§6.市原の郷土史123.深城の見どころ
市原市深城は東京湾に面した姉崎からやや内陸部に向かった所に位置し、集落の北側を館山自動車道が通っている。歴史散歩に特に適しているのは深城の南側半分であり、特に上の地図の上端、谷津田が細長く東西に伸びている場所で、古くから谷津の北側に沿って集落が形成され、歴史的景観を味わえる神社やお寺がある。
下の迅速測図(左側)を見ると、この地区の地理的特徴がつかみやすい。台地状の丘陵地帯の奥深くまで谷津地形が複雑に食い込んでいる。縄文海進の昔にはおそらくリアス海岸だったのだろう。谷津の縁に沿って集落と道が東西に伸びていて、両側は丘陵部となっているため、集落内に入ると、都市部の喧騒とは無縁の、他とは隔絶されたような長閑な田園風景が楽しめる。丘陵の上は比較的平坦で名産の大根などの畑地が一面に広がっている。
今回、ご紹介するのは集落内の熊野神社と無量寿寺(真言宗)、丘陵上の三山塚(少年野球のグランド脇)と不動明王を祀る塚(上のグーグル地図の右下隅に位置)。
なお、集落の南端に上総鎌倉街道が一部、残っており、御所覧塚がある。
・熊野神社
狛犬:天保8年(1837)
川上南洞書「日韓合邦紀念銀杏樹」碑:年代判読困難。明治末年か? 日韓併合は1910年
石灯籠:嘉永3年(1850) 石工 御園藤吉(袖ケ浦林村)
手水鉢:文久2年(1862) 石工 御園藤吉
庚申塔:延宝3年(1675)
本殿は一間四方の流造で小さな割に丁寧な彫刻が随所に施されおり、石垣に上に建つ。彫刻には江戸後期の特色が伺える。いかにも村の鎮守らしく、本社も集落を見下ろす高台に立地している。
・無量寿寺
二基とも光明真言読誦塔:左 判読困難・右 嘉永元年(1848)
地蔵台座・基礎:文化6年(1809) 六地蔵台座・基礎:正徳2年(1712)
地蔵は倒壊しやすく、欠損が多い。ここも多くが台座のみ残っている。
庚申塔:宝暦11年(1761)
石段塔:寛政4年(1792)石工 姉崎村 古川辰五郎
宝篋印塔:文字の磨滅が激しく判読困難。石工は木更津の高橋八郎右衛門なので1760年代前後に造塔か?(→西国吉医光寺のものは宝暦14年=1764)
・三山塚(野球グランド脇)
大日如来(湯殿山供養塔):享保12年(1727)
大日如来(湯殿山供養塔):寛政9年(1797)
湯殿山供養塔(文字塔):明和2年(1765)
・不動明王
塚状の盛り土の傍らに建つ
不動明王塔:文政7年(1824)
密教で尊崇される不動明王の石造物は真言宗寺院の多い市原市内では意外にも残存数が少ない。