その2.障がい者差別をめぐる話題(前編)

 

 以下、「障がい者」と個人的には表記していきますが、引用や番組のタイトルなどではそのまま「障害者」と表記している場合があることを予め、ご了承ください。

 

参考動画

泣いて勇気をくれる実話映画、チック症の障がい者が天敵の職業を目指す、人生を

    変える話|【映画紹介】|Front of the Class

    クロエ映画研究 2025/05/09 18:11

   実在する トゥレット症候群の教師の話。やや長いが、差別と向き合う姿勢に励まされるだろう。

【働く幸せ】難病でもバリスタに 分身ロボットカフェで働くALS患者の想い 

    日テレNEWS 2021/11/03  12:57

【不登校経てロボット研究者】分身ロボットOriHime /99%が失敗/月5000人が

    訪れる分身ロボットカフェ/小中学校で不登校/孤独を解消する/生きる理由【ド

    キュメンタリー 仕事図鑑(吉藤オリィ)】

    東洋経済オンライン 2024/12/15  15:47

 特別支援学校卒業後の障がい者の人生を考えていく際に、「孤独」の解消が大きなテーマになる、という点に注目したい。障がい者と社会との接点をどう創り出し、接点をどう維持していくか、吉藤氏の取り組みを参考にして考えていきたい。

【驚愕】ADHDの人間は世界をどのように感じているのか?

   VAIENCE バイエンス  2024/08/14  10:54

   近年、成人にも数多くその存在が確認されてきた発達障害の一種であるADHDに絞って解説されている。やや難しい箇所もあるが、脳の仕組みが分かりやすく、発達障害への差別偏見を解消していくためにもぜひ視聴させたい動画。

障がい者は「我慢せえよ!」名古屋城復元をめぐり“差別的発言”が波紋 河村市長

 出席で陳謝も|TBS NEWS DIG  2023/06/06  3:18

 不適切な言動でしばしば注目される河村市長による不祥事がまた一つ加わった。今回は市長自身の暴言ではないが、市民による暴言を制止できなかった主催者、とりわけ市長の責任は極めて重い。

【落合陽一】小学校高学年の17%は幻聴を聞いている!なぜタチ悪いキャラの幻聴

 が?脳性まひ、当事者研究の熊谷晋一郎が語る『解釈的不正義』、学校教育で顕著

 な『排除型と同化型差別』、孤立と自立の違いとは?

 NewsPicks /ニューズピックス  2023/05/28  16:23

 排除型の差別だけではなく同化型の差別があるという視点は極めて重要。

【落合陽一】自立しなさい!って何?脳性まひの小児科医、熊谷晋一郎「自立は依

 存の反対語ではない、むしろ依存先が多いこと」当事者研究の専門家が語る、自立

 の必要条件「選択肢がたくさんある事、支配されない事」

 NewsPicks /ニューズピックス  2023/05/18  17:23

 依存先が多いほうが自立に有利、という指摘も極めて重要だろう。熊谷氏の出演する二つの動画を視聴しておくと障がい者差別の問題をより多角的で深い視点から眺めることができるようになると思う。やや長めの視聴時間になるが、ぜひ、視聴していただきたいイチオシの動画。

依存の価値を再考する | 晋一郎 熊谷 | TEDxHitotsubashiU

 TEDx Talks  2023/03/23 18:00

[ハートネットTV] 不発弾で両目と両手を失って教師になる | NHK

 2021/04/16 NHK 5:00

 両目と両腕を失ってしまった教師が教壇に立っていられる事の背景に何があるのだろう?彼の存在は生徒たちにどんな影響を及ぼすだろう。

   ※参考記事 

  ◎吃音でも教師になりたい 「当事者だからこそ」学生の模擬授業

   毎日新聞 によるストーリー  2024.1.25

  生徒の多様性、個性を尊重するだけではなく、教師の個性や多様性を尊重した教師養成教育、教員

   採用の在り方も大いに模索されるべきだろう。

[ハートネットTV] 介助を通してさまざまなものを学び取り 自分自身を見つめなお

 す若者たち | NHK 2022.11.2 9:58

 障がい者への介助から学べる事とは何だろう?未熟な自分から逃げずに対峙し続けるとはどういうことだろう?障がい者の人生にまで寄り添う仕事に介助者のプライベートな側面はどう捉えるべきだろう?「恋するヘルパー」とは介助のどういう側面を表しているのだろう?様々な問いが思い浮かぶ。

「24時間テレビ」は障害者の「感動ポルノ」 NHKの裏番組「バリバラ」が話題

  [モーニングCROSS] 2016/09/29 CUT CROSS 3:42

【乙武が解説】24時間テレビの問題点とは!?

 2020/08/22 乙武洋匡の情熱教室 - Limitless OTO 9:23

・感動ポルノの危険性について(ウィキペディアより引用)

 感動ポルノ(かんどうポルノ、英語: Inspiration porn) とは、2012年に障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉である。意図を持った感動場面で感情を煽ることを「ポルノ」(ポルノグラフィ)という形で表現しているが、ポルノ自体は性的な興奮を掻き立てるものに使われる。ステラによれば、この言葉は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している。そこでは、障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされる。また、紹介されるのは常に身体障害者であり、精神障害者・発達障害者が登場することはほとんどない。

 日本においては、2016年8月28日にNHK Eテレが『バリバラ障害者情報バラエティー』「検証!『障害者×感動』の方程式」で感動ポルノを取り上げ、裏番組に当たる24時間テレビを批判した。

 英国BBCは1996年、障がい者の「困難に耐えて頑張る」姿ばかりが描写されがちなことに対する抗議運動を受けて「障害者を“勇敢なヒーロー”や“哀れむべき犠牲者”として描くことは侮辱につながる」というガイドラインを制定している。

 また、2020年の新型コロナウイルスにおける医療従事者への感謝として「コロナ(ウイルス)と戦う医療従事者の皆さまへお礼のメッセージ(拍手)を送りましょう」と自治体やタレントが音頭を取るケースもあり、「感動ポルノ」「全体主義的」だと批判されるケースもあるという。

 ただしコロナ禍における医療従事者へのお礼のメッセージに関しては強制で無いのなら、たとえ自治体やタレントが音頭をとったとしても「感動ポルノ」には該当しないし、まして「全体主義」と批判するのは的外れも甚だしいだろう。むしろ「感動ポルノ」という言葉が一人歩きしてしまうと、障がい者をありのままに評価する方向では使われず、偏見差別との戦いの先頭に立って活動している障がい者たちを攻撃し、傷つける言葉として安易に使われてしまう可能性の方が出てきてしまうのではあるまいか。

[バリバラ] 身長115cm 女性 マイホームで過ごすモーニングルーティーン |

  NHK 2021/12/09 3:25

[バリバラ] 1人暮らし車いす女子のモーニングルーティン | 

 NHK 2021/04/22 4:47

[バリバラ] 1人暮らし 全盲女性のモーニングルーティン | 

 NHK 2021/06/17 4:29

視覚障害者の暮らし--空間認識編【フリー・ザ・チルドレン・ジャパン】

 2017/05/02

 どのようにして視覚障がい者は外界を認識しているのか?白杖の役割と放置自転車の怖さが分かる。

 他にも「しょうこチャンネル」(頸椎損傷による車椅子生活からの精神的立ち直りと周囲の支え・・・)「寺田家TV.サイボーグパパ」(小児麻痺による車椅子生活から「ハル」を用いた機能回復への途、障がい者の結婚と子育て・・・)など、何人かの障がい者がユーチューブなどで発信しているので是非、ご覧下さい。

 

登美丘高校ダンス部×『グレイテスト・ショーマン』|This Is Me~これが私~

 Warnar Music Japan 2018/01/17 2:53

 歌詞の日本語訳が分かりやすい。これは「感動ポルノ」なのだろうか?できれば映画そのものを視聴させたいが…時間的には無理か。

 ※参考資料:カッパが授業用の資料として作成したものを以下に掲載 (ネタバレあり!

 ・ミュージカル映画「The Greatest Showman」の概要

  本作はアメリカで2017年の暮れに公開され、日本では翌春に公開されたミュージカル映画である。

 音楽スタッフは「ラ・ラ・ランド」と同じであり、作詞、楽曲面でも優れた作品となっている。ユー

 チューブ上ではあの大阪府立登美丘高校ダンス部がハリウッドと提携して「This is me」

 を踊っているシーンが話題を集めた。日本人の場合、ミュージカルが苦手でセリフのわざとらしさや

 大げさな動作にややひいてしまう人も多いに違いない。しかし本作は若干そうしたミュージカルにあ

 りがちな要素を残しつつも、その物語性、メッセージ性には注目すべきものがあると感じた。

  本作のあらすじを紹介しよう。時代は19世紀半ばのアメリカで主人公はP.T.バーナムという実

 在の人物。不幸な生い立ちの彼は才能豊かな野心家であり、金持ちの令嬢と結婚したまでは順調だっ

 たが、勤務先の会社がたちまち倒産してしまう。やがてかれは興行の世界に飛び込み、挑戦と失敗を

 繰り返していく。彼は隠れるように生きてきた個性的な人々をいわゆる「見世物」としてサーカスの

 一員に迎え入れ、スポットライトをあてていく。「奇形」であることをショービジネスとして人々の

 「好奇の目」に敢えてさらけ出していく事によって彼らを孤独と闇の世界からスポットライトのあた

 るステージに導く。そして一人前の稼ぎ手としてのプライドも回復させていく。19世紀、まだまだ差

 別や偏見が露骨にはびこっている時代のことである。「見世物」として彼らを好奇の目にさらすこと

 に異議をとなえる立場もあろうが、それは人権意識の高まった21世紀の感覚であることに留意すべき

 だろう。

  「This is me」の日本語訳「ありのままの私で良い、人と違うから良い、誰に見られて

 も怖くない、私には愛される価値がある…」。基本的には「勇気を持って新しい世界にチャレンジし

 よう」という冒険精神と「どんな人にも輝かしい舞台、居場所がある」という積極果敢なメッセージ

 がこれらの曲に込められているようだ。冷たい視線を避けるようにしてずっとひきこもってきた、身

 体的に個性の強い人々がステージの上で堂々とその存在を誇示し、輝きだす。確かに「This i

 s the greatest show」なのである。

  アグレッシブで個性と自己主張を重んじる欧米らしい価値観がよく反映された歌詞とストーリーで

 あろう。ただこの映画の内容からは、引きこもりがちな人に限って心の底では皆に注目されたいとい

 う秘かな願望を抱いていることが察せられて心が痛む。長い抑うつ状態とひきこもりの中で繰り返し

 夢想してきた、人々の前で燦然と輝いている自分…深く傷ついてしまった自分のプライドを一気に取

 り戻したいという一種の「焦り」をその願望の裏側に嗅ぎ取ってしまうからに違いない。

  マインドフルネスの立場ではおそらくこの映画のアグレッシブな側面を警戒することになろう。勇

 気ある闘う姿勢は一つ間違えば「問題を濁らせてしまい、かえって問題をこじらせてしまいかねな

 い」と捉えるのではなかろうか。劣等感の裏返しが優越感であるとしたら、競争に勝つ事で優越感に

 浸る…といった危険な方向性を内在させてしまう恐れもあろう。

  肝心な点は劣等感を取り除く事ではあるまい。劣等感にも存在価値がある。適度な劣等感は努力や

 成長をもたらす原動力となろう。ただ余りにも強過ぎる劣等感が引きこもりや抑うつ状態といった

 様々な問題をひきおこしている。彼らに共通する強過ぎる自己卑下、自己嫌悪が抑うつ状態の一因で

 あることは間違いない。そしてその反動として一気に名誉挽回をはかろうとする「野望」もまた大き

 な危険をはらむのである。

  一気にプライドを取り戻そうとして勝ち目の無い勝負に出てしまい、かえってプライドを傷つけて

 しまうことこそ、最悪の展開。確かに成功すればドラマチックではあるがどうみても、危険な賭けを

 打てる状況ではあるまい。ドラマチックな逆転劇を夢想してしまうほどに引きこもりがちな人のプラ

 イドはズタズタに傷ついている…だからこそなおさら一歩一歩、着実に前進できる手立てをうつこと

 が抑うつ状態に陥っている人にとっては必要なものとなる。

  劣等感を招く一方で周囲を見下す…卑屈と傲慢さを同居させる事で人間関係をギクシャクさせてし

 まう厄介なプライドを刺激してしまう。そうした点でこの映画には一抹の不安を感じてしまうのであ

 るが、いかがであろう?

  実際、「This is me」はプライドに軸足を置いた歌。だから戦闘的な要素も秘めた、自

 己主張の強さを感じる。踊りも挑みかかるような逞しさを覚える振付。しかしプライドに軸足を置い

 た生き方は一歩間違えるとストレスフルな状況を招き寄せるかもしれない。プライドにこだわる生き

 方は人を勝ち負けに執着させ、勝ち続けることで名声におぼれてしまう、そんな生き方につながりか

 ねないのでは?

  主人公バーナムが歌手と浮気するなかではまりかけた上流階級へ上りつめようとする野心的チャレ

 ンジはおおいにプライドをくすぐる生き方に違いない。しかしそれはやがて勝者としての優越感に浸

 り、敗者を見下ろす傲慢さをも生みださないか?ひきこもってきた人々に活躍の場とあたたかい居場

 所を与えていたサーカスを下品な「見世物」としてさげすんでしまう事にならないか?逆にプライド

 を高めるための競争に負ければ人は卑屈な思いに屈してしまわないのか。とすれば確かにこの映画の

 終わりは「From now on」でなければならなかった。主人公はもう一度家族の元へ、サー

 カス団の元へ帰っていくことになる。断固として今すぐ…

 

「注文に時間がかかるカフェ」スタッフ全員が話し言葉が滑らかに出ない"吃音症"

  神戸のカフェで人生の大きな一歩を踏み出した大学生に密着【報道ランナー「特

 集」】 関西テレビNEWS  2022/10/24 14:02

“悪魔の病気”トゥレット症と闘う若者…食事は?就職活動は?「普通に生きるのに

 困ります」 CBCドキュメンタリー  2022/11/09 14:00

参考記事

盲目の人が手術で視力を回復、自ら命を絶った悲しい理由

 ダイヤモンド・オンライン 原井宏明,松浦文香 によるストーリー  2024.5

 まさに盲点をついた指摘である。

目の見えない研究者と耳の聞こえない研究者が、多様な人たちが理解し合うための

   コミュニケーションを語る。書籍『「よく見る人」と「よく聴く人」』。 

   こここ編集部 によるストーリー  2023.12.15

900万人が驚いたたいせつな疑似体験 日本の子が「視覚障害者・聴覚障害者・高

 齢者」を知る意味とは コクリコ編集部 の意見 2023.8.5

日本でも24万人超が体験! 子どもと親の真っ暗闇体験で起きた想定外の「5つ

 の変化」コクリコ編集部 の意見 2023.8.6

 …何一つ見えない暗闇の中では、普段よりも匂いに敏感になり、人の声に集中できました。見えないことによって他の感覚が開いていく気がしました。…

 …彼ら視覚障害者は、暗闇の中で迷っている人と、冒険している人を区別できるそうです。迷い人と冒険者は、足の運び、白杖の付き方、衣擦れの音、呼吸が違う。不安な人と楽しんでいる人は呼吸の仕方まで違うことを彼らは知っているんです。だからこそ、見えない中でも遠くで迷っている人を容易に見つけることができた。「なんという能力だろう!」と心底、驚きました。この驚きや感動は、文字で読んだり伝聞だけではわかりません。実体験して初めて得られます。

…見えない、聞こえない、歳をとる。一見、いずれもとてもネガティブな体験だと思われがちですが、当事者が出てきて、案内し、アンコンシャスバイアス(無意識でのものの見方やとらえ方のゆがみや偏り)を、出会いと対話で溶かしていきます。

 こうした体験を通じて子供たちは以下のように変化していくという。

1.街で障害者が視界に入るようになった

2.シルバーシートに座っていた子どもが席を譲るようになった

3.子どもの知らない一面を見ることができた

4.自分は必要とされていると実感できるようになった

5.(以上の変化を子供に感じた親は)子どもへの向き合い方が変わった

 「見えない」「聞こえない」ことの体験こそが障がい者への理解を深めていく第一歩なのかもしれない。授業では導入としてアイマスクを用いた簡単な体験をさせてみると良いだろう。

耳が聞こえない人々の戦争体験 「今ではあり得ないことが当然に」

 毎日新聞 によるストーリー 2023.8.2

 戦時中におけるろうあ者への差別とろうあ者ならではの恐怖体験はぜひ知っておくべきだろう。

「人間扱いしていない」植松死刑囚と同じ体質だった、もう一つのやまゆり園<47

 リポーターズ> 東京新聞 2022年9月20日

知的障害者施設「中井やまゆり園」で“虐待行為” 園長を懲戒処分、職員7人と幹部

 職員ら15人も注意 日テレNEWS によるストーリー 2023.5.25

 保育所、障がい者施設、精神病院などでの不適切な対応、虐待が頻発している背景に何があるのか、また職員への注意という処分が妥当なのか、これは刑事事件ではないのか等々、ぜひ授業で考えさせたい。

“障害”ってそもそも何だろう? 困難の原因を「社会モデル」から考える——バリア

 フリー研究者・星加良司さん こここ編集部 2022.12.14

 「傷害」を「個人モデル」から「社会モデル」に転換する試みは極めて重要な視点を提供してくれるだろう。「障害者の村」という寓話は視点を「社会モデル」に転換させる上でかなり役立つに違いない。

障害者がつくるVRアート「仮想空間では自由になれる」と神足裕司さんも夢中

  日刊SPA! 2022/08/06 08:52

知的障害者が7割の企業 健常者の27歳社員が得た気づき「スタートの位置が人によ

 って違うだけ」 AERAdot.2022/10/30 09:00

「障がい者を笑うな」の一声で衰退した”こびとプロレス”。現役レスラーが問う、 

 なんとなくの善意 集英社オンライン 2022/10/30 18:01

 これも「感動ポルノ」と同様、健常者が障がい者に抱きやすい気持ちの落とし穴にハッとさせられる記事。障がい者問題を深く考えさせていくには役立つ内容。

追悼 さらば「障碍者芸人」ホーキング青山の破天荒一代

   アサ芸プラス によるストーリー 2024.2.25

「顔の変形」に悩む人々が〝脱マスク社会〟に抱く不安 「見られない気楽さを手放

 したくない」安心感が一転 withnews の意見 2023.5.1

 この問題、実は自己肯定感が低くなってしまった不登校やうつ傾向の生徒たちにも

共通する。私の勤務していた三部制の定時制高校午後部では特に不登校の生徒が多かったが、コロナ禍が始まる数年前からすでに三分の一近くの生徒がマスクを常用していたのを思い出す。

アベマブログ「見世物小屋と中村久子」

   小川里菜のあの事件を追いかけて 2024.1.25

 内容が素晴らしく、読み応えのあるブログでイチオシ。障害を売りにする行為とそれを好奇の目で見る観客とは確かに偏見を煽るような点である種の共犯関係にあるが、かつての「見世物小屋」にあった世界の存在意義自体を丸ごと単純には否定できない。障害を人々の前で敢えて晒す行為が「好奇の眼差し」を「感嘆の眼差し」に変えることもありうるのだ。その意義と可能性を踏まえた上で現代において障碍者の自己主張、自己表現欲求をどう引き出していくのか、様々なアプローチを模索する上でも大いに参考となる記事だろう。

 

・科学技術の進歩と障がい者

ヒュー・ハー: 走り、登り、踊ることを可能にする新たなバイオニクス義肢

 TED 2014・・・「障がいを無くしていくサイボーグの時代へ」

ヒュー・ハー:21世紀末、人は羽を持ち、空を飛翔する

 TED 2018・・・「いよいよサイボーグの時代へ」

 ・・・義肢が自分の体と一体化し始めた! 感覚を伝える義肢の登場

【転換期】「義足選手が健常選手に陸上100mで勝つ」パラリンピックをどう楽し

 む?道具の進化で好記録も?オリパラ合体論も?為末大と考える|#アベプラ《ア

 ベマで放送中》 2022/03/08 ABEMAニュース【公式】 13:18

【暴論?】パラリンピックをなくしたい【炎上覚悟】

 2021/08/22 乙武洋匡の情熱教室 - Limitless OTO 7:11

 ぜひ討論のテーマとして扱いたい。パラリンピックの意義は何?上の「義足選手

が…」と併せて視聴させると議論が深まるかもしれない。

 ヘレン・ケラーは「人にとって最も大切なことは目に見えず、耳には聞こえない。それは心で感じるしかない」と言っている。つまり健常者の中には目が見えるために肝心なことが見えなくなってしまう人がいる。耳が聞こえるために肝心なことを聞き逃してしまう人がいる。なまじ、見聞きできるためにかえって人は大切な事を見失い、大切なメッセージを聞き逃してしまうこともあるのだ。だからこそ健常者は目の見えない人が「見ている世界」を見ようとしてみるべきであり、耳の聞こえない人が聞いているメッセージに耳を傾けてみるべきである。

 確かに障がい者問題を考えるときにはこうした視点を忘れてはなるまい。しかしその一方で特定の障がいが人々に大きなハンディ、不便をもたらしていることも紛れもない事実である。MITのヒュー・ハーは自らの障がいを乗り越えるべく、「障がい」の除去と身体能力の回復、欠損した両脚の感覚を取り戻す技術の開発に取り組んできた。そしてついにサイボーグ化への一歩を踏み出している。感覚を持つ義肢の登場である。

 これらの技術は「人にとって最も大切なこと」=「愛」に基づいて開発されてきたとしても戦争などに悪用されかねない危険性を秘めている。たとえ善意に基づいて開発された技術でもたちまち悪用される危険性がある事は過去を振り返れば納得できよう。もちろん、その逆もある。悪意に満ちた技術が善意のために利用される側面はあるに違いない(原子爆弾の開発⇒原子力の平和利用)。

 問題はその技術を国や社会がどのように活用するのか、活用主体の目的と活用方法(善意に基づいた活用でも大事故による悲劇は生じうる=福島原発)にある。特に私たちが注意すべきはそれらの高度な技術に関わる情報が常に分かりやすく国民に提供されているのかどうか、という点。

 政府はこうした大きな社会的影響が生じかねない技術に関わる点を出来る限り情報公開し、国民の知る権利の保障に努めるべきである。つまり国家は国民に分かりやすく知らせる義務があるのである。

 もちろん軍事的には「国家機密保護法」の制定も必要だが、「事故隠し」を続けて原発の事故報告を怠ってきた歴代政府の責任は重い。まずは情報公開と情報の保管(国立公文書館)の充実が「国家機密保護法」に先行すべき取組であったはずである。桜を見る会、モリかけ問題等、政府にとって都合の悪い事は情報公開を拒否し、証拠隠滅を図ってきた日本政治の過去は問題の多いアメリカと比べても極めて不透明で罪深いものがある。

 科学技術はめまぐるしいスピードで進化を遂げている。しかし日本の政治の在り方は古くから東アジアの為政者における伝統的統治姿勢である「知らしめず、依らしむべし」という古色蒼然たる、非民主主義的な観念のままである。このままでは今後もずっと民主主義は日本にきちんとした形で根付くわけがない。科学技術の発達に遅れをとりつつある日本政治の民主主義的な方向へのアップデートこそ、日本政治の喫緊のテーマと言えるのではあるまいか。

 

・劇団態変とは:障がい者問題を深掘りしてみよう

劇団態変 第69回公演「箱庭弁当」向井望

 2019/06/16 劇団態変 1:31

 態変は主宰者の金滿里(1953~)により1983年に大阪を拠点に創設され、身体障がい者にしか演じられない身体表現を追究するパフォーマンスグループである。

 以下、態変の活動を説明したウィキペディア掲載の文章を一部、紹介する。

 「身体障害者の障害じたいを表現力に転じ未踏の美を創り出すことができる」という金の着想に基づき、一貫して作・演出・芸術監督を金が担い、自身もパフォーマーとして出演する。金自身ポリオの重度身体障害者である。

 海外での招聘公演も数多く、特に欧州では「これまでのダンスの枠組みを大きく捉え返す必要のある表現に出会った」などの評価を受け、その斬新で先鋭的な芸術性へ触れる機会を求められている。


 その方法は、身体障害者がその姿態と障害の動きとをありのままに晒すレオタードを基本ユニホームに、障害それじたいを表現力に転化して人の心を撃つ舞台表現を創り出す、それが劇団態変の表現である。


 身体こそが身近にある小宇宙、として捉えるとき、不安定にも見える態変のパフォーマーの身体こそが、一瞬たりとも同じではない宇宙への感応の表現としてある。態変が表現する、ことは、生命丸ごとを投げ出すということに近く、生きる本能に目覚める身体性である。それは命の形、であり魂の表現なのだ。

 それは、従来ダンスに求められてきた再現性とは異なる、再現不可能な一期一会として用意される表現でなければならない。その舞台を通して観客も、自身の日常を越えいつしか非日常のパフォーマー態変の身体を共に生き、自身の身体を開放させ命に触れるのである。

 創立時よりの習わしで「劇団」と名乗ってはいるが、敢えて言えば physical theatre に該当するスタイルで、これまで30年かけて表現として見つめてきた動きは『ダンス』でもなく、『舞踏』でもない、どこにもなかった『態変』の身体表現である・・・

 

 最初に視聴したときに引いてしまう生徒が出てしまうかもしれないが、「グレイテスト・ショーマン」と同様に、障がい者の活躍の場としてこういう舞台が存在すること自体には間違いなく、大きな意義があるだろう。

 ※参考記事

  選択の果てで見つけた表現の道 障害者のパフォーマンス集団「態変」主宰、金滿里さん あの日か

   ら 産経新聞 2025.1.4

  〇「障害とは何かを掘り下げると芸術につながる」 金満里さん

   身体障害者の劇団「態変」を主宰  2014/11/23 朝・夕刊の「W」

 ※参考動画

  ○【あそどっく】障害も”笑い”に! 寝たきり芸人の生きる道 『Nドキュポケット』

   NNNセレクション 2022/04/29 日テレNEWS 4:40

 

 

 

その1.沖縄における観光業

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

【沖縄×ビジネスの未来】沖縄経済の光と闇/インバウンド需要と観光閑散期/Tリ

     ーグ王者が仕掛けるビジネスイベント/冬の沖縄に集うトップ経営者/観光単価を

    上げ/アスティーダ(明日の太陽)で照らせ

    PIVOT 公式チャンネル 2025/09/03  30:37

    沖縄の将来性に注目。

入札不調 どうなるMICE計画(沖縄テレビ)2024/9/25

 OTV沖縄テレビ 2024/09/26 6:13

 観光地としてイマイチの状況にある沖縄本島東海岸の振興を進める上でカギを握るのが西原、与那原地区におけるMICE計画。しかし現状ではそこに進出する企業が一つもない。この深刻な結果をどう分析し、打開の道をどう探るのか…検討すべきポイントは多い。ぜひ、授業で議題に挙げて討論に持ち込みたい。 

 大きなポイントとなるのはおそらく那覇からのアクセスの改善であろう。環境に配慮した移動手段、すなわちモノレールの延伸をふくめた鉄道の敷設が計画されない限り、同地区への企業の進出はほとんど望めないと考えるが、いかがか。

 ヤンバルでは森岡氏が進めているジャングリア構想があり、この成功のためにもいずれは那覇からのアクセスの改善が必須となってくるだろう。那覇から名護までの鉄道敷設は遅かれ早かれ、沖縄全体の振興にとって欠かせない施策となるはずだ。そしてこの路線の敷設は米軍基地の返還と切り離して実現できるものではなく、二つが同時に実現することこそ沖縄県民の最も熱望するところであると考える。

 もちろん沖縄の経済的発展は中国による台湾進攻や尖閣諸島への進出を防止する上でもマストの課題となろう。特に観光業の発展は沖縄経済の発展において最も重要な柱であり、欧米からの観光客の増加は沖縄の基地問題、尖閣諸島の領有問題を世界に知らしめる上で少なからず役立つ。沖縄における交通網の整備、米軍基地の縮小・削減がもたらすプラスの効果は計り知れないはずである。

「東京・京都大阪」の次へ動き始めたインバウンド… 沖縄が一気に前年の5倍に…

   「欧・米・豪」から見た沖縄旅行の魅力とは

   【琉球放送】RBC NEWS  2024/10/07 5:33

何を求めて沖縄へ? 増加する欧州からの観光客

   OTV沖縄テレビ 2024/07/26 7:46

   沖縄にヨーロッパからの観光客が増えている点は非常に喜ばしい現象だが、彼らが求めている長期滞在型の観光に耐えうる異文化体験、自然体験への対応がまだまだ不十分かもしれない。外国人を意識した、もう少し本格的な内容の焼物、組踊、三線、空手、染色、ダイビング、トレッキングなどの体験コーナーをさらに充実していく事が求められているだろう。

【2030年に外国人観光客は2倍】オーバーツーリズム問題の対策/外国人にとって

   わかりにくすぎる日本の暗黙のルール/外国人観光客の「価格」は変えるべき?

  【KUROFUNE】 PIVOT 公式チャンネル 2024/07/20  32:13

 観光公害の問題にどう対処すれば良いのか、大いに参考となるだろう。

【日本の定食⇒米国なら5000円】値下げを美徳とするな/チップを払いたい外国

 人/観光客価格と日本人価格を分けるべきか/外国人観光客との摩擦/人口の1割が外

 国人になる【KUROFUNE】 PIVOT 公式チャンネル 2024/07/27  37:58

 確かに日本の観光業の場合には高品質・低価格路線から高品質・高価格路線に舵を切る必要があるだろう。特に外国人向けの観光としては長期滞在型を念頭に置いたツアーの開発が急がれる。たとえば複数の霊山巡りや長距離のサイクリング体験、地方の銘酒案内、スキーとダイビングを抱き合わせての日本列島南北ツアーの提案などが考えられよう。

 外国人観光客がとりわけ日本の高品質で高価格なツアーの出現に期待している円安の今こそ、すっかりブラック化してしまった日本の観光業の体質改善を一気に図る絶好のチャンスである。特定の観光地に外国人が集中しがちな傾向も、日本在住の外国人ユーチューバーを積極的に活用して、穴場的な地方での観光地キャンペーンを海外向けにドシドシ発信することで少しは観光客を分散できるだろう。

 観光業を日本経済発展の要の一つとして捉え、観光客受け入れのキャパシティ拡大を推し進める戦略が求められている。生徒たちにも、どんなコース設定をすればより多くの外国人の興味をひけるのか、価格設定プランとともに提案させてみたい。

【解説】日本"観光世界1位" 交通インフラなど評価 課題は"デジタル化"の遅

   れ?『知りたいッ!』 日テレNEWS  2022/05/25  9:48 

   日本全体の観光のポイントについては非常によく整理されている。まずはここから理解しておきたい。

 復活インバウンド モノ消費⇒コト消費へ 日本の文化・伝統で観光産業への商機

 は…【Bizスクエア】TBS NEWS DIG Powered by JNN  2023/10/28  12:09 

 体験を観光の目玉とすることは観光客の一点集中を避けて分散を図り、オーバーツーリズム、観光公害の解消につながる可能性を秘めているだろう、さらに長期滞在型を増やして観光業の利益率を向上させ、観光業従事者の生活改善にも役立つ可能性はあるだろう。

 特に目立った観光資源が存在しない地方でも外国人に何らかの日本の伝統文化、食文化の体験を提供できるはずである。成田氏が指摘する日本文化が持つ「発酵と珍味」を生かした工夫は日本のどの地域においても可能なはず。地方の少子高齢化や荒廃を防ぐうえでも海外に向けての発信力が問われているに違いない。

参考記事

最も貯蓄・年収の多い都道府県は? 平均貯蓄・年間収入ランキング

    NewSphere 2024.1.5~7.22

「家計調査」(2023年データ)によると「1位東京と47位の沖縄とでは、貯蓄額に1757万円の差がある。東京の平均貯蓄額は、沖縄(963万円)の2.82倍に相当する計算だ。なお、全国の世帯あたりの平均貯蓄額は1904万円で、前年(2022年)比で0.2%の増加となっている。増加傾向は5年連続だ。中央値は平均値よりもかなり低く、1107万円となっている。一部の富裕層が平均値を押し上げている実態を物語る。」という。中央値の動きは中流階層の没落傾向が続いていることを示しているだろう。

    また最下位の沖縄とトップの東京都との格差が3倍近くもあることに注目したい。東京都での平均年収が816万円に対し、沖縄は545万円で42位。沖縄の順位は最下位の青森と比べて物価が高いことに起因しそうだ。中央世帯の経済的豊かさのランキングは沖縄が46位であり、やはり貧困問題の解消には程遠い現状があると見て間違いあるまい。なお通勤による損失を考慮すると東京都の豊かさは最下位レベルに転落してしまい、東京都民が皆、必ずしも豊かさを享受できているわけではない。

「インバウン丼」食べない人にも批判された深い訳 テーマパーク化するニッポンに、

   どう向き合うか 東洋経済オンライン 谷頭 和希 2024.12.12

 インバウンド丼の話など興味深いエピソードが多く、日本の今後の観光業のあり方を考える上で大いに参考となるだろう。次の記事とともに参考資料としてぜひ授業で紹介したい。

「高くなったディズニー」に抱く"寂しさ"の正体 テーマパーク化していく狂った街の

   生き抜き方 東洋経済オンライン 谷頭 和希  2024.12.11

   ここでいうところの外国人富裕層に観光のターゲットを絞った「ニセコ化」は沖縄にもある程度まで必要とされるだろうが、それが地元民の排除につながらぬような工夫が必要となってくるだろう。沖縄の若者の就職先として貢献しようとするジャンガリアもまたニセコ化の弊害を想定した、利用者側へのもう一工夫が出てくると、さらに沖縄全体にとって素晴らしいアミューズメント施設となるに違いない。

沖縄が誇る泡盛がユネスコ無形文化遺産へ「戦火をまぬがれた黒麹」「西のスコッ

   チか東の泡盛か」先人の情熱が結実   FNNプライムオンライン  2024.12.4

【星野リゾート代表に聞く】観光地の混みすぎ&高すぎ問題...解決のカギは『休み

 の分散』と『自然観光』!本当は教えたくない...「オススメ旅先」とは?

 毎日放送 の意見 2024.10.6

 よくポイントが整理されていて資料としての利用価値は高い。

「安いニッポン」インバウンドはいいが…貧しい国、人権も尊重しない国に外国人

   は住みたいか AERA dot. 小塚かおる によるストーリー 2023.10.24

 沖縄に限らず、日本の観光業と労働環境、移民問題を同時に俯瞰して検討するにはかなり役立つ記事であろう。まとめとして使えるが、見通しを立てやすくするために冒頭で紹介する手もありうる。まずはこの記事で日本全体の問題をある程度、掴んでおいて、さらに沖縄特有の問題に目を向けていくという展開はいかがか。

「日本に来ないで」 ネットにあふれる外国人観光客への罵倒! 観光立国なんて実

 はタテマエ? 「外国人嫌悪」という現代病から考える

 Merkmal 昼間たかし(ルポライター) の意見 2024.7.7

 観光公害や日本人の「ゼノフォビア」(外国人嫌悪)の問題にどう向き合うのか、対応が迫られているだろう。森岡氏の構想はこれらの問題をどう解消していくのか、という課題の克服無しでは前進できない。ただし元来が国際色豊かな沖縄のことである。おそらく沖縄の場合、「ゼノフォビア」の問題は内地ほど深刻ではあるまい。

過去10年で外国人が倍以上増えた自治体は280 10倍超も

   毎日新聞 によるストーリー 2023.10.24

 上の資料と併せて紹介したい。観光業の目覚しい発展で注目される北海道の現状はいずれ沖縄でも表面化してくるであろう。また欧米の富裕層が安心して晩年を過ごせる高級なリゾート地としての長期滞在型高齢者向け施設の建設も今後は積極的に取り組む必要があるかもしれない。移民問題は差別問題の箇所でも詳しく触れるが、観光業発展を図る上でも避けられないテーマである。

「島民の平均年収は1100万円」高額納税者たちが瀬戸内海の離島に続々と移

   住してくるワケ 日刊SPA! の意見 2023.10.24

   周防大島での取り組みは同じくハワイへの移民が多かった沖縄にとっても大いに参考となるだろう。

質は高いのに生産性が低すぎる日本のサービス業、コロナ明けの賃上げにつなげる

   には? 弁護士ドットコムニュース によるストーリー 2023.5.14

日本の「観光GDP」実は、欧米水準の半分程度 求められる「より稼げる産業」へ

   の変革 まいどなニュース の意見 2024.5.31

   日本の観光業の最大のウィークポイントは生産性の低さにある。どうしたら観光業の生産性を上げていけるのか、沖縄を例にしてその方策を考えさせたい。

 

 コロナ禍が始まる前までは沖縄を訪れる国内観光客数は修学旅行を含めてやや頭打ちの感があった。しかし近年は中国、台湾を中心に外国人観光客数が急増しており、全体的に見れば沖縄の観光業は順調に発展してきたと言って良いだろう。実際、ビーチには豪華な観光ホテルが乱立してきていたし、かつて修学旅行の生徒達にはあまり「美味しい」という評判を聞かなかった沖縄料理も今は見違えるほどの進化を遂げている。ハイセンスな喫茶や国際色豊かな飲食店はむしろどこよりも集客力が高く、沖縄観光の目玉とすら言えるだろう。

   ただ残念なのは沖縄を訪れるヨーロッパ人の少なさ。日本好きの多い彼らの平均的滞日期間はかなり長いのに沖縄があまり選ばれていないのはなぜだろう。これはぜひ考えさせたいテーマの一つ。ヨーロッパ人観光客の増大は今後の沖縄観光業の発展に向けて大きな課題となるであろう。

・沖縄への観光客数の推移

 1972年(沖縄、本土復帰)56万人

 ⇒2018年958万人で約17倍に急増

 特に外国人観光客はここ10年間で15倍に急増

Q.「どこの国から数多く来ている?トップ4を挙げてみよう。」

 ※2012年以降、中国人(香港を含む)観光客が激増し各地で「爆買い」。沖縄にも多数来訪。中国、

  台湾、韓国、米国の順

 中国など東アジアの多くの観光客は「沖縄」という特別感がなく、日本に行くのにたまたま一番近い場所だったという感覚で訪れる傾向がある。日本らしい商品(四宝など)や食べ物(タラバガニやメロン、神戸牛など)を求めてくるのに、そこにあるのが沖縄県産の商品ばかりでは、せっかくの購買機会を逃してしまうかもしれない。香港や中国から富裕層がきても、沖縄で欲しいものがなく帰ってしまうのは大変な機会損失となり、そのお金持ちの方は決してリピートはしてくれない。

.「かつて爆買いの定番商品であり、中国人観光客の間で「四宝」と呼ばれていたの

 は何?

 「炊飯器」「魔法瓶」「温水洗浄便座」「セラミック包丁」。その他、紙オムツや

 生理用品、医薬品、化粧品も人気だった。

 

 2019年の統計では観光客のリピーターの多い台湾が36%近くを占め、沖縄観光業界における台湾の重要性が改めて確認できる。また中国と香港を合わせると37%になり、台湾と肩を並べる存在になる。尖閣諸島の領有を巡って台湾や中国との対立が生じているものの、沖縄の経済にとっては両国との友好関係構築こそ死活問題である。ただでさえコロナ禍で大きな打撃を受けている沖縄観光業界にとって、中国が香港や台湾を政治的、軍事的に圧迫している今の状況は悩ましい限りであろう。

 

・観光業の沖縄経済に占める地位

 コロナ禍が始まる直前、沖縄の観光収入は年間約7000億円、それによる経済波及効果は約1兆1700億円。沖縄の県民総生産は約4兆3000億円だったので、今や沖縄経済の3割近くが観光業に依存していると考えられる。雇用に関しても県民の4人に1人の割合で観光関連に携わっている。

Q.「外国人観光客が多数訪れる都道府県トップ5は?」

 観光業の依存度は北海道のそれの2.4倍、雇用依存度は2.9倍にものぼる。インバウンド依存度(観光客に占める海外客の割合)も全国で5番目の高さ(京都、大阪、東京、北海道、沖縄・・・)である。

Q.「観光業の発展によって沖縄の貧困問題は改善してきたのか?」

観光公害」の側面も

 沖縄には鉄道がモノレール=「ゆいレール」(走行距離17㎞ほど)しかないので多くの観光客はバス、タクシー、レンタカーなどを用いる。もちろん沖縄県民も移動手段としてバスやタクシー、自動車に頼るので道路はいつも渋滞してしまう。道路の慢性的渋滞は人々の移動に支障が出るだけではなく、物資の輸送にも大きな障害となり、沖縄全体の経済発展の妨げにつながるかなりゆゆしき問題。⇒貧困問題の一因

Q.「なぜ沖縄本島には現在、長距離の鉄道がないのだろう?」

 ⇒基地問題(自衛隊基地と米軍基地)

※戦前は軽便鉄道が沖縄県営の路線として存在し、那覇と糸満、与那原、嘉手納を結ぶ三路線があり、

 総延長は47.8㎞ほどあったが、敗戦後、米軍によって完全に破壊された。

・沖縄の自衛隊基地:2018年段階で離島中心に50施設(1972年3施設)、面積で728

 haほど(1972年の4.4倍近く)。自衛隊員の数は7700人ほど。

・米軍基地:2018年段階で本島中心に33施設(1972年87施設)、面積18708ha余

 り(1972年28660ha余り)。軍人軍属家族数は2012年以降非公表で2012年の推

 計が47300人(1972年42229人)。面積3割減、人員微増。

LRTの導入に向けてパブリックコメント受付開始 (24/05/02 19:20)

 OTV沖縄テレビ 1:16

【鉄道復権?】沖縄の鉄道の歴史を振り返り、未来の鉄道建設構想を考察

 鐵坊主  2021/08/10 8:45

車社会の沖縄 求められる鉄軌道とは?(沖縄テレビ)2022/4/4

 2022/04/05 OTV沖縄テレビ 6:18

 那覇周辺の道は渋滞が慢性化し、その改善が早くから求められていた。しかし米軍基地の存在と市街地化の進展によって鉄道の敷設はこれまでも困難を極めてきた。しかしより一層の観光業発展を期する上でも鉄道敷設はマストの課題であり、一刻も早い敷設計画の実現が待たれる。

「台湾地震沖縄県への影響」津波警報発令で県民が高台に避難した~

 街歩きokinawa  2024/04/10 8:05

「沖縄移住に失敗する人」に決定的に足りない視点 沖縄に進出したが、なじめず帰っ

   てしまうことも 東洋経済オンライン 伊波 貢 の意見 2024.9.5

「10秒前に津波警報」沖縄へ着陸直後に…“機内騒然 車大渋滞高台に避難者多

   数【スーパーJチャンネル】ANNnewsCH  2024/04/03 7:39

 琉球大学の地震研究室によると沖縄は1771年に南西諸島南部の先島諸島で発生した明和の大津波(八重山地震津波)では大きな被害を受けている。石垣島南東岸から東岸では最大遡上高が30mに達し、多良間島から宮古島南部海岸にかけても遡上高は10m以上に達したという。津波による死者は全体で約12000人にも達し、宮古・八重山諸島に多大な被害を与えた津波災害が江戸時代にあったのである。

   1960年にはチリ沖の大地震による数メートルの高さの津波に沖縄の東側沿岸が襲われ、大きな被害が生じたこともある。

 これらのことを考えると、今回の台湾での地震に際して発令された津波警報に対する沖縄の人々の避難状況にはどうしても大きな懸念が残るだろう。特に車社会の沖縄らしい問題点として高台に自動車で非難する人々が殺到してしまい、ただでさえ狭い道路の多い沖縄の随所で大渋滞が見られた点は見逃せまい。米軍基地が多くを占める海岸部の、ごく限られた低地に密集する沖縄の住宅事情を考えると、この問題の解消は非常に難しい。

 まずは本島中南部の海岸部の多くを占める米軍基地の縮小と高台に向かう道路の拡幅工事が急がれよう。また同時に市街地や住宅地での津波避難タワーの設置も急がれる。さらに高台への避難だけではなく、屋上の開放を含む高層ビルへの避難誘導もある程度まで可能とする特別な措置が必要だろう。

 生徒には沖縄の津波対策に関してどのような問題点があるのか予想させ、今後の対策を中長期的な視点からも考えさせたい。

   なお、日本はそもそも自然災害の多い「災害大国」であり、それが外国からの観光客に敬遠されてしまう原因になりかねないことは考えておくべきだろう。また日本は世界でも有数の少子高齢化に直面している「老人大国」でもある。若者が少なく、老人が過去にしがみついて改革を怠り、活気の失われた、ただの不景気な国家、しかも恐ろしい「災害大国」となってしまえば、せっかく増えてきた観光客の足もいずれは急速に遠のいてしまうに違いない。

 しかし今後、早急に来るべき自然災害に備え、綿密な防災設備と迅速な対応を可能とする体制を充実させていけば、日本は「防災大国」と評価される国にもなりうるであろう。また高齢者人口の急増に日本がうまく対応していければ、日本は世界公認の「介護大国」にもなりうるはずだ。

 「防災大国」、なおかつ「介護大国」と世界から認められれば、老後であっても安心安全、かつ最上のおもてなしと豊かでユニークな伝統や四季折々の美しさを味わえる「リゾート大国」日本として、海外から今以上に長期滞在型の観光客が押し寄せるに違いない。

 そうした観点からも、沖縄の防災体制と医療介護体制の、一層の充実が急がれるはずである。

京都や沖縄でも… 大混雑の観光地で人手が足りない バスに乗れない 「オーバーツ

   ーリズム」が深刻化 [クロ現] | NHK 2023/05/21 8:04

暮らしと観光の両立は 問われるオーバーツーリズム対策(沖縄テレビ)

   2023/9/7 OTV沖縄テレビ 2023/09/08 6:47

もう許せない!「外国人達へ、リスペクトできないら日本へ来るな」と英語で言わ

   せてもらった!『日本語字幕付き』Can't Respect Japan? DON'T Come!

   スティーブ的視点 Steve's POV  2024/06/13  11:37

   日本好きで知られるスティーブ氏の指摘は沖縄を訪れる修学旅行生のナイチャーや外国を訪れる日本人にも突き刺さるだろう。修学旅行の事前学習にぜひ、視聴させたい動画の一つ。

【オーバーツーリズム】観光地はキャパ超え?日本人が住みにくい?観光税も?イ

   ンバウンドは成長戦略に?|アベプラ

   ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/08/17  17:25

 日本経済のなかで大きな地位を占めてきている観光業のジレンマを克服することが喫緊の課題。

ごみ問題、交通渋滞、投資による地価上昇…京都・北海道から学ぶオーバーツーリ

   ズムの教訓とは?【ウェークアップ】読売テレビニュース  2022/07/16  10:24

 様々なポイントからアプローチされていて問題を概観する上で役立つ動画。

冨山和彦さんが“直言”超・人手不足時代をどう乗り越える?[NHKスペシャル&日

   曜討論] | NHK  2023/11/03 8:31

 少子高齢化の中でとりわけ福祉や観光業、飲食業といったエセンシャルワーカー部門の人手不足が深刻化している日本。一体、どんな対応が求められているのか…機械化、DX化による生産性の向上、企業の淘汰による労働力の流動性を高めたうえでの集約化、公定価格制の見直しなど、参考となる。

参考記事

沖縄移住で「なじめる人」「なじめない人」決定的差 「出身はどこ?」という質問に込め

   られた意味 東洋経済オンライン 伊波 貢 の意見 2024.9.14

   観光地としての沖縄に憧れて移住までしても、残念ながら3年以内で沖縄を離れてしまう人が少なくない、という。沖縄独自の慣習、しきたり、生活への関心と理解が無ければウチナーの社会に溶け込むことは難しいだろう。ナイチャーが沖縄について不勉強なまま、リゾート気分のままでナイチャーの社会に無理やり割り込もうとするのはウチナーとの軋轢を生むだけかもしれない。しかしウチナーの側も自分たちとは異なる価値観や多様性を少しは受け入れる柔軟性が必要であろう。時間さえかければお互いに歩み寄れる機会はきっとあるに違いない。

ディズニーだけはない、「若者のテーマパーク離れ」が止まらない…観光業全体で

   起きている「量から質」の転換

   現代ビジネス 谷頭 和希(ライター・作家) の意見 2024.9.14

 「量から質」への転換は日本の観光業における労働生産性を挙げる上で避けて通れない関門の一つだろう。谷頭氏はこの変化を総じて否定的に見ているようだが、安さに惹かれて来日し徒に問題を引き起こすタイプの外国人観光客数を減らす努力は必要である。他方で真摯に時間をかけて伝統的な日本文化への理解を深め、自然の豊かさを満喫しようとする質の高い外国人観光客を増やす工夫もまた同時に、沖縄を含めた日本の観光業全体に必要不可欠であると思うが、いかがだろう。

いつかマツコと有吉に食べさせたい…テレビで「味付けしてない里芋」と酷評された

   ドラゴンフルーツ農家の叫び

   プレジデントオンライン 山口 亮子 によるストーリー 2023.10.24

 この観点は沖縄の観光と農業を考える上で極めて重要なのかもしれない。実際、ドラゴンフルーツを国際通り近くで購入して食べてみたが味が薄くてフルーツの名称から連想される味には程遠かった(下写真)。おそらく輸入物だったのだろう。

 記事を読んで実際に沖縄産の新鮮なドラゴンフルーツを食べてみたくなった。もしも美味であるならば本来がインスタ映えする色鮮やかなフルーツであり、お洒落なカフェでは今以上に欠かせない食材となっていくはず。使い方次第では沖縄観光の目玉に化ける可能性まで出てくるかもしれない。

 上間氏が指摘されたように、サトウキビと補助金に大きく依存する沖縄農業はあまり持続可能とは言えないのかもしれない。したがって丈夫で育てやすいドラゴンフルーツが沖縄南国フルーツの期待の星として成長し、その栽培が多くの農村に普及できれば農民の所得向上にもつながり、沖縄観光の更なる発展を支える特産品の一つにもなるだろう。

【客層に変化】群馬「草津温泉」 欧米からの観光客急増のワケ『気になる!』 

   日テレNEWS 2023/11/21  5:25

 欧米への情報発信が沖縄ではイマイチ足りていないのでは?

【時給2200円】好循環が遂に実現?インバウンドで経済成長?給料が上がったニセ

   コで何が?リゾートアルバイター|アベプラ

   ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/12/13  15:55

 沖縄観光が今後、目指すべき道がニセコを通じて見えてくるだろう。観光業の労働生産性の向上こそ、沖縄貧困問題の解決に直結するポイントだと思うがいかがか。

「日本の印象や日本に来た理由」を聞いてみた | 外国人観光客 in 沖縄 国際通り

 【海外の反応】

   Sushi Street Talks【外国人インタビュー】  2023/11/12  13:23

 この動画を通じて外国人から見た日本の魅力と観光面での改善点が少しずつでも見えてくるだろう。特に沖縄の長所と短所が両方、つかめる点で非常に便利な動画。沖縄学習の時間が少ない場合には沖縄観光の概略を要領よく説明しやすいため、特に役立つであろう。

   沖縄観光の最大の強みは日本の中で例外的に味わえるトロピカルな魅力。特に慶良間ブルーは世界的に有名であり、工夫次第ではダイビングスポットとしてもっと数多くの外国人観光客を呼べるはず。

   また米軍基地が多いことでもたらされている沖縄の人の英語に対する拒否反応の小ささ、沖縄での英語表記の多さは外国人観光客をさらに呼び込む上で内地と比べればかなり有利に働くであろう。

   沖縄に不足しているのはヨーロッパからはるばるやってくる観光客がダイビング以外の目的でも長期滞在できるような施設や娯楽、体験型アミューズメントの少なさなのではないか。世界遺産に認定されている組踊や各地のグスクの魅力をもっと海外にも積極的に発信し、英語を用いた外国人向けの観光案内だけではなく、三線やカチャーシー、空手、ヤチムンつくり、黒糖つくりなどの体験コーナーや中長期に及ぶ講座数を、その指導者数を含めてどんどん増やしていくべきであろう。

   ヨーロッパからわざわざ沖縄に来る観光客は比較的目的意識が高く、多少は裕福であり、本来ならば内地だけでなく沖縄でも長期滞在を望んでいるはず。もっと言えば彼らが老後になってからでも沖縄で過ごしたくなるほどの魅力を備えることが出来さえすれば沖縄観光の将来は極めて有望に違いない。

 確かにオーバーツーリズムを背景とした一部の外国人観光客のモラルが欠落した行為やキャパシティの不足による観光業のブラック化に日本全体が直面している。しかし沖縄の場合、どのような外国人観光客を招き寄せるのか、きちんとターゲットを絞るような戦略があれば十分、改善可能だろう。

   たとえば円安による物価高に便乗して全体の客単価を20%以上、一気につり上げてアジアからの団体観光客の増大を防ぐ。そもそもが日本の物価より2~3倍は高いヨーロッパからすれば2~3割程度の価格上昇で客数が激減することなど無いだろう。むしろマナーをわきまえた、金離れの良い上客の割合が増えるかもしれない。

 その一方で、これを機に一部のサービスを高額化させつつ欧米の裕福な階層向けに特化させて観光業全体の利益率を向上させ、低賃金、長時間労働におちいりがちな観光業の体質改善につなげるべきではあるまいか。これは沖縄の貧困問題の解消にも少しはつながるだろう。

 ハワイと同様、南国の楽園としての高級リゾート地、裕福な高齢者が外国人を含めて晩年を過ごす高級保養地としての定評を確立することこそが、今後、沖縄観光の目指すべき道だと思われる。いかがだろう。

参考記事

ハワイ追い抜く「沖縄」観光地モラル低下のヤバさ サンゴの踏みつけなど生態系への

 影響も問題に 東洋経済オンライン 田中 俊徳 の意見 2024.6.17

 沖縄での観光公害の側面にも注目したい。

「食の欧米化が日本人の生活習慣病を増やした」のは本当か? この謎を解く沖縄の

 「平均寿命」と「脂質摂取比率」の意外な関係 集英社オンライン 2024.4

 47都道府県の内、平均寿命がかつては男女ともトップレベルをキープしてきた沖縄が近年、徐々に順位を下げてきていることは知られていた。その背景には安価で「大盛り」を謳う沖縄の大衆食堂やこじゃれたカフェなどで提供される沖縄スイーツ、歩くことや自転車に乗ることが少ない車社会の問題…などがありそうだ。したがってこの記事にあるように、単純に食の欧米化が生活習慣病につながる、とするのは欧米、とりわけヨーロッパの人々に失礼であろう。「沖縄危機」のポイントはもっぱら炭水化物、糖分の取り過ぎと運動不足であると思うがいかがだろう。

入館者急増の広島平和記念資料館、8月には2時間待ち…ネット予約・電子チケッ

   ト3月導入 読売新聞 によるストーリー 2024.2.12

 外国人の入館者が4割にも達しており、入館者数急増の大きな要因となっているのはなぜだろう。沖縄の平和祈念公園、平和祈念資料館に今後、新たに必要とされる工夫があれば、それは何だろう。生徒の意見を募りたい。

 

上がドラゴンフルーツ、下がスターフルーツ

どちらとも味はイマイチだった

 

「外国人が外国人を呼ぶ離島」小値賀島の秘密 観光客9倍?世界に魅力を発信する

  秘策【Jの追跡】 ANNnewsCH  2023/09/30 13:07

 沖縄に限らず、外国からの観光客を増やす戦略として非常に興味深い取り組み。沖縄の離島における観光振興策として模範になるだろう。

その3.お金から見た戦争・ひめゆり学徒隊

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・沖縄戦:紙幣及び硬貨から見た戦争

 左が戦時中に発行された紙幣でデザインも楠木正成像や八紘一宇、靖国神社といった戦時色の強いものが使われている。一方、右は戦後間もなく発行された紙幣で、平和のシンボルのハトや議会制民主主義のシンボル的存在である自由民権運動の指導者板垣退助、国会議事堂が使われている。いずれにせよ紙幣発行当時の政治情勢が露骨なほどにそのデザインに反映されている。また左右双方に共通する点としてどちらも低額紙幣であること。すなわち敗戦を挟んだ時期は戦争のために深刻な金属資源の不足に直面し、十分な量の硬貨が発行できなかったため、紙幣で不足分を補おうとしていたのである。

 戦況の悪化に伴い、物資の欠乏が表面化してくる。硬貨の素材も劣化を余儀なくされた。同じ1銭玉でも銅の含有量が減っていき、サイズも小さくなっていく。日の目は見なかったものの、敗戦間際、日本はかつてのドイツを真似て陶貨の試作を行っている。「欲しがりません 勝つまでは」と勝利を信じて耐え忍んできた国民は圧倒的な物量に物言わせたアメリカ軍の攻勢の前に大戦末期、ひたすら無防備な姿をさらけ出すことになる。

参考記事

約50万枚の1銭陶貨見つかる 京都市の会社倉庫から「幻の貨幣」

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.10.9

 第一次世界大戦中のドイツも末期は金属不足により陶磁器の貨幣を発行していた。かつて江戸時代には伊万里など、大量の陶磁器がヨーロッパに輸出されていた。皮肉にも第二次世界大戦末期、かのドイツをお手本にして日本でも陶貨の発行を試みようとしていた。この貨幣の歴史的資料価値は資源の勝る国を相手に無謀にも戦争を挑んでしまった国家の末路を知る、という貴重な教訓を教えてくれることにあるだろう。

 

ひめゆり学徒隊

参考記事

「軍隊は住民を守らない」沖縄・久米島の住民虐殺事件、戦後80年 歴史の事実に向

    き合う“日本軍が民間人にしたこと【報道特集】    TBS NEWS DIG 2025.6.28

 もちろん日本軍がすべてこのような虐殺を行ったわけではない。住民を守ろうとした日本兵もいたはずである。ただし、兵士個人ではなく軍隊という組織として見れば総じて沖縄の住民を十分に尊重していたとは思えない。この問題の核心は、軍事機密の保持を名目にして沖縄の人々をスパイと見なしがちな日本軍の体質があった、という点に潜んでいるだろう。

 とは言え、本土決戦が行われていれば、沖縄の人とほぼ同様のレベルで日本各地の人々が軍からスパイの嫌疑をかけられたと思うが、いかがか。

 皇軍が最優先に守るのは間違いなく臣民ではなく天皇であり、天皇制…すなわち「国体」であった。国体護持こそが大本営および皇軍の死命であり、それが敗色濃厚な状況下でも無謀な戦争を続けてしまった根本原因であった。したがって国体護持のためには最悪、天皇の臣民すべてが「一億玉砕」をも覚悟すべきであったのだ。

 問題の核心を掘り下げると、次の疑問に行きつくだろう。なぜ日本人の多くが、いつ、どのようにしてこのような考えに取りつかれてしまったのか…近代以降、徹底されていった「国民皆兵」「国民皆学」の下での軍隊と学校、そしてマスコミの果たした責任は、やはり極めて重大なのである。

 戦後80周年を期して放映されているNHKの朝ドラ「あんぱん」が執拗に描き出してきたのは決して主人公「のぶ」の教師としての戦争責任だけではあるまい。主人公が敗戦後、教職を辞して地方新聞の記者となった、というドラマの筋書きは多少のフィクションを交えてのものではあるが、それは敢えてNHKが学校とマスコミ双方の戦争責任を厳しく問い直すための設定でもあると考えるが、いかがか。

沖縄戦司令官の「辞世の句」は本当に「平和への願い」? 自衛隊が地元の反発を無

    視し、HP掲載を続ける理由は 東京新聞 2025.5.8

 このままでは沖縄の米軍基地を減らす代わりとして自衛隊基地を置き、中国の進出に対抗する動きは取れないままだろう。大多数の沖縄県民の理解が得られないからである。皇国史観に基づく旧日本軍の発想を未だに引き摺る自衛隊であるならば、決して沖縄県民の協力は期待できない。文民統制の理念にも違反しかねない辞世の句を自衛隊のHPに掲載し続ける自衛隊幹部の厚顔無恥さ、鈍感さに呆れるほかない。西田氏と同様の悪質さを感じるのは私だけではあるまい。

「ひめゆり発言」自民・西田参院議員 寄稿で「展示があったのは事実」と改めて主

    張 ABCTV NEWS 2025.6.1

 幹事長が党を代表してわざわざ謝罪を表明しているにもかかわらず、党の所属議員がそれを無視するかのようにふてぶてしくも問題発言を続ける。自民党はこのまま西田氏を放置していて良いのだろうか?

 西田氏が「事実」を主張したいのなら、その客観的な根拠を詳細に示すべきだろう。主観的であいまいな自分の記憶だけでひめゆりの展示を批判し続ける強弁を、自民党として許していいものなのか…党の規律が問われる。

「トラウマになっていることを痛切に感じた」自民・西田昌司議員“ひめゆり言”を

    謝罪「本当に耐え難い大きな苦しみの歴史」  FNNプライムオンライン  2025.5.9

 国会議員としての見識が根底から疑われるほどの勉強不足の人物が、いかにも得意げに根拠の疑わしい自説を展開し、批判されると開き直る…老害議員たちのレベルも地に堕ちたものだ。

 以下、6つの記事が西田発言を考える上で大いに参考となるだろう。

県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦から80年。ふたたび沖縄が要塞化”される

    今、「自分の街が戦場になる」とはどういうことか考える

    集英社オンライン 2025.06.04

米軍はなぜ沖縄をねらったのか…大本営に本土防衛の捨て石として利用された事実

    と米軍の作戦との乖離〈沖縄戦から80年〉 集英社オンライン 2025.06.19

「家畜を無断で食べる」「強盗」そして「強かん」…戦時中に一部の日本軍兵士たち

    が現地住民に犯した罪と罰〈沖縄戦から80年〉  集英社オンライン 2025.06.20

「アメリカが来たら手をあげなさいよ、そしたら助かるからね」と話した人が日本

    兵に殺された「一度米軍に捕まった者はスパイだ」と〈沖縄戦の住民虐殺〉

    集英社オンライン 2025.06.21

沖縄戦での日本軍の行動を美化しようとする政治家の発言の背景には「根拠がなく

    ても堂々と主張すれば騙せる」という“悪しきトレンド”がある

    集英社オンライン 2025.6.22

〈沖縄戦から80年〉国を守るとは? 沖縄戦では「天皇制国家」を守るために沖縄の

    人々と日本軍の兵士が、降伏することも捕虜になることも許されず死を強いられた

    という事実 集英社オンライン 2025.6.23

「国を守る」とは「国体・国の機構を守る」ことであって「国民を守る」ことではない…との指摘はこの問題を考える上で最も重要で本質的なポイントの一つだろう。

参考動画

【完全ノーカット映像】 “ひめゆり” は「歴史の書き換え」 自民党・西田昌司参院

    議員発言の真意は 【琉球放送】RBC NEWS 2025/05/09 42:08

    ただの切り抜きを元にした批判では説得力が無いので、教師としては一応、最後まで視聴しておくべきだろう。西田氏の論点はまず11月3日を現憲法の公布日としたのはアメリカの差し金である、という指摘が土台となっているが、これは本当だろうか。むしろ吉田茂らは公布日を敢えて明治節にすることで、まがりなりにも天皇制存続を実現したと国民にアピールしたかったのではあるまいか。こちらは西田氏の見方とは完全に真逆の結論を導くだろう。

    また教育勅語は日本の伝統の神髄であるかのように論じられているが、本当だろうか。たとえば9条改正に賛成であっても、「一旦、緩急あれば義勇、公に奉じ、以って天壌無窮の皇運に扶翼すべし」という文言を現代の学校教育にそのまま復活させることには抵抗感のある人が少なくないと思うがいかがだろう。

 さらに東京裁判がアメリカ主導で行われたものであることは明白だが、東條らが死刑となった一方で731部隊や天皇、岸信介、正力松太郎らは基本的に罪を問われなかった。これもまたこの裁判がきわめて片手落ちで偏向したものであったことを示している。特定の人々への免罪が日本の戦争に対する反省を不十分とした原因を創り出してしまったとも考えられるだろう。そうした視点からも、この裁判は厳しく批判されるべきである。

 皇統存続の危機は確かに皇室財産の削減と11の宮家を臣籍降下させたことにも起因するだろうが、そもそも明治期に膨れ上がった皇室の財産は、天皇の戦争責任が免除された分、相当程度まで削減されても仕方なかった…という論法は十分成り立つだろう。当時、国内外から天皇の戦争責任が厳しく追及されていた風潮を視野に入れて考えるべきである。

 マスコミや戦後教育、とりわけ沖縄があたかも共産主義に汚染されているかのような指摘もまたファクトチェックが必要だ。日本が共産主義化していたのならば、学校で「君が代」を国歌として存続させている側面を説明できない。確かに戦後の一時期、社会主義思想が隆盛となっていたのは事実である。しかし日本の戦後政治の実態はどちらかと言えば戦前、戦時中へのUターンが目立った。さもなくばA級戦犯容疑者であった岸信介や正力松太郎らが政治家として復帰し、戦後政治に重要な役割を果たせたわけがあるまい。安倍晋三政府の長期政権化も説明不可能な認識だ。

 ウクライナを悪者としてロシアを擁護する論点も絶望的にズレているだろう。ロシアはウクライナの前に日本への侵攻を計画していた可能性があるという報道もある。そもそもロシアの日本に対する領土的野心は対馬占領計画を含み、幕末まで遡る。また第二次世界大戦ではヤルタ秘密協定により、北方領土問題が生み出されている。当時、スターリンはカラフトや千島列島だけでなく、北海道や東北侵攻も視野に入れていたのではあるまいか。

 そもそもこれまでのプーチンの振る舞いを見ていたのならば、ロシアを擁護する論拠を見つけること自体、極めて難しいはずである。共産主義への脅威を大袈裟に取り上げて針小棒大に煽り、加害者でもあるはずのヤマトンチュがなぜか被害者面して沖縄での学校教育、とりわけ平和教育を「上から目線」でディスる…西田氏の論調はただの誹謗中傷であり、陰謀論そのものだろう。

独自・ノーカット】 "ひめゆり"は「歴史の書き換え」 自民党・西田昌司

    参院議員発言の真意は 琉球放送】RBC NEWS 2025/05/07 2:47

沖縄戦の女子学徒を慰霊するひめゆりの塔は「歴史の書き換え」 自民党・西田議員

    発言めぐり波紋 【琉球放送】RBC NEWS 2025/05/06 4:47

 討論のネタとしてはうってつけの動画。ぜひ、視聴させて議論に持っていきたい。

    もちろん西田氏が指摘するように、戦後日本におけるアメリカの悪しき影響力は学校教育などにも随所に見られた。それはたとえば、原爆に関するアメリカ軍が行った著作、報道への厳しい検定、監視など、歴史的事実の隠蔽や歪曲などとなって戦後まもなく表面化していた。

    戦後日本の新制高校がアメリカのハイスクールをモデルにして構想されていたように、日本の戦後改革は良くも悪くもアメリカの一方的な指導によるものが多かった。とりわけアメリカの占領下に置かれていた時代、憲法制定を中心に多くの政策にはアメリカの都合に合わせて強引に策定されていった側面があることは決して否めない。

    戦後80年、確かに日本はアメリカへの屈辱的な従属を見直すべきタイミングに来ているだろう。しかし、だからといってひめゆりの塔の資料館における展示がアメリカ側に寄り添う方向での「歴史の書き換え」と見なすのはいかがか。そこには沖縄の歴史と現状への認識に大きな欠落が感じられるがいかがだろう。

 とりわけ他の地域と違い、1972年までアメリカによって占領され続けた沖縄では、アメリカへの従属が長期期間に及んだため、当然のことながら生活・風俗の面にまでアメリカの強い影響が残存している。しかも現在、なお多くの米軍基地が沖縄に集中していることをも考え合わせると、沖縄におけるアメリカの影響力の強さを、あたかも沖縄県民の責任に帰するかのような西田氏の発言は、あまりにも皮相であり、決して許容できるものではあるまい。

 加えて薩摩による琉球侵攻や明治期の琉球処分など、いわゆるヤマトンチュによる弾圧と差別にさらされてきた沖縄の歴史をも考慮すれば、西田氏の発言は沖縄県民にとって許容できないレベルの暴言に過ぎない。しかも最近、リニューアルされたばかりのひめゆりの塔資料館を現地に居ながら訪れようともしていないほどに不勉強で不真面目な人物が、昔の訪問時の印象だけを元に「上から目線」の批判的な言動を弄した点も、軽率の誹りを免れまい。

 こうした言動はかえって多くの沖縄県民のヤマトンチュへの反感と不信を強めて日本の分断を招き、結果的に中国が付け入るスキを生み出し、習近平を利するだけではあるまいか。とても日本の国益を重視する右翼の立場とは思えない噴飯物の妄言であり、むしろ日本の国益を大いに損ねる言動、と評すべきだろう。

自民県連、西田昌司参院議員の発言に抗議へ

    沖縄タイムス公式動画チャンネル 2025/05/07 0:57

    当然のことながら、西田氏の発言に対して自民党沖縄県連もまた強く反発。

琉球新報と沖縄タイムスによる批判記事に反論する!歴史観の喪失は沖縄だけでな

    く日本全体の問題である!(西田昌司ビデオレター)

    西田昌司チャンネル 2025/05/07  19:36

    戦後、アメリカから押し付けられた側面を持っている現憲法を改正すべきなのは確かだろうが、どこをどのように改正すべきなのかは人によって相当異なるはずだ。現憲法に対する評価もまた一律ではない。

    西田氏はひたすら憲法の制定過程などを論拠に憲法改正を主張し、その文脈の中で戦後、沖縄における平和教育とひめゆりの塔の資料館の展示を批判しているようだ。しかし憲法改正の主張と沖縄の平和教育の在り方への批判とはいったん、切り分けて考えた方が良いだろう。どちらも相当根深くて複雑な経緯、問題を抱えている。

 双方の間に深い関連性があるのはもちろん事実である。しかし双方の問題をたかだか20年ほど前の資料館訪問時の個人的印象、主観を混ぜこぜにしていっしょくたに論じるのはあまりにも乱暴過ぎるのではないか。

 アメリカ軍は沖縄を日本軍の支配から解放し、沖縄に民主主義と平和をもたらした恩人である…といったような一面的過ぎる認識を沖縄県民の多くは持っていないだろう。むしろ沖縄を占領したアメリカ軍が「銃剣とブルドーザー」で強制的に住民から土地や家を奪い、基地を建設した事、アメリカ兵による住民への犯罪がやまない事…など、アメリカへの反発を持つ住民は少なくない。

 他方で日本軍によって避難先のガマから追い出されたり、スパイとして処刑されたり、集団死を迫られたり、鉄血勤皇隊やひめゆり部隊のように戦場へ動員されて犠牲となった住民も数多くいた。戦後は戦後で、出稼ぎに出た神戸や大阪、川崎などでナイチャーから差別されて嫌な思いをしたウチナーも少なくあるまい。

 沖縄県民からすればアメリカ、日本ともに醜悪な加害者としての同じような側面を隠しもっており、どちらに対しても県民は複雑微妙な感情を抱いているのだろう。少なくとも単純に日本軍を美化する、あるいは逆にアメリカ軍に感謝する、といった人々が沖縄県民の多数派だとは決して思えない。

 一方で西田氏は中国による尖閣などへの露骨な介入を断固、排除すべく、自衛隊基地を沖縄に増設したいとの考えをお持ちなのだろう。同時にひたすらアメリカに従属してきた戦後日本の現状を批判するあまり、旧日本軍や自衛隊を美化し過ぎてはいないだろうか。ヤマトンチュの視点からだけではなく、沖縄県民の立場から近代以降の日本の政治がどう見えていたのか…そうした沖縄に寄り添う視点を彼が十分に持てていたとは到底、思えないのだが。

 この動画も西田氏は醜い自己弁護と沖縄の報道機関への批判に終始しているが、彼の発言に沖縄県民の猛烈な反発を招いた部分があることは決して否定できまい。ただちに問題となった発言を撤回して沖縄県民に謝罪すべきである。

阿波根あずさの【沖縄ダークツーリズム】沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒隊の慰 

 霊碑「ひめゆりの塔」を圧倒的な情報量でわかりやすく解説します!

 沖縄観光/糸満2021/06/27 23:04

イラストに描かれた「ひめゆり」 あの戦争の臭い・湿気…届くか

 2021/05/13 毎日新聞 3:11

 リニューアルされた館内の様子が分かる貴重な動画。

【ミス沖縄と巡るひめゆり平和祈念資料館】沖縄戦を体験した10代のひめゆり学

 徒隊ミス沖縄のおきなわ観光TV 2021/06/04 14:35

 リニューアル後の展示を解説付で確認できる。

【沖縄戦】糸満・ふじ学徒隊と「ウッカーガマ」「糸洲第2病院壕」沖縄戦避難壕

 (ガマ)をまわる・・轟の壕の後編 2022/03/30 街歩きokinawa 15:07

 以下、ウィキペディアの記述などを要約

 ひめゆり学徒隊とは、1944年12月に沖縄県で日本軍が中心となって行った看護訓

練によって作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成されたものの名前。通称としてひめゆり部隊やひめゆり隊と呼ばれることもある。他に白梅学徒隊・なごらん学徒隊・瑞泉学徒隊・積徳学徒隊・悌梧学徒隊・宮古高女学徒隊・八重山高女学徒隊・八重農学徒隊の8つの学徒隊が存在。

 ヒマユリ学徒隊の母体となった沖縄県女子師範学校(女師/1943年4月に師範学校教育令の改正に伴って沖縄師範学校女子部へ改組)と沖縄県立第一高等女学校(一高女)は、設立当時の沖縄県の財政事情から併設校とされ、校長および一部の教師は兼任であった(西岡一義師範学校女子部長は一高校長)。そのため、校名は異なるものの、実質的には一つの学校に近いものであったという。

 名前の「ひめゆり」とは花の「ひめゆり」ではなく、沖縄県立第一高等女学校(一高女)の学校広報誌の名前「乙姫」と沖縄師範学校女子部の学校広報誌の名前「白百合」を併せて出来た「姫百合」という名称が由来である。元々は安里川にかかる粗末な橋から転落死した一高女生徒を悼み、昭和初期に安全な橋に掛け替えられた橋に「姫百合橋」と名付けられたことが起源で、1940年代には女師および一高女の学舎が「ひめゆり学舎」と呼ばれるなど、両校の通称として「姫百合」の名が定着していたようである。

 米軍の沖縄上陸を目前に控えた1945年3月23日、両校の女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は、沖縄陸軍病院(通称・南風原陸軍病院)に看護要員として動員された。沖縄陸軍病院は沖縄守備軍(第32軍)の直轄で、本部、内科、外科、伝染病科に分かれており、40近くの横穴壕の土壁に2段ベッドを備え付けて患者を収容した。米軍が上陸して前線の負傷兵が増加するのに伴い、内科は第二外科に、伝染病科は第三外科に変更され、那覇近郊の一日橋、識名、知念半島近くの糸数に分室がおかれた。学徒隊は全員が分散配置された。

 しかし、敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した(死亡者のうち実に80%がこの間に集中している)。最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決している(自決の強制性については論争あり)。また隣の洞窟でも米軍の銃乱射で3名が死亡、3名が重傷を負った。

 2004年現在、沖縄戦で亡くなった女師・一高女の人数の内訳は以下のとおりとされている。なお、<その他>は沖縄戦開始後に陸軍病院動員以外で亡くなった人(他の部隊に協力中、学徒隊への参加途上、家族と共に避難中など)を指す。

   理由         人数         累計

沖縄陸軍病院動員        136        136

対馬丸事件          1          137

弾薬輸送列車で爆死           2          139

その他                 80        219

対馬丸事件               1          220

その他                 6          226

 戦後、最大の犠牲を出した伊原第三外科壕跡に慰霊塔である「ひめゆりの塔」が建立された。これは、ひめゆり学徒隊を祀り、平和を願うものである。

沖縄戦、閲覧注意 鳥になった少女/山羊になった少女

 sanzoku san 2015/08/10 13:58

 「動画のなかで記したきっかけで、これは生まれました。インスピレーションから書いたもので、取材や、下調べをした物ではないので、フィクションとして理解してください。ただし、その後の調べで、現実から乖離した物ではない事も確認しました。自分は沖縄の人間ではありませんが、沖縄から沢山の物を貰った恩返しの気持ちも込めてUPさせて頂きました。UPのために、高校生の時からほっといたギターを取り出して練習しました。続編のBGMも自家製です。PS.内地人の自分は,ひめゆりと直接関係は無いと思っていたのですが、師を同じくする大先輩がひめゆりの美術教師をしていた事を知りました。また、ダイビングで偶然訪れた大渡海岸の崖下で戦時中の遺骨を回収する体験もしてしまいました。」と動画の解説欄にある。したがってこの作品は沖縄出身者ではない人が空想して作ったものであるらしい。

 しかし「なーんだフィクションなら、視聴するだけの価値は無い…」と作品を視聴する前からその価値を断じてしまって良いのだろうか?ここでは「島唄」に対する一部のウチナーンチュからの反発も踏まえつつ、こうしたフィクションが果たすプラスの役割についても考えてみたい。前半の悪臭漂うガマに潜伏する辛さに対する迫真の描写は臭いが記憶喚起力を刺激することも手伝って忘れがたい印象を残すだろう。

 なお、視聴する際にはBGMが邪魔になると感じられる箇所もあるかと思う。音は最初からカットしておいたほうが字幕に集中でき、より一層、想像力を刺激されるだろう。また場面の切り替わりが早すぎて字幕を読むのが間に合わない箇所がかなりある。設定をクリックして再生速度を「0.5」にしておくと良いだろう。標準の再生速度で「12分11秒」あたりで字幕は終了するのでそこで視聴を終わりにしても鑑賞上は何ら問題がない。個人的にはBGMや終わりの1分以上続く沖縄の風景をカットすればこの作品の文章、悪くはないし、多少なりとも迫真的な描写力を感じられるが、いかがか。18万回の視聴回数にはそれなりの理由がありそうである。

 ただし字幕には多少の間違いがあり、要注意。「ウグシク」は「グシク=グスク=

城」、「ユイグムイ」は「イユグムイ=魚の住む池=龍潭池」に訂正しておきたい。

 なお過去の沖縄修学旅行などでの写真・動画の蓄積があり、パワーポイントの操作にある程度の経験がある教師ならば、こうした作品をいくつか生徒たちとともに制作して次年度の事前学習の利用に供したり、文化祭などで発表することは十分に可能である。また修学旅行で訪れた戦跡や観光地の解説動画を生徒たちに作成させても良いだろう。その際にはグーグルマップなどの機能を駆使して距離や想定される移動時間、ストリートビューのスクリーンショットなどを利用すればたとえ自分たちの写真素材の蓄積が少なくともそれなりに臨場感のあるパワポ資料が出来るはず。生徒たちにとって生涯の記念となる作品ができるかもしれない。

 以下に紹介する「ひめゆりの願い」はかなり情緒的な内容でいかにも紙芝居的ストーリーではあるが、フィクションとしての総合的な完成度はそこそこ高く、曲自体は悪くない。人物の名前や髪型は今風のものだが、非常によく考えられ、工夫された動画であり、作詞作曲も悪くない。配信されてから10年以上経っても決して古びない確かなメッセージ性を秘めていると感じる。この動画作成に二人がどれだけの努力と工夫を要したかは以下に示した「祐太郎飯店の円卓」と称するブログによって推察できるが、ブログの記述内容の一部に多少の思想的違和感を感じるかもしれない。

※ブログ「祐太郎飯店の円卓」(2015.7.2「ひめゆり五周年感謝増刊」) 

 http://taxi-adam30.at.webry.info/2015...

ひめゆりの願い -Our memories of lily- YutaroHanten 

 2010/05/21 9:15

戦争からさらに遠くなった世代へ その記憶をつなぐために 「ひめゆり資料館」

 展示リニューアルの背景とは 2022/06/28 関西テレビNEWS 8:15

「ひめゆり看護隊/散華の海」糸満・荒崎海岸~魂魄の塔~ずいせんの塔~平和の

 創造の森公園~山城うりぐち・沖縄戦・ひめゆりの塔・ 2022/05/25 街歩き

 okinawa 21:59

沖縄戦を追体験…戦時中の「病院壕」の臭いを再現(NHK,QAB,RBC) 

 2015/01/23

 臭いの記憶喚起力を利用した興味深い試み。

戦世から80年 つなぐ記憶 「自分ごと」として継承に取り組む高校生

  (沖縄テレビ)2025/6/12 沖縄ニュースOTV 2025/06/13 8:20

    自分事として平和学習を成立させる上で必要なこととは何だろう。動画における首里高校の取り組みでイマイチ見えてこない側面がある。80年前の出来事に対して今の高校生が当事者としてどのように行動するのかを問うことは、確かに平和学習を自分事にする上で役立つ側面が少しはあるだろう。とは言え、この想定自体にリアリティが十分あるのか…しっかりと問い直してみたい。多くの場合、今の高校生に80年前の時代をリアルに想像できるほどの知識はまだ無いはずだ。

 この取り組みでイマイチ説得力に欠ける点は平和学習をあくまでも過去の出来事の学習に限定して捉えてしまう危険性にあるだろう。平和学習を高校生によりリアルな自分事として捉えてもらうには、過去の問題だけではなく、現在、沖縄が直面している問題をも同時に提起していく努力が欠かせないように思うのだが、いかがか。

 たとえば80年前の過去にタイムスリップさせ、アメリカ軍が本島に上陸してきた時に、「あなたならどうする?」と問うだけでは明らかに不十分だろう。続けて、仮に今、中国軍が台湾、尖閣諸島に侵攻してきた、さらには沖縄の各地に侵攻してきたとして、この事態を「あなたならどう受け止め、どう対処するか」をも問うべきではないのか。この二つの問いがセットとなって授業で提示された時に初めて高校生はリアルな自分事として沖縄の平和を考え始めることができるのではあるまいか。

参考記事

細菌兵器の「731部隊」元隊員の貴重な「証言」が、地元で展示されない真相

 「体験者の言葉」は印象に残りやすいが… 47NEWS  2025.9.15

 加害の歴史と被害の歴史をどうバランス良く組み立てて展示するのか、授業に取り込んでいくのかは非常に悩ましいテーマである。しかし、だからこそ討論のテーマとしては格好の素材となるだろう。様々な意見が出てくることを十分に期待できるテーマこそが、議論の素材にふさわしい。

 市教育委員会は教員や専門家による検討会を通じて「証言パネル」の展示を取りやめた主な理由を、教育委員会の課長は以下の三つとしている。

① 証言で述べられたことの正確性が担保できない

② 内容が残虐で、子どもが見学する際は心のケアが必要になる

③元隊員の遺族が、加害の歴史と紐付けられることに抵抗を感じている

 授業ではこれらの理由の妥当性をそれぞれ議論の対象としてみたい。

 

[セリフ入りMAD] [cocoon~ある夏の少女たちより~] [W/X/Y]

    セナ 2025/05/16 4:33

【MAD】『 解 散 命 令 』「 cocoon~ある夏の少女たち~ 」×「 果たせぬ夢 」かた

    まゆ 2025/06/18  1:15

    上の二つの動画はジブリ出身のアニメーターが中心となって制作されており、様々な場面でジブリ風の描写が伺える。ひめゆり部隊を強く意識して制作されているが、残酷な場面は決してダイレクトに描かれておらず、象徴的な表現にとどめられている。あくまで視聴者の想像力に委ねる展開である。残酷な場面に抵抗感の強い生徒たちには比較的、受け入れやすい内容と手法であろう。解説が必要な箇所は多いので、教師側に知識がある程度は必要となるが、ぜひ授業で視聴させたい名作。

 ※参考記事

 少女たちがみた沖縄戦の地獄絵図……衝撃の戦争マンガ『cocoon』で描かれた“想像の繭というテ

  ーマ Real Sound ブック 2025.7.3

外国人さん「スタジオジブリ出身のアニメーターが作品を公開したぞ!」→なぜか

 大荒れしてしまう...【海外の反応】 ずんぴっく  2025/04/07  9:25

 動画視聴後、討論に持っていくなら、この動画が役立つかも。

 

 

2024年の都知事選を考える

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・2024年の総選挙より

参考動画

【玉木雄一郎と分析する、SNS政治のリアル】米国は日本より10年早い/欧州の主

   役はボートマッチ/自民党の動画はネガティブばかり/れいわの異質性/TV中心の

   広告代理店モデルの終焉/切り抜き動画の規制は?

   PIVOT 公式チャンネル 2025/04/07  46:12

【玉木雄一郎と予測する、SNS政治の未来】偽情報は規制できるか?/全党の関心

   はYouTube/強いファンが武器に/丸投げすると法律違反/選挙のアップデート/

   党首の重要性が高まる/「103万の壁」の教訓

   PIVOT 公式チャンネル 2025/04/08  30:12

   以上の二つの動画は成田氏が指摘した代議制、間接民主主義の行き詰まりに対応するための将来的な道筋が見えてくる、極めて重要なものと考えるが、いかがだろう。各政策についての民意をネットで汲み取る、直接民主制的なシステムがいずれは一人の候補者に投票する形での間接民主制、代議制に取って代わる可能性が出てきた。

   加えてSNSの普及発達によってネット上でのウソや間違いはただちにバレやすくなり、有権者をごまかすことがj徐々に難しくなっているという。したがって政治活動のプロセスまで透明化していくことがこれまで以上に重要となっており、随所に多くの「闇」を抱えてきた旧来の権威主義的政治活動への国民の不満が徐々に増大する傾向が出てきたようだ。自民党や立憲民主党の不人気は彼らがテレビや新聞という、衰退しつつあるオールドメディアに全面的に依存した選挙運動のあり方にも由来する、という指摘は確かに鋭い。

   動画で説明されているように、これからの政治家は民意を汲み、説明責任を果たす上でSNS、ユーチューブの利用が必須となり、直近の国民民主党やれいわ新撰組、再生の道の躍進も、彼らがそうした動きにある程度まで対応できているからであろう。特に再生の道が都議選を控えて立候補者の選考場面まで動画で公開していることは、今後、政治の透明性を高める上できわめて画期的な試みであると高く評価できるであろう。

【解説・衆院選】政権交代までいくのか? 与党で過半数維持はギリギリの情勢 

 日テレNEWS  2024/10/25  10:26

 過去の総選挙の経緯を振り返るには便利な動画。歴史的流れを整理するために下の動画と併せて視聴させたい。

【衆院選】与党過半数割れ 今後の日本は政治部長解説

 日テレNEWS  2024/10/28  4:41

 重大な時事問題として今、授業で必ず取り上げるべき話題の一つが総選挙での与党の過半数割れであろう。生徒にはまず、なぜ与党が過半数割れしてしまったのか、さらに今の日本が優先的に取り組むべき政策とは何か、考えさせたい。

 また、総選挙の結果から「決められない政治」となってしまい、政治的停滞が続くこと、そのことが本当に「失われた30年」から「失われた40年」へと日本の不振が続くことにつながってしまうのか、否かもぜひ問いたい。あわせて政治とカネの問題を解決することが本当に日本の優先的課題なのか、そこに疑念は無いのか、日テレの政治部長の解説を鵜呑みにすることは出来まい。

 前回の総選挙に比べて投票率が少し低下してしまった原因も同時に考えさせたい。

参考記事

市議から「わしの言うことがきけんのか」「いられないようにしてやる」高松市職員

    にアンケート 読売新聞 2025.9.11

 安芸高田市議会他、数多くの地方議会で耳にする、議員によるハラスメント行為の数々。「地方自治は民主主義の学校」だとすれば、国政で官僚を恫喝するような国会議員が跋扈している可能性は無きにしも非ず。そういえば秘書を罵倒して話題となった元国会議員がいた。

 こうした議員は必ずしも高齢者とは限らないが、地方の場合にはやはり高齢者がやや多い印象を受ける。こうした議員を選び続ける選挙民側の責任は重いだろうが、地方の利権構造に食い込んでいる親分肌の議員が落選することは少ないように思えるが、いかがか。

 考えの硬直した高齢者の言動を変えるのは容易ではあるまい。いっそのこと参政権を持つ年齢に下限があるのなら、同じ理屈で上限を設けるべきではあるまいか?そうでなければ少子高齢化が加速する将来に、日本社会全体が柔軟性を失ってしっかりと時代の変化に対応できなくなる日が急ぎ足でやってくるに違いない。

裏金処分議員、千葉でパーティー 政治とカネ問題相次ぐ「震源地」

 共同通信 によるストーリー 2024.6.28

 選挙などにおいて金銭の問題が多いことで昔から知られている、いかにも千葉県らしい案件。政治家の腐敗は同じく「~先生」と呼ばれている教師や教育委員会の腐敗と良く同期するだろう。千葉県が古くから管理主義教育の聖地として有名であったことと、管理主義的教育を支持してきた政治家が大勢いることとは決して無縁ではあるまい。そして彼らの厚顔無恥ぶりは千葉県教育委員会の厚顔無恥ぶりと実に瓜二つである。

メンタルに問題の学生、「増えた」大学75% 河合塾関連会社の調査

    朝日新聞社 2025.6.27

 …345大学の75%が「コロナ禍前(2019年以前)よりメンタルヘルスに問題を抱える学生が増えている」と答えた…という結果は軽視できないだろう。なぜ日本の若者の自殺率が高いのか、併せて考えてみると大学以前の教育の在り方には多くの問題の根源がありそうだ。

    今の学校教育がはたして子どもたちや若者に、自分たちの将来に向けての意欲や希望を抱かせるものとなりえているのか、厳しく問い直すべきではあるまいか。特に学校生活の大部分を占める授業において児童生徒の顔をいたずらに曇らせてはいないだろうか。児童生徒は学校の授業にどれほどの期待を寄せているのだろうか。どうみても児童生徒の授業に対する満足度は日本の場合、決して高くはあるまい。

    たとえば今回の都議選で「再生の道」の立候補者42人全員が落選した。もちろん再生の道の選挙活動に不十分な点があったことは否めまい。しかしその背景に高校での政治教育の問題が少なからず潜んでいるのではないか。

    仮に欧米の人が日本の都立高校の教師で政治経済を担当していたとするならば、選挙前に都議選の結果を生徒に予想させ、討論を通じて各自の予想の根拠を示してもらっていたかもしれない。当然、選挙結果の分析も授業内容となっていたであろう。こうした授業スタイルは欧米では広く、公然と行われてきた。

    しかし、日本ではそもそも討論型の授業が多くない。加えて学校ではホットな政治問題を触れること自体、タブー視されかねない。教育委員会や管理職もそうした取り組みに多くは及び腰だろう。日本の学校では憲法や法律の学習を通じてあくまでも教科書的に政治の仕組みを扱うが、現実の政治の動きにはほとんどタッチしないのだ。現実の具体例を取り上げず、かつ討論を伴わない、宙に浮いたような日本の政治学習は一方的な一斉講義形式になりがちであり、ただの暗記学習に陥りがちなのである。その結果、日本の高校の政治教育は若者の政治への関心、意欲をひたすら乏しくさせてきたに違いない。

    すなわち現実の政治に対して若者の目を向けさせることにこれまでの高校の授業がある程度まで成功していれば、今回のような選挙結果に終わることは無かったのではあるまいか。そもそも他の道府県に比べれば18歳以上の若者人口は東京都区内、決して少ない方ではあるまい。若者の投票によっては都政の流れを変える可能性、決して皆無ではなかったはずである。

参考記事

斎藤知事のパワハラを断定、立花孝志氏のマスコミ叩きに便乗…デマを指摘する「フ

   ァクトチェック団体」の欠陥   プレジデントオンライン 渡辺 一樹 2024.12.30

   ネット上を飛び交う、デマや不確かな情報に基づく誹謗中傷の嵐を沈静化する上では中立な機関によるファクトチェックが必要不可欠である。しかし日本のファクトチェック機関には中立性に疑念があり、むしろデマに基づく誹謗中傷を煽る役割まで果たしかねない危険性があるという。だとすればこの問題は非常に深刻であり、きちんとした検証が必要とされる。しかし兵庫県知事選で見られたマスコミ叩きとSNSの優位性を説く立花氏の煽りへの検証は未だに不十分なままであるようだ。

 日本の民主主義の健全化を図る上では、SNSでの発信に対する公平な視点から厳密に行われるファクトチェックが不可欠。今後はそうした機関の組織的なあり方の検証と経営的支援を含めた、バックアップ体制の確立が急がれよう。

執拗な誹謗中傷にあっても「この戦争に関する発信はやめない」 東野篤子教授が貫

   く思い 弁護士ドットコムニュース 2024.12.22

   ネットによる誹謗中傷がどういう状況にあるのか、よく分かり、参考になる。発信者としてどう誹謗中傷に対応すべきなのか、考える上でも役立つ記事。授業ではこうした風潮が兵庫県知事選や都知事選にも目立ってきた背景には一体何があるのかも考えさせたい。

【2024荒れた都知事選】「恥ずかしい」「これが民主主義」 ポスター掲示板、

   有権者はどう見た?日テレNEWS NNN によるストーリー 2024.7.10

   討論型授業に使うのならこの記事が良いかもしれない。ポスターを巡る意見の多様性に気付けるだろう。この問題をどう捉えるのか、議論百出してまとめるのは難しいのでここでは無理やりまとめるよりも、出来るだけ多様な意見を引き出してみることを最優先したい。考え方の多様性に気付くことの重要性について考えを深めるチャンスとなれれば結論が出なくとも議論する価値は決して小さくあるまい。

 橋下徹氏 都知事選のポスター掲示板問題は「ある意味、今の都民の民主主義のレベ

 ル…僕は事前規制に反対」 スポーツニッポン新聞社 の意見 2024.6.24 

 「都民の民主主義のレベル」が低い、とのことだが、民主主義のレベルがとりわけ東京都に限って低いとは思えない。今や安芸高田市などを筆頭に地方議員のレベルの低さはあまねく知れ渡っている。今後、取り組むべきは国民の政治意識の低さがどの程度なのか、国際比較等を通じて明らかにし、日本での意識の低さがどのようにして生み出されてきたのかをまず明らかにすること。次に国民の政治意識を高めるには今後どうすべきか、その方策を練ることだろう。

車椅子アイドル、ほぼ全裸の都知事選ポスター騒動に私見 インプ稼ぎで「余裕で元

 が取れます」 日刊スポーツ新聞社 2024.6.21

ひろゆき氏 都知事選わいせつポスターに「本人以外の写真載せた人みんな…」番

 組で持論述べる スポニチ 2024/6/22 10:36

 ポスターへの対応という目先の観点では妥当な意見であるが、本質的に問うべき点はなぜこのようなことが今の日本で生じているのか、であろう。ぜひ生徒たちには事の本質、事件の背景を推理させたい。

有権者「ばかにしている」 都知事選の掲示板に大量の同じポスター

 毎日新聞 によるストーリー 2024.6.21

 今、最高に刺激的なニュースであり、授業で取り上げないわけにはいくまい。生徒たちの意見、感想をまずアンケートで募りたい。ある程度、対立的な意見にまとまりそうならば、討論に持ち込めるだろう。相当、ホットな議論が展開できそうな内容だが、特にNHK党の立花氏の見解が興味深い。この意見をどう評価するのか、多角的に考えることで日本政治の現状についてかなり深掘り出来そうである。またアンケートでは誰が当選するのか、予想させるとさらに面白くなるだろう。予想の根拠、理由もぜひ書かせたい。

 ※参考記事

  〇 「YouTubeでバズってる」オリラジ中田 明かした都知事選で“注目する候補者”コメント欄では

   対談求める声が 女性自身  2024.6.21 

小倉智昭「言語道断だよ」都知事選のポスター問題&大量擁立「何か手を打った方

 が将来のため」日刊スポーツ新聞社 によるストーリー 2024.6.24

73歳大物タレントが苦言「いまの日本には一般常識が存在しないのか?」都知事選

   ポスター騒動に 日刊スポーツ新聞社 によるストーリー 2024.6.22

   高齢者による苦言には真剣に耳を傾けなくとも良いケースが少なくないだろう。いかにも「昔は良かった…」的な、高齢者のあやふやな記憶に基づく発言ほど「老害」臭が漂うものはない。堀江氏が指摘するように、昔から日本の選挙と政治は腐敗しており、残念な部分や滑稽な要素をいっぱい抱えてきたはず。それを今回の、児戯に等しいポスター騒ぎをもってして「今の日本には一般常識が存在しないのか」と大仰に嘆く方が滑稽だろう。何を今さら仰いますやら…

   昔から日本の選挙と政治は酷くねじ曲がっており、腐敗していた側面を持っていた残念な歴史がある。それを自覚できないでここまで来てしまったのか、それとも高齢者特有の記憶の揺らぎが生じてしまっているのか…現状を変える力を持たない、無意味なボヤキを発する前に、かつての日本の政治の闇と今の政治の闇との間に横たわり続けているどす黒い「何か」にしっかりと目を凝らし、向き合う方がはるかに有意義ではないのか。

 もちろん選挙のあり方について「何か手を打った」方が良いのは当然であり、むしろ言わずもがな、である。当たり前すぎて耳を貸したくもないし、今回の問題の核心は選挙のあり方には無いだろう。

 どんな選挙に変えたとしても、おそらく別の弊害を生み出すやもしれず、どんな法にも抜け道はあるに違いない。つまり選挙どうのこうのは日本の政治を変える上ではあくまで対症療法に過ぎず、根本的な解決にはまったくつながりそうもないと思うがいかがか。

 そもそも地方政治から国政まで様々な問題が噴出している現状を許容してきたのは国民そのものであろう。議員や首長を選んだのは国民であり、国民が変わらなければ政治が変わらないのは民主主義の鉄則ですらある。今、問われるべきは民意の方なのだ。したがって都知事選のポスター問題は国民が生み出している側面があると考えるべきであろう。

 では現状の無様な騒動を生み出す基盤たる国民の政治意識がどのように形成されてきたのか…問題の核心はそこにあると考えるが、いかがだろう。そして民意形成の要となっているのは学校教育とマスコミのふたつであることはほぼ議論の余地があるまい。すなわち私たちはこの騒動を機に、この騒動の主犯格たる戦後の学校教育とマスコミの歩み、学校とマスコミが高々と掲げてきた理念の裏側で実際にはたしてきた社会的機能の方をこそ、しっかりと振り返ってみるべきではないのか。

北海道警ヤジ排除から「表現の自由」を考える 憲法学者をまねき集会

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.11.18

   政治家が壇上で大勢の観衆を前に自分の政治的主張を演説することはもちろん自由である。しかし観衆側にも反論としてのヤジを言い返す権利がそれなりに認められなければなるまい。もちろん公序良俗に反するヤジはご法度だろうが、ある程度の理屈、理由があるヤジならば、演説会を活性化させる上でむしろ有効な場合だってあるだろう。時折、生徒たちが授業の内容に対してタイミングの良い「突っ込み」を入れてくれたことで俄かに授業が活性化することはままあることだ。

   演説会での観衆は音楽や演劇を鑑賞しにわざわざお金を払って遠方からはるばるやって来た、お行儀の良さが全員に要求されるような観客たちだけではない。観衆側にはただ静かに演説に耳を傾けることしか許されない、受動的な「聴衆」としてひたすら息をひそめてじっとしている義務や必要性は断じて無いのだ。

   そもそも政治家の演説内容自体が特定の政治家や政党への下品なヤジとなっている場合だって少なくあるまい。仮に壇上から主権者たる国民を見下ろし、大音量のマイクで一方的にやじる権利が政治家たちに許されているのならば、観衆にだってやじり返す権利はあるはずであり、それを警察側が妨害するなど、明らかに許されない、国民への主権侵害行為だろう。一般的な常識があれば若い警察官だってその程度の分別はついていたはずだ。

   今回の件は警察側が何か強力な権力(=安倍政権)に迎合し、忖度して強引に動いた、組織的な違法行為である可能性を強く感じる。つまり上からの、何らかの指示があってのことであり、個人的には一部の見識に欠けた警察官による偶発的な事件とは到底思えないのだが、いかがか。

 この件は今、最高裁での判決が出ているために授業で扱いやすい事件となってきている。ぜひ、生徒たちには政治家と主権者たる国民との関係性に注目させつつ、政治家の演説会における観衆の望ましいあり方、立場について意見を募りたい。またこの件と2024年の都知事選の騒動とを関連付けて選挙の際の立候補者と選挙民との望ましい関係性、選挙ポスターのあり方なども考えさせたい。

参考動画

【速報4/6】記者「社会的成功者ばかりで大丈夫?」石丸氏「ダメな理由とは?」

  【石丸伸二 切り抜き】 炎の石丸伸二 2025/04/07  30:15

 政治の行き詰まりをどう打開していくのか、石丸氏の戦略は徹底して考え抜かれたものであることが分かるだろう。「再生の道」に期待するところ大である。視聴時間は長くなるが、今後の日本政治のあり方を考える上で非常に有益な動画なので、生徒にはぜひ、要所要所で止めてじっくりと石丸氏の意図を考えさせてみたい。

【成田悠輔】評価と仕事と学校教育|好き勝手なことをやる意志|他人の評価、分

   類、肩書きに捉われない生き方|無感覚観

   日本経営合理化協会  2022/08/20  8:23

   少子高齢化の下で若者がどのような心構えで生きていくべきなのか…重要なヒントが潜んでいるだろう。他者による評価、自己承認欲求に足を掬われない事が最も重視されるという指摘は成田氏以外でも多くの識者が行っている。

成田悠輔&石丸伸二&ひろゆき※絶望的なデータが明らかに「石丸さんへの支持

 は希望というより絶望。政治家には死んでもなりたくない」

 成田悠輔の部屋【yusuke narita】  2024/07/12 11:22

 議員候補者に投票して政治を委ねる代議制度全体がそもそも時代的に見て限界にきており、少子高齢化は制度の機能不全を招いている要因の小さな一つに過ぎない…とする成田氏の指摘は鋭い。都知事選を巡る動きの背後で急激に進行する日本政治の危機は「若者の政治離れ」といった限られた世代の問題ではなく、もっと本質的で大規模な領域に及んできている…とするならば、一体、私たちは今何ができるのか、政治システムの根本から真剣に問い直すべきだろう。

 とりあえず教師としては地道に自分の授業のあり方を見直すことから始める他に手立ては無さそうだが…

車椅子アイドル、ほぼ全裸の都知事選ポスター騒動に私見 インプ稼ぎで「余裕で元

 が取れます」 日刊スポーツ新聞社 2024.6.21 7:39

【石丸伸二最新】※衝撃の支持率が発表され驚きを隠せない…当選確率の高さに腰

   を抜かしました ホリエモンのお前が終わってんだよ!【堀江貴文 切り抜き】

   2024/06/22  10:29

58【ものまねで時事ネタ】河野太郎が担任の先生だったら言いそうなこと。の巻 

   政治系ものまね 天遥の【 プラス 81 チャンネル 】 2021/6/9  5:28

嫁が突然野党みたいになってしまった河野太郎さん【ものまね】

   政治系ものまね 天遥の【 プラス 81 チャンネル 】 2023/5/23  6:10

   生徒たちに政治を身近に感じてもらうためにはこうしたお笑いも時折、必要ではないか。政治家が普段、マスコミを前にして使ういかにも意味ありげで難しげな専門用語、業界用語も、実際には国民を煙に巻くためのものに過ぎず、嚙み砕いて茶化してしまえば本当はこんな程度のオカシなセリフばかりなのかもしれない…と思ってしまうのだが、いかがだろう。

 まさに国や地方を問わず、「裸の王様」に過ぎないのが現今の多くの議員様たちの実態なのかもしれない。実際、食料自給率の向上を強く主張していた政治家志望の人物がひろゆき氏によって食料自給率の定義を答えられずに放送事故状態となってしまった黒歴史を持つ人を、十分、承知の上で自民党は敢えて比例代表枠の2位において衆議院議員にほぼ無条件で当選させている。

 つまり自民党にとっては一人一人の衆議院議員など、ただの数合わせ、多数派工作の駒に過ぎず、この程度でも務まると判断していることになる。ならばそう判断している自民党の議員も多くはその人物と同程度であり、ただの「裸の王様」に過ぎず、国民は彼らなどに騙されてはならないことになるだろう。これからは無垢の少年のように大声で素直に彼らを「裸の王様」と叫び、はやし立てるべきではないか。当の議員様が本当に政治を理解しているのか否かを、私たちはむしろ主権者の義務として事あるごとに、ひろゆき氏のように正面からしつこく試していくべきではないのか。

 これは教師たちが本当に教育の専門家であるのか否かを問うべく、学習主権者たる児童生徒や養育者たる保護者が最新の学校教育のあり方についての基本知識や理解の程度を各教師に質問を重ねながら確認してみるべきなのと、まったく同じ理屈であろう。まずは子どもの権利条約の趣旨を目の前の教師たちに確認してみると良い。仮にこうした質問に答えられないのであれば、その教師もまたただの「裸の王様」に過ぎないのだ。そうした教師を用いている管理職や教育委員会にも任命責任、任用責任は重くのしかかるに違いない。

 もちろん国会議員は制度面で問題が多いにせよ、一応、選挙という禊を経ているのだから、資質に関しては既に保証されている…との強弁もあるだろうが、小選挙区で落選しても比例代表枠で復活当選できる時代である。当選したことが一様に国会議員の質を保証するものではあるまい。

 そもそも、小選挙区で当選した顔ぶれを見れば分かるように、どんなに数多くの投票数を獲得した議員でも、実際に議員としての質に大きな問題のある議員は少なくあるまい。ただし、こちらの問題はもっぱら選んだ側、有権者の質の問題でもあり、当選者を一方的に批判するのもどうかとは思えるが…

 この動画を視聴した後、生徒たちがどのように感じたのか、生徒の感想や意見をアンケートで詳しく確認してみたい。

 

・都知事選後の動き~少子高齢化と地方衰退への対策~

 【石丸伸二vs安野貴博の妻】NewsPicks元CEO!地方創生で新挑戦…大複業時代

   とは?【坂本大典vs高橋弘樹vs黒岩里奈】

   ReHacQリハック【公式】  2024/09/27 43:15 

    少子高齢化と地方の衰退の問題を今後、どう解決していくべきなのか、考える上で非常に参考になる動画。特に一極集中しがちな東京のエリート人材を兼業、複業という限定的な働き方で敷居を低くし、地方に呼び込むことで地方と東京都の人事的交流を生み出し、地方経済の活性化を目指していくという坂本氏の斬新な手法は注目されるだろう。

 石丸氏のように都市部の若手エリート層が地方の議員や首長を目指すことで地方政治や地方経済の活性化はより本格的な成果を挙げられるに違いない。東京都知事選で「東京一極集中」を批判して知事候補に立候補した石丸氏および石丸氏と同様に都知事選の立候補した安野氏の妻黒岩氏がMCとなっているのも興味深く、教師としては授業の参考となる「目からウロコ…」の見解が少なくない。

その5.子供の貧困と奨学金制度

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

1.貧困問題

※以下は10年近く前にカッパが作成したプリント教材です。当時は定時制に勤めていたので政治経済な

 どの授業では貧困問題に触れる必要がありました。子ども、女性、母子家庭、高齢者の順に1か月近

 く、貧困問題の特集授業をしていた時のものです。データ等は古くなっておりますが、参考までに。

 

「子どもの最貧国・日本」(山野良一 光文社新書2008)より

 同書ではユニセフ(国連児童基金)の2005年の報告を基に記述されているが、最新のデータでは一層、日本の子ども(18歳未満)の貧困率(可処分所得が全世帯平均収入の半分未満である世帯に暮らしている子どもの割合)が高まっている。そこで最新のデータも加えて同書の論点を補強していくことにする。

 2005年の報告書では日本の子どもの貧困率は14.3%でOECD26カ国中17位であり、アメリカが25位(21.9%)、メキシコが26位(27.7%)であった。すでに日本の子ども貧困率がかなり高い水準に達していたが、2012年の報告(2009年の所得を基に算出)では先進35カ国中27位で貧困率は14.9%に達している(最新のデータでは16%突破)。これは2000年の報告では12位だったことを考慮すると日本の子どもの貧困問題が年を追って悪化していることを示している。なお2012年の報告ではやはりアメリカが34位(23.1%)、最下位はルーマニア(25.5%)であった。

 逆に貧困率が低いのは順にアイスランド(4.7%)、フィンランド(5.3%)、ノルウェー(6.1%)、スロベニア(6.3%)、デンマーク(6.5%)、スウェーデン(7.3%)などとなり、やはり北欧諸国が目立っている。

 さらに2012年報告での極貧率(可処分所得が平均の40%未満)を見ると日本は29位となり、債務問題で揺れるギリシャよりも下位に転落している。つまり日本の子どもの貧困率は年々悪化しており、数字の上では最悪のアメリカに近づきつつあるといえる。ノーベル経済学賞を受賞(2008年)したポール・クルーグマンの指摘(2012年)によるとアメリカは不平等の尺度として知られるジニ係数が社会騒乱の多発する0.4にあと少しで達するという。また所得格差が次世代にわたり固定化する傾向も強まっていて「アメリカン・ドリーム」は過去の夢と化しつつあるという。富裕層の世襲化が進む裏側で貧困層の世襲化(貧困の連鎖)も生じてきている。これは深刻な差別問題である。

 日本はこのアメリカに追随しており、低福祉、低負担で自己責任を基本として小さな政府を目指してきた新自由主義の破たんが迫ってきているという指摘もある。

2.一人親家庭の貧困率

 OECDの調査(2005)ではOECD全体(24か国)で日本が一人親家庭の貧困率ではトルコ(57.7%)に次いで高い数値(57.3%)を記録している。特に二人親家庭との比較では5倍以上の差が生じており、家庭状況の違いによる経済的格差の深刻な拡大が見られる。また働いている一人親は働いていない一人親よりもわずかながら貧困率が高い(57.9%―57.3%)という奇妙な結果が出ている。いわゆる「ワーキングプア」の問題が一人親の子どもを直撃していることが日本の最大の特色となっている(アメリカでは働いていない一人親の貧困率が93.8%で働いている一人親の貧困率は40.3%。多くの国は多かれ少なかれアメリカと同様のパターン)。

 その理由は日本では一人親が非正規雇用であることが多く(60%以上)、一人親家庭の年間の就労収入が平均でわずか166万円に過ぎないという点にある。

3.社会保障と子どもの貧困

 表を見て分かる通り、政府介入後に貧困率が高まっている(プラス1.4%)のは日本だけ。アメリカですら政府の介入後は貧困率が低下している(マイナス4.7%)。実は北欧の国々でも政府が介入する前の貧困率は日本と大差がなく、スウェーデンやフィンランドではむしろ日本よりも高いくらい(介入によってマイナス10数%)。これまでの日本の政策は何と貧富の差を拡大する方向に作用していることが推察できる。貧困は本人の努力、能力の問題であると決めつけてきた「自己責任論」がいかに欺瞞に満ちたものであるのか、分かるだろう。

 その理由は所得再分配政策(児童手当、児童扶養手当、扶養控除、生活保護等)があまりにも不十分で平等性に問題があるから。政府の家族関連社会支出の対GDPの割合はOECD26カ国中23位(下からメキシコ、アメリカ、スペイン、日本の順)。トップのスウェーデン、デンマークの3.8%に対してわずか0.6%に過ぎない。両者には6倍以上の格差がある。

 自己責任論が成立するためには労働市場が完全競争の状態になければならないが、日本の現実は違うようである。国会議員の世襲化に顕著に見られるように学歴も世襲化(大阪府堺市の調査では生活保護を受けている世帯主の72.6%が中卒または高校中退)が進む現在、家庭の経済格差によって教育や就労の機会の不平等は社会の随所に生じている。つまり機会の豊富さを左右する人的資本(健康な心身、技術、学歴等)や社会関連資本(頼りとなる人間関係等)は貧困家庭には多くの場合、欠損がかなりあると考えられるからである。

 「自己責任論」は貧困に対する政府の無策ぶりを隠ぺいすることに役立っているだけであろう。つまり心理学で指摘されている「因果応報」の心理(不当なイジメを受けている子を見ると、イジメられている子にも原因があると見なしてイジメを肯定しようとする心理)が日本の場合、貧困問題にも働いているようである。

4.アメリカの貧困問題

 1960年代から70年代にかけて南部の農村地帯に居住していた黒人の一部は工業化の進む北部大都市へ豊かさを求めて移動し、都市部の中心に住みついてスラム(ゲットー)を形成した。

 一方で白人の富裕層はモータリゼーションが進む中、自家用車を手に入れて郊外へと移動していった。また単純肉体労働の場はグローバリゼーションによって海外に拠点が移された結果、大都市のスラムでは60年代の後半から荒廃が進み、失業率が増大して殺人や麻薬(赤ちゃんの5%ほどが「ドラッグベビー」)などの犯罪が多発(黒人男子の三分の一は人生のどこかで刑務所に入る)するようになった。

 つまりこの時期は公民権運動によって黒人の権利が上昇していったにも関わらず、黒人の貧困問題は悪化していったのである。しかもアメリカの生活保護は三人家族で月450ドルが平均であり、5年間しか支給されていない。

5.学力格差と貧困

 PISAの結果の分析によって日本は徐々にアメリカ型の教育格差社会に近づいているという。つまり経済的格差の拡大が学力格差の拡大とリンクしていることが判明してきている。日本では徐々に学力中位層の一部が下位層に沈み込んできているのだ。家庭の経済格差と子どもの学力格差は上位層では年収800万円を境に算数の学力に大きな差が生じている。また下位層では年収200万円未満で大きな差が見られる。

 学力は子どもの努力の成果だけを反映しているわけではなく、家庭の経済力や保護者の期待度などが大きく関わっているようである。特に親の学歴以上に家庭の所得が子どもの知的、身体的発達だけでなく、子の成人後の所得にまで大きな影響を及ぼすという研究もある。すなわち、日米共に親の所得を増やす政策が切望されるということになる。

6.児童虐待と貧困

 貧困家庭では暴力やネグレクトの危険性が裕福な家庭と比べて数十倍も高まるという。アメリカは貧困大国であると同時に「虐待大国」でもあり、2006年のデータでは虐待による子どもの死亡件数が1530人(日本は60人ほど)。内、800人近くは年収1500ドル以下の貧困家庭である。アメリカでは虐待を通報させ、早期発見に努めてきたが経済的支援などの福祉政策をとらずにきたせいか、児童虐待による死亡件数はむしろ増えてきているらしい。

 長期に貧困を経験してきた人は裕福な人に比べ、失敗経験に対する耐性が低く、抑うつ感や身体症状をより強く持つ(倍以上)傾向があるという。「社会疫学」では問題に直面した時、貧困家庭のメンバーはより強くストレスを感じてしまい、意欲が減退しやすく、暴力や麻薬に走りがちになる。

 とすれば、子どもの養育環境が劣悪なものになるのは不可避であろう。また居住空間の狭さもストレスの原因となるだけでなく、成績低下の原因となることが指摘されている。貧困問題を放置し、犯罪や虐待を増加させる社会は戦争に対する免疫力をも低下させかねない。

7.日本の問題

 生活保護制度は2007年の北九州市で生活保護を打ち切られた男性が餓死した事件に象徴されるように、「水際作戦」がとられており、生活保護の支給を減らす努力が各市町村で行われている。財政難に加えて生活保護の不正受給が明るみに出たせいもあり(ただし問題になった1983年の不正受給者の割合は生活保護世帯の0.1%に過ぎないという)、行政側は貧困家庭に対して極めて厳しい。

 これは1980年代、行政改革の名のもとに福祉削減が進められてきた結果、特に子どものいる世代(20~30代)への支給が減らされてきたことに淵源があるという。つまり貧困家庭の子どもを直撃してきたのが「行政改革」の隠れた側面であった。高齢者への支援が強化される一方で日本の家族福祉への支援は後手に回ってきたと言える。

1985年の母子世帯の生活保護率は22.5%だったのが2005年には13.1%に。

 日本の母子家庭の貧困率は50%を超えている

 また児童養護施設は日本の場合、相変わらず、集団主義であり、平均60人(全国に約500の施設があり、約3万人の子どもを収容)ほどで生活している。しかも施設は常に不足気味。アメリカですら里親か数人規模のグループホームで対応しており、一対一のケアが実現しているのに、日本では十人以上の子どもを一人でケアしており、この点ではアメリカに百年の遅れをとっているという。

8.子どもの貧困が社会にもたらすコスト

 1994年に経済学者のソロー(ノーベル賞受賞)らは子ども時代の1年間に貧困状況にあると生涯賃金は約1万2000ドルの損失が生じると予想。アメリカの貧困な子どもは約1400万人、1年間で1769億ドルの損失となり、社会全体にとっても大きな損失。一方で子どもたちの貧困をなくすコストは年間約400億ドルで済むという。ソローらはこうした試算から子どもの貧困を放置することで国家は多くの金を失っていると主張した。

 イギリスでは子どもの貧困率が上昇していたが、1990年代、ブレア首相のときに子どもの貧困撲滅が叫ばれて2000年代に入り、貧困率が劇的に低下したという。問題の多いアメリカであるが、国家は無策でもボランティアと寄付は盛んで児童養護施設等は無料であり、民間福祉機関への寄付は毎年、10兆円から20兆円にのぼるという。たしかにアメリカでは20%の富裕層が全所得の60%を得ており、20%の貧困層は2.5%しか得ていない格差社会だが、ボランティアが遅れ、寄付の少ない日本と比較した時、実態はあまり違いが無いのかもしれない。

 ※参考動画

  【日本は世界一冷たい国】人助けランキング最下位の理由

   原貫太国際協力師 2021/12/15 12:28

  今の日本に、貧困状態にある子どもたちがいる。その数7人に1人。家には炊飯器がない。ガス

   も電気も止まってる。さらに水道も…。その事実を知った1人の女性が、支援に立ち上がりまし

   た。ABCテレビニュース 2020/12/26

   6分ほどなので視聴させやすい。

  ○【貧困】「子どもや若者はもう十分頑張ってる」フローレンス駒崎弘樹が怒りの主張!コロナ禍

   で体重が減る子も?子育て世代に必要なサポートを考える【ひろゆき】【生活保護】|#アベプ

   ラ《アベマで放送中》 2021/05/08

  ○【教育格差】EXIT兼近「大人になって気付いた」生まれた環境で人生が決まる?オンライン化で

   広がる教育格差【新型コロナ】|#アベプラ《アベマで放送中》 2020/05/22 18:43

      子どもの貧困。拾った新聞で字を学び、公園のトイレで髪を洗う。6人に1人の子どもが貧困。

       CBCドキュメンタリー  2021/12/01  57:27

         2017年に取材された古い番組ではある。歌集「キリンの子」の作者のエピソードと作品を縦軸に

   しながら様々な子供たちの貧困問題をドキュメンタリー風に追って作成されたラジオ番組。音声

   のみの内容に取材中の静止画像を取り込んで動画に仕立て直している。敢えて動画映像を用いな

   い、しかも長尺の番組だが登場人物の語りとナレーション、数々の静止画像が私たちの想像力を

   十二分にかき立ててくれる。

    非常に重いテーマだが、子どもの貧困問題や学校教育の問題を扱う上で必見の動画だろう。子

   ども食堂が全国で急増し、ついに中学校の総数と肩を並べるほどに達している現在、この問題は

   決して過去のものとなってはいない。今後とも、夜間中学やフリースクール、あるいは歌人鳥居

   氏が訴えてきた「形式卒業」といった学校教育の問題と併せて、しっかりと日本の貧困問題を取

   り上げ続ける必要があるだろう。

      ◎【こども食堂】食事だけじゃなく勉強も?居場所・コミュニティに?貧困支援のイメージどう払

   拭?|アベプラABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/03/11  15:05

  「無縁社会」といわれる日本社会では子どもの居場所作りという観点も極めて重要だろう。この番

   組以降も子ども食堂は急増し、2023年の12月現在ではほぼ一万か所に達しているらしい。沖縄

   が最も数が多いらしく、やはり沖縄の貧困問題はもっと注目されなければならないだろう。

・高校生ワーキングプア ―「見えない貧困」の真実―

 NHKスペシャル取材班(著)2018より

※以下は上記の本を元に10年以上前、カッパが作成したプリント教材です。データが

 古くなっているのでご注意ください。

 

1.子どもの貧困率

 2014年に16.3%(6人に1人の割合で300万人以上)

 ⇒ 2017年に13.9%(7人に1人の割合)・・・12年ぶりに改善

2.家計貯蓄率の低下

 ※家計貯蓄率=家計貯蓄÷家計可処分所得

 1975年:23.1%(世界でトップクラス) ⇒2013年:-1.0%

 収入だけでは不足し、貯金を取り崩して暮らす人や預貯金をする余裕のない人が増えているということ。

3.相対的貧困と絶対的貧困

 途上国で問題となる飢餓に直面するレベルの貧困が絶対的貧困

 相対的貧困は日本では年収が単身世帯で122万円以下

              2人世帯で173万円以下

              3人世帯で211万円以下

              4人世帯で244万円以下

  ※年収300万円未満の世帯割合は33.3%。一人親世帯の貧困率は50.8%で

   OECD33カ国中最下位

 児童のいる世帯では30%が「生活が大変苦しい」と回答、「やや苦しい」と合わせると63.5%(2017年)。しかし9割以上の国民は団塊ジュニア(40代後半~50代前半)を中心に「自分は中流層に属している」としている(2016年)。

4.奨学金問題

 大学生における奨学金受給者の割合は1990年代半ば10%台⇒2014年度51.3%

 急増のポイントは2004年に日本育英会から日本学生支援機構(独立行政法人)へ組織替えされた時で40%に達している。

背景

親の所得減少:サラリーマンの平均年収のピークは1997年の467万円⇒2014年には414万円で53万円ほど減少(2015年に415万円)

大学授業料の高騰

 私立大学:1990年度年間61万円余り⇒2015年度86万円余り

 国立大学:1990年度年間約34万円⇒2015年度53万円余り

高卒求人の激減

 ピークは1992年の152万3574人⇒2011年12万4829人で十分の一以下

 高卒で就職できるのは2割、残りは進学せざるを得ない

 ⇒奨学金を借りてでも進学せざるを得ない・・・「八方ふさがり」

 ⇒大学進学率上昇(1955年10.1%⇒2015年57.3%)

 奨学金を借りる歳の注意点として強調すべき事

  ・月額ではなく、総額に留意し、借りすぎないようにする。

  ・奨学金の専用通帳を作ってきちんと収支を確認できるようにしておく。

  ・返済に困ったら滞納する前に学生支援機構に連絡すること。

 ※場合によっては減額返還制度(月々の返済額を減らせる)や返還期限猶予制度

 (事情に応じて返済を一定期間猶予できる)の利用可能。また2017年度から卒業後

  に年収が約144万円未満であれば月の返済額は2000円に抑えることが出来る。し

  かし多くの利用者はこのことを知らず、2015年のアンケート(労働者福祉中央協

  議会)では60.5%が知らない。つまり多くの学生は奨学金のリスクをほとんど知

  らないまま多額の借金をしている。⇒滞納者急増と自己破産

奨学金制度の実情

 「貸与型」が基本で、学生本人が借りる

OECDの中で給付型奨学金が無いのは日本と無償教育の充実したアイスランドだけであった。2017年から給付型奨学金が日本にも導入されたが一学年につき2万人を対象とする限定的なもの。希望者の1割ほどが対象となるに過ぎない。

「無利子型」・・・第一種奨学金

 従来は成績の評定平均値が3.5以上という条件があったが、2017年度から成績を問わず、家計のみ(住民税非課税世帯であればOK)の条件。2017年度、国立大で自宅通学の場合、月額4万5千円、私立大学で自宅通学の場合、月額5万4千円

「利子型」・・・第二種奨学金

 2017年度、国立大学で自宅通学の場合、月額3万円、5万円、8万円、10万円、12万円から選択し、審査を受ける。利子は3%を上限。国立大学で月5万円を借りた場合、3%の利子とすると15年間で返済する場合、およそ300万円(利子60万円ほど)を返済することに。

・「入学時特別増額貸与奨学金」

 国の教育ローンを利用できなかった人が対象で10~50万円を利子付きで借りる事が出来る。入学時の納入金を払う為に利用。条件としては生活保護世帯または住民税非課税世帯であること。

 奨学金は基本的に入学後、支給されるので2~3月の入学手続きのために入学金や前期の授業料はあらかじめ用意しておく必要がある。それが用意できない場合にはまず「国の教育ローン」(日本政策金融公庫が融資)の利用を考えなければならない。奨学金との併用は可能。上限は350万円以内で住居費用にも利用可能。

 ただし奨学金と違い、保護者がローンの主体。手続きは最短でも20日間を要するが、早めに準備しておけば大丈夫。1~2月は申込が殺到するため、できれば12月までに手続きしておきたい。

 この「国の教育ローン」が利用できなかったときに学生支援機構の制度を考えることになる。その際、「国の教育ローン」が審査を通らなかったことを証明する「否決通知」を提示する必要がある。上限50万円を無利子で借りる事が出来るが、その50万円も4月以降にならないと借りられない。そこで「入学時特別増額貸与奨学金」を担保にして民間の教育ローンを「つなぎ融資」(銀行や労働金庫、社会福祉協議会)として借りることになる。極めて複雑なシステムとなっているが利用者は多い。しかしこれは「借金で借金をする=多重債務」という極めて危険な状態を生み出してもいる。奨学金による自己破産が急増している原因の一つにこの「つなぎ融資」の仕組みがあるのだろう。

 2015年のアンケートでは34歳以下の奨学金借入総額は平均312万9千円ほど、返済期間は14.1年で、月々の返済額は1万7千円ほど。借りた人の6割が有利子奨学金。有利子と無利子を併用する人も多い。

 返済は卒業後7箇月目から始まる。返済期間の最長は基本的に20年間。返済滞納の場合、一ヶ月後から本人や保証人への電話による督促が始まる。このことを知らない利用者は2015年のアンケートで71.7%に上る滞納三ヶ月を過ぎると本人の個人情報が各金融機関の加盟する個人信用情報機関へ登録され、「ブラックリスト」に挙げられてしまう(⇒ローンが組めない、クレジットカードが作れない等の支障が生まれる。このことを知らない利用者は75.7%に上る)

 それでも滞納すると9箇月目には裁判所に支払い督促の申し立てが行われ、裁判所から督促通知が郵送される。本人が裁判所に異議申し立てをしないと督促は判決と同様の効果を持つことになり、借りた金額の全額返還を求められる。それでも返還できないと給料の差し押さえなど法的手続きが取られる。

 延滞者は1989年度で約13万人。2003年度に約22万人、2014年度では約32万人と増加の一途をたどっている。延滞者の約8割は年収300万円未満。奨学金の返済については「少し苦しい」が27.7%、「かなり苦しい」が11.3%、合わせて4割近くが返済を苦しいと感じている。当然、非正規雇用者の場合には56.0%が「苦しい」と答えているが、正規雇用者でも36.8%が「苦しい」と答えている。卒業と同時に借金返済の苦痛が多くの利用者を襲っているのである。

 20~30歳代の長期にわたって返済の負担が続くため、結婚や出産などのライフイベントにマイナスの影響が及んでしまう。2015年のアンケートでは奨学金の返済が「結婚に影響している」と答えた人は31.6%、「出産に影響している」と答えた人は21.0%、「子育てに影響している」と答えた人は23.9%に達している。すなわち現在の未婚率の増加と少子化の背景に奨学金問題が潜んでいると考えられる。

5.アルバイト問題

 2016年、千葉県の公立高校で実施されたアンケートでは2515人の回答者のうち4割近くがアルバイトをしていた。内、週4日以上働いていた生徒は44%、平日のアルバイト時間が4時間以上とした生徒は46%にも達した。家計が厳しい生徒ほど自分の経済状況を隠したい傾向があり(「お金に困っても誰にも相談しない」と答えた生徒は家計にゆとりがあると感じている生徒の場合、14%なのに対して家計が苦しいと感じている生徒は29%)、高校生の貧困は見えにくくなっている

6.子どもの貧困問題

 2015年、日本財団が発表した子どもの貧困による社会的損失は貧困を放置した場合、将来的には40兆円を超える巨額の損失を社会にもたらすという試算を発表した。「子どもの貧困対策法」が2014年に施行されたが、具体的な数値目標が設定されていないため、地方自治体の対策も努力目標に過ぎない。一応民間からの寄付によって各地で「子ども食堂」や「学習支援教室」など、民間での取組が始まっているが、財政難を理由にお役所の取組はなかなか見えてこない。

 

参考動画

【年収×運動能力】「すごい人たちはすごい学校に自然と行けるだけ」親の収入が

 子どもの体力に影響?!成田悠輔がみる格差を解消していく方法とは|#アベヒル

 《アベマで放送中》2022/02/01 ABEMAニュース【公式】 9:12

 世帯収入と体力、学力と体力とは相関関係がある。

【学校給食】無償化なぜ実現しない?抵抗勢力は?事業者が破産も?たまにはピザ

   じゃダメ?ひろゆきと考える|アベプラ

   ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/09/30  16:11

 日本の教育予算の低さが現今の物価高騰により学校給食すら圧迫している。政府の責任は重い。子ども家庭庁は何のために創設されたのか?例の通り、「やってます」感を演出するための道具立てにすぎないのではその存在意義自体が疑われるだろう。

 

参考記事

大学生の生活保護、認めぬ方針継続 理由「一般世帯でもアルバイト」

 朝日新聞社 2022.12.5

 格差拡大の現実に対して目をつむる政府の対応に絶望的なものを感じてしまう。60年近く前に作られた基準が未だに通用してしまう現状をどうにかしないと「新しい資本主義」もまた「若者見殺しの老害政治」と揶揄されても仕方あるまい。

「4日間 何も食べず」高校生も 子どもの命守る無料食堂【Jの追跡】 

 2022/09/16 ANNnewsCH 10:21

 こうした実情に直面している生徒に高校が出来ることは極めて少ない。そもそも生徒はどんなに空腹だろうが、DVでどんなに辛かろうが、学校には家庭の内情を持ち込みたくないし、級友や教師には隠し通していたい。従ってこうした家庭のプライベートな問題は高校ともなるとステルス化してしまいがちで学校現場で表面化する事自体余り多くはない。

 しかもたとえ教師が生徒の異常に気付けた点があったとしても教師として出来ることはやはり少ない。このようなことは教育困難校では決して珍しくない問題であり、多忙を極めている教師が個々の事例に逐一介入できることは限られている。せいぜいケースワーカーを通じて児童相談所等の外部組織と連絡を取り合う以外に手はあるまい。基本的にはこうした生徒達にも興味深く楽しい、役立つ授業を提供することこそ、教師の本分・・・と心得るほかないような気がするが、いかがだろう。

 

・ヤングケアラー問題

参考動画

【ヤングケアラー】「家族か 自分の人生か」親の障害、精神疾患などと向き合い悩

 む子どもたち 動き出した支援の仕組みとは?【首都圏情報 ネタドリ!】

 | NHK  2024/02/02 9:54

【子供の未来を奪う】ヤングケアラー問題をわかりやすく解説

 2022/04/20 原貫太・フリーランス国際協力師 13:02

この症状か出たら自宅介護は「禁」!認知症専門医・長谷川嘉哉

 長谷川嘉哉チャンネル「ボケ日和 転ばぬ先の知恵」 2022.11.8 9:10

認知症患者さんには怒ってもいいんてす!認知症専門医・長谷川嘉哉

 長谷川嘉哉チャンネル「ボケ日和 転ばぬ先の知恵」2022/02/14 6:44

【若くてもなる】認知症の兆しは実は9年前から! 認知症が疑わしい言動や性格、

 症状10項目と「単なる年のせい」の違いを専門医がくわしく解説

 緩和ケアちゃんねる・かんわいんちょー 2022/11/05 24:53

【最期】人が亡くなる前の7兆候を2000人の死を看取った医師がお伝えします 死

 ぬ前に人はどうなる? 緩和ケアちゃんねる・かんわいんちょー 2022/06/25 

 24:52

参考記事

日本の教育への投資は平均を下回る…OECD「図表で見る教育2025」公表

    リシード 2025.9.10

    このデータから主に二つのポイントが指摘できるだろう。一つは高等教育に在学する学生一人当たりの公的財政支出がOECD平均の半分近くしかない、という点。二つ目は「OECD加盟国の中で高等教育段階全体の教員に占める女性の割合が31%で、OECD平均の54%を大きく下回り、もっとも低い」点である。

    近年、初等教育や中等教育への財政支出は増えているようだが、その分、高等教育への支出が割合的には減ってしまっているようだ。また女性差別の酷さは大学教員でも顕著に見られるという。「国家百年の大計」であるはずの教育がこれで良いはずがあるまい。

ヤングケアラーの実態に関する調査研究 日本総研

 2022年04月11日 紀伊信之、小幡京加、青木梓、和田哲

 小中高の児童生徒で家族の介護に忙殺されているヤングケアラーの率が急速に増えている。特に高齢者の認知症が激増する中で生徒の中にも祖父母の症状に振り回されて困惑している人が出てきている。こうした内容を授業で学習しておく事が一層大切になってきている。いずれも他人事ではない内容。

§5.日本の進路2.AIの進化と日本社会

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

不登校35万人時代「小中学校に通信制がない」のはなぜか?IT普及前のルールが“

 どもたちの学びを制限する現実 日刊SPA! 2025.9.9

 乙武氏の意見に全面的な支持をしたい。IT普及によって通信制のメリットが大いに生かせる時代となっており、これを利用しない手はあるまい。校舎不要で対人関係も広く築くことが可能、通学の不便を解消でき、同じ授業を繰り返し受ける事が出来る…こうしたメリットの一部は教師側も享受できるはず。小中学校でもぜひ通信制を認めるべきだろう。

参考動画

【禁断のマウス実験】食料∞・病気や天敵ゼロなのに滅亡…楽園実験「ユニバース

 25」とは何か?

 ぶーぶーざっくり解説【小学生でもわかる科学】 2023/06/23  13:24

 議論の材料として授業で使えそうである。AI、量子コンピュータなどの急速な進化により、科学技術は爆発的なスピードで高度化していくことが予想されている。人類は科学技術を駆使してやがて地球環境の悪化を食い止め、病気や貧困を克服し、ロボットたちに多くの労働を委ねていくのかもしれない。そして人々は近いうちに毎日、遊び暮らせるようになる時代が来るのかもしれない。

 しかし科学技術の発達と暴走がむしろ人類を滅亡させる戦争を引き起こしてしまうのかも…ロボットの手によって人類が滅ぼされてしまうのかも…

 この楽園実験はそうした人類の、必ずしも明るくない未来を予見させる要素があるかもしれない。仮にあなたが今後、死ぬまで遊び暮らせるとしたら、一体どんな日々を送りたい?ぜひ、生徒たちと一緒に考えてみたい。

参考記事

ハラリが警告「ロボット反乱」より恐ろしいAI

 東洋経済オンライン ユヴァル・ノア・ハラリ 2025.5.24

 AIが人類の統制から解放されて自律的に動き始める時、一体、何が起きるのか、ハラリ氏の警告に耳を傾けたい。

「人類絶滅の恐れ」、オープンAI現・元従業員が警鐘

   JBpress 小久保 重信 によるストーリー 2024.6.12

   元オープンAI「従業員グループは具体的に、①従業員が匿名で懸念を通報できるようにすること、②内部告発者に対する報復を行わないこと、③従業員の発言を抑圧するような合意書に署名させないこと、を求めている。」らしい。AIの目覚しい進歩の裏側で早くから懸念されていたAIの暴走、悪用の危険性。人類の滅亡すら招きかねない力を持ち始めたAIに対して、AIの開発に従事する人々の内部告発を抑圧する体制の見直しが強く求められているとのこと。

 ただでさえ公益通報システムの確立が遅れがちであり、不祥事の隠蔽が政官財の随所にはびこる日本ではとりわけ注目される動きであろう。

 授業ではAIそのものよりも、日本の公益通報のお粗末なあり方を、かつて原発の「事故隠し」に走った動燃問題や「食の安全」が問われた雪印事件、学校や教育委員会によるイジメ隠蔽事件、自民党の裏金問題、さらには敗戦後の一部のA級戦犯らの釈放と戦後の活躍、公益通報の中核たるべきマスコミのジャニー氏による性加害報道に見られる深刻な機能不全…などの事例を引き合いに出して歴史的に振り返り、なかなか公益通報のシステムが浸透しない日本社会が抱える問題点を多面的に考えさせたい。おそらくポイントとなるのは公益を犠牲にしてまで仲間内を庇おうとする、日本人の歪んだ集団主義的心性が一体何に淵源するのか…ということではあるまいか。

玄侑宗久チャンネル お悩み拝聴 恐ろしい時代がやってきました 60代男性 

 玄侑宗久チャンネル  2022/05/06 7:28

 アナログ過ぎる考え方かもしれないが、実際、技術の進歩がもたらした便利すぎることのデメリットというのはあると思うが、いかがか。少なくともゆっくりと立ち止まって生きていることの意義くらい考えるゆとりは欲しい…科学技術の発達スピードが加速している時代ではあるが、今、生きていることをしっかりと味わえるようなマインドセットは時代を超えて相変わらず必要だと思う。私もまた「無用の用」という言葉をかみしめながら、あえて老荘思想を少しばかり学んでみたい60代である。

玄侑宗久チャンネル 今を語る!一日暮らし

   玄侑宗久チャンネル  2023/07/29 9:13

 仙厓和尚の「人間はみんな生きている間は同い年ばい」という言葉の味わい深さ、「一日暮らし」、「日々是好日」の意味するマインドフルな生き方に学ぶことも必要ではあるまいか。ChatGPTの利用を功利主義的と批判する立場があることは弁えておくべきではあるまいか。

【成田悠輔vs東浩紀】絶望感の正体は?日本の闇【ガチすぎ本音トーク】

   ReHacQリハック【公式】  2023/10/07  54:12

 東氏の観光を哲学する中で得られた観点は日本の今後を考える上で非常に示唆に富む内容だったと思う。ネット社会、IT化の進展とアニメ、音楽、映画の世界同時配信、そして世界規模の観光の発展とが世界の分断をいずれ和らげる可能性を秘めているとの指摘は特に刺激的。日本、特に沖縄の観光業の発展は沖縄、日本の経済的繁栄だけではなく、平和構築にも貢献する可能性を感じた。ただし番組の終わりの方で漏らした日本社会の頑固さ、改革を阻む根強い保守性に東氏が抱く苦渋に満ちた諦念の深さにも思いを致す必要があるだろう。多少、長くて難解な部分もあるが、日本と世界の将来を見据えるためにもぜひ視聴していただきたいイチオシ動画である。

【浪漫ビジネス】なぜ「ぬいぐるみの旅行」が価値を生み出したのか?こんまりメ

   ソッドに学ぶ「トキメキを生む事業」とは?(山口周:ビジョンクエスト) 

  【NewSchool】NewsPicks /ニューズピックス  2022/12/17  14:47

 コンマリを例にして発想の転換の重要性を説く山口氏の切り口は非常に鮮やかで感心させられるだろう。「未来予測」をテーマとする授業で最初に視聴させると生徒たちの興味を引き付けられるだろう。

[超定義] AIのディープラーニングを町田啓太が超高速で解説してみたら「おまんじ

 ゅう」に決定!| NHK 2021/10/22 4:47

[サイエンスZERO] 未来の高級ステーキ!世界初の技術で塊肉を培養 | 次世代の培

 養肉 | NHK 2021/11/06 4:22

世界初!“生きた”皮膚で覆われた指型ロボット開発 傷も自力で修復可能 

 2022/06/10 ANNnewsCH 

 「ターミネーター」も夢では無い?

奇妙な日本のホテル:世界初のロボットホテルに泊まってみた!🇯🇵

 Ruhi Çenet 日本語  2022/10/26 11:30

 この動画の珍妙さに驚く。近未来の生活を想像させるにはピッタリの動画だろう。

robots are getting so advanced it's crazy from 2009 to 2021!

 love-robots  2022/12/18 3:15

 ロボットの進化を確認する上で役立つ動画。

【時論公論】解説 | ChatGPTに仕事を奪われる? 高度AIと共存するために必要な

 スキルとは | NHK  2023/04/20 9:42

 今、話題のChatGPTに関してその長短、今後の対応の在り方までごく短時間で要領よく理解できるオススメ動画。

【ChatGPT】テキスト生成AIの実力は?アフター検索の未来図も?

 ABEMA 変わる報道番組 #アベプラ【公式】 2023/01/11 14:45

 フェイクニュースが無制限に作れる点では怖さを覚える。他方でたとえば多様な観点から検討すべき社会課題への模範的と思えるような解決策を複数、箇条書きで示してくれるなどの応用力の高さが世界的に注目されている。次から次へと関連した質問に答えられるという対話的なテキスト生成能力を持つため、利用価値は確かに高いだろう。質問の仕方を工夫していけばAIの回答は一層、洗練されたものに変化してくる。しかもエクセルにも適用できるため、関数を覚えていなくともデータの整理、分析が極めて容易となっている。AIの持つ力を誰もが容易に引き出す事が可能となってきたと言う点では革命的な進歩といえるだろう。

【時論公論】〝AIで人類滅亡の危機!?〟 世界中の権威・研究者らが発した「リ

 スク」と「対策」とは | NHK  2023/08/10 9:56

【ChatGPTとBard】AIがついに世界を変える!ネット時代の覇者Google vs

  逆襲のMicrosoft 中田敦彦のYouTube大学 2023/2/11 28:03

【ChatGPTとBard】AIを制するのはMicrosoftかGoogleか?教育や職業はど

 う変わる? 中田敦彦のYouTube大学  2023/02/12 19:40

【GPT-4の使いこなし方】AIで仕事を作る人、AIに仕事を奪われる人!使いこな

 せば未来を掴める 中田敦彦のYouTube大学  2023/04/04 19:38

【GPT-4の使いこなし方】AIの上手な活用方法は「入力が7割、調整が3割」

 中田敦彦のYouTube大学   2023/04/05 18:52

【漫画】「ひろゆきのシン・未来予測①」をわかりやすく解説【要約/ひろゆき】

 フェルミマンガ大学 2021/11/03

【漫画】「ひろゆきのシン・未来予測②」をわかりやすく解説【要約/ひろゆき】

 フェルミマンガ大学 2021/11/04 12分

【日本が危ない!】いま、世界は幕末!?未来から来た女が言う『日本の危機』と

 は【未来から来た女 Vol.1】DLE channel2019/01/24

年金制度が崩壊し、日本から若者が脱出! そして2040年に世界大戦が起きる・・・?

 【未来から来た女 Vol.2】/2019/01/31

日本に残された道は「○○○○の放棄」しかない!?そして起こる『シンギュラリ

 ティ』とは【未来から来た女 Vol.3】/2019/02/07

AIが実現した『シンギュラリティ』 そして訪れる人間の『変化』とは・・・【未来か

 ら来た女 Vol.4(最終話)】/J2019/02/21

 生徒の状況によっては利用可能。 

【漫画】2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ【要約/ピーター・ディアマ

 ンディス】フェルミマンガ大学 2021/05/20

成毛眞が語る「2040年の未来予測」【中田敦彦のYouTube大学でも話題】

 NewsPicks 2021/02/01

【2040年の未来予測】次の時代の成功者になるには(Predictions for

 2040)中田敦彦のYoutube大学 2021/01/09

【2040年の未来予測】衰退する日本と予測されるリスクとは?(Predictions  for 2040)中田敦彦のYoutube大学 2021/01/10

【NFTとメタバース】デジタル資産になぜ数十億円もの価値がつくのか?世界の

 未来はどう変わる? 中田敦彦のYoutube大学 2021/11/06

 

参考記事

10年後「生き残る仕事」「なくなる仕事」の境界線 今後においてもAIにできないこと

 は何か? 東洋経済オンライン 川村 秀憲 の意見 2024.4.13

 …仕事は「意思決定」と「作業」に分解され、このうち「作業」に関しては、相当部分がAIに取って代わられる…「自分で何をするか決める仕事」は残り、「人から言われてやる仕事」はAIに取って代わられる…という時代の流れに沿った学校教育とは一体、どういうものだろう。ぜひ生徒たちに考えさせたい。

 …「その人」だから価値があると感じているものは、AIには入り込めない領域…であるならば個性、多様性を尊重する教育がもっと必要となるだろう。

 …AI時代の到来が本当に問うているのは、「あなたならどうするのか」ということだ…ならば自主的、自発的な言動がもっと尊重されなければなるまい。

 …問題は、大企業や組織力の高い会社に入ったことで、仕組化の歯車のひとつとなって、属人化を排除する組織の文化や風土に慣れて…しまう事だとするならば、徹底的な校則の見直しだけでなく、学習自体をもっと個別最適化させ、自由化すべきだろう。

 …これまで善とされてきた「標準化」「マニュアル化」はAIが担い、悪とされてきた「属人化」こそが私たちが生き残っていく術…であるならば、これまでの文科省の教育行政のあり方とは真逆に近い体制が再構築されなければなるまい。たとえば学習指導要領の大幅な見直し、画一的で管理主義的な教育の徹底的な刷新が求められるであろう。

民主主義を破滅させる巨大IT企業による「監視資本主義」

 毎日新聞 2022/10/19 05:30

 要領よくポイントをおさえた短い記事なので全文、読ませて討論させたい。

OpenAIのサム・アルトマンCEOも言及する「AIが人類を滅亡させる可能性」 

 マネーポストWEB によるストーリー 2023.4.5

ChatGPTの可能性と脅威、ビル・ゲイツ氏も持論展開 AI議論で注意すべき3点と

 は? ITmedia ビジネスONLiNE 2023.4.5

 

・メタバースと仮想通貨

参考動画

【新技術】NTTドコモ細かい表情をアバターに再現

 2022/01/17 日テレNEWS 1:09

米・フェイスブック社が社名を「メタ」に SNSの未来形「メタバース」とは?

 2021/10/29 TOKYO MX 7:04

岡嶋裕史×宮台真司×神保哲生:メタバースはリアルな世界をどう変えるのか【ダイ

 ジェスト】 2022/02/05 videonewscom 12:32

メタ(Facebook)が展開するメタバースのイメージ映像

 2021/10/30 Media Innovation 3:32 

 日本語字幕に設定する必要あり。

ネット上の仮想空間「メタバース」に商機 ビームスなど企業が続々と参入 

 【news23】 2021/11/26 TBS NEWS 6:14

メタバース“2700時間超え滞在者に聞く魅力・・・人間の五感を再現した未来も

 (2022年1月10日) 2022/01/11 ANNnewsCH 8:22

「メタバースとは」アニメで解説!次世代インターネットはもう目の前!?

 2021/08/15 やさにゅー大学 6:36

メタバースとは何か?超わかりやすく解説! 数年後に訪れる未来仮想通貨との関

 係は?2021/12/18 大人の学び直しTV 14:56

【アニメで解説】メタバースって何?2021年の最重要ワードを初歩から!

 2021/12/19 コアラ先生の時事ネタ祭り 13:53

「NFTとは」ツイートに3億円の価値!?今更聞けないブロックチェーン、イーサ

 リアムも簡単解説!2021/08/29やさにゅー大学 9:59

【17分で解説】NFTの教科書 デジタルデータが資産になる未来

 2021/12/25サムの本解説ch 17:17

【NFTとメタバース】デジタル資産になぜ数十億円もの価値がつくのか?世界の

 未来はどう変わる?2021/11/06 中田敦彦のYouTube大学 39:38

【NFTとメタバース】NFTはゲーム・ファッション・スポーツ・音楽業界の未来

 をどう変えるのか? 2021/11/07 中田敦彦のYouTube大学 37:41

 中田特有の話し方にウンザリする方も中にはいらっしゃるとは思うが、そこは我慢してとりあえず耳を傾けてみると何とかNFTやメタバースについてそれなりに理解が進むはず。

【ひろゆきvsせきぐちあいみ】ブロックチェーンでマネー大革命【お金の価値、崩

 壊?】 日経テレ東大学 2021/08/22 40:53

 嗅覚や味覚は化学変化を伴うので視覚や触覚、聴覚とのタイムラグが生じてしまい、VRが5感全部に適応される・・・というひろゆきの指摘は鋭いが、お金という一元的価値尺度がAIの進歩やNFTの進展によってどんどん目減りしていくのでは・・・という成田氏の指摘も相当、エグイ。非常に刺激的な対談。

 ※非代替性トークン(ひだいたいせいトークン、英: non-fungible token、略称:

   NFT)とは、ブロックチェーン上に記録される一意で代替不可能なデータ単位で

  ある。NFTは、画像・動画・音声、およびその他の種類のデジタルファイルな

  ど、容易に複製可能なアイテムを一意なアイテムとして関連づけることができ

  (鑑定書(英語版)と類似)、ブロックチェーン技術を使用して、そのNFTの所

  有権の公的な証明を提供する。オリジナルのファイルのコピーは、そのNFTの所

  有者に限定されず、他のファイルと同様に複製や共有が可能である。代替可能性

  (英語版)(英: fungibility)がない(複製が可能である為、自身の所有権の証明

  には成り得ても、他者の所有する同一のコピーが偽物である証明には成り得な

  い)という点で、NFTはビットコインなどの暗号通貨とは異なる。 

  ・・・ウィキペディアより引用

【解説】メタバース上の殺人どう裁く?全世代が活用可能?政府が「メタバース研

 究会」発足│政治部・小野孝記者 

 2022/08/02 ABEMAニュース【公式】 15:52

【VR】メタバースでも痴漢やストーカー?安全と監視のバランス

 2022/09/29 ABEMA 変わる報道番組 #アベプラ【公式】 20:06

 メタバース空間で過ごす時間が増えてくると予想される負の側面として何があるのか、プライバシーを脅かすような全面的な監視社会の成立を防ぐためにはどんな仕組みが必要なのか、考えていくべき課題は多い。視聴後、生徒にアンケートをとって意見を募りたい。

【Web3.0とDAO】インターネット以来の大革命に乗り遅れるとヤバい!ポスト

 GAFAM時代の幕開け 2022/06/11 中田敦彦のYouTube大学  39:11

【Web3.0とDAO】次世代の株式会社DAOの仕組みと課題を徹底解説!

 2022/06/12 中田敦彦のYouTube大学  25:44

 Web3.0の本質的な意義をかなり分かりやすく説明してくれている。近い将来にどんな社会が訪れるのか、ある程度の見通しを持てるようになりたい若者にとっては役立つ動画だろう。

 

・デジタル社会の進展

【思想をRethinkせよ】宮台真司と波頭亮が、日本の未来を見つめ直す。

 2020/11/29 NewsPicks /ニューズピックス 57:57

【ひろゆきvsせきぐちあいみ】ブロックチェーンでマネー大革命【お金の価値、崩

 壊?】2021/08/22 日経テレ東大学 40:53

 VR、DXなどの進展がもたらす「マトリックス」のような近未来の社会を想像してみると・・・果たして人類は「仮想現実」の生み出す快楽が「現実世界」が生み出す快楽を上回ってしまう時代がもたらすディストピアを回避できるのか?

成田悠輔さんに「20代はどう働くべき?」と聞いたら、「人目につかない場所にい

 ろ」と言われました 2022/04/01 新R25チャンネル 20:44

 SNSが発達した時代における若者の進路意識を高める上で非常に有益な動画だと思われる。「自分に最適の進路」を探すことは危険であり、多くの場合、無益である可能性が高い。20代は自分が出逢った仕事にがむしゃらに取り組むべきであり、大義、目的は大抵の場合、後付けの言い訳に過ぎない。大義を設定してから仕事を探すのは無用である・・・誰でも発信できる時代は悪目立ちしてしまいがちであり、ほとんどの若者にとっては危険が大きい。むしろあえて若者は人目に付かない場所にいることが大切・・・目立ちがりやの傾向が強い若者にとってはかなり耳の痛い指摘であるが、説得力はそれなりにあるだろう。

【成田悠輔 x 社会論】未来の仕事。学歴と収入。 【KIDSNA】

 2022/07/29 KIDSNA STYLE チャンネル【公式】 3:19

・・・安易に時流に乗ろうとするのは危険。周囲の動きに同調しようとするよりも古くから続いてきた仕事に注目すべき。

[NHKスペシャル5min.] ゲノムテクノロジーの光と影 “神の領域”への挑戦・最前

 線の現場 | NHK 2021/06/08 4:40

Z世代起業家が語る、web3における日本の課題とポテンシャル【渡辺創太×成毛

 眞】 2022/09/24 NewsPicks /ニューズピックス 10:30

【メディア革命】次なるメディアの王者は何か?成田悠輔が語る次世代の特徴と可

 能性 ReHacQ-リハック- 【切り抜き】  2023/07/15  9:06

【ネットの功罪】真実消滅!「情報の死」とは?【フェイクニュースの近未来】日

 経テレ東大学 2023/01/06 30:49

 フェイクニュースが世界中に出回る中でウクライナ侵攻が起きてしまい、巧妙で悪質なフェイクに踊らされて核兵器が使用されてしまう危険性は徐々に増してきている。フェイクニュースを拡散する人々の数は多くはないが、彼らの活性が極めて高いため、その影響力は決して小さくない。フェイクを見抜く技術と精緻なフェイクの作成技術とはコインの裏表の関係にあるだろうから、フェイクをネット上からなくそうとする政府の試みはイタチごっこに終わりかねないだろう。

 

参考記事

私たち現代人が気づけば「井の中の蛙」に陥るワケ 知らずに「フィルターバブル」に飲

 み込まれている 東洋経済オンライン 矢萩邦彦 の意見 2023.4.27

 

参考文献

◎「やばいデジタル~現実が飲み込まれる日~」NHKスペシャル取材班 

 講談社現代新書 2020

 ・・・ネット社会の進展は情報をくまなく迅速に行き渡らせることによって民主主義を支えていく・・・というこれまでの期待が裏切られつつある。フェイクニュースが人々の言動を操り、投票行動を強力に決定づけるようになったアメリカやイギリスの動き、あるいは中国のようにコロナ禍を契機にネットを通じて国家が人々の言動を隅々まで監視できる独裁体制の成立といった現状に警告を発している。

 国家や大企業だけでなく、個人や零細企業までもが他者を陥れる道具として、あるいは「フェイクポルノ」のように利益を得るべく特定の個人のプライバシーを勝手に侵害するようになっている。スマホのデータ一つ、たとえば位置情報だけでも個人のプライバシーの多くは瞬く間に裸にされてしまう。

 「デジタルツィン」と呼ばれる、自分とそっくりなもう一人の自分が自分の知らないうちにネット上を裸で一人歩きしてしまう日が来るかもしれない。幼少時からSNSに触れてきたZ世代はプライバシーよりも便利さを優先してしまいがちと言われる。しかし年収や家族、趣味、食べ物の好み、住所、職業、交友関係までもがたやすく他人に知られてしまう社会になっていることへの警戒は必要だろう。

 

 

 

 

 

カッパの伝言板

スポ根もの、戦争ものと学校教育との関係についての私的試論

 

・始めに

 昭和100年、戦後80年、あるいは1964年東京オリンピック、1970年大阪万博から半世紀余りを経ての昨今のオリンピック、万博の再開催…何かと昭和時代を振り返りたくなるような機運が高まってきた現在、私が個人的に最も注目するのは、戦後日本におけるマスコミと学校が子供たちに果たしてきた役割の大きさとその内容である。

 家族を除けば、マスコミと学校の二つこそが当時の子供たちの心に最も大きな影響を与える張本人であることはほぼ間違いないだろう。学校教育の子どもたちへの影響力が甚大であることはもはや言うまでもないが、テレビを中心としたマスコミの力も実際には相当、強烈なものがあった。ちなみに私の家に初めてテレビが据えられたのは多くのご家庭と同様、東京オリンピックをまじかに控えた1963年の末のこと。以後、テレビはラジオにとって代わり、たちまちお茶の間の王者として君臨するようになった。やがてテレビの無い生活が考えられないほどまで、テレビは私たちの日常に密着し必須のものとなる。

 何せ私たちは当時、「テレビっ子」と呼ばれた世代に属していた。とりわけ子供向けのドラマやアニメが私たちの心の持ちように与えた影響には計り知れないものがあるはずだ。それは一体、どんな影響だったのか、誰がはたしてどんな目的をもって私たちを洗脳していたのか…それを探らない内は安心してボケることもできまい…

 私は昭和33年(1958)生まれなので、物心がつく幼少期は既に高度成長期のど真ん中であった。ひなびた房総、市原の海浜部はたちまち埋め立てられて煙突の立ち並ぶ工場地帯となり、ついには「市原ゼンソク」が脚光を浴び、中学校時代には光化学スモッグ注意報や警報が繰り返される日々を送っていた。田んぼや畑は次々と整地されて家や店舗が建ち、山林原野もまた続々と開発されて広大な新興住宅地や団地群と化していき、工場地帯の労働者たちの住まいへと瞬く間に変貌を遂げていった。

 他方で私たちの周りにはいくつもの土管、ドラム缶が置かれた空き地が次々と出現しては消えていった。子どもたちの遊びの聖地は短期間で転々と移動を余儀なくされながらも、需要と供給にバランスはそれなりにとれており、しばらくは消えることが無かった。

 

 

 地域によって大きく事情は異なるだろうが、私たちまではいわゆるギャングエイジに辛うじて属しており、まだまだ草野球が盛んだった。異年齢集団でにぎやかに遊び暮らす日々は少しだけだが、私たち世代にはわずかながら残されていたのだ。

 しかし1960年代の中ごろからだろうか、経済成長期の活気が感じられる一方で、多くの私と同じ世代の子どもたちはある種の悪夢にうなされるようにもなっていたように思うが、いかがだろう。何か怖いものに追いかけられ、ひたすら逃げようとしてもがく…後味の悪い夢を少なくとも私は執拗に繰り返し見るようになっていた。

 落ちる夢、落ちそうになる夢、アリ地獄にはまる夢、追いかけられる夢、恐ろしい何かから逃げるために空を必死に飛ぶ夢、空から落ちていく夢、殺される夢、テストで白紙のまま時間が迫り、焦る夢…それらの夢は一体、何に由来していたのだろう。

 まずは自分の悪夢の正体を探りたい。当時の私(あるいは私たち)に悪夢を見せ続けた張本人を見つけ出したい…もちろん、今更、フロイトの説を参照するつもりは毛頭、無いのだが…

 

武道の復活

 敗戦後間もなく、日本は早速、GHQからいわゆるチャンバラ禁止令を出され、映画や演劇における剣劇の場面や、仇討ち劇(日本人のアメリカへの復讐心を煽るおそれから)が禁止されてしまった。また軍国主義的であるとされて学校における軍事教練や武道の授業が禁止された。

 あれから80年近く経ち、剣劇や武道を巡る状況は一変している。この間の劇的な変化がどのような目的でもたらされたのか、漫画やアニメ、さらに学校における武道の扱いの変化に注目して、その時代背景を絡めながら私的な考察を加えてみたい。

 以下、「戦後の武道教育についての研究―学校における武道の取り扱いに着目して―久保 優樹,武井 幸二,岸本 卓也 2017」(国士舘大学研究紀要)の内容の概略を年代順に示しておこう。なおこの論文は非常に良く整理されていて武道復活の歴史的経過をザックリと知るにはもってこいの資料である。

ア.武道の復活

・敗戦後ただちにGHQの指令により軍事教練や武道が禁止

・昭和25年(1950)、柔道が学校教育に復活サンフランシスコ講和条約

・昭和27年(1952)、剣道が「しない競技」という名称で復活

・昭和33年(1958)、中学校学習指導要領の改訂により柔道や剣道は「格技」とさ

 れ、男子のみが各学年一種目を行うこととされた。

 「道徳の時間」が設けられたことで格技は徳育をも担う種目として従来よりも重視さ

 れるように。

・昭和44年(1969)、中学校学習指導要領の改訂で格技の授業時数が倍増。ただの体

 力作りに止まらず、公正な態度、規則遵守の精神、責任感などを育成する種目とし

 て一層重視されていく。

・平成元年(1989)、中学校学習指導要領の改訂で「格技」から「武道」に改称され、

 戦前からの呼称としての武道が復活。「伝統的な行動の仕方に留意する」と定めら

 れ、礼法の徹底が図られた。もはや数あるスポーツの中の一競技という位置付けか

 ら別格扱いに。

・平成10年(1998)、中学校学習指導要領の改訂で「我が国固有の文化として伝統的

 な行動の仕方が重視される運動」や「武道に対する伝統的な考え方を理解し、それ

 に基づく行動の仕方を身に付けることが大切である」 

・平成20年(2008)、中学校学習指導要領の改訂で武道がついに必修化され、伝統文

 化の尊重、愛国心や道徳心の涵養が武道を通じて図られた。

  ←教育基本法の改正(2006):第一次安倍晋三内閣

 なお、武道の禁止から復活への過程は武道を描いた漫画や時代劇の禁止から復活への過程とはほぼ平行して実現しているので、そちらの動向も以下に示しておく。もちろん公職追放の解除や戦犯の社会復帰、戦争物の漫画やドラマの復活、軍隊の復活もまた武道の復活と軌を一にしている。総じて「戦前への回帰」とも捉えられるこれらの動きをもたらした最大のきっかけは朝鮮戦争によるアメリカの対日政策の転換と考えられる。アメリカの属国としての平和主義国家日本から、たくましさを備える「反共の防波堤」としての同盟国日本、という新たな位置づけが始まったのである。

イ.時代劇の復活と終焉

・敗戦後、いわゆる「チャンバラ禁止令」がGHQから出され、剣戟のシーンや仇討

 ちシーン(アメリカへの復讐心を煽るおそれ)は御法度に。

1951年頃から時代劇の復興が見られるように←サンフランシスコ講和条約

 姿三四郎の映画化、テレビドラマ化が続々と行われ、テレビアニメも登場。

 漫画の世界でも武道を描いた作品が登場し、1952年から1954年にかけて柔道漫画

 『イガグリくん』(福井英一)が『冒険王』で連載された。この作品は講談や時代劇

 などで描かれてきた伝統的な日本人的心情に則ったもので、柔道だけでなく異種格

 闘技戦の要素も含んだ作風は熱血スポーツ漫画のルーツとも呼ばれ、後の作品群に

 大きな影響を与えることになったという。

・1960年代半ば以降、時代劇の映画上映は減少する一方でテレビ放映が急増

・「柔道一直線」(TBS:1967~71)ブーム、スポ根ものドラマの一つ。

・「おれは男だ」(日テレ:1971~72)ブーム

・1990年代、いわゆるトレンディドラマの流行によって時代劇衰退

 なお、手段や理由が何であれ、「人殺し」シーンに子供たちまで拍手喝采を送るドラマの是非については、西部劇や戦争物の映画を含めてきちんと議論すべきだろう。

ウ.武士道と武道と阿部選手号泣の件

 戦争ネタと体育での格技の導入は子どもたちをただの平和主義的な仲良し、良い子集団から、より戦闘好みの競争的、集団主義的気質に変えていったのでは…少しうがった見方をすれば、これは武士道と臣民の道の復活なのか…武道復活の過程を省みると疑わしい側面がかなり潜んでいることに気付く。

 パリオリンピックでの柔道で阿部詩選手号泣の件をめぐり話題となった東国原氏の否定的意見をどうとらえるのか…こうした点では興味深い議論が期待できそうだ。

 この問題に関して、柔道をあくまで武道として捉えるのか、国際的なスポーツの一種目として捉えるのか、どちらの観点に軸足を置くのかで意見は分かれる、とする見方もあるだろう。今日の見方として欠かせないのは、戦後の武道を戦前までの武道と異なる視点でもう一度捉え直すべきだとする観点ではあるまいか。

 かつての武道は基本的に神道や武士道と強く結びついており、道場には神棚が置かれ、神聖な場として常に清められる必要があった。とりわけ剣道を中心に武道は武士道とも分かちがたく結びついていた。武道界にはびこっていた男性優位の年功序列型体質は、体罰やシゴキを容認する古臭い武士道の影響抜きでは語られないだろう。

 たとえば柔道をあくまでもスポーツの一種目として位置づけ、今後もオリンピックの種目として維持していきたいのであれば、柔道連盟は武道の持つ神道的な要素を薄め、かつ男性優位で年功序列型の師弟関係を徹底的に排除していく必要があるに違いない。阿部選手号泣の件では柔道というスポーツを殊の外神聖化しようとする立場からの批判が目立つ。この傾向は以上の点で強く警戒すべきことではあるまいか。

 他方で「礼を持って始まり、礼を持って終わる」といった武道精神の一部に宿る、相手への敬意を忘れずに礼儀正しさを重視する精神は、平和の祭典たるオリンピックにふさわしいものがあり、むしろ日本はこの精神をより積極的に世界に知らしめ、スポーツ界全体に広めていくべき立場にあるのではないか。

 すなわち武道を国際的なスポーツとしてより一層発展させたいのであるならば、まずは武道を神道及び武士道と明確に切り分け、専ら礼を重視する立場に軸足を置いて考えていくことが肝要であると考える。

 シタガッテ欧米のスポーツの一部の在り方にも問題があるだろう。かつてのサッカーのように暴力的な反則が競技内で横行し、行き過ぎた勝利至上主義の結果、暴動や戦争すら招きかねない、煽情的な競技の在り方は決してオリンピックの精神にふさわしいとは言えまい。

 そうした中で日本のサッカーは多くの場合、相手チームへの敬意を失わず、試合後、競技場の清掃に協力してきたりした。こうした日本人の清々しい行動の背景には、武道のもたらす好ましい影響が多かれ少なかれ潜んでいると私は考えている。

 逆に剣道界の様に日本の伝統に固守する頑迷な勢力が強いのであるならば、剣道がオリンピックの種目とされることはやはり諦めるべきだろう。また学校体育や部活動においても、仮に神道や武士道との繋がりを断てず、道場から神棚を一掃して暴力的な鍛錬主義を一掃できないのであるならば、剣道は今後、学校における体育の種目および部活動からから全面的に除外すべきと考えるが、いかがか。

 

少年向け戦争ものの隆盛(1960年代中頃)

 少年向け戦争物の先駆的番組「快傑ハリマオ」(1960~1961)は日本テレビ系ほかで放送。太平洋戦争直前の東南アジアやモンゴルを舞台に、正義の日本人男性・ハリマオが、東南アジア(第4部を除く)を支配する某国の軍事機関、彼らと結託する死の商人や秘密結社、スパイ団と戦う冒険活劇。

 太平洋戦争直前、マレー半島に大日本帝国陸軍に協力した義賊「マレーの虎」「ハリマオ」こと谷豊という人物がハリマオのモデル。谷の活躍は当時のマスコミで宣伝され、大映が現地ロケを行って『マライの虎』という映画を制作し、戦時中に大ヒットさせている(1943年)。

 敗戦後しばらくの間、軍国主義のシンボルとしてその存在は忘れ去られていたが、「昭和の妖怪」(1960年当時の首相は岸信介)の如く、なぜか子供向け番組のヒーローとしてブラウン管に復活していた。

 1960年代に少年時代を送った世代は本格的にテレビの洗礼を受けている。したがってテレビが家庭に普及し始めた頃に登場した「怪傑ハリマオ」が当時の少年たちに与えた影響は決して小さくなかったと思われる。

 当時の男子たちが楽しんでいたごっこ遊びは圧倒的にチャンバラが多かったが、やがて戦争ごっこも加わっていく。いずれにせよ、人の命を奪うシーンが繰り返されるような、殺伐としたごっこ遊びの増加は当時の子どもたちの心に一体どんな爪痕を残していたのだろう。しつこいようだが、個人的にはひどく気になるのだ。

 

    東京オリンピック開催の前年にあたる1963年、少年マンガの世界はどんな特色が見られたのか。少年キング創刊と戦争漫画の出現は一体、何を意味するのか…ヒトラー政権の下で開催されたベルリンオリンピックを思い出したい。

 実は切磋琢磨してメダル獲得を目指し、競い合うスポーツと国家間の戦争とは極めて相性が良かったのだ。日本のプロ野球の父、メディア王の正力松太郎が戦前からスポーツに目を付けていたのはそこではなかったか?

    1968年創刊のジャンプが掲げるスローガンは「友情・努力・勝利」。これは勝利至上主義、そして根性と協調性を偏重する日本の学校での運動部の伝統と見事に調和し、響き合う。

 

 

 高度経済成長をもたらした池田勇人内閣の時におけるこの集中豪雨的な戦争ネタの多さは当時の子供たちの好み、感性を戦闘好き、競争好きに変えていったはず。1964年の東京オリンピックをはさんだ時期における戦争ネタの洪水は同じ1964年、トンキン湾事件を機にベトナム戦争へのアメリカの介入に刺激されて国威高揚と日米安保体制の強化、再軍備の推進を図ろうとする日本政府の密かな意図が見え隠れする。

 罪深いのはテレビ局や新聞社、学校だけではない。講談社や集英社、小学館といったマンガ週刊誌を出していた出版社も同罪だろう。

 

 チャンバラごっこに加えて戦争ごっこという遊びも流行。これは身もふたもない言い方をすれば戦時中にも見られた人殺しを遊びにしてしまうような風潮が子供の世界に急速に復活してきた、ということに違いない。それは日本の再軍備の歩みと教育の復古、管理統制強化とが平行しつつ、きな臭さを強めていたこの時代の空気感を素直に反映しているに違いない。

 1960年代に入り、突如として戦争ものの漫画、アニメ、ドラマ、プラモデル、玩具が激増する。この時期、子供たちにあたかも集中豪雨のようにして浴びせられた戦争ネタによる一種の洗脳がその後、私たちテレビっ子世代にどのような精神面での爪痕を残していったのか、少しばかり考えてみたい。

 

学校教育とマスメディアの責任

 学ランとセーラー服が陸軍、海軍(水兵)の軍服に由来することは周知の事実。学帽やランドセルも軍隊由来のものである。テレビ局や新聞社、出版社も罪深いが、最も罪が重いのは学校教育であると私は考えている。マスコミと学校教育とが今の私たちの世代の精神性を根底で形作ってきた二大戦犯ではないのか。

 特に近年はマスコミへの批判が集中し、「マスゴミ」などと揶揄されているが、子どもたちの洗脳という観点で一層罪深いのは学校教育の方なのだ。明治以降の150年以上の長期間にわたって国民がそのことに気付けないのは、私たちが幼い時から繰り返し無意識のレベルにも及ぶ学校での巧妙な洗脳の成果に他なるまい。

 なお運動会の原点はイギリス海軍の指導で1874年、海軍兵学寮に導入された「競闘遊戯」である。組体操と騎馬戦は団結力と闘争心の養成に役立つため、児童生徒への危険性は承知の上で戦後においても強行されてきた。

 そもそも学校には早くから丸刈りの強制、体罰の容認など、人権軽視、コンプライアンス度外視の伝統が根付いていたといって良い。たとえば学校での体罰は明治中頃、教育令(1879)、小学校令(1890)によってとっくの昔に禁止されていた。が、その当時から既に体罰禁止規定が学校現場で守られた試しはほとんどなかったのだ。

※なお学校の兵営化は戦時中、実際に行われた地域もあり、また校舎が軍需工場に利用された場合もあ

 った。こうした結果、学校は戦闘機による機銃掃射のターゲットとなり、教職員や児童生徒らにも数

 多くの犠牲者が生まれてしまった。

 

 学校は何よりも子供たちの心身の鍛錬の場であった。したがってクーラーが普及した時代でも長い間、学校だけは教室にクーラーが設置されていなかった。特に体育館はいまだにクーラーの設置率が低く、夏の間、住民が豪雨などの災害で避難のために殺到してしまうと避難民は地獄を見るはず。

 冬も体育館の床はすぐ冷えてきて小さなストーブでは安眠できず、ほとんど防寒としての意味をなさない。このことは東日本大震災で一度、世間に知れ渡っていたはずだが、能登半島での地震で、またもや学校の避難所としての設備不足、機能面に大きな懸念と疑惑が浮上してしまった。私たちは先進国内最低レベルの低予算で教育を切り盛りしてきたのが日本であることに、災害発生時、改めて痛感させられるのだ。

 敗戦後、日本の学校はアメリカの指導下、民主主義的な方向で大きく変えられていったはずだが、実際はそうでもなかった。たとえば高校はアメリカのハイスクールをモデルとしながらも、その実、新制高校の三大原則であった「男女共学、小学区制、総合制」の中で一部でも実現できたのは恐ろしいことに男女共学だけであった。しかもその男女共学ですら埼玉県などではいまだに不十分なままである。

 すなわち戦後の学校教育は実際には戦前と大差なく、相変わらず皇国民錬成の場におけるがごとく体罰を是認し、根性を鍛える精神主義的志向が強かったのだ。さらに一斉講義形式を中心とした画一的授業に見られる管理主義的で同調圧力の極めて強い集団主義が随所に色濃く残存していた。戦前から法的には禁止されていたはずの体罰や時代遅れのブラック校則の存在がそれを雄弁に物語っているのだ

 こうした学校の非民主主義的で非合理主義的な体質は、たとえば軍事教練を起源にした組体操(ことに人間ピラミッド)や騎馬戦、棒倒しといった危険な種目を戦後も長らく学校行事や体育の世界に温存させてきた点にも見いだせる。大阪府や神戸市で骨折や死亡事故を連発させながらも執拗に続けられた人間ピラミッドの問題はいまだに記憶に新しいだろう。

 学校での軍隊式鍛錬と次に述べるマスメディアが提供するスポ根ものとは、ともに協調性と根性を重視する精神主義的性格において共通しており、極めて両者は相性が良かった。そして心身の鍛錬を名目とする勝利至上主義は広陵高校野球部の件を例に出すまでもなく、校内での暴力やイジメを生み出す土壌となっていたはずである。

 

スポ根ものの隆盛(1970年前後)

 

 

 スポコンものの代表格である「巨人の星」(1968年から読売テレビ・日本テレビ放送、作画は川崎のぼるで原作は梶原一騎)は現在ではコンプライアンス上、放映の許されない描写が続く。しかし当時の少年達の多くは大リーグ養成ギプスにすっかり感化されて親にエキスパンダー(1954年発売開始)を買ってもらい、自分なりに巨人の星を目指して筋トレに励んでいた。1969年にベストセラーとなった石原慎太郎の「スパルタ教育:強い子どもに育てる本」(カッパホームス:光文社1969年)もその後のスポ根ブームを招来した土壌の一つに数えられるだろう。

 女子向け「スポ根もの」アニメの代表格が「アタックNO.1」(浦野千賀子原作)。1968年から週刊「マーガレット」連載。テレビアニメとしては1969年からフジテレビ系列で放送。現在では絶対に許されないレベルのスパルタ式猛特訓、まさに「不適切にも程がある」描写は東京オリンピック(1964)で女バレチームが金メダルを獲得した際の大松監督の指導を想起させる。なお女子向けスポ根ものは他にも「サインはV」、「エースをねらえ!」などがあった。

 スポ根ものの代表的な原作者である梶原一騎(1936~1987)は知的エリートの父と体格の秀でた豪放磊落な母との間に長男として生まれる。戦時中、戦後間もなくの厳しい時代に少年期を送り、疎開などで九州、東京を転々とする中、小学生から中学生にかけて軽犯罪を繰り返し、4年間を教護院(現児童自立支援施設)で過ごす。しかし17歳でボクシング小説が「少年画報」で入選。1962年、プロレス漫画の原作が「週刊少年マガジンに連載され、26歳で人気作家となる。

 彼は「巨人の星」(1966~)、「柔道一直線」(1967~)、「明日のジョー」(1968~)、「タイガーマスク」(1968~)「キックの鬼」」(1969~)、「赤吉のイレブン」(1970~)、「空手バカ一代」(1971~)、「侍ジャイアンツ」」(1971~」などの作品を通じて底辺から這い上がろうとする男の子を主人公に据えてきた。彼らは皆、様々な試練を乗り越え、限界を突破しようとするスポーツマン、熱血漢であった。彼らの物語は敗戦の焼け跡から必死で立ち上がろうとしてきた世代からも大きな共感を呼び、10代の少年だけではなく20代、30代の若者をも虜にしていった。

 1970年3月31日に発生した『よど号ハイジャック事件』では、犯人らが「われわれは明日のジョーである」〔ママ〕と声明を残している。そういえばあしたのジョーの主題歌を作詞した寺山修司(1935~1983)の作品に「 マッチ擦るつかのま 海に霧深し 身捨つるほどの 祖国はありや 」がある。

 「身捨つる」に足る何かを求める激しい捨て身の思いは「滅私奉公」を強いられた戦時に育った者に特有の精神なのかもしれない。彼は1935年生まれ、つまり一騎と同様に国民学校世代に属していた。47歳という若さで肝硬変で亡くなる死にざまもこの世代らしさを強く感じる。

 寺山と一歳差、1936年生まれの梶原一騎は川崎のぼるの作画で「巨人の星」を少年マガジンに1966~1971年にかけて連載し、1968~1971年、テレビアニメ化された。大ヒット作となったが、父親の星一徹による暴力シーンは現在、コンプライアンス上の問題をはらみ、大リーグボール1号などは現在のスポーツマンシップとは明らかに異質で相容れないものである。この作品、どう見ても青少年の健全な育成に反するレベルでの、手段を択ばぬ勝利至上主義の危険な臭いが濃厚に漂ってくるだろう。

 すなわち梶原一騎の作品にはどうやら目的のためには手段を択ばぬテロリストの論理のような気配が見え隠れするのだ。後の過激派による捨て身のテロ行為、内ゲバを多少は正当化する側面があったのかもしれない。しかし何はともあれ、現在の60代から70代の世代は間違いなく、こうした激しい闘争心を骨の髄まで沁み込ませられていたのではなかったか。

 少なくとも「あしたのジョー」の最後で主人公矢吹ジョーが燃え尽きた姿を見せた時、過労死を美化しかねないほどの「燃え尽き症候群」的精神は私たちの世代にしっかりと充填されてしまっていたようでもある。

 これはもしかしたら三島由紀夫(1925~1970)の武士道的美学にも通じていたのではあるまいか?それは生き様よりも散り際の潔さを尊ぶ、「死に狂い」の武士道に通じる美学にもつながりかねない危うさを持っていたのではあるまいか?

 梶原一騎の晩年は傷害事件、麻薬疑惑などのスキャンダルを連発させていた。そしてたちまち人気を失い、暴飲暴食もあって1987年に急死している。

 

 「明日のジョー」には熱狂的なファンが多く、作中キャラに過ぎない力石徹の死を惜しんで1970年3月24日、講談社で葬式が盛大に執り行われたことは有名である。

 マンガやアニメに熱狂したテレビっ子世代は他方で、60年安保、70年安保の敗退、学園紛争の収束に伴い、若者に成長していく過程で急激に政治離れを進めていった。かつての「テレビっ子」の多くは結局のところ、三無主義の「シラケ世代」と呼ばれるノンポリ青年となっていったのである。

 

 昭和世代の日本人には敗戦後の焼け跡から星一徹の如く逞しく裸一貫でのし上がってきたというそれなりの一体感と自負とがあった、と指摘する人がいる。おそらく戦後しばらくは普通の人々の間に現代ほどの経済的格差による大きな社会的亀裂は生じていなかったのではあるまいか。即ち1970年代の日本が「一億総中流社会」と懐古されるゆえんである。

 しかし1970年代後半からは簡単には埋められぬほどの経済的格差が随所に目立ち始めていた。その格差を何とかして努力と根性で埋められなければ周囲から怠け者、根性無しと罵られかねない・・・子供達はそのように身構えながら、毎日手に汗を握り、ブラウン管から繰り出される「スポ根もの」アニメの洗礼を不用意にも放射能のように毎日、浴び続けていたのかもしれない。

 少しでも怠けたり油断して手足を休めようものならズルズルと奈落の底まで堕ちてしまうかもしれないアリ地獄のような恐怖と悲壮感…自分の将来への得体の知れない重苦しい不安・・・いつ果てるとも分からない競争社会の闇にやがて多くのテレビっ子世代は飲み込まれていくことになる。

 

 

 酷薄な受験戦争とモーレツ社員の時代の到来である。どうやら軍国主義的な風潮の復活によって甦った精神主義、「滅私奉公」の集団主義は「スポ根もの」という平和主義的な装いを得て「社畜」とも呼ばれた企業戦士を力強く支えていく、闘争心あふれる精神を自らの魂に装填していたのかもしれない。  

 「血の汗流し、涙を拭くな…」といった体罰とシゴキを前提とする軍隊式、スパルタ式鍛錬の積み重ねこそが勝利をもたらす・・・そんな戦時中の「大和魂」の根性論に限りなく近い精神主義が当時の少年達に繰り返し刷り込まれていた。1972年の札幌オリンピックは「日の丸飛行隊」の活躍などにより、スポ根精神論を再活性化するのに大きな役割を果たしたに違いない。

 これは当時の少年達にとって実に効果的な洗脳策であったように思える。実際、この世代はやがて「受験戦士」として受験戦争を戦い、「企業戦士」となってからは苛烈な経済戦争の渦に巻き込まれて長時間の残業を耐え忍び、挙げ句の果てに「24時間戦えますか」(リゲインCM:1989~91))などと「過労死」まがいの世界へ向けてひたすら叱咤激励されていく。

 「シラケ世代」と揶揄されてはいたが、熱血スポ根アニメの影響力は私たちの世代から決して消え去ったわけでは無かった。彼らは長じて企業に就職するや否や「産業戦士」として新たな熱血ドラマの世界を駆け抜けていく。その多くは確かに政治的にはシラケていたが、勉学においては激しい受験戦争を努力の末に勝ち抜こうとする受験戦士であり、労働においては多くが過労死をも辞さないほどに熱血漢であったのだ。 

 子ども時代にマンガやアニメから繰り返し受けてきた努力と根性の「熱血漢」として、精魂尽き果てるまで戦い続けるべし、という教え、呪縛から、既に初老を迎えつつある私たちははたして自由になれているのか、否か…

 

 テレビっ子世代はこうして常に激しい競争社会に踊らされ、煽られ、燃え尽きるべく強力に駆動されてきた、市場競争におけるただの駒の一つであり続けたに過ぎないのだろうか。そして私たちは「一旦緩急有れば義勇公に奉じ」…本物の戦士として潔く戦場に赴く「醜の御楯」となれるよう、学校や漫画、アニメによって洗脳されてきた…そうした側面を今もあわせ持っているのだろうか。

 武道が学校体育においてひときわ重視されていったのは、それがスポ根ものと戦争ものとを密かに結びつける接着剤の役割を期待されていたからなのではあるまいか。

 

 今、体育教師に厳しく問うべきは武道の精神と武士道との違いとは何か、という一つの重大な疑問、疑念だろう。その境界が曖昧にされてしまうようなら、学校スポーツを軸とする日本の学校教育は、いつの間にか武道と言う名の戦場へと通じる通路を利用していずれ児童生徒たちを再び戦場へ送り込むことになるのかもしれない。

 とは言え、朝ドラの「あんぱん」で国民学校の教師だった主人公のぶが犯した過ちを、今さら現代の教師たちが繰り返すわけにはいくまい。私たちは今一度、立ち止まって戦後日本の歴史をじっくりと振り返ってみるべきであろう。

 

 人類はこれまで競い、争うことにあまりにも過剰なレベルで情熱を注いできたように思う。戦争やスポーツ、出世競争、受験勉強…ドラゴンボール、ナルト、ワンピースそして進撃の巨人、鬼滅の刃、チェンソーマン…マンガ、アニメの世界でも延々と何がしかの闘争が繰り返されている。闘争は自己目的化して次々とゲーム化し、エンタメ化して装いを新たにしつつ私たちを虜にし、いつまでも飽きさせない。

 あたかも魔法にかけられたかのように、私たちは考えることなく闘争というゲームに没頭してきたのではあるまいか。しかし、まさか私たちは競い、争うためだけに生まれてきたわけではあるまい。そろそろ闘争の場から少し距離を置いて、闘争がもたらした負の側面にもテレビっ子世代として目を向けてみる必要があるのではないか。

 

⑩教育改革が進まない理由

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
 

参考動画

全国35万人不登校時代を逆転!五十嵐立青の〈つくばメソッド〉【前編】#11

 東修平の対話チャンネル【公式】 2025/05/06  32:39

 つくば市が掲げた「教え」から「学び」へ、「管理」から「自己決定」へ、「認知能力偏重」から「非認知能力の再認識」へ、という三つのスローガンは決して目新しいものではないが、それらを実際の学校現場に実装していくには大きな困難が伴うであろう。特に行政と教育行政との間に立ちふさがる壁はなかなか手ごわいようである。

    五十嵐氏は時間をかけて壁を乗り越え、教師の負担を減らすためにも教育予算を増額し、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、学校支援員を増員して教育と行政をつないでいったという。こうして東氏、五十嵐氏、高島芦屋市長、石丸氏らが続々と地方行政の立場から学校改革に乗り出してきており、教育改革は教育界の外側から少しずつ実現しつつある。

 工藤氏によるかつての麹町中学校の改革のように、そろそろ本家本元の教育界の内側からも大胆な改革が表面化してきて欲しいところであろう。

【激論】国80億vsつくば5億!五十嵐市長が語る不登校"逆転パッケージ【後編】

    #12 東修平の対話チャンネル【公式】 2025/05/09  30:20

 学校の保守性、閉鎖性を管理職の一部が創り出している傾向はどこでも見られるだろう。管理職の適性が厳しく問われるべきではある。しかしつくば市を見ると、そうした壁を市長がある程度まで崩すことは可能なのかもしれない。

【成田修造vs川上量生】日本教育の失敗!?受験勉強は必要か?【ZEN大学vsHR高

    等学院】 ReHacQリハック【公式】 1:28:35

 未来の学校のあり方を探る上でドワンゴ学園の動きを知っておくことは必須であろう。N高を中心とする通信制高校に加えて通信制の大学であるZEN大学をスタートさせた背景にある川上氏の狙い、日本の学校教育に対する批判は教師にとって大いに参考となるはず。

 専門分化して学際的な研究が難しい日本の高等教育においてZEN大学が掲げる学問横断的な学習の重視、大学で横行する徒弟制的仕組みの撤廃などは非常に魅力的。いわゆるオンライン大学としてN高と同様、数多くの学生を集め、高等教育のすそ野を拡大していく戦略も期待大である。

 行き詰まりを見せている日本の学校教育に大きな風穴を開けつつあるドワンゴ学園のチャレンジからは決して目を離せないだろう。

子どもの教育目的に移住する中国人たち…日本の教育はどうなる?

    塾講師チャンネル 2025/05/07  15:53

    日本社会の変化していく兆候がどこに表れてくるのか、身近な現象から探る上で参考となる動画。日本の経済的衰退と学校教育の停滞、中国の武力侵攻に頼らない日本社会への浸食…この動画から読み取れること、推測できることは多い。ぜひ、生徒たちに一つでも数多く、日本社会変質の兆候を読み取らせたい。

【最新0410】遂に明らかに!再生の道が参院選で目指すものとは・・・【石丸伸二 

   リハック 再生の道】   BDV NEWS【政治のエンタメ化】2025/04/10 14:31

    再生の道が今後の国政においては教育投資の充実をワンイシューとして打ち出すことを石丸氏がついに明言した。とりわけ公立高校への投資を最優先するとのこと。高校のブラック化を阻止することは確かに喫緊の課題ではあるが、公立高校に予算をつぎ込んだだけで教育のアップグレードが出来るとは到底思えないのは私だけではあるまい。酷く硬直化してしまった公教育においては、教育行政側の大胆な改革をも伴わない限り、公教育の再生自体、絶対的に不可能だと思うのだが、いかがか。

    学校教育のリニューアルを本格的に進めるならば、教育基本法、学校教育法の改正だけではなく、文科省及び各教育委員会の組織改革や大学での教員養成の見直しをも含む、大規模で抜本的な変化が求められると私は考えている。これは教育投資の増加だけで成し遂げられるはずがあるまい。

 仮にN高のような、あるいは非一条校のフリースクールのような大胆な試みを現状の「古くて貧しい」公教育の枠組み内で実現しようとするのは既に完全な無理ゲーであろう。そして民間の資本力や技術力を学校教育に生かして教育改革のスピードアップを図る上で、地方で依然として大きなシェアを占める、旧態依然の公教育の存在がひたすら改革の足を引っ張るだけの、因循姑息な障害物となりつつあると思うのだが、いかがか。

 国政政党としての政策に学校教育の改革を打ち出すだけならば異論は無いが、高校での公教育をメインターゲットとする事には反対である。法制度の抜本的な改革を伴わない、教育予算の増大レベルの「改善」で公立高校が再生できる…とするような現実離れした絵空事には違和感しか覚えない。

フィンランド教育の失敗:日本の詰め込み教育はそこまで悪いのか?

 社會部部長  2024/08/14 46:19

 この動画、一見、データを基に客観的な立場でフィンランド教育を批判しているように思えるが、実は極めて短絡的な意見に過ぎないと私は考える。もちろんフィンランド教育を全面的に否定するといった単純な内容ではなく、また教師の待遇の悪さなど、日本の学校教育の欠点も指摘しており、表面的には公平な視点を保っているようにも感じられる。ただし、じっくりと内容を検討してみるとこの動画にはフィンランド及び日本の学校教育への本質的な理解が決定的に欠けていることに気付くだろう。

 そもそもただのペーパーテストを通じて示されるに過ぎないPISAの国別の平均的学力はあくまで学校教育の成果の一断面を示す指標の一つに過ぎない。PISAの結果だけで国の教育レベルを云々するのはいかがなものか。PISAの結果を取り上げてフィンランド教育の失敗を過剰に説くかたわら、日本の管理主義的、画一的学校教育を擁護しようとするこの動画の論法は明らかに間違っていると考える。

 また識字率の高さが画一的で管理主義的な教育によって実現された、という認識が仮に正しいとしても、途上国ならばともかく、現代の先進国としては識字率の高さを持って国の教育レベルを測る尺度とするような認識は余りにも時代遅れ。過去、識字率を高めたとされる教師主導型の管理教育を、今後も有効な教育方法として正当化するかのごとき論法はもはや時代錯誤に過ぎないだろう。

 現在、直面している日本の学校教育の危機はもちろん教師の待遇の悪さ、教師不足などにも起因するが、おそらくそれだけではあるまい。日本の画一的、管理主義的教育がはらむ負の機能によって広範に生じていると思われる児童生徒たち及び教師たちの自己肯定感の低さ、社会への当事者意識の低下なども、日本の民主主義を将来的にも脅かす深刻な問題であるはず。

 児童生徒のみならず、教師にすら自己決定権をまともに行使する機会を与えてこなかった日本の管理主義的公教育自体が、IT化時代の趨勢と決定的な齟齬を生じている側面は決して見逃せまい。集団主義的一斉指導から個別最適化ならびに個性化、多様化へと教育の舵を切り、イジメを見逃さない、豊かな多様性が尊重される学校社会を構築する…そうした方向性を強く打ち出すには第一に教師主導による一斉講義形式の授業を最小限にとどめる工夫が絶対的に必要となるだろう。

 一方的で押し付けがましい公教育から、教師、児童生徒ともに主体的で意欲的に学ぶ授業の創設こそ、日本の公教育に切実に求められている本質的「改革」であり、小手先の「改善」を説く本動画には個人的に万不同意である。

参考記事

「ますます教育格差も」 自公維の高校無償化に、和歌山県知事が苦言

   毎日新聞 2025.3.7

 高校の無償化が公立高校の志願倍率を下げ、私立高校のシェアを拡大することで教育格差の問題を悪化させるという意見は、保革の立場を超えてかなり多く支持されているように見受けられる。確かに東京都や大阪府のような、公立高校の低受験倍率状況がこれを境に全国に広がってしまう可能性は決して低くは無いだろう。

 議論が錯綜しがちに見える理由はこの政策が一見すると、家庭間の経済格差によって生じてしまいがちな、教育を受ける機会の不均等さへの是正措置となりうるように見える点にある。しかし維新の会の真の狙いは、そんなことよりも無競争的であるがゆえに自己改革を怠りがちな公立高校と教師たちの淘汰、すなわち学校間、教師間の競争を煽って公教育の民営化を強力に推進することにあるように見受けられる。そうした立場からは公立高校の没落はむしろ大歓迎されることになるだろう。

 ところが長らく文科省が及ぼしてこれた高校教育における強大な影響力、統制力の大きな低下を恐れる官僚たちや自民党の保守派は、私立よりも管理統制しやすい公立高校の没落を必ずしも歓迎しないのではあるまいか。だからこそ和歌山県知事のような、格差拡大の論理を用いて高校無償化を危惧し、本音では公教育の保守性を固守せんとする…そういった動きも各方面で見られるのだろう。

 教育の画一性を緩め、過剰な管理統制主義を排して児童生徒の個性や多様性、自己決定権を重んじる方向へと大胆に舵を切ろうとするのであるならば、改革への動きの鈍い公立高校の淘汰は少なからずプラスに働くかもしれない。

 私立高校のシェアがたとえ半分を超えたところで、和歌山県知事のように教育の格差が拡大するはずだと決めつけるのはいかがなものだろう。実際には、彼の主眼は教育の格差拡大を脅し文句に使って財政負担の避けられない高校教育の無償化を妨害しつつ、公立高校のシェアを守ることで公教育が孕んできた頑迷な保守性の存続を画策することにあるのではあるまいか。

「決まったことが伝達されるだけ」になってしまった学校の「職員会議」。「学校

 運営にかかわりあいたくない」という若い教員も多数派に

 日刊SPA! の意見 2025.1.7

 児童生徒の当事者意識、主権者意識を育む立場の教師たちの心中には、残念ながら所属する学校への当事者意識がほとんど見られない。この点は、学校がガラパゴス化の道を歩み続けてしまう大きな原因の一つであろう。2000年から職員会議は校長の職務をサポートすることと位置付けられた。

 これはあたかも大日本帝国憲法下での天皇と議会との関係のようであり、民主主義からは程遠いのが現在の学校である。教員たちはもはや校長ら管理職の輔弼にあたるだけであり、校長らの協賛機関に過ぎない、と言っても過言ではあるまい。こうした非民主主義的な学校運営が職場を腐敗させてしまったのではあるまいか。学校教育法改悪の結果、職員会議で多数決を取る場面がなくなり、職員の意向を無視して校長の独断が横行するようになったのは千葉県だけではあるまい。

 企画委員会のメンバーになったことがあるが、その企画委員会ですら、今は校長らの諮問機関に成り下がっている学校が少なくないのではあるまいか。意見は言えても結論は校長任せ…これで当事者意識が会議のメンバーに生まれるわけがあるまい。

 こうした結果、様々な問題を抱えて学校が定員割れを起こし、地域住民の信頼をすっかり失っている状況であっても、新任の教師たちの多くは「外れクジを引いた」とばかりに転勤希望を出すだけとなる。教師たちが中心となって学校を改善しようとする意欲は近年、ほとんど見られなくなっているようである。むしろ下手に意見を言えば、多くの学校では「あいつは管理職を目指している」と後ろ指を指され、いずれははしごを外されるのがオチであろう。

 千葉県の公立高校受験の志願状況などをみると新学年2クラス、新入生80人の募集なのにわずか20人台の志願者しか集まらない高校が複数、存在している。つまり1クラス分すら集まらない、大規模な定員割れがそこでは例年の様に生じている。

 確かに少子高齢化の中で過疎地の学校の多くは生徒集めに苦戦を強いられている。しかし中には比較的、都市部に近い立地にありながら、20年余りも危機的な状況に置かれている高校もある。そうした高校では少子高齢化を定員割れの口実にするわけにはいくまい。

 あきらかに学校経営の失敗がその高校には随所に見られるはずである。改革の主体が教師たちに無い現状では管理職の手腕が厳しく問われているはずだが、大きな定員割れを起こしていても、管理職がその責を厳しく問われた試しを聞いたことがない。つまり職員会議の諮問機関化は改革の主体が喪失する事を意味するのみならず、誰一人定員割れの責任を問われないという、無責任体質を創り出してしまったのだ。

 かつてはそうした教育困難校でも定員割れへの危機感を持った管理職や教師たちが中心となり、どうすれば少しでも志願者を増やせるのか、学校の荒れを沈静化できるのかについて各種会議で白熱した議論を続けていた。私も20年余り前に学校改善委員会を組織して教師や生徒たちを対象にした質問紙調査を行い、その結果を踏まえた学校の具体的改善案を職員会議で幾度か提示した経験がある。こうした動きは当時、どの学校でもごく自然発生的に見られていたはずである。

 しかし、教育困難校では今や教師の誰もが普段は押し黙ったまま、大して文句も言わずにただ年末になると転勤希望を出し続けるアリサマ。管理職も、定員割れに対して県から何ら責任を問われることが無いため、入学時の定員割れは放置されたまま。他方で自分の管理責任が問われてしまう自校の教師の不祥事を極端に恐れている。結果的に厳しく教師たちを隅々まで管理しようとしているのが多くの管理職の実態である。自己保身こそが管理職の管理に対するインセンティブを生み出しているのだ。

 こんな状況で学校現場から自己改革に向けてのインセンティブが生まれるわけはあるまい。児童生徒の当事者意識の薄さを問う前に、教師たちの学校運営者としての当事者意識を高めていく工夫とは一体何なのか、こんな事態を招いた張本人である文科省はぜひ有効な解決策を提示すべきだろう。

生成AIの学校活用ガイドライン、文科省が改訂 リシード 2024.12.27

 今や生成AIを学校現場でも積極的に活用することが求められる時代であることは間違いなかろう。とはいえ、生成AIを自在に活用できるだけの知識、技術を身につけられるだけの時間的余裕は今の教師たちに残されているのだろうか。これもまた教師の自腹、自助努力に結局は依存することにならないか。

   特に40代以降の教師はかなり手こずるのではないか。夏休みや春休みなどに、各学校を会場とする無料の出前講習会を最優先で開催するといった工夫はできないのであろうか。生成AIを利用できる教師と利用できない教師との間には今後、明らかに埋めようもないほどの落差が生じてしまうだろう。その技量の有無が人事に反映されてしまうのはもはや時間の問題である。教師間に、さらには生徒間に生成AIの利用が出来ない「IT難民」を増やすことだけは避けたい。

オワコン化した従来教育、捨てられる教師の末路

 塾講師チャンネル  2024/01/26  15:59

 小林氏が指摘する共通テストの問題点に注目したい。教育内容の国家統制につながるテストは今すぐにでも廃止するのが一番。小林氏が提案するようにせめて限定的に利用するだけにとどめるべきだろう。いずれにせよ知識詰込みを中心とする画一的、管理主義的教育の見直しは必要不可欠。そのためには教育改革をうたい文句としながら非情にも学校のブラック化を推し進めてきた張本人であり、実際には教育改革における最大の障害物と化している文科省自身の根本的な組織改革がとりあえずは避けられないと考えるが、いかがだろう。もちろん、諸悪の根源は改革を捻じ曲げ、阻んできた老害政治の総本山である日本政府及び国会そのものなのだが…

 

参考記事

茨城県、2025年に教員採用改革…エン・ジャパン 2024.12.18

 一見、素晴らしい取り組みに見える茨城県の試みであるが、実は非常に危険な方向性も感じられてしまう。認識としては社会の進展に旧来の学校教育が取り残されつつあることは間違いない。外部の人材を積極的に取り入れる試みも正しい。

 しかし学校現場では旧来の教師たちが相変わらず多数派であり、校長、教頭もまたしかり。外部から招いた人材が多少は新風を学校に吹かせることもあるだろうが、それも一時的に過ぎない現象かもしれない。結局は「多勢に無勢」となりかねないのは東京の麹町中学校の現状が雄弁に物語っているだろう。「大山鳴動して鼠一匹」では時間と労力の無駄遣いに過ぎなくなる。

 改革を成功させる上で最終的にカギを握る教師の多数派を少しでも改革に向けて変えていくには、やはり少数精鋭作戦では無理がある。相当、まだるっこさがあるもの

の、教員養成教育の見直しや現職教員に対する研修内容の見直しは欠かせまい。ただしそうした取り組みに先立って解決すべき緊急の課題がある。

 学校改革の成否は一般の教師たちの取り組み次第であることは、一世紀も前から明らかにされてきた。一般教師が容易にはできないことを当面、外部人材で補う、という発想は必ずしも悪くは無いのだが、そこには大きな危険性が伴うことは学校全体に周知させておくべきだろう。

 最終的には教師全体が改革の方向を理解し、改革の実質的推進力にならなければ意味が無い。とすれば教師たちが改革に取り組めるだけの十分な時間的、体力的余力をあらかじめ設けておく必要があるはず。つまりまず最初に取り組むべきは学校の仕事の大幅な縮小、削減である。

 そして茨城県の教育委員会にそうした心構えがどれほどあるのか、社会は厳しく監視していく必要がある。でなければ今までと同様、「学校改革」という名で再三繰り返されてきた酷い仕打ちに、教師たちはまたもや疲弊し、挙句の果てに心身の極限まで追い詰められてしまうだろう。

 長野県の取り組みと同様、学校の仕事量の大胆な削減を先行させないような改革への取り組みは、それがどんなに素晴らしい目的を持つ、どんなに斬新なものであっても、決して釣られて乗っかってしまってはなるまい。そうした改革は結果的に教師の健康を蝕み、家庭生活まで破壊し、ついには学校全体、公教育全体を崩壊させ、児童生徒を混乱させるだけのものに過ぎない、と考えるが、いかがか。

 「教育改革」という名の「やりがい搾取」によって、その裏側で一部の教育委員会のメンバーの功名心の犠牲に捧げられてしまった教師たちの数々の屍を、もうこれ以上積み重ねることだけは絶対に許してはなるまい。その点、実に差し出がましい限りなのだが、茨城県の教師たちは今後、県の「改革」の動向に関して一層厳重な警戒をしておくべきであろう。

怒濤の出店で1兆円が見えたロピア!大きな進化と懸念される副作用とは

   DCSオンライン によるストーリー 2024.11.8

   とある業界で今、どのような企業の戦略が功を奏しているのか、なぜ功を奏しているのか、これらを知ることは経営の観点からすれば極めて重要であろう。もちろんすべての業界の動向についてまで学校としては知っておく必要が無いが、消費者の動向に大きく左右される小売業界の最新動向などは進路指導、就職指導にも生かせるので社会科教師や進路指導部員、学校管理職などはぜひ注目して欲しい。

 小売業界は飲食業界と並んでCMなどを通じ、児童生徒にとって比較的身近な存在である。その成功事例は社会の変化を捉えるための事例として、また生きた経済の動きを知るためにも授業で取り上げれば比較的とっつきやすく、理解しやすい。同時に校長などは学校経営の立場から時折、注目しておくべきポイントが潜んでいる。

 ロピアのケースで注目すべきは人材登用のスピード感が学校におけるそれとはまったく違う点であろう。教頭や校長といえば、通常、多くの教師にとっては最終到達点であり、30年以上の歳月を要して年功序列の階段を上った挙句にようやくたどり着ける、あたかもスゴロクの「上がり」のような地位となって見えるだろう。

 しかし私立高校の中には30代の若者を校長に大抜擢して一気に学校の評判をあげ、急成長を遂げた事例があるように、教育界でも旧来の年功序列型人事を見直す動きが無いわけではない。日本の政治や教育が旧態依然のままであり、時代の急速な変化にしっかりと追いつけてはいない印象があるのは、まさに年功序列人事による「老害政治」、「老害教育」が今の日本にはびこってしまったせいでもあるに違いない。

 実際、わずか数年で店長になれるケースまで存在するロピアでは店員たちの職務へのモチベーションが高く、出世のチャンスは年齢を問わずに存在している。それがロピアの急成長と店舗数の拡大へ、大いにつながっているようだ。

 また若手にも広くチャンスが与えられるため、旧来の伝統にとらわれない、新奇なアイディア、発想が続々と各店舗、各売り場から出てくる点もロピアの成長を支えているようだ。店舗の置かれている環境、消費者の動向の変化や特色をいち早く捉えて即、売り場に反映させていくスピードも速いのだそうな。

 振り返って学校教育界を見てみよう。斯界の変化の遅さは「金魚の糞」にもよく例えられるように、極めて遅い。よく言えば時代の風潮に安易に流されない、手堅さがある。時代の変化がゆっくりしていた時代なら、それでも大きな不都合はなかったかもしれない。しかし科学技術の進歩は日進月歩の勢いで、社会もそれに伴い、急ぎ足で大きな変化を求められている。「百年一日」のごとき日本の教育界だって、今や時代の急速な変化にそれなりのスピード感を持って対応すべき時代であろう。

 政治家と教育会の人事的若返りは日本が世界の進運に後れを取らないために、今こそ切実に求められているはず。過去の栄光にしがみつき、保身に走りがちな「老害」を一刻も早く排除して、清新な発想と失敗を恐れない、意欲に満ちた30代、40代の大臣や校長が普通に存在する日本でありたい。

授業時間は韓国の「10分の1」中学生の情報教育 教員不足も深刻なぜ? #みんなの

   ギモン 日テレNEWS NNN によるストーリー 2024.10.30

   最も力を入れるべき情報教育においてすら、惨めなほどまで世界から遅れてしまっている日本の学校教育の現状に背筋が寒くなる思いがする。日本経済停滞の原因となっている学校教育の遅れについて日本政府は一体、どんな認識を持っているのか、厳しく問い詰めたくなる。

   文科省はこれまで口を開けば自分たちの手柄話、自慢話を繰り返し、ひとたび問題が露見すると自分たちの失敗はすべて棚に上げて学校現場に責任転嫁してきた。そのツケはいずれ国民全体が支払わされることになるだろう。

   日本の教育政策、教育行政のどこに問題があったのか…一刻も早く、学校教育の根本的改革を進めていかないと手遅れになってしまうのではあるまいか。

「保護者からの個人的な電話に悩まされている」“うつ病”で休職する教師が激増…

 日本で“教員不足”が深刻化する本当の理由

 文春オンライン 池上 彰 によるストーリー 2024.8.19

 教師不足の原因に安い給料と重い負担の二つはよく挙げられている。特に負担軽減は一刻を争う問題であり、部活動の地域社会への移行を中心に取り組むべきことは多い。しかし給与の引き上げは一刻を争う問題ではあるまい。むしろ給与と仕事の責任の重さとは比例する部分があるため、給与の引き上げは時に負担や責任の増大を招きかねない。したがって中教審の給特法改正案は極めて危険な要素を秘めており、要注意である。

 教員不足の原因は他にも考えられるだろう。教師の質的低下、教師集団の強い同調圧力がもたらす職場の息苦しさ、年功序列型の給与体系と人事などにおける老害の跋扈、無能な管理職の存在、放置される職務分担の不公平、旧態依然な授業内容や授業方法の残存、事務仕事に見られるブルシットジョブの増大、的外れな研修の増加、教師の社会的威信の低下、児童生徒や保護者への個別対応の増加による集団的、管理主義的指導の行き詰まり…いずれも教職の魅力を酷く押し下げている現象であるにもかかわらず、これらに対する文科省の対応はイマイチ、学校現場の実情とズレており、トンチンカンな印象が強い。

 本質的に改革すべきは上意下達の管理主義的教育行政のあり方であり、教員養成教育の根本的見直しであると考えるが、いかがか。これらをぼやかし、ごまかしておきながら、給与の引き上げと新味のない教職の魅力アピールばかりで教師志望者の増大を狙うのはまさにキャッチセールスに等しい詐欺的行為ではないか。

公立高校の校長「現場と自治体の間」で揺れる苦悩 人手不足の中、問題行為起こした

   先生の対応も 東洋経済オンライン   濱井 正吾 によるストーリー 2024.7.11

   公立中堅校の困難さはまず進路多様校であり、進学から就職まで、幅広く指導できる力を教師たちに求められる点が挙げられる。生徒指導も生徒の多様性に応じた幅広い対応が求められるため、意外に厄介である。当然の事ながら、授業に対する要求も幅広く、受験対応から思考力重視、楽しさ重視など、授業も重点の置き方を時折、変えて臨む必要がある。加えてこうした学校は校数が一番多いため、教師もまた多様性を極めており、かなり大きな問題を抱えている教師が複数いたりする点も困難さを招く要因として挙げられるだろう。

   しかし、特に目立つ問題点は校長の話に出てくるように、意欲に欠ける教師たちが少なからずいる点である。彼らは進学校への転勤を希望している事が多く、そのほとんどは自分の現勤務校を進学校へ転勤するための、ただの一時的通過点として捉えがちで、ややもすると日常的に不本意で残念な思いを引き摺りながら過ごしている。しかも進学校を志向しているため、生徒指導の手を抜くことが多く、かつ授業も難易度を下げようとしないため、生徒の実態からかけ離れた指導や授業を続けがちとなる。こうした教師たちが一定の割合を超えてくるとたちまち学校の評判が悪くなり、入学試験で定員割れとなる危険性が高まってくる。

   生徒たちもまた進路が多様な分だけ、逃げ道が多い。すなわち部活動推薦で入学してきた生徒の多くは次も推薦で進学しようとするため、一般受験のための準備は怠りがちとなる。彼らは部活動に専念するあまり、学力向上には元々関心が高くない。中には部活動の実績で次の進学先も決めようとする生徒もいる。では在校中、部活動に本当に専念するのかというと、実はそうでもない。練習が苦しくなると、塾に行く…などといって勉強を口実に練習から逃げ出す者も出てくる。学習、部活動どちらにせよ中途半端な印象が拭えないのが、中堅校の生徒たちなのである。

 私の経験であるが、当初、センター試験(現共通テスト)の受験希望者が若干名いたものの、全員、二学期に推薦で進学が決まってしまい、誰一人として共通テストを受験しない年があった。いわゆる偏差値で50を超える市内の公立高校のトップに位置していた学校であるにもかかわらずセンター試験の受験者ゼロ…これにはビックリ仰天であった。

 9月中に推薦で進学がほぼ決定した少なからずの生徒は、それまで真面目に取り組んでいた授業を、10月以降、まさに掌返しでサボり始める。中には運転免許を内緒で取得し、バイクを乗り始める者もいたりする。成績は二学期後半からガタ落ちし、進学先の大学から課された課題の提出までサボりだすような者も出現する。

 こうした生徒たちの進学先での成績をあくまでも個人が特定されない、大雑把なデータではあるが、何度か大学側から見せてもらったことがある。地元では伝統のある有名私大だが、推薦入試で入学した学生の半分近くが成績不振で留年、退学者すらチラホラ出ていた。もちろん苦労して一般入試で入学した学生でも成績不振に陥る者がいないわけではないが、数は明らかに少ない。推薦入試の合格によって瞬く間に遊び癖、サボり癖をしっかりと身につけてしまった一部の残念な生徒は中堅校では決して少なくなかったのである。

 大学側でもこうした事態をかなり憂慮していたようで、別の地元私大(こちらも伝統校)では、たとえ推薦入試で合格していたとしても入学前の課題を出さない生徒は合格を取り消す、との発言があった。またそうした生徒を送り出した高校の指定校推薦枠を減らす、という大学も実際にあった。生徒数の減少に焦り、現在の総合選抜型入試(かつてのAO入試)や一般推薦の枠を拡大する私大が多くなる一方で、こうした悩ましい問題を抱える大学も増えてきたようである。

 私は以上のような経験から、これらの問題を主に発生させているのがもっぱら公立の中堅校であった、と考えている。教師にとって意外に感じるほどに中堅校の多くはけっこうな困難校だと言っても過言ではない。中堅校に転勤することとなった教師はあらかじめ相当の覚悟を固めておく必要があると考えるが、いかがか。

公立高の履修単位数、約98%が学習指導要領の最低基準を上回る

 リセマム 2024.6.27

 単位制を取る定時制や通信制ならば普通は最低基準の年間履修単位数を基に担任が生徒の履修指導を行う。もちろん単位制なので生徒が多少、単位数を多めに履修申請することは頻繁に見られる。また単位制ならば卒業年次まで基本的に留年が無い。年度途中で家庭環境が激変したり、心身の状況が悪化したりしても、クラスが下の学年と一緒になる心配は卒業年次以外無いのだ。こうした点は中学校時代、不登校気味の生徒にとっては極めて喜ばしいシステムだろう

 また単位制を取っている場合、1~2年次で真面目に目いっぱい単位数を稼いだ生徒たちは、3~4年次ではかなりゆとりのある時間割となっている。これもまた進学を考えてバイトを必須とする生徒たちにとっては大きなメリットになっている。特に三部制の定時制などでは結果的に年次が進むにつれて生徒によって来校する時間や帰宅する時間がかなり異なってくるため、HR、清掃の時間設定が難しくなるといった欠点はあるものの、時間の割り振りが生徒たちのそれぞれの家庭事情に応じられる柔軟性を持つ点は単位制が高く評価される所以であろう。

 しかし多くが学年制をとるごく普通の全日制普通科では各学年で取得できる単位数がおおむね画一的に決められている。このため全学年で同じような単位数の時間割となっている学校が多い。もちろんほぼ全員が同じ時間に登校し、下校している。その中で進学校では受験を意識した選択科目の講座を3学年で数多く用意するため、どうしても最低基準を上回る履修単位数となりがちである。

 全日制普通科の教育困難校であっても成績や出席数が足らずに単位を落とす生徒が続出するので、1~2講座程度ならば単位を落としても何とか3年間で卒業できるよう、あらかじめ多めの単位数、講座数が設けられている。

 以上のことから公立高校の履修単位数は概して学習指導要領を上回ることが多くなると考えられる。しかしそのこと自体は大した問題ではあるまい。ここで問われるのは果たして全日制普通科の高校で、今後も引き続き今までのようなリジッドな学年制を取る必要があるのか、否か、である。実は何でもかんでも全国画一にして管理しやすい体制を志向する、といった日本の悪しき教育行政の伝統がこの問題の背景にも潜んでいるのではあるまいか。

 すなわちできるだけ必修科目ばかりにして選択科目を少なくし、一講座でも落とすと留年決定…生徒からすれば選択の余地が無く、一講座も落とせない学年制の不自由さの中でひたすら我慢を強いられるカリキュラム…これは既に在宅ワークが増えて勤務時間もフレキシブルになり、転職の自由も拡大してきた近年の労働環境の変化とのミスマッチを起こしかねない、かなり時代錯誤の教育体制ではないだろうか。

 本来ならば3年間の最低取得単位数は74であり、一日5時限、週5日の授業日数で3年間を送れば卒業できるはず。これは全日制普通科高校であっても同じである。仮に一日の日課が5時限とされれば放課後を自分なりに有意義に過ごしたい生徒にとってはうれしい限りである。逆に遠距離通学や早起きが苦手な生徒ならば2時限目から学校の授業が始まると嬉しいに違いない。学校の時間割は一日6時限で組まれるが、生徒はそのうち自分の都合に合わせて5時限だけ受講すれば良い、というシステムは現行の学習指導要領でも十分可能に見えるのだが、いかがだろう。

 もちろんこのプランを実行に移すには教師の数を増やす一方で部活動の指導を無くすといった大胆な仕事量の削減が大前提となる。単位制による教師の授業負担の増大はかなり過酷なものであり、現在のブラックな学校の現状を変えない限り、単位制の導入はまったく不可能と考える。

 とはいえ単位制のメリットはどの授業においてもほぼ同じクラスのメンバーと一緒であり続ける、固定した人間関係の窮屈さから少しだけ生徒を解放する点にも見いだせる。これは単位制がイジメなどクラスの人間関係に起因する不登校や自殺問題への有効な対応策となることを意味する。戦後の教育改革で新制高校の三原則の一つであったはずの総合制の導入を一部でも実現するには単位制を念頭に置いたカリキュラム改革はもはや不可避ではあるまいか。

 繰り返しになるが、こうした抜本的な改革を行う上でも教師の負担軽減こそ、最優先される「改革」なのだと考えるが、いかがだろう。

中堅がどんどん辞める職場 「時間の無駄な朝礼、昭和みたいな会社。働き方改革と

   は真逆です」と語る女性 キャリコネニュース によるストーリー 2024.6.23

 まさに一部の学校でも同じ様な事態が進行している。職員会議はもはや話し合いの場ではなく教育委員会や校長からの指令を伝えるか、事務連絡の場に過ぎず、ほぼ教師全員が反対している案件でも校長の一存で決定してしまうのが千葉県の現状。そこには民主主義の精神の欠片すら、残っていない。当然、まともな教師ほど早く異動しようとする。毎年、異動する教師が多いため、煩雑を究める仕事の伝承が困難となっており、新任はいきなり主任やクラス担任を任せられる。こうした学校では4月早々から仕事上のミスや不祥事が連発しがちとなる。

 50年近く前から管理主義教育の権化として「東の千葉、西の愛知」と並び称された千葉県。その頃と比べても教師が置かれている境遇は改善されるどころか悪化する一方であり、学校の不祥事はいよいよ連発している。せいぜい改善されたと言えるものは校舎の一部にようやくクーラーが設置されたことと通知表を手書きしなくても良くなったことぐらいだろう。

 かつて教師が自主的研修に取り組むことを可能とした時間的余裕は完全に奪われ、学校運営に関して激論を戦わせた職員会議も今はつまらない連絡事項で埋め尽くされてしまった。教師の仕事もまた多くはアリバイ作りの不毛なブルシットジョブの塊と化し、授業の工夫に費やす、もっともやりがいを感じられるはずの時間は欧米の教師とは比較にならないほど貧弱なものとなってしまった。このままでは一体いつまで教師たちを教職に引きとどめておくことができるのだろうか、疑問でしかない。

 「働き方改革」とは本来、教師たちの業務量を削減することを第一目標にすべきものだろう。ところが現実の学校ではもっぱら残業時間を削ることだけに特化し、退勤時間の厳守ばかりが徹底される。結果的に膨大な量の校務持ち帰りが常態化し、多くの残業は自宅での「勤務外時間」中に隠蔽される。のみならず帰宅途中のUSBなどの紛失による個人情報漏洩の危険性をも高めてしまっている。

 こうした実態こそが世に言うところの「働き方改革」が現場にもたらしている本当の姿であろう。文科省も世間もその現状を知ることはほとんどあるまい。残念ながら学校もまた「昭和」の中にずっと封印されたままなのだ。学校のブラック化とブラックボックス化は何一つ改善されていない…それが教師たちの早期離職、休職を招き、教師志望者を減らしている真因なのではあるまいか。

 

国立大を「授業料値上げ」に追い込んだ「真犯人」 大学はただ「ピーピー騒いでいるだ

   け」なのか 東洋経済オンライン   古川 雄嗣 によるストーリー 2024.5.28

 とりわけ教育いう観点から見れば国立大学の現状はまさに「亡国」的な悲惨さに直面しているのかもしれない。新自由主義的競争原理の導入によって営利目的の研究が肥大していく分、営利に直接結びつかない基礎的な研究や教育がおざなりになっている…とすれば確かに日本の行く末は相当、ヤバイだろう。

 東京都や大阪府で進みつつある、ある種の高校教育の民営化もまた同じ論理で進められているとすれば、これはこれでヤバイのかもしれない。しかし、大学教育とは違ってこと高校教育に関しては現今の公立高校の停滞ぶり、低迷ぶりが甚だしく、もはや放置できる現状では決してあるまい。対してかつての国公立大学には現今の公立高校ほど酷評されるほどの低迷ぶりが表面化していたわけではなかった。にもかかわらず政治的判断で独立行政法人化が強行されてしまったのである。

 教育機関をもっぱら営利目的に従属させるような発想は児童生徒学生たちの学習における主体性を損ないかねない。そもそも彼らは営利目的オンリーで学習意欲をかき立てられてはいない。学びたいという欲求の源は多種多様であり、個性的である。彼らの多様性を受容し、個性豊かに育むためにも、国立大学が置かれている状況は早急に改善すべきだろう。

 しかし公立高校の現状は硬直化が甚だしく、大学とは違って生徒たちの多様性、可能性を押しつぶす側面の方が目立ってきている。さらに画一的で管理主義的な教育行政の下で教師たちまでが窒息してきている。文科省や都道府県教育委員会の無意味で厳しい統制が続く限り、おそらく高校教育の行き詰まりは打開できないだろう。したがって高校教育の将来は、N校などの躍進ぶりを見るにつけ、公立よりも自由裁量の余地が大きい私学の創意工夫にまつところが大きいと思うが、いかがだろう。

日本の教育現場にもEBPM(証拠に基づく政策立案)を! EBPM導入によるメリッ

 トを慶應義塾大学・中室教授が解説TOKYO MX+ によるストーリー 2024.4.4

 これまでまともなデータすら持たないままできた日本の学校教育の世界は自分たちの教育が欧米に比べて惨めなほどに遅れているという歴然たる事実を頑なに認めようとして来なかった。日本が遅れているという事を示すまともなデータが手元に無いことを良いことに、長らく開き直ってきたのだ。近年ではPISAの得点ばかりを気にしているうちに、かえって日本の学校教育は一層の遅れをとり始めてしまったと考えるべきではないのか。

 文科省は学校の実態、教師の実態を正確につかむ努力を徹底的にサボってきた。政治家や官僚たちの得点稼ぎばかりを目指す政府が休みなく繰り出すエセ教育改革の連打こそが教師を疲弊させ、学校の教育力を低下させてきた張本人ではないのか。真っ先に急ぐべきは教師の業務の徹底的削減を断行することであり、現状では教師たちにそれがどんなに素晴らしい内容であったとしても、教育改革を担っていけるほどの余力は既に残っていないだろう。加えてこのままでは教員採用試験の受験倍率は低下する一方である。すなわち日本の学校崩壊は目前に迫っているのかもしれない。

 もちろん信頼しうるまともなデータの収集も急がれようが、過去のデータが限られている分、残念ながらデータに基づく政策立案は当分先の話、と見てよい。一刻を争うべきは業務の精選を通じた教師の負担軽減の方であろう。

「どの都道府県で育つか」でこれほど違う大学進学率、背景に高校制度…普通科

 88.6%の東京、地方との圧倒的な機会差

 JBpress 松岡 亮二 によるストーリー 2024.4.5

 この記事でも文科省や政府の打ち出す教育政策に科学的な根拠の希薄さが指摘されている。世界ではいわゆるエビデンスに基づいた政策の立案が求められているのに、安倍政権が行った「教育改革」の策定からは教育学者、とりわけ重要な役割を果たすべき松岡氏のような教育社会学者がほとんど外されていたことを思い出してしまう。しかも「教育改革」への評価は客観性を欠き、ただの自画自賛に終始してきた点も見逃せまい。アノ犯罪的な教員免許更新制への振り返り方を見れば、これまでの教育政策の多くが実際には政治家や官僚の点数稼ぎに過ぎなかったと思わざるを得ないのだが、いかがだろう。

私人逮捕なぜ称賛?真山仁さん 背景に「何言ってもダメな社会」

   毎日新聞 によるストーリー  2024.1.10

 国民の間に広がりつつある無力感、閉塞感の正体を突き止め、そこから脱却する方途を探りたい。暗記と特定の考え方を押し付ける画一的で管理主義的な日本の学校教育を変えていくことも一つの方途。これまでどんなに批判されても、否定されても、「何言ってもダメ」だった学校、ダメな教師、ダメな教育委員会、ダメな文科省の壁をどう崩していくのか、ぜひ授業で討論させたい。

【日本軍の敗因】「悲惨な結果を生むリーダー」7つの共通点

 ダイヤモンド・オンライン 書籍オンライン編集部 によるストーリー 2023.7.4

 先の大戦における日本軍の敗因を探る中で日本人が伝統的に抱えてきた7つの「失敗の本質」が見いだされるという。軍隊と学校とは日本の富国強兵化、近代化を推進するための車の両輪であり、両者は兄弟のように近しい関係にあるとされている。したがって、以下の7点は学校という組織にもほぼ共通する弱点であると考えても差し支えないだろう。

 

 ① 「戦略性」──俯瞰的な視点から最終目標への道筋をつくれない

 ② 「思考法」──革新が苦手で錬磨と小手先の改善が得意

 ③ 「イノベーション」──ルールをつくり出せず、既存のルールに習熟する

 ④ 「型の伝承」──創造ではなく「方法」に依存する

 ⑤ 「組織運営」──勝利につながる現場活用が苦手

 ⑥ 「リーダーシップ」──現実を直視できず、環境変化に合わせて判断できない

 ⑦ 「メンタリティ」──「空気」と同調圧力、リスク管理の誤解

 

 実際、太字にした部分などは日本の学校にもズバリ当てはまる組織風土に思える。現在の急速な技術革新にともない、柔軟で斬新な人材育成策が求められる中で、日本ばかりが多くの場面で世界に遅れをとってしまう大きな原因が企業社会だけではなく、日本の学校教育にもあることを示唆していると考えるが、いかがか。

 ブラック校則をいつまでもはびこらせ、相変わらず精神的鍛錬を軸とした部活動や学校行事、個性や多様性を犠牲にした画一性の強要などを温存してきた学校教育の頑強な保守性は、日々の革新を迫る、変転目まぐるしい現代社会との間に大きな齟齬を生み出してきていると考えられないだろうか。

 

 もちろん学校教育に関わる法制度の見直しや文科省や教育委員会の組織改革だけでは学校を変えることが出来ない。学校教育の改革を実効あるものとするには現場における改革の担い手である教師自身の改革が伴っていなければならないはず。まずは教師の意識や能力、技術、適性の見直しが必須となる。

 すなわち大学における教師養成教育の抜本的な改革(一斉講義形式からの脱却を目指すべく、探求型の個別学習・グループ学習や実験・調査・討論を軸とする授業力の養成を軸とする、今以上に充実したカリキュラムを大学では組むべきである)を基本的な前提とする包括的な観点からの法制度や組織などの見直しが行われる必要があると考えるがいかがか。

 

松谷創一郎×宮台真司×神保哲生【5金スペシャル映画特集+α Part1】ジャニーズ

 を「サンクチュアリ」(聖域)化し、ジャニー喜多川を「怪物」にしたものとは

 videonewscom  2023/07/01  1:56:11

 学校社会もまたジャニーズ事務所が君臨する芸能界やマスコミと同様に聖域化してしまい、法律以上に学校社会特有の掟が幅を利かす村社会、アウトローの社会なのかもしれない。だからこそ事件の隠蔽が横行し、不祥事が多発してもブラック校則や一斉講義形式の授業が残存し続けるのだとすれば、ジャニーズ事務所の問題と同様、学校社会もまた、一度は組織の膿を出し切らなければなるまい。

 

宮台真司】"他人を見捨てる"「日本社会」なぜ助け合わないのか?

   NewsPicks /ニューズピックス 2023.5.20

 現代日本の何がダメになっているのかを根本から見直す、有意義な見識に満ちていると思うがいかがか。民主主義を危機に導く「民意の劣化」をもたらしたのはもっぱらマスコミと学校であろう。特に学校教育の責任は重大であると考えるが、いかがだろう。

 民意を育てるには国民の知る権利が最大限保障されている事が一つの基本条件であるはず。しかしほとんど情報統制の道具と化してしまったマスコミや学校教育がもたらす情報の偏り、加えて本来、周知せしめるべき情報の隠蔽とがあいまって日本国民の「愚民化」を推し進め、今に至る…

 政治について論ずることの出来ない主権者の増加は再び民主主義の暴走を招くに違いない。未熟であっても論じ続けられる場と機会が乏しい日本の社会を作り出したのも、生徒の意見を尊重せず、服従と忖度ばかり一方的に強要する一斉講義形式に依存してきた日本の学校教育ではなかったか。

参考記事

今の職場で本当に大丈夫?メンタルに悪影響を及ぼす「ブラックな職場」の特徴5つ

 ライフハッカー編集部 によるストーリー 2021.8.14の記事再編集

 1.自身の権力と力の誇示に必死な上司・先輩がいる

 2.職場や現状に対する「あきらめ」がある

 3.陰口・噂好きな人が影響力を持っている

 4.フィードバックが個人攻撃になっている

 5.情報の周知が十分になされない

 以上の5点がブラックな職場に見られる特徴だというが、学校もこの5点を満たす職場が増えてきているだろう。生徒たちには資料を読ませる前に、あらかじめメンタルが病みやすい職場、組織の特徴をできるだく数多く挙げさせておくと話が進みやすくなるだろう。学校教師集団にはどのような特徴があるのかも挙げさせておくとさらに議論が活発化すると思うが、いかがか。

「教員や学生の声も聴いて」働き方改革めぐり、若手教員ら国に要望

 朝日新聞社 によるストーリー 2023.11.8

 上意下達の権化たる文科省がこうした要求に耳を傾けるはずもなく、相変わらず下らない弥縫策を自慢気に示すだけになるだろう。

首都圏の公立中高一貫校の志願者が大きく減っている4つの「理由」とは?【2024

   年中学入試を読み解く】 AERA dot. 井上修 によるストーリー 2024.5.22

   私立中高一貫校は人気となり、公立中高一貫校が不人気となった理由としてこの記事では以下の4点を挙げている。

      ①説明会など学校を知るチャンスの少なさ

      ②教育の硬直性

      ③施設の古さと柔軟性の欠如

      ④高校無償化

 ②と③は重なる部分が大きいだろう。①もまた公立学校の弱点である。つまり①から③までは中高一貫校に限らず、公立校の限界を示す弱点である。それらに加えて公立校唯一の長所だった授業料の安さ、無償化が大阪府や東京都を先頭に私立にも適用されることになれば、もはや公立校の売りは何一つ存在しない。大阪府が先頭になって推し進めている府立高校の事実上の民営化は今後、全国的に波及するだろう。この動きが公立校と比較して相対的に自由で個性的な私学の取り組みを日本の学校教育全体に少しでも普及させることにつながるとすれば大いに歓迎すべき現象である。

大阪で私立高校ブーム、専願者が20年間で初めて3割突破 授業料完全無償化で選択

 に幅 産経新聞 2024.6.19

 上の記事を補完する内容となっていて参考になる。特に公立高校と私立高校との教員採用のあり方の違いから私立高校の優位性が説かれている箇所は納得できる。

後絶たぬ学校現場での個人情報漏洩、教員へのルール浸透に課題 5年度は218件発

   生 産経新聞 2024.8.27

   学校でヒューマンエラーが頻繁に生じる背景には教師たちの過重労働と強いストレスの蓄積があるはずだが、そこにはまったく触れようとしない教育委員会、教育行政側の認識に大きな問題を感じてしまう。教員へのルール浸透、情報技術の高度化…といった教師の負担を増やす方向でしか問題解決が模索されていない現状には絶望感すら覚えてしまう。

 授業ではこの問題に対する生徒たちの意見を募りつつ、学校現場にひたすらブルシットジョブの山を築いてきた教育行政側の問題点にも気づかせたい。

・茨城県ナンバースクール残存問題

「一高」「二高」茨城には全国最多28のナンバースクール…校名変更を議論へ

   「枠にはめ変化妨げていないか」 読売新聞  2024.9.19

   この問題も埼玉県の男女別学問題と同様、学校の役割を考える上で役立つ内容が含まれているだろう。隣の千葉県でも他県同様、戦後、しばらくの間であるが旧制中学校以来の伝統ある高校ではナンバースクールが存在していた。しかし60年近く前にはナンバーを付けない校名に変えられていったようである。

 いまだに28校ものナンバースクールを残しているのはいかにも保守王国茨城らしい。ナンバースクールの問題点は実態として一校、二校、三校…と進学校としてのランク付けがされてしまい、校名によってカーストのような学校間格差が固定してしまう傾向が生じてしまうことだろう。

 公立高校がたかだか校名によって優位に立ったり、劣位に立ってしまいがちになるのは明らかに不合理であり、公立として公平性に欠くのは間違いあるまい。即刻改善すべきであるのは論を待たないのであるが、なぜ、茨城や埼玉といった北関東には男女別学やナンバースクールのような不合理な古い体制がいつまでも残存してきたのかは、別途、解明の必要があるだろう。

 授業ではぜひ、他の資料も加えながら議題に取り上げてナンバースクールの是非と茨城の学校教育の体質の古さについて生徒たちから意見を募りたい。

数字入り高校名の議論頓挫 議会反発受け茨城県教委

   共同通信 によるストーリー 2024.9.25

 保守王国茨城県での県議会の反発は当然、予想された事態であり、この程度の事で議論を中途半端に終えるのは言語道断であろう。むしろ県議会の反発ごときで県の教育政策がいとも簡単に覆るといった先例が生じてしまう事の方こそ空恐ろしい。県教委の腰砕けぶりには呆れるほかなく、このザマでは公教育における政治的中立性自体が揺るぎかねまい。

 この問題は県立高校における学校間格差、すなわち学校間カーストの残存を県として認めるべきか否かが焦点となると考えるが、いかがか。おそらく県議の少なからずは学校間カーストの上位校出身者なのだろうが、そろそろ自身の特権的意識を捨て去るべきである。出身校が「~校にあらずんば人にあらず」とするような、古びた観念が地方によってはいまだに残っているようだ。

 この記事では全国の県立高校のナンバースクールの校数が都道府県別に表示されており、資料としても価値がある。茨城県が突出して数が多いことは明白である。戦前の旧制高等学校でもあるまいに、いい加減、改めたらよかろう。

㊴1960年代以降の子供文化と世相(前編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

①   戦記物の復活から

・「快傑ハリマオ」の復活

 1960年4月5日 -~1961年6月27日まで日本テレビ系ほかで放送されていた日本のテレビ映画である。

 『月光仮面』を制作した宣弘社の制作による、第4作目のテレビ映画。5部作全65話。太平洋戦争直前の東南アジアやモンゴルを舞台に、正義の日本人男性・ハリマオが、東南アジア(第4部を除く)を支配する某国の軍事機関、彼らと結託する死の商人や秘密結社、スパイ団と戦う冒険活劇である。

 森下仁丹の一社提供番組でもあり、放送枠では夕食を終えた一家が仁丹を飲んで本作を楽しむというCMが放送されていた。本作の図版をあしらった「ハリマオガム」も発売され、ハリマオが鞭でガムを取るCMも放送された。なお、舞台を東南アジアとしたのは、当時の森下仁丹が東南アジアへの進出を計画していたためという。

※創業者の森下博が1893年(明治26年)2月11日に、大阪市東区(現・中央区)に て、薬種商「森下 

 南陽堂」を創業したのが発祥である。1905年(明治38年)から今日まで発売され続けている仁丹の

 製造元としてその名を知られている。商標の外交官は「健康を世界に運ぶ外交官に」という創業者の

 思いが込められている。

 

 原作は、海洋小説を得意とした直木賞作家の山田克郎が1955年から2年間、日本経済新聞夕刊に連載した児童小説『魔の城』である。太平洋戦争直前、マレー半島に大日本帝国陸軍に協力した義賊「マレーの虎」「ハリマオ」こと谷豊という人物がいた。谷の活躍は当時のマスコミで宣伝され、大映が現地ロケを行って『マライの虎』という映画を制作し、大ヒットさせている(1943年)。

   第2部以降のオープニングには「ハリマオとは? マレー語で 虎のことである」というテロップが表示されている。敗戦後は軍国主義のシンボルとしてその存在は忘れ去られていたが・・・「昭和の妖怪」(当時の首相は岸信介)の如く、ヒーローとしてブラウン管に復活した

※谷 豊(たに ゆたか、1911年11月6日 - 1942年3月17日)は、昭和初期にマレー半島で活動した盗

 賊。福岡県筑紫郡曰佐村五十川(現在の福岡県福岡市南区五十川)出身で、イギリス領マレーに渡っ

 た後に盗賊となり「ハリマオ」として一躍知られる存在となった。その後、日本陸軍の諜報員となっ

 て活動した。ムスリム名「モハマッド・アリー・ビン・アブドラー」。

 

テレビドラマ「ゼロ戦黒雲隊」の登場

 『ゼロ戦黒雲隊』(ぜろせんくろくもたい)は、1964年11月28日から1965年5月22日にかけて、NET系列にて放映されたテレビドラマである。全26話、モノクロ作品。放映曜日及び放映時間帯は毎週土曜日19時00分〜19時30分、放映話数全26話で制作はNET、東映であった。絶好の時間帯に放映されたため、多くの少年達がこの番組を視聴していたと思われる。すでに読み物としての戦記物や戦争漫画が漫画週刊誌に連載されていた時代、実写版でのドラマ仕立てのテレビ放映は子供達にとって待ちに待った企画であったと思われる。

 太平洋戦争中の日本海軍航空部隊を軸に、部隊内での上官と兵士の対立や、仲間同士の友情を描いた戦記ドラマ。1943年、ショートランド諸島に位置する小島・バラレ島には日本軍にとって南方最後の航空部隊基地があり、そこには四十数名の無法者がいた。彼らは、隊長の中村甲太以下、全て組織からはみ出した軍規違反者で、大の士官嫌い。そんなバラレ島に新しい指揮官として加茂正人が赴任して来た。ある時、加茂が司令部の命令を無視し、危機に陥った中村を救ったことから、一同は団結。かくして、黒雲のように覆い被さる敵を迎撃する「ゼロ戦黒雲隊」の活躍が始まった。

 

軍人将棋のリバイバル

 いつ、誰によって発明されたかは正確にはわかっていないが、1895年(明治28年)には製造・販売され、遊ばれていた記録があり、類似のゲームの中では最も古いものである。一時期、廃れていたが1960年代から70年代にかけて復活。

 

②  テレビ番組としての「ディズニーランド」

 日本では1958年8月29日 ~ 1972年4月30日まで日本テレビ系列で放送されていた。以下、ウィキペディアの既述によると・・・

 1941年12月8日の太平洋戦争の開戦と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは戦時体制への協力を映画産業に対して要請するが当初は成功しなかった。しかしディズニーは大衆がヨーロッパに関心を持ちはじめていると気づくと政府に協力し、「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作

 当時のウォルトディズニー社はピノキオやファンタジアがヒットしなかったせいで、あっという間に膨大な借金を抱える羽目になり、さらにヨーロッパも戦争中で映画の輸出が出来なくなり、倒産の危機に陥ったが、プロパガンダ映画の制作により、ある程度の収益を得て経営を建て直すことが出来た。

 戦後も引き続きディズニーは経営を安定させる理由で政府の核実験、原子力開発キャンペーンのためにen:Our Friend the Atom(我が友原子力)という映画を作成するなど政府のプロパガンダに参加している。

 ただし大戦当時に同スタジオで製作されたアニメ映画に、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーンがあったり、ドナルドダックのアニメ映画「総統の

顔」に東條英機や昭和天皇を風刺するシーンがあるが、これらは国の要請や強制を受けたからではなく、ディズニーが自ら制作したものである。

空軍力の勝利 Victory Through Airpower(1943年)

 『空軍力の勝利』((原題:Victory Through Air Power)は、1943年7月17日に公開された、ウォルト・ディズニー・カンパニー製作の実写とアニメとの合成映画である。上映時間は65分。『空軍力による勝利』とも訳される。原作はアレクサーンドル・セーヴェルスキイ(英語版、ロシア語版)(後に航空機メーカーのセバスキーを設立する)の同名ノンフィクション作品(英語版)(1942年刊行)。

 序盤には、飛行機が発明され、軍事用に使われるようになる様子がアニメで描かれる。飛行機は、最初は偵察に使われる程度だったが、やがてマシンガンが搭載され、爆撃を行うようになり、次第に大きな戦力と化していく。

 中盤では、原作者のセーヴェルスキイが登場し、南太平洋の島嶼に点在する日本の基地を攻撃しても戦況を大きく変えることはできないので、空軍力を活用して日本本土に直接戦略爆撃を加えるべきだと説く。終盤では、セーヴェルスキイが提案した日本への戦略爆撃がアニメで描かれる。街に大量の爆弾が投下され、兵器工場をはじめとする市街が炎に包まれていくが、市民が死傷する様子が描かれることはない。

 ラストシーンでは、旭日旗を持ちアジア各地に触手を伸ばすタコを、ワシが空中から襲って退散させる。勝利したワシは旗竿に止まると金色の飾りと化し、旗竿には星条旗がはためく。

『新しい精神』(原題:The New Spirit)

 ウォルト・ディズニー・カンパニーがアメリカ合衆国財務省の支援を得て戦時下の1942年に製作した国策短編アニメーション映画。この作品の続編に1943年1月7日公開の『43年の精神』(原題:The Spirit of '43)がある。第二次世界大戦の最中、多額の軍資金が必要だったアメリカ国内で、税の重要さを知らしめ米国民への納税促進を呼びかける目的で製作されたプロパガンダ作品。アメリカ合衆国財務省の製作であり、ドナルドダックが主人公の短編映画ではあるがドナルドダック・シリーズには含まれていない。

・『新しい精神』のあらすじ

 ドナルドはラジオの国営放送を真剣に聞いていた。ドナルドは自由と国の為に何かすべきだ、と愛国心に駆られていた。ラジオはその想いに応える方法として、納税を勧めるのだった。ドナルドは最初、納税という方法に否定的だったが、ラジオは納税をすることによって、銃や戦艦、民主主義、そして枢軸国を倒す為に役立っていると語った。

 ドナルドはさっそく納税の準備を始めるが、ラジオはその方法を一から丁寧に教えた。まず、収入が3000ドル以下かを聞き、次に書き込む為の納税証明書とペン、インク、判子を用意させる。そして、証明書に名前、住所、職業、扶養家族がいるかを書き、総所得税から累進課税で割り出した必要な税額を記入させる。証明書を封筒に入れたドナルドは、ポストには入れずにわざわざ議事堂があるワシントンまで急行するのだった。

・『43年の精神』のあらすじ

 愛国者ドナルドはもらった給料を見ながら何をしようかと思案顔。そこへ向こうからキルトを着た年寄りのアヒルと、ズートスーツを着た若いアヒルが現れた。年寄りアヒルはドナルドに倹約と節約を説いて軍備納税を勧めるが、若いアヒルは一緒に飲もうじゃないかとドナルドを酒場に誘う。

 結局、ドナルドは若いアヒルの誘いに乗ろうとし、それを見た年寄りアヒルは杖でドナルドの襟を引っ張る。両者引っ張り合いの末ドナルドの服が破れ、ドナルドをその場に残して二人はそれぞれが誘っていた建物に衝突する。ふと若いアヒルが入ろうとしていた酒場に目をやったドナルドは、大きなカギ十字型のスイングドアに気づく。見れば若いアヒルもアドルフ・ヒトラーのような髪と髭を生やし、狡猾そうな顔で両手をこすっている。それを見てビックリしたドナルドは年寄りアヒルのほうを見ると目を回した年寄りアヒルの背後の民家はレンガの剥がれた赤い壁と青い窓で、さながら星条旗のよう。

 自分の使命に気付いたドナルドは不機嫌そうな年寄りアヒルを尻目に何気ない顔で若いアヒルに近寄り、そのまま手を差し伸べてきた若いアヒルを殴り飛ばす。年寄りアヒルと組んだドナルドはそのまま納税窓口へ出向き、軍備のための税金を支払うことにした。

 

・ディズニーとマッカーシー旋風

 第二次世界大戦後、ディズニーは「マッカーシズム(赤狩り)」の嵐(1947年頃から始まり、1954年にマッカーシーが議会で譴責されるまで続いた共産主義者への弾圧)に巻き込まれる。彼は公聴会に出頭し、最終的には無実とされた。この様な形で赤狩りにこそ巻き込まれたが、戦時中や冷戦中、自らが版権を持つキャラクターを軍や政府に無償で提供し、自社の労働組合と激しく対立していた事などから、当人はむしろ熱烈な保守派、右派、反共主義者と考えられている。

 マッカーシーの赤狩りでは、チャーリー・チャップリン、ジョン・ヒューストン、ウィリアム・ワイラーらも対象となった。委員会への召喚や証言を拒否した。グレゴリー・ペック、ジュディ・ガーランド、ヘンリー・フォンダ、ハンフリー・ボガート、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、ベニー・グッドマン(バンド・リーダー)、キャサリン・ヘプバーンらは赤狩りに対する反対運動を行った。

 グレゴリー・ペックは、リベラルの代表格だった。一方でウォルト・ディズニーとともに、政治家のリチャード・ニクソンや、ロナルド・レーガン(FBIの協力者)、ゲイリー・クーパー、ロバート・テイラー、エリア・カザンらは告発者として協力した。

※売れない若手俳優だったレーガンは1955年、カルフォルニアでディズニーランドが開園した際、

 その様子をテレビでレポートしている。彼はやがて共和党の議員となり、第40代アメリカ大統領

 (任期1981年1月20日 ~ 1989年1月20日)に就任している。

 

 またディズニー制作の『南部の唄』は、公開直後から「全米黒人地位向上協会」(NAACP)の激しい抗議を受け続けており、アメリカ本国では再上映やビデオ化が阻止され、「幻の作品」となっている(日本でビデオ発売が実現したが、廃盤)。

 「南部の唄」『南部の唄』(原題: Song of the South)は、アメリカ合衆国のウォルト・ディズニー・プロダクション(現:ウォルト・ディズニー・カンパニー)により制作された実写とアニメーションからなる1946年11月12日公開の長編映画作品である。日本では1951年10月19日に公開された。旧邦題は『南部の歌』。

 映画は南部の農場を舞台に、白人の少年・ジョニーと黒人のリーマスおじさんの心のふれあいを描く実写部分を軸に、リーマスおじさんが話すおとぎ話の部分がアニメーションとなっている。実写とアニメーションを併用した映画はこれ以前にもディズニーにおいては作られているが、実写部分をドラマの軸としたのは初の試みで、ディズニー初の実写映画として分類されることが多い。

 1947年度のアカデミー賞では、「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー(Zip-A-Dee-Doo-Dah)がアカデミー歌曲賞を、リーマスおじさんを演じたジェームズ・バスケット(James Baskett)が特別賞を受賞している。

 全米黒人地位向上協会が本作品の黒人描写に対して抗議したため、アメリカでは1986年以降、ディズニー側の自主規制により一度も再公開されていない。日本ではかつてビデオおよびレーザーディスクが発売されていたが、現在はともに廃盤になっており、2020年現在、正式なテレビ放送やDVD化は行われていない。

 また、2019年11月から北米地域(アメリカ・カナダ)を皮切りに世界各国で順次サービスを開始している動画配信サービス「Disney+」でも、「今の時代状況に適切ではない」として、本作品の配信は行わないことを2020年3月に行われたウォルト・ディズニー・カンパニーの株主総会で会長のボブ・アイガーが明言している。

 協会は作品の音楽や実写とアニメーションの融合技術は認めながらも、白人の主人と黒人の奴隷の関係が牧歌的に描かれている点で事実を歪め、奴隷制を美化していると批判している。また、封切りイベントはジョージア州アトランタで開かれたが、主な白人俳優は勢揃いする一方,主演のジェームズ・バスケットを黒人だからという理由で参加させなかった

 ディズニーランドやマジック・キングダムおよび東京ディズニーランドでは、この作品を題材にしたアトラクション「スプラッシュ・マウンテン」が設置されている。なお、アトラクションにおいてはアニメーション部分がメインとなっており、実写部分の登場人物はアトラクションの導入部分で音声のみの登場となっている。

 現在でも人気のアトラクションの一つでありながら、その題材となった作品を見ることができないという状況が続いており、2020年に発生したミネアポリス反人種差別デモの際にはファンが他の作品への題材変更を求める署名運動も起きていた。

 2020年6月25日、ディズニーはアメリカ・カリフォルニア州のディズニーランド・リゾートとフロリダ州のウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートにおける、スプラッシュ・マウンテンの題材を変更し、黒人少女が主人公のディズニー映画『プリンセスと魔法のキス』をモチーフにした施設に改装することを発表した。

 千葉県の東京ディズニーランドにおける同アトラクションの処遇について、運営会社のオリエンタルランドは日本経済新聞や朝日新聞などの取材に対して、「(題材変更は)アメリカで決まったことなので、現時点でのリニューアルについてはまだ決まっていないが、ウォルト・ディズニー・カンパニーとの間で検討を始めている」とのコメントを発表しており、日本についても、題材変更の可能性があることを示唆している。

 そもそもディズニーに対する「白人至上主義者」、「人種差別主義者」といった批判は、彼が死ぬまで浴びせられ続けたものであって、別に『南部の唄』に限ったことではないらしい。彼は『南部の唄』封切りイベントに主演の黒人俳優を出席させなかったほか、『南部の唄』の以前にもその二年後にも、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱的な漫画を出版しており、現在も批判の対象となっている。

 彼が亡くなるまでウォルト・ディズニー社は要所に黒人と女性を雇い入れようとはしなかった。彼の制作した作品群の多くに様々な民族に対する彼の白人中心視点から成る人種差別、および男尊女卑的な性差別が指摘されている。

参考動画

 ジッパ・ディー・ドゥー・ダー スプラッシュ・マウンテンバージョン 

 歌付き 2013/09/27 2:23

 

 

 

カッパのまとめ

 漫画やアニメ、テレビドラマ、はてはプラモデルやメンコの図柄においてまで戦記物、戦争物が続々と復活する1950年代から1960年代は敗戦直後の民主主義と平和主義的風潮が次第に後退し、国家主義的方向へと大きく舵がきられた時代であった。

 1950年前後は中華民国の成立と朝鮮戦争、ソ連の急成長などにより、東西対立が一気に緊迫化し、アメリカの対日政策の見直しが急ピッチで行われることになった。その結果、戦争責任を追及されて公職追放されていた人々が続々と社会復帰を遂げ、再軍備が急速に進んで自衛隊が発足していく。

 この動きに並行してGHQに禁止されていた柔道や剣道などの武道がスポーツの世界に復活し、次第に格技として学校教育にも広く導入されてくる。同じく禁止されていたいわゆるチャンバラもの、時代劇も映画やテレビに盛んに登場していく。

 加えてA級戦犯容疑者であったはずの「昭和の妖怪」こと岸信介が政界復帰後、瞬く間に首相となり、閣僚に同じくA級戦犯容疑者だった正力松太郎を迎えて当時盛り上がっていた反核運動を抑え、やはりA級戦犯容疑者だった後藤文夫らの民間からのバックアップを受けて原子力発電の導入を推進していった。

 また岸は同じくA級戦犯容疑者だった児玉誉士夫らを動かして暴力団や右翼団体まで動員し、「60年安保」と呼ばれた大規模な反米運動を力で封じ込めて日米安全保障条約の改訂を強行する。

 実は岸や正力、後藤、児玉らはA級戦犯容疑者として戦後しばらくは巣鴨拘置所に収容されていたが、CIAの工作に協力することと引き換えに裁判にすらかけられることなく皆、釈放されたとの説がある。たしかに彼らは裁判を経ることなく容疑者のまま、東条英機らが死刑執行される前後に釈放されているのだ。

 実際、アメリカの原子力技術を核アレルギーの強い日本に導入させる上でも、また原子力の平和利用を受け入れやすく世論操作させる上でも、さらに反共産主義の立場から日米安保体制を維持する上でも彼らはそれなりに役立つとCIAは評価していたのだろう。東西対立の深刻化はあろうことか、戦時中の指導者層を裁くことなく社会に復帰させ、さらには「敵の敵は味方」と言わんばかりの社会的厚遇を「昭和の妖怪」たちに享受させていたのである。

 確かに正力松太郎配下の読売新聞や日本テレビなどは早くから原子力発電の導入に賛成し、アメリカのテレビ番組を次々と放映していた。釈放された他の人たちの動きを見ても実際、アメリカの指示通りに動いているように感じる。

 こうした動きに便乗して急速に台頭してきたのが例の電通であった。業界2位の博報堂も児玉の息がかかった企業であることを考えると、これまでの戦後日本の動きはほぼアメリカの思惑、シナリオ通りになっているように見えてきて仕方ない。

 皆さんはいかがだろうか。

㉓イジメ事件隠蔽の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

「なんだこりゃ?」三千字超えの遺書に抱いた違和感…愛知県西尾市中学生いじめ

    自殺事件を描いた「924ページの大著」を読む

    現代ビジネス 仲野 徹(大阪大学名誉教授) 2025.8.27 

    学校の味方となるような内容でなければ取材には応じない…と語った取材時の校長の発言に、学校の隠蔽体質があからさまに露呈している。かなり昔の事件だが、学校の体質に大きな変化はあるまい。

子どもの「ネットいじめ」過去最多 いじめるのはジャイアンではなく「しずかちゃ

   ん」タイプのワケ AERA dot. 野村昌二 の意見 2024.6.26

 面白い指摘であり、授業で紹介すると議論が活発化するかもしれない。近年、ネットイジメが激増していることで「しずかちゃん」タイプがイジメ加害者となりやすくなっているとのこと。また学校でのクラスは「関係流動性」が低く、同調圧力が高いため、イジメを見て見ぬふりをするなど、イジメの歯止めがかかりにくい状況を生み出しやすい集団だという。ぜひ生徒たちの意見も聞き出したい。

「カスハラ」連発の今の日本は「優しい国」じゃない…海外の人が抱いている「正

 直な感想」現代ビジネス 片岡 亮(フリージャーナリスト) の意見 2024.6.15

 人助け指数が昨年度ランキング(2023年度)で、日本は142カ国中139位であること、「日本は社会主義的に、集団の調和を重視する傾向が強く、個人の問題に対する配慮が後回しになりやすい。以前、電車やバスでのベビーカーを邪魔だとする人々が結構いるという話があったが、ベビーカーを押す母親の大変さより、その場にいる人々への配慮を優先して考えた意見がたくさん見られた」という指摘はイジメ問題を考える上でも大いに参考になるだろう。これらが日本社会の随所でイジメとその隠蔽がはびこる背景にあると思われるが、いかがか。

参考動画

【坂井風太】「生存者バイアス問題」と若手の不本意離職を防ぐには

 ReHacQハック−【公式】  2024/01/17  52:35

 組織マネージメントの専門的見地を学校組織に当てはめると、学校での不祥事、隠ぺい事件の背景にどのような組織文化があるのか、探っていく必要があるだろう。坂井氏の指摘には非常に有意義なポイントが数多く含まれているようだ。特に「生存者バイアス」は極めて重要な観点で、学校をダメにしている大きなポイントではないだろうか。新人教師の教師としての自己効力感を高めるマインドセットをどう創り出すのかを探ることは大学での教員養成教育においても必要不可欠なはず。

 

・町田小学生イジメ自死事件

「学校配布タブレットでいじめ」 小6女児自殺で両親が訴え

   2021/09/13 TBS NEWS 1:24

東京・町田 小6女児自殺 文科省が市の教育委に指導

   2021/09/15 TBS NEWS 0:43

東京・町田市 いじめ訴え女児死亡 遺族「教育委の調査は一方的」

   2021/11/04 TBS NEWS 2:17

参考記事

町田12歳女子イジメ自殺》「目をえぐる」「さいごに包丁でめったざし」 小学生

 が作ったとは思えない「ころしかたノート」の“残虐すぎる内容” 

 文春オンライン 渋井 哲也 によるストーリー 2024.3.23

 まだ事件の全貌は明らかにされておらず、結論めいたことは言える状況にないが、これまでに判明した分だけでもこの事件の闇深さは十分、伺えよう。イジメ事件隠蔽を考える上でその導入部に使えば生徒たちの関心はかなり深まっるに違いない。

遺族「なぜそういう結論に」“いじめ”訴え小6死亡 調査委「原因特定できず」

      テレ朝news  2024.3.29

    第三者委員会には警察のような強制的捜査権は無く、元来が限界の多い組織に過ぎないことは予め理解しておくべきだろう。事件が表面化してから3年近く経っているにも関わらず、何一つ、事態は進展していないように見えるが、いくつかの案件に関してはイジメとの認定を受けている。また一般的には自殺の原因を特定すること自体、極めて難しいのも事実であり、捜査権の無い組織が確たる証拠もなしに断定的なことを言いにくいのはまさに第三者的には理解できなくもない。どんなメンバーだったのか分からないが、町田市の第三者委員会としてはこれが能力面での限界だったのかもしれない。

 とはいえ相当ひどいイジメがあったことは確認されており、今後、そのことに対して学校側や教育委員会側がこれまでの期間も含め、どのような取り組みを行って事件の再発防止と加害者側の反省、他の生徒たちへの指導が出来るのか、その実際のプロセスが改めて問われてくるだろう。

 ただし、これまでの流れを振り返るとおそらくそれすらもきちんと行われてきたとは到底、思えない。ひどく不誠実な動きが学校や教育行政側に目立つ案件ではある。

 もしかすると事件の解明に関して遺族側は町田市及び町田市教育委員会、学校側のメンバーに対して今後一切、期待すべきではないほどに困難な状況に直面しているのではあるまいか。そうであるとすれば遺族側が自殺とイジメとの因果関係をはっきりさせるためにはおそらく裁判に持っていくほかに手立てはあるまい。裁判になれば学校や教育委員会にも警察の強制捜査が入り、当時の関係者たち全員にイジメへの対応の是非、さらには事件の隠蔽や虚偽の説明の有無がそれ相応に厳しく司法の場で問われていくに違いない。

 そもそも学校や教育委員会のような、ブラックボックス化して自浄能力に欠ける組織に真摯な反省を求めるのは土台、無理な話であり、町田市の場合、遺族は裁判に訴えるほかに有効な手立てはどこにも見当たらないように思えるのだが、いかがだろう。

「校長が言えばまず『分かりました』と答えろ」「最低の教頭」などと叱責 堺市立

 学校の校長をパワハラ行為で懲戒処分 ABCテレビ   2023.11.17

 大阪や兵庫で続発する学校関連の事件のレベルの低さを眺めると教員養成のみならず、管理職養成とその採用基準に大きな疑問を覚えざるを得ないだろう。同じ管理職ではありながら校長と教頭との上下関係はほとんど封建的主従関係に近い。ならば平教師、とりわけ講師の立場がどんなものなのか、推して知るべし。

 これまでひたすらに正教諭の数を減らして講師や非常勤の数を増やしたのは決して人件費を減らすという経済的目的だけではなかった、ということ。学校のブラック化、ブラックボックス化にはこうした側面も大きく関与していることに気付いていただけるとありがたい。

なぜ日本人は「理不尽」を受け入れてしまうのか…学校から「いじめ」がなくなら

 ない理由 現代ビジネス 現代新書編集部 の意見 2023.10.30

 学校の閉鎖的村社会化、ブラックボックス化、ガラパゴス化がイジメを広範にはびこらせ、各種事件の隠蔽を促す要因の一つとなっていると考えられよう。

日本と大違い…フランスで「いじめ」が犯罪行為とみなされる「納得の理由」 新法 

  成立の背景 現代ビジネス A4studio の意見 2023.12.1

   集団生活を身につけさせることを教育目標のメインにしがちな日本の学校と個々の学習をメインにおくフランスとの違いがイジメ問題への対応の違いになって表れてくるという指摘に納得させられる。個の人権や多様性よりも集団社会への適応を優先させる「滅私奉公」的価値観がいまだに日本の学校には浸透しているようなのだ。そしてそのことが学校によるイジメ事件の隠蔽や教師たちの対応の鈍さとなって表面化しているのだろう。すなわち個々人の学びよりも集団主義的洗脳を主眼とする日本の学校教育は今やその根本から見直しを迫られていると考えるが、いかがか。

日本で「いじめ」がなくならない「本当の理由」…子どもから自由を奪う「学校」

 という病 現代ビジネス 現代新書編集部 の意見 2023.12.26

日本人は「世界一礼儀正しい」が「世界一イジワル」だった…「自分の利益より他

 人の不幸を優先する度合い」を測る実験で「日本人ダントツ」の衝撃結果 

 現代ビジネス 週刊現代 の意見 2024.1.2

 非常に興味深い指摘であり、アンケートなどを使って生徒たちの意見を募いたい。

 日本社会に蔓延する「生きにくさ」の正体は日本人特有の集団心理にあるのかもしれない。規律正しさ、礼儀正しさ、おもてなし文化…これらは同調圧力の強い日本社会が生み出した強みでもあり、これまでの日本の工業化を支え、観光業の発展をもたらした長所ではあったが、同時に「出る杭は打たれる」、場の空気を読めない「KY」を排除する集団的イジメを学校などにはびこらせてきた側面があることも否めないだろう。

 単純に集団主義的な心性を批判し、個性や多様性の尊重を謳うだけでは日本人の長所を損なう恐れもあると考える。要は行き過ぎた忖度を見直し、個性や多様性の価値を認めつつも、規律正しさ、礼儀正しさを出来るだけ失わないような工夫と絶妙なバランス感覚が求められているのだろう。

【緊急保護者会】大阪中1女子自未遂!全音声公開74 分  

 2022.6.5 加藤秀視 26:26

 これも学校の隠蔽体質が露見したケース。ただし行政のバックアップも乏しい中で現場の教師が抱えている膨大な仕事量と苛烈なストレスへの理解は学校が頑固な隠蔽体質を持つに至った背景を知る上で欠かせまい。学校現場への理解を欠いたまま、学校や教師を一方的に断罪するだけでは教育現場の絶望感を深めていくだけであり、教師志望者をさらに減らしていくだけとなりかねない。

 もちろん学校の伝統的な隠蔽体質が学校教師への世間による共感的理解を妨げてしまい、それがまた隠蔽に走る学校や教師に対する厳しい批判を招いてしまう一因ではあるだろう。加藤氏らにバッシングされている学校の惨めで情けない現状は厳しく言えば自己防衛ばかりに腐心し、自己改革をサボってきた学校側の自業自得と言えなくもない。これからは学校をもっともっと大胆に世界や世間に向けて開いていく努力をしていかなければならないのは確かであろう。さもなければ日本の学校は児童生徒および教師にとってさらに辛い場所になってしまうに違いない。

 加えて何よりも重大なのは教師及び管理職の採用条件であろう。たとえばこれまで日本の教育行政のあり方に批判的な意見を面接試験の場で一度でも表明した人物は教員採用試験や管理職登用試験で必ずと言って良いほど落とされ続けてきた(場合によっては永遠に正規雇用されない)と考えられる点である。学校の現状に批判的で学校改革を進めていけるだけの意欲と可能性を秘めた人物を予め現場から排除しようとするような、閉鎖的で変革を好まない村社会的人事を教育行政側が続けている限りは、教育委員会や管理職が「いじめ問題」の隠蔽をやめることはまずないだろう。

 これまでの教員養成教育や教科書検定制度を含めて学校教育をあらゆる角度から根本的に見直さない限り、日本の保守的で閉鎖的な学校体質に何一つ変化は訪れないと考える。実際、悲惨の極みに思えたあの大津イジメ事件からですら、多くの管理職や教育委員会、一般の教師たちがほぼ何一つ学ぶことの出来ていなかった証拠が、大津以降、流山、西宮、堺、名古屋、酒田、静岡、川口、旭川、尼崎、町田などでの出来事で立て続けに露呈してきている。おそらく根本的な見直しがされないままでは同様の事件が今後も各地で続発していくに違いない。

 加藤氏らの挑戦が請願権を楯に大きな燎原の火となって政治を動かし、法制度を変えていくまでにはやはり相当の困難と時間を要するだろう。つまり学校教育の現場と行政側はとっくの昔に自浄能力を無くしてしまい、ほとんど自己変革を期待できないほどに組織の腐敗と衰弱が進んでいると思えるからである。学校現場の関係者に「イジメ」事件を円満に解決する能力や時間的余裕が残されているとは最早、到底考えられない。

 逆にこうした事件が明るみに出れば出るほど学校では「やってる」感を演出するための体裁作りばかりが増えていき、教師達は体裁作りに追われていよいよ疲弊していくに違いない・・・これが教育現場に携わる人々の大方の実感ではあるまいか。

 元教師という立場からは余りにも情けない言い草なのだが、正直なところ、日本の学校を変革するためには教育行政や学校関係者以外からのさらなる強烈な「外圧」を必要としていると個人的には感じている。

 今、BBCがジャニー氏の性加害報道をしたことが一つの突破口となり、これまで幾度も性加害の告発があってもほとんど動こうとしなかった日本のマスコミや芸能界がとうとう動き始めざるを得ない状況に追い込まれている。

 昨年、マスコミや芸能界が外圧によってにわかに動き始めたように、日本の学校にも新たな「黒船来航」が必要となっているのかもしれない。それほどに日本の教育行政は学校現場を含めて長い間、ひたすら一部の政治家の道具として使いまわされ、使い倒されてきた結果、もはや、自らを変革するだけの主体性と柔軟性をゴッソリと失ってしまっているのではあるまいか。

 

<ちばライブ>習志野の小学校いじめ 第三者機関が再調査 「知識・理解の欠如」

    「判断の誤り」 学校、市教委などの問題点を報告書で指摘    東京新聞 2025.9.5

    あれだけ大騒ぎになった北海道旭川の事件に、一切、学ぼうとしない千葉県の教育会における人権意識の欠如と無恥厚顔な姿勢がこの件でも強く感じられる。第三者委員会のメンバーに第三者としてふさわしくない人物を、性懲りもなく抜擢する、悪質極まる案件…直近では市原市でも見られた。

    第三者委員会に留まらず、再調査委員会までが加わらないとまともな調査すら期待できない…かつてその動向が広く注目された結果、旭川市教委は黒蕨教育長の辞任を免れなかった。しかし、習志野市では教育長が何やら偉そうに上から目線で激怒してみせている。この不祥事に対して、本来、真っ先に責任を取るべき長たるものが自ら責任をとる気配すら一切見せず、「俺様の顔に泥を塗りやがって!」とばかりに部下や学校現場へ威圧的に八つ当たりする…このみっともなさはいかにも千葉県らしい。

    千葉県ではこれまでも教育委員会以下、イジメ問題への消極的対応が異様なまでに目立ってきた。すなわちイジメ被害者の泣き寝入りが頻繁に起きやすいのがまさに千葉県の伝統的教育風土、と思われても仕方あるまい。

    なぜ、ここまでグダグダしてしまったのか、県全体レベルで教育長を含む関係者への厳しい追及と処断が求められるに違いない。

いじめ再調査委答申、父親「納得いかない」提訴の構え 千葉県市原市立中 

 産経新聞 2023.11.22

市原市の中2いじめ問題で、新たに2件を認定 被害生徒側は「不服」 

 朝日新聞社  2023.11.22

【独自】「お聞きはしてない」再調査委 いじめ隠ぺいの証拠音声聞かず最終報告

 書 千葉・市原市「いじめ重大事態」 FNNプライムオンライン   2023.11.23

 …再調査の過程で生徒側は、学校で関係者が話し合った音声データを「いじめがあった証拠だ」として提供する考えを再調査委に示していた。だが、再調査委側は「音声は取り扱いが難しい」「失念していた」などとして、受け取らないまま事実認定を行っていた

   これだけの大失態を犯しながらのうのうと答申を提出する「いじめ再調査委員会」とは一体、どんな組織なのだろう?しかも音声データには市教委による隠蔽の証拠とされる箇所があったというから驚きだ。これは再調査委による第二の隠蔽、と疑われてもやむをえまい。誰がどう見ても本気で実態を把握しようとは考えていないことがバレバレではないか。これまでさんざんもめてきた経緯があるにもかかわらず、この杜撰な対応ぶりは決して許されるものではあるまい。

 

担任のいじめ問題 県教委に報告促されたのに野洲市教委対応せず

 毎日新聞 2022.12.14

 大津市イジメ事件で話題となった滋賀県ではあるが再び、残念な事件が野洲市で発生している。今回も学校や市教委による隠蔽とも受け取られかねない事案である。教師が特定の児童をいじめるという大問題に対して校長や市教委の不誠実な対応は確かに許容できないだろう。

 しかし、こうした問題が各地で続々と生じてしまう背景に教師や教育委員会の人手不足および過重労働の深刻さが背景にある事が予想される。確かに教師や教育委員会、学校への批判も必要ではあるが、人員及び予算不足の深刻化と同時にそれと反比例するような仕事量の激増が一気に学校教育界隈を追い詰めている感は否めない。

上級生からのいじめを担任が容認…いじめ受けた生徒の尻を複数回蹴る 教諭ら懲戒

   処分 毎日放送 によるストーリー 2023.12.26

 大阪府摂津市での事件。校長による犯人隠匿に近い隠蔽工作が発覚している。これだけの事件を校長減給一か月、担任減給六か月という処分で本当に良いのだろうか。こういう事件を続々と生みだしている学校教育の風土が大阪府や兵庫県に蔓延しているように感じられてならない。

 

・大阪府門真市中3イジメ自死事件

中3男子生徒いじめ 遺族が会見で「加害者たちを絶対に許しません」吉村知事に「厳罰求める」手紙送付を明かす 毎日放送  2024.2.15

高校合格を報告した夜に…中3男子がいじめを苦に自殺 「絶望と無念な気持ちを抱

 えながら死を選択せざるを得なかった」と第三者委は指摘  

 FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.2.15

【速報】SNSで繰り返された誹謗中傷中学3年の生徒がいじめを苦に自死門真

 が第三者委の報告書公表「いじめと自死との因果関係認める」教育長らが謝罪 

 毎日放送 によるストーリー 2024.3.19

いじめで息子を亡くした母親 加害生徒側から"謝罪の手紙"が届くも不信感「本当

 に 悪いと思っているなら、もっと早くに自宅に来るはず」 匿名SNSで誹謗中傷・

 LINE陰口で中3男子が自死   毎日放送  2024.8.6

   2年前に大阪府門真市の市立中学校に通っていた3年生の男子生徒がイジメを受けて自殺した件で遺族が学校や教育委員会の対応に不満と不信を募らせ、ついに府知事に直訴したが、「厳罰」に関しては軽く一蹴されてしまったようだ。

 確かに公教育への政治介入は本来、好ましくない。しかしこれだけイジメ事件の隠蔽が繰り返される状況下ではもはや文春などのマスコミを通じて世論に、あるいは裁判所に訴えるしか遺族に残された手段はあるまい。もちろん、これらも辛い作業となり、かつ生活に時間的、経済的余裕がなければ無理。多くの遺族が実質的には「泣き寝入り」状態に置かれている現状をどうすべきなのか、腰を据えてじっくりと考える必要がある。

 同様の悲劇が繰り返されないことこそ遺族側の一番の願いとなるだろうが、どうみても悲劇は執拗に繰り返されており、むしろ事態は悪化しているかもしれない。学校も教育委員会も、イジメ問題に対してはその無能さ、無責任さをいよいよさらけ出してしまっている。警察だってこの問題に深入りするだけの余裕は無いだろう。

 まずは教師の仕事を精選して負担の軽減を大胆に進めた上で画一的、管理主義的指導を改め、児童生徒集団の同調圧力を弱めて学習の個別最適化を図る。同時に教師養成教育の内容と教員免許の基準や教員採用、管理職採用のあり方を見直す。より個性や多様性を尊重し、協働の学びを追求する授業の在り方を目指す…非常に遠回りで内容が多岐にわたり、いずれもかなりの時間を要するが、根本的にはこれしか方法はあるまい。

 とはいえ、隠蔽、隠匿した側が厳しく罰せられないまま、ただ口先だけの謝罪で終わっているケースが多すぎやしまいか。これではやはり事件の連発に歯止めがかかるまい。責任を感じているのなら、謝罪だけではなく、教育委員会や学校側にはそれなりの誠実な対応が求められているはずなのだが…

 

 教職員の待遇改善と教師の質の向上は同時進行であるのが望ましいのだろうが、残念ながら以上のような報道が続くと若者の教師離れがさらに加速し、教師の質の低下に歯止めがかからなくなるおそれも出てくる。そうなってしまってはかえって教師や学校、教育委員会の不祥事を多発させる最悪の事態を招き寄せるだろう。

 すなわち大学での教師養成の在り方を根本的に見直しつつ、教師の待遇改善と採用基準の見直しを同時進行で可及的速やかに実行していく事が日本の教育界の喫緊の課題ではあるまいか。

 ただし現政権は教師養成という大きな問題には頬被りして、教師の待遇改善と教員採用試験のハードルを下げるという対応しか試みるつもりは無いようだ。教師の待遇改善はもちろん急ぐべきだが、まだ具体策が見えてこない。しかも採用試験のハードルを下げることの弊害は極めて大きいだろう。

 

「いじりといじめの違いって何?」いじめ被害者による予防授業 小学4年生の答え

   は?【news23】 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.3.30

  議論のたたき台として活用すると面白いだろう。アンケートと討議との併用ができれば最高の題材に化ける可能性が有る記事。うまく展開できればイジメ予防にかなり役立つ授業が出来そうだ。

   まずは「いじめ」と「いじり」との境界線はどこか…結論を急がずに対話的議論を続ける方法には学ぶべきことがあると思われる。多様な意見の存在を知り、自分の考えを深めていくことに議論の目的があるとすれば、この方法はかなり有意義な議論につながると期待できるだろう。

   次に注目されるのは、NEWS DIGアプリで『いじめの予防』などについて「みんなの声」を募集したところ、いじめ予防で重要なこととして半数近くが「加害者への厳しい措置」を選んでいるという点だろう。このところイジメ加害者への対応が不十分と思われる事案が数多く報道されていることへの

反発がこの結果の背景にあると思われる。もちろん加害者側の人権を無視した厳罰を人々が求めているわけではあるまい。ただ大津のイジメ事件のように加害者側にきちんとした反省が見られないケースに多くの人が苛立ちを覚えるのは至極当然である。

 イジメ加害者への指導として大切なのは本人が真剣に反省し、二度とイジメを繰り返さなくなることなのだが、これは決して簡単なことではない。大人でも刑務所を出るとたちまち再犯を繰り返す者が少なくない中で、ただでさえ忙しい教師たちが刑務官ほどの経験と専門的知識、及び強い権限を持ちあわせていないにもかかわらず、理解力に相当の問題があるかもしれない児童生徒たちに対して果たしてきちんとした指導ができるのか、否か…どう見ても現実的には無理筋ではあるまいか。

 学校は「教育的指導」という曖昧な枠組の中でイジメを捉えるから加害者側への指導がどうしてもぬるくなりがちなのだろうが、とはいえ学校は所詮、刑務所や少年院ではない。学校に出来ることは余りにも限られている、という謙虚な姿勢がまずは教師たちに求められるのだろう。

 したがって仮に教育委員会から重大事態と判断されたなら、事件の解決を警察や司法の手に委ねる判断も有り、とすべきである。これは必ずしも教育の放棄ではなく、「出来ないことはやるべきではない」という当然の現実的判断に基づくはずのもの。そもそもイジメは刑事罰の対象ともなりうる犯罪行為である、との認識が教師間にもしっかりと共有されるべきなのだ。そして刑事事件に対して教師が深く介入すべきではないのは論を待たない。

 ところが学校に警察を入れることを「学校教育の敗北」と捉えて極端に嫌う風土が多くの学校に存在している。この風土が解決を遅らせてしまい、事態をより悪化させるとともに、事件の隠蔽をも生み出している一因なのではあるまいか。また警察を入れた学校長の判断を教育者としてマイナスに評価するような、減点主義の教育委員会も少なくないのでは…

 イジメ事件への対応に苦慮する学校は多いだろうが、学校はそもそもこの問題にしっかりと対応できるだけの資源、権限に欠けている、極めて脆弱な組織なのであり、教育問題だから…といって学校が丸ごと抱え込もうとするのは極めて危険な事なのかもしれない。むしろ他機関との連携を積極的に推進することこそ、イジメ問題への現実的対応策と考えるが、いかがか。

国家権力を介入させない『私学の自由』と『いじめ対応』苦悩する生徒や保護者

  「行政機関なり役所なりが助けてくれると思っていた」学校に不信感...でも行政は指

   導できず 毎日放送 によるストーリー 2024.4.1

   イジメ問題に関しては日本の場合、教育機関として対応するには大きな限界があるようだ。法的な対応をとることを前提に弁護士等に相談するのがおそらく被害者側が最も納得できる方策なのだろう。今後は被害者側が加害者側だけではなく、学校や教育委員会側を訴える事例が増えてくるように思える。

いじめ申告に“警察じゃない”学校が調査拒否 自殺示唆ノートには花丸 母親「シャッ

   トアウトされた」読売テレビ によるストーリー 2023.12.7

 奈良市ではもはや隠蔽しようという恥や罪の意識すらない、ただの開き直りとも受け取れる凄いケースが報道されている。深刻なイジメが疑われるケースが表面化しても「学校は警察じゃない」と言い張り、ひたすら放置する…というありえないほどの厚顔無恥な学校側のスタンスで事態をこじらせてしまった驚愕の事件である。

 おそらくこのスタンスは校長を始めとする学校全体の方針なのだろう。だからこそ児童が自殺したいと記したノートに花マルをつけ、「You can do it」と児童に自殺を促すようなひどいセリフを平気で担任が記せるほどに、学校内にはイジメ案件に対して相当ヤバイ空気が漂っていたに違いあるまい。

 ついに学校は来るところまで来てしまった…問われるのは担任の非常識な対応だけではない。この担任の行動を助長したに等しい校長らの怠慢極まる無責任な学校経営の罪は一層、重いだろう。さらにいえばこうした担任を採用し、こうした校長を登用してきた奈良市教育委員会の人事における深い闇をも感じさせる一件であろう。

鴻巣・中学生いじめ 調査委議事録 確認できず 文科省指針、市規則違反か

   東京新聞 2023.12.15

   意図的な隠蔽なのか、ただの公文書管理の杜撰さなのか…いずれにせよ鴻巣市教育委員会のいい加減さ、だらしなさに呆れるほかない。

 

・横浜市教委の隠蔽体質

いじめ自殺の疑い、弁護士検証で新たに3件 横浜市立校で過去10年 

 朝日新聞社  2024.7.26

 教育者として、こんな姿勢でよくこれまで勤まってきた…と驚きを隠せないほどの無責任体質が横浜市ではきっと学校教育界全体に広く、長く染みわたってきていたのだろう。しかしこの「事なかれ」体質は教育界にとどまらず、日本社会全体にも深く浸透していたような気もしてくるが、いかがだろう。個々人の正義感は抑圧され、集団の安寧を優先する「忖度社会」、「和をもって貴し」となす日本的な集団主義の再生産装置こそ、日本の学校が果たしてきた社会的機能の中核的役割なのではあるまいか。

 日本の近代化において学校が連綿として果たしてきた国家主義的な役割への根本的な見直しが、あの敗戦後に至ってもほとんど進んでいない…息苦しくなるほどのもどかしさを感じてしまう一件である。

横浜の中2自殺 市教委が「いじめ」表記の削除要請、第三者委が指摘 

 毎日新聞 によるストーリー 2024.3.8

  全国各地で手を変え品を変えて執拗に繰り返されるイジメ事件の隠蔽。文科省を頂点とする教育行政のあり方、とりわけ人事政策に大きな問題を感じざるを得ない。

横浜市立学校で生徒2人が連続自殺遺族は「背景にいじめ」訴え、対応後手に 

   カナロコ by 神奈川新聞 によるストーリー 2024.4.24

   横浜市の教育委員会にも大きな闇がありそうだ。

横浜中2自殺、重大事態の認知遅れる 市教委、いじめ防止法違反の認識示す 

 産経新聞 2024.3.19

 「…平成26年度以降、同市で自殺した児童・生徒のうち、詳細な調査をしなかった38件について状況を確認する方針。」箇所に戦慄を覚える。そもそも児童生徒の自殺件数は義務教育段階では極めて少ない。市教委が関わるのは数の少ない市立高校を除くと90%以上は小中学校と考えて差し支えないだろう。ということはここ10年ほどの間に横浜市では詳細な調査が行われていない小学校、中学校での児童生徒の自殺が少なく見積もっても30件近くあったということ。もちろんこの数字自体、必ずしも信用できないのだが、それにしても…言葉に詰まるほどの酷さではあるまいか。

 これまた必ずしも信用できないが、とりあえず文科省の全国統計を確認してみよう。令和4年度の小学生と中学生の自殺者総数は全国で150人。横浜市の人口は日本の総人口の約3%に相当するので、かなり乱暴だが、割合的に見れば横浜市の小学生、中学生の自殺者数は年間4~5人が平均的数字と一応

推量されよう。したがって10年間では40~50人が横浜での小中学生の自殺者数という単純計算になる。そのうちの半数以上は何としたことか、詳細な調査がなされていない…実に驚きの数値ではあるまいか。

 教育界の根深い隠蔽体質が災いしてこの手の調査の数字がかなり怪しいことはこれまでも繰り返し触れてきた。にもかかわらず、こんなに悲惨であったことが白日の下にさらされてしまうほど、もはや隠しおおせないほどの凄まじい酷さが横浜市の教育界に蔓延している…違うだろうか。

 自殺の原因は児童生徒の場合も含めて多岐にわたるだろう。ただし全日制の高校生の自殺では男女とも学校関連の問題がトップにきている。もちろんこれすらもかなり信用できないデータではあるが、一応、学校関係では学業不振や人間関係、進路の悩みなどが主因となっている。つまり学校側の対応いかんでは自殺を防げるケースが多い、ということなのだ。

 近年、日本の若者の自殺増加は国際的にも知られている周知の悩ましき現象であり、当然、自殺防止対策は学校においても急務の課題であるはず。そして自殺防止策を有効にしていくには個々の自殺の原因、自殺に至る経緯を詳しく調査する必要があるのは論を待たないだろう。にもかかわらず、このていたらくなのだから、もはや絶望的状況というほかないのだ。

 ではなぜ学校や教育委員会はこうまでして自殺の原因究明をさぼるのか、その理由はこれまた多岐にわたるだろう。大きい原因としては第一に繁忙を極める教育現場のブラック化、第二に伝統的な教育界のブラックボックス体制=隠蔽体質。さらに教職員の自殺やイジメ事件への無関心、ないしは無知、鈍感さが挙げられるのではないか。これは大学における教員養成講座のお粗末さが背景の一つにあるだろうし、現在の教師たちがかつては「イジメ世代」と呼ばれた世代に属していることも多少は関連しているのかもしれない。

 どれも一朝一夕に解決できる問題ではないが、子どもたちの命を優先できていない今の日本の学校教育の存在価値自体が根本から疑われ始めている、という深刻な危機感だけは何とかして教育関係者の間で共有していかなくてはなるまい。

横浜市教委 いじめ重大2事案認定 小中学校「特性理解、配慮不十分」 

 東京新聞 2025.2.22

   学校教育界隈ではすっかりおなじみの横浜市である。児童生徒の発達特性の違いについて、単純に「遅れている」、あるいは「親の躾がなっていない」との判断からだろう。教師の不勉強、無理解によってイジメが放置されてしまうケースの典型であろう。そしておそらく、この教育委員会は自分たちが引き起こしてしまった不祥事を棚に上げ、「教師どもはケシカラン、厳しく指導・管理すべきだ」とこの事態を受け止め、教師たちへの研修を増やして管理・監督の目を光らせるに違いあるまい。

 結果的には横浜での学校のブラック化が進み、教員の病休や中途退職を増やす、教員志望者数はさらに減少する、学校のブラック化が一層加速する、といった悪循環の方向でしか、横浜市教委は対応できないと予想するが、いかがか。つまり問題は大学での教員養成教育の欠陥と学校のブラック化にあるのであって、この二つを同時進行で改善していかなければ事態はいよいよ悪化すると考える。

 

「どういうつもりなのか」同級生から「ばい菌」扱いのいじめ…女子児童は100日

 以上欠席 急きょ「重大事態」認定に不信感 京都市 別児童のいじめでも一転し重大

 態を認定 毎日放送   2024.7.24

 2020年から始まっていたイジメを今頃になって重大事態に認定する背景に一体何が考えられるだろう。いじめ防止対策推進法に対する理解の程度が各地の教育現場ではかなりマチマチとなっており、殊に管理職によって大きな差異があることは容易に推察できるだろう。今回の件も担当者が新旧入れ替わったことでようやく表面化してきたと考えられる。

 しかし重大な案件に関しては統一的基準に基づく迅速な対応が求められるはずだ。法の規定に基づかない、現状の属人主義的な対応ぶりにはどうしても大きな危険を感じる。管理職の世界における年功序列、先輩後輩関係のあり方に深くメスを入れない限り、こうした事はいつでもどこでも起こり続けるだろう。

 とりあえず、今回の件ではこれまで重大事態としての認定を行わなかった当時の管理職、及び京都市教育委員会の担当者への厳しい処罰を下すべきである。後輩でも間違っている先輩を厳しく処断できないようでは教育行政への市民の信頼は崩れる一方となるだろう。

久喜市立小 重大事態判断に半年、いじめ10件に拡大 保護者「被害悪化させた」 

 東京新聞 2024.3.30

 特に問題視すべきは次の二件だろう。まずは不用意に被害者側と加害者側との話し合いの場を設けてしまったこと。…学校が設けた児童への謝罪の場で同級生の保護者が「自分の子どもと児童はお互いにいじめているのでは」と主張…とあり、かえって被害者側が不登校状態に陥ってしまった可能性は拭えまい。実に間抜けな対応というほかない。

   安易に被害者側と加害者側とを同席させてはいけないことぐらい常識ではないのか。あたかも「喧嘩両成敗」かのような扱いをすることは多くの場合、被害者側を傷つけるだけになりがちで、イジメ案件では絶対に許されない対応である。実際、同様の対応をしてしまい、学校と被害者側との関係が決定的に悪化してしまったケースは他にも数多く存在している。もしや、イジメとケンカを同列の問題とするような、ありえない思考がはびこってしまった学校ならば、もはや学校として完全に終わっているであろう。

 さらに呆れるのはいかにも不慣れな新任教師に問題を丸投げしているとも受け取れそうな学校側の動き。だからこそ「…いじめに対する初期対応の記録も学校に残っていない…」という、不登校の重大事態と認定していながらの記録保存に対する深刻なレベルの杜撰さなのだろう。

 今や、イジメ案件は「重大事態」に至らずとも裁判沙汰に発展する可能性を十分秘めている。当然、管理職は事態の把握当初から関係する担任や児童、保護者からの聞き取り内容や教師たちの指導の記録を提出させ、自ら保管すべきなのは言うまでもあるまい。裁判に発展した際の資料として役立てる心構えが無い人間にこの時代、管理職の資格があるとは到底思えない。これでは学校側が初期対応の杜撰さを隠蔽すべく、本来、あったはずの記録を廃棄したのでは、と学校側の証拠隠滅を疑われても仕方あるまい。

 

・札幌市教委の隠蔽体質

【札幌で”性的いじめ”】「本当につらかった」と被害に遭った男児 「子どもたちの

 声を聞く気がない」と母親は "教育現場の不作為" 小学校・中学校・市教委の対応を

 非難 第三者委員会が調査報告書を公表へ 北海同ニュースUHB  2024/10/04 

 札幌市教委の動きの鈍さは神戸市や横浜市などの、他の政令指定都市における教育委員会と同じ種類の問題を抱えている可能性がある。すなわち人員不足に加えて手に負えないレベルの数の学校を一手に抱え、かなりオーバーワークに追い込まれてしまっているのではあるまいか。であるならば多少、同情すべき点があるのかもしれない。

 とはいえ、市教委だけでなく被害者のいる小学校、加害者のいる中学校の対応もまた法に則った動きとは言えず、やはり札幌市の義務教育会全体に旭川市と同質の、好ましくない「学校文化」が共有されていることを疑いたくなる。たとえば児童生徒やその保護者達に親身になって寄り添う姿勢の欠如がこうした地域の学校文化として共有されてしまっているのではあるまいか。そうした文化が仮に北海道全体に広く見られるとしたらならば、大学における教員養成教育にも大きな欠陥があるに違いない。

 教育委員会も含めた人手不足の解消と仕事の削減を柱とした働き方改革を進める一方で、教員養成教育の根本的な見直しを検討すべき時に来ているのかもしれない。

札幌・中1女子のいじめ自殺、市教委が報告書の公表まで10か月…「黒塗り部分

 を決めるのに時間」 読売新聞  2023.12.22

 旭川で起こった悲劇が悪い意味で参考とされたのだろう。報告書の公表まで10か月もかかってしまったのは「墨塗り部分を決める」のに時間を費やしたためという。関係者が特定できないように工夫したとのことだが、生徒や保護者のプライベート情報を保護する、という名目で実際には学校側の責任が問われないようにするための様々な隠蔽を行ったに過ぎないのではあるまいか。何を隠蔽すべきかに時間がとられてしまった、という事ではないのか。

   …小学校の校長について「組織的対応の意義やその必要性についての理解が全くない」とし、対応が不十分だった点を列記した…という。でありながらも市教委は校長らへの処分は考えていないという、実に驚くべき意見を開陳している。

 つまり校長らへの処分をしない、という結論は最初から決められていて、その結論を正当化するための「墨塗り」であることが濃厚に疑われる案件。この校長らの出身校が旭川と同じ北海道教育大であるとするならば、兵庫教育大を含め、地方の国公立教育大や教育学部の教育レベルまでもが疑われることになろう。

札幌・中1いじめ自殺 報告「黒塗り」見直しへ 市長、市教委に指示 

 毎日新聞   2023.12.27

 市長の判断は正しいだろうが、情けないのは当該学校の校長と市教委。なぜ遺族の意向に反してまで報告書の黒塗りに拘るのか、勘繰りたくなる。もちろん加害者側のプライバシーへの配慮は必要だが、これは刑事事件に発展してもおかしくない案件。市教委への報告が遅れた校長、報告書の公開を遅らせた市教委ともに処分の対象とすべきだろう。

 どうやら旭川の事件が市教委や管理職たちをビビらせてしまい、より一層学校の隠蔽体質を強める方向で作用し始めているようだ。そろそろ北海道全体の学校教育風土をしっかりと検証すべき時ではないか。

批判受け報告書の黒塗り部分見直し再公表へ 札幌市中1いじめ自殺 

 朝日新聞社  2024.1.27

 外部から批判されないと気付くことが出来ない札幌市教育委員会のふがいなさ。もはやこの組織に自浄能力を期待する方が間違っているのだろう。校長以下を罰するのは当然として、教育委員会の担当者こそむしろ厳罰に処すべき案件だと思うが、いかがだろう。責任官庁が責任を負わず、責任者も罰せられないまま、末端の部下だけを罰する、という教育行政の仕組み自体、噴飯物であるはず。

札幌中1自殺、小6当時の校長を懲戒処分…いじめ被害の訴えに組織的対応が不十

 分 読売新聞  2024.2.14

 世論の高まりに慌てた教育委員会が形だけの処分を当時の校長と担任に下してしまった。担任への文書訓告、それに減給一か月という校長への処分が適当なのかは大いに議論が分かれるだろう。とりわけ担任の場合、既に辞職しているとは言え生徒は自殺している。結果の重大さと元担任への文書訓告という処罰は誰がどう見ても不釣り合いである。

 しかも教育委員会自身の組織的対応が不十分であったことへの反省と処分は一体どうなったのだろう。それこそが最も厳格に行われるべき対応であるにもかかわらず、何ら音沙汰無し。ただの「トカゲの尻尾切」としても不十分であり、教育への責任感どころかやる気まで完全に喪失しているようにしか見えてこないのだが…この組織はもはや表面を取り繕う力すら無い無能さ、無気力さをさらけ出してしまっている…まさに恥知らずの集団といっても過言ではあるまい。

 もっと恐ろしいのはこの先、この組織の中から市内の小中学校に教頭や校長となって赴任してしまう人物が複数、出てくるという事だ。この人たちが今後どんな学校経営をしてしまうのか、末恐ろしいにもほどがあるだろう。

 札幌もまた既に旭川市や神戸市と同様、市長を先頭とする強力な政治介入が一刻も早く必要となっていると思うがいかがだろう。もちろん公教育への政治介入は最大限避けるべきではあるが、このままでは子供たちの命すら守れないのでは…

札幌・中1いじめ自殺 黒塗り報告書を見直し 教育長・校長ら処分 

    毎日新聞 によるストーリー 2024.2.15

 一日遅れで市長による教育長への口頭厳重注意がされたという報道。また監督責任のある市教委の局長職ら4人が口頭厳重注意や口頭訓告を受けたという。市長側としてはこれが精一杯の対応なのだろうが、そもそも「口頭厳重注意」にどれほどの効果が期待できるのかは怪しいというほかあるまい。

 本質的には教育委員会の自浄能力の無さが問題なのであり、市長から指導されるはるか以前に自らを処すことが出来なかった教育委員会側の判断能力の低さと無責任さにフォーカスして今後の対応を考えるべきだろう。つまり、教育委員会における教育長ら担当責任者の降格処分こそが真っ先に教育委員会内で検討されるべきであった。

 「いじめに関連し、札幌市教委が教職員を処分するのは初めて。」という記事にも驚かされた。政令指定都市の札幌である。深刻なイジメ案件を抱える自治体が多い中で数多くの学校を抱える札幌だけが平和だったのだろうか?もちろん、そんなことはあろうはずがない。むしろ身内をかばうためにはどんな非道なイジメ案件でも証拠隠滅を平然と行うヤバイ体質が札幌ではしっかりと蔓延しているに違いない。

 第一、学校が特定されるのを恐れて報告書にマスキングを施した…との言い訳が果たして学校教育村の外で通用するのだろうか…世間知らずもほどほどにすべきだろう。わずかに公開されたイジメの内容からだけでもこれは児童の年齢を考慮しなければ明らかに刑事事件レベルであり、本来、刑事事件にズブの素人ばかりの学校や教育委員会ごときが勝手に判断できる案件では無い。せめてスクールロイヤーあたりの助言がまず必要だったはず。当然、事と次第によっては学校名が公表されても仕方あるまい。いや、学校の強固な隠蔽体質を壊すには校名を公表すべきかもしれない。

 イジメた側の指導を教育委員会はどこまで把握しているのかも疑わしい。イジメた側の追跡調査が行われるべきであり、行われているならばその概要が被害者家族に伝えられていてしかるべき。二度と繰り返すことがあってはならない、自殺者を出した陰惨な事件なのである。

 もちろん報道する側もそれなりに深く突っ込んだ取材をすべきだろう。公表された事実関係を淡々と報道するだけでは現在の学校教育の深い闇を暴くことはできない。すっかりブラックボックス化した学校をこじ開けるには相当の取材能力と根気が必要なのである。

 守秘義務とプライバシーの保護を盾にとって学校教育村に閉じこもり、教育の名のもとに何もかもウヤムヤにしてほとぼりが冷めるのを待つ…そんな不誠実な教育者たちに児童生徒の前に立つ資格などあろうはずがない。

 いじめ対応の怠慢も教職員の懲戒処分対象に 中1自殺で札幌市教委 

    毎日新聞 によるストーリー  2024.2.27 

 ようやく少しはまともな対応が始まったが、相変わらず、教育委員会自身の責任問題は宙に浮いたままである。どう見ても黒塗りを指示した教育員会の担当者は降格処分が妥当である。教育長は減給処分とすべきだろう。

 責任をとるべき者が責任をとらず、いずれ校長になってしまうこの人事考課のあり方自体が学校教育をゆがめてきた本体なのではあるまいか

 

鴻巣市、いじめ調査報告書を被害者側の意向に反して非公表 事前に確認すらとら

    ず、政府指針にも逆行 東京新聞 2024.3.20

 ここまで市が平気で政府の指針を無視し続けている例はさすがに珍しいだろう。どうみても市長の責任は重大であり、謝罪で済むレベルを完全に超えてしまっている。そもそも全国でイジメ事件の隠蔽が繰り返しマスコミに取り上げられ、学校や教育委員会などが厳しく糾弾されてきたにもかかわらず、そうした風潮にあえて挑戦するかのような対応ぶりに驚く。鴻巣市に一体、何が起きているのか、ある意味で興味深い。また本来、批判の矢面に立つはずの学校や市教委の影が妙に薄いのも気にかかる。市長と市教委との関係にも何かありそうである。

「いじめ防止法」改正の署名活動する遺族の思い 被害者を追い詰める学校の対応に罰

    則規定を 東洋経済オンライン 石川 陽一   2024.4.14

 未だ係争中で事実関係がはっきりとしていないため、学校側の対応も含めて授業で議論するのは時期尚早だが、いじめ防止法の緩さは明らかな問題であろう。イジメ加害者に対してどのような指導が適切なのか、事件を隠蔽しようとした学校や教育委員会への罰則規定はどうあるべきか、問いかけたい

 

 以上、イジメ事件隠蔽の裏側に何が潜んでいるのか、いくつかの事例を通じて自分なりに考察してきた。まずその根底には歴史を隠滅し、都合よく改ざんすることに異様なほどまで抵抗感の少ない日本人の伝統的な歴史認識のあり方が横たわっているように思える。それは特に敗戦後の日本政治、学校教育の歩みを振り返れば歴然たる事実だと思うがいかがだろう。

 加えて日本の近代以降の学校教育が伝統的に抱えてきた頑固なまでの隠蔽体質の存在。戦後は特に守秘義務とプライバシーの保護を悪用して自己保身を図る教職員、とりわけ管理職の意識のあり方が問題視されよう。その背後には管理職を含めた教職員への評価のポイントがどうやら減点方式に偏ってきた残念な歴史があるように思えるが、いかがだろう。実際、これまでに紹介した記事では学校での不祥事による減点を恐れるあまり、部下や同僚を守るという美名に隠れ、管理職が率先して不祥事隠しを組織的に行ってきたと思われるケースが極めて多いように見える。

 学校の隠蔽体質は学校教育村の外から学校の実態が次第に見えにくくなってきている、といったいわゆる学校の「ブラックボックス化」の進展も少なからず関わっているだろう。このブラックボックス化は「学校改革」や「教師改革」という美名に隠れてここ30年近く急激に進展してきた教師たちの過重労働、すなわち学校のブラック化もまた極めて大きな要因となっていたと考えられる。現役の教師たちによって学校教育の実態を世間に訴えるような著作が激減する状況と平行して学校のブラックボックス化が進んできたと私は思うのだ。

 もはや今の教師たちには世間に向かって学校の実情を理解してもらうよう、何らかの手段を講ずるだけの時間的、体力的、精神的ゆとりがほぼ無くなってきているのではあるまいか。また本来、こうした問題に大きな役割を果たすべき教職員組合の弱体化が学校のブラック化とブラックボックス化に歯止めをかけることに失敗してきたことも見逃せまい。

 そして学校や教育の研究者たちも教育社会学者の内田良氏ら一部の学者を除くとその多くは以上のような学校の劣化、疲弊ぶりに概して無頓着であったと思うがいかがだろう。むしろ政府の繰り出すあざとい「学校改革」、「教育改革」の掛け声に乗じてスクラップアンドビルドの原則を無視し、ひたすら学校現場を疲弊させてきた「…改革」の連打に積極的に加担し、政府のお神輿を担いできた無責任な文科省の官僚と御用学者は少なからずいたように記憶しているが、いかがだろう。

参考記事

実際に日本の学校で起きた「葬式ごっこ」の壮絶実態…いまだ変わらない「いじめの構造」 内藤 朝雄  2024.4.23

 今や大津の事件と並んでイジメ事件の古典となっている中野区冨士見中の「葬式ごっこ」事件であるが、ここで分析されている「いじめの構造」において日本の場合、40年近く経ても本質的にはほとんど変化が見られない。そのおぞましさ、頑強さに改めて驚く。日本の学校が本当は日本社会にどんな役割を果たしてきたのか、その明と暗をきっちりと把握しようとする努力は今後も欠かせないだろう。

加害者の今を知ってしまった…「娘の未来は絶たれたのに」中2いじめ、遺族の憤

    りと煩悶 学校推薦で高校進学、実業団選手に。謝罪はないまま 

    47NEWS によるストーリー 2024.6.28

 …「いじめた側」に認定された12人のうち、弔問に訪れたのは2人だけだ。両親によるとその2人も自身の行為について謝罪の言葉はなかった。その他の生徒とは直接面会していない…しかもそのうちの一人はスポーツ推薦で高校に進学し、さらに実業団でも活躍していたというのだから遺族としては切ない。

 もちろん加害者側には未来があり、その未来を奪うような事は避けるべきだが、何はともあれ被害者の未来が奪われてしまった事実だけは動かない。せめて加害者側にはその辛い事実と向き合い続ける義務があるはずだ。謝罪の言葉すらなく、言い訳がましい言葉だけで弔問すらしていない加害者たちの現状を教育者としてどう判断しているのか、当時の学校関係者に問い質したい。

退学のバレー部員へのいじめ認定 学校側が当初いじめ否定、再調査で 

    朝日新聞社 によるストーリー 2024.8.10

 非常に悪質なケースで驚かされる。これだけ世間を騒がせてきたイジメ問題に対してまったくの無関心、無知厚顔ぶり。イジメられる側が悪いかのような学校側の対応に呆れるしかない。あたかも下級生をしごき、イジメることでしか上級生側のチームワークが生み出されていないようで、この学校の体質に気味悪さを感じないわけにはいかない。