㊸困難校における大学受験指導の諸相

 

 教員生活の後半は進路指導部に所属することが多かったため、慣れない就職指導に悪戦苦闘してきた。いわゆる教育困難校ばかりを転々としていたので就職指導にはとりわけ力を入れなければならなかったのだ。父子家庭、母子家庭で生活保護受給者が多い、という厳しい家庭環境の生徒が過半を占めているので、家計を補うためにも高校卒業後にすぐ就職しなければならない生徒が半数近くを占めていた。当然、就職指導は通常の生徒指導を上回る厳しさとなり、手を抜くことは絶対に許されない状況にあった。地元企業の状況を把握するだけでも相当の時間を要してしまい、就職指導にそれなりの自信を持てるようになるには最低でも数年はかかるはずである。

 同時に警察のご厄介になる生徒への対応、家庭訪問を必須とする特別指導(喫煙とバイク乗車が多い)、成績や出席時数の問題で進級や卒業が危うい生徒への補習…授業や部活動、校務分掌の仕事、学校行事なども加わり、誰だってやらなければならない仕事が山ほどある。そうした中での、生徒の将来を左右しかねない、責任重大な進路指導は教師にとってかなりの肉体的、精神的重圧となってしまいがちであった。その実、多くの3学年教師たちの本音では生徒たちの進路先がたとえ決まらなくとも卒業さえしてくれればとりあえずは「御の字」だったのである。

 しかも私の場合、14年間は内陸部、それも交通不便な立地の教育困難校に勤めていたため、極めて悩ましいケースを就職指導以外でも抱えてきた。実はそうした立地の高校ではかなりの教育困難校であるにもかかわらず、自宅から駅やバス停が遠いことなどによって他の高校への通学が困難なゆえに、場違いなほどの成績優秀者が入学してくるケースが一つの学年で10人内外(学年8クラスで生徒数300人ほどの内)はいたのである。彼らの中には教師たちが少しテコ入れすれば日東駒専あたりにならば現役で軽く合格できる能力を持っている者も決して少なくなかった。中には頑張り次第で地方の国公立大学に合格することが夢ではない力の持ち主もいたはずである。

 しかし内陸部では受験指導を行う塾や予備校がほとんど存在しないためもあって業者模試の出来がイマイチ物足りない生徒がいる。そして困難校での授業は勉強嫌いや学習の苦手な大勢の生徒たちに合わせて大学入試とは無縁の授業が多く、もしも彼らが大学受験を希望するならば、受験勉強は通信教育か、独学によるしか学習手段は無い…これはかなりマイナーなケースではあるが、こうした場合、卒業を控えた学級担任としても苦渋の決断を迫られる。

 等高線人事のおかげでかつては教育困難校を数多く経験してきたベテラン教師が少なからず困難校に勤務していたこともあり、すくなくとも生徒指導と就職指導には手を抜けない…との認識は教員間で広く共有されていた。そのことが残念ながら数の少ない大学進学希望者への指導を二の次とする雰囲気をも作り出していたことはほぼ間違いなかろう。多くの教師も、生徒も、保護者も少数派の進学希望者への対応はほとんど意識の上にすらのぼっていなかったのが現実であった。

 とはいえ、3年の学級担任となれば三者面談などの際、大学進学希望を口にする生徒や保護者を前にすることは決して稀ではなかった。当時は総合型選抜が無かった時代であったため、大学進学となれば困難校では一般推薦か指定校推薦と相場が決まっていたが、困難校としての伝統が長い高校ではまずほとんどの大学から指定枠をもらえていない。また一般推薦で入学できそうな大学は地元のD~Fラン大学にほぼ限定されていた。つまりD~Fラン大学への受験を本人や保護者が渋る場合には一般受験を念頭に置いた受験指導が不可避となる。内陸部での困難校ではこうした悩ましいケースが各クラスに一人いても不思議ではなかったのだ。

 仮にその生徒が明らかに日東駒専レベルの力は持っているとしよう。家庭の経済力が無いわけではないし、奨学金の利用も考えられる。本人も保護者も心の底では日東駒専レベルの大学を狙いたいと思っている。ならば進路指導部の一員として、3学年の学級担任として本人の希望をかなえたい、と教師が考えるのは決して間違っていないはず。ところが大抵の場合、本人は塾や予備校に通えるような所に住んではおらず、通信教育も受けてはいない。はてさて、どうしたものか…

 通常、学力的に中位校以上の学校では進路指導部の働きかけで受験のための補習講座を一学期や夏休み中に設けているが、多くの困難校では面接指導を中心とした就職指導の補習しか行っていないし、実はそれだけでも手一杯である。ごく少数に過ぎない生徒相手の進学補習を組織的に実施するなぞ、そもそも現実的な話ではない。残るは一握りの教師によるボランティアとしての進学補習しかない…となればまずは率先垂範、進路指導部に属する自分が無理くり補習をやってみる他あるまい…

 困難校の教師なのに日本史のセンター試験の過去問を購入し、最近の入試動向を調べつつ、放課後や夏休み、補習を希望する生徒たちに暇を見つけては実戦的な課外授業を行う…かたや就職指導の担当者として求人票の整理、面接や履歴書の指導を行っているのだから、これはこれでかなりの難行苦行であった。

 実はこうした経験があったために、都市部の定時制高校に移った後も私は希望者がある限り、個人的な進学補習を続けていた。不登校が多く進学してくる午後部の定時制に属していたので生徒は多様さを極めていた。中には国立大やMARCHレベルに合格する生徒もおり、都市部であっても受験補習のやりがいはあったのである。

 

 以上、受験指導を巡る私の辿ってきた思考と実践の足跡をざっと整理してみた。私の場合、初任校と二校目の高校は中位の進学校であったため、初任時から毎年のように進学補習を行ってきていた。このため困難校への転勤後も受験補習自体にさほどの抵抗感が無かったのは幸いしたのだろう。

 しかし初任校が困難校であった場合、あるいは教師本人が推薦入試で大学に入学している場合にはたとえ自分のクラスの生徒が補習を希望していても快く補習を引き受ける教師は決して多くない。教師の中には受験指導は教師の仕事ではないと割り切って考えている人もかなりいる。確かに都市部の高校ならばそうして割り切ることも有り、なのかもしれないが、交通不便な内陸部の高校では心情的になかなか割り切れないものがあったのだ。

 とはいえ、素人の教師が付け焼刃で受験補習を無理くり行う必要性はもはやネット社会の進展によってかなり低下してきている。youtubeの動画でも受験に十分対応できるものが増えてきている。むしろ学校のこれ以上のブラック化を阻止するためには先々、高校教師に受験補習をさせない方向で管理職は考えていくべきだろう。

 ただし高校生への就職指導に関する有益な動画は管見ながら確認できていない。今更差し出がましいが、困難校の進路指導部としては今後、総合型選抜の指導と就職指導の充実を当面の課題として取り組んでいく方向で良いのではあるまいか。