㊷高校社会科における授業評価アンケートの試案

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

はじめに

 自身の授業を受講する生徒たちに年度末、アンケートを用いて授業の評価をしてもらっている教師は少なくあるまい。しかし本来は各学校、各教科である程度まで統一した用紙を用いて生徒たちによる本格的な授業評価を年に二回程度、所属する教師全員に対して行うべきである。当然、目の前の教師を評価することに抵抗を覚える生徒がいるだろうから、調査のタイミングは授業が無くなった学期末が適切であろう。学校全体で授業評価週間を設けて十分な時間をとり、クラス担任や副担任を中心にしっかりと取り組ませるのが理想だろうか。

 おそらく年度末は様々な業務が集中するので調査のタイミングとしては夏休み前と冬休み前がベストだろう。すなわち年に二回、実施することで教師各自の授業改善に資するようにしたいものだ。生徒たちには先生方の授業がより楽しく、分かりやすく、役立つものになるよう、生徒たちの誠実な協力を求める…といった内容で調査の目的をアンケート用紙の前書きに示しておくべきだろう。

 ただし教科によってはどうしても質問項目を変えるべきケースが出てくるだろうから、ここではあくまで高校社会科の授業評価にかんする調査案を示すにとどめる。なお調査結果の利用上の注意点は終わりの方で触れることにしたい。

 

・調査内容のポイント~観点別評価の具体例~

 授業評価はまず普通の通知表と同じく観点別評価が最適であると考える。授業評価の観点は私の独断と偏見に基づき、大きく三つに分けて論じてみたい。

 年間を通じて授業が「楽しい・面白い」、「分かりやすい」、「役に立つ」という三条件をほぼ満たすものならば生徒の授業満足度は間違いなく高いに違いないと考えるが、いかがだろう。特に「楽しい・面白い」は授業成立のための必須条件であり、加えて残りの観点の内、一つでもプラスに評価できれば十分合格点とみなすべきではないか。もちろん三つの観点はどれも重要なのだが、必ずしも一つの授業で三つの条件をすべて満たすほどの必要は無いと考える。面白くて分かりやすい、ないしは面白くて役に立つならば好ましい授業として十分、及第点と見なしたい。

 一つ目の「楽しい・面白い」とはお笑い芸人のような、絶妙な「しゃべくり」のテクニックや話の面白さへの評価ではなく、あくまでも授業実践者としての評価観点であるべき。したがって生徒には授業中の余談の面白さを一切、評価の対象としない旨を調査の際には予め徹底させたい。ここではあくまでも授業内容と展開の仕方に評価対象を絞り込むべきである。

 「楽しい・面白い」の観点には授業のテーマやネタ、資料自体の斬新さ、ユニークさ、面白さが含まれる。教科書的なテーマや陳腐な資料を用いたありきたりの展開よりも、意外性のある切り口で問題の本質に深く、多角的に迫れるような、独自の資料を用いたユニークさのある授業こそ、他の教師からも高く評価されるべきだろう。そうした授業はそれだけで生徒の興味関心を強くひきつけるため、評価点を高めに設定したいものである。さらに今、話題になっている事象とうまく関連付けて展開することも生徒の興味をひく上で好ましいだろう。

 「楽しい・面白い」は生徒の授業への参加度を高める上で大切である。逆に生徒にとって授業への参加度の高い展開は授業の満足度をかなり高めるだろう。生徒の多くはひたすら先生の話を聞くだけの、受け身を強いる一斉講義形式の授業を嫌う。受け身の授業ばかりでは誰であっても一定の集中力を保つことすら難しいのだ。逆に自分なりの意見表明の機会を数多く設けた参加度の高い授業は生徒の主体性を引き出し、自己表現欲求も満たされる点で授業の「楽しさ」「満足度」が倍増してくるだろう。

 生徒から意見を活発に引き出すための雰囲気作りも大切である。そのためには教師や生徒たちが少数意見を軽視しないことに加え、対話的議論を通じて多様な意見を引き出す教師側の様々な工夫が欠かせない。また生徒に知識ばかりを問う発問を繰り返していると一部の生徒しか発言しなくなるだろう。多くの生徒が自ら考えたくなるような、刺激的で良質の発問が出来るかどうか、がこの観点での授業の成否を決すると言っても過言ではない。なお引っ込み思案の生徒からも次々と意見を引き出すには予め綿密に設計されたアンケートを用いることがきわめて有効となる。

 もちろん授業中、適宜、討論やアンケートを用いる展開は教師側に多くの工夫と努力を強いる。しかし様々な観点から見て極めて有効な取り組みであるのは経験上、確かである。実際、この評価観点は今後、一層推奨されていくと思われ、とりわけ配点を高くして評価すべきものと私は考える。

 「楽しい・面白い」授業は生徒たちの印象や記憶に残りやすいはず。したがって記憶に強く残った一コマ分の授業のテーマを生徒たちがどれだけの数、覚えていて記述できるのかも重要な指標となるだろう。4単位の講座で夏休み前と冬休み前に調査を実施するならば、それぞれ記憶に残った授業のテーマをクラス平均で5つ以上、挙げられればその授業はおそらく大成功の部類に入るはず。3つから4つならばそこそこの成功と言えるだろう。しかし2つ以下は残念ながら授業の面白さに多少の問題ありと見なして良いだろう。授業評価アンケートの結果が概して良好であったとしても、生徒の記憶に残らないのならばそもそも授業としてはほぼ効果なしと判断されてしまいかねない。いくつ授業テーマを思い出せるかは重視したい評価ポイントとなるはず。

 強く印象に残る授業では概してネタに対する驚きや感動が多くの生徒たちに見られる。感情を強く揺さぶられるネタ、意表を突く驚きのネタは授業の「面白さ」に直結するだろう。そうしたネタを探すのは実際、簡単ではなく、ベテランでも大いに苦労する。ぜひともこの点は高く評価すべきだろう。

参考記事

「探究学習」に学校現場は混乱……“問いが立てられない”子どもたちに欠けている

    学びの土台 All About 佐藤 智 2025.4.22

    どちらかと言えば「問いが立てられない」のは子どもたちではなく、教師たちの方かもしれない。まずは教師たちにこそ「探求学習」が必要なのかもしれない。すなわち大学での教師養成教育の段階で「探求学習」のあり方をどこまで深く身に付けてきたのか、によって探求学習型授業における教師の力量は大きく左右されるはずだ。だとすればまずは大学における教師養成教育の在り方を見直すべきであると考えるがいかがか。

    教科書以外を教えてはならない、と考えている児童生徒や保護者、教師たちは相変わらず多い。そして客観テストの成績ばかりを重視しがちな昨今の風潮の中では、入試に出題されない内容を排除しがちとなるのも無理はない。大学進学を強く意識する高校では授業で何を教えるかに関して、圧倒的に教科書の内容であり、それもとりわけ共通テストに出題される内容に偏っているだろう。

    以上のような風潮の下では授業や試験の内容はどうしても思考力を試す論述問題などが避けられがちとなり、一つの正解を暗記するだけの単調な学習を児童生徒に強いるものに偏っていく。これは教師の授業やテスト採点を効率的で楽なものとする。加えていかにも客観的で公正な学力評価を約束するものに見せかけることが出来る点で極めて便利である。そして児童生徒が脊髄反射的に正解を瞬時に答えられるようにすることこそ、戦後日本の学校における授業の最大の目標となってきたのは紛れもない事実である。

    当然、脊髄反射的な応答を得意としてきたかつての受験エリートの教師たちも、一問一答式の設問以外は「問いが立てられない」傾向にあるとみて良い。高校の社会科における定期考査の実際の出題内容を逐一調べてみれば、その傾向は一目瞭然となるはずだ。

 しかしながら、正解が見当たらない、一つに絞れない…多くの社会問題はすっきりと解決できない不透明さ、複雑さを有する。多様な観点、多様な価値観、時間とともに変動する種々の社会的条件の複雑な絡まり…これらの特性を持つ実際の社会問題への思考力を、まさか「一問一答」式の問題設定で育むことはできないだろう。

 週にわずかな時間しか確保できない「探求学習」の時間だけが「探求学習」であってはなるまい。本来ならば様々な教科の授業にも探求的な内容と方法、理念を盛り込まなければ「探求学習」は成立しないだろう。見直すべきは各教科の評価のあり方にも及んでくる。

 そもそも、これまでの画一的で管理主義的な教育行政と「探求学習」の理念とは本質的に相容れず、背反する要素が多いのだ。にもかかわらず「探求学習」が上手くいかない責任を文科省側が一方的に教師や児童生徒に転嫁するのは何としてもやめていただきたい。それはどうみても「恥知らず」な行為であろう。

いまの小学校、中学校には無茶だ…大学レベルの「答えのない授業」に振り回される生

   徒と教師たち   プレジデントオンライン 木村 草太,内田 良 2025.3.28

   授業改革のキモとなる論点が提示されていて面白い。今はやりの、双方向型、対話型の授業を導入するには確かに大きな困難が伴うだろう。ただし今の授業改革が暗記型の学習をすべて否定しているわけではあるまい。とりわけ木村氏の専攻する法学分野においては暗記抜きでの学習が不可能である。また基礎知識の習得を目的とする義務教育での社会科などでも、暗記が欠かせない項目は非常に多い。したがって常に本格的な意味での対話型授業を試みる必要性はまったくといって良いほど無いと考えるが、いかがか。

 ただし教師が児童生徒の理解度を無視してマシンガンのようにひたすら説明し、板書するだけの一方通行的な授業は避けなければなるまい。暗記を中心とする内容であっても、質疑応答を交えながら児童生徒の反応を注意深く観察し、分かりやすい説明を心がける…といった従来通りの授業方法は続けるべきである。

 今、必要とされているのは、そうした従来型の授業に加えて、新たに対話型、双方向型、討論型、個別最適型の授業も随時、必要に応じて取り入れていく…といった方向性ではあるまいか。

 授業で正解のない課題に取り組む機会は特に高校の社会科において切実に必要とされているだろう。18歳で選挙権を行使する前に、授業で現実の政治課題と高校生がじっくり向き合う時間を、教師は出来る限り数多く用意すべきではないだろうか。そして生の政治課題を授業で扱うならば、特定の見解を押し付けるような一方通行の講義形式は厳禁とすべきである。討論やアンケート、問答、調べ学習などを多用して政治課題の解決に向けたアプローチの仕方、視点の持ち方などを生徒個々人で身に付けていくことがそこでは求められるはずだ。

役立った学校の科目「算数・数学」1位 働く人のホンネ

 FNNプライムオンライン 2025.3.15

 どういう年齢層を対象とし、どの程度の回答数なのか、最も重要な点が不明なので記事としては失格。質問紙調査の常識を弁えないこの手の記事は一切、参考にできない、という点を前提として、以下、あくまで感想レベルのことを述べたい。

 常識的なイメージから結果を予想すれば社会に出てから役立つ教科として社会科が上位にくるべきであろう。しかしトップは意外にも算数(数学)。類似の調査では最も苦手、ないしは嫌いな教科としてトップに繰り返し挙げられてきたのにもかかわらず、算数(数学)は社会に出て役立つ教科だと評価されているらしい。

 ただ調査概要が分からないので結果には信頼性、妥当性の面で疑問符が付く。しかもかなり予想外の結果なので、けっこう疑わしい調査である。ただの煽り記事なのかもしれない。

 国語が2位なのは極めて常識的な結果だろう。ただし3位の英語は調査対象者によって大きく異なるに違いない。どのような年齢、社会階層に属する人たちが回答しているのか、不明なのでやはり何とも言えない。4位に家庭科が来るのは教科の役割上からすれば当然の結果であろう。

 社会に出てから社会科の授業がさほど役に立たない…という結果は、社会科の役割からすれば極めて衝撃的である。しかし社会科がただの暗記科目としてイメージされてきた通り、いまだに暗記中心の一斉講義形式ばかりの授業が続いてきたのなら、これは納得の調査結果だとも言えよう。

 とは言え、この記事が調査概要すら示していないがために、論及に値しないものである点は繰り返し、強調しておきたい。

 授業でこの記事を取り扱うのならば、この記事のダメさ加減も強調しておくべきである。マスコミ情報のいい加減さを具体的に指摘するには実に有用な記事とも言えるだろう。したがってあくまで批判的な観点から授業では紹介したい。

 

 授業の「分かりやすさ」もいくつかの観点から評価したい項目。まずは教師の言葉遣いや難解な用語の解説が丁寧であることは「分かりやすさ」の重要な条件となる。また抽象的な事象や複雑な事柄を絶妙で具体的なたとえ話に置き換えて説明する能力も問われてくるだろう。当然、プロジェクターなどの視聴覚機器を適宜用い、文字資料に偏りがちな社会事象の説明を効果的に補う様々な工夫・努力は欠かせない。

 生徒一人一人の実態に合った学習を可能とする工夫は「分かりやすさ」において特に大切となる。つまり個別最適化学習の機会が頻繁に設けられているか否かが問題。これは「面白さ・楽しさ」と重複するが、授業中のアンケートの設問次第では個々の生徒の理解度をある程度まで探ることが出来る。また対話的議論の積み重ねと自説補強のための調べ学習によって他者と自分の考えとを徐々に整理できるようになることも生徒にとって十分「分かりやすさ」につながる。

   授業における「分かりやすさ」はもちろん生徒たちの状況に応じて相当レベルが変わってくる。教育困難校の生徒たちの中には授業や学習そのものに対して強いトラウマを抱えている者が少なくない。過去、自分なりに楽しい授業が出来た、と思って自己満足にふけっていた時などにそれでも不安そうな顔で近づいてくる生徒が何人かいた。そうした生徒は大抵の場合、「先生、今日の授業で習った事はテストに出題されるのですか」と遠慮がちに訊いてくる。あるいは「今日の授業、面白かったけどなんだか少し分からない点があった」と悲しそうに告げてくる生徒もいた。

 彼らは小学校、中学校時代の長い間、「覚えられない」「理解できない」自分を周囲から馬鹿にされたり、教師たちから低い評価を与えられ続けてきた。そのため、周囲よりできない自分を責め続けた末に自己肯定感が低くなり、学習することへの不安や抵抗感を極めて強く持っている。そして高校でもきっとまた辛い思いを繰り返すのだろう…と高校入学当初から諦めかけている生徒たちが圧倒的に多い。つまり大抵の場合、最初から授業には嫌悪感しかなく、一切の期待を捨ててしまっているのだ。

 彼らの授業に対するトラウマをまず少しでも軽減していかないと、多少、授業を工夫してどんなに楽しい内容を取り入れたとしても、それがかえってトラウマを刺激してしまうことすらある。なんだか周りのみんなは授業で楽し気なのに、自分ばかりが理屈がよく分からないせいで、またまた授業から、クラスメイトからポツンと一人取り残されている…そうした過去の苦々しい思いがひとたび蘇ってしまうと、その生徒にとって以後の授業はすべて何の意味も持たなくなってしまうだろう。

 そこで私は一番最初の授業で講座の評価基準と評価方法をプリントにして配り、それを丁寧に時間をかけて説明することにしていた。ここから先は特殊な事例なので安易な一般化は出来ない点にご留意願いたい。

 困難校の中でも特に定時制の午後部の生徒はほぼすべて何らかのトラウマと学習障害を抱えている。そこで授業の最初に「テストの点数だけで諸君が赤点をとることはない」とまず断言しておく。これは以後もしつこいほど繰り返し強調した。

 中には日本語すらおぼつかない、外国語を母語とする生徒が少なからずおり、足し算すらできない生徒もいたのだから、この評価基準はそうした学校においては決して間違ってはいないはずだ。そもそも公立高校はそうした生徒であってもいったん入学を許可した時点で、原則、生徒たちが卒業するまで責任をもって対応する義務を負っている、と私は理解していた。なのでテスト点を軸にしで評価を出す、といったような、テストで生徒たちを脅すことはむしろご法度といっても良かったのだ。

 こうした学校ではどんな生徒たちであってもとりあえずは、「今日もよく元気で教室にきてくれました。ようこそ、いらっしゃいませ…」といわんばかりの歓迎の意思をまず教師から最初に表明すべきである。当然のことだが、入学式の時と変わらぬ程度、常に教室はきれいにしておきたい。歓迎の表明がありきたりの、ただのリップサービスで終わってはならないのだ

 過去、学校、教師たちから何度も期待を裏切られてきた生徒たちである。なので最初の授業では上記のような話から入るのを個人的には恒例行事としてきた。

 とはいえ、多くの人はそんなことでは生徒を安易な方向に導き、堕落させてしまうのではないか、と不安に感じるだろう。もちろんそうした危険性がまったく無いわけではない。そこでテスト点の話の次に、成績には出席点とプリントの提出点が大きな比重を占めることを説明する。この二つのいわゆる平常点、努力点が午後部の場合には6割以上を占めていた。そうした点をあらかじめこちらから説明しておけば、生徒たちは是が非でも理解しなければならない、暗記しなければならない、といったトラウマを刺激する呪縛から少しだけでも解放される。それだけでも授業への嫌悪感、抵抗感はそれなりに軽減されるだろう。

 生徒たちによる授業評価の観点には、以上のような教師の評価方法への工夫に対する生徒からの評価もまた欠かせまい。

 なお「役に立つ」とはもちろん授業内容が今すぐに役立つ、ということばかりではあるまい。今すぐに役立つとは限らないが、少なくとも生徒たちの近い将来に向けて役立つかもしれない情報を効果的に提供する義務が教師にはあるだろう。特に進学や就職関係の詳細な情報提供は政治経済の授業では必須となるはず。また学生として、労働者として、消費者として、家庭人として、児童生徒の保護者として今後、いずれは必要とされるだろう心構えや知識は特定の教科や科目を超えて繰り返し、授業で取り扱うべきものである。私が社会科授業のネタとして心理学や学校教育、労働者の権利、少子高齢化、差別などの問題を重視しているのも、この点と深く関わっている。

 さらにグローバル化が進む現在、日本文化の特色と欧米との違い、地球環境問題や国際的な紛争などを知ることは切実に必要とされているだろう。ただしこの分野は教科書的に扱うとあまりにも網羅的となってしまい、深い思考力を養うことも、インパクトのある面白い展開に持ち込むことも難しくなるに違いない。この分野は欲張らずに特定のテーマに絞り込んで掘り下げていく、事例研究的な展開を志すべきだと考えるが、いかがだろう。

   「役に立つ」授業というと様々な誤解が生まれやすく、下手をすれば受験に役立つ内容に偏ってしまいかねない。たとえば過去、古文の学習で連用形につく助動詞、連体形につく助動詞、動詞や助動詞の活用形など、丸暗記させられてきた苦い思い出を持つ人は多いだろう。これらの知識は日本の古典文学や言語学を大学で学びたい人には必須の知識となるだろうが、そうではない、ほぼ99%の高校生にとってはまったく無用の知識に過ぎない。しかしかつて大学入試には頻出していたので当時は私も無理やり暗記してきたが、そうした知識が入試以外の場面で役立った記憶は無い。

 確かに入試を前提にすれば役立つ知識でも、多くの人にとっては生きていく上で役立たせることが難しい知識…しかしなぜか今も教科書で取り上げられている学習内容は決して少なくあるまい。そうしたものは教師が注意深く取捨選別し、できるだけ授業で扱うべきではあるまい。なぜならばこうした知識を扱うとたちまち無意味な暗記を強いるだけの退屈な授業に陥りがちとなり、ほぼ間違いなく、授業から肝心の楽しさと分かりやすさを奪ってしまうからである。しかもただでさえ不足しがちな授業時間を不毛な暗記学習によって削らされ、もっとも時間をつぎ込むべき肝心の討論型授業の時間を確保出来なくなるだろう。

 加えて入試には問われないが極めて面白くかつ役立つ知識、一見、役立たなそうに思えるが実は非常に有益な知識…こうした貴重な知識を教科書以外からも丹念に拾い上げ、その知識の有益さに授業で気付かせることは生徒たちの社会を見る目を養うことにも大いに貢献する。こうした教科書外の知識を紹介することは今後、社会科授業の重点目標ともなりうるとすら私は考える。

 教師の中には教科書には書いていない、受験にも出題されない内容など教える必要は無いし、むしろ教えてはならない…といった偏屈で堅苦しい人もいるだろう。よく言えば教科書に忠実、ある意味「謙虚」な教師なのだろうが、悪く言えば教材研究において大いに怠惰な教師ではあるまいか。

 そういう教師は国家、とくに文科省の指示することを鵜呑みにして一切疑うことができない、まさに洗脳された「文科省検定済みの教師」、「教科書教信者」に過ぎまい。そのような人の授業が多くの場合、生徒たちの視野を狭め、授業を暗記中心のつまらない、かつ抑圧的なものにしてしまっている可能性は決して小さくないと思うが、いかがだろう。

 ※参考記事

  ◎Z世代が選んだ「将来役に立たないと思う教科トップ10」 3位「理科」、2位「図

   画工作」、1位は? J-CASTニュース の意見 2024.4.9

   8位の道徳よりもはるかに役に立たない教科として社会科が4位に評価されている点に現在の授業

   内容と授業方法の致命的な欠陥が現れているのだろう。ただの暗記学習にとどまっている限り、

   社会科の授業は児童生徒にとって苦痛でしかあるまい。記事を読ませて授業で議論させると面白

   いだろう。

  ◎教員の9割が探究学習に課題と回答、カタリバ調査

   こどもとIT 正田拓也 によるストーリー 2024.6.7

   340人の教師を対象とした小規模な調査であるが、9割が探求学習に課題を感じている現状に日本

   の教育の遅れを感じてしまう。ただの調べ学習に終わらせてしまうのはもったいない話。多様な

   意見を生徒たちから引き出して対話型議論を積み重ねる事こそ、探求学習の大きな狙いであるは

   ず。与えられた教科書をただ教えるだけの教師が教科書を離れる場面の多い、しかも学習者の自

   発性、主体性を重視する探求学習を指導できるわけがあるまい。しかも教育委員会自体が教員採

   用試験段階で受け身の教師ばかり採用してきたのだから、この結果は自業自得というほかない。

   文科省に屈して自主性を失った地方の教育行政が教師に自主性を求めること自体、おかしな話で

   あり、まして自主性の欠如した教師たちが児童生徒に自主性を求めることも滑稽極まりない。

    教育の根本から見直さない限り、表面的な小手先の物真似だけで探求学習の定着など望むべく

   もあるまい。

 

・調査方法と統計処理のポイント

 教科ごとのアンケートに答える生徒の負担を軽減するためには短時間で終えられる記号選択式を多くすると良いだろう。一番、簡単に答えられるのはおそらく各設問に対して「ア.とてもそう思う」、「イ.どちらかと言えばそう思う」、「ウ.どちらかと言えばそう思わない」、「エ.まったくそう思わない」の四択とし、アを選択していれば4点、イは2点、ウは1点、エは0点といったように、後で表計算ソフトを用いてすぐに点数化できるようにしておくと集計の際、助かるだろう。

※評価点は抵抗感の強い減点方式ではなく、できるだけ加点方式にしたい。また「ア.とてもそう思う」 

 と平均点に近い印象がある「イ.どちらかと言えばそう思う」とは評価として明らかに大きな差がある

 と考えるので「ア」は「3点」ではなく、敢えて「4点」としてみた。この方が生徒の実感により近い

 結果となるように思う。

 「どちらとも言えない」を選択肢に入れてしまうとあまり真剣に考えずにそれを選択してしまう生徒が多くなりがちなので、折角調査しても教師にとってイマイチ授業改善には役立たなくなる危険性がある。異論はあるだろうが、そうした観点から「どちらとも言えない」を予め選択肢から排除した方が良いと個人的には考える。

 印象に残っている授業のテーマ数の場合、5つ以上記述できた場合は4点、3~4は2点、1~2は1点、0は0点くらいが妥当ではあるまいか。

 なおアンケートの最後は自由記述で授業の感想や授業への注文などを書かせておくと一層丁寧で有意義なものとなるだろう。

 統計処理はまず講座ごとのアンケート回答者数の確認に加え、教師個人における設問ごとの総得点を出し、さらに「面白い・楽しい」、「分かりやすい」、「役立つ」の三つの観点ごとの総得点、全体の総得点も算出しておく。ここまでは授業担当教師の仕事。社会科主任は各教師から集計結果を提出してもらい、社会科教師全員の集計を出す。そして教科全体および科目別の総得点の平均値、それぞれの観点別得点の平均値、設問ごとの平均値を出しておき、結果を表およびグラフ化して社会科教師たちに配布すると非常に分かりやすいだろう。この程度のものでも教師の授業改善には十分役立つに違いない。

 社会科教師の数が少ない定時制のような学校ではここまでで十分であるが、5人以上いるような規模の学校ならば、参考のために最高得点の教師の授業参観を後日、他の社会科教師に奨励するのは今後のために良い試みとなるだろう。

 

・アンケートでの設問例

 回答する生徒の負担と集計・分析する教師の負担を軽減すべく、設問数を出来る限り絞り込む必要があるので、まず回答に要する時間を20~25分程度にして設問数を少なめにしてみた。回答に際してはあまり深く考えずに素早く直観的に答えるべき旨を予め周知させておくと生徒たちの率直な意見が反映されやすいかもしれない。

①「楽しい・面白い」に関わる四択の設問群

 良い意味で強く印象に残る授業が多い

 多くの授業に教師の工夫やアイディアの良さが感じられる

 視聴覚教材や独自教材を適宜、活用して面白さ、分かりやすさに努めている

 プリントなどで独自の資料を使ってタイムリーな話題を扱っている

 対話的討論を通じて生徒たちの意見表明の機会を数多く用意している

 要所でアンケートを用いて大人しい生徒の意見も汲み上げている

 ネット検索などを通じて調べ学習の機会を数多く設けている

 特定の考え、価値観を押し付けてはいない

 多様な見方、考え方を紹介してくれる

  ※太字は他の観点とも深く関わるので倍の配点としても良いだろう。また学校やクラスの特性に応

   じて各設問の配点を微妙に変えることも検討すべきだろう。

②「楽しい・面白い」に関わる記述式設問

 「これまで印象に残っている授業一コマ分のテーマをできるだけ数多く挙げてみて

 下さい。テーマは例で挙げたように簡略な記述で構いません。」

  回答例:「錯視体験」「ブラック校則問題」「イジメ事件の隠蔽」…

③「分かりやすい」に関わる四択の設問群

 説明が丁寧であり、分かりやすい

 たとえ話や身近な具体例が適切に示されるので分かりやすい

 しっかりと問題を理解し、自分で考える時間が十分に用意されている

 本当に生徒が理解できているのか、様々な手段を用いて確認している

④「役に立つ」に関わる四択の設問群

 自分の将来の進路を決めていく上で役立つ知識、考え方を学べている

 家庭人として、労働者として、地域社会の一員として今後生きていく上で役立つ知

  識、考え方を学べている

 国際社会の中で日本人として今後生きていく上で必要とされる知識、考え方を学べ

  ている

 日本社会が今後、どうあるべきかを考える上で役立つ知識、考え方を学べている

 国際社会が今後、どうあるべきかを考える上で役立つ知識、考え方を学べている

 

・調査の実施と結果の利用に際して

 以上、私が提案した授業評価アンケートはあくまでも教師集団による自主的研修の一環に位置づけて実施されるべきものであり、管理職や教育委員会などから強制されて行うべきものではない。またこれを本格的に実施するには幾つかの厳しい条件をクリア出来ていなければならない。特に教師の職務精選が断行され、部活動等の負担が完全に地域社会に移行されていることがまず、最低限の前提条件となる。

 授業こそが教師の本分、との共通認識が成立していないような現状のブラック化した多くの高校ではこうした取り組みはむしろ教師の負担を増やすだけで逆効果を生じかねないだろう。さらに学校が行っている無意味な研修や目標申告などを徹底的に無くすことを通じて各教科でのアンケートがしっかりと実施可能になる程度まで、学期末の時間的余裕が確保できることも実施上、不可欠の前提条件となる。

 またこのアンケート案が教師の職務軽減を伴わない中で管理職の得点稼ぎや教員管理の手段として悪用されることは決してあってはなるまい。

 もちろんアンケート結果は教師の授業改善に資することが唯一の狙いであり、特に教師の人事などに影響を与えることも絶対にあってはならない。繰り返しになるが調査結果が管理職や教育委員会に悪用されないよう、結果の取り扱いには十分留意すべきである。

 

 というわけで実際には残念至極ではあるが、今のところ社会科全体でこの調査を実行に移すのは多くの高校では無理であり、百害あって一利なし。明らかに時期尚早だと私は考えている。そこで当分の間、授業改善に熱心な教師が個人的に参考にしてもらえれば幸い…という思いでとりあえずこのプランを示してみた次第である。

 くどいようだが何より急ぐべき改革が教師の職務軽減であることは論をまたない。

※参考動画

「全て他人のせい」日本人に主体性が育たない背景とは?レジェンド校長“工藤勇

 一”が指摘する「教育の大問題」【成田修造/宮村優子/平川理恵/西村祐二】

 NewsPicks /ニューズピックス  2024/05/18  14:39

「みんな仲良くなんてできない」先生主体のいじめ対応が子ども自身の解決能力を

 奪う。当事者の生徒達が自ら考え、いじめを解決に導く方法とは?【工藤勇一/平川

 理恵/西村祐二/成田修造/宮村優子】

 NewsPicks /ニューズピックス  2024/05/25  14:31

 工藤氏の主張のポイントは日本の教師の児童生徒への過干渉と管理主義が児童生徒の自主性、当事者意識、主権者意識を損なっている、という点にあるだろう。またこの主張を敷衍すれば教師の過干渉と管理主義が他方で教師の多忙化、学校のブラック化の大きな要因ともなっている可能性に行きつくかもしれない。

 日本の教師の過干渉と管理主義は必然的に日本国民の間になかなか民主主義が根付いていかなかった歴史と大いに重なるはずである。そして当事者意識を持って社会問題に主体的に関わろうとする意識を児童生徒らに育むには工藤氏らが提案する議論を柱とする授業こそが求められる。

 イジメ問題の発生を児童生徒たちの主体性、当事者意識、主権者意識を育むうえでの絶好の機会と捉える工藤氏の逆転の発想はイジメ隠蔽に傾く日本の教師たちを過剰支配の悪循環から救い出す力をも秘めているのではあるまいか。