その6.防災教育と学校のブラック化

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

1.防災教育

北区小学校火災、「人災」的な要因は危機管理意識が低い組織で起こる…脆弱すぎ

     た"学校の安全管理"から得る教訓     東洋経済オンライン 宮田 美恵子 2026.7.9

 この問題の根本はどこにあるのだろう。ほとんどの学校は防災の拠点としてふさわしいだけの構造、設備を備えていない。初期消火のカギを握るスプリンクラーすら備えていないのに、大勢の児童生徒が密集して生活していること自体、間違ってはいないか。冷暖房施設やトイレの不備が多い学校を地域被災民の避難先に指定していること自体、間違ってはいないか。そんな学校に夏休み中、子供たちを預かることを要求する文科省の判断は完全に間違ってはいないか。先進国で最低レベルの予算しか与えてこなかった学校教育に対して過大な要求ばかりを繰り返してきた文科省こそ、この問題の真の責任者ではないのか。

東京・北区小学校火災、校長は教員のストーブ持ち込み把握せず…区が避難状況を

     検証する会議設置へ 読売新聞 2026.7.4

 校長が毎日、校内を巡回して安全確認を行っていたが、準備室は確認しておらず、ストーブなどが持ち込まれていたことを把握していなかった…と記事にあるが、そもそも「毎日、校内を巡回して安全確認を行っていた」という校長の言葉をあまり真に受けてはなるまい。高校では校長が校舎内を見回る姿を私は一度も見たことがない。熱心な教頭が毎朝早く、校舎内を巡回していたことはあったが、校長が自ら動くことはまずなかったのだ。まして毎日の巡回など常識的に見て、校長がしているとは到底思えないのだが、いかがか。「4階の出火は想定外」とする記者会見での校長の言は、たとえ巡回が行われていたとしても形だけのものに過ぎなかった可能性を私としては強く感じる。

 通常、校舎の巡回、施錠確認は日番ないしは週番となった教師が放課後の一定時間内に行っているが、教科準備室内に入ることは一度もなかった。教科外の教師が巡回の理由だけで準備室に入室することは遠慮すべき、との空気感が教師間には強く漂っていたのだ。校長らの入室を嫌う雰囲気もあった。

 とはいえ、校長が一切、立ち入ることのない部屋が一つでも存在すること自体、校舎全体の管理責任者として極めて不適切な事態ではある。音楽準備室の状況を他の教師が誰一人、把握できていない、という事態も通常の学校では考えられない。当該教師が教師集団内で完全に孤立していた可能性はないのだろうか。

 学校での防犯、防火は教員全体が組織的に取り組む必要があるのは論を待たない。しかし当該小学校には組織的な取り組み姿勢が決定的に欠けていたのではないのか。そういった点でも組織の長である校長の責任は重大であると思わざるを得ない。

「私服」を音楽準備室で乾かしていた…滝野川第三小学校の火災 音楽教諭は以前か

     ら早朝の学校で洗濯 東京新聞 2026.7.2

     …高草木政浩校長と福田晴一教育長が音楽教諭から聞き取りをした。それによると、教諭は以前から早朝に登校し、1階の家庭科室の洗濯機で私服や金管バンドの衣装などを洗濯し、4階の音楽準備室で乾かしていた。火災が起きた6月19日も同様に私服を洗濯し、乾かしていた。

 また、音楽準備室にあった電気ストーブと数台のサーキュレーターの一部は音楽教諭の私物だった。火災当時、サーキュレーターや電気ストーブの電源が入っていたかどうかは不明。音楽教諭が洗濯などをしていたことは、他の教職員は知らなかったという…

 決して学校内に教師が私物を持ち込んではいけない、という決まりはない。もちろん程度の問題があり、物にもよるが、私の授業で用いる実物教材などはほとんど私物であった。ビデオテープも私物であり、本も私物、部活動のための用具やジャージ、靴等も私物であった。

     しかし、この教師はやはり常軌を逸しているというほかあるまい。これは最早私物の持ち込み、というレベルを遥かに超え、公共施設の私物化に近い。音楽準備室が一人の教師の個室とされている事のマイナス面が露骨に出てしまったようだ。

     当然、こうした事態をむざむざと招いてしまった校長の責任も重い。ただでさえ、多くの教師の目が行き届きにくい4階の教室は、管理職として普段からしっかりと気にかけておくべき教室だったはず。音楽教師、校長のどちらにも不注意と油断が生じていたのだろう。

 教科準備室の在り方は教科の違いによって大きく異なる。危険な薬品を扱う理科の教師は理科準備室に常駐すべきだろう。芸術科の教師も盗難などを避けるために一人で常駐するケースが圧倒的。もちろん個室化した準備室で多少、それらの教師が寛ぐ時間はあっても良い。しかし程度の問題があるだろう。

 当該教師が学年に所属していたり、どこかのクラスの副担任ならば、準備室に学年主任や担任が訪れることは一度も無かったのだろうか。最低でも校長や教頭が一度は訪れていたはずなのだが、音楽教諭が洗濯などをしていたことは、他の教職員は知らなかったという…まったく不可解である。他教科の教師の入室がはばかられてしまう何らかの理由があったと邪推されてもおかしくはあるまい。

小学校の火事で女性教師“洗濯物乾かしていた” 電気ストーブは通電状態 東京・

     北区 ANNnewsCH 2026/06/24 1:33

     ある程度は予想していたものの、元教師としては大変、残念なニュースが飛び込んできた。音楽担当の女性教師が音楽準備室で洗濯物を乾かすためにテーブルタップを用いて電気ストーブ、複数のサーキュレイターをタコ足配線で利用していたと証言したらしい。火災を招いた過失は小さくあるまい。また、校長らにも監督責任、管理責任は少なからず問われるだろう。

     芸術教科は他の教科と違い、中学校や高校の場合、担当教員に教科準備室がそれぞれ個室で与えられていることが多い。しかも多くの学校では授業中の騒音対策もあって、音楽教室が校舎の最上階に設けられている。また多くの場合、芸術教科の教室がある校舎の最上階には騒音対策としてクラスの教室や学年室などが存在しない。したがってとりわけ音楽準備室はあたかも音楽教師のプライベート空間のような部屋となりがちである。

     他方で美術や書道の教室(高校の場合は工芸室がある場合も)は2階、3階を割り当てられることが多く、比較的、他教科の教室や準備室、学年室なども同じ階に存在するために相互監視の機能が働き、度を越えたプライベート感が出てしまうことはまずないといえるだろう。

     そもそも音楽でなくとも芸術科の教師は既に初任の段階から校長と同様に、個室を与えられるという特権を有しているのだ。しかも音楽室は4階という、最も人気の少ない階にあることが多く、他の教員の目を気にする必要が比較的少ない点で、芸術家の中でも一層、特殊な環境にある。

 個室といっても訪問者の多い校長室の場合、事務室と隣り合っていることが多く、さすがにプライベート空間といった空気感を校長室が漂わすことはまずない。しかし、音楽準備室だけは非常に特異な条件下に置かれている。これは音楽教師だけが初任時代からずっと経験してこられた、極めて特殊な環境なのである。

 当該教師が仮に他の教科の教師だったとすれば、さすがに洗濯物を準備室に干そうとは思わなかったはず。もちろん冬季を中心に、グランドでの部活指導などの際に急な雨に降られ、濡れてしまったジャージや靴下を学年室や教科準備室のストーブで乾かしていた教師は少なからずいた。しかしその場合ですら、たいてい他の教員がいるため、本人が目を離したとしても火事になる危険性はほぼ無かった。ところが当該教師の場合、音楽準備室がなまじ個室であったため、他人の目が存在しない分、誰一人、出火の瞬間に気づくことができなかったと考えられる。

 つまり経験豊富な校長ならば、こうした4階における音楽室の特殊性と危険性を踏まえた、何らかの対応をしておくべきだったのだ。4階の音楽室の出火は想定外…という言い訳は通用するわけがない。そもそも、この校長、一度でも音楽準備室を訪問したことがあるのだろうか、実に怪しい。仮に一度も訪れていないとすれば、学校全体の防火管理責任を担うべき管理職として失格ではないのか。

東京・北区の小学校火災、音楽室の「救助袋」使用できなかった可能性…文科省が

     全国で設備点検など求める方針 読売新聞 2026.6.22

     とんでもなく間抜けな対応であろう。文科省が全力で取り組むべきは全校舎へのスプリンクラー設置義務付けであり、救助袋の点検などではない。あの状況で仮に教師が救助袋を利用できていたとしたら、むしろどれだけの惨事を招いてしまったのか、考えてほしい。おびえている小学生24人を全員、救助袋で無理やり迅速かつ安全に降下させるために、一体どれほどの人員と時間を要するのか、文科省の官僚はまったく分かっていないようだ。まず自分たちこそ、救助袋による避難訓練をその設置も含めて体験しておくべきだろう。

     救助袋を使わなかった担任の判断は完全に正しかった。にもかかわらず今回の火事が一方的に教師側、学校側の不始末であると断じられ、救助袋の点検や設置訓練、降下訓練を年に複数回、学校に義務付けられるようなら、今後、学校は災害時の住民の避難場所を決して引き受けてはなるまい。

     関東大震災並みの大地震が発生すれば、数多くの住民が学校に押し寄せる。体育館では足りずに教室の使用も十分、考えられる。とりわけ問題なのは海浜部の地域だろう。津波の到来に備え、海浜部の地域では体育館ではなく、校舎の上層階が避難所にあてがわれるはずだ。地震の発生が授業中だったとすればとりあえず、児童生徒の避難先も上層階の教室になる。場合によっては住民と児童生徒らで3階、4階の教室はすし詰めとなるかもしれない。しかも川沿いの低層階の校舎しかない学校や近くの幼稚園、保育所からの子供たちもそこには混じってくるだろう。

     その際、問題となるのはトイレだけではあるまい。避難後の余震や火事の発生に際して繰り返し校舎から脱出すべき状況が生じることも十分、予想される。その時、危険で非効率な救助袋など、一体誰が利用しようと思うだろう。

     そもそも救助袋自体、あまりにも旧式過ぎる器具ではないのか。一人ひとりがゆっくりとしか降下できない非効率そのものの救助袋を、この期に及んで再点検し、補修修繕することに一体どれほどの意義があるのだろう。救助袋など、せいぜい逃げ遅れて取り残されてしまったわずかの数の人々を救助できるに過ぎない器具であろう。これ以上、無駄を重ねる愚は避けたいものである。

 住民の命と健康を最優先するのならば、学校は避難所に適していない。学校が避難所を引き受ける能力に欠けるのならば、避難所は学校とは別に用意、設定すべきである。児童生徒の命と健康を最優先するならば、救助袋に頼らないで済む避難方法も別途、必要となる。また児童生徒の避難誘導が消火活動よりも優先される学校では初期消火の実現こそが最も急がれるだろう。つまり学校にスプリンクラーの設置は本来、マストの課題だったはずなのだ。

 スプリンクラーが常備され、エレベーターやエスカレーター、そして冷暖房完備の近代的なビルにお住いの文科省の官僚たちこそ、こんな非道を言う前に率先垂範、まずは一度でも学校に来て救助袋(できれば垂直式)で降下していただき、冷たい床で一晩、寝泊まりしていただければ、幸いである。いかがか。

小学校に津波“90人の命守った大震災前日の行動と避難マニュアル超えた校長の決

    断【サンデーステーション】ANNnewsCH 2024/03/11 10:01

    この件を校長や教師たち学校側の美談にしてしまうかのような報道姿勢にはどうしても強い違和感を覚える。災害に際して学校の判断のみが児童生徒の生死を左右するわけではあるまい。直前の地震を機にたまたま校長らが避難マニュアルを見直し、再検討したからこそ、マニュアルの問題点を把握できた…という点は決して見逃してはならない最重要ポイントである。

 仮に校長が出張中で、避難マニュアルを見直していなかったとしたら、震災当日、どのような判断を校長が下していたのか…実に不安である。校長は普段から出張が多い。大川小学校での悲劇を考えればそのことも問い直すべき大きな問題であろう。

 そもそもが、たまたま津波の高さが屋上に達しなかったから全員が助かっただけであり、それはあくまでも紙一重の判断だった。津波は屋上に避難した人たちの足下に迫っていたのだ。こんな偶然の積み重ねでかろうじて避難民が助かった出来事を、報道する側が安易に美談化するのは極めて無責任であり、軽率のそしりを免れまい。

 津波被害を繰り返し受けてきた東北の太平洋岸、それも海岸近くの小学校が何と2階建であったことにも愕然とする。一体、なぜこのような津波に弱い校舎があの場所で存在を許されていたのか、マニュアルの不備も含めて教育委員会に厳しく追及するのがまともな報道のあり方だろう。将来に向けて役立つ真の教訓とするためにはこの学校の英断を褒めるだけで良いはずがない。 

津波防災啓発動画「津波からにげる」   気象庁/知識・解説 2024/03/08 5:23

    「石巻の奇跡」はあくまでも中学生の迅速な避難行動によるものであり、実は小学校では津波に備えて校舎の3回に避難する予定だった。つまり小学校だけを見れば大川小学校と同等の悲劇がここでも生じていた可能性があったのだ。ただでさえ自分たちだけで判断することが難しい子どもたちである。せめて教師たちが少しでも早く指示して適切な避難場所へ誘導すべきだったのに…ここでも実際には出来ていなかった。つまり、宮城県では小学校の津波対策が所によって不十分であり、避難訓練も、避難ルートも、十分な危機感をもって行われていたわけではなかった

    幾度も深刻な津波被害を受けてきた東北の太平洋岸に位置する宮城県である。北上川という大河と標高の低い大きな平野部を擁する仙台市、石巻市を中心とする地域ではただでさえ津波の被害が生じやすい。したがって殊更に慎重な津波対策がとられていてしかるべきであった。これは一体、どういうことなのだろう?検討すべき課題は多いはずである。小学生向きのアニメであるが、高校でも議論のたたき台として十分に活用できるだろう。日本の学校の持つ体質を踏まえながら、災害時における教師、学校のあるべき対応について、しっかりと考えてみたい。

    なお、大川小学校の教師たちも犠牲になったのだから、彼らを後付けの知識で批判すべきではない…といった、妙な意見がネット上で見られる。しかしだからといって当時の教頭の最終的判断によって多くの人命が失われた事実を軽視して良いわけでもあるまい。学校は大勢の命を預かっているのであり、とりわけ管理職の判断がものを言う古風な世界である。一人の間違った判断で大勢の命が犠牲となった責任を、たとえ故人と言えども回避できるわけではあるまい。

 当然、避難ルートの選定と認定に関わった関係者もまたそれ相応の責任が問われるだろう。また以前から防災訓練に携わってきた歴代の教員たちの責任も重いと言わざるをえまい。なぜ、津波の被害を受けやすい川沿いのルートを避難ルートとして選んでしまったのか、厳しく追及するべきである。

“救われた命”と“失われた命”‥大災害の現場で教師に求められる決断とは!? 次の

     「その時」に備えて‥被災地で学ぶ教師たち 

     CBCドキュメンタリー 2022/04/19 10:05

 日頃からの徹底した取り組みが生徒たちの命を救った成功例は釜石東中学校の非難でよく理解できるだろう。しかしそれを「奇跡」と呼んで済ませられるものでは決してあるまい。

 これが仮に「奇跡」であるとするならば、日本の学校の多くは同じような災害にあった時に児童生徒を救うことができない、ということを無責任にも是認してしまうだけであろう。児童生徒の命を救う事こそが災害時の最優先事項だとするならば、釜石東中学校の取り組みこそが防災訓練の標準でなければならないはずなのだ。それは決して「奇跡」なのではなく、必然であり、当然でなければならない。

 大川小学校はどう立ったのか、に関してはこの番組では不十分な内容なので、「【なぜ子どもたちは避難できなかったのか】津波に襲われた大川小学校が“遺したもの” 東日本大震災から12年【newsおかえり特集】 ABCテレビニュース 2023/02/24 16:24」をぜひ、あわせて視聴させたい。防災教育の内、津波対策としてはこの二つの番組を組み合わせて利用することをオススメする。

避難所となる公立学校の防災機能…冷房85.5%、断水時トイレ75.1%

    リシード 2025.6.26

    避難所に指定されている公立学校の防災機能が急速に高まっている…こう受け止められかねないような文科省の調査結果ははたして本当に信用できるのだろうか?

    この記事では「別の調査(公立学校の体育館等における空調<冷房>設備の設置状況に係る調査)では2025年5月1日現在、公立小中学校における体育館等への冷房の設置は約2割にとどまっている今回の調査では、災害時に避難者が滞在することを想定している部屋等(体育館のほか、会議室や教室等を含む)のうち1部屋以上、利用可能な冷房機器を保有している部屋があれば保有しているものと取り扱っているためと考えられ、災害時におもな避難先となる体育館への設置を、引き続き推進していく必要があるという。」とある。

    ならば「冷房85.5%」という数字は現実的な防災機能のレベルを決して示してはいない、という事になる。よくよく注意して読めば、むしろ35度を超える猛暑日でさえ冷房施設のまったく無い学校=避難所がいまだに14.5%も存在している、という残念過ぎる実態の方が逆に浮かび上がってこないだろうか。

   これまで 学校での避難では授業優先の発想から教室よりもまず体育館の利用が優先されてきた経緯があるだろう。体育館では冷房どころか暖房すら不十分であることは今までの報道でも明らかである。たとえ体育館などにジェットヒーターが数台、用意されているとしてもはたして燃料は何日分用意されているだろう?おそらくせいぜいが2~3日分に過ぎないのではあるまいか。多くの学校では保管における安全面などを考慮して卒業式などに間に合う程度の燃料しか所有していないのかもしれない。

    自衛隊等による燃料の補給を当てにし、防災に必要な分の燃料を用意していない学校が一体どれほどあるのか…毎度のことながら文科省には自ら学校現場に踏み込んで本当の状況を調べる意欲がなさそうだ。回答者がいくらでも嘘をつける、盛ることの出来るアンケートごときで実態が把握できる、と思うこと自体、馬鹿げていることはない。文科省や教育委員会が当てにならないならば、実際に避難を強いられ、惨めな思いをするだろう市民自身が厳しく学校の取り組みを監視するほかあるまい。

    いかにも防災にしっかりと取り組んでいます、と虚栄を張り、上辺の見栄えばかりを取り繕うとする公立学校の管理職たちの悪しき性癖を、同じ穴の狢ともいえる文科省が知らぬわけはあるまい。こんな杜撰な調査をして事足りる、と高をくくり、学校現場での欺瞞を平気で看過してきた文科省ごときにケチで知られる財務省が防災に必要なだけの予算を気前よく用意してくれるとは到底思えない。馬鹿を見るのはいつでも避難民であることを忘れてはなるまい。

   さらに言えば 防災教育の任にあたるべき学校自体がこの程度の防災機能しか備えていない…という現実に日本の公教育の貧困と欺瞞とが見事に濃縮されていると思うのだが…

津波から10日目に救出された少年「奇跡」の違和感間違いだった避難の選択”東日

   本大震災から14年【明日への羅針盤】

   仙台放送ニュースチャンネル 2025/03/26 14:04

   非常に貴重な体験であり、かつ体験者が高校1年生であることも生徒達には切実な問題として響く動画である。ぜひ視聴させたい。

3.11_東日本大震災_ONE OK ROCK 「Be the light 」

 yuki mizobata  2013/05/06 7:53

 東日本大震災を振り返るならこの動画が一番だろう。当時、有名となったシーンの数々がワンオクの「BE THE LIGHT」の曲とともに紹介されている。それぞれのシーンがどんな場面だったのか、できるだけ解説しながら視聴させたい。

 時折、衝撃的な場面があるので事前に予告はしておくべき。多くの犠牲を無駄にしないために、今、何をするべきなのか、どんな心構えをしておくべきなのか、視聴後はアンケートをとっておきたい。

 ※大川小学校の悲劇については「その1」で詳しく触れている。

猛暑と熱中症対策で夏休み延長の学校が全国に拡大中!教育現場のホンネは

    アサ芸biz 2025.7.10

 ろくに自分で現場を取材せずに教育専門誌の記者の言葉を鵜呑みにするような記事を「アサ芸」はネット上に晒していても良いのだろうか。そもそも記者はどんな調査結果を元にしてこんなにも無責任な事を語っているのだろうか。

    …文部科学省が昨年発表した『公立学校施設における空調(冷房)設備の設置状況調査』によると、教室冷房設置率は小学校99.1%・中学校98.9%・高校99.4%といずれもほぼ100%近い。学校関係者からは、『気温の高い日は屋外での体育の授業を避ける必要はあるが、わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる』との意見もあります…とのご指摘、呆れるほかない。真面目に取材する意欲の欠片も見えないような、いい加減極まりない杜撰そのものの記事であろう。

    災害級の暑い日にわざわざ児童生徒たちを学校に来させるのならば、学校はせめて普通のご家庭並みの冷暖房を完備できていなければなるまい。しかし学校の体育館に冷房が備わっているのだろうか、芸術科目の教室などの特別教室にも冷房は完備しているのだろうか、冷房費を節約するために、教室内の気温を無視して冷房時間を厳しく制限していないだろうか…児童生徒の命にもかかわりかねないほどの猛暑が続く現状の中で、「わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる」という、根拠不明で誰のものとも分からない発言をあたかも教育現場のホンネであるかのように紹介する、その鈍感で無責任な報道姿勢には怒りすら覚える。

【閲覧注意】子供が見たら泣くレベル…冷酷すぎる自民党と戦う山本太郎【最新国

   会】山本太郎の国会質問!参議院・予算委員会(2025年3月10日)

   山本太郎 on the BEAT【切り抜きch】 2025/03/11 18:53

   ボランティア、NPO頼みの能登における災害復興の実態がよく分かる国会の質疑応答であろう。震災から1年以上も経っているのに後片付けすら終わっていない能登の現状は一体何を物語るのか。「災害大国」日本は本来、「防災大国」でもなければ経済大国として立ち行かないであろう。しかし能登の現状は日本が災害大国であり、人災大国でもあることを雄弁に物語ってはいないか。

「復興・復旧なんて夢のまた夢」能登半島地震から1年 被災地で加速する人口流

   出【報道特集】TBS NEWS DIG Powered by JNN  2025/01/19 22:31

 1年経っても廃墟のまま、残骸の片づけすら進んでいない地区もあるという現状は日本がもはや経済大国ではなくなっていることを示しているのかもしれない。しかし、それにしても無残というほかない能登の現状ではある。

 今後の南海トラフや関東直下型あるいは千葉県東方沖の大地震、さらには富士山等の大噴火に対して日本政府や都道府県が出来ることはおそらく極めて限られている。それは石川県の現状を見れば一目瞭然だろう。この動画を視聴し、今のうちに私たちが日本政府や都道府県の残念なほどの無力さをしっかりと思い知っておくことは、各自が災害を生き残る上での大切な心構えにつながっていくに違いない。

 かつて都市部に人口を集中させて行政のコンパクト化、効率化を推進する動きが地方では数多く見られた。財政の苦しい地方自治体ではとりわけ、少子高齢化が極端に進んで過疎化した農村部などを容赦なく切り捨てて都市部への移住を進める政策がとられていた。そして今や地方の切り捨て政策はいよいよ大規模化し、市町村単位の切り捨て、さらには都道府県単位の切り捨て政策までもが進んでいるように見える。日本はきっと防災の備え、避難生活も、かつて以上に厳しく「自己責任」が問われる、非情冷酷な時代に突入しているのだ。

小学校の廊下、階段、教室を埋め尽くす避難してきた人 神戸の最低気温は1度 映

   像に記録された発災直後の混乱 水や食料はほぼなし 阪神淡路大震災と同じ課題

   が浮き彫りとなった能登半島地震 カンテレNEWS 2025/01/17 13:08

   この時の教訓が今、どこまで生かされているのか、きわめて疑問であろう。学校が避難所として役割を果たせるようになるのは一体、いつの事なのか。日本の政治と教育の本当の貧しさはここに集約されていると考えるが、いかがか。女性の視点が特に欠けている点は、いかにもトップレベルで女性差別の国である日本らしい。

南海トラフ巨大地震と富士山噴火に備えよ【鎌田浩毅氏】◎『M9地震に備えよ』発

   刊記念講演|PHP研究所  2024/08/26  17:16

   南海トラフ、首都圏直下型、西日本内陸部の直下型といった大地震に加えて、富士山の大噴火と気候の寒冷化について、簡潔に説明されており、防災教育として基本的知識を身につけるうえで最初に視聴させたい動画の一つであろう。

つんだもん】激詰めされ、ついに読み上げソフトと化してしまう大臣【最新国

   会】山本太郎の国会質問!参議院・環境委員会(2025年3月13日)

   山本太郎 on the BEAT【切り抜きch】2025/03/14 19:49

   国会では実際にどんな審議が行われているのか、その実態が非常に分かりやすく伝わってきて、大いに参考となる。やや視聴時間が長いが、ぜひ、最後まで視聴させたい。政府側答弁が言い訳、ゴマカシ、すり替え、官僚作成の答弁書の棒読みに終始し、議員との対話がまったく成立していないことに呆れるだろう。

 福島原発の事故以来、住民の避難、すなわち生命、安全の確保に関しては実効性のある対応がほとんど進められていないという現実に身のすくむ思いがする。こうした状況の中で原発推進の声が再び高まっている事にも大きな不安を感じざるを得ない。

   福島での放射能汚染は今もかつての住人達に大きな試練を与え続けている。コミュニティは破壊され、土地もすっかり荒れてしまっている。原発のある地域での住民への安全対策がいつまでたってもいい加減なまま、政府は当該自治体にいざという時の対応を丸投げしているという情けない事実に注目したい。

   東日本大震災の教訓は十分なレベルで生かされているとは言えないだろう。原発関連施設で散々繰り返されてきた事故隠しの隠蔽体質もまた十分に改善されているとは思えない。これで日本は「防災大国」を自任しているのだから実に恐ろしい。本当は「人災天国」という方がふさわしいのではないか。

「今来てますよ、津波が!」届かなかった絶叫…放送で命は守れるか 大災害発生

   時もう一つの最前線 アナウンサーたちの葛藤【テレメンタリー】

   ANNnewsCH  2024/03/16  24:28

   山田アナウンサーの絶叫がなぜ人々を動かすことができなかったのか、ぜひ、生徒たちに考えさせたい。

 「なぜ多くの人が逃げ遅れてしまったのか」東日本大震災から13年…住民100人の

   避難行動を映像化 浮かび上がった危険な避難行動 生死を分けた津波避難の教

   訓【テレメンタリー】 ANNnewsCH  2024/03/23  24:45 

   この疑問こそが津波の教訓が生きていたはずの東北での被害の謎を解く上で最も重大なものだろう。ぜひ、児童生徒に視聴前、あらかじめこの問いを突き付けたい。

 石巻では家族の安否確認やや防災グッズ、あるいは忘れ物を取りに行くために避難先から自宅や職場に引き返してしまったケースが極めて多いことが分かっている。いざという時に家族が集まる場所を決めておかなかった、過去、大きな被害が出てこなかったために住民たちの津波への認識が甘かった、さらには周辺の住民も自宅の後片付けをしていた、などのせいで避難が遅れてしまい、犠牲者が多数でてしまった過去をきちんと教訓にできるか否か、学校での防災教育のあり方が問われているだろう。

 

AkikinnJAPANチャンネル

【300万再生突破】【南海トラフ巨大地震】元自衛官として本当に無念としか言い

   ようがない。自衛隊の無力さに涙が出ました。【大規模震災保存版】

   AkikinnJAPANチャンネル  2024/08/09  30:07

【防災グッズ】1人だけ助かっても意味がないでしょ。リアリティが無さすぎる。

   実際の現場を経験した元自衛隊レンジャーが教える家族が実際に生き残るためのミ

   リタリー式サバイバル防災。 AkikinnJAPANチャンネル 2024.10.12 28:04

【防災グッズ】私ならこれを準備します。元救助隊員「防災リュック」の中身お見

   せします。東日本大震災で準備できなかった最も重要な教訓。

   AkikinnJAPANチャンネル  2024/08/14  26:19

   災害時の避難生活に対する心構え、用意する物についての、これまでの認識が完全に一新されるかもしれないほど、貴重で重要な示唆に満ちている。大災害時には混雑して避難所に入れないことをまず大前提とすべき。したがってテントと寝袋、防水バッグについてはもう一度、確認しておきたい。自宅を出て避難する場合は、食料と水を最小限にしないと避難、移動のスピードと距離が制限されてしまうおそれもある。

 同様のテーマで紹介してきた他の動画とは一線を画するほど、豊富な実践経験に基づいた斬新な指摘には目からウロコ。過酷な実地での経験を軸にした、元自衛隊員ならではの現実的、実践的かつ厳しい認識、アドバイスは大いに参考となるだろう。少し視聴時間が長いが、防災の心構えと実際についてのより有効でしっかりとした認識を作る上で、まず最初に視聴させたい最もオススメの動画である。

 なお次の動画も併せて視聴させると良いだろう。

【至急】南海トラフ地震、これ持ち歩いて。巨大地震を生き抜くホンモノの防災ポ

   ーチ【健康防災備蓄】 防災士いろはの『健康防災ナビ』  2024/08/12 20:30

   日常的に私たちが持ち歩くべき防災ポーチは、当然のことながら児童生徒や教師にも必携のものではあるまいか。こうした防災用品を常時、学校にもそれなりの数を用意しておくべきだろう。でなければ住民の避難所を学校が引き受けるのは無責任過ぎると思うが、いかがか。

 今すぐにでも防災意識を高めることを兼ねて防災ポーチの携帯を児童生徒、教師全員に義務付け、ランドセル、リュック等に入れておくことを徹底させたい。

・RESCUE HOUSEの動画

 このチャンネルは数々の被災地、救急救命の現場に立ち会ってきた元消防レスキュー隊員による豊富な経験を踏まえた実践的な防災対策、救助活動、効果的な避難行動等を教えてくれる貴重な動画が多い。

 以下、学校での防災訓練や社会科以外でも視聴させたいオススメのものを列挙しておく。

【TOP5】被災地はこの防災グッズが必要‼︎巨大地震発生後に買い占められるモノ

   を消防レスキューが紹介

   【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス  2024/04/21  13:30

【完全保存版】驚きの商品が防災グッズに無印良品の爆売れ〇〇を消防レスキュ

   ーが徹底解説

  【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス 2024/02/16  17:43

【注意】間違った防災を消防レスキューがぶったぎる

   【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス  2024/02/03  12:29

【防災NG行動集】9割の人が〇〇をします。防災はお金をかけずにできるのを消防

 レスキューが徹底解説

 【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス  2024/01/24  13:11

 被災時についやってしまいがちな危険行動とは何か、あらかじめ知っておくことは非常に重要。前の動画「間違った…」とともに必見の動画である。生徒たちに予想させたり、途中で動画を止めて危険な理由を考えさせたりすればより効果的。

【完全版】2024年絶対にすべきに防災対策を消防レスキューが徹底解説!

   【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス  2024/01/19  18:18

 事前にできる対策には何があるか、水や食料の備蓄以外で見落としがちな重要ポイントを知っておきたい。

【BEST4】現場で使う防災グッズを消防レスキューに本気で選ばせてみたinワーク

   マン。 レスキューハウス  2024/02/02  12:35

 正月早々の能登半島での地震で防災への意識が高まっている現在、防災グッズの見直しは極めてタイムリーな話題。ワークマンで販売されている品が中心なので授業での視聴は避けたいが、今回、紹介されている四つの品はどれも用意しておくに越したことはあるまい。飲料水、食料の備蓄や防寒対策等は他の動画などでこれまでも繰り返し紹介され,ある程度までは周知されてきているが、家族や近隣の遭難者を救護するためには消防レスキューの観点での用意が必要不可欠となってくる。大規模自然災害などの際に備えて家庭で実際に備蓄している物を列挙させ、今の自分たちに何が不足しているのかを認識していくためにも各自が今後、用意すべき物をそれぞれ確認する作業をさせておきたい。

【2024年最新版】100均で見つけたら即買いの防災グッズ!消防レスキューがオス

   スメするオススメの百均防災グッズとは⁉︎2024/02/28  16:02

   安く手に入る優れた防災グッズが紹介されていて大いに参考となる。

【2020年最新 防災術】南海トラフ巨大地震・首都直下型地震などの巨大地震から

 命を守る地震対策スキル(防災グッズ)を紹介!消防士たちが選んだコスパ抜群地

 震に対する100均防災対策スキルも同時公開! 2020/05/08 23:10

【防災プロ厳選】消防自衛隊員が備えている防災グッズを公開‼︎

 2021/04/16 10:57

 避難する際に持参すべき物はホイッスルと照明器具の二つであり、水や非常用食料などは後回しにすべき、との指摘は大切。大規模災害で人命が失われる、最も多いケースが「逃げ遅れ」であることは肝に銘じておくべき。

 モバイルバッテリー、使い切りマイ洗浄機「お尻シャワシャワ」(生理用品としても)、エアーマット、簡易トイレなど、あるとかなり助かる。

 ※防災グッズに関しては「【永久保存版】意外と知らない!?ホームセンターで買える防災グッズ -災

  害 あなたができるアクション- 【カインズ】 2021/04/09 日本財団 16:34」が役立つ。

  サランラップやアルミホイルコーヒーフィルター(汚水の濾過用)、避難先での防災時のポンチ

  ョ(トイレや着替えに利用)、レスキュー寝袋、アウトドア用カセットコンロ、ヘッドライト、

  リーザーバック(炊飯や防水パックにも利用)など日用品も含めて常備しておくべきだろう。 

  「【100均】100円ショップで揃う!誰でも防災グッズ -災害 あなたができるアクション- 【ダイ

  ソー】 2021/05/28日本財団 17:37」で指摘されているようにヘッドライト(人数分)、L

  EDソーラーライト(ガーデニング用)など数が必要なモノは安価なモノを手に入れたい。他にも

  「【防災グッズ】ほぼダイソーで揃う♪非常持ち出しリュックを作ろう🍀2021/02/23 なんで

  もない日ちゃんねる 8:29」、「【プチプラ防災】家庭の災害対策 在宅避難 編 2020/09/03

  eo official 7:59」、「100円ショップでそろう!今買うべき防災グッズ 2021/06/02

  福岡・佐賀 KBC NEWS 5:06」、「「枕元ポーチ」で大地震や津波から停電時に走って逃げる

  準備|防災グッズを学ぶ[そなえるTV]2020/05/08 死なない防災!そなえるTV 13:19」

  など役立つチャンネルは多い。特に夜間の停電時の避難を前提とした防災グッズの準備は必須

【実証】消防レスキューが3つの救出方法を徹底解説‼︎ ニュースには載らない現場

 での救助搬出方法が女性でもできるぐらいカンタンすぎた‼︎“阪神淡路大震災/首都

 直下型 2022/01/14 11:50

 被災者救出の大きなカギを握るのはこの搬出方法だと思われる。この方法ならば高校生でも大人を担ぎ上げてなおかつ片手をフリーにしながら素速く移動できる。救急隊だけでなく、全員が知っておくべきスキルの一つ。毎年、ただ急ぎ足で校舎外への避難と整列点呼ばかりを繰り返す訓練は見直すべき。

【緊急対策】火事で生き残る唯一の方法とは!?消防経験者が教科書には絶対に載っ

 てないたった一つの手段を伝えます2021/09/18 14:37

 出来るだけ姿勢を低くして外に避難することがなぜ大切なのか痛感!これも全員視聴させたい。

【危険】子供の救命時に絶対やってはいけない3つの行動‼︎消防レスキューがみた現

 場の裏側がヤバすぎた2021/12/29 14:43

◎【消防24時‼︎】消防士が経験した驚愕の心肺蘇生の事実‼︎〇〇をしないとあなたの

 家族が助からないヒーローがやっていることとは⁉︎2021/04/11 15:39

 5㎝ほど凹ませるので高齢者の場合、骨が折れてしまうことは当たり前にある、と言う指摘は非常に大切だろう。骨が折れることを恐れて心臓に届かないマッサージをしても何の意味も無いという。AEDによる電気ショックが終わったらすぐに心臓マッサージを再開することも覚えておくべき。

【驚愕】喉づめ時にこれだけはするな‼︎正月テレビでみたのは間違い⁉︎消防レスキ

 ューが現場で使った緊急救命対応を徹底解説‼︎ 2022/01/02 9:18

【死因TOP】子供がSOSを出せない危険なモノ過酷すぎる消防現場で必要な防災

   を消防レスキューが徹底解説

  【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス 2024.3.14 22:13

   まず喉詰に特有のチョークサインがあるのか、あったのかを確認。

 喉に詰まりやすい、誤嚥しやすい食物は餅、こんにゃく、イカの刺身、鯛の骨、リンゴ、パン、ミニトマト、ブドウ、ピーナッツ、枝豆等。幼児ではスーパーボール、ボタン電池、入浴剤等を誤飲、誤嚥して喉を詰まらせたりしてしまう。背部叩打法(左右の肩甲骨の間を掌の付け根で下から上へ抜けるように強く叩く)と上腹部圧迫法(ハイムリック法:拳で上腹部を押し上げるように強く圧迫)の二種類は絶対、知っておくべき。

 年に約9000件も発生している窒息事故に対する心構えは全員、必要。

 

RESCUE HOUSEの動画以外で役立つ情報

防災備蓄|これが無いと困るかも|内閣府推奨のおすすめ備蓄食料|値上げ・食料

 危機対策にも|正しく備えて安心 食料備蓄|何をどれだけ揃えるか分かります!

 2022/06/12 はやとの防災・防犯知識ch 6:06

 食料の備蓄に関して要領よくコンパクトにまとめられている。

防災|【新生活防災】 新しい環境での防災チェックポイントを解説|新社会人・

 新入生・引越をして環境が変わったという方 必見です!2022/04/17 はやとの

 防災・防犯知識ch ~不安だから一緒に考えたい~ 5:26

 卒業間際の3年生向けに視聴させたい。

スウェーデンの全世帯に配布される危機対策マニュアルを大公開| 危機の時に大切

 なこと、用意すべきものは?|北欧在住日本人ゆるトーク

 2022/04/09 Nord Labo -北欧研究室-21:06

 先進国のマニュアルは大いに参考となる。

参考記事

卒業祝う赤飯給食2100食廃棄 福島・いわき「3.11になぜ」で 市長「相談ない」 

    産経新聞 2026.3.16

   「3.11」がどんな日なのか、まさかいわき市の中学校5校で過去、一度も教えてこなかったはずはあるまい。この日に卒業記念の特別献立を計画した際、誰一人としてそのことに気付けなかったとしたら、事は極めて重大である。いわき市は海にも面しており、東日本大震災で大きな被害を受けていたはず。この日に黙とうをささげるだけではなく、直前には全校生徒対象に防災講話などの行事が幾度となく組まれてきたはず。それなのになぜ…

 いわき市市教委の対応も多少、奇妙であるが、最も重大な過失は保護者から疑問を寄せられるまで、当該学校関係者が日程の問題に気付けなかったことだろう。過去の防災教育の実施状況が深く疑われても仕方ないほどの失策である。被災地であるにもかかわらず、防災教育に消極的、無関心はあり得ない。

首都直下地震「犠牲者最大2万3000人」は楽観的すぎる地震工学の権威がはじき出

   した「最悪の被害シナリオ」   プレジデントオンライン 三浦 房紀 2025.3.27

   もしかしたら「徒に不安を煽る」との政治的判断からなのだろうか、東京都南部を震源地とする直下型大地震による被害想定があまりにも甘過ぎるとのこと。確かに犠牲者数を「最大23000人」と見積もるのは極めて現実離れしていそうに思える。仮に実際の犠牲者数が想定を大幅に上回った時、またぞろ政府は福島原発の時の様に「想定外」を口にするのだろうか。

   デフレの時代が続き、少子高齢化も加速する時代ではある。悲観的な見通しばかりで憂鬱さが募る一方であった日本社会、失われた30年…ようやく景気浮上の兆しが見えてきた現在、大地震や富士山噴火のような、いつ起きるとも分からない悲観的予測は確かに気分が悪くなる。せっかく立ち直りかけた日本にあたかも冷や水を浴びせかけるようで、誰しもが重い気分に沈むだろう。

 とはいえ、20年にも満たない間に東日本大震災、熊本地震、能登沖地震と立て続けに日本は大地震に見舞われている。これは現実の出来事であり、悲観的予測の話ではない。そんな日本で今、一人でも多くの人を大災害から救おうと考えるならば、どんな情報が必要とされるのか、政府にはしっかりと考えて欲しい。

 おそらく現在の日本国民に喫緊に必要とされているのは、残念ながら「最悪のシナリオ」の方ではあるまいか。オリンピック、万博…などと下手にお祭り気分を煽って現実の厳しさから国民の目を逸らさせている場合ではないのでは…

 こうした状況の中で石破政権の目指す防災庁の設置は一見すると正しい政策なのであろうが、子ども家庭庁が何一つ実績を上げられずに出生率の低下はいよいよ酷くなるばかり…という都合の悪い先例もある。この現状を考えると、防災庁の設置も形だけの取り組みに終わる可能性の方が高い。いずれ大災害による「想定外」の被害が発生した際、政府の言い訳、逃げ口上に利用するための防災庁の設置なのでは…と国民の多くは勘繰りたくもなるだろう。

「防災研修はリアル伝えないと無意味」…体育館で避難所生活し1泊体験、参加女

 性「過酷さは想像以上」 読売新聞 2025.1.20

 借金まみれの自治体が多い中で避難所の管理、運営は地方に丸投げ…「災害大国」でありながら、災害関連死を30年も放置してきた国家に果たして税金を払う義務はあるのだろうか…大いに疑問。政府は増税を言う前に役立たずの国会議員を減らして、重要な政策は国民が直接投票できるような法改正と体制の整備を早急に着手すべきだ。

 どう見ても男性中心のまま、すっかり高齢化した今の政府、国会議員にこれらの対策を実行に移せる力量は無い。ただでさえ複雑に高度化し、変化の目まぐるしい現代社会である。そもそも一人の人間が現代のあらゆる問題に通底していることなど考えられないのだから、代議制そのものを根本から見直す時期に来ているはず。

消防団員が足りない! 存続の危機 変革迫られる消防団

 NHK政治マガジン 2023年7月4日特集記事 

 市民の医療福祉、教育、安全にかかわるほとんどすべての機関、組織で深刻な人手

不足に直面している原因について考えさせたい。特に日本の場合、地域に密着したきめ細やかな介護や防災、防犯、貧困、子育てなどの対策はこれまで市民によるボランティア活動にその多くを依存してきたと思われる。

 しかし都市化や地方での少子高齢化などによってボランティア人材の高齢化と不足が現在、一気に表面化してきた。傍から見ても2024年1月の能登沖大地震の復旧が遅々として進まず、東日本大震災での教訓が十分には生かされていない印象を私たちが受けてしまう背景に少子高齢化への行政による対応の不十分さや遅れが指摘できるのではあるまいか。しかも行政側の人材不足まで深刻化する中で巨大地震の発生確率がいよいよ高まっている。事態は相当切迫してきているようなのだが…

 そんな中で強行された防衛力増強、老害政治家による差別発言と汚い利権まみれだった東京オリンピック、それなのにさらに強行されようとしている大阪万博…これらのお祭り騒ぎが高度成長期の時のように実際、日本の景気を浮上させ、人々の生活を向上させて国家が抱える莫大な債務を減らすことにつながるのならば確かに大勢の反対を押し切ってでも実行する意義はあるに違いない。

 が、はたしてその裏側はどうなのだろう。特定の人々だけが得をするような、醜い利権構造は今回、払しょくされているのだろうか…自民党議員たちの裏金問題を見るにつけ、政治家たちの主張を疑いもせずに真に受けるお人好しは今の日本にどれほどいるのだろう。パーティー券売買の裏側で蓄積されてきた国会議員たちの裏金、政策活動費の使途も見逃せまい。また安芸高田市に見られるように地方議員の腐敗は国政以上に深刻ではないのか。

 中国の低迷もあって日本の株価は今、記録的な値上がりを見せているようだが、これを手放しで喜べる人もやはり相当のお人好しなのだと思うが、いかがだろう。


 

㉚「教師のバトン」の皮肉と学校のブラック化

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

学校が"夏休みの子ども無料預かり施設"に? 文科省の"開放要請"に全国の先生が失

     望、"困ったら学校にお願い"の危うさ

     東洋経済オンライン 松尾 英明 2026.7.8

     …「子どものため」という言葉は強い。誰も反対しにくい。だからこそ、その言葉が使われるときには注意が必要である。

     子どものために、学校を開ける。子どものために、地域で支える。子どものために、教員の負担にならないようにする。どれも正しいように聞こえる。しかし、本当に問うべきはその先である。そのための予算はあるのか、人員はいるのか、責任体制は決まっているのか。

     この問いに答えないまま進めるなら、結局はまた、学校現場と地域の善意に依存することになる…

     財務省から予算を勝ち取る努力をサボり、ひたすら教師たちの善意に「悪乗り」して「教育改革」の名のもとに学校のブラック化を推進してきた文科省の狡猾さと怠慢ぶりにはもうウンザリ。これでさらに若者の学校離れが加速し、教員不足が深刻化するのは確実だろう。

     …最初にやるべきは、すでに子どもの放課後と長期休業を支えている学童保育を強くすることである。学童保育で働く人の処遇を改善する。保護者負担を下げる。待機児童を減らす。昼食支援を整える。支援が必要な家庭へ確実に届く仕組みを作る。

     そのうえで、なお足りない部分を、公民館、図書館、児童館、スポーツ施設、文化施設、そして学校施設も含めて補完する。それが本来の順番ではないか。

     「子どもの居場所づくり」は、学校へのお願いで済ませてよい問題ではない。社会全体が、そのコストと責任を正式に引き受けるべき問題である…

     まさに指摘されている通りである。少子化で統廃合が進み、廃校となる学校の再利用として施設を公民館や児童館に転用していくことも、この問題の改善に多少はつながるであろう。そのためにも教育予算の増額は必須である。

実は現場で読まれていない「学習指導要領」なぜ?

     東洋経済オンライン 寺田 拓真 2026.2.9

 文科省はさも教師や学校の自主的取り組みを奨励してきたかのような書きぶりだが、本当にそうだったのか…わずかでも過去を振り返ればすぐに分かるはずである。学校の業務をひたすら増やし続け、学校のブラック化を招いてしまったのは文科省ではなくむしろ学校側であり、文科省はそのことにまったく無関係?…そんなわけ、あるはずがない。

 学校現場に責任を押し付けるのは完全なお門違い。真っ先に自らが犯した失策を謝罪し、猛省すべきは文科省の方ではないか。冗談もほどほどにしていただきたい。寺田氏はこれまでの教育行政の歩みをしっかりと振り返るべきだろう。教員免許更新制に代表される教育行政側のとってきた愚策の数々が学校現場を無駄に混乱させ、教員を縛り付け、公教育を沈滞させてきたのではなかったのか。明らかに公教育停滞の責任を負うべき張本人は文科省である。「盗人猛々しい」とはまさにこのことだ。

 改訂される学習指導要領の中身がどんなに素晴らしくとも、それで過去の教育行政の犯罪的施策がすべて「無罪放免」となるわけがない。そもそもが「やりがい搾取」の状況を放置しておきながら、無知厚顔にもまたぞろ「やりがい」を持ち出して教師をこき使おうとするがごとき提案など、聞く耳を持つおめでたいお人好しがこの状況下で学校現場に生き残っているとは到底思えないのだが…

校長が「勤務時間改ざん強要」、公益通報のその後

     東洋経済オンライン 高橋 秀和 2026.2.8

 …校長は残業を前提とした教育方針を掲げているにもかかわらず、残業時間を削れと要求…とあるが、同じことを教育委員会や文科省も要求している。「文部科学省は20年1月に、教員の勤務時間が上限を超えないよう、適切な管理を教育委員会および校長に求める通達を出している。残業時間の管理が厳しくなったのも当然」なのであるならば、校長よりも罪が重いのは文科省の方だろう。教員の勤務時間が上限をこえないようにするには、まず手始めに業務を削減する通達を教育委員会や学校に出すことも文科省の責務であるはずだ。それをサボっているクセに、「適切な管理を教育委員会や校長に求める」という、上から目線の無知厚顔さに呆れるしかない。

     「1日2~3時間程度の残業が常態化していましたので、どうしても月45時間は超えます。校長からは、教員同士で話している時間を引いて申告することや、仕事を持ち帰ることを促されていました」とのことだが、これも校長の資質を問う以前に、文科省の無為無策を問うべきであろう。

 とはいうものの、何を言っても、何をしても、どうにもならない切なさ、やるせなさが学校現場には既に充満している。若者の教員離れ、早期退職の動きは当分、止められないだろう。もちろん、本来ならば教師たちが取り組めるはずの学校現場での改善点は有り余るほど山積している。しかしながら現状を変える力は学校現場にもはやひとかけらも残されていない、と私はみている。

 すべては教育行政の欠陥からきている…という私の考えはただの個人的な妄想でも教員たちの責任逃れや単純な他責でもない。教育行政を変える他に改善の手段がとっくの昔に無くなってしまっている、つまり学校現場は既に「詰んでいる」のだ。そしてこうした公教育の末期的症状を行政側がどれほど直視できるかどうかの一点に、公教育再生の可能性が辛うじて残されていると考えるが、いかがか。

 まずは学校現場という末端に責任を丸投げする行政の体質、構造を変えていくべきなのだろう。それが出来ないのであるならば、せめてもの願いとして学校業務の大幅な削減に文科省は即刻、着手して欲しいものである。

教員はもう限界「足し算」で壊れてきた学校の叫び

     東洋経済オンライン 松尾 英明 2026.2.3

 「先生、もう死ぬかも」という悲痛な叫びが学校現場から出てきてから、一体何年たつのだろう。部活動の地域移行は本当にどこまで進んでいるのだろう。高校でも部活動の社会教育への移管は進められているのだろうか。

     小学校教師の授業時数は減っていないどころか、新しい取り組みが次々と上積みされてきている。これが、学校現場の実態である。働く場としてはとっくの昔に通常の人間の能力、体力の限界を超え、我慢の限界を突破しているのに、この10年間、ほとんど何一つ、改善できていない。 

     ここまで教育行政の無為無策、無能ぶりが明らかになっているのに、教師たちは事態の改善を寸分も期待できない。この閉塞感と絶望ばかりが延々と続く中で、教員の志望者が減り続け、中途退職者や休職者が増え続けるのは至極当然の報いであろう。

 なぜ、教師たちの叫びがいつまでたっても教育行政側に届かないのか…学校が置かれているあまりにも無残な現状に、ひたすら歯がゆいばかりである。

「ネット出席」認知度に課題 学校側「前例ない」などと対応 不登校生徒の母「制度

 は絵に描いた餅」 専門家も「明確に家庭に伝わるように」   

 TBS NEWS DIG_Microsoft 2025.11.12

 これもまた学校のブラック化が新しい制度、改革の動きを受け入れる柔軟性や対応力を学校現場から完全に奪いつつある…という極めて深刻な事態を示しているのではあるまいか。私たちは文科省の通達が学校現場になかなか浸透していかない背景に潜む、教師たちの疲弊と言う事態の急速な進行にもっと注目すべきなのではあるまいか。

【年収超えの自腹】学校に貢いだ2500万円……公立学校の先生の財布が「無限の公

 費」になる瞬間 All About 福嶋尚子・栁澤靖明・古殿真大  

 「学校に貢いだ」という側面もあるだろうが、児童生徒に貢いだ側面も大きいだろう。いずれにせよ長い教員生活を通じて「貢いだ」額が巨額に上ることは間違いない。教員の方ならば、自腹を切った事例を挙げ始めるとおそらく枚挙にいとまがないはずだ。

 日本の極めて貧しく、古いままの公教育が、その貧しさにもかかわらず「やりがい」をちらつかせて無謀にも全人的な教育を教師たちに不当にも課してきた…「やりがい搾取」と呼ばれた欺瞞に満ちた歴史が必然的に生み出した現象こそ、教師による際限なき自腹なのである。こうした教師の自己犠牲的行為はかつてはほとんど問題視されることなく、いまだ学校に残存する教師聖職論によってむしろ美談化されてきた側面すらあったのだ。

 教師による自腹の総額は自腹と自己責任による出費との境が非常に曖昧であり、グレーゾーンが極めて大きいため、きちんと算出することが極めて難しいケースが少なくない。したがって2500万円程、というザックリとした数字に強い違和感を持たれる方はもしかするとかなり多いのかもしれない。

 しかし私の実感からすればこの数字、決して大げさで奇異なものではない。残業時間が厳密に把握されている企業の方ならばご理解と共感をいただけると思うが、教師には残業時間に基づくきちんとした手当は本当の意味ではほとんどと言って良いほど支払われていないのだ。仮に残業代等の総額及び教師の自腹分を「逸失利益」と見なして県や国に対し、損害賠償請求すると仮定すれば、損害賠償の総額は一体、どれほどの額になるのか…興味本位ではあるがザックリと概算してみたい。

 試しに平均的な教師一人に対して退職までに支払われてこなかった残業代などの総額(労基法で定められた残業代と休日出勤の手当を基準にした、あくまでも近似値に過ぎないが…)を算出してみれば、それがどれほどの巨額に上るものなのか、この試算で容易に想像がつくようになるだろう。もちろん、給特法による4%分を最終的にそこから差し引いて総額を出していく必要はあるのだが…

 私の某高校における月当たりの平均的な残業時間および休日出勤時間を用いて計算してみたい。さらに算出するために必要な数値として、本来ならばもらえるはずの月当たりの残業代、及び休日出勤代。これらは労基法の定める最低基準値、および現時点での公立高校教師の平均的給与さえ分かればとりあえず概算可能だろう。

 公立高校教諭の平均的給与は2023年度の文科省実態調査によると月給で35万7000円ほどだが、あくまでも概算なのでここでは36万円キッカリとしておく。この額を2025年10月のカレンダーをもとに出勤日数22日として日給を計算する。100円以下を切捨てると、日額約1万6000円となる。これを勤務時間の8時間で割ると教師の平均的時給は約2000円となる。

 労基法によれば休日労働に対する割増賃金は、通常の賃金の3割5分以上、深夜業に至らなければ残業代は一時間当たりの通常の給与額が在校時間の長さに応じて算出される。さすがに深夜業務は修学旅行や学検の採点、部活の合宿を含めても、年に数回程度なので今回の計算からは除外しておこう。

 問題は勤務日の平均的残業時間であるが、勤務校の実態によってかなりの差があるものの、平均するとかなり少なめに見積もっても2時間となるだろう。休日出勤もまたかなり少なめに見積もっても月に平均3日。月単位の総時数で言えば最低でも20時間となるはず。

 まず私の通常の残業時間は月単位でだいたい2時間(一日の平均的残業時間)×22日(2025年10月のカレンダーから特別時間割や学校行事などを度外視して単純にカウント)=44時間(月単位の平均残業時間)ほどであった。したがって当時、残業手当があったとすれば月給に上乗せされるべき額はとりあえず2000円(平均的時給)×44時間=8万8000円となる。

 ただしここから給特法に基づいて4%の一律加算分を引かなければならない。その額は一月で360000×0.04=14400円となり、100円以下を切り捨てれば、加算分はおよそ14000円となる。かなり大雑把だが88000-14000=74000円が毎月、もらえたはずの概算での残業代となる。これを単純に12か月分、すなわち1年分の残業代に換算すると74000×12=888000円。さらに教員の勤務年数を60歳定年退職として38年とすれば、かなり粗雑な計算となってはしまうが、38×888000=33744000円となる。

 これに休日出勤の額も加えてみる。月に平均20時間の休日出勤だとすれば2000(平均的時給)×20(平均的休日勤務時間)×1.35=54000円が一般企業ならば毎月もらえるはずである。これを年間に換算すれば648000円となる。この数字に勤務年数38年を掛ければ24624000円。残業代の総額33744000を足すと58368000円…

 実際には都道府県や年代、学校によって異なるだろうが、部活動を平日で2時間以上、休日で4時間以上指導した場合、その超過分に対して若干の金銭が支給される場合があった。ただしその金額は月にせいぜい1万円程度であったと記憶している。仮に1万円だったとすれば年に12万円、38年分で456万円となる。これも総額から引くと残りは538008000円となる。8000円は切り捨てて53800000円としておこう。

 以上の計算はかなり少なめに見積もってのものである。実際には運動部顧問時代、4月や9月は一か月間、ほぼ一日も休んでいない、修学旅行では一日平均で2~3時間程度しか寝ていない、入試の採点時や逮捕された生徒への対応では時に深夜に及ぶ…休日の試合では会場校の場合、12時間勤務が当たり前…といったような事態は一切、考慮されていない。

 53800000円に教師の自腹分を加えてみよう。この自腹分も教師の個人差は極めて大きいので平均的な総額を出すのはまず不可能であるが、敢えて自分を基準に概算を出してみよう。部活動関係の出費は、最小限に見積もっても年間で数万円は下るまい。これにクラス担任(自分の場合、文化祭での自腹が一番大きい)としての自腹分、教科担任としての自腹分(実物教材、印刷機、コンピュータ、インクなどの購入費。ただし最も高額な書籍代は除いておく)を足すと、極限まで少なく見積もっても年間でおよそ10万円は下らない。もちろん、こんなに少ない額で済むはずはないのだが、ここでは年間の自腹分をとりあえず最小値の10万円という事にしておく。

 自腹分は勤務年数の38年をかけて総額380万円となる。これに53800000円を足すと54180000円となる。退職金や年金が次々と削減されている状況を踏まえれば、公立学校の教師という仕事が経済的な観点からはいかに割に合わない、激烈なレベルの自己犠牲で成り立ってきたか、お分かりいただけたかと思う。

 もちろん、教師たちが失ってきたのは決して金銭だけではない。家族との団らんや休息、教材準備、生徒へのきめ細やかな対応…それらいずれも本来ならば最大限に尊重されるべき貴重な時間と体力、気力がことごとく失われていったのである。

 この過酷な自己犠牲を教師たちにひたすら強いてきた文科省が、現場で悪戦苦闘してきた教師に対してこれまで一切の反省を見せず、謝罪すらせず、どれほど高慢ちきで無能な存在であり続けたのか…ぜひ一人でも多くの方にご理解いただきたい。

 

1.「教師のバトン」ってどんなバトン? 

 かつて文科省が上から目線で使った「教師のバトン」というフレーズは教師の皆様方にどのように響いたのだろう。カッパはむしろ全国の教育現場に絶望的な思いを一層募らせただけだと感じている。多くの教師が激しい憤りを持って受け止めたに違いないとさえ思っている。

 「教師のバトン」という本質的に重い言葉は、悲惨な学校現場の泥水を一切浴びたことのないただの第三者、高学歴エリート役人達が脇からしゃしゃり出てきて云々するものであってはなるまい。当たり前過ぎることだが話の本筋としては学校という現場において日々行われている魅力的な教育活動を通じて当事者である教師自らが次世代の生徒達にバトンを渡していくはずのものである。とりわけ学校の教師が日常的に面白くて有益な授業をすることこそが生徒達に教職への憧れを募らせるのであり、そのことこそがバトンを次世代に渡していく行為そのものだと思うが、いかがだろう。

 

 そうであるにもかかわらず、目標申告シート(自己評価シートetc)の記入、学習指導計画の作成、朝令暮改を繰り返す大学入試改革へのネコの目対応、学習指導要領の改訂、進学用調査書や指導要録の改訂、果ては混乱ばかり招いた不備だらけの校務IT化、意味不明な校内研修のつるべ打ち・・・息つく暇も無く矢継ぎ早に文科省や県教委から下々へ、あたかも罰ゲームのように押し寄せてくる仕事の山、山…

 その多くは教育行政を熱心に「やってます」感を演出すべく仕組まれた、いざというときのためのアリバイ作りに過ぎないような、絶望的なまでに不毛感漂う雑務の塊。そして過熱する一方の部活動と噴出する学校や教師への批判、モンペアへの対応…これらに忙殺される余り、肝心の生き生きとした授業実践に手が回らなくなるどころかついには本務であるはずの授業までもが教師及び生徒達にとっても耐えがたい苦痛になってきている…

 日本の学校教育が直面している本当の危機はそこにあるはずであった。

 

 そうした学校の惨状に一切目をくれず、「定額働かせ放題」とか「やりがい搾取」という罵声が激しく飛び交い始めた学校に対して、現場で悪戦苦闘する教師の立場からすればどう見ても皮肉としか受け取りようのない「教師のバトン」という、美しすぎるほどセンチメンタルな表現を文科省の官僚は用いてしまった…

 この人たちの究極的とも言って良いほどの現場に対する理解の無さ、鈍感さがSNS上での大炎上を招いた主な原因であったはずである。当然の帰結として現在、全国的に教師のなり手が不足してしまい、いよいよ学校教育の危機が深まってきている。

 

 そんなことにすら今の今まで気付くことのできない、学校現場に恐ろしく無知な官僚や政治家が厚かましくも学校教育行政を動かしているのだから、学校現場が萎える一方となるのも致し方あるまい…などと思わず毒づいてしまうほどに学校現場のお上に対する積年の恨みが溜まりに溜まっている。これが現在の学校教師達の実情ではないのか。

 

 もちろん文科省の官僚にも言い分はあるだろう。文科省に限らず、官僚の多くが安月給で過労死ラインを遙かに超える重労働を常時強いられているという。つまりお互いの職場がブラック化しているのだから、実はお互いに被害者でもあり、今こそ鬱憤をぶつけ合っている場合ではないのだ。官僚も教師も、同じ公務員として分断と対立を乗り越え、お互いに連携し、自分たちの労働環境の劣悪さを世間にもっとアピールして労働環境改善に持ち込んでいくのが事の本筋であろう。

※参考動画

【働き方】過酷な教育現場は改善できるのか?

     精神科医・樺沢紫苑の樺チャンネル 2025/10/11 19:33

     これほど日本の学校の現状を厳しく捉えている識者も珍しい。しかしこのような認識を持たないと、もはや教師のメンタルが保てない…ということは事実だと私も思う。ただしスマホの過剰使用が脳の疲労を招く可能性はかなりあるだろうが、使用制限の問題については判断を保留したい。

※参考記事

「主体性の評価」見直し、高校教員83%が賛成教員の負担軽減へ    リシード 2025.8.22

    こんな程度の事で教師の負担軽減につながるわけはない。また生徒の主体的な学びを抑圧する画一的一斉講義形式の授業がいまだに残存している日本の現状がある。加えて職員会議の形骸化やブラック化などによって教師側の主体性がそもそも奪われ、損なわれてきた経緯もある。

    教師は自分たちの主体性が喪失してきているのに、生徒の「主体的な学び」を奨励し、評価しなければならない…この皮肉、矛盾はどう捉えるべきなのだろう。まったくブラックジョークとしか言いようのない、珍妙な事態である。

子どもの自殺防止、教員向け新指針作成へ…学校と医療機関が連携強化

 読売新聞 2025.8.22

 …文部科学省は、学校が医療機関との連携を強めて、児童生徒の自殺を防ぐための教員向け指針を新たに作成する方針を固めた。自殺の危険性がある児童生徒を早期に把握し、適切な対応を促す狙いがある…とのこと。

 一体、文科省はどこまで間抜けなのか、厚顔無恥なのか呆れ果てるばかりである。そもそも精神科の医者ですら、自殺防止は極めて難しい。しかも専門家であるはずの医者の中には東京の滝山病院のように、唖然とするほど質の悪い医師がいたりする。精神医療への疑念が消えない中で、素人に過ぎない教師に医師の技量や資質を見抜けるわけがない。

 そうした状況の下で、一体、どのような連携を学校と医療機関がとれるというのだろう?この程度の事、少し考えれば分かるはずだ。しかも文科省のおかげで加速した学校のブラック化がこうした難問への教師の対応力をひたすら削り続けている。

 あまりにも当たり前のことなのだが、どう見てもこの問題の主体となるべきは校内においてたった一人、学校カウンセラーしか見当たらないはずである。

 文科省は一体、教師に何を期待しているのだろう。仮に文科省の言う通り、教師が医療機関と好ましい連携をとるべきだとするならば、教師全員、最低でも学校カウンセラーの資格を必要とすることになる。無論、そんなことは不可能だ。

 実際のところ、当の学校カウンセラーですら、自殺防止にむけて役立つような医療機関を探し出すことは至難の業であろう。自殺予備軍が抱える問題は多様であり、千差万別である。しかも多くの場合、彼らは重いうつ状態や希死念慮だけではなく、家族の問題や身体的疾患、経済的困難、対人関係の問題、低学力、不眠などの深刻な課題をいくつも同時に抱えている。カウンセラーや精神科医ですら、単独では対応困難なケースだって決して少なくない。であるにもかかわらず、文科省のおかげで疲弊の極にある素人集団の教師如きに、一体全体、この件についてどれほどのことができるというのだ。

 学校が医療機関と連携する、ということは、医療機関との連携に対して学校や教師がそれなりの責任を負わされる、ということに他なるまい。仮に、それでも児童生徒が自殺した場合、教師側によってどのような連携がなされたのか、が問われてしまうからである。これでは教師たちまでもが深いウツと猛烈な希死念慮を抱くようになるに違いない。

 文科省が考えるべきは教師の負担を増やす事ではなく、教師の負担を大胆なレベルまで削減することであり、思い切った学校カウンセラーの増員と待遇改善である。そのための予算が確保できないのならば、文科大臣以下、教師や学校カウンセラーたちに平身低頭して謝罪し、自分たちの無力さ、無能さを深く恥じるべきだろう。

保護者からの過剰な苦情・不当要求「学校以外が担う」文科省が改訂案    リシード 2025.8.20

 この程度の業務見直しで教員の負担軽減になるとは到底思えない。そもそもが学校の事務職員自体、人数不足であり、学校カウンセラーなどの専門家も不足しているところが多いはずだ。実際、事務職員の不足によって高校入試事務や受付の仕事を一部、教師が負担するようになったのは千葉県の場合、二十数年前からだったように記憶している。カウンセラーやケースワーカーに至っては、ほとんどの場合、千葉県では一つの学校に常駐できておらず、複数校を掛け持ちするのが普通だった。しかも様々な面で待遇が悪く、学校、教育委員会に対して大きな不満を抱えている方もおられたようだ。

 既に過剰な負担にあえいでいる方々に教員の負担の一部をただ押し付けるだけ…これが文科省にとってはお手軽でとりたてて経費も要しない(財務省との勝ち目のない予算折衝を回避できる)、いかにも「賢明」な解決策なのだろうが、本来、検討すべきは教育予算の増額を前提とする事務職員の定数増加、カウンセラーらの待遇向上の方ではあるまいか。

 軽減すべき教員の負担は他にもまだまだ沢山あるはずだ。学校行事の大胆な削減、無駄な官製研修の削減等々、肝心な改革にはこれまたノータッチ…にもかかわらず本来、学校の当事者が果たすべき保護者のクレーム対応を学校外に任せる…この発想自体、おかしくないか。むしろ学校内にスクールローヤーを含む複数の専門家を配置する形にして保護者との話がこじれないようにするのと同時に、担任や学年主任が一定程度まで関われる余地を残しておくことの方が学級、学年の経営上、都合が良い場合だって少なくあるまい。

 文科省の官僚たちよ、今後は財務省と互角に戦えるレベルの予算折衝ができるよう、学校現場の生の声を少しでも直接、聞いて回る努力をしていただきたい。生の声が届いていないからこそ、この程度の下らない改訂案しか出てこないのだ。

教育現場のリアルな実態…教員の8割が10時間以上勤務    リシード 2025.7.29

 …出勤してから退勤するまでの教員の勤務時間は平均11.17時間であることが2025年7月29日、小学館が運営する教員向けWebメディア「みんなの教育技術」の調査結果から明らかになった。8割を超える教員が10時間以上、4人に1人が12時間を超えて勤務している状況にあった。

 教員の勤務実態に関するアンケートは、5月20日から6月30日にかけて全国47都道府県の教育関係者を対象に実施。Webメディア「みんなの教育技術」でのアンケート形式で実施され、有効回答数は5,412人だった。…

 この調査は文科省や各教育委員会による同様の調査よりも、はるかに信用できる。私の実感に近い結果が出ているからだ。生徒たちには「公立教諭の時間外勤務、「月45時間」以下は小高7割   朝日新聞社 2024.12.26」のデータと比べて議論させると面白い授業になるだろう。

公立中35人学級、教員1万7000人増必要 400億円の予算見込む   毎日新聞 2025.6.17

 少子化が急速に進む先進国であり、いまだに経済大国の端くれであるはずなのに、何とした事か、デレダラと何十年もの間、40人学級を放置してきた国があった…この日本と言う国は少子化という、学級の定員削減に絶好の追い風が吹き続ける中で、学級定員の見直しすら、まともに取り組もうとはしてこなかった。その国力から見ても35人学級程度の事くらいとっくの昔に実現できていたはずである。マスプロ教育の弊害が叫ばれてから一体どれほどの歳月が経ったと思っているのだろう。

    にもかかわらず、21世紀に入って四半世紀が過ぎ、マスプロ教育という言葉自体がとっくの昔に死語となった今の今となってようやくにして法改正を行い、35人学級を徐々に実現させていくのだという。かねてから口では「個別最適化」を唱えて生徒の多様性に応じた丁寧な教育の実現を謳ってきたクセに、「個別最適化」の足を引っ張る張本人たる40人学級を文科省は長らく放置してきた。

    何という怠慢であろう。何という欺瞞であろう。国家百年の大計たるべき学校教育ですらこのザマである。この国の無策ぶりに呆れ果てるしかあるまい。しかも政府の無策ぶりが祟って学校のブラック化が進行し、近年は若者の教職離れが顕著となって深刻な教員不足が慢性化している。こうした状況下、一体、どうやって公立中学校の教員を17000人も増やそうというのか。文科省はこれまで通り、自らの責任は棚に上げて厚顔無恥にも各教育委員会に、ひたすら困難を極めつつある教員募集という難題を平気で丸投げするつもりなのだろうか。

 このニュース、個人的には絶望しか感じられないのだが…

「子どもを救いたい」 その思いと現実の狭間で 採用数の4割超が退職…“子どもを守り職員も守る”

   児童相談所の挑戦を密着取材【news23】 TBS NEWS DIG_Microsoft  2025.1.25

   この国の老害政治家による若者や子どもたちへの切り捨て政策が、いかに学校の荒廃と児童生徒の不登校や自殺、引きこもり、非行、親による虐待、育児放棄などの諸問題をこれまで量産してきたか、しっかりと直視したい。不足しているのは教師たちや児相職員、民生委員だけではあるまい。何のための子ども家庭庁設置だったのか、もう一度、文科省、厚生労働省の責任を含めて厳しく問い直すべきだろう。

危機的状況な高知の教育界 「学校の存在意義を考え直さねば」相次ぐ教職員不祥事

 で“緊急会議” KUTVニュース 2025.1.24

 はたして高知県教委の対応はいかがなものだろう。かなり疑問のある、トンチンカンな方向性を感じてしまうのだが…教職員の不祥事が発生する背景に何があるのか、把握しようと努力した痕跡がこの教育委員会には見られないのではあるまいか。

 もちろん、不祥事の多発が教師たちの規律の乱れに起因することも有るだろう。特に管理主義的な体質の組織ならば、なおさら服務規律の整備や罰則の強化などで教員の不祥事にゴリゴリの対応をしようとするに違いあるまい。

 昔、校内暴力が吹き荒れた際、教師たちが体罰をも辞さない覚悟で厳しい生徒指導を行い、学校の沈静化に努めたように…かつての経験から、上から目線で生徒管理と教師管理の徹底を図ろうとする、老害管理職は高知県においても少なくあるまい。

 そもそも高知県での教師たちの不祥事は本当に規律の乱れだけに起因するのであろうか。高知県の教員採用試験における倍率は全国的にもかなり低いと言われる。倍率の低下によって生ずる教員の質の低下は不祥事発生の土壌を形成する一因となるだろう。加えて教育環境のブラック化が教員不足によって一層、加速してきている現状も考慮する必要があるだろう。今、教師たちのストレスがどれほど蓄積してきているのか、県教委としてきちんと調べたうえで対応しているのならば良いのだろうが…

 学校のブラック化を招いた責任は、もっぱら教師たちの仕事と責任をひたすら増やし続けてきた文科省と教育委員会にあり、現場の教師たちはそうした愚かな教育行政の被害者側に過ぎない…そうした側面があることを教育委員会はまったく把握できていないようだ。加害者のクセに被害者面して一方的に現場の教師たちを取り締まろうとする教育委員会の、居丈高な姿勢が教育界全体の崩壊を加速させかねない、最悪、最大の危険因子となってしまわないことを祈るばかりである。

 「今の若い教師はたるんどる。実にけしからん!」とばかりに管理職らが老害風を吹かせているだけであるならば、高知県の教員採用試験の倍率は今後、さらに低下し、教員不足は一層、深刻となるだけだろう。そして教師の休職や中途退職が激増する危険性まで招いてしまうかもしれない。

 「学校の存在意義を考え直さねば」ならないのは一体、どちらさんなのか…教育行政のお偉方自身、しっかりと謙虚に考え直した方が良いのではあるまいか。

6時間授業、授業内容増で子どもも教員も疲弊 現役小学校教員が語る「詰め込みす ぎカリキュラム」

   の実態 AERA dot. 西島博之 2025.1.24

   日本のカリキュラムがあまりにも過大であり、結果的に「詰め込み教育」がいつまでも改善されないままになっていることは、とっくの昔から明らかであるのに、今も何一つ反省されることなく平然と英語教育、情報教育や金融教育などが次から次へと教師の仕事として上乗せされてくる。そして教材研究の不足、授業方法の工夫の不足を日常的に自覚しながらも、疲弊しきった教師たちと、その教師たちから矢継ぎ早に、かつ大量に教え込まれる児童生徒たちとは、結局、退屈で未消化なまま、ひたすら前へ前へと勝手に進んでしまう授業自体を苦痛そのものと感じる点で、実は一心同体なのかもしれない。

 「スクラップ・アンド・ビルド」の原則は守られることもなく、仕事量が教師たちの力の限界をとうに超えているにも関わらず、非情にも様々な課題が際限もなく学校に丸投げされてくる。教師たちの疲弊には目をつぶり、現場の悲痛な叫びに耳を貸すこともなく、淡々と学校現場の仕事を増やし続けてきた教育行政側の責任は万死に値するほど重い。

 新たな仕事を次々と快く引き受けることが官僚たちの大きな手柄とされ、文科省や教育委員会での出世を約束する構造があるのだろう。しかし、結果的に児童生徒らの不登校は増える一方であり、教員の休職者や中途退職者も増える一方。当然の事、教員志願者は減り続け、教員不足が学校をギリギリの瀬戸際まで追い詰めている。そしてこれらの問題解決もまた、学校現場にほぼ丸投げされてくる。

 何が間違っていて、誰が悪いのか、明確なのに誰も罰せられず、だから何も変えようとしない…今の自堕落な教育行政に自浄能力を期待するのはあまりにも愚かであろう。

公立教諭の時間外勤務、「月45時間」以下は小高7割   朝日新聞社 2024.12.26

   こういう文科省がマスコミに垂れ流したまがいものの情報を、しっかりと学校現場の実態と照らし合わせることなく鵜呑みにし、短絡的にオウム返しするマスゴミの姿勢には怒りしか覚えない。ここで数値としてもっともらしく示されている「残業時間」はあくまで学校における残業時間であり、それが教師たちの残業の実態とはまったく乖離した数字であることは私も再三、指摘してきた。

 既に10年ほど前から高校でも定時を過ぎる頃に、教頭から半強制的にしつこく帰宅を指示されるようになっていた。まだ業務を終えていない教師たちの多くは、どうしても校内でしか処理できない業務を除き、渋々、多くの仕事を抱えて帰宅している。そして自宅で採点や提出物のチェック、授業準備などの「お持ち帰り残業」を続けている。つまり文科省のいう「働き方改革」という美名はその実、学校の光熱費の節約と管理職の手柄稼ぎとしての名目的な残業時間の削減に過ぎない。実際の教師の職務はかえって家族へ転嫁され、教師たちの家計を削ることになっただけである。これはむしろ「働き方改悪」と呼ぶべき文科省側の悪辣な策略であり、ただの誤魔化し、イカサマに過ぎない。

 こんなことだからマスコミは「マスゴミ」と呼ばれ、この10年ほどの間に教員不足がかえって深刻になっているのだ。文科省もマスコミも、もういい加減にしてほしい。

まだ8割の学校で“FAX使用” 校務デジタル化の進捗は? 教員の働き方改革にも関連 文科省調査 

   TBS NEWS DIG_Microsoft 2024.12.26

   もはやどこのご家庭でも骨董品となっているはずのFAXを、いまだに学校の8割が使用していることの持つ意味を軽く見過ごすことは許されまい。すなわち日本の学校自体が骨董品と化している、と言っても良いほどに、日本の学校はあらゆる面で先進国の教育から遅れをとっているのだ。

 もちろんハード面では児童生徒一人に一台、タブレットが支給された学校もあるだろうが、タブレットを学校でどう利用していくのか、授業ではどのような利用の仕方があるのか、きちんと理解できている教師がどの程度、いるのかは疑わしい。そもそもタブレット導入の先頭に立つべき管理職自身、タブレットの利用自体が心もとない人は決して少なくあるまい。

 学校でのFAXの残存はDX化の流れに日本が取り残されているのみならず、個別最適化と自律協働型の学習導入にも完全に乗り遅れ、惨めにもガラパゴス化した日本の学校の現在を象徴していると思うのだが、いかがか。もちろん、これを打開するのはそんなに難しい事ではあるまい。DX化の推進役であるべき管理職や教育委員会のメンバーを大胆に若返らせれば良いだけである。

 多少の例外もあるだろうが、多くの場合、DX化への抵抗勢力、すなわち老害教師が実は管理職や教育委員会に数多く潜んでいることは疑いようもあるまい。もちろんメンバーの若返りは年功序列の人事に囚われている限り不可能なので、まずは文科省が率先垂範、年功序列人事を辞めてみたらいかがだろう。いや、その前に都道府県教育長を文科省官僚などから選ぶことをまず、禁止してみてはいかがか。

教職大学院、定員充足率85.6%…18校が100%以上   リシード 2024.12.27

   高校での授業内容や技術は科学技術の急速な発達、目まぐるしい世界情勢の変化などによって年々、アップデートされる必要性が増してきている。特に難易度の高い生成AIの修得が教師にとって必須になりつつある現在、その修得の機会を教師たちから奪うような、ブラック化した学校のままではかなりマズイだろう。

   仮に校務の削減がなかなかはかどらない場合には、当面、教師が己の知識、技術をしっかりとグレードアップするために、煩雑な校務を一旦離れて教職大学院に進学することがより一層奨励されるべきだろう。でなければ肝心の教師たちがIT化、DX化の流れから取り残されてしまう。ところが、そうした危機的状況であるにもかかわらず、教職大学院の定員割れが常態化している。これこそがまさに日本の未来を危うくする重大事態だと考えるが、いかがか。

 教職大学院の定員割れはなぜ生じているのか、文科省は一刻も早く、その原因を探り、具体的な打開策を提示すべきである。

給特法は枠組み維持、抜本的改正は議論なし 教職調整額は10%

   毎日新聞 によるストーリー 2024.12.25

   やはり予想通りの、最悪の結果になってしまった。全国の教師たちの多くが求めているのは際限のない仕事量と重責の積み重ねによる疲弊の軽減、解消であったはず。年1%の給与の増額など、「焼け石に水」どころか、まったくの見当はずれ。むしろ絶望感だけが深まる結果となった。これで次年度もまた全国的に教員不足が深刻化し、休職や退職に追い込まれる教師が増え続けるに違いあるまい。

 物価上昇率はその上を行くことが予想されているというのに、そもそも、年1%の給与引き上げに私たちは一体どんな魅力を感じたらいいのだろう。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい…いや、つまりそういう事なのだ。

   日本の教師たちは150年を超える近代的学校教育の歴史の中で、ひたすら馬鹿にされ続ける存在に過ぎない…先進国内における教育予算の圧倒的な低さがそれを物語ってきたはずである。教師に向けられる世間の視線の冷たさもまた、その社会的地位の低さを物語ってきたはずである。

   文科省が示す働き方改革の方向性が残業時間の削減という、ほとんど意味の無い、それでいて数値でゴマカスたぐいの詐欺的政策に集約されようとしている。そのことこそ、文科省が本当に意味のある改革を決して志向していないことをいよいよあからさまにしている。それでも教師たちは年1%の給与引き上げに狂喜乱舞する、と思われているのだから、もはや絶望するしかあるまい。

   表向き、残業時間の削減は既に相当程度進んでいるはずだ。10年近く前から、学校に遅くまで居残る教師は年々、減少しているという印象は強い。ただしその裏側では自宅への「お持ち帰り残業」が増え続けてきたはず。業務が削減されていないのだから、それは当たり前である。つまり文科省は学校での残業を減らすことで電気代や水道代などを教師たちに節約させる一方で、本来、国家や自治体が負担すべきそれら業務上の必要経費の多くを教師たちの家計に転嫁させる、というとんでもない欺瞞を力強く推進してきたに過ぎない。

   実に教師たちを馬鹿にしきった「働き方改革」である。だから、今後も淡々と日本の教師たちは絶望し続けるのだ。

精神疾患で休職の教員、過去最多に 生徒指導や人間関係が負担   毎日新聞 2024.12.20

   若い教師、とりわけ女性教師の休職件数の多さは、相も変わらずの年功序列によって男性の老害教師が幅を利かす日本の学校現場の特色が背景にありそうだ。すなわち管理職の無責任な人事による若者への仕事の集中と学校での男女平等度の低さが休職という最悪の事態を招いていることを示しているに違いない。またその結果、児童生徒に大きな悪影響が及んでいることも推察できるだろう。加えて教師不足が叫ばれている中での休職の多さは、いよいよ日本の学校教育全体が軋みだし、破綻しつつあることを物語っていると思われるが、いかがか。

   こうした事態を招いた背景には、既にポンコツと化した男中心の老害政治家が国政のみならず、地方政治にも幅を利かしている、情けない現状がありそうだ。そうした閉塞的な政治のあり方が、少子高齢化の急速な進展とともに日本社会の隅々にまでしっかりと浸透してしまったのだろう。すなわち、この問題は遅かれ早かれ学校社会を大きくはみ出していき、広く日本社会全体を機能不全に陥れていくのではあるまいか。

三重の公立校教員採用、受験者数が最少に 試験の前倒しも効果なし?    朝日新聞社 2024.12.5

   一体、いつまでこうした的外れの、泥縄式対策が続くのだろう。教育行政への不信感は募るばかりである。高知では近年、教員採用試験の合格者の7割ti近くが教職に就くことを辞退している。実際、どの都道府県でも文科省が推薦する受験日の前倒しが何らの効果も見られない理由は誰の目にも明らかなのに、なぜ文科省や教育委員会はこうした不毛な駄策、的外れの弥縫策を繰り返すのだろう。

 こうした惨めな状況を創り出し続ける教育行政側に最も欠けているのは、自分たちの過ちを認めようとしない、恥知らずなまでの頑迷さにあるのではあるまいか。企業側の採用試験が教員採用試験よりも早い日程だから、結果的に教員採用試験の受験者や教職に就く者の減少を招いている、との認識は見当外れも甚だしいのだ。

 おそらくこうした自責の念を欠いた他責的認識が文科省には広くはびこっているのだろう。間違いなく若者の教職離れの主因は学校のブラック化にある。ブラック化への対応が不十分なまま、教師たちに過重な負担を課し続けてきた教育行政側の責任は極めて重大であろう。

 ただし一番の責任を負うべきは教育改革をとなえて学校に大きな負担を課しながら、ひたすら教育予算を削り続けてきた歴代内閣である。立場からすればむしろ文科省の官僚はその被害者に過ぎないと言えるかもしれない。もちろん、おぞましいほど時代遅れで的外れな教育行政によって最も大きな被害を被っているのは児童生徒たちであり、それは教員の中途退職と教員不足の増大に比例するよう、徐々に増加してきたイジメ件数、不登校者数を見れば明らかである。

 改革を阻む老害政治家たちが実権を握る日本政治の弊害、毒素はまず年功序列の世界の住人、とりわけ官僚たちに垂れ流されるに違いない。やがて官僚たちは地方に天下り、老害政治の毒素を地方にも浸透させる。いや、地方議会もまた老害地方議員たちによって既に国政以上に酷く汚染されているかもしれぬ。その毒素は末端の公務員、とりわけ教員に浸透し、無残にも児童生徒をくまなく汚染するはずだ。まさに老害のトリクルダウンが隅々まで行き渡っているのが日本の現状ではあるまいか。

なぜ若い教師の代わりを私たちが…割を食う「氷河期世代の40代教師」の嘆き【学校現場の働き方改

   革の実情】 THE GOLD ONLINE によるストーリー 2024.7.9

   割を食っているのは40代だけではあるまい。大胆な負担の軽減と公平な職務の分担が実現出来ていない責任を教育委員会や管理職が一切負わないままで済んでしまうような人事考課システムこそ、大きな問題なのではあるまいか。思い切った職務の削減と公平な校内人事を上手にできない管理職の存在こそが学校のチームワークを崩壊させる側面を決して過小評価してはなるまい。

   当然、文科省の当てにならない調査結果も決して鵜呑みにしてはなるまい。「働き方改革」の推進が管理職のお手柄となるような、「見せかけ」の定時退勤が横行している学校現場の実態は文科省の調査結果にはまったく反映されていない。信頼に足るデータを持たないままブルシットジョブをひたすら垂れ流してくる教育行政のあり方を根本から変えていかない限り、教員不足は加速するだけであろう。

教師の過酷残業と消える ”当たり前” テレ朝news によるストーリー 2024.3.28

 日本の教師不足の現状は私からすれば予想以上に軽度と言えるだろう。個人的には日本の学校教が直面している絶望的な現状においてすら、まだ教師を志望する若者が今それなりに存在していること自体、実に不思議なことだと感じているのだ。

   内田氏が指摘しているように「半世紀遅れの教育現場」がほとんど改善されることなく、「もはや学校教育は崩壊している」と捉えるべき現状があるのに一体なぜ、一部の若者は「沈む船」に乗り込もうとするのか…どうして日本では少なからずの若者が敢えて教師を志望しているのか、その動機と原因が何としても気にかかってしかたない。つまり若者たちは「教育」というバラ色の幻想に目をくらまされ、大学の古臭い観念にとりつかれたままの教師たちによっていまだに洗脳されているのでは あるまいか。

   仮に私が大学の教職課程を教える立場ならば、現状では学生に教職を積極的には勧めないだろう。 むしろ学校現場で教師が直面する数々の問題点を講義の中で赤裸々に取り上げていき、決して教職に関してはバラ色の未来を語るまい。そしてそれでもなお問題点を克服する意欲、体力、能力のある若者に限り、教職に就くことを渋々黙認する、という立場を選ぶだろう。

 つまり私が大いに懸念しているのは大学での教員養成の中身が日本の学校の悲惨な現状をきちんと捉えたものにはなっていない、という恐るべき可能性なのである。一部の大学では相変わらず大昔の「教師聖職者論」に依拠した、教職の無限の可能性…などといった古の幻想を学生たちに無責任にもばらまき続けているのではあるまいか。その一方で学校の急速なブラック化による児童生徒及び教師の心身の不調や幸福度の低下問題をひどく矮小化してしまっているのではあるまいか。つまり今、教職を魅力あふれる聖職として大学が宣伝することは極めて罪深い、詐欺的所業ではないのか。

   若者をだまして先々精神疾患などに追い込むことは犯罪的行為に等しいと言っても過言ではない、と私は思うのだが、いかがだろう。

 「無理ゲー」の霞が関 退職官僚がつづった思いとは   毎日新聞 によるストーリー  2024.1.9

  諸悪の根源は政治家の見識の低さであり、そうした政治家を選び続ける選挙民の意識の低さである。そして選挙民の意識の低さを巧妙に醸成してきたのはもっぱら日本の因循姑息にまみれた学校教育であろう。時間はかかるが、学校教育のあり方を根本から見直さないと日本の政治はいよいよ低次元の俗悪なポピュリズムに流されてしまうに違いない。

 ○日教組加入率2割切る=過去最低更新―文科省 時事通信 2024.3.1

 学校のブラック化を止められなかった原因の一つが教職員組合の衰退。組合はなぜ衰退したのか、組

合のあり方を含めて問い直さなければなるまい。

 

 …と思いつつも、「どうせお上はきれい事を並べては自分たちの手柄稼ぎのためにこれからも次から次へと現場の仕事を増やすつもりであろう。これまで通りに学校で生じた問題の責任も教師の資質の問題としてひたすら下々へ押しつけるだけであるに違いない」などとついつい愚痴ばかり並べてしまう。 

 この官僚達に対する根深い不信感とひがみ根性はもちろん健康的でも建設的でもない。それにわざわざお上から言われるまでもなく「教師のバトン」自体はしっかりと次世代へつないでいかなければならぬ教師自身の大切な使命であることに誰だって異論は無い。

 バトンをつないでいくためにはまずもって教師のゆとりを回復することが最優先されるべきであるのは現状からして当然である。そのための制度的見直しは大いに必要だ。しかし制度面の見直しに関しては現場の教師が出来ることは極めて限られている。せいぜいSNS上で学校の実情を訴えるべく、「先生、死ぬかも」といった苦痛に満ちたうめき声を上げるくらいしか出来ることはないのである。ただし折角勇気を絞り出して教師が「死ぬかも」とまでつぶやいたにも関わらず、文科省は一切聞く耳を持たないまま、例の「教師のバトン」の炎上騒ぎを引き起こしているのだから教師側としてはもう、どうしても憤懣やる方ないのだ。

2.学校のブラック化

 ※カッパの伝言板でも詳しく紹介されている。

・教師も生徒も息苦しい学校という空間

元気な小学生が中学生になると面白みのない生徒になる…「みんなも我慢している

 んだから我慢しろ」無能教師がはびこる日本の同調圧力教育

 集英社オンライン 2023.08.07

なぜ多くの日本人は昔から、同調圧力が「好き」なのか…自由を「わがまま」や

 「自分勝手」ととらえ、厳しい校則で圧をかける教師もいる

 集英社オンライン 2023.8.8

日本はなぜ幸福度が低いのか? キーワードは「寛容さ」

  世界経済フォーラム  ForbesJAPAN 2022/10/20 09:30

 人生における選択の自由度の低さ他者への寛容性の低さが日本人の主観的幸福度を先進国最低のレベルとしている原因・・・だとすればその原因に大きく関わってしてしまっているのが多様な価値観を認めようとしない日本の画一的学校教育であろう。

参考動画

【教育】日本の教育現場、問題点山積み…

 2020/02/24 たかまつななチャンネル 4:39

 日本の学校での授業の問題点が短時間で整理されている。導入時に「授業への不満、要求アンケート」をとり、その分析を行う際に利用できるだろう。

【給特法】「むしろ残業を増やすかも」定額働かせ放題?教師の仕事はどこまで?

 田村淳と議論

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】  2022/08/03  15:02

【多忙な先生】「休むのが逆に違和感あるくらい」朝から晩まで多忙な教員の1

 日...一方で府を訴えた教員は完全勝訴「自主性の一言で片付けていいものなのか」

 2022/06/28 MBS NEWS 10:46

 教師の「やり甲斐搾取」、「定額働かせ放題」の側面についてアンケートをとっておくと良いだろう。特にどのような教師が生徒にとって理想なのか、どのような授業が良いのか、さまざまなアングルから質問してみたい。

【給特法】月4%上乗せで"定額働かせ放題"に法律が残業増加の温床に?教育現

 場の働き方を考える ABEMAニュース【公式】2022/08/02  18:52

【ブラック教師】「残業はしてないコトに‥」教師の"定額働かされ放題"の実態と

 は|#アベプラ 2020/03/18 38:35

【#先生死ぬかも】現役教師「過労死でも好きで働いただけとされる」ブラックな

 教育現場の背景にある給特法とは?コロナ禍で業務量が膨大に|

 #アベプラ 2020/08/19 15:52

【#教師のバトン】現役教師「閉鎖的な組織」先生たちがブラック労働をTwitterに

 暴露?前川喜平元文科事務次官と考える教師の働き方改革【EXIT】|

 #アベプラ 2021/04/10 

【#教師バトン】悲痛の叫び…なぜブラック労働?橋下徹「チームで分業でやらな

 きゃいけない」『NewsBAR橋下 #116 』2021/04/18 6:02

【ブラック労働】教員不足を加速させる部活の負担 外部の指導員を雇う学校も‥ひ

 ろゆき「教育に専念すべき」教師&先生の仕事って何だ?【働き方】|#アベプラ

 《アベマで放送中 2020/12/06

【内田良が語る】『ブラック部活動』 2018/10/28

【教育対談】苫野一徳 × 内田良『みらいの教育』を語る 2018/10/17

教員の”ブラック勤務”問題【報道特集】 

 2022/02/20 TBS NEWS 22:23

「先生は、読み・書き・そろばんのみを教えれば良い」たかまつななが宇野常寛に

 聞いてみた #うのなな 2019/10/11 8:53

「学校は、世間・コミュニティを担うべきではない」たかまつななが宇野常寛に聞

 いてみた #うのなな 2019/10/14 13:06

【毎年5000人が〇〇】日本の教員が「世界一ブラック」な理由

 原貫太国際協力師 2021/12/03 16:43

【教師不足】文科省が全国調査 教頭が担任代替のケースも…

 2022/01/31 日テレNEWS 1:13

参考記事

日本の小・中学校教員 仕事時間世界最長 学習へのAI活用は国際平均の半分程度

      OECD・国際教員指導環境調査 FNNプライムオンライン 2025.10.7

 「教員の働き改革は進んでいる」との勘違いが世間でなぜいつまでも払しょくされないのか、その理由の多くが文科省や教育委員会が公表する怪しいデータによるものであることは間違いない。表向きの勤務時間が減少しようとも、それは持ち帰り残業の増加を意味しているに過ぎず、正教員の不足が深刻化するなかで教員の実質的負担はかえって増大している…そうした現場の実態が、このようなOECDのような外国のデータでしか、明らかにされてこなかった点こそ、日本の公教育の最大の病巣であり、恥部であろう。

 そもそも学校のブラックボックス化を改善できない限り、学校のブラック化は止まりようがないのだ。

現役教員3人に2人が「休憩ない」 勤務実態調査     労基旬報 2025.10.2

     小学校現役教員5千人超から回答を得た調査であり、学校のブラック化を裏付けるに十分な量のデータと考えられる。ただし、休日の出勤が月に南海平均あるのか、のデータについては、小学校の場合、部活動指導が多い中学校や高校の厳しい実態とは大きく異なる点があることは留意しておくべきだろう。

     政府がこれまで力を入れてきたとされる教師の働き方改革の進み具合を、たかだか表面的な学校での勤務時間の減少だけで自画自賛しようとする文科省の欺瞞、卑劣さも、この調査である程度は明らかにされたと考えるが、いかがか。学校での勤務時間の減少の裏で持ち帰り仕事の増加があることはもはや明白だろう。

公立高部活動 例外措置に3条件 茨城県教委 新方針巡り個別審査

 茨城新聞社 によるストーリー 2023.6.2

教員不足、ハローワークに求人も…授業できない事態に現場悲鳴「毎日電話で頭下

 げてる」- 読売新聞 - 2022年2月1日

尾木ママが教員不足に嘆き 採用試験の倍率は過去最低「全員合格」「質を保障でき

 ない」東スポWeb 2022/02/01 16:52

「中学の部活動を変えれば日本の学校とスポーツの風景が変わる」改革の現場を取

 材 FNNプライムオンライン - FNNプライムオンライン 2022.2.28

意外と知らない教師の夏休み事情…「生徒が登校しないからヒマ」は大間違い! 日

 刊ゲンダイDIGITAL 2022/08/04 06:30

「部活の地域移行」成功の鍵はやはりカネか 不安尽きぬ受け皿側

 毎日新聞 2022/08/05 06:00

あなたの先生は大丈夫?教師の過重労働 その果てに何が 

 クローズアップ現代全記録 2022年4月27日(水)

求む!教員免許の保持者 不足深刻、埼玉県教委がセミナー開催へ

 毎日新聞 2022/11/15 14:56

 労働環境の見直しが不十分なままでは事態の改善は見込めないだろう。

「教師にも営業時間がある」 現役教員の保護者への投稿が話題、本人が明かす発信

 の意図 ENCOUNT の意見 2022.11.20 19:28

東京都、都立学校153校で「部活動指導員」募集

 リシード 2022.12.26

 教員免許状の保有を条件としている限り、部活指導員不足は解消できまい。

あなたのまわりにも?一見優秀だが実は主体性がない「いい子症候群」の若者たち

  現代ビジネス 飯田 一史 2022/06/03 05:00

今の若者たちはなぜ「絶対に失敗したくない」のか 自己責任論が生んだ「ゼロリスク

 世代」の未来像 東洋経済オンライン稲田 豊史,金間 大介 2022/10/28 08:30

 

参考文献

○「学校ってなんだ!~日本の教育はなぜ息苦しいのか~」工藤勇一・鴻上尚史 講

 談社現代新書 2021


 

§8.カッパの授業プリント例

4.ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ

 

参考動画

 SANKOのCM:静岡を中心にするローカル企業(三幸コーポレーション株式会社)だが、秀逸なcmを展開。ブラックな企業、職場を揶揄して転職を勧める総合人材サービスの企業で「イチニサンコー」(=1235の電話番号)をキャッチフレーズとする。どうい職場が「ブラック」なのが、具体的事例を面白おかしく挙げており、ぜひ授業で視聴させたい。傑作ぞろいだがいくつか絞り込んで紹介したい。

 SANKOの逆の立場からcmを展開したのがスタッフサービス (1997~ 人材派遣会社)CMオー人事オー人事」(=0120 022 022)のキャッチフレーズで知られた。

 スタッフサービス及びSANKOのCMとを対比させてそれぞれにアンケートをとり、どういう職場が望ましいのか、ブラックな職場にどう対応したらよいのか、企業側と社員側双方の視点に立って自分なりの現実的な「落としどころ」をじっくりと考えさせたい。

 

 今回、ご紹介するプリントは10年ほど前に作成したものなのでデータ的に古くなっている点は否めません。直近のデータに置き換えるべき点、新たに付け加えるべき点など、多々、あると思われるのでこのままでは授業に使うことはできませんので悪しからず。あくまで資料作成の骨組みの一例としてご参照ください。

 

ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ

  )組(  )番(         

 日本の企業社会では既にふれたように日本的雇用慣行が一部崩れてきて、代わりにアメリカ型の過酷な成果主義が導入されてきた。しかしもう一つ、見逃せない重大な変化が今、日本の若者たちに襲いかかってきている。それは一言でいえば「貧困化」である。今、急速に進みつつある若者たちの貧困化は今野氏の指摘によれば大きく二つの側面から見ていくことができるようである(今野晴貴「ブラック企業」文春新書2013と「生活保護」ちくま新書2013)。

 まずかつて「氷河時代」とよばれた若者の就職状況の慢性的な悪化である。産業の空洞化が進展することによって多くの製造業の生産拠点は今後も海外に移転していく。京葉工業地域でも特に鉄鋼関連や石油化学コンビナート関連の業界から地元の高校に送られてくる求人票が激減してきた。これにより高卒男子の就職先が極めて狭い分野に偏ることになってしまった。また高卒女子の大量受け入れ先であった百貨店、スーパーの類はかなり以前から正規雇用の求人が激減し、金融関連に至っては高卒の求人は現在皆無といってよい。高卒女子の就職はとりわけ難しい状況となっている。たしかに「アベノミクス」の成果からであろうが、最近、少しだけ高卒者の就職状況は改善してきているのも事実であるが、だからといって長期的にみれば楽観はできない。しかも大学を卒業したからと言って正規雇用に即、なれる保証はない。非正規雇用の不安定な環境でしばらく(あるいはずっと)耐え続けなければならないのが、日本のごく普通の若者の現状である(若者のほぼ三分の二は非正規雇用)。

 せっかく企業に正規採用されても就職先が「ブラック企業」であれば、かえって悲劇となる。そして一流企業、グローバル企業といえども「ブラック企業」になりうること、いや日本企業の多くが「ブラック化」しつつあるという。であればこの問題は一部のブラック企業に就職してしまった一握りの不幸な若者の話…では済まされなくなる。今やうつ病などに追い込まれて依願退職に追い込まれる若者が増えつつある。若者にとって過労死や自殺という最悪の事態も招きかねない、過酷な労働現場が日本で広がりつつあるらしい。そして厄介なことに進路指導、キャリアガイダンスなどでフリーターを一方的に批判し、下手に正規雇用への道を若者に奨励すると、かえってブラック企業を利する恐れもあるという。

 若者を最後に待ち受けるのは底の抜けたような、日本の悲惨な生活保護政策である。ブラック企業に就職したために心を病み、結局失業してしまった若者、あるいは終わりの無い就活で心身疲弊し、引きこもりがちになってしまった若者。彼らの一部は最後の頼りとなるはずの生活保護を申請するため、各地の福祉事務所を訪れる。ところがむしろそこから本当の地獄が始まったりする。日本の生活保護政策にはそら恐ろしい実態があるらしい(特にシングルマザーに対する差別的な仕打ち!)。

以下、具体例を挙げながら、特に日本の若者をめぐる就職状況および貧困者の最終的なセイフティネットといわれる生活保護政策のそれぞれの問題点に焦点を当てて考察してみたい。

1.基本的な権利の再確認:もう一度おさらいから…

・勤労に関わる権利

日本国憲法第27条「勤労の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止」

 ①すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う

 ②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定

める(→労働基準法等)         (児童の酷使を禁じた③は省略)

労働基準法

1条「労働条件の原則」

 ①労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもので

  なければならない。

 ②…当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもと

  より、その向上を図るように努めなければならない。

同 第2条「労働条件の決定」

 ①労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。

 ②労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々そ

  の義務を履行しなければならない。

同 第5条「強制労働の禁止」

  使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段に

  よって、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

同 第32条「労働時間」

 ①使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について40時間を超えて、労働させ

  てはならない。

 ②使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8

  間を超えて労働させてはならない。

同 第35条「休日」

 ①使用者は、労働者に対して、毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない。

同 第28条「勤労者の団結権」

 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障す

 る。

同 第18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、

 その意に反する苦役に服させられない。

・生活保障に関わる権利

同 第25条「生存権、国の社会的使命」

 ①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 ②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び

  増進に努めなければならない。

同 第13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権

 利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重

 を必要とする。

 

 以上、憲法を中心に権利の確認をしたが、日本の現実は憲法の規定通りではなく、憲法違反を含めた違法な実態が社会のあちらこちらに広がりつつある。いうまでもなくこれらの権利が憲法などに規定されているからといって、現実に保障されているとは限らない。

 実際、憲法12条にはこうした権利が「…国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない…」とされており、規定があるからと言って油断はできないのである。憲法の規定はあくまで「努力目標」のようなものであり、規定されている権利の維持拡大のためには国民の努力が必要不可欠となっている点は要注意だろう。

 

2.ブラック企業と日本の雇用問題

 日本の若者が学力の国際比較で下位に低迷していた10年ほど前までは、若者の就職状況の悪化に対しての論評が、長期化する不況という観点を共通としながらもどちらかというと、ニート、引きこもりに陥った一部の若者のコミュニケーション能力の不足、基礎学力や勤労意欲の欠如などといったもっぱら若者の資質の問題にかたよる傾向があった。

 しかし「ブラック企業」という言葉が広がり始めた数年前から個々の若者の資質の枠を超えた、日本の企業社会、法制度全体の根本的欠陥に注目する論調が盛り上がり始めた。この動きは小泉内閣時の規制緩和によって非正規雇用が急増してきた(特に女の若年層で急増。しかも家計補助型から家計自立型に移行してきた分、事はより深刻になってきている)ことで、「派遣切り」に象徴されるような非正規雇用者の立場の弱さにまずは目が移っていったことと関連がありそうである。

 さらに非正規雇用の増大が正規雇用者の立場をも弱体化(トライアル採用や新卒インターンシップの増加等)させ、結果的に「若者全体の雇用問題」としての「ブラック企業」の問題を表面化させていったと思われる。特にリーマンショック以降、若年正社員の待遇悪化が日本全体で加速し、「ブラック企業」はあたかも流行語のようになっていった。

 IT業界の成長株、I社を事例にブラック企業の実態を見てみよう。I社は1000人近い従業員を擁する都内の企業。2009年、その新入社員が続々と上司から退職強要を受けたという。「面談」「カウンセリング」と称して毎日、数時間(7時間以上にわたることも)、パワハラを受けていたとのこと。あわせて7人がPOSSE(今野氏が設立したNPO法人)を訪れ、同様の相談をしている。同社の2008年度の新入社員はおよそ200人余りで、2年以内の内にその半数は離職しているらしい。

 なかにはグレーのスウェットで通勤を命じられ、社長の出迎え、カバン持ち、ペットの散歩、清掃などを時間外でもこなさなければならず、残業時間は平均5時間以上にのぼる者もいたという。面談やカウンセリングと称する場面では徹底的に「自己否定」を繰り返させられ、努力はすべて否定されて絶え間なく罵られるという。まさに人格破壊的拷問であった。

※ブラック企業の労働形態の特色として「マックジョブ」と同様、仕事の細分化とマニュアル化が指摘

 されている。これらによって社員を交換可能な存在におとしめているのだ。ブラック企業の多いIT

 企業では「定年は35歳」とつぶやかれるほどに過酷な単純作業の繰り返しが求められる。「社員が若

 い」という企業にはブラックが多い。

  新卒の単価は安いため、とりあえず大量採用しておいてから一握りの「使える者」だけ残して後は

 大量解雇することで人材の選別をする。しかも自己都合退職に追い込むことで解雇による労災補償を

 免れつつ、雇用保険や健康保険に自らのコストを負担させて(公金横領に等しい!)、若者の「使い

 捨て」を安価にかつ効率的に実現しているのである。これは企業による若者の使い捨てであり、日本

 の未来を台無しにする、悪質な犯罪と捉えるべきなのである。

※ただし日本の失業時の雇用保険の受給期間や支給要件は非常に厳しく、失業者の2割しかカバーできて

 いないという。

 

 

ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ 

  )組(  )番(         

 日本の企業社会では日本的雇用慣行が一部崩れてきて、代わりにアメリカ型の過酷な(    )主義が導入されてきた。しかしもう一つ、見逃せない重大な変化が今、日本の若者たちに襲いかかってきている。それは一言でいえば「     」である。今、急速に進みつつある若者たちの貧困化は今野氏の指摘によれば大きく二つの側面から見ていくことができるようである(今野晴貴「ブラック企業」文春新書2013と「生活保護」ちくま新書2013)。

 まずかつて「氷河時代」とよばれた若者の就職状況の慢性的な悪化である。産業の(      )が進展することによって多くの(    )業の生産拠点は今後も海外に移転していく。京葉工業地域でも特に(    )関連や(       )コンビナート関連の業界から地元の高校に送られてくる求人票が激減してきた。これにより高卒男子の就職先が極めて狭い分野に偏ることになってしまった。また高卒女子の大量受け入れ先であった(     )、スーパーの類はかなり以前から正規雇用の求人が激減し、(    )関連に至っては高卒の求人は現在皆無といってよい。高卒女子の就職はとりわけ難しい状況となっている。

 たしかに「アベノミクス」の成果からであろうが、最近、少しだけ高卒者の就職状況は改善してきているのも事実であるが、だからといって長期的にみれば楽観はできない。しかも大学を卒業したからと言って正規雇用に即、なれる保証はない。非正規雇用の不安定な環境でしばらく(あるいはずっと)耐え続けなければならないのが、日本のごく普通の若者の現状である(若者のほぼ       は非正規雇用)。

 せっかく企業に正規採用されても就職先が「      企業」であれば、かえって悲劇となる。そして一流企業、グローバル企業といえども「ブラック企業」になりうること、いや日本企業の多くが「ブラック化」しつつあるという。であればこの問題は一部のブラック企業に就職してしまった一握りの不幸な若者の話…では済まされなくなる。

 今やうつ病などに追い込まれて依願退職に追い込まれる若者が増えつつある。若者にとって(     )や(   )という最悪の事態も招きかねない、過酷な労働現場が日本で広がりつつあるらしい。そして厄介なことに(    )指導、キャリアガイダンスなどでニートやフリーターなどを一方的に批判し、下手に正規雇用への道を若者に奨励すると、かえってブラック企業を利する恐れもあるという。

 若者を最後に待ち受けるのは底の抜けたような、日本の悲惨な(      )政策である。ブラック企業に就職したために心を病み、結局失業してしまった若者、あるいは終わりの無い(    )で心身疲弊し、引きこもりがちになってしまった若者…彼らの一部は最後の頼りとなるはずの生活保護を申請するため、各地の

     )事務所を訪れる。ところがむしろそこから本当の地獄が始まったりする。日本の生活保護政策にはそら恐ろしい実態があるらしい(特に         に対する差別的な仕打ちが行われているという)。

 以下、具体例を挙げながら日本の若者をめぐる就職状況および貧困者の最終的な

           )といわれる生活保護政策のそれぞれの問題点に焦点を当てて考察してみたい。

1.基本的な権利の再確認

・勤労に関わる権利

日本国憲法第27条「(    )の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁

 止」

 ①すべて国民は、勤労の(    )を有し、(    )を負う

 ②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める

  (→        法等)    (児童の酷使を禁じた③は省略)

労働基準法

第1条「労働条件の原則」

 ①労働条件は、労働者が(           )生活を営むための必要を充た

  すべきものでなければならない。

 ②…当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもと

  より、その向上を図るように努めなければならない。

第2条「労働条件の決定」

 ①労働条件は、労働者と使用者が、(     )の立場において決定すべきもの

  である。②は省略

第5条「強制労働の禁止」

 使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によ

 って、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

第32条「労働時間」

 ①使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について(    )時間を超え

  て、労働させてはならない。

 ②使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について

  (  )時間を超えて労働させてはならない。

第35条「休日」

 ①使用者は、労働者に対して、毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない。

第28条「勤労者の     権」

 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の(       )をする権利は、こ

 れを保障する。

同 第18条「奴隷的拘束及び苦役からの(    )」

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、

 その意に反する苦役に服させられない。

・生活保障に関わる権利

同 第25条「     権、国の社会的使命」

 ①すべて国民は、(    )で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 ②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び

  増進に努めなければならない。

同 第13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」

 すべて国民は、(    )として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する

 国民の権利については、(         )に反しない限り、立法その他の国

 政の上で、(          )を必要とする。

 

 以上、憲法を中心に権利の確認をしたが、日本の現実は憲法の規定通りではなく、憲法違反を含めた違法な実態が社会のあちらこちらに蔓延しつつある。いうまでもなくこれらの権利が憲法などに規定されているからといって、現実に保障されているとは限らない

 実際、憲法12条にはこうした権利が「…国民の(          )によって、これを保持しなければならない…」とされており、規定があるからと言って油断はできないのである。憲法の規定はあくまで「努力目標」のようなものであり、規定されている権利の維持拡大のためには国民の不断の努力が必要不可欠となっている点は要注意だろう。

 

2.ブラック企業と日本の雇用問題

 日本の若者が学力の国際比較で下位に低迷していた10年ほど前までは、若者の就職状況の悪化に対しての論評が、長期化する(    )という観点を共通としながらもどちらかというと、ニート、引きこもりに陥った一部の若者の

            )能力の不足、基礎(    )や勤労(    )の欠如などといったもっぱら若者の資質の問題にかたよる傾向があった。

 しかし「ブラック企業」という言葉が広がり始めた数年前から個々の若者の資質の枠を超えた、日本の企業社会、法制度全体の根本的欠陥に注目する論調が盛り上がり始めた。この動きは小泉内閣時の規制緩和によって(      )雇用が急増してきた(特に女の若年層で急増。しかも        型から家計自立型に移行してきた分、事はより深刻になってきている)ことで、「派遣切り」に象徴されるような非正規雇用者の立場の弱さにまずは目が移っていったことと関連がありそうである。

 さらに非正規雇用の増大が正規雇用者の立場をも弱体化(        採用や新卒           の増加等)させ、結果的に「若者全体の雇用問題」としての「ブラック企業」の問題を表面化させていったと思われる。

 特に(           )以降、若年正社員の待遇悪化が日本全体で加速し、「ブラック企業」はあたかも流行語のようになっていった。

 (   )業界の成長株、I社を事例にブラック企業の実態を見てみよう。I社は1000人近い従業員を擁する都内の企業。2009年、その新入社員が続々と上司から退職強要を受けたという。「面談」「カウンセリング」と称して毎日、数時間(7時間以上にわたることも)、(       )を受けていたとのこと。あわせて7人がPOSSE(今野氏が設立したNPO法人)を訪れ、同様の相談をしている。同社の2008年度の新入社員はおよそ200人余りで、2年以内の内にその(    )は離職しているらしい。

 なかにはグレーのスウェットで通勤を命じられ、社長の出迎え、カバン持ち、ペットの散歩、清掃などを時間外でもこなさなければならず、残業時間は平均5時間以上にのぼる者もいたという。面談やカウンセリングと称する場面では徹底的に

         」を繰り返させられ、努力はすべて否定されて絶え間なく罵られるという。まさに人格破壊的拷問であった。

※ブラック企業の労働形態の特色として「         」と同様、仕事の細分化とマニュアル化 

 が指摘されている。これらによって社員を交換可能な存在におとしめているのだ。ブラック企業の多

 いIT企業では「定年は   歳」とつぶやかれるほどに過酷な単純作業の繰り返しが求められる。

 「          」という企業にはブラックが多い。

  新卒の単価は安いため、とりあえず大量採用しておいてから一握りの「使える者」だけ残して後は

 大量解雇することで人材の(    )をする。しかも(        )退職に追い込むことで

 (     )による労災補償を免れつつ、(    )保険や健康保険に自らのコストを負担させ

 て(公金横領に等しい!)、若者の「        」を安価にかつ効率的に実現しているのであ

 る。これは企業による若者の使い捨て=日本の未来を台無しにする、悪質な犯罪と捉えるべきなので

 ある。

※ただし日本の失業時の雇用保険の受給期間や支給要件は非常に厳しく、失業者のおよそ(   )割

 しかカバーできていないという。

 

参考記事

日本の出生数が過去最小になった「本当の原因」

 東洋経済オンライン 荒川 和久 2025.3.15

 20代の中間層における婚姻率の低下が少子化の最大の原因であるとの指摘は極めて重要だろう。つまり20代の中間層への手当てを厚くすることこそ、最大の少子化対策となる。だからこそ、消費税の減税、廃止と中間層の手取りを増やそうと訴えてきた国民民主党やれいわ新鮮組への若者たちの支持が現在、急増しているに違いない。

 

 

 

 

 

 

⑱辺野古沖の事故と北区小学校の火事

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

【緊急】テレビで言えなかった…東京北区の小学校の火事について

 【消防防災】RESCUE HOUSE レスキューハウス 2026/06/19 22:38

 このニュース映像に恐怖と疑問を強く感じた人は少なくあるまい。なぜ4階の危険な庇部分に子供たちが避難せざるを得なかったのか、火災報知器はどうしていつまでも鳴らなかったのか、音楽準備室の隣で発生した火事に隣室の音楽室にいた教師や児童はなぜ、気づくのが遅れたのか…疑問は尽きない。火災予防に対する知識の不足が根底にある、との指摘が動画ではされているが、不足しているのはおそらく防災への知識だけではあるまい。

 辺野古沖の転覆事故、校庭でのクギ放置問題、組体操(人間ピラミッド)問題、数々の学校事故、これらに通底するのも決して教師たちの防災知識の不足だけではあるまい。欠落してきたのは児童生徒たちへの安全に対する興味関心や配慮という、本来ならば決して失ってはならぬはずの防災への心構えそのものではあるまいか。

 安全配慮への小さからぬ欠如は、防火管理者であるはずの教師や校長らが根底に抱える大きな諸問題を予想させるはずである。公教育の貧困、つまり教育予算の不足に起因する学校設備の未整備、人員不足、学校のブラック化、ブラックボックス化…

そうした問題により停滞を余儀なくされてきた日本の学校が、皮肉にも地域社会における防災の拠点を担わされ、地域住民の避難先に指定されている。そして児童生徒には形だけの避難訓練を繰り返している…その結果としての、国民全体における防災意識の低下、停滞が学校事故の続発する根底に横たわっていないだろうか。

 だとすれば日本社会の「安全神話」はゆくゆく崩壊していかざるを得ないだろう。子供や若者の自殺が増え、イジメがはびこり、不登校が蔓延し、教職員のウツ、休職や早期退職が増え、深刻な教員不足が表面化している現状において、すでに学校における児童生徒、教職員の「心の防災」は機能不全に陥っている。この状態で学校における児童生徒の「心身の防災」が十全に機能するわけがあるまい。

参考記事

学校の火災 「あわや大惨事」から何を学ぶ     読売新聞 の意見 2026.6.23

     …袋の中を滑って地上に逃げる「救助袋」が設置されていた。教師は使用を試みたが、うまく使えなかったという…記者はこうした点を指摘し、なぜ、救助袋がすぐに使用できなかったのか、訓練不足を問題点の一つとして挙げているが、果たしてそうだろうか?この記者は実際に救助袋を使った避難訓練を児童生徒の時に受けてきた経験があるのだろうか…極めて疑わしい。

     救助袋には主に垂直式と斜降式の二種類がある。垂直式は降下するのが難しく、時間を要する。特に4階からの降下はかなりの恐怖を伴う。小学生では手際よくスムーズに行えるとは思えない。一刻を争う状況の中で24人の児童を次々と降下させるのはこの方式では不可能であろう。

 ならば斜降式ではどうだろう。これもかなりの安全配慮が必要であり、おそらくこのケースでは避けた方がよい。そもそも階下で児童たちを受け止める教員が、この方式では必須となっている。斜降式は垂直式よりも素早く多くの児童を降下できるが、着地地点での袋の固定はマストであり、これに問題があれば児童が腰を強打して大けがを負うことになりかねない。しかも斜降式では降下時の事故を防ぐために地上でもできれば3人の教員の配置が望ましい。地上での袋の固定には熟練とスピードが要求される。

 どのみちあの緊迫した状況では救助袋などの避難方法は使用不能。つまり、緊急を要するケースではほぼ利用困難な救助袋という、どうみても間に合わせの旧式な避難方法がいまだに学校では存続している…そのことがはらんでいる問題性は決して小さくはあるまい。

 加えて「学校では昨年208件の火災が起き、33人が負傷した。消防法の施行令によると、学校の場合、11階以上のフロア以外はスプリンクラーの設置義務がない。」という先進国としては見っともないほどのお粗末ぶり。ひたすら防災費用をケチってスプリンクラーの設置をサボり、初期消火の難易度を限界まで引き上げておきながら、いざとなると教師側の責任ばかりを問う…惨い、というほかあるまい。

【解説】学校に潜む初期消火の難しさ…スプリンクラー設置義務免除、消火より避

     難誘導を優先 最上階特有の怖さも     FNNプライムオンライン 2026.6.19

 日本の「学校では基本的には11階以上でないとスプリンクラーはつけない」ことになっているらしい。一事が万事。やはり日本の学校は児童生徒の安全を第一には考えていない場所なのである。当然、教師の安全も二の次にされる。

     消火活動よりも児童生徒の避難誘導が優先される、となれば教師の手による初期消火は不可能に近い。ならばなおさらスプリンクラーによる初期消火が必須とされるはずなのだが、日本という国は強制的に設置すべきスプリンクラーをいつまでたっても学校には設置させようとしない…これは一体全体どういうことなのか。児童生徒を預かる場所だからこそ、初期消火を目指してスプリンクラー設置を義務付ける…という普通の常識が日本ではまったく通用しないのだから呆れるほかない。日本の学校教育の貧困、ここに極まれり。

 加えて当該校長が「音楽室での出火は想定外」という、教師としては極めて不思議な言い訳をしている。確かに経験上、多くの学校はこれまで家庭科教室や理科教室を出火場所として想定し、避難訓練を実施してきた。しかし、これはその都度生徒たちの避難経路確定のための仮設定に過ぎまい。実際の出火場所がどの教室になるのか、多くの教師にとって事前に予測など不可能なはずだ。

 特定の高校ではタバコの吸い殻が校舎内のあちこちで見つかる。教師から隠れて吸おうとするので、校舎内ではとりわけ4階から屋上に上がる階段の踊り場やトイレ、特に4回のトイレは利用する教員の数が少なく、喫煙にとどまらず、恐喝などが行われうる、最も注意すべき場所となる。教師が校舎内を巡回する際には隅々まで絶対に見落とすことのできないのが校舎の最上階なのである。

 では小学校ならば校舎の4階は安全なのか?とんでもない。小学生の時からヘビースモーカーだった生徒はよく校舎内で喫煙していたと自慢していた。当然、屋上に向かう階段の最上階は教師たちから完全な死角になるため、絶好の喫煙場所となる。そうした場所では、私も実際、複数の学校で数多くの吸い殻を発見してきた。確かに今時は喫煙する小学生が少なくなっているだろうが、可能性ゼロと決めつけるのは早計であろう。4階の音楽室が想定外…これ、見え透いた嘘であり、ただの責任逃れの言い訳に過ぎまい。むしろ4階で不審火が生じる可能性は体育館裏や運動部室などとほぼ同じくらい高く、常日頃から厳重な警戒が必要な場所でさえある。

・辺野古沖転覆事故

<独自>辺野古沖事故 引率教員、死亡生徒の顔と名前一致せず 遺族「ずさんす

     ぎる」産経新聞 2026/7/6 17:41

 生徒を引率した同校の女性教師が知華さんの顔を知らず、身元確認ができなかった」という。また「引率教員は救急車に乗っても保護者の私たちに連絡をしてこなかった」と保護者も証言している。これで果たして「引率」の名に値するのだろうか。この引率教師たち、まるで折悪しく事故現場に出くわしてしまった無関係な観光客、ただの傍観者、下手をすれば被害者側であるかのような振舞である。

 …辺野古漁港に設置された防犯カメラ映像を確認するかぎり、救助された生徒が次々と搬送される中で、引率教師とみられる人物2人や平和丸の船長とみられる男性が、生徒の安否確認などを行った形跡はうかがえなかった

 遺族は「引率教員がバスに乗る前船に乗る前に点呼していれば、顔と名前ぐらい担当していなくても一致するはず」と指摘している。察するに当該教師はおそらく自分の担当するグループの名簿すら持参しておらず、船に乗る前にも生徒たちの点呼をとっていなかった、さらには事故後ですら点呼を取ろうとしなかった…ということになろうか。仮にそうだとしたら、引率教師としてまったくあり得ないレベルの無責任さを露呈しつつあることになろう。

 この二人は本当に旅行団の一員だったのだろうか?この二人は一体、何をしに沖縄に、辺野古に来たのだろう。救急車に同乗した程度しか仕事をしていなかった、とすれば事はあまりにも重大である。修学旅行は決して業者丸投げで行われる教師たちの慰安旅行ではない。

 当日の朝、引率を突然に割り振られたのだから、点呼を取らなくともよい…という言い訳はもちろん通用しない。ピンチヒッターだからといって生徒たちの安全確保、安否確認を怠ってよいはずもない。

 この際、徹底的にこの二人の事故当日の行動をできるだけ詳細に調べていく必要があるだろう。特に乗船グループに対する事前、事後の点呼の有無だけではなく、どのような事前指導をバス等での移動中にしていたのか、乗船中はどこにいて何をしていたのか、事故後、どのような働きかけを生徒たちにしていたのか、誰とどのような連絡を取り合っていたのか、加えてこの二人の修学旅行における役割分担の詳細と帰途につくまでの実際の行動もまたできるかぎり明らかにすべきだろう。

 通常、修学旅行に際しては「旅のしおり」のようなパンフを事前に配布し、詳細な日程や持ち物、ホテルの部屋の割り振り、乗車するバスの号車、見学別のメンバー等がすぐに確認できるようにしている。この二人の教員が引率時に持参していた資料を提出させ、そこに引率の際の注意点がどの程度書き込まれていたのか、もまた第三者の目で確認しておくべきだろう。

 これだけのずさんさを露呈したからには、この学校全体の修学旅行に対する取り組みの甘さ、とりわけ生徒の安全確保に対する無関心さが長期にわたって教師間に広くはびこってきたと考えるほかあるまい。この際、過去10年ほど前までさかのぼって、詳細にこの学校の修学旅行の取り組みを見直し、問題点をできる限り細部にわたるまで徹底的に洗い出すべきだろう。

 また旅行団の役割分担の適正さが気になってくる。特に辺野古コースの役割分担、人選の理由、学年主任、学年団の判断基準が問われる。転覆した際に生徒たちの救助に当たれないような女性教師を敢えて引率させてしまった責任は決して軽くない。「船の転覆は想定外」といった間抜けな言い訳は誰だってもう聞きたくあるまい。

なぜ「異論」が出ない? 教員の相互不干渉が蔓延か…同志社国際高校・辺野古事故か

     ら考える「学校ならではの風土」の問題点

     東洋経済オンライン 妹尾 昌俊 2026.6.21

     学校独特の組織風土からの分析は必要不可欠の視点であり、大いに参考となる。異動のほとんどない職場での「なれ合い」と「個人商店の集まり」のような相互不干渉の組織が生み出す議論の不在。これが客観的に見ればあり得ないレベルでの無責任な「引率」をも生み出していたことは確かに推測できる。

     とは言え、辺野古での「引率」教員の職務放棄ともいえる無責任さはあまりにも突出していないだろうか。「生徒と一緒に乗船しない」に加えて、あろうことか、生徒たちの様子を逐一、確認せず、点呼すらしない…これが仮に事実だとすれば、教師個々人の資質にまで言及せざるを得ないほどの問題行動である。

     仮にそうだとすれば、学年集団の責任の所在、個々の教師の責任がいまだに表に出てこない、という現状は隠ぺいそのものと疑われても仕方あるまい。ところが現場の実情に疎く、無責任さばかりを丸出しにする校長だけが表に出てしまうことによって同校の社会的評価はむしろ地に堕ちかねず、結局、同校生徒や保護者における学校運営への不信感が強まる一方となっているように見える。

 修学旅行における事故、特にコース別の研修に分かれる場合の事故責任は、実際には計画を策定し、教師の役割分担を決定した学年主任らに大きくのしかかるはず。旅行の細部までよく知りもしない校長がわけ知り顔で会見の場にしゃしゃり出るから、このような大失態をまねいているのではないのか。せめて生徒たちや保護者会の場では最大の当事者責任を負うべき教師たち(当日、「引率」した教員と学年主任は特に外せまい)が、一定の説明責任をも果たすべきだろう。

 旭川女子中学生凍死事件などでもそうであったように、校長や教頭が世間の矢面に立って釈明すればするほど、かえって隠ぺいが強く疑われることになりかねない。事件、事故に至るまでの詳細な経緯を知る教師たちを、校長は身を挺して庇っているのだ…という表向き麗くみえるポーズに隠れて、実際には問題を内々で矮小化し、誤魔化そうとする…こうした管理職や教育委員会のずる賢さに騙されてはなるまい。

<独自>引率教員と船長、生徒の安否確認せず 防犯カメラ映像入手 辺野古転覆3カ

     月 産経新聞 2026.6.17

 仮にこの報道が事実だとすれば、引率教員の罪は極めて重くなる。そもそもが生徒たちと乗船すらせず、加えて事故後において「生徒の安否確認せず」…は教員として絶対的にあり得ない行為であり、驚き呆れるほかない。これはどうみても「引率」の名に値せず、多くの教師たちの間に業者丸投げの無責任体質の蔓延を疑わせる。特にこの二人には引率教師としての職務の完全な放棄の疑いが極めて濃厚となってくる。やはりこの学校、管理職にとどまらず、教員組織全体に根本的な欠陥がある、としか思えない。

 今回の修学旅行の実態解明だけではなく、同校のこれまでの校外学習時において、はたして「引率」教師たちが、実際にはどのような「引率」をこれまでにしてきたのか、少し過去を遡って、徹底的に検証していく必要性まで感じる記事であろう。

 ぜひ、この件に関しても第三者委員会の綿密なる報告を待ちたい。

同志社国際 高2研修旅行先は「未定」 学校説明会も中止 沈黙する学校に保護者も不

     信感 産経新聞 2026.6.15

 …沖縄県名護市の辺野古沖で船2隻が転覆し、同志社国際高(京都府)の女子生徒(17)らが死亡した事故から16日で3カ月となるが、学校側から対外的な説明はほぼなく、保護者間で不信感が広がっている。同校の平和学習を巡っては文部科学省が先月22日に教育基本法違反を認定。ずさんな安全管理などを理由に京都府が私学助成金の減額を検討する事態にもなった。SNSでは根拠のない誹謗(ひぼう)中傷もあり、保護者は「事実と異なる情報は否定し、説明してほしい」と話す…学校側は第三者委が調査中として、積極的な発信や説明は行っていない。同校のホームページによると、4、5月の学校説明会なども中止とした……安全管理面での不安も根強い。「どうしてこのような事故が起きたのか。問題を指摘する教員がいない体制は変わるのか。そうした点の説明を急いでほしい」…3月の保護者説明会以降、保護者に対する説明会は開かれておらず、学校側から簡単なメッセージが送られてくるのみ。保護者は「私たちへの説明が全くされていない。もう少し丁寧に説明すべきだ」と訴えている…

 この学校の問題点は責任を負うべき管理職らを含む校内人事刷新への言及が学校側に一切無い、という点に集約できるだろう。第三者委員会の調査報告を待つまでもなく、安全管理に対する無責任体制を続けてきた学校側の体制転換を即刻、図るべきであった。むしろいまだに第三者からの指摘を待っていること自体が学校としての責任感の無決定的な欠如を物語っている…そう保護者から糾弾されても仕方あるまい。

 3月時点で管理職らが一斉に退陣し、完全に一新された陣容の下で安全管理体制の構築に全力を注ぐため、次年度の研修旅行を含め、すべての校外学習を一旦中止する…この程度の決断すら即時にできなかった点が悔やまれる。

同志社国際高等学校の研修旅行等について(これまでの把握事項と文部科学省の見

     解)令和8年5月22日 文部科学省

     学校側が辺野古の平和学習に関して本来、事前に行うべき学習、とりわけ安全確保にかかわる事前指導を完全に放棄し、船長らに丸投げしていたという恐ろしい実態が明らかになりつつある。どうみてもこれは平和「学習」という名にまったく値しない、ただの手抜き、他人任せの行楽に過ぎまい。教師たちによる事前指導の内容があまりにも空疎すぎて生徒の学習にはほとんどつながっていないことが察せられる。

     これはやはり生徒の自主性を完全に無視した、大人たちの恣意ばかりが貫徹された奇妙な何か、ではないか。これは沖縄の活動家のための宣伝に一方的に利用される材料と化した何か、であり、同時に、修学旅行に名を借りた教職員のためのお気楽な娯楽観光に過ぎないのではあるまいか。

 むしろ沖縄の平和学習の価値を貶め、沖縄を愚弄するだけの、くだらない「行事」と化していたのではあるまいか。そしてそのことを一切、自覚せず、反省することもなく長年、続けてきた学校の責任はたとえいたましい犠牲者を一人も出していなくとも、すでに重大なものであり、学校法人としての存続すら、問い直すべきレベルの無責任過ぎる怠慢ではないのか。

 文科省が分析している通り、人事異動がほとんど行われない私学職員のなれ合い体質がこうした杜撰さの土台にあるのは間違いあるまい。やはり土台から腐っている組織であり、学校解体もやむを得ないレベルなのかもしれない。

【辺野古転覆】偏った情報を一方的に…「もはや平和教育ではない」遺族が投げか

     ける根本的な疑問 ダイヤモンド・ライフ編集部 2026.5.31

 遺族の学校に対する疑問の多くは私と重なっている。学校側はこの疑問に対して誠実に答えていくべきである。また他の学校がこの事故を他山の石として今後の教訓に活かしていくためにも、できるだけ包み隠さず、かつ詳細で具体的な報告が公表されるべきであろう。

文科省、学校法人同志社を指導 辺野古事故、安全管理「不適切」

     共同通信 2026.5.22

     この報道自体には何の価値も感じない。このような事故を二度と繰り返さないために文科省が何を問題視し、学校の何をどのように指導したのか、そして学校側が何をどのように問題視し、具体的に何をどのように教訓として活かしていくのか、私たちにはまったく不明である点で、日本の教育界全体にとってもほとんど意味不明な報道であろう。

     文科省が学校法人に指導を加える事は余りにも当たり前すぎて、この程度の空疎な内容を現段階で速報として仰々しく報道する意義が一体どこにあるのか、むしろ問い質したい。

     なぜ、これほどの杜撰な修学旅行が繰り返し実行されてきたのか、その実行に誰がどのように関わっていたのか、校長や引率責任者に個人的な責任は無いのか、旅行計画を事前に検討する学年会議ではこのコースについて一体どの程度まで検討が加えられたのか、引率教員らはなぜ、これほどの杜撰な計画を見過ごしてきたのか…等、問うべき点は多岐にわたり数多く存在している。もちろん、これらに関してはいずれ第三者委員会などによる調査報告がまとまり次第、私たちにも公表されるだろう。

     教師たちがこの事故を機に修学旅行、遠足、部活動の遠征などについて児童生徒の安全に対する配慮を徹底できるようになれるのか否かは、あくまでも事故に至るまでの経緯への詳細な検証とその報告が出てからの問題。詳細な事実関係が十分につかめていない現段階での文科省の指導なぞは、表向き「仕事してます」感を演出するだけのポーズに過ぎない。こんな演出ごときにマスコミが仰々しく速報を通じて反応する必要などあるわけがない。

参考動画

教員は乗船せず…状況明らかに 生徒死亡の高校会見 沖縄・辺野古 船2隻転覆2人死

    亡【スーパーJチャンネル】(2026年3月17日)    ANNnewsCH 3:24

    教員が一人も乗船していなかったという驚くべき事実が明らかとなった。そもそも女生徒の存在から見ても、また2艘で20人近くの人数から見ても各船に一人ずつ、せめて二人くらいは教師として乗船すべきであろう。ところが教師は一人も乗船せず、であった。呆れるほかあるまい。最悪の事態を前提にして生徒の安全確保を図るべき通常の教師の思考からすれば、まったくあり得ないレベルの大失態であり、最優先すべき安全面の配慮を疎かにした学校及び引率教員たちの責任は極めて重大である。

    沖縄への修学旅行ではかなり昔のことだが、高校生が潮に流されて死亡するという痛ましい事故があった。以後、マリン体験のほとんどを禁止する高校が出てきたのも個人的には頷ける現象であった。実際、私の経験ではホテルのプライベートビーチですら、生徒だけで散策することを禁じていた高校も20年近く前にはあった。

 当然、沖縄修学旅行の事前学習として海の怖さや海の危険生物、ハブへの注意などに関してもかなり詳細に触れてきた過去がある。生徒の安全を第一に考えるのが普通の教師のはず…ただ、進学校ばかり経験してきた教師の中には、ややもすれば「大勢の命を預かっている」という認識から来るはずの緊張感を欠き、教師自身がお気楽な行楽気分で引率している方が散見されたことは残念ながら事実である。

 もしかすると当該高校、私学でそれなりの進学校であるとすれば、聞き分けの良い生徒たちの存在によって教師たちがすっかり油断してしまい、生徒の安全確保に関してやや注意散漫になっていたのではあるまいか。

【小型船2隻が転覆】 現場海域では波浪注意報も「急な突風と横波」か 女子高校生1人

 と70代船長が死亡 沖縄・辺野古沖 日テレNEWS 2026/03/16 3:45

 あってはならない死亡事故であろう。当然、船を乗せた側の過失責任は重いが、学校側の責任も決して軽くはない。この動画では女生徒たちがスカートで船に乗り込んでいた可能性をうかがわせる場面が出てくる。仮にそうだとすれば指導にあたった教師たちの責任もまた厳しく問われることになるだろう。

 加えて修学旅行に際しては大抵の場合、事前に教師たちが下見をすることになっている。少しでも危険が予想される場合には特に念入りな報告が校長らにも届けられているはず。一体、どのような報告があったのか、まず確認すべきだろう。

 個人的には20年余り前、沖縄修学旅行の引率でグラスボートに10名余りの生徒たちと乗り込んだ記憶がある。確か12月頃だった。風が強くて波もかなり高く、船が大きく揺れて少し怖かったのを覚えている。ただし馬力のある観光用の少し大きめのボートなので、転覆する危険性はさほど高くなかったように当時は感じた。

 今回、転覆した船はそれよりも小型船であり、揺れは相当激しかったに違いない。船体の左右のバランスを保つべく、乗員を左右均等に配置していたとしても、大波で急激に船体が大きく傾いてしまえば、船べりを掴んでいた手が離れ、乗員は左右どちらかに偏って移動してしまう危険性がある。実はグラスボートの場合、中央に海底を覗くためのスペースがあるため、結果的に人が突然片側に移動できないよう中央部で仕切られており、船体がバランスを崩す危険性も少ない。しかし、今回の船はそうした仕切りの無い、普通の小型船に過ぎなかったようだ。

 つまり今回の船は波の状態によっては転覆する危険性が決して小さくはなかったと素人でも簡単に推測できるものであった。ならば、教師たちはせめて事前に生徒たちへ、イザという時に備えて最低でも上下ジャージ姿で乗り込ませる指導をとっておくべきだった。学校長の会見では海や船の事はよく分からないのですべて専門家=船長に判断を委ねていた、との発言があったが、教師としてあり得ない発言である。航空機の飛行に関してならば教師が責任を持てないのは分かるが、船の航行に関して教師がまったく分からない、では大人としての道理が通るまい。責任逃れも甚だしいのだ。

 もちろん、当日の天候を踏まえれば、船長は万が一を考え、出航を諦めるか、より安全な航路に変更すべきだったに違いない。とはいえ、引率教師たちもまた転覆の危険性を予知し、少なくとも事前に生徒たちへ何らかの注意を促す程度の指導はできたはず。たとえば上下とも全員ジャージに着替えさせる、という厳し目に見える指導であっても、それが結果的には生徒たちに転覆の危険性を予め察知させ、お行儀の悪い一部の生徒たちによる船内での危険行為を予防することにも多少は役立つはずである(もちろん事故に遭った生徒たちはおそらく全員お行儀が良いのだろうが…)。

 この事故、知床遊覧船のケースとは違って、船長や船を所有する団体などへ全責任を丸投げできる案件では決してない、と思うが、いかがか。

参考記事

辺野古転覆、生徒ら防波堤から乗船 現場視察の沖縄県議「誰が見ても危ない」

     産経新聞 2026.5.1

     しつこいようだが、修学旅行団側には生徒たちへの安全配慮の欠片も無かったことが続々と判明してきている。この学校がまともな校外学習をできるようになるには、そもそも組織の大幅な刷新を必要としていると思うのだが、いかがか。もはやこの組織に自己改革する力も、改革主体となる権利自体もほとんど存在していないのではあるまいか。

     校外学習を早期に復活出来るように学校側が願う前に、教師たちが解決しておくべき課題は余りにも多い。こんな杜撰で無様な「引率」のあり方を見ると、校外学習の早期復活を願う裏側に、自分たちの責任回避といった自己保身が潜んでいるとすら疑われても仕方あるまい。

同志社国際高校が校外活動の自粛を決定 辺野古転覆事故巡り 危機管理マニュアルに

     多くの不備、京都府が要請 ABCTV NEWS 2026.4.28

 京都府として当然の判断であるが、学校側のコメントには相変わらず事態の深刻さを理解できていない、酷く危機感の欠けたピンボケぶりが窺える。

 …高校は27日、「全行事の点検及び再発防止策の策定が終わるまで校外活動を自粛する」と、保護者に連絡していたことがわかりました。高校は、校外活動をできる限り早く再開できるよう、努めたいとしています…

 とのことだが、この学校が今、目指すべきことは断じて校外活動の再開などではあるまい。その言葉を口に出す前に取り組んでおくべきことは数多くあるはずだ。学校や教師たちの安全意識の緩みが一体、どんな理由で生じていたのか、原因の追究は厳格に行われるべきである。さらに校長や教師たちの責任を一体、どこまでどう問うていくのか、こちらも決しておざなりにできる課題ではあるまい。また二度とこのような事故を起こさない体制をこれからどう作っていくのか等々、学校が検討し、解決すべき課題は山積している。

 最優先すべき生徒たちの安全確保を、第三者からすれば呆れるほどのレベルで蔑ろにした学校…この際、組織の膿を徹底的に絞り出す覚悟が学校法人側には求められている。ろくに生徒の命を守ろうともしなかった学校が校外学習再開、などという極めて不謹慎で余りにも暢気すぎる発言をして良い立場にあるわけがない。

辺野古転覆事故「リスク<教育目標」学校の重い罪

     東洋経済オンライン 東洋経済education × ICT 2026.4.8

 総論としては内田先生の指摘された通りである。論点が良く整理されていて大いに参考となる。ただしこの学校の体質には内田先生が指摘する以上のレベルで見過ごしできない、組織的問題があるように思えるのだが、いかがか。

     修学旅行の引率、という職務に伴う責任の大きさに対する教師たちの考え、思いが余りにも浅過ぎるようで元教師としては唖然とするほかない。安全に対する学校側の事前指導にも大きな欠陥があったことはこれまでの報道内容から見てほぼ間違いないだろう。

 生徒たちへの安全配慮に思いがほとんど至らない…生徒たちの命を預かっていることから生じるべき緊張感の欠片も感じられない…この教師集団が抱える組織としての病状は相当、深刻であると感じる。ただの油断、平和ボケ、という言い訳は決して通用しないはずだ。もしかすると学校全体が、既に解体的出直しを必要とする段階となっているのかもしれない。

<独自>私立高の修学旅行先、東日本18都道県で8都県が把握せず 平和学習に監督

     が及ばず 産経新聞 2026.4.2

 これはビックリする記事である。高校の修学旅行先の変遷は時代の流れ、流行も反映していて興味深いデータであろう。そのデータが公立高校に偏っている都道府県があるのは残念である。

     かつて修学旅行先と言えば関東ではもっぱら京都、奈良であった。もちろん歴史学習を主眼とし、寺社の見学がメインであった。やがて教育困難校では歴史学習をメインにすることの難しさから次第に東北、長野などへのスキー体験を加えたものへと旅行先を変えていく学校が目立ち始めた。また困難校ではない高校も、京都・奈良方面に加えて大阪・神戸、特にUSJをコースに加える高校が増えていった。同時に奈良での宿泊を辞めてしまった学校も多くなった。

     さらに修学旅行における飛行機の搭乗への制限が緩和されると、関東では2000年代から沖縄や九州への旅行が急速に増えていく。特に沖縄は困難校を含めて多くの高校が旅行先に選ぶようになった。

 今後は私学の無償化が進み、多くの公立高校が淘汰されて私学が大幅に伸長する時代になると見られる。旅行の安全確保のためにも、修学旅行に関して都道府県はすべからく私学にもきちんとした報告(事前、事後とも)を求めていくべきだろう。

辺野古転覆事故】女子生徒死亡の同志社国際の保護者が怒りの告白 学校側の船長を

     信頼の釈明に不信感 「学校と信頼関係が結べるのか心配です」

     NEWSポストセブン 2026.3.31

     …「去年の夏に学年主任と担任2人が沖縄に視察に行ったそうです。それなのに3人とも今回の船には乗らず、見てもいなかった。海上からの見学は2023年に始まり今回で4回目ですが、教員が(1日)2回の航行に同乗したのは2024年だけだったそうです。今回、引率した教員2人は波浪注意報が出ていたことも知らず、それで出航した。

 先発した船に乗るはずの教員は24日の報道では『体調不良』とのことでしたが、25日の説明では『乗り物酔いするから乗らなかった』。後発の船に乗るはずの教員は乗らなくても大丈夫だと思ったから乗らなかった、と。仕事をする気がなかったとしか思えない」…

 この学校の教員たちにはどうやら責任感の欠片も無さそうだ。次々と判明してくる教員の振る舞いには驚きを禁じ得ない。ただただあきれ果てるのみ。同じ教員とは思えないほどの無責任さであろう。おそらく修学旅行の下見に行った3人はタダで行けるラッキーな観光旅行としてひたすら旅行業者の接待を楽しんだだけではあるまいか。

 徹底的にこの学校の教師集団における安全に対する取り組みの問題点を洗い出し、修学旅行や学校運営のみならず、教師採用のあり方(もしかすると同志社の卒業生に偏っているのでは…)まで根本から見直すべきであろう。低レベルの「馴れ合い」ほど組織を腐敗させるものは無いはずだ。

沖縄・名護湾で高校生「ボートが沖に流され戻れない」、1人は自力で戻り3人を救

     助…教員は陸上で監視 読売新聞 2026.3.27

 まだ詳細は不明だが、辺野古沖での転覆事故があったばかりであり、しかも同じ名護市内である。辺野古の教訓を生かせないこの学校と教員の鈍感さ、安全意識の低さには唖然とさせられる。仮に生徒がボートに乗る場合は、教員が一緒に乗船するか、背が立つレベルの浅瀬で、かつ教員が泳いでたどり着ける程度の距離の枠内にとどめておくか、どちらかの安全措置をとるべきだろう。

 生徒が泳ぐ場合もボートと同様に離岸流によって沖合に流される危険性があり、通常は教師がボートに乗ってすぐにそばで救助できる状態を保つべきだろう。そもそも陸にいて安全確保できるのか、はなはだ疑問である。

 幸いに犠牲者がでなかったとしても、この学校名はすぐにでも公表すべきであり、同志社国際高校と同様に厳しく糾弾されるべき事案ではないか。長期休業中の外泊を伴う部活の合宿の場合には学校として事前に詳細な活動計画を記した報告書の提出を顧問には義務付けていたはず。特に東京から沖縄への長距離移動であり、海洋生物などの調査を行う等の内容が記載されていたはずである。当然、報告書の記載内容を管理職はどこまで把握していたのかも、気になる点だ。

 また、なぜ読売新聞は校名を発表しなかったのか、その理由についてきっちりと説明すべきである。と同時に学校側は顧問も含めてボートや遊泳の危険性について、事前にどれほどの指導をしていたのか、ただちに包み隠さず公表すべきだろう。仮にこの調査が以前から行われており、恒例となっていたとするならば、顧問への指導不足と見なされ、管理職の責任まで問われるはずである。

 またもや過去の教訓を生かせず、学校側の安全意識の低さが露呈してしまった事件である。なぜこれほどの意識の低さが当該高校で生じてしまったのか、今後の詳細な報道がまたれる。もちろん生物部の顧問と部員たちとの馴れ合いの中でついつい安全意識が欠如してしまった…との言い訳はもう世間的に通用するタイミングではない。

沖縄・辺野古沖 船転覆事故 過去にも教師乗船せず出航   テレ朝NEWS 2026.3.25

 案の定、この学校は過去にも同じ過失を犯していた。おそらく生徒と乗船しないことが教師の職務放棄とほぼ変わらぬ極めて無責任な行いである、という共通認識すらここの教師集団内には存在していなかったということだ。大人としての良識の有無が疑われる、というほかあるまい。この学校の危険性に対する鈍感さ、無責任体質を育んできた教師文化には空恐ろしささえ、感じてしまうのだが、いかがか。

 敢えて厳しい言い方をすれば、生徒たちの命を預かっている、という真摯な職務に対する恐ろしいほどの無知、慢心、怠惰がこの学校には浸透してしまっている…

 今後はなぜこのような無責任体制がこの学校で存続しえたのか、しっかりと究明する必要があるだろう。そしてこの学校が自らの無責任体質を完全に改められる間、この学校の遠足、修学旅行は全面的に中断されるべきである。

 とはいえ以下に列挙されている通り、日本の学校事故を省みる時、児童生徒の安全確保に対する配慮の欠落が日本の多くの学校で生じているような印象を受けるのは私だけではあるまい。だからこそ人権意識や防災意識、設備すら欠損だらけにもかかわらず、どの学校も平気で避難所を引き受け、結果的に避難民を苦しめてきた、受け入れ能力を度外視して多様性尊重のもと障がい者や外国人を普通の学校で無制限に受け入れてきた、津波に際しては大川小学校などの悲劇を生み出した、校庭に数えきれないほどのクギを放置してきた、批判をよそに人間ピラミッドによる死傷事故を平気で繰り返してきた…違うだろうか。

 この事故が物語るのは日本の学校教育の綺麗ごとの裏に隠されてきた本質的なうさん臭さ、欺瞞そのものではあるまいか。そしてひたすら教育予算をケチってきた日本政治の本質的な貧困が学校教育の欺瞞、偽善性を生み出してきたのではあるまいか。

「辺野古沖の抗議船転覆に思う 市民団体と学校の安全意識」 東浩紀

     Yahooニュース 2026.3/24(火) 17:30配信 

    確かに私もこの事故をきっかけにして沖縄における米軍基地への反発や平和学習自体を貶める発信が急増しているように感じている。そしてこの事故の本質は安全への配慮義務に欠けた団体と学校の問題にあり、東氏の指摘するように、反米基地闘争や平和学習全体を否定する材料に利用することは許されまい。それは事故から得られる教訓を捻じ曲げ、ひたすら政治利用せんとする扇動家のやり方である。

 私としてはあくまでも元教師としての観点に立ち、このような学校事故が二度と起きないよう、重要な教訓をここから得たいと切に願っている。そのためにも学校側の安全意識の様相を深掘りしたい、という考えのもと、発信している。改めて言うまでもないことだが、沖縄の米軍基地問題は現在においても極めて深刻であり、未解決の部分もまだまだ大きい。また沖縄戦の悲惨さから私たちが学ぶべきことは多く、沖縄修学旅行に平和学習を取り入れるのは高校教育の一環としてごく当然の内容ともいえる。以上の点はこの件をめぐる議論の前提として決して見誤ってはなるまい。

引率教員の不在は体調不良のため 他の教員も代理で乗船せず 同志社国際高が釈

    明 産経新聞 2026/3/24

    代理だから乗船せず、というのは何一つ釈明にはなるまい。代理だろうが何だろうが、引率教員が生徒たちと乗船することはマストである。自分たちだけ安全な場所にいて、生徒たちばかりを危険な目に遭わせてしまった責任は余りにも重大。

 あらかじめ決められていた教員がなぜ二人も同時に体調不良になってしまったのか、代理の教師たちはなぜ乗船しなかったのか…元教師からすればかえって強い疑念と不信感が次々と湧いてくる。

 仮にやむを得ない理由があって教師たちが乗船できないのであるならば、波浪注意報が出ていた状況を踏まえて生徒たちだけの乗船を中止する、といった大人としての判断も十分有りえたはずである。生徒の命に係わる重大な判断を安易に船長らに丸投げする…といういい加減なレベルで教員らが判断をしたとするならば、彼らも校長と同様、教師として、大人としてまともな責任感があるとは思えない。

 やはりこの学校、教員集団、どこかが狂っているに違いない。もしかするとこのコースを始めた時から現在に至るまでの間に、教師が乗船しなかったケースが複数存在していたかもしれない。また旅行前、このコースの下見を繰り返し、教師たちはしてきたはず。下見の際、教師たちは乗船したのか、乗船したとすればどのような報告が引率教師らに提供されてきたのか…早急にその実態を過去にまで遡って調べ、保護者たちに納得できるような、具体的かつ詳細な説明を学校側は行うべきだろう。

 学校側は事故現場で誰がどのような判断をしたのか、判断の根拠も含めて詳細に説明する必要がある。とすれば保護者への説明会ではもはや校長だけではなく、引率教師たちによる釈明も求められるべきだと私は思う。

「平和丸」船長の男性、記者の呼びかけに応じず 辺野古沖転覆で11管が実況見分 

    産経新聞 2026.3.22

 この件に関する報道のあり方にやや違和感を覚える。もちろん船の運航に関わった団体の責任は極めて重大であり、報道各社が責任追及を続けること自体はマスコミとして当然のことではある。しかし、高校側の安全に対する認識の甘さにも、もっと鋭い追及が行われてしかるべきではないのか。

 加えて学校が沖縄での平和学習を重視していることに疑問を持ち、批判する文脈での発信も目立っている。特に辺野古への基地移転を反対する勢力への攻撃材料としてこの件が利用されている傾向には危うさを感じる。

    この件で学校関係者が重点を置くべきなのは、この件の教訓を生かして同じような事故の発生を未然に防ぐことだろう。今後の修学旅行のあり方を考える上でも、元教師の私としてはそこに徹底的にこだわりたい。

 なぜ、教員は生徒と一緒に船に乗らなかったのか、7つのコースにどのような教員を引率者として配置したのか、事前の引率計画はどのようなものだったのか、旅行団のトップは計画に対してどのような点検を事前におこなっていたのか…学校関係者として知りたいことは山ほどあるのだが…私の疑問に答えてくれるような報道がいまだになされていないように見えるのは極めて残念である。

辺野古の船転覆 海の危険甘く見た学校の責任 読売新聞 2026.3.19

辺野古転覆 学校側の甘い安全対策浮き彫り 船長任せ、教員乗船せず、「抗議船」説

    明なく 産経新聞 2026.3.20

    平和学習の内容に関する疑義は確かにあるが、ここでは詳細な内容や意図、事前学習からの流れが不明なので言及しない。ただし抗議船に乗ることと平和学習とは必ずしも直結しないし、平和学習という高尚な目的の陰で慎重に慎重を重ねるべき安全への配慮が教師側に欠けていたことはもはや疑いようがあるまい。

    平和学習の具体的内容をしっかりと把握できていない校長の釈明会見は、どこか漠然とした言い訳ばかりで、他人事のようにしか聞こえてこなかった。結局は管理職として安全への配慮が大きく欠落していた、という印象だけしか伝わらなかった。これでは事故の原因究明と再発防止に役立つ具体的な情報が余りにも少ない。

 今後は引率教員の責任者が事前にどのような安全確認をしていたのか、詳しい報告が必要とされてくるに違いない。なぜ小舟への乗船という安全への配慮を要するコースに37人もの生徒を割り当ててしまったのか、なぜ、たった2人の教員しか引率させなかったのか、なぜ、教員は乗船しなかったのか、教員の配置の決定、役割分担はどのような考えのもとに決定されたのか、旅行団の団長(副校長?)及び学年主任はどこまでこのコースの内容を把握していたのか、安全への配慮を教師たちへどこまで求めていたのか、特に乗船組の引率を任された2人の教員のおよその年齢と性別、水泳能力の有無についても学校側はしっかりと隠すことなく公表すべきだろう。

 

〈白バス暴走事故〉「部活は全て丸投げしてました」理事長の無責任発言は“事実”

     「顧問任せは全国どこの高校でも同じです」部活強豪校顧問にのしかかるプレッシ

     ャーと構造的問題 集英社オンライン 2026.5.21

     学校の管理職のほとんどは教師たちの部活動指導の内実を知りもしない。そもそもが知ろうとする努力すら放棄している。部活動は学校の業務ではなく、あたかも教師たちの個人的趣味か、管理職の介入を極端に嫌う教師と生徒との自治的活動であるかのような扱いなのだ。したがって部活動で生じた問題に校長らが関与することはほとんどなく、多くの事は教師たちの自己責任と捉えられてきたように私は感じてきた。

     そのくせに部活動の顧問人事を最終的に決定するのは教頭や校長らである。古くからいる教師たちの多くが嫌がる運動部顧問は時によって「ノー」と言えない新任教師に押し付けられる。もちろん校内人事の責任は管理職にあるのだが、新任教師の苦悩は無視される。未経験の部活動を任されるとなれば、教師の負担感は極大に膨れ上がるにもかかわらず、である。

     …部活動の成績は高校の知名度を上げ、入学を志願する生徒を集める大きな武器になっている。学校がその“果実”を得ながらリスクを顧問だけに押し付けてきたこれまでの構造は、異常というしかない…

     「異常」を「異常」と知りつつ放置してきた文科省や教育委員会の責任は極めて重大である。同時にこの問題の責任の一端を負うべき高体連や高野連が、この事故に対して有効な対策を発表できるようにも思えない。つまりこの問題はブラックな体質を抱えてきた学校教育全体のブラックボックス化によって長期にわたり隠蔽されてきた、深刻な問題の一例に過ぎまい。

     部活動の地域社会への全面的移管は高校でも行われるべきであろう。

《北越高校マイクロバス死亡事故》「部活はもう辞めろ」論にまで発展、運動部バス

     事故の土壌 週刊女性PRIME 2026.5.19

     教育予算の削減が続き、児童生徒への健康管理や安全確保のための体制が極めて不十分で、お金も人も深刻なレベルで不足している日本の学校…これまでのように校外学習や部活動を野放図に行っていればこのような重大事故は不可避となるのが当たり前である。欧米では学校の教育活動を責任のとれる範囲内に厳しく限定し、日本のような部活動や学校行事はほぼ存在していない。

 「SNSでは“部活はもうやめろ”論にまで発展。問題はそんなに単純ではなく……。」と記事にあるのだが、問題は極めて単純。学校の部活は廃止して地域社会に移管すれば良いだけである。日本の学校ができもしない事を無責任にも無制限に丸抱えしてきた代償こそが深刻な学校事故の多発であろう。

なぜ日本の学校は「暑くて寒い」のか…専門家が「先進国とは思えない」とあきれ

     る「日本の公共建築のお粗末さ」   プレジデントオンライン 高橋 彰 2026.5.18

     日本の学校は戦前からの鍛錬主義の残存と教育予算の削減を前提とした政府の財政政策によっておよそ先進国としてふさわしくない貧弱さを長らく維持してきたようである。災害時の避難先となって近隣住民が体育館で寝起きしない限り、その貧弱さは広く認識されることが無かった。近年、この記事のような指摘がなされるようになったのは、阪神淡路大震災、東日本大震災、能登沖大地震などが相次ぎ、人々の避難先たる校舎の居住性への関心が高まってきたことが背景にあるのだろう。

 問題は校舎の設備面、機能性の貧弱さを日々、痛感してきたはずの教職員側からの発信もまた貧弱だったことに潜んではおるまいか。学校に冷房の無かった時代、汗まみれになってどうにかこうにか夏をやり過ごしてきた児童生徒たちの不満を、教師たちはなぜ声を大にして代弁してこなかったのか…児童生徒の安全や健康を、日本の教師たちは本当に真剣な気持ちで心配してきたのか…いまだに鍛錬主義の亡霊が日本の校舎を徘徊してはいまいか…管理職らの責任も厳しく問われるだろう。

「部活バス」遠征は禁止すべき?千葉県議「現場に全て丸投げは無責任だ」「費用補

     助を出していく流れは作っていかなければならない」

     ABEMA TIMES (Microsoft)  2026.5.30

     かつて部活動遠征の交通費半額を生徒会費から支出していた時代があった。経費を何らかの手段でねん出することは今でも決して不可能ではあるまい。加えて現状のままで遠征を禁止すれば、多くの部活動は練習試合だけでなく、公式試合ですら参加不可能となる。年間、数十試合を遠征でこなしている部活は決して少なくない。

     ただし、この議論には肝心な観点が欠落している。第一に部活動における教師側の安全と過大な負担をどうするのか、という視点。第二に部活動の過熱した現状が学校での授業、学習面を侵食し、学校をブラック化している、という側面。これらの問題を見落としたまま議論を続ける意味などあるはずがない。

 高校もまた中学校と同様に、部活動を社会教育の分野に移管していく必要があるのではないか。そのためには高校の体育や芸術の授業をも社会教育に移管し、一日の授業時数を6から5、ないしは4に減らす、体育科や芸術科の教師を社会教育に回し、放課後の学校施設の一部を社会教育機関に貸し出す…せめてこのくらいの取り組みが一度は試案として検討されるべきではないか。

 まず何よりも高校の教師と生徒たちが肝心の授業に専念できる体制を一刻も早く作りだすべきなのだ。

 

修学旅行に絡む児童生徒死亡、20年間で全国で計22件 同志社国際高マニュアルの不

    備は 産経新聞 2026.3.24

 高校側のマニュアルがどのようなものであり、なぜ、教員が生徒たちと一緒に乗船しなかったのか、等が報道を通じて詳細に明らかとされない限り、この事故は今後の教訓とされることなく、瞬く間に忘れ去られてしまうだろう。そして残念ながら高校側の修学旅行における安全確保に関わるマニュアルは私の知る限りいまだに報道されていない。なぜ、学校事故の教訓がこれまで生かされてこなかったのか、その理由がこうした表層的報道のあり方や学校側の自己弁護的、自閉的姿勢にも見え隠れしているのだろう。

    …医療費や見舞金が給付される「災害共済給付制度」。この制度を運営するJSCのデータベースによると、平成17年~令和6年度に学校行事中の事故で死亡見舞金を支払った事例は計87件あり、このうち修学旅行は計22件…と記事にある。JSCという組織のデータ(日本スポーツ振興センター「学校等の管理下における死亡見舞金の状況」)を参照しなければ、学校教育下での死亡事故の統計はほぼほぼ確認できない点にまず大きな問題があるだろう。つまり、報道側や学校側が自らの手でよほど積極的に学校事故の事例や統計を探さない限り、事故の教訓を学ぶことは出来ないのである。ここには厚生労働省と文科省と縦割り行政の弊害もあるのかもしれない。

    「校庭に放置されるクギ」問題や「人間ピラミッド」問題などがこれまで長らく放置されてきた背景にも、学校事故の統計や事例集が多くの教師たちにしっかりと共有されてこなかった、同じような構造があると私は感じている。

    このような状況下では、修学旅行などの学校行事における安全マニュアルが漠然としたものになりがちなのは当然である。具体的な事故の事例と統計が示されないままでの抽象的な注意点の羅列が説得力をもつはずはない。

    沖縄ではカヤックなどでマングローブの湿地帯を見て回る体験学習が人気となっている。波のほぼ無い浅瀬が多く、命の危険まではあまり無いだろうが、それでもカヤックの漕ぎ方や転覆した際の対応などは業者から事前にそれなりの時間をかけて指導されている。当然、救命胴衣は必須である。修学旅行におけるカヤックの死亡事故はこれまで報告されたことはあるのだろうか。おそらく無いはずだ。

    マリン体験は沖縄修学旅行においてこれまでも生徒たちにとって大人気コースとなっており、それだけに学校側は安全確保に対して細心の注意を払ってきたはずである。業者側もそれなりの事故事例と教訓を共有してきたに違いない。

    今回はそうした観光業者ではない団体が、安全性に大きな問題のある小舟で、しかも波浪注意報の出ている外洋に出てしまっている。加えて元教師としては驚き呆れることだが、教員が一人も乗船していない。

    これほど杜撰なコースを学校側は何ら疑問を持たずに設定し、何年もの間見直すことも無く漫然と繰り返してきた…そのこと自体がそもそも常識的な安全マニュアルから完全に外れている、余りにも非常識で無責任な行為であることはもはや疑いようが無い。これは生徒の安全確保を最優先すべき学校としてあるまじき大失態である。

    ならばなおさら学校側の安全への配慮を欠いたコース設定は、その意思決定の経緯の詳細を含めて公開されるべきである。そして多くの学校の教訓となるよう、その情報はしっかりと共有され、末永く記憶されていくべきではないのか。

参考記事

高校サッカー試合中落雷事故「予兆なく発生」も指導教諭らは注意義務違反? 悲劇

 防ぐ 「ためらわない」判断力 弁護士JPニュース によるストーリー 2024.4.10

 この悲劇的な事故を不運な出来事と捉えているうちは落雷による悲劇を防ぐことはできないだろう。屋外で行われるスポーツはすべて同じ危険性をはらんでおり、児童生徒自身の判断での回避が難しい条件下では顧問の判断が生死を分ける。したがって顧問の責任は極めて重大であると考えざるを得ない。

 実際、落雷の予兆を察知するのは非常に難しく、特に相手方のある試合等の中断を判断するのに悩まされるケースは多かった。とりわけせっかく苦労して日程を組み、時間をかけて会場を整備した公式試合ともなれば会場責任者の決断は苦渋に満ちたものになるかもしれない。しかしその苦渋は児童生徒たちの命と比べればまったく価値のないものに過ぎないはず。判断を渋って避難の時間を遅らせることが絶対にあってはならないのだ。

 とはいえ学校におけるこうした事故が後を絶たない背景に教師たちの過重な負担があることは間違いあるまい。顧問たちの家族を犠牲にして休日に行われる公式の大会は雨天順延が原則。つまり順延となればその後の個人的な予定はキャンセルされ、家族の不満は募る一方となる。家族の行事が基本的に順延できない性質のものだとしたら猶更である。

 また平日に順延されれば顧問は急いで自習課題を用意し、学校に連絡して自習監督を依頼することになる。つまり試合は期限内に必ず実施されなければならないため、雨天等の順延は間違いなく顧問たちの負担を増やすことにつながるのだ。こうしたことが予想されるため、大会責任者が時に土砂降りとなっても試合を続行することすらかつては少なくなかった。そうした危険をはらむ判断に対して責任者以外の顧問たちが意見することは、責任者の気持ちを忖度するときわめて難しくなるのは心情的に理解できる点がある。

 しかし結論から言えば落雷の危険性が少しでもある場合は中断や延期の判断を遅らせてはならない、ということになるだろう。そうした決断に強い抵抗感や無理を感じる人ならば運動部の顧問を辞めるべきなのである。最悪の事態は試合の延期などではなく、事故による児童生徒への被害の発生なのだ。

 ただし以上の結論は正直に言えば教師の心情からみてあまり現実的ではないようにも思える。つまり多少の危険を承知の上で無理をしてでも日程を消化してしまいたい、という強い欲望にあらがえる教師はそう多くないのではあるまいか。実際、自分の経験でも落雷の危険を感じて練習や練習試合を中断したことは何度かあった。生徒を校舎内に避難させた途端に落雷と土砂降りが始まり、かろうじて間に合ったことにホッとした時もあった。しかしよくよく考えてみればその時、既に手遅れになっていた可能性は決して低くなかったはず。

 ほとんどの顧問は実際のところ結果的に運が良かったために事故に遭わずに済んでいただけなのではないのか。ただ単に落雷の被害に遭う確率の低さゆえに事故に遭わずに済んできたのだとすれば熊本での事故の責任をかの顧問に問う資格など私にはあるまい。私が事故に遭わずに済んだのはやはりただの偶然に過ぎないのだ。決して雲行き、天候の急変を見抜く力があったわけではない。

 根本的に考えれば今の教師のブラックな働き方においてはこのような事故を完全に防ぐことなど不可能に近いだろう。仮に個々の顧問の責任が問われないようにするとしたならば、雷注意報が出された時点で屋外におけるすべての学校スポーツの中断を求める絶対的指令を情け容赦なく機械的に出すほかあるまい。個々の顧問の判断に任せているから事故が生じてしまうのだ。ただし誰がその指令を出すのか…どの地域を限定して出すのか…指令はいつ解除されるのか…等々、実施上の難点は少なくない。

 ならばいっそのこと、高校を含め、すべての部活動を地域社会に完全移譲するのはどうだろう。今はそれしか児童生徒と教師たちを守る手段は無いのではあるまいか。地域社会に移譲できれば指令の主体は自治体であり、責任は市町村が負えばよい。いかがだろう。

 たとえば以上のことをぜひ授業を通じて生徒たちに考えさせたい。これは多くの生徒にとって他人事ではない悲痛な事故であり、かなり真剣に考えてくれるはずだ。

小中高校の死亡事故456件、7割が国に未報告…文科省が指針改定で学校の調査

   対象や方法を明示 読売新聞 によるストーリー 2024.2.27

小中高校での死亡事故報告が不徹底、盛山文科相「改善が望まれる」…今年度内に 

   指針改定へ 読売新聞 によるストーリー 2024.2.27

 悲惨な学校事故がなぜこうも繰り返されるのか、これまで幾度も疑問が呈されてきたが、その都度、教育委員会や校長から事故発生の原因究明と再発防止に努める、との聞き飽きた形式的な声明が打ち出されてきただけ。

 今回、その背景はいまだボンヤリとしているが、しかし学校教育の闇の奥がわずかながら透けて見えてくるような衝撃の事実が判明したようだ。

 死亡事故ですらそのほとんどが国に報告されておらず、事故防止の教訓が学校現場で広く共有されることすらなかった…尊い命の犠牲が長きにわたってほとんど学校現場に生かされることなく徒に埋もれてきた…この事実が何を意味するのか、誰しもが考えれば考えるほど学校、教育行政側の対応に見られるあまりの無責任さ、杜撰さに怒りは収まらなくなるに違いない。

 記事では学校の忙しさが未報告の理由に挙げられているが、この件に限ってはその手は通じないだろう。間違いなく学校業務の優先順位の第一位は児童生徒の安全確保であり、その命を守ることである。まして死亡事故ならば文科省への報告が必須となるのはもはや疑問の余地無し。また当然のことながら学校教育には死亡事故がつきもの、といった時代遅れで無責任極まる野蛮な認識は今時、世間の共感を得られるものではない。

 通常、学校での事故による児童生徒のケガが発生した場合、関係するクラス担任や顧問などの教師は学校保健の手続きのために、事故の発生場所、日時、状況、経緯、考えられる主な原因…などを所定の用紙に記入して保健室へ提出するように義務付けられている。私としてはその後、用紙は学校保健の手続きだけにとどまらず、コピーされて関係部署に送られ、学校事故の統計などの資料に有効活用されているものと考えていた。

 もちろん学校保健上での全国的統計はこれまでもなされていただろうが、同時に事故の多い体育の授業や運動部の指導、体育祭などにそのデータは事故再発防止のためにしっかりと活用されているものとこれまで思い込んできたのだ。

 一体何のための書類作成だったのか…完全に裏切られた気分である。

 体育祭などでの人間ピラミッド、騎馬戦、特定の部活や体育の種目でなぜこうも執拗に重大なケガや死亡事故が繰り返されてきたのか、その反省が十分に生かされてこなかった理由の一端はこれでハッキリと示されただろう。冷静に振り返れば確かにこれまでの学校現場では事故発生の状況や原因についてのまともなデータが完全に不足しており、教師間でのデータの共有はほとんど無かったといって良い。もちろん当事者であった自分の認識の甘さ、迂闊さは遅ればせながら深く反省すべきである。

 一般教職員、さらには教育委員会や学校管理職にある者たちの児童生徒の命、安全に対する認識と関心の欠如がまずは指摘されよう。さらには学校側の落ち度を探られないよう、事故発生の本質的要因を探られないようにするための姑息な隠蔽体質が学校教育村の隅々まで蔓延している…ということに改めて気付かされる。

 こうした教育行政の古くて閉鎖的な体質が他方で学校でのイジメをもはびこらせ、教師による暴言、体罰、シゴキを温存させ、終いには組織ぐるみでの事件の隠蔽をはびこらせてしまった大きな要因なのはもはや疑いようもあるまい。

その7.②学校の閉鎖性

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

【教員の悩み相談】ベテラン教諭の「指導案を簡素に」が却下…「味よりレシピ」

     重視の昭和すぎる学校文化にサラバ!  東洋経済オンライン 森 万喜子 2026.7.4

 …学校ってつくづく閉じた世界だと感じることがあります。世の中ではテクノロジーが発達して、公共施設のお掃除も警備もロボットが働いているような世の中になっていても、学校はほうきとちりとりで部屋を掃除することを手放さない。そして、不審者対策に「さすまた」(江戸時代からある道具)が配備されている。

     面白いエピソードがあります。友人が中学生に「3年B組金八先生」を見せたところ、中学生はこれを新しく始まった番組だと思ったそうです。ご存じでしょうが、あのドラマは最初のシリーズが始まってからもう50年経っているのです。

     でもその中学生は昔の学校だと思わなかったようです。よく見ると教室のレイアウトは当時も今もほとんど変わっていません。前面に黒板。黒板の右端には日付と日直の名前を書く。前面の壁には生活目標や心得が掲示されている。机は黒板を向いて並び、背面の壁には書写や絵画の作品が掲示されている…

     古色蒼然たる日本の学校に郷愁と慣れ親しんだ安心感すら覚えている教師は決して少なくあるまい。とりわけ管理職にその傾向は強い、としたならば、日本の学校のリニューアルが遅々として進まないのは当たり前であろう。

 …指導案は例えていえば料理のレシピ。日本の学校は授業のよしあしよりも、準備にかけた手間や時間を称賛することが多い。「力作です」「頑張りましたね」とレシピを褒められても、できあがった料理が美味しいとは限らない…

 ご指摘の通りであろう。指導案を作成する意義は、事前に児童生徒の反応を予測して、どこで発問し、どこでどのようにして児童生徒の興味関心を引き出すのかを考える点にある。その準備を怠ると、進度ばかりに気を取られて、授業は一方的なマシンガントークに走ってしまいがちになるだろう。

 教師の予測を超えた、無視できないレベルの反応が出てきた場合、当然のことながら教師は児童生徒の反応に寄り添った授業展開に切り替えるべきであろう。そこで問われるのは教師の臨機応変の対応力であり、それを可能とするだけの知識や発想の引き出しの多さである。授業案に囚われるあまり、プラン通りの授業展開に教師が走ってしまうと児童生徒は置いてけぼりにされてしまうかも。

 まずは教師が授業と授業準備に専念できるだけの時間を確保することが急がれるだろう。学校の業務量の削減に寄与すべく、指導案の内容の見直しとともにその簡素化を進めていくべきである。もちろん学校行事、とりわけ儀式的行事の大幅な削減は必要不可欠である。

「いじめ」でも「家庭環境」でもない…日本中で「教室に行けない子ども」が急増してい

     る"本当の理由" プレジデントオンライン 石井 光太 2026.7.1

 子供たちのコミュニケーション能力、言語能力の低下は確かに不登校増加の要因の一つとして見過ごせないものかもしれない。しかしそれは学校という場が子供たちにとって辛い時空となっている理由の一つに過ぎない。日本の学校が頑なに抱えてきた管理主義、画一主義もまた不登校を招く大きな要因だろう。

     かつて存在していたギャングエイジがほぼ消滅し、異年齢集団による集団遊びが激減してしまった現在、それを取り戻すことは極めて難しい。しかしSNSやネットの発達によって地域や学校の枠を超えた関係を築くことも可能になった現在、学校社会の囚われから解放された新たな関係性を生みだせる可能性はむしろ増してきている。ネットや学校教育だけではなく、社会教育の場が子供の成長に果たす役割もまた決して小さくない。地元の公民館だってそれなりの役割を果たせるはずである。

「森友問題」文書開示で見えてきた、衝撃の新事実…改ざんを指示する財務省の

    「なまなましいやり取り」 週刊現代 相澤 冬樹 2026.2.24

 隠蔽と改ざんを通じて官公庁が犯罪を行い、隠す。どれほど良心的な公務員であっても、内部告発がいかに難しいかを示すのが森友事件だろう。表では内部告発を奨励しながら、裏では隠蔽、改ざんを命じる官公庁…命じられた者は死に追いやられ、命じた者は刑に処されない…こんな現状が続く限り、公務員の世界において一体、誰が内部告発に踏み切れるだろうか。

 敗戦時の混乱に便乗して隠蔽に隠蔽を重ねてきたこの国の罪深い体質は、「ボタンの掛け違い」のごとく、延々と引き継がれてしまうかのようだ。

12県警が5年間で公益通報ゼロ 「あり得ない数字」と専門家

 毎日新聞 2026.2.24

 当然の結果であり、「あり得ない」などと何も今さら驚くべきことではあるまい。内部告発した結果、自殺に追い込まれることも有りうるのが風通しの悪い公務員の世界である。兵庫県での内部告発件数が最多だったのも、そうした悲劇があったばかりだからに過ぎまい。どうせ、のど元過ぎれば熱さ忘れる、といったところか。

 なお、教育公務員にも内部告発の制度は本来あるべきはずだが、おそらく多くの都道府県では、教員からの内部告発件数の調査報告すらほとんど表に出てこないのが実情だろう。そのせいもあってか、管理職や教育委員会によるイジメ事件や体罰、学校事故、管理職による不当人事の隠蔽が後を絶たないのではあるまいか。校長らによる強烈なパワハラやセクハラはさすがに事件として表に出てくる可能性が高いだろうが、入試や人事に関する学校や教育委員会による組織ぐるみの隠蔽となると、事件の多くは未だに闇の中だと思うがいかがか。

 本来ならば公立学校でも教育長以下、校長らが繰り返し、学校現場に対して内部告発を促すべきであるはずだが、なぜか、そのような動きがあったという情報はつぶさに学校教育関連の記事を確認している私自身、ほとんど記憶に残っていない。またたとえそのような動きがあったとしても、人事を握る管理職や教育委員会が主体となっている案件では旭川女子中学生凍死事件のように、衆人環視の下で何度も第三者委員会が調査したとしても、事の真相は遅々として表に出てこないに違いない。公立学校の組織的隠蔽体制はきっと長い時間をかけ、児童生徒のプライベート重視を逆手にとって既に鉄壁の守りを固めてきたのだ。

 公教育の腐敗はそうした隠蔽体質によって周囲からはほとんど見えないところからいつの間にか密かに進行してきた。これはあたかもステルス癌のように、一旦、症状が表面化してきた段階ではもはや手遅れとなっていると私は考える。そして今、公教育は既にほぼ再生不可能となってきている、というのが私の見立てである。

 あれだけ騒がれてきた鹿児島県警や兵庫県庁の事件を経ても、地方公務員の内部告発は今も驚くほどに少ない。ましてより一層闇深い場所に立たされている教育公務員が今後も内部告発をするようになるなどとはまったく思えない。したがって公教育の腐敗はいよいよ加速するばかりとなるであろう。

参考動画

「先生終わりだね」「消えろ」暴言に暴力も… 子どもから教職員への暴力行為が“

     加 熊本県民テレビ KKT公式チャンネル 2026/02/10 3:36

 この手の薄っぺらな「煽り」報道に対しては概して冷静に把握すべきだと考える。ただでさえ学校教育に関する統計の一部はほとんど信用ならないシロモノである。自らの落ち度をできるだけ隠蔽し、棚に上げて可能な限り軽く見積もる一方で、被害者意識だけは強い教育委員会や管理職側の一方的な言い分を、何の実証的、客観的検証も無く鵜呑みにするほど、浅はかなお人好しにはなるわけにはいくまい。

 児童生徒からの暴力的行為の増加傾向は実際、全国的に見られるようだが、これを理由にして単純に児童生徒への厳しい統制、行き過ぎた管理主義の復活を図ろうとする、復古的な動きには強く警戒したい。学校や教師側の問題やネット社会の問題、地域社会や家庭の問題なども同時に把握しつつ、児童生徒の暴力行為の背景にあるものをなるべく実証的に広く、かつ深く探るべきだろう。こうした表層的報道だけで「こんなことまで言われて先生、可哀そう!」と、変に憐れむのは厳に慎むべきである。

 「学校や教師が次第にコンプライアンス重視の風潮に縛られて徐々に指導が生ぬるくなってしまったからこんなことになるのだ」という一方的な決めつけだけは絶対に避けるべきだろう。こう言っては失礼になるかもしれないが、ただでさえ、イジメや教員の体罰がはびこりがちな、旧態依然の教育風土が強く感じられる熊本である。

 こんな薄っぺらなマスコミ報道を利用して他責的な姿勢を示す前に、まずは教育委員会や管理職側の教育の在り方に関する知識や意識のアップグレードが十分にできていたのか、学校側の生徒指導等に落ち度はなかったのか、等を含めてしっかりと内側の問題点を検証すべきだったのではあるまいか。

参考記事

校長が児童を突然怒鳴る、学校内の飲酒で発覚 市教委の報告漏れも

 朝日新聞社 2025.12.26

 勤務中に校長室で飲酒し、さらにPTA総会や、5月の運動会、職員会議でも居眠り。そしてあろうことか学校の校外学習に向かう児童らを突然怒鳴り、うち1人に精神的な被害まで与えていたという。まさにやりたい放題である。福島では校長が独裁者と同じような地位なのだ。

 加えて市教育委員会はこうした事態を把握しながらも、「非違行為との認定までできず、報告」の必要無し、と判断し、県教育委員会に報告さえしていなかったという。つまり校長ならば大抵のことは許されるべきだ、との考えが、実はこの校長だけではなく、市教育委員会全体に蔓延しているのだ。

 さらに県教委もここまで酷い失態を繰り返した市教委に対して「適切な情報共有を市教委に口頭で申し入れた」だけ。当該校長に対しても県教委は職務態度不良を理由にこの校長を停職12カ月の懲戒処分に処しただけというのだから呆れてものが言えない。

 校長ならば何をしても許される?…そんなはずがあるわけはない。むしろ管理職として一般職員よりも一層、重い責任を負う立場であろう。同記事では県教委が「高校の20代の男性非常勤講師を懲戒免職にし、発表した」らしい。当該教師は「10月に被害女性が18歳未満であると知りながら、わいせつな行為をした」という。

 責任重大な管理職に対しては「停職12か月」、20代の非常勤講師には懲戒免職…どうにもアンバランスで腑に落ちない。講師の懲戒免職に対しては事の詳細が不明なので断定的なことは言えないが、とりたてて違和感や疑問は湧いてこない。しかし児童生徒に有害な言動をとり、数々の信用失墜行為を繰り返してきた校長に対して「停職」で良いものだろうか。重い責任を負うべき管理職に対して軽い責任しか問おうとしない県教育委員会にも不信感が募る。こんなレベルの校長を登用してしまった任命責任は重大であるはずだが、一体、誰が任命責任を負うのだろう。福島の教育界では管理職同士の「庇い合い」の一線を超えた、ただの醜い「なれあい」そのものであろう。

 きっと学校教育村の内輪だけでヒソヒソと人事を決めてきたから、こんなみっともない事態を招いたのではあるまいか?

 

 私の大学での大先輩にあたる方が40年余り前、教育困難校での教師がどのようにして困難な状況を乗り越えようとするのかを博士論文のテーマにして取り組んだことがある。「サバイバル・ストラテジー(生き残り戦略)」というキーワードで民族学、文化人類学が用いる参与観察という手法を使って教師や生徒の生態観察を試みたものである。

 私自身は素晴らしい論文だ、さすがは博士論文・・・などと単純に感心していたのだが、当の学校現場では必ずしもそう受け取られず、倫理面での批判があったと聞いた。しかし実はこのような、まさに「潜入捜査」でも試みない限り、すっかり村社会化し、自閉してしまった今の学校の内部や実情を探るのはどんなに優れた学者であっても困難を極めるだろうと私は今も確信している。

 つまり教育行政や学校現場の持つ牢固な隠蔽体質が研究者の学術的研究やマスコミによる真相究明を長年、妨害し、頑なに阻んできたと考えられるのだ。従って学校教育の病状が極めて深刻でその症状は誰の目にも明らかになっていたとしても、肝心の症状を生み出すメカニズムや学校や教育委員会の奥底に潜む病巣を明らかにし、適切な診断を下すことは相当の専門家ですら今後も困難を極めるに違いない。

 それはあたかも医者がウソまみれの記述と空欄だらけの問診票、頭皮をそっとなでるだけの触診、それに体温と血圧の数値だけで脳腫瘍などの診断を行おうとするに等しいほど、無謀な行為だと思われる。

参考記事

そりゃ隠蔽するわ…「正直者がバカを見る」バッシング社会の病理

   ダイヤモンド・オンライン 秋山進 2025.3.12

   隠蔽に走りがちな組織に見られる特色として「リーダーシップの不足」、「証拠の不在」、「リソース不足」、「心理的バイアス」(現状維持バイアス、損失回避バイアス)が挙げられている。いずれも多くの学校に当てはまる特色だろう。2~3年でいなくなる校長や教頭に学校経営のリーダーシップなどあるわけがない。学校の組織的病理に通じている人材がほぼ皆無であり、多くの教師は学校経営自体に無関心。事を荒立てることなく無難にやり過ごせる能力が重宝がられる組織風土…学校自ら学校の根深い隠蔽体質を見直すことは極めて困難である。

「文科省と日教組が結託した治外法権」問題教員にも手出しできない市長の無力

 ダイヤモンド・オンライン 泉 房穂 によるストーリー 2024.10.27

   泉氏の主張には無条件に賛成できない部分もある。たとえば市長が学校教育へ不用意に介入することは公教育の「政治的中立性」を脅かす危険性を強めてしまうだろう。もちろん泉氏のような考えである限り、市長が介入することは学校現場としても大歓迎すべきであろうが、市長の方針によってはとんでもない事態を招いてしまうかもしれない。

   確かに「政治的中立性」を盾にして教育行政は外部からの介入を排除し、「治外法権」の領域を拡大しようとしてきたのかもしれず、その点に関しては泉氏の指摘通りなのだろうが、やはり斎藤元兵庫県知事のような人物がゴリ押しで公教育に介入してくるのはどうか、とも思うのだ。

   本来、こうした問題を解決すべく設置されたのが都道府県および市町村の教育委員会であったはず。戦後間もなく、アメリカの指導によって設置された教育委員は公選制の形を持って民主主義的に選出されていたのである。しかし教育委員会の役割に対する日本国民の理解が進まず、結局、公選制は瞬く間に撤廃されてしまった。長く公教育の運営を「お上」に依存し、ひたすら政治に対しても受け身のままであった国民を、主体的な主権者として育成していくにはそれなりの時間と種々の施策が必要であったに違いない。軍国主義が一掃されていない戦後間もなくの段階での教育委員公選制は確かに時期尚早と言えた。

   教育委員は結局、学校の管理職候補と元管理職で占められてしまい、結果的に学校と教育委員会との馴れ合い、癒着が進んでしまった。これが学校の不祥事、隠蔽事件が多発する土壌を生み出してきてしまったと考えるが、いかがだろう。

   相次ぐイジメ隠蔽などの学校、教育委員会による不祥事隠蔽は、教育委員会が本来果たすべき役割をこれまで十全には果たせてこられなかった側面が極めて大きいのではあるまいか。ならば、今、見直すべきは人事を含めた教育委員会という組織のあり方の方であろう。泉氏のような高い見識を持つ市長ばかりではない、という現状からすれば、市長による教育への介入強化はやはり好ましくはあるまい。検討すべきはむしろ教育委員公選制復活を視野に置いた、教育行政の民主主義化、自由主義化の方ではあるまいか。

 かなり遠回りに思えるようだが、教育委員会の抜本的組織改革が実現するには、まず児童生徒や保護者らが学校運営に積極的に関わっていく各種の工夫やシステムを構築して、国民の多くが望ましい学校運営とはどういうものなのか、ある程度の見識を持てるようにしていく努力が欠かせまい。そういった点でも児童生徒の主体性、当事者意識を育む授業改革は教育行政改革にもつながる地道な一歩であると考える。特に社会科授業で学校教育問題を積極的に取り上げて児童生徒に議論させる取り組みは今後、一層重要となってくるであろう。

『あさイチ』学校内での「盗撮」にスタジオ騒然…博多大吉「途中から気持ち悪く

 なってきた」ゲストも激怒 中日スポーツ 2024.7.3

 一見、授業では使えそうもない記事のように感じるかもしれない。しかし使い方次第では面白い教材に化けるだろう。なぜこんな事が学校で起きているのか、まず生徒たちに考えさせたい。

 みなかみ町下半身検診問題や学校での盗撮問題、イジメ事件とその隠蔽問題などに共通するのは、学校が、今や自己責任を問われる大人社会と隔絶された奇妙な聖域と化し、かつ外部の人からは妙に薄暗く、よく見ようとした途端にピシャっと閉ざされてしまうカーテンの奥、完全なブラックボックスと化した現状である。すなわち今や良からぬことを密かに行う場として最適な場所になってきているのが、現在の学校と言う空間なのだ、と私は考えている。

 「学校の中ならバレない、教師にバレたとしても大事には至らない」という心理的安心感も、学校での犯罪行為を後押しする大きな要因と考えられる。実際、余程のことでなければ警察官が校内に立ち入ることは無い。警察官が校内に立ち入ることを極端に嫌悪する管理職や教員は極めて多いし、事件を大事にしたくない多数の教師たちは結果的に「臭いものにはフタ」をしがちである。これらの要素は犯罪者やいたずら者にとって極めて好都合であり、実際、犯罪の横行する条件が現在の学校にはフルで揃っていると考えるべきだと思う。

 学校という場が現状としてあたかも無法地帯のような空間となってしまった背景には一体どんな要因が潜んでいるのだろうか。一つには教師の目が行き届かない「死角」が校内には少なからず存在しており、かつ教師数の不足や過重労働によって教師自身、生徒たちの動きを十分、追えていない点がまず考えられる。

 さらに少なからぬ教師たちが過重労働のもとで責任逃れをしたいがために事件の隠蔽や見て見ぬふりをする。そしてそうした教師たちの姿を児童生徒らは日常的に観察している。こうした点も、校内での教師や児童生徒たちによる事件を頻発させている大きな要因だろう。

小2男児が頭打ち嘔吐、担任ら保護者の要請断り45分間救急車呼ばず…頭蓋骨骨

 折など診断 読売新聞 によるストーリー 2024.6.6

 この件では主に二つの事が懸念されよう。一つは頭を打って嘔吐した、という、非常に危険な状態への教師の認識に甘さがあったのでは…という点。常識に見て一刻を争う事態であり、容体を静観している場合ではあるまい。

 にもかかわらず、担任や養護教諭がただちに救急車を呼ばなかった…となれば担任や養護教諭の頭部打撲に対する認識の甘さ、知識不足が強く疑われる。本来ならば知識と経験豊富な養護教諭が真っ青になって救急車を手配する場面だろうが、なぜ、そうしなかったのか、理解に苦しむ。

 もう一つは学年主任や管理職の判断を待つために無駄な時間を費やしてしまった可能性。「ほうれんそう」、すなわち管理職への報告、連絡、相談を欠かさない姿勢が学校現場では強く求められてきたが、それが行き過ぎると教師個人の判断力が鈍り、責任感も分散しがちとなる。管理主義の行き渡った小学校では災害時などでの教師個人による即断即決、緊急対応の力が十分に養われない可能性は大いにあるだろう。

 学校における緊急事態への対応の遅れはこれまでも頻発してきた。最も悲惨な例は東日本大震災時の大川小学校での悲劇だろう。これはまだボンヤリとした個人的憶測にすぎないのだが、日本における義務教育段階での行き過ぎた管理主義と集団主義は教師個人の決断力と当事者意識を大きく損なう側面があると思えて仕方ない。子どもたちのかけがえのない命を預かっている、という教師にとって本来、最優先されるべき自覚が日本の場合、どこか蔑ろにされている、という懸念が私にはあるのだ。行き過ぎた集団主義、管理主義の下では教師個々人の当事者意識と責任感の欠如を招き、いざという時の初動の遅れをもたらしているのではあるまいか。

県警本部長「隠蔽」を否定せず 鹿児島、前生活安全部長が指摘

   共同通信 によるストーリー 2024.6.6

 公益通報は社会人にとって本来、重い責務であるはず。上司や組織の違法な行為を知っているにもかかわらず公に通報しない…ケースによってはそのことで生じる社会的損失には計り知れないものがあるだろう。しかし学校や警察、お役所などでは残念ながら市民のために通報、公開すべき事案を隠蔽する事件が頻発しているように見えてしかたない。しかも勇気をもって通報した人が処罰されてしまう、職場にいられなくなってしまう、自殺に追い込まれてしまう惨いケースも少なくはないようだ。

 だが公的な立場にある人こそ、公益通報の責務は重くしなければなるまい。特に政治家の側近、秘書などはこれまでもっぱら政治家の悪事の手先、協力者とされてしまいがちだったような印象が強い。しかし政治家の秘書とは自分が仕えている政治家の悪事を知ったならば市民のために直ちに通報すべき立場に置かれているはず。でなければ市民社会を守るべき政治家の秘書としては完全に失格であろう。口の堅さが秘書の資質とされがちな日本の政治風土こそ、悪事の温床なのではあるまいか。

 こうした閉鎖的な職場風土は他の公務員社会でも同様であろう。警察や学校ですら公務上知りえた秘密を口外してはならない、とする原則が裏目に出て各種の隠蔽事件の続発をもたらしているのではあるまいか。

 今後は公務員の場合、守秘義務が適用されるケースを情報のリークによって一般市民に大きな被害が及ぶ場合に限定すべきだろう。守秘義務を悪用して公益通報の理念を形骸化しようとする今までの日本社会の陰湿な風潮にそろそろ反旗を翻す時ではあるまいか。

 ※参考動画

  #656 【塩ちゃんねる】鹿児島県警の隠蔽がついに~長くかかりましたが、ようやく始まったば

   かり~ 塩ちゃんねる 2024/06/06 4:41

  ◎鹿児島県警元幹部「闇を暴いてください」元キャリアも指摘する異例さ【サタデーステーショ

   ン】 ANNnewsCH  2024/06/08 10:31

  容疑者コメント「本部長でなければ誰でもよかった」名指しの幹部を変えた理由 鹿児島県警情

   報漏えい事件 (24/06/10 19:20) 鹿児島ニュースKTS  2024/06/10 2:41

  〇【留置場で遺体となって発見】警察官が取調室で暴行か「右足にアザ」が 法医学者が異例の告

   発 密室取り調べの実態 「取調室はブラックボックス」| 

   カンテレNEWS 2019年5月21日 9:12

   密室の怖さは学校にもある。 

 

 なぜカッパは学校の閉鎖性、責任逃れの隠蔽体質を強く問題視するのか…については以下を参照してください。そこで学校の根深い隠蔽体質を繰り返し、指弾しています。多くの学校教育に関わる問題の根っこにこの隠蔽体質が潜んでいるとカッパは睨んでいるのです。

 

 →§7.カッパの伝言板その5.1980年代以降の学校教育を巡る言説に関する私的覚

   え書き①

 →§3.学校教育編その1.画一的、管理主義的教育の弊害前編

 →§3.学校教育編その2.学校の隠蔽体質前編・中編・後編

 →§3.学校教育編その7.揺らぐデータの信頼性

その3.差別と格差(前編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

日本人が「自己責任」と言いたくなるワケ     ゆるゆる地政学 2026/05/11  21:14

 小泉内閣時代の自己責任論の危うさと私がこのブログで指摘してきた老害政治家による「老害汁のトリクルダウン」現象との関係が、この動画ではスッキリと整理されていて分かりやすい。現代日本社会が直面している問題点の根底に何があるのかを掴むうえで大変、有用な動画である。下の動画とともイチオシ。

「失われた30年」って、本当に失ったのか?

     ゆるゆる地政学 2026/05/13  17:07

 日本社会の現状に対する非常にバランスの取れた冷静な分析だと思う。現代社会への理解を深める上で授業の最初と最後、二度、視聴すると効果的。二度、視聴する価値は十分ある。

経済格差と心理学。なぜ貧乏人の方が寄付をするのか | 論文解説

     KNOWAVE | ノーウェーブ 2026/05/11  9:35

     高級車に乗っている人ほど運転マナーが悪いことを示した実験もあるので、同時に視聴させると良いだろう。経済格差の拡大を支持するのか、否か、議論する上で一つの参考となるに違いない。

ヒエラルキーは人間の本能。学校、会社での序列とステータスの進化心理学 | 論文解

     説 KNOWAVE | ノーウェーブ  2026/04/25  15:44

     大統領選に勝つための手法にも通じる内容であり、下の「トランプがなぜ二度も大統領になれたのか」という問いに対する心理学的な答えの一つとなっているだろう。

なぜ特権階級は「破滅的なポリコレ」を推奨するのか? ラグジュアリー・ビリーフ 

     神のみぞ知る  2026/02/06  27:30

 トランプがなぜ二度も大統領になれたのか、裏を返せばなぜ民主党は二度も共和党に敗北したのか、その理由を考える上で外せない論点の一つが分かるだろう。一握りの富裕層と多数の貧困層との格差が拡大してきたアメリカ社会の根深い病巣は富裕層の間にも「ラグジュアリー・ビリーフ」という偽善の形で存在している、という指摘は耳が痛いかも。

「死にたい」「生きる希望がない」若者たちの孤独や絶望 寄り添うために社会には

     何が必要か…奮闘する”支援の現場”に密着【テレメンタリー】

     ANNnewsCH 2026/04/10  24:45

 若者の貧困と自殺問題について考える上で参考となるだろう。大阪の西成にオフィスがある点も教材としては都合が良い。日本の少なからぬ若者が孤独や貧困、精神的な問題を抱えているのか、その現状と原因への関心を高めていきたい。

黒人が差別される原因を黄色人種と黒人と白人で考える会議

   【公式】大チャンネル 2025/03/31 1:57

 かなり刺激の強い毒のある風刺だが、差別に関する議論を始めていく上でそれなりに役立つ内容であろう。ただの正義感だけでは差別が無くならない、とすればどういう対策が考えられるのか、問いかけていきたい。

【生地獄】アウシュビッツ強制収容所に収容されるとどうなるのか?

     VAIENCE バイエンス  2025/02/17  14:19

 差別、偏見が招いた20世紀最大の悲劇こそ、ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)であろう。アウシュビッツで何が行われていたのか、情報量はかなり少ないものの、その一端を垣間見る上では役立つはず。

戦後80年 東條英機に最高額命の値段に格差 国民には「受忍」【3月10日(月)】

 TBSNEWS DIG Powered by JNN 2025/03/11 1:04:23

 軍人と軍人以外の国民との間に横たわる巨大な格差には一体どんな背景があるのだろうか。軍隊が解散された敗戦後においても大将と最下層の兵士との間に軍人恩給や遺族年金での格差があるのはなぜだろう。「一億玉砕」を唱えて民間人をも戦場に送り込み、集団自決を強いた支配層の多くは戦後、手厚い補償を受けていた。ところが民間人はドイツやイタリアと違って原則として補償の対象とならなかった。そのことに何一つ違和感を感じられなかった当時の日本国民の政治意識の低さが一体何によって生み出され、維持されてきたのか、マスコミや学校教育の責任もまた厳しく問われるべきだろう。

 そもそも敗戦の責任を問われた軍人や公務員の数は全体からすればわずかである。しかも敗戦の責任が重かった人物程、恩給額が大きいという現状に驚かされる。戦後日本のイカサマ加減は東久邇宮内閣の「一億総懺悔論」の言葉に見事に象徴されているのだろう。国民の生活と命を等しく守ろうとしない国家に私たちは何を望める?

アメリカが崩壊してしまった理由TOP5!

   ニック兄さん and高桑  2024/12/16 11:32

   格差社会アメリカの病理がよく分かる。日本がアメリカに支配されている状態から抜け出す努力はいろいろな意味で必要となっているだろう。

[英語ニュース] ハーバード大教授が語るトランプが当選した理由| Michael 

   Sandel |マイケル・サンデル|日本語字幕 | 英語字幕 |

   Gariben TV   2025/02/02  9:56

   トランプ氏がなぜ、大統領選に再選されたのか、その理由をこれほど説得力のある論理で語った動画は無いのでは?そう思えるほど、サンデル教授の語りは説得力があるようだ。ポイントはどちらがアメリカ労働者の尊厳、プライドをくすぐったのか、という点に尽きるのかもしれない。

   サンデル氏が指摘するように、新自由主義に走るアメリカ社会が招いた一握りの富裕層と圧倒的多数の貧困層との絶望的な格差は、学歴によるコンプレックスをも刺激する形で多数派である低学歴層、貧困層の不満を増大させてきた。にもかかわらず相変わらずエリート主義を捨てない民主党はついに多数派の低学歴層の反発を買ってしまった。確かにこのことこそが、民主党が二度目の選挙の敗北を招いてしまった大きな理由の一つと考えられる。

 授業ではアメリカ大統領選挙の結果についてトランプ氏が再選された理由をまず議論させたい。ある程度、生徒から意見が出た段階でこの動画を視聴させると理解が深まるのではないか。また、なぜ斎藤氏が兵庫県知事に再選されたのか、考えさせるきっかけとして、この動画を利用することも有り、であろう。

【世界情勢理解】2024年ハーバード大学首席の卒業式スピーチ『知らないことの

   力』【英語スピーチ】 リスニング 日本語字幕 世界情勢理解

   Vox Nova 【ヴォックスノヴァ】 2024/05/29  12:21

    平等と自由について深く考えさせる素晴らしいスピーチであろう。これから卒業しようとする大学への厳しい批判を、この場で敢えて行う自由はアメリカが最も大切にしてきた理念でもある。

    はたして日本の大学の卒業式でこのようなスピーチを聞くことができるだろうか…ガザ地区の出来事を自分事として捉え、自分の意見を卒業式の場で堂々と表明できるアメリカの大学の素晴らしさと日本の大学、とりわけ学校教育の社会から閉ざされた内向きの不自由さにも注目させたい。

【懐かしい昭和】ヤバすぎる労働の実態とは?物乞い、闇が深い集団就職、異常に

 死亡率が高い○○員、会社に忠誠を誓った社員

 THEヤバイ昭和  2023/08/11  13:58

 この手の動画としてはかなり信頼できる内容であり、授業での視聴に適する動画だろう。高度成長期の過酷な労働実態が分かりやすく紹介されている。

【誹謗中傷する人の心理】脳を惑わす3つのバイアス/SNSはロジックのズレだら

 け/ハーバード大学と日本の違い/脳は省エネモードで動く/違和感に向き合え 

 PIVOT 公式チャンネル  2023/05/20  35:51

 自分たちを攻撃してくる中傷や暴言、反論に対してどう立ち向かうのか、心理学、脳科学の知見を応用してそのロジックに迫る。イジメや差別とどう向き合い、闘ったらよいのかを考える上で大変重要なヒントを与えてくれる動画。イジメ問題でも非常に役立つ観点が得られる教師必見のオススメ動画である。

 動画で紹介されている三つの中傷の戦略(「whataboutinsm」「strawman 

strategy」「gaslighting」)を理解するだけでも十分役立つだろう。

・格差問題

参考記事

1年に1回ほど海外旅行する「中間層」が消えていった…日本人の旅が分裂した

    「長いトンネル」 現代ビジネス 山口 誠(獨協大学教授)2026.7.3

     興味深い視点で格差社会の進展を確認できる。ぜひ授業でも活用したい。

若年層の8割が「自身の将来に不安がある」収入や貯蓄不足が要因に【ライフネット

    生命保険調べ】イチオシ 2025.2

 授業の資料に活用できるだろう。

芥川賞作家、外国人排斥の声に心境つづる「おおやけに、外国人排斥を叫んで良い

    ことになり…」ググットニュース 2025.7.14

 参院選を前に外国人排斥の言動がいよいよ盛り上がっている。この風潮をどう捉えるのか、生徒たちに問いたい。

「目覚めた保守層」は、なぜ外国人に牙をむくのか 新興政党の登場で顕在化する排

    外主義 47NEWS 2025.6.1

 日本経済の失速に対して強く批判されるべきなのは国内の格差拡大に有効な手を打てなかった政府の失策の方であり、在日外国人の方ではあるまい。日本保守党や参政党の主張にはかつてヒトラーが第一次世界大戦後のドイツの低迷を、もっぱらユダヤ人の仕業だと決めつけて人気を博したのと類似する、極めて安易でいかがわしい責任転嫁の臭いを感じてしまうのだが、いかがか。

【病院の闇】生活保護者をムリヤリ入院させ、手術しまくる…医療界を震撼させた

   「山本病院事件」をご存じか 現代ビジネス

   週刊現代(講談社・月曜・金曜発売) によるストーリー 2024.6.4

 差別と格差の問題を考える際に大きな手掛かりを与えてくれる記事だろう。日本社会で最も見えにくい死角の一つが実は病院、ことに医師の世界ではないか。医師と患者との間に横たわる圧倒的な格差が生み出すおぞましい事件。それは特に外科手術や精神医療の現場で発生しがちであるようだ。内容としては貧困問題や障がい者問題とのつながりも強いので、そこでこの記事を扱うことも可能。

 授業では医者と患者との間にはどのような格差が生じやすいのか、生徒たちに列挙させ、問題が生じないような仕組み、工夫を提案させたい。

人手不足の千葉児相がアピールする「大きなやりがい」本当か 元職員3人がJ-CAST

 ニュースに明かした労働環境 J-CASTニュース によるストーリー 2024.2.18

 格差拡大を防止する上で重要な役割を果たすべき存在が国や地方自治体であろう。しかし下の記事にもあるように、医療、福祉、教育などの分野で一層深刻化する人手不足と職場のブラック化が格差問題の悪化に拍車をかけている。政府の予算配分に大きな問題があることは否めないだろう。

地方公務員の採用試験、過去30年で最も低い5・2倍…23年間で競争率半減 

 読売新聞 によるストーリー 2024.1.14

 少子高齢化による急速な人口減が招く当然の帰結として行政サービス全般の劣化と各種ボランティア活動の衰退が考えられる。地方自治体における公務員不足、消防士不足、消防団員不足、警察官不足、保護司不足、幼稚園~高校での教師不足、保育士不足、医師不足、看護師不足、介護士不足、自衛隊員不足、郵便を含めた運輸・配送従事者の不足、児童相談所員の不足、公民館員不足、町内会員の減少、ケースワーカー不足、民生委員不足…これらが同時進行していけばやがて日本社会の美徳とされた安全性、規律正しさ、各種の利便性、おもてなし精神、識字率の高さ、平均的学力の高さ等は瞬く間に瓦解するに違いない。

 ポイントは以下のような点であろうか。

 科学技術の発達がそうした問題の解消にどれだけ貢献できるのか、今後予想される大規模な自然災害の発生がどれほどのダメージを日本にもたらすのか、気候変動による損失はどの程度まで膨れ上がるのか、海洋資源の確保と利用がどの程度まで可能か、中国や北朝鮮、ロシアなどによる軍事的脅威はどの程度まで高まるのか、移民政策の進展は可能か、今後、女性政治家がどの程度、増えていくのか、老害政治家の排除は可能か、学校教育の根本的変革はどこまで進められるのか…

 課題山積の現状から目を背けてはなるまい。

「日本は緩やかな身分社会」 気鋭の教育学者が懸念する「教育格差」

   毎日新聞 によるストーリー  2023.12.22

 格差問題をテーマとするときに最初に押さえておきたいのがこの教育格差問題。生徒にとって身につまされるテーマなので慎重に扱う必要があるが、素通りしてよい問題ではあるまい。特に「保護者(以下、親)の学歴▽世帯年収▽職業などを統合した概念である社会経済的地位(Socioeconomic status、以下SES)」という概念は基礎知識として周知させたい。いわゆる「親ガチャ」を学問的用語で説明できるだろう。

 「日本では、出身家庭のSES、出身地域、それに性別の三つが主要な初期条件です。具体的には、親が非大卒を含む低SES家庭出身、地方出身、女性であると、子ども自身が大学進学を望まないし実際に進学しない傾向があります。」という指摘こそが親ガチャの一側面を説明している。そして…日本は最終学歴によって就業状態や収入などに差がある学歴格差社会でもあります。初期条件が学歴を介して人生の可能性を制限しているので、「緩やかな身分社会」と言えます…という結論にたどり着くことになる。 

 日本は現在、決してフェアな競争社会ではないという指摘が今後、格差問題を論じる上での前提とされよう。

ここまで“差”があるのか…「未婚・交際相手なし・異性との交際に興味なし」の

   75%超を年収300万円未満の男性が占める現実に若新雄純氏「自由に選べる社会は

   尊い一方、選択できる立場にたどり着けない人も」

   ABEMA TIMES の意見 2023.11.7

 調査データの解釈は若新氏が指摘するように多面的な検討が必要。とはいうものの確かにこの結果は経済的格差がもたらす異性との交遊にも大きな影を落としているようだ。少子化の原因の一つが経済格差、さらに言えばかつての中流層の多くが下層化していることに求められる可能性が高いだろう。

子どもの3人に1人が「ゼロ」 広がる体験格差で「非認知能力」に影響も

 【news23】 TBS NEWS DIG_Microsoft の意見 2023.7.7

広がる教育格差「最後の手段」に手をつける家庭が増えている…高収入なら塾代な

 ど大幅増の一方で 東京新聞 2023.5.23

 調査に携わった三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林庸平氏は「学習塾などの補習教育以上に、音楽やスポーツなど習い事の体験学習の差は大きい」と指摘。体験学習の不足が、やる気や自己肯定感といった学力以外の「非認知能力」に影響することを懸念する…との指摘は重く受け止めたい。

「学校のお役所化」「タクシーの免許制度」…北朝鮮かと目を疑う「日本を歪める

 おかしな制度」ワースト3 

 現代ビジネス 小倉 健一 によるストーリー 2023.5.27

 これはおそらく医療や教育の無償化に反対する新自由主義的立場に依拠した論理なのだろう。しかし教育の無償化が「学校のお役所化」を進めるという論は現実をしっかりと見ていないように思える。

 第一に教育費の自己負担率が極めて高い日本でも既に学校のお役所化が現時点で相当程度進んでしまっているではないか。

 第二に教育の無償化が進んでいて税負担率の極めて高い北欧諸国はどう見ても「北朝鮮化」などしていない。北欧流の福祉国家を志向する考えをこの論理で否定するのはいかがなものだろう。

 これは民主主義をどう捉えるかにも関わる論点を含んでいるので議論を深めていけるテーマになりうる。ぜひ、教育費用の無償化問題の当事者たる生徒たちの意見を募いたい。

自分の中の差別的な感情に自己嫌悪する55歳接客業の女性に、差別はなくならな

 い”ことを前提に鴻上尚史が勧めた心のもちかたとは?

 AERA dot. 2022/10/11 16:00

 差別や偏見の問題を内面よりも言動面で重視していく事の方が分断を招かずに問題解決に繋がる…という指摘は大いに参考となるだろう。確かに日本人は内面を重視する余り、チャリティ、慈善活動に消極的になりがちなのかもしれない。「偽善者」と呼ばれることが怖くて援助行動をとることにためらいを覚える日本人は多いようにも感じられる。

 多様性に満ちた欧米の社会は内面を強く問うこと無く、言動を問う傾向がある、との指摘も納得感あり。是非、生徒に読ませたい、示唆に富む一文。

参考動画

【破滅!!】メディアや政治家に翻弄されてはいけない!!格差社会が日本を発展させる

 唯一の方法ではないのか?独立国を作った方がいい理由とは?日韓問題の真実とは

 成田悠輔の教育論 半熟仮想株式会社  2023/09/29  10:03

 まさに「目から鱗が落ちる」観点。ぜひ授業で視聴させたい。特に前半は「老害政治家」が跋扈する日本の政界に若者はどう対抗していくのか、考えていく上での有用な観点が示されているだろう。

 

・小山田騒動

【小山田圭吾】いじめの表現やめるべき?暴行や傷害と伝える必要も?性的虐待などの悪質な加害をメディアはどこまで報道するべき?謝罪&辞任でも加熱するバッシングの妥当性を問う|#アベプラ《アベマで放送中》

 2021/07/21 20:04

小山田騒動などで「擁護する芸能人」が必ず現れるナゾを解説

 元テレビDさっきーチャンネル 2021/07/22 8:23

参考記事

【キャンセルカルチャーの時代】「差別に安住してきた」日本人も世界の潮流と無

 縁ではいられない NEWSポストセブン の意見 2023.8.15

 …「自分らしく生きられる社会をつくりたい」というリベラルの「ユートピア(天国)」運動から、「いつ自分が排除され、社会的に抹消されるかわからない」というキャンセルカルチャーの「ディストピア(地獄)」が生まれました。私たちは、天国と地獄が混然とした「ユーディストピア」を生きていかなくてはなりません…

 誰もが発信できるSNSの発達が生み出したキャンセルカルチャーの世界とどう向き合っていけば良いのかが問われる。SNSにおける「炎上」とはどういう現象なのか…集団的なイジメに近いものがあるとすれば冷静に対応する必要があろう。

 

・老害発言は年齢差別?

【名作】ネットで話題騒然となった問題発言の発端!!今の日本の現状を痛烈に批

 判!!居座り続ける老人達に成田悠輔が警告を放つ!!

 成田悠輔の動画  2023/08/06  7:14

 【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化より無人化の方がマシ」ABEMA Prime (2021/12/19)において高齢者の集団切腹」といった過激な表現だけが切り取られ、高齢者差別を煽る暴言と決めつけられて一時、大炎上した成田発言だが、実際には物理的切腹という意味ではなく社会的切腹(過去の功績をもって上のポジションに居座り続ける高齢者に潔く引退を促す、というほどの意味)であるとの発言であったことが分かる。

 この炎上騒ぎが成田氏らに悪意を持つ勢力の陰謀である可能性は高いだろう。成田氏が社会的切腹をイメージした原因はおそらく二階幹事長や森元首相の発言をめぐる一連の騒動であったと思われる。

  ※ 関連記事:

  ○成田悠輔氏の広報起用批判受け 内閣広報室、各省庁に「人選慎重に」

   毎日新聞 によるストーリー 2024.3.22

   まさしくこうした動きの背後に老害政治家たちの狡猾な動きが潜んでいるように見える。

「松本人志を本当に超えたい?」成田悠輔が”世代交代できない芸能界”を斬る【中

 田敦彦】 NewsPicks /ニューズピックス  2023/08/18  14:02

 老害問題」と若者との関係をどう捉えるか、過激な発言で知られる二人の対談は非常に興味深い。キーワードは「世代交代」のあり方であろう。高齢化する日本社会の世代交代のあり方についてぜひ討論させてみたい。

若者よ、選挙に行くな 2019/07/12 たかまつななチャンネル 1:27

 討論に使えるだろう。シルバー政治に対抗する手立てはあるのだろうか?日本の年齢別人口ピラミッドや世代別投票率のデータを示しつつ、時間をかけて討論させたい。

「若者の政治離れ」と言ってる人に一言 2019/07/04 ワラしがみ 4:58

 「政治の若者離れ」という表現はお見事。

今後のことで画期的なアドバイスがあるから聞いてほしい

 2022/05/21 ワラしがみ 3:29

 税金の使途についてもう少し厳しい監視の目が必要だろう。

文通費問題の全部を丸く収める超絶アイデアを思いついた

 2021/12/18 ワラしがみ 5:00

 シルバー政治に対抗する上で文通費の「クーポン券」配布はかなり有効なアイデアに思える。

【ひろゆき】爆笑問題太田が大炎上。これ理解できないバカが日本を滅ぼします。

 爆笑問題太田光の二階幹事長への炎上発言について

 サンジャポファミリーひろゆき【切り抜き】2021/12/11 3:05

【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化よ

 り無人化の方がマシ」少子化&人口減少前提で考える日本の未来|#アベプラ《ア

 ベマで放送中》 2021/12/19 20:28 

 過激だが説得力のある提案。

【一人一票】若新雄純「ワクワク感薄れてる」若い世代の閉塞感…余命投票なら変わ

 る?世代間格差をなくすには【参院選】

 2022/06/25 ABEMAニュース【公式】 17:47

【衝撃結末】収録直後…天才がまさかの告白【選挙ってなんだSP】

 2022/06/21 日経テレ東大学 40:32

 ランク付けの投票は検討に値する投票プランの一つと思われる。

【22世紀の民主主義】成田悠輔が提唱する「政治家不要論」アルゴリズムが政

 策を決めていく時代 2022/07/26 中田敦彦のYouTube大学 – 40:40

22世紀の民主主義】日本の停滞感を根本から変える「成田悠輔の新構想」とは?

 2022/07/27 中田敦彦のYouTube大学  42:00

 SNSの普及がポピュリズムをはびこらせ、民主主義の停滞を招いたとする成田氏の指摘は大いに参考になるだろう。SNSの普及は他方で民主主義を再生する上でも「選挙」という古臭い、雑なシステムから離脱し、政治家を不要とする社会を作り出す可能性を有している、という指摘も刺激的だが非常に面白い。本当の民意を反映させる方法としてAIを用いた政治を構想することが必要なのかもしれない。「選挙に頼らない民主主義」という意表を突いた発想に注目したい。

【激論】成田悠輔×西田亮介 ニッポンの民主主義は限界?改良の余地は【参議院選

 挙】2022/06/24 ABEMAニュース【公式】 31:27

 二次投票のアイディアも現実的改善策としては検討に価するだろう。

参考記事

レジで怒鳴る高齢者に絶対にしてはいけない言動 相手の「老害力」を下げるためにで

 きる1つのこと 東洋経済オンライン 平松 類 によるストーリー 2024.6.10

 少子高齢化社会においては高齢者と若い世代との間の軋轢は強まってしまう傾向にあるかもしれない。特に高齢者の中には些細なことで怒りやすくなってしまう人が少なからずいるようだ。おそらく加齢による種々の心身の変化が老人の切れやすさをもたらしているのだろう。

 対策として高齢者が自身の変化をしっかりと自覚する努力は確かに必要だが、その効果はあまり期待できないのではあるまいか。「頑固爺」「意地悪婆さん」はいつの世にもいたではないか。分かっていても、やめられない…自制力の低下もまた高齢化がもたらす変化であろう。

 平松氏が指摘されているように、高齢者を取り巻く周囲の人が高齢者特有の心理を理解していくことの方がより現実的な解決法だろう。高齢者の心身の変化に寄り添える社会の構築こそ、目指すべき方向なのだと思うがいかがだろう。

 ただし「老害政治」を無くしていくことは絶対的に必要である。自制力、自省力の低下した政治家に日本のかじ取りを任せるわけにはいくまい。老害議員の一掃を図ることも日本の急務ではないか。

日本の「重症の民主主義」を再生させる3つの手段 「#投票に行こう」では変わらない

 現実を変える  成田 悠輔 2022/08/04 15:00 東洋経済オンライン

「若者の非婚化」を後押しする日本の絶望未来 実は「晩婚化」なんて起きていないとい

 う衝撃 荒川 和久 2022/08/14 07:30 東洋経済オンライン

 

・入管法とウィシュマ事件:「現代の奴隷とは」

参考動画

トルコ人に日本のクルド人事情を詳しく解説してもらった!

   ニック兄さん and高桑  2025/01/31 17:45

   埼玉の川口で起きたクルド人にまつわる事件を理解するには非常に役立つ動画。日本の移民問題全体を考える上でもかなり参考となるだろう。あらかじめ問題のポイントを整理して論点のバラツキを防ぐためには、早めに視聴させておきたい。

【内部告発】アジアからの留学生、大きな誤解がありませんか? BF大学はどうや

  って存続しているのか。 中学受験のrestart  2021/05/01  20:25

 日本人のアジア人への偏見、差別の根は深い。それが大学における留学生受け入れの問題として表面化しているという指摘は非常に興味深い。視聴時間がやや長いが、分かりやすい説明であり、授業で利用してみても良いだろう。

[NHKスペシャル] 「難民受け入れる余裕はない」先進国の間で広がる不寛容 |

    混迷の世紀 第12回 難民“漂流 人道主義はどこへ | NHK

   NHK  2023/11/10 4:39

 まずは難民を巡る世界的な情勢を確認しておきたい。

【前代未聞】フランスの緊急事態をフランス人が分かりやすく解説します 

 Bebechan - 日本のフランス人  2023/07/02  15:21

 このような暴動は日本の現状では考えられないが、移民、難民の受け入れが日本でも本格化すれば将来的には起こりうるだろう。暴動の原因はフランスが長年、許容してきた移民の居住区の存在にある。移民とフランス人との棲み分けがお互いの理解と協力関係の進展を阻害してきたようである。その背景にはフランス人の心の奥深くに巣くう異なる人種、民族への根強い差別、偏見があるだろう。

 この問題の導入として外国のケースから入ると意見は出やすくなると予想されるので、この動画を移民・難民問題の入口に使っても良いだろう。

アメリカから逃げて日本に移住した理由

 Chase & KenKen  2024/01/16  15:19

 多種多様な差別や偏見が横行するアメリカ社会の闇については、差別問題以外にも様々な分野に関わってくる要素があるため、予めしっかりと把握しておきたい。

参考記事

つば吐かれ怒鳴られ、強制収容され…「スター・トレック」出演の日系人俳優 差別

     被害伝える絵本に込めた警鐘 東京新聞 2025.12.13

 外国籍“非行少年”「矯正教育」の厳しい現実 ベテラン保護司が語る、罪を犯す子ど

   もたちの “ある共通点”  弁護士JPニュース によるストーリー 2023.10.24 

 非行少年や外国籍の生徒を多数抱える学校の教師は必読の記事。ここでも入管法の問題が立ちはだかり、「矯正教育」の妨げとなっている点は見逃せまい。多様性の尊重を実現していく上で国民の同質性の高さを前提にしてこれまでに積み上げられてきた日本の各種制度には根本的な見直しが急がれる。

麻布中の入試に「政府の人権侵害」が出題された訳 社会課題を映し出す鏡としての中

 学入試問題 東洋経済オンライン おおたとしまさ の意見 2022.12.8

 まずはこの入試問題にトライさせてから討論に入りたい。おそらく小学校の教科書にはこの問いに十分答えられる程の記述は無いだろう。では教科書には触れられていない内容を問うこの中学校の入試問題は中学入試として不適切なものなのだろうか、それともこの問題に触れてこなかった教科書の記述の方が悪いのだろうか、とりあえず問うてみたい。

 日本の移民政策等には今、内外から大きな批判が寄せられている。しかも小中高を問わず児童生徒の中には日本語を母語としない者が地域によっては急激に増えつつある。これは特に都市部においては身近な問題になりつつあるのだ。ならば小学生といえども、都内であるならばある程度の考えを持っていた方が良いだろう。高校生ならば尚更である。

 むしろこうした身近な現実の具体的な課題に取り組む練習を日本の学校がどれだけこれまでに試みてこられたかが、今、問われているのだ。ただの暗記ではなく、自ら調べ、自分なりの問題意識を持ち、課題解決に向けた建設的な方策を模索させる、といった作業はどの学校段階でも必須であろう。日頃の授業でも実践的な課題解決能力の向上がより一層目指されなければなるまい。

世界的に見ても“異常”! 問題だらけの入管難民法改正案を「廃案」にするしかない

 理由 日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 2023.6.9

日本は「魅力的な移住先にはなりにくい」。日本に暮らす外国人が語る日本の住み

 にくさ BUSINESS INSIDER JAPAN 雨宮百子  2023.6.12

難民審査、臨時班の参与員十数人に極端に集中 「突出」柳瀬氏以外も平均940件

 常設班の18倍にも 東京新聞 2023年7月28日 06時00分

同性愛は終身刑…拷問の末に日本に逃げたのに、書類審査のみで「信ぴょう性な

 い」難民不認定 そして…東京新聞 2023年7月28日 06時00分

 「日本で難民認定されたのは昨年202人(認定率2%)と、ドイツの約4万6000人(約20%)、米国の約4万6000人(約45%)と比べ極端に少ない。」のだそうな。

 とすれば日本の閉鎖的入管制度の問題は極めて大きいに違いない。

 

参考動画

「日本にとって、都合の悪い人は困ります」難民審査の25.9%担当の参与員、問わ

 れる難民審査のあり方【報道特集】

 TBS NEWS DIG Powered by JNN  2023/06/18 20:08

第166回 入管法改正問題で人権派が絶対言わない不都合な真実

 髙橋洋一チャンネル  2021/05/18  8:22

 難民審査をどういう機関が行うべきなのか、が最大のポイントになるだろう。

 人権派と呼ばれる側の主張と高橋氏の主張、どちらに賛成するのか、ぜひ、討論させてみたいテーマである。欧米と比べて日本の難民認定率が極端に少ない理由を高橋氏はなぜ説明しないのか、不思議。また彼は日本の難民認定の杜撰さにも言及していない。日本の場合、法律の規定以上に実際の運用がどうなのかは厳しく問われる。つまりダブルスタンダードの存在を念頭に置く必要があるだろう。建前と本音の乖離を無制限に許容しがちな日本社会のあり方が本質的には問われてくる。

【知らないと恥をかく】難民とは何かわかりやすく解説!!

 原貫太国際協力師 2021/05/12 14:21

 移民と難民との違いが理解できる。

ロヒンギャ問題をわかりやすく解説【9割の人が知らない難民のリアル】

 原貫太国際協力師 2021/11/21 17:14

【日本の闇】外国人技能実習生の問題を監理団体とディスカッションしてき

 た 原貫太国際協力師 2021/05/23 18:21

入管施設の実態、「トイレも監視」強制収容の女性が証言【news23】 

 TBSNEWS 2019/12/06 6:30

 刑務所以上に人権が制約されてはいないだろうか。

【解説】どう解決?外国人の「収容長期化」

 日テレNEWS 2021/08/11 2:31

うぃしゅまさん脂肪問題の入管開示資料 1万5113枚すべて黒塗り 遺族「ごまか 

 さないで」東京新聞チャンネル 4:26

 外務省並みの凄まじい名古屋入管の隠蔽体質。

名古屋入管で何が?スリランカ人女性の死の真相【報道特集】

 TBSNEWS 2021/05/16 23:37

スリランカ女性死亡 一部開示の入管映像「看守の笑い声」が・・・遺族再現

 【news23】TBSNEWS 2021/08/13 4:02

史上最悪の改正!人を人として扱わない「入管法の改正」について

 ワラしがみ 2021/03/05 43:40

※参考資料:以下はこの動画に寄せられたアンチのリピート

おせち料理 6 か月前

 在留資格なんて与えなくてヨシ!!

 治安悪くなるのになんでわざわざ入れなくちゃいけないんだ?

 綺麗事ばっかり並べてんじゃねーよ きもちわりーおっさん  👍17

masa kurakura 6 か月前

 ね〜知ってる〜?労働力が増える(難民移民)が増えると〜、全体給与が下がるんだ 

 よ〜。安くこき使いたい経営者側の意見を言ってるだけだよ〜。 👍21

エーゲ少佐 5 か月前

 ヨーロッパで大失敗してることをやろうとするな 👍50

岡崎汐 6 か月前

 このおじさんの話を鵜呑みにする前にまずは自分で調べて欲しい。

 まあ、この人の話を鵜呑みにしてる時点で聞く耳を持たない人がほとんどであろう

 から期待は出来ないが… 👍32

入管が開示拒んだビデオ全面開示へ ウィシュマさん死亡、そこに映っていたもの

 は…TBSNEWS 2021/10/05 6:00

 名古屋入管がなぜ、何を隠蔽しようとしてきたのか、よく分かるだろう。

 外国人の移民が欧米で大きな問題となってきたのは事実。したがって外国人の受け入れのあり方については様々な意見があるのは当然。

 しかしウィシュマさんの件に関しては、まず難民受け入れの是非とは切り離して考えなければならない側面があるだろう。ウィシュマさんに対する処遇は刑務所よりもひどい扱いであり、人権を完全に無視している。ほとんど殺人に近い事件である。移民受け入れの賛否とは一切関係なく、あってはならない事件だろう。しかも法律をつかさどる法務省の管轄下にある入管の犯した犯罪。許せるわけがない。

法務省と入管 「嘘つき」は誰だ。入管法改正がグズグズすぎる件について

 ワラしがみ  2023/06/07 6:58

日本が外国人を逮捕する理由? BrooklynTokyo 2021.12.31 16:46

 日本の司法制度の特殊性、外国人への不利な取り扱いが見えてくる。

【世界と日本の労働問題】2030年、日本は「奴隷」で溢れかえる!?

 2021/03/24 原貫太・フリーランス国際協力師 13:12

参考記事

2050年までに日本の人口の「10%」は外国人になる「共生」が不可避となった日

     本が直面する「外国人の受け入れ問題」 

     現代ビジネス 池尾 伸一(ジャーナリスト/東京新聞編集委員) 2026.1.5

「外国人によって治安が悪化している」は本当か? データから読み解く「外国人問

     題」の実態 現代ビジネス 池尾 伸一 2026.1.4

     データの信頼性や妥当性に留意しつつ、デマや中傷に惑わされぬよう、冷静にこの問題に向き合うべきだろう。授業では多様なデータを駆使して多面的に社会事象を捉えていくうえで、極めて刺激的なテーマであり、ぜひ、討論に持ち込みたい問題。

「働くな、だけど福祉の対象外」という無理ゲー「生きられない」外国人の生存権

 を求めて ハフポスト日本版 の意見  2022.11.24

 日本における外国人差別の実態は先進国とは言えないほどに惨い。憲法で国籍条項の網の目が張り巡らされている日本では憲法改正が行われない限り、この問題は払拭されまい。日本国憲法の問題点を浮かび上がらせる上でも利用価値の高い資料。

「当たり前のものが私たちにはない」在日クルド人が国会で涙ながらに訴えた日本

 の難民政策の現実 東京新聞 オピニオン 2023.5.26

入管法で露呈、日本の民主主義は死滅状態にある 難民審査も、改正プロセスも不透明

 すぎないか 東洋経済オンライン レジス・アルノー の意見 2023.6.10

 難民受け入れにおける欧米と日本との大きな違いがよく分かる。資料としても重要だが、討論のたたき台としての利用価値も高い。

 

・アフリカ問題

 アフリカ問題に関する動画は「原貫太国際協力師」がダントツの内容で多角的に問題を眺めることができる。基本的にどれを視聴させてもハズレはないと言って良い。

原寛太氏自身を知りたい方は「○鞭200発で洗脳 母を●したアフリカ少女兵/国際協力師 原貫太 街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜2024/07/19 1:02:49を視聴することをおススメする。

「売り物にならない」奴隷が処刑されたアフリカの遺跡に行ってみた

   原貫太・フリーランス国際協力師 2025/02/01  20:32

 問題の根源が見えてくる貴重な動画。

コンゴの子ども兵【日本語字幕】

 Amnesty International 2015/11/12 1:42 

 重く入るにはこれが一番のオススメ。短いうえにインパクト大。アニメだからこそ視聴させられる、残酷な子ども兵の物語。

元子ども兵士の男の子~ジェームス君の物語 /日本ユニセフ協会

 2019/02/12 2:55

【授業教材】 元少年兵 ミシェル・チクワニネが語る ~幼少期の経験と少年兵の

 実態~  【英語/日本語字幕】 2016/04/05 3:36

 この演説もインパクト大。

アフリカで251名の少年兵を救った日本人のアイデアが凄すぎた

   原貫太・フリーランス国際協力師  2024/04/20  12:09

   元子供兵に対してウガンダなどでどのような支援が行われているのかが、具体的に理解できる。

【実話】誘拐され、戦場に立たされた16歳の少年。彼が母親を襲った残酷すぎる理

 由とは?原貫太国際協力師 2021/06/04 15:44

 【実話】16歳のチャールズ…母親を襲った"悲しすぎる理由"とは?

 原貫太・フリーランス国際協力師  2023/04/14  18:17 

 子供兵の実態がよく分かる。

【家族を目の前で〇された】アフリカで「子ども兵」の支援施設に行ってみた

 2022/07/02 原貫太・フリーランス国際協力師 11:16

【世界の闇】アフリカの自由のために闘い、欧米に暗殺された英雄

 原貫太国際協力師 2021/11/13 15:21・・・ルムンバ暗殺の意味

 パトリス・エメリィ・ルムンバ(1925~1961)は、コンゴ共和国(旧ベルギー領コンゴ、後のコンゴ民主共和国)の政治家、民族運動家。同国独立期の指導者で初代首相。1961年1月17日、ルムンバと2人の同志は、キサンガニ空港で飛行機から引きずり出されて深夜に白人の傭兵とチョンベの兵によって殺害された(CIAの現地基地には「フランドル出身のベルギー人将校が軽機関銃で処刑した」と報告された)。

 遺体は一度埋められた後、翌1月18日に掘り起こされてローデシア近郊まで移動された後、21日に硫酸で溶かされて数本の歯と頭蓋骨の欠片だけが残された。1999年のベルギーのテレビ局によるドキュメント番組では、遺体の処理を実行したベルギーの警察長官Gerard Soeteが遺体から取り出した歯と銃弾を見せている。この歯はコンゴに返還されることとなり、2021年6月21日にブリュッセルで開催される記念式典にてフェリックス・チセケディ大統領に引き渡し後、独立記念日の6月30日に改めてキンシャサで帰還式典が開催される。

 ※参考記事

  時事ドットコムニュース:ルムンバの歯、故国へ返還 コンゴ独立指導者の遺物

  ― ベルギー2021年06月13日18時58分

  【ブリュッセルAFP時事】ベルギー政府は21日、アフリカ中部コンゴ(旧ザイール)の独立指

   導者パトリス・ルムンバの遺物である歯をコンゴに返還する。初代首相に就任したルムンバは、

   独立直後の1961年、処刑された。遺体を酸で溶かしたベルギー人の警官が「記念品」として

   持ち帰った歯の所在が確認され、ブリュッセルで21日に開かれる式典で、コンゴのチセケディ

   大統領に引き渡される。コンゴ政府は独立記念日の30日、キンシャサで改めて帰還式典を開

   く。

映画「誰がハマーショルドを殺したか」特別映像:1分で分かる!国連事務総長ダ

 グ・ハマーショルド 映画com.2020/07/10 2:51

 一体、誰がアフリカの発展を妨害しようと企んだ?これも衝撃的な事件。ぜひ、視聴させたい。

アフリカが発展しない本当の理由【99%の人が知らない国際支援の闇】

 原貫太国際協力師 2020/05/27 11:35

 「魚ではなく釣りの仕方を教えよ」

なぜアフリカは世界で最も貧しくなったのか?【3つの理由をわかりやすく解説】

 原貫太国際協力師 2021/07/09 20:36 

アフリカが「ヨーロッパの支配」に抵抗できなかった3つの理由

 原貫太・フリーランス国際協力師 2023/08/18  16:38

 アフリカを扱う際には地図を利用し、国名や地名、国境線に注目させると良いだろう。フランス語や英語が目立つ歴史的背景、大陸の北部、特にサハラ砂漠を中心とする地域の国境線が直線的である理由を問いたい。特に奴隷貿易の時代を含めた分断統治が現在のアフリカに何をもたらしたのか、が問題解明のキーポイントになる。

【削除覚悟】99%の人が知らない「フランス最大の闇」

   原貫太・フリーランス国際協力師  2023/08/13  15:19

フランスの闇を暴露します【CFAフランをわかりやすく解説】

 原貫太・フリーランス国際協力師  2023/08/13  15:19

アフリカの発展を妨げる「CFAフラン」の闇【後編】

 原貫太・フリーランス国際協力師  2023/08/15  17:49

 通貨制度からアフリカの貧困を説く斬新な視点は極めて興味深い。金融政策の視点は経済を理解する上で必要不可欠。フランスの植民地であった西アフリカ、中央アフリカの国々に最貧国が集中する理由も納得できる面がある。視聴させるには時間がとられ過ぎるので、二つの動画のポイントを教師が分かりやすく整理してプリントにまとめておくべき。

アフリカの格差が極端に広がった3つの理由

 原貫太・フリーランス国際協力師  2023/08/05  19:14

緊張感が半端ない/映画『ブラッド・ダイヤモンド』予告編

 アマゾンプラ男【毎日映画観る人】  2020/05/24 1:01

【血塗られた宝石】それでもダイヤモンドを買いますか?

 原貫太・フリーランス国際協力師  2023/07/28  15:29

【アフリカの謎】資源が豊富な国ほど、国民が貧しくなる3つの理由

 原貫太・フリーランス国際協力師 2023.6.16 17:09

【謎】アフリカは「永遠に発展できない」ってマジ!?

 原貫太・フリーランス国際協力師  2023/05/27  11:51

アフリカで一番貧しい村に来たら、想像を絶するヤバさだった・・・

 原貫太・フリーランス国際協力師 2023.4.7 16:28

 ウクライナ戦争がアフリカにもたらしている深刻な事態とアフリカへの支援の在り方を考えるきっかけになるだろう。

【謎】アフリカに「ぽっこりお腹」の子供が多い理由

 原貫太・フリーランス国際協力師 2023.4.8 15:57

 コロナ禍とウクライナ戦争がそれまで改善されてきていたアフリカの貧困と飢餓の問題を再び悪化させてしまっている現状をまず理解しておきたい。加えて自給自足型農業の遅れの理由として挙げられた4つのポイントも押さえておきたい。

ヨーロッパがアフリカで犯した「罪」を謝罪しない理由

 原貫太・フリーランス国際協力師  2022/12/27 15:38

 アフリカ問題の概略を知ることが出来る。

コンゴが「平和以外に何でもある国」と言われる3つの理由

 原貫太・フリーランス国際協力師 2022/12/24 14:01

 コンゴを例にするとアフリカ問題の理解が進むだろう。

世界最悪の「コンゴ紛争」が報道されない3つの理由

 原貫太・フリーランス国際協力師 2022.11.6 14:59

 600万人以上もの犠牲者を出しているコンゴ紛争がなぜ報道されないのか?

 メディアの問題を含めて理解するならこれがオススメ。

【子どもが戦う?!】世界最悪のコンゴ紛争、原因は日本人が毎日使う○○だっ

 た原貫太国際協力師 2020/12/18 16:43

 携帯の裏側にある世界。

緊急】「戦争反対」の声を上げる人たちへ。

 2022/03/01 原貫太・フリーランス国際協力師 7:05

【自分の年齢を知らない!?】アフリカ人に10の質問したら答えが意外すぎたwww

 原貫太国際協力師 2020/03/10 13:24

 軽く入るにはこれがオススメ。

【命の格差】世界一いのちが短い国ソマリアの、悲しすぎる現実とは

 原貫太国際協力師 2021/02/26 14:38

【貧しい国の実態】たった100円で命を落とす”絶対的貧困”とは

 原貫太国際協力師 2020/05/20 8:36

【みんな勘違い】アフリカに対するよくある偏見トップ5

 原貫太国際協力師 2019/12/21 11:18

アフリカは資源が豊富なのに、なぜ発展できない?【わかりやすく解説】

 原貫太国際協力師 2021/04/07 15:56

 資源の呪いとは?

アフリカの貧富の差は日本の1000倍ヤバイ。なぜ格差が生まれるのか?

 原貫太国際協力師 2020/11/21 11:40

 格差問題の死角を衝いている。

【衝撃】レンタルチャイルドとは?闇すぎる「物乞いビジネス」の実態を解説

 原貫太国際協力師 2020/05/05 8:59

「物乞いの写真使って稼いでんじゃねーよ」と批判された件について。

 原貫太国際協力師 2021/03/10 8:21

 報道と収益とのバランスは考える必要あり。無責任な中傷は軽薄でみっともない。

アフリカで知った「コーヒーの闇」がヤバすぎる…【第5話】

   原貫太・フリーランス国際協力師  2023/11/28  17:14

   最貧国ブルンジのコーヒー農家の年収に驚かされる。

【削除覚悟】電気自動車「最大の闇」について話します

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アフリカで見た日本の「途上国支援」の現場がヤバすぎた…

 原貫太・フリーランス国際協力師 2024/04/21  21:53

 ウガンダでの農業支援を具体的に知ることが出来る。

 

 

その5.②金八先生と脱学校論

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

本論

 私が教師となったのは1985年のことである。そこでまずは1970年代、1980年代を賑わしていた学校教育に関する教師、元教師の言説を取り上げてみよう。まず数多くの著作がある村田栄一氏(1935~2012)の活躍がこの時期は目立つ。村田氏は1958年から1980年まで川崎市立小学校勤務。退職後はしばらく著述活動に励んでいたが1996年から2004年まで国学院大学講師(教職課程/教育原理)であった。組合活動に熱心な左翼系言論人として反権力の立場から盛んに学校教育について発言し、かつてフレネ教育を推奨していたことを覚えている。

現在、私が所有している村田栄一氏の本は以下の通りである。

 ・「戦後教育論~国民教育批判の思想と主体~」(社会評論社 1970)

 ・「学級通信ガリバー」(社会評論社 1973)

 ・「飛べない教室」(田畑書店 1977)

 ・「じゃんけん党教育論」(社会評論社 1978)

 ・「戦後教育の現在」(教育出版社 1981)

 ・「生きているこども共和国~ドンキホーテの末裔たち~」(風媒社 1981)

 ・「教室のドンキホーテ~ぼくの戦後教育誌~」(筑摩書房 1982)

 里見実氏との共著「もう一つの学校へ向けて」(筑摩書房 1986)や村田氏が編集に加わった「教育実践の記録1 ことば教育」(筑摩書房 1981)もある。村田氏の著作は大学時代に課題として出されたことがあったため、就職後も読み続けていた。当時は「カバゴン」こと阿部進氏(1930~2017:やはり川崎市立小学校に勤務後、教育評論を手がける。村田氏の大学での先輩)や「山びこ学校」((1956)で知られる無着成恭氏(1927~)、灰谷健次郎氏(1934~2006:「兎の眼」、「太陽の子」などで知られる児童文学者)ら、なぜか小学校教師の経歴を持つ人物がマスコミなどにもよく登場していた時代である。

 村田氏の系列の本では他に中学校教師の相川忠亮氏(1934~2011)の「きまぐれ月報学級通信上・下」(社会評論社 1975)や同じく中学校教師の川津皓二氏(1935~)の「日常と幻視~学校空間から~」(社会評論社 1975)がある。彼らの影響もあったのか、当時は学級通信を発行する教師が私の周囲にもかなり多かったような気がする。

 先行する1970年代は校内暴力が荒れ狂った時代であったため、運動部の指導に熱心な体育会系熱血教師が学校の規律回復上の観点からもてはやされていた。実際、「校内暴力事例の総合的研究」(学事出版 1984)や「校内暴力問題講演集」(学事出版 1984)によると校内暴力で荒れた中学校の多くが秩序の回復を最優先して運動部の指導に熱心で強めの生徒指導が出来る教師を他校から数多く集めるという人事方策を取っている。

 しかしその管理主義的指導への反発からか、テレビドラマ「金八先生」(1979~2011)の影響も加わり、生徒に粘り強く、優しく寄り添う非体育会系タイプの教師が世間では次第に理想化されていく。1981年のテレビドラマ「父母の誤算」(原作は若林繁太「教育は死なず」1978)も金八先生と同じく、小山内美江子氏を脚本家として用い、金八に近い教師像を描いている。村田氏らはこの金八路線にやや近い立場と言えようか。

※参考記事

   〇日曜劇場『御上先生』の学校教育監修・工藤勇一先生が語る教育問題 金八先生以後に生じた「学校

      =悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考え方」…工藤勇一校長が指摘

      する<近年の教育現場が抱える問題点>とは 婦人公論.jp工藤勇一 2025.1.26

 ○金八先生以後に生じた「学校=悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考

      え方」…工藤勇一校長が指摘する<近年の教育現場が抱える問題点>とは 

      婦人公論.jp 工藤勇一 によるストーリー 2024.2.19

 

 ちなみに私は大学の授業で出された夏休みの課題で灰谷健次郎氏の「兎の眼」(1974)や「太陽の子」(1978)を読み、教師の道を選ぶことになった。こうした経緯から村田氏のものに加えて就職後もしばらくは灰谷氏や上野瞭氏、山中恒氏、あるいはミハエル・エンデといった児童文学作家の作品を読み続けていた。そしてもちろん灰谷氏らも金八先生と同様、徹底して子供の目線に立ち、子供に寄り添う姿勢を重視した作家であったと言えよう。

 他方で私は他の同世代の教師と同様に國分一太郎(1911~1985)氏、斎藤喜博(1911~1981)氏、特に教育困難校での授業実践で知られる林竹二氏(1906~1985)の「教育の再生を求めて 湊川でおこったこと」(筑摩書房 1977)、「教育亡国」(筑摩書房 1983)などからも授業のあり方に関して多少とも影響を受けている。加えてベテラン教師となった段階で読んだ大村はま(1906~2005)氏による国語の授業を論じた「教えることの復権」(苅谷剛彦・夏子 ちくま新書 2003)は、大村氏による単元学習を軸とした教科書を独自の視点から徹底的に「使い倒す」独特の授業手法が非常に興味深かった。

 國分氏や斎藤氏、大村氏は無着氏、阿部氏、村田氏らの先行世代に属する先輩教師でもあり、1980年代の教師にとってはまだまだ影響力の大きな存在であった。他方、学者の林氏は当時、猛威をふるっていた校内暴力との絡みもあってか、マスコミから大きな注目を集めていた教育哲学者である。彼は学者にありがちな「机上の空論」を潔しとしない、優れた授業実践家でもあった。また大村はま氏の著作集は当時、どの学校図書館でも一際、目立つ存在であり続けていた。確かに彼らの世代の影響を無視しては1980年代の教育論を語ることが出来ないだろう。

 とは言え、特に林氏の授業実践に関しては早くから学校現場からの根強い反発があった事は事実である。私自身、教職に就いてからはこの二人の感嘆すべき実践について「金八先生」に対するのと同様の違和感も同時に抱いてきた。金八先生を含め、彼らは運動部の指導をしていないではないか…多忙な学校教師にとって明らかに実践不可能なまでに難易度の高い、準備に骨の折れる教育実践をモデルとして示されても、現場は困惑するだけであろう。

     ※さらに「金八先生」の問題点として挙げられるのが、不良生徒を立ち直らせるドラマティックな物 

  語の展開に力を入れるあまり、不良生徒の加害を受けて不登校となるような、気の弱い生徒への関

  心がイマイチ、弱い、という点だろう。イジメられている側への配慮が少し不十分だったのではあ

  るまいか。

   実際、校内暴力の後で表面化してきた学校問題としてイジメ、登校拒否、家庭内暴力、引きこも

  り、自傷行為などが注目されてくる。これらのテーマに金八シリーズがどこまで肉薄できたのか、

  かなり疑問が残るだろう。また真面目で責任感の強い教師が、妙に頑なで保守的に描かれ過ぎてい

  る点も気になった。

 難易度の高すぎる授業を普通の教師に要求することはむしろ学校のブラック化を推し進めることに他ならない。これらの希有な実践が世間で賛美されればされるほど却って教師達の無力感を深めはしないのか。そうした疑問が止めどなく湧いてくるような学校現場の過酷な労働環境が私の勤め始めた1980年代には既に広がり始めていたのである。もちろん今の学校の絶望的な状況と比べれば当時はまだまだ牧歌的レベルではあったのだが…

 もう一つ、私にとって当時、見逃せなかった論考は児童読み物作家と自称していた山中恒氏(1931~)の「ボクラ少国民シリーズ」(辺境者 全5巻、補巻1、別冊1 1974~1982)など、戦時中の学校教育を論じた著作であった。「疑問だらけの中学教科書」(森本真章・滝原俊彦 ライフ社 1981)が世情を賑わせ、中曽根内閣によって臨時教育審議会が設置されてついに戦後教育の流れが大きく変えられようとしていた1980年代当時、教育方法論、授業論以上に教育内容それ自体の是非を強く問う傾向が家永教科書裁判の経過(1965~1997)と共にしぶとく学校教育の底流に残存していたように記憶している。

 戦時中の国家総動員体制下、教育者や学者、文化人がどのように戦争に加担していたのか…そして敗戦後、彼らは戦時中の言動をどのように反省し、戦後はどのように振る舞ってきたのか、吉本隆明氏の「叙情の論理」(未来社 1963)をはじめ、数多くの研究者がこのテーマに関心を持ち、これに関連する多くの著作が発表されてきた。ある意味では「疑問だらけの中学教科書」もそうした著作の一つと言えるだろう。森本氏とは対極にあって、個人的に最も注目したのが山中氏の「ボクラ少国民シリーズ」であった。国民学校を少国民として体験した山中氏が自ら精力的に資料収集に当たり、膨大な資料を元に国民学校における教育の実相を解き明かそうとした、大変な労作である。

 他には山中氏の「子ども達の太平洋戦争」(岩波新書 1986)、中内敏夫氏の「軍国美談と教科書」(岩波新書 1988)や櫻本富雄氏の「日の丸は見ていた」(明石書店 1982)、長浜功氏の「国民学校の研究~皇民化教育の実証的解明~」(明石書店 1985)、同「教育の戦争責任」(明石書店 1984)なども同様の関心に基づいた著作であった。これらの著作を通じて文学者や教育者の多くが戦時中は熱烈に戦争を賛美しておきながら、戦後はほとんどまともに反省することなく、熱心な民主主義者、平和主義者になりすまして戦後も活躍を続けている事に気付かされた。中には公職追放を受けた人々もいたが、追放はたちまち解除され、かつての政治家、財界人、特高、右翼、暴力団も含めて多くの指導者層が戦後も同様に日本の指導的な立場に復帰しているのである。

 敗戦によって教科書自体は国定教科書から「墨塗教科書」を経て検定教科書に変わったものの、とりわけ社会科教科書の内容面での信頼性、妥当性には未だに大きな問題が残り続けていると私は感じている。

※最近の著作では「帝国日本のプロパガンダ~戦争を煽った宣伝と報道~」(貴志俊

 彦 中公新書 2022)や「大東亜共栄圏のクールジャパン~協働する文化工作~」

 (大塚英志 集英社新書 2022)も興味深かった。

 

 大学院の授業では戦後の学校教育の歩みを辿ることをテーマにした門脇先生の授業があり、大田堯(1918~2018)編「戦後日本教育史」(岩波書店 1978)が主なテキストであった。憲法などの法制面の字面だけを見れば戦前と戦後の間には確かに大きな断絶と変化があった。しかしその変化を担った人々の顔ぶれはさほど変化していなかった。この途絶えることのなかった戦前からの人脈がアメリカ軍の占領下、戦後日本の形成期において決定的とも言えるような役割を果たしていた事の持つ意味は現在においても決して小さくあるまい。

 

 学者からの発信も見てみよう。1980年代、教育社会学における学校教育研究は日本では東大が中心的役割を果たしており、清水義弘(1917~2007)氏、天野郁夫(1936~)氏や藤田英典(1944~)氏、久冨善之氏(1946~)らが大きな存在であった。彼らの門下生である苅谷剛彦氏、耳塚寛明氏、岩見和彦氏らも盛んに研究論文を発表していた時代である。当時は社会学理論の一つの柱となってきたタルコット・パーソンズ(1902~1979)の構造機能分析を手法とする社会システム理論が批判され始め、「パラダイム転換」が世に叫ばれていた。イヴァン・イリイチらの脱学校化社会論、脱専門家社会論もそうした風潮の中で注目を集めていたのである。

 私は大学時代、教育社会学のゼミを受講しており、教育社会学で論文を書くために専ら苅谷氏らの論文が掲載されていた東大の研究紀要と自分の恩師門脇厚司先生の研究に注目していた。このため教職に就いてからもしばらくの間は、教育社会学の学会員ではないにもかかわらず東洋館出版の日本教育社会学会編「教育社会学研究」を定期的に購入し、教職の仕事に日々忙殺されながらも教育社会学の研究動向の把握に努めようとしていた。

 幸い私の初任校では社会科教員が月に一回、社会科会議の時間を割いて自分の好きなテーマを選び、社会科内で発表するという自主的研修が行われていた。その準備を兼ねて大学時代の学習を続ける事が出来ていたわけである。さらに年に一回、宿泊を伴う社会科の研修旅行が行われており、足尾銅山や東海村原子力発電所、長野の松代大本営跡などで貴重な見学が経験できるなど、若手教師の成長には欠かせない職場での自主的で有意義な取り組みが幾つか存在していた。

 ただし学校現場でこのような素晴らしい取り組みが行われていたのは残念ながらこの初任校のみであり、二校目などは社会科準備室がただの教科書や資料集等の書庫と化していて誰も常駐しておらず、研修も日帰りだけの貧弱なものに過ぎなかった。部活の指導や進路指導の仕事があった上に通勤時間も長かったため、帰り際に書店に立ち寄ることすらほとんど出来なくなり、この二校目でたちまち「教育社会学研究」の購入がほぼ途絶えてしまった。

 また三校目は教育困難校ということもあって時間的、体力的、精神的余裕が無くなり、思ったような自主研修を行えない状況が続いた。しかし毎年秋には僅かな数の有志で京都、奈良旅行を実施していたのは当時、日本史担当者としてせめてもの救いだった。また社会科有志で社会科教室を舞台に文化祭での展示を行える機会も僅かながらあった。こうした点は教師による自主的な取り組みの伝統がギリギリではあるものの辛うじて高校に生き残っていた証しではあるだろう。

 恐ろしい事に四校目以降(およそ20年前以降)、そうした教科単位での自主的試みは皆無となってしまった。これはもっぱら県教委が国の施策に基づき、初任研(1989年導入)や経験者研(2003年導入)、管理職の指導による校内研修(四校目の学校では何と年に20回以上!)などを次から次へと設置、拡充してみっちりと日程を組んでしまったことにより、現場での自主研修の機会がほとんど奪われてしまったからである。なお私の学校教育に関する読書習慣もこの四校目でほぼ完全に断たれてしまった。

 県教委や管理職が実施する校外、校内での強制的研修が授業力向上に繋がる有意義なものであるならばまだしも、その多くは現場感覚からズレまくった完全にトンチンカンな内容であり、総花的で時間の無駄と言えるものが多かった。現在の若手教師の研修はそうした官製研修ばかりとなってしまったため、特に勤務校の実情に沿った授業に関わる研修の薄さは教師の中途退職や精神疾患の増大などの問題を生み出す大きな原因の一つにさえなっていると私は考える。

 こうして生徒に寄り添う時間や楽しく分かりやすい授業を創り出すための現場での創意工夫のチャンスを教師達から根こそぎ奪い去っておきながら自らの責任を棚上げし、学校の不祥事を他人事のように騒ぎ立てて「不適格教師」のレッテル貼りに専念する、極めて冷酷無比な教育行政がこの20年余りの間に確立してきたと言えるのではないか。肝心の授業を蔑ろにして生徒指導や進路指導、部活指導に現を抜かす学校のブラックな体質は上からの的外れでお粗末な官製研修の一方的な押しつけによるところが決して小さくはないと考えるがいかがだろう。

 

 さて学者による発信の中で私が特に魅了されたのは久冨氏の著作の随所に見られた、現場の教師に寄り添うようなきめ細やかで温かい教育者の視点であった。教育社会学の立場から久冨氏(「教員文化の社会学的研究」多賀出版 1990年)は教員の置かれている、傷つきやすい不安定な立場をこう説明している。「学校という所は、少数ないし一人の教員が、多数の生徒たちを相手にし、彼らがもともと必ずしも好んでいない学習活動へと導かねばならない。その状況が教員の特別の権威と、教員の生徒に対する統制を不可避にしている。したがって、ディシプリン(統制の生徒への内面化過程)に失敗すると、教授活動においても失敗するだけでなく、父母・住民からの信頼を決定的に失う原因となる。…その意味では、教員がディシプリンに特別の関心を示すのは、その仕事の性格に起因する当然のことであり、そこに教員たちの苦心があり、苦悩もあるのだ…」

 すなわち学校現場でいたずらにマンツーマン的対応を前提とした「カウンセリング・マインド」(20数年ほど前の学校では一世を風靡した流行語だった)を唱えることは教師の依って立つ基盤を自ら突き崩す危険性を孕んでいたのである。久冨氏のこうした学校現場への深い洞察と共感的理解は教育困難校で苦悩する教師にとってまさに得がたい魅力であった。そして氏の著書の多くが実は編著であるのだが、これは若手研究者に発表の機会を出来るだけ多く与えることに尽くしてきた、優れた教育者としての久冨氏の人柄が偲ばれる証左だ…と当時の私は感嘆のまなざしで捉えていた。

 久冨氏に加え、天野氏の後継者と目された苅谷氏の広い視野から下される鋭い洞察力にも私は圧倒されていた。もちろん恩師門脇厚司先生の著作は主に高校教育を対象としていたため私にとって必要不可欠なものであった。以下、この3人が執筆された、私が所有する著書を一部だけ紹介してみる。おそらく本のテーマからだけでも一定の傾向、時代の風潮が伝わると思う。

 なお以下に紹介した著作(特に21世紀になってから出版された本)を私はすべて読了してはいない。その事情は既に記したとおりである。

久冨善之(1946~)氏

 編著「教員文化の社会学的研究<普及版>」(多賀出版 1990)」

 編著「豊かさの底辺に生きる~学校システムと弱者の再生産~」(青木書店

   1993)

 「競争の教育~なぜ受験競争はかくも激化するのか~」(労働旬報社 1993)

 編著「日本の教師文化」(稲垣忠彦氏との共編 東京大学出版会 1994)

 編著「希望をつむぐ学力」(田中孝彦氏との共編 明石書店 2005)

 編著「教師の専門性とアイデンティティ~教育改革時代の国際比較調査と国際シン

   ポジウムから~」(勁草書房 2008)

苅谷剛彦(1955~)氏

 「学校・職業・選抜の社会学~高卒就職の日本的メカニズム~」(東京大学出版会 

   1991)

 「大衆教育社会のゆくえ」(中公新書 1995)

 「学校って何だろう」(講談社 1998)

 「教育改革の幻想」(ちくま新書 2002)

 編著「学力の社会学~調査が示す学力の変化と学習の課題~」(志水宏吉氏との共

   編 岩波書店 2004)

 編著「教員評価」(諸田裕子、妹尾渉、金子真理子氏との共著 岩波ブックレット 

   2009)

 編著「教員評価の社会学」(金子真理子氏との共編 岩波書店 2010)

 「コロナ後の教育へ~オックスフォードからの提唱~」(中公新書ラクレ 2020)

 「コロナ後の教育へ・・・」で日本の教育行政に対し「…エセ演繹型思考と法治主義をセットにし

   たアプローチでは、設計段階での欠点や欠陥を見過ごし、思った成果を上げられるかどうかを不

   明にしたままでも制度改革が出来てしまう。さまざまな副作用についても思慮の外に置かれ

   (p.63)との指摘は実に鋭い。立て続けに断行されてきた教育改革の発想の根幹を揺さぶるもの

   であろう。また政治家や官僚側が常に自分達の謬見や過ちを棚に上げて学校を一方的に断罪し、

   改革と称する学校現場の破壊的政策をひたすら推進してきたこれまでの経緯の背景が見えてくる

   点で教師必読の書と考える。

門脇厚司(1940~)氏

 「現代学校論~生徒と教師の社会学~」(亜紀書房 1982)

 編著「高校教育の社会学~教育を蝕むみえざるメカニズムの解明~」(陣内靖彦氏

   との共編 東信堂 1992)

 編著「高等学校の社会史~新制高校の予期せぬ帰結~」(飯田浩之氏との共編 東

   信堂 1992)

 「子供と若者の異界」(東洋館出版 1992)

 「異界を生きる少年・少女」(東洋館出版 1995)

 「大人の条件~社会力を問う~」(佐高信氏との対談 岩波書店 2001)

 「学校の社会力~チカラのある子どもの育て方~」(朝日新聞社 2002)

 

 以上、挙げた本の題名からだけでも1990年代以降、日本の学校がお上からの息つく暇すら与えない「~改革」の洗礼を浴び続け、徐々に疲弊していった様が個人的には思い浮かぶ。学校教育の行き詰まりの原因を不適格教師の存在と決めつけて管理職による教員評価を強化し、免許更新制を導入して不適格者の排除を図る、官製研修を増やして現場の創意工夫を根絶やしにする傍らで「教師の質向上を図る…」とのご託宣。これらすべては教育行政の失敗を現場の教師へ一方的に転嫁する傍ら、肝心の改革(教師の仕事の精選、教科書検定制度の見直し、高校教師養成教育の見直し等)をサボり続けた行政側の欺瞞と怠慢の歴史の反映であると考えるがいかがだろう。

 なお私は他に藤田英典氏、天野郁夫氏、柴野昌山氏、竹内洋氏、今津孝次郎氏、岩見和彦氏、岩木英夫氏、志水宏吉氏、広田照幸氏、古賀正義氏、柳治男氏、油布佐和子氏、本田由紀氏、教育社会学者以外では中内敏夫氏、佐藤学氏、諸冨祥彦氏、小林正幸氏などの著作も読んでみている。

 外部からの発信という点ではジャーナリストの役割も大きい。林雅行(1953~)氏の「天皇を愛する子どもたち」(青木書店 1987)、鎌田慧(1938~)氏の「生きるための学校」(岩波書店同時代ライブラリー 1995)及び「「教育工場の子どもたち」(講談社文庫 1986)、吉岡忍(1948~)氏の「ルポ 学校の力」(朝日文庫 1992)、「ルポ 教師の休日」(朝日文庫 1992)、「街の夢 学校の力」(日本書籍 1981)、日垣隆(1958~)氏の「ルポ 高校って何だ」(岩波書店1992)、最近では朝比奈なを氏の「教員という仕事~なぜブラック化したのか~」(朝日新書 2020)など、いずれも大いに参考となった。

 

 現場からの発信に戻ろう。1980年代の後半以降、都内の定時制高校教師であった佐々木賢(1933~)氏の本を読むようになる。私は初任校や二校目の高校は中堅どころの進学校であったが、実は大学時代の恩師が教育困難校の調査をしていて神奈川県の高校調査にお供したことがあり、学校改革を論文のテーマとしたことから、困難校の実態には強い関心を抱いてきた。三校目の転勤先に敢えて困難校を希望したのも恩師や佐々木氏の影響が決定的に大きい。

 1980年代は山本哲士氏らの推奨でイヴァン・イリイチの脱学校化社会論がブームとなっていて私もその系列の本をそれなりに読んでいたが、佐々木氏もイリイチの影響を受けた言説を展開していた一人である。ただし山本氏の硬直した難解な言葉遣いとは違って佐々木氏は教師としての経験を踏まえた具体的で分かりやすい内容であり、その文章はたいへん魅力的であった。

 イリイチは学校や教師の機能の肥大化を警告し、それらの機能を縮小させて国家や学校から民衆の手に学びの主権を取り戻すことを主張していた。佐々木氏も同じ主張に属し、同時にこれまで賛美されてきた体育会系熱血教師像への批判をも試みたと考える。

 以下、私が所有する佐々木賢氏の著作を列挙しておこう。

 ・「学校はもうダメなのか~学校内格差と非行問題~」(三一書房 1981)

 ・「学校を疑う~学校化社会と生徒たち~」(三一書房 1984)

 ・「当節定時制高校事情」(有斐閣 1987)

 ・「怠学の研究~新資格社会と若者たち~」(三・一書房 1991)

 ・「商品化された教育~先生も生徒も困っている~」(青土社 2009)

 他に松田博公(1945~:ジャーナリスト)氏との共著で「教育という謎~消費社会の文化変容~」(北斗出版 1992)と「果てしない教育?~教育を超える対話~」(北斗出版 1986)の二冊がある。

※参考記事

 ◎「子どもは商品」「労働力の予備軍」哲学者が学校を批判した理由

  ダイヤモンド・オンライン 青木真兵 2026.7.1

  現段階でイリイチを再評価するならば、最も穏当な見解が青木氏の指摘なのではあるまいか。

 

 1980年代後半から佐々木氏とは異なる、やや保守的な立場から精力的に発言してきたのが「プロ教師の会」である。中心人物は埼玉県立高校の教師だった諏訪哲二(1941~)氏と埼玉県川越市立中学校教師だった河上亮一(1943~)氏。教職員組合が学校をダメにしてきたとして左派を攻撃し、学校経営の現実的観点から秩序回復のためには厳しい指導も有り、とする主張を展開した。主に別冊宝島で「プロ教師の会」の特集が相次いで組まれ、中曽根内閣の臨時教育審議会の方針に一部沿いつつ左派の平等主義が持つ欠陥を鋭く指摘していた。

 彼らに関して、立場によってはただの保守反動であると簡単に切り捨ててしまう向きがあるかもしれない。しかし彼らの多くは校内暴力が吹き荒れた、疾風怒濤の時代を学校現場の当事者として目の当たりにしてきた。その中で生徒集団の狂騒的な集団心理の恐ろしさ、御しがたさを痛感してきたはずである。一人の教師が40人を超える生徒達を狭い教室に閉じ込め、好きでもない勉強を長時間強いることの難しさを少しでも分かっている教師ならば、彼らの主張にはそれなりに共感できる側面があったはず。とりわけ心理的に不安定となりがちな思春期の中学生集団を相手にする難しさは時に想像を絶する瞬間があるものだ。

 観念的な理想論、教条主義的なイデオロギーに寄りかかった立場からのプロ教師の会批判はまったくの見当外れであると私は考える。40人以上の集団を相手にする場合、何らかの政治的権力が発生しないわけにはいくまい。経営論的観点も必要とされるに違いない。それらをリアルに感じて「管理」を武器に秩序回復を第一と定め、普通の教師と生徒達を校内暴力の嵐から力づくでも救い出そうとした試みこそがプロ教師の会の目指したものではなかったか、と思う。

 管理主義教育が悪い事など、今は誰でも分かる。しかし一クラス40人を優に超える途上国並みの学級編成の中での校内暴力の嵐がどれほど、当時の教師たちを追い詰めていたのか…上から目線ではなく、その辛さに対する共感的理解を抜きにして当時の学校を語るわけにはいくまい。

 実際、表では管理主義教育を批判して「金八先生」を気取っていても、実際には教科準備室にこもることで生徒指導の修羅場からひたすら逃げ続け、挙句の果てに学級を崩壊させてしまった教師たちを少なからず目撃してきた。そういう教師たちの多くは表向き、人権派、民主派を装いながら、その実、荒れた学級を放置し、大人しくて真面目な生徒たちを次々とイジメの被害者にして不登校や成績不振に追い込んでいたのではなかったか。そうした教師たちが口先だけでなく、本当に生徒たちの人権を重視しようとするならば、大人しい生徒たちの人権、授業を受ける権利をもしっかりと保障してあげるべきだったに違いないのだ。

 ※ちなみに諏訪哲二氏は教育社会学研究NO.50「教育社会学のパラダイム展開」(東洋館出版

  1992)の「転換期の教師モデル」(P.421~423)で報告者の一人として発表している。

 

 組合員であった私がプロ教師の会からの発信を数多く、重く受け止めようとしてきたのは困難校に努める立場に加えて以上のような理由からである。また彼らの多くは管理の必要性を主張してはいたが、行き過ぎた管理主義には基本的に反対していたという点も決して忘れてはなるまい。

 以下、私が所有する別冊宝島の特集、諏訪氏と河上氏の著作、及びプロ教師の会の喜入克氏の著作を列挙してみる。

別冊宝島の特集

 ・78号「ザ・中学教師~プロ教師へのステップ編~」(JICC出版局 1988)

 ・95号「ザ・中学教師~親を粉砕するやり方編~」(略 1989)

 ・108号「ザ・中学教師~ダメ教師殲滅作戦編~」(略 1990)

 ・129号「ザ・中学教師~子どもが変だ!~」(略 1991)

 ・プロ教師読本Vol.2「プロ教師の学校大論争!」(略 1993)

 ・プロ教師読本vol.3「プロ教師の教育改革総点検!」(略 1995)

  他に洋泉社MOOKプロ教師・読本Vol.4「プロ教師のしつけ論」(洋泉社 

  1997)

諏訪哲二氏の著作

 ・「反動的!~学校、この民主主義パラダイス~」(JICC出版局 1990)

 ・「日の丸」(JICC出版局 1991)

 ・「学校の終わり」(宝島社 1993)

 ・「平等主義が学校を殺した」(洋泉社 1997)

 ・「ただの教師に何ができるか」(洋泉社 1998)

 ・「なぜ勉強させるのか?~教育再生を根本から考える~」(光文社 2007)

河上亮一氏の著作

 ・「プロ教師の道~豊かな管理教育をつくるために~」(JICC出版局 1991)

 ・「プロ教師の生き方~学校バッシングに負けない極意と指針」(洋泉社 1996)

 ・「学校崩壊」(草思社 1999)

喜入克(1963~都立高校教師:)氏の著作

 ・「高校が崩壊する」(草思社 1999)

 ・「教師の仕事がブラック化する本当の理由」(草思社 2021)

 ※喜入氏の「教師の仕事…」には一部見当外れと思われる指摘があり、学校が変わるべき本質的課題

  を少しばかり見誤っているように思える。教育が商品化され教師が万能ロボットの「ドラえもん」

  と化している、官僚制が肥大化し、強権的となった教育行政が「スクラップアンドビルド」の原則

  から外れて際限なく「ビルドアンドビルド」を繰り返すようになり、学校現場を極度に疲弊させて

  いる…といった指摘には大いに共感するが、従来の「学校という枠」をアプリオリに前提とする傾

  向が見られるのは残念。今、学校側が見直すべきポイントの一つは旧態依然の「学校という枠」で

  あり、知識詰め込みと一斉講義形式に偏る授業方法であると思うが、いかがか。同じプロ教師の会

  では諏訪氏、河上氏の著作の方がより説得力があると私は感じている。

参考記事

 ◎教員も実感、小学校で「暴力行為18.6%増」の深刻     東洋経済オンライン 松尾 英明 2025.11.13

 今、なぜ小学校や中学校での児童生徒による暴力行為が増加してきているのか、その原因は単純に特定できるものではないだろう。松尾氏が指摘するように大人の指導力の弱体化という側面があるのは確かに否定できない。とはいえ、「目には目を」のように暴力には力で対抗する…といった対応がはたして暴力行為の沈静化にどこまで効果があるのかは、極めて疑わしい。

 たとえば「叱る大人がいない社会では、子どもが「悪いことをしたら叱られる」という当たり前の構造を学べません。叱られて悪いことをやめようとする子どもに暴力が横行することは、本来あり得ないのです。」という指摘は本当に正しいのであろうか。

 かつて校内暴力が吹き荒れた時代、学校は運動部顧問、体育科教師を中心にして厳しい生徒指導を行うことで事態の鎮静化を図った事は事実である。その結果、校内暴力の沈静化は実現できたと言えるが、他方で「イジメ」や登校拒否の問題が新たに浮上してきた。つまり下手な管理主義をとったとしても別の問題が浮上するようではただの「モグラたたき」に過ぎないのかもしれない。

 実際に過去の校内暴力件数や学校での暴力件数の統計を確認してみよう。

 まず校内暴力の件数は1981年がピークであることが分かる。例のテレビドラマ「金八」シリーズの第一弾が1979年10月から1980年3月まで。確かにこのテレビドラマが校内暴力を多少とも誘発した側面がある、との工藤勇一氏らの指摘もあながち間違ってはいないだろう。

 

 次に今から30年ほど前の、暴力件数が急増してきた頃の文科省の統計を見てみよう。この時代には小学校と高校での暴力件数が統計に加わってきている。また典型的な対教師暴力を中心とした「校内暴力」よりもかなり広く学校での暴力行為を捉えるようになったようで、昭和での校内暴力の発生件数と単純な比較はできないが、暴力案件の増減の動き程度はある程度、捉えることができる。この段階ではまだ中学校での件数が小学校や高校に比べて圧倒的に多い。

 最後にこの記事で取り上げている直近のデータを見てみよう。平成20年を境にして暴力件数が増大している。と同時に中学校の件数を小学校が上回り始めている。この変化をきちんと説明できる材料は今のところ不十分なものしかないと考えるので、これについてのコメントは控えたい。

 

 

 ただ言えることとして現段階を含む学校での暴力件数のピークは直近で3つ存在している。ただし、それらの内、現在の状況に関しては現在進行中の現象なのでそのピークが来年度以降になっていく可能性も十分ある。つまり現段階では今、学校での暴力事案はピークを迎えつつある、という表現にとどまるだろう。

 以上を踏まえて学校での暴力案件(校内暴力を含む)の推移を見ると、一つの仮説が思い浮かぶ。まず二番目のピークに関しては校内暴力時代の生徒らが成人して親になり、その子供たちが小学校から中学校に在籍する頃合いである点にまず注目したい。つまり二番目のピークをもたらしていたのは校内暴力世代のジュニア世代であるということ。また三番目の暴力件数急増には校内暴力世代の孫世代にあたる児童生徒が数多く関わっている可能性がある。

 私自身の経験から見ても勤務校が荒れだしたのが、二番目のピークに相当する、すなわち「校内暴力ジュニア」世代が高校生となり始めた頃とピッタリ重なるタイミングであった。そういう経験も踏まえると、現状の件数増加は親世代における反学校的文化の次世代への継承が背景に潜んでいるのかもしれない。近年、話題のいわゆる「モンペア」問題も、こうした世代論である程度は説明できそうである。

 なお最初のピーク、校内暴力が吹き荒れた時の世代はややズがあるものの、第二次ベビーブーム世代、すなわち「ロスジェネ」世代と一部、重なっているだろう。とすれば二番目の暴力件数の増加は、ロスジェネ世代である親世代の不遇、社会経済的な問題が生み出した可能性も否定できまい。

 以上はかなり不確かな仮説、憶測に過ぎない。実際、こうした分かりやすい世代論には大きな落とし穴がつきものではある。しかし、ここで管理主義を強めることが問題の解決には必ずしもつながらないのでは…という小さからぬ懸念を、以上のような観点も加わえて、この記事から感じとった次第である。

     この問題においても、最も重大なのは教師の疲弊であり、これこそが暴力事案を含む教育問題の多くを生み出している土壌の一つであろう。したがってまず急ぐべきは教師の職務の大幅な削減である。暴力案件への対応を急ぐあまり、教師の職務を徒に増やす事だけは絶対に避けるべき愚策と考えるが、いかがか。

 なぜ先生は学生を「怒れなく」なっているのか 教育現場を弱体化させている1つの

  「妄想」 東洋経済オンライン 鳥羽 和久,舟津 昌平 の意見 2024.7.16

 日本の教育を縛る「金八先生・泣き虫先生」モデル ーー教師のブラック環境が消

  えない「意外な難点」 文春オンライン 永島 孝嗣 によるストーリー  2023.12.30

   

1980年代以降の学校教育を巡る言説に関する私的覚え書き①

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

はじめに

 これまでに購入した日本の学校教育を論じている書籍を自分の本棚に整理する上で私は「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つに大別してきた。この二つに分けた理由は極めて単純である。日本の学校教育研究は実証的な研究を進める上で極めて難しい課題に直面してきたため、有効で客観的なデータを獲得することが常に困難であり、学校問題の深層部分、核心部分には十分に迫りきれないまま、今日まで来てしまったという印象がかなり強かったからである。私が思うに学校教育を専門とする学者達でさえ、教育委員会や学校組織の強固な排他的閉鎖性、隠蔽体質に阻まれてしまい、学校現場の内実、実相を十分には踏み込んで調査、研究できていないという残念な状況が長らく続いてきたのではないか・・・従って学校の外部にいる人が学校の本当の実態を知るためには学校の内情に通じた現職教員達による継続的発信、内部告発的情報がどうしても必要不可欠であると私は考えてきたのだ。またそのような発信が学校内部にいる若い教師の成長においてもかつては極めて大きな比重を占めてきていたと推察している。

 しかし「現場からの発信」が本当に学校の実情を踏まえた適切なものなのかに関しては当然、異論があるだろうし、実際かなり疑わしい論考もあるだろうことには留意する必要がある。大学における高校教員養成の致命的欠陥も手伝ってか、日本の学校教師が自分の勤める学校現場をどれだけ広い視野に立って客観的、公平な観点から記述できているのか、に関してはどうかと思われるケースが時折目につくことはあるのだ。

 すなわち単なる主観的印象論ではなく、できるだけ客観的なデータに基づいて学校教育は論じられなければならない。ところが学校現場における客観的で核心に迫れるデータを得ること自体が難しい日本では学校改革の議論をするための土台となるべき共通認識を確立することすら非常に困難なのである。

 新卒で学校教育への十分な予備知識を持たぬまま学校現場に放り込まれた場合、多くの教師は自身の青少年期における児童生徒の立場での学校体験、さらに教師になってからの初任校の学校風土とそこにいる身近な先輩教師からの影響を大きく受けがちになる。が、当然、初任校で受けた影響の中身が広い視野に立った、適正で客観的な内容である保証は一つもない。つまり初任教師の少なからぬ人達が瞬く間に自身が勤める学校の、下手をすると旧態依然な日本的学校文化に残念ながらすっかり取り込まれてしまう、汚染されてしまう、という印象は決して無きにしもあらず、なのだ。

 そもそも若手に限らず日本の高校教師の場合、自身の学校体験(多くは進学校に偏りがちな自身の生徒時代の記憶)と初任校での教師としての経験とが、教師としてのアイデンティティーを生涯、方向づけてしまうような傾向が強くあると私は学校現場にいながら幾度も感じてきた。そしてたとえその経験が偏った経験だったとしても、その偏りを相対化する理論、視点を獲得することは多くの教師にとって極めて難しい。相対化出来るとしても多くの時間と労力を要するだろう。とりわけ若手の場合、自己を顧みる余裕すら与えられないブラック化した現在の学校現場に出てからでは大抵の場合、偏りを是正するわずかのゆとりすら持てないまま、そのチャンスを逸してしまいがちなのではあるまいか。

 かくいう私自身もその例外ではない。私は幼少期から幼稚園、小学校共にまったく学校での集団生活に適応できず、学校では一言も発することのできない子供であった。いわゆるこの場面緘黙症の状態を小学校5年生までの5年間、続けてきたため、学校不信、教師嫌いの信念が骨の髄にまで染み込んでいた人間である。そして自分の辛く苦しかった幼少期を振り返り、なぜ学校では沈黙を余儀なくされていたのか、なぜ人は自殺をするのか、など心の奥底を知りたくて大学では心理学を専攻した。さらに学校とはどういう場所なのかを知るために教育社会学を大学院(修士課程)で学んできた。したがって自分は決して伝統的な学校文化に染まることなく、学校への客観的で批判的な観点を保ちつつ、教師を続けられるはずだと当たり前のように思い込んでいた。初任当時は自分の大嫌いな学校を舞台に「獅子身中の虫」となって暴れてやる…などという、初任教師にふさわしからぬ大胆不敵な心構えでいたのだ。

 ところが高校の現場に出た途端にその心構えはたちまちくじかれてしまった。初任でありながら4月から凄まじい量の校務分担に追われる。生徒会会計と文化祭担当(文化祭前日は午前様)、教育相談(全校生徒対象のいじめ調査実施、その分析を学校の紀要に発表)と落とし物担当(毎日のように仕事があった)、授業は日本史5単位もの3クラスに選択日本史2単位もの1クラスで週17時間。剣道部副顧問に2学年の理系2クラスの副担で修学旅行の引率にも参加。授業の合間に初任研が入る。授業準備は自転車操業でまさにその日暮らし状態。通勤は当初、電車とバスを乗り継いでいたので片道90分近くを要していた。家を出るのが朝6時半、家に帰るのは夜11時を過ぎたあたりが平均。すでに9月ごろにはストレスと疲労が重なり、体重が3~4㎏ほど減少していた。目の回るようなあまりの忙しさの中で自分を見失いがちな日々が延々と続いていたのだ。

 当時の生徒たちは校内暴力全盛期の名残が見られる生徒たちがたまにいて、数は多くないが教師に正面から反抗するケースも散見されていた。授業中、騒がしくなり、私自身が怒鳴り散らすなど威圧的な指導を繰り返すような場面も少なからずあった。生徒会と教育相談は生徒指導部に属していたため、早朝の遅刻指導、頭髪服装指導なども定期的に行なわれていた。生徒会指導で育むべき自治の精神や教育相談で発揮されるべきカウンセリングマインドとは真反対の、管理主義的・強権的指導の最前線にも私は立たされていたのだ。

 加えて言い訳になるが、あまりの忙しさと疲労とストレスのなかで自分の気持ちにゆとりが失われ、普段からちょっとしたことでも生徒に対して切れやすくなっていたのも間違いない。理不尽なほどの忙しさと余裕の無さ…鍛錬主義が染みついた運動部では自分自身がスポ根アニメの影響を強く受けていたことも加わり、ほとんど体罰まがいの指導をすることすら稀ではなかった。学校文化への免疫がしっかりと身についていた…という自負は錯覚に過ぎず、思い上がりであった。もはや「獅子身中の虫」になるどころか、自分の体内には大量の寄生虫のように悪しき学校文化が続々と棲みついていったのである。

 一旦、棲みついた寄生虫は教師としての自分との共生的関係をも作り出しつつさらに繁殖していく。そのため、頑固に染みついた悪しき学校文化を自力では退治できぬまま、2校目、3校目と異動を繰り返していた。そして本務であるはずの授業から逃れるようにして終いには運動部の指導に多くの力を注いでいく。まさに自分で自分の首を絞めるようにして私の教員人生はいつの間にかひたすらわき道へ、しかも最悪の方向へとそれていた。

 こうした過ちだらけの教師としての歩みに何とか気付き、長い迷妄からようやく目覚めるきっかけをつかめたのは三部制の定時制高校に異動した50代半ばのことであった。最大の転機は運動部の指導から初めて解放された事を境に訪れた。部活から解放されたことでまず目の前の生徒たちの実態にしっかりと向き合えるだけの肉体的、精神的ゆとりを持てたのだ。クラスは不登校だった生徒や日本語を母語としない生徒、貧困に直面している生徒たちであふれていた。本質的に学校嫌いの私がなぜ大嫌いな教師を目指すようになったのか…私は退職目前になってようやく自分の原点に戻り、過去の自分を顧みる絶好の機会を手にすることができたのだ。

 そもそもの学校嫌いに加えて学校を批判的に捉える土台となりうる心理学や教育社会学を大学で学んできた…そんな自分ですら、学校を相対化し、学校教育の現状の異様さに教師としてしっかりと向き合えるようになれるまでには30年以上に及ぶ多くの時間と多くの回り道をすることが必要だった。

 ただでさえ「教育」という営みは「聖職」という古いイメージがまとわりついてしまい、人を酔わせやすい。また教壇に立ち、大勢の生徒を前にしただけで人は独特の高揚感に包まれてしまう。教師は常時、まさに「オンステージ」状態に置かれているといっても過言ではあるまい。結果的に教師の多くは時折自分自身を見失い、肝心の生徒達をも見失いがちになる。「現場からの発信」が自己肯定を遙かに超えて自己賛美、自己陶酔に陥りがちになるのは心理的にも十分根拠のあることであろう。

 そうした意味も含めて私たちは「現場からの発信」を丸ごと鵜呑みにするわけにはいくまい。だからこそ学者やジャーナリストといった外部の、比較的、冷静で客観的な立場からの鋭い論考が時に必要とされるわけだ。しかし学校教育を冷静な観点から調査分析しようとする教育社会学者達の試みが、分厚い岩盤のような日本の学校の閉鎖的体質によって絶えず侵入を阻まれてきた経緯は私も現場にいながら幾度も目の当たりにしてきた。ただでさえ忙しく、かつアラ探しをされたくない管理職や教師達にとって一見何のメリットも約束しない学校研究者の介入は基本的に煩わしく、できれば回避したいに違いない。しかし研究者が本気で学校改革に役立つ研究をしようとするのならば、日本の学校の問題だらけの現状から見てそれが結果的に学校の「アラ探し」となる可能性を避けては通れまい。しかし…むしろだからこそ多くの学校はそうした研究者に固く門戸を閉ざしてきたのである。

 減点ばかりを恐れる管理職が仮に研究を受け入れるとすれば、おそらくそれは無難なアンケート調査への協力でしかない。しかし通り一遍のアンケート調査などで問題が山積する、閉鎖的な学校現場の実態を暴くことなど出来るわけがないのである。現場での困難や課題が多くなればなるほど学校の隠蔽体質は強化される傾向があると見てよいだろう。結果的に最も詳らかにされるべき学校教育の本質的問題点の多くが学者や世間から見えにくくされてしまうのは日本の場合、現実的にどうしても避けられないことと思われる。

※参考動画

 ○「GINZA CROSSING Talk ~時代の開拓者たち~」 ゲスト:成田悠輔さん【前編】 2022年9

  月1日 2022/09/05 日経CNBC 19:04

   ◎個人情報丸見え社会のスウェーデン|どこまでマイナンバー管理?犯罪は?| 北欧在住ゆるトーク

    Nord-Labo 北欧研究室  2023/09/23  16:52

    やや視聴時間は長いが、考えさせられる場面が多く、討論にもっていくにはうってつけの動画。情

      報公開の原則、知る権利の保障と個人情報保護、プライバシーの保護との調整は難しい問題だが、

      スウェーデンでは200年以上も昔から取り組んできた大きなテーマの一つだったことに驚かされ

      る。政府や政治家、学校などでの各種隠蔽、改ざん、金銭面での不透明さ…が目立ってきた日本社

      会を変えるには参考とすべき部分が多いと感じた。

※参考記事

   〇なぜ盛った?「児童相談所の成果」 自治体「今後も最高記録を出し続けるしか」 各地で数え方バラ

      バラ 東京新聞 2023.10.4

    学校と同様に児童相談所も深刻な人手不足に直面している。相談件数を「盛る」ことで職員の増員

      配置と予算拡大を狙う意図は元教師として心情的にはよく分かる。自治体や相談所ごとにカウント

      する基準が異なる点は修正すべきであるが、学校と同様、児相の置かれている厳しい状況を改善す

      ることが急がれるだろう。

     若者と子供、特に女性に無関心な男ばかりの老害政治家たちこそが日本社会の改善を阻む最大の

      抵抗勢力なのではあるまいか。

   〇実は誰も知らない、虐待児童の実人数 調べなくていいの? こども政策担当相に聞いてみた 

      東京新聞 2023.10.7

    国が統一基準を示さないがためにまともな統計が得られない、というお粗末な実態は児童虐待にも

      みられるらしい。イジメ、不登校や自殺に関する統計もしかり。日本政治の死角がいかに大きく、

      それが致命的なものであるのか、今になって気付く。

   ◎「不登校の原因はいじめ=0.2%」という文科省と学校を信用できないワケ

  JBpress 石井 志昂,湯浅 大輝 によるストーリー 2023.8.18

  現場にいた人間からすれば、この手の調査結果は全くと言って良いほど信用できない。

 ◎不登校児童の8割「前兆あった」原因はいじめが最多

  リセマム 2023.9.21

  当然だが文科省のデータよりもこちらの方がはるかに信頼できる。注目すべきは文科省の調査結果

  と現実、学校現場との認識面における凄まじいほどの乖離の方であろう。これも教育行政自体が実

  質的な機能不全に陥っている証拠なのであり、「現実、現場を見ることが出来ない」官僚と政治家

  が招いた、絶望的な状況なのであろう。

   〇子どもの自殺411人で最多水準 「望ましい」はずの詳細調査は少数

      朝日新聞社 によるストーリー 2023.10.4

    文科省調査の411人と警察庁調査の485人とでは74人もの差が生じている。厚生労働省の514人と

  では何と103人もの開きがある。私たちは一体、どちらを信用してよいのだろうか。

   加えて「指導死」やイジメが原因の可能性がある中高生の自殺では責任官庁である文科省を中心

  に徹底した原因究明が必須であるはず。しかし全体のわずか4.6%、19件しか行われていないのは

  なぜだろう。やはり何もかもが地方に丸投げで、本気で取り組もうとしていないからである。

   文科省以下、教育委員会や学校の隠蔽体質をここでも厳しく追求すべきだろう。

 〇小中学生の自殺“過去最多” 近年増加「市販薬のオーバードーズ」による死が統計に含まれない事情 

    弁護士JPニュース によるストーリー 2023.10.5

  「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患実態調査」によると、10代の薬物使用における

    「市販薬」の割合は14年には0%だったが、16年には25%、18年には41.2%、20年には56.4% 、

   22年には65.2%と増加している。その結果として、市販薬のオーバードーズによる死亡が後を絶た

    ない…という。しかもオーバードーズによる死亡は自殺としてはカウントされていない可能性がある

    らしい。とすれば児童生徒たちの「自殺」件数は厚生労働省のものですら信用できない。

  不登校 茨城県内8577人 小中生最多、33%増

     茨城新聞社 によるストーリー 2023.10.2

  〇不登校の小中学生33%増 茨城県内22年度 千人当たり全国最多

     東京新聞 2023.10.7

     この記事が学校の置かれた悲惨な実情、その裏側を余すところなく示している。学校のブラック化

     とブラックボックス化、そしてそれらが必然的にもたらす学校の教育力の低下。

  これらは茨城県に限ったことではない。2022年度の不登校発生率で全国最多を記録した茨城県教委

  の的外れの言い訳めいた分析がこの問題に対する教育行政の無能ぶりと無責任ぶりをさらけ出して

  いるのではあるまいか。

   茨城新聞の記事によると県教委は「コロナ禍のほか、無理して学校に行く必要がないとの考えが

  保護者間で増えたことが要因」と分析している。県内の不登校児童生徒は前年度から2166人増え

  た。増加は11年連続。小学校が46・8%増の3288人で7年連続、中学校が26・8%増の5289人で

  10年連続だった。県義務教育課によると、学校が判断した不登校理由は「無気力、不安」が小学生

  で5割、中学生で6割を占めた。コロナ禍の制限で「交友関係を築く難しさなどが影響したのではな

  いか…不登校の急増に、同課は「登校が難しい児童生徒の学びの場の確保が重要」と指摘。不安や

  悩み解消へ交流サイトの相談窓口や24時間相談「子どもホットライン」などでも対応する。

   いじめの認知件数は、国公私立小中高校と特別支援学校を合わせ、7・8%増の2万4650件。

  「冷やかし、からかい」が5割を占めた。心身に大きな被害が生じるなど、いじめ防止対策推進法の

  「重大事態」は2件増の21件だった。…」と分析する…

   いかがだろうか。私はこの分析に強い違和感を覚える。不登校増加の原因をもっぱらコロナ禍に

  結び付けて説明しているが、これでは「10年連続」で増えている理由を十分には説明できていな

  い。不登校数の増加はコロナ禍のはるか前から始まっているのである。また不登校の原因を児童生

  徒側の「無気力、不安」に帰している学校側の判断を皆さんは素直に信じるだろうか。信じてしま

  うとしたらかなりのお人好し、というほかあるまい。私もこの調査に何度も答えてきたが、不登校

  の原因の多くは生徒間のトラブルに由来すると考えるのが世間の相場であり、児童生徒と真面目に

  向き合ってきた教師たちの一般的な印象でもある。

   しかし教育行政側、管理職側、実は学級担任すら不登校の原因究明にまったくといって良いほど

  無関心であり、たとえ関心があったとしても原因究明するゆとりがまったく無い。したがって多く

  の学級担任はしつこく繰り返されるこの調査を本音では面倒くさがり、「無気力、不安」(この調

  査は記号選択となっていて、もともと「授業が分からない、楽しくない」といった学校側の原因を

  しっかりと選択肢に入れていない、きわめて恣意的で出来の悪い調査であり、「やってる」感を演

  出するための調査に過ぎない)を原因として安易に選択しがちである。そのため、イジメ認知件数

  が増加している結果と不登校が増加している現象とを結びつけて説明することができないように巧

  妙に細工されている、見せかけだけの「エセ調査」となっているのだ。

   とはいえ、誰が見ても茨城県での急速な状況悪化がコロナ禍だけで説明できないことはもはや一

  目瞭然なのだが、それでも鉄面皮のごとく堂々とごまかそうとする、この頑固な無責任さ、責任逃

  れのための隠蔽体質は文科省からの天下りばかりが県の教育長となっている都道府県では普遍的に

  見られるものなのだと思うが、いかがか。

   教育行政に携わる人たちはいい加減、下手なごまかしをやめて、学校現場の現実にきちんと向き

  合う一層の努力をお願いしたいものである。

 〇“Fラン大学と揶揄されるけれど掛け算割り算ができぬまま高校を卒業する学生が少なからず存

  在している怖い事実 集英社オンライン オピニオン 2023.7.29

  この記事にはビックリ。高校では一桁の足し算が出来ない、南極が熱帯だと勘違いしている、東と

  西の方角を指さすことが出来ない、日本地図を一つの円としてしか描けない、ひらがなが読めな

  い…といった生徒が入学し、ほとんど特別な指導を受けずに何も分からないまま、出来ないまま卒

  業しているケースが少なくない。これは周知の事実であり、「怖い事実」などではない。本来なら

  ばマンツーマンの手厚い指導を必要とする生徒たちに対応するだけのゆとりと能力を今の教師に期

  待するのは間違いである。同様のことはもっと頻繁に小学校、中学校でも起きていて、実際にはど

  の学校段階でも「形式卒業」が繰り返されている。大学だけが例外なわけがない、という当たり前

  の事に過ぎない。

 ○成田悠輔氏 日本人のデータリテラシー不足に嘆き「教育の失敗であり、社会の失敗」

  東スポWEB 2022/11/17 18:48

  日本の場合、学校や教育行政に限らず、様々な政策がDXの遅れや情報公開の大きな制約ゆえに実

  際には政策の有効性、成否をきちんと検証されることなく、時の政権の思惑に左右される形で、ま

  さに「垂れ流し」状態のまま、次々と実行に移されてきたと考えられる。

 〇「うちらは捨てられてる」先生が教室に現れず、授業を受けられない子どもが増加…教育現場で今

  起きている“非常事態” 文春オンライン いしい しんじ によるストーリー 2023.6.19

  学校教育の隠蔽体質は、ただでさえブラック化した学校において正規教員の不足という最悪の事態

  の進行をも招いてしまった。学校自らが教師不足という致命的な事態を世間一般からは見えにくく

  していたのだ。それが社会問題と化し、表面化してきた現段階に至ってしまっては最早、手遅れに

  近いほどに学校の病巣は進行し、肥大化しているのではあるまいか。もはや手の施しようのない末

  期患者と同様、日本の公教育は大げさに言えば存亡の危機に直面しているのではないのか。垂れ流

  し状態の「教育改革」の連打がいかに学校現場を疲弊させ、限界まで追い詰めてきたか、改めて教

  育行政の責任を問いたい。

 〇公立小・中学でのいじめ認知件数 自治体間で最大30倍の格差

  毎日新聞 によるストーリー 2023.6.21

  学校によってはイジメ認知件数がゼロのところもあったという。もちろん現実的に見て「ゼロ」は

  ありえない数字である。といっても別に驚くことはあるまい。市町村によっては学校からの報告に

  虚偽が含まれるのは当たり前であり、むしろ普通のことではないのか。管理職が自らを不利にする

  ような報告をお上にあげるわけがない、と思うのが教育界の常識。全国学力テストの結果がほぼほ

  ぼ信用できないのと同様に、学校の上っ面をフワッとなでる程度の安易な手法による報告や調査で

  学校現場の実態がつかめる、と思う方が今やあまりにも能天気なのだ。

   いや、もとより調査を命じた側も「やってます」感を演出するためだけに嫌々、調査を行なわせ

  ているに過ぎないはず。でなければ神戸市のようにイジメ事件の隠蔽が学校や教育委員会の中で執

  拗に繰り返されるはずがないのである。逆に文科省が各教育委員会や学校の牢固な隠蔽体質を知ら

  ぬわけがあるまい。所詮は「同じ穴のむじな」、この調査自体が国民を欺くだけの、ただの茶番だ

  と思うべきだろう。

   しかし、こうしたアリバイ作りを主な目的とする虚しいだけの仕事だからといって決して侮って

  はいけない。学校のブラック化はお上から送り付けてくる文書の山が生み出している側面もあるか

  らだ。教員不足が問題視される以前から指摘されていたのが、学校における管理職希望者の減少で

  あった。実際、傍から見ていても教頭や教務主任の仕事量は異常なほど多く、多岐にわたってきて

  いる。管理職として必要とされる能力はもはや学校教育への深い理解や豊富な経験、授業の力など

  ではなく、膨大な事務仕事を滞りなく表面的にスマートにこなす事務処理能力の高さに特化してき

  ているという印象が強い。

   形骸化した事務仕事の削減は文科省以下、すべての部署に共通した切実な願いとなっているはず

  だ。そしてこの願いが実現するためには予算と人員の増大が必要不可欠であることは言うまでもな

  く、しかも予算増の可能性は現政権下、限りなくゼロに近い。これに由来する先の見えない絶望感

  こそが現今、多くの教師の心身を追い詰めている最大の元凶なのではあるまいか。

 〇「毎週100枚の書類が教育委員会から届く」藤原和博が見たベテラン教員を忙殺する"いらない書類仕

  事"の実態 プレジデントオンライン 藤原 和博 の意見 2023.6.21

 〇「教育再生」の象徴、なぜ年に一度も開かれない?…4都県232市区町村で会議がゼロ

  東京新聞 2023.6.25

 

 ただし、学者達が日本の学校教育を諸外国と比較して制度的に俯瞰して論ずることは教師が自分の立ち位置を冷静に眺められるという点で役立つ。また一部の学者が試みた生徒と教師間でのやりとりを分析するようなミクロな視点も授業技術や教師及び児童生徒理解の向上という点では有効である。他にも若者文化論や教師文化論の研究は自分としては現場に臨む上で有益だったと感じる。とは言え現場の実態を調査することを本分とする教育社会学者ですら、学校教師や児童生徒に寄り添った、現場感覚に近いデータを獲得することは極めて難しい。このことをほぼ断言できるほどに、今の学校を覆う隠蔽体質は既に強化され、普遍化されてしまっている。

 要するにいずれの立場からの発信も限界があり、どちらにも偏るわけにはいかないということであり、二つの立場からの発信を総合的に捉えるといった、学者ですらかなり難易度の高い努力が日本の教師達には常に求められてきた、と私は考えているのだ。

 以上のような観点から「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つに大別して私の教員時代に相当する過去40年近くの学校教育に関わる言説を概観してみようと思い立ったわけである。ただし私は学者の調査上の限界を踏まえ、どちらかと言えば学者からの発信よりも「現場からの発信」を重視してきた。また学問的には自分の専攻もあるが、実証性と学校現場を重視する教育社会学の成果を偏重してきた。決して教育学全体を見渡してはいない点をご了承頂きたい。しかも教員生活の後半は勤務先が教育困難校続きであったこと、さらには学校教師全体の労働環境の悪化などが重なり、教材研究以外の読書がままならなくなっている。結果的に本を買っても読めないことが続いたために、教職最後の10年間はわずかの本を読むことすら出来なくなっていた点をご容赦願いたい。

※読書時間は次第に減ってしまったが、読書しなければならないという義務感だけは背負い続けていた

 ため、同じ本を2冊、3冊と買ってしまうことが40代、50代で徐々に増えていった。つまり本を買っ

 てはみたものの、ほとんど読めていなかったため、本の題名や買った事自体覚えられずにひたすら強

 迫観念、義務感に駆られて同じ本を繰り返し購入していたのである。

 

 また「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つの観点はいずれも大学時代に教育社会学を少しだけかじった経験に基づく、自分なりの謬見に満ちた選択であり、あらゆる言説を公平な観点から網羅できているわけではない。私は基本的に怠け者であり、理解力、読解力に乏しいので、以下の文章はあくまでも自分の狭い了見から、結局は主観的に「チラ見」した程度のものに過ぎない点も何卒ご容赦願いたい。

 もちろん、教育社会学以外に心理学、それも臨床心理学を少しだけかじった経験から青少年期の心理、カウンセリング、子供・青年文化、非行や不登校、イジメ、若者の自殺関係なども浅く、つまみ食い程度に読み散らかしてきた。これらのテーマも広い意味では教育を巡る言説に含まれる。しかし自分の能力上の限界はあまりにも大きい。ここでは自分が教師となった1980年代以降の約40年間にたまたま自分の目に映じ、自分なりに気付くことの出来た(と思えた)日本の学校教育を巡る言説のザックリとした流れ、変遷にまずは的を絞ることにしたい。

 繰り返しになるが怠け者の私が読んだ本は極めて数が少ない。「現場からの発信」でこれから紹介する論者達は自分からすれば驚異的な読書量と高い読解力、分析力に基づいて自身の著作を世に問うている。当然のことながら私はそれらを逐一論評するだけの力量を持ち合わせていない。したがってここではこの40年近くの学校を巡る言説の変化の一部を教育改革の動きと絡め、独断と偏見に基づいて指摘しつつ、同時に自分の教員生活を振り返ることに留めたい。

 また「学者による発信」に関しては尚更、私の勉強不足、能力不足が露呈している。従って以下の考察はあくまで私の一教師としての回想録という性質を併せ持つ。実際には学校教育に関する言説へのほぼ個人的印象論のようなものに過ぎない点を予めご理解頂き、至らぬ点が多々あることを是非ご寛恕頂きたい。


②に続く(なお表題が長すぎるので②以降は「私的覚書②」等、略記していきます

その7.③学校のウソ臭さ

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

学校はどのようにしてあなたの心を最初から破壊するのか | ショーペンハウアー ニ

     ーチェ イリイチ・ガット

     オートダビング版 Unfiltered Philosophy 2025/06/19  11:28

学校は幼少期からあなたの心をどのように破壊するのか ― ショーペンハウアーとニ

 ーチェ オートダビング版 The Psyche  2025/08/07  24:32

 教師であるならばこのような視点を持っておくことは必須であろう。予め学校教育の意義を根本から疑ってみることは、教師になる前にしっかりと済ましておくべきである。でなければ、教師はひたすら児童生徒の成長を阻み、精神を損なうただの加害者に堕落するに違いない。

 公教育が成立した19世紀の西欧の歴史を踏まえた時、公教育の意義を無条件に礼賛することの危険性は計り知れないものがある、と考えてきたのだが、いかがか。

参考記事

なぜ日本軍は“架空の勝利”を信じたのか?「バッドニュースが上がらない」組織の

     罪と罰 Jbpress 木俣 正剛 2026.6.29

 「バッドニュースが上がらない」組織の罪と罰が今も問われるべきなのはマスコミや各省庁にとどまらない。情報の歪曲、矮小化、そして根強い隠ぺい体質を抱えてきた日本の学校教育界もまた「バッドニュース」を上げようとしない、内部告発ゼロの無い完璧なまでの閉鎖的組織である。「教育」や「機会均等」という言葉の曖昧さの陰に隠れて管理統制ばかりを優先し、社会全体の同調圧力を背景に個性や多様性を抑圧して学校をひたすら息苦しい場所にしてきた公教育の罪は決して軽くあるまい。

学校安全、不断の取り組み=海外に波及、池田小校長「伝え続ける」

     時事通信 2026.6.8

     池田小での不審者対応訓練の写真が掲載されているが、本当にこれで児童生徒を守れるのかは極めて疑わしいだろう。まず各学校に配布されたサスマタであるが、これは廊下などの狭い空間では振り回すことが難しく、突くしかできない。加えて二股の部分を相手に握られてしまうと、サスマタを相手に奪われてしまいかねない。明らかに使い勝手が悪いのだ。また不審者がサスマタと同じくらい長い武器を持参した場合、一人の教員では使い勝手の悪いサスマタで防御することはまず困難である。

     写真では4人もの教員がたった一人の相手を取り囲んでサスマタを押し付けているが、実際には不審者に対して教員が数的に優位となれる保証などあるわけがない。まして相手が短い武器で襲ってくれるという保証も無い。訓練するならば自分たちに都合の良い条件で行うのではなく、むしろ不利な条件下でも防御できる備えと訓練をすべきだろう。そもそもサスマタは平常時、どこに保管されているのか、報道する側も訓練の裏側まできちんと調査報道すべきである。

     多くの学校では私が教員であった10年近く前、サスマタは確か事務室の倉庫に保管されていた。そうした学校では不審者が乱入してきた時に、倉庫のカギをあけてサスマタを取り出すまで、一体、どの程度の時間がかかるのか、一度でも実験してみたのだろうか。はたして事務員もサスマタを上手に扱えるのだろうか。学校の玄関近くに事務室を置いている学校が多い中で、不審者の侵入を水際で防ぐために事務員が果たす役割は決して小さくないだろう。

     学校によっては校門以外からでも校内に侵入できる。不審者らが敢えて学校の玄関から正々堂々と侵入してくれる保証も無い。つまり、実際にはサスマタを持たない状態で一人かせいぜい二人程度の教員が突然、武器を持つ不審者への対応をする…これが不審者対応での大いに起こりうる第一段階であろう。その騒ぎを聞きつけてどの程度の数の教員がどの程度の時間をおいて集まってくるか…は、不審者が教師に発見された場所によっても大きく左右されるに違いない。

 どんな教師でも、どんな場所でも防犯対策として最初にできることがあるはずだ。たとえば小学生に配られている防犯ブザーを教師、事務員にも配り、校内で常に所持させて不審者を発見したら即、ブザーを鳴らす、これだけでもある程度の防犯効果を期待できるだろう。こちらの方があてにもならない、見せかけだけの訓練を繰り返すよりもずっとマシではないか。

部活動の遠征「コストカットで安全軽視」の重い代償…学校のコンプラ意識と現場

     の限界が浮き彫りに【北越高バス事故】

     東洋経済オンライン 坂田 仰 2026.6.4

 部活動における学校現場の限界をまじめに考えるならば、部活動の放棄こそ、学校がとるべき唯一の手段であると思うが、いかがか。「生徒の命に関わる移動については、適切な移動手段を取るコストを賄えないのであれば、潔く見合わせることも必要ではないだろうか。」との指摘に同感である。日本の教育予算の低さと学校のブラック化を念頭におくならば、中学校のみならず、高校もまた部活動を放棄するしかあるまい。

「若手に任せてたら教育の質が保てない」、ベテラン教員"価値観ギャップ"ありすぎる

     と嘆く…学校がうまく回りだすヒント

     東洋経済オンライン 東洋経済education × ICT の意見 2026.6.1

 …次期学習指導要領では、子どもたちのウェルビーイングの向上が中核的な目標に掲げられていますが、先生たちが幸福でなければ子どもたちを支えられません。

そもそも僕は、子どもたちのウェルビーイングの向上を学校の職務とするような方策には疑問を抱いています。

     自己肯定感や主体性に続き、ウェルビーイングまでもが学校の先生の責任にされてしまうと、現場の負担は増すばかりです。そうなれば、子どもたちは「自分の幸福も先生の責任」という風に、ますます「してもらい上手」になり、受け身一辺倒になっていくでしょう。

     それよりも、子どもの幸福度に目を向けると同時に、教員自身の幸福もしっかり考えたいです。そもそも、今の10代よりも、30代40代の上の世代のほうが幸福度が低いというデータもあります。先生自身が幸せでなければ、子どもに幸せな教育を提供することなどできません。…

     まさしく金間氏のご指摘の通り。また、定時に帰る若手教員に対してベテラン教員が苦々しく感じてしまうことの落とし穴についても絶妙な分析が加えられていてすべての教員にお勧めの記事。悪いのは「ドライ」に見える若手教員ではなく、「滅私奉公」をいまだに捨てきれない無批判で無反省な熱血教師、ベテラン教師であり、とりわけ「滅私奉公」を前提にして成り立ってきた学校における古いシステムの残存の方であろう。

“30万円の自腹を強いられた校長の告白。「わたしはどうすれば……」未納金問題

    の深刻な実態 All About 福嶋尚子・栁澤靖明・古殿真大     2025.10.11

 この程度の調査だけでは日本の学校現場の自腹の実態が十分に解明されるわけがない。自腹が当たり前のこととして常態化してしまい、教師自身が自腹を自腹として意識できていないまま、出費を続けているケースだって決して少なくあるまい。確かに管理職の自腹などは一時的には多額のケースもあるだろうが、一般の教師が日常的に支払い続ける自腹の総額が管理職のそれと、実際には大差ないものであることの方がむしろ多いのではあるまいか。

 運動部顧問の場合、部活動に必要となる道具類等の一部は顧問が自腹を切って購入することが少なくない。もちろん自分の使う道具やユニフォームなどは自腹である。当然、練習試合などで他校を訪問する際の出費の多くも自腹である。さほど部活動に熱心ではなかった自分ですら、35年間の教員生活において部活動関係で自腹を切った金額は間違いなく100万を下ることはなかった。

 文化系の部活動でも、楽器の購入や修理費など、吹奏楽部の顧問の自腹分もかなりの巨額に上るだろう。

 また授業で実物教材などの独自教材を使う教師の場合、教材費のほとんどは自腹である。もちろん授業準備に要する書籍代は全額、自腹。さらに近年はプロジェクターを用いて授業を行う教師が多く、どこでもプロジェクターは学校の備品だけでは不足しがちである。結果的にプロジェクターを含め、視聴覚機器や記憶媒体の一部を自腹で用意してきた教師は決して少なくない。

 古くは100本以上のビデオテープを購入して授業での視聴に用いていた教師たちの過去がある。その中には録画用ではない、かなり高額のものもあった。自分も先輩教師たちに見習ってテープ代だけで総額数十万円分は費やしている。

 自腹はお金の問題だけではあるまい。お金以上に膨大な時間と労力がとりわけ部活動にはつぎ込まれており、教師たちの私生活は常に厳しい制約を受けてきた。肝心の授業準備もおろそかになりがちであった。そこへ様々な学校行事が絶え間なく加わってくる。文化祭や体育祭、遠足に修学旅行、入試、入学式、卒業式…それらの準備もまた部活動同様、勤務時間内に終わらないものばかりなのだ。

 教師たちによるこうした自己犠牲的な献身抜きにしては、日本の学校教育がまともには成立できてこなかった、という現実をまずはきちんと直視すべきだろう。そしてマスメディアならば先進国で最低レベルの教育予算しかない日本という国の、真の意味での文化的貧しさを引き摺り続ける社会の構造的な欠陥にこそ、もっと深いメスを入れるべきだろう。

なぜ?学校の通知表「主体性」の評価が見直しの訳

    東洋経済オンライン 松下 佳代 2025.10.8

 これまで教師や児童生徒の主体性を踏みにじり、学校現場の主体性をひたすら否定してきた文科省が、なぜか通知表の評価の観点としてこれからは主体性を重視する、という。本来、主体的な学びはまず教師側が児童生徒の模範となるべく、実践できていなければなるまい。

    連絡報告の書類作成などのブルシットジョブや無意味な官製研修の連打によって教師の主体的学びの機会を奪い尽くし、教師の意思を無視して職員会議をただの連絡報告の場に貶め、学校の都合を最優先して校務分掌を一方的に新任者に押し付けることで、ひたすら主体的な勤労意欲を奪ってきた教育行政側が学校現場に対して「主体性」という言葉を口にして良いわけがない。

 …文科省自身は、「主体的な学び」を「学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる」と説明し、「主体的」をproactiveと訳している(proactiveはreactiveの対比語で、事態に反応するのではなく、先取りして自ら事態に働きかけることを意味する)。…

 とのこと。裏読みをすれば、国の方針に対して主体的、意欲的に盲従してくれる「民草」の養成に学校はより一層の力を入れていけ、という事かもしれない。その発想において致命的に欠けている視点は、何を学ぶべきなのか、という主体的学びの前提として必要不可欠となる問題意識であろう。文科省が学ぶべき内容への規制を緩めることなく、厚かましくも学習の主体性を教育現場に求めることに潜む矛盾とそこに隠された真の意図に留意したい。

小学校の隠しカメラに市議「盗撮では」 市「正当」強調 愛知・江南

     毎日新聞 2025.10.2

 これが完全な違法行為であり、児童への明らかな人権侵害にあたるものだと判断できない校長や教育長がいることに驚く。どうしてこのような人物が校長や教育長になってしまったのか、管理職人事の闇に触れた思いがするのだが、いかがか。もちろん、隠しカメラの設置を擁護する市長の見識にも呆れるほかあるまい。

 児童のイタズラがどんな内容なのかも、気になる。仮に他の児童への深刻な人権侵害に相当するものならば、一刻も早くイタズラを辞めさせる必要があるのは確かだ。しかし、そのためにとるべき有効な手段は、監視カメラの設置以外にもあったのではあるまいか。

ブラック校則を自ら見直し? 「子どもの意見表明権」教育に取り入れ

 毎日新聞 2025.9.5

 …子どもの意見表明権は、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」の12条に規定。子どもが自らに影響を及ぼす事項に対して自由に意見を述べる権利を確保するとしている。

 日本は94年にこの条約を批准した。国内法は長く未整備だったが、子どもの意見表明権を基本理念に掲げた「こども基本法」が2022年に成立。その後初めての指導要領改定を迎えるため、学校での指導にも取り入れることにした…

 と記事にある。学校教育は児童生徒の将来に直結するため、教育内容に関して世界の進展に大きな遅れがあっていいはずがない。未来を生きていく児童生徒の歩みを学校教育が妨げていいはずがないのだ。特に児童生徒の権利に関してはなおさらであろう。まして科学技術の進展が目まぐるしい現代である。子どもたちの未来を預かるべき学校教育が、日本の場合、進取の精神を児童生徒から奪うような旧態依然のレトロ感をいつまでも醸し出し続けているのはいかがなものか。

 次の学習指導要領が学校現場に適用されるのは小学校で2030年度からである。中学校や高校はさらに遅れてしまう。つまり日本では子どもの意見表明権を規定した子どもの権利条約が国連で採択されてから41年、日本で批准されてから36年以降、ようやく小学校から順次、学校現場に反映される予定、というのだから驚き呆れる。この取り組みの鈍さ、遅さ…まさに「人権後進国」たる日本の面目躍如、というところか。

 これまでの長きにわたり、子供の人権条約の精神が日本の学校教育にしっかりと反映されてこなかったために生じてしまった、残念な事件事故は数多い。これによって犠牲となった児童生徒の数も決して少なくはない。政府、文科省はこうした世界の進展に対して大きな後れを取り続け、結果的に犠牲者を生み出し続けた失態を深く反省し、一刻も早く国民に謝罪すべきではないのか。

 実際にはかなり以前から児童生徒の意見を取り入れてブラック校則の見直しを推進している学校が出てきている現状は確かにある。とりあえず一部の動きにせよ、文科省の取り組みよりも学校現場の方が少しは早い…だからといって国民が安心できるわけではあるまい。

 30年以上にわたる日本経済の失速、経済や政治の停滞の背景に日本の学校教育の、余りにも時代遅れなあり方がある、と考えるべきだと思うが、いかがか。

教室にカメラ設置ってアリ? 「いじめを防ぐため」の案だけど「体育の着替え」

    は、「死角」はどうするの? 東京新聞 2025.4.18

    おそらく熊本市教委の人権意識の低さ、鈍感さがこうした安直な対応にも表れてしまうように思えるのだが、いかがか。ぜひ、授業で取り上げて監視カメラ設置の是非について議論させたい。まずは議論の手始めとしてイジメが発生する主たる原因とイジメへの対応のあり方が問われるはずだ。

    どういう環境下でイジメは発生しやすくなるのだろう。これまでの常識的発想ではこんなロジックで学校でのイジメが語られる傾向があったはずである。まず画一的な管理主義的教育体制の下で学校側が集団行動を偏重し続け、集団への同調圧力を過剰に強めてしまうと児童生徒の精神的ストレスは極めて大きくなってしまうに違いない。そのストレスはきっとイジメとなって発散されてしまう大きな危険性を孕むものだろう。あるいは集団主義的な校風になじめない児童生徒たちの間に数多くの不登校を生み出すかもしれない…

    とは言え、仮に集団主義、管理主義が大幅に改善されたとしてもイジメを社会から根絶することは不可能だと私も考える。そもそもどんな社会であれ、利害の対立が生じるのは不可避である。したがって利害の対立やイジメが生じたとき、学校側が問題の解決に向けてどう工夫し、どう対応するのか、が問われる。

 工藤勇一氏のように、集団間での対立、イジメの発生に対して児童生徒自らが対話を重ね、問題解決の方向に自分たちで歩み出せるように教師が工夫して対応できるのならば、イジメ問題の発生は学校にとってむしろ大歓迎ですらあるだろう。それは児童生徒にとって社会生活のあり方を、体験を通じて学ぶ、絶好のチャンスとなるからである。仮にそう考えられる教師集団ならば、イジメを無くす…という発想、教育目標は決して思い浮かばないはずである。逆に単なる学校や教師側の臆病な自己保身などから、イジメの未然防止のために監視体制を強化してしまうと、児童生徒の自律、自立のチャンスを奪うだけではなく、学校をさらに居心地の悪い場所にしかねないのではあるまいか。

 もちろん、学校における硬直化した画一的管理主義は今後も是正されていくべきであるが、それだけではおそらくイジメ問題の本質的解決には向かわないだろう。学校でのイジメ問題への対応は、日本の学校の根深い隠蔽体質も考え併せれば、イジメの発生防止という観点に軸を置くのではなく、イジメ発生後の対応の在り方の方に対策の軸を置くべきではあるまいか。

 イジメの根絶を図るために児童生徒への監視を強め、管理を強化せんとする熊本市教委の発想は、以上の点から問題の本質を完全に見誤っており、さらなるイジメのステルス化、陰湿化、悪質化をも招きかねないと考えるが、いかがか。

 そもそも今はやりのSNSによる誹謗中傷を、監視カメラの設置で防げるはずはないのだ。イジメは教室内での窃盗事件とはわけが違うし、監視強化によってイジメの発生を完璧に防げるという幻想も即刻、捨てていただこう。そしてイジメ問題をもっぱら児童生徒たちの力で解決できるよう、いかにして議論を組み立てていくのか、熊本市教委および教師側は真剣に考えていくべきであろう。

ニュージーランド公立小の"自由で刺激的"な日常 移民大国で根付く「ダイバーシ

   ティ教育」の実際 東洋経済オンライン 鳥羽 和久 の意見  2025.1.10

   教育においてダイバーシティを尊重するという事は一体どういうことなのか、ニュージーランドの取り組みを例にして具体的に知ることが出来るだろう。ダイバーシティ教育の実現には大きな予算が必要であることが繰り返し強調されている点も重要である。振り返って我が国の学校教育の残念なまでの低予算、教師の出血大サービス残業で無理くり体裁を整えているみすぼらしさと上辺だけのダイバーシティ尊重の掛け声を見るにつけ聞くにつけ、絶望的な感覚を覚えてしまうのは私だけであろうか。

30年変わらぬ体育館での雑魚寝「劣悪環境」の避難所が生む関連死 自治体任せから

   脱却を 備えあれ⑤避難力 産経新聞 2025.1.6

   阪神淡路大震災、東日本大震災・・・肝心なことの多くを過去の経験から学んでこなかったのは政治家だけではあるまい。能登半島沖地震から一年経っても被災地の復興の歩みの遅さ、ノロさは本来、安全で居心地の良い避難所として機能すべき学校の体育館で、寒さに震える「雑魚寝」状態が一向に改善されていない点にも伺える。果たして今回の災害発生後の避難生活における病死、自死の比率は30年前に比べてきちんと減ってきているのだろうか。

 思えば学校の体育館ほど避難生活を送る場所として不適切な施設は無いだろう。そこは大勢の人々が避難生活を送るために配慮され、設計されたものでは決してなく、本来は児童生徒らに忍耐と根性を養成する試練の場であり、むしろ積極的に快適さを嫌う空間であったはずだ。そこでは多くの児童生徒が退屈で長いだけの校長訓話をひたすら耐え忍び、季節によっては酷い暑さ寒さにも耐え忍ばねばならない、神聖にして厳格な「鍛錬」の場ではなかったか。どうみても図体がデカイだけのガランとした体育館の空間は暖房にまったくなじまず、ましてクーラーなど、教師たちにとっては想定外、論外…現代的な空調設備などは、ただただ児童生徒を甘やかすだけの、贅沢過ぎた余計な施設であったはずだ。

 冬はかじかむ手を握り締めて寒さを耐え忍びながらの始業式、終業式、卒業式が長時間にわたって繰り返され、夏は酷暑の中で大汗を書きつつ蒸し暑さを耐え忍びながらの終業式、講演会などが繰り返された。もちろん部活動では地獄の特訓が待ち受ける、恐ろしい試練の場であった。まさに戦時中の「皇国民錬成」精神の生き残りそのものだった体育館である。そもそも40人余りがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた狭い教室にさえ、クーラーが本格的に導入され始めてからまだ20年も経ってはいないのが、経済大国日本の公教育の実態だったのだ。経済的繁栄の絶頂を謳歌していたあのバブル期でさえ、日本の公立学校の教室にはクーラーがほとんど存在していなかったことを思い返してほしい。

 災害時に学校に足を踏み入れた避難民は速やかに自身の学校時代の辛かった記憶を取り戻し、しばらくは我慢強く生活を送ろうとするだろう。が、もはや児童生徒たちの従順さと体力を持たない大人たちが長期間耐え続けられるほど、学校の施設は優しくない。元来が兵舎をモデルにした近代の学校施設は、野営よりは多少マシであるものの、今時の、冷暖房完備の御家庭とはまったく違う発想で設計されているのだ。

 日本の学校は決して生活する場ではなく、いまだに鍛錬の場である。そのことを痛感するのが学校での避難生活であったはずだ。この記事は日本の学校がこれまで抱えてきた、古色蒼然とした軍隊由来の発想と避難生活の場としての快適さを求める発想との相克をも伺えて実に興味深い。そして同時に教育予算と防災予算を徹底的にケチり、国民の幸福と安寧、生命を軽視してきたこの国の政治の貧困さをも痛切に思う。

 政府はこのまま有効な対応をサボり続け、連発しかねない南海トラフの大地震や首都圏直下型大地震、富士山の大噴火を漫然と待つつもりなのだろうか。防災、避難、後片付け・・・その多くをいまだに自助努力とボランティアに依存する国家を今後も「災害大国」などと日本が内外に喧伝し、自称していくのはいかがなものか。

 おそらくロシアや中国の侵攻、北朝鮮のミサイルを待つまでも無く、日本は自然災害によって一気に衰退するに違いない。きな臭い国際情勢が続く現在、確かに防衛費の増額も必要だろうが、確実にかつ目前に迫ってきた大災害への備えはさらに緊急性が高いのではあるまいか。他国の侵略で滅ぶ前に自然災害で滅ぶ方が先だとしたら、「災害大国」日本の名がすたるだろう。

 かつては優秀な人材を多数抱えて敗戦からの奇跡的な復興を遂げ、「人材大国」とも呼べるほどに国民の優秀さを誇ってきた日本である。しかし、ここ三十年余りの間にひたすら教育予算と社会保障費をケチり続け、全国に金権政治家、老害政治家を蔓延らせて、いまや酷いレベルまで子供や若者の未来を閉ざしてきた日本の現状を見た時、「人材大国」、「災害大国」と日本を呼ぶよりも「人災大国」と自称すべき時に至っているように思えるのだが、いかがか。少なくとも真剣に国民を守ろうとしない今の政府に税金を差し出す義務など国民にあろうはずがない。

 少子高齢化を含む様々な課題を先送りしてきた政府の責任はもちろん重大だが、主権を持つとされる国民の選択にも問題は多いに違いない。加えてこの問題の責任の一端は住民を欺いて避難設備の充実をさぼり、予算をケチってきたクセに、漫然と避難所を引き受け続けてきた地方自治体と教育行政側にもあるだろう。

 ところで教師たちはいざという時、自分たちの家族を放置したまま、周辺住民の避難生活をどこまでみすぼらしい学校の中で責任を持って支えられるのだろうか…疑問だらけではあるまいか。自宅ならば自己責任で防災用品を十分に整え、非常時に備えることは各自の判断でできる。しかし、いざという時、学校近くに住む教師たちはその自宅を離れてまともな設備や非常食の備えも無い学校に集合させられ、大勢の避難民のためにあくせくと働くのだ。冷たい体育館の床で一体、いつまで寝起きを強いられるのだろう。とりわけ問題とされるトイレや生理用品の件だが、これに関しても学校において何らかの改善や用意が出来ている、などと感じたことは一度も無い。

 こうした貧弱な施設と備えのままで果たして大地震や大噴火後の避難生活に現在の学校は、教師たちは、住民たちはどこまで耐えられるのだろうか。そもそも近隣住民は災害時における学校施設の不備をどこまで知っているのだろうか。実際、学校の現状を知る多くの教師は自分の家屋の安全が確認できさえすれば、本音の部分では家族とともに自宅での避難生活を望んでいるはず。

 こうして災害時の悲惨な避難状況をわずかに想像しただけでも、多くの人は教師にだけはなりたくない、と切に思うのではあるまいか。様々な点で避難施設としての条件を欠いたままの学校の惨状はもっと広く世間に知られるべきであろう。

長野県、自己実現できる「ウェルビーイング実践」70校決定

   リセマム 2024.12.7

   …飯田市では市内すべての小・中学校で小中一貫教育を導入。小・中学生の異学年が一緒に取り組む行事や学習、地域を生かした探究的な学びをつくる特設教科(教育課程特例校制度)を設置する。根羽村(下伊那郡)の公立学校では、小規模ならではの「学びの村づくり」として、時間割を子供たちが決定したり、地域の人が学校の教育に参加したりできる仕組みづくりを計画。栄村(下水内郡)の小・中学校では、制服や運動着、化粧やピアス、染髪などのルールは子供たちが決めるとし、揃える指導はやめ、多様な生き方や学び方を支援していくという。…

   長野県はこうした取り組みの準備期間として2025年度をあて、翌2026年度から本格実施されるという。正直に言って余りのスピード感に驚きと大きな不安を隠せない。ただし改革例として挙げられた取り組み自体は100年余り昔の取り組み(大正新教育運動)で見られたものとほとんど大差は無く、ICT化による個別最適化教育の推進以外に大した新しさはみられない。むしろこうした取り組みが事前にどれほどの計画性と予算を伴っていたのかを私たちは厳しく注視すべきであろう。

 大雑把に振り返れば大正新教育運動は大正デモクラシーの風潮に乗っかって、制度的、組織的、予算的なバックアップ体制を十分には構築できないままスタートしたため、ほぼ実験段階のレベルのままに収束している。計画性に欠けた拙速で無謀な取り組みによる失敗はその推進者が標榜していた人権尊重と民主主義の価値を結果的に貶める役割を果たしてしまい、昭和に入ると国民学校による皇国民錬成教育という恐ろしい反動を招き入れてしまった。どんなにきれいごとを叫んだとしても、それだけではきれいごとが実現するわけではない。わたしたちはこれまでも「教育改革」の名で再三繰り返されてきた、こうした目くらましに騙されてはなるまい。

 学校教育の改革の成否を握るのは法制度の整備や予算面などでのバックアップに加え、改革を推進する歯車となるべき人材の育成の進み具合である。これは教育学の世界では既に一世紀近く前から指摘されてきた。長野県では一体、こうした人材の育成をこれまでどうしてきたのだろう。どうみても人材の育成は一朝一夕にできるものではあるまい。実に怪しい限りである。

 まずは新しい改革の主旨を理解し、それを実践に移せる管理職が改革の先頭に立たなければ話になるまい。管理職の頭の中が「昭和」のままではまさに「ふてほど」そのものであろう。もちろん、一般の教師たちにも改革を推進していけるだけの知識と理解、それに心身の余力がなければなるまい。既に「教育改革」と称する過重労働ですっかりブラック化した学校にそれだけのゆとりが残されているのだろうか。この点でも大いに危惧される。実際問題として、県は児童生徒のウェルビーイングを言う前に、教師のウェルビーイングの方をまずは心配すべきではないか…

 かつての「教育改革」がことごとくそうであったように、長野県の取り組みが教師たちの疲弊を一層募らせ、挙句の果てに無責任な「絵に描いた餅」で終わらぬことを祈るばかりである。

「どういうつもりなのか」同級生から「ばい菌」扱いのいじめ…女子児童は100日

 以上欠席 急きょ「重大事態」認定に不信感 京都市 別児童のいじめでも一転し重大

 事態を認定 毎日放送 によるストーリー 2024.7.24

 2020年から始まっていたイジメを今頃になって教育委員会が重大事態に認定する背景に一体何が考えられるだろう。いじめ防止対策推進法に対する理解の程度が各地の教育現場ではかなりマチマチとなっており、殊に管理職によって大きな差異があることは容易に推察できるだろう。今回の件も担当者が新旧入れ替わったことでようやく表面化してきたと考えられる。

 しかし重大な案件に関しては統一的基準に基づく迅速な対応が求められるはずだ。法の規定に基づかない、現状の属人主義的な対応ぶりにはどうしても大きな危険を感じざるをえない。管理職の世界における年功序列、先輩後輩関係のあり方に深くメスを入れない限り、こうした事はいつでもどこでも起こり続けるだろう。

 とりあえず、今回の件ではこれまで重大事態としての認定を行わなかった当時の管理職、及び京都市教育委員会の担当者への厳しい処罰を下すべきである。たとえ後輩の身であっても、対応を間違っている先輩を厳しく処断できないようでは教育行政への市民の信頼は崩れる一方となるだろう。

この社会はまるで「寄生虫」のよう…いつのまにか「わたし」に侵入して内側から

 変えてしまう「おぞましい実態」現代ビジネス 

 内藤 朝雄(明治大学准教授・いじめ問題研究) の意見  2024.5.25

「一回いじめたら、止められない」「何か暴走してしまう」…意外と知らない「い

 じめの構造」現代ビジネス

 内藤 朝雄(明治大学准教授・いじめ問題研究) の意見 2024.5.25

 学校が果たしている社会的機能の一つ「社会化」のブラックな側面を寄主に対する寄生虫の不気味な影響力にたとえてみるのはイメージしやすくて効果的だろう。学校のどんなところが寄生虫の影響力と同じような不気味な感染力を持っているのか、生徒たちに問いかけてみたい。少なくとも学校とは「善」なるものと頭から決めつけて思考停止に陥っている生徒たちには刺激的な問いかけになるだろう。

<著者は語る>データの独裁許すな 『ヤバい統計 政府、政治家、世論はなぜ数字に

 騙(だま)されるのか』 統計学者 ジョージナ・スタージさん

 東京新聞 2024.4.28

 統計のウソを見抜くことは難しいが、常に疑ってかかる姿勢は保つべきだろう。特に政府、文科省の統計は怪しい限り。つまり「検定」なるものを通過した教科書や資料集ですら、全面的に信用するのは間違いだろう。授業では年度初めにこの記事を読ませ、統計資料の安易な利用に釘を刺しておきたい。

 とはいえ、政財界によるバイアスのあまりかからない、ごく基本的な統計資料(人口統計など)はきわめて有用なデータであり、こうしたデータをどれだけ授業に生かせていけるかが、教師の腕の見せ所でもあろう。

体罰を訴えた保護者アンケートを破棄して偽造 小学教諭を処分 岩手

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.6.17

 アンケート調査の危うさはこうしたデータの偽造が絡むと一層厄介である。教師の評価が絡む児童や保護者向けのアンケートを教師自身が分析するのはやはり、やめた方が良いだろう。分析は保護者会や生徒会で行った方がデータの信頼性は高まる。回答者が忖度なしの評価をできるような条件を十分に満たさないアンケートならば行わない方が良い。安易な設計のアンケートはただ誤解を招くだけではなく、悪用されかねない。

     旭川女子中学生凍死事件、辺野古沖転覆事故、これらの出来事に共通するのは当該学校の教師たちの守秘義務で固く閉ざされた、長くて憂鬱な沈黙である。被害者のことを少しでも思うならば当事者の一人として証言や告発の動きが一度でも表面化してきておかしくないはずなのに…当該教師たちから貴重な証言が得られれば、事件事故の再発を防げるかもしれないのに…かつてどの学校事件・事故を振り返ってみてもただの一度たりとも学校教師からの内部告発は出てきたためしが無いように感じられるのは私だけではあるまい。この完璧とも言える強固なレベルの隠ぺい体質が、学校の保守体質と連動して児童生徒たちに及ぼす悪影響にはおそらく計り知れないものがあるだろう。

 各地で隠ぺいとデータの捏造が繰り返されている日本の学校現場である。学校のブラックボックス化がひそかに招き寄せている学校教育の危機がこうした各種学校事件・事故の端々から垣間見られるだろう。

無意識に行動を操られる「ダークパターン」の危険 「妨害」「こっそり」など知るべき7

 つの悪質手口 東洋経済オンライン 酒井 麻里子 の意見 2024.4

 この知識は児童生徒たちがネット詐欺の被害に遭わないために必要な知識になるだろう。加えてこれまで学校教育で行われてきた「教育」という美名に隠れたある種の「洗脳」を自覚する上で役立つ知識だと思うが、いかがか。

 かつて教育社会学では学校での制服や男女別名簿、教壇などが無意識的に児童生徒に及ぼす影響を検証する研究がP.ウッズ(イギリス)らによって盛んに行われていた。つまり児童生徒を無意識的に一定の方向へとコントロールするある種の政治的目論見、「ダークパターン」の研究があったのだ。

 これはフランスのM.フーコーらの監獄への考察にも通ずるもので、軍隊由来の校舎や制服、体育での整列や行進と軍隊、刑務所との類似性が指摘されていた。たとえば日本ではランドセル、セーラー服、詰襟の制服、「気を付け」の号令と「休め」の姿勢などはいずれも軍隊由来のものであった。明治期に掲げられた「国民皆学」と「国民皆兵」というスローガンは近代的国民国家の形成と「富国強兵」を急ぐ明治政府の民衆に対するある種の洗脳政策といっても過言では無かったはず。

 今、学校教育を通じてどのような「洗脳」が行われているのか、冷静に振り返る視点は教師だけでなく、実際に「洗脳」の被害を被っている児童生徒たちにも「解毒」のために必要となっていると私は考えている。

修学旅行で預かった児童150人の財布、引率教員が無断で中身調べる…西宮市教

   委「不適切だった」 読売新聞 によるストーリー 2024.8.1

   学校にはイジメ事件に関しては生徒のプライバシー保護を盾にして事件の全貌解明を妨害し、隠蔽を図ろうとするクセに、普段は児童生徒のプライバシーの管理をおざなりにして時折、漏洩させてしまったりする残念な傾向があったりする。教師たちの多くはいかにも表向きは児童生徒の人権を尊重するフリをしているが、一部の教師の場合、子どもの人権条約すら一顧だにせず、残念ながら生徒指導を名目にして平気で児童生徒のプライバシーを侵害してくる。

 今回の件は不適切だった…では済まされないだろう。校長自身がこの指導に何ら疑問を抱くことは無かった、というから驚きだ。人権意識が今の今に至っても昭和のままであり、管理職や市教委からしてコンプライアンスの欠片すら存在していない、全くの時代遅れの認識にとどまっている、と批判されてもおかしくはあるまい。

 確かに40年近く前、高校でも修学旅行時、生徒たちの持ち物検査をしていた経験がある。当時はもっぱら酒、タバコ、ウォークマンやラジカセなどのチェックが主だったが、まだまだ校内暴力の余韻が残っていた時代でもあったため、検査すること自体はある程度まで仕方ないだろう、と感じないわけではなかった。事実、遠足の際、バスの後方の座席でお酒を回し飲みしていたグループの存在が発覚したことがあった。当時は中位層の高校でも最悪、ナイフ等の所持だって起こりうる時代であり、一切、持ち物検査をしないで済むような旅行がほぼほぼ無理な状況は確かにあったと思う。

 しかしその当時ですら所持する金額に関して上限を設けていたとしても学校側は一切、本当の所持金を確認してこなかった。生徒の所持金は保護者の所持金と同質のものであり、基本的には生徒及び保護者の判断にゆだねられるべきプライバシーそのものである。生徒にあまりにも多額の所持金がある場合、盗難や紛失の恐れが増し、いざという時、十分な事前指導を行わなかったと学校側の責任が追及されるような事態はもちろん想定しておく必要がある。だからこそ、事前に多額のお金を持参させないよう、保護者にも依頼するし、所持金の上限額も提示するのだ。しかし、その先はやはり保護者と生徒自身の自己責任に委ねるほか、手立てはあるまい。

 生徒たちにはこの件をどう思うのか、なぜこのようなことが学校ではまかり通ってしまうのか、じっくり考えさせたい。

 

・名古屋市教委金品授受問題

徹底追及 名古屋市教育委員会の金品問題 不可解な“名簿とカネ” 学閥で校長

 が…? CBCニュース【CBCテレビ公式】 2024/03/26 7:43

 ここでも寺脇氏の学校現場への無知がさらけ出されている。管理職候補を推薦する名簿の存在は千葉にも古くからあったはず。管理職採用を巡っては学閥や校長会の影響力もかなり大きいのは教師たちにも良く知られたことである。特に愛知教育大出身者が管理職の多くを占める名古屋市の場合には管理職採用試験にしっかりとした公正さがある、と思う方がおかしい。

 寺脇氏のような、学校現場への知識にまったく欠ける人物が文科省の官僚だったわけだから、教育行政が迷走してトンチンカンな政策をとり続けるのも当然であり、文科省の改革抜きで教育改革など完全に不可能なのである。

座長「なれ合い構造あった」 名古屋市教育委の金品授受問題報告書

 毎日新聞 によるストーリー 2024.8.28

 そもそも文科省の官僚だった寺脇氏が座長を務めるような調査検証チームが出す報告書なぞ、一体誰が信用するのだろうか。ただの茶番に過ぎないのは見るまでもなく明らかであろう。チームは「…名簿や金品による人事への影響は否定」したというから呆れる。一体、どんなデータ、資料を根拠にこんな結論が出されたのか…限りなく疑わしい。どうせまともな調査など、行われたわけがあるまい。

 他方で「教員集団の閉鎖的・排他的な仲間意識、なれ合いの構造があった」と厳しく批判したというが、これは明らかに口先だけ。世間を欺くただの茶番であろう。教育行政側のメンバーだった人物を座長とするような、厳格さ、公正さ、第三者性に欠けるこの調査検証チーム自体が市教委側と連携してズブズブの馴れ合いを演じているのは想像に難くない。教職員課長や教育長も務めた前市長の松原武久氏へヒアリングしたというが、こんなもの、岸田首相がオリンピック問題で行ったという森元首相へのヒアリング並みに信用できない。市教委および調査検証チームと馴れ合い、じゃれ合う関係性の中で松原氏が知らぬ存ぜぬを貫くのは極めて容易であっただろう。

教育関係者「闇深い」 名古屋市教委の金品受領問題報告書

 毎日新聞 によるストーリー 2024.8.28

 これ管理職の選考を巡る厳格さ、公正さに欠ける金品授受は教育公務員として見逃せないはずの大きな信用失墜行為であり、関係者の分限問題に関わるべきレベルの深刻さがある。にもかかわらず、調査検証チームの報告書には危機感の欠片も見られない、生ぬるさがある。再調査が必要なのは言を俟たない。

名古屋市教委の金品授受、総額1300万円超に…検証チーム「癒着と映らないか

   との視点が欠落」 読売新聞 によるストーリー 2024.3.30

 文科省の官僚だった寺脇氏が「…推薦名簿がまかり通っていたことも驚きだ」と指摘していることに驚く。文科省にいた人物が「推薦名簿」すら知らぬこと自体、恥ずかしい事だろう。学校現場の事を知ろうとしない人物が平気で官僚を務めている文科省というお役所のオワコンぶりに私はむしろ興冷めしてしまう。文科省がこんなテイタラクだから教育現場での不祥事が絶えないのではあるまいか。官僚たちの学校現場に対する無関心、無知、勉強不足こそが諸悪の根源なのかもしれない。

元校長らへの人事案「内覧」会合費にも支出 名古屋市教委の金品授受

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.29

 金品の授受に関しては公にされると良くない、との認識が関係者の間で共有されていたという。同様の話はかつて名古屋に限らず、全国的にあったはずで、教員に採用されるためには教育委員会の有力者に金品を送るのが必須だった県があるとも聞いている。しかし声高にコンプラが叫ばれている現在、この悪習はとっくの昔に無くなっているものと不覚にも私自身、思っていた。まさに「不適切にもほどがある」ということだ。

 とはいえ数々のイジメ事件隠蔽など、大きな不祥事を繰り返してきたこれまでの学校社会の異様さを思えば、この程度の事があったとしてもさほど驚くほどのことではあるまい。世界や時代の進展に背を向け、百年一日のごとく因循姑息な、馴れ合いだらけの村社会に安住してきた日本の学校教育界である。おそらく同様の風習を続けてきた市町村が他にもあるに違いない。

 実は日本の学校社会全体が政治家の世界に負けず劣らず、とっくの昔に「不適切にもほどがある」状態であったはず。政治家の裏金問題は教育委員会の裏金問題とよく似た構造をはらんでいるのではあるまいか。

 

公教育のモデルつくるつもりが「法令違反」 奈教大付小教員の嘆き

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.4.5

「文科省の二枚舌」元次官も憤慨、奈良県の教員“総取り替え”騒動で注目「学習指

 導要領は憲法違反?」SmartFLASH によるストーリー 2024.4.4

 前川氏の意見に同感である。20年以上前のことだが、君が代の歌詞を授業で教えていたら県教委のメンバーからそこまで教えなくともよい、との指導を受けてガッカリさせられたことがある。君が代をどのように、どこまで教えるべきなのかといった判断が文科省から明確に示されることなく、たかが教員委員会のメンバー一人の主観で指導を受けたことにも強い反発を覚える。

 そもそも君が代の歌詞を高校の生徒たちがこれまで一人も知らなかったこと自体、本来ならば大問題なはず。学校で歌うことを強制している「国歌」の歌詞と意味を学校ではきちんと教えてはならない、というような、ありえないほどの珍妙な指導がまかり通る教育行政の不思議さに国民はもう少し気付くべきだろう。

 一方で確かに義務教育段階では多少の統制が必要であり、学校や教師の間で教える内容に大差があるのは問題。しかし今回の件では大綱にすぎない学習指導要領があたかも「神の言葉」と敬われた大日本帝国憲法であるかのような仰々しさで金科玉条のごとく奉られている印象を受ける。これは教育界に戦時中の超国家主義的な発想がいまだ生き残っている証拠ではないのか。しかも文科省がズカズカと一学校の校内人事に全面介入するほどの逸脱が本当にこの小学校に存在していたのだろうか…怪しい限りである。仮に大学や文科省の今回の判断が正しいとするならば、かつて私が教えていた高校生たちに小中学校時代、しっかりと君が代の歌詞を教えてこなかった千葉県の小中学校の教師たちの方こそ厳しく処罰されるべきであろう。

 きっと文科省の指導の背景には政府与党の強い指導があったに違いない。だとすれば教育における政治的中立性を守るべき文科省や国立大学がいとも容易に政治的圧力に屈し、教員の半数を転出させるという違法なレベルでの厳しい人事介入を行った…すなわち政治的中立性の順守を謳った憲法や教育基本法を厳守すべき文科省が自らそれに違反するような指導を行った、ないしは黙認したということではないのか。

 やはりこの役所の堕落ぶりは想像を絶している。

「不登校の原因はいじめ=0.2%」という文科省と学校を信用できないワケ

   JBpress 石井 志昂,湯浅 大輝 によるストーリー 2023.8.18

 現場に長くいた人間からすれば、この手の調査結果は全くと言って良いほど信用できないに決まっている。

公立小・中学でのいじめ認知件数 自治体間で最大30倍の格差

 毎日新聞 によるストーリー 2023.6.21

 学校によってはイジメ認知件数がゼロのところもあったという。もちろん現実的に見て「ゼロ」はありえない数字である。といっても別に驚くことはあるまい。市町村によっては学校からの報告に虚偽が含まれるのは当たり前であり、むしろ普通のことではないのか。管理職が自らを不利にするような報告をお上にあげるわけがない、と思うのが教育界の常識。

   全国学力テストの結果がほぼほぼ信用できないのと同様に、学校の上っ面をフワッとなでる程度の安易な手法による報告や調査で学校現場の実態がつかめる、と思う方が今やあまりにも能天気なのだ。

 いや、もとより調査を命じた側も「やってます」感を演出するためだけに嫌々、調査を行なわせているに過ぎないはず。でなければ神戸市のようにイジメ事件の隠蔽が学校や教育委員会の中で執拗に繰り返されるはずがないのである。

   逆に文科省が各教育委員会や学校の牢固な隠蔽体質を知らぬわけがあるまい。所詮は「同じ穴のむじな」、この調査自体が国民を欺くだけの、ただの茶番だと思うべきだろう。

 

   しかし、こうしたアリバイ作りを主な目的とする虚しいだけの仕事だからといって決して侮ってはいけない。学校のブラック化はお上から送り付けてくるアリバイ作りのためだけのような文書の山が生み出している側面もあるからだ。

   教員不足が問題視される以前から指摘されていたのが、学校における管理職希望者の減少であった。実際、傍から見ていても教頭や教務主任の仕事量は異常なほど多く多岐にわたってきている。

 管理職として必要とされる能力はもはや学校教育への深い理解や豊富な経験、授業の力などではなく、膨大な事務仕事を滞りなく表面的にスマートにこなす事務処理能力の高さに特化してきているという印象が強い。

 形骸化した事務仕事の削減は文科省以下、すべての部署に共通した切実な願いとなっているはずだ。そしてこの願いが実現するためには予算と人員の増大が必要不可欠であることは言うまでもなく、しかも予算増の可能性は現政権下、限りなくゼロに近い。こうしたことに由来する先の見えない絶望感こそが現今、多くの教師の心身を追い詰めている最大の元凶なのではあるまいか。

いじめで不登校、学校からの認知報告は卒業後 保護者は再調査求める

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.4.4

 一体、いつになったらこの手の問題が無くなるのだろうか。この種の問題が執拗に繰り返されている現状こそ、被害者側が学校や教育委員会に期待しているうちは問題解決がほとんど不可能だということを物語ってはいまいか。教師だけではなく、保護者もまた教育行政への過剰な期待を捨てるべきなのではあるまいか。

 

イメージは「しんどそう」だけど…将来の夢を「先生」にしてね 兵庫県教委が高校

   に職員派遣、やりがい語る 

  神戸新聞NEXT/神戸新聞社 によるストーリー 2023.7.7

 学校のブラック化を主因とする教師不足が深刻化する中で若者の教職離れを食い止めようと各地の教育委員会が躍起になるあまり、恥も外聞もなく教員採用試験のハードルをひたすら下げてしまおうとしている。これは言ってみれば教職の大安売り、たたき売りを全国規模で展開しているようなものであろう。

 

   この状況がどんなに酷く、みっともない話なのか、極端な例だが、分かりやすいので医者で例えてみよう。仮に深刻な医師不足を理由に医師会の判断で医師の免許を持たない人が医師として病院に勤められるようになったとしたらどうだろう。さて、免許を持たない人が今、あなたの目の前で不安げにメスを握っていて、これから震える手であなたの心臓を手術する…患者の立場からすれば身震いするほどおぞましい光景ではないか。

   実際、地方によってはほとんど教師養成教育を受けておらず、免許すら持たない人まで教壇に立たせる動きが出ているのだ。医者ほどの高度な専門性を要求されない教職ではあるが、それでも児童生徒の命を預かり、将来の進路にまで深く関わってしまう仕事ではある。

 

   「国家百年の大計」を委ねられた教師が今や希望すれば誰でもなれてしまう…どう見ても正常な事態とは思えない。しかしうがった見方をすれば現在の教職価値の暴落は軍拡のために教育予算を削減すべく、教師の賃金を低く抑え、待遇をさらに悪化させる口実には利用できるだろう。案外、政府や文科省、県教委の狙いもそこにあるのかもしれない。

   ただし教師に将来を左右されかねない児童生徒の立場から見ればこの新規採用を巡る人事はまさに噴飯物となる。今、教育委員会に蔑ろにされ、心底馬鹿にされているのは現場の教師だけではない。むしろ児童生徒やその保護者側なのである。

 

   しかも教師間のイジメやイジメ自殺事件の隠蔽などの悪質な不祥事が繰り返されてきた兵庫県では「やりがい搾取」の実態を放置してきた張本人の県教委がついに自ら高校へ乗り込み、無反省にも教職の「やりがい」をエサにして生徒たちをブラック職場に勧誘するという詐欺まがいの行為を行っているらしい。

   おそらく彼らからすれば学校というブラック職場は悪意ある第三者が作り出す間違った「イメージ」、すなわちマスコミが作り出した幻想に過ぎないのだ。現在の教師不足は無責任なマスコミが垂れ流した風評のもたらした被害の一つであり、我々はその後始末に追われている可哀そうな被害者…

   しかしもういい加減、騙されてはなるまい。これは有為な青少年の将来を徒に毀損し、人生をブラック化させかねない、まさに教育の名をかたる詐欺的犯罪行為そのものと見るべきなのである。これまで学校というブラック職場で心身を破壊され、命まで奪われた数多くの教師や生徒たち、その遺族の痛みを、実際、彼らはこれまでずぅーっと世間から見えないよう、巧妙に隠蔽してきたのだから。

参考記事

校長、教頭、教職員計78人を懲戒 異例の大量処分…出張旅費の不正受給が横行、服務規程も守られず 

 東京新聞 2024.2.15

 まさに公教育のメルトダウン、末期的症状とはこのような現象をさすのかもしれない。おそらくこれでも今回表沙汰になったのは「氷山の一角」に過ぎないだろう。これは川崎市における市立学校の多くが校長以下、全職員規模で完全にコンプライアンス無視の暴走を常態化させてしまい、どうにも止まらなくなってしまった結果だと思われる。

 ほとんど土砂崩れ状態でいったん足元から地盤ごと滑り出してしまうと、多くの人は踏ん張りが効かず、ひたすら状況に流されるままとなる。ここまで来てしまうと土砂崩れ現場の人間ではもはやどうにもなるまい。

 漫然としているといずれ千葉県でもいくつかの学校がこのような事態を招くのではあるまいか。こうした事件の背景にあるのは全教師レベルに蔓延する打ちのめされそうなほどの無力感だろう。多くの職員に共有される極めて低い自己効力感、組織効力感がついには学校の隅々まで沈滞させ、どんよりとさせてしまっているのではあるまいか。

 一体、何が彼らをここまで駆り立ててしまったのか…教育行政の責任は重大である。末端の職員をどんなに処罰しても事態は悪化するだけかもしれない。そもそも上級責任者が自分の責任を棚に上げて下々を処罰するだけの醜い人事が横行するような組織に明るい未来が来るわけはない。

「傍聴ブロック」なき今、強制わいせつ罪に問われた元校長に判決 被害者の不信を強めた横浜市教委

   のやり方 東京新聞 2024.5.25

 

・学校教育と政治

参考記事

京大総長からの学位記「受領は拒否いたします!」 学生のスピーチがSNSで話題 伝

    えたかったことは withnews 2025.5.31

※参考動画

トランプ政権が圧力 ハーバード大学で卒業式 「政府が何をするかわからず、なす 

    すべもない」日本の留学生ら不安ぬぐえず

    TBS NEWS DIG Powered by JNN  2025/05/30  3:22

【ハーバード問題】日本人教員「大半が大学を支持」分断が加速?入山章栄氏「米

    の反知性主義VS学費4000万円の超エリート」|アベヒル

    ABEMAニュース【公式】 2025/05/26  20:14

    政治と教育との密接な関係性が日本の京都大学とアメリカのハーバード大学での動きを巡って露わとなってきている。学校教育に対して政府が強い影響力を及ぼそうとすることは世界中で見られてきた。今回の件では大学における学問の自由が政府によって脅かされている点で共通しているが、日米では大学の動きが対照的である。ここではトランプへの批判よりも、日本の学校教育が政治や経済にひたすら従属してきたこれまでの教育の在り方を根底的に問い直したい。

 

・横浜市教委裁判傍聴動員

形だけでは意味はない いじめ自殺対応で横浜市教委が失った信頼 神奈川 ノートの

   片隅で 産経新聞 2024.9.3

  「市教委が地に落ちた信頼を取り戻すには、子供を守る心からの行動を積み重ねるしかない」との指摘だが、この程度の精神論でイジメ隠蔽体質が改善できるわけは無かろう。教育委員会での人事評価の基準と画一的な管理主義を具体的に見直していく手順を自ら示せない内は何をしてもダメ。

 しかしこの組織に自浄能力を期待するのはもう辞めておこう。それに文科省自体が変わらなければ地方が変われる部分は小さいに違いあるまい。教育行政全体において上意下達の長老支配が終わらない限り、失われた信頼を取り戻すことは無理である。

横浜市教委、5人懲戒処分 裁判傍聴に職員動員問題、いじめ対応巡り

   毎日新聞 によるストーリー 2024.8.24

   横浜市立中2年の女子生徒が2020年、いじめを受けて自殺した件で、横浜市教育委員会が学校に対していじめを認知したことを報告する文書を取り下げるよう指示していたことが判明したという。神戸市でも似たような事件があり、学校以上に教育委員会の隠蔽体質が問われる結果となった。教師たちの中でどういう人物が校長や教頭になっていくのか…世間から疑われても仕方あるまい。

   裁判傍聴への動員問題でも隠蔽体質の根深さが表面化してしまっている。彼らが教員採用を行っているのだから、彼らに採用された横浜市の教師全体の資質にまで疑問が生じてしまいかねない由々しき事態である。この程度の処分で済ませられる問題だとはまったく思えないのだが、いかがか。

被害者側からの要請「明確な記録なし」 横浜市教委、傍聴動員問題で

 朝日新聞デジタル記事 堅島敢太郎 2024年5月22日 21時18分

 教員によるセクハラ等の事件を裁く裁判で大勢の教職員を法廷に送り込み、一般の人々の傍聴を阻止しようとした横浜市教委の件。教委側が保護者の要請によってこうした事態を招いてしまったという言い訳が実は自己保身のためのウソであったという可能性が出てきている。「明確な記録」が残されていないのに、被害者側の要請があった、とする往生際の悪さ…もしもウソという事になれば重大な責任問題に発展するだろうし、前教育長が法廷侮辱罪等で訴えられてもおかしくはあるまい。本来ならばこの時点で横浜市や神奈川県教委は前教育長及び関係職員への厳しい罰則を科すべきではなかろうか。

横浜市教委の「傍聴ブロック」、外部検証チームを立ち上げ 弁護士3人で6月中に対

 応へ 東京新聞 2024.5.27

   どうやら保護者の要請があったことは文書で確認できたそうだが、横浜市として弁護士を3人外部から招き、調査することになったらしい。詳しい調査結果が公表されるのを待ちたい。

監査を重く見ていただきたい」市教委に委員が指弾 横浜市裁判傍聴妨害めぐる監

 査請求 産経新聞 2024.7.5

 鹿児島県警と似たような、身内をかばうための隠蔽の可能性を強く感じる。

わいせつ教員裁判の傍聴動員を決めた前教育長、その後は「安易な前例踏襲や追

 随」で計11回 読売新聞 によるストーリー 2024.7.28

 やはり隠蔽としか思えない。

 

現代日本における公教育の病状と原因についての私見

 

参考動画

【司馬遼太郎】「このままでは日本は滅ぶ」空気を読みすぎる日本人の”最大の弱点”

 とは 偉人の名言コレクション  2026/04/15  14:26

 日本の学校教育の危うさを考える上でも大いに参考となる言葉だろう。もちろん、個人の英雄的言動を余りにも過大視する傾向が司馬史観にはあるかもしれない。しかし、「タイパ」や「コスパ」といった打算的な言葉が飛び交う現代の日本社会に漂うモヤモヤした停滞感、閉塞感を吹き飛ばせるのは司馬の言葉であるようにも思える。

参考記事

"有名校長"が去った後どうなった?公立の学校改革は難しい、「大胆」だけではない本

     当に必要な視点 東洋経済オンライン 前屋 毅 2026.6.27

     公教育の改革に際して最も必要な視点の一つが、教員養成教育と教員人事のアップデートであると個人的には考えている。学校教育の目標と方法を今後、アップデートしていくにはひとまず先に教師たちのマインドセットをアップデートしていくことが必要である。同時に教員採用試験の内容と管理職登用試験の内容もこれに沿う方向でアップデートされるべきだろう。でなければ改革を実現し、発展的に継続させるうえで必要不可欠な人材が継続的に確保できまい。

     そもそも教師集団の過半数が日本の学校教育の諸問題と改革の方向性を理解し、把握する知識に欠け、旧来の考え方に囚われている限り、どんな改革も長続きしないのは当然である。まずはそこにメスを入れなければならないのだ。大胆な改革を実行した麹町中や桜丘中の当該校長の技量不足や改革の一部の欠陥によって現状の停滞が両校に生じたわけではあるまい。教育改革が継続するにはそれにふさわしい人材が豊富に供給され続けられなければならない。しかし日本の現状は教員採用試験の倍率低下などによってむしろ真逆に動いている。公教育の改善は遅々として進まず、児童生徒だけではなく、若者の学校離れ、教職離れも加速する一方である。

     その根本原因はくどいようだが学校のブラック化とブラックボックス化の二点にある、というのが私の見立てである。したがって学校改革はまずこの二点の改善、解消を急ぐべきだろう。個々の学校改革の取り組みレベルでは何も変わらない…これこそが日本の公教育の決定的な行き詰まりを示しているのだ。

日本人はなぜ空気に支配されるのか。脳科学者・中野信子が伝える「支配力の源」

     3つの要素 現代ビジネス 中野 信子(脳科学者) 2026.6

 空気を読む、という時の空気感は「責任の所在の不可視化論理(ロジック)の無効化、また臨在感的把握の3要素から構成」されるという中野氏の指摘は学校や職場を含む日本社会の閉塞感を理解する上で極めて有効に感じる。とりわけ学校の隠ぺい体質を語る上では欠かせない視点であろう。

     …責任の所在の不可視化は、「空気が決めたこと」になれば、結果として失敗しても、「あのときはそういう空気だったから仕方ない」という言い訳が成立し、誰も責任をとらず健全なフィードバックが行われ得ない構造が生まれます。むしろ健全なフィードバックを行った人間から排除されるでしょう。「空気」を否定した者は、もはやその「空気」を吸って生きていくことはかないません。

     論理の無効化も、同様の構造によって起こる現象です。どんなにデータや数字で「それは不可能だ」「間違っている」と証明されたとしても、その場の「空気」が賛成に傾いていれば、反対意見を口にした者は排除されます。それは神のごとき支配者たる「空気」に「水を差す」、つまり「論理」という異教の神を崇める背信行為、共同体への反逆行為にほかならないからです…

     したがって学校の隠ぺい体質も日本の空気を読む伝統が盤石である限り、安泰であり続けることになるだろう。逆に言えば日本の学校に巣くってきた隠ぺい体質こそが日本社会の「空気を読む」文化を再生産してきたわけである。もちろん空気を読む文化は日本の「おもてなし」サービスを生み出し、他者への敬意を失わない礼儀正しさ、規律正しさの源流でもあり、「空気を読む」文化の一方的な否定は日本の良さをなくすことにつながりかねない。

     とはいえ、情報化社会の進展による誹謗中傷の激化や学校でのイジメを放置したままで良いわけではなかろう。多様化が進み、急激に変化する世界情勢の中で旧態依然を続けるわけにもいくまい。日本社会の在り方のどこをどの程度変えていくのかという課題は学校教育が先導して解決していくべき側面があるだろう。

     日本の伝統文化は必ずしも無責任文化ではない。江戸時代、武士道が一定程度成り立っていたのは責任の取り方の潔さが日本人の間で賞賛されていた証拠でもある。また科学的で合理的な説明が完全に無視されてきたわけではないことは、明治維新以降の日本社会における急激な近代化が証明しているだろう。「西洋芸術、東洋道徳」「和魂洋才」などという言葉に象徴されるごとく、日本は海外の文明を自国の都合良く、巧みに取捨選択を重ねてきた。現時点でも日本はそれを繰り返せば良いのだ。では何を選択して取り入れ、何を捨てていく、ないしは削減していくべきなのか?

     学校は学習する場であることを第一義の目標として、他の職務をできるかぎり削減すべきである。特にむやみやたらな精神主義を捨てて科学的合理性をより尊重する方向へと舵を切っていくべきだろう。個性の多様性をあまりにも無視した、行き過ぎた「鍛錬主義」、「画一性重視」、「集団主義」、「管理主義」の要素を徐々に薄めていき、個々の多様性に寄り添うべく、自主的な学習を支えていくきめ細やかな教育の在り方がより一層求められているはず。

     こうした学校教育の変革を実現していくためには、その推進力の土台となるべき教師たちがまずは変わっていくべきであろう。だからこそ、大学における教員養成教育の改革が急がれるのだ。また教員採用試験の在り方、教員人事の在り方もそうした方向性に沿って同時に刷新されるべきである。

     以上のことを進めていく上で、学校現場では教育目標をしっかりと吟味せず、曖昧にしたままやたらにチームワークばかりを叫ぶ、旧態依然の教員社会にきちんと「水を差す」言動がより一層必要となるだろう。児童生徒の多様性、個性を尊重する前に、教師個々人の個性、多様性がまずは尊重されていなければならないはずである。

「社会人が《1年で教員免許取得》できる新課程」創設へ、それでも人材が集まるとは

     思えない…背景に「学校現場の特殊性」

     東洋経済オンライン 庄子 寛之 2026.6.11

     データを含めて非常に有意義な記事であり、教職にかかわる人たちには必読。何なら授業で扱っても面白い。ただし日本の学校教育を停滞させ、低迷させてきたのはその場しのぎのゴマカシばかりでかえって学校を疲弊させてきた教育行政の迷走を四つ目の問題点として加えるべきだろう。

参考動画

【知性の拒絶反応】なぜ「正しい人」は抹殺されるのか? 100年後の英雄は 現在

 の狂人 センメルヴェイスの悲劇 神のみぞ知る 2026/03/27  29:51

 科学の精神が十分に浸透していなかった19世紀中ごろの西欧医学では、科学的なアプローチを忌々しく感じる保守派、主流派が幅を利かしていた。「医者は手を洗ってから医療行為をなすべし」という、現在では当たり前の心構えを説いた医学者センメルヴェイスが医学界で異端者使いされ、最終的には自殺に追い込まれる。

 この悲劇的な話は客観的なデータ、観察、実証を重視する現代社会では完全に過去の話となっているように感じるかもしれない。しかし、いまだに科学の洗礼を十分に受けぬまま、頑なに伝統的な経験主義の枠内に閉じこもっている世界があるとしたら、皆さんはどう思うだろう。21世紀の今、そんな古色蒼然とした世界が残存しているとしたら奇跡というほかない…そんなことなどあり得ない…

 しかし日本の学校教育の世界は200年ほど昔の西欧医学会と大差ないほどに、ゴリゴリの守旧派で支配されてきた、と私は感じている。もちろんIT化、DX化といった小手先における科学技術の導入は日本の学校でも試みられてきた。しかし画一的で一斉講義形式の授業は日本の学校にいまだ幅広く残存している。教師の世界は相変わらず上意下達で一方通行…閉塞感が強く民主主義とは程遠い現状が続いている。

 とりわけ問題なのは児童生徒の心を科学的に理解するための知識を持つ教師が極めて限られている点。学習心理、臨床心理、社会心理への理解は教員ならば誰にとっても必要不可欠であるはずなのに…

 また学校が抱えている問題点への社会科学的探究の成果が教師たちにほとんど共有されていない。素朴なレベルにおいてすら、学校教育における欧米と日本との比較すらまともにできない教師が圧倒的に多い…違わないか。そうした日本の学校教育現場ではびこってきたのが教員集団における先輩後輩の縦社会を通じた、盲目的な先例重視、伝統保守の精神であろう。

 日本の学校社会の夜明けはまだまだ先の事なのだと思うのだが、いかがか。

参考記事

「自分は正しい」が根源、《学校でパワハラ多い理由》外で評価が高い校長ほど学校

     内で教職員が苦しんでいることも     東洋経済オンライン 長島 ともこ 2026.4.15

 校長としてのあるべきまともな経営論、組織論がこうして記事になる事は滅多にあるまい。この記事はその点で極めて貴重なものと考えるが、いかがか。

 これまでの学校教育論で最も欠落してきた教員組織のあり方に関する経営論的視点がここには見られる。特に校長会や教育委員会への批判は実に真っ当なものであろう。ぜひ、管理職や教育委員会の方々はこの記事を熟読玩味していただきたい。とりわけ千葉県教委の面々、校長、教頭らには深い反省が迫られるはずである

 教師たちが自由で個性的な学習や授業の試行を頭から否定されているような職場において、児童生徒への探求学習が活発に行われ難いのは自明の理であろう。まずは教師たちの多くができるだけ納得できる、双方向のコミュニケーションを基にした学校経営や校内人事を可能とするシステムが必要である。そのシステムを構築するのは学校経営者たる管理職の大きな責任であるはず。

 しかしそうした自覚がある管理職はあまりにも希少であるというほかない。そして希少となってしまう理由は、多くの管理職が改革意欲に満ちた学校運営をどう実現すべきかといった肝心な視点を完全に欠落させ、ひたすら無難に時を過ごす事ばかり考え、結果的に伝統の保守に走るからではあるまいか。

「戦略を持たない管理職」が増殖する組織に共通して起きている、構造的問題とは 

     ダイヤモンド・オンライン 坂田幸樹 2026.4.3

 公教育、公立学校がなぜ停滞し、衰退に向かっているのかを説明する上で非常に役立つ記事であろう。公立学校の校長には管理職としての管理責任は一部、認められているが、経営者としての経営責任はほとんど認められていない。事実、学校行事の多くは学校長の判断である程度は改変可能なのだが、それを断行した校長に出会ったことは無い。どう見ても管理責任を問われるだけの管理職に学校経営の改革ができるはずもないのだ。

 かつて麹町中学校で工藤勇一校長による大胆な改革が実現された。このケースは学校経営に関してそれなりの知見があり、自分なりの信念や意見を持つ人ならばある程度までの改革が可能であることを証明している。しかし、実際にはこのケースに追随する公立学校は極めて稀である。なぜか。

 …管理職の評価基準が「戦略の質」ではなく「実行の忠実度」に置かれています。つまり、上の指示をいかに正確に、早く、トラブルなく実行したかが評価されます…

という点に大きな問題があるに違いない。特に公立学校の管理職は「実行の忠実度」ばかりが偏重されてきた。公立学校の管理職の多くは学校経営に関する独自の理念、目標をほとんど持つことなく、教育委員会や文科省の命令、指示への「忠実度」を示す事に偏っているのだ。したがって学校を改革する上で不可欠な動機付けや基本的知識すら持たない人たちによって公立学校は運営されている。

    「上意下達」の、ただの下僕、「飼い犬」に過ぎない管理職に、本質的に強力で良質のリーダーシップなど期待できるわけがないのだ

 …「何かあれば必ず上に確認する」という文化が強い組織では、管理職であっても自分の判断を下す前に、必ず上司の承認を得ることになります。これを繰り返すうちに、「自分で考えて決める」というプロセスそのものが不要になり、判断力は育たなくなります…

 つまりひたすら上からの指示、命令に従うだけであり、公立学校の管理職自体が、昨今、批判されてきた、ただの「指示待ち人間」で満たされている。

 …市場データ、競合情報、経営課題を管理職レベルまで共有することが重要になります。情報がなければ戦略は生まれません。「知らせすぎると混乱する」という懸念を持つ経営者もいますが、適切な情報を持つ管理職の方が、結果として質の高い判断を行います…

 すなわち外に向かって門戸を閉ざす隠蔽体質の強固な公立学校では、そもそも管理職に質の高い判断を求めることができない。

 以上の点において公教育の崩壊は必然となる、と思うのだが、いかがか。

いじめ対応に不信感…当事者の家族が取材応じる「見て見ぬふりしているのか」札

     幌市教委は独自のガイドライン策定へ STVニュース北海道 2026.4.4

 この記事ほど、イジメ隠蔽と学校のブラック化との因果関係を明確に指摘した報道は無かったと思うがいかがか。旭川女子中学生凍死事件で注目されてきた北海道の教育事情だが、その後も大差なく隠蔽は続いている。それは学校のブラック化が何ら改善されていないからであろう。したがって学校業務の大幅な削減こそがイジメ問題への対応力を高める最大の政策であると私は考える。

「生産性が上がるわけねえだろ」なぜ優秀な官僚に“ムダな手続き”ばかりやらせる

     のか 落合陽一が嘆く『日本型組織の病理』【落合陽一×先崎彰容】

     文春オンライン 落合 陽一,先崎 彰容 2026.3.30

 日本型組織の弊害はそのまま学校組織の病理にも結び付く側面があるだろう。いまだに紙ベースの文書主義、ファックスが現役で活躍する組織にスピード感や効率性を求めるのは無理筋だろう。福沢諭吉が私学に拘ったように、日本の高校も私学を増やした方が高校教育の質を向上させ、時代の流れに遅れぬ教育を実現できる可能性は高くなるに違いない。

 現在、教師の多くがもっぱら学校の体裁を取り繕い、「仕事をきちんとやってます」感を演出するためのアリバイ作りとしての事務作業に煩わされているのは、公立学校が官僚組織の末端におかれているせいなのかもしれない。そうした不毛極まる雑務が8割も占めている国家公務員たちのやるせなさと比べればまだ公立学校の教師たちの方が「やりがい」に満ちているのだろう。

     しかし教師の休日や放課後の時間を奪うなど、仕事量の多くを占める部活動は官僚の仕事にはない。職場のブラック度に大差はあるまい。むしろ教員の社会的地位の低さを加味すれば、公立高校のブラック度は高いのではあるまいか。多くの文科省の官僚たちはそのことを見誤っているように思えるが、いかがか。

「部活」強化で魅力向上 東京都教育委員会、都立高40校54部を指定

 東京新聞 2026.3.27

 教育委員会こそが学校のブラック化を加速させている張本人であることはこれではっきりと示された。授業の魅力度アップこそ、本来、最重要の学校目標であるはずなのに、この動きには授業を二の次とするようなゴマカシの発想が見え隠れしている。部活動の実績で高校の魅力度向上を図るという、周回遅れレベルな時代錯誤の目標設定に新たな魅力を感じる中学生がどれほどいるのだろうか。

 施設、指導者、経験値、卒業生のバックアップ、ネームバリュー…どれをとっても私立の名門スポーツ校にかなうはずのない競争に敢えて挑もうとする…この試みに都立の勝算があるとは寸分たりとも思えまい。恐ろしいほどにトンチンカンである。

参考動画

【学力は後から伸びる】非認知能力を先に鍛える理由|勉強=苦行は危険?学び続

     ける力の育て方【中室牧子 × HR高等学院】

     HR高等学院の非常識な職員室 2026/02/26 18:19

     歯に衣着せぬ爽快な物言いに定評のある中室先生の舌鋒は極めて鋭い一方で、エビデンスを重視した慎重で誠実なスタンスも加わっており、参考になる点が非常に多い。この動画も教員だけでなく、不登校の子や受験生を抱える保護者にぜひ視聴していただきたいイチオシの動画である。

     中室氏の指摘する文科省官僚が優先的にこだわってきた三種の神器「標準授業時数」「学習指導要領」「教員定数」こそが日本の学校教育をダメにしてしまった巨悪であり、学校をブラック化し、かつ過剰な集団主義を招いた元凶そのものだろう。この指摘は見事に日本の教育行政の負の本質を捉えており、官僚だけではなく、教師や保護者たちもまた肝に銘じて覚えるべき名言である。この三種の神器こそ、学校教育の同質圧力を強め、児童生徒と教員の自由を奪い、不登校や落ちこぼれ、吹きこぼしを生み出す張本人なのだ、私は思うのだが、いかがか。

 今後は中室氏が指摘するように探求学習などを通じて児童生徒の非認知能力を伸ばし、大学教育の根本的な見直し(入学要件よりも卒業要件を重視)を進めていくべきであろう。とりわけ大学教育の中で教員養成教育の見直しを徹底的に行わないと、探求学習の指導者は十分な数が用意できまい。

【究極の問題提起】『生きて行く上で社会性は本当に必要だと思いますか?』人生で

    一番大切なコトとは。。。 成田悠輔の教育論    半熟仮想 2024/06/14  13:27

   疑うことなく子供たちの社会性を高めることを至上命題にしてきた教師は今も少なくあるまい。学校で集団生活することを通じて社会性が涵養される、との信念は日本の場合、社会全体に行き渡っているとさえ感じるが、いかがか。

 社会性を身に付ける、という口実の下に資本主義的市場競争を軸とする競争社会への積極的参入をすべての児童生徒に促す…公教育の本質的狙いは、実はそこにあるのかもしれない。つまりある種の「社会性」の涵養こそが、現代の学校における社会化機能の中心なのかもしれない。

 国民の「社会性」の涵養を通じて全国民を同じ土俵に乗せ、競わせる。すなわち人材の選別と配分を効率的に実現する…という古典的な社会的機能を相変わらず公教育は果たしているわけだ。「社会性の涵養」というキレイごとを掲げていれば国家的には日本の経済競争力を高めつつ、社会秩序も高い水準で保てる…

 実際、強い協調性と没個性を強要しかねない同調圧力との境は私たちにとってかなり曖昧に見える。ある種の集団主義的社会性を身に付けさせることが明治期以降、日本の学校教育の究極的な目標として設定されてきた。しかしこの教育の流れは、ネット社会の進展の中でそろそろ見直されるべきかもしれない。多様性の尊重、という価値観を否定的に見る風潮が出てきている昨今、成田氏の主張は強烈なアンチテーゼとなっているように思える。

 個別最適化の教育と多様性の尊重とは重なることの多い重要な教育目標だ。これらはこれまでの一斉講義形式の授業に代表される画一的で管理主義的な公教育を少しでも多様性に満ちた柔軟な形に変えていく上で、高く掲げべき大切な理念であり続ける。成田氏のややトゲのある過激な口調に反発する前に、まずは学校がこれまで果たしてきた社会的機能の光と影の両面を見極めておきたい。

【日本の公教育は、古くて貧しい】東京と地方の差が大きい/不登校34万人/知識

 の詰め込み方も多様/学校のWiFiが繋がらない/フリースクールの月謝補助を/教

 育機会確保法による変化/軍隊教育マインドの名残

 PIVOT 公式チャンネル 2025/03/22  29:56

 白井氏が指摘しているように公教育の古さと貧しさは確かに日本の学校教育における大問題であろう。そしてフリースクールを含む学校の多様化を生み出すにはまず国家による学校教育への統制を緩めることが必要である。

 公教育だから統制を厳しくするのは不可避だ、とするのは教育観の古さと貧しさに由来する側面が小さくないのではあるまいか。教育行政の画一的管理主義こそが学校教育の管理主義を蔓延らせている根源ではないのか。

 軍隊教育のマインドが残存する学校教師の問題は確かにあるが、そもそも軍隊教育のマインドを持つ政治家と官僚の責任こそ、強く問われるべきであると考えるが、いかがか。教師の質の低下を問う以前に、問われるべき問題は数多くあるはずだ。

【車いす生徒】合格しても入学しない約束で受験?入学拒否に波紋…設備面の配慮

 すべき?|ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2025/04/16  20:00

 災害時の避難場所とされている公立高校には本来、備えられてしかるべき冷房設備やエレベーター、バリアフリーの各種設備、障がい者用トイレがまったく無い、ないしは不足しているケースが千葉県の場合、決して少なくない。とりわけエレベーターは多くの公立高校に一台も存在していない。日本の「公教育の古さと貧しさ」がその背景に広く存在しているのだ。根本的にはGDPに占める教育予算の割合が先進国の中で長く最低レベルであり続けたことに平気でいられる日本の政治の問題である。にもかかわらず設備の不備をもっぱら個々の学校や各教育委員会の責任と見なすこと自体、議論としてズレ過ぎていると考えるが、いかがか。

 高校の場合、ほとんどが4階建の校舎である。4月に重い教科書や機器などを幾度も往復して4階の教室まで運ぶ労力は並大抵のものではない。春を迎えるたびにエレベーターを備えている他校をうらやましく思う教師は今も圧倒的に多いだろう。

 生徒の保護者にも車いすの利用者、杖などを必要とする人はいる。生徒だけではなく、障害を持つ教師や保護者、来校者、とりわけ避難時の住民たちの中には特別な配慮を必要とする人が少なからず存在する。だとすれば、インクルーシブ教育を担い、避難先をも引き受けた学校にはどこであれバリアフリーの設備が当然のごとく備わっていなければならないはず…なのに、この有様だ。

 日本の公教育の余りの古さ、貧しさにうなだれるほかない。

【財務省】授業で四則演算やbe動詞義務教育の内容?大学側は?教育の質”は検

 証可能?中室牧子氏「人に投資・リターンの確認を」|アベヒル

 ABEMAニュース【公式】  2025/04/23  26:58

 財務省の学校に対する古臭い認識、無知さ加減には呆れるばかりだ。義務教育における「落ちこぼれ」の大量発生が有効な救済措置もとられないまま高校教育に引き継がれ、高校でもほとんどが救済されないまま大学にまで引き継がれている。大学進学率が50%に達した現在、大学生でアルファベットや割合、分数が理解できない者は決して少なくあるまい。

 学力どころか出席をも軽視する形式進級、形式卒業を当たり前とする義務教育の在り方が変わらない限り、日本の高校教育や大学教育を変えることはできないだろう。にもかかわらず、トップダウン的発想から高等教育、大学教育を変えるだけで教育の質の向上を図ろうとするのはまったくのナンセンスであり、教育全体を見渡すことの出来ない偏頗な発想に過ぎない。

 いわゆるFラン大学の存在は、大卒という学歴を偏重する日本企業の、あからさまな手抜き採用人事のあり方にも起因するのであり、「営利追及に走っている」とばかりに難癖をつけて一方的に大学側の責任を問うのは的外れであり、片手落ちだろう。たんに需要があるから供給が生じているだけではないのか。

 財務官僚のようなエリート進学校の卒業生たちに、日本におけるFラン大学の社会的な存在意義への理解がイマイチ足りないのは当然と言えば当然ではある。しかし自分たちのエリート主義的認識に大きな偏りがある事への自覚が不十分であることは認めるべきであろう。98%の進学率に達した日本の高校に存在する数多くの教育困難校もまた、それなりの存在意義はあるのだ。

 仮にFラン大学が日本から消えてしまうと、一体どんな不都合な事態が発生してしまうのか、少しでも想像してみればよい。若者の失業率と犯罪発生率、貧困率は急激に高まり、いわゆる「無敵の人」が急増してしまうに違いない。

 40年近く前に高校における教育困難校を「未成年失業者収容所」と表現した方(「当節定時制高校事情」佐々木賢 有斐閣新書 1987)がいたが、Fラン大学の存在意義もまたしかり、である。下手をすれば犯罪予備軍たりうる若者たちを収容する「予防拘禁施設」という社会的機能の側面から見れば、Fラン大学の存在価値をプラスに評価することも可能なはずなのだ。

 確かに「高校」とか「大学」とはあくまでも名ばかりで、実態としては一部、義務教育のやり直し施設、果ては一部、少年院、鑑別所兼職業訓練施設と化している学校も無いわけではあるまい。

 西欧や北欧のように高校レベルでの職業教育が発達していて、職人、技術者の社会的地位がさほど低くない社会では、大学に進学しない若者が路頭に迷い、犯罪に走る危険性は日本ほど高くはあるまい。リカレント教育が一般化した西欧や北欧ではいったん就職した後で大学進学する者が珍しくない。

 しかし日本では職業高校が低迷しがちであり、職人の社会的地位も決して高くはない。中卒や高校中退で就職した若者が社会的地位を高めていく方途は、プロスポーツや芸能界を除くと日本では極めて限られている。この問題を放置しておいて、学校教育ばかりに責任を転嫁するのはいかがか。

【問題提起】半径2メートルの教育観を壊せるか|元校長が、教育は宗教”と語

 る理由【後編】#8 東修平の対話チャンネル【公式】 2025/04/25  38:24

 高校教育の改革を主題とした記事や動画はこれまで極めて少なかったと思うが、いかがか。昨今の高校教育無償化を巡る論議によってようやく高校教育への注目度が高まってきたのだろうが、高校教師にとっては貴重な動画だと考える。

 元高校校長の荒井氏の指摘の中で同府県立高校の一部を市町村立にして地域社会活性化の核としていく案は極めて興味深い。公民館や小中学校、高校などが一体化して地域社会の核となれれば、部活動の地域社会への移管も進むだろうし、児童生徒の異年齢間の交流も活発化するだろう。また都道府県立高校が抱える均質化、同質化の圧力を低め、各学校の個性化、自由化が進むかもしれない

参考記事

日本人は世界の中でも「人を信頼する傾向が極めて低い」人種…その背景にある残念

    な社会構造 プレジデントオンライン鈴木 裕介 2025.7.30

    数多くのテストや試合を通じて競わせることが、必ずしも自己肯定感を高める事には通じず、むしろ自他への信頼感を損ね、自己肯定感を下げる危険性があるかもしれない…という指摘は日本の児童生徒の自己肯定感、幸福感の低さを説明する観点かもしれない。

    相互監視の窮屈な社会が生み出す「安心」感は自他の効能感によって生み出され、裏切り者の排除という厳しい罰則で支えられている…という指摘は日本社会でのイジメ、パワハラ、不登校、引きこもり、自傷行為の発生要因を説明する重要な観点かもしれない。

    自己犠牲を美化し、自己効能感と協調性、集団の結束力ばかりを高めようとする日本の集団主義的学校教育風土を根本的に見直す上で、これらの観点は極めて有効ではあるまいか。

教育現場のリアルな実態…教員の8割が10時間以上勤務    リシード 2025.7.29

 …出勤してから退勤するまでの教員の勤務時間は平均11.17時間であることが2025年7月29日、小学館が運営する教員向けWebメディア「みんなの教育技術」の調査結果から明らかになった。8割を超える教員が10時間以上、4人に1人が12時間を超えて勤務している状況にあった。

 教員の勤務実態に関するアンケートは、5月20日から6月30日にかけて全国47都道府県の教育関係者を対象に実施。Webメディア「みんなの教育技術」でのアンケート形式で実施され、有効回答数は5,412人だった。…

 この調査は文科省や各教育委員会による同様の調査よりも、はるかに信用できるだろう。

内申点の評価実態、名古屋市が全中学校調査へ 教育長「非常に驚き」

 朝日新聞社 2025.3.25

 この記事の内容には驚愕させられる。名古屋市内の中学校で一部、相対評価的性格の評価方法が適用されていることに、教育長や市長が憤激しているというのだ。

 中学校の内申点は進学校以外では高校入試の際に大きな評価ポイントとされることがある。したがって中学校では内申点ができるだけ公正な観点から評価され、かつ保護者や生徒にそれなりの説明責任を負えるよう、あらかじめ用心深く工夫されているはず。

 教師の立場からすれば、特に五段階評定に関してはできるかぎり教師の主観を排除し、明確に数値化された客観的基準によって機械的に算出された結果であると児童生徒や保護者に説明しておきたいだろう。自分が下した評価に対して、教師ならば誰であっても他者から特定の児童生徒へのエコ贔屓を疑われたくないに決まっている。

 なぜこの評定になったのか…これも観点別に細かく数値化すれば誰に対しても説明しやすい点においていかにも公正に見える。だから部活動の実績も数値化することは好ましい…少なくとも一般的にはそう考えられているはずだ。

 とはいえ、数値化できることが評価のすべてではない。しかも部活動の実績や平常点の数値化がどこまで妥当性、信頼性があるのかは極めて疑問である。いったん数値化されてしまうと、外部からは数字が独り歩きして公平性や客観性を帯びて見えてしまうが、教育的評価として怪しいケースは決して少なくあるまい。部活動で県大会に出場できたとしても、種目の状況、ブロック内の他校の状況等によってその難易度には大差があり、単純に一律、内申点として加点するのは明らかに不公平なのだ。

 評価には絶対評価と相対評価に加えて他にも形成的評価のような、よりきめの細かい、かつ児童生徒個々人の学びと成長に寄り添った評価の考え方が世界にはある。どちらが真の意味での教育的評価なのか、といえばただの絶対評価や相対評価よりも形成的評価の方であるのは一目瞭然である。しかし、大勢の生徒を相手に画一的で一斉講義形式の授業を続けてきた、旧態依然の日本の学校では多様性と個性を重視した形成的評価を行うこと自体まず不可能である。

 加えてこの記事も市長も教育長すらも、評価のあり方には多様性がある事、それぞれに長短がある事にきっちりと向き合おうとはしていない。単純に絶対評価が好ましく、相対評価が「悪い」と一方的に決めつけているだけである。しかもこうした人々の多くはおそらく、日本の画一的な一斉講義重視の授業と硬直化した評価方法という現実を疑うこともせずに自明の前提としている。

 そもそも相対評価は「悪」なのだろうか。そんなことはあるまい。教師がこの単元の達成目標をどのあたりに設定し、これまでにどんな授業をしてきたのかによって、テスト問題は学校間、学年間、教師間で大きく異なる場合が出てくる。もちろんその年の学校やクラスの様子によって、授業のレベルや内容、テスト問題の内容や難易度を少しばかり変えることはやむを得ない時もあるだろう。テスト問題作成者が問題を簡単にしすぎたり、難しくしすぎたり、出題分野が偏り過ぎたりしないよう、状況によってテスト内容を柔軟に変えていく事自体はむしろ教師の腕の見せ所ですらある。

 しかし厳密に考えれば、そうした工夫が場合によっては学年間に不公平を生み出すかもしれない。実際、教師たちの児童生徒の現状に合わせようとするそうした柔軟な工夫こそが、実はかの「悪の権化」とされがちな相対評価の考え方に通ずるものなのだ。ただ相対評価を排除し、上辺だけ絶対評価を取り入れれば事が済むほど、教育評価は単純ではない。

 一方で毎年、同じ問題を出題することは一見、公正に見えるが、当然、生徒の先輩から当該教師の出題傾向が後輩に伝授されることもあり、それがどんなに優良な問題だからといって結果的に公正とは限らない。したがってどうしても教師は毎年、出題内容を多少、変える必要を感じている。そしてその都度、教師たちは悶々として頭を悩ませるのだ。

 昨今の思考力を育てようとする試みは、場合によっては評価のあり方を、どうしても相対評価側に偏らせていくだろう。思考力育成のために論述問題を導入しようとすれば、その採点基準は大抵の場合、特定の集団の中での位置づけ、すなわち相対的評価となるほかあるまい。仮に絶対評価を絶対的な「善」と見なすのならば、社会科や国語科では論述問題の出題自体をためらうことになるはず。そして正解が一つに限られる選択問題や単語穴埋めの客観テストにいよいよ偏りがちになるだろう。説明責任を果たしやすいからだ。授業もこれまで通り、必然的に暗記中心に偏らざるを得ないはずだ。これらは論述の採点基準を誰もが納得できるように標準化して他者に説明できる余力を、ほとんどの教師が持たないのだから、仕方ない。

 定期考査の重みを考えれば、評価はテスト点を評価の7割程度にして、残りの3割程度は普段の提出物や発表などをいわゆる「平常点」として加味する、といったささやかな工夫を個人的には行ってきた。テスト問題も400字程度の論述問題を1~2問出すことで思考力も問うてきた。ただし、これが必ずしも評価の理想形でないことは百も承知である。一クラス35人を基準とするクラスで様々な雑務に追われる教師が出来ることは極めて限られている。

 ブラック化した学校を放置しておいて、無責任にも上から目線で自ら現場教師を「相対評価」し、一方的に責め立てている名古屋市の教育長様、かの名古屋市教育会の責任問題はどうなっているのでしょう?世間を唖然とさせたあれだけの不祥事を、ただ会を解散する事だけで済まそうとする市教委の厚顔無恥さには誰もが呆れるほかあるまい。

公立学校の廃校、延べ数は8,850校現存廃校の活用は7割超

 リシード 2025.4.10

 このデータが意味しているのは、かつて白井智子氏が指摘したごとく、まさに日本の公教育の古さと貧しさそのもの、であると考えるが、いかがか。

 将来的に児童生徒数が大幅に減少していけば、やがて学校の施設や教職員にゆとりが生まれる、一学級の児童生徒数が劇的に減少し、一人一人の児童生徒へのきめ細やかな配慮が可能となってくる…などといった30年ほど前の教師たちの期待は無残にも悉く裏切られてきた。

 むしろかつてよりも教師の負担が増大し、しかも不登校やイジメ件数は増加している。一クラスの児童生徒数が最悪の50人から35人程度まで減少したにもかかわらず、教師たちの中途退職や休職は増える一方となり、教員志望者数と正規教員数とが同時進行で急速に減少し、地方によっては学校としての体裁が危ぶまれるレベルにまで不足してきている。

 今後、高校の無償化が進むにつれて、公立を中心に高校の統廃合は一層加速していくに違いあるまい。そして東京や大阪に限らず、将来的に公立高校はいよいよジリ貧となり、全国規模で一気に縮小、削減されていくのかもしれぬ…

 児童生徒数の大幅な減少という、少人数教育、個別最適化教育実現に向けてせっかくの追い風を有効に生かせなかったばかりか、かつて以上に負担増という形で教師への逆風を強め、教師の疲弊と若者の教職離れを徒に加速させてしまった教育行政の責任は、今こそ間違いなく「万死に値する」ほど重い…と言うべきではないのか。

都の新任教諭239人が1年以内に退職 過去10年で最高の5.7

 朝日新聞社 2025.4.24

 「都教委によると、昨年度に採用した公立小中高、特別支援学校などの新任教諭は4237人。うち、239人が1年以内に退職した。内訳は小学校146人、中学校46人、高校18人、特別支援学校28人、義務教育学校1人だった。懲戒免職も1人いた。9割にあたる217人が自己都合退職で、理由別には、精神面での不調が4割、転職などによる進路変更が3割、介護や転居など家庭の都合が1割だった。指導力不足などから正式採用に至らなかったのは22人だった。」という。

 学校のブラック化がどれほど酷いものか…特に小学校は深刻である。精神面の不調による退職者の多さにも注目したい。

財務省VS文科省バトル再び 中学程度の私大授業に財務省「助成の在り方見直しを」

    求める 産経新聞 2025.6.7

 私大によっては小学校レベルの授業も必要となるはず。おそらく分数や比の問題が解けない大学生は少なからず存在しているはずだ。財務省の認識に学校教育の現実との大きな乖離を感じてしまうのは私だけではあるまい。

    基礎学力の欠如した大学生が発生してしまう背景には基礎知識や基礎学力を身に付けないまま児童生徒が進級し、形式卒業していく義務教育の在り方自体により大きな要因が潜んでいると見て間違いない。

    したがって財務省が「助成の在り方」の見直しを文科省に求めるのはお門違い。たとえ教育内容が大学にふさわしくないレベルだとしても、それだけで助成金をケチるほどの口実にはなるまい。社会全体から見れば「Fラン」大学にもそれなりの存在理由はある。

 要は「落ちこぼれ」を黙認し、学力の底上げを怠ってきた日本の学校教育全体の制度面の欠陥から生じた問題である。特定の大学の問題ではあるまい。需要があるから供給も生まれてきたのだ。そしてこの問題においても歴代内閣が長期にわたって教育予算をケチり続けてきた政治責任の方こそ、厳しく問われるべきなのだ。

「部活動は教員のボランティア」のままでよい? 学校部活動が「地域移行」するこ

    とで生まれる格差とは…今後保護者がお金で買うべきサービスに

    集英社オンライン 2025.5.14

 学校現場からこういう根拠の乏しい発言が出てくることに驚きを禁じ得ない。まず「…日本では、政治が教育に介入し、教育が戦争に加担してしまった第二次世界大戦の歴史から、政治が二度と教育に介入できないよう、教育の独立性が保障されてきました。」というが、この間違いだらけの認識には明らかにファクトチェックが必要であろう。

    戦後はアメリカの占領下、GHQによって日本の教育はアメリカの政治的影響を強く受けるようになっていた。そしてサンフランシスコ講和条約後にはたちまち戦前への回帰、「Uターン」が始まり、戦前の勢力が教育の世界にも復活してくる。そもそも学校現場では戦前と大差なく、画一的な一斉講義形式の授業と管理主義、そして体罰が横行していた。1960年代にはアニメ、漫画の世界にチャンバラや戦争物が再登場し、柔道、剣道が学校体育に武道として復活してくる。

    いずれにせよ日本の学校教育では政府や財界による教育への干渉が排除され、「教育の独立性が保障」されてきた…などといったことは、過去、一度たりとも無かったと言って良い。学校教育には時々の政治や経済の論理が現在に至るまで途切れることなく、強く、露骨に反映されてきたのだ。

    戦後教育の憲法とも言われる教育基本法にズラリと掲げられている理想的建前はほとんどがただのきれいごとに過ぎない。戦後における学校現場での体罰の横行などを見れば分かるように、学校は戦前からの伝統的な慣習と戦後の新たな法律に対して、常にダブルスタンダードな、矛盾した姿勢を取り続けていたと言っても過言ではあるまい。

    したがって教育基本法に定められた「教育における政治的中立性」などは、公教育ですらまともには守られて来なかったと言うべきなのだ。ただし公教育が政治や経済の影響を受けてはいけない、とは一切思わない。シンギュラリティの到来が目前に迫ってきたと指摘する識者が増えてきた現在、学校での生成AIの利用は必須である。それは児童生徒たちに対して、個別最適な学習の保障にもつながるだろう。

    ほとんど自浄能力を失い、自己改革の意欲にも欠ける公立学校は多い。児童生徒たちが時代の進展に取り残されないようにするためにも教育産業のみならず、特定の業界とのつながりが学校としては不可避となるであろう。学校業務や授業のDX化を推進する上でも業界のバックアップは必要となる。

    授業は今後、一斉講義形式中心から議論を通じた多様性の理解、さらに学習者主体の、個別最適化を軸とする授業へと大きく切り替えていくべきである。ただし授業方法の大きな変化は教師の負担を一時的にせよかなり重くする。結果的に多くの教師たちは部活動指導を行うヒマなどほとんど無くなるに違いない。部活動の地域社会への移管は不可避であり、そのためにも学校は地元の公民館などの社会教育との連携をさらに強めていくべきであろう。

【独自】教職課程の必要単位見直しへ 免許取得の負担軽減、文科省

    共同通信 2025.5.23

    どうして文科省はこんなトンチンカンな政策を繰り返してしまうのだろう。官僚としての資質を根本的に疑わざるを得ない。教員免許取得のハードルを下げれば教員志望者が増える…という安易な発想はいい加減、やめてもらおう。これは教員採用試験の倍率低下、さらに免許を持たない人を教師に採用する動きと相まって教師の質をひたすら低下させることにつながる明らかな愚策である。各地ではやり始めた教員採用試験の早期化も有害な弥縫策の一つに過ぎない。

    教員の労働負担の軽減こそが最優先させるべき課題であるはず。こちらは給与引き上げよりもはるかに重大な案件である。したがってこれからは高校においても真っ先に部活動の地域社会への移管を進めて校内での部活指導を全廃し、教員の力を授業力向上に全集中させるべきではないのか。

    部活動の学校から地域への移管は間違いなく人員と経費の負担が大きく増大する政策である。そして現政権が続く限り、そのための予算がまったく確保されそうもない。そこでほとんど予算をかけないで済む安易で安価な政策を文科省は立て続けに打ち出しているのだろう。

    くどいようだが、そうした「泥縄式」のゴマカシに過ぎない政策はもはや、百害あって一利無し、であろう。ただ単に旧態依然の学校教育の延命を図るに過ぎないような種々のエセ改革は、いたずらに貴重な時間と労力を空費し、いよいよ日本の教育を手詰まり状態の袋小路に追い込むだけに違いない。

    これからの高校教育の改革に必要不可欠で最も急がれる重要課題とは、教師の労働条件の劇的な改善(部活動の地域社会への移管に加えて学校行事の精選、学校事務のDX化、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー及びガイダンスカウンセラーなどの加配と待遇改善…)、それに加えて授業技術の高い教師の育成(授業技術の向上に力点を置いた大学での教員養成教育と教員免許取得要件の見直し)と採用(授業技術評価に重点を置く採用試験)、以上の二点であると考えるが、いかがか。

 もちろん、こうした改革を実現していくには、根本的な改革をひたすら妨げ続け、長期にわたって教育予算をケチってきただけの自公政権の、一刻も早い退場が前提となるのは言うまでもないことなのだが…

猛暑と熱中症対策で夏休み延長の学校が全国に拡大中!教育現場のホンネは

    アサ芸biz 2025.7.10

 ろくに自分で現場を取材せずに教育専門誌の記者の言葉を鵜呑みにするような記事を「アサ芸」はネット上に晒していても良いのだろうか。そもそも記者はどんな調査結果を元にしてこんなにも無責任な事を語っているのだろうか。

    …文部科学省が昨年発表した『公立学校施設における空調(冷房)設備の設置状況調査』によると、教室冷房設置率は小学校99.1%・中学校98.9%・高校99.4%といずれもほぼ100%近い。学校関係者からは、『気温の高い日は屋外での体育の授業を避ける必要はあるが、わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる』との意見もあります…とのご指摘、呆れるほかない。真面目に取材する意欲の欠片も見えないような、いい加減極まりない杜撰そのものの記事であろう。

    暑い日にわざわざ児童生徒たちを学校に来させるのならば、学校はせめて普通のご家庭並みの冷暖房を完備できていなければなるまい。しかし体育館に冷房が備わっているのだろうか、芸術科目の教室などの特別教室にも冷房は完備しているのだろうか、冷房費を節約するために、教室内の気温を無視して冷房時間を厳しく制限していないだろうか…児童生徒の命にもかかわりかねないほどの猛暑が続く現状の中で、「わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる」という、誰のものとも分からない発言をあたかも教育現場のホンネであるかのように紹介する、その鈍感で無責任な報道姿勢には怒りすら覚える。

公立中35人学級、教員1万7000人増必要 400億円の予算見込む

    毎日新聞 2025.6.17

 少子化が急速に進む先進国であり、いまだに経済大国の端くれであるはずなのに、何とした事か、デレダラと何十年もの間、40人学級を放置してきた国があった…この日本と言う国は少子化という、学級の定員削減に絶好の追い風が吹き続ける中で、学級定員の見直しすら、まともに取り組もうとはしてこなかった。その国力から見ても35人学級程度の事くらい、とっくの昔に実現できていたはずである。マスプロ教育の弊害が叫ばれてから一体どれほどの歳月が経ったと思っているのだろう。

    にもかかわらず、21世紀に入って四半世紀が過ぎ、マスプロ教育という言葉自体が既に死語となった今の今となってようやくにして法改正を行い、35人学級を徐々に実現させていくのだという。かねてから口では「個別最適化」を唱えて生徒の個性、多様性に応じた丁寧な教育の実現を謳ってきたクセに、「個別最適化」の足を引っ張る張本人たる40人学級を文科省は長らく放置してきた。

    何という怠慢であろう。何という欺瞞であろう。国家百年の大計たるべき学校教育ですらこのザマである。この国の無策ぶりに呆れ果てるしかあるまい。しかも政府の無策ぶりが祟って学校のブラック化が進行し、近年は教職離れが顕著となって深刻な教員不足が慢性化している。

 こうした状況下、一体、どうやって公立中学校の教員を17000人も増やそうというのか。文科省はこれまで通り、自らの責任は棚に上げて厚顔無恥にも各教育委員会に、ひたすら困難を極めつつある教員募集という難題を平気で丸投げするつもりなのだろうか。このニュース、個人的には絶望しか感じられないのだが…

「授業なんてできません」控室にひきこもった実習生…教育実習で心が折れた若者

    たちのリアル「同じような授業の繰り返しのはずなのに、毎日が本当にしんどかっ

    た」集英社オンライン 2025.7.20

 授業の実習に恐怖を感じる実習生は少なくない。そもそも多忙にあえぐ教師の中には教育実習生を邪魔者扱いする先生が実際、かなりの割合で存在していた。数は多くないが実習生に敵意さえ抱く教師すらいた。個人的な感想にはなるが、教師の過半は教育実習生を担当したくない、という本音を隠そうとすらしていなかったと思う。これは教育実習生にとっても不幸な状況であり、教育実習をきっかけにして若者が教職を諦めてしまうといった事態は教師不足の解消を相当難しくしているに違いない。教師の負担軽減が急がれる所以である。

 しかしここにはもう一つ大きな問題が隠れているはずだ。なぜ、教育実習生は授業の実習に対して大きな不安や恐怖を覚えてしまうのか、その原因をしっかりと考えてみるべきなのだ。もちろん指導教官の多忙感に由来する指導の厳しさ、威圧感も実習生が委縮してしまう原因の一つではあるだろうが、はたしてそれだけであろうか。

 個人的に再三にわたって指摘してきた事なのだが、実習生が委縮する最大の原因は教育実習前の大学における事前指導の欠陥、不十分さにあると思うが、いかがか。仮に教育実習前、ゼミ形式で実戦さながらの授業体験を大学で幾度も積み重ねていたならば、実習本番での不安や緊張はかなり軽減されるはずである。すなわち大学での的外れで非実戦的な教員養成講座の欠陥こそが、実習生の教員志望を挫けさせてしまう最大の要因であると私は考える。したがって教師負担の軽減とともに大学での教員養成教育の徹底的な見直しも同時に急がれるはずである。いかがか。

名古屋の教諭死亡で和解 市が5600万円支払い    共同通信 2025.7.17

 はたしてこれで良いのだろうか…どうも釈然としない。自殺してしまった教諭に対する仕事の集中はうつ病による休職後も続けられてしまっている。復職後に部活動や教育課程の編成にあたらせる、と言う明らかに非常識な校内人事を行った(あるいは許容した)校長ら、管理職の責任は一体どこまで追求されたのだろう。管理職だけではなく、関係した他の教師たちにも多少の責任はあるはずだ。にもかかわらず「市側に安全配慮義務違反があった」と監督庁の名古屋市の責任ばかりをクローズアップするような報道がなされるのは実に解せない。

 うつ病を理由に休職した教師に対しては管理職や周囲の教師たちが特別な配慮をすべきであることは言をまたない。しかし校務の分担を巡っては学校として特別な配慮がなされたとは思えない。なぜ配慮しなかったのか、故人に配慮できなかった理由をしっかりと公に明らかにしない限り、同様の事件が繰り返されても不思議ではあるまい。

 一義的に責任を問われるべきは当該学校の管理職たちであろう。したがって賠償義務は当時の管理職らにもあると考えるのが世間的に見ても筋なのではあるまいか。いずれ多額の退職金を受け取れる管理職の責任が厳しく問われるのは当然の理である。当事者に一義的な責任を問うことなく、徒に血税を賠償金に充てる今回の決定は、事件の真相を曖昧にしてしまうと同時に、当該管理職たちの逃げ得を許してしまうことにもつながるのではあるまいか。

 校務分担を巡っての問題はあくまでも当該校の管理職が責を負うべきであり、二度とこのような悲劇が繰り返されないようにするためにも、管理職への厳しい責任追及とそれなりの処罰を行うべきであると考えるが、いかがか。

日本の高校生が「社会に出たら理科は役に立たない」と考える理由

    ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者) 2025.7.16

 最も実験を必要とし、討論などを通じて児童生徒たち自身で仮説を練り上げ、検証していくことを授業の軸とすべき理科の授業実態が日本の場合、いかにお粗末なものであるのか、改めて痛感させられる。探究的な授業展開は何も理科だけのものではあるまい。社会科においても、探究的展開は興味関心を高めるために極めて有効な授業方法であろう。

 社会科の授業でも理科のような実験や調査を用いて探究的な授業が数多く展開できたなら…と常々考えてきた自分としてはこの調査結果は残念でならない。間違いなく理科以上に日本の社会科の授業は「社会に出たら役に立たない」教科となっているはずである。授業の在り方の改善はもはや日本の政治的課題であり、一刻を争う焦眉の急であろう。「国家百年の大計」である日本の公教育の現状はお寒い限りなのだ。

「えっ、体育の先生が技術の授業するの?」教員不足の学校の裏技“免許外教科担任

 制度”は違憲の可能性も…いちばんの被害者は生徒たち

 集英社オンライン 2025.7.8

「教員は減っても行事は減らない」全国で約200万人の子どもたちが無免許の臨時教

    員に教わっているという実態…教員免許の存在意義はいずこに

    集英社オンライン 2025.7.9

 昨今、教員の不祥事が性加害問題を中心に数多くマスコミで取り上げられている。教員による不祥事発生の背景を深堀せずに、ひたすら「学校叩き」「教員叩き」につながるような、偏ったマスコミの取り上げ方も結果的には教師志望者の減少につながっているように個人的には思える。

 もちろん、教師による不法行為はあってはならない事である。しかし学校現場では明らかな不法行為が以前から野放し状態であった。体罰は明治時代から違法であったが、この法律がまともに守られた形跡は戦後に至るまで無かった。もちろん、昭和の時代は戦後も1980年代まで、教師や保護者による体罰が公然と認められてきたはず。

 違法行為は教師に対しても横行してきた。教師の違法レベルの過重労働問題を日本政府、教育委員会は違法にも漫然と放置してきた。授業負担に限ってみても、自分の専門教科以外の教科や科目を受け持たされることは普通であった。決してそれは特別な事ではなく、特定の学校(例えば生徒数の少ない小規模校や、職業高校、定時制高校など)ではとっくの昔から常態化していたとすら言ってよいだろう。さすがに高校の場合には専門外の教科を担当することは滅多にないだろうが、中学校では3教科の授業を担当することもあったと聞いている。

 これらは明らかに違法状態であり、学校現場にはとっくの昔から違法を違法と感じられないレベルに至るほど、正常なコンプライアンス機能が存在していなかった、とみるべきであろう。根本的には違法、合法よりも優先されてきたある種の教育への偏った、アンバランスで強固な信念、教師聖職論の残存が敗戦後、より厳しく問われるべきであったのではあるまいか。

 少子化の中で小規模校が増えている。現状の規定で教員の数を減らしてしまえば、今後は高校においても複数科目どころか、複数教科を担当することになるだろう。生徒数が減った分に比例して授業の教科数や科目数が減るのならば特に新たな問題は生じない。しかし機械的に教員の数が減らされてしまうのが、現在の規定である。

 せっかく少子化が進み、ようやく生徒一人一人に目が行き届く環境が整いつつあるのに、政府はひたすら少子化を口実にした教員の削減、すなわち教育予算の削減を進めてきた。教員の数が減ってしまっては生徒一人一人に目が行き届く手厚い教育の実現は不可能である。そればかりか、複数教科や複数科目を負担する、となれば今まで以上に教師の負担は重くなる。ただでさえ情報、英語、金融教育、探究学習…と教科数や科目数が一気に増えてきていた。この状況は教師にとって地獄そのものなのだ。

 生徒数の減少に応じて学校行事も削減されるならばよいのだが、授業の教科数や科目数と同様にこちらも減らされていない。とすれば学校現場はいよいよ極限までブラック化が進むだろう。せめて部活動の地域移行くらいは一刻も早く実現してくれないと、教員志望者の減少と教員の休職、中途退職が増える一方となる。つまり日本の公教育は既に致命的な人手不足によって一気に破綻しつつある、と見るべきなのだ。

・教師不足

 まず看過できない悪性の症状として挙げられるのが各学校での正教員の不足であろう。これに休職者や中途退職者数の増加も加わり、一人一人の教師にかかる負担は重くなる一方…という学校が特に義務教育中心に増えてきている。さらに教師志望者の減少もこうした事態の悪化をもたらしているに違いない。しかも教員不足が休職者や退職者の増加につながるという、悪循環が既に生まれてきている現場もあるようだ。

 なお教師不足の一因としては景気回復傾向がもたらした民間企業への就職志向の高まりに伴う若者の公務員離れが考えられるが、それは主因というほどのものではあるまい。最大の原因と考えられるのは画一的管理主義の息苦しさに加えて、止まることの無い仕事量の増大による学校のブラック化がもたらした若者の教職離れである。

    残業手当・休日手当がつかない部活動指導の過熱化、数が多過ぎる上にそれぞれが過重な負担となっている学校行事、不登校やイジメの多発とそれに伴う保護者対応の増加、新教科・科目の設置などによる仕事の量と難易度の上昇、説明責任を果たすためだけの記録作成等のアリバイ作り(管理職や教育委員会への報告書、提出書類の増加が顕著でその多くは煩雑かつ形式的なものに過ぎず、教師の力量を向上させることにはほとんどつながらない。つまりほとんどがブルシットジョブ)の増加、教育行政による教員への過剰な統制・管理強化がもたらす心身両面への重圧(教師の創意工夫を挫く無意味な官製研修の増加、授業内容・方法への過剰な介入等)、残業時間短縮による持ち帰り仕事の増大、年齢構成の偏りや管理職の能力不足による職務分担の不均衡、進路の多様化による進路指導の煩雑さ、職員会議の形骸化や教職の階層化などによる職員集団の分断と対立、教職の社会的地位の低下、管理職のパワハラや教師間のイジメの横行等々、数え上げればきりがない。

    こうした事態に対して文科省や都道府県教委は上辺だけの対症療法、その場しのぎの誤魔化しをひたすら繰り返してきた。教育行政による対応を医療行為になぞらえれば、高熱を発した患者に漫然と解熱剤を処方するだけの藪医者のようなものである。

医者は本来、高熱の原因を様々な検査結果から割り出していき、症状を抑えるだけではなく、症状の主な原因となっている病気などを治療対象としていくべきであるのは言うまでもない。しかし文科省、都道府県教委は教員不足という症状に対して、揃いもそろって教職の魅力をアピールし、採用試験日程を増やしたり、早めたりして試験のハードルを下げることに専念してきた。

    もちろん「働き方改革」を推進して部活動の地域移行と残業時間の短縮を通じて学校のブラック化を押しとどめようとしているのも事実ではあるが、「持ち帰り残業」の問題を見ると、さほどの効果は上がってきていない。

    なぜ教職の魅力が低下してきたのか、教員が不足してきたのか、その原因には高熱の原因と同様、様々な要因が考えられるに違いない。ただ兎にも角にも教育行政側の最大の過ちは、その原因が自分たちにも少なからず存在する、という自覚を決定的に欠いてきた点であると思うが、いかがか。

    不登校の増加やイジメ事件の隠蔽、教員の不祥事の多発、教師の疲弊、授業における児童生徒の落ちこぼし、吹きこぼし…どれをとっても教育行政の過ち、不備に淵源する側面が大いにあるだろう。そのことの反省と改善を抜きに、ただ教職のやりがいと就職しやすさを追求しても、若者は二度と騙されないに決まっているのだ。