

参考記事

追悼碑の撤去問題で憎悪扇動 杉田議員「朝鮮総連系が関与」

   共同通信 によるストーリー  2024.2.17

 議論のテーマにすると扱い方によっては様々な広がりが出てきて生徒たちの視野を広げる上で有効かつ興味深い話題となるだろう。この問題は沖縄での戦跡でよく見かけるナイチャーの慰霊碑問題と深い点でつながる可能性を秘めているのだ。なぜ沖縄では沖縄住民の慰霊碑よりも各都道府県や部隊の慰霊碑がこうも目立つのか…

 ナイチャーの意識に潜むウチナーへの差別意識を慰霊碑から問う視点は、国内での朝鮮人慰霊碑とクロスさせることで一層、生徒たちの思考を広げていき、深めていくに違いない。

 とりあえず群馬県での追悼碑の是非はそれに関わった団体の是非とはいったん切り離して考えるべきだと思うが、いかがだろう。

   まずは朝鮮半島が日本の支配下に置かれた1910年から1945年の間に日本の国策として徴用目的で強制的、半強制的連行がどの程度朝鮮半島で行われていたのか、その犠牲者はどれほどなのか、事業所別、地域別の統計に基づいて群馬県での状況を再確認する作業は、この件の是非を歴史をさかのぼって根本的に検討するならば必要不可欠となるだろう。また建碑のプロセスに違法性はあるのか、不透明な部分はあるのか、なども当然問われるべきである。

 以上の点で特に問題が確認できないのなら追悼碑自体は撤去されるべきではあるまい。逆に知事が主張するように建碑にあたり実際に法的手続きなどで大きな問題があるならば撤去もやむを得ないかもしれない。

 杉田議員があたかも「朝鮮総連が関与」したから撤去すべきだと受け取られかねないような主張をした事は大きな問題をはらむ。そもそも建碑に手続き上の瑕疵が無いならばそんなことはどうでもよいはず。本質的に問われるべきはあくまで建碑の歴史的、法的正当性そのものではないのか。

 当然のことながら国会議員という責任ある立場にある者はその発言に公的な影響力を帯びてしまいがちとなる。たとえSNS上での発言であっても暴言、中傷は許されない。ゆえに杉田氏は建碑に「朝鮮総連の関与」を疑うべき客観的な根拠を公に示す義務はあるだろう。仮にただの憶測に基づく発言ならば今度こそ同氏の議員としての資質、適格性を厳しく問うべきである。なぜならばそれは在日差別を助長する中傷、デマそのものとなってしまうからだ。

 仮に発言の根拠を示せないようなら、自民党は岸田総裁のリーダーシップの下でただちに同氏を除名すべきである。これまでの同氏による再三にわたる差別的暴言中傷を踏まえれば議会もこれ以上同氏の発言を黙認することがあってはなるまい。もはやアメリカでのトランプ元大統領並みに、議員としての杉田氏の存在そのものが国会と国会議員の品格を貶めるばかりか、日本での基本的人権と民主主義までをも脅かし始めているのだから。

 仮にこれが黙認されてしまうようなら、同様の論理でいずれ沖縄住民の慰霊碑も各地で撤去されかねまい。ひめゆり平和祈念館やガマなどの見学も自虐史観に基づくものだと決めつけられ、沖縄修学旅行での平和学習から外され、豊見城の海軍壕跡ばかりを見学する時代がきてしまうかもしれない…これは杞憂だろうか。

 杉田氏の発言、決して見過ごしてはならない、と思うのだが、いかがだろう。