⑥一面に張り巡らされた献身性のワナ

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

◎小学校で「プールの授業は2回だけ」の衝撃…国会で改善を訴える“元体育教師議員”

 が語る「泳げなくなる」以上の弊害 AERA DIGITAL 井荻稔 2026.7.23

 こうしたいわゆる「昔は良かった」的な観点から現状を批判する、老害的指摘に一体、何の意味があるのだろう。水泳の授業が少なくなった背景には学校の予算の少なさと事故の危険性、生理が始まっている女子児童への対応に難があること、などいくつかの原因がある。授業回数を増やしたければ予算を増やす、教員不足を解消する、といった対策から先に検討すべきである。余力のなくなってしまった学校現場に丸投げはできない。

 …小学校におけるプールの授業は「泳げる」「泳げない」以上に大切なものを育んでいるのかもしれない…などと悠長なことをいう暇があるのなら、議員もマスコミもまずは学校のブラック化を阻止する方策を提案すべきだろう。水泳の授業は今や学校の存続をも脅かしかねないほどに過酷な負担、すなわち「弊害」そのものと化しているのだから。

・基本データで確認する日本の教育の貧困  ぶり  

  バブル期にGDPの5.5%余りを占めていた教育予算はバブル崩壊後の1993年には3.5%に下落。これは何と実質4割近くの予算が一気に削減されたことを意味する。

 以後、教育予算が増えることはほとんどなく、現在に至っている。大幅な予算の削減と同じ頃に「ゆとり教育」の推進が検討課題となっていた。今、思うとこれは予算削減のカモフラージュであったのかもしれない。実際、学校への週休二日制の導入と「ゆとり教育」が実現されるならば、未曾有の不景気のご時世において、教育予算が多少削られても教育公務員としては仕方あるまい…という教師側の受け取りがその頃に生じていたのは事実だろう。

 しかし、2000年前後から学校現場はむしろ急速にゆとりをなくしていった。むしろ教員免許更新制によって教師への締め付けばかりが強まり、職員会議はただの一方的な事務連絡の場、上意下達の場と化していった。同時に不登校とイジメが横行、教員の休職、早期退職も目立ってきた。

 もう少し、予算にかかわる基本データを確認してみよう。 

 OECD「図表で見る教育2025」によると…

 日本における初等教育段階から高等教育段階までの在学者1人あたりの教育支出は、年間平均1万4,130米ドル(購買力平価)で、OECD平均の1万5,023米ドル(購買力平価)よりも少なくなっている。教育への投資を対GDP比でみても、日本はわずか3.9%で、OECD平均の4.7%を大きく下回っている。

 このほか、日本はOECD加盟国の中で高等教育段階全体の教員に占める女性の割合が31%で、OECD平均の54%を大きく下回り、もっとも低い状況にある。

 バブル崩壊後、日本政府は実際、何をしてきたのか…厳しく問い直すべきだろう。

 

参考記事

〇若い女性教師が「学校に行けなくなった」深刻な訳

     東洋経済オンライン 広岡 清伸 2026.3.30

 おそらく認知行動療法をもとにした治療例だと思われるが、この記事で注目したいのは治療法だけではない。教師という仕事が孕んでいる業の深さもまた教師の心を酷く苛む。なまじ教職には有り余るほどの遣り甲斐があるがゆえに、若い教師たちはすべてをきちんとやり遂げようとしてしまう。しかし学校の現状は多くの場合、誰に対しても過酷である。普通の人はどこかで手を抜かなければいつか心身を病む日が来てしまう。それができない真面目で几帳面な人は、学校の現状が大きく変わるまで、教職を避けるべきだろう。症例で挙げられた女性が社会復帰する際に教職から事務職へと職を変えたことは極めて正しい判断だったと思うが、いかがか。

〇学校の合理的配慮「正しいけどモヤモヤ」する理由

     東洋経済オンライン 武田 緑  

 学校の教師がこの記事を読んで「正しいけどモヤモヤする理由」について簡単に論じてみたい。まず学校の校舎、教室やカリキュラム、教科書、教材、校則などはそもそも児童生徒の多様性などほとんど考慮されず、画一的に設計されている。元来が日本の学校は一人の教師が一斉講義形式で画一的な指導をすることに特化した制度設計に長らく依拠してきたのだ。

 現在、学校に要求されている児童生徒への合理的配慮の多くは、本質的には教師個人の問題ではなく、日本の学校教育の制度設計の問題なのである。この問題を教師個人の微々たる努力工夫や認識のあり方ごときに委ねようとするのは明らかに無理筋であり、政治、行政の誤り、怠慢を教師個人に転嫁する暴論に過ぎないだろう。

 この論点で致命的に欠落しているのは、児童生徒への合理的配慮と同時に教師への合理的配慮がより一層必要とされてきている状況に今の学校は置かれている、という認識なのではないか。教師不足の背景に横たわっている危機的な状況への認識が余りにも甘すぎる、というのが本論への端的な感想である。

◎教員の働き方「見える化」旗振り役に足りない視点

    東洋経済オンライン 妹尾 昌俊 2026.3.23

 この分析力、さすがである。教員ではないのに妹尾氏ほどこの問題に関して現場の教員の感覚に近い分析ができる発信者は他にいないのではあるまいか。改めて貴重な存在だとつくづく感心する。残業の「見えない化」が進行しつつあることは「持ち帰り残業」の実態を把握しようとしない管理職、教育委員会、文科省側の欺瞞によるものであろう。とりわけ教員は何に忙しいかが「見えない」化されつつある。この点に教育行政の最大の欺瞞が隠されているに違いない。

 教育行政側の本音としては教員の「働き方改革」に対して極めて消極的であり、実際には学校のブラック化を放置していたいのが透けて見えてくる。だからこそ、教育委員会から上げられてくる妥当性、信用性の欠けた調査結果を敢えて鵜呑みにして改善の成果を平気で誇示しているのだ。これではロシアで繰り返されているプーチン政権の「高い」支持率の世論調査結果と大差あるまい。

 最も重要な実態の把握をサボり続けている今の文科省に教育行政を主導する資格があるとはまったく思えない。やはり財務省以上に(あるいは財務省と同様に)解体されるべき極悪省庁こそ、文科省なのだ。

◎日本語ゼロの子どもが次々と転入 国の基準は時代遅れ? 現場が語る切実な声と教育

 の質の行方 FNNプライムオンライン 2026.3.22

 …大切なのは、学校や自治体がしっかり対応できる体制を整えること。そして、短期的な労働力の確保にとどまるのではなく、次の世代の子どもたちが日本社会で活躍しながら共生できるよう、長期的な視点で支援していくことだ。

 少子高齢化とともに地域社会の多様化が進む中、持続可能な共生社会をどのように築いていくのかが、今まさに問われている…

 私が勤めていた三部制定時制では母語を日本語としない生徒数が多く、日本語での授業をほとんど理解できない生徒も一部、存在していた。平仮名すらできない生徒に高校の社会科を大勢の教室の中で教えるのはまず不可能である。まして不登校の生徒も多く、精神面で極めて不安定な生徒もいた。そして学習面で問題のある生徒はさらに多い。宗教面で特別の配慮を要する生徒だっている。

 そうした生徒は往々にして家庭環境に恵まれず、両親が揃っている生徒は極めて少数派である。もちろん生活保護を受けていてギリギリの生活を送っている生徒も少なからずいて、中には児童養護施設から通ってくる生徒もいた。そこに日本語を十分に理解できない生徒が相当数、混じってくる。これだけの困難と多様性に満ちた生徒たちに、日本の高校はしっかりと対応できるだけの体制を全くと言って良いほど備えていない。にもかかわらず多くの場合、定時制高校は入学定員を満たしていないため、希望さえすればどんな生徒でもほぼ全員入学させてしまう。

 とは言え多くの定時制高校の入学時における定員割れはかなり酷く、入学時点で既に一クラス10人台である。つまり、結果的には少数学級が実現できている。しかも入学後、たちまち学校に来なくなる生徒も少なくない。ところが三部制の定時制は、私が勤務していた当時、入学試験倍率が常に一倍を超えていたため、一クラス35人余りの新入生を抱えて毎年、新学年がスタートしていた。

 対して夜間の定時制では不登校だった生徒が比較的少ない。そもそも定員割れの度合いが酷く、10人台でスタートする学級担任の量的負担は午前部や午後部に比べて相対的に軽くなる。もちろん非行少年、学校の指導に逆らう生徒が少なから存在するので、決して担任の負担が軽いとは言えない。質的な面からすれば教師は決して楽ではないだろう。ただし、午前部や午後部の生徒は質、量ともかなりきつい負担を担任に強いてくるのは間違いのない事実である。

 しかし冒頭の切り抜き記事のように、学校や自治体がしっかりと対応できるだけの体制はいつまでたっても十分には整備されてこなかった。にもかかわらず「探求学習」だとか「個に即した」指導とか、大きな困難を抱える生徒たちの就労支援だとか…無理難題ばかりが次々と降りかかってくる。

 こうしたことの積み重ねによって教員の休職や早期退職の増加が生じ、ついには若者の教職離れをもたらしてきた。その結果として教員不足が教師たちの負担を増大させ、教師の休職や早期退職を増やすという悪循環が既に始まっている。そのことへの教育行政側における反省と根本的な改善が遅々として進まぬうちに、またぞろ新たな負担が教師たちに降りかかってくるに違いない…

 どうみても教職の未来は絶望的に暗い。

◎小学校「朝7時開門」群馬県高崎市の方針に教職員が「猛反対」…子どもの安全や、

 教育現場の負担を軽視して 東京新聞 2026.3.22

 高崎市の決定を主導したのは市長や市会議員なのだろう。小学校の現場をまったく知らぬ者たち=政治家たちが、強く「ノー」と言えない公立小学校の教師たちを7時に学校の「開門業務」につかせることを決定したという。

 市教委は内心、迷惑だと感じたに違いないが、結局は教師たちを市の暴政から守ることはせず、腑抜けにも学校現場に丸投げしてきた。これも見飽きてしまった、ごくごくありがちな地方行政の構図…公立学校へのシワ寄せ…

 あたかも教師たちは万能であり、何でも屋であるかのような扱い。そのくせ、奴隷のように社会的地位と給与は低く、時間外手当もほとんどつかない。さらに教師たちには家族が一人も存在していないかのような、実にぞんざいな扱いである。立場の弱い教師たちを守るべき教育委員会は自己保身を図り、むしろ教師たちの敵となって寝返る。これまでも執拗に繰り返されてきた現象である。

 若者の教師離れが加速するのもやむをえまい。

参考動画

◎【最大の病】"この"ラインを超えると一斉に叩き出す日本社会の闇がヤバい山田玲

    司の原作が10倍おもしろくなる解説【山田玲司 切り抜き】 2025/01/31  11:38

 今、お笑いやアニメ、漫画などの大衆文化を通じて時代の精神を語らせたらこの人の右に出る者はいないのではあるまいか。かの「グレタ叩き」などのネットリンチや炎上を生み出す時代の精神とは一体何か、ネット社会の闇に潜む現代人の心理を探りたいのならば必見の動画だろう。

 ただし、授業で扱うには難しく、時折、解説を加える必要はあると思われる。もちろん社会科の教師としては間違いなく授業の参考となるのでオススメ。教師の仕事における献身性を考える上でもぜひ視聴しておきたい。

◎【勝利至上主義】順位を決めない学校も?負けず嫌いは成長?本田圭佑&ひろゆき

 |アベプラ ABEMA Prime  2024/08/01  12:38

 大人主導の勝利至上主義は否定するが、子ども主体の勝利主義は必要…成功体験も失敗体験も必要であり、運動に限らず、様々な種目で勝負する、競争する機会を豊富に用意することが教育的には必要。目標達成のために合意形成をすることと同様に目標を立てた後の実行段階の経験も必要…いずれの議論も学校の現状をしっかりと踏まえたものではないため、学校の負担をひたすら重くする、お気軽な第三者的提案ばかりの、好き勝手な議論に終始しているといった印象は否めない。

 まず必要なのは学校の現状把握であろう。競争的な場面が減っているとの印象論ではなく、運動会の種目と実施状況に関する調査データを踏まえた議論にしてほしい。また競技によって生じる正の側面だけではなく、負の側面(事故、指導の負担、自己肯定感の低下…)にもバランス良く目を向けて欲しい。

 もちろん競争的場面は人間関係の中でも登場する。イジメは人間関係における力関係、上下関係の産物であろう。したがってただ競争を煽ればよい、というわけではあるまい。大切なのは勝利を目指す努力、工夫だけではない。自他ともに一つの尺度、限られた尺度で評価するのではなく、沢山の尺度を用いて多面的な人間理解が出来るようにすることである。そしてそのためにも日本の学校は実際、教科の学力だけではなく、運動や芸術、各種の技術、学校行事などを用意してきたのだ。

 とは言え、欧米に比べれば日本の学校は余りにも多くのタスクを抱えすぎたことですっかりブラック化してしまった、と見るべき側面があるのでは。実際、社会的に必要とされている事だからと言って、何も学校だけがタスクを抱える必要など無いだろう。学校は社会に対して分相応の負担を果たせれば良いのである。

 この議論の問題は前提とすべき議論の不在にあるだろう。日本の学校が負うべき分相応の負担とは何か、についての議論がしっかりと行えていないまま、理想論、机上の空論に基づいて学校の果たすべき任務ばかりが追及されてしまうと、学校のキャパを超えた無謀な議論となってしまうのは不可避である。

 最初に厳しく問うべきは日本の学校が今、何が出来て、何が出来ないのか、その原因は何か、しっかりとデータを用いて検証することだと思うが、いかがか。

◎「全て他人のせい」日本人に主体性が育たない背景とは?レジェンド校長“工藤勇

 一”が指摘する「教育の大問題」【成田修造/宮村優子/平川理恵/西村祐二】

 NewsPicks /ニューズピックス  2024/05/18  14:39

◎「みんな仲良くなんてできない」先生主体のいじめ対応が子ども自身の解決能力を

 奪う。当事者の生徒達が自ら考え、いじめを解決に導く方法とは?【工藤

 勇一/平川理恵/西村祐二/成田修造/宮村優子】

 NewsPicks /ニューズピックス  2024/05/25  14:31

 工藤氏の主張のポイントは日本の教師の児童生徒への過干渉と管理主義が児童生徒の自主性、当事者意識、主権者意識を損なっている、という点にあるだろう。またこの主張を少し敷衍してみれば教師の過干渉と管理主義が同時に教師の多忙化、学校のブラック化の大きな要因ともなっている可能性に行きつくかもしれない。さらに教師と児童生徒との関係性は教育行政と個々の学校現場との関係性と同質の側面を有しており、行政側の現場への過干渉や管理主義が個々の学校や教師の主体性、当事者意識を損ねるものとなっている。

 日本の教師の過干渉と管理主義は必然的に日本国民の間になかなか民主主義が根付いていかなかった歴史と大いに重なるはずである。そして当事者意識を持って社会問題に主体的に関わろうとする意識を児童生徒らに育むには工藤氏の、議論を柱とする授業こそが求められる。

 イジメ問題の発生を児童生徒たちの主体性、当事者意識、主権者意識を育むうえでの絶好の機会と捉える工藤氏の逆転の発想はイジメ隠蔽に傾く日本の教師たちを過剰支配と過剰労働の悪循環から救い出す力をも秘めているのではあるまいか。

参考記事

◎学校の裁量拡大で授業の増減可能に、重荷にも?

    東洋経済オンライン 松尾 英明 2026.3.13

 今の教師が欲しているのは決して難しい決断や難易度の高い授業実践ではない。そもそもそれらが実行できるほど、教師たちに余力は残されていない。

 学習指導要領の見直しに際し、教師たちの現実的な体力、意欲、理解力、取り組める時間などがどの程度のものなのか、予め中央教育審議会のメンバーが全員、信頼できるデータを共有してしっかりと見極めておくことが必要不可欠だろう。

 これまでも学習指導要領の改訂の度にきらびやかな理想はいくらでも語られるが、それを実現するために必要とされる条件整備に関してはほとんどまともに保障されないまま、結局は学校現場に丸投げされ、教師たちの疲弊が募ってしまう。学校のブラック化を推進するばかりとなっているこの悪循環を文科省が断たない限り、どんな理想論も絵空事に過ぎない。

◎絶対おかしい! 授業準備、テストの採点に「残業代が出ない」のはなぜ? 教員の

   “時間外労働”謎ルール All About  坂田 聖一郎  2024.11.12

   同感である。教師の仕事の内、その多くは学校外かつ勤務時間外で行われている。自宅への「お持ち帰りサービス残業」も多い。それらの時間の多くは厳密な測定が難しく、残業手当の対象とするのが困難ではある。したがって教師に対する残業手当の支給が始まったとしても、堂々と残業時間として計上できるものは実態に比べてかなり少ない時間になってしまうのではあるまいか。

 教師の持ち帰り残業は現在、残業代をもらわないサービスであるがゆえに、ある種のお気楽さをも保証されている。たとえば自宅で音楽を聴きながら、ワインを片手に、ペットと戯れつつ…といった、極めてお気楽な「ながら残業」が許される。もちろん仕事に飽きれば、しばし、おやつをつまみ、家族とふざけ合うこともできる。そうしたお気楽さが残業代の支給によって奪われ、職場と同様の緊張感の中で自宅でのお持ち帰り残業を務める、となればそのことに強い抵抗感を持つ教師はきっと少なくあるまい。

 教師の仕事は一旦、自宅に持ち帰るとなれば私生活の自由時間とランダムに混ざり合ってしまうため、どこからどこまでを正式な残業時間として申請するのかを厳密に判断できない場合が少なくない。すなわち教師の、厳密な意味での残業代支給はあくまで休日における研修、部活動、保護者等との面談、修学旅行中の勤務時間外での指導など、ある程度明確に時間が測定できるものに限られてしまうのはおそらくやむを得ないだろう。

 しかしながら自宅での持ち帰り仕事をまったくの無給とするのも完全な間違いであると考える。ノート、プリントといった提出物のチェック、授業準備、文化祭の準備等は教師として極めて重要度の高い仕事であり、定刻を過ぎていたとしても、さらには自宅に持ち帰ったとしても真っ当に評価されるべき不可欠の任務ではある。これをただのボランティアとみなす発想は学校教育を腐敗させるだけではあるまいか。

 そこで教師個々の役割に応じた、給与の基準を作り直すことが必要となってくるはず。クラス担任はどうしてもクラスに関わる事務仕事(成績、出席…)、文化祭や修学旅行の引率、生徒や保護者との面談、HRの運営といった仕事が加わる。したがってまずは担任手当として給与を一律に加算することが必要となる。

 ただし副担任や学年に所属しない教師に様々な分掌の負担が集中する場合も少なからずあるので、分掌の負担を併せて給与に反映させるべきだろう。たとえば学級担任ではなくとも生徒会の顧問、各種委員会(教師の組織)の長、学年での仕事(特に重いのは修学旅行担当)などが特定の教師に集中することはままある。さらに加えて部活動の仕事、たとえばブロック主任などで大きな大会の運営にあたったりすれば、たとえ学級担任や学年、分掌の主任ではなくとも負担は相当、過酷なものとなり、下手をすれば「燃え尽き症候群」にも陥りかねない。

 教務主任、生徒指導部長、進路指導部長、各学年主任はわずかながら主任手当をもらえるが、総務部長や管理部長などは主任手当を支給されないことがこれまでは少なからずあった。実は仕事の量と質に見合った評価や手当を教師がもらえていないケースが学校では数多く見られ、教師間に不公平感を醸成しかねない危険性が学校現場にはかねてから存在していたと個人的には感じてきた。したがって残業問題と同時に、肩書だけではなく、実際の校務の質と量にある程度まで見合った給与の支給をしっかりと検討すべきであろう。

 教職調整額として一律支給するシステムは、教師ならば分掌を問わずに必要とされる自宅への持ち帰り残業を給与として多少とも評価できるようになる点で一定程度有効だが、それだけではかなり雑な評価にとどまってしまう。かといって残業手当の支給にも問題は残る。とすれば、もう少し学校現場の勤務実態に寄り添ったきめ細やかな評価システムの構築が今後は求めらるのだろう。

 その際、学校の種別や個々の学校によって分掌のあり方や割り振りに多少の差異がある点はこの問題解決を難しくしているに違いない。そこでその実態を各都道府県教委などが緊急に調査して、給与・手当に結び付く、できるだけ公正できめ細やかな評価基準の策定を学校種別、職務別に作成すべきだと思うが、いかがか。

◎嬉々として「サービス残業」する部活顧問の深刻 「やりがい搾取」だけじゃない部活顧

 問の問題点 東洋経済オンライン広尾 晃 の意見 2024.7.28

 部活動の過熱化の背景には過度ともいえるような顧問の献身的、自己犠牲的指導が潜んでいる。実は部活動のみならず、教師の職務には専念すればするほどにやりがいが増してきてその中毒性から抜けられなくなるものが少なくない。たとえば生徒会の顧問や就職指導、文化祭の指導などもやりがいが大きいために強い中毒性があり、幾度転勤しても同じ仕事を希望し続ける教師は少なくない。

 かつてはそうした教師が熱心な教師としてもてはやされたため、多くの熱意ある教師が自己犠牲的精神を持って特定の業務に専念してきた。しかし生徒数の減少による学校の小規模化と事務仕事の肥大化が教師たちから仕事への熱意を奪い始めていたことを見逃してはなるまい。

 学校の小規模化は一人の教師の仕事の種類を増やし、一つ一つの職務の責任を重くしていく。特定の職務ならば自己犠牲的献身を惜しまない教師であっても、場合によっては苦手な職務を複数、任されることが不可避となってくる。そこに意味不明なブルシットジョブがこれでもかと言わんばかりにのしかかってくる。やがて教師たちの熱意は空回りし始め、徒労感が募り始める。かつて職務に燃えていた教師たちほど要職に就くがゆえに真っ先に燃え尽き始める。

 「嬉々として」サービス残業する部活顧問などは過労死さえ避けられればとりあえず自分の得意分野を多少任されている分、まだ幸運な部類に属する。しかし多くの教師たちは授業でさえ、自分の専門科目を担当できるとは限らず、分掌や部活動も同様に自分の希望が通るとは限らない。長く不本意な思いを抱えつつ、仕事は次第に多岐にわたり、不毛感きわまるブルシットジョブの山を前にして徐々に鬱屈していく。 

 今、多くの学校では「やりがい搾取」どころか根こそぎレベルでの「生きがい搾取」が始まっているのだ。それが教師の休職や早期退職の増大につながっていることは言を俟たない。

〇教育社会学者・内田良氏が公立教員「定額働かせ放題」問題に警鐘…「給特法」廃

   止と現場の意識改革が不可欠 日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 2024.6.9

   給特法の廃止と聖職論的な献身性を前提とするような働き方の見直しは部活動の地域移管とともに学校のブラック化を抑止する上で必須であろう。

◎「あった方がいい病」が組織の生産性を低下させる 優秀な管理職は「引き算」発想で仕

 事を取捨する 東洋経済オンライン 櫻田 毅 の意見 2023.5.11

 「日本人は人のサイフは盗らないが、人の時間は平気で盗む」―時間価値の意識が

乏しい日本人を、こう揶揄する外国人も…との指摘はむしろ学校現場や教育行政の世界に最もよく当てはまるのではあるまいか。

〇学校の先生は大変…給食を“64秒”で食べる日も “やりがい”に依存した教育現場 何

 を変えれば負担は減るのか?

 【大阪発】 関西テレビ によるストーリー 2023.6.10

 

 運動部の顧問ならば普段の練習のみならず、朝練や合宿、遠征、部員のお誕生会、グランドの整備(草取りと石拾いなど)、ルールや作戦の講習会、炎天下での審判、特に大会の関係者になれば部員達の指導に加えて会場の確保、早朝からの準備、日が落ちてからの更衣室の清掃、顧問や審判の昼食の準備・・・

 教職員組合の学校におけるまとめ役ともなれば毎月の資料の配付、種々の会合への参加(夜遅くか休日)や教育委員会との交渉、駅前でのビラ配り・・・

 いずれも本来の職務ではなく、自発的なボランティア的活動であったはずの取り組みなのに、いつの間にか有無を言わせぬ重苦しい義務と責任がズッシリとのしかかってくる、ある種の「職務」にすり替えられてしまう。

 教師集団の同調圧力は極めて強い。従ってこうした事に運悪く個人的な事情(介護等の家庭の問題など)が重なった場合、あるいは勤務校が急激に荒れてきた場合、一体誰が自分の仕事を代替してくれるのだろう。そんな時、「昔からみんな文句も言わずにやって来た事だ、個人的事情を楯にして今更ワガママを言うな」という声が頭の中で反響してしまうのは私だけではあるまい。

 授業という本務を差し置いて、本来は強制されないはずの自主的取り組みを最も重い不可避の職務にすら変質させてしまうのが、村社会化してしまった学校をギリギリで機能させてきた猛烈にストレスフルな教師集団の、強烈に歪んだ集団心理のなせる業なのである。

 

 20年近く前、ある学校で美化清掃を担当する管理部長の教師はとあるスポーツ種目の専門家として県の仕事を任される一方で、近隣からの苦情もあって自分の空き時間を見つけては大きなゴミ袋を肩に学校内外を歩き回り、せっせとゴミ拾いをしていた。何と学校から数百メートルも離れた場所でも、である。

 私も当時は近隣からの苦情と変質者の出没などで雨天時以外は学校の周辺を2~3㎞ほどしつこく歩き回っていたので、彼の姿を時折見かけていた。その時、私もまた組合のまとめ役として県教委との人事交渉などにも休日を割いて当たっていた。

 さて、こうした苦労談はただの個人的な自慢話なのだろうか、はたまた素晴らしい美談なのであろうか。

 当時、他校の野球部顧問だった方は激務の中、組合の支部役員をも引き受けていた。実はそうした教師の中には分掌の主任まで同時に引き受けている方が少なからずいた。その多くはまさに「体力モンスター」でなければ務まるはずの無い膨大な仕事量に直面していたであろう。

 こうした無謀なまでの献身性こそが教師として持つべき当然の美徳である、とするような教員社会の歪んだ滅私奉公的価値観は教育行政側から巧妙につけ込まれて「やり甲斐搾取」を招く一方で、特定の教師を追い込み、深刻なレベルまで心身を疲弊させてはこなかっただろうか。心身の破綻や家庭での修正不能な軋轢を生み出してこなかっただろうか。

  献身性を美化する保守的立場の教師聖職論と労働者の権利を高めようとする革新的立場の教師労働者論とのせめぎ合いから一歩抜け出ようと 、50年ほど前、教師専門職論が台頭してきた。しかし専門職という、いかにも社会的ステイタスが高そうな言葉に幻惑されてしまったのか、教師の役割、職務を再検討する動きはそれ以降、さほど盛り上がらなかったようだ。

 そもそも50年前に問い直すべきは待遇改善と同時に教師の専門性をどこに見出すべきなのか、教師の職務を何に限定すべきか、という点ではなかったか。とりわけ何でも屋を強要してしまいがちな聖職論が、「金八先生」以後、形を変えて生き残ってしまったような気がしてならない。その一方で、世の中全体の保守化と組合運動の低迷が公務員や教師の労働者としての権利を軽視する、ブラックな風潮を助長させてしまったのかもしれない。

 私を含め、ベテラン教師の多くは今こそ胸に手を当てて学校におけるかつての自分自身と同僚達の仕事への献身ぶりを、絶対に美談化することなしに、虚心坦懐に反省してみてはいかがだろう。

 果たして誰のための、一体何のための仕事だったのか・・・今やそれが招いた正の側面だけではなく、負の側面をも直視すべき時ではあるまいか。現在のブラックな状況の進展にこれまで私たちは何一つ関与してこなかったのだろうか。むしろもう少し早く自分達の負の役割に気付くべきではなかったのか・・・反省すべき点は数多いと思うが、さて、皆さんはいかがだろう。

参考記事

◎「生徒のために頑張るほど、自腹が増える」29歳女性教師の嘆き。公立校の予算

 が使いものにならないワケ 日刊SPA!  2024.12.6

 授業準備のための実物教材や参考図書の購入などに関しては、教師として転勤後も個人的に使用し続けたいので、ある程度は「自腹」を切るのもやむをえない。また部活動での用具の購入も同様に、多くは転勤後も使い続けるものなので多少の出費は仕方ないだろう。「自腹」のすべてが教師にとって不合理なものではあるまい。

 しかし転勤するたびに違う科目の授業を持たされたり、指導したことの無い部活動を任されることはよくある。その都度、新たに購入するものが出てくる際に、高額の「自腹」を切らされてしまうことには私も強い抵抗感があった。基本的に自らが望んでもいない、不本意な仕事に対してさらなる自腹を強要されるのは誰でも辛さ、不合理さを感じてしまうのは当然の事である。

 もちろんクラス担任としても、文化祭等ではかなり自腹を切る場面が多かった。周囲の教師たちもある程度の自腹を切るのは、学校教師という仕事の性質上、仕方ない事として諦めつつ受け入れてきた流れは確かにある。これまで授業準備や提出物のチェック、小テストの採点などは自宅でのお持帰り業務とされることが長く当然の事とされてきたように、教師の勤務時間の区切りは本来、極めて曖昧である。そのため下手をすれば公私の別すらなく、際限も無い、原則無償の奉仕活動を周囲から延々と期待されてしまいがちなのだ。

 パワポを頻繁に授業で使用するために学校の備品では数的に不足しているプロジェクターやスクリーンを自前で用意している教師は今も少なくあるまい。それらは個人所有であるが、多くの場合、学校以外で利用することは滅多にないだろう。教育予算が先進国では極めて少ない日本のお寒い現状が教師たちの「自腹」の多さを招く主因である事は紛れもない事実なのだ。

その7.②学校の閉鎖性

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参考記事

〇精神疾患を理由に退職 公立小中高の教員、過去最多1319人

 毎日新聞 2026.7.22

 …2024年度に精神疾患を理由に退職した公立小中高校の教員が過去最多の1319人に上ったことが22日、文部科学省の調査で明らかになった。3年前の前回調査の約1・4倍に当たり、初めて1000人を超えた。

 文科省は教員の働き方改革を進めてきたが、効果が見えない現状が改めて浮き彫りになった…初めて調査項目に加わった10年度調査は599人だったが、前回の22年度調査は950人に。今回調査で1000人の大台を超え、15年で2倍超に膨らんだ…

 とのこと。これに精神疾患で休職中の教員数を加えれば、もっと学校現場の過酷さがハッキリしてくるだろうが、なぜか、それは新聞で取り上げてくれない。明らかに記事としては不十分であり、突っ込みが足りないのである。

     昨年、千葉県の新任の女性教師が教壇に立ってわずか5か月ほどで退職した、とのうわさがあった。多くのブラック企業がそうであったように、退職理由はおそらく「自己都合」となっているのではあるまいか。しかし、実態は新任女性教員の立場の弱さに付け込んだ、イジメとも見える、あり得ないほどの過重負担が主な原因であり、退職教師からは勤務校を酷く罵る発言もあったらしい。こうした事例は近年、急増していることが予想されるが、その実態は決して文科省の統計に反映されることが無い。

 精神疾患による退職者数などは学校のブラック化をわずかに仄めかすだけの、数あるデータの一つに過ぎない。ただでさえ当てにならない文科省の調査結果を、あろうことか鵜吞みにして紹介する…こんな表層を撫でただけの記事などほとんど無益である。なぜマスコミは学校に関して表面的な取材ばかりで現場の実態に肉薄する報告ができないのだろうか。やはり学校のブラックボックス化は教員の発信不足だけではなく、マスコミの怠慢、取材不足にも起因していると考えるが、いかがか。

◎【教員の悩み相談】ベテラン教諭の「指導案を簡素に」が却下…「味よりレシピ」

     重視の昭和すぎる学校文化にサラバ!  東洋経済オンライン 森 万喜子 2026.7.4

 …学校ってつくづく閉じた世界だと感じることがあります。世の中ではテクノロジーが発達して、公共施設のお掃除も警備もロボットが働いているような世の中になっていても、学校はほうきとちりとりで部屋を掃除することを手放さない。そして、不審者対策に「さすまた」(江戸時代からある道具)が配備されている。

     面白いエピソードがあります。友人が中学生に「3年B組金八先生」を見せたところ、中学生はこれを新しく始まった番組だと思ったそうです。ご存じでしょうが、あのドラマは最初のシリーズが始まってからもう50年経っているのです。

     でもその中学生は昔の学校だと思わなかったようです。よく見ると教室のレイアウトは当時も今もほとんど変わっていません。前面に黒板。黒板の右端には日付と日直の名前を書く。前面の壁には生活目標や心得が掲示されている。机は黒板を向いて並び、背面の壁には書写や絵画の作品が掲示されている…

     古色蒼然たる日本の学校に郷愁と慣れ親しんだ安心感すら覚えている教師は決して少なくあるまい。とりわけ管理職にその傾向は強い、としたならば、日本の学校のリニューアルが遅々として進まないのは当たり前であろう。

 …指導案は例えていえば料理のレシピ。日本の学校は授業のよしあしよりも、準備にかけた手間や時間を称賛することが多い。「力作です」「頑張りましたね」とレシピを褒められても、できあがった料理が美味しいとは限らない…

 ご指摘の通りであろう。指導案を作成する意義は、事前に児童生徒の反応を予測して、どこで発問し、どこでどのようにして児童生徒の興味関心を引き出すのかを考える点にある。その準備を怠ると、進度ばかりに気を取られて、授業は一方的なマシンガントークに走ってしまいがちになるだろう。

 教師の予測を超えた、無視できないレベルの反応が出てきた場合、当然のことながら教師は児童生徒の反応に寄り添った授業展開に切り替えるべきであろう。そこで問われるのは教師の臨機応変の対応力であり、それを可能とするだけの知識や発想の引き出しの多さである。授業案に囚われるあまり、プラン通りの授業展開に教師が走ってしまうと児童生徒は置いてけぼりにされてしまうかも。

 まずは教師が授業と授業準備に専念できるだけの時間を確保することが急がれるだろう。学校の業務量の削減に寄与すべく、指導案の内容の見直しとともにその簡素化を進めていくべきである。もちろん学校行事、とりわけ儀式的行事の大幅な削減は必要不可欠である。

〇「いじめ」でも「家庭環境」でもない…日本中で「教室に行けない子ども」が急増してい

     る"本当の理由" プレジデントオンライン 石井 光太 2026.7.1

 子供たちのコミュニケーション能力、言語能力の低下は確かに不登校増加の要因の一つとして見過ごせないものかもしれない。しかしそれは学校という場が子供たちにとって辛い時空となっている理由の一つに過ぎない。日本の学校が頑なに抱えてきた管理主義、画一主義もまた不登校を招く大きな要因だろう。

     かつて存在していたギャングエイジがほぼ消滅し、異年齢集団による集団遊びが激減してしまった現在、それを取り戻すことは極めて難しい。しかしSNSやネットの発達によって地域や学校の枠を超えた関係を築くことも可能になった現在、学校社会の囚われから解放された新たな関係性を生みだせる可能性はむしろ増してきている。ネットや学校教育だけではなく、社会教育の場が子供の成長に果たす役割もまた決して小さくない。地元の公民館だってそれなりの役割を果たせるはずである。

〇「森友問題」文書開示で見えてきた、衝撃の新事実…改ざんを指示する財務省の

    「なまなましいやり取り」 週刊現代 相澤 冬樹 2026.2.24

 隠蔽と改ざんを通じて官公庁が犯罪を行い、隠す。どれほど良心的な公務員であっても、内部告発がいかに難しいかを示すのが森友事件だろう。表では内部告発を奨励しながら、裏では隠蔽、改ざんを命じる官公庁…命じられた者は死に追いやられ、命じた者は刑に処されない…こんな現状が続く限り、公務員の世界において一体、誰が内部告発に踏み切れるだろうか。

 敗戦時の混乱に便乗して隠蔽に隠蔽を重ねてきたこの国の罪深い体質は、「ボタンの掛け違い」のごとく、延々と引き継がれてしまうかのようだ。

◎12県警が5年間で公益通報ゼロ 「あり得ない数字」と専門家

 毎日新聞 2026.2.24

 当然の結果であり、「あり得ない」などと何も今さら驚くべきことではあるまい。内部告発した結果、自殺に追い込まれることも有りうるのが風通しの悪い公務員の世界である。兵庫県での内部告発件数が最多だったのも、そうした悲劇があったばかりだからに過ぎまい。どうせ、のど元過ぎれば熱さ忘れる、といったところか。

 なお、教育公務員にも内部告発の制度は本来あるべきはずだが、おそらく多くの都道府県では、教員からの内部告発件数の調査報告すらほとんど表に出てこないのが実情だろう。そのせいもあってか、管理職や教育委員会によるイジメ事件や体罰、学校事故、管理職による不当人事の隠蔽が後を絶たないのではあるまいか。校長らによる強烈なパワハラやセクハラはさすがに事件として表に出てくる可能性が高いだろうが、入試や人事に関する学校や教育委員会による組織ぐるみの隠蔽となると、事件の多くは未だに闇の中だと思うがいかがか。

 本来ならば公立学校でも教育長以下、校長らが繰り返し、学校現場に対して内部告発を促すべきであるはずだが、なぜか、そのような動きがあったという情報はつぶさに学校教育関連の記事を確認している私自身、ほとんど記憶に残っていない。またたとえそのような動きがあったとしても、人事を握る管理職や教育委員会が主体となっている案件では旭川女子中学生凍死事件のように、衆人環視の下で何度も第三者委員会が調査したとしても、事の真相は遅々として表に出てこないに違いない。公立学校の組織的隠蔽体制はきっと長い時間をかけ、児童生徒のプライベート重視を逆手にとって既に鉄壁の守りを固めてきたのだ。

 公教育の腐敗はそうした隠蔽体質によって周囲からはほとんど見えないところからいつの間にか密かに進行してきた。これはあたかもステルス癌のように、一旦、症状が表面化してきた段階ではもはや手遅れとなっていると私は考える。そして今、公教育は既にほぼ再生不可能となってきている、というのが私の見立てである。

 あれだけ騒がれてきた鹿児島県警や兵庫県庁の事件を経ても、地方公務員の内部告発は今も驚くほどに少ない。ましてより一層闇深い場所に立たされている教育公務員が今後も内部告発をするようになるなどとはまったく思えない。したがって公教育の腐敗はいよいよ加速するばかりとなるであろう。

参考動画

〇「先生終わりだね」「消えろ」暴言に暴力も… 子どもから教職員への暴力行為が“増

     加” 熊本県民テレビ KKT公式チャンネル 2026/02/10 3:36

 この手の薄っぺらな「煽り」報道に対しては概して冷静に把握すべきだと考える。ただでさえ学校教育に関する統計の一部はほとんど信用ならないシロモノである。自らの落ち度をできるだけ隠蔽し、棚に上げて可能な限り軽く見積もる一方で、被害者意識だけは強い教育委員会や管理職側の一方的な言い分を、何の実証的、客観的検証も無く鵜呑みにするほど、浅はかなお人好しにはなるわけにはいくまい。

 児童生徒からの暴力的行為の増加傾向は実際、全国的に見られるようだが、これを理由にして単純に児童生徒への厳しい統制、行き過ぎた管理主義の復活を図ろうとする、復古的な動きには強く警戒したい。学校や教師側の問題やネット社会の問題、地域社会や家庭の問題なども同時に把握しつつ、児童生徒の暴力行為の背景にあるものをなるべく実証的に広く、かつ深く探るべきだろう。こうした表層的報道だけで「こんなことまで言われて先生、可哀そう!」と、変に憐れむのは厳に慎むべきである。

 「学校や教師が次第にコンプライアンス重視の風潮に縛られて徐々に指導が生ぬるくなってしまったからこんなことになるのだ」という一方的な決めつけだけは絶対に避けるべきだろう。こう言っては失礼になるかもしれないが、ただでさえ、イジメや教員の体罰がはびこりがちな、旧態依然の教育風土が強く感じられる熊本である。

 こんな薄っぺらなマスコミ報道を利用して他責的な姿勢を示す前に、まずは教育委員会や管理職側の教育の在り方に関する知識や意識のアップグレードが十分にできていたのか、学校側の生徒指導等に落ち度はなかったのか、等を含めてしっかりと内側の問題点を検証すべきだったのではあるまいか。

参考記事

◎校長が児童を突然怒鳴る、学校内の飲酒で発覚 市教委の報告漏れも

 朝日新聞社 2025.12.26

 勤務中に校長室で飲酒し、さらにPTA総会や、5月の運動会、職員会議でも居眠り。そしてあろうことか学校の校外学習に向かう児童らを突然怒鳴り、うち1人に精神的な被害まで与えていたという。まさにやりたい放題である。福島では校長が独裁者と同じような地位なのだ。

 加えて市教育委員会はこうした事態を把握しながらも、「非違行為との認定までできず、報告」の必要無し、と判断し、県教育委員会に報告さえしていなかったという。つまり校長ならば大抵のことは許されるべきだ、との考えが、実はこの校長だけではなく、市教育委員会全体に蔓延しているのだ。

 さらに県教委もここまで酷い失態を繰り返した市教委に対して「適切な情報共有を市教委に口頭で申し入れた」だけ。当該校長に対しても県教委は職務態度不良を理由にこの校長を停職12カ月の懲戒処分に処しただけというのだから呆れてものが言えない。

 校長ならば何をしても許される?…そんなはずがあるわけはない。むしろ管理職として一般職員よりも一層、重い責任を負う立場であろう。同記事では県教委が「高校の20代の男性非常勤講師を懲戒免職にし、発表した」らしい。当該教師は「10月に被害女性が18歳未満であると知りながら、わいせつな行為をした」という。

 責任重大な管理職に対しては「停職12か月」、20代の非常勤講師には懲戒免職…どうにもアンバランスで腑に落ちない。講師の懲戒免職に対しては事の詳細が不明なので断定的なことは言えないが、とりたてて違和感や疑問は湧いてこない。しかし児童生徒に有害な言動をとり、数々の信用失墜行為を繰り返してきた校長に対して「停職」で良いものだろうか。重い責任を負うべき管理職に対して軽い責任しか問おうとしない県教育委員会にも不信感が募る。こんなレベルの校長を登用してしまった任命責任は重大であるはずだが、一体、誰が任命責任を負うのだろう。福島の教育界では管理職同士の「庇い合い」の一線を超えた、ただの醜い「なれあい」そのものであろう。

 きっと学校教育村の内輪だけでヒソヒソと人事を決めてきたから、こんなみっともない事態を招いたのではあるまいか?

 

 私の大学での大先輩にあたる方が40年余り前、教育困難校での教師がどのようにして困難な状況を乗り越えようとするのかを博士論文のテーマにして取り組んだことがある。「サバイバル・ストラテジー(生き残り戦略)」というキーワードで民族学、文化人類学が用いる参与観察という手法を使って教師や生徒の生態観察を試みたものである。

 私自身は素晴らしい論文だ、さすがは博士論文・・・などと単純に感心していたのだが、当の学校現場では必ずしもそう受け取られず、倫理面での批判があったと聞いた。しかし実はこのような、まさに「潜入捜査」でも試みない限り、すっかり村社会化し、自閉してしまった今の学校の内部や実情を探るのはどんなに優れた学者であっても困難を極めるだろうと私は今も確信している。

 つまり教育行政や学校現場の持つ牢固な隠蔽体質が研究者の学術的研究やマスコミによる真相究明を長年、妨害し、頑なに阻んできたと考えられるのだ。従って学校教育の病状が極めて深刻でその症状は誰の目にも明らかになっていたとしても、肝心の症状を生み出すメカニズムや学校や教育委員会の奥底に潜む病巣を明らかにし、適切な診断を下すことは相当の専門家ですら今後も困難を極めるに違いない。

 それはあたかも医者がウソまみれの記述と空欄だらけの問診票、頭皮をそっとなでるだけの触診、それに体温と血圧の数値だけで脳腫瘍などの診断を行おうとするに等しいほど、無謀な行為だと思われる。

参考記事

〇そりゃ隠蔽するわ…「正直者がバカを見る」バッシング社会の病理

   ダイヤモンド・オンライン 秋山進 2025.3.12

   隠蔽に走りがちな組織に見られる特色として「リーダーシップの不足」、「証拠の不在」、「リソース不足」、「心理的バイアス」(現状維持バイアス、損失回避バイアス)が挙げられている。いずれも多くの学校に当てはまる特色だろう。2~3年でいなくなる校長や教頭に学校経営のリーダーシップなどあるわけがない。学校の組織的病理に通じている人材がほぼ皆無であり、多くの教師は学校経営自体に無関心。事を荒立てることなく無難にやり過ごせる能力が重宝がられる組織風土…学校自ら学校の根深い隠蔽体質を見直すことは極めて困難である。

◎「文科省と日教組が結託した治外法権」問題教員にも手出しできない市長の無力

 ダイヤモンド・オンライン 泉 房穂 によるストーリー 2024.10.27

   泉氏の主張には無条件に賛成できない部分もある。たとえば市長が学校教育へ不用意に介入することは公教育の「政治的中立性」を脅かす危険性を強めてしまうだろう。もちろん泉氏のような考えである限り、市長が介入することは学校現場としても大歓迎すべきであろうが、市長の方針によってはとんでもない事態を招いてしまうかもしれない。

   確かに「政治的中立性」を盾にして教育行政は外部からの介入を排除し、「治外法権」の領域を拡大しようとしてきたのかもしれず、その点に関しては泉氏の指摘通りなのだろうが、やはり斎藤元兵庫県知事のような人物がゴリ押しで公教育に介入してくるのはどうか、とも思うのだ。

   本来、こうした問題を解決すべく設置されたのが都道府県および市町村の教育委員会であったはず。戦後間もなく、アメリカの指導によって設置された教育委員は公選制の形を持って民主主義的に選出されていたのである。しかし教育委員会の役割に対する日本国民の理解が進まず、結局、公選制は瞬く間に撤廃されてしまった。長く公教育の運営を「お上」に依存し、ひたすら政治に対しても受け身のままであった国民を、主体的な主権者として育成していくにはそれなりの時間と種々の施策が必要であったに違いない。軍国主義が一掃されていない戦後間もなくの段階での教育委員公選制は確かに時期尚早と言えた。

   教育委員は結局、学校の管理職候補と元管理職で占められてしまい、結果的に学校と教育委員会との馴れ合い、癒着が進んでしまった。これが学校の不祥事、隠蔽事件が多発する土壌を生み出してきてしまったと考えるが、いかがだろう。

   相次ぐイジメ隠蔽などの学校、教育委員会による不祥事隠蔽は、教育委員会が本来果たすべき役割をこれまで十全には果たせてこられなかった側面が極めて大きいのではあるまいか。ならば、今、見直すべきは人事を含めた教育委員会という組織のあり方の方であろう。泉氏のような高い見識を持つ市長ばかりではない、という現状からすれば、市長による教育への介入強化はやはり好ましくはあるまい。検討すべきはむしろ教育委員公選制復活を視野に置いた、教育行政の民主主義化、自由主義化の方ではあるまいか。

 かなり遠回りに思えるようだが、教育委員会の抜本的組織改革が実現するには、まず児童生徒や保護者らが学校運営に積極的に関わっていく各種の工夫やシステムを構築して、国民の多くが望ましい学校運営とはどういうものなのか、ある程度の見識を持てるようにしていく努力が欠かせまい。そういった点でも児童生徒の主体性、当事者意識を育む授業改革は教育行政改革にもつながる地道な一歩であると考える。特に社会科授業で学校教育問題を積極的に取り上げて児童生徒に議論させる取り組みは今後、一層重要となってくるであろう。

◎『あさイチ』学校内での「盗撮」にスタジオ騒然…博多大吉「途中から気持ち悪く

 なってきた」ゲストも激怒 中日スポーツ 2024.7.3

 一見、授業では使えそうもない記事のように感じるかもしれない。しかし使い方次第では面白い教材に化けるだろう。なぜこんな事が学校で起きているのか、まず生徒たちに考えさせたい。

 みなかみ町下半身検診問題や学校での盗撮問題、イジメ事件とその隠蔽問題などに共通するのは、学校が、今や自己責任を問われる大人社会と隔絶された奇妙な聖域と化し、かつ外部の人からは妙に薄暗く、よく見ようとした途端にピシャっと閉ざされてしまうカーテンの奥、完全なブラックボックスと化した現状である。すなわち今や良からぬことを密かに行う場として最適な場所になってきているのが、現在の学校と言う空間なのだ、と私は考えている。

 「学校の中ならバレない、教師にバレたとしても大事には至らない」という心理的安心感も、学校での犯罪行為を後押しする大きな要因と考えられる。実際、余程のことでなければ警察官が校内に立ち入ることは無い。警察官が校内に立ち入ることを極端に嫌悪する管理職や教員は極めて多いし、事件を大事にしたくない多数の教師たちは結果的に「臭いものにはフタ」をしがちである。これらの要素は犯罪者やいたずら者にとって極めて好都合であり、実際、犯罪の横行する条件が現在の学校にはフルで揃っていると考えるべきだと思う。

 学校という場が現状としてあたかも無法地帯のような空間となってしまった背景には一体どんな要因が潜んでいるのだろうか。一つには教師の目が行き届かない「死角」が校内には少なからず存在しており、かつ教師数の不足や過重労働によって教師自身、生徒たちの動きを十分、追えていない点がまず考えられる。

 さらに少なからぬ教師たちが過重労働のもとで責任逃れをしたいがために事件の隠蔽や見て見ぬふりをする。そしてそうした教師たちの姿を児童生徒らは日常的に観察している。こうした点も、校内での教師や児童生徒たちによる事件を頻発させている大きな要因だろう。

〇小2男児が頭打ち嘔吐、担任ら保護者の要請断り45分間救急車呼ばず…頭蓋骨骨

 折など診断 読売新聞 によるストーリー 2024.6.6

 この件では主に二つの事が懸念されよう。一つは頭を打って嘔吐した、という、非常に危険な状態への教師の認識に甘さがあったのでは…という点。常識に見て一刻を争う事態であり、容体を静観している場合ではあるまい。

 にもかかわらず、担任や養護教諭がただちに救急車を呼ばなかった…となれば担任や養護教諭の頭部打撲に対する認識の甘さ、知識不足が強く疑われる。本来ならば知識と経験豊富な養護教諭が真っ青になって救急車を手配する場面だろうが、なぜ、そうしなかったのか、理解に苦しむ。

 もう一つは学年主任や管理職の判断を待つために無駄な時間を費やしてしまった可能性。「ほうれんそう」、すなわち管理職への報告、連絡、相談を欠かさない姿勢が学校現場では強く求められてきたが、それが行き過ぎると教師個人の判断力が鈍り、責任感も分散しがちとなる。管理主義の行き渡った小学校では災害時などでの教師個人による即断即決、緊急対応の力が十分に養われない可能性は大いにあるだろう。

 学校における緊急事態への対応の遅れはこれまでも頻発してきた。最も悲惨な例は東日本大震災時の大川小学校での悲劇だろう。これはまだボンヤリとした個人的憶測にすぎないのだが、日本における義務教育段階での行き過ぎた管理主義と集団主義は教師個人の決断力と当事者意識を大きく損なう側面があると思えて仕方ない。子どもたちのかけがえのない命を預かっている、という教師にとって本来、最優先されるべき自覚が日本の場合、どこか蔑ろにされている、という懸念が私にはあるのだ。行き過ぎた集団主義、管理主義の下では教師個々人の当事者意識と責任感の欠如を招き、いざという時の初動の遅れをもたらしているのではあるまいか。

〇県警本部長「隠蔽」を否定せず 鹿児島、前生活安全部長が指摘

   共同通信 によるストーリー 2024.6.6

 公益通報は社会人にとって本来、重い責務であるはず。上司や組織の違法な行為を知っているにもかかわらず公に通報しない…ケースによってはそのことで生じる社会的損失には計り知れないものがあるだろう。しかし学校や警察、お役所などでは残念ながら市民のために通報、公開すべき事案を隠蔽する事件が頻発しているように見えてしかたない。しかも勇気をもって通報した人が処罰されてしまう、職場にいられなくなってしまう、自殺に追い込まれてしまう惨いケースも少なくはないようだ。

 だが公的な立場にある人こそ、公益通報の責務は重くしなければなるまい。特に政治家の側近、秘書などはこれまでもっぱら政治家の悪事の手先、協力者とされてしまいがちだったような印象が強い。しかし政治家の秘書とは自分が仕えている政治家の悪事を知ったならば市民のために直ちに通報すべき立場に置かれているはず。でなければ市民社会を守るべき政治家の秘書としては完全に失格であろう。口の堅さが秘書の資質とされがちな日本の政治風土こそ、悪事の温床なのではあるまいか。

 こうした閉鎖的な職場風土は他の公務員社会でも同様であろう。警察や学校ですら公務上知りえた秘密を口外してはならない、とする原則が裏目に出て各種の隠蔽事件の続発をもたらしているのではあるまいか。

 今後は公務員の場合、守秘義務が適用されるケースを情報のリークによって一般市民に大きな被害が及ぶ場合に限定すべきだろう。守秘義務を悪用して公益通報の理念を形骸化しようとする今までの日本社会の陰湿な風潮にそろそろ反旗を翻す時ではあるまいか。

 ※参考動画

  〇#656 【塩ちゃんねる】鹿児島県警の隠蔽がついに~長くかかりましたが、ようやく始まったば

   かり~ 塩ちゃんねる 2024/06/06 4:41

  ◎鹿児島県警元幹部「闇を暴いてください」元キャリアも指摘する異例さ【サタデーステーショ

   ン】 ANNnewsCH  2024/06/08 10:31

  〇容疑者コメント「本部長でなければ誰でもよかった」名指しの幹部を変えた理由 鹿児島県警情

   報漏えい事件 (24/06/10 19:20) 鹿児島ニュースKTS  2024/06/10 2:41

  〇【留置場で遺体となって発見】警察官が取調室で暴行か「右足にアザ」が 法医学者が異例の告

   発 密室取り調べの実態 「取調室はブラックボックス」| 

   カンテレNEWS 2019年5月21日 9:12

   密室の怖さは学校にもある。 

 

 なぜカッパは学校の閉鎖性、責任逃れの隠蔽体質を強く問題視するのか…については以下を参照してください。そこで学校の根深い隠蔽体質を繰り返し、指弾しています。多くの学校教育に関わる問題の根っこにこの隠蔽体質が潜んでいるとカッパは睨んでいるのです。

 

 →§7.カッパの伝言板その5.1980年代以降の学校教育を巡る言説に関する私的覚

   え書き①

 →§3.学校教育編その1.画一的、管理主義的教育の弊害前編

 →§3.学校教育編その2.学校の隠蔽体質前編・中編・後編

 →§3.学校教育編その7.揺らぐデータの信頼性

㉚「教師のバトン」の皮肉と学校のブラック化

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

〇「教育困難」と言われた地域の学校を4年で全国水準へ 学力格差を縮めた学校の実

     践と「管理職失格」のジレンマ Jbpress 数実 浩佑 2026.7.14

     こうした学校の取り組みを文科省がさも自分たちの手柄のように自慢げに取り上げ、予算増や教師の増員をサボり続けることを決して許してはなるまい。現状のままでクラス増という偶然に恵まれて頑張っている学校の存在を理由に、学校のブラック化の悲惨な現状を絶対に軽視してはなるまい。

◎学校が"夏休みの子ども無料預かり施設"に? 文科省の"開放要請"に全国の先生が失

     望、"困ったら学校にお願い"の危うさ

     東洋経済オンライン 松尾 英明 2026.7.8

     …「子どものため」という言葉は強い。誰も反対しにくい。だからこそ、その言葉が使われるときには注意が必要である。

     子どものために、学校を開ける。子どものために、地域で支える。子どものために、教員の負担にならないようにする。どれも正しいように聞こえる。しかし、本当に問うべきはその先である。そのための予算はあるのか、人員はいるのか、責任体制は決まっているのか。

     この問いに答えないまま進めるなら、結局はまた、学校現場と地域の善意に依存することになる…

     財務省から予算を勝ち取る努力をサボり、ひたすら教師たちの善意に「悪乗り」して「教育改革」の名のもとに学校のブラック化を推進してきた文科省の狡猾さと怠慢ぶりにはもうウンザリ。これでさらに若者の学校離れが加速し、教員不足が深刻化するのは確実だろう。

     …最初にやるべきは、すでに子どもの放課後と長期休業を支えている学童保育を強くすることである。学童保育で働く人の処遇を改善する。保護者負担を下げる。待機児童を減らす。昼食支援を整える。支援が必要な家庭へ確実に届く仕組みを作る。

     そのうえで、なお足りない部分を、公民館、図書館、児童館、スポーツ施設、文化施設、そして学校施設も含めて補完する。それが本来の順番ではないか。

     「子どもの居場所づくり」は、学校へのお願いで済ませてよい問題ではない。社会全体が、そのコストと責任を正式に引き受けるべき問題である…

     まさに指摘されている通りである。少子化で統廃合が進み、廃校となる学校の再利用として施設を公民館や児童館に転用していくことも、この問題の改善に多少はつながるであろう。そのためにも教育予算の増額は必須である。

◎実は現場で読まれていない「学習指導要領」なぜ?

     東洋経済オンライン 寺田 拓真 2026.2.9

 文科省はさも教師や学校の自主的取り組みを奨励してきたかのような書きぶりだが、本当にそうだったのか…わずかでも過去を振り返ればすぐに分かるはずである。学校の業務をひたすら増やし続け、学校のブラック化を招いてしまったのは文科省ではなくむしろ学校側であり、文科省はそのことにまったく無関係?…そんなわけ、あるはずがない。

 学校現場に責任を押し付けるのは完全なお門違い。真っ先に自らが犯した失策を謝罪し、猛省すべきは文科省の方ではないか。冗談もほどほどにしていただきたい。寺田氏はこれまでの教育行政の歩みをしっかりと振り返るべきだろう。教員免許更新制に代表される教育行政側のとってきた愚策の数々が学校現場を無駄に混乱させ、教員を縛り付け、公教育を沈滞させてきたのではなかったのか。明らかに公教育停滞の責任を負うべき張本人は文科省である。「盗人猛々しい」とはまさにこのことだ。

 改訂される学習指導要領の中身がどんなに素晴らしくとも、それで過去の教育行政の犯罪的施策がすべて「無罪放免」となるわけがない。そもそもが「やりがい搾取」の状況を放置しておきながら、無知厚顔にもまたぞろ「やりがい」を持ち出して教師をこき使おうとするがごとき提案など、聞く耳を持つおめでたいお人好しがこの状況下で学校現場に生き残っているとは到底思えないのだが…

◎校長が「勤務時間改ざん強要」、公益通報のその後

     東洋経済オンライン 高橋 秀和 2026.2.8

 …校長は残業を前提とした教育方針を掲げているにもかかわらず、残業時間を削れと要求…とあるが、同じことを教育委員会や文科省も要求している。「文部科学省は20年1月に、教員の勤務時間が上限を超えないよう、適切な管理を教育委員会および校長に求める通達を出している。残業時間の管理が厳しくなったのも当然」なのであるならば、校長よりも罪が重いのは文科省の方だろう。教員の勤務時間が上限をこえないようにするには、まず手始めに業務を削減する通達を教育委員会や学校に出すことも文科省の責務であるはずだ。それをサボっているクセに、「適切な管理を教育委員会や校長に求める」という、上から目線の無知厚顔さに呆れるしかない。

     「1日2~3時間程度の残業が常態化していましたので、どうしても月45時間は超えます。校長からは、教員同士で話している時間を引いて申告することや、仕事を持ち帰ることを促されていました」とのことだが、これも校長の資質を問う以前に、文科省の無為無策を問うべきであろう。

 とはいうものの、何を言っても、何をしても、どうにもならない切なさ、やるせなさが学校現場には既に充満している。若者の教員離れ、早期退職の動きは当分、止められないだろう。もちろん、本来ならば教師たちが取り組めるはずの学校現場での改善点は有り余るほど山積している。しかしながら現状を変える力は学校現場にもはやひとかけらも残されていない、と私はみている。

 すべては教育行政の欠陥からきている…という私の考えはただの個人的な妄想でも教員たちの責任逃れや単純な他責でもない。教育行政を変える他に改善の手段がとっくの昔に無くなってしまっている、つまり学校現場は既に「詰んでいる」のだ。そしてこうした公教育の末期的症状を行政側がどれほど直視できるかどうかの一点に、公教育再生の可能性が辛うじて残されていると考えるが、いかがか。

 まずは学校現場という末端に責任を丸投げする行政の体質、構造を変えていくべきなのだろう。それが出来ないのであるならば、せめてもの願いとして学校業務の大幅な削減に文科省は即刻、着手して欲しいものである。

〇教員はもう限界「足し算」で壊れてきた学校の叫び

     東洋経済オンライン 松尾 英明 2026.2.3

 「先生、もう死ぬかも」という悲痛な叫びが学校現場から出てきてから、一体何年たつのだろう。部活動の地域移行は本当にどこまで進んでいるのだろう。高校でも部活動の社会教育への移管は進められているのだろうか。

     小学校教師の授業時数は減っていないどころか、新しい取り組みが次々と上積みされてきている。これが、学校現場の実態である。働く場としてはとっくの昔に通常の人間の能力、体力の限界を超え、我慢の限界を突破しているのに、この10年間、ほとんど何一つ、改善できていない。 

     ここまで教育行政の無為無策、無能ぶりが明らかになっているのに、教師たちは事態の改善を寸分も期待できない。この閉塞感と絶望ばかりが延々と続く中で、教員の志望者が減り続け、中途退職者や休職者が増え続けるのは至極当然の報いであろう。

 なぜ、教師たちの叫びがいつまでたっても教育行政側に届かないのか…学校が置かれているあまりにも無残な現状に、ひたすら歯がゆいばかりである。

〇「ネット出席」認知度に課題 学校側「前例ない」などと対応 不登校生徒の母「制度

 は絵に描いた餅」 専門家も「明確に家庭に伝わるように」   

 TBS NEWS DIG_Microsoft 2025.11.12

 これもまた学校のブラック化が新しい制度、改革の動きを受け入れる柔軟性や対応力を学校現場から完全に奪いつつある…という極めて深刻な事態を示しているのではあるまいか。私たちは文科省の通達が学校現場になかなか浸透していかない背景に潜む、教師たちの疲弊と言う事態の急速な進行にもっと注目すべきなのではあるまいか。

◎【年収超えの自腹】学校に貢いだ2500万円……公立学校の先生の財布が「無限の公

 費」になる瞬間 All About 福嶋尚子・栁澤靖明・古殿真大  

 「学校に貢いだ」という側面もあるだろうが、児童生徒に貢いだ側面も大きいだろう。いずれにせよ長い教員生活を通じて「貢いだ」額が巨額に上ることは間違いない。教員の方ならば、自腹を切った事例を挙げ始めるとおそらく枚挙にいとまがないはずだ。

 日本の極めて貧しく、古いままの公教育が、その貧しさにもかかわらず「やりがい」をちらつかせて無謀にも全人的な教育を教師たちに不当にも課してきた…「やりがい搾取」と呼ばれた欺瞞に満ちた歴史が必然的に生み出した現象こそ、教師による際限なき自腹なのである。こうした教師の自己犠牲的行為はかつてはほとんど問題視されることなく、いまだ学校に残存する教師聖職論によってむしろ美談化されてきた側面すらあったのだ。

 教師による自腹の総額は自腹と自己責任による出費との境が非常に曖昧であり、グレーゾーンが極めて大きいため、きちんと算出することが極めて難しいケースが少なくない。したがって2500万円程、というザックリとした数字に強い違和感を持たれる方はもしかするとかなり多いのかもしれない。

 しかし私の実感からすればこの数字、決して大げさで奇異なものではない。残業時間が厳密に把握されている企業の方ならばご理解と共感をいただけると思うが、教師には残業時間に基づくきちんとした手当は本当の意味ではほとんどと言って良いほど支払われていないのだ。仮に残業代等の総額及び教師の自腹分を「逸失利益」と見なして県や国に対し、損害賠償請求すると仮定すれば、損害賠償の総額は一体、どれほどの額になるのか…興味本位ではあるがザックリと概算してみたい。

 試しに平均的な教師一人に対して退職までに支払われてこなかった残業代などの総額(労基法で定められた残業代と休日出勤の手当を基準にした、あくまでも近似値に過ぎないが…)を算出してみれば、それがどれほどの巨額に上るものなのか、この試算で容易に想像がつくようになるだろう。もちろん、給特法による4%分を最終的にそこから差し引いて総額を出していく必要はあるのだが…

 私の某高校における月当たりの平均的な残業時間および休日出勤時間を用いて計算してみたい。さらに算出するために必要な数値として、本来ならばもらえるはずの月当たりの残業代、及び休日出勤代。これらは労基法の定める最低基準値、および現時点での公立高校教師の平均的給与さえ分かればとりあえず概算可能だろう。

 公立高校教諭の平均的給与は2023年度の文科省実態調査によると月給で35万7000円ほどだが、あくまでも概算なのでここでは36万円キッカリとしておく。この額を2025年10月のカレンダーをもとに出勤日数22日として日給を計算する。100円以下を切捨てると、日額約1万6000円となる。これを勤務時間の8時間で割ると教師の平均的時給は約2000円となる。

 労基法によれば休日労働に対する割増賃金は、通常の賃金の3割5分以上、深夜業に至らなければ残業代は一時間当たりの通常の給与額が在校時間の長さに応じて算出される。さすがに深夜業務は修学旅行や学検の採点、部活の合宿を含めても、年に数回程度なので今回の計算からは除外しておこう。

 問題は勤務日の平均的残業時間であるが、勤務校の実態によってかなりの差があるものの、平均するとかなり少なめに見積もっても2時間となるだろう。休日出勤もまたかなり少なめに見積もっても月に平均3日。月単位の総時数で言えば最低でも20時間となるはず。

 まず私の通常の残業時間は月単位でだいたい2時間(一日の平均的残業時間)×22日(2025年10月のカレンダーから特別時間割や学校行事などを度外視して単純にカウント)=44時間(月単位の平均残業時間)ほどであった。したがって当時、残業手当があったとすれば月給に上乗せされるべき額はとりあえず2000円(平均的時給)×44時間=8万8000円となる。

 ただしここから給特法に基づいて4%の一律加算分を引かなければならない。その額は一月で360000×0.04=14400円となり、100円以下を切り捨てれば、加算分はおよそ14000円となる。かなり大雑把だが88000-14000=74000円が毎月、もらえたはずの概算での残業代となる。これを単純に12か月分、すなわち1年分の残業代に換算すると74000×12=888000円。さらに教員の勤務年数を60歳定年退職として38年とすれば、かなり粗雑な計算となってはしまうが、38×888000=33744000円となる。

 これに休日出勤の額も加えてみる。月に平均20時間の休日出勤だとすれば2000(平均的時給)×20(平均的休日勤務時間)×1.35=54000円が一般企業ならば毎月もらえるはずである。これを年間に換算すれば648000円となる。この数字に勤務年数38年を掛ければ24624000円。残業代の総額33744000を足すと58368000円…

 実際には都道府県や年代、学校によって異なるだろうが、部活動を平日で2時間以上、休日で4時間以上指導した場合、その超過分に対して若干の金銭が支給される場合があった。ただしその金額は月にせいぜい1万円程度であったと記憶している。仮に1万円だったとすれば年に12万円、38年分で456万円となる。これも総額から引くと残りは538008000円となる。8000円は切り捨てて53800000円としておこう。

 以上の計算はかなり少なめに見積もってのものである。実際には運動部顧問時代、4月や9月は一か月間、ほぼ一日も休んでいない、修学旅行では一日平均で2~3時間程度しか寝ていない、入試の採点時や逮捕された生徒への対応では時に深夜に及ぶ…休日の試合では会場校の場合、12時間勤務が当たり前…といったような事態は一切、考慮されていない。

 53800000円に教師の自腹分を加えてみよう。この自腹分も教師の個人差は極めて大きいので平均的な総額を出すのはまず不可能であるが、敢えて自分を基準に概算を出してみよう。部活動関係の出費は、最小限に見積もっても年間で数万円は下るまい。これにクラス担任(自分の場合、文化祭での自腹が一番大きい)としての自腹分、教科担任としての自腹分(実物教材、印刷機、コンピュータ、インクなどの購入費。ただし最も高額な書籍代は除いておく)を足すと、極限まで少なく見積もっても年間でおよそ10万円は下らない。もちろん、こんなに少ない額で済むはずはないのだが、ここでは年間の自腹分をとりあえず最小値の10万円という事にしておく。

 自腹分は勤務年数の38年をかけて総額380万円となる。これに53800000円を足すと54180000円となる。退職金や年金が次々と削減されている状況を踏まえれば、公立学校の教師という仕事が経済的な観点からはいかに割に合わない、激烈なレベルの自己犠牲で成り立ってきたか、お分かりいただけたかと思う。

 もちろん、教師たちが失ってきたのは決して金銭だけではない。家族との団らんや休息、教材準備、生徒へのきめ細やかな対応…それらいずれも本来ならば最大限に尊重されるべき貴重な時間と体力、気力がことごとく失われていったのである。

 この過酷な自己犠牲を教師たちにひたすら強いてきた文科省が、現場で悪戦苦闘してきた教師に対してこれまで一切の反省を見せず、謝罪すらせず、どれほど高慢ちきで無能な存在であり続けたのか…ぜひ一人でも多くの方にご理解いただきたい。

 

1.「教師のバトン」ってどんなバトン? 

 かつて文科省が上から目線で使った「教師のバトン」というフレーズは教師の皆様方にどのように響いたのだろう。カッパはむしろ全国の教育現場に絶望的な思いを一層募らせただけだと感じている。多くの教師が激しい憤りを持って受け止めたに違いないとさえ思っている。

 「教師のバトン」という本質的に重い言葉は、悲惨な学校現場の泥水を一切浴びたことのないただの第三者、高学歴エリート役人達が脇からしゃしゃり出てきて云々するものであってはなるまい。当たり前過ぎることだが話の本筋としては学校という現場において日々行われている魅力的な教育活動を通じて当事者である教師自らが次世代の生徒達にバトンを渡していくはずのものである。とりわけ学校の教師が日常的に面白くて有益な授業をすることこそが生徒達に教職への憧れを募らせるのであり、そのことこそがバトンを次世代に渡していく行為そのものだと思うが、いかがだろう。

 

 そうであるにもかかわらず、目標申告シート(自己評価シートetc)の記入、学習指導計画の作成、朝令暮改を繰り返す大学入試改革へのネコの目対応、学習指導要領の改訂、進学用調査書や指導要録の改訂、果ては混乱ばかり招いた不備だらけの校務IT化、意味不明な校内研修のつるべ打ち・・・息つく暇も無く矢継ぎ早に文科省や県教委から下々へ、あたかも罰ゲームのように押し寄せてくる仕事の山、山…

 その多くは教育行政を熱心に「やってます」感を演出すべく仕組まれた、いざというときのためのアリバイ作りに過ぎないような、絶望的なまでに不毛感漂う雑務の塊。そして過熱する一方の部活動と噴出する学校や教師への批判、モンペアへの対応…これらに忙殺される余り、肝心の生き生きとした授業実践に手が回らなくなるどころかついには本務であるはずの授業までもが教師及び生徒達にとっても耐えがたい苦痛になってきている…

 日本の学校教育が直面している本当の危機はそこにあるはずであった。

 

 そうした学校の惨状に一切目をくれず、「定額働かせ放題」とか「やりがい搾取」という罵声が激しく飛び交い始めた学校に対して、現場で悪戦苦闘する教師の立場からすればどう見ても皮肉としか受け取りようのない「教師のバトン」という、美しすぎるほどセンチメンタルな表現を文科省の官僚は用いてしまった…

 この人たちの究極的とも言って良いほどの現場に対する理解の無さ、鈍感さがSNS上での大炎上を招いた主な原因であったはずである。当然の帰結として現在、全国的に教師のなり手が不足してしまい、いよいよ学校教育の危機が深まってきている。

 

 そんなことにすら今の今まで気付くことのできない、学校現場に恐ろしく無知な官僚や政治家が厚かましくも学校教育行政を動かしているのだから、学校現場が萎える一方となるのも致し方あるまい…などと思わず毒づいてしまうほどに学校現場のお上に対する積年の恨みが溜まりに溜まっている。これが現在の学校教師達の実情ではないのか。

 

 もちろん文科省の官僚にも言い分はあるだろう。文科省に限らず、官僚の多くが安月給で過労死ラインを遙かに超える重労働を常時強いられているという。つまりお互いの職場がブラック化しているのだから、実はお互いに被害者でもあり、今こそ鬱憤をぶつけ合っている場合ではないのだ。官僚も教師も、同じ公務員として分断と対立を乗り越え、お互いに連携し、自分たちの労働環境の劣悪さを世間にもっとアピールして労働環境改善に持ち込んでいくのが事の本筋であろう。

※参考動画

◎【働き方】過酷な教育現場は改善できるのか?

     精神科医・樺沢紫苑の樺チャンネル 2025/10/11 19:33

     これほど日本の学校の現状を厳しく捉えている識者も珍しい。しかしこのような認識を持たないと、もはや教師のメンタルが保てない…ということは事実だと私も思う。ただしスマホの過剰使用が脳の疲労を招く可能性はかなりあるだろうが、使用制限の問題については判断を保留したい。

※参考記事

〇「主体性の評価」見直し、高校教員83%が賛成…教員の負担軽減へ    リシード 2025.8.22

    こんな程度の事で教師の負担軽減につながるわけはない。また生徒の主体的な学びを抑圧する画一的一斉講義形式の授業がいまだに残存している日本の現状がある。加えて職員会議の形骸化やブラック化などによって教師側の主体性がそもそも奪われ、損なわれてきた経緯もある。

    教師は自分たちの主体性が喪失してきているのに、生徒の「主体的な学び」を奨励し、評価しなければならない…この皮肉、矛盾はどう捉えるべきなのだろう。まったくブラックジョークとしか言いようのない、珍妙な事態である。

〇子どもの自殺防止、教員向け新指針作成へ…学校と医療機関が連携強化

 読売新聞 2025.8.22

 …文部科学省は、学校が医療機関との連携を強めて、児童生徒の自殺を防ぐための教員向け指針を新たに作成する方針を固めた。自殺の危険性がある児童生徒を早期に把握し、適切な対応を促す狙いがある…とのこと。

 一体、文科省はどこまで間抜けなのか、厚顔無恥なのか呆れ果てるばかりである。そもそも精神科の医者ですら、自殺防止は極めて難しい。しかも専門家であるはずの医者の中には東京の滝山病院のように、唖然とするほど質の悪い医師がいたりする。精神医療への疑念が消えない中で、素人に過ぎない教師に医師の技量や資質を見抜けるわけがない。

 そうした状況の下で、一体、どのような連携を学校と医療機関がとれるというのだろう?この程度の事、少し考えれば分かるはずだ。しかも文科省のおかげで加速した学校のブラック化がこうした難問への教師の対応力をひたすら削り続けている。

 あまりにも当たり前のことなのだが、どう見てもこの問題の主体となるべきは校内においてたった一人、学校カウンセラーしか見当たらないはずである。

 文科省は一体、教師に何を期待しているのだろう。仮に文科省の言う通り、教師が医療機関と好ましい連携をとるべきだとするならば、教師全員、最低でも学校カウンセラーの資格を必要とすることになる。無論、そんなことは不可能だ。

 実際のところ、当の学校カウンセラーですら、自殺防止にむけて役立つような医療機関を探し出すことは至難の業であろう。自殺予備軍が抱える問題は多様であり、千差万別である。しかも多くの場合、彼らは重いうつ状態や希死念慮だけではなく、家族の問題や身体的疾患、経済的困難、対人関係の問題、低学力、不眠などの深刻な課題をいくつも同時に抱えている。カウンセラーや精神科医ですら、単独では対応困難なケースだって決して少なくない。であるにもかかわらず、文科省のおかげで疲弊の極にある素人集団の教師如きに、一体全体、この件についてどれほどのことができるというのだ。

 学校が医療機関と連携する、ということは、医療機関との連携に対して学校や教師がそれなりの責任を負わされる、ということに他なるまい。仮に、それでも児童生徒が自殺した場合、教師側によってどのような連携がなされたのか、が問われてしまうからである。これでは教師たちまでもが深いウツと猛烈な希死念慮を抱くようになるに違いない。

 文科省が考えるべきは教師の負担を増やす事ではなく、教師の負担を大胆なレベルまで削減することであり、思い切った学校カウンセラーの増員と待遇改善である。そのための予算が確保できないのならば、文科大臣以下、教師や学校カウンセラーたちに平身低頭して謝罪し、自分たちの無力さ、無能さを深く恥じるべきだろう。

〇保護者からの過剰な苦情・不当要求「学校以外が担う」文科省が改訂案    リシード 2025.8.20

 この程度の業務見直しで教員の負担軽減になるとは到底思えない。そもそもが学校の事務職員自体、人数不足であり、学校カウンセラーなどの専門家も不足しているところが多いはずだ。実際、事務職員の不足によって高校入試事務や受付の仕事を一部、教師が負担するようになったのは千葉県の場合、二十数年前からだったように記憶している。カウンセラーやケースワーカーに至っては、ほとんどの場合、千葉県では一つの学校に常駐できておらず、複数校を掛け持ちするのが普通だった。しかも様々な面で待遇が悪く、学校、教育委員会に対して大きな不満を抱えている方もおられたようだ。

 既に過剰な負担にあえいでいる方々に教員の負担の一部をただ押し付けるだけ…これが文科省にとってはお手軽でとりたてて経費も要しない(財務省との勝ち目のない予算折衝を回避できる)、いかにも「賢明」な解決策なのだろうが、本来、検討すべきは教育予算の増額を前提とする事務職員の定数増加、カウンセラーらの待遇向上の方ではあるまいか。

 軽減すべき教員の負担は他にもまだまだ沢山あるはずだ。学校行事の大胆な削減、無駄な官製研修の削減等々、肝心な改革にはこれまたノータッチ…にもかかわらず本来、学校の当事者が果たすべき保護者のクレーム対応を学校外に任せる…この発想自体、おかしくないか。むしろ学校内にスクールローヤーを含む複数の専門家を配置する形にして保護者との話がこじれないようにするのと同時に、担任や学年主任が一定程度まで関われる余地を残しておくことの方が学級、学年の経営上、都合が良い場合だって少なくあるまい。

 文科省の官僚たちよ、今後は財務省と互角に戦えるレベルの予算折衝ができるよう、学校現場の生の声を少しでも直接、聞いて回る努力をしていただきたい。生の声が届いていないからこそ、この程度の下らない改訂案しか出てこないのだ。

◎教育現場のリアルな実態…教員の8割が10時間以上勤務    リシード 2025.7.29

 …出勤してから退勤するまでの教員の勤務時間は平均11.17時間であることが2025年7月29日、小学館が運営する教員向けWebメディア「みんなの教育技術」の調査結果から明らかになった。8割を超える教員が10時間以上、4人に1人が12時間を超えて勤務している状況にあった。

 教員の勤務実態に関するアンケートは、5月20日から6月30日にかけて全国47都道府県の教育関係者を対象に実施。Webメディア「みんなの教育技術」でのアンケート形式で実施され、有効回答数は5,412人だった。…

 この調査は文科省や各教育委員会による同様の調査よりも、はるかに信用できる。私の実感に近い結果が出ているからだ。生徒たちには「公立教諭の時間外勤務、「月45時間」以下は小高7割   朝日新聞社 2024.12.26」のデータと比べて議論させると面白い授業になるだろう。

〇公立中35人学級、教員1万7000人増必要 400億円の予算見込む   毎日新聞 2025.6.17

 少子化が急速に進む先進国であり、いまだに経済大国の端くれであるはずなのに、何とした事か、デレダラと何十年もの間、40人学級を放置してきた国があった…この日本と言う国は少子化という、学級の定員削減に絶好の追い風が吹き続ける中で、学級定員の見直しすら、まともに取り組もうとはしてこなかった。その国力から見ても35人学級程度の事くらいとっくの昔に実現できていたはずである。マスプロ教育の弊害が叫ばれてから一体どれほどの歳月が経ったと思っているのだろう。

    にもかかわらず、21世紀に入って四半世紀が過ぎ、マスプロ教育という言葉自体がとっくの昔に死語となった今の今となってようやくにして法改正を行い、35人学級を徐々に実現させていくのだという。かねてから口では「個別最適化」を唱えて生徒の多様性に応じた丁寧な教育の実現を謳ってきたクセに、「個別最適化」の足を引っ張る張本人たる40人学級を文科省は長らく放置してきた。

    何という怠慢であろう。何という欺瞞であろう。国家百年の大計たるべき学校教育ですらこのザマである。この国の無策ぶりに呆れ果てるしかあるまい。しかも政府の無策ぶりが祟って学校のブラック化が進行し、近年は若者の教職離れが顕著となって深刻な教員不足が慢性化している。こうした状況下、一体、どうやって公立中学校の教員を17000人も増やそうというのか。文科省はこれまで通り、自らの責任は棚に上げて厚顔無恥にも各教育委員会に、ひたすら困難を極めつつある教員募集という難題を平気で丸投げするつもりなのだろうか。

 このニュース、個人的には絶望しか感じられないのだが…

〇「子どもを救いたい」 その思いと現実の狭間で 採用数の4割超が退職…“子どもを守り職員も守る”

   児童相談所の挑戦を密着取材【news23】 TBS NEWS DIG_Microsoft  2025.1.25

   この国の老害政治家による若者や子どもたちへの切り捨て政策が、いかに学校の荒廃と児童生徒の不登校や自殺、引きこもり、非行、親による虐待、育児放棄などの諸問題をこれまで量産してきたか、しっかりと直視したい。不足しているのは教師たちや児相職員、民生委員だけではあるまい。何のための子ども家庭庁設置だったのか、もう一度、文科省、厚生労働省の責任を含めて厳しく問い直すべきだろう。

〇危機的状況な高知の教育界 「学校の存在意義を考え直さねば」相次ぐ教職員不祥事

 で“緊急会議” KUTVニュース 2025.1.24

 はたして高知県教委の対応はいかがなものだろう。かなり疑問のある、トンチンカンな方向性を感じてしまうのだが…教職員の不祥事が発生する背景に何があるのか、把握しようと努力した痕跡がこの教育委員会には見られないのではあるまいか。

 もちろん、不祥事の多発が教師たちの規律の乱れに起因することも有るだろう。特に管理主義的な体質の組織ならば、なおさら服務規律の整備や罰則の強化などで教員の不祥事にゴリゴリの対応をしようとするに違いあるまい。

 昔、校内暴力が吹き荒れた際、教師たちが体罰をも辞さない覚悟で厳しい生徒指導を行い、学校の沈静化に努めたように…かつての経験から、上から目線で生徒管理と教師管理の徹底を図ろうとする、老害管理職は高知県においても少なくあるまい。

 そもそも高知県での教師たちの不祥事は本当に規律の乱れだけに起因するのであろうか。高知県の教員採用試験における倍率は全国的にもかなり低いと言われる。倍率の低下によって生ずる教員の質の低下は不祥事発生の土壌を形成する一因となるだろう。加えて教育環境のブラック化が教員不足によって一層、加速してきている現状も考慮する必要があるだろう。今、教師たちのストレスがどれほど蓄積してきているのか、県教委としてきちんと調べたうえで対応しているのならば良いのだろうが…

 学校のブラック化を招いた責任は、もっぱら教師たちの仕事と責任をひたすら増やし続けてきた文科省と教育委員会にあり、現場の教師たちはそうした愚かな教育行政の被害者側に過ぎない…そうした側面があることを教育委員会はまったく把握できていないようだ。加害者のクセに被害者面して一方的に現場の教師たちを取り締まろうとする教育委員会の、居丈高な姿勢が教育界全体の崩壊を加速させかねない、最悪、最大の危険因子となってしまわないことを祈るばかりである。

 「今の若い教師はたるんどる。実にけしからん!」とばかりに管理職らが老害風を吹かせているだけであるならば、高知県の教員採用試験の倍率は今後、さらに低下し、教員不足は一層、深刻となるだけだろう。そして教師の休職や中途退職が激増する危険性まで招いてしまうかもしれない。

 「学校の存在意義を考え直さねば」ならないのは一体、どちらさんなのか…教育行政のお偉方自身、しっかりと謙虚に考え直した方が良いのではあるまいか。

〇6時間授業、授業内容増で子どもも教員も疲弊 現役小学校教員が語る「詰め込みす ぎカリキュラム」

   の実態 AERA dot. 西島博之 2025.1.24

   日本のカリキュラムがあまりにも過大であり、結果的に「詰め込み教育」がいつまでも改善されないままになっていることは、とっくの昔から明らかであるのに、今も何一つ反省されることなく平然と英語教育、情報教育や金融教育などが次から次へと教師の仕事として上乗せされてくる。そして教材研究の不足、授業方法の工夫の不足を日常的に自覚しながらも、疲弊しきった教師たちと、その教師たちから矢継ぎ早に、かつ大量に教え込まれる児童生徒たちとは、結局、退屈で未消化なまま、ひたすら前へ前へと勝手に進んでしまう授業自体を苦痛そのものと感じる点で、実は一心同体なのかもしれない。

 「スクラップ・アンド・ビルド」の原則は守られることもなく、仕事量が教師たちの力の限界をとうに超えているにも関わらず、非情にも様々な課題が際限もなく学校に丸投げされてくる。教師たちの疲弊には目をつぶり、現場の悲痛な叫びに耳を貸すこともなく、淡々と学校現場の仕事を増やし続けてきた教育行政側の責任は万死に値するほど重い。

 新たな仕事を次々と快く引き受けることが官僚たちの大きな手柄とされ、文科省や教育委員会での出世を約束する構造があるのだろう。しかし、結果的に児童生徒らの不登校は増える一方であり、教員の休職者や中途退職者も増える一方。当然の事、教員志願者は減り続け、教員不足が学校をギリギリの瀬戸際まで追い詰めている。そしてこれらの問題解決もまた、学校現場にほぼ丸投げされてくる。

 何が間違っていて、誰が悪いのか、明確なのに誰も罰せられず、だから何も変えようとしない…今の自堕落な教育行政に自浄能力を期待するのはあまりにも愚かであろう。

〇公立教諭の時間外勤務、「月45時間」以下は小高7割   朝日新聞社 2024.12.26

   こういう文科省がマスコミに垂れ流したまがいものの情報を、しっかりと学校現場の実態と照らし合わせることなく鵜呑みにし、短絡的にオウム返しするマスゴミの姿勢には怒りしか覚えない。ここで数値としてもっともらしく示されている「残業時間」はあくまで学校における残業時間であり、それが教師たちの残業の実態とはまったく乖離した数字であることは私も再三、指摘してきた。

 既に10年ほど前から高校でも定時を過ぎる頃に、教頭から半強制的にしつこく帰宅を指示されるようになっていた。まだ業務を終えていない教師たちの多くは、どうしても校内でしか処理できない業務を除き、渋々、多くの仕事を抱えて帰宅している。そして自宅で採点や提出物のチェック、授業準備などの「お持ち帰り残業」を続けている。つまり文科省のいう「働き方改革」という美名はその実、学校の光熱費の節約と管理職の手柄稼ぎとしての名目的な残業時間の削減に過ぎない。実際の教師の職務はかえって家族へ転嫁され、教師たちの家計を削ることになっただけである。これはむしろ「働き方改悪」と呼ぶべき文科省側の悪辣な策略であり、ただの誤魔化し、イカサマに過ぎない。

 こんなことだからマスコミは「マスゴミ」と呼ばれ、この10年ほどの間に教員不足がかえって深刻になっているのだ。文科省もマスコミも、もういい加減にしてほしい。

〇まだ8割の学校で“FAX使用” 校務デジタル化の進捗は? 教員の働き方改革にも関連 文科省調査 

   TBS NEWS DIG_Microsoft 2024.12.26

   もはやどこのご家庭でも骨董品となっているはずのFAXを、いまだに学校の8割が使用していることの持つ意味を軽く見過ごすことは許されまい。すなわち日本の学校自体が骨董品と化している、と言っても良いほどに、日本の学校はあらゆる面で先進国の教育から遅れをとっているのだ。

 もちろんハード面では児童生徒一人に一台、タブレットが支給された学校もあるだろうが、タブレットを学校でどう利用していくのか、授業ではどのような利用の仕方があるのか、きちんと理解できている教師がどの程度、いるのかは疑わしい。そもそもタブレット導入の先頭に立つべき管理職自身、タブレットの利用自体が心もとない人は決して少なくあるまい。

 学校でのFAXの残存はDX化の流れに日本が取り残されているのみならず、個別最適化と自律協働型の学習導入にも完全に乗り遅れ、惨めにもガラパゴス化した日本の学校の現在を象徴していると思うのだが、いかがか。もちろん、これを打開するのはそんなに難しい事ではあるまい。DX化の推進役であるべき管理職や教育委員会のメンバーを大胆に若返らせれば良いだけである。

 多少の例外もあるだろうが、多くの場合、DX化への抵抗勢力、すなわち老害教師が実は管理職や教育委員会に数多く潜んでいることは疑いようもあるまい。もちろんメンバーの若返りは年功序列の人事に囚われている限り不可能なので、まずは文科省が率先垂範、年功序列人事を辞めてみたらいかがだろう。いや、その前に都道府県教育長を文科省官僚などから選ぶことをまず、禁止してみてはいかがか。

〇教職大学院、定員充足率85.6%…18校が100%以上   リシード 2024.12.27

   高校での授業内容や技術は科学技術の急速な発達、目まぐるしい世界情勢の変化などによって年々、アップデートされる必要性が増してきている。特に難易度の高い生成AIの修得が教師にとって必須になりつつある現在、その修得の機会を教師たちから奪うような、ブラック化した学校のままではかなりマズイだろう。

   仮に校務の削減がなかなかはかどらない場合には、当面、教師が己の知識、技術をしっかりとグレードアップするために、煩雑な校務を一旦離れて教職大学院に進学することがより一層奨励されるべきだろう。でなければ肝心の教師たちがIT化、DX化の流れから取り残されてしまう。ところが、そうした危機的状況であるにもかかわらず、教職大学院の定員割れが常態化している。これこそがまさに日本の未来を危うくする重大事態だと考えるが、いかがか。

 教職大学院の定員割れはなぜ生じているのか、文科省は一刻も早く、その原因を探り、具体的な打開策を提示すべきである。

◎給特法は枠組み維持、抜本的改正は議論なし 教職調整額は10%

   毎日新聞 によるストーリー 2024.12.25

   やはり予想通りの、最悪の結果になってしまった。全国の教師たちの多くが求めているのは際限のない仕事量と重責の積み重ねによる疲弊の軽減、解消であったはず。年1%の給与の増額など、「焼け石に水」どころか、まったくの見当はずれ。むしろ絶望感だけが深まる結果となった。これで次年度もまた全国的に教員不足が深刻化し、休職や退職に追い込まれる教師が増え続けるに違いあるまい。

 物価上昇率はその上を行くことが予想されているというのに、そもそも、年1%の給与引き上げに私たちは一体どんな魅力を感じたらいいのだろう。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい…いや、つまりそういう事なのだ。

   日本の教師たちは150年を超える近代的学校教育の歴史の中で、ひたすら馬鹿にされ続ける存在に過ぎない…先進国内における教育予算の圧倒的な低さがそれを物語ってきたはずである。教師に向けられる世間の視線の冷たさもまた、その社会的地位の低さを物語ってきたはずである。

   文科省が示す働き方改革の方向性が残業時間の削減という、ほとんど意味の無い、それでいて数値でゴマカスたぐいの詐欺的政策に集約されようとしている。そのことこそ、文科省が本当に意味のある改革を決して志向していないことをいよいよあからさまにしている。それでも教師たちは年1%の給与引き上げに狂喜乱舞する、と思われているのだから、もはや絶望するしかあるまい。

   表向き、残業時間の削減は既に相当程度進んでいるはずだ。10年近く前から、学校に遅くまで居残る教師は年々、減少しているという印象は強い。ただしその裏側では自宅への「お持ち帰り残業」が増え続けてきたはず。業務が削減されていないのだから、それは当たり前である。つまり文科省は学校での残業を減らすことで電気代や水道代などを教師たちに節約させる一方で、本来、国家や自治体が負担すべきそれら業務上の必要経費の多くを教師たちの家計に転嫁させる、というとんでもない欺瞞を力強く推進してきたに過ぎない。

   実に教師たちを馬鹿にしきった「働き方改革」である。だから、今後も淡々と日本の教師たちは絶望し続けるのだ。

◎精神疾患で休職の教員、過去最多に 生徒指導や人間関係が負担   毎日新聞 2024.12.20

   若い教師、とりわけ女性教師の休職件数の多さは、相も変わらずの年功序列によって男性の老害教師が幅を利かす日本の学校現場の特色が背景にありそうだ。すなわち管理職の無責任な人事による若者への仕事の集中と学校での男女平等度の低さが休職という最悪の事態を招いていることを示しているに違いない。またその結果、児童生徒に大きな悪影響が及んでいることも推察できるだろう。加えて教師不足が叫ばれている中での休職の多さは、いよいよ日本の学校教育全体が軋みだし、破綻しつつあることを物語っていると思われるが、いかがか。

   こうした事態を招いた背景には、既にポンコツと化した男中心の老害政治家が国政のみならず、地方政治にも幅を利かしている、情けない現状がありそうだ。そうした閉塞的な政治のあり方が、少子高齢化の急速な進展とともに日本社会の隅々にまでしっかりと浸透してしまったのだろう。すなわち、この問題は遅かれ早かれ学校社会を大きくはみ出していき、広く日本社会全体を機能不全に陥れていくのではあるまいか。

〇三重の公立校教員採用、受験者数が最少に 試験の前倒しも効果なし?    朝日新聞社 2024.12.5

   一体、いつまでこうした的外れの、泥縄式対策が続くのだろう。教育行政への不信感は募るばかりである。高知では近年、教員採用試験の合格者の7割ti近くが教職に就くことを辞退している。実際、どの都道府県でも文科省が推薦する受験日の前倒しが何らの効果も見られない理由は誰の目にも明らかなのに、なぜ文科省や教育委員会はこうした不毛な駄策、的外れの弥縫策を繰り返すのだろう。

 こうした惨めな状況を創り出し続ける教育行政側に最も欠けているのは、自分たちの過ちを認めようとしない、恥知らずなまでの頑迷さにあるのではあるまいか。企業側の採用試験が教員採用試験よりも早い日程だから、結果的に教員採用試験の受験者や教職に就く者の減少を招いている、との認識は見当外れも甚だしいのだ。

 おそらくこうした自責の念を欠いた他責的認識が文科省には広くはびこっているのだろう。間違いなく若者の教職離れの主因は学校のブラック化にある。ブラック化への対応が不十分なまま、教師たちに過重な負担を課し続けてきた教育行政側の責任は極めて重大であろう。

 ただし一番の責任を負うべきは教育改革をとなえて学校に大きな負担を課しながら、ひたすら教育予算を削り続けてきた歴代内閣である。立場からすればむしろ文科省の官僚はその被害者に過ぎないと言えるかもしれない。もちろん、おぞましいほど時代遅れで的外れな教育行政によって最も大きな被害を被っているのは児童生徒たちであり、それは教員の中途退職と教員不足の増大に比例するよう、徐々に増加してきたイジメ件数、不登校者数を見れば明らかである。

 改革を阻む老害政治家たちが実権を握る日本政治の弊害、毒素はまず年功序列の世界の住人、とりわけ官僚たちに垂れ流されるに違いない。やがて官僚たちは地方に天下り、老害政治の毒素を地方にも浸透させる。いや、地方議会もまた老害地方議員たちによって既に国政以上に酷く汚染されているかもしれぬ。その毒素は末端の公務員、とりわけ教員に浸透し、無残にも児童生徒をくまなく汚染するはずだ。まさに老害のトリクルダウンが隅々まで行き渡っているのが日本の現状ではあるまいか。

○なぜ若い教師の代わりを私たちが…割を食う「氷河期世代の40代教師」の嘆き【学校現場の働き方改

   革の実情】 THE GOLD ONLINE によるストーリー 2024.7.9

   割を食っているのは40代だけではあるまい。大胆な負担の軽減と公平な職務の分担が実現出来ていない責任を教育委員会や管理職が一切負わないままで済んでしまうような人事考課システムこそ、大きな問題なのではあるまいか。思い切った職務の削減と公平な校内人事を上手にできない管理職の存在こそが学校のチームワークを崩壊させる側面を決して過小評価してはなるまい。

   当然、文科省の当てにならない調査結果も決して鵜呑みにしてはなるまい。「働き方改革」の推進が管理職のお手柄となるような、「見せかけ」の定時退勤が横行している学校現場の実態は文科省の調査結果にはまったく反映されていない。信頼に足るデータを持たないままブルシットジョブをひたすら垂れ流してくる教育行政のあり方を根本から変えていかない限り、教員不足は加速するだけであろう。

○教師の過酷残業と消える ”当たり前” テレ朝news によるストーリー 2024.3.28

 日本の教師不足の現状は私からすれば予想以上に軽度と言えるだろう。個人的には日本の学校教が直面している絶望的な現状においてすら、まだ教師を志望する若者が今それなりに存在していること自体、実に不思議なことだと感じているのだ。

   内田氏が指摘しているように「半世紀遅れの教育現場」がほとんど改善されることなく、「もはや学校教育は崩壊している」と捉えるべき現状があるのに一体なぜ、一部の若者は「沈む船」に乗り込もうとするのか…どうして日本では少なからずの若者が敢えて教師を志望しているのか、その動機と原因が何としても気にかかってしかたない。つまり若者たちは「教育」というバラ色の幻想に目をくらまされ、大学の古臭い観念にとりつかれたままの教師たちによっていまだに洗脳されているのでは あるまいか。

   仮に私が大学の教職課程を教える立場ならば、現状では学生に教職を積極的には勧めないだろう。 むしろ学校現場で教師が直面する数々の問題点を講義の中で赤裸々に取り上げていき、決して教職に関してはバラ色の未来を語るまい。そしてそれでもなお問題点を克服する意欲、体力、能力のある若者に限り、教職に就くことを渋々黙認する、という立場を選ぶだろう。

 つまり私が大いに懸念しているのは大学での教員養成の中身が日本の学校の悲惨な現状をきちんと捉えたものにはなっていない、という恐るべき可能性なのである。一部の大学では相変わらず大昔の「教師聖職者論」に依拠した、教職の無限の可能性…などといった古の幻想を学生たちに無責任にもばらまき続けているのではあるまいか。その一方で学校の急速なブラック化による児童生徒及び教師の心身の不調や幸福度の低下問題をひどく矮小化してしまっているのではあるまいか。つまり今、教職を魅力あふれる聖職として大学が宣伝することは極めて罪深い、詐欺的所業ではないのか。

   若者をだまして先々精神疾患などに追い込むことは犯罪的行為に等しいと言っても過言ではない、と私は思うのだが、いかがだろう。

 ◎「無理ゲー」の霞が関 退職官僚がつづった思いとは   毎日新聞 によるストーリー  2024.1.9

  諸悪の根源は政治家の見識の低さであり、そうした政治家を選び続ける選挙民の意識の低さである。そして選挙民の意識の低さを巧妙に醸成してきたのはもっぱら日本の因循姑息にまみれた学校教育であろう。時間はかかるが、学校教育のあり方を根本から見直さないと日本の政治はいよいよ低次元の俗悪なポピュリズムに流されてしまうに違いない。

 ○日教組加入率2割切る=過去最低更新―文科省 時事通信 2024.3.1

 学校のブラック化を止められなかった原因の一つが教職員組合の衰退。組合はなぜ衰退したのか、組

合のあり方を含めて問い直さなければなるまい。

 

 …と思いつつも、「どうせお上はきれい事を並べては自分たちの手柄稼ぎのためにこれからも次から次へと現場の仕事を増やすつもりであろう。これまで通りに学校で生じた問題の責任も教師の資質の問題としてひたすら下々へ押しつけるだけであるに違いない」などとついつい愚痴ばかり並べてしまう。 

 この官僚達に対する根深い不信感とひがみ根性はもちろん健康的でも建設的でもない。それにわざわざお上から言われるまでもなく「教師のバトン」自体はしっかりと次世代へつないでいかなければならぬ教師自身の大切な使命であることに誰だって異論は無い。

 バトンをつないでいくためにはまずもって教師のゆとりを回復することが最優先されるべきであるのは現状からして当然である。そのための制度的見直しは大いに必要だ。しかし制度面の見直しに関しては現場の教師が出来ることは極めて限られている。せいぜいSNS上で学校の実情を訴えるべく、「先生、死ぬかも」といった苦痛に満ちたうめき声を上げるくらいしか出来ることはないのである。ただし折角勇気を絞り出して教師が「死ぬかも」とまでつぶやいたにも関わらず、文科省は一切聞く耳を持たないまま、例の「教師のバトン」の炎上騒ぎを引き起こしているのだから教師側としてはもう、どうしても憤懣やる方ないのだ。

2.学校のブラック化

 ※カッパの伝言板でも詳しく紹介されている。

・教師も生徒も息苦しい学校という空間

〇元気な小学生が中学生になると面白みのない生徒になる…「みんなも我慢している

 んだから我慢しろ」無能教師がはびこる日本の同調圧力教育

 集英社オンライン 2023.08.07

〇なぜ多くの日本人は昔から、同調圧力が「好き」なのか…自由を「わがまま」や

 「自分勝手」ととらえ、厳しい校則で圧をかける教師もいる

 集英社オンライン 2023.8.8

◎日本はなぜ幸福度が低いのか? キーワードは「寛容さ」

  世界経済フォーラム  ForbesJAPAN 2022/10/20 09:30

 人生における選択の自由度の低さと他者への寛容性の低さが日本人の主観的幸福度を先進国最低のレベルとしている原因・・・だとすればその原因に大きく関わってしてしまっているのが多様な価値観を認めようとしない日本の画一的学校教育であろう。

参考動画

◎【教育】日本の教育現場、問題点山積み…

 2020/02/24 たかまつななチャンネル 4:39

 日本の学校での授業の問題点が短時間で整理されている。導入時に「授業への不満、要求アンケート」をとり、その分析を行う際に利用できるだろう。

◎【給特法】「むしろ残業を増やすかも」定額働かせ放題?教師の仕事はどこまで?

 田村淳と議論

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】  2022/08/03  15:02

◎【多忙な先生】「休むのが逆に違和感あるくらい」朝から晩まで多忙な教員の1

 日...一方で府を訴えた教員は完全勝訴「自主性の一言で片付けていいものなのか」

 2022/06/28 MBS NEWS 10:46

 教師の「やり甲斐搾取」、「定額働かせ放題」の側面についてアンケートをとっておくと良いだろう。特にどのような教師が生徒にとって理想なのか、どのような授業が良いのか、さまざまなアングルから質問してみたい。

◎【給特法】月4%上乗せで"定額働かせ放題"に…法律が残業増加の温床に?教育現

 場の働き方を考える ABEMAニュース【公式】2022/08/02  18:52

◎【ブラック教師】「残業はしてないコトに‥」教師の"定額働かされ放題"の実態と

 は|#アベプラ 2020/03/18 38:35

◎【#先生死ぬかも】現役教師「過労死でも好きで働いただけとされる」ブラックな

 教育現場の背景にある給特法とは?コロナ禍で業務量が膨大に|

 #アベプラ 2020/08/19 15:52

◎【#教師のバトン】現役教師「閉鎖的な組織」先生たちがブラック労働をTwitterに

 暴露?前川喜平元文科事務次官と考える教師の働き方改革【EXIT】|

 #アベプラ 2021/04/10 

◎【#教師バトン】悲痛の叫び…なぜブラック労働?橋下徹「チームで分業でやらな

 きゃいけない」『NewsBAR橋下 #116 』2021/04/18 6:02

○【ブラック労働】教員不足を加速させる部活の負担 外部の指導員を雇う学校も‥ひ

 ろゆき「教育に専念すべき」教師&先生の仕事って何だ?【働き方】|#アベプラ

 《アベマで放送中 2020/12/06

○【内田良が語る】『ブラック部活動』 2018/10/28

○【教育対談】苫野一徳 × 内田良『みらいの教育』を語る 2018/10/17

○教員の”ブラック勤務”問題【報道特集】 

 2022/02/20 TBS NEWS 22:23

○「先生は、読み・書き・そろばんのみを教えれば良い」たかまつななが宇野常寛に

 聞いてみた #うのなな 2019/10/11 8:53

○「学校は、世間・コミュニティを担うべきではない」たかまつななが宇野常寛に聞

 いてみた #うのなな 2019/10/14 13:06

◎【毎年5000人が〇〇】日本の教員が「世界一ブラック」な理由

 原貫太国際協力師 2021/12/03 16:43

○【教師不足】文科省が全国調査 教頭が担任代替のケースも…

 2022/01/31 日テレNEWS 1:13

参考記事

◎日本の小・中学校教員 仕事時間世界最長 学習へのAI活用は国際平均の半分程度

      OECD・国際教員指導環境調査 FNNプライムオンライン 2025.10.7

 「教員の働き改革は進んでいる」との勘違いが世間でなぜいつまでも払しょくされないのか、その理由の多くが文科省や教育委員会が公表する怪しいデータによるものであることは間違いない。表向きの勤務時間が減少しようとも、それは持ち帰り残業の増加を意味しているに過ぎず、正教員の不足が深刻化するなかで教員の実質的負担はかえって増大している…そうした現場の実態が、このようなOECDのような外国のデータでしか、明らかにされてこなかった点こそ、日本の公教育の最大の病巣であり、恥部であろう。

 そもそも学校のブラックボックス化を改善できない限り、学校のブラック化は止まりようがないのだ。

◎現役教員3人に2人が「休憩ない」 勤務実態調査     労基旬報 2025.10.2

     小学校現役教員5千人超から回答を得た調査であり、学校のブラック化を裏付けるに十分な量のデータと考えられる。ただし、休日の出勤が月に南海平均あるのか、のデータについては、小学校の場合、部活動指導が多い中学校や高校の厳しい実態とは大きく異なる点があることは留意しておくべきだろう。

     政府がこれまで力を入れてきたとされる教師の働き方改革の進み具合を、たかだか表面的な学校での勤務時間の減少だけで自画自賛しようとする文科省の欺瞞、卑劣さも、この調査である程度は明らかにされたと考えるが、いかがか。学校での勤務時間の減少の裏で持ち帰り仕事の増加があることはもはや明白だろう。

・公立高部活動 例外措置に3条件 茨城県教委 新方針巡り個別審査

 茨城新聞社 によるストーリー 2023.6.2

・教員不足、ハローワークに求人も…授業できない事態に現場悲鳴「毎日電話で頭下

 げてる」- 読売新聞 - 2022年2月1日

・尾木ママが教員不足に嘆き 採用試験の倍率は過去最低「全員合格」「質を保障でき

 ない」東スポWeb 2022/02/01 16:52

・「中学の部活動を変えれば日本の学校とスポーツの風景が変わる」改革の現場を取

 材 FNNプライムオンライン - FNNプライムオンライン – 2022.2.28

・意外と知らない教師の夏休み事情…「生徒が登校しないからヒマ」は大間違い! 日

 刊ゲンダイDIGITAL 2022/08/04 06:30

・「部活の地域移行」成功の鍵はやはりカネか 不安尽きぬ受け皿側

 毎日新聞 2022/08/05 06:00

◎あなたの先生は大丈夫?教師の過重労働 その果てに何が 

 クローズアップ現代全記録 2022年4月27日(水)

○求む!教員免許の保持者 不足深刻、埼玉県教委がセミナー開催へ

 毎日新聞 2022/11/15 14:56

 労働環境の見直しが不十分なままでは事態の改善は見込めないだろう。

○「教師にも営業時間がある」 現役教員の保護者への投稿が話題、本人が明かす発信

 の意図 ENCOUNT の意見 – 2022.11.20 19:28

○東京都、都立学校153校で「部活動指導員」募集

 リシード 2022.12.26

 教員免許状の保有を条件としている限り、部活指導員不足は解消できまい。

◎あなたのまわりにも?一見優秀だが実は主体性がない「いい子症候群」の若者たち

  現代ビジネス 飯田 一史 2022/06/03 05:00

◎今の若者たちはなぜ「絶対に失敗したくない」のか 自己責任論が生んだ「ゼロリスク

 世代」の未来像 東洋経済オンライン稲田 豊史,金間 大介 2022/10/28 08:30

 

参考文献

○「学校ってなんだ!~日本の教育はなぜ息苦しいのか~」工藤勇一・鴻上尚史 講

 談社現代新書 2021


 

⑳10年前のOECD調査

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 世界経済フォーラムが発表する国際経済競争力調査でも2001年から2006年までフィンランドは首位または二位の座を維持していた。厳しい自然と少ない人口を考慮すればたしかにフィンランドの健闘ぶりには目を見張るものがある。一方、日本の学校事情は先進国としてはお寒いばかりであった。1970年代半ば以降、日本政府は残念ながら国家予算の伸び率に比例するようには教育費を伸ばしてこなかった。その結果、国家予算やGDPを基準に見た教育費は先進国中最低の部類に属している。2014年の対GDP費ではOECD34か国中24位。しかも国家財政中に占める教育予算の割合は31か国中30位。学校教育費に占める公的負担の比率も28か国中26位である。

 

 つまり教育における私費負担の割合が非常に高い。しかも学校教育費には個人的な通信教材費や塾代、家庭教師代、予備校代は含まれていない。日本の場合、こうした学校教育費以外の教育費の支出が異常に高いと言われている。

 

 総じて日本は国や自治体が教育予算を大胆なまでにケチっており、家計に大きく依存した教育が行われているといえる。この結果、日本では家庭の経済力の格差がそのまま学歴、学校歴格差につながりやすい社会となっているともいえよう。日本が格差社会であるといわれて既に久しい。かつて「国家100年の大計」といわれ最重要視されてきた教育政策の現状が今、いかにお寒いものとなっているか、私たちはきっちりと確認すべきだろう。

 

 一学級あたりの児童生徒数は2013年、小学校で27.9人(OECDの平均値は21.2人)、中学校で32.7人(同23.3人)であり、日本より悪条件なのはOECD加盟国では韓国だけという有様である。教員一人当たりの児童生徒数もまったく同じ傾向がみられ、韓国とともに日本ではOECDの中で最も劣悪な環境のもとに初等・中等教育が行われていることになる。

 世界では少人数のクラス、小規模の学校ほど教育効果が高いというのはもはや常識となっており、WHO(世界保健機関)も生徒総数100人を上回らない学校規模を勧告している。

 

 確かに日本はかつて国民の同質性が高く、集団主義が広く社会全体に行きわたっていたため、クラスや学校規模が大きくとも児童生徒は極めて学力が高く、規律正しいといわれてきた。

 しかし地域社会の崩壊(隣近所の助け合い減少)、家庭教育力の低下(核家族化、共働き…)、格差の拡大、個人主義の蔓延と外国人の増加(=同質性の低下)などが進んできた現在、かつてのような高い教育の効率性が維持できるとは思えない。

 

 本来、10年以上前に騒がれたPISAの順位の低下が示していたのは日本社会のこうした激変とそれに対応できなくなった日本の学校教育の残念なまでに遅れた姿であったはずである。

 

※実はカッパは個人的に日本の学校教育が北欧のそれとある意味では百年余り、遅れてしまっていると

 感じている。これは決して大げさな表現ではない。

  実際、100年以上昔の日本には大正「新教育運動」が教育界の最先端の潮流としてあった。その動

 きの中では…チャイムをなくす、学習集団は固定化せず、時間割もフレクシブル、一斉講義形式を辞

 め体験学習を重視する…といった斬新な取り組みが既に一部で試験的に行われていた。そこでは児童

 生徒への内発的動機付けが試みられ、子供たちの自主性が今以上に重んじられていた。

  この100年近くの間、日本は学校教育に対して一体何をしてきたのか…厳しく問われなければなる

 まい。

 

 ところが今の日本は1000兆円を超える国家全体の負債を教育予算や福祉予算を削ることで賄おうとしている。現在、日本の各地で小中学校だけでなく、高校もまたすさまじい統廃合の危機にさらされていることを皆さんは知っているだろうか。

 

 日本では世界の趨勢である小規模の学校が望ましいとする流れに完全に逆行する動きが今、加速しているのである。急速に進んだ小中学校の統廃合によって170億円の「効率化」が進められたと財務省はむしろ学校の統廃合を手放しで絶賛している。しかしその陰で自宅から遠く不便な大規模校に通学することを余儀なくされた児童生徒が大勢いることを忘れてはならないのである。

 学校基本調査をもとに学校数の変化を表示してみる。

 

 

平成20年

平成29年

増減

小学校

22476

20095

―2381

中学校

10915

10325

―590

高等学校

5242

4907

―335

 

 少子化によっていずれは小規模学校や少人数学級の実現が苦も無く実現できるという楽観論も学校の統廃合の強行によって完全に消え去った。ただでさえ教育予算をケチってきた日本がさらに教育予算をケチり、正教諭の数を急速に減らして非正規雇用の講師を急増させ、教育条件をいっそう悪化させている。公立小中学校の教員に占める講師の割合をみると1980年には全体の2.6%に過ぎなかった講師率が2007年には8.9%に達している。3倍に増えたわけである。不安定な雇用の下で低賃金、過重労働を強いることのできる講師を増やすことは教師全体の労働環境を悪化させることでもある。

 2013年、OECDは34の国、地域の中学校に当たる学校の教員に勤務実態調査を行っている。その結果は日本の学校教育が衝撃的に劣化している深刻な状況をあからさまに示した。まず日本の教員の仕事時間は週に約54時間でOECD平均の約38時間を大幅に上回った。

 部活動や事務活動などに費やされる時間が飛びぬけて多いからである。週当たりの部活動に費やされる時間はOECD平均が2.1時間に対して日本は7.7時間、事務作業はOECD平均が2.9時間なのに対して日本は5.5時間。

 

 ところが肝心の授業に費やす時間はOECD平均が19.3時間に対して日本は17.7時間でやや平均を下回っている。

 また校外で行われる研修への日本の参加率は極めて低く、参加しない理由の8割が仕事のスケジュールを理由にしている。多忙感で教師として必要とされる知識や技能の習得がおろそかになっているという事態は日本の場合、致命的な結果を招くはずである。

 

 日本はかつての師範学校による専門的な教師養成教育が戦時中の全体主義的教育を支えてしまったとの反省からか、専門的な教師養成教育自体を否定的にとらえられる傾向を戦後強めてしまい、師範学校が廃止されるとともに教員免許は極めて容易に取得できる(この事態は教員免許の「開放性」と呼ばれるが、その実態は教員免許が専門的な教育を受けずとも取得できる安易な資格に堕してしまったことを意味するに過ぎない)ようになってしまった。

 したがって教員になりたての若者は学校教育が一体どんなものなのかをほとんど学習せずに現場で教えることになる。当然、教員になってからの研修で教師としての知識・技量不足を補っていかなければならないはず。実際、かつて日本の教師の自発的な研修は極めて盛んで、参加率も高かったはずである。

 ところが現在、その肝心の研修が不足してきているということは日本の教師が多忙の中でどんどん劣化してきていることを意味する。教師の不祥事が相次いで報道される背景にこうした事態が急速に進行していたのである。

 

 当然のことながら日本の教師の自己評価は世界の中でダントツに低い。「学級内の秩序を乱す行動を抑えられるか」という質問に対し、日本はおおむね「できている」と答えたのが52.7%でOECDの平均87.0%を大幅に下回る。「生徒に勉強ができる、と自信が持たせられる」に対し、おおむね「できている」と答えたのが日本はわずか17.6%、OECDの平均は85.8%。「勉強にあまり関心を示さない生徒に動機づけできている」に対し、おおむね「できている」は日本が21.9%でOECDの平均よりもやはり50%あまり低い。

 かつて日本の教室は世界のどこよりも秩序が保たれていると絶賛されてきた。しかしそれは遠い昔のことになりつつある。特に教師にとって最も大切なはずの授業に対する自信の欠如は、授業や学級経営といった本務をないがしろにしてはびこる部活指導や事務仕事に大きな原因が求められる。研修不足の教師は自信を欠いたまま保護者からのクレーム対応にも追われる。教師の間にうつが蔓延するのも当然である。

 2002年、精神疾患で休職した公立小中学校の教師は2700人近くだったが2009年には瞬く間に倍増しており、現在は年間5000人前後で高止まりしている。その数は当然、部活指導に追われる中学校が一番多い。

 

 2013年のOECD調査で「もう一度仕事を選べるとしたら教員になりたい」と回答した日本の教師の割合は下から二番目という実に痛ましい状況も、日本の教師が直面しているこれらの問題点を知れば十分納得できる結果なのである。

 

 自信に欠けたまま学校教育への理解も進まず、技能を向上させるチャンスを奪われ、ひたすら雑務に追われる日々。若い教師はただ自分の所属する学校現場しか知らず、酷い視野狭窄に陥っている。海外まで視野を広げれば日本の学校の異常さや自分の多忙さの背景を知ることができるのに、そうした自己研修の機会も奪われている。

 

 若者が理想に燃えて保守的なベテラン教師を批判するという風景は完全に過去のものとなってしまった。今や若手はストレスをためこんだまま、眼前の職務を果たすことで一杯になっている。現状を批判し、変えようとする意欲を持つ若手は極めて希少。むしろベテランよりも保守的であるのが今の若手教員の実態といえよう。これでは現場からの変革は絶望的である。

 

 自殺する教員、精神を病んで休職に追い込まれる教員の数は2000年に入って急速に増えた。サービス残業を強いる部活動の盛んな中学校や高校の顧問は過労死の危機にさらされ、ストレスをため込んで暴発し、体罰事件などを引き起こしたり、離婚や過労死、家庭崩壊の危険にまでさらされている。そして批判の矛先は常に教師個人の資質に向けられている。ひたすら予算を減らし、教育現場を荒廃させて多忙に追い込んでいる張本人に責任を求める声は小さい。日本の学校はもはや世界でも最悪レベルのブラック企業に近づいているのである。

 

 こうして日本では予算の後ろ盾もない中で多人数の学級という悪条件が放置されたまま、無謀にも「自ら学び、考える力」を養成するための手厚い教育が学校・教師に求められてきた。ごく一部の恵まれた家庭の子供たちは「お受験」を経て私学での充実した教育を受けられ、優良企業への就職まで可能となってくる反面、過半数の他の児童生徒は「安かろう 悪かろう」の公教育を受け続けることになる。

 そして進路の結果がたとえ無残なものになったとしても、責任を負うのは生徒や家族であり、国ではないとするのがまさに「自己責任」の国、日本の学校事情なのだと思われる。

 

 技術の高度化が進み、技術革新の担い手は一握りのエリートで十分な時代となってきており、企業の多くが正社員を大幅に減らして使い勝手のよい安価な非正規採用でコスト削減と人手不足の解消を図っている。多数の国民が今後、十分な教育を受けられずに学力を低下させたとしても、国家としては一定数のエリート層が健在ならばさほどの国家的損失は生じないと高をくくっているのだろうか。

 もしもそうだとしたら…諸君の将来も、この国の将来も相当危ういだろう。

 

 確かに日本の自殺者数は統計上(警察と厚生労働省がそれぞれ統計を出している)はかつての年間3万人台からここ数年で2万人台にまで減少してきている。これは景気回復に伴い、特に中高年の自殺者数が減少してきたからである。

 しかし実は15~24歳の若者の自殺者数はこの間も増え続け、ついに世界一位になっていることはあまり知られていない。今や日本の若者の死因の一位は自殺なのである。若者の自殺は将来を悲観してのものが多いと考えられる。

 

 つまり若者にとって今の日本は「出口無き絶望社会」となっているようである。若者に将来への夢や希望を持たすことに失敗した社会になっている日本という国と、若者を相手とする日本の学校の疲弊ぶりとはまったく無関係とは言えまい。

 もういい加減なんとかしないといけないのである。

 

 ではどうしたらよいのか?日本の若者の危機を救う手立てはあるのか?他の国を参考にして考えてみよう。ここ数年、国連が3月に世界幸福度ランキングを発表している。2017年3月20日に発表された最新のランキングトップ10を見てみよう。1位ノルウェー、2位デンマーク、3位アイスランド、4位スイス、5位フィンランド、6位オランダ、7位カナダ、8位ニュージーランド、9位オーストラリア、10位スウェーデンの順である。北欧を中心に白人系の常連国が並んでいる。日本はというと51位。やはり教育と福祉が充実している国々が上位にきている。日本が目指すべき方向は教育・福祉の充実であることは明白である。

 

 しかしどうみてもこの目標達成には時間がかかる。今、現在を苦しむ日本の若者を救出するには別の観点も必要である。教育と福祉の充実は中長期的目標として取り組むにしても、短期的目標は別途に掲げておく必要があるだろう。そもそも国連の幸福度調査の観点は一人当たりのGDP、社会的支援、健康な平均寿命、人生の選択をする自由、性の平等性、社会の腐敗度などであり、どうみても先進国に有利な観点に偏っている。私たちは別の観点から幸福を捉えなおす必要もあるのだ。

 

 先進国からは貧しくて自由度も低く、客観的には幸福に見えなくとも、主観的に国民が幸福感を強く感じている国々がある。フィジーやコロンビアである。幸福はやはり主観的な要素が大きい。どんなに豊かで健康であっても本人が幸福を感じられていないならば意味がない。そこで最後にフィジーの人々の幸福感を支えている考え方を紹介しよう。

 

 フィジーは330ほどの島々からなる南洋の楽園。四国ほどの総面積に85万人が住む。平均寿命は世界119位、一人当たりのGDPは102位、民主主義指数は119位、報道の自由度は107位となっており、先進国の価値観からすれば幸福度は中の下。しかしフィジーの人々の満足度、幸福感はダントツの世界1位。物質的には恵まれなくともハッピーになれる秘訣はフィジーの人々の独特の価値観に潜んでいる。絶望的な日本の若者でもフィジーの価値観の中になら光を見いだせるかもしれない。

 

 フィジーの人々の独特の価値観はまず物事を共有し、シェアする精神が豊かである点。彼らには私有の概念が極めて薄く、お金も土地も家族までも共有する。豊かな人が困っている人に金品を贈るのは常識である。また過去を振り返らず、未来を案じない。くよくよしないのだ。そのかわり今、この瞬間への注力度が極めて高い。

 悪く言えば刹那的、享楽的。必然的に貯金はしないし、肥満も気にしない。細かいことは気にせず、実におおざっぱ。レストランや役場でも間違いだらけ。仕事はスローで効率は悪いがその分ストレスフリー。しかし人間関係をつくるスピードは光速で、瞬く間に友人となれるフレンドリーな国民性…

 

 日本人の生真面目さ、律義さが悪いのではない。ただ少しだけ肩の力を抜いてみるべきなのかもしれない。般若心経が説くように物事は容易には変わらなくとも、それを受け止める私たちの主観が変わることで案外、楽になれるのかもしれない。

 まずは自分の心を少しだけでもリラックスさせることから始めよう。

 

 

 以上はカッパが10年ほど前に作成した授業プリントの一部。

 

 この時からも既に10年経った…一体、日本は自分たちの学校教育に何をしてしまっていたのだろう。どんなことをやらかしてしまったのだろう。

参考動画

◎先生がいなくなる 日テレNEWS NNN 2024.10.30 5:35

    授業で視聴させるなら、時間的に見てもこの動画が一番だと思う。10年以上前のOECDの調査から何一つ、改善されてこなかった学校現場の実情。「働き方改革」の掛け声だけが虚しく響く教員の世界で、今、学校教育は着実に崩壊してきている。文科省を含めて政府はそのことのリアルな認識を完全に欠いており、ただひたすら教員の仕事を増やし続けている。

 生徒たちにはなぜこのような事が続いてしまっているのか、その原因と対策について考えさせたい。

参考記事

〇「教師を殺す気か」現役教員が語る"沈みゆく教育現場"、給特法改正は「評価でき

    ない」 弁護士ドットコムニュース 2025.6.12

 西村氏が指摘するように給特法改正は学校のブラック化とブラックボックス化の歯止めにはつながらないだろう。学校行事の削減や校務のDX化が一気に進み、高校も含む部活動の地域移行が完全実施されない限り、教員の負担軽減は実現できない。確かに教員の給与引き上げも必要だが、他の公務員とのバランスを考えれば引き上げには限度がある。何より重要なのは教員の負担軽減および教育行政、とりわけ教員人事の透明化、民主主義化なのだ。

 文科省、教育委員会、管理職が教員の仕事をひたすら増やし続けてきた過去への痛切な反省が行われない限り、西村氏の予想は的中するに違いない。また教師の職務を徹底的に授業中心としていくには大学での教員養成教育の見直しも不可欠である。無謀な「全人教育」を目標として教師の職務を無限定に膨張させてきた過去をしっかりと反省し、教師の職務を授業中心に限定していく作業が今、痛切に求められている。

〇業務減で長時間労働改善を 教員不足解消へ大学教授ら訴え   共同通信 2025.1.8

   妹尾氏だけでなく内田良氏、現役高校教師の西村氏らが再三にわたり、業務削減を訴えてきたにもかかわらず、文科省やマスコミの反応は相変わらず冷淡なまま。一体、いつになったら現場の悲鳴は教育行政側に届くのだろう。中学校での部活動の地域移行が多少、進展したとしても、その波はほとんど高校にまで及んでいない。小学校もまたほとんど業務量の削減は進められていない。

   給与を多少、引き上げたところで業務量が減らなければ教師たちは心身を病むばかりになる。業務量を減らさないまま、上辺だけ残業時間を減らしたとしても「お持ち帰り残業」が増えるだけである。そのしわ寄せは、高齢者介護医療の負担増とともに次世代を担う若い世代に集中するだろう。

   こうして政府が何事も先送りしてゴマカシながらズルズルと日々を無駄にしている間に、日本は大地震、大噴火に襲われる日がきっと来てしまうのだろう。

◎今こそ金八先生が必要?部活は教師が指導すべき?大空幸星氏「授業外での教師と

   の人間関係に救われてた子供はいる」

   ABEMA TIMES (Microsoft)  2024.12.28

   部活動を巡る老害発言の典型、まさに昭和の「ふてほど」発言がどんなものなのかを分かりやすく確認できる点できわめて役立つ記事。授業での利用価値は高い。武内彰氏は「部活は全人教育に必要」としているが、この「全人教育」の発想こそが学校のブラック化を招いた最悪の張本人である。そもそもただの教師に「全人教育」を担わせることの罪深さをまったく気付いていないらしいところに武内氏の老害としての痛々しさを感じてしまうのだ。

   児童生徒にとって部活動の意義は極めて大きい。これはあらためて指摘されるまでもなく、分かり切ったことだ。スポーツ、音楽、美術、演劇、書道などが児童生徒たちにとってまったく無意味だ、と否定する人はまずいない。しかしそれをほぼ全面的に学校教師が担おうとする事は完全に時代錯誤。それが可能と思うことほど傲岸不遜なことはあるまい。再三、繰り返してきたが、教師はスーパーマンではないのだ。

 私は体育や芸術科の教師でもないのに、剣道(3回)、バスケットボール(2回)、ハンドボール(1回))、ソフトテニス(1回)、ソフトボール(4回)、軽音楽(1回)などの顧問を任されてきた。太字の部活はメインの顧問を任されたことのある部活である。もちろんサブの顧問ではあっても大会や練習試合の引率は引き受けてきた。なお肩書だけの顧問としては書道部や美術部などもやってきた。同時に二つの部活を任された時さえある。一体、どこの誰がそれらすべてを児童生徒や保護者に満足のいくレベルでこなせる力をもっているのだろうか。

 このような酷い校内人事が横行している現状があることを教師生活の長い武内氏が知らないはずはないだろう。にもかかわらず、学校の部活動には教育的意義があるのだから存続させるべきだというのは、「自分は頑張ってきた、だからお前たちも頑張るべきだ」という老害教師による、あまりにも痛すぎる自慢話、すなわち若い教師たちへのマウンティングに過ぎまい。しかも、おそらく彼が部活動を頑張ってこられたのはもっぱらバトミントン部ばかりの顧問生活という幸運に恵まれた事に加えて、察するに、夫および父親の長期の不在に人知れず(?)耐えてきた家族の大きな犠牲があったからこそ…なのではあるまいか。

 大空幸星氏の「授業外での教師との人間関係に救われてた子供はいる」との指摘も耳にタコができるほど聞き飽きたセリフ。当たり前すぎて「だから何?」と言い返したくなる。この発言の最大の問題点は「授業外」での役割を重視するあまり、授業自体を軽視しかねない点であろう。もちろん大空氏は決して「授業を軽視しろ」などとは言っていないのだが、日本の教師の多くが部活動や様々な校務によって不本意ながら結果的には授業を軽視してきた(「10年前のOECDによる調査」参照)これまでの経過がある。

 生成AIの活用など、日々刻々、教える内容と技術のアップデートが絶え間なく必要とされてくるこれからの教師たちにとって、授業準備時間の確保は教職に留まろうとする限り、深刻な死活問題となってくるはずである。自身の授業のレベルの低さを部活動の熱心さで補う、などということが決して許される時代ではないことに多くの教師たちは気付き始めている。

 極論すれば、既に教師たちには部活動などに割く時間がほとんど残されていないと考えるべきなのだ。そんな中で、転職してまで部活動に拘るのか、それとも学校に踏みとどまって授業を磨いていくのか、の二者択一を実情として今の教師たちは迫られている…そしてこの問題は非常に切迫してきており、教師たちを心身ともに追い詰めている…だからこその教師たちの休職者、中途退職者の増加であり、若者の教職離れなのではあるまいか。

 そうした、教師たちの切羽詰まった状況にあって、大空氏のような、どっちつかずの曖昧で、あまりにも無難、表面的過ぎる国会答弁そのものの発言を敢えて記事にして紹介する、さらには「今こそ金八先生が必要?」などと一応疑問符は付いているものの、教師たちをひたすら不快にさせる煽り方をしてくるマスコミの鈍感さも、もはや我慢の限界を超えて噴飯物。やはり教師を愚弄しているとしか捉えようがあるまい。この記事、まさに報道する者としての責任感や誠実さをそっくり失っており、もはやどうにかしているマスゴミレベル…だと思うのだが、いかがだろう。

〇定数改善や授業こま数減を 長時間労働で日教組   共同通信 2024.12.11

   日教組の影響力の低下がなぜ起きているのかをまざまざと見せつけられる記事であろう。教員の定数改善や授業のこま数の削減では長時間労働の改善に結びつくわけがあるまい。学校行事やクラブ活動の削減、学校カウンセラーの増員、事務仕事のDX化による負担軽減をまずは急ぐべきである。

 教員定数の改善や授業コマ数減を先に進めてしまうと、給与引き上げ等の対応も加わることで教員の業務自体はかえって増やされる危険性まで出てきてしまう。英語や情報の授業などが追加され、小・中学校教師の負担はこれまで増える一方であった。わずかな定数改善やコマ数減ではたして教師の負担がどれほど軽減するだろうか、極めて疑問である。

 授業負担の軽重は週当たりのコマ数だけでは判断できない。教師一人が担当する教科・科目数と単位数、及び担当学年数との兼ね合いがより重要なのだ。たとえ一週間の授業数が減ったとしても、担当する教科・科目数、学年数が多ければ負担はむしろ重くなる。ただし授業負担の軽減が教科数や科目数、あるいは担当学年数を減らすことで実現できる可能性があるとしても、その実現は現状ではかなり難しい。

 組合として最初に強く要求すべきは学校行事の精選と簡素化、クラブ活動の廃止、学校カウンセラーの増員と各学校への常置化であると考えるがいかがか。

〇学校教員の給与増額、首相に提言 条件なしで、自民党特命委

   共同通信 2024.12.10

    政治家の多くがいかに学校の現状を把握していないか、この提言だけでも明らかである。教師の給与増額で教師のなり手が増えるという、恐ろしいほどの的外れな見通しを立てているようだが、勉強不足も甚だしい。教員採用試験の前倒しと同様、これでは教員不足の解消にはつながらない。また、たとえ教員定数を少しばかり増員したとしても、それだけでは効果が上がるとも思えない。

 教員不足をもたらしているのは常人の能力をはるかに上回るレベルにまで達してしまった教師の過重負担であり、それに加担してきた教育行政への無責任さに対する猛烈な反発が学校現場に充満してきていることに求められる。たとえ熱心な教職志望の学生であったとしても、わずかな教育実習期間ですら体験する仕事の過酷さを感じて教職を諦めるケースが後を絶たないのだ。

 問題なのは膨大な仕事の量だけではない。見過ごされがちな質の問題も極めて大きい。教職は言うまでも無く、人間相手の仕事である。質を落とすことは出来るだけ避けたいのが「サービス過剰」気味を良しとする「おもてなし」日本の精神的風土であり、教師もまた質の低下を恐れている。

 しかし、不登校や引きこもり、イジメ、学習指導に進路指導、部活指導、保護者対応、学校行事、それらすべてに高度な専門性を求められても常人には無理。教師はスーパーマンではない。自分の能力を遥かに上回る質と量の仕事を抱えて心身共に疲弊し、病んでいく。質を落としたくない真面目な教師ほど真っ先に病んでいく憂鬱さが学校から無くならない限り、教職を目指す若者は減り続けるしかあるまい。そしてわずかばかり給与が上がり、教員定数が増やされても、この問題は一切、改善しないだろう。理由は簡単である。

 心身の健康を害することと引き換えにわずかばかり増額した給与をもらいたいと一体、どこの誰が思うのであろうか。ブラックなままの学校現場に高潔な使命感だけで就職した若者が辿る人生は決してバラ色ではあるまい。真面目な若者ほどひどい目に遭うのが落ちである。もちろん、教員定数を増やそうとも、人気の無い高校が定員割れを毎年の恒例行事のように繰り返してしまうように、人気の低落した教職を希望する若者は減り続け、教員定数の増員は多くの場合、ただ単に教員の定員割れの規模を大きくするだけである。つまりこの提言では人手不足による学校ブラック化の進展を押しとどめることは一切できない。

 教師にスーパーマンであることを期待するような日本の学校教育のあり方そのものを根本から変える必要があるのだ。端的に言えば学校でのすべての部活動を禁止し、社会教育機関や民間に完全移行させる。さらに学校行事の多くも大幅な削減を実行すべきである。事務仕事の合理化もより一層大胆に進めるべきだろう。

 他方で増やすべきなのは教員定数ではなく、学校カウンセラーやケースワーカー、スクールロイヤーといった専門職の方である。給与や定数を含めた待遇改善はむしろそうした専門職を最優先すべきなのだ。教師の双肩に背負わされた重荷を分相応のレベルまで軽くする上で、教師以外の専門職が学校で果たす役割は極めて大きい。

 自民党の特命委員会の顔ぶれをじっくりと見てみたいものである。

〇教職員84%「勤務開始前の日常的な業務がある」実態調査

   リシード 2024.12.4

   個人的には初任の時から早朝の出校は日常的なルーティーンと化していたので、特に意識せずに多くの日々は早朝出勤を続けて来た。最初の20年間では朝7時を超えると酷く道路が混雑する勤務校だったので、敢えて6時30分頃に自宅を出て7時頃に学校へ到着する日課を続けてきた。結果的には技能員の方よりも早く学校に来てしまい、校門がまだ閉まっていて私が校門や昇降口を開けることもままあった

 学校にまだ誰もいない時間帯はもっぱら提出物の点検や授業の準備、教室の清掃などにあててきた。もちろん時折、朝補習や登校指導にも加わっていたが、普段から7時20分前には出勤していたので、特にそのために早起きすることはほとんど無かったと記憶している。ただし遠足や修学旅行、文化祭、部活動の大会、練習試合などでは普段よりもさらに早く自宅を出なければならないことがある。大会の会場校を任された時などは天候とグランドのぬかるみとが気になってしまい、朝6時には学校に来ていたこともあった。併せて10回、引率した修学旅行では三泊四日や二泊三日の行程で合計の睡眠時間が10時間を超えたことは一度も無かった。こうしたことはおそらく普通の企業ではほとんど考えられないような、極めて歪な勤務形態だろう。

 しかも学校を出る時間は早くとも午後7時であった。勤務先によってはほぼ毎日、午後8時を過ぎないと帰宅できない時もザラにあった。午後5時以降の多くの時間はもっぱら部活指導にさかれていたが、進学補習、就職指導や提出物の点検、授業プリントの作成にもあてられていた。

 早出の時間帯も残業の時間帯に含めれば一日平均の残業時間はだいたい4時間前後だったように記憶している。当初は週6日間勤務だったので一週間では平日(月~土)が合わせて20数時間の残業、それに日曜の部活指導などが加わる。日曜の場合、普段は4時間程度の出勤時間となるが、かなりの割合で練習試合や大会が入り、その時には一日勤務となってしまう。試合が遠くの学校や会場の場合、自宅を朝6時過ぎに出ることもあり、かつ帰宅時間が午後8時になることもあって、平日の勤務よりも祝祭日の方が「校務」に費やされる時間が多くなったりした。当然、試合の方が練習よりも疲労度が大きい(監督・コーチに加えて審判も任される)ので翌日の月曜日から体と頭が重く、週の始まりから気持ちがドンヨリとしていることは決して少なくなかった。

 通常、一か月間の残業時間は合計で大体100時間以上はあったかと思う。これに加えて組合員だったので分会長や支部長になると動員がかかり、わずかな休日でも出かけざるを得ない事がある。さらに結婚後は家族サービスとして少なくとも月に一回程度、家族を連れて外出するのだから時間的な余裕などどこにも見いだせずにひたすら時ばかりが慌ただしく過ぎていく。特に体力的に衰えてきた40代後半以降、授業の準備にもっともっと時間と労力をかけたい、という焦りに似た絶望的な気持ちに苛まれる辛い日々がとうとう退職の日まで続いてしまった。

 以上は決して私だけの特殊な事例ではなく、多くの教師が似たような経験をしてきたことであろう。文科省はこうしたブラックな働き方をしっかりと直視し、「やりがい」という言葉で美化したり、給与の引き上げでゴマカスのではなく、教師の業務量の大幅な削減を最優先して全力で取り組むべきだと思うが、いかがか。

◎大学院卒なのに…「国立大教員の求人募集」で示された年収が驚きの低さだった

   ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.1

   国立大学の法人化から20年、その弊害が日本の研究力の低下と大学院進学者数の減少となって表面化しているという。日本の場合、大学院進学がかえって経済的なデメリットとして機能してしまうのだから、当然の結末ではある。若手研究者への待遇悪化はもっぱら人材力に頼ってきた日本経済をさらに悪化させるだろう。何せ、教育予算をずば抜けてケチり続けてきた日本である。当然の報いというほかあるまい。

   これは高等教育だけの問題ではない。高校以下、すべての学校が抱える共通の問題である。講師の増加と正規教員の不足はすべての学校種で生じている。人材育成をケチってきた政策はいよいよ少子高齢化の極致に向かう日本をどん底の奈落に突き落としていくだろう。このことは何十年も前から指摘されてきたはずなのに、なぜ、ひたすら経済力を低下させる政策をわざわざ取り続けてきたのか、文科省はなぜこの動きを阻止できなかったのか、見直すべき点は余りにも多い。

 優秀な日本の若者はいち早く日本に見切りをつけて、いよいよ海外に飛び出していくだろう。中高年も同じように海外での再就職を目指すだろう。そして賃金が低く、外国人の受け入れに後ろ向きな日本には、観光目的以外に外国人が来てくれる可能性は極めて低くなるだろう。日本における良質な労働力の、致命的レベルでの不足が生じてしまうのは最早、時間の問題なのだと思うが、いかがか。

 かつて「国家百年の大計」と言われて重視されてきた日本の学校教育はいまや瀕死の状態にある。目先の損得ばかりを優先し、教育を散々冷遇してきた日本の今後に果たして明るい兆しはあるのだろうか。

 規律正しく、親切でサービス満点かつ安価な接客、独自のエキゾチックな伝統文化と世界最高レベルの料理、最高に安心・安全で清潔な社会、世界に冠たる日本の漫画・アニメ、伝統と共存する近未来的な東京の都市景観、時刻表通りに縦横に走る公共交通機関・・・少なくとも観光資源においては様々な観点においても断然、世界トップクラスを誇り、年々、日本を訪れる観光客は増えている。確かに現時点での日本は表向き、最も魅力に満ちた国ではある。

 ただし、それはあくまでも観光客の視点に限られることは認識しておきたい。今やネトウヨのごとく、もろ手を挙げて「日本万歳」を唱えている状況ではないと思うのだか、いかがだろう。

 もうしばらくすれば海外に雄飛できなかった日本の若者の多くが「無敵化」し、闇バイトは一層はびこる。となればかつて日本が誇ってきた安心安全神話がたちまち崩れ出すだろう。これまでは時刻通りに運航出来ていた公共交通機関なども、優秀な人材不足等により遅延し始める。故障や事故も増えてくるだろう。橋や道路、ダム、高層ビル、港湾施設なども一部は老朽化し、深刻な人口減少に直面する地方では廃墟が目立ってくるはずだ。研究力の後退によって日本企業の多くは競争力を失い、少子高齢化が進む中で国家財政はいよいよ危機に瀕する。そして防衛費は倍増すれども教育予算は相対的に目減りしていく一方となる。これからの日本はこうした悪循環の中でひたすら落ちていく運命にあるのではないか。

〇教職調整額について教員259名に調査「引き上げで教員志望者は増えない」が 

 96%、給与増より業務改善を求める

 こどもとIT 正田拓也 によるストーリー 2024.11.27

 これでは調査対象の人数が少なすぎてあまり参考にならない。財務省案に反対の立場をとるならば、このような調査をもう少し大規模にして文科省主体で行うべきだろう。せめて千人単位の調査人数でないと説得力に欠ける。ただし教師たちの意向をこれまで徹底的に黙殺してきた文科省がこのような調査を行うはずがあるまい。

 まもとなデータ集めをサボり続け、相も変わらずふんわりとした要求しかできない、不甲斐ないお役所に教師たちの命が預けられていることの悲しさ…

〇忙しい職場ほど「考えない人」が増える驚きの理由 本人と組織の「ラクしたい」が生ん

   だ悲惨な結果 東洋経済オンライン 深沢 真太郎 2024.11.27

   この記事を敷衍すれば、教師が忙しい学校ほど、考えない教師が増えてしまうと考えて良いだろう。実感としてこれは相当程度正しいと思うが、いかがか。「思考」ではなく、もっぱら何かあった時の、管理職や教育委員会、文科省が責任逃れに利用するアリバイ作りに過ぎないような事務的「作業」と部活動、学校行事などの雑務に忙殺されている。これらこそが今の教師たちを疲弊させている元凶なのだ。

 もちろん教師たちの中には学校教育への専門的な知識や理解が足りないため、学校において本来、教師は何を重視すべきかをしっかりと考えることが出来ない、残念な人物だって少なからずいるに違いない。そうした教師ほど、他の教師たちへ平気で無意味な作業を増やしてそれを手柄に管理職に就こうとする妙な傾向が、これまでの管理職をみていると時々感じられないわけではなかった。おそらく文科省の官僚や教育委員会にもそうした小役人体質の人物が少なからずいるに違いない。

 教員採用試験で問われてきたのは明らかに学校教育に関する些末な「知識」が中心であり、批判的、創造的「思考力」ではなかった。淡々と正確に、表向き規則通りに、最低限の事務的処理ができれば教師として合格、と言わんばかりの教員採用試験だったのだ。「知らしめず、依らしむべし」は教員採用においても千葉県の不動の方針であったと思うが、いかがだろう。

 かつて面接試験などで学校教育の現状を批判的に捉えるような思考力を不用意にも表に出してしまおうものなら、ブラックリストに名前が載ってしまい、ほぼ永遠に正規の教師として採用されないことは千葉県の場合、明らかであった。そんな採用試験を合格してしまった公立学校教師に、そもそもまともな思考力など期待する方が間違っているだろう。

 いずれにせよ、教師たちの仕事を増やすことばかりが官僚や管理職の手柄とされている限り、学校でのブルシットジョブは増える一方であり、その中で教師たちは自ら考える気力、能力を失っていく。教師たちの思考力を回復すべく、学校の仕事を大胆に削減する方向での政策立案が文科省官僚たちの手柄とされる時代は一体、いつ来るのであろうか。

〇モンペ対応、無制限残業...教員の「ブラック労働」の改善は、日本全体の「生産性

   向上」の試金石に ニューズウィーク日本版 加谷珪一 2024.11.21

 見当はずれな対策ばかりひねり出す文科省と比べ、極めて常識的な意見である。学

校の業務削減こそ、最優先させるべきだろう。

○他の教員も「過労死ライン」超え 訴訟で明らかになった残業の実態

 毎日新聞 によるストーリー 2024.4.7

○教員多忙化「支援体制を」 OECD局長インタビュー

 共同通信 によるストーリー 2024.4.3

 教員の多忙化に対する取り組みの不十分さが現今の教員不足、不登校やイジメ事件

の増加を招いているとの認識はOECDでも共有されているのだが…

◎不登校のキミはどう生きるか? 鴻上尚史が解く「不登校」の背景 学校・教師が抱え

 る問題とスマホの悪影響 コクリコ編集部 の意見 2024.10.31

 日本が教育予算をケチってきたがために様々な問題が生じてきているのは間違いあるまい。なぜ手遅れとなるまで学校教師を放置してきたのか、政治責任が厳しく問われるだろう。

 鴻上氏が参考にしたユネスコのデータを下に紹介してみる。

 

・公的教育費の対GDP比率 国際比較

 単位 : %  出典:UNESCO  データ更新日:2024年9月20日

 ・世界の公的教育支出・教育費の対GDP比率 国際比較統計・ランキング。

 ・各国の公的教育費に対するGDP比率と国別順位を掲載。

 ・単位は%。

 ・公的教育支出は公的機関における教育上の全ての支出を含む。

 ・公的機関は中央政府・地方政府・地方自治体・市町村及び他の公的教育関係機関

  を含む。

 ・ランキング表示では当年のデータが無い場合、過去のデータで補完表示。

 

 以下、トップ10に加えて日本の順位の周辺にある国も併せて列挙してみた。このデータがどこまで信用できるのかについてはトップ10の国名を見ると、特に途上国のデータはかなり信頼性が欠けるように感じられる。したがって本来ならば比較的データが信頼できる先進国間での順位を重んじたいが、途上国込みのデータ自体の衝撃度はかなり大きいので、今回は途上国こみの順位の方を紹介する。

 なお日本の順位は男女平等度の国際比較での順位と極めて近く、子どもや若者、および女性を尊重しようとしない歴代内閣の政策がものの見事に反映されているように思えるが、いかがか。

 

     トップ10

1 キリバス       14.20       

2 ツバル        12.85       

3 バヌアツ       10.64       

4 ミクロネシア連邦   10.54       

5 キューバ        9.39       

6 ナミビア        9.04       

7 ソロモン諸島      8.29       

8 ボツワナ        8.06       

9 ナウル         7.81       

10モントセラ       7.61      

 

   日本の順位と周辺の国々

119      フィリピン           3.62  

120      アゼルバイジャン   3.58  

121      ザンビア              3.58  

122      アンギラ              3.55  

123      パラオ               3.44  

124      サンマリノ           3.43  

125      コートジボワール   3.43  

126      パラグアイ      3.41  

127      ベナン        3.38  

128      パナマ        3.37  

129      ルーマニア           3.32  

130      タンザニア      3.26  

131      セルビア              3.24  

132      日本         3.24  

133      カタール              3.23  

134      グアテマラ           3.18  

135      エルサルバドル    3.17  

136      ヨルダン              3.16  

137      マダガスカル       3.14

〇前年比1.4倍に大幅増の「いじめ重大事態」 調査する校長にも大きな心身への負担

   「今でも涙が出る…」 医療機関にも通院 弁護士を自費で雇おうともしたが…

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー  2024.11.1

    日本の教育予算の少なさは先進国内でも突出している。このことがイジメ問題の解

決を極めて困難にしている事は明らかだろう。「子供中心社会」という口先だけのスローガンでは一時しのぎのゴマカシに過ぎない。

◎じつは「日本の15歳」は世界でもトップクラスに「数学ができる」のに、なぜか

   「数学に自信がない」…最新のPISAの結果から見えてきた意外な実態

   現代ビジネス 飯田 一史 の意見 2024.4.30

   PISAの結果だけで日本の学校教育を評価するとこんな暴論が出てしまう点に総

じて日本の学校教育に対する理解の低さが現れてしまっているように感じるのだが,

いかがだろう。一向に減らない不登校やイジメ、教職志望者の減少、児童生徒の自己肯定感や幸福度の低さ…どれをとっても日本の学校教育の行き詰まりは明白。

 そもそも通り一遍のPISAの調査で判明するのは学校教育のごく限られた一面でしかない。この結果に一喜一憂する方が間違っているのだ。加えて日本は伝統的に数学を得意としてきた。さかのぼれば高度経済成長期から政財界の圧力を受けて理数系の教育が重視されてきたのだから、今回の数学の高得点など決して不思議ではあるまい。ましてこの結果が日本の教育行政の素晴らしさを証明する材料になるとは到底思えない。

 解答の正誤が明確な数学の場合は日本の学校教育が持つ画一的で管理主義的な体制がプラスに働く側面もあるだろう。しかし日本の学校に根強く残るこの体制は社会科のように必ずしも答えが一つに限定されず、どれが正解なのかを決めつけること自体難しい内容を扱う教科ではマイナスに働く側面が少なくあるまい。だからこそ管理主義的な日本の社会科授業ではあたかも数学のように正解を一つに絞る暗記中心の学習を主体としがちになるのだ。

 もちろん人材の選別配分の基準としての公平性、客観性を担保する上でどうしても一問一答式の設問が多くなるという、試験の宿命的な性質が社会科にも及んでいる側面が大きいのは否定できないのだが…

 「…産業界を中心になんでもかんでも教育のせいにする風潮があるし、保護者も学校現場も大学の先生もメディアもみんな口を開けば文科省批判をしがちだが、もう少し客観的に実態を把握した上で日本の初等・中等教育に対して提言したほうが、生産的な話になるだろう。」とのご託宣、実に軽薄な意見であり、飯田氏は文科省の回し者なのではないかと疑わざるを得ない。「もう少し客観的に実態を把握した上で日本の初等・中等教育に対して提言したほうが、生産的な話になるだろう。」という言葉はまさにブーメランとなって飯田氏を直撃するだろう。

◎全国で相次ぐ学校の外壁や天井の一部落下…子どもの重大事故は時間の問題!「改

     修経費高騰で公立学校が建て替えられない」が招く危機

     現代ビジネス 南島 和久(龍谷大学政策学部教授) 2026.7.13

     いよいよ日本の学校教育が崩壊の道へ向かって着実に歩みを進め始めた。猛暑が続く中で冷房完備には程遠く、学校によっては校庭内に無数のクギが放置され、校舎の破損や火災発生の現場ともなり、旅行や遠征中の死亡事故を引き起こす…もはや学校は防災の拠点となるどころか、学校自体が各種災害の発生拠点となりつつある。被災民の避難場所になるどころか、災害を招き被災民を生み出す災害発生現場そのものと化しつつあるのだ。

     ひたすら教育予算をケチり続けた政府の怠慢は児童生徒の安全を脅かすだけにとどまらず、学校を周囲の住民をも脅かす存在にまで堕落させつつある…この現状に対して、文科省は恥を知るべきである。

§8.カッパの授業プリント例

4.ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ

 

参考動画

 SANKOのCM:静岡を中心にするローカル企業(三幸コーポレーション株式会社)だが、秀逸なcmを展開。ブラックな企業、職場を揶揄して転職を勧める総合人材サービスの企業で「イチニサンコー」(=1235の電話番号)をキャッチフレーズとする。どうい職場が「ブラック」なのが、具体的事例を面白おかしく挙げており、ぜひ授業で視聴させたい。傑作ぞろいだがいくつか絞り込んで紹介したい。

 SANKOの逆の立場からcmを展開したのがスタッフサービス (1997~ 人材派遣会社)のCM。「オー人事オー人事」(=0120 022 022)のキャッチフレーズで知られた。

 スタッフサービス及びSANKOのCMとを対比させてそれぞれにアンケートをとり、どういう職場が望ましいのか、ブラックな職場にどう対応したらよいのか、企業側と社員側双方の視点に立って自分なりの現実的な「落としどころ」をじっくりと考えさせたい。

 

 今回、ご紹介するプリントは10年ほど前に作成したものなのでデータ的に古くなっている点は否めません。直近のデータに置き換えるべき点、新たに付け加えるべき点など、多々、あると思われるのでこのままでは授業に使うことはできませんので悪しからず。あくまで資料作成の骨組みの一例としてご参照ください。

 

ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ

(  )組(  )番(         )

 日本の企業社会では既にふれたように日本的雇用慣行が一部崩れてきて、代わりにアメリカ型の過酷な成果主義が導入されてきた。しかしもう一つ、見逃せない重大な変化が今、日本の若者たちに襲いかかってきている。それは一言でいえば「貧困化」である。今、急速に進みつつある若者たちの貧困化は今野氏の指摘によれば大きく二つの側面から見ていくことができるようである(今野晴貴「ブラック企業」文春新書2013と「生活保護」ちくま新書2013)。

 まずかつて「氷河時代」とよばれた若者の就職状況の慢性的な悪化である。産業の空洞化が進展することによって多くの製造業の生産拠点は今後も海外に移転していく。京葉工業地域でも特に鉄鋼関連や石油化学コンビナート関連の業界から地元の高校に送られてくる求人票が激減してきた。これにより高卒男子の就職先が極めて狭い分野に偏ることになってしまった。また高卒女子の大量受け入れ先であった百貨店、スーパーの類はかなり以前から正規雇用の求人が激減し、金融関連に至っては高卒の求人は現在皆無といってよい。高卒女子の就職はとりわけ難しい状況となっている。たしかに「アベノミクス」の成果からであろうが、最近、少しだけ高卒者の就職状況は改善してきているのも事実であるが、だからといって長期的にみれば楽観はできない。しかも大学を卒業したからと言って正規雇用に即、なれる保証はない。非正規雇用の不安定な環境でしばらく(あるいはずっと)耐え続けなければならないのが、日本のごく普通の若者の現状である(若者のほぼ三分の二は非正規雇用)。

 せっかく企業に正規採用されても就職先が「ブラック企業」であれば、かえって悲劇となる。そして一流企業、グローバル企業といえども「ブラック企業」になりうること、いや日本企業の多くが「ブラック化」しつつあるという。であればこの問題は一部のブラック企業に就職してしまった一握りの不幸な若者の話…では済まされなくなる。今やうつ病などに追い込まれて依願退職に追い込まれる若者が増えつつある。若者にとって過労死や自殺という最悪の事態も招きかねない、過酷な労働現場が日本で広がりつつあるらしい。そして厄介なことに進路指導、キャリアガイダンスなどでフリーターを一方的に批判し、下手に正規雇用への道を若者に奨励すると、かえってブラック企業を利する恐れもあるという。

 若者を最後に待ち受けるのは底の抜けたような、日本の悲惨な生活保護政策である。ブラック企業に就職したために心を病み、結局失業してしまった若者、あるいは終わりの無い就活で心身疲弊し、引きこもりがちになってしまった若者。彼らの一部は最後の頼りとなるはずの生活保護を申請するため、各地の福祉事務所を訪れる。ところがむしろそこから本当の地獄が始まったりする。日本の生活保護政策にはそら恐ろしい実態があるらしい(特にシングルマザーに対する差別的な仕打ち!)。

以下、具体例を挙げながら、特に日本の若者をめぐる就職状況および貧困者の最終的なセイフティネットといわれる生活保護政策のそれぞれの問題点に焦点を当てて考察してみたい。

1.基本的な権利の再確認:もう一度おさらいから…

・勤労に関わる権利

日本国憲法第27条「勤労の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止」

 ①すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う

 ②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定

める(→労働基準法等)         (児童の酷使を禁じた③は省略)

労働基準法

第1条「労働条件の原則」

 ①労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもので

  なければならない。

 ②…当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもと

  より、その向上を図るように努めなければならない。

同 第2条「労働条件の決定」

 ①労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。

 ②労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々そ

  の義務を履行しなければならない。

同 第5条「強制労働の禁止」

  使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段に

  よって、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

同 第32条「労働時間」

 ①使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について40時間を超えて、労働させ

  てはならない。

 ②使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時

  間を超えて労働させてはならない。

同 第35条「休日」

 ①使用者は、労働者に対して、毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない。

同 第28条「勤労者の団結権」

 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障す

 る。

同 第18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、

 その意に反する苦役に服させられない。

・生活保障に関わる権利

同 第25条「生存権、国の社会的使命」

 ①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 ②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び

  増進に努めなければならない。

同 第13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権

 利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重

 を必要とする。

 

 以上、憲法を中心に権利の確認をしたが、日本の現実は憲法の規定通りではなく、憲法違反を含めた違法な実態が社会のあちらこちらに広がりつつある。いうまでもなくこれらの権利が憲法などに規定されているからといって、現実に保障されているとは限らない。

 実際、憲法12条にはこうした権利が「…国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない…」とされており、規定があるからと言って油断はできないのである。憲法の規定はあくまで「努力目標」のようなものであり、規定されている権利の維持拡大のためには国民の努力が必要不可欠となっている点は要注意だろう。

 

2.ブラック企業と日本の雇用問題

 日本の若者が学力の国際比較で下位に低迷していた10年ほど前までは、若者の就職状況の悪化に対しての論評が、長期化する不況という観点を共通としながらもどちらかというと、ニート、引きこもりに陥った一部の若者のコミュニケーション能力の不足、基礎学力や勤労意欲の欠如などといったもっぱら若者の資質の問題にかたよる傾向があった。

 しかし「ブラック企業」という言葉が広がり始めた数年前から個々の若者の資質の枠を超えた、日本の企業社会、法制度全体の根本的欠陥に注目する論調が盛り上がり始めた。この動きは小泉内閣時の規制緩和によって非正規雇用が急増してきた(特に女の若年層で急増。しかも家計補助型から家計自立型に移行してきた分、事はより深刻になってきている)ことで、「派遣切り」に象徴されるような非正規雇用者の立場の弱さにまずは目が移っていったことと関連がありそうである。

 さらに非正規雇用の増大が正規雇用者の立場をも弱体化(トライアル採用や新卒インターンシップの増加等)させ、結果的に「若者全体の雇用問題」としての「ブラック企業」の問題を表面化させていったと思われる。特にリーマンショック以降、若年正社員の待遇悪化が日本全体で加速し、「ブラック企業」はあたかも流行語のようになっていった。

 IT業界の成長株、I社を事例にブラック企業の実態を見てみよう。I社は1000人近い従業員を擁する都内の企業。2009年、その新入社員が続々と上司から退職強要を受けたという。「面談」「カウンセリング」と称して毎日、数時間(7時間以上にわたることも)、パワハラを受けていたとのこと。あわせて7人がPOSSE(今野氏が設立したNPO法人)を訪れ、同様の相談をしている。同社の2008年度の新入社員はおよそ200人余りで、2年以内の内にその半数は離職しているらしい。

 なかにはグレーのスウェットで通勤を命じられ、社長の出迎え、カバン持ち、ペットの散歩、清掃などを時間外でもこなさなければならず、残業時間は平均5時間以上にのぼる者もいたという。面談やカウンセリングと称する場面では徹底的に「自己否定」を繰り返させられ、努力はすべて否定されて絶え間なく罵られるという。まさに人格破壊的拷問であった。

※ブラック企業の労働形態の特色として「マックジョブ」と同様、仕事の細分化とマニュアル化が指摘

 されている。これらによって社員を交換可能な存在におとしめているのだ。ブラック企業の多いIT

 企業では「定年は35歳」とつぶやかれるほどに過酷な単純作業の繰り返しが求められる。「社員が若

 い」という企業にはブラックが多い。

  新卒の単価は安いため、とりあえず大量採用しておいてから一握りの「使える者」だけ残して後は

 大量解雇することで人材の選別をする。しかも自己都合退職に追い込むことで解雇による労災補償を

 免れつつ、雇用保険や健康保険に自らのコストを負担させて(公金横領に等しい!)、若者の「使い

 捨て」を安価にかつ効率的に実現しているのである。これは企業による若者の使い捨てであり、日本

 の未来を台無しにする、悪質な犯罪と捉えるべきなのである。

※ただし日本の失業時の雇用保険の受給期間や支給要件は非常に厳しく、失業者の2割しかカバーできて

 いないという。

 

 

ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ 

(  )組(  )番(         )

 日本の企業社会では日本的雇用慣行が一部崩れてきて、代わりにアメリカ型の過酷な(    )主義が導入されてきた。しかしもう一つ、見逃せない重大な変化が今、日本の若者たちに襲いかかってきている。それは一言でいえば「     」である。今、急速に進みつつある若者たちの貧困化は今野氏の指摘によれば大きく二つの側面から見ていくことができるようである(今野晴貴「ブラック企業」文春新書2013と「生活保護」ちくま新書2013)。

 まずかつて「氷河時代」とよばれた若者の就職状況の慢性的な悪化である。産業の(      )が進展することによって多くの(    )業の生産拠点は今後も海外に移転していく。京葉工業地域でも特に(    )関連や(       )コンビナート関連の業界から地元の高校に送られてくる求人票が激減してきた。これにより高卒男子の就職先が極めて狭い分野に偏ることになってしまった。また高卒女子の大量受け入れ先であった(     )、スーパーの類はかなり以前から正規雇用の求人が激減し、(    )関連に至っては高卒の求人は現在皆無といってよい。高卒女子の就職はとりわけ難しい状況となっている。

 たしかに「アベノミクス」の成果からであろうが、最近、少しだけ高卒者の就職状況は改善してきているのも事実であるが、だからといって長期的にみれば楽観はできない。しかも大学を卒業したからと言って正規雇用に即、なれる保証はない。非正規雇用の不安定な環境でしばらく(あるいはずっと)耐え続けなければならないのが、日本のごく普通の若者の現状である(若者のほぼ       は非正規雇用)。

 せっかく企業に正規採用されても就職先が「      企業」であれば、かえって悲劇となる。そして一流企業、グローバル企業といえども「ブラック企業」になりうること、いや日本企業の多くが「ブラック化」しつつあるという。であればこの問題は一部のブラック企業に就職してしまった一握りの不幸な若者の話…では済まされなくなる。

 今やうつ病などに追い込まれて依願退職に追い込まれる若者が増えつつある。若者にとって(     )や(   )という最悪の事態も招きかねない、過酷な労働現場が日本で広がりつつあるらしい。そして厄介なことに(    )指導、キャリアガイダンスなどでニートやフリーターなどを一方的に批判し、下手に正規雇用への道を若者に奨励すると、かえってブラック企業を利する恐れもあるという。

 若者を最後に待ち受けるのは底の抜けたような、日本の悲惨な(      )政策である。ブラック企業に就職したために心を病み、結局失業してしまった若者、あるいは終わりの無い(    )で心身疲弊し、引きこもりがちになってしまった若者…彼らの一部は最後の頼りとなるはずの生活保護を申請するため、各地の

(     )事務所を訪れる。ところがむしろそこから本当の地獄が始まったりする。日本の生活保護政策にはそら恐ろしい実態があるらしい(特に         に対する差別的な仕打ちが行われているという)。

 以下、具体例を挙げながら日本の若者をめぐる就職状況および貧困者の最終的な

(           )といわれる生活保護政策のそれぞれの問題点に焦点を当てて考察してみたい。

1.基本的な権利の再確認

・勤労に関わる権利

日本国憲法第27条「(    )の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁

 止」

 ①すべて国民は、勤労の(    )を有し、(    )を負う

 ②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める

  (→        法等)    (児童の酷使を禁じた③は省略)

労働基準法

第1条「労働条件の原則」

 ①労働条件は、労働者が(           )生活を営むための必要を充た

  すべきものでなければならない。

 ②…当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもと

  より、その向上を図るように努めなければならない。

第2条「労働条件の決定」

 ①労働条件は、労働者と使用者が、(     )の立場において決定すべきもの

  である。②は省略

第5条「強制労働の禁止」

 使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によ

 って、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

第32条「労働時間」

 ①使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について(    )時間を超え

  て、労働させてはならない。

 ②使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について

  (  )時間を超えて労働させてはならない。

第35条「休日」

 ①使用者は、労働者に対して、毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない。

第28条「勤労者の     権」

 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の(       )をする権利は、こ

 れを保障する。

同 第18条「奴隷的拘束及び苦役からの(    )」

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、

 その意に反する苦役に服させられない。

・生活保障に関わる権利

同 第25条「     権、国の社会的使命」

 ①すべて国民は、(    )で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 ②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び

  増進に努めなければならない。

同 第13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」

 すべて国民は、(    )として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する

 国民の権利については、(         )に反しない限り、立法その他の国

 政の上で、(          )を必要とする。

 

 以上、憲法を中心に権利の確認をしたが、日本の現実は憲法の規定通りではなく、憲法違反を含めた違法な実態が社会のあちらこちらに蔓延しつつある。いうまでもなくこれらの権利が憲法などに規定されているからといって、現実に保障されているとは限らない。

 実際、憲法12条にはこうした権利が「…国民の(          )によって、これを保持しなければならない…」とされており、規定があるからと言って油断はできないのである。憲法の規定はあくまで「努力目標」のようなものであり、規定されている権利の維持拡大のためには国民の不断の努力が必要不可欠となっている点は要注意だろう。

 

2.ブラック企業と日本の雇用問題

 日本の若者が学力の国際比較で下位に低迷していた10年ほど前までは、若者の就職状況の悪化に対しての論評が、長期化する(    )という観点を共通としながらもどちらかというと、ニート、引きこもりに陥った一部の若者の

(            )能力の不足、基礎(    )や勤労(    )の欠如などといったもっぱら若者の資質の問題にかたよる傾向があった。

 しかし「ブラック企業」という言葉が広がり始めた数年前から個々の若者の資質の枠を超えた、日本の企業社会、法制度全体の根本的欠陥に注目する論調が盛り上がり始めた。この動きは小泉内閣時の規制緩和によって(      )雇用が急増してきた(特に女の若年層で急増。しかも        型から家計自立型に移行してきた分、事はより深刻になってきている)ことで、「派遣切り」に象徴されるような非正規雇用者の立場の弱さにまずは目が移っていったことと関連がありそうである。

 さらに非正規雇用の増大が正規雇用者の立場をも弱体化(        採用や新卒           の増加等)させ、結果的に「若者全体の雇用問題」としての「ブラック企業」の問題を表面化させていったと思われる。

 特に(           )以降、若年正社員の待遇悪化が日本全体で加速し、「ブラック企業」はあたかも流行語のようになっていった。

 (   )業界の成長株、I社を事例にブラック企業の実態を見てみよう。I社は1000人近い従業員を擁する都内の企業。2009年、その新入社員が続々と上司から退職強要を受けたという。「面談」「カウンセリング」と称して毎日、数時間(7時間以上にわたることも)、(       )を受けていたとのこと。あわせて7人がPOSSE(今野氏が設立したNPO法人)を訪れ、同様の相談をしている。同社の2008年度の新入社員はおよそ200人余りで、2年以内の内にその(    )は離職しているらしい。

 なかにはグレーのスウェットで通勤を命じられ、社長の出迎え、カバン持ち、ペットの散歩、清掃などを時間外でもこなさなければならず、残業時間は平均5時間以上にのぼる者もいたという。面談やカウンセリングと称する場面では徹底的に

「         」を繰り返させられ、努力はすべて否定されて絶え間なく罵られるという。まさに人格破壊的拷問であった。

※ブラック企業の労働形態の特色として「         」と同様、仕事の細分化とマニュアル化 

 が指摘されている。これらによって社員を交換可能な存在におとしめているのだ。ブラック企業の多

 いIT企業では「定年は   歳」とつぶやかれるほどに過酷な単純作業の繰り返しが求められる。

 「          」という企業にはブラックが多い。

  新卒の単価は安いため、とりあえず大量採用しておいてから一握りの「使える者」だけ残して後は

 大量解雇することで人材の(    )をする。しかも(        )退職に追い込むことで

 (     )による労災補償を免れつつ、(    )保険や健康保険に自らのコストを負担させ

 て(公金横領に等しい!)、若者の「        」を安価にかつ効率的に実現しているのであ

 る。これは企業による若者の使い捨て=日本の未来を台無しにする、悪質な犯罪と捉えるべきなので

 ある。

※ただし日本の失業時の雇用保険の受給期間や支給要件は非常に厳しく、失業者のおよそ(   )割

 しかカバーできていないという。

 

参考記事

〇日本の出生数が過去最小になった「本当の原因」

 東洋経済オンライン 荒川 和久 2025.3.15

 20代の中間層における婚姻率の低下が少子化の最大の原因であるとの指摘は極めて重要だろう。つまり20代の中間層への手当てを厚くすることこそ、最大の少子化対策となる。だからこそ、消費税の減税、廃止と中間層の手取りを増やそうと訴えてきた国民民主党やれいわ新鮮組への若者たちの支持が現在、急増しているに違いない。

 

 

 

 

 

 

その5.②金八先生と脱学校論

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

本論

 私が教師となったのは1985年のことである。そこでまずは1970年代、1980年代を賑わしていた学校教育に関する教師、元教師の言説を取り上げてみよう。まず数多くの著作がある村田栄一氏(1935~2012)の活躍がこの時期は目立つ。村田氏は1958年から1980年まで川崎市立小学校勤務。退職後はしばらく著述活動に励んでいたが1996年から2004年まで国学院大学講師(教職課程/教育原理)であった。組合活動に熱心な左翼系言論人として反権力の立場から盛んに学校教育について発言し、かつてフレネ教育を推奨していたことを覚えている。

現在、私が所有している村田栄一氏の本は以下の通りである。

 ・「戦後教育論~国民教育批判の思想と主体~」(社会評論社 1970)

 ・「学級通信ガリバー」(社会評論社 1973)

 ・「飛べない教室」(田畑書店 1977)

 ・「じゃんけん党教育論」(社会評論社 1978)

 ・「戦後教育の現在」(教育出版社 1981)

 ・「生きているこども共和国~ドンキホーテの末裔たち~」(風媒社 1981)

 ・「教室のドンキホーテ~ぼくの戦後教育誌~」(筑摩書房 1982)

 里見実氏との共著「もう一つの学校へ向けて」(筑摩書房 1986)や村田氏が編集に加わった「教育実践の記録1 ことば教育」(筑摩書房 1981)もある。村田氏の著作は大学時代に課題として出されたことがあったため、就職後も読み続けていた。当時は「カバゴン」こと阿部進氏(1930~2017:やはり川崎市立小学校に勤務後、教育評論を手がける。村田氏の大学での先輩)や「山びこ学校」((1956)で知られる無着成恭氏(1927~)、灰谷健次郎氏(1934~2006:「兎の眼」、「太陽の子」などで知られる児童文学者)ら、なぜか小学校教師の経歴を持つ人物がマスコミなどにもよく登場していた時代である。

 村田氏の系列の本では他に中学校教師の相川忠亮氏(1934~2011)の「きまぐれ月報学級通信上・下」(社会評論社 1975)や同じく中学校教師の川津皓二氏(1935~)の「日常と幻視~学校空間から~」(社会評論社 1975)がある。彼らの影響もあったのか、当時は学級通信を発行する教師が私の周囲にもかなり多かったような気がする。

 先行する1970年代は校内暴力が荒れ狂った時代であったため、運動部の指導に熱心な体育会系熱血教師が学校の規律回復上の観点からもてはやされていた。実際、「校内暴力事例の総合的研究」(学事出版 1984)や「校内暴力問題講演集」(学事出版 1984)によると校内暴力で荒れた中学校の多くが秩序の回復を最優先して運動部の指導に熱心で強めの生徒指導が出来る教師を他校から数多く集めるという人事方策を取っている。

 しかしその管理主義的指導への反発からか、テレビドラマ「金八先生」(1979~2011)の影響も加わり、生徒に粘り強く、優しく寄り添う非体育会系タイプの教師が世間では次第に理想化されていく。1981年のテレビドラマ「父母の誤算」(原作は若林繁太「教育は死なず」1978)も金八先生と同じく、小山内美江子氏を脚本家として用い、金八に近い教師像を描いている。村田氏らはこの金八路線にやや近い立場と言えようか。

※参考記事

   〇日曜劇場『御上先生』の学校教育監修・工藤勇一先生が語る教育問題 金八先生以後に生じた「学校

      =悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考え方」…工藤勇一校長が指摘

      する<近年の教育現場が抱える問題点>とは 婦人公論.jp工藤勇一 2025.1.26

 ○金八先生以後に生じた「学校=悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考

      え方」…工藤勇一校長が指摘する<近年の教育現場が抱える問題点>とは 

      婦人公論.jp 工藤勇一 によるストーリー 2024.2.19

 

 ちなみに私は大学の授業で出された夏休みの課題で灰谷健次郎氏の「兎の眼」(1974)や「太陽の子」(1978)を読み、教師の道を選ぶことになった。こうした経緯から村田氏のものに加えて就職後もしばらくは灰谷氏や上野瞭氏、山中恒氏、あるいはミハエル・エンデといった児童文学作家の作品を読み続けていた。そしてもちろん灰谷氏らも金八先生と同様、徹底して子供の目線に立ち、子供に寄り添う姿勢を重視した作家であったと言えよう。

 他方で私は他の同世代の教師と同様に國分一太郎(1911~1985)氏、斎藤喜博(1911~1981)氏、特に教育困難校での授業実践で知られる林竹二氏(1906~1985)の「教育の再生を求めて 湊川でおこったこと」(筑摩書房 1977)、「教育亡国」(筑摩書房 1983)などからも授業のあり方に関して多少とも影響を受けている。加えてベテラン教師となった段階で読んだ大村はま(1906~2005)氏による国語の授業を論じた「教えることの復権」(苅谷剛彦・夏子 ちくま新書 2003)は、大村氏による単元学習を軸とした教科書を独自の視点から徹底的に「使い倒す」独特の授業手法が非常に興味深かった。

 國分氏や斎藤氏、大村氏は無着氏、阿部氏、村田氏らの先行世代に属する先輩教師でもあり、1980年代の教師にとってはまだまだ影響力の大きな存在であった。他方、学者の林氏は当時、猛威をふるっていた校内暴力との絡みもあってか、マスコミから大きな注目を集めていた教育哲学者である。彼は学者にありがちな「机上の空論」を潔しとしない、優れた授業実践家でもあった。また大村はま氏の著作集は当時、どの学校図書館でも一際、目立つ存在であり続けていた。確かに彼らの世代の影響を無視しては1980年代の教育論を語ることが出来ないだろう。

 とは言え、特に林氏の授業実践に関しては早くから学校現場からの根強い反発があった事は事実である。私自身、教職に就いてからはこの二人の感嘆すべき実践について「金八先生」に対するのと同様の違和感も同時に抱いてきた。金八先生を含め、彼らは運動部の指導をしていないではないか…多忙な学校教師にとって明らかに実践不可能なまでに難易度の高い、準備に骨の折れる教育実践をモデルとして示されても、現場は困惑するだけであろう。

     ※さらに「金八先生」の問題点として挙げられるのが、不良生徒を立ち直らせるドラマティックな物 

  語の展開に力を入れるあまり、不良生徒の加害を受けて不登校となるような、気の弱い生徒への関

  心がイマイチ、弱い、という点だろう。イジメられている側への配慮が少し不十分だったのではあ

  るまいか。

   実際、校内暴力の後で表面化してきた学校問題としてイジメ、登校拒否、家庭内暴力、引きこも

  り、自傷行為などが注目されてくる。これらのテーマに金八シリーズがどこまで肉薄できたのか、

  かなり疑問が残るだろう。また真面目で責任感の強い教師が、妙に頑なで保守的に描かれ過ぎてい

  る点も気になった。

 難易度の高すぎる授業を普通の教師に要求することはむしろ学校のブラック化を推し進めることに他ならない。これらの希有な実践が世間で賛美されればされるほど却って教師達の無力感を深めはしないのか。そうした疑問が止めどなく湧いてくるような学校現場の過酷な労働環境が私の勤め始めた1980年代には既に広がり始めていたのである。もちろん今の学校の絶望的な状況と比べれば当時はまだまだ牧歌的レベルではあったのだが…

 もう一つ、私にとって当時、見逃せなかった論考は児童読み物作家と自称していた山中恒氏(1931~)の「ボクラ少国民シリーズ」(辺境者 全5巻、補巻1、別冊1 1974~1982)など、戦時中の学校教育を論じた著作であった。「疑問だらけの中学教科書」(森本真章・滝原俊彦 ライフ社 1981)が世情を賑わせ、中曽根内閣によって臨時教育審議会が設置されてついに戦後教育の流れが大きく変えられようとしていた1980年代当時、教育方法論、授業論以上に教育内容それ自体の是非を強く問う傾向が家永教科書裁判の経過(1965~1997)と共にしぶとく学校教育の底流に残存していたように記憶している。

 戦時中の国家総動員体制下、教育者や学者、文化人がどのように戦争に加担していたのか…そして敗戦後、彼らは戦時中の言動をどのように反省し、戦後はどのように振る舞ってきたのか、吉本隆明氏の「叙情の論理」(未来社 1963)をはじめ、数多くの研究者がこのテーマに関心を持ち、これに関連する多くの著作が発表されてきた。ある意味では「疑問だらけの中学教科書」もそうした著作の一つと言えるだろう。森本氏とは対極にあって、個人的に最も注目したのが山中氏の「ボクラ少国民シリーズ」であった。国民学校を少国民として体験した山中氏が自ら精力的に資料収集に当たり、膨大な資料を元に国民学校における教育の実相を解き明かそうとした、大変な労作である。

 他には山中氏の「子ども達の太平洋戦争」(岩波新書 1986)、中内敏夫氏の「軍国美談と教科書」(岩波新書 1988)や櫻本富雄氏の「日の丸は見ていた」(明石書店 1982)、長浜功氏の「国民学校の研究~皇民化教育の実証的解明~」(明石書店 1985)、同「教育の戦争責任」(明石書店 1984)なども同様の関心に基づいた著作であった。これらの著作を通じて文学者や教育者の多くが戦時中は熱烈に戦争を賛美しておきながら、戦後はほとんどまともに反省することなく、熱心な民主主義者、平和主義者になりすまして戦後も活躍を続けている事に気付かされた。中には公職追放を受けた人々もいたが、追放はたちまち解除され、かつての政治家、財界人、特高、右翼、暴力団も含めて多くの指導者層が戦後も同様に日本の指導的な立場に復帰しているのである。

 敗戦によって教科書自体は国定教科書から「墨塗教科書」を経て検定教科書に変わったものの、とりわけ社会科教科書の内容面での信頼性、妥当性には未だに大きな問題が残り続けていると私は感じている。

※最近の著作では「帝国日本のプロパガンダ~戦争を煽った宣伝と報道~」(貴志俊

 彦 中公新書 2022)や「大東亜共栄圏のクールジャパン~協働する文化工作~」

 (大塚英志 集英社新書 2022)も興味深かった。

 

 大学院の授業では戦後の学校教育の歩みを辿ることをテーマにした門脇先生の授業があり、大田堯(1918~2018)編「戦後日本教育史」(岩波書店 1978)が主なテキストであった。憲法などの法制面の字面だけを見れば戦前と戦後の間には確かに大きな断絶と変化があった。しかしその変化を担った人々の顔ぶれはさほど変化していなかった。この途絶えることのなかった戦前からの人脈がアメリカ軍の占領下、戦後日本の形成期において決定的とも言えるような役割を果たしていた事の持つ意味は現在においても決して小さくあるまい。

 

 学者からの発信も見てみよう。1980年代、教育社会学における学校教育研究は日本では東大が中心的役割を果たしており、清水義弘(1917~2007)氏、天野郁夫(1936~)氏や藤田英典(1944~)氏、久冨善之氏(1946~)らが大きな存在であった。彼らの門下生である苅谷剛彦氏、耳塚寛明氏、岩見和彦氏らも盛んに研究論文を発表していた時代である。当時は社会学理論の一つの柱となってきたタルコット・パーソンズ(1902~1979)の構造機能分析を手法とする社会システム理論が批判され始め、「パラダイム転換」が世に叫ばれていた。イヴァン・イリイチらの脱学校化社会論、脱専門家社会論もそうした風潮の中で注目を集めていたのである。

 私は大学時代、教育社会学のゼミを受講しており、教育社会学で論文を書くために専ら苅谷氏らの論文が掲載されていた東大の研究紀要と自分の恩師門脇厚司先生の研究に注目していた。このため教職に就いてからもしばらくの間は、教育社会学の学会員ではないにもかかわらず東洋館出版の日本教育社会学会編「教育社会学研究」を定期的に購入し、教職の仕事に日々忙殺されながらも教育社会学の研究動向の把握に努めようとしていた。

 幸い私の初任校では社会科教員が月に一回、社会科会議の時間を割いて自分の好きなテーマを選び、社会科内で発表するという自主的研修が行われていた。その準備を兼ねて大学時代の学習を続ける事が出来ていたわけである。さらに年に一回、宿泊を伴う社会科の研修旅行が行われており、足尾銅山や東海村原子力発電所、長野の松代大本営跡などで貴重な見学が経験できるなど、若手教師の成長には欠かせない職場での自主的で有意義な取り組みが幾つか存在していた。

 ただし学校現場でこのような素晴らしい取り組みが行われていたのは残念ながらこの初任校のみであり、二校目などは社会科準備室がただの教科書や資料集等の書庫と化していて誰も常駐しておらず、研修も日帰りだけの貧弱なものに過ぎなかった。部活の指導や進路指導の仕事があった上に通勤時間も長かったため、帰り際に書店に立ち寄ることすらほとんど出来なくなり、この二校目でたちまち「教育社会学研究」の購入がほぼ途絶えてしまった。

 また三校目は教育困難校ということもあって時間的、体力的、精神的余裕が無くなり、思ったような自主研修を行えない状況が続いた。しかし毎年秋には僅かな数の有志で京都、奈良旅行を実施していたのは当時、日本史担当者としてせめてもの救いだった。また社会科有志で社会科教室を舞台に文化祭での展示を行える機会も僅かながらあった。こうした点は教師による自主的な取り組みの伝統がギリギリではあるものの辛うじて高校に生き残っていた証しではあるだろう。

 恐ろしい事に四校目以降(およそ20年前以降)、そうした教科単位での自主的試みは皆無となってしまった。これはもっぱら県教委が国の施策に基づき、初任研(1989年導入)や経験者研(2003年導入)、管理職の指導による校内研修(四校目の学校では何と年に20回以上!)などを次から次へと設置、拡充してみっちりと日程を組んでしまったことにより、現場での自主研修の機会がほとんど奪われてしまったからである。なお私の学校教育に関する読書習慣もこの四校目でほぼ完全に断たれてしまった。

 県教委や管理職が実施する校外、校内での強制的研修が授業力向上に繋がる有意義なものであるならばまだしも、その多くは現場感覚からズレまくった完全にトンチンカンな内容であり、総花的で時間の無駄と言えるものが多かった。現在の若手教師の研修はそうした官製研修ばかりとなってしまったため、特に勤務校の実情に沿った授業に関わる研修の薄さは教師の中途退職や精神疾患の増大などの問題を生み出す大きな原因の一つにさえなっていると私は考える。

 こうして生徒に寄り添う時間や楽しく分かりやすい授業を創り出すための現場での創意工夫のチャンスを教師達から根こそぎ奪い去っておきながら自らの責任を棚上げし、学校の不祥事を他人事のように騒ぎ立てて「不適格教師」のレッテル貼りに専念する、極めて冷酷無比な教育行政がこの20年余りの間に確立してきたと言えるのではないか。肝心の授業を蔑ろにして生徒指導や進路指導、部活指導に現を抜かす学校のブラックな体質は上からの的外れでお粗末な官製研修の一方的な押しつけによるところが決して小さくはないと考えるがいかがだろう。

 

 さて学者による発信の中で私が特に魅了されたのは久冨氏の著作の随所に見られた、現場の教師に寄り添うようなきめ細やかで温かい教育者の視点であった。教育社会学の立場から久冨氏(「教員文化の社会学的研究」多賀出版 1990年)は教員の置かれている、傷つきやすい不安定な立場をこう説明している。「学校という所は、少数ないし一人の教員が、多数の生徒たちを相手にし、彼らがもともと必ずしも好んでいない学習活動へと導かねばならない。その状況が教員の特別の権威と、教員の生徒に対する統制を不可避にしている。したがって、ディシプリン(統制の生徒への内面化過程)に失敗すると、教授活動においても失敗するだけでなく、父母・住民からの信頼を決定的に失う原因となる。…その意味では、教員がディシプリンに特別の関心を示すのは、その仕事の性格に起因する当然のことであり、そこに教員たちの苦心があり、苦悩もあるのだ…」

 すなわち学校現場でいたずらにマンツーマン的対応を前提とした「カウンセリング・マインド」(20数年ほど前の学校では一世を風靡した流行語だった)を唱えることは教師の依って立つ基盤を自ら突き崩す危険性を孕んでいたのである。久冨氏のこうした学校現場への深い洞察と共感的理解は教育困難校で苦悩する教師にとってまさに得がたい魅力であった。そして氏の著書の多くが実は編著であるのだが、これは若手研究者に発表の機会を出来るだけ多く与えることに尽くしてきた、優れた教育者としての久冨氏の人柄が偲ばれる証左だ…と当時の私は感嘆のまなざしで捉えていた。

 久冨氏に加え、天野氏の後継者と目された苅谷氏の広い視野から下される鋭い洞察力にも私は圧倒されていた。もちろん恩師門脇厚司先生の著作は主に高校教育を対象としていたため私にとって必要不可欠なものであった。以下、この3人が執筆された、私が所有する著書を一部だけ紹介してみる。おそらく本のテーマからだけでも一定の傾向、時代の風潮が伝わると思う。

 なお以下に紹介した著作(特に21世紀になってから出版された本)を私はすべて読了してはいない。その事情は既に記したとおりである。

・久冨善之(1946~)氏

 編著「教員文化の社会学的研究<普及版>」(多賀出版 1990)」

 編著「豊かさの底辺に生きる~学校システムと弱者の再生産~」(青木書店

   1993)

 「競争の教育~なぜ受験競争はかくも激化するのか~」(労働旬報社 1993)

 編著「日本の教師文化」(稲垣忠彦氏との共編 東京大学出版会 1994)

 編著「希望をつむぐ学力」(田中孝彦氏との共編 明石書店 2005)

 編著「教師の専門性とアイデンティティ~教育改革時代の国際比較調査と国際シン

   ポジウムから~」(勁草書房 2008)

・苅谷剛彦(1955~)氏

 「学校・職業・選抜の社会学~高卒就職の日本的メカニズム~」(東京大学出版会 

   1991)

 「大衆教育社会のゆくえ」(中公新書 1995)

 「学校って何だろう」(講談社 1998)

 「教育改革の幻想」(ちくま新書 2002)

 編著「学力の社会学~調査が示す学力の変化と学習の課題~」(志水宏吉氏との共

   編 岩波書店 2004)

 編著「教員評価」(諸田裕子、妹尾渉、金子真理子氏との共著 岩波ブックレット 

   2009)

 編著「教員評価の社会学」(金子真理子氏との共編 岩波書店 2010)

 「コロナ後の教育へ~オックスフォードからの提唱~」(中公新書ラクレ 2020)

 ※「コロナ後の教育へ・・・」で日本の教育行政に対し「…エセ演繹型思考と法治主義をセットにし

   たアプローチでは、設計段階での欠点や欠陥を見過ごし、思った成果を上げられるかどうかを不

   明にしたままでも制度改革が出来てしまう。さまざまな副作用についても思慮の外に置かれる」

   (p.63)との指摘は実に鋭い。立て続けに断行されてきた教育改革の発想の根幹を揺さぶるもの

   であろう。また政治家や官僚側が常に自分達の謬見や過ちを棚に上げて学校を一方的に断罪し、

   改革と称する学校現場の破壊的政策をひたすら推進してきたこれまでの経緯の背景が見えてくる

   点で教師必読の書と考える。

・門脇厚司(1940~)氏

 「現代学校論~生徒と教師の社会学~」(亜紀書房 1982)

 編著「高校教育の社会学~教育を蝕むみえざるメカニズムの解明~」(陣内靖彦氏

   との共編 東信堂 1992)

 編著「高等学校の社会史~新制高校の予期せぬ帰結~」(飯田浩之氏との共編 東

   信堂 1992)

 「子供と若者の異界」(東洋館出版 1992)

 「異界を生きる少年・少女」(東洋館出版 1995)

 「大人の条件~社会力を問う~」(佐高信氏との対談 岩波書店 2001)

 「学校の社会力~チカラのある子どもの育て方~」(朝日新聞社 2002)

 

 以上、挙げた本の題名からだけでも1990年代以降、日本の学校がお上からの息つく暇すら与えない「~改革」の洗礼を浴び続け、徐々に疲弊していった様が個人的には思い浮かぶ。学校教育の行き詰まりの原因を不適格教師の存在と決めつけて管理職による教員評価を強化し、免許更新制を導入して不適格者の排除を図る、官製研修を増やして現場の創意工夫を根絶やしにする傍らで「教師の質向上を図る…」とのご託宣。これらすべては教育行政の失敗を現場の教師へ一方的に転嫁する傍ら、肝心の改革(教師の仕事の精選、教科書検定制度の見直し、高校教師養成教育の見直し等)をサボり続けた行政側の欺瞞と怠慢の歴史の反映であると考えるがいかがだろう。

 なお私は他に藤田英典氏、天野郁夫氏、柴野昌山氏、竹内洋氏、今津孝次郎氏、岩見和彦氏、岩木英夫氏、志水宏吉氏、広田照幸氏、古賀正義氏、柳治男氏、油布佐和子氏、本田由紀氏、教育社会学者以外では中内敏夫氏、佐藤学氏、諸冨祥彦氏、小林正幸氏などの著作も読んでみている。

 外部からの発信という点ではジャーナリストの役割も大きい。林雅行(1953~)氏の「天皇を愛する子どもたち」(青木書店 1987)、鎌田慧(1938~)氏の「生きるための学校」(岩波書店同時代ライブラリー 1995)及び「「教育工場の子どもたち」(講談社文庫 1986)、吉岡忍(1948~)氏の「ルポ 学校の力」(朝日文庫 1992)、「ルポ 教師の休日」(朝日文庫 1992)、「街の夢 学校の力」(日本書籍 1981)、日垣隆(1958~)氏の「ルポ 高校って何だ」(岩波書店1992)、最近では朝比奈なを氏の「教員という仕事~なぜブラック化したのか~」(朝日新書 2020)など、いずれも大いに参考となった。

 

 現場からの発信に戻ろう。1980年代の後半以降、都内の定時制高校教師であった佐々木賢(1933~)氏の本を読むようになる。私は初任校や二校目の高校は中堅どころの進学校であったが、実は大学時代の恩師が教育困難校の調査をしていて神奈川県の高校調査にお供したことがあり、学校改革を論文のテーマとしたことから、困難校の実態には強い関心を抱いてきた。三校目の転勤先に敢えて困難校を希望したのも恩師や佐々木氏の影響が決定的に大きい。

 1980年代は山本哲士氏らの推奨でイヴァン・イリイチの脱学校化社会論がブームとなっていて私もその系列の本をそれなりに読んでいたが、佐々木氏もイリイチの影響を受けた言説を展開していた一人である。ただし山本氏の硬直した難解な言葉遣いとは違って佐々木氏は教師としての経験を踏まえた具体的で分かりやすい内容であり、その文章はたいへん魅力的であった。

 イリイチは学校や教師の機能の肥大化を警告し、それらの機能を縮小させて国家や学校から民衆の手に学びの主権を取り戻すことを主張していた。佐々木氏も同じ主張に属し、同時にこれまで賛美されてきた体育会系熱血教師像への批判をも試みたと考える。

 以下、私が所有する佐々木賢氏の著作を列挙しておこう。

 ・「学校はもうダメなのか~学校内格差と非行問題~」(三一書房 1981)

 ・「学校を疑う~学校化社会と生徒たち~」(三一書房 1984)

 ・「当節定時制高校事情」(有斐閣 1987)

 ・「怠学の研究~新資格社会と若者たち~」(三・一書房 1991)

 ・「商品化された教育~先生も生徒も困っている~」(青土社 2009)

 他に松田博公(1945~:ジャーナリスト)氏との共著で「教育という謎~消費社会の文化変容~」(北斗出版 1992)と「果てしない教育?~教育を超える対話~」(北斗出版 1986)の二冊がある。

※参考記事

 ◎「子どもは商品」「労働力の予備軍」哲学者が学校を批判した理由

  ダイヤモンド・オンライン 青木真兵 2026.7.1

  現段階でイリイチを再評価するならば、最も穏当な見解が青木氏の指摘なのではあるまいか。

 

 1980年代後半から佐々木氏とは異なる、やや保守的な立場から精力的に発言してきたのが「プロ教師の会」である。中心人物は埼玉県立高校の教師だった諏訪哲二(1941~)氏と埼玉県川越市立中学校教師だった河上亮一(1943~)氏。教職員組合が学校をダメにしてきたとして左派を攻撃し、学校経営の現実的観点から秩序回復のためには厳しい指導も有り、とする主張を展開した。主に別冊宝島で「プロ教師の会」の特集が相次いで組まれ、中曽根内閣の臨時教育審議会の方針に一部沿いつつ左派の平等主義が持つ欠陥を鋭く指摘していた。

 彼らに関して、立場によってはただの保守反動であると簡単に切り捨ててしまう向きがあるかもしれない。しかし彼らの多くは校内暴力が吹き荒れた、疾風怒濤の時代を学校現場の当事者として目の当たりにしてきた。その中で生徒集団の狂騒的な集団心理の恐ろしさ、御しがたさを痛感してきたはずである。一人の教師が40人を超える生徒達を狭い教室に閉じ込め、好きでもない勉強を長時間強いることの難しさを少しでも分かっている教師ならば、彼らの主張にはそれなりに共感できる側面があったはず。とりわけ心理的に不安定となりがちな思春期の中学生集団を相手にする難しさは時に想像を絶する瞬間があるものだ。

 観念的な理想論、教条主義的なイデオロギーに寄りかかった立場からのプロ教師の会批判はまったくの見当外れであると私は考える。40人以上の集団を相手にする場合、何らかの政治的権力が発生しないわけにはいくまい。経営論的観点も必要とされるに違いない。それらをリアルに感じて「管理」を武器に秩序回復を第一と定め、普通の教師と生徒達を校内暴力の嵐から力づくでも救い出そうとした試みこそがプロ教師の会の目指したものではなかったか、と思う。

 管理主義教育が悪い事など、今は誰でも分かる。しかし一クラス40人を優に超える途上国並みの学級編成の中での校内暴力の嵐がどれほど、当時の教師たちを追い詰めていたのか…上から目線ではなく、その辛さに対する共感的理解を抜きにして当時の学校を語るわけにはいくまい。

 実際、表では管理主義教育を批判して「金八先生」を気取っていても、実際には教科準備室にこもることで生徒指導の修羅場からひたすら逃げ続け、挙句の果てに学級を崩壊させてしまった教師たちを少なからず目撃してきた。そういう教師たちの多くは表向き、人権派、民主派を装いながら、その実、荒れた学級を放置し、大人しくて真面目な生徒たちを次々とイジメの被害者にして不登校や成績不振に追い込んでいたのではなかったか。そうした教師たちが口先だけでなく、本当に生徒たちの人権を重視しようとするならば、大人しい生徒たちの人権、授業を受ける権利をもしっかりと保障してあげるべきだったに違いないのだ。

 ※ちなみに諏訪哲二氏は教育社会学研究NO.50「教育社会学のパラダイム展開」(東洋館出版

  1992)の「転換期の教師モデル」(P.421~423)で報告者の一人として発表している。

 

 組合員であった私がプロ教師の会からの発信を数多く、重く受け止めようとしてきたのは困難校に努める立場に加えて以上のような理由からである。また彼らの多くは管理の必要性を主張してはいたが、行き過ぎた管理主義には基本的に反対していたという点も決して忘れてはなるまい。

 以下、私が所有する別冊宝島の特集、諏訪氏と河上氏の著作、及びプロ教師の会の喜入克氏の著作を列挙してみる。

別冊宝島の特集

 ・78号「ザ・中学教師~プロ教師へのステップ編~」(JICC出版局 1988)

 ・95号「ザ・中学教師~親を粉砕するやり方編~」(略 1989)

 ・108号「ザ・中学教師~ダメ教師殲滅作戦編~」(略 1990)

 ・129号「ザ・中学教師~子どもが変だ!~」(略 1991)

 ・プロ教師読本Vol.2「プロ教師の学校大論争!」(略 1993)

 ・プロ教師読本vol.3「プロ教師の教育改革総点検!」(略 1995)

  他に洋泉社MOOKプロ教師・読本Vol.4「プロ教師のしつけ論」(洋泉社 

  1997)

諏訪哲二氏の著作

 ・「反動的!~学校、この民主主義パラダイス~」(JICC出版局 1990)

 ・「日の丸」(JICC出版局 1991)

 ・「学校の終わり」(宝島社 1993)

 ・「平等主義が学校を殺した」(洋泉社 1997)

 ・「ただの教師に何ができるか」(洋泉社 1998)

 ・「なぜ勉強させるのか?~教育再生を根本から考える~」(光文社 2007)

河上亮一氏の著作

 ・「プロ教師の道~豊かな管理教育をつくるために~」(JICC出版局 1991)

 ・「プロ教師の生き方~学校バッシングに負けない極意と指針」(洋泉社 1996)

 ・「学校崩壊」(草思社 1999)

喜入克(1963~都立高校教師:)氏の著作

 ・「高校が崩壊する」(草思社 1999)

 ・「教師の仕事がブラック化する本当の理由」(草思社 2021)

 ※喜入氏の「教師の仕事…」には一部見当外れと思われる指摘があり、学校が変わるべき本質的課題

  を少しばかり見誤っているように思える。教育が商品化され教師が万能ロボットの「ドラえもん」

  と化している、官僚制が肥大化し、強権的となった教育行政が「スクラップアンドビルド」の原則

  から外れて際限なく「ビルドアンドビルド」を繰り返すようになり、学校現場を極度に疲弊させて

  いる…といった指摘には大いに共感するが、従来の「学校という枠」をアプリオリに前提とする傾

  向が見られるのは残念。今、学校側が見直すべきポイントの一つは旧態依然の「学校という枠」で

  あり、知識詰め込みと一斉講義形式に偏る授業方法であると思うが、いかがか。同じプロ教師の会

  では諏訪氏、河上氏の著作の方がより説得力があると私は感じている。

参考記事

 ◎教員も実感、小学校で「暴力行為18.6%増」の深刻     東洋経済オンライン 松尾 英明 2025.11.13

 今、なぜ小学校や中学校での児童生徒による暴力行為が増加してきているのか、その原因は単純に特定できるものではないだろう。松尾氏が指摘するように大人の指導力の弱体化という側面があるのは確かに否定できない。とはいえ、「目には目を」のように暴力には力で対抗する…といった対応がはたして暴力行為の沈静化にどこまで効果があるのかは、極めて疑わしい。

 たとえば「叱る大人がいない社会では、子どもが「悪いことをしたら叱られる」という当たり前の構造を学べません。叱られて悪いことをやめようとする子どもに暴力が横行することは、本来あり得ないのです。」という指摘は本当に正しいのであろうか。

 かつて校内暴力が吹き荒れた時代、学校は運動部顧問、体育科教師を中心にして厳しい生徒指導を行うことで事態の鎮静化を図った事は事実である。その結果、校内暴力の沈静化は実現できたと言えるが、他方で「イジメ」や登校拒否の問題が新たに浮上してきた。つまり下手な管理主義をとったとしても別の問題が浮上するようではただの「モグラたたき」に過ぎないのかもしれない。

 実際に過去の校内暴力件数や学校での暴力件数の統計を確認してみよう。

 まず校内暴力の件数は1981年がピークであることが分かる。例のテレビドラマ「金八」シリーズの第一弾が1979年10月から1980年3月まで。確かにこのテレビドラマが校内暴力を多少とも誘発した側面がある、との工藤勇一氏らの指摘もあながち間違ってはいないだろう。

 

 次に今から30年ほど前の、暴力件数が急増してきた頃の文科省の統計を見てみよう。この時代には小学校と高校での暴力件数が統計に加わってきている。また典型的な対教師暴力を中心とした「校内暴力」よりもかなり広く学校での暴力行為を捉えるようになったようで、昭和での校内暴力の発生件数と単純な比較はできないが、暴力案件の増減の動き程度はある程度、捉えることができる。この段階ではまだ中学校での件数が小学校や高校に比べて圧倒的に多い。

 最後にこの記事で取り上げている直近のデータを見てみよう。平成20年を境にして暴力件数が増大している。と同時に中学校の件数を小学校が上回り始めている。この変化をきちんと説明できる材料は今のところ不十分なものしかないと考えるので、これについてのコメントは控えたい。

 

 

 ただ言えることとして現段階を含む学校での暴力件数のピークは直近で3つ存在している。ただし、それらの内、現在の状況に関しては現在進行中の現象なのでそのピークが来年度以降になっていく可能性も十分ある。つまり現段階では今、学校での暴力事案はピークを迎えつつある、という表現にとどまるだろう。

 以上を踏まえて学校での暴力案件(校内暴力を含む)の推移を見ると、一つの仮説が思い浮かぶ。まず二番目のピークに関しては校内暴力時代の生徒らが成人して親になり、その子供たちが小学校から中学校に在籍する頃合いである点にまず注目したい。つまり二番目のピークをもたらしていたのは校内暴力世代のジュニア世代であるということ。また三番目の暴力件数急増には校内暴力世代の孫世代にあたる児童生徒が数多く関わっている可能性がある。

 私自身の経験から見ても勤務校が荒れだしたのが、二番目のピークに相当する、すなわち「校内暴力ジュニア」世代が高校生となり始めた頃とピッタリ重なるタイミングであった。そういう経験も踏まえると、現状の件数増加は親世代における反学校的文化の次世代への継承が背景に潜んでいるのかもしれない。近年、話題のいわゆる「モンペア」問題も、こうした世代論である程度は説明できそうである。

 なお最初のピーク、校内暴力が吹き荒れた時の世代はややズがあるものの、第二次ベビーブーム世代、すなわち「ロスジェネ」世代と一部、重なっているだろう。とすれば二番目の暴力件数の増加は、ロスジェネ世代である親世代の不遇、社会経済的な問題が生み出した可能性も否定できまい。

 以上はかなり不確かな仮説、憶測に過ぎない。実際、こうした分かりやすい世代論には大きな落とし穴がつきものではある。しかし、ここで管理主義を強めることが問題の解決には必ずしもつながらないのでは…という小さからぬ懸念を、以上のような観点も加わえて、この記事から感じとった次第である。

     この問題においても、最も重大なのは教師の疲弊であり、これこそが暴力事案を含む教育問題の多くを生み出している土壌の一つであろう。したがってまず急ぐべきは教師の職務の大幅な削減である。暴力案件への対応を急ぐあまり、教師の職務を徒に増やす事だけは絶対に避けるべき愚策と考えるが、いかがか。

 ◎なぜ先生は学生を「怒れなく」なっているのか 教育現場を弱体化させている1つの

  「妄想」 東洋経済オンライン 鳥羽 和久,舟津 昌平 の意見 2024.7.16

 〇日本の教育を縛る「金八先生・泣き虫先生」モデル ーー教師のブラック環境が消

  えない「意外な難点」 文春オンライン 永島 孝嗣 によるストーリー  2023.12.30

   

1980年代以降の学校教育を巡る言説に関する私的覚え書き①

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

はじめに

 これまでに購入した日本の学校教育を論じている書籍を自分の本棚に整理する上で私は「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つに大別してきた。この二つに分けた理由は極めて単純である。日本の学校教育研究は実証的な研究を進める上で極めて難しい課題に直面してきたため、有効で客観的なデータを獲得することが常に困難であり、学校問題の深層部分、核心部分には十分に迫りきれないまま、今日まで来てしまったという印象がかなり強かったからである。私が思うに学校教育を専門とする学者達でさえ、教育委員会や学校組織の強固な排他的閉鎖性、隠蔽体質に阻まれてしまい、学校現場の内実、実相を十分には踏み込んで調査、研究できていないという残念な状況が長らく続いてきたのではないか・・・従って学校の外部にいる人が学校の本当の実態を知るためには学校の内情に通じた現職教員達による継続的発信、内部告発的情報がどうしても必要不可欠であると私は考えてきたのだ。またそのような発信が学校内部にいる若い教師の成長においてもかつては極めて大きな比重を占めてきていたと推察している。

 しかし「現場からの発信」が本当に学校の実情を踏まえた適切なものなのかに関しては当然、異論があるだろうし、実際かなり疑わしい論考もあるだろうことには留意する必要がある。大学における高校教員養成の致命的欠陥も手伝ってか、日本の学校教師が自分の勤める学校現場をどれだけ広い視野に立って客観的、公平な観点から記述できているのか、に関してはどうかと思われるケースが時折目につくことはあるのだ。

 すなわち単なる主観的印象論ではなく、できるだけ客観的なデータに基づいて学校教育は論じられなければならない。ところが学校現場における客観的で核心に迫れるデータを得ること自体が難しい日本では学校改革の議論をするための土台となるべき共通認識を確立することすら非常に困難なのである。

 新卒で学校教育への十分な予備知識を持たぬまま学校現場に放り込まれた場合、多くの教師は自身の青少年期における児童生徒の立場での学校体験、さらに教師になってからの初任校の学校風土とそこにいる身近な先輩教師からの影響を大きく受けがちになる。が、当然、初任校で受けた影響の中身が広い視野に立った、適正で客観的な内容である保証は一つもない。つまり初任教師の少なからぬ人達が瞬く間に自身が勤める学校の、下手をすると旧態依然な日本的学校文化に残念ながらすっかり取り込まれてしまう、汚染されてしまう、という印象は決して無きにしもあらず、なのだ。

 そもそも若手に限らず日本の高校教師の場合、自身の学校体験(多くは進学校に偏りがちな自身の生徒時代の記憶)と初任校での教師としての経験とが、教師としてのアイデンティティーを生涯、方向づけてしまうような傾向が強くあると私は学校現場にいながら幾度も感じてきた。そしてたとえその経験が偏った経験だったとしても、その偏りを相対化する理論、視点を獲得することは多くの教師にとって極めて難しい。相対化出来るとしても多くの時間と労力を要するだろう。とりわけ若手の場合、自己を顧みる余裕すら与えられないブラック化した現在の学校現場に出てからでは大抵の場合、偏りを是正するわずかのゆとりすら持てないまま、そのチャンスを逸してしまいがちなのではあるまいか。

 かくいう私自身もその例外ではない。私は幼少期から幼稚園、小学校共にまったく学校での集団生活に適応できず、学校では一言も発することのできない子供であった。いわゆるこの場面緘黙症の状態を小学校5年生までの5年間、続けてきたため、学校不信、教師嫌いの信念が骨の髄にまで染み込んでいた人間である。そして自分の辛く苦しかった幼少期を振り返り、なぜ学校では沈黙を余儀なくされていたのか、なぜ人は自殺をするのか、など心の奥底を知りたくて大学では心理学を専攻した。さらに学校とはどういう場所なのかを知るために教育社会学を大学院(修士課程)で学んできた。したがって自分は決して伝統的な学校文化に染まることなく、学校への客観的で批判的な観点を保ちつつ、教師を続けられるはずだと当たり前のように思い込んでいた。初任当時は自分の大嫌いな学校を舞台に「獅子身中の虫」となって暴れてやる…などという、初任教師にふさわしからぬ大胆不敵な心構えでいたのだ。

 ところが高校の現場に出た途端にその心構えはたちまちくじかれてしまった。初任でありながら4月から凄まじい量の校務分担に追われる。生徒会会計と文化祭担当(文化祭前日は午前様)、教育相談(全校生徒対象のいじめ調査実施、その分析を学校の紀要に発表)と落とし物担当(毎日のように仕事があった)、授業は日本史5単位もの3クラスに選択日本史2単位もの1クラスで週17時間。剣道部副顧問に2学年の理系2クラスの副担で修学旅行の引率にも参加。授業の合間に初任研が入る。授業準備は自転車操業でまさにその日暮らし状態。通勤は当初、電車とバスを乗り継いでいたので片道90分近くを要していた。家を出るのが朝6時半、家に帰るのは夜11時を過ぎたあたりが平均。すでに9月ごろにはストレスと疲労が重なり、体重が3~4㎏ほど減少していた。目の回るようなあまりの忙しさの中で自分を見失いがちな日々が延々と続いていたのだ。

 当時の生徒たちは校内暴力全盛期の名残が見られる生徒たちがたまにいて、数は多くないが教師に正面から反抗するケースも散見されていた。授業中、騒がしくなり、私自身が怒鳴り散らすなど威圧的な指導を繰り返すような場面も少なからずあった。生徒会と教育相談は生徒指導部に属していたため、早朝の遅刻指導、頭髪服装指導なども定期的に行なわれていた。生徒会指導で育むべき自治の精神や教育相談で発揮されるべきカウンセリングマインドとは真反対の、管理主義的・強権的指導の最前線にも私は立たされていたのだ。

 加えて言い訳になるが、あまりの忙しさと疲労とストレスのなかで自分の気持ちにゆとりが失われ、普段からちょっとしたことでも生徒に対して切れやすくなっていたのも間違いない。理不尽なほどの忙しさと余裕の無さ…鍛錬主義が染みついた運動部では自分自身がスポ根アニメの影響を強く受けていたことも加わり、ほとんど体罰まがいの指導をすることすら稀ではなかった。学校文化への免疫がしっかりと身についていた…という自負は錯覚に過ぎず、思い上がりであった。もはや「獅子身中の虫」になるどころか、自分の体内には大量の寄生虫のように悪しき学校文化が続々と棲みついていったのである。

 一旦、棲みついた寄生虫は教師としての自分との共生的関係をも作り出しつつさらに繁殖していく。そのため、頑固に染みついた悪しき学校文化を自力では退治できぬまま、2校目、3校目と異動を繰り返していた。そして本務であるはずの授業から逃れるようにして終いには運動部の指導に多くの力を注いでいく。まさに自分で自分の首を絞めるようにして私の教員人生はいつの間にかひたすらわき道へ、しかも最悪の方向へとそれていた。

 こうした過ちだらけの教師としての歩みに何とか気付き、長い迷妄からようやく目覚めるきっかけをつかめたのは三部制の定時制高校に異動した50代半ばのことであった。最大の転機は運動部の指導から初めて解放された事を境に訪れた。部活から解放されたことでまず目の前の生徒たちの実態にしっかりと向き合えるだけの肉体的、精神的ゆとりを持てたのだ。クラスは不登校だった生徒や日本語を母語としない生徒、貧困に直面している生徒たちであふれていた。本質的に学校嫌いの私がなぜ大嫌いな教師を目指すようになったのか…私は退職目前になってようやく自分の原点に戻り、過去の自分を顧みる絶好の機会を手にすることができたのだ。

 そもそもの学校嫌いに加えて学校を批判的に捉える土台となりうる心理学や教育社会学を大学で学んできた…そんな自分ですら、学校を相対化し、学校教育の現状の異様さに教師としてしっかりと向き合えるようになれるまでには30年以上に及ぶ多くの時間と多くの回り道をすることが必要だった。

 ただでさえ「教育」という営みは「聖職」という古いイメージがまとわりついてしまい、人を酔わせやすい。また教壇に立ち、大勢の生徒を前にしただけで人は独特の高揚感に包まれてしまう。教師は常時、まさに「オンステージ」状態に置かれているといっても過言ではあるまい。結果的に教師の多くは時折自分自身を見失い、肝心の生徒達をも見失いがちになる。「現場からの発信」が自己肯定を遙かに超えて自己賛美、自己陶酔に陥りがちになるのは心理的にも十分根拠のあることであろう。

 そうした意味も含めて私たちは「現場からの発信」を丸ごと鵜呑みにするわけにはいくまい。だからこそ学者やジャーナリストといった外部の、比較的、冷静で客観的な立場からの鋭い論考が時に必要とされるわけだ。しかし学校教育を冷静な観点から調査分析しようとする教育社会学者達の試みが、分厚い岩盤のような日本の学校の閉鎖的体質によって絶えず侵入を阻まれてきた経緯は私も現場にいながら幾度も目の当たりにしてきた。ただでさえ忙しく、かつアラ探しをされたくない管理職や教師達にとって一見何のメリットも約束しない学校研究者の介入は基本的に煩わしく、できれば回避したいに違いない。しかし研究者が本気で学校改革に役立つ研究をしようとするのならば、日本の学校の問題だらけの現状から見てそれが結果的に学校の「アラ探し」となる可能性を避けては通れまい。しかし…むしろだからこそ多くの学校はそうした研究者に固く門戸を閉ざしてきたのである。

 減点ばかりを恐れる管理職が仮に研究を受け入れるとすれば、おそらくそれは無難なアンケート調査への協力でしかない。しかし通り一遍のアンケート調査などで問題が山積する、閉鎖的な学校現場の実態を暴くことなど出来るわけがないのである。現場での困難や課題が多くなればなるほど学校の隠蔽体質は強化される傾向があると見てよいだろう。結果的に最も詳らかにされるべき学校教育の本質的問題点の多くが学者や世間から見えにくくされてしまうのは日本の場合、現実的にどうしても避けられないことと思われる。

※参考動画

 ○「GINZA CROSSING Talk ~時代の開拓者たち~」 ゲスト:成田悠輔さん【前編】 2022年9

  月1日 2022/09/05 日経CNBC 19:04

   ◎個人情報丸見え社会のスウェーデン|どこまでマイナンバー管理?犯罪は?| 北欧在住ゆるトーク

    Nord-Labo 北欧研究室  2023/09/23  16:52

    やや視聴時間は長いが、考えさせられる場面が多く、討論にもっていくにはうってつけの動画。情

      報公開の原則、知る権利の保障と個人情報保護、プライバシーの保護との調整は難しい問題だが、

      スウェーデンでは200年以上も昔から取り組んできた大きなテーマの一つだったことに驚かされ

      る。政府や政治家、学校などでの各種隠蔽、改ざん、金銭面での不透明さ…が目立ってきた日本社

      会を変えるには参考とすべき部分が多いと感じた。

※参考記事

   〇なぜ盛った?「児童相談所の成果」 自治体「今後も最高記録を出し続けるしか」 各地で数え方バラ

      バラ 東京新聞 2023.10.4

    学校と同様に児童相談所も深刻な人手不足に直面している。相談件数を「盛る」ことで職員の増員

      配置と予算拡大を狙う意図は元教師として心情的にはよく分かる。自治体や相談所ごとにカウント

      する基準が異なる点は修正すべきであるが、学校と同様、児相の置かれている厳しい状況を改善す

      ることが急がれるだろう。

     若者と子供、特に女性に無関心な男ばかりの老害政治家たちこそが日本社会の改善を阻む最大の

      抵抗勢力なのではあるまいか。

   〇実は誰も知らない、虐待児童の実人数 調べなくていいの? こども政策担当相に聞いてみた 

      東京新聞 2023.10.7

    国が統一基準を示さないがためにまともな統計が得られない、というお粗末な実態は児童虐待にも

      みられるらしい。イジメ、不登校や自殺に関する統計もしかり。日本政治の死角がいかに大きく、

      それが致命的なものであるのか、今になって気付く。

   ◎「不登校の原因はいじめ=0.2%」という文科省と学校を信用できないワケ

  JBpress 石井 志昂,湯浅 大輝 によるストーリー 2023.8.18

  現場にいた人間からすれば、この手の調査結果は全くと言って良いほど信用できない。

 ◎不登校児童の8割「前兆あった」原因はいじめが最多

  リセマム 2023.9.21

  当然だが文科省のデータよりもこちらの方がはるかに信頼できる。注目すべきは文科省の調査結果

  と現実、学校現場との認識面における凄まじいほどの乖離の方であろう。これも教育行政自体が実

  質的な機能不全に陥っている証拠なのであり、「現実、現場を見ることが出来ない」官僚と政治家

  が招いた、絶望的な状況なのであろう。

   〇子どもの自殺411人で最多水準 「望ましい」はずの詳細調査は少数

      朝日新聞社 によるストーリー 2023.10.4

    文科省調査の411人と警察庁調査の485人とでは74人もの差が生じている。厚生労働省の514人と

  では何と103人もの開きがある。私たちは一体、どちらを信用してよいのだろうか。

   加えて「指導死」やイジメが原因の可能性がある中高生の自殺では責任官庁である文科省を中心

  に徹底した原因究明が必須であるはず。しかし全体のわずか4.6%、19件しか行われていないのは

  なぜだろう。やはり何もかもが地方に丸投げで、本気で取り組もうとしていないからである。

   文科省以下、教育委員会や学校の隠蔽体質をここでも厳しく追求すべきだろう。

 〇小中学生の自殺“過去最多” 近年増加「市販薬のオーバードーズ」による死が統計に含まれない事情 

    弁護士JPニュース によるストーリー 2023.10.5

  「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患実態調査」によると、10代の薬物使用における

    「市販薬」の割合は14年には0%だったが、16年には25%、18年には41.2%、20年には56.4% 、

   22年には65.2%と増加している。その結果として、市販薬のオーバードーズによる死亡が後を絶た

    ない…という。しかもオーバードーズによる死亡は自殺としてはカウントされていない可能性がある

    らしい。とすれば児童生徒たちの「自殺」件数は厚生労働省のものですら信用できない。

  〇不登校 茨城県内8577人 小中生最多、33%増

     茨城新聞社 によるストーリー 2023.10.2

  〇不登校の小中学生33%増 茨城県内22年度 千人当たり全国最多

     東京新聞 2023.10.7

     この記事が学校の置かれた悲惨な実情、その裏側を余すところなく示している。学校のブラック化

     とブラックボックス化、そしてそれらが必然的にもたらす学校の教育力の低下。

  これらは茨城県に限ったことではない。2022年度の不登校発生率で全国最多を記録した茨城県教委

  の的外れの言い訳めいた分析がこの問題に対する教育行政の無能ぶりと無責任ぶりをさらけ出して

  いるのではあるまいか。

   茨城新聞の記事によると県教委は「コロナ禍のほか、無理して学校に行く必要がないとの考えが

  保護者間で増えたことが要因」と分析している。県内の不登校児童生徒は前年度から2166人増え

  た。増加は11年連続。小学校が46・8%増の3288人で7年連続、中学校が26・8%増の5289人で

  10年連続だった。県義務教育課によると、学校が判断した不登校理由は「無気力、不安」が小学生

  で5割、中学生で6割を占めた。コロナ禍の制限で「交友関係を築く難しさなどが影響したのではな

  いか…不登校の急増に、同課は「登校が難しい児童生徒の学びの場の確保が重要」と指摘。不安や

  悩み解消へ交流サイトの相談窓口や24時間相談「子どもホットライン」などでも対応する。

   いじめの認知件数は、国公私立小中高校と特別支援学校を合わせ、7・8%増の2万4650件。

  「冷やかし、からかい」が5割を占めた。心身に大きな被害が生じるなど、いじめ防止対策推進法の

  「重大事態」は2件増の21件だった。…」と分析する…

   いかがだろうか。私はこの分析に強い違和感を覚える。不登校増加の原因をもっぱらコロナ禍に

  結び付けて説明しているが、これでは「10年連続」で増えている理由を十分には説明できていな

  い。不登校数の増加はコロナ禍のはるか前から始まっているのである。また不登校の原因を児童生

  徒側の「無気力、不安」に帰している学校側の判断を皆さんは素直に信じるだろうか。信じてしま

  うとしたらかなりのお人好し、というほかあるまい。私もこの調査に何度も答えてきたが、不登校

  の原因の多くは生徒間のトラブルに由来すると考えるのが世間の相場であり、児童生徒と真面目に

  向き合ってきた教師たちの一般的な印象でもある。

   しかし教育行政側、管理職側、実は学級担任すら不登校の原因究明にまったくといって良いほど

  無関心であり、たとえ関心があったとしても原因究明するゆとりがまったく無い。したがって多く

  の学級担任はしつこく繰り返されるこの調査を本音では面倒くさがり、「無気力、不安」(この調

  査は記号選択となっていて、もともと「授業が分からない、楽しくない」といった学校側の原因を

  しっかりと選択肢に入れていない、きわめて恣意的で出来の悪い調査であり、「やってる」感を演

  出するための調査に過ぎない)を原因として安易に選択しがちである。そのため、イジメ認知件数

  が増加している結果と不登校が増加している現象とを結びつけて説明することができないように巧

  妙に細工されている、見せかけだけの「エセ調査」となっているのだ。

   とはいえ、誰が見ても茨城県での急速な状況悪化がコロナ禍だけで説明できないことはもはや一

  目瞭然なのだが、それでも鉄面皮のごとく堂々とごまかそうとする、この頑固な無責任さ、責任逃

  れのための隠蔽体質は文科省からの天下りばかりが県の教育長となっている都道府県では普遍的に

  見られるものなのだと思うが、いかがか。

   教育行政に携わる人たちはいい加減、下手なごまかしをやめて、学校現場の現実にきちんと向き

  合う一層の努力をお願いしたいものである。

 〇“Fラン大学”と揶揄されるけれど…掛け算割り算ができぬまま高校を卒業する学生が少なからず存

  在している怖い事実 集英社オンライン オピニオン 2023.7.29

  この記事にはビックリ。高校では一桁の足し算が出来ない、南極が熱帯だと勘違いしている、東と

  西の方角を指さすことが出来ない、日本地図を一つの円としてしか描けない、ひらがなが読めな

  い…といった生徒が入学し、ほとんど特別な指導を受けずに何も分からないまま、出来ないまま卒

  業しているケースが少なくない。これは周知の事実であり、「怖い事実」などではない。本来なら

  ばマンツーマンの手厚い指導を必要とする生徒たちに対応するだけのゆとりと能力を今の教師に期

  待するのは間違いである。同様のことはもっと頻繁に小学校、中学校でも起きていて、実際にはど

  の学校段階でも「形式卒業」が繰り返されている。大学だけが例外なわけがない、という当たり前

  の事に過ぎない。

 ○成田悠輔氏 日本人のデータリテラシー不足に嘆き「教育の失敗であり、社会の失敗」

  東スポWEB 2022/11/17 18:48

  日本の場合、学校や教育行政に限らず、様々な政策がDXの遅れや情報公開の大きな制約ゆえに実

  際には政策の有効性、成否をきちんと検証されることなく、時の政権の思惑に左右される形で、ま

  さに「垂れ流し」状態のまま、次々と実行に移されてきたと考えられる。

 〇「うちらは捨てられてる」先生が教室に現れず、授業を受けられない子どもが増加…教育現場で今

  起きている“非常事態” 文春オンライン いしい しんじ によるストーリー 2023.6.19

  学校教育の隠蔽体質は、ただでさえブラック化した学校において正規教員の不足という最悪の事態

  の進行をも招いてしまった。学校自らが教師不足という致命的な事態を世間一般からは見えにくく

  していたのだ。それが社会問題と化し、表面化してきた現段階に至ってしまっては最早、手遅れに

  近いほどに学校の病巣は進行し、肥大化しているのではあるまいか。もはや手の施しようのない末

  期患者と同様、日本の公教育は大げさに言えば存亡の危機に直面しているのではないのか。垂れ流

  し状態の「教育改革」の連打がいかに学校現場を疲弊させ、限界まで追い詰めてきたか、改めて教

  育行政の責任を問いたい。

 〇公立小・中学でのいじめ認知件数 自治体間で最大30倍の格差

  毎日新聞 によるストーリー 2023.6.21

  学校によってはイジメ認知件数がゼロのところもあったという。もちろん現実的に見て「ゼロ」は

  ありえない数字である。といっても別に驚くことはあるまい。市町村によっては学校からの報告に

  虚偽が含まれるのは当たり前であり、むしろ普通のことではないのか。管理職が自らを不利にする

  ような報告をお上にあげるわけがない、と思うのが教育界の常識。全国学力テストの結果がほぼほ

  ぼ信用できないのと同様に、学校の上っ面をフワッとなでる程度の安易な手法による報告や調査で

  学校現場の実態がつかめる、と思う方が今やあまりにも能天気なのだ。

   いや、もとより調査を命じた側も「やってます」感を演出するためだけに嫌々、調査を行なわせ

  ているに過ぎないはず。でなければ神戸市のようにイジメ事件の隠蔽が学校や教育委員会の中で執

  拗に繰り返されるはずがないのである。逆に文科省が各教育委員会や学校の牢固な隠蔽体質を知ら

  ぬわけがあるまい。所詮は「同じ穴のむじな」、この調査自体が国民を欺くだけの、ただの茶番だ

  と思うべきだろう。

   しかし、こうしたアリバイ作りを主な目的とする虚しいだけの仕事だからといって決して侮って

  はいけない。学校のブラック化はお上から送り付けてくる文書の山が生み出している側面もあるか

  らだ。教員不足が問題視される以前から指摘されていたのが、学校における管理職希望者の減少で

  あった。実際、傍から見ていても教頭や教務主任の仕事量は異常なほど多く、多岐にわたってきて

  いる。管理職として必要とされる能力はもはや学校教育への深い理解や豊富な経験、授業の力など

  ではなく、膨大な事務仕事を滞りなく表面的にスマートにこなす事務処理能力の高さに特化してき

  ているという印象が強い。

   形骸化した事務仕事の削減は文科省以下、すべての部署に共通した切実な願いとなっているはず

  だ。そしてこの願いが実現するためには予算と人員の増大が必要不可欠であることは言うまでもな

  く、しかも予算増の可能性は現政権下、限りなくゼロに近い。これに由来する先の見えない絶望感

  こそが現今、多くの教師の心身を追い詰めている最大の元凶なのではあるまいか。

 〇「毎週100枚の書類が教育委員会から届く」藤原和博が見たベテラン教員を忙殺する"いらない書類仕

  事"の実態 プレジデントオンライン 藤原 和博 の意見 2023.6.21

 〇「教育再生」の象徴、なぜ年に一度も開かれない?…4都県232市区町村で会議がゼロ

  東京新聞 2023.6.25

 

 ただし、学者達が日本の学校教育を諸外国と比較して制度的に俯瞰して論ずることは教師が自分の立ち位置を冷静に眺められるという点で役立つ。また一部の学者が試みた生徒と教師間でのやりとりを分析するようなミクロな視点も授業技術や教師及び児童生徒理解の向上という点では有効である。他にも若者文化論や教師文化論の研究は自分としては現場に臨む上で有益だったと感じる。とは言え現場の実態を調査することを本分とする教育社会学者ですら、学校教師や児童生徒に寄り添った、現場感覚に近いデータを獲得することは極めて難しい。このことをほぼ断言できるほどに、今の学校を覆う隠蔽体質は既に強化され、普遍化されてしまっている。

 要するにいずれの立場からの発信も限界があり、どちらにも偏るわけにはいかないということであり、二つの立場からの発信を総合的に捉えるといった、学者ですらかなり難易度の高い努力が日本の教師達には常に求められてきた、と私は考えているのだ。

 以上のような観点から「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つに大別して私の教員時代に相当する過去40年近くの学校教育に関わる言説を概観してみようと思い立ったわけである。ただし私は学者の調査上の限界を踏まえ、どちらかと言えば学者からの発信よりも「現場からの発信」を重視してきた。また学問的には自分の専攻もあるが、実証性と学校現場を重視する教育社会学の成果を偏重してきた。決して教育学全体を見渡してはいない点をご了承頂きたい。しかも教員生活の後半は勤務先が教育困難校続きであったこと、さらには学校教師全体の労働環境の悪化などが重なり、教材研究以外の読書がままならなくなっている。結果的に本を買っても読めないことが続いたために、教職最後の10年間はわずかの本を読むことすら出来なくなっていた点をご容赦願いたい。

※読書時間は次第に減ってしまったが、読書しなければならないという義務感だけは背負い続けていた

 ため、同じ本を2冊、3冊と買ってしまうことが40代、50代で徐々に増えていった。つまり本を買っ

 てはみたものの、ほとんど読めていなかったため、本の題名や買った事自体覚えられずにひたすら強

 迫観念、義務感に駆られて同じ本を繰り返し購入していたのである。

 

 また「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つの観点はいずれも大学時代に教育社会学を少しだけかじった経験に基づく、自分なりの謬見に満ちた選択であり、あらゆる言説を公平な観点から網羅できているわけではない。私は基本的に怠け者であり、理解力、読解力に乏しいので、以下の文章はあくまでも自分の狭い了見から、結局は主観的に「チラ見」した程度のものに過ぎない点も何卒ご容赦願いたい。

 もちろん、教育社会学以外に心理学、それも臨床心理学を少しだけかじった経験から青少年期の心理、カウンセリング、子供・青年文化、非行や不登校、イジメ、若者の自殺関係なども浅く、つまみ食い程度に読み散らかしてきた。これらのテーマも広い意味では教育を巡る言説に含まれる。しかし自分の能力上の限界はあまりにも大きい。ここでは自分が教師となった1980年代以降の約40年間にたまたま自分の目に映じ、自分なりに気付くことの出来た(と思えた)日本の学校教育を巡る言説のザックリとした流れ、変遷にまずは的を絞ることにしたい。

 繰り返しになるが怠け者の私が読んだ本は極めて数が少ない。「現場からの発信」でこれから紹介する論者達は自分からすれば驚異的な読書量と高い読解力、分析力に基づいて自身の著作を世に問うている。当然のことながら私はそれらを逐一論評するだけの力量を持ち合わせていない。したがってここではこの40年近くの学校を巡る言説の変化の一部を教育改革の動きと絡め、独断と偏見に基づいて指摘しつつ、同時に自分の教員生活を振り返ることに留めたい。

 また「学者による発信」に関しては尚更、私の勉強不足、能力不足が露呈している。従って以下の考察はあくまで私の一教師としての回想録という性質を併せ持つ。実際には学校教育に関する言説へのほぼ個人的印象論のようなものに過ぎない点を予めご理解頂き、至らぬ点が多々あることを是非ご寛恕頂きたい。


②に続く(なお表題が長すぎるので②以降は「私的覚書②」等、略記していきます)

現代日本における公教育の病状と原因についての私見

 

参考動画

◎【司馬遼太郎】「このままでは日本は滅ぶ」空気を読みすぎる日本人の”最大の弱点”

 とは 偉人の名言コレクション  2026/04/15  14:26

 日本の学校教育の危うさを考える上でも大いに参考となる言葉だろう。もちろん、個人の英雄的言動を余りにも過大視する傾向が司馬史観にはあるかもしれない。しかし、「タイパ」や「コスパ」といった打算的な言葉が飛び交う現代の日本社会に漂うモヤモヤした停滞感、閉塞感を吹き飛ばせるのは司馬の言葉であるようにも思える。

参考記事

◎"有名校長"が去った後どうなった?公立の学校改革は難しい、「大胆」だけではない本

     当に必要な視点 東洋経済オンライン 前屋 毅 2026.6.27

     公教育の改革に際して最も必要な視点の一つが、教員養成教育と教員人事のアップデートであると個人的には考えている。学校教育の目標と方法を今後、アップデートしていくにはひとまず先に教師たちのマインドセットをアップデートしていくことが必要である。同時に教員採用試験の内容と管理職登用試験の内容もこれに沿う方向でアップデートされるべきだろう。でなければ改革を実現し、発展的に継続させるうえで必要不可欠な人材が継続的に確保できまい。

     そもそも教師集団の過半数が日本の学校教育の諸問題と改革の方向性を理解し、把握する知識に欠け、旧来の考え方に囚われている限り、どんな改革も長続きしないのは当然である。まずはそこにメスを入れなければならないのだ。大胆な改革を実行した麹町中や桜丘中の当該校長の技量不足や改革の一部の欠陥によって現状の停滞が両校に生じたわけではあるまい。教育改革が継続するにはそれにふさわしい人材が豊富に供給され続けられなければならない。しかし日本の現状は教員採用試験の倍率低下などによってむしろ真逆に動いている。公教育の改善は遅々として進まず、児童生徒だけではなく、若者の学校離れ、教職離れも加速する一方である。

     その根本原因はくどいようだが学校のブラック化とブラックボックス化の二点にある、というのが私の見立てである。したがって学校改革はまずこの二点の改善、解消を急ぐべきだろう。個々の学校改革の取り組みレベルでは何も変わらない…これこそが日本の公教育の決定的な行き詰まりを示しているのだ。

◎日本人はなぜ空気に支配されるのか。脳科学者・中野信子が伝える「支配力の源」

     3つの要素 現代ビジネス 中野 信子(脳科学者) 2026.6

 空気を読む、という時の空気感は「責任の所在の不可視化、論理(ロジック)の無効化、また臨在感的把握の3要素から構成」されるという中野氏の指摘は学校や職場を含む日本社会の閉塞感を理解する上で極めて有効に感じる。とりわけ学校の隠ぺい体質を語る上では欠かせない視点であろう。

     …責任の所在の不可視化は、「空気が決めたこと」になれば、結果として失敗しても、「あのときはそういう空気だったから仕方ない」という言い訳が成立し、誰も責任をとらず健全なフィードバックが行われ得ない構造が生まれます。むしろ健全なフィードバックを行った人間から排除されるでしょう。「空気」を否定した者は、もはやその「空気」を吸って生きていくことはかないません。

     論理の無効化も、同様の構造によって起こる現象です。どんなにデータや数字で「それは不可能だ」「間違っている」と証明されたとしても、その場の「空気」が賛成に傾いていれば、反対意見を口にした者は排除されます。それは神のごとき支配者たる「空気」に「水を差す」、つまり「論理」という異教の神を崇める背信行為、共同体への反逆行為にほかならないからです…

     したがって学校の隠ぺい体質も日本の空気を読む伝統が盤石である限り、安泰であり続けることになるだろう。逆に言えば日本の学校に巣くってきた隠ぺい体質こそが日本社会の「空気を読む」文化を再生産してきたわけである。もちろん空気を読む文化は日本の「おもてなし」サービスを生み出し、他者への敬意を失わない礼儀正しさ、規律正しさの源流でもあり、「空気を読む」文化の一方的な否定は日本の良さをなくすことにつながりかねない。

     とはいえ、情報化社会の進展による誹謗中傷の激化や学校でのイジメを放置したままで良いわけではなかろう。多様化が進み、急激に変化する世界情勢の中で旧態依然を続けるわけにもいくまい。日本社会の在り方のどこをどの程度変えていくのかという課題は学校教育が先導して解決していくべき側面があるだろう。

     日本の伝統文化は必ずしも無責任文化ではない。江戸時代、武士道が一定程度成り立っていたのは責任の取り方の潔さが日本人の間で賞賛されていた証拠でもある。また科学的で合理的な説明が完全に無視されてきたわけではないことは、明治維新以降の日本社会における急激な近代化が証明しているだろう。「西洋芸術、東洋道徳」「和魂洋才」などという言葉に象徴されるごとく、日本は海外の文明を自国の都合良く、巧みに取捨選択を重ねてきた。現時点でも日本はそれを繰り返せば良いのだ。では何を選択して取り入れ、何を捨てていく、ないしは削減していくべきなのか?

     学校は学習する場であることを第一義の目標として、他の職務をできるかぎり削減すべきである。特にむやみやたらな精神主義を捨てて科学的合理性をより尊重する方向へと舵を切っていくべきだろう。個性の多様性をあまりにも無視した、行き過ぎた「鍛錬主義」、「画一性重視」、「集団主義」、「管理主義」の要素を徐々に薄めていき、個々の多様性に寄り添うべく、自主的な学習を支えていくきめ細やかな教育の在り方がより一層求められているはず。

     こうした学校教育の変革を実現していくためには、その推進力の土台となるべき教師たちがまずは変わっていくべきであろう。だからこそ、大学における教員養成教育の改革が急がれるのだ。また教員採用試験の在り方、教員人事の在り方もそうした方向性に沿って同時に刷新されるべきである。

     以上のことを進めていく上で、学校現場では教育目標をしっかりと吟味せず、曖昧にしたままやたらにチームワークばかりを叫ぶ、旧態依然の教員社会にきちんと「水を差す」言動がより一層必要となるだろう。児童生徒の多様性、個性を尊重する前に、教師個々人の個性、多様性がまずは尊重されていなければならないはずである。

◎「社会人が《1年で教員免許取得》できる新課程」創設へ、それでも人材が集まるとは

     思えない…背景に「学校現場の特殊性」

     東洋経済オンライン 庄子 寛之 2026.6.11

     データを含めて非常に有意義な記事であり、教職にかかわる人たちには必読。何なら授業で扱っても面白い。ただし日本の学校教育を停滞させ、低迷させてきたのはその場しのぎのゴマカシばかりでかえって学校を疲弊させてきた教育行政の迷走を四つ目の問題点として加えるべきだろう。

参考動画

◎【知性の拒絶反応】なぜ「正しい人」は抹殺されるのか? 100年後の英雄は 現在

 の狂人 センメルヴェイスの悲劇 神のみぞ知る 2026/03/27  29:51

 科学の精神が十分に浸透していなかった19世紀中ごろの西欧医学では、科学的なアプローチを忌々しく感じる保守派、主流派が幅を利かしていた。「医者は手を洗ってから医療行為をなすべし」という、現在では当たり前の心構えを説いた医学者センメルヴェイスが医学界で異端者使いされ、最終的には自殺に追い込まれる。

 この悲劇的な話は客観的なデータ、観察、実証を重視する現代社会では完全に過去の話となっているように感じるかもしれない。しかし、いまだに科学の洗礼を十分に受けぬまま、頑なに伝統的な経験主義の枠内に閉じこもっている世界があるとしたら、皆さんはどう思うだろう。21世紀の今、そんな古色蒼然とした世界が残存しているとしたら奇跡というほかない…そんなことなどあり得ない…

 しかし日本の学校教育の世界は200年ほど昔の西欧医学会と大差ないほどに、ゴリゴリの守旧派で支配されてきた、と私は感じている。もちろんIT化、DX化といった小手先における科学技術の導入は日本の学校でも試みられてきた。しかし画一的で一斉講義形式の授業は日本の学校にいまだ幅広く残存している。教師の世界は相変わらず上意下達で一方通行…閉塞感が強く民主主義とは程遠い現状が続いている。

 とりわけ問題なのは児童生徒の心を科学的に理解するための知識を持つ教師が極めて限られている点。学習心理、臨床心理、社会心理への理解は教員ならば誰にとっても必要不可欠であるはずなのに…

 また学校が抱えている問題点への社会科学的探究の成果が教師たちにほとんど共有されていない。素朴なレベルにおいてすら、学校教育における欧米と日本との比較すらまともにできない教師が圧倒的に多い…違わないか。そうした日本の学校教育現場ではびこってきたのが教員集団における先輩後輩の縦社会を通じた、盲目的な先例重視、伝統保守の精神であろう。

 日本の学校社会の夜明けはまだまだ先の事なのだと思うのだが、いかがか。

参考記事

◎「自分は正しい」が根源、《学校でパワハラ多い理由》外で評価が高い校長ほど学校

     内で教職員が苦しんでいることも     東洋経済オンライン 長島 ともこ 2026.4.15

 校長としてのあるべきまともな経営論、組織論がこうして記事になる事は滅多にあるまい。この記事はその点で極めて貴重なものと考えるが、いかがか。

 これまでの学校教育論で最も欠落してきた教員組織のあり方に関する経営論的視点がここには見られる。特に校長会や教育委員会への批判は実に真っ当なものであろう。ぜひ、管理職や教育委員会の方々はこの記事を熟読玩味していただきたい。とりわけ千葉県教委の面々、校長、教頭らには深い反省が迫られるはずである

 教師たちが自由で個性的な学習や授業の試行を頭から否定されているような職場において、児童生徒への探求学習が活発に行われ難いのは自明の理であろう。まずは教師たちの多くができるだけ納得できる、双方向のコミュニケーションを基にした学校経営や校内人事を可能とするシステムが必要である。そのシステムを構築するのは学校経営者たる管理職の大きな責任であるはず。

 しかしそうした自覚がある管理職はあまりにも希少であるというほかない。そして希少となってしまう理由は、多くの管理職が改革意欲に満ちた学校運営をどう実現すべきかといった肝心な視点を完全に欠落させ、ひたすら無難に時を過ごす事ばかり考え、結果的に伝統の保守に走るからではあるまいか。

◎「戦略を持たない管理職」が増殖する組織に共通して起きている、構造的問題とは 

     ダイヤモンド・オンライン 坂田幸樹 2026.4.3

 公教育、公立学校がなぜ停滞し、衰退に向かっているのかを説明する上で非常に役立つ記事であろう。公立学校の校長には管理職としての管理責任は一部、認められているが、経営者としての経営責任はほとんど認められていない。事実、学校行事の多くは学校長の判断である程度は改変可能なのだが、それを断行した校長に出会ったことは無い。どう見ても管理責任を問われるだけの管理職に学校経営の改革ができるはずもないのだ。

 かつて麹町中学校で工藤勇一校長による大胆な改革が実現された。このケースは学校経営に関してそれなりの知見があり、自分なりの信念や意見を持つ人ならばある程度までの改革が可能であることを証明している。しかし、実際にはこのケースに追随する公立学校は極めて稀である。なぜか。

 …管理職の評価基準が「戦略の質」ではなく「実行の忠実度」に置かれています。つまり、上の指示をいかに正確に、早く、トラブルなく実行したかが評価されます…

という点に大きな問題があるに違いない。特に公立学校の管理職は「実行の忠実度」ばかりが偏重されてきた。公立学校の管理職の多くは学校経営に関する独自の理念、目標をほとんど持つことなく、教育委員会や文科省の命令、指示への「忠実度」を示す事に偏っているのだ。したがって学校を改革する上で不可欠な動機付けや基本的知識すら持たない人たちによって公立学校は運営されている。

    「上意下達」の、ただの下僕、「飼い犬」に過ぎない管理職に、本質的に強力で良質のリーダーシップなど期待できるわけがないのだ

 …「何かあれば必ず上に確認する」という文化が強い組織では、管理職であっても自分の判断を下す前に、必ず上司の承認を得ることになります。これを繰り返すうちに、「自分で考えて決める」というプロセスそのものが不要になり、判断力は育たなくなります…

 つまりひたすら上からの指示、命令に従うだけであり、公立学校の管理職自体が、昨今、批判されてきた、ただの「指示待ち人間」で満たされている。

 …市場データ、競合情報、経営課題を管理職レベルまで共有することが重要になります。情報がなければ戦略は生まれません。「知らせすぎると混乱する」という懸念を持つ経営者もいますが、適切な情報を持つ管理職の方が、結果として質の高い判断を行います…

 すなわち外に向かって門戸を閉ざす隠蔽体質の強固な公立学校では、そもそも管理職に質の高い判断を求めることができない。

 以上の点において公教育の崩壊は必然となる、と思うのだが、いかがか。

◎いじめ対応に不信感…当事者の家族が取材応じる「見て見ぬふりしているのか」札

     幌市教委は独自のガイドライン策定へ STVニュース北海道 2026.4.4

 この記事ほど、イジメ隠蔽と学校のブラック化との因果関係を明確に指摘した報道は無かったと思うがいかがか。旭川女子中学生凍死事件で注目されてきた北海道の教育事情だが、その後も大差なく隠蔽は続いている。それは学校のブラック化が何ら改善されていないからであろう。したがって学校業務の大幅な削減こそがイジメ問題への対応力を高める最大の政策であると私は考える。

◎「生産性が上がるわけねえだろ」なぜ優秀な官僚に“ムダな手続き”ばかりやらせる

     のか 落合陽一が嘆く『日本型組織の病理』【落合陽一×先崎彰容】

     文春オンライン 落合 陽一,先崎 彰容 2026.3.30

 日本型組織の弊害はそのまま学校組織の病理にも結び付く側面があるだろう。いまだに紙ベースの文書主義、ファックスが現役で活躍する組織にスピード感や効率性を求めるのは無理筋だろう。福沢諭吉が私学に拘ったように、日本の高校も私学を増やした方が高校教育の質を向上させ、時代の流れに遅れぬ教育を実現できる可能性は高くなるに違いない。

 現在、教師の多くがもっぱら学校の体裁を取り繕い、「仕事をきちんとやってます」感を演出するためのアリバイ作りとしての事務作業に煩わされているのは、公立学校が官僚組織の末端におかれているせいなのかもしれない。そうした不毛極まる雑務が8割も占めている国家公務員たちのやるせなさと比べればまだ公立学校の教師たちの方が「やりがい」に満ちているのだろう。

     しかし教師の休日や放課後の時間を奪うなど、仕事量の多くを占める部活動は官僚の仕事にはない。職場のブラック度に大差はあるまい。むしろ教員の社会的地位の低さを加味すれば、公立高校のブラック度は高いのではあるまいか。多くの文科省の官僚たちはそのことを見誤っているように思えるが、いかがか。

〇「部活」強化で魅力向上 東京都教育委員会、都立高40校54部を指定

 東京新聞 2026.3.27

 教育委員会こそが学校のブラック化を加速させている張本人であることはこれではっきりと示された。授業の魅力度アップこそ、本来、最重要の学校目標であるはずなのに、この動きには授業を二の次とするようなゴマカシの発想が見え隠れしている。部活動の実績で高校の魅力度向上を図るという、周回遅れレベルな時代錯誤の目標設定に新たな魅力を感じる中学生がどれほどいるのだろうか。

 施設、指導者、経験値、卒業生のバックアップ、ネームバリュー…どれをとっても私立の名門スポーツ校にかなうはずのない競争に敢えて挑もうとする…この試みに都立の勝算があるとは寸分たりとも思えまい。恐ろしいほどにトンチンカンである。

参考動画

◎【学力は後から伸びる】非認知能力を先に鍛える理由|勉強=苦行は危険?学び続

     ける力の育て方【中室牧子 × HR高等学院】

     HR高等学院の非常識な職員室 2026/02/26 18:19

     歯に衣着せぬ爽快な物言いに定評のある中室先生の舌鋒は極めて鋭い一方で、エビデンスを重視した慎重で誠実なスタンスも加わっており、参考になる点が非常に多い。この動画も教員だけでなく、不登校の子や受験生を抱える保護者にぜひ視聴していただきたいイチオシの動画である。

     中室氏の指摘する文科省官僚が優先的にこだわってきた三種の神器「標準授業時数」「学習指導要領」「教員定数」こそが日本の学校教育をダメにしてしまった巨悪であり、学校をブラック化し、かつ過剰な集団主義を招いた元凶そのものだろう。この指摘は見事に日本の教育行政の負の本質を捉えており、官僚だけではなく、教師や保護者たちもまた肝に銘じて覚えるべき名言である。この三種の神器こそ、学校教育の同質圧力を強め、児童生徒と教員の自由を奪い、不登校や落ちこぼれ、吹きこぼしを生み出す張本人なのだ、私は思うのだが、いかがか。

 今後は中室氏が指摘するように探求学習などを通じて児童生徒の非認知能力を伸ばし、大学教育の根本的な見直し(入学要件よりも卒業要件を重視)を進めていくべきであろう。とりわけ大学教育の中で教員養成教育の見直しを徹底的に行わないと、探求学習の指導者は十分な数が用意できまい。

◎【究極の問題提起】『生きて行く上で社会性は本当に必要だと思いますか?』人生で

    一番大切なコトとは。。。 成田悠輔の教育論    半熟仮想 2024/06/14  13:27

   疑うことなく子供たちの社会性を高めることを至上命題にしてきた教師は今も少なくあるまい。学校で集団生活することを通じて社会性が涵養される、との信念は日本の場合、社会全体に行き渡っているとさえ感じるが、いかがか。

 社会性を身に付ける、という口実の下に資本主義的市場競争を軸とする競争社会への積極的参入をすべての児童生徒に促す…公教育の本質的狙いは、実はそこにあるのかもしれない。つまりある種の「社会性」の涵養こそが、現代の学校における社会化機能の中心なのかもしれない。

 国民の「社会性」の涵養を通じて全国民を同じ土俵に乗せ、競わせる。すなわち人材の選別と配分を効率的に実現する…という古典的な社会的機能を相変わらず公教育は果たしているわけだ。「社会性の涵養」というキレイごとを掲げていれば国家的には日本の経済競争力を高めつつ、社会秩序も高い水準で保てる…

 実際、強い協調性と没個性を強要しかねない同調圧力との境は私たちにとってかなり曖昧に見える。ある種の集団主義的社会性を身に付けさせることが明治期以降、日本の学校教育の究極的な目標として設定されてきた。しかしこの教育の流れは、ネット社会の進展の中でそろそろ見直されるべきかもしれない。多様性の尊重、という価値観を否定的に見る風潮が出てきている昨今、成田氏の主張は強烈なアンチテーゼとなっているように思える。

 個別最適化の教育と多様性の尊重とは重なることの多い重要な教育目標だ。これらはこれまでの一斉講義形式の授業に代表される画一的で管理主義的な公教育を少しでも多様性に満ちた柔軟な形に変えていく上で、高く掲げべき大切な理念であり続ける。成田氏のややトゲのある過激な口調に反発する前に、まずは学校がこれまで果たしてきた社会的機能の光と影の両面を見極めておきたい。

◎【日本の公教育は、古くて貧しい】東京と地方の差が大きい/不登校34万人/知識

 の詰め込み方も多様/学校のWiFiが繋がらない/フリースクールの月謝補助を/教

 育機会確保法による変化/軍隊教育マインドの名残

 PIVOT 公式チャンネル 2025/03/22  29:56

 白井氏が指摘しているように公教育の古さと貧しさは確かに日本の学校教育における大問題であろう。そしてフリースクールを含む学校の多様化を生み出すにはまず国家による学校教育への統制を緩めることが必要である。

 公教育だから統制を厳しくするのは不可避だ、とするのは教育観の古さと貧しさに由来する側面が小さくないのではあるまいか。教育行政の画一的管理主義こそが学校教育の管理主義を蔓延らせている根源ではないのか。

 軍隊教育のマインドが残存する学校教師の問題は確かにあるが、そもそも軍隊教育のマインドを持つ政治家と官僚の責任こそ、強く問われるべきであると考えるが、いかがか。教師の質の低下を問う以前に、問われるべき問題は数多くあるはずだ。

◎【車いす生徒】合格しても入学しない約束で受験?入学拒否に波紋…設備面の配慮

 すべき?|ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2025/04/16  20:00

 災害時の避難場所とされている公立高校には本来、備えられてしかるべき冷房設備やエレベーター、バリアフリーの各種設備、障がい者用トイレがまったく無い、ないしは不足しているケースが千葉県の場合、決して少なくない。とりわけエレベーターは多くの公立高校に一台も存在していない。日本の「公教育の古さと貧しさ」がその背景に広く存在しているのだ。根本的にはGDPに占める教育予算の割合が先進国の中で長く最低レベルであり続けたことに平気でいられる日本の政治の問題である。にもかかわらず設備の不備をもっぱら個々の学校や各教育委員会の責任と見なすこと自体、議論としてズレ過ぎていると考えるが、いかがか。

 高校の場合、ほとんどが4階建の校舎である。4月に重い教科書や機器などを幾度も往復して4階の教室まで運ぶ労力は並大抵のものではない。春を迎えるたびにエレベーターを備えている他校をうらやましく思う教師は今も圧倒的に多いだろう。

 生徒の保護者にも車いすの利用者、杖などを必要とする人はいる。生徒だけではなく、障害を持つ教師や保護者、来校者、とりわけ避難時の住民たちの中には特別な配慮を必要とする人が少なからず存在する。だとすれば、インクルーシブ教育を担い、避難先をも引き受けた学校にはどこであれバリアフリーの設備が当然のごとく備わっていなければならないはず…なのに、この有様だ。

 日本の公教育の余りの古さ、貧しさにうなだれるほかない。

〇【財務省】授業で四則演算やbe動詞…義務教育の内容?大学側は?“教育の質”は検

 証可能?中室牧子氏「人に投資・リターンの確認を」|アベヒル

 ABEMAニュース【公式】  2025/04/23  26:58

 財務省の学校に対する古臭い認識、無知さ加減には呆れるばかりだ。義務教育における「落ちこぼれ」の大量発生が有効な救済措置もとられないまま高校教育に引き継がれ、高校でもほとんどが救済されないまま大学にまで引き継がれている。大学進学率が50%に達した現在、大学生でアルファベットや割合、分数が理解できない者は決して少なくあるまい。

 学力どころか出席をも軽視する形式進級、形式卒業を当たり前とする義務教育の在り方が変わらない限り、日本の高校教育や大学教育を変えることはできないだろう。にもかかわらず、トップダウン的発想から高等教育、大学教育を変えるだけで教育の質の向上を図ろうとするのはまったくのナンセンスであり、教育全体を見渡すことの出来ない偏頗な発想に過ぎない。

 いわゆるFラン大学の存在は、大卒という学歴を偏重する日本企業の、あからさまな手抜き採用人事のあり方にも起因するのであり、「営利追及に走っている」とばかりに難癖をつけて一方的に大学側の責任を問うのは的外れであり、片手落ちだろう。たんに需要があるから供給が生じているだけではないのか。

 財務官僚のようなエリート進学校の卒業生たちに、日本におけるFラン大学の社会的な存在意義への理解がイマイチ足りないのは当然と言えば当然ではある。しかし自分たちのエリート主義的認識に大きな偏りがある事への自覚が不十分であることは認めるべきであろう。98%の進学率に達した日本の高校に存在する数多くの教育困難校もまた、それなりの存在意義はあるのだ。

 仮にFラン大学が日本から消えてしまうと、一体どんな不都合な事態が発生してしまうのか、少しでも想像してみればよい。若者の失業率と犯罪発生率、貧困率は急激に高まり、いわゆる「無敵の人」が急増してしまうに違いない。

 40年近く前に高校における教育困難校を「未成年失業者収容所」と表現した方(「当節定時制高校事情」佐々木賢 有斐閣新書 1987)がいたが、Fラン大学の存在意義もまたしかり、である。下手をすれば犯罪予備軍たりうる若者たちを収容する「予防拘禁施設」という社会的機能の側面から見れば、Fラン大学の存在価値をプラスに評価することも可能なはずなのだ。

 確かに「高校」とか「大学」とはあくまでも名ばかりで、実態としては一部、義務教育のやり直し施設、果ては一部、少年院、鑑別所兼職業訓練施設と化している学校も無いわけではあるまい。

 西欧や北欧のように高校レベルでの職業教育が発達していて、職人、技術者の社会的地位がさほど低くない社会では、大学に進学しない若者が路頭に迷い、犯罪に走る危険性は日本ほど高くはあるまい。リカレント教育が一般化した西欧や北欧ではいったん就職した後で大学進学する者が珍しくない。

 しかし日本では職業高校が低迷しがちであり、職人の社会的地位も決して高くはない。中卒や高校中退で就職した若者が社会的地位を高めていく方途は、プロスポーツや芸能界を除くと日本では極めて限られている。この問題を放置しておいて、学校教育ばかりに責任を転嫁するのはいかがか。

◎【問題提起】半径2メートルの“教育観”を壊せるか|元校長が、教育は“宗教”と語

 る理由【後編】#8 東修平の対話チャンネル【公式】 2025/04/25  38:24

 高校教育の改革を主題とした記事や動画はこれまで極めて少なかったと思うが、いかがか。昨今の高校教育無償化を巡る論議によってようやく高校教育への注目度が高まってきたのだろうが、高校教師にとっては貴重な動画だと考える。

 元高校校長の荒井氏の指摘の中で同府県立高校の一部を市町村立にして地域社会活性化の核としていく案は極めて興味深い。公民館や小中学校、高校などが一体化して地域社会の核となれれば、部活動の地域社会への移管も進むだろうし、児童生徒の異年齢間の交流も活発化するだろう。また都道府県立高校が抱える均質化、同質化の圧力を低め、各学校の個性化、自由化が進むかもしれない

参考記事

〇日本人は世界の中でも「人を信頼する傾向が極めて低い」人種…その背景にある残念

    な社会構造 プレジデントオンライン鈴木 裕介 2025.7.30

    数多くのテストや試合を通じて競わせることが、必ずしも自己肯定感を高める事には通じず、むしろ自他への信頼感を損ね、自己肯定感を下げる危険性があるかもしれない…という指摘は日本の児童生徒の自己肯定感、幸福感の低さを説明する観点かもしれない。

    相互監視の窮屈な社会が生み出す「安心」感は自他の効能感によって生み出され、裏切り者の排除という厳しい罰則で支えられている…という指摘は日本社会でのイジメ、パワハラ、不登校、引きこもり、自傷行為の発生要因を説明する重要な観点かもしれない。

    自己犠牲を美化し、自己効能感と協調性、集団の結束力ばかりを高めようとする日本の集団主義的学校教育風土を根本的に見直す上で、これらの観点は極めて有効ではあるまいか。

◎教育現場のリアルな実態…教員の8割が10時間以上勤務    リシード 2025.7.29

 …出勤してから退勤するまでの教員の勤務時間は平均11.17時間であることが2025年7月29日、小学館が運営する教員向けWebメディア「みんなの教育技術」の調査結果から明らかになった。8割を超える教員が10時間以上、4人に1人が12時間を超えて勤務している状況にあった。

 教員の勤務実態に関するアンケートは、5月20日から6月30日にかけて全国47都道府県の教育関係者を対象に実施。Webメディア「みんなの教育技術」でのアンケート形式で実施され、有効回答数は5,412人だった。…

 この調査は文科省や各教育委員会による同様の調査よりも、はるかに信用できるだろう。

◎内申点の評価実態、名古屋市が全中学校調査へ 教育長「非常に驚き」

 朝日新聞社 2025.3.25

 この記事の内容には驚愕させられる。名古屋市内の中学校で一部、相対評価的性格の評価方法が適用されていることに、教育長や市長が憤激しているというのだ。

 中学校の内申点は進学校以外では高校入試の際に大きな評価ポイントとされることがある。したがって中学校では内申点ができるだけ公正な観点から評価され、かつ保護者や生徒にそれなりの説明責任を負えるよう、あらかじめ用心深く工夫されているはず。

 教師の立場からすれば、特に五段階評定に関してはできるかぎり教師の主観を排除し、明確に数値化された客観的基準によって機械的に算出された結果であると児童生徒や保護者に説明しておきたいだろう。自分が下した評価に対して、教師ならば誰であっても他者から特定の児童生徒へのエコ贔屓を疑われたくないに決まっている。

 なぜこの評定になったのか…これも観点別に細かく数値化すれば誰に対しても説明しやすい点においていかにも公正に見える。だから部活動の実績も数値化することは好ましい…少なくとも一般的にはそう考えられているはずだ。

 とはいえ、数値化できることが評価のすべてではない。しかも部活動の実績や平常点の数値化がどこまで妥当性、信頼性があるのかは極めて疑問である。いったん数値化されてしまうと、外部からは数字が独り歩きして公平性や客観性を帯びて見えてしまうが、教育的評価として怪しいケースは決して少なくあるまい。部活動で県大会に出場できたとしても、種目の状況、ブロック内の他校の状況等によってその難易度には大差があり、単純に一律、内申点として加点するのは明らかに不公平なのだ。

 評価には絶対評価と相対評価に加えて他にも形成的評価のような、よりきめの細かい、かつ児童生徒個々人の学びと成長に寄り添った評価の考え方が世界にはある。どちらが真の意味での教育的評価なのか、といえばただの絶対評価や相対評価よりも形成的評価の方であるのは一目瞭然である。しかし、大勢の生徒を相手に画一的で一斉講義形式の授業を続けてきた、旧態依然の日本の学校では多様性と個性を重視した形成的評価を行うこと自体まず不可能である。

 加えてこの記事も市長も教育長すらも、評価のあり方には多様性がある事、それぞれに長短がある事にきっちりと向き合おうとはしていない。単純に絶対評価が好ましく、相対評価が「悪い」と一方的に決めつけているだけである。しかもこうした人々の多くはおそらく、日本の画一的な一斉講義重視の授業と硬直化した評価方法という現実を疑うこともせずに自明の前提としている。

 そもそも相対評価は「悪」なのだろうか。そんなことはあるまい。教師がこの単元の達成目標をどのあたりに設定し、これまでにどんな授業をしてきたのかによって、テスト問題は学校間、学年間、教師間で大きく異なる場合が出てくる。もちろんその年の学校やクラスの様子によって、授業のレベルや内容、テスト問題の内容や難易度を少しばかり変えることはやむを得ない時もあるだろう。テスト問題作成者が問題を簡単にしすぎたり、難しくしすぎたり、出題分野が偏り過ぎたりしないよう、状況によってテスト内容を柔軟に変えていく事自体はむしろ教師の腕の見せ所ですらある。

 しかし厳密に考えれば、そうした工夫が場合によっては学年間に不公平を生み出すかもしれない。実際、教師たちの児童生徒の現状に合わせようとするそうした柔軟な工夫こそが、実はかの「悪の権化」とされがちな相対評価の考え方に通ずるものなのだ。ただ相対評価を排除し、上辺だけ絶対評価を取り入れれば事が済むほど、教育評価は単純ではない。

 一方で毎年、同じ問題を出題することは一見、公正に見えるが、当然、生徒の先輩から当該教師の出題傾向が後輩に伝授されることもあり、それがどんなに優良な問題だからといって結果的に公正とは限らない。したがってどうしても教師は毎年、出題内容を多少、変える必要を感じている。そしてその都度、教師たちは悶々として頭を悩ませるのだ。

 昨今の思考力を育てようとする試みは、場合によっては評価のあり方を、どうしても相対評価側に偏らせていくだろう。思考力育成のために論述問題を導入しようとすれば、その採点基準は大抵の場合、特定の集団の中での位置づけ、すなわち相対的評価となるほかあるまい。仮に絶対評価を絶対的な「善」と見なすのならば、社会科や国語科では論述問題の出題自体をためらうことになるはず。そして正解が一つに限られる選択問題や単語穴埋めの客観テストにいよいよ偏りがちになるだろう。説明責任を果たしやすいからだ。授業もこれまで通り、必然的に暗記中心に偏らざるを得ないはずだ。これらは論述の採点基準を誰もが納得できるように標準化して他者に説明できる余力を、ほとんどの教師が持たないのだから、仕方ない。

 定期考査の重みを考えれば、評価はテスト点を評価の7割程度にして、残りの3割程度は普段の提出物や発表などをいわゆる「平常点」として加味する、といったささやかな工夫を個人的には行ってきた。テスト問題も400字程度の論述問題を1~2問出すことで思考力も問うてきた。ただし、これが必ずしも評価の理想形でないことは百も承知である。一クラス35人を基準とするクラスで様々な雑務に追われる教師が出来ることは極めて限られている。

 ブラック化した学校を放置しておいて、無責任にも上から目線で自ら現場教師を「相対評価」し、一方的に責め立てている名古屋市の教育長様、かの名古屋市教育会の責任問題はどうなっているのでしょう?世間を唖然とさせたあれだけの不祥事を、ただ会を解散する事だけで済まそうとする市教委の厚顔無恥さには誰もが呆れるほかあるまい。

〇公立学校の廃校、延べ数は8,850校…現存廃校の活用は7割超

 リシード 2025.4.10

 このデータが意味しているのは、かつて白井智子氏が指摘したごとく、まさに日本の公教育の古さと貧しさそのもの、であると考えるが、いかがか。

 将来的に児童生徒数が大幅に減少していけば、やがて学校の施設や教職員にゆとりが生まれる、一学級の児童生徒数が劇的に減少し、一人一人の児童生徒へのきめ細やかな配慮が可能となってくる…などといった30年ほど前の教師たちの期待は無残にも悉く裏切られてきた。

 むしろかつてよりも教師の負担が増大し、しかも不登校やイジメ件数は増加している。一クラスの児童生徒数が最悪の50人から35人程度まで減少したにもかかわらず、教師たちの中途退職や休職は増える一方となり、教員志望者数と正規教員数とが同時進行で急速に減少し、地方によっては学校としての体裁が危ぶまれるレベルにまで不足してきている。

 今後、高校の無償化が進むにつれて、公立を中心に高校の統廃合は一層加速していくに違いあるまい。そして東京や大阪に限らず、将来的に公立高校はいよいよジリ貧となり、全国規模で一気に縮小、削減されていくのかもしれぬ…

 児童生徒数の大幅な減少という、少人数教育、個別最適化教育実現に向けてせっかくの追い風を有効に生かせなかったばかりか、かつて以上に負担増という形で教師への逆風を強め、教師の疲弊と若者の教職離れを徒に加速させてしまった教育行政の責任は、今こそ間違いなく「万死に値する」ほど重い…と言うべきではないのか。

〇都の新任教諭239人が1年以内に退職 過去10年で最高の5.7

 朝日新聞社 2025.4.24

 「都教委によると、昨年度に採用した公立小中高、特別支援学校などの新任教諭は4237人。うち、239人が1年以内に退職した。内訳は小学校146人、中学校46人、高校18人、特別支援学校28人、義務教育学校1人だった。懲戒免職も1人いた。9割にあたる217人が自己都合退職で、理由別には、精神面での不調が4割、転職などによる進路変更が3割、介護や転居など家庭の都合が1割だった。指導力不足などから正式採用に至らなかったのは22人だった。」という。

 学校のブラック化がどれほど酷いものか…特に小学校は深刻である。精神面の不調による退職者の多さにも注目したい。

〇財務省VS文科省バトル再び 中学程度の私大授業に財務省「助成の在り方見直しを」

    求める 産経新聞 2025.6.7

 私大によっては小学校レベルの授業も必要となるはず。おそらく分数や比の問題が解けない大学生は少なからず存在しているはずだ。財務省の認識に学校教育の現実との大きな乖離を感じてしまうのは私だけではあるまい。

    基礎学力の欠如した大学生が発生してしまう背景には基礎知識や基礎学力を身に付けないまま児童生徒が進級し、形式卒業していく義務教育の在り方自体により大きな要因が潜んでいると見て間違いない。

    したがって財務省が「助成の在り方」の見直しを文科省に求めるのはお門違い。たとえ教育内容が大学にふさわしくないレベルだとしても、それだけで助成金をケチるほどの口実にはなるまい。社会全体から見れば「Fラン」大学にもそれなりの存在理由はある。

 要は「落ちこぼれ」を黙認し、学力の底上げを怠ってきた日本の学校教育全体の制度面の欠陥から生じた問題である。特定の大学の問題ではあるまい。需要があるから供給も生まれてきたのだ。そしてこの問題においても歴代内閣が長期にわたって教育予算をケチり続けてきた政治責任の方こそ、厳しく問われるべきなのだ。

〇「部活動は教員のボランティア」のままでよい? 学校部活動が「地域移行」するこ

    とで生まれる格差とは…今後保護者がお金で買うべきサービスに

    集英社オンライン 2025.5.14

 学校現場からこういう根拠の乏しい発言が出てくることに驚きを禁じ得ない。まず「…日本では、政治が教育に介入し、教育が戦争に加担してしまった第二次世界大戦の歴史から、政治が二度と教育に介入できないよう、教育の独立性が保障されてきました。」というが、この間違いだらけの認識には明らかにファクトチェックが必要であろう。

    戦後はアメリカの占領下、GHQによって日本の教育はアメリカの政治的影響を強く受けるようになっていた。そしてサンフランシスコ講和条約後にはたちまち戦前への回帰、「Uターン」が始まり、戦前の勢力が教育の世界にも復活してくる。そもそも学校現場では戦前と大差なく、画一的な一斉講義形式の授業と管理主義、そして体罰が横行していた。1960年代にはアニメ、漫画の世界にチャンバラや戦争物が再登場し、柔道、剣道が学校体育に武道として復活してくる。

    いずれにせよ日本の学校教育では政府や財界による教育への干渉が排除され、「教育の独立性が保障」されてきた…などといったことは、過去、一度たりとも無かったと言って良い。学校教育には時々の政治や経済の論理が現在に至るまで途切れることなく、強く、露骨に反映されてきたのだ。

    戦後教育の憲法とも言われる教育基本法にズラリと掲げられている理想的建前はほとんどがただのきれいごとに過ぎない。戦後における学校現場での体罰の横行などを見れば分かるように、学校は戦前からの伝統的な慣習と戦後の新たな法律に対して、常にダブルスタンダードな、矛盾した姿勢を取り続けていたと言っても過言ではあるまい。

    したがって教育基本法に定められた「教育における政治的中立性」などは、公教育ですらまともには守られて来なかったと言うべきなのだ。ただし公教育が政治や経済の影響を受けてはいけない、とは一切思わない。シンギュラリティの到来が目前に迫ってきたと指摘する識者が増えてきた現在、学校での生成AIの利用は必須である。それは児童生徒たちに対して、個別最適な学習の保障にもつながるだろう。

    ほとんど自浄能力を失い、自己改革の意欲にも欠ける公立学校は多い。児童生徒たちが時代の進展に取り残されないようにするためにも教育産業のみならず、特定の業界とのつながりが学校としては不可避となるであろう。学校業務や授業のDX化を推進する上でも業界のバックアップは必要となる。

    授業は今後、一斉講義形式中心から議論を通じた多様性の理解、さらに学習者主体の、個別最適化を軸とする授業へと大きく切り替えていくべきである。ただし授業方法の大きな変化は教師の負担を一時的にせよかなり重くする。結果的に多くの教師たちは部活動指導を行うヒマなどほとんど無くなるに違いない。部活動の地域社会への移管は不可避であり、そのためにも学校は地元の公民館などの社会教育との連携をさらに強めていくべきであろう。

〇【独自】教職課程の必要単位見直しへ 免許取得の負担軽減、文科省

    共同通信 2025.5.23

    どうして文科省はこんなトンチンカンな政策を繰り返してしまうのだろう。官僚としての資質を根本的に疑わざるを得ない。教員免許取得のハードルを下げれば教員志望者が増える…という安易な発想はいい加減、やめてもらおう。これは教員採用試験の倍率低下、さらに免許を持たない人を教師に採用する動きと相まって教師の質をひたすら低下させることにつながる明らかな愚策である。各地ではやり始めた教員採用試験の早期化も有害な弥縫策の一つに過ぎない。

    教員の労働負担の軽減こそが最優先させるべき課題であるはず。こちらは給与引き上げよりもはるかに重大な案件である。したがってこれからは高校においても真っ先に部活動の地域社会への移管を進めて校内での部活指導を全廃し、教員の力を授業力向上に全集中させるべきではないのか。

    部活動の学校から地域への移管は間違いなく人員と経費の負担が大きく増大する政策である。そして現政権が続く限り、そのための予算がまったく確保されそうもない。そこでほとんど予算をかけないで済む安易で安価な政策を文科省は立て続けに打ち出しているのだろう。

    くどいようだが、そうした「泥縄式」のゴマカシに過ぎない政策はもはや、百害あって一利無し、であろう。ただ単に旧態依然の学校教育の延命を図るに過ぎないような種々のエセ改革は、いたずらに貴重な時間と労力を空費し、いよいよ日本の教育を手詰まり状態の袋小路に追い込むだけに違いない。

    これからの高校教育の改革に必要不可欠で最も急がれる重要課題とは、教師の労働条件の劇的な改善(部活動の地域社会への移管に加えて学校行事の精選、学校事務のDX化、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー及びガイダンスカウンセラーなどの加配と待遇改善…)、それに加えて授業技術の高い教師の育成(授業技術の向上に力点を置いた大学での教員養成教育と教員免許取得要件の見直し)と採用(授業技術評価に重点を置く採用試験)、以上の二点であると考えるが、いかがか。

 もちろん、こうした改革を実現していくには、根本的な改革をひたすら妨げ続け、長期にわたって教育予算をケチってきただけの自公政権の、一刻も早い退場が前提となるのは言うまでもないことなのだが…

〇猛暑と熱中症対策で夏休み延長の学校が全国に拡大中!教育現場のホンネは

    アサ芸biz 2025.7.10

 ろくに自分で現場を取材せずに教育専門誌の記者の言葉を鵜呑みにするような記事を「アサ芸」はネット上に晒していても良いのだろうか。そもそも記者はどんな調査結果を元にしてこんなにも無責任な事を語っているのだろうか。

    …文部科学省が昨年発表した『公立学校施設における空調(冷房)設備の設置状況調査』によると、教室冷房設置率は小学校99.1%・中学校98.9%・高校99.4%といずれもほぼ100%近い。学校関係者からは、『気温の高い日は屋外での体育の授業を避ける必要はあるが、わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる』との意見もあります…とのご指摘、呆れるほかない。真面目に取材する意欲の欠片も見えないような、いい加減極まりない杜撰そのものの記事であろう。

    暑い日にわざわざ児童生徒たちを学校に来させるのならば、学校はせめて普通のご家庭並みの冷暖房を完備できていなければなるまい。しかし体育館に冷房が備わっているのだろうか、芸術科目の教室などの特別教室にも冷房は完備しているのだろうか、冷房費を節約するために、教室内の気温を無視して冷房時間を厳しく制限していないだろうか…児童生徒の命にもかかわりかねないほどの猛暑が続く現状の中で、「わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる」という、誰のものとも分からない発言をあたかも教育現場のホンネであるかのように紹介する、その鈍感で無責任な報道姿勢には怒りすら覚える。

〇公立中35人学級、教員1万7000人増必要 400億円の予算見込む

    毎日新聞 2025.6.17

 少子化が急速に進む先進国であり、いまだに経済大国の端くれであるはずなのに、何とした事か、デレダラと何十年もの間、40人学級を放置してきた国があった…この日本と言う国は少子化という、学級の定員削減に絶好の追い風が吹き続ける中で、学級定員の見直しすら、まともに取り組もうとはしてこなかった。その国力から見ても35人学級程度の事くらい、とっくの昔に実現できていたはずである。マスプロ教育の弊害が叫ばれてから一体どれほどの歳月が経ったと思っているのだろう。

    にもかかわらず、21世紀に入って四半世紀が過ぎ、マスプロ教育という言葉自体が既に死語となった今の今となってようやくにして法改正を行い、35人学級を徐々に実現させていくのだという。かねてから口では「個別最適化」を唱えて生徒の個性、多様性に応じた丁寧な教育の実現を謳ってきたクセに、「個別最適化」の足を引っ張る張本人たる40人学級を文科省は長らく放置してきた。

    何という怠慢であろう。何という欺瞞であろう。国家百年の大計たるべき学校教育ですらこのザマである。この国の無策ぶりに呆れ果てるしかあるまい。しかも政府の無策ぶりが祟って学校のブラック化が進行し、近年は教職離れが顕著となって深刻な教員不足が慢性化している。

 こうした状況下、一体、どうやって公立中学校の教員を17000人も増やそうというのか。文科省はこれまで通り、自らの責任は棚に上げて厚顔無恥にも各教育委員会に、ひたすら困難を極めつつある教員募集という難題を平気で丸投げするつもりなのだろうか。このニュース、個人的には絶望しか感じられないのだが…

◎「授業なんてできません」控室にひきこもった実習生…教育実習で心が折れた若者

    たちのリアル「同じような授業の繰り返しのはずなのに、毎日が本当にしんどかっ

    た」集英社オンライン 2025.7.20

 授業の実習に恐怖を感じる実習生は少なくない。そもそも多忙にあえぐ教師の中には教育実習生を邪魔者扱いする先生が実際、かなりの割合で存在していた。数は多くないが実習生に敵意さえ抱く教師すらいた。個人的な感想にはなるが、教師の過半は教育実習生を担当したくない、という本音を隠そうとすらしていなかったと思う。これは教育実習生にとっても不幸な状況であり、教育実習をきっかけにして若者が教職を諦めてしまうといった事態は教師不足の解消を相当難しくしているに違いない。教師の負担軽減が急がれる所以である。

 しかしここにはもう一つ大きな問題が隠れているはずだ。なぜ、教育実習生は授業の実習に対して大きな不安や恐怖を覚えてしまうのか、その原因をしっかりと考えてみるべきなのだ。もちろん指導教官の多忙感に由来する指導の厳しさ、威圧感も実習生が委縮してしまう原因の一つではあるだろうが、はたしてそれだけであろうか。

 個人的に再三にわたって指摘してきた事なのだが、実習生が委縮する最大の原因は教育実習前の大学における事前指導の欠陥、不十分さにあると思うが、いかがか。仮に教育実習前、ゼミ形式で実戦さながらの授業体験を大学で幾度も積み重ねていたならば、実習本番での不安や緊張はかなり軽減されるはずである。すなわち大学での的外れで非実戦的な教員養成講座の欠陥こそが、実習生の教員志望を挫けさせてしまう最大の要因であると私は考える。したがって教師負担の軽減とともに大学での教員養成教育の徹底的な見直しも同時に急がれるはずである。いかがか。

◎名古屋の教諭死亡で和解 市が5600万円支払い    共同通信 2025.7.17

 はたしてこれで良いのだろうか…どうも釈然としない。自殺してしまった教諭に対する仕事の集中はうつ病による休職後も続けられてしまっている。復職後に部活動や教育課程の編成にあたらせる、と言う明らかに非常識な校内人事を行った(あるいは許容した)校長ら、管理職の責任は一体どこまで追求されたのだろう。管理職だけではなく、関係した他の教師たちにも多少の責任はあるはずだ。にもかかわらず「市側に安全配慮義務違反があった」と監督庁の名古屋市の責任ばかりをクローズアップするような報道がなされるのは実に解せない。

 うつ病を理由に休職した教師に対しては管理職や周囲の教師たちが特別な配慮をすべきであることは言をまたない。しかし校務の分担を巡っては学校として特別な配慮がなされたとは思えない。なぜ配慮しなかったのか、故人に配慮できなかった理由をしっかりと公に明らかにしない限り、同様の事件が繰り返されても不思議ではあるまい。

 一義的に責任を問われるべきは当該学校の管理職たちであろう。したがって賠償義務は当時の管理職らにもあると考えるのが世間的に見ても筋なのではあるまいか。いずれ多額の退職金を受け取れる管理職の責任が厳しく問われるのは当然の理である。当事者に一義的な責任を問うことなく、徒に血税を賠償金に充てる今回の決定は、事件の真相を曖昧にしてしまうと同時に、当該管理職たちの逃げ得を許してしまうことにもつながるのではあるまいか。

 校務分担を巡っての問題はあくまでも当該校の管理職が責を負うべきであり、二度とこのような悲劇が繰り返されないようにするためにも、管理職への厳しい責任追及とそれなりの処罰を行うべきであると考えるが、いかがか。

◎日本の高校生が「社会に出たら理科は役に立たない」と考える理由

    ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者) 2025.7.16

 最も実験を必要とし、討論などを通じて児童生徒たち自身で仮説を練り上げ、検証していくことを授業の軸とすべき理科の授業実態が日本の場合、いかにお粗末なものであるのか、改めて痛感させられる。探究的な授業展開は何も理科だけのものではあるまい。社会科においても、探究的展開は興味関心を高めるために極めて有効な授業方法であろう。

 社会科の授業でも理科のような実験や調査を用いて探究的な授業が数多く展開できたなら…と常々考えてきた自分としてはこの調査結果は残念でならない。間違いなく理科以上に日本の社会科の授業は「社会に出たら役に立たない」教科となっているはずである。授業の在り方の改善はもはや日本の政治的課題であり、一刻を争う焦眉の急であろう。「国家百年の大計」である日本の公教育の現状はお寒い限りなのだ。

◎「えっ、体育の先生が技術の授業するの?」教員不足の学校の裏技“免許外教科担任

 制度”は違憲の可能性も…いちばんの被害者は生徒たち

 集英社オンライン 2025.7.8

〇「教員は減っても行事は減らない」全国で約200万人の子どもたちが無免許の臨時教

    員に教わっているという実態…教員免許の存在意義はいずこに

    集英社オンライン 2025.7.9

 昨今、教員の不祥事が性加害問題を中心に数多くマスコミで取り上げられている。教員による不祥事発生の背景を深堀せずに、ひたすら「学校叩き」「教員叩き」につながるような、偏ったマスコミの取り上げ方も結果的には教師志望者の減少につながっているように個人的には思える。

 もちろん、教師による不法行為はあってはならない事である。しかし学校現場では明らかな不法行為が以前から野放し状態であった。体罰は明治時代から違法であったが、この法律がまともに守られた形跡は戦後に至るまで無かった。もちろん、昭和の時代は戦後も1980年代まで、教師や保護者による体罰が公然と認められてきたはず。

 違法行為は教師に対しても横行してきた。教師の違法レベルの過重労働問題を日本政府、教育委員会は違法にも漫然と放置してきた。授業負担に限ってみても、自分の専門教科以外の教科や科目を受け持たされることは普通であった。決してそれは特別な事ではなく、特定の学校(例えば生徒数の少ない小規模校や、職業高校、定時制高校など)ではとっくの昔から常態化していたとすら言ってよいだろう。さすがに高校の場合には専門外の教科を担当することは滅多にないだろうが、中学校では3教科の授業を担当することもあったと聞いている。

 これらは明らかに違法状態であり、学校現場にはとっくの昔から違法を違法と感じられないレベルに至るほど、正常なコンプライアンス機能が存在していなかった、とみるべきであろう。根本的には違法、合法よりも優先されてきたある種の教育への偏った、アンバランスで強固な信念、教師聖職論の残存が敗戦後、より厳しく問われるべきであったのではあるまいか。

 少子化の中で小規模校が増えている。現状の規定で教員の数を減らしてしまえば、今後は高校においても複数科目どころか、複数教科を担当することになるだろう。生徒数が減った分に比例して授業の教科数や科目数が減るのならば特に新たな問題は生じない。しかし機械的に教員の数が減らされてしまうのが、現在の規定である。

 せっかく少子化が進み、ようやく生徒一人一人に目が行き届く環境が整いつつあるのに、政府はひたすら少子化を口実にした教員の削減、すなわち教育予算の削減を進めてきた。教員の数が減ってしまっては生徒一人一人に目が行き届く手厚い教育の実現は不可能である。そればかりか、複数教科や複数科目を負担する、となれば今まで以上に教師の負担は重くなる。ただでさえ情報、英語、金融教育、探究学習…と教科数や科目数が一気に増えてきていた。この状況は教師にとって地獄そのものなのだ。

 生徒数の減少に応じて学校行事も削減されるならばよいのだが、授業の教科数や科目数と同様にこちらも減らされていない。とすれば学校現場はいよいよ極限までブラック化が進むだろう。せめて部活動の地域移行くらいは一刻も早く実現してくれないと、教員志望者の減少と教員の休職、中途退職が増える一方となる。つまり日本の公教育は既に致命的な人手不足によって一気に破綻しつつある、と見るべきなのだ。

・教師不足

 まず看過できない悪性の症状として挙げられるのが各学校での正教員の不足であろう。これに休職者や中途退職者数の増加も加わり、一人一人の教師にかかる負担は重くなる一方…という学校が特に義務教育中心に増えてきている。さらに教師志望者の減少もこうした事態の悪化をもたらしているに違いない。しかも教員不足が休職者や退職者の増加につながるという、悪循環が既に生まれてきている現場もあるようだ。

 なお教師不足の一因としては景気回復傾向がもたらした民間企業への就職志向の高まりに伴う若者の公務員離れが考えられるが、それは主因というほどのものではあるまい。最大の原因と考えられるのは画一的管理主義の息苦しさに加えて、止まることの無い仕事量の増大による学校のブラック化がもたらした若者の教職離れである。

    残業手当・休日手当がつかない部活動指導の過熱化、数が多過ぎる上にそれぞれが過重な負担となっている学校行事、不登校やイジメの多発とそれに伴う保護者対応の増加、新教科・科目の設置などによる仕事の量と難易度の上昇、説明責任を果たすためだけの記録作成等のアリバイ作り(管理職や教育委員会への報告書、提出書類の増加が顕著でその多くは煩雑かつ形式的なものに過ぎず、教師の力量を向上させることにはほとんどつながらない。つまりほとんどがブルシットジョブ)の増加、教育行政による教員への過剰な統制・管理強化がもたらす心身両面への重圧(教師の創意工夫を挫く無意味な官製研修の増加、授業内容・方法への過剰な介入等)、残業時間短縮による持ち帰り仕事の増大、年齢構成の偏りや管理職の能力不足による職務分担の不均衡、進路の多様化による進路指導の煩雑さ、職員会議の形骸化や教職の階層化などによる職員集団の分断と対立、教職の社会的地位の低下、管理職のパワハラや教師間のイジメの横行等々、数え上げればきりがない。

    こうした事態に対して文科省や都道府県教委は上辺だけの対症療法、その場しのぎの誤魔化しをひたすら繰り返してきた。教育行政による対応を医療行為になぞらえれば、高熱を発した患者に漫然と解熱剤を処方するだけの藪医者のようなものである。

医者は本来、高熱の原因を様々な検査結果から割り出していき、症状を抑えるだけではなく、症状の主な原因となっている病気などを治療対象としていくべきであるのは言うまでもない。しかし文科省、都道府県教委は教員不足という症状に対して、揃いもそろって教職の魅力をアピールし、採用試験日程を増やしたり、早めたりして試験のハードルを下げることに専念してきた。

    もちろん「働き方改革」を推進して部活動の地域移行と残業時間の短縮を通じて学校のブラック化を押しとどめようとしているのも事実ではあるが、「持ち帰り残業」の問題を見ると、さほどの効果は上がってきていない。

    なぜ教職の魅力が低下してきたのか、教員が不足してきたのか、その原因には高熱の原因と同様、様々な要因が考えられるに違いない。ただ兎にも角にも教育行政側の最大の過ちは、その原因が自分たちにも少なからず存在する、という自覚を決定的に欠いてきた点であると思うが、いかがか。

    不登校の増加やイジメ事件の隠蔽、教員の不祥事の多発、教師の疲弊、授業における児童生徒の落ちこぼし、吹きこぼし…どれをとっても教育行政の過ち、不備に淵源する側面が大いにあるだろう。そのことの反省と改善を抜きに、ただ教職のやりがいと就職しやすさを追求しても、若者は二度と騙されないに決まっているのだ。

 

⑦手遅れの弥縫策

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

〇20代教師が精神疾患でどんどん離脱していく…「長時間労働+残業代ゼロ」だけで

     はない教師不足の真犯人     プレジデントオンライン 内田 良 2026.6.15

     このような実態を知ろうともせずに放置し続けた教育行政側の問題こそ深刻であろう。また20代の若い教師と50代のベテラン教師との溝を埋めるべき30代、40代の教師が少ない学校が多いのも、若手に仕事が集中する傾向を生み出している。すべては中長期的な人事戦略を欠いてしまった教育行政側の失態であろう。教師不測の真犯人は保護者によるカスハラだけではない。むしろ学校現場に最も大きな悪影響を及ばしているのは教育行政側の失策なのではないか。

◎産休代替として学校に…もう常勤はムリ「特別支援学級の担任」を赴任前日に追加

     された中学校教員が受けた不条理の数々

     東洋経済オンライン 安永 美穂 2026.6.10

 こういうことは公立学校では決して珍しくない。しかしこれまではほとんど表面化してこなかった。当然である。質の悪い校長らは講師や再任用といった、立場の弱い教員を狙い撃ちにして厳しい職務を集中的に担わせる。そして立場の弱い教員たちほど、面と向かって「ノー」と言えない空気がブラック化した学校にはタップリと充満している。実際、こうした管理職のいる学校では多くの教員が辛い日々を過ごしている。確かに辛いのは自分だけではない…家庭的に仕事を継続しなければならない教員ならば次年度の人事を考え、どんな仕打ちを受けても我慢するほかあるまい。

 膨れ上がる学校の仕事量に反比例して正教諭が減らされ、非正規教員が急速に増えてきている背景には学校現場での人不足を埋められるだけの教育予算が決定的に不足し続けている、という根本問題が横たわっているだろう。また年功序列に凝り固まった公立学校の管理職人事のあり方にも大きな問題があるだろう。景気の回復に伴って若者の教職離れが加速するのも自然の流れであり、無理はあるまい。こんな状況を放置しておいて国会議員が国旗損壊罪の成立に狂奔している場合なのか…?

 まさに「個人の善意に甘え、教員の労働力を安く買い叩こうとする構造が変わらない限り、教育現場の再生はあり得ない」はずなのだが。

◎教職員のメンタルヘルス調査、教育現場と行政の認識を可視化

     こどもとIT 大塚雷太 2026.5.29

 行政側と教師たちとの認識にどのような差異があるのかを探ることは極めて重要だが、いかんせん、回答者の数が少なすぎる。教師といっても小中高の違い、学校間の違い、教師の分掌の違い、地域社会の違い、年齢層の違い…などがある。場合によっては認識に天地の差が出るだろう。これらの違いを勘案して行政側との違いをきちんと割り出すには数千人レベルの教師たちに対する調査を要するだろう。しかも一番答えてほしい教師に限って、こうした調査にしっかりと回答する時間すらない忙しさに常時、直面している。

 もはや教師たちの実態をまともに把握すること自体が難しくなっている現在、急ぐべきは部活動の民間委託、地域社会への移管であろう。これさえ、実現できれば少なくとも中高の教師たちの実情はかなり把握できると考える。

◎高校で蔓延する「やりすぎ教育」…「特色や魅力づくり」の過熱化で教職員も生徒

     も負担増、いったい誰のための改革か?

     東洋経済オンライン 妹尾 昌俊 2026.5.21

     私たちは「やりすぎ教育」の弊害にもっと目を向けるべきだろう。辺野古沖の転覆事故のように「やらなさすぎ教育」の問題ばかりが目立つ現在、妹尾氏の指摘は貴重である。高校での部活動の民間委託や学校行事の削減など、文科省が主導して行うべき改革はまだまだ数多い。学習指導要領の改訂で「特色や魅力づくり」に精を出せるほど余力の残っている高校は数少ないはず。まずは学校業務の削減を最優先させることこそ、文科省が全力を挙げて取り組むべき改革だろう。

〇「午前中5時間授業」宮崎市の小学校で進む“学びの多様化” 下校が早まり放課後が

     充実・先生の働き方にも変化が     FNNプライムオンライン 2026.5.6

 これは高く評価できる取り組み。中高でもぜひ、同様の取り組みを試みてはいかがか。ただし、中高ではどうしても部活動の完全外部委託、カリキュラムの大幅な見直し、学校行事の精選、公民館の拡充などが予め必要となってくるだろう。すなわち国家的規模の決断が求められているはずだ。

〇「私の人生を返せ」小中高生の自死が“過去最多” 女子急増が注目される陰で…見過

     ごされる「男子」の孤立 弁護士JPニュース 2026.5.5

 20代以上の自殺者数が減少する中で、なぜ10代の自殺者数だけが増え続けてきたのか、その理由について考えさせたい。特に女性の自殺者数の増加は深刻な問題を孕んでいそうだ。その理由についてもいくつかの仮説を挙げさせ、それぞれ是非を検証させてみたい。

◎日本の基礎研究力に危機感、国際的地位が大幅低下…NISTEP定点調査2025

 リシード 2026.4.27

 教育予算の削減が続いたことの当然の帰結として、いよいよ日本経済への悪影響まで懸念される事態が生じてきたようだ。この事はかなり前から科学者の間で話題に上っていたが、政府は一向に気にも留めてこなかった。このままでは公教育の衰退どころか、学校教育全体の衰退と学術研究の停滞、さらには日本経済の沈滞を招くに違いない。その責任は一体、誰がとってくれるのだろう。

◎深刻な教員不足に文科省の「ズレた対策」では限界

 東洋経済オンライン 齋藤 浩 2026.4.16

 確かに文科省の対策は呆れるほどにズレている。しかし「2校で大学の教職授業を担当」しているはずの齋藤氏の提言もまた文科省以上にズレまくっているというほかあるまい。

 まず、齋藤氏が提案している改善案はどの学校段階を前提にしているのかが、不明である。小学校、中学校、高校、それぞれどの学校段階にも共通する問題は多少あるが、まったく異なった問題点だって少なからずある。しかもどの学校も、地域の特性の差によって抱えている問題点はかなり異なる。小中高すべての学校を十把一からげで論じてしまう乱暴さにまず、呆れてしまう。

 …「放課後等に教室に残留させる」「授業中、教室内に起立させる」「学習課題や清掃活動を課す」等は指導の範囲内とされているのだが、意外と知らない教員が多い…

これまた暴論である。太字の箇所などはまかり間違えば教師によるパワハラであり、体罰に相当しかねない。そもそも児童生徒への指導に疲弊する原因を教師が強めの指導ができなくなったことに求める、短絡的で危険極まる発想はいかがなものか?かえって教師たちのストレスを倍増させかねまい。 

 学校のブラック化によって学校行事や授業などの準備時間が十分に確保できずにストレスを抱えている教師だって決して少なくないはず。時間不足の結果、不本意にも拙い授業、指導しかできない教師たちに強めの指導を許してしまったら、かえって大事になるのではあるまいか。

 …一人ひとりの教員に個室を提供することを提案したい…

 …夏休み期間の出勤をなしにしてはどうだろうか…

どうしてこんな珍妙な発想しかできないのだろう。教師の個室などは無意味の極致。むしろ教師たちをただ孤立させてしまう危険すら出てくるだろう。学校の現場を知らない者の思いつきだけでこの問題は決して解決できまい。

 早急に着手すべきは教師負担の劇的軽減である。たとえ夏休みを完全な休暇にできたとしても、9月以降の職務が大幅に軽減されていなければ、児童生徒と同様に夏休み明け、教師の不登校や自殺が増えるかもしれない。日々の職務の軽減こそが今、最も求められているのだ。

参考動画

◎定員割ればかりの私立大…文科省の対応は遅すぎる!

    コバショーの受験最前線【CASTDICEサブ】2025/05/03  11:50

    コバショーさんもついに文科省の、あまりのいい加減さ無責任さ堪忍袋の緒が切れてしまったようである。とうの昔から日本の少子化が分かっていたはずなのに直近25年間で150校も大学数を許認可して増やしてしまった文科省の責任は確かに重いだろう。しかも家政学部や歯学部の人気が下がってきたにもかかわらず、学部設置を唯々諾々と許可してきた文科省にはデータを分析する能力以上に、教育の責任官庁として致命的なレベルでの自覚不足が糾弾されるだろう。今はまさに「財務省解体」デモ以上に「文科省解体」デモが必要となっているはず。

 高校生には切実なテーマであり、視聴後、ぜひ討論させたい。

◎先生がいなくなる 日テレNEWS NNN 2024.10.30 5:35

 学校の教師が置かれている状況を理解してもらうために視聴すべき動画としては時間的に見てもこの動画が一番ではないか。

参考記事

〇「教員不足、ここまで来たか」免許なしで合格→後から取得、さいたま市異例採用

     に賛否噴出…「現場ではすでに最悪の事態が」と専門家は指摘

     集英社オンライン 2026.4.7

 内田氏の指摘する通り、教師の職務を大幅に削減しない限り、この手のゴマカシ戦術、弥縫策は却って教員の質低下と学校のブラック化をひたすら加速させるだけとなるだろう。

 教師の職務削減は必ずしも文科省しかできないわけではあるまい。神戸市のような取り組み例がある。学校行事の大幅な削減も各学校の裁量部分が大きい。しかしそれらの取り組みはとりあえず学校の力の低下を自ら認め、恥も外聞もかなぐり捨てて公言し、周囲の広範な理解をあらかじめ得る必要がある。そんな胆力と決断力のある管理職がそうそういるとは思えまい。表面をきれいごとを並べて糊塗し、ブラック化した学校の実態を何とか隠蔽してきた都道府県から公教育の崩壊が本格化してくるに違いない。千葉県などはその先頭に立つはずである。

〇高校無償化拡大と中学「35人学級」、4月からスタート 改正法成立

     朝日新聞社 2026.3.31

 こんなことすらまだ法制化されていなかったのか…呆れてものが言えなくなる。中学生人口は2024年段階で314万人余り、ピーク時の1962年の733万人弱のほぼ43%に過ぎない。とっくの昔にマスプロ教育の弊害が叫ばれ、個別最適化の学習が希求されて久しい現在、学級定員は出来る限り少ない方が望ましいに違いない。特に指導の難しい中学生ならばなおさらであろう。

     仮に人口減に比例する形で学級定員の上限を定めたとすれば、現在は40人(1962年における中学校の標準学級定員)×0.43=17.2。つまり1クラス17人となる計算だ。それが、何とその2倍余りの35人、しかも今さらようやく変更できたというのだから悲鳴が出そうにもなろう。この取り組みの圧倒的な遅さが意味する事は一体、何だろう。ぜひ、生徒たちに考えさせたい。

 なお日本のGDPに占める教育予算の割合はバブルがはじける前まで5%を超えていたが1993年以降、急激に低下し、今は3.3%を切っていてほぼ途上国並みである。

〇小中高生の自殺が過去最多の538人に 令和7年、原因は「学校問題」が最多

     産経新聞 2026.3.27

     小中高生の自殺者数が過去最多となり、最大の原因が「学校問題」となっている。これもまた日本の学校教育の行き詰まりを示すデータの一つだろう。

◎AI時代を生き残るのに必要な探究力とは? 難関大の総合型選抜も狙える「探究力」

    を鍛えるには、格差広がる中学・高校選びが重要!    ダイヤモンド・教育ラボ 

 まずは探求学習を高校に定着させる上での条件整備について、きちんと議論すべきだろう。探求学習が今後、非常に重視されてくる学習のあり方であることはもはや言を俟たない。ただ学校現場の業務量の大幅な削減ができなければ、これまでがそうであったように多くの公立高校は「やったフリ」をするのが精一杯となり、むしろ公教育の破綻を加速させるだけとなる。では高校の大幅な業務量の削減は具体的にどうすれば実現できるのか、そのことの方を最初にしっかりと考えておくべきなのだ。

 公教育においては学校行事の大幅な削減、簡素化に加えて、部活動を学校教育から社会教育へ全面的に移管する。これに伴い、高校での体育科と芸術科を廃止し、同教科の教員の多くを社会教育機関に移す。これらの教科が減ったことにより、一日5時限の時間割が実現可能となる。探求的学習を取り入れた授業を時間割の中に埋め込むとともに、5時限終了後の放課後は毎日一時間分の探求学習を社会教育の中で選択して異年齢集団の中で取り組んでもらう。

 以上が欧米の学校をモデルにして私が個人的に考えてきた、公立高校への本格的な探求学習導入、定着のために必要となる改革案である。これまでの教育改革のように探求学習のメリット等のきれいごとをいくら並べてみても、前提として教員負担の大幅な軽減を伴わない限り、改革の構想は百害あって一利なし、むしろ有害な「絵に描いた餅」に過ぎない。文科省の探求学習に対する本気度はこうした教員負担軽減を巡る大胆な取り組みをするだけの覚悟があるのかどうかにきっと表れてくるはず。引き続き、今後の成り行きを厳しい眼差しで監視していきたい。

◎日本の保護者は自分と同じ「大卒」の教員に敬意を示さない

    ニューズウィーク日本版 舞田敏彦 2026.3.6

 データに裏付けされた、極めて真っ当な主張であろう。しかし日本での実現は極めて難しい。問題は政府に教員の待遇改善への熱意がほとんど存在しないことにあることに加えて、教育予算を常に低く抑えようとする政治勢力が国会で多数派を占め続けてきた点に求められるだろう。教育が主な政治的焦点とならないこの国では教育予算の大幅な増額を伴う改革がほぼ絶望的である。

 予算の増額は無理としても、今すぐにでも出来る事はまだ沢山あるはずだ。教員の待遇改善は給与引き上げだけではない。業務量の大幅な削減こそが真っ先に取り組まれるべき現実的な改善である。財務省に頭の上がらない文科省には予算確保のために教員の業務を増やし続けた過去があるのではあるまいか。その発想は今すぐにでも捨てるべきだろう。学校の業務量を適正規模に縮小することが、今、文科省の取り組むべき最大の任務であると思うが、いかがか。

 教員の人気が低落しつつある現時点で、大学院卒を教員免許の授与条件にしてしまうと何が起きてしまうのか…考えるだけで空恐ろしい。教員の人気が回復し、教員不足が解消されてから後に、教員免許の取得条件の見直しを行うべきではないのか。

◎公立校の教員不足深刻、昨年4月時点の欠員4317人に…4年前の1・7倍に増

     加 読売新聞 2026.3.5

 この統計がどれほど信用できるものかはさておいて、教員不足に対する文科省や各教育委員会の取り組みが表層をなぞるだけでの弥縫策に過ぎなかったが故の現状であろう。結果的に苦しみが増すのは学校現場であり、学校のブラック化は進む一方となっている。これで若者の教員離れも加速するに違いあるまい。

    とは言え、大胆なレベルでの教師の業務削減が待ったなし、であることに文科省や政府が気付くとは思えない。いよいよ公教育の崩壊が間近となってきた。

◎日本の教員は依然として長時間労働......保護者対応や煩雑な事務作業に追われ 

     ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者) 2025.11.5

 …他の先進国と比較すると、日本では教員の「教えることの専門性」が軽んじられている…教員の主な業務は授業なのだが、日本の中学校教員で言うと、週の授業時間(準備含む)の平均値は26.0時間で、参加国の平均値(30.0時間)よりも少ない。上述のように、総勤務時間は55.1時間なので、残りの29.1時間、仕事の半分以上が授業以外の業務ということになる。このような国は他にない。

     日本の教員の長時間労働は、授業以外の業務が多いことが原因だ。膨大な事務作業、部活指導、保護者対応、さらには学校の安全管理(点検)などだ。教員は、教えることの専門職ではなく、あたかも「何でも屋」であるかのように扱われている。採用に際して「教員免許は不要」を掲げる自治体も出てきているが、こういうところにも、教員の専門性を軽んじる姿勢が表れている。「何でも屋」を雇うに当たって、専門性を担保する免許状など必要ない、ということだ…

     …日本の教員の選択率が国際平均より目立って高いのは、保護者対応や煩雑な事務作業であるのに対し、海外の教員では、生徒の学力やウェルビーイング維持といった項目の選択率が日本と比較して高い。後者は、教えること、子どもの可能性を引き出す専門職としての教員ならではの悩みだ。

     多くの教員は、教えることの専門職でありたいと願っているし、「もっと授業に注力したい」と思っている。教員の仕事を授業に特化するなど不可能と思われるだろうが、南米のブラジルやチリでは、教員の勤務時間の95%が授業(とその準備)だ。地球の裏側の極端な例だが、アメリカでも8割というように、教員の業務を授業に絞れている国は数多くある…

 …まずは少数の実験校という形でよいので、教員の仕事を授業に特化した学校を設置してみてはどうか。部活は地域移行、給食は食堂、生徒指導や問題行動への対処は専門のカウンセラー、保護者対応は教育委員会設置の窓口、事務作業は業務支援員、学校の施設管理は専門業者......。

     まずはこのような(夢のような)学校を意図的に作ってみて、どういうことが起きるかを観察してみることからだ。何もせず、通り一遍の「働き方改革」を連呼するだけよりはいい…

     舞田氏の指摘はこの問題の核心をついていていちいち小気味よい。「給食は食堂…」などは学校が災害時の実効性ある避難先として一定期間、機能する上でも必要であろう。大した設備が無いクセに、無責任にも避難所を引き受ける…ただの嘘つき、ほら吹きに過ぎない「何でも屋」、すなわち日本の学校ほど無能で質の悪い施設は他にあるのだろうか。

 授業を軽視する日本の学校教育の悪しき伝統も根本から見直していくべきである。

〇<社説>教員の働き過ぎ 定員増やす抜本策こそ 東京新聞 2025.11.4

 抜本策は決して教員の定員を増やすことではない。これまでの教育行政を振り返れば十分に予想できることだが、定員を増やすとこれに応じて必ず教員の職務が増える。そして増えた分の仕事はただのサービス残業として教師が自宅に持ち帰るだけになる。実態としては教師の負担がさらに重くなるだけなのであるが、得点稼ぎに走る管理職の過少報告も手伝って表向きの「残業時間」は減る、といういつものゴマカシ、常套手段が作動するだけなのだ。

 決して騙されてはなるまい。「教員の働き方改革」はほとんど前に進んではいない。学校での残業が減った分、教師の持ち帰り残業が増えただけである。すなわち教師の自宅での光熱費が増えているに過ぎない。

     これは「働き方改革」に名を借りた教育行政側の経費節約策に過ぎず、得をしているのは国や地方自治体だけである。児童生徒、それに教職員はむしろ損をしていると言った方が良いだろう。だからこそ不登校とイジメは増え続け、教員の精神疾患も増え続けているのだ。

 手始めに打つべき抜本策は学校の職務の大幅な削減しかない、と思うのだがいかがか。

〇「うちらは捨てられてる」先生が教室に現れず、授業を受けられない子どもが増

 加…教育現場で今起きている“非常事態” 

 文春オンライン いしい しんじ によるストーリー 2023.6.19

 学校教育の隠蔽体質は、ただでさえブラック化した学校において正規教員の不足という最悪の事態の進行をも招いてしまった。学校自らが教師不足という致命的な事態を世間一般からは見えにくくしていたのだ。それが社会問題と化し、表面化してきた現段階に至ってしまっては最早、手遅れに近いほどに学校の病巣は進行し、肥大化しているのではあるまいか。

 もはや手の施しようのない末期患者と同様、日本の公教育は大げさに言えば存亡の危機に直面しているのではないのか。垂れ流し状態の「教育改革」の連打がいかに学校現場を疲弊させ、限界まで追い詰めてきたか、改めて教育行政の責任を問いたい。

〇学校の保護者対応、民間で 教員負担軽減へ文科省モデル事業

   共同通信  2025.2.1

   文科省の迷走ぶりには呆れるほかない。教師たちのストレスは膨大な仕事量によって本来、力を入れるべき授業準備が疎かになっている点に由来する側面が大きいだろう。教師の校務の一部に保護者対応があり、いわゆるモンペアへの対応は確かに強いストレスを教師にもたらす。しかし、だからといって保護者対応を民間機関に任せることがはたして良策なのだろうか。

   学校や特定の教師への保護者による強い抗議や要望の中には、公務員が厳守すべき守秘義務の対象となりうるものも少なからず含まれている。おそらく守秘義務に関わる重大な内容の多くは外部の民間機関に委ねるわけにはいくまい。つまりそれらは学校側や教育委員会側が相変わらず受け付けることになるのだろうが、それでは教師の仕事量の実質的削減にはほとんどつながるまい。

   強烈なストレスを教師たちに与える保護者対応の多くを、結果的に学校や教育委員会が引き受けることとなってしまうのならば、この施策にどれほどの意味があるのだろう。これはまさに文科省が表向き教師の負担軽減のために一生懸命「やってます」感を演出するだけの、ただの見せかけに過ぎないのではあるまいか。

 こんなゴマカシに無駄な労力や経費を費やすヒマがあるのならば、もっと有効な対策に集中すべきだろう。まずは学級の定員を30人に減らして教員の数を増やす。それが当面、無理ならば学校行事を大胆に軽減して部活動の地域移行を徹底する、校務の合理化、DX化を加速させる、スクールロイヤーの増員と配置、学校カウンセラーやケースワーカーの増員と常駐化、彼らの待遇改善…

 文科省がやれること、やるべきことは山ほどある。文科省のお役人たちだって余分なことをしているヒマなど無いはずだ。教育行政としてやるべきことは多々あるだろうが、まず最初に着手すべきは政策の基礎基本たるしっかりとした学校の現状把握。そこが恐ろしいほどいい加減だから、文科省はその場しのぎで的外れの政策をひたすら繰り返してきたのではなかったか。信用できるはずのない教育委員会からの報告を鵜呑みにして自ら直接、学校の現状確認をサボり続けてきた文科省の責任は重い。

◎教職調整額13%実現へ、日高教が署名提出 リシード 2024.12.4

 …教員業務には、教科指導や生徒指導、進路指導、キャリア教育、ICT教育、特別活動の指導、部活動指導、高校魅力化推進活動、地域連携活動などが含まれる。これらの業務を遂行する過程で、生徒対応や保護者対応、地域連携対応、特別支援対応、いじめ対応、不登校対応、貧困およびヤングケアラー対応、危機管理対応など多岐にわたる対応が求められる。教員は多くの知識と専門性を駆使し、日本の未来を支える人材の育成を行っている。

 教職調整額13%の実現は、教育が多様化・複雑化し、多くの知識や高度な専門性を必要とされる現代の教師という仕事の特殊性に対し、教師の尊厳とプライドの対価として支払われるものだと考えられている。教職調整額は、教師の残業代として支払われるものという誤った認識があるが、時間外勤務の代償は、学校における働き方改革の延長線上に、残業手当としてあるべきである。・・・

 ほとんど学校教育の現状を知らない者たちの聞き捨てならない妄言というほかあるまい。現在の高校教師たちの中で「教科指導や生徒指導、進路指導、キャリア教育、ICT教育、特別活動の指導、部活動指導、高校魅力化推進活動、地域連携活動」のすべてにわたって高度な知識、専門性を持つ人物など本当にいるのだろうか。仮にいるとすればそれはまさに「スーパーマン」そのものであろう。我こそはスパーマンなりと自負する教師がいるのなら、ぜひ、名乗り出てもらいたい。

   現今の採用試験の倍率、大学での教職教養の講義のレベル、教員に向けて教育委員会が行う研修のレベル…どれをとっても、大抵は世界標準で「教師の尊厳とプライド」を満足させるものからはほど遠いものだったはず。それが日本の教育事情であろう。むしろ高校教師のほとんどは処理能力の限界を遥かに超えたレベルで複雑多岐にわたって多様化し、日増しに高度化する業務の重圧と膨大な事務仕事量に耐え兼ね、働き方改革が遅々として進まない学校の現状に絶望しつつあるのではあるまいか。

 世の中は広い。確かに「生徒対応や保護者対応、地域連携対応、特別支援対応、いじめ対応、不登校対応、貧困およびヤングケアラー対応、危機管理対応」といった業務をすべて満足のいくレベルで遂行できている、と平気でホラを吹く教師たちが世の中にまったくいないわけではあるまい。しかしそれらの内、一つでも専門的な教育を受けたことがある教師ならば即座に断言できるはずである。そんな超人的な仕事をこなせるのはスーパーマンだけなのだ。

 出来ないことを出来る、というウソはもうつかないでほしい。今、出来ること、あるいは近い将来、出来そうなことに教師たちが専念する体制作り、すなわち教師の業務の大幅な削減と事務仕事の大胆な合理化を即刻、文科省は断行すべきではあるまいか。給与や残業手当の件はその次に着手すべき課題であると思うが、いかがだろう。

〇持ち帰り業務、約56%が実施…教職員の勤務環境調査   リシード 2024.11.29

   学校での残業時間が減る一方で自宅への持ち帰り業務が増えていくことは以前から予想されていたことである。この調査に特に目新しい発見は無い。そもそも全体の業務量を減らさない中で、学校での残業時間を数字だけ減らそうとしている事の間抜けさ、トンチンカンさに呆れ果てる。

   文科省に業務量を削減する意欲は見られず、さらにやる能力すら無いのならば、今後も時間の無駄が続いてしまうので、まずは文科省自体を一刻も早く解体すべきだろう。存在価値が認められない省庁を存続させる意味は無い。

〇教員給与の段階的引き上げ 現場は評価もサービス残業を懸念

   毎日新聞 によるストーリー 2024.11.8

   給与の引き上げ、残業手当の支給などによる教師の待遇改善は無論必要であるが、それよりも急がれるのは職務の大胆な削減の方だろう。下手に給与の引き上げが先行してしまうと、流れとして職務の削減が不徹底になりやすい。すなわち給与が上がったくせに、しかも公務員のくせに仕事をさぼるのか・・・といった民衆の不満がこの景気低迷の中で政府やマスコミによって煽られ、変に暴発しないとは限るまい。

   教師たちの心身を追い詰めているのは決して給与の低さではなく、ほとんどブルシットジョブと思えるような、大量の事務仕事と部活動、学校行事の数々である。それらこそが教師の時間と体力と精神的ゆとりを奪い、心身共に疲弊させている張本人であろう。にもかかわらず敢えて給与引き上げを先行させようとするのは、こっそりと教員のタダ働きを継続させることで財政支出増の元を取ろうとする文科省、財務省など、政府側の悪だくみの様にしか思えないのだが、いかがか。

〇財務省の「教職調整額10%へ段階的引上げ」に反論…文科省

   リシード 2024.11.13

   …教師の時間外労働は改善傾向にあるとしたうえで、勤務時間の縮減を給与改善の条件とする提案は、学校教育の質の低下につながる…という文科省の反論には呆れるしかない。本当に「教師の時間外労働は改善傾向にある」のだろうか。一体、どういう調査結果に基づいているのだろうか。

   どうせ都道府県教委からの報告に基づいた見解なのだろうが、そもそもそうした調査報告がどこまで信用できるのか、文科省は一度でも疑ってみたことがあるのだろうか。教師たちの在校勤務時間は確かに減ってきているだろうが、業務量自体にはさほどの変化がなく、ただ単に自宅への持ち帰り残業が増えただけではないのか。重要なのは各教師の心身におけるゆとりが実際に回復できているかどうかであろう。

   …教職員定数等の充実をすることなく、単に学校現場の業務縮減の努力のみをもって学校における働き方改革を進めようとする提案は、学校現場への支援が欠如している…という、一見もっともらしい見解を文科省は示しているようだが、これも噴飯物である。給与引き上げと教職員定数等の充実を前提としてしまえば、今後、学校での仕事量削減への反発が強まり、むしろ仕事量の増大すら招きかねない。「学校現場の業務縮減」という面倒な作業を何とか後回しにし、できればそれをサボりたい文科省の本心が透けて見えるようだ。

 学校が出来もしないレベルの量と質をもつ雑多な仕事をあまりにも請け負い過ぎてきたことこそ、諸悪の根源であろう。教師の業務削減こそ最初に着手すべき改革であり、順序を間違えると事態はさらに悪化しかねないと思うのだが、いかがだろう。

   ※参考記事

  〇〈教員の残業〉「働いた対価が得られないなんて意味不明」「まじめな教師ほど病む」“教職調整

   額見直し”報道に現役教師たちが吐露するもっと深刻な問題

    集英社オンライン 2024.11.9

〇不登校の小中学生、初の30万人超 コロナ禍以降で15万人増

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.10.31

   不登校が増えた理由をもっぱら外部的要因たるコロナの流行や児童生徒本人の意欲低下等に求めているようだが、これで良いのだろうか。そもそも文科省の調査は児童生徒の不登校の原因の選択肢に教育行政や学校側の要因をほとんど入れていないという、まさに責任逃れで片手落ちの内容となっており、調査そのものに信頼性、妥当性がまったく欠けていると私は考える。

 文科省は家庭側の要因や教員不足、専門的対応の不足などに多くの課題を求めているようだ。しかし最も重大な原因がこれまで看過され、その解決がひたすら先送りにされてきたからこそ、不登校児童生徒の増加、イジメ重大事態の増加といった危機的状況を招いているのではないだろうか。すなわち日本の教育行政の長く続いた迷走と停滞により、日本の学校現場が徒に混乱させられてきた。そのことによって時代の急激な変化から学校は完全に取り残され、もはやガラパゴス状態となってしまった。そこから生じた様々な不具合こそがこうした問題の背景にあるのではあるまいか。

 多様性や個性、主体性を重んじ、話し合いによる協同作業を軸とした授業内容と授業方法の抜本的見直し、管理主義的、画一的教育行政の変革、教員養成教育と教員人事の見直し、学校の業務量の大幅な削減…どれもが一瞬たりとも先送りできないはずの巨大な課題が山積する中でついに表面化してきた教員不足という恐るべき末期的症状。この公教育の深刻な危機を小手先の弥縫策で乗り切れるわけがあるまい。

〇小学校教員採用予定の倍以上が合格しても募集人員確保できず 辞退7割 高知県教委

 テレ朝news によるストーリー 2024.10.31

 いよいよ文科省や都道府県教委の行った教員不足解消策が完全な的外れであり、かつまったくの「手遅れ」であったことがよく分かるデータであろう。高知大学の教育学部学生がかなりの人数で教師としては地元に留まらなくなっている、という事実が物語る現実はあまりにも過酷なものとなるだろう。学校での教員不足によって生じる諸問題の悪化が予想されるという、当然の帰結を招くだけではあるまい。極端な少子高齢化に直面する高知県での若者の人口減が一層加速し、県全体レベルでの過疎化がより進行してしまう、ということでもある。

 ただでさえ南海トラフ地震による大津波が予想され、高知県に居住する人々の不安が強まっている。そうしたタイミングでのこのニュースは県政をほぼ致命的なレベルまで追い詰めてしまう可能性があるだろう。

 ただの教育問題に過ぎなかったはずの教員不足を何一つ解消できず、むしろ若者の教師離れを加速させてしまったことがもたらすであろう地方の未来は暗い。教育問題を過疎の問題に直面する地方での急速な少子高齢化、人口減という大きな社会問題にまでこじらせてしまった、無能で無策な文科省、政府の責任は極めて重大である。

◎不登校のキミはどう生きるか? 鴻上尚史が解く「不登校」の背景 学校・教師が抱え

 る問題とスマホの悪影響 コクリコ編集部 の意見 2024.10.31

 日本が教育予算をケチってきたがために様々な問題が生じてきているのは間違いあるまい。なぜ手遅れとなるまで学校教師を放置してきたのか、政治責任が厳しく問われるだろう。

 鴻上氏が参考にしたユネスコのデータを下に紹介してみる。

 

・公的教育費の対GDP比率 国際比較

 単位 : %  出典:UNESCO  データ更新日:2024年9月20日

 ・世界の公的教育支出・教育費の対GDP比率 国際比較統計・ランキング。

 ・各国の公的教育費に対するGDP比率と国別順位を掲載。

 ・単位は%。

 ・公的教育支出は公的機関における教育上の全ての支出を含む。

 ・公的機関は中央政府・地方政府・地方自治体・市町村及び他の公的教育関係機関を含む。

 ・ランキング表示では当年のデータが無い場合、過去のデータで補完表示。

 

 以下、トップ10に加えて日本の順位の周辺にある国も併せて列挙してみた。このデータがどこまで信用できるのかについてはトップ10の国名を見ると、特に途上国のデータはかなり信頼性が欠けるように感じられる。したがって本来ならば比較的データが信頼できる先進国間での順位を重んじたいが、途上国込みのデータ自体の衝撃度はかなり大きいので、今回は途上国こみの順位の方を紹介する。

 なお日本の順位は男女平等度の国際比較での順位と極めて近く、子どもや若者、および女性を尊重しようとしない歴代内閣の政策がものの見事に反映されているように思えるが、いかがか。

 

     トップ10

1 キリバス       14.20       

2 ツバル        12.85       

3 バヌアツ       10.64       

4 ミクロネシア連邦   10.54       

5 キューバ        9.39       

6 ナミビア        9.04       

7 ソロモン諸島      8.29       

8 ボツワナ        8.06       

9 ナウル         7.81       

10モントセラ       7.61      

 

   日本の順位と周辺の国々

119      フィリピン           3.62  

120      アゼルバイジャン   3.58  

121      ザンビア              3.58  

122      アンギラ              3.55  

123      パラオ               3.44  

124      サンマリノ           3.43  

125      コートジボワール   3.43  

126      パラグアイ      3.41  

127      ベナン        3.38  

128      パナマ        3.37  

129      ルーマニア           3.32  

130      タンザニア      3.26  

131      セルビア              3.24  

132      日本         3.24  

133      カタール              3.23  

134      グアテマラ           3.18  

135      エルサルバドル    3.17  

136      ヨルダン              3.16  

137      マダガスカル       3.14

〇前年比1.4倍に大幅増の「いじめ重大事態」 調査する校長にも大きな心身への負担 

 「今でも涙が出る…」 医療機関にも通院 弁護士を自費で雇おうともしたが…

 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー  2024.11.1

 教育予算の不足はイジメ問題の解決を一層、困難なものにしている。

〇なり手不足が深刻化 教員採用改革をどう進めるか? 文科省で全国教育委員会連絡会

   採用試験の全国統一化も検討 受験者の負担を減らす狙い

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.10.8

   文科省が「教員採用改革」をテーマとしている限り、教員不足や不登校、イジメ問題など、山積する学校の課題は何一つ、改善しないだろう。これまでの文科省の対策の多くがただの弥縫策であり、学校教育行政が本来着手すべき問題の矮小化、ゴマカシに過ぎないことは既にこのブログでも繰り返し指摘してきた。

 むしろ教員採用試験の全国統一化を進めることで、大学での教員養成教育への国家による統制の強化を図らんとする文科省の小賢しい狙いが透けて見えてくる。今回の検討事項もまた「教員不足への対応」という大義名分に便乗せんとする、ただの悪質な詐欺的改悪であると断じて良いのではあるまいか。

 文科省が直ちに検討すべきなのは自ら大きな痛みを伴う自己改革の方であろう。上意下達の管理主義的統制を排した文科省自体の改革、とりわけ文科省の官僚が都道府県の教育長に天下りするような悪習の廃止や年功序列的教育行政人事の根本的な見直しではあるまいか。さらに教育内容の大幅な自由化、正解主義で一方通行の詰め込み教育を排し、教育の個別最適化と協働的学習を軸とした教育方法の改善、授業力向上を柱とする教員養成教育の刷新…等々であり、これらの方向性を踏まえた上での教員採用改革であるべきだと考える。今回のような、改革の名を借りた怪しげな方向性を模索するだけの文科省のプランに学校側がやすやすと乗っかるわけにはいくまい。

○学校内に「居場所」設置46% 不登校対応、文科省整備加速へ

 共同通信 によるストーリー 2024.8.29

 記事で紹介されている文科省の措置はあくまでも対症療法であり、その場しのぎの応急手当てに過ぎない。重要なのは学校教育の魅力をより一層増大させて不登校に至る児童生徒を出来る限り少なくすることの方だろう。

 学校生活のメインとなる授業を楽しく、分かりやすく、有意義なものにしていく努力・工夫に加えてブラック校則の見直し、部活動の地域移行の推進、イジメ問題への対応力の向上、教員養成教育の見直し、教育行政の民主主義化、児童生徒の主権回復など、文科省以下教師に至るまでやるべきことは多い。それぞれが「居場所」の設置以上に重要な施策である。また文科省や教育委員会自体の組織改革も不可避となるだろう。さもなくば教師たちの「不登校」も増えてしまうに違いない。

◎教員確保の実現へ危機感 国や自治体の努力不可欠 中教審が給与アップを答申 

   産経新聞 2024.8.27

 中教審の答申や文科省の取り組みは西村氏が懸念するように肝心のポイントを巧妙にずらして組み立てられた、その場しのぎの誤魔化しに過ぎない、と思うがいかがだろう。当然、教員の給与引き上げは必要であるが、それ自体は児童生徒への還元が約束されない点で根本的な改革とは程遠いものである。さらに教員の増員と業務量の削減も同様に急がれるべきであるが、やはりそれだけでは必ずしもその成果が児童生徒に還元されるものとは限るまい。

 児童生徒が学校での生活にそれなりの喜びと意義を見出して生き生きと学校で過ごしていけるための最大のポイントとなるのはやはり授業であろう。もちろんブラック校則の見直しは言うまでもないが、それを実現するためにも児童生徒の人権が一層認められる授業内容と授業方法が模索されるべきである。一日あたり6時間をも占める授業こそが学校教育において最も比重の重い時間になるべきであり、授業改革を伴わない改革にはさほどの意味が無いと考える。

 もちろんIT化を推進して学習の個別最適化を図ることは重要であるが、それだけでは片手落ちの誹りを免れまい。より重要なのは時事問題に対する児童生徒の意見表明および話し合いの機会を豊富に設けて、彼らに社会と積極的に関わろうとする当事者意識を育むことだろう。この問題を考える上で工藤勇一氏の論考に加え、「子ども若者抑圧社会・日本」(光文社新書 2023)を著した室橋祐貴氏の考察も非常に適格で有効だと思われる。

 室橋氏はこの本で選挙権取得年齢の引き下げを主張するかたわら、日本の学校教育の問題点についてかなり詳しく触れている。児童生徒をあくまでも「未熟」な存在と捉え、その権利を幅広く制限しようとするこれまでの日本の管理主義的学校教育のあり方が現在の「子ども若者抑圧社会」を拡大再生産してきた、とする点は工藤氏の指摘と重なる点が多い。

 現今の教員不足と各種の学校を巡る事件、事故の背景に画一的で硬直した管理主義があると考え、そこに本質的な原因を見る立場からすると、教員の増員や給与引き上げ、仕事量の削減などはあくまでも副次的で対症療法的な対応に過ぎない。

 加えて児童生徒の意見表明や討論の機会を拡充するには教員養成教育の大幅な改革が不可避である。授業で児童生徒に意見表明の機会を数多く設けて多様な意見を交流させる討論型の授業を成立させるには、どうしても大学での少人数による濃密な授業体験の繰り返しが不可欠となる。子どもの権利条約の学習機会は大学においてもあらかじめ十二分に設けられてしかるべきである。

 中教審や文科省の打ち出す表層的な改善はかえって根本的な改革を先延ばしし、日本社会の停滞を延命させることになりかねない、と思うのだがいかがか。

○全公立中学校に不登校やいじめ対応専任の「生徒指導担当教員」、文科省が体制強

   化…来年度から配置 読売新聞 によるストーリー 2024.8.23

   ほとんどその場しのぎのゴマカシで無意味な対症療法しか思いつかない文科省の停滞ぶりには呆れるほかあるまい。自分たちの責任を棚に上げ、不登校やイジメの増加は教師の力不足や人員不足から生じているとの、政府の浅はかな考えが透けて見えてくる。責任官庁が責任転嫁ばかりする文教行政に明るい未来は期待できない。

 生徒たちには文科省の対策が本当に功を奏るのか、考えさせたい。

○教員8割超、外部人材活用で負担減…予算は不足 リシード 2024.8.8

○多忙化か薄給の2択? 現役教員らが中教審提案の新ポストを疑問視

 毎日新聞 によるストーリー 2024.8.3

 給特法の改正が根本的な解決につながらないことは言を俟たない。教師の給与を少しばかり上げたところでもはや「焼け石に水」であり、根本的な解決とは程遠い。もちろん教師の給与を上げること自体に反対しているのではない。問題なのは中教審や文科省に蔓延してきた、学校現場への無知、無理解に基づく頑固極まりないある種の偏見であろう。何だか知らないが教師どもが騒いでいるようだからエサをあげればきっと大人しくなるに違いない、と言わんばかりの言い草には辟易する。こうして繰り返される不真面目極まりない教育行政側の姿勢の背後に、学校現場への致命的なレベルでの無理解と理解しようとする意欲の乏しさを強く感じてしまうのだ。

 今年度の教員採用試験の志願倍率を見れば一目瞭然であるが、根本的な課題は教師の業務量の大幅な削減の方にある。今の若者は明らかにブラックな職場を敬遠しつつあり、それは教師採用試験の倍率低下、中途退職や休職の増加、教師不足の現状となってここ数年、表面化してきている。給与が高くて多少のやりがいがあればきっと若者は食いつくだろう、といった、明らかに若者と学校現場をなめ切ったような観点から繰り出されるどんな施策も、わずかな効果すら期待できるはずがない。

 近年、現役高校教師として果敢に発言している西沢氏が指摘するような「魔改造」レベルの施策しか考えられない中教審の無能さには呆れるほかあるまい。主幹教諭に加えて主任教諭を設けたところで、大幅な教員定数の見直しや業務の削減といったような肝心の支援措置の見通しはまったくといってよいほどに不透明…実にトンチンカンも甚だしいのだ。これでは教師脂肪の若者と現役教師の間には将来への絶望感しか湧いてこないだろう。

◎先生が足りない! 教員採用試験前倒しは解消に繋がる? 1クラス1人の担任制を廃

 止し「チーム担任制」を導入した小学校も【news23】

 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.6.18

 教員採用試験前倒しがその場しのぎに過ぎないとの指摘は正しいだろう。またこうした泥縄式の対応策が続く原因の一つに文科省の官僚が学校現場への無知があるとの指摘も納得できる。とはいえ文科省による画一的で管理主義的な教育行政こそが教員不足と学校の荒廃をもたらしている根本原因との認識が見られない点に個人的には不満が残る記事である。

◎狙いは「ブラック職場」隠し? 文部科学省の逆ギレ抗議の怪しさ 教員の「定額働か

 せ放題」NHK報道めぐり 東京新聞 2024.5.25

◎文科省、NHK報道に抗議 中教審の教員確保策巡り

 共同通信 によるストーリー  2024.5.21

 「定額働かせ放題」という表現を一部の教員や学者によるものとする報道にも呆れ

るが、文科省の厚顔無恥な責任転嫁の姿勢にも呆れるほかない。ここまで深刻な若者の教職離れを推し進めてきたのは一体どこのどなたなのだろう。

 若者の教職離れを促進している学校のブラック化はもっぱら文科省と政府の責任である。画一的な管理主義的教育行政を根本的に見直すと同時に部活動の廃止などの施策が断行される上での教員確保策でなければまったく意味が無い。今、文科省が取り組んでいるのはすべて泥縄式の誤魔化しばかり。しかも言葉尻を捉えて己の責任を棚に上げ、NHKに抗議するというトンチンカンさが文科省というお役所の深刻な劣化ぶりを示していると考えるが、いかがだろう。

○先生の6割が「3年以内の離職・転職」を考えている…教員不足で現場に起きている

 ひずみの数々 東京新聞 2024.4.10

   なぜ、教師たちの不足が生じているのか、その原因を生徒たちに考えさせて対応策を提案してもらうとその後の議論が深まるだろう。

〇「不登校・いじめ緊急対策パッケージ」(2023.10.17 文科省)

 文科省の頑なで傲慢な姿勢は相変わらずだ。教職員に対するこれまでの20年余りにわたる、息つく暇も与えないバカげた「教育改革」の連打こそが現今の学校教育問題大量発生の土台にある。そうした基本的認識すら欠如していたことが直近における深刻な教員不足を招いた最大の問題点ではなかったか。過去の間違いだらけの教育行政を反省することなく、こうした不毛な弥縫策を飽きることなく次々と現場に押し付け、現場をひたすら混乱させ、疲弊させる…こんな悪循環をいまだに断てないのも、学校現場の疲弊ぶりを本気で探ろうと努力しない、もはや探求する意欲と自省する力を一切失っている文科省自身の欠陥が一番の原因ではないのか。

 一体、いつになったら学校現場の実情が文科省の役人たちに伝わるのか…やはり絶望的にならざるを得ない。地方の教育委員会から上がってくる怪しい調査結果、どうにでも取り繕える信頼性の低い数字ばかり相手にしているからこそ、こういう悲劇的事態を招いているのだ。いい加減そのことに気付いて現実を直視していただきたい。

 教育委員会や管理職が事実を歪曲したり、表面を金メッキで糊塗できないよう、まずは自分たちの目で「お忍び」「潜入」を敢行してでも直にありのままの学校現場を視察すべきであろう。こうした組織が学校を含めてどれだけ酷い隠蔽体質を抱えているのかを示す資料は、このブログでも紹介してきたように、枚挙にいとまがなく、既に膨大な数に及んでいる。

 したがって地方からの報告を鵜吞みにすることが現場を信用している事の証…などともしも文科省が言い訳しようとするならば、それは文科省がいかに現場の実態を知らないか、知ろうとすらしていないかを証明しているようなものである。県教委を牛耳っているのは文科省からの天下り役人=都道府県教育長であり、現場の実態を知らない、などと文科省に言わせてはなるまい。

 適当に弥縫策を打っておけば当分の間、国民の目を逸らすことが出来る…という小ズルい判断を文科省が持っているとしたならば、「国家百年の大計」は早晩、崩れ落ちるに違いない。行き当たりばったりの対症療法でごまかすのはもういい加減止めていただき、公教育の在り方を本腰を入れて根本から見直すべきではあるまいか。

   たとえば「不登校特例校」を「学びの多様化学校」と名称を変えてみてもただのごまかしであり、根本的な問題から一時的に目を逸らさせるだけのことに過ぎまい。特例として特殊な目的を持つ学校を一握り創り出すことで公教育の根幹部分には一切手を付けさせず、温存させておこうとする魂胆がそこには透けて見えるのだ。

 あくまで「ガス抜き」としての特例に過ぎない学校を設ける…そんな事では、なぜこれほどにまで学校が忌避されているのか、なぜ学校がイジメの温床となっているのか、その本質的な問いをスルーしてしまうに違いあるまい。根本的に変えるべきは上意下達の教育行政と画一的、管理主義的学校の在り方全体であろう。

 もちろん、教員の働き方改革などの対症療法も急がれるのは確かであるが、本来、改革すべきはもっと根深いところにあるはず。画一的、管理主義的教育の徹底的な見直しだけではなく、教員養成教育の抜本的な見直しも急がれる大きな課題の一つであるだろう。これは安倍政権下を中心に進められてしまった諸々の「教育改悪」を全面的に修正するだけでもまだまったく不十分。戦後教育の全面的なリニューアルをともなう大改革が今、日本の教育界に切実に求められていると思うのだが、いかがか。

〇いじめ・不登校対策を前倒し、過去最多の認知件数で政府方針…早期に兆候発見狙

   い 読売新聞 によるストーリー 2023.10.11

 対症療法が無意味だとは言わないが、あくまでもその場しのぎの弥縫策に過ぎない点は忘れてはなるまい。なぜ、イジメや不登校が増加の一途をたどっているのか…日本の学校教育の在り方に問題は無いのか、根本から問い直すべきでは?

参考動画

◎【不登校】国家を根幹から崩す?フリースクールの選択肢は?無理やりでも登校? 

 親の責任論は的外れ?大空幸星&元当事者|アベプラ

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/10/25  19:10

 この問題をフリースクールや特例校を設けることで解決させてはならないという点で大空氏の見解に同意する。根幹となるべきは公教育の根本的な見直しであり、特例校の設置はあくまでも応急措置の対症療法に過ぎないことを私たちはしっかりと理解しておくべきだろう。

 

参考記事

◎東京の小学校教員、採用試験が定員割れ寸前に 「休めない」職場環境に学生も不

 安? 東京新聞 2023.11.2

 案の定、付け焼刃の対策も効無し。千葉県でも全体で2.2倍程度の倍率なので教員の不足に加えてついに質の低下が懸念される危機的状況となっている。そもそも、若者人口減少が続く中で優秀な人材は海外に流出する一方であり、学校に限らずとも日本全体が若い人材の不足と質の低下に直面している。

 長いこと教育予算をケチり、教育改悪にばかり励んできたツケがいよいよ本格的に日本社会を襲い始めたのである。しかも残念ながら基本的には「時すでに遅し」というほかあるまい。

〇教師を取り巻く環境整備…緊急提言踏まえた取組み徹底を通知

 リシード 2023.9.11

 ようやく文科省が中教審の提言を受けて重い腰を上げようとしているが、これまでのことを考えるとやはり期待薄であろう。なぜならここまで学校のブラック化を招いた張本人は、誰あろう政府と文科省である。

 特にかつて実施されていた教員免許更新制は教師の意欲を喪失させるうえで決定的であった。そしてその後も強要される意味不明で役立たずの官製研修の数々。これまでの「教育改革」と称する政策への真摯な反省と長く現場を混乱させ続けてきたことへの謝罪の言葉一つ見られない点に絶望的なものを感じてしまう。

 

 あたかも地方の教育委員会や学校の努力や工夫がまだまだ足りない、と言わんばかりの、あからさまな上から目線…

 

 こうした教育行政の、自らの責任を回避しようとする姑息なあり方は先頃、性加害を巡って行われたジャニーズ事務所の会見に少し似ているのかもしれない。

 敢えて文科省の通知の言葉を借りるならば、文科省自身がまさに「自分事」としての切実な認識に欠け、責任転嫁の意図を見透かされるような、他人事の文言に終始している点に気付いていない…といった批判、ブーメランを返されてしまう情けなさを私は感じている。

 

 やはりこのお役所に学校のブラック化を改善できるなどと期待してはなるまい。

 

〇教員不足解消へ全国調査 文科省、教委の具体策確認

   共同通信社 によるストーリー 2024.1.23

   教員不足の原因はあたかも教委の努力、工夫の不足だと言わんばかりの居丈高な姿勢がこの調査の背景に見えてこないだろうか。長い間にわたり教師による独自の努力工夫の芽を摘まみ、踏みにじり、ブルシットジョブの嵐で体力、気力、時間を教師から奪い続けた挙句の教員不足ではないのか。犯人が自分の罪を棚に上げて犯行原因をこともあろうに犯罪の被害者に捜査させようという、凄まじいほどの転倒が起きている。そもそもこの調査自体がブルシットジョブそのものだろう。

   文科省の言う事を素直に聞いていればこんなことにはならなかったはずだ…ということか。ただの罰として強制される、まったく無意味な調査を敢えて最も忙しい時期にやらされる身にもなってもらいたい。

〇精神疾患により離職した教員 公立の幼小中高校で過去最多の「995人」 文科省調査

 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2023.7.28

 2022年度における教員の精神疾患による離職者数、および転職による離職者数が過去最高を記録したという事実の重みをおそらく政府や官僚はきちんと受け止めることが出来ないだろう。

   結局は教員の不足を補うためにペーパーティーチャーの雇用促進や教員免許の無い人材の登用、教員採用試験の日程調整等による青田買いといった逆効果を招きかねない弥縫策を続けるしか能は無いのだ。すなわちこうした教職の安売り、大バーゲンセールは教職の価値をさらに暴落させ、教職離れを一層、加速させかねないだろう。

◎【発明】成田悠輔「価値を言語化しないとダメ」研究者が消える?すぐに成果を求

   める日本社会の壁 ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2022/06/08  25:00

◎【研究者の給料】准教授で30万円は安すぎ?「日本は例外的 研究開発・人材育成に

 お金を投じてない」【西田亮介】|アベヒル

 ABEMAニュース【公式】  2023/09/25  14:01

 人口100万人当たりの博士号取得者数が日本は現在、ドイツ、アメリカ、イギリス、韓国などの半分以下、ほぼほぼ三分の一近くにとどまっているという衝撃のデータはこの20年余りの文教政策の誤りが日本経済の低迷と深くつながっていることをよく示しているだろう。それは高校以下の学校における職場としてのブラック化とだいたい並行して進んでいると思える。若者の未来をこれほどの酷さで一貫して暗く閉ざすような国家に明るい未来が訪れるはずはない。

◎維新の「高校完全無償化」が教育を破壊する可能性も…目先の人気取りに偏った政

   策の“2つの問題点”   文春オンライン 竹山 幸男 によるストーリー 2024.1.12

   高校授業料の無償化が一体、何を目指している政策なのかはしっかりと疑ってかかった方が良い。維新の会が持つ本質的な危険性がそこには見られるに違いないからだ。行政による教育への介入が強まることで私立高校の多様性、個性を成立させている基盤が崩れてしまいかねない点は特に憂慮される。

 教育の多様性と個性化への道は高校の場合、私立高校の取り組みに期待するところが極めて大きい。文科省以下、行政組織にがんじがらめにされて工夫の余地がわずかしか残されておらず、予算も人手も不足がちな公立高校に出来ることなど極めてちっぽけなものに過ぎまい。画一的で管理主義的な学校教育を変えたいのならば、今の日本では公立を二の次にして私学の活躍しやすい環境を整え、私学の定員を増やしていく事の方がはるかに現実的で有効だと考えるが、いかがだろう。

 貧困家庭に対する私学での授業料減免措置は今の制度の枠内で十分に実現可能なはずである。なぜ、敢えて今、「高校完全無償化」などと大阪万博の強行で今後一層財政難に苦しむはずの地方自治体が主張するのか…その真意はこれまでの維新の会の政策から見て明らかだろう。どうせ弱肉強食の競争原理をさらに大きく公教育に持ち込むことで公立高校の淘汰を進め、教育予算の削減を図るとともに学校教育への国家主義的統制の強化に努めることと私はかんぐっている。

 

・カッパ一押しの教育本「コロナ後の教育へ~オックスフォードからの提唱~」(苅谷剛彦 中公新書ラクレ 2020)

 「コロナ後の教育へ・・・」で日本の教育行政に対し「・・・エセ演繹型思考と法治主義をセットにしたアプローチでは、設計段階での欠点や欠陥を見過ごし、思った成果を上げられるかどうかを不明にしたままでも制度改革が出来てしまう。さまざまな副作用についても思慮の外に置かれる」(p.63)との苅谷氏の指摘は実に鋭い。

 立て続けに断行されてきた教育改革の発想の根幹を揺さぶるものであろう。また政治家や官僚側が常に自分達の謬見や過ちを棚に上げて学校を一方的に断罪し、改革と称する学校現場の破壊的政策をひたすら推進してきたこれまでの経緯の背景が見えてくる点で教師必読の書と考える。

㊽兵庫県知事パワハラ問題がはらむ闇

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

〇デマ・誹謗中傷が奪った命「このままでは社会が壊れる」誹謗中傷と闘い続ける県

     議【報道特集】 TBS NEWS DIG_Microsoft  2026.6.13

    立花氏の有罪判決が出たとしても、兵庫県での誹謗中傷はやみそうにない。空気を読む社会の危うさに鳥肌が立つ。 

〇斎藤知事『辞任か続投か』県民100人調査で「辞任63人・続投37人」2カ月前の調査

    と“正反対”の結果 橋下徹氏は「知事失格。最悪の権力行使」

    FNNプライムオンライン 2025.5.29

 これほど毀誉褒貶の激しい知事も滅多にいないだろう。改めてネット社会の怖さを思い知る。この段階に至っても、斎藤知事の続投を支持する県民がそれなりに存在することに民主主義の機能不全を痛感する人は少なくあるまい。立花氏による情報のかく乱が生み出した洗脳現象は知事の再選を実現させただけではなく、今も斎藤支持の姿勢を県民の一部に後遺症として残しているのだ。

 ネット社会における民主主義のあり方を考える上で、今回の件は大きな教訓を残しているに違いない。ぜひ、授業で扱いたいテーマである。

〇斎藤知事側近の元総務部長を懲戒処分へ 告発者私的情報の漏洩を認定 停職3カ月案

 も 産経WEST 2025.5.24

〇兵庫漏えい問題 告発者の人格を貶める卑劣さ    読売新聞 2025.5.29

 ようやくこの事件の核心に触れる問題の一端が明るみに出ようとしている。これまでマスコミの興味本位による週刊誌的煽り報道や根拠に乏しい立花氏による扇動が続くことによって、斎藤知事によるパワハラやおねだり、あるいは反斎藤派による「斎藤潰し」といった陰謀論などに世間の注目が集まってしまった。

 結果的に多くの人々、とりわけ兵庫県民は内部通報者への知事側による一方的処断という、内部通報制度の根幹を揺るがしかねない深刻な問題から関心を大きく逸らされてしまいがちとなっていたと思うのだが、いかがだろう。

 日本では企業、お役所、学校や警察などの組織内部でたとえ人権を大きく侵害するような重大な不祥事が見聞されたとしても、これまでは「守秘義務」を口実に口封じされてしまう、あるいは肝心の当事者が自ら口をつぐんでしまうケースが過半であったと思われる。20年ほど前に騒がれた、「食の安全」を脅かす数々の事件が表面化した背景には日本の組織の伝統的な宿痾と言うべき隠蔽体質が根強く、かつ広範に存在していたことが背景にあったに違いない。また学校でのイジメ事件がこれまでもっぱら被害者の泣き寝入りに終わってきたのも、事件の真相究明を妨げつつ組織の存続を最優先する一方で、個人の人権を軽視しがちな日本社会の強固な組織風土に根ざす側面があったのではあるまいか。

 長く「人権後進国」と揶揄されてきた日本社会の暗部がどうやらこの問題にも凝縮されてい るように私は思う。これまで旭川女子中学生凍死事件やこの事件にしつこく注目してきたのも、そうした日本社会にありがちな組織的病理がこれらの事件に見え隠れしているように感じたからである。個人的には今後もこの事件の行方を注視していきたい。   

参考動画

〇元県民局長の情報流出疑惑 第三者委「県職員の関与の可能性は極めて高い」

    サンテレビニュース 2025/05/13  2:35

    確かに県職員による守秘義務違反がまず疑われるだろうが、加えて元県民局長及びパソコン内の記録に登場する県職員のプライバシーへの大きな侵害が生じており、侵害された被害者の救済も図られるべきだと思うが、いかがか。

〇「選挙って儲かるんですよ」の裏側 ポスター代を水増し請求“選挙ハック”の実態

    【報道特集】TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/05/10 17:41

◎「真実かどうかよりも、極端なコンテンツほどたくさん見られる」選挙期間中に拡

    散される誹謗中傷や虚偽を含む動画 作成に報酬も…背景を取材【報道特集】 

    TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/04/05 23:23

    アルバイト感覚で誹謗中傷の切り抜き動画がネット上を横行するシステムの存在がよく分かる。立花氏がこれまでとり続けてきた法の未整備をついての誹謗中傷の連鎖をどう断ち切るのかが、今、問われているのだろう。勇気をもってこの問題に立ち向かっているTBSの報道姿勢に敬意を表したい。

◎「お前もとっとと自殺しろ」兵庫県議らに大量の脅迫メール 激化する“言論への攻

   撃”の実態「フラグを立てられたら終わり」【報道特集】

   TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/04/05  22:32

   斎藤氏再選の背後でどんなことが起きていたのか、よく分かる。そしてなぜ兵庫県警は何一つ動こうとしないのか、兵庫県民はなぜ声を上げようとしないのか、大きな疑問が湧いてくる。事務所や自宅に押し掛けて大声で喚き散らす人物を警察や周辺の住民が放置,、静観し、結果的に一方的な誹謗中傷が堂々とまかり通る…兵庫県の選挙には民主主義や正義の欠片も存在しないかのようだ。

 再三にわたって極めて悪質なイジメ事件を隠蔽し、教員間のイジメを放置して徹底的にこじらせてしまってきた兵庫県、特に神戸市の教育界の体質と兵庫県知事を巡る騒動とは、やはり地続きのものに見えてしまうのだが、いかがだろう。

◎【ヨコスカ解説】「パワハラ」「公益通報保護法違反」認定 第三者委員会が調査

   報告で重視した視点、社会に投げかけるモノ 斎藤知事の疑惑

   読売テレビニュース 2025/03/20  15:37

   よくまとめられていて分かりやすい。授業で視聴させても良いが、教師としては必ず視聴しておきたい動画。

〇斎藤知事の複数の“パワハラ”を認定 県の対応は一部「公益通報者保護法違反」と

   指摘 第三者委員会 読売テレビニュース 2025/03/19 5:06

   弁護士たちからなる第三者委員会の報告書でも知事の違法性が指摘された。結局は当初の報道によって醸成された世論と大差ない結論に達している。もちろん知事の「おねだり」などを盛った、マスコミの過剰な報道ぶりにかなり問題はあっただろうが、本質的な問題であったパワハラと公益通報者保護法違反は認定されている。とすると昨年9月の知事に対する兵庫県議会の不信任決議自体は間違っていなかったと言えるだろう。

   N国党の立花氏による不確かな根拠による故人への誹謗中傷と百条委員会への批判もまた、法に触れる可能性が出てくる。知事の再選がもっぱら立花氏の策謀によって実現できたとすれば、斎藤知事の立場は非常に危ういものとなるに違いない。立花氏に煽られ、騙されて齊藤氏の再選を実現させた兵庫県民の責任も、決して小さくはあるまい。

◎「首吊れ!」誹謗中傷被害者が語る現実 兵庫県にはデマが渦巻く… 誹謗中傷す

   る人の正体とは?【かんさい情報ネットten.ゲキ追X】

   読売テレビニュース 2025/03/21  15:29

   SNSの悪しき側面を理解したい。ただし授業で視聴する際は竹内県議の件を少しぼかす必要があるだろう。

◎ヤバいやつチェックリスト。第二、第三の立花孝志を出さないために

   せやろがいおじさんチャンネル 2025.3.15 20:07

   兵庫県知事選の教訓としても非常に役立つ、示唆に満ちている動画。ネットを利用した授業を展開する教師としては必ず視聴しておくべき動画の一つではないかと思うが、いかがだろう。ネット社会で飛び交う情報のファクトチェックは極めて難しく、誰であれそれなりに煽られてしまうことは少なくいあるまい。発信する側と情報の受け手が双方、心がけるべきポイントが良く整理されていて分かりやすい。

◎ネットとデマに振り回される社会をどないするか、考えてみよ〜

 せやろがいおじさんチャンネル  2024/12/04 22:58

 なかなか兵庫県知事選をめぐる問題が良く整理されていて、分かりやすい。特にN国党の立花氏によるデマ、根拠無き誹謗中傷が生み出す問題、立花氏の言動によって浮き彫りにされた兵庫県民の政治意識に潜む問題が見えてくるだろう。

 授業での視聴は「5:45」までで十分。その後の解説は教師が視聴しておき、動画の解説に役立てれば良い。

◎斎藤知事の罪「公益通報者保護制度」について深堀り!一部疑惑を認める

 マスコミの責任も 長谷川良品「テレビ悲報ch」 2024/07/19  19:47

 斎藤知事が3月に「嘘八百」「公務員として失格」などと証拠を提示することなく一方的に批判すること自体が公益通報者保護制度に違反する行為であり、まして停職三か月の処分を下したことは重大な問題、さらに通報者を特定するに至った知事側の動きもまた違反行為であるとの指摘は非常に大きな意味を持つだろう。

◎【解説人語】匿名告発者を捜して処分 兵庫県の対応に違法性は 知事自身が調査

 を指示 3つの問題点を解説 朝日新聞デジタル  2024/08/08  6:05

 斎藤知事らにどんな公益通報者保護制度への違反が疑われているのか、3点に要約されていて理解しやすい。

◎4つの選択肢 兵庫県知事の決断は? 解散なら“県政史上初”

   FNNプライムオンライン 2024/09/19 8:43

   これは民主主義とは何なのかを考える上で格好の動画であろう。ぜひ、授業で視聴させて討論に持ち込みたい。まず兵庫県知事らの不祥事は知事らを辞職させ、新しい知事を選ぶだけで本当に済む話なのだろうか、さらに知事選プラス県議選は費用がかかるので県議選を不要だとするような白鳥教授の意見にも賛否を問うてみよう。

 また兵庫県民の中にはこの状況を「恥ずかしい」と捉えて知事の辞任を要求する意見が多数あるようだが、はたして兵庫県民に恥ずかしい思いをさせてしまったのは本当に知事たちだけなのだろうか?こちらも問うてみたい。

 仮に主権が国民にあるとするならば、政治の腐敗や失敗は不適切な政治家を選んだ国民にも少なからぬ責任が及ぶはず。この知事を選挙で選んでしまった兵庫県民の責任と、この知事を推薦した自民党及びこの知事を担いだ維新の会の責任はいずれも極めて重いはずである。したがって今後、知事選を行うだけではなく、知事を担いだ自民党及び維新の会、さらには県民の責任を問うべく、直ちに県議選を行って県民の反省を促すとともに県政、県議会の一新を図るのはむしろ兵庫県としてマストの対応ではあるまいか。

 民主主義の基本が国民主権であることは言を俟たない。日本が国民主権の民主国家であるならば国政失敗の責任はまず不適切にも不出来な与党を選んでしまった点で、一義的に国民が負うべきである。また知事の不始末を県民が尻拭いするのは民主主義の原則に沿う、県民としての当然の報いであろう。したがって知事選、県議選併せて30億円余り要するとしても、それは民主主義的観点からは不可避の支出であり、その結果、県民の負担が増えてしまうのはむしろ当然の報いとすら言えるだろう。

 いや、斎藤氏がこんなことをするとは知事選の時には思いもよらなかった…という県民の言い訳は今更通用するわけがない。安芸高田市を見ればこの理屈はよく分かるだろう。石丸氏の後を受けて新市長に当選したのは石丸氏が激しく批判してきた清志会のメンバーであった。当然の成り行きながら清志会の新市長はそれまでの石丸市政を次々と否定し、再び、市の財政が悪化するような市政の改悪に続々と着手しているようだ。その結果、先々北海道夕張市のように財政破綻し、安芸高田市が一気に荒廃してしまっても、その責任は現市長を選んでしまった市民にいずれはのしかかる。これも当然の報いであろう。

 知事選、県議選の二つの選挙を行って兵庫県の財政が傾いたとしても、それは兵庫県民が県政の当事者意識、主権者としての自覚を欠いてしまっていたせいであろう。知事へのリコール運動を起こす素振りすら県民が見せてこなかったツケが県民に回ってきたに過ぎない…国民主権が本当に成立している国ならば、それ相応の結果責任を選挙民たる国民が負うのは原則として避けられないはずである。

 では生徒たちに究極の質問を投げかけたい。はたして日本国民には本当に主権があるのだろうか?もしも日本の国民には主権が実質的かつ十全に保障されていない…ということであれば、以上の主張の論拠はほとんど崩れてしまうだろう。

 まずは日本国民が主権を持つと規定されているはずの日本国憲法第一条をもう一度確認してみよう。この条文の規定に不自然な部分はないのだろうか?また国民が持つとされる主権が実質的に機能するためにはどのような条件(知る権利の保障等)を満たしていなければならないのだろうか?日本国は現在、その条件を十分に満たしていると言える状況にあるのだろうか?

 以上の検討をしてみた結果、仮に日本国民には十分な主権が保障されていないとすれば、日本国の場合、主権の有無や主権の所在自体も問われなければなるまい。実際に日本の主権が国民には十全に認められていないとすれば、日本の主権は一体どこに分散されて存在するのだろうか?核兵器の持ち込みや米軍基地問題に見られるように実はアメリカ側にも日本の主権の重要な一部が委ねられてはいないのだろうか?

 ここまで問いを重ねてくると、私たちが一方的に兵庫県民の責任を問うこと自体、妥当なことなのかどうか…かなり迷いが生じてくるはずである。

   ※参考記事

  〇財務省が「欠落」としていた森友文書74点、一部見つかった 赤木雅子さんの開示請求への説明と

   食い違い 東京新聞 2025.5.23

◎【兵庫県の斎藤知事】高校生からの手紙"応援メッセージ"紹介 心理状況に専門家

 「自分に都合のいい情報を取り入れる確証バイアス」【出直し選挙決断で会見】|

  アベヒル ABEMAニュース【公式】  2024/09/27  12:09

 確かに斎藤氏の会見から、心理学の専門家ならば彼の心理的状況をある程度まで読み取ることはできそうだが、この件において本質的な問題はそこには無いだろう。確かに「確証バイアス」という認知の歪みを知ることは有益だが、ここでは肝心な問題から市民の目を逸らせてしまう危険性があるので触れない方が良い。

 大切なのは番組の後半に出てきた中室氏の指摘の方であろう。まずはマスコミが斎藤氏の「おねだり」に対して世論を煽るような報道を繰り返している点を批判し、パワハラや公益通報制度への違反行為に焦点を当てて報道すべきであるとの指摘は極めて的確であると思うがいかがか。

 また中室氏が紹介したメキシコでの研究成果は非常に示唆に富み、大いに参考となるものだろう。地方政治家の不祥事、スキャンダルの報道が長引くことで高校生の万引きやカンニングがどうやら有意に増えたとのことである。すなわち政治家のスキャンダル報道は結果的に「社会的に成功するためには多少の不正も許される」というヤバイ認識を若者に植え付けてしまうらしい。

 日本の若者の政治離れの背景にも、政治家たちの不正、スキャンダルが続々と発覚する日本の現状があるのではないか。特に兵庫県ではかの「号泣議員」や差別発言を繰り返す裏金議員…といった政治家のスキャンダルや今回の知事の問題だけではなく、神戸市を中心にかなり以前から学校教育の極めて深刻な問題が相次いで報道されてきた。

 現在、神戸市から明石市などへの若い世帯の人口流出が話題にのぼってきたことをも考えあわせると、兵庫県での児童生徒、若者の心がこうした報道によってどれほど蝕まれてしまうのか、大変気になるところである。加えて齊藤氏は失職して「出直し選挙」に臨むことになった。齊藤氏のこの厚顔無恥さ、傲慢さが今後さらに若者を政治から遠ざけ、児童生徒の精神的な「荒れ」が増大してしまう危険性を個人的には強く感じるのだが、いかがか。

 古くから言われる通り、子どもや若者は大人たちの背中を見て育つ…であるならばタイミングとして既に遅きに失している感は否めないものの、兵庫県民、神戸市民の大人たちが主権者としての何らかの社会的動きを起こさないと、神戸市のみならず、兵庫県全体の人口流失が早晩、若者を中心にして一気に加速するかもしれない。

◎【選挙報道】“オールドメディアvsネット”なぜ?西田亮介「甘んじていたツケ。報

   道の表現の技法を試行錯誤すべき」兵庫県知事選を分析|アベヒル

   ABEMAニュース【公式】 2024/11/22  15:44

   フォロワー数、登録者数、視聴回数、「いいね」数などの調査を通じて、SNS、特にXやYoutube動画の若者への影響力がいかに甚大なものであったかが推測できるだろう。データとして非常に貴重なものがあり、授業ではぜひ参考資料としてこの動画での統計データを紹介したい。ただし授業で視聴するにはやや難易度が高く、多くの高校では無理があるので、プリント等で統計データと分析を分かりやすく紹介しておきたい。

◎【橋下徹氏が斬る】「SNSからの疑問にTVは答えなかった。それは信用力がない」

   選挙報道めぐる“既存メディア”の対応どう見る?【兵庫県知事選挙】

  (2024年11月18日)MBS NEWS  2024/11/19  35:32

   テレビや新聞といった大手メディア、オールドメディア側と新興勢力のSNSとの間にしっかりとしたキャッチボールが見られない点が大きな課題、とする橋本氏の見解に同感。特にテレビ各局はそれぞれの立場を鮮明にして固有の意見を表明しつつ、対立する意見同士での建設的な議論を我慢強く続けていく姿勢を最後まで保つべきだろう。そしてSNSで横行している事実誤認を正し、SNSによる誹謗・中傷・デマの拡散を批判する役割をこれからのテレビは積極的に担っていくべきだとの指摘にも同意する。

   別の動画で宇野常寛氏が指摘していたように、きちんとしたファクトチェック、事実確認を欠いたまま、ひたすらSNS上での空中戦が続くようでは、議論が永遠にかみ合うことなく、不毛な対立を煽るだけとなり、無駄な時間ばかりが過ぎ去るであろう。こうしたSNSが陥りがちな欠点を是正できるのは、それなりの取材力、検証力のある大手メディアだけではあるまいか。

◎「法の抜け穴を悪用する政治家たちと公職選挙法の課題」【中島岳志】2024年11

   月26日(火)小島慶子 武田砂鉄 砂山圭大郎 中島岳志【大竹紳士交遊録】 

  【公式】大竹まこと ゴールデンラジオ!2024/11/26  11:41

   立花氏の選挙への関与についての法的問題点が分かりやすく解説されている。授業で視聴させるのは中島氏の解説部分だけで良いだろう。

〇「YouTubeの拡散指示が…」“支持者LINEグループ”の登録者に聞く 斎藤元彦氏

   再選の舞台裏【報道特集】|

   TBS NEWS DIG Powered by JNN  2024/11/30  21:59

   これまでの経緯を動画で復習する上で便利。何はともあれ元県民局長に対するプライバシーの保護を含めた公益通報者保護の観点こそ、この問題の核心であることを改めて確認したい。

参考記事

◎SNS中傷で住所晒しも…自死した男性に何が?取材に応じた当事者「報道のつもり

    でやってますので」【報道特集】

    TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/04/19  22:48

    齊藤知事の支持派や立花氏の取り巻きらはSNSなどを使い、対立する人のプライバシーを酷く侵害した挙句、誹謗中傷を組織的かつ執拗に繰り返してきた。これによってついに自殺まで追い込んでしまったケースが、元県民局長を含めると3件も発生していることになる。

    今までも立花氏は数多くの裁判沙汰を引き起こし、反斎藤派や反立花派へ圧力をかけて追い込んできた。しかも立花氏側は二つの案件で自ら訴訟を取り下げている。

 つまり立花氏は勝敗の見通しとは無関係に訴訟を起こす事で、相手を被告の立場に置き、精神的、経済的、時間的ダメージを与え、他方で自らを精神的に優位な立場とすることを主たる狙いとしているようだ。したがって立花氏自体は裁判に勝つことをほとんど目的とせず、裁判結果などは最初から眼中に無いと見える。

 加えて立花氏側は攻撃対象の住所をネット上に晒すことで彼らの家族にも危害が及びかねない状況を意図的に創り出しているようだ。これは明らかな違法行為であるが、これまで警察側が動いた形跡を私は一件も知らない。すなわち立花氏側は繰り返し相手のプライバシーを侵害して誹謗中傷を集団的に行っているにもかかわらず、一度も警察沙汰とされないまま、とうとう犠牲者が3人も出てしまった、という事なのだ。はたしてこれで日本は法治国家と言えるのだろうか。

 旭川女子中学生凍死事件においては被害者側の重要なプライバシーが二度も第三者委員会の外部に漏洩したにもかかわらず、その犯人は特定されないまま今日に至っている。遺族が今も悲嘆に暮れている一方で、プライバシーを流出させた犯人は、おそらくまったく反省することなく今も平然と過ごしているに違いない。この時も法律違反者はお咎めなしの野放し状態であったのだ。

 今回の犯人は兵庫県議会議員の3人と立花氏、元総務部長、元副知事らであろうが、彼らもまた依然として逮捕されていないし、罰金すら科されていない。他方で被害者の遺族は今も住所などが晒されたまま、彼らから一方的に悪者扱い、犯罪者扱いをされ続けている。日本は今、実に不公正な無法社会となっているのだ。

〇【公益通報】職場の悪事、見て見ぬ振りしたら起きること。兵庫県の斎藤元彦知事

   めぐる内部告発と保護法改正の行方   ハフポスト日本版 2025.4.3

   旭川女子中学生凍死事件におけるイジメ隠蔽の件も、故人や遺族のプライベート情報を漏洩させることで事件の解明を妨害し、調査に関わる関係者を極度に委縮させて当該中学校の元校長、元教頭らへの責任追及をかわそうとするかのごとき極めて卑劣な動きが、新旧の第三者委員会の周辺で二度も生じていた。この件では最初の第三者委員でしか知りえない情報がネット上や旭川市議にリークされたにもかかわらず、結局はリークした人物が特定されないまま、ウヤムヤの内に調査が終了してしまった。

   今、問われているのは内部告発制度の根幹にかかわる兵庫県知事周辺での事件であり、是が非でも元総務部長や元維新県議らの動きに対して旭川のような曖昧さで事件を収束させるわけにはいくまい。日本社会の自浄機能を維持、回復させる上でもしっかりとした司法、警察の捜査が入るべき案件だろう。

〇【独自】第三者委の報告書に対して片山元副知事がコメント 元県民局長の告発「不

   正目的ではない」に疑問 斎藤知事には「誹謗中傷の対象となった職員らを守る責務

   がある」 FNNプライムオンライン 2025.3.28

 片山氏は元県民局長が徒に斎藤知事らを「誹謗中傷」した、との確たる根拠を十分に示してきたのだろうか。これは傍から見ればただの空中戦に見えてくる。

   懲戒処分にいたった事案であるのならば、告発文が「嘘八百」であったと判断した証拠を知事側は当初からきちんと公開しなければならなかったはずだ。仮にそれがプライバシーの侵害や公務員としての守秘義務に違反する恐れあり、と考えたのならば、知事側は明確な根拠を公的に示せないがゆえに、その段階で「変な勘繰り」を避ける上でも内部告発者への保護をむしろ最大限に優先すべきであり、「誹謗中傷」の事実認定と判定を第三者に委ねるべきだろう。

   すなわち告発文書発表当初の段階から、第三者委員会などに調査と判断を委ねる他、知事側には元県民局長の告発に対応する手段が無かったはずである。それを知事側はいつまでたってもしっかりと事の真偽を公の場で明らかにしないまま、元県民局長を目の敵にして上から力ずくで葬り去ろうとしたのではなかったか。そして県政の混乱と停滞を自ら招いてしまったのではないのか。

   だとすれば知事側が自ら招いたであろう県政の停滞を理由にして元県民局長の告発をクーデターだと決めつけ、告発文書問題を早期に解決しようとするのはあまりにも無理筋だと思うが、いかがか。

   元県民局長側にプライバシー上の重大な問題があったと仄めかして、元県民局長が自分たちを一方的に「誹謗中傷」した、といったような被害者気取りを知事側がしているのはやはりまったく解せない。それは県政を主導する立場の人間として許容される言動ではあるまい。そもそも事の真相がある程度まで明らかにできない内は、元県民局長のプライバシー上の問題と内部告発者保護の問題とをとりあえず切り離して対処するほか術が無かったはず。プライバシーの問題があるからといって元県民局長の告発をすべて「嘘八百」と決めつける事は、傍からすれば「憶測」に基づく一方的な断罪であり、知事側のパワハラだ、とのそしりを免れないはずである。

 本当に「誹謗中傷」されたのは一体全体どちらなのか…斎藤擁護派、反斎藤派のどちらにせよ、強固な信者を除けば兵庫県民の多くは判断材料の不足から、いまだにしっくりとくるほどの納得感を得られていないのではあるまいか。

 もしかすると元県民局長に対して常日頃から敵愾心を燃やしていた知事側が、この告発を機に反斎藤派を一掃しようと一種のカウンタークーデターを試みたのだ…という勘繰りだってできないわけではあるまい。

 最大のポイントはそれがどんなものであれ、元県民局長のプライバシー問題には無いだろう。それよりも第三者によって真相究明が十分になされていない段階で時期尚早にも知事側が一方的に元県民局長を懲戒処分とした事の妥当性にあるはずだ。

 プライバシーの問題や各種のパワハラ問題はその裾野に広がる、イマイチ説得力に欠ける傍証、エピソードの類に過ぎないと感じる。今後、裾野の問題にばかり目を奪われてしまうと議論百出し、収拾がつかなくなるかもしれない。少なくとも県政の分断と停滞は当分続くように見えるが、いかがか。

◎「斎藤知事は続投か辞任か」緊急調査 兵庫県民100人のうち68人が『続投すべ

 き』兵庫県立大の学生は「若者支援が充実。授業料の無償化大きかった」と続投支

 持 関西テレビ 2025年3月27日 木曜 午後6:5

 マスコミが「マスゴミ」と揶揄される所以はこのような報道のあり方にも顕著に表れていると感じる。わずか100人のインタビューで「兵庫県民100人の内…」といった乱暴極まる表現をしてしまう事自体、明らかに公平さ、妥当性を欠く、ただの煽り報道だろう。この程度の小さな規模のインタビューであたかも兵庫県民の総意を掬い上げたかのような表現をするのはいかがなものか。

 授業料無償化の恩恵を受けた兵庫県立大学の学生による「若者支援が充実」との言葉を受け、あたかも斎藤県政が若者全体を支援してきたかのように印象付けているのも解せない。他大学の学生ならば違う言葉が返ってくるかもしれないではないか。

 数字を用いるといかにも客観的で公正なイメージを我々に与えるが、少しでも統計を知る者ならば、この報道はただの「煽り記事」にしか見えてこない。齊藤支持派と反斎藤派との間に深まった亀裂、兵庫県政の分断はまさにこのような報道のあり方からも生じていると考えるが、いかがか。実に罪深い報道であると個人的には思う。これでは誹謗中傷を用いて斎藤擁護を煽ったと考えられる立花氏を、マスコミとして公正な立場から批判することはできない…いかがだろう。

〇兵庫維新3人の県議、無制限会見のてんまつ 5時間半にわたって語り続けた「正当

   性」 産経新聞 2025.2.24

   もちろんパワハラやおねだりなど、さしたる確証があるとは限らない案件を持って斎藤氏批判を煽ったマスコミの責任は軽くあるまい。それらの報道はむしろ元県民局長の公益通報者としての立場や彼のプライバシーの保護をめぐる本筋の議論から県民の目を逸らすことで斎藤氏に利する結果となった感もある。

   とはいえこの三人がしっかりとした検証をすることなく安易に立花氏を信頼してしまった責任も決して軽くはあるまい。これまでの立花氏の言動に怪しげな側面があることぐらい、誰でも分かっていた事である。実際、竹内氏や奥谷氏を、マスコミによる斎藤批判に悪乗りした悪人と見なして糾弾した立花氏の論拠は、後日、本人が認めて謝罪した通り、憶測に満ちた謬見に基づく側面があった。

 にもかかわらず、彼らが現在も「立花氏はデマを流していない」と強弁するのはいかがなものか。彼らは立花氏のいい加減な情報や、プライバシーの侵害によって成り立っていた不当な個人攻撃を、無理くり正当化することで結局は自己保身を図っているだけであろう。

 つまり、彼らは今後もこの件に関して一切、反省する気持ちも謝罪する気持ちも持ち合わせてはおらず、維新の会に迷惑をかけたことくらいしか反省していない。このため、いずれ隙あらば県民を再び怪しげな情報発信で煽り立てて、立花氏の政党に鞍替えし、ついには国政に進出するやもしれない。

 あらためて兵庫県民の良識に期待したい。

・"黒幕文書"を立花孝志氏へ提供疑惑「渡したのが誰か...記憶おぼろげ」渦中の維

   新・岸口実県議が釈明 文書渡しは公選法違反や百条委の規則違反なのか...

   専門家の見解 MBSニュース 毎日放送  2025.2.19

   専門家と称する白鳥氏の見解にはガッカリさせられる。増山氏と同様、岸口氏の行為は「軽率」などとの言い訳で済むような話なのだろうか。本当にただの「イメージやモラル」の問題に過ぎないのであろうか。仮にそうだとすれば、旭川女子中学生凍死事件やこの事件の様に、関係者を極限まで追い詰めてしまうようなプライバシーの深刻な侵害がこれからも日本各地で続発してしまうだろう。

 いずれも事件の真相究明にあたる、公平で客観的な立場であるべき機関から、いまだ調査中の真偽不明な情報が漏洩してしまっている。それも極めて際どい内容のプライバシー情報である。漏洩のタイミングを考えれば、明らかに世論の流れを都合よく変えようとする、特定の目的を持って組織的に行われた「リーク」そのものではあるまいか…と疑われても仕方あるまい。

 「記憶おぼろげ…」とする岸口氏の言い訳には、過去、「記憶にございません」とシラを切り続けてきた日本の政治家たちの、往生際の悪いふてぶてしさ、不誠実さがにじみ出ている。そしてこうした人物が百条委の副委員長であった事自体にも、一定の組織的意図を感じてしまうのだが、いかがだろう。

◎「内部告発なんてしなければよかった」公益通報後に解雇や異動 障がい者施設で勤

   務の3人"不当な処分を受けた"と訴える 施設側は「報復の可能性はない」と主張 

   MBSニュース 毎日放送 2025.2.21

   組織内の和を重んじるあまりに上司や組織への批判を封じ込め、過度に協調と忖度を強いる社会は自己チェック機能、自浄機能を失いがちになるであろう。せっかくの内部告発が組織の改善に生かされることなく、むしろ告発者への報復が横行してしまう日本社会…授業ではひたすら「黙働」を強いられる組織における閉塞感を戦時中の少国民教育を例にしてリアルに想像してみたい。

◎デマや誹謗中傷でついに死者が 「流言」を言いっぱなしにする立花孝志氏と「真実

   を知り全てがつながりました」と言っていた有権者は...

   文春オンライン プチ鹿島 2025.1.28

   SNSとマスメディアとの関係はどうあるべきか、今回の兵庫県知事選をめぐる混乱をどう整理するか、考える上で非常に役立つ記事。

〇兵庫・斎藤知事 立花孝志氏公開の元県民局長公用PC内の私的情報「見てないです」

  「第三者委員会でしっかり調査」 よろず~ニュース 2025.1.9

   立花氏が公開したPCの私的情報を見ていないとすれば、元県民局長の公益通報に対して斎藤氏がただの誹謗中傷に過ぎないとした根拠は一体、何だったのか、がまずは問われるだろう。そもそも齊藤氏は押収したPCの内容をどこまで把握していたのか、もう一度、明確に示すべきである。そして立花氏が公開した情報と斎藤氏自ら把握した情報との付き合わせを、誰よりも先頭を切って行うべきなのは第三者委員会よりも斎藤氏自体であると考えるが、いかがか。

   第三者委員会側は斎藤氏の意図とは独立して同じことをじっくりと調査すればよい。知事として今なすべきは、県政の停滞を防ぐためにその辺りの不信感を一刻も早くぬぐい落す努力の方なのではあるまいか。第三者委員会の報告を待つ、という、当事者としてあまりにも悠長で、時間稼ぎが疑われるような姿勢はかえって斎藤県政への不信感を強めるだけであろう。

   立花氏のSNS上の活動や知事選参入を抜きにして斎藤氏の再選はありえなかったはずである。民意の形成に大きな影響を与えたであろう立花氏の公開した情報に、仮に誇張や憶測、一方的な中傷誹謗が含まれていたとすれば、斎藤氏の再選自体が胸を張って正当化できるものではなくなるだろう。そしてこうした疑念がくすぶり続けている内は、県政の健全化には程遠く、兵庫県民は相変わらず県政の「蚊帳の外」に置かれたままであろう。

〇緊急対談・西田亮介×安野貴博 なぜ「マスゴミ」は石丸・玉木・齋藤現象を予測で

   きなかったのか…! 現代ビジネス 週刊現代 2024.12.9

   マスコミ側の問題点としてここで指摘されている点は参考になるだろう。

〇斎藤元彦兵庫県知事を再選に導いた立花孝志氏の3つの”ウソ”と『オールドメディ

   ア』の犯した過ち FRIDAYデジタル 2024.12.3

〇NHK党立花氏公開の「プライバシー情報」 斎藤兵庫知事「本物かどうかわからな

 い」 産経新聞 2024.12.2

 これまた凄い展開。そもそも元県民局長が不倫等の問題を抱えていた事こそ、斎藤氏が告発文書をただの中傷と決めつけた最大の要因ではなかったのか。それなのに立花氏の公開した元県民局長のプライバシー情報を今更「本物かどうかわかならい」として、第三者委員会の設置を知事側が検討するとは一体どういうことなのだろう。

 本来、非公開であるはずのプライバシー情報をウソを交えて公開してしまった立花氏の行為は明らかに法に触れる可能性がある。しかし非公開のプライバシー情報に基づいて元県民局長を内部通報者保護法の対象外とみなし、拙速にも処断した斎藤氏側も十二分に違法性があるだろう。齊藤氏の違法と思しき行為は見過ごされ、元県民局長だけが一方的に悪者と見なされている異様な現状が続いている。不可思議というほかあるまい。

 多くの兵庫県民はまたしても県政の「カヤの外」に置かれてしまっている。有権者へはついに最後まで信頼できる情報が十分に与えられないまま、知事選が行われ、立花氏の真偽不明な「プライバシー情報」の公開が功を奏したことも手伝って斎藤氏は大差で再選を果たしている。つまり、いまだに元県民局長をめぐる事件は「藪の中」にあるまま、二期目の斎藤県政は既にスタートを切ってしまっているのだ。この不明朗過ぎる事態の進行ぶりに何やら釈然とせぬ思いを抱くのは私だけではあるまい。

 最近の斎藤氏にかけられた公職選挙法違反の嫌疑といい、今回の件といい、副知事の人選を巡る混乱ぶりといい、すべてが真相不明のまま繰り返される騒々しいほどのマスコミ報道…相変わらず私たちは「兵庫県政の闇は深い」とぼやくほか術がない。

〇兵庫県知事選に見た選挙の根本的な問題 「自由競争ができる選挙にはなってない」

   ライター・畠山理仁氏 AERA dot. 太田サトル 2024.11.30

   ほぼほぼ同感である。現時点での妥当な落としどころではないだろうか。

〇兵庫知事選、稲村氏陣営のXアカウント凍結で刑事告訴へ 組織的に一斉通報か 

   神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2024.11.21

   SNSの利用はもはや政治家にとっても必要不可欠であり、いかにして効果のある利用が出来るかで当落が決定しかねないのが、今日の選挙であろう。そんな時に立候補者側のXアカウントが二度も凍結されたという。どうやら稲村氏に対して組織的な選挙妨害が行われたと考えられる。これもまた兵庫県政の闇の深さを感じられる出来事だろう。裁判の行方を見守りたい。

〇立花孝志氏を刑事告訴、百条委の奥谷謙一委員長「虚偽のSNSで名誉毀損」…

   出てこい奥谷」演説でも被害届 読売新聞 2024.11.23

   現在、法廷で係争中ではあるが、都知事選でも某政党による凄まじい選挙妨害が見られた。立候補者ならば選挙期間中、何をしても構わない…のだろうか。会期中の議員不逮捕特権と同様、立候補者にも選挙期間中、何らかの正当性を欠くレベルでの特権があるように思えてくる。

   そもそも奥谷氏の自宅前で敢えて演説し、「出てこい」と煽ること自体、明らかな違法行為ではないか。この段階で直ちに警察沙汰になってもおかしくはあるまい。ネットで煽り、賛同者が一定程度の数に達すれば平気で常識外れの事をしてさらに煽り立て、世間の注目を浴びる…まさにトランプの手法である。

   そういえば学校や教育委員会を舞台にお下劣な事件を頻発させ、差別発言を繰り返す、あるいはテレビカメラの前で幼稚なウソをつく議員たちを生み出した神戸市はすでにトランプの支持基盤と同様の体質を抱えているのかもしない。

   「…のトランプ」が世界中に出現してくるのかと思うと、空恐ろしい。授業では、望ましい選挙のあり方と望ましくない選挙のあり方についてそれぞれ生徒たちに列挙させ、アメリカ大統領選や都知事選、兵庫県知事選を「他山の石」としてもう一度振り返ってもらう必要があるだろう。

〇斎藤知事告発の県民局長「PCデータ」がSNS拡散したのはなぜ 側近に浮上した漏

   洩疑惑 産経新聞 2025.1.7

   兵庫県知事選を巡る混乱は元県民局長のプライベート情報がSNS上に流出した問題に起因する側面が大きいだろう。もちろん、出発点となったのは斎藤氏側の公益通報者保護違反への嫌疑となるだろうが、これは今後の解明に待つほかあるまい。

   旭川の女子中学生凍死事件においても秘匿すべき第三者委員会の資料が二度にわたって流出し、遺族を再三にわたって苦しめてしまったことは記憶に新しい。資料の作成、保管に携わったのはごく限られた人数であり、流出させた極悪の犯罪者を絞ることは極めて簡単なはずなのに、この件は今もお構いなしとなっている。極めて不可解であり、残念なことである。

 そもそも当該女子生徒を死に追いやった大きな原因の一つとされているのが、加害者側による性的な画像の流出であっただけに、再三にわたる第三者委員会資料の流出には許しがたい憤りを覚えるのだが、いかがだろう。これほどプライバシー保護の精神が執拗に蹂躙され続けた悪質な事件を私は他に知らないのだ。

 本来ならば厳格に秘匿すべきプライベート情報を敢えて流出させて、被害者遺族を繰り返し脅迫し、同時に事件の隠蔽、沈静化を図る卑劣極まる犯罪が今もなお野放しにされている…こうした点にも旭川市の闇深さはある。だが、実はこれとまったく同じ事が兵庫県でも起きてしまっているのではあるまいか。

 元県民局長のPCが個人の所有ではなく、公的に貸与されたものだからといって、それだけで個人情報を公開して良い、という結論にはなるまい。確かに元局長が公的に貸与されたPCを私的に利用した点は咎められる。だからといってPCの情報公開が直ちに認められるわけではなく、それが公益上、やむを得ないと第三者が判断した時に限り(たとえば法廷の場などで)限定的な公開が認められる、と考えるべきではないのか。基本的人権の尊重を日本国憲法の基本原理と認めるならば、プライバシー保護に関してその程度の配慮は必要だろう。

 すなわち立花氏が選挙期間中に行ったことは元局長に対する違法な私的制裁に等しく、遺族の人権を踏みにじる犯罪行為そのものと考えるが、いかがか。

   ※参考動画

  ◎【字幕付】正義と悪!政見放送 立花孝志【兵庫県知事選2024】我らがタイガースのサンテレビ

    版★パワハラした知事はテレビ歓迎され、パワハラしてない知事はテレビに嫌われる謎!裏側

    には何が? まかろに情報局  2024/11/10 6:11

   この立花氏の主張にはどんな根拠があるのか、具体的に明示されてはいない。百条委員会での報

  告に斎藤氏のパワハラが無かった、という証拠は見られない。「ネットは正義、テレビは悪」と決

  めつける根拠などそもそもあるわけがない。まさにトランプ並みの暴言の数々である。ところが兵

  庫県民にはこの主張がおおかた、受け入れられてしまった。

   授業ではまず彼の政見放送に対する感想をアンケートで書かせ、対立する意見を取り上げてディ

  ベート形式で議論させると盛り上がるかもしれない。ただし告発文書問題の経緯をあらかじめ示し

  ておく必要はある。事件の細部の真偽については各自ネットで調べさせたい。その際、おそらくネ

  ット情報自体に大きな偏り、真偽不明の情報がかなり見られるだろう。「ネットは正義!」と叫ぶ

  根拠なき立花氏の煽りにあっけなく乗せられない程度の心構えは兵庫県民でなくとも必要である。

〇百条委が兵庫県幹部の尋問映像公開、片山前副知事の「告発者の私的情報発言」は

   音声を消して対応 読売新聞 2024.11.23

   百条委員会側は片山氏の発言が故人のプライバシー侵害にあたると判断して尋問映像の一部を音声カットしたらしいが、それを立花氏が曲解し、一方的に隠蔽と決めつけて奥谷氏への個人攻撃を行ったものと考えられる。兵庫県民の多くが立花氏の発信を受け入れて斎藤氏に投票したとすれば、事は重大。

〇兵庫県の百条委 核心は公益通報への対応だ   読売新聞 の意見 2024.11.24

   もう一度、この問題の原点に戻って考えた方が良いだろう。元県民局長による告発が公益通報にあたるのか、それとも斎藤県政への根拠の無い誹謗中傷にあたるのか…そもそも4月段階で公益通報窓口に提出された告発文書の中身に公益通報に該当する可能性が少しでも認められるならば、それ以前のマスコミ宛ての告発を巡る議論はほとんど意味をなさないだろう。故人の不倫等の問題が仮にあったとしても、告発内容に多少とも事実が含まれている可能性があるならば、故人は当然、公益通報者として保護されるべき人物であったことになる。本件に関しては故人の性癖等は一切、問われるべきではあるまい。

   一つここで問題視すべきなのは故人のパソコンから個人情報を抜き出して公にリークした行為の方であろう。これは明らかに故人および遺族への重大なプライバシー侵害であり、まず厳しくその責任を問うべきである。当事者が単に辞職して済まされる話ではない。

 もちろん立花氏による選挙期間中の奥谷氏への行為は百条委員会への恫喝であり、奥谷氏への名誉棄損でもあるだろう。また稲村氏の件もこれに絡んでくるが、いずれも法廷の場で裁かれる予定となっている。これらに関しては今後の裁判の行方を見守るしかあるまい。

 気になるのは斎藤氏が知事選での勝利を背景に、いかにも禊が済んだかのような言動を見せ始めた点である。SNSによってあっけなく簡単に左右されてしまうような現状の脆弱な民意にはたして政治家を権威づけるほどの意味や力があるのだろうか…これは選挙制度の根幹にかかわる疑問であり、兵庫県に限った話ではあるまい。

 問われるべき問題の核心は、政治家を選ぶために欠かせない国民の知る権利を国家がこれまでどれほど保障してきたのか、という点だと思うがいかがか。今回の知事選でも、耳目に入ってくる情報の中で何が信用できるのか、最後まで分からずに迷っている人が多かったようだ。この点に関してはSNS、マスコミ、学校教育の責任が大きいだろう。授業でぜひ注目させたいポイントである。

〇兵庫県元総務部長 死亡した元県民局長の私的な情報を個人的に所持 百条委員会が証

 人尋問の録画を公開 読売テレビ 2024.11.22

 凄い事実が明らかになりつつある。元総務部長は元県民局長のプライバシーを侵害し、押収したパソコンから引き出した情報を仲間と共有して故人を脅迫していた可能性まで出てきた。元県民局長の自殺は彼らが不倫などをネタにして故人を脅すことで斎藤氏のパワハラ問題などを口封じしようとしたことが主因なのかもしれない。仮にそうだとすれば、故人の不倫の真偽や是非とはまったく関係無く、斎藤氏側はただの犯罪者集団に過ぎないことになる

〇【速報】前知事の斎藤元彦氏が当選確実 期日前投票は過去最多、投票率50%超 不

   信任・失職を経て出直し選挙で再選 兵庫県知事選

   MBSニュース 毎日放送 によるストーリー 2024.11.17

   さすが旧内務省出身者を選び続けた兵庫県民である。9月に県議会から総スカンを食らい、失職を余儀なくされた斎藤氏であるが、井戸県政への批判とNHK党立花氏の扇動を追い風に、政党の支援を受けられないという逆風をものともせず再選を果たしたようだ。再選の背景には乱立した対抗馬の不甲斐なさがあるだろうが、官僚出身者を偏愛してきた兵庫県民の体質もまた大きな要因と考えられる。

 広島の安芸高田市は石丸氏が去った現在、かなり迷走を続けているようだ。対して兵庫県が今後、どうなっていくのか、極めて興味深い。とりあえずは斎藤氏への不信任を議決した兵庫県議会の解散と県会議員選挙が行われる次年度の動向を待ちたい。その結果次第では兵庫県政の行方が大きく左右されてくるだろう。

 他方で、あろうことか、アメリカでトランプが再び大統領に当選し、大統領府の人事に大ナタを振るい始めている。齊藤氏が今後、どんな人事を行い、どんな県政を行っていくのが、県外から引き続き厳しい目で観察していきたい。

 授業ではぜひ斎藤氏再選の要因について生徒たちに問うてみたい。特にSNSの影響力には注目すべきだろう。また、兵庫県政の行方についても議論させてみたい。

 なお2023年度の都道府県別転出超過数の多いワースト3にかの広島県や兵庫県が入っているのは、これらの県の人口がそもそも多く、沢山の山間部を抱えているから、という答えももちろん考えられる。しかし本当にそれだけなのかは疑わしい。たとえば兵庫県のケースでは、神戸市から明石市への転出が多いことの理由まで考えあわせて検討した方が良いのではあるまいか。

○<独自>告発した元局長の私的情報漏洩か 兵庫知事側近の前総務部長ら 県が調査検

 討 産経新聞 2024.8.29

 内部告発者を自殺に追い込んだ、最大の原因となる卑劣な犯罪行為を斎藤知事らが行っていたことが分かりつつある。告発者のパソコンを押収し、個人情報を抜き取って漏洩させる…知事側のこうした動きが事実として確認できれば、知事側の動きが告発者を精神的に追い詰めたことは明らかだろう。しかしリコール運動の動きは今も表面化していない。もちろん、知事から引責辞任の声は聴かれないままである。

 兵庫県の地方自治がいかに形骸化し、腐敗し切っているか、世間に広く知れ渡る残念な日々が続いている。実際、泉房穂氏が指摘するように兵庫県知事は60年以上にわたって天下り官僚が務めている。しかも戦争遂行に深く関わり、国民の人権抑圧に中心的役割を果たしてきた内務省、その解体後に発足した自治省、省庁改編後に登場した総務省の出身者ばかり(斎藤氏を含む5人)。これでは泉氏の言うように斎藤知事はもはや殿様気取りで執務に臨んでいるに違いあるまい。

 しかし、こうした地方政治の堕落は安芸高田市や神戸市を先頭に今や全国的展開を見せている。画一的な管理主義を武器にして児童生徒の民主主義的精神を圧殺し、その芽を潰すことばかりに専念してきた日本の公教育が招いたこの惨状を変えることができるのは、やはり学校教育の根本的な改革でしかあるまい。

○【独自解説】“声を挙げた人”を保護する『公益通報者保護法』、死亡した元幹部職

   員には適用されず…なぜ守れなかったのか?兵庫県・斎藤元彦知事が下した“不適切

   な判断”を専門家が指摘   読売テレビ によるストーリー 2024.8.9

  やや長い記事だが、 公益通報制度の概要がよく分かる。同時に斎藤知事のパワハラ的言動もよく分かる内容。

〇「県警に内部情報漏らした」 町が職員を懲戒処分 熊本・玉東 

    毎日新聞     2025.6.12

 公益通報者保護への理解が不十分なため、公益通報を「裏切り」として断じてしまう風潮が兵庫県を皮切りに全国各地へ拡大していく恐れが出てきている。

○斎藤兵庫県知事のパワハラ告発の元局長死亡 「つるし上げる」と維新議員から糾弾

   されていた AERA dot.   今西憲之 によるストーリー 2024.7.13

   元局長自殺の一因となる動きが見えてきている。公務員としての守秘義務と内部告発、公益通報との難しい関係も察せられる。教師もまた公務上、生徒の個人情報に接する機会が多く、その情報を次年度の担任に伝える際、校務用のパソコンを使うべきなのか、私有のパソコンを使っても良いのか…おそらく多くの教師は校務用のパソコンを使用するだろう。守秘義務に関わる生徒のプライバシー情報を私有のパソコンに入力すること自体、避けるべきであるのは当然だからだ。

 ならば今回のような問題が生じたとき、教師が使用した校務用のパソコンの情報を公の場で公開すべきだと言われたとしたら、それは誰もが拒否するに違いない。特にクラス担任が抱える生徒情報の一部は決して口外できない部類のものも少なからず含まれており、議場で公開して良いはずがない。…元局長の心中を察するに、胸が痛む教師たちは少なくないのでは…

○【パワハラ疑惑】兵庫・斎藤知事、証人尋問でパワハラ認めず「県民としてお引き

 取り願う」県外からも「リコールしないの?」の声

 SmartFLASH によるストーリー 2024.8.30

 兵庫県議会は百条委員会を設けて知事のおねだり疑惑やパワハラ疑惑を追及するという、斎藤県政を改善するためのそれなりの努力と役割を果たそうとしている。しかし斎藤知事を選んだ責任はもっぱら兵庫県民にあるはず。したがって県政への当事者意識、主権者意識が普通にあればかなり早くから県民によるリコール運動が起きていたはずであり、民主主義の原則からすればリコール運動が起きない方が不健康だとすら考えられる。

 もちろん、リコールを成立させるには沢山の署名を集める必要があり、かなりの時間、労力、費用を必要とするだろう。しかしこれほど酷い状態を招いた知事の言動をこれ以上、県民が看過するのはいかがだろう。国民主権を土台とする民主主義が兵庫県ではまったくの機能不全に陥っているとしか、考えようのない状況ではある。

 泉房穂氏が指摘しているように、兵庫県知事は60年以上にわたり内務省、自治省、総務省官僚の天下り(斎藤氏を含む5人)が務めてきた。内務省は戦前、戦時中、国民の人権を抑圧して戦争遂行に協力した特高を擁する悪名高いお役所であり、そのためGHQによって戦後、解体されて自治省とされたが、実は特高のメンバーが戦後、警察学校の校長となるなど、その強権的体質にさほど大きな変化は無かったと見る立場もある。省庁改編で自治省の名前は総務省となったものの、結局は体質に大きな変化が見られなかったことは斎藤氏の強烈なパワハラ体質にうかがえるだろう。

 そもそも60年以上も天下り官僚を何一つ疑うことなく知事として選び続けた兵庫県民の政治意識にも大きな問題を感じるのは私だけではあるまい。リコールの成否を問わず、斎藤県政に唯々諾々と従い続ける兵庫県民にはもはや不気味さ以外、何も感じるものは無い、とすら言いたくなるほどの県政の乱れぶりである。

 過去、学校教育に関わる数々の異常な事件、不祥事を連発させてきた県都神戸市でも市民の動きは極めて不活発なものに見えていた。北海道の旭川市、札幌市でもしかり…どうやらこの状況は一部の地域に限られたものではなく、既に全国的なものなのかもしれない。だとすれば日本の民主主義は土台から崩壊しつつあるようだ。もしかすると日本の画一的で管理主義な学校教育がついには日本人の主権者意識、当事者意識を根こそぎ台無しにする負の効果を強烈に発揮し始めたのかもしれない。

〇「黙れ、一茂!」兵庫県知事問題で長嶋一茂が放った「県民批判」にブーイング殺

   到 アサ芸biz によるストーリー 2024.9.30

   長嶋氏の兵庫県民への批判的な見解は国民主権を土台とする民主主義の立場からすればむしろ極めて真っ当なものであり、これを問題視する報道側の方にも民主主義への理解不足があるような気がするのだが、いかがだろう。

   ただし、日本では本当に国民主権、民主主義が十全な意味で機能しているのか、きちんと根本から問い直した時、誰もが兵庫県民ばかりを責めることは出来なくなるのではあるまいか。たとえば日本国民が憲法の定めるとおりに選挙権を有していたとしても、政治上の重要事項や候補者、政党に関する情報が十全なレベルで有権者へ伝えられていなければ、その選挙は民主主義的な選挙の条件を満たしているとは言えなくなるからである。また学校教育においてやはり何らかの原因で生徒たちの多くが政治の実態をしっかりと学んでこなかったとすれば、やはり民主主義は将来的にもその健全な機能を阻害されてしまうに違いない。

 民主政治は多数の民意に基づいて行われるべきだ…などと世間では言われたりするが、マスコミや学校などが垂れ流す不十分な情報、偏った情報によって過半の民意が形成されてしまっているとすれば、民意はただの人気投票的な選挙の結果にのみ集約され、選挙結果がすべて、といわんばかりの洗脳による専制政治、ただのポピュリズムに直結してしまうのかもしれない。

 この記事は現代の日本政治の危機的状況に迫る上で、ある意味、それなりに役立てることができるものであり、授業においては批判的な立場から扱うと面白いだろう。ぜひ、長嶋氏の意見とアサ芸の意見について賛否を問い、議論に持ち込みたい。

〇問われる兵庫県知事の公益通報“保護対象外”判断(大渕愛子弁護士)

   労基旬報 によるストーリー 2024.10.6

   公益通報制度自体の欠陥もあって元兵庫県知事のパワハラ等の問題は意外にも混迷を深めているようである。告発には真実相当性が無い、との元知事側の判断の正当性、根拠が、本来ならば法廷の場で様々な検証を経て厳密に問われるべきだろう。しかし遺族からの訴えが無い時点では当分の間、第三者委員会の調査結果を待つほかに真相究明の道筋は見えてこない。

   リハック(2024.10.6)での元知事による発言で特に気になる点があった。自殺した元西播磨県民局長のコンピュータに記録されていた内容に「プライベートな内容でかつきわめて大きな倫理上の問題があった」ことが告発の真実相当性、公共性を十分に疑わせるものとした根拠の一つ、という点である。

   元局長側には公に出来ないほどの倫理上の深刻な問題が潜んでいて元知事としてはその内容をここでつまびらかにする立場にはない、とのこと。口には出せないほど、元局長がいかに酷い、倫理的にもとる人間性の持ち主だったか、言外に匂わす、極めて政治的な発言であったように私は受け止めたのだが、いかがだろう。

   ただし、それだけ重大な内容の報告があったにもかかわらず、部下がこれは知事の立場としては見ない方がよろしい、との進言に従い、元知事は直接、その内容を確認しなかったという。つまり、部下の報告に何ら疑いをさしはさむことなく、単純にも鵜呑みにしてしまった点に私は大きな疑念を持つ。しかも、その後も部下の報告を自らまともに確認することすらしないまま、分限に関わる重大な処分に踏み切る、という明らかな違法レベルの暴挙に打って出ている。

   私たちはリハックでの元知事の発言を通じて元局長の極秘にすべき倫理的問題点がいかなるものだったのか、まったく分からないままに元局長の人間性への強い疑念を巧妙に植え付けられてしまい、反対にマスコミや県議会から袋叩きにあってしまった元知事への同情をいつの間にか刷り込まれてしまっているようである。

   元局長の遺族にとっても決して公に出来ないような、個人の倫理的問題が本当にコンピュータの記録内にあったのか否か…現時点では部外者に不明のまま、明らかに故人への倫理面、人格面への深刻な中傷とも捉えられかねない発言が、大きな世論への影響力を持つリハックの中で元知事によってなされた、という事実が持つ意味は知事選を控えたこのタイミングの中で、計り知れない重みがあるのではあるまいか。

   これはどうみても世論操作的発言であろう。公に出来ない事柄を根拠にして故人を批判する…元知事の立場としては決して許される言動ではなく、これ自体、故人及び遺族への強烈なパワハラである、といっても過言ではあるまい。常識的に見ても「死人に口無し」の状況では、公に出来ない、すなわち公に立証できない事で故人を批判し、中傷することは明白な禁じ手であり、卑劣極まりない行為である。

   以上、とても知事という要職にあった者の言動とは思えない軽率さ,傲慢さを斎藤氏には感じる。リハックにおけるこの言動一つだけでも、斎藤氏の失職は不可避の出来事であるばかりか、刑事訴追の可能性をも考えてしかるべきレベルの卑劣な問題発言だろう。私としてはこの問題は法的権限に欠ける第三者委員会ではなく、司法の場で厳密に事実関係を明らかにしてから裁かれるべき案件だと思うが、いかがか。

〇「YouTubeに虚偽動画」 百条委委員の兵庫県議が削除請求

 毎日新聞 によるストーリー 2024.12.9

 ネット上では真偽不明、あるいは明らかに間違った情報に基づいて一方的に他人を誹謗中傷する事件が横行している。また個人のプライバシーを侵害するような情報を拡散させている、極めて悪質な事案もこの件では見られる。これら、ネット社会に特有の犯罪行為にどう対応すべきか、表現の自由、言論の自由との兼ね合いを考慮しつつ、真剣に考えていくべき段階だろう。

 

◎東京都は「黒塗り」、神戸市は「白塗り」…行政が秘匿し続ける公文書“のり弁”

   問題の理不尽さ 集英社オンライン 2024.10.15

   こうまでも国民の知る権利が蹂躙されていては選挙の際の判断材料が限定されてしまい、市民は行政の実態を十分に吟味できぬままに立候補者や政党のイメージばかりを手掛かりにして投票してしまいかねない。日本の民主主義を最も阻害しているのは神戸市や東京都で見られるような、行政側の「知らしめず、依らしむべし」の秘密主義、隠蔽主義であろう。

   この秘密主義と隠蔽体質は学校教育にも貫徹しており、加えて利益、売り上げを最優先するマスコミの、行政に対する追及の甘さが事態をより深刻にさせているのではあるまいか。

   いずれにせよ兵庫県と神戸市の闇は深い。

〇兵庫知事選機に真偽不明な発信続けた立花氏 選挙にも出馬繰り返す     朝日新聞社 2025.11.9

〇NHK党の立花孝志容疑者を逮捕 兵庫県警、元県議への名誉毀損容疑

     朝日新聞 根本快 新屋絵理2025年11月9日 

〇立花容疑者、関連動画の再生1000万回超 竹内氏の情報、真偽に関わらず投稿・拡散 

     神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2025.11.11 

     なぜこの問題がこうも長引き、徒に複数の犠牲者を出し続けてしまったのか、その理由がまったく分からない。仮に法制度上の原因があるならば、国会で法改正に関して早急に審議すべきだろう。