④公立高校の独立行政法人化?
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
参考記事
◎GPT-5.2「共テ正解97%」が示すAI脅威論の現実
東洋経済オンライン 野口 悠紀雄 2026.2.1
現在、AIと人との分業の在り方が真剣に問われている。そして共通テストが測定している「学力」=「…定型化された問いに対し、正解が一義的に定まる問題を、限られた時間内に正確に処理する能力である。具体的には、暗記力、既存の解法を適用する能力、計算や読解のスピードと正確性など…」が既に相当時代遅れのものであることはもはや明白だろう。
AIがはるかに人類を上回っている、そうした力を敢えてヒトに身に付けさせること自体は必ずしも無駄、というわけではないが、少なくともヒトの学習は後期中等教育段階あたりで「定型化されていない問いを問う力」、「正解が一義的に定まらない問題に取り組む力」にそろそろ力点を移すべきだ、ということであろう。
とはいえ、このことは共通テスト、という国家的大規模テストの在り方を続けようとする限り、問題の作成、採点の難しさを考えると、その実現が困難を極めることは容易に想像できるだろう。
考えられるのは共通テストをあくまでも最低限の学力、知識を問う、ただの足切り専門のテストと再定義し、最終的な合否判定には一切使用できなくする。そしてAIと分業できるような、今後、強く求められてくる学力の確認は個々の大学の試験に委ねるしかあるまい。
いずれにせよ、急がれるのは高校教育の根本的な見直しである。教師、教科書が押し付けてくる「正解」をひたすら理解し、覚え込む…という受け身のスタンスから、最適解を求めて協働する、試行錯誤する能動的な学びへと軸足を移していくには相当の工夫と努力、時間が必要とされよう。
しかしながら、すっかりブラック化し、ゆとりの欠片も無くなってしまった公立高校にそれが出来るとは到底思えない。真っ先に国が取り組むべきは大胆な学校業務の精選の方であり、それ抜きではどんな改革も実現できるはずがない。
しかし改革への意欲の乏しい国がそんな面倒なことをするはずはない。結局、改革するための資源が圧倒的に乏しい公立を見捨てて、一部の私立の努力に高校改革と国家の命運を託する…という他力本願的方向を日本はグダグダと辿っていくのだろう。
〇高校授業料の「実質無償化」で公立、私立の選択はどう変わる?「私立と公立が同じ
土俵で戦うことは困難」と専門家が指摘する理由
AERA DIGITAL 柿崎明子 2026.1.23
仮に高校の教育改革を一刻も早く進めようとするならば、頑迷固陋な文科省、教育委員会の無意味で意地悪な縛りから比較的自由な立ち位置にある私学を育てるのが手っ取り早いと考える。公教育の改革を待っていては貴重な時間と税金の無駄遣いが続くだけで馬鹿らしいだけである。
今までの教育行政の迷走ぶりを振り返れば明らかなように、公教育こそが学校改革の足を引っ張っている…したがってこの事態を放置しておくと、何時まで経っても革新的な教育の進展は見られぬままだろう。それは日本社会全体をさらにどんよりと停滞させる大きな原因となってしまうはずだ。
少子高齢化の弊害も本格的に加わってくることで、急速に変化を遂げている国際社会の歩みに日本社会は一層の後れを取るばかりとなる…事態は一刻を争うほどに切迫しているのではあるまいか。このような観点に立てば、公教育をとりあえずギリギリまで縮小させることこそが、公教育を含めた日本社会の改革を加速させる上でも、タイパやコスパが良いのではないかと考える。
まずは東京都や大阪府で生じているような、一刻も早い「公立高校」の惨敗と縮小こそが私立の意欲的な試みをさらに活性化させ、依然として「親方日の丸」意識の抜けない文科省や公教育側には危機バネとして機能する、すなわち教育全体の改革への強烈な火付け役を果たす、と私は考えるが、いかがか。
◎都内公立高校受験は「英数国社理」ピカイチでも門前払い…内申で"致命的な減
点"がある子の親の口癖 プレジデントオンライン清水 章弘 2026.1.22
…近年、公立高校入試において実技4教科の比重が高まっているのは、「知識の活用」と「多面的な資質・能力の評価」を重視する文部科学省の方針と社会的な要請が背景にあります。
文部科学省は、2020年度から全面実施された新しい学習指導要領において、育成を目指す資質・能力を「3つの柱」として再定義しました。これは、単に知識を覚えるだけでなく、それを活用する力や、主体的に学ぶ態度を評価する「新しい学力観」に基づくものです。
実技4教科は、美術の制作、体育の実践、技術の設計など、座学の5教科では評価しにくい「思考力・判断力・表現力」や「主体的に学習に取り組む態度」を具体的に評価するのに極めて有効です。内申点の比重を高めることで、生徒が全教科の学習に偏りなく取り組むことを促しています。
また変化の大きい時代において、企業や社会は、既知の知識を効率良く処理する人材よりも、協働性、創造性、問題解決能力を持つ人材を求めています。実技教科でのチーム活動や創意工夫のプロセスは、これらの非認知能力を評価するのに適しており、高校入試の段階から生徒の多様な能力を測る必要性が高まっています。
実技4教科の重要度は、今後も継続して高い水準で維持されるか、さらに高まる傾向にあると考えられます。大学入試改革と同様に、高校入試も学力検査だけでなく、調査書の内容や面接、特色検査などを重視する多角的・総合的な評価へと移行しています。実技教科での高い評価や、特別活動の記録が合否に占める割合が増加する傾向は今後も強まるでしょう。…
以上、引用が長くなってしまったが、いわゆる内申点における技能教科重視の傾向の背景をこのような綺麗ごとの表層的理解で本当に良いのだろうか、極めて疑問である。第一、四つの技能教科を入試対象5教科の倍、内申点において過重評価しているのが東京都、宮城県、秋田県、10倍もの過重評価をしているのが鹿児島県…などとくれば、これが「知識の活用」と「多面的な資質・能力の評価」を重視する文部科学省の方針に応じたものとは限らない、ある種の後ろ暗さ、表には見えない怪しさを感じてしまうのだが、いかがか。
まして…実技4教科は、美術の制作、体育の実践、技術の設計など、座学の5教科では評価しにくい「思考力・判断力・表現力」や「主体的に学習に取り組む態度」を具体的に評価するのに極めて有効です。内申点の比重を高めることで、生徒が全教科の学習に偏りなく取り組むことを促しています…という清水氏の一面的評価が高校の実情とかけ離れた、まったくの見当外れとなる危険性を秘めている、と個人的には考えてしまうのだが、いかがだろう。
…トップ校に受かる子どもは、勉強はもちろん、行事や部活、実技科目も前向きに楽しみます。この「何事も面白いと感じる好奇心」こそが、結果として内申点「オール5」を引き寄せます…という清水氏の指摘は文科省に媚びを売りつつ、どう見ても進学塾の経営者としての視点があからさまになっている…いわゆる進学校への受験しか清水氏の念頭にないから、こんな的外れの指摘をしてしまうのだろう。
教育困難校では中学校から送られてくる内申点の評価を、今の東京都のように技能教科重視に変えていこうという議論はとっくの昔から出ていた。しかしこの時の技能教科重視の理由は、清水氏や文科省の観点とは似ても似つかない、極めて後ろ暗さのある理由であった。
教育困難校では5教科の内申点が合否決定のポイントとして、必ずしも重くはない傾向がある。5教科の学力に関しては既に入試の得点があり、学力に関してはそれ以上の情報は余分なもの、とまでは言えないものの、大して重視すべきポイントにはならないと考える一部の傾向が、まず学校現場にはあるのだ。
教育困難校ではそもそも5教科などの学業の評価よりも出席や平常点(提出物など)を重視する傾向が普段から極めて強い。したがって高校入試においてもその傾向は強く出てしまいがちになる。実際、授業中の態度の良し悪しは入試の得点とほとんど比例しない、という印象を持つ教師は少なくあるまい。その一方で、技能教科の評点が高い生徒は出席や平常点が良く、総じて授業態度も良好である、との印象が困難校の教師には少なからず、ある。
学校生活の平穏を重視し、生徒指導を軸とする教育困難校では5教科よりも技能教科の内申点、出欠席を重視する傾向が昔からあるのだ。鹿児島県の技能教科偏重と批判されかねない内申点の評価は文科省の唱える綺麗ごととはほとんど無関係であると私は断じているのだが、いかがか。東京都、宮城県、秋田県も似たような観点から内申点を評価しているのではあるまいか?
〇東京都立高の一般入試スタート 全日制の倍率は過去最低1・29倍 無償化が影響か
産経新聞 2025.2.21
大方の予想通り、東京都も大阪府と同様、公立高校の入試倍率が低下している。しかし、それ自体は高校教育の改善に関してプラスでもマイナスでもないだろう。府立高校や都立高校が多少、統廃合されたとしても高校教育の改善には必ずしも結びつかない。問題は教科書検定制度と共通テストによる授業内容の過剰な画一化や統制強化、教育行政の過剰な管理主義化、知識偏重主義の横行、一斉講義形式の蔓延、肥大化するばかりの学校業務、大学での教員養成教育の遅れ、旧態依然の教員採用試験と管理職登用試験、各高校における不公平な校内人事…などなど数多ある。
これら、山積する難題を学校間や教師間の新自由主義的競争、単純な市場原理だけで解決できるわけがあるまい。法制度の大幅な見直しを前提とする、1980年代の臨時教育審議会並みの、腰を据えた本格的で中長期的な展望に立った議論が、今後は避けて通れない、と考えるべきだと思うのだが、いかがか。
〇高校無償化巡り、教育の質の重要性を石破首相強調「卒業証書さえもらえばよいと
いうものではない」 読売新聞 2025.2.26
〇県立高校一般入試、最終倍率は0.82倍 志願者は3159人 朝日新聞社 2025.2.26
県立の全日制普通科高校の受験倍率が県単位で平均1倍を割り込んだのは宮崎県だけではない。富山県では史上初めて0.99倍となっている。高校教育全体の無償化が検討されている中で、公立から私学へと受験生がかなり流れてきているのだろう。このようなことは大阪府や東京都では以前から表面化していた。当然、これは早くから予想されていた事態である。
競争原理が働かない上に「金太郎飴」のような没個性の公立を、できるだけ数多く淘汰し、激しい競争を通じて高校教育全体の質を向上させる…こうした維新の会の目論見はいよいよ全国レベルで進んでいくだろう。しかし、長い事、無競争もあって停滞気味の公立高校の没落を今後、加速させていくことが、実際に高校教育全体の質を上げていく…という保証は必ずしもない。私学の教育の質があらゆる面から公立よりも本当に高いのかどうか、は多少、議論の余地があるからだ。もちろん、公立高校の質は全体として決して高いレベルではないが…
真っ先にここで問われるのは学校教育における「質の良さ」とは一体、何なのか?ということだろう。石破首相が言葉にする「質の良さ」とは具体的に何を意味しているのか、詳細に問うべきである。学校教育を語る際、下手な美辞麗句、抽象的な理念は誤魔化し、誤解、曲解を避ける上でもできるだけ口にすべきではあるまい。
〇日本の公的教育支出は、GDP比で見ても子ども1人あたりで見ても他の先進国より低
い ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者)2025.9.22
この厳然たる事実は手を変え品を変えて繰り返し、指摘されるべきである。「教育立国」というまやかしのスローガンに騙されてはなるまい。政府はさらに教育予算を削るべく、大学のみならず高校まで独立行政法人化を図ろうとしているに違いない。
こんなまやかしの政府を支持し続ける国民のお人好しさ加減に呆れるほかない。
◎50校中40校が定員割れ 熊本県立高校のあり方検討会が2034年度までに学級約2割減
を示す 県立高校の魅力づくりに自治体や企業との連携も
FNNプライムオンライン 2025.9.15
「2027年度から熊本市内の高校も含め全校で計画的に学級を減らし、2034年度までには現在の約2割に当たる62学級を減らすことなどを示した。また、学校の魅力づくりのため、自治体や地元企業との連携を推進することも提言した。」とのこと。
松下琢会長(崇城大学教授)は「高校は地域にとっては活力の源。地域創生の要。(学校存続を)目標にして地域で努力してほしい」と述べたという。
この無意味な検討会の不気味なまでの無意味さは会長の言葉で際立ってしまっている。ただでさえ学校のブラック化が進んでいるのに、学校を地域創成の道具として地域社会で盛り立てよ、とのご託宣である。急速に少子高齢化が進む地域社会に県立高校を盛り立てていくだけの力が残っているはずがない。
県立高校の不信は熊本県に限ったことではない。中学生たちから進学先として見放されている県立高校の問題点を全国レベル、県レベルでまずは縷々指摘し、その改善点を考えた上で熊本県における県立高校の魅力づくりに関する提言は行われるべきだろう。
県立高校の魅力が乏しくなった背景に何があるのか、その責任はどこにあるのか…県教委の責任と国レベル、文科省の責任をも詳細に論ずることなく、高校再生の努力を地域社会に丸投げするだけの提言に一体何ほどの価値があるのだろう。呆れてものが言えなくなるほどに噴飯物の、意味不明な検討会の提言である。
この記事からも分かるように、学校改革をめぐる議論のレベルの低さはもはや絶望的なものではあるまいか。なぜ教育を巡る議論がここまで劣化してしまったのか、マスコミや教育行政側、研究者側の責任も決して軽くはあるまい。
◎山内省二の一筆両断 公立高校の独立行政法人化?② 変化し過ぎた「何でもあり」を
危惧 産経新聞 2023.7.24
公立中学校や公立高校の独立行政法人化を構想する政治家グループがいるらしい。明らかに少子高齢化に直面する地方の実情を無視する噴飯物の暴論である。これでは地域間格差の更なる拡大は不可避となるに違いない。
かつて国公立大学で実施した政策をきちんと検証し、まともに反省しないうちに中等教育段階にも適用するという極めて無責任で安易極まりなく、かつ危険な構想。これ以上、学校現場を混乱させ、学校のブラック化を推し進めて何をしようというのだろう。
競争原理を公立学校に導入して学校の淘汰を推進する試みの一部は大阪府で進められているが、大阪府での隠蔽問題を中心とする学校の不祥事は相変わらず続発している。特に表では学校の業績ばかりを喧伝する裏側で不祥事の隠蔽を進めかねないのがいかにもポピュリズムらしい「人気取り政策」の大きな欠点だと思われる。
そもそも学校教育の質を向上させるにはまず教師養成教育の見直しを先行させる必要があるはず。それに仕事量の軽減と教師の授業力向上こそが喫緊の課題なのであり、余分な仕事を増やしかねない構想は百害あって一利無し。
また山内氏は学校を保守的な任務を帯びるものと決めつけているが、大切なのは保守と革新のバランスであり、学校の保守的機能ばかりを強調するのは合点がいかない。こんな珍妙な議論が存在していること自体、今の日本の教育が腐敗しきっていて、まさに存亡の危機にあることを示しているのだろう。
〇高校無償化で公立離れ!? 「高校教育改革」を自公維が提案
朝日新聞社 2025.6.13
給特法改正や高校無償化が高校教育の改善と結びつく保証は無いだろう。もちろん、保護者にとって無償化は歓迎される。しかしそれは教育内容の改善とはほぼ無関係である。学校のブラック化やブラックボックス化を押しとどめるものでもあるまい。給特法改正に至っては教師の待遇改善すら望みようのないただのゴマカシに過ぎない。さも「教育改革」を進めているかのように見せかけ、その実、教員の持ち帰りサービス残業を増やすだけである。
当然、教育内容のみならず、教育方法、教員人事を含む教育行政、教員養成…それらをすべて根底から見直すべきである。改革の目指すべき方向は部活動の地域完全移行を軸とする教師の職務削減、授業改革、授業改革を軸とする教員養成教育の見直し、画一的で管理主義的かつ不透明な教育行政の民主化、透明化などであろうか。
「公立離れ」は主たる問題ではあるまい。場合によっては公教育の縮小すら視野に入れるべきかもしれない。いかがだろう。
〇「大阪ではタダなのに…」大阪で私立人気高まり公立70校定員割れ 兵庫県の県立高
は独自策で志願者増 高校無償化巡る維新・与党議論は平行線
FNNプライムオンライン 2025.2.11
高校の授業料を完全無償化すること自体に反対する人は少ないだろう。現状として義務化と言って良いほどに高校の進学率は高い。同調圧力の強い日本である。高校への通学を半強制的に強いる日本社会ならば保護者の経済的負担は少ない方が好ましいに決まっている。しかし高校授業料の無償化自体は授業改革を柱に据えた、高校教育の質を高める経営努力に直結するわけではあるまい。
もちろん授業改革を軸に据えて学校の個性化を大胆に推進し、教育の質を高める経営努力を行えるような環境がしっかりと公立高校に存在していれば、授業料の無償化は教育の質を上げていく可能性が出てくるだろう。授業料という公私の壁が取っ払われる分、授業の良し悪しを巡って公立と私立との競争が激化し、授業の質が良くない高校や教師は淘汰され、質の良い教師や高校は生き残る…結果的に高校教育全体の質は向上する…といったように市場の競争原理が健全に働く事態は考えられなくもないからである。
問題ははたして公立高校が授業改革を軸とした独自の経営努力を行えるほどに自由な環境にあるのか否か、という点。あたかも金太郎飴みたいに授業内容から授業方法まで均質で、共産主義社会の様に厳重に管理されてきてしまった伝統を持つ多くの公立高校は、決して民間企業のような、独自の経営努力を行えるような環境に置かれてはいない。そもそも校長を含めた教師自体、自分の所属する学校への帰属意識は極めて低いのが現実であろう。
社員ならば企業の成長が自分の生活に直結するため、管理職を含め、多くの社員たちは会社の経営状態に無関心ではいられない。他方で公立高校の多くの教師は、勤務校の定員割れや中退者の増加に、我、関せず、である。公立高校教師の多くは運命共同体的帰属意識など勤務校に対してほとんど持っていない。学校経営の責任者たる管理職自体がそもそも勤務校の経営に無関心であるばかりか、授業の質を高める事への意欲、知識すら皆無の人物は少なくない。
第一、勤務校へ3年間しか在職しない管理職に独自の学校経営など出来るわけが無いのだ。彼られのほとんどは自己保身に走り、ひたすら不祥事が起きない事だけを欲している。ゴールはあくまでも自身の円満退職とその後の好条件な再就職先の確保なのであり、本音では目の前にいる生徒たちの人生など知ったこっちゃない…
管理職に学校改革、授業改革の意欲、資質すらほとんど存在しないような公立高校と、少子化の中で生き残ろうと必死にあがき、独自の経営努力、授業改革を強いられてきた私立高校とがこれまでのような公私の「棲み分け」をやめて生徒募集で激しい競争を行うことになれば、その勝敗は明白である。大阪府や東京都の様に公立高校の過半は淘汰されていく他あるまい。
もちろん、それは好ましくもあるのだが、視聴率稼ぎに奔走するあまり、不祥事を招いてしまったフジテレビの例もある。中学生の人気取りに走るだけの高校は大きな危険性も秘めているだろう。
特に管理主義的傾向の強い千葉県などでは学校経営という言葉が教師や生徒たちへの管理統制、というマイナスの意味合いでしか用いられてこなかった伝統が濃厚に受け継がれてきた。だからこそ入学試験の志望者が入学定員の3割にも満たないような県立高校が毎年のように複数、存在しているのだ。そうした高校を含めて授業の見直しを軸とした独自の経営努力を目に見える形で行っている県立高校を、私自身も見聞したことは無い。
つまり、今、根本から見直すべき重要案件は公立高校の硬直した管理主義、画一的教育の在り方なのである。もちろん、授業料無償化は直ちに実現すべきであるのだが、授業改革もまた別途、真剣に検討されるべきである。ただし、授業改革にあたっては大きな障がいが立ちはだかっている。学校のブラック化である。
授業料完全無償化と教師の仕事の削減は喫緊の課題であり、どちらも蔑ろにはできない。授業料の無償化に加えて、教師たちが自己の授業改善に取り組めるだけの時間的体力的余裕を生み出す…すなわち学校の仕事量の大幅な削減こそが、現在、真っ先に求められていると考えるが、いかがか。
○N高・S高の生徒数が3万人突破…8年5か月で20倍に リセマム 2024.9.2
なぜこの学校が急速に生徒数を増やしてきたのか、その理由について生徒たちに考えさせたい。また全日制普通科の公立高校が入学希望者数を増やすには今後、何が必要なのかも考えさせたい。
◎大学院卒なのに…「国立大教員の求人募集」で示された年収が驚きの低さだった
ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.1
◎「日本の研究力」は韓国・イラン以下…20年で順位を急落させた「犯人」とは?
ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.2
国立大学の法人化から20年、その弊害が日本の研究力の低下と大学院進学者数の減少となって表面化しているという。日本の場合、大学院進学がかえって経済的なデメリットとして機能してしまうのだから、当然の結末ではある。若手研究者への待遇悪化はもっぱら人材力に頼ってきた日本経済をさらに悪化させるだろう。何せ、教育予算をずば抜けてケチり続けてきた日本である。当然の報いというほかあるまい。
これは高等教育だけの問題ではない。高校以下、すべての学校が抱える問題でもある。講師の増加と正規教員の不足はすべての学校種で生じている。人材育成をケチってきた政策はいよいよ少子高齢化の極致に向かう日本をどん底の奈落に突き落としていくだろう。このことは何十年も前から指摘されてきたはずなのに、なぜ、政府はひたすら経済力を低下させる政策をわざわざ取り続けてきたのか、文科省はなぜこの動きを阻止できなかったのか、見直すべき点は余りにも多い。
優秀な日本の若者はいち早く日本に見切りをつけて、いよいよ海外に飛び出していくだろう。中高年も同じように海外での再就職を目指すだろう。そして賃金が低く、外国人の受け入れに後ろ向きな日本には観光目的以外に外国人が来てくれる可能性は極めて低くなるだろう。日本における良質な労働力の、致命的レベルでの不足が生じてしまうのは最早、時間の問題なのだと思うが、いかがか。
かつて「国家百年の大計」と言われて重視されてきた日本の学校教育はいまや瀕死の状態にある。目先の損得ばかりを優先し、教育や研究を散々冷遇してきた日本の今後に果たして明るい兆しはあるのだろうか。
規律正しく、親切でサービス満点かつ安価な接客、独自のエキゾチックな伝統文化と世界最高レベルの料理、最高に安心・安全で清潔な社会、世界に冠たる日本の漫画・アニメ、伝統と共存する近未来的な東京の都市景観、時刻表通りに縦横に走る公共交通機関…少なくとも観光資源においては様々な観点においても断然、世界トップクラスを誇り、年々、日本を訪れる観光客は増えている。確かに現時点での日本は表向き、最も魅力に満ちた国ではあるだろう。
ただし、それはあくまでも海外の観光客の視点に限られることはしっかりと認識しておきたい。今やネトウヨのごとく、もろ手を挙げて「日本万歳」を唱えている状況ではないと思うのだか、いかがだろう。
もうしばらくすれば海外に雄飛できなかった日本の若者の多くが「無敵化」し、闇バイトは一層はびこるだろう。となればかつて日本が誇ってきた安心安全神話がたちまち崩れ出すに違いない。これまでは時間通りに運航出来ていた公共交通機関などでも、労働力不足等により遅延し始める。故障や事故も増えてくるだろう。橋や道路、ダム、高層ビル、港湾施設などの一部は老朽化し、深刻な人口減少に直面する地方では急速に廃墟が目立ってくるはずだ。
研究力の後退によって日本企業の多くは競争力を失い、少子高齢化が進む中で国家の財政はいよいよ危機に瀕する。そして防衛費は倍増すれども教育予算は相対的に目減りしていく一方となる。これからの日本はこうした悪循環の中でひたすら落ちていく運命にあるのではないか。閣僚の選定からして石破内閣にそうした危機感はどう見ても感じられまい。
◎東京都立高校の4分の1が定員割れ。授業料の実質無償化で私立or都立のどちらを選
ぶべき? ダイヤモンド・教育ラボ 2024.12.5
いわゆる公立高校民営化の動きは、公立高校の独立行政法人化構想の改変バージョンとして大阪府、東京都で真っ先に先鋭化してきていると考えられるが、いかがか。いずれにせよ少子化への強い危機感をバネにして柔軟かつ大胆に改革を進める私立校の人気は今後、一層増大していくだろう。他方で硬直した官僚主義のシステムに縛られがちになり、改革が遅れ気味な公立校の人気はさらに低下していく。これは教育予算のさらなる削減を狙う都道府県としてはまことに好都合な状態であろう。
少子化に便乗して学校の統廃合を推進し、厄介な教職員のリストラも同時に実現できれば、行政としては願ったり、かなったり。確かに地方財政の赤字は緩和されるだろう。しかし選択肢の多い都市部はともかくとして、公立しか選択肢の無い地方はどうなっていくのだろう。実はこの問題もスマートシティ構想の枠からすれば想定内であり、財政的に重荷となってきた地方が今後はさらに情け容赦なく切り捨てられてていくことになるのだろう。地方もどんどん「スマート」になっていくのだ。
動きの取れない高齢者も切り捨てられ、公教育の改革は中途半端なまま、公教育の衰退だけが進行していく。現今の教員不足も、都道府県の財政からみれば人件費節約につながり、実に好都合。だからこそ文科省も都道府県も市町村も、軒並み、本音の部分では公教育の改革に消極的なのではないか。
行政側は表向き、批判をかわすために「教育改革」を声高に叫ぶが、実際に改革する気は無い…とすればこれまでの文科省の的外れな弥縫策の連発も、実は本当の意図を知られないための、国民への「目くらまし」戦法として極めて有効なのかもしれない。何よりも目先の損得勘定を優先すれば、確かにこうしたプランが生まれてくるかもしれないのだが、はたしてこれで良いのか、疑念は尽きない。
◎なぜ今になって…? 教育研究者が「日本の公教育の崩壊が大阪から始まる」と嘆
く“納得の理由” 文春オンライン 鈴木 大裕 2024.12.5
新自由主義的な観点から導入された全国学力テストの点数争いと入学希望者数を軸とした学校間の競争が一体、学校現場に何をもたらしているのだろう。大阪府民の多くはこのことにあまり関心が無いようだ。
公教育の解体と教育予算の削減、節約が文科省の真の狙いならば大阪府の取り組みはモデルケースとしてかなり高く評価できるだろう。実際、大阪府の公教育は衰退の道を順調に辿っている。維新の会が大阪府政を掌握してから廃校に追い込まれてしまった府立高校は既に20校以上にも上っているのだ。東京都も大阪府に追いつけ追い越せとばかりに新自由主義的立場からの都立高校再編を矢継ぎ早に進めている。
事は大阪や東京に限るまい。少子化という追い風に乗って全国的に公立高校の多くが定員割れを続け、各地に統廃合の嵐が吹き荒れている。はたしてこれで本当に良いのだろうか、真剣に問い直すべき時だろう。
〇「部活動は教員のボランティア」のままでよい? 学校部活動が「地域移行」するこ
とで生まれる格差とは…今後保護者がお金で買うべきサービスに
集英社オンライン 2025.5.14
学校現場からこういう根拠の乏しい発言が出てくることに驚きを禁じ得ない。まず「…日本では、政治が教育に介入し、教育が戦争に加担してしまった第二次世界大戦の歴史から、政治が二度と教育に介入できないよう、教育の独立性が保障されてきました。」というが、この間違いだらけの歴史認識には明らかにファクトチェックが必要であろう。
戦後はアメリカの占領下、GHQによって日本の教育はアメリカの政治的影響を強く受けるようになっていた。そしてサンフランシスコ講和条約後にはたちまち戦前への回帰、「Uターン」が始まり、戦前、戦時中の勢力が教育の世界にも復活してくる。そもそも学校現場では戦前と大差なく、画一的な一斉講義形式の授業と管理主義、そして体罰が横行していた。1960年代にはアニメ、漫画の世界にチャンバラや戦争物が再登場し、柔道、剣道が学校体育に復活してくる。
いずれにせよ日本の学校教育では政府や財界による教育への干渉が排除され、「教育の独立性が保障」されてきた…などといったことは、過去、一度たりとも無かったと言って良い。学校教育には時々の政治や経済の論理が現在に至るまで途切れることなく、強く、露骨に反映されてきたのだ。
戦後、教育の憲法とも言われる教育基本法にズラリと掲げられている理想的建前はほとんどがただのきれいごとに過ぎない。戦後における学校現場での体罰の横行などを見れば分かるように、学校は戦前からの伝統的な慣習と戦後の新たな法律の共存に対して、常にダブルスタンダードな、矛盾した姿勢を取り続けていたと言っても過言ではあるまい。
したがって教育基本法に定められた「教育における政治的中立性」などは、公教育ですらまともには守られて来なかったと言うべきなのだ。ただし私は公教育が政治や経済の影響を受けてはいけない、とは一切思わない。シンギュラリティの到来が目前に迫ってきたと指摘する識者が増えてきた現在、学校での生成AIの利用は必須である。それは児童生徒たちに対して、個別最適な学習の保障にもつながるだろう。
ほとんど自浄能力を失い、自己改革の意欲にも欠ける公立学校は多い。児童生徒たちが時代の進展に取り残されないようにするためにも教育産業のみならず、特定の業界とのつながりが学校としては不可避となるであろう。学校業務や授業のDX化を推進する上でも業界のバックアップは必要となる。
授業は今後、一斉講義形式中心から議論を通じた多様性の理解と学習者主体の、個別最適化を軸とする授業へと大きく切り替えていくべきである。ただしこうした授業方法の大きな変化は教師の負担を一時的にせよかなり重くする。結果的に多くの教師たちは部活動指導を行うヒマなどほとんど無くなるに違いない。そうした点でも部活動の地域社会への移管は不可避であり、地域移管のためにも学校と地元の公民館などの社会教育との連携をさらに強めていくべきであろう。