⑭守秘義務の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

【ジャニーズ問題…「秘密」の危険性】ハーバード大学の精神科医が指摘【内田

 舞】 ReHacQ−リハック【公式】  2023/10/24  53:52

 ジャニーズ問題への考察を通じて学校での「守秘義務」が持つ、意外なほど大きな心理的危険性を認識する必要があるのではないか。負の秘密を保持し続ける精神的な危険性を理解しておくことはイジメ等の隠蔽を繰り返す学校教育の関係者が陥りがちな精神状況を理解することにもつながるのではないか。秘密を保持し続けることで教師が精神的に毀損される側面を考慮しないと教職員の精神的問題による離職、休職を減らすことはかなり難しいのかもしれない。職場での同僚や上司から受けたセクハラやパワハラ、生徒や保護者からのパワハラ、セクハラなどによって傷ついた心を教師として現場に踏みとどまるために、どう癒していけるのか、もっと真剣に考えていくべきではないのか。

 

学校現場への無理解、誤解が世間に生じてしまう背景にあるもの

 公務員には「職務上知り得た秘密」を退職後も外部には漏らしてはならない、という守秘義務が地方公務員法によって課されている。この守秘義務に違反するとかなり重い罰則が与えられる。

 それは当然のことで仕方ないだろうと素朴に思う方がいるかもしれない。確かに教師が保護者から提出してもらった生徒の個人調査票の記述内容、すなわち生徒及びその家族のプライバシーなどを勝手に外部に漏らすことは厳禁である。これは言うまでもなく当たり前。

 問題は「職務上知り得た秘密」をどのような範囲に限定するのか、にかかっていると思われる。かつて食品関係の企業で「食の安全」を脅かす様々な不祥事や事件が連発した際、事件事故の再発防止を狙って政府は食品関連の企業の社員から所轄官庁への情報提供を積極的に促す対策をとった。

 外国産の原料を使っているのに国産と偽って製造・販売している企業をケースに考えてみよう。この場合、原料の調達などにあたっている社員の一部が自社の偽装工作、犯罪行為を知ってしまう事は十分あり得る。仮に公務員の守秘義務のような厳しい規則が民間企業にあてはめられているとすれば、立場の弱い平社員は守秘義務を楯にとって自社の犯罪に関しては見て見ぬ振りを続けてしまうかもしれない。その一方で消費者側が蒙る損害は会社の偽装が世間にバレない限り、際限なく拡大し続けることになるだろう。

 こうした企業犯罪を防止するには社員からの内部告発を容易にすべく、告発という行為によって特定の個人が不利益を蒙らぬよう、国が内部告発した社員を手厚く保護する必要がある。実際、政府はそうした告発者の身分保障までしても、多発する企業の不祥事を減らすために社員自ら勇気を持って告発するよう、促したのである。企業のコンプライアンスが厳しく世に問われ始めたのもこの頃からであった。

 では公的組織の犯罪行為を公務員は同じように勇気を持って内部告発できるのだろうか…たとえば公務員が上からの職務命令に基づいて明らかに違法と思われる行為を強要された場合、どうなるのだろう。近年、地方公務員法改正によって人事評価制度が導入(←勤務評定)され、特定秘密保護法が成立し(施行は2014年から)、公務員の守秘義務違反に対する罰則規定の強化(3万円以下の罰金⇒50万円以下の罰金)が図られるなど、「他言無用」とばかりに公務員への締め付けがどんどん進んできた。今や多くの公務員が社会通念上は告発すべき事案に対してすら相当、萎縮気味になっている気配を私は感じてきている。

※参考記事

 さいたま市立病院の薬剤不適切使用指摘 市が公益通報「放置」か 毎日新聞 2025.9.4

  公共機関での公益通報制度の機能不全がまたもや表面化したようだ。仮に組織の自浄機能が正常に

 働かない場合、その組織は腐敗する一方となり、事件事故の隠蔽がいよいよ横行することになるだろ

 う。しかも、公益通報制度を確立すべき自治体や学校が率先垂範、自ら隠蔽に走るとすれば、大きな

 被害を受けてしまうのは専ら市民の側となるはずだ。

  地方自治体が個人のプライバシー保護を盾にして多くの市民を犠牲にし、市民の知る権利を損ない

 つつ、事件、事故を隠蔽することでひたすら組織の防衛に走る…仮にそう見なされてしまえば、さい

 たま市民の行政への信頼は著しく損なわれてしまうに違いない。

  これまでの名古屋、旭川、横浜、鹿児島、兵庫などのケースをみるまでもなく、日本社会の隅々に

 公益通報制度が有効な形で定着できるのかどうか、極めて怪しい状況にある。もはや、日本の公益通

 報制度はその存続自体、瀬戸際に来ているのかもしれない。

 もちろん上司からの命令が明らかに法律違反である場合には今もこれに従う必要はないはず。とはいえ上司から公文書の改竄を命じられ、罪悪感に駆られて自殺してしまった赤木氏の例がある。近年、組合加入率が極端に低下し、ただでさえ組織力を失って孤立しがちな下々の公務員にとって上司の命令に逆らう事はたとえ教師の身と言えども今や決して容易なことではない。

 森友事件の場合には明白な違法行為を上司から迫られていた。しかし、それでも改竄は行われてしまったのである。社会正義を脅かす危険性は普通のお役所だけではない。公立学校でも村社会化が進んでおり、内部告発がほとんど不可能と思えるほど「他言無用」の同調圧力は強い。たとえ職員会議の決定や校長の判断に何らかの違法性がありそうだと感じても内部告発に強いためらいを覚える教師は決して少なくないだろう。

 たとえば旭川女子中学生凍死事件の場合、報道から見る限りは学校側がイジメの隠蔽という違法行為を組織的に行っていると今のところ推測できる。世間一般からすればこの事件の違法性はほとんど疑う余地がないとさえ感じられるだろう。

 ところがこれだけマスコミが騒いでいるにもかかわらず、管理職の違法性を告発する動きは未だに当該中学校の職員や関係者からはほとんど出ていないようである。守秘義務を厳格に課されている学校現場では多くの場合、校長や教頭、さらには教育委

員会に背いてまでして一職員がそう易々と内部告発できる状況には置かれていないと言えるだろう。実際、旭川のような案件はこれまでも各地の学校で繰り返し発生してきた。当然イジメ案件以外でも学校や教育委員会の強固な閉鎖性、隠蔽体質を物語る事例には事欠くまい。

 以上のような学校の閉鎖性は時代遅れのブラック校則や体罰、組み体操のような安全性への配慮を欠く伝統行事を長く温存させる土壌ともなり、「チーム学校」などの美名に隠れて教師集団の同調圧力、すなわち隠蔽体質と職員間のイジメ体質を将来的にも存続させ、強める働きをもたらしてきたと私は考えている。

 教師による内部告発はたとえ告発者側にそれなりの社会的正義や正当性があろうとも、村社会的教師集団においては「裏切り者の卑劣な行為」、「職員間の和を乱す狼藉者」としか受け止められない可能性が極めて高くなっているのだ。神戸の小学校のように教師間のイジメやパワハラが校内で横行してしまうのはベテラン教員の経験からすれば必ずしも不思議ではないのである。内部告発の出来ない旭川の中学校教師を声高に批判できるほどしっかりと外部社会に開かれ、腹の据わった教師は現実にはそれほど多くはない…というのがこの事件に対する私の偽らざる印象である。

※学校教師間でのイジメ、学校教師の精神疾患が増えている背景にはまず学校での過労死レベルの激務

 と激しいストレスがあることは「大人のいじめ」(坂倉昇平 講談社現代新書 2021)でも指摘さ

 れている通り。こんな状況下で一教師が管理職や教育委員会を敵に回す覚悟で告発するだけの精神

 的、体力的余裕など持てる訳がない…ただの言い訳に聞こえるかもしれないが、これが現場教師の真

 っ正直な実感であろう。

  なおイジメ自殺などの件に関わる学校の隠蔽体質に関してはこのブログの「§3学校問題編」で参考

 となる動画や記事を数多く紹介している。

 

 社会的公正や信義を守る上で必要とされる市民としての告発義務(公益通報)の方が公務員としての守秘義務を遙かに上回るかもしれない…といった悩ましい事態はとりわけ入試などの際においてどの高校でも起こり得る。そうしたケースに直面した教師が自身の良心に照らして学校長の判断や動きにかなりの違和感を覚えたとしても公務員の守秘義務を楯にとって自己保身を図り、結局は問題に目をつむりダンマリを決め込んでしまう…といった可能性は必ずしも低くはないだろう。しかし言うまでもなく本来、優先すべきは入学希望者に対する公平、公正な対応なのに、である

 他方で学校の閉鎖性、隠蔽体質は学校が抱えている問題点の本質をマスコミや世間から見えにくくしてきた。そもそも内部告発をほとんど期待できない、すなわち自浄作用の損なわれた閉鎖的村社会と化している学校の場合、外部から十分な理解が得られることはまず期待出来ないだろう。

 学校を管轄する文科省ですら学校からすれば外部に過ぎず、教育学者の多くもまた学校外部の存在に過ぎない。実際、長く「学校教育村」の現場にいた者からすれば文科省の方針や教育学者の学校教育を巡る言説、マスコミの論調に現場感覚との大きなズレを覚えることは少なくないのである。こうして教師集団は知らず知らずのうちに国家や社会、世間から隔絶して孤立を深めていくことで大人として当然持つべき健全な社会性を喪失していき、やがて世間常識、公序良俗ですら自ら容易に逸脱してしまう可能性を高めていったのかもしれない。

※参考動画

 【内部告発】今のやり方でできますか? ロザンの楽屋 2024/08/04  12:18

  公益通報を専門に受け付ける第三者の組織を設ける必要があるだろう。当然、そのメンバーには法

  律に通じた専門家が数多く必要となるので、できれば特定の法律事務所を指定して内部通報を活発

  化させ、学校などの隠蔽体質を積極的に払しょくしていくべきだろう。

   【神も仏もない】降格や嫌がらせも…なぜ“内部告発者は守られない”のか?法律上の課題とは?自

      治体で生活保護に関する不正を通報した男性は(語り:小松未可子)【クロ現】| 

      NHK  2024/06/08 9:26

   この案件の立証責任が被害者側=公益通報者側にあるという法的な不備が公益通報の制度を骨抜き 

  にしているようだ。内部告発を組織への裏切りと捉えるような狭隘な発想を日本の社会が抱えてい 

  る限り、日本では内部告発が滅多に行われず、多くの違法行為が今後もまかり通ってしまうに違い

  ない。イジメとその隠蔽がはびこる日本社会の息苦しさは、日本人の間に「市民」という意識が十

  分に根付かない中での村社会的集団主義が招いているのかもしれない。また日本の学校教育が児童

  生徒たちに自立した市民意識を育てる事よりも他者への忖度を優先する協調性を育てる方向でもっ

  ぱら機能してきたことが現代日本の閉塞感をもたらしている可能性についても考えるべきだろう。

 文書受け取った記者『闇を暴いてください』と 県警本部長が議会で改めて「隠蔽」否定【報道ス 

  テーション】(2024年6月11日) ANNnewsCH  2024/06/12 6:34

 「証拠の返還を」鹿児島県警“情報漏えい”内部文書を受け取ったライターが証言 電話やりとりか

  ら浮かぶ捜査の一端【news23】TBS NEWS DIG Powered by JNN 2024/06/12  11:10

  これが公益通報なのか、情報漏洩、守秘義務違反なのか、今のところ不透明ではあるが、いずれに

  せよ第三者機関がきっちりとした事実確認を行う必要はあるだろう。この件に関して鹿児島県議会

  の及び腰が明らかなので議会による追及はほとんど期待できない。当然、県警の調査はほとんど信

  用できないので、司法、検察が動けるのかどうか…しかしこれもまた鹿児島地裁の動きが怪しく、

  予断は許さない。今後の動向を注視するほかあるまい。

※参考記事

 「92%」黒塗り公文書の衝撃 市民図書館が出した1400枚の真っ黒い紙が語る闇の深さとは  

  AERA dot. 日向咲嗣 の意見  2024.11.19

  学校を含む公共機関の隠蔽体質がどういうものなのか、その一片を示してくれている。そこには日

  本という国家の戦前から断絶することなく貫かれている頑強で骨太の伝統が脈々と受け継がれてい

  るのだろう。このような組織に「民主主義」という言葉は本質的になじまない。日本が民主主義国

  家たらんとするのならば、国民の知る権利を今後、どう拡充していくのか、本気で考えていく必要

  があるだろう。

 ・公益通報した職員を京都市が懲戒処分 「精神的・経済的損害を受けた」と提訴の職員への賠償命じ

  る判決 関西テレビ 2023.4.27

  公益通報した職員のプライバシーをさらした挙句に懲戒処分まで下した京都市の対応に戦慄を覚え

  る。これでは公務員による組織的犯罪行為を防止していくことは不可能だろう。身内同士の庇い合

  いを無批判のまま放置してきた事で今までどんな事件が引き起こされてきたのか、どんな犯罪的行

  為が隠蔽されてきたのか、京都市はしっかりと過去を検証し、反省すべきである。

 ○【独自】日光・フランス人女性行方不明で国連が日本政府に3度目の捜査要請 押し問答の背景に日

  仏の法律の違い FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.4.5

  プライバシーの保護を名目とした秘密主義は行き過ぎれば組織的事故隠しや隠蔽工作を招きやすい

  側面を持つだろう。この案件では日本の頑なな姿勢に疑問が湧いてくる。国連まで乗り出す騒ぎと

  なっているようだが、この件に関しては日本側が一体、誰のプライバシーを重んじているのか、ま

  ったく理解できない。どういう情報が日本の捜査を妨害し、証言者を含む人たちのプライバシーを

  侵害する恐れがあるのか、この際、非開示の根拠を内外に対して明確に示してほしい。

   日本の教育行政にはびこるプライバシー尊重の悪用による隠蔽工作の数々を見ていると、やはり

  この頑固な隠蔽体質は教育行政に止まらず、日本社会全体を覆う根本的な体質なのかもしれない。

  自民党議員による裏金、キックバック問題も一部の関係者に対する軽い処罰にとどまり、重要人物

  の関与は否定されている。

   日本の場合は司法ですら裁判資料をたちまちのうちに廃棄し、後世へ残す努力を怠ってきた。国

  民は一体、どのような資料を基にして行政の動きの是非を判断すればよいのだろうか。戦後80年近

  くなろうとしているのに、日本社会の闇の深さはさほど変わっていないのではあるまいか

  〇高校教職員が生徒の個人情報入りUSBメモリー紛失、拾得者から封書でファイル名やスクョ… 回

  収はできず   読売新聞 によるストーリー 2024.6.22 

 〇生徒の個人情報流出 教育現場での「情報共有」はどうあるべきなのか

  NEWSポストセブン によるストーリー 2024.6.16

  生徒の家庭環境等の極秘資料はクラス担任として必要な情報が多く、転勤してきていきなりクラス

  担任となることの多い困難校ならば新年度、最初の学年会議ではどうしても必要不可欠の資料とさ

  れるだろう。新任のクラス担任が進学校から転勤してきた場合にはとりわけ、対応の難しい生徒た

  ちの情報を予め知らせておきたい。データとしては生徒の人間関係、国籍(来日時期等)、病歴、

  アレルギー、発達障害、特別指導歴、補導歴、家庭の経済的困窮度など、担任として知っておかな

  いと後日、修学旅行や卒業アルバム等で大きな問題が生じかねないだろう。

   近年では日本語を十分に理解できない生徒は少なくない。授業が始まる前に特定の生徒について

  多くの教員に周知してもらう情報があるのは事実である。かつて中学校在学時に危険な刺傷事件を

  二度、起こしている生徒に関しては年度当初、授業中にたとえ寝ていたとしてもその生徒を起こさ

  ないで欲しい、できるだけ刺激しないで欲しいとの厳重注意が1学年主任から全職員に徹底された

  ことがある。お陰様で教師たちは刺されずに済んだが、入学後、2週間も経たない内にその生徒は校

  内で同級生を刺して逮捕されている。その後、かなり時間が経過し、私は偶然、その生徒の家庭環

  境を知ることになった。その内容から見て、もし、この情報が中学校から知らされていなければお

  そらく教師が刺されていた可能性は極めて高かったと個人的には確信している。

   札幌の件では生徒の個人情報の管理の杜撰さや言葉の選択に乱暴な所が見られる点は責められる

  べきだが、教師たちが生徒たちに関して特定の情報共有を図らざるを得ない点はぜひとも理解して

  いただきたい。

 ○市立中学での個人情報流出 学校、資料放置の原因「不明」で調査終了

  朝日新聞社 によるストーリー 2024.7.20

 ○“事実無根”の「ADHD」記載も生徒の個人情報流出 札幌市

  日テレNEWS NNN によるストーリー 2024.7.9

 〇「父親うるさい」「だらしない」など中学校1年生の267人分の個人情報がインターネットに“

  出 北海道・札幌市北区 FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.6.6

  この手のヤバイ情報を次年度のクラス編成などの際に参考資料として作成し、次の担任にリレーす

  ること自体は困難校と呼ばれる高校でもよく行われている。クラス担任間の負担はできるだけ平準

  化すべきであり、そのための資料は必要不可欠であるからだ。ただし絶対に教員以外に漏洩するこ

  とが無いように資料が厳重に保管されるべきなのは当然であり、この担任の不注意が厳しく咎めら

  れても仕方あるまい。

   特に全クラス分の資料はクラス編成の学年会議、及び新クラスの最初の学年会議でのみ利用すべ

  きであり、会議終了後にはすぐに回収して学年主任か管理職が厳重に保管すべきものであろう。仮

  にこの資料が学年団全員に配布されっぱなしだったとすれば、当該教師のみならず資料を作成、配

         布したであろう学年主任の責任も軽くはない。

   この件は児童生徒のプライバシー保護と守秘義務を盾にして自分たちの過失を隠蔽することには

  用意周到な教師たちが、児童生徒のプライバシー保護そのものに対しては意外にもいい加減だ、と

  皮肉られても抗弁できない、大失態である。

 〇奈良・生駒高校 生徒の個人情報記載された書類 配送業者が紛失

  ABCテレビ によるストーリー 2024.6.22

  …学校側は個人情報を含む書類にもかかわらず「信書」として配送していなかった…とのこと。ど

  の配送業者を使ったのかは分からないが、担当した教師としてはおそらく郵送するよりも値段が安

  かった、との安直な判断から郵便局以外の業者を選んだのだろう。しかしそれ自体が既に法律違反

  であり、重大な過失ではある。担当した教師には生徒たちの個人情報を扱っていることの責任の重

  さへの自覚が足りなかったのではあるまいか。

   もちろん郵便局を利用しても、配達物の紛失事故は起こりうる。これまでによく報道されたのが

  野球部員などの冬休み中のアルバイトによる年賀状の廃棄。数多くの年賀状を配達するのが面倒に

  なった高校生が年賀状の束をこっそりと山林に遺棄する類の事件である。

   とはいえ郵便局側も現金や重要書類が封印されている書留、速達などはアルバイト学生に配達を

  任せるわけがない。書留や速達に関しては確実に郵便物を配達先に届けるために二重三重のチェッ

  クを行い、一般の郵便物とは別枠で配達される。当然、郵送料金はそれ相応に高くつくが、現金や

  個人情報を扱っているのだから仕方あるまい。

   通常、高校の進路指導部では生徒たちの希望進路先(企業、大学、専門学校等)へ履歴書、調査

  書、推薦書などを郵送する際、郵便局の書留を利用することが多い。一般受験でも受験希望先の学

  校が用意した速達か書留用の封筒を利用することになっているはずである。奨学金申請の書類も同

  様の郵送手段をとるだろうが、高校によっては奨学金の申請を進路指導部ではなく、総務部、教務

  部などが担当している。

   受験や奨学金関係の書類にはいずれも生徒や保護者の個人情報が記されているため、その漏洩を

  防ぎ、かつ確実に期日まで郵送先に届くよう、学校は万全を期することになるはず。仮に進路指導

  部が郵送すべき受験手続書類をどこかに保管したまま忘れてしまい、期日内に郵送しなかったとし

  たらどうなってしまうだろう。生徒の進路希望は叶えられず、裁判沙汰、新聞沙汰の事件にまで発

  展するのはほぼ確実なのだ。さらに生徒たちの個人情報がネット上に拡散されてしまえば、収拾の

  つかない最悪の事態にまで発展しかねまい。そして生駒高校の教師たちが全員、以上のような予測

  ができなかった…とは到底思えない。

   考えられるのは郵送を経験の無い若い教師、新任教師に丸投げしてしまった可能性である。この

  責任の重い、憂鬱な任務を分掌の部長か、その道のベテラン教師に一任している高校は決して少な

  くない。私が進路指導部長だった時、郵便局が混んでいて簡易書留の手続きで1時間近くも要した時

  があった。この仕事、かなり面倒なのは確かだ。推薦入試や共通テストの手続きと就職試験の手続

  きが重なる9月、10月は高校の進路指導部にとってまさに地獄の繁忙期と言えよう。

   この時期ばかりは進路指導部員一人一人の仕事を他の教師がチェックするゆとりなど、まず存在

  しない。まして体育祭や文化祭、そして部活動で新人戦までもが重なる時期である。進路指導部の

  担当者が3年生のクラス担任で運動部顧問であった場合、担任しているクラスの生徒の推薦書や調査

  書の発行をも抱えているのだから一時的に徹夜覚悟のブラックな勤務状況となるのは事実上やむを

  得ない。個人的にはかつて進路指導部に体育科の教師を一人も見たことが無かったのだが、それも

  ある意味、当然の理なのだ。

   おそらく生駒高校の担当者に個人情報を扱っている事の自覚が不足していたことは否めないだろ

  う。しかしどの分掌が奨学金の手続きに携わっていたのかは分からないが、仮に進路指導部だとし

  たら多少は担当教師に同情してしまう。実際に進路指導部に長くいた者(5校で経験)として言わ

  せてもらうと、この郵送の仕事を含めた進学、就職の手続き、その責任の重大さと煩雑さは明らか

  に運動部顧問にとって辛すぎる…札幌、大阪、奈良と生徒の個人情報漏洩に関わる事件が頻発して

  いる背景に学校のブラック化が進んでいるという現実があることをぜひ、多くの人には知っていた

  だきたい。

   〇「主務教諭」新設に異議あり 現職教員らが文科省に反対署名4万筆提出へ「職員室の民主的風土が

   破壊される」 東京新聞 2025.2.27

     まず、「職員室の民主的風土」などはとっくの昔に破壊されていると私は考えており、この記事の

  時代錯誤も甚だしい見出しにはつい吹き出してしまう。

    既に設置されている主幹教諭の役割自体が管理職の手先であり、補佐役に過ぎないのに、あらた

  に「主務教諭」を新設して、一体、何の役に立てようとするのか、政府の狙いは極めて怪しい。

   学校には元々、教務部長、生徒指導部長、進路指導部長、管理部長、総務部長、学年主任などが

  置かれてきた。その肩書のあるうちは「主任手当」を余分にもらえる場合もあるが(なお、管理部

  長や総務部長の場合、主任手当がつかないことがある)、肩書が無くなれば平教諭に戻るのが通例

  であった。つまり、部長ないし主任は一時の役職に過ぎなかったので、教員集団に固定した序列が

  生じていたわけではなく、管理職とは一線を画した存在であった。むしろ部長ないし主任は一般教

  師の利害を代表する存在として、場合によっては管理職と会議で対峙することもあったのである。

   ところが職員会議が管理職の諮問機関とされ、議決能力を失った20年余り前から、明らかに教師

  全体の意向を汲んだ学校経営が見られなくなり、管理職の独断専行が目立ち始めてきた。そして管

  理職の補佐役として主幹教諭が2007年の学校教育法改正により設けられると、直近の10年ほどで

  職員会議はさらに形骸化し、教師への管理統制が強化されてきた。

   にもかかわらず、教職員の不祥事は減るどころか増えてきたのではなかったか。つまり、最初に

  問われるべきは管理職の能力・適性の方ではなかったかと思うのである。もちろん、問題の根源は

  教育委員会や文科省、さらには政府を構成する面々の適性・能力自体にあるのだろうが…

   確かに不登校問題や児童生徒の自殺、イジメ、保護者のクレーム対応などにはかなりの専門知識

  や経験が必要な場合も少なくない。しかし、こうした難問に対応するならば、古びた経験を引き摺

  るベテラン教師を「主務教諭」として任用することはかえって事態の悪化、紛糾を招きかねまい。

   本来の専門家であるスクールカウンセラー、スクールロイヤー、ケースワーカーの増員や配置こ

  そ喫緊の課題。なのに、専門家の人選と調達が面倒であり、閉鎖的な学校に外部からの人材は余り

  入れたくない…かつ経済的にも負担が大きい…ならばすぐにでもお安く雇えて文科省に忠実な元管

  理職らが最適であろう…文科省や政治家の、こうしたいやらしい打算が透けて見えてくるようだ。

   百害あって一利無し、になりかねない、きわめてその専門性を疑われる老害「主務教諭」の配置

  を進めようとする文科省の小賢しさには呆れてものが言えなくなる。おそらく退職後、暇を持て余

  している元管理職、元主幹教諭らに再就職の場を与えて一層、学校の管理統制を強め、今後とも学

  校全体に因循姑息な老害臭を大いにまき散らそうとの魂胆だろう。いかにも老害政権の極みたる石

  破政権の考えそうなことである。

 

 担当する学級内のことを学級担任が一身で抱え込み、他の教員から介入されたくないと思う古臭い縄張り意識、つまり「学級王国」的発想は教員世界の中から払拭されているとは到底思えない。それどころか、今も色濃く残存しているようである。自分の学年の事は他学年から介入されたくない、自分の部活の事は他の部活顧問から介入されたくない、自分の学校のことを他の学校や地域住民、まして「何も知らない」第三者からは絶対に介入されたくない…

 学校特有の閉鎖的隠蔽体質はこうした奇妙なほど徹底的に外部からの介入を排除しようとするプライドの高い教師集団特有の心理、あるいはストレスフルなブラック職場の重圧下で、外部の誰からもまっとうな理解が得られないことから生じる孤立し、傷つきやすい被害者意識によって強く自閉してしまった少なからぬ数の教師達に見られる極度な内向きの姿勢…といったような、長年に及ぶ日本の学校の精神病理的風土が育んできたのかもしれない。

その5.自分とは何?~自意識と無意識(後編)~

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

記憶のプロセス

 記憶のプロセスは3段階に分かれます。まず覚えこむ過程は記銘(海馬担当)といい、記憶内容の貯蔵、保存は保持(側頭葉担当)、そして記憶内容を思い出す過程は想起あるいは再生(大脳生理学的にはほとんど解明されていませんが前頭葉が関与していると考えられます)といいます。記憶内容が保存されていても必ずしも想起できるとは限りません(→記憶喪失)。

 五感のうち嗅覚、香りには強烈な記憶喚起力があることが分かっています(→プルースト効果:嗅覚の中枢が海馬や扁桃体の近くにあるためか)。また意識の活動が弱まったときに潜在的記憶が想起されやすくなることも知られています(→催眠)。

逆行性健忘(記憶喪失)の一例

 記憶喪失=健忘は過去が思い出せなくなる逆行性健忘と呼ばれるものと、新しいことが覚えられなくなる前向性(順行性)健忘の2種に大別されます。前向性健忘は脳の器質的障害が主な原因と考えられますが、逆行性健忘は脳の障害以外にも心因性のものがあるといわれています。つまり性格的な偏りや精神的なダメージが健忘の原因となりうるようです。

 記憶喪失になりやすいとされる人格特性として、消極的で柔軟性に欠ける、情緒が不安定で反社会的、現実逃避的…等が挙げられています。心因性の逆行性健忘は記憶内容が保存されているのに何らかの原因でその一部が想起できなくなっている状況と捉えられています。

 昭和30年代の古い症例ですが、記憶のメカニズムを理解する上で興味深い逆行性健忘の症例を一つ挙げてみます。事件の始まりの舞台は横浜、港の見える丘公園。一人の青年がベンチでうたた寝をしていました。昼過ぎ、目を覚ました青年は大変なことに気付きます。

 自分が誰なのか、なぜここにいるのか…自分に関わるすべての過去を忘れてしまったのです。彼は誰かに助けを求めるために近くの交番に行きました。交番に行けば何とかなるはずだという見当はついたようです。ところが警察官に対して言葉を発しようとしてまたまた大変なことに気付きます。日本語まで忘れてしまったのです。そこで彼は中学校で習った片言の英語で尋ねました。 「Who am I?」

 一目で尋常ではない彼のあり様に警察官はすぐ、精神病院へ連絡をとり、結局、静岡の病院に入院することになりました。頭部を打撲した様子も無く、嘘をついている様子も見られず…彼には重篤な逆行性健忘症という診断がくだされ、催眠療法を中心とした治療が加えられていきます。

 早速、郷里から母親が呼ばれましたが、彼は彼女を母親として認識することがまったくできませんでした。気分も落ち込みがちで抑うつ的な状況がしばらく続きます。ところが一月ほどすると彼は不思議なほど元気になり、自分の過去を生き生きと語るようになります。彼の思いだした過去とは以下のような生育歴でした。

 自分は北九州の出身で裕福な家庭に何不自由なく育ち、父親は立派な市会議員であること。彼自身も成績優秀でスポーツ万能、とりわけ絵が得意だったので絵描きになるために上京し、絵の勉強をしていて記憶喪失になってしまったと…しかし病院側は母親を通じて彼の本当の生育歴をつかんでいました。しかもポリグラフにかけても彼がウソをついているようには見られず、記憶喪失の症状は決して改善していませんでした。

 実は彼の父親は犯罪常習者で家族は極貧の生活を送っていました。彼自身も中学時代から非行に走るようになり、少年院にも入ったことがあるとのこと。結局、高校へは行かずに家出同然で東京に出てきましたが、たちまち暴力団の女に手を出して金銭を強要され、途方に暮れてその日公園のベンチに腰かけた…どうやらこれが彼の直面していた現実だったようです。

 彼が本当の記憶を取り戻すのはもうしばらく後の事でした。きっかけは医者の衣服から漂ってきたタバコの匂い。彼はその匂いを嗅いだ瞬間、自分もタバコを吸っていた事をまず思い出しました。そして無性にタバコが吸いたくなり、売店で購入して一服したとき、彼はほとんどすべての記憶を取り戻したといいます(プルースト効果、マドレーヌ効果) 。

 ただ皮肉なことに記憶喪失は完全に治癒する一方で、再び過酷な現実と向き合うことになった彼はすっかり抑うつ的になり、またまたふさぎ込んでしまったというわけです。

 

記憶喪失と解離性同一性障害

 心因性の逆行性健忘と並んでそれとよく似た「解離性同一性障害(多重人格障害)」が最近知られてきています。幼児期などでの性的・暴力的虐待が主な原因とされ、日本にはあまり症例が見られませんでしたが、ここ数年、急速に日本でも注目されてきた、かなり重篤な心理障害の一つです。

 一人の人間にいくつもの人格が存在しており、通常の「自分」とは年齢や時には性別まで違う多数の人格が次々と出現しては本人の生活を妨げるという厄介な症状を見せます。交代人格が表面化している時の出来事は正常な状態の時にはまったく思い出せないので一種の記憶喪失を伴っている障害といえます。記憶はそれぞれの交代人格がバラバラに保存しており、ある人格に支配されている時には他の交代人格の記憶を取り出すことができないようです。この場合、記憶は各人格が細切れで保有していることになるため、患者自身の人格からすると一日がとても短く感じるといいます。催眠療法が治療方法としてよく試みられていますが、短期間でのめざましい効果はあまり期待できないようです。

 多重人格における交代人格とは虐待などによって危機にさらされた本当の「自分」を守るために作り出された偽の人格であるとする考えがあります。とすれば偽の人格=仮面で守られなければならなくなっている、すなわち脆弱になっている本当の「自分」をいかに勇気付け、自信を回復させて偽の人格、すなわち仮面無しでも生活できるよう「自分」自身を鍛え上げることができるか、が心理治療のポイントとなるのでしょう。

 ただし多重人格障害を一つの独立した病気のように固定的に捉えるのは問題かもしれません。人は誰しも「多重人格」を抱えていて、それらをTPOに応じて使い分けているはず。むしろそれは正常なことであって、逆に人格の使い分けが出来ないと対人関係にヒビが入ることになるでしょう。親の前と先生の前とでは違った自分を演じ分けるのが普通の生徒です。だからといって彼らを「多重人格障害」と決めつけることはナンセンスなのです。

 ここで問題とされるのは記憶喪失を伴う重篤な「解離性同一性障害」なのであって、ただの多重人格ではありません。

参考動画

 ◎【多重人格】13人の人格と暮らす男性に1日密着してみた

   日本財団  2023/04/04  16:52

 【多重人格】記憶の共有は?自在に交代も?周囲どう理解?解離性同一性障害と

  は?70~80人の人格がある当事者に聞く

  ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2023/09/22  37:53

参考文献

 「遺族外来~大切な人を失っても~」大西秀樹 河出書房新社 2017

  P.82~89に解離性の記憶喪失の貴重な事例が紹介されている。このブログで紹介

 した記憶喪失とは真反対の事例であり、非常に興味深い。亡くなった夫との幸せな

 日々の記憶が完全に喪失してしまった奥さんのケースであり、記憶喪失のメカニズ

 ムを考える上で重要なヒントを与えてくれる。

 

(3)人格と性格

 この辺りでその4の内容にも関わる「自分を受け入れ、他者を受け入れる」という事の意味にもう一度注目しておきましょう。

 さて人は普通、「自分のことは自分が一番、よく知っている」と思いがちですが、その一方で、自分が気付いてなかった自分の欠点を他人から指摘されてハッとすることも、たまにあったりします。一体「自分」とは本当はどんな人間なのでしょう?ある学者は「自分」という存在を以下のように四つの側面から捉えています。

 

フロイトの心的装置論と防衛機制論

 心の闇に初めて本格的な科学の光をあてたフロイト(1856~1939)は以下のごとく心が三つの領域からなるとした。

 フロイトは自我が超自我とイドとの調整に困難を感じて危機的状況に直面すると、心には自我が崩壊してしまうのを防ぐためにほぼ自動的に働くメカニズムが備わっていると考えた。これを防衛機制といい、代表的なものとして以下のものが挙げられている。

抑圧:自分にとって不愉快なことは意識したくないため、無意識的にしたり、忘れ

 てしまったりする機制。→逆行性健忘

退行:ある精神的な危機が原因で年齢よりも幼い言動をとってしまうこと。幼稚化

 することで親に守られて心の平穏を守ってきた乳幼児期の心情を追体験し、心の安

 定を取り戻そうとする働き。

合理化:言い訳、負け惜しみのたぐいで次の二つのタイプに分けられる。

 「酸っぱいブドウ」型:失敗したことで自分が深く傷つくのを避けるために失敗の

   重大性を軽く見なそうとする機制。→「イソップ物語」

 「甘いレモン」型:一生懸命頑張って成功したのにその成功が意外にもつまらない

   ものであったとき、これまで苦労してきた自分を馬鹿に思いたくないので成功

   の成果を過大に評価してしまうこと。

投射:自分自身のやましい感情の存在を認めたくないために、あたかも他人がそう

 した卑劣な心情の持ち主であるかのように思い込むこと。

 

 精神分析の祖と言われるフロイトの考えは100年余り前の理論であり、性欲中心の夢分析などその多くは最早、耐久年数を過ぎてしまっているのかもしれない。しかし防衛機制という心のメカニックな働きを想定した点は今も古びないように思える。

 なお人格とは英語で「パーソナリティー」ですが、その語源は古代ギリシア語の「ペルソナ」からきているといいます。「ペルソナ」は本来、仮面を意味しています。すなわち人格とは「仮面」のごとく、「自分」の表層部分に注目した言葉であり、心理学では「自分」の深層に注目した場合には性格という言葉を使って「人格」と区別することがあります。

 人格に関してはある程度まで「ロールプレイ(役割演技)」などで短期間の内に改造できますが、深層の性格本体を変えるのはかなり困難であると考えられています。

質問紙法と投影法

 本人ですら知ることの難しい、心の奥底を照らし出すためにフロイトらは自由連想法や夢分析などを用いましたが、やがて様々な立場から各種の心理検査が信頼性、妥当性を吟味されながら開発されてきました。心理検査には文章での質問に対して選択肢から選んで答えるという質問紙法と呼ばれる一群の検査と、回答者のウソなどを防ぎ、より本人の深層に迫るための投影法という検査とがあります。通常、鑑別所や精神科の外来などではこれらの検査を複数実施して本人の心理面を表層および深層ともに探っていくことになります。

 もちろん質問紙法の場合でも回答者のウソを排除するための工夫(ライ・スケール等)が施されてはいますが、回答者が知らず知らずのうちにウソをつく可能性まで排除するには投影法が最も適切な検査手法でしょう。なぜなら投影法では回答者は一体、何を調べられているのか、直接にはわからないように工夫されており、多くの場合ウソのつきようがないからです。

 投影法の代表として有名なのがインクのシミからどんなものが見えてくるかを問うロールシャッハテストです。また人物が登場する絵を見せてそれがどんな場面なのか物語らせるTAT(主題統覚検査)や「私はいつも(……)で失敗してしまいます」といった文章の穴埋めをさせて分析する文章完成法も知られています。

 特に言語能力の未発達な未成年者や自己防衛的な非行少年にはバウムテストやHTPのように絵を描かせて分析する描画法と呼ばれる手法もよくとられています。ただしその解釈は主観性を排除できません。繰り返しになりますが、一つの検査で自分や他人の性格を決めつけることは完全な誤りであり、かつ人格に関しては場の状況に応じて変化してしまうことにも留意しなければならないでしょう。

カッパの実践例

 なお私は大学の卒業論文で扱った「バウムテスト」を授業でよく扱ってきました。紙と筆記具さえあれば簡単に実施できるのでオススメですが、絵の分析は決めつけにならないよう、注意が必要です。「実のなる木を描いてください」と口頭で指示するだけで、それ以外の説明はしないというルールも守る必要があります。基本的に時間制限はありませんが、10分程度で終了させて良いでしょう。紙のサイズはA4で十分です。縦長にして描いても、横長にして描いても構いません。分析に関してはある程度ネットで調べられますので、基本的な目の付け所は覚えておきましょう。私が主に注目したのは地平線を描いているかどうか、実を描いているかどうか、樹幹の輪郭線を強めに描いているかどうか、幹を太く描いているかどうか、全体の印象はどうか、木は紙のどのあたりにどんなサイズで描かれているか、などです。

 高校生の過半数は身近なリンゴやミカンの木をイメージして描きます。不登校の多い学校では一部の生徒達に、紙の隅っこや下の方に異様に小さな木を描く傾向が見られました。またかなり厳しい状況におかれた困難校では幹が折れていたり、太い枝が折れている、幹や枝の一部が枯れている、ないしは幹にウロや傷のある木を描く生徒が散見されました。

 就職試験に用いられることのあるクレペリン検査も、授業で度々、用いました。もちろん実際の課題量の半分以下にカットして簡易版を自分で作り、30分以内で終了できるようにしておかないと1時間以上費やすことになります。本当の検査は過酷すぎるので授業ではやれません。乱数表があればすべてを手作りできます。

 ランダムに並んだ一桁の数字の列のそれぞれ隣り合う数字を足し算し、答えの一桁目を数列の下にどんどん書いていかせます。時間は「ハイ!」という合図で区切ります。「ハイ」と言われたら下の列の計算にすぐ移るのです。足し算のスピードを競うような検査ですので、あらかじめ「数多く答えられなければ試験には落ちてしまうぞ。」とプレッシャーをかけておく必要があるでしょう。本来なら一行1分で下の列に移るところ、30秒以内で切ると全体が30分程度で終われるはずです。分析の際、特に注目するのは各列の答えの到達点を結んで出来る作業曲線と呼ばれるものと間違いの数です。

 答えの多さは二の次にしておかないと、作業の遅い生徒が気分を害してしまいますので、授業での分析は専ら作業曲線の形と間違いの数に絞るのが無難です。間違いの数は実際には数える必要が無く、間違いが多いと仕事にミスが多い人と判断されてしまうなどと説明すれば十分。

 作業曲線の形は前半の場合、時間と共に慣れてきて次第に答えられる数が増えていきますがやがて疲労のため、数が減っていくのが典型的。休憩時間の直前、力を振り絞って成績の挽回を図るため、少しだけ出来た数は増えて休憩に入ります。短い休憩(2~3分)を挟んで後半に入ると、後半では休憩効果が出てきて最初から成績が良く、しばらく好成績が続きますが、やはり中盤以降で疲れが出てきて成績は下降気味になります。そして終わりが近づくと最後の頑張りで少しだけ成績が挽回されます。この歪んだ「S」字を左右逆さまにしたような曲線が前半と後半に並ぶのが典型的曲線パターンです。そして典型的作業曲線からどんなズレが見られるかが診断の一つのポイントになると言って良いでしょう。

 最初だけやる気はあるものの、すぐに成績が下降気味になり、休憩効果もあまり見られないパターンは仕事が長続きしない人の特徴。この真逆のパターンで後半に強い人は仕事に集中するのにやや時間を要する人かもしれません。粘り強い人は作業の後半でもそれほど成績は下降しないでしょう・・・などとコメントし、自分はどのパターンなのか確認させましょう。もちろん実際の就職検査では答えられた数が一定の基準を満たせない場合と間違いの量が多い場合は確実にマイナスの評価となります。鉄道関係の企業や製品のチェックが行われる工場など、作業のスピードと正確さが問われる職種の企業ではこの二点を厳しくチェックしていると考えるべきです。

 実際の検査はかなり過酷な作業のため、手が痙攣しそうになるほどです。従って意識して作業曲線を整えようとして答えのペースを微調整する余裕は無いでしょう。もし微調整しようとすれば一番肝心の作業量自体が落ちてしまいかねません。

 妙な入れ知恵を付けておいてこんな事を後で言うのも変なのですが、最後は「検査では一つでも多く、正しく解答するために最後まで全力を尽くししかありません。」と言う他ないのです。また多少、練習してもこの検査の結果はほとんど左右されないと言われております。そもそも「仕事への適性を調べる検査なので、無理矢理、良い結果を出す意味は無い」という大原則を理解してもらうことが一番大切になります。適性の無い職種、企業に合格してしまうと、本人にとっては将来、却って悲劇となる恐れがあります。

 

・AIと人類

🧠】2025年をゆるく予想:新時代の戦争、マスメディアの崩壊、悪意のあるAI、

    格差と陰謀の関係、無意識の可能性について。

    佐藤航陽の宇宙会議 2025/03/01 45:54

    かなりぶっ飛んだ内容のように感じるが、結構、鋭く踏み込んでいて示唆に富む。社会科教師としては視聴しておいた方が良い動画。

「陰謀論が最強に。人類は自滅へ」ハラリ著『NEXUS(ネクサス)』を解説

    サラタメさん  2025/04/21  50:28

「ほとんどの情報はゴミ」蔓延するウソ情報 知の巨人が学生に警笛「情報=真実で

    はない」TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/03/16  1:48

    AIの暴走、AIによる人類の分断を予防するためには敢えて自分とは異なる意見に耳を傾け、人間への信頼を回復するための努力を続ける事が大切である、という指摘は学校教育において現在、議論を軸にして多様な意見を引き出す授業のあり方が求められていることと大いにつながる重要ポイントであろう。

【日本が危ない!】いま、世界は幕末!?未来から来た女が言う『日本の危機』と

    は【未来から来た女 Vol.1】DLE channel2019/01/24

年金制度が崩壊し、日本から若者が脱出! そして2040年に世界大戦が起きる・・・?【未来から来た女 Vol.2】/2019/01/31

日本に残された道は「○○○○の放棄」しかない!?そして起こる『シンギュラリ

    ティ』とは【未来から来た女 Vol.3】/2019/02/07

AIが実現した『シンギュラリティ』 そして訪れる人間の『変化』とは・・・【未来から

    来た女 Vol.4(最終話)】/J2019/02/21

【漫画】2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ【要約/ピーター・ディアマン

    ディス】フェルミマンガ大学 2021/05/20

成毛眞が語る「2040年の未来予測」【中田敦彦のYouTube大学でも話題】

    NewsPicks 2021/02/01

【2040年の未来予測】次の時代の成功者になるには(Predictions for 2040)

    中田敦彦のYoutube大学 2021/01/09

【2040年の未来予測】衰退する日本と予測されるリスクとは?(Predictions for

     2040)中田敦彦のYoutube大学 2021/01/10

【NFTとメタバース①】デジタル資産になぜ数十億円もの価値がつくのか?世界の未

    来はどう変わる?中田敦彦のYoutube大学 2021/11/06

メタバース“2700時間超え滞在者に聞く魅力・・・人間の五感を再現した未来も

    (2022年1月10日) 2022/01/11 ANNnewsCH 8:22

【解説】メタバース上の殺人どう裁く?全世代が活用可能?政府が「メタバース研

    究会」発足│政治部・小野孝記者 

    ABEMAニュース【公式】 2022/08/02  15:52

【VR】メタバースでも痴漢やストーカー?安全と監視のバランス

    ABEMA 変わる報道番組 2022/09/29 20:06

    メタバース空間で過ごす時間が増えてくると予想される負の側面として何があるのか、プライバシーを脅かすような全面的な監視社会の成立を防ぐためにはどんな仕組みが必要なのか、考えていくべき課題は多い。視聴後、生徒にアンケートをとって意見を募りたい。

 

参考記事

民主主義を破滅させる巨大IT企業による「監視資本主義」

     毎日新聞 2022/10/19 05:30

 要領よくポイントをおさえた短い記事なので全文、読ませて討論させたい。

参考動画

緊急取材!AIで激変する世界と日本

 テレ東BIZ 2025/04/19 38:24

【AI超進化で人類終了のお知らせ】茂木健一郎が語る「AIが支配する未来」/シンギ

    ュラリティは2~3年後に来る/人類はどう向き合えばいいのか?

    【5年後の世界】2025/04/30 21:48

 「全ての問題が解決したら人間は何をする?」「AI開発者は人間をどうしたいのか?」「シンギュラリティ後、人間は二手に別れる」「人間は人間に一番興味がある」「人間の仕事はどう変わる?」「人間はあとどれだけ地球上に存在できるのか?」「今後、AIの反乱はあるのか?」という各問、テーマについてそれぞれ茂木氏の答えを予想させてみたい。

【AIが支配する衝撃の未来】茂木健一郎が語る「5年後のAI世界」/人類との最大の

 違いは「生きがい」/日本が世界を救う?【5年後の世界】2025/05/07  16:01

👁️】新しい戦争「認知戦」について天才クリエイター大嶋泰介さんと会議。AIに

    支配される認知、偽情報と陰謀論、トランプの選挙戦略、シンギュラリティ後の人

    類など。 佐藤航陽の宇宙会議 2025/03/09 1:06:25

【人間vsAI】Geminiの強くなった画像生成を対ディープフェイク歴3年の俺が見破

 る 安野貴博の自由研究チャンネル 2025/04/26 11:50

 フェイク画像の見分け方を安野氏がクイズ形式で答えてくれる興味深い動画。AIの専門家がどこに注目してフェイク画像を見破るのか、注目したい。

【ゆる解説】Grokでファクトチェック、SNSのデマはAIに暴ける?

   【生成AI】安野貴博の自由研究チャンネル 2025/04/18 12:02

【grok】生成AIでのファクトチェックがXで流行?間違いも?信じるのはダメ?

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】2025/04/10  15:34

    上の二つの動画を視聴すればファクトチェックが現状ではいかに難しいのか、分かるだろう。根拠の無い誹謗中傷やデマの拡散をネット上で防ぐことは現段階で不可能であり、一つの情報源を鵜呑みにすることは極めて危険であると考えられる。ネット上で飛び交う意見、情報の危うさを知ってネットリテラシーを高めることは必須。ぜひ、二つの動画を連続して視聴させたい。

※参考記事

 ◎「SNSを全削除しました」ディープフェイク増加で危機感を高めるZ世代の対応 「一番怖いのは被害

         を自覚できないこと」「ターゲットは女性だけじゃない」  マネーポストWEB  2025.5.3

     卒業アルバム制作の印刷会社にサイバー攻撃 千葉県立高8100人の漏えいリスク    各地の小中学校で

        も懸念 東京新聞 2025.5.3

 

 

自由意志 茂木健一郎/その決断は本当に自分の意思か/AIの時代により重要な意

    識の問い/人はいかに選択し、意思決定しているのかを問う

    IMAGINE イマジン大学 2024/07/25 19:22

その3.沖縄戦 ウチナーとナイチャー

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

一般民家~沖縄戦の砲弾の跡~南風原町津嘉山~沖縄の激戦を伝える民家の壁を探

   す~ 街歩きokinawa 15:04

 いきなり残酷で重苦しい内容から入るよりも、日常風景に残るさりげない戦争の痕跡から徐々にイメージを膨らませていく展開の方が平和学習への抵抗感を少なくできるかもしれない。海軍壕のある豊見城地区と首里、最後の激戦区となる糸満・八重瀬地区などと南風原との位置関係は地図で確認しておくと良いだろう。また実際にグーグルマップで「津嘉山236」を検索させて壁面の弾痕を確認させたい。

沖縄の戦後はここから始まった~「魂魄の塔」そして沖縄戦最後の健児の塔「開南

 健児の塔」戦争で廃校になった旧制中学校・沖縄平和の創造の森公園内の慰霊塔・

 魂魄の塔から始まった墓苑の事情 街歩きokinawa  2024/05/27 12:25

 深く考えさせる動画。「街歩きokinawa」の動画の中で最も重要な内容が含まれており、ぜひ視聴させたい。沖縄戦で生徒教員の多くが戦死したため廃校となってしまった開南中学校の犠牲者が2019年になってようやく確定したことの持つ意味を考えさせたい。また「街歩きokinawa」の他の動画でも繰り返し触れている現地住民の意向を無視した遺骨の収集、移動に対しても考えさせたい。さらに沖縄における遺骨が持つ意味を「洗骨」という沖縄の伝統的な風習からも捉えさせたい。

「沖縄戦の生き残りは皆、艦砲射撃の喰い残し」 強烈な民謡を生んだ作曲家の壮絶

 な人生 【慰霊の日企画 #あなたの623】RBC NEWS  2024/06/21 8:48

沖縄戦の記憶を時系列で辿る旅:沖縄本島戦跡巡りと慰霊の日

 JtripTV【ジェイトリップツアー公式】 2024/06/15  15:51

 時系列に沿って沖縄戦の概要を知ることが出来るが、突っ込みが浅く、やや物足りない内容。導入として沖縄戦の概要を押さえておく分には利用できるだろう。

原爆投下の真実と日本人が忘れてはいけない4つの日

 むすび大学チャンネル  2023/08/07 11:50

 沖縄戦は一切、登場しないが、「ファクトチェック」の練習台となる動画。戦争に関しては扇動的な論調に流されやすくなるので要注意ポイントを早めに気付かせたい。この動画は幸いにして突っ込みどころは多いので生徒たちにどんどん突っ込ませてみよう。ただし言い分として正しい面もある。どの点が正しくてどの点が事実認識として間違っているのか、それぞれ列挙させ、それぞれ意見を出させたい。

  いわゆるネトウヨの主張パターンの典型を知ることが出来る点でもこの動画を視聴させる意義は大きい。基本的には戦争に関して自国の綺麗ごとを並べ、美談化する論調に流されてはならない。同時にアメリカのような他国を単純に美化することも間違い。軍事に対しては冷徹に事実を確認していく努力が求められる。

戦争で負けることは分かっていた?【昭和16年夏の敗戦】総力戦研究所・黙殺され

 たシミュレーション「日本必敗」猪瀬直樹執筆のキッカケ!

 ホリエモンのうわさ【切り抜き】 2025/06/28 7:16

 NHKの朝ドラ「虎に翼」などで注目された総力戦研究所関係の動画は数多いが、短時間で要領よくまとまっている動画としてはこれがオススメ。なお、最近のNHKのドラマのなかで史実では総力戦研究所の所長が「日本必敗」の結論を出すことに反対していなかったのに、ドラマでは若者たちの結論を握りつぶそうと動いていた。これは明らかに史実に反し、所長の遺族が怒るのも無理はあるまい。なぜNHKは史実を敢えて歪めたのか、本来ならばその理由をしっかりと説明すべきだろう。

 一体、NHKとしたことがなぜこんな幼稚ともいえるヘマをしでかしてしまったのだろうか?おそらくこの問題の背後にある闇は相当、複雑で深そうである。

 ところで負けると分かっていた太平洋戦争をなぜ当時の指導層は始めてしまったのだろうか。その理由は一つに尽きると私は考える。一般的には同盟国のドイツの快進撃を日本が買いかぶり過ぎてしまった点が挙げられようが、しかしこの点は既に研究所のメンバーがドイツの敗退を科学的根拠を示して正確に予想しているので除外。

 むしろそれよりも重大なのは、これまでの戦意高揚を柱とした巧妙な世論誘導の結果、国民が余りにも激しく日米開戦を求めてしまっていた点にあろう。この期に及んで国民の強烈な反英米感情を鎮めることは、洗脳策を強力に遂行してきた張本人たる近衛内閣として、限りなく不可能に思えていたはずである。

 仮に研究所の見解を世に知らしめれば最低でも暴動、はては最悪、内乱まで引き起こしかねないほどの危険性があった、と指導層の多くは考えたはず。それは指導層が何にも増して優先してきた国体護持をも危うくしかねなかった…

 明治憲法下、まがりなりにも国民に担がれた天皇制政府である。神輿の上に担がれている天皇制政府として担ぎ手の国民の意向は決して無視できない。下手をすれば神輿ごと天皇制まで転覆されかねまい。それこそが絶対的に回避すべき最悪の事態である。そして最悪の事態を回避するには開戦しかあるまい…これがカミソリと異名をとった東條の、熟慮の末に下した冷静な決断ではなかったか。つまり国体護持のためには開戦をも辞せず、それはすなわち敗戦をも辞せず…ということ。

 サイパン島陥落時、大本営は既に打つ手が無くなっていることを自覚していたと思われる。陥落直後の東條内閣総辞職が陥落の痛手の大きさを物語っているだろう。しかし敗戦に至るまで日本は打つ手が無くなっていたはずのサイパン島陥落から1年以上を要してしまった。なぜ勝ち目のない戦争が始まったのか、という疑問と、なぜ勝ち目のない戦争をグダグダと続けたのか、という二つの疑問とに対しては、いずれも国体護持のため、というまったく同じ理由を見出すことが出来る。

 731部隊の番組などで近年、日本の戦争責任に関してかなり攻めの姿勢を見せてきたNHKであったが、総力戦研究所に関する朝ドラやスペシャルドラマでは結局、どこか肝心の部分で歯切れの悪さが残っていたように私は感じてきたが、皆さんはいかがだろうか。率直に言ってそれらの番組の歯切れの悪さは、敗戦をめぐる本質的問題が国体護持、すなわち天皇制の問題に行きついてしまうからであると私は考えている。仮にそうだすれば、開戦や敗戦への疑念に正面から向きあおうとすればするほど、番組は天皇制を根本的に批判することにつながりかねない…さしものNHKであっても、この展開は放送する上で極めて厳しい…だろう。

 しかし本質的問題の追及が出来ないのであるならば、マスコミとしての社会的役割を十全には果たせまい。それはあたかも公教育がまともな政治教育、平和教育をこれましてほとんど出来てこなかった理由とほぼ重なってくると私は考えてきた。

 公教育と公共放送は天皇制によってガッツリと縛られている…だとすればこれまで日本が太平洋戦争への本質的反省をまともにできてこなかったのは無理もないこと…ならば私たちはここで諦めて引き返すしかないのか…ぜひともアンケートや議論を通じて生徒たちの意見を募りたい。

参考記事

沖縄に残る1900トンの不発弾、今も続く戦火の影響…「爆弾がなくなるまで戦

    争は終わらない」 読売新聞  2025.6.19

    「鉄の暴風」が残した不発弾の恐怖は、戦後100年経とうとも沖縄の人々を苦しめ続ける。沖縄を語る際に、そのことへの理解は不可欠だろう。

「急きょ、大和の特攻を考えたと」連合艦隊参謀の“肉声”発掘 戦艦大和「水上特

   攻」79年目の真実 文春オンライン 太田 啓之  2024.8.15

   この録音もまた沖縄戦に対する昭和天皇の関与が少なからず存在していたと考えられる証拠の一つであろう。天皇の沖縄戦における焦りが無謀な特攻作戦を助長し、一層t戦いを激化させていたとすれば天皇の戦争責任は決して軽くない。

謝罪もせず「研究させろ」とは何事か アイヌ民族と研究者の初対話から考えた「知

 りたい欲求」が持つ暴力性 東京新聞 2024.4.22

 沖縄も同じ問題を抱えていることに気付きたい。

「キノコ雲」をシンボルマークにする学校も。バーベンハイマー騒動の背景にあ 

 る、原爆投下を”ギャグ”にできるアメリカ人の感性

 集英社オンライン オピニオン 2023.8.15

 立場が違えば戦争への見方も大きく違ってくる。その典型的事例としてこれまでも

よく挙げられてきたのが原爆投下を巡る日米間の評価の食い違い。立場を超えた平和教育を目指すには何が必要か、沖縄戦を扱う上でも考えておく必要があるだろう。

平和の詩 「こわいをしって、へいわがわかった」【2022年度沖縄全戦没者追悼

 式】琉球新報  2022/06/23  3:47

 やはり「こわいをしって、へいわがわかった」が平和教育の原点では…まずはこの詩から沖縄戦の授業に入っていっても良いだろう。戦争の怖さを知ることが立場を超えて平和を築くための第一歩。

 ※参考動画

  惨劇伝える「沖縄戦の図」 2年ぶりに展示画家・丸木夫妻 創作活動追った映画公開

   ANNnewsCH 2023.6.23 3:54

  ドキュメンタリー 今も続く沖縄戦の傷「晩発性PTSD」QABドキュメンタリー扉2014 

   2014/03/02 11:25

  「この世の声とは思えない祖父の断末魔」近親者の死で戦争の記憶が蘇る“戦争PTSD 戦後78

   年も癒えぬ心の傷【琉球放送】RBC NEWS  2023/06/29 6:42

 

Nenes 平和の琉歌 tabia75  2009/05/26 4:54

 沖縄の人と多くのヤマトンチュとでは太平洋戦争や戦後の日米関係に対する考えや感じ方に大きな違いがあり、両者の間には相変わらず深い溝が横たわっているように感じられる。それを分かりやすく感じられるのがこの歌だろう。作詞・作曲はサザンオールスターズの桑田佳祐で1997年に発表。ウチナーポップスを牽引してきた知名定男も沖縄方言での作詞を担当し、本土のことばとウチナーグチと呼ばれる沖縄のことばで歌われている。

 この歌詞が意味していることとは何だろうか、太字の箇所を中心に問いかけていき、沖縄の授業の最後にもう一度視聴させて同じ問を繰り返したい。特に桑田と知名の歌詞が大きく異なる箇所には注目させてみよう。「愛を植えましょう この島へ」はいかにも上から見下したようなヤマトンチュの沖縄観がはしなくも露呈してしまっているとも受け取られかねない言葉遣い。確かに訳知り顔の他人から憐れみを受けることほど屈辱的なことはあるまい。これに対して知名の「情け(なさき)知らさな この(くぬ)島の(ぬ)」はウチナンチュからの痛烈な返しとなっている。愛が足りなかったのはヤマトンチュの方ではなかったか…愛を植えるべきは愛の足りないヤマトンチュの方ではなかったか…

 

この国が平和だと

誰が決めたの?

人の涙も渇かぬうちに

 

アメリカの傘の下

夢も見ました

民を見捨てた戦争の果てに

 

蒼いお月様が泣いております

忘れられないこともあります     

 

愛を植えましょう この島へ

傷の癒えない 人々へ

語り継がれてゆくために

 

この国が平和だと

誰が決めたの?

汚れ我が身の罪ほろぼしに

 

人として生きるのを

何故に拒むの?

隣り合わせの軍人さんよ

 

蒼いお月様が泣いております

未だ終わらぬ過去があります

 

愛を植えましょう この島へ

歌を忘れぬ 人々へ

いつか花咲くその日まで

 

御月前(うちちょーめー)たり泣ちや呉(くぃ)みそな

やがて笑ゆる節(しち)んあいびさ

情け(なさき)知らさな この(くぬ)島の(ぬ)

 歌やこの(くぬ)島(ぬ)暮らしさみ

 いちか咲かする愛(ぬ)花

※現代日本語訳:お月様よ 泣かないでください やがて笑える時がきますよ 情けを知らせたい この島

 の この島では歌が生活そのもの いつか咲かせる愛の花

 

市民を「土人」呼ばわり 機動隊員、沖縄のヘリパッド建設現場

 琉球新報  2016/10/19 0:41

沖縄戦の始まり 10・10空襲 悲劇をくり返さないために体験者の記憶をつな

   ぐ(沖縄テレビ)2023/10/10 OTV沖縄テレビ  2023/10/11 8:52

 沖縄戦はここから始まる。第9師団の台湾への移動が沖縄の「捨て石」としての位置づけを決定づけた点に言及したい。

【沖縄戦②】粟国島 1945年6月 / アメリカ兵に促され投降する島の人々 - 太平洋

 戦争 沖縄戦 20世紀映像チャンネル  2021/04/15  2:10

 沖縄戦の授業はこの動画から始めても良いだろう。沖縄戦の授業のキモはなぜこのような悲劇が沖縄で起きてしまったのか、その原因を生徒たち自らが興味を持って深く考えてみたくなるようなきっかけを作ることだと考える。

 沖縄の離島、サトウキビで有名な粟国島の住民がアメリカ軍に投降するシーン。武装した米兵に最初はおびえていた住民がやがて安堵と感謝の表情に変わっていく様子が分かるだろう。個人差は大きいだろうが投降後、粟国島の住人たちが「鬼畜米英」を日本政府によるただの戦争プロパガンダに過ぎなかったと悟るまでにはさほど時間を要しなかったようだ。この動画は粟国島の位置を示す以外の説明、発問は一切せずに淡々と視聴させてから直ちに「昔の沖縄 米国施政下~」の動画を見せたい。

【沖縄戦①】映像と解説 / アメリカ軍上陸と島民へ投降を呼びかける日系兵士 - 太

 平洋戦争 沖縄戦 20世紀映像チャンネル  2021/05/25  2:42

【沖縄戦③】映像と解説 / 戦いが終わった日 - 太平洋戦争 沖縄戦

 20世紀映像チャンネル  2021/06/02  2:38

 ①では日系兵士に頭をなでられて笑顔になる子供が印象的。③の白旗を掲げて投降する少女の写真は非常に有名なので、上の①か③から沖縄戦の授業を始めるのも良いだろう。なお、アメリカ軍はサイパン島攻略の際、日本人住民の多くが投降の呼びかけに応じず、崖などから身を投じる悲劇を目の当たりにしてきた。その反省からか、沖縄戦ではハワイなどの日系人、特に沖縄出身者を沖縄戦に同行させて住民の説得に努めていたようだ。授業ポイントはなぜ沖縄戦がこのような無残な終わり方をしなければならなかったのか、その理由を考えていく事であろう。

 ※参考記事

     ◎激しい地上戦が繰り広げられた沖縄、記録フィルムに登場する“震える少女”は「私だ」と名乗り

   出た女性が語る“記録の裏側”と“記憶の事実”【かんさい情報ネットten.特集】読売テレビニュー

   ス  2023/06/27  16:18

      首里城地下に眠る旧日本軍の拠点・第32軍司令部壕 全容解明の鍵を握るアメリカ軍のインテリジ

        ェンスモノグラフ FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.2.24

 

 記録を残そうとしなかった日本と詳細な記録を残したアメリカとの「歴史」に向き合う姿勢の違いに気づかされる。一方でアメリカ軍による残虐行為はアメリカの記録には残されていない。何を記録し、何を残さないのか…

【昔の沖縄】米国施政下のもと、沖縄が戦災から復興していく様子をご紹介してい

 ます。OKINAWA a la carte  2022/03/29 8:50

 開始1:05から1:47の写真解説に注目したい。まずナレーションによる解説が始まる前に動画を一時停止してこの場面は一体どんな場面なのか、生徒たちにこの写真が撮影されるまでの出来事を予想させてみよう。彼女は米兵に救出されるまでの間、一体、何を見てしまったのか…

 二人の子供を自らの手にかけ、自分は死にきれずに担架に乗せられてアメリカ兵の応急処置を受けている母親…首を負傷したらしい。おそらく自分で首を切って死のうとしたのだろう。しかし死にきれなかった。茫然自失となった母親の顔のあたり、写真がすっかり黒ずんでしまったようで表情はやや読み取りにくい。しかし解説を聴きながら薄暗く見える母親の顔をじっくりと眺めている(顔を拡大してみよう)うちにやがて私たちも気付いてしまう。そして彼女の顔から漂ってくる絶望的な悲しみに圧倒されてしまうだろう。なぜ、このようなことが起きてしまったのか?まずは問いかけてみたい。

   なお戦世から80年 沖縄の白黒写真カラー化で見えたもの(沖縄テレビ)

    2025/4/08 沖縄ニュースOTV 2025/04/09 7:33」では上の写真がより鮮明に確認できる。そちらの動画もあわせて視聴すると、一層、理解が深まるだろう。

 ※参考記事

  ◎沖縄戦、新版教科書は集団自決の日本軍関与触れず 市民団体調査

   毎日新聞 によるストーリー 2023.6.22

  村民73人の集団自決、自責の念で自殺した村長…「その孫だからこそ」

   満蒙開拓団の悲劇語り継ぐ 劇作家・胡桃沢伸さん 東京新聞 2024.1.24

   沖縄での集団自決は中国東北部やサイパン島などでも多数、発生していた。胡桃沢氏の思いを共

   有したい。

[NHKスペシャル] 新発見 78年前の戦場を記録した音声 | 戦い、そして、死ん

 でいく 〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録~| NHK  2023/06/30 4:59

 日本軍による沖縄の住民虐殺や自決の強要がアメリカ兵の音声から明らかにされている。非常に貴重な動画であり、上の動画視聴後にぜひ、視聴させていわゆる「集団自決」の惨さを確認しておきたい。

防衛隊の父の手榴弾で~渡嘉敷(金城節子さん)

 沖縄県公式チャンネル  2013/12/16 6:15

【沖縄戦】衝撃の集団自決!奇跡の回避を果たしたリーダーの勇気と機転【真実を

 解明】 OKINAWA a la carte  2023/05/20   9:11

 集団自決を避けることの出来た島があったことはシムクガマのケースとともに記憶しておくべきだろう。運命の分かれ目はどこにあったのか、生徒たちに時間をかけて考えさせたい。

【信州の戦後80年】兵士の看護にあたった女学生に「生きろ」と言い遺し 佐久市出

    身の医師=軍医 小池勇助隊長 最期の地 沖縄の壕を整備 戦争を後世に伝えたい 

    TSBテレビ信州 2025/04/01  8:33

    小池隊長のような日本兵もいた、という事実は押さえておきたい。

戦争を知らない教師と生徒による『新たな平和学習』「OTV Live News イット!

 (沖縄テレビ)」2021/06/30 2021/07/02 OTV沖縄テレビ 7:19 

「思っているだけでは平和は来ない」 中山きくさんの想いを紡ぐ(沖縄テレビ)

 2023/6/22 OTV沖縄テレビ  2023/06/23 8:28

戦禍のウクライナから避難 “戦争の記憶”残る沖縄での生活沖縄「慰霊の日」に何

 を思う…? 読売テレビニュース  2023/06/24  10:11

 地上戦を経験した沖縄だからこそ出来る国際貢献の一つとしてウクライナ難民の受け入れがあるだろう。24人を受け入れているというが、少なすぎる印象はぬぐえない。もっと人数を増やせる工夫があるのではないか。

Q.平和学習のマンネリ化を乗り越え、自分事として平和考えるにはどうしたら良い?

お笑い米軍基地20周年 小波津正光さんが見つめる戦後80年(沖縄テレビ)

    2025/6/12 沖縄ニュースOTV 2025/06/13 8:03

    平和学習をいかにして高校生に自分事として捉えてもらえるのか…触れる事すらタブーとされるほどの悲劇を敢えて「お笑い」に昇華させて「突っ込む」…勇気あるお笑い米軍基地の取り組みに若者向けの有効なメッセージの在り方として、一つの可能性を感じる。

【修羅場・衝撃】修学旅行で沖縄へ行った時、沖縄戦を経験した女性の講演を聞い

 ていると、1人の男子が「ふざけるな!!」と言って立ち上り…

 22ch本当の話修羅場ch 2018/05/17 5:07

 討論の題材にうってつけの動画。ここでできるだけ様々な意見を生徒達から出しておきたいので、十分に時間をとってアンケートも用いてはいかがか。

 ※琉球新報デジタルによると沖縄戦での死者数約20万人の内訳は「沖縄戦では約20万人あまりもの

  人が亡くなりました。そのうち日本兵の戦死者は6万6000人、アメリカ兵の戦死者は1万2500人

  です。沖縄県民の犠牲者は一般住民が約9万4000人、沖縄出身の軍人・軍属が約2万8000人で、

  合計約12万2000人です…」とある。重要なのは日本兵の内、沖縄出身者を除いた戦死者が6万6

  千人ほどで沖縄県民の死者数のおよそ半分であり、軍人・軍属を含めて沖縄県民の4人に一人が死ん

  でしまった、というデータが意味することだと思うがいかがか。すなわち沖縄戦は本土決戦のため

  の時間稼ぎに使われた「捨て石」である、という評価について生徒たちがどう思うのか、アンケー

  ト等で確認しておき、その結果を踏まえて議論してみたい。

積徳学徒隊 証言11 学徒隊の解散命令

 沖縄県 沖縄戦継承事業チャンネル   2016/03/10 3:06

【戦争を知る】「ひめゆり」以外にもあった「女子学徒隊」~日テレ戦争アーカイ

 ブス~日テレNEWS  2021/08/13  10:13

 当然のことだが、日本軍にも素晴らしい人物がいたことは事実である。積徳学徒隊

では小池隊長の独断で6月18日、本来出されるべき解散命令は出されなかった。6月23日を待って解散することになっても隊長は隊員たちに自決することを戒め、生きて父母に会うべきこと、生きてこの戦争の悲惨さを伝えるべきことを訓示し、自らは自決。おかげで積徳学徒隊(ふじ学徒隊)ではわずか3名の戦死者を出すにとどまった。

むかしむかしこの島で/沖縄テレビ(2005年)

 OTV沖縄テレビ  2023/06/16 48:14

 かなり長い視聴時間になってしまうが、沖縄戦に触れるならばぜひ授業で扱いたいイチオシの傑作動画。慶良間諸島での集団自決、日本軍による住民の処刑を中心とする前半と泡瀬、宜野湾や糸満での住民救出場面を中心とする後半に分けてそれぞれ解説と質疑、討論の時間を設け、少なくとも併せて二時間分は使ってじっくりと視聴させたい。ポイントは降伏した住民の日本軍による処刑と住民の自決が相次いだ理由。とりわけ重視したいのは皇民化教育、少国民教育を軸とする学校教育や熱狂的な戦争報道を展開して軍部に協力したマスコミの役割・責任となるだろう。

師範鉄血勤皇隊 証言5 住民への宣伝工作も担わされた学徒

 沖縄県 沖縄戦継承事業チャンネル  2016/03/24 3:17

 高校生にナレーションを行わせるなど、若者への平和学習の継承をはかる「沖縄戦継承事業チャンネル」の存在意義と、当時のウソだらけの報道、宣伝工作の在り方を理解しておきたい。宣伝工作を教師養成所だった師範学校の学生に背負わせた点に、国民の洗脳という当時の学校教育の裏の目的が明示されているだろう。

【戦世77年】戦火の中の住民の犠牲を物語る電文を再現 戦争を知らない世代に戦

 争の重みを伝える(沖縄テレビ)2022/6/17

 OTV沖縄テレビ  2022/06/20 7:46

 ※参考記事

  ◎「GHQの占領政策を聞いてガッカリした」戦争体験者の存命中に集めた「当事者ならではの言

   葉」の数々 現代ビジネス 神立 尚紀 の意見  2023.7.20

   戦争体験者が亡くなっていく中でどう戦争体験を受け継いでいったらよいのか、留意すべきこと

   は何か、教えてくれる。

『沖縄戦に関する教科書記述は1行と少し』時代の変化に揺らぐ“沖縄の平和教育

 ”の課題【琉球放送】RBC NEWS  2023/06/22 7:14

「沖縄戦」って何?どんな戦いだったのかを分かりやすく解説【慰霊の日】

 公式 池上彰と増田ユリヤのYouTube学園  2023/06/23  11:58

 分かりやすい解説で知られる池上氏だが、今回はかなり歯切れが悪い。内容面でも突っ込みが浅く、期待外れ。たとえば6月23日の持つ意味は沖縄において必ずしも大きくはないだろう。第32軍司令官の役割を過大視する危険性がこの日を特別視する考えの中に潜んでいるかもしれないからだ。

 仮に自決した牛島司令官が戦闘終了を促すために部下の投降を呼びかけていたのならば、この日の意義は決して小さくはなかっただろう。しかし、当時としては当然のことながら、彼はあくまでも組織的抵抗を諦めただけであり、日本兵個々人としての徹底抗戦を呼びかけて自決していた。そのこともあって軍民の中には8月15日以降になっても敗戦を知らずに抗戦を続けて、各地に潜伏し続けた者が出てしまった。何と年末までガマやジャングルに潜んでいた者もいたという。結果的にはその間、戦死をしたり病死してしまった軍民の人々が数多くいたわけだ。

 大本営によって本土決戦のための時間稼ぎとされ、「捨て石」とされてしまった沖縄にとって最後の最後まで米軍の「出血」を強いる徹底抗戦の作戦は同時に日本軍と沖縄県民との、一層の「出血」を強いるものでもあった。したがってこの日は「慰霊の日」という、沖縄戦の区切りの日をイメージさせてしまうような名称はあまりふさわしくあるまい。むしろ沖縄戦の終結を決定的に遅らせてしまい、犠牲者の数を徒に増やし続けてしまった日として記憶されるべきではないのか。少なくとも司令官らが潔く自決した日という妙な殉国美談にごまかされてしまうことだけは絶対に避けるべきだろう。

戦後70年の地平から「久米島での住民虐殺」

 【琉球放送】RBC NEWS  2015/07/24

 日本軍は久米島で6月から8月にかけてスパイと疑われた住民の虐殺を行っている。久米島で日本軍が降伏したのは9月に入ってからであった。久米島の住民にとってはアメリカ軍こそが日本軍の恐怖による支配から解放してくれた、まさに解放軍だった。現在、沖縄慰霊の日とされる6月23日は離島の久米島住民にとって何の意味も持っていなかったといえよう。

【沖縄戦を歩く】【沖縄の慰霊塔】糸満市・真栄里「山形の塔」沖縄戦の慰霊塔と

 防空壕・山形之塔・ 街歩きokinawa  2020/09/23 10:40

【沖縄戦を歩く】【沖縄の慰霊塔】米軍バックバー中将の慰霊碑(慰霊塔)糸満市真

 栄里・沖縄戦の慰霊塔で唯一、敵の大将をたたえる慰霊塔・沖縄戦跡・沖縄観光

 街歩きokinawa   2020/09/02 11:39

「国が民を食った」遺体と遺骨の山、沖縄戦終焉の地から考える 慰霊とはどうあ

 るべきか【報道特集】TBS NEWS DIG  2023.6.25 24:40

 1960年代の都道府県遺族会らによる慰霊塔建設ブームで「大東亜戦争」「英霊」「殉国」という言葉が乱用される一方で、本来、慰霊されるべき沖縄の住民たちの犠牲は顧みられることなく傍らに押しやられる傾向が強く見られた。

 加えていわゆる戦災遺族援護法によって沖縄の戦争犠牲者はすべて戦闘参加者として名簿に登録された後、遺族へ援護金が支給されるシステムが成立。その名簿は遺族には勝手に靖国神社へ届けられ、英霊として祀られた。

 他方、沖縄の住民の遺骨は糸満、八重瀬を中心とする人々によって各地で集積され、「骨塚」として慰霊されていた。靖国化が進んでしまった摩文仁の丘を国籍、軍官民を問わない民衆の視点に立ち、沖縄をはじめとする一般の人々の手に取り戻そうとしたのが平和の礎を築いた故大田昌秀(当時沖縄県知事)であった。とはいえ、平和の礎ができたからといって、はたして6月23日が本当に「沖縄慰霊の日」としてふさわしいのか、いまだに疑念は残ると思うが…

漫画家 新里堅進さん “地獄の世界”それでも描き続ける(沖縄テレビ)

   2023/10/18 OTV沖縄テレビ  2023/10/19 8:06

 戦後生まれが戦争を描くことの難しさと意義について考えさせられる。

【戦後80年なぜ日本は「あの戦争」をしたのか】辻田真佐憲「歴史は65点で語って

    OK」/なぜ語りにくいのか/被害者か加害者か/「大東亜戦争」か「太平洋戦争」

    か/「新しい戦前」に今できること【1on1】

    TBS CROSS DIG with Bloomberg 2025/08/14 46:37

    日本の近現代史に関して、知的中間層に広く届くメッセージ、一定の共有されうる認識が必要とされているとする辻田氏の主張に賛同する。参政党のような、分断を煽る乱暴な言説ではなく、一定の事実認識を踏まえたアジア太平洋戦争に対する評価、反省点をバランスよく持てるような言説を広めることで日本がアジアにおいて果たせる役割は拡大するだろう。そしてそのためにはまず中学校や高校における社会科学習で、もう少し戦後を含めた近現代史の学習を充実させるべきだろう。

    どういうスタンスで沖縄戦、アジア太平洋戦争を授業で扱ったら良いのか、迷っている教師にはお勧めの動画。バランスの取れた授業展開の方向性が見えてくるはず。

参考記事

追悼碑の撤去問題で憎悪扇動 杉田議員「朝鮮総連系が関与」

   共同通信 によるストーリー  2024.2.17

 議論のテーマにすると扱い方によっては様々な広がりが出てきて生徒たちの視野を広げる上で有効かつ興味深い話題となるだろう。この問題は沖縄での戦跡でよく見かけるナイチャーの慰霊碑問題と深い点でつながる可能性を秘めているのだ。なぜ沖縄では沖縄住民の慰霊碑よりも各都道府県や部隊の慰霊碑がこうも目立つのか…

 ナイチャーの意識に潜むウチナーへの差別意識を慰霊碑から問う視点は、国内での朝鮮人慰霊碑とクロスさせることで一層、生徒たちの思考を広げていき、深めていくに違いない。

 とりあえず群馬県での追悼碑の是非はそれに関わった団体の是非とはいったん切り離して考えるべきだと思うが、いかがだろう。

   まずは朝鮮半島が日本の支配下に置かれた1910年から1945年の間に日本の国策として徴用目的で強制的、半強制的連行がどの程度朝鮮半島で行われていたのか、その犠牲者はどれほどなのか、事業所別、地域別の統計に基づいて群馬県での状況を再確認する作業は、この件の是非を歴史をさかのぼって根本的に検討するならば必要不可欠となるだろう。また建碑のプロセスに違法性はあるのか、不透明な部分はあるのか、なども当然問われるべきである。

 以上の点で特に問題が確認できないのなら追悼碑自体は撤去されるべきではあるまい。逆に知事が主張するように建碑にあたり実際に法的手続きなどで大きな問題があるならば撤去もやむを得ないかもしれない。

 杉田議員があたかも「朝鮮総連が関与」したから撤去すべきだと受け取られかねないような主張をした事は大きな問題をはらむ。そもそも建碑に手続き上の瑕疵が無いならばそんなことはどうでもよいはず。本質的に問われるべきはあくまで建碑の歴史的、法的正当性そのものではないのか。

 当然のことながら国会議員という責任ある立場にある者はその発言に公的な影響力を帯びてしまいがちとなる。たとえSNS上での発言であっても暴言、中傷は許されない。ゆえに杉田氏は建碑に「朝鮮総連の関与」を疑うべき客観的な根拠を公に示す義務はあるだろう。仮にただの憶測に基づく発言ならば今度こそ同氏の議員としての資質、適格性を厳しく問うべきである。なぜならばそれは在日差別を助長する中傷、デマそのものとなってしまうからだ。

 仮に発言の根拠を示せないようなら、自民党は岸田総裁のリーダーシップの下でただちに同氏を除名すべきである。これまでの同氏による再三にわたる差別的暴言中傷を踏まえれば議会もこれ以上同氏の発言を黙認することがあってはなるまい。もはやアメリカでのトランプ元大統領並みに、議員としての杉田氏の存在そのものが国会と国会議員の品格を貶めるばかりか、日本での基本的人権と民主主義までをも脅かし始めているのだから。

 仮にこれが黙認されてしまうようなら、同様の論理でいずれ沖縄住民の慰霊碑も各地で撤去されかねまい。ひめゆり平和祈念館やガマなどの見学も自虐史観に基づくものだと決めつけられ、沖縄修学旅行での平和学習から外され、豊見城の海軍壕跡ばかりを見学する時代がきてしまうかもしれない…これは杞憂だろうか。

 杉田氏の発言、決して見過ごしてはならない、と思うのだが、いかがだろう。

 

 

その5.⑤教員養成と採用

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

教員志願者増へ、教職課程の必修科目見直し案…文科省が審議会に提示

    読売新聞 2025.9.2

 ただでさえ不十分であるはずの教職課程の必修科目をさらに削減しようという、凄まじいほどの愚策が検討されているようだ。文科省の迷走ぶりも今や堂々たるもので、すっかり板についてきたようだ。今後とも文科省が先頭を切って公教育の脱線転覆に向けて何らためらうことなく猛烈な勢いで突き進んでいくに違いない。結果的に一体、どんな若者たちが教職を目指すことになるのか…暗澹たる気分にならざるをえない。

 「教師の質向上と量的確保の両立を目指す必要がある」とのことだが、これまでに文科省や教育委員会が行ってきたのは専ら、教師の「量的確保」であって「質向上」ではなかったはず。それが大失敗であることは教師の「量的確保」どころか、いよいよ教師不足を加速し、さらには現今の教員の不祥事となって噴出してきている現状が指し示しているはずなのだが…一体、文科省は自らの施策と学校教育の現状とをどのような根拠をもとにどのように分析しているのか…推察すればするほど不信感と絶望感しか覚えてしまうのは私だけではあるまい。

 特にヤバイ、と感じるのが、教師の質向上のためになぜか「元教員らを該当の公立学校に短期派遣する仕組み作り」が必要だという観点。これ、明らかに使い古しの安い労働力を半強制的に動員して教師の不足分を一時的に穴埋めする、という最も安易な方法に過ぎず、むしろ全体的な教師の質低下、学校の組織的教育力の低下にさえ、つながりかねない愚策。

 ただでさえDX化に戸惑う高齢者の再雇用は学校現場の助力になるどころか、足を引っ張りかねない側面があったはず。しかも既に現段階で高齢者の再任用は飽和状態に達しつつある現状がある。にもかかわらず文科省は教師としての新味に欠け、体力、意欲も減退気味の高齢者教員をさらに増やそうというのだから、もはや現有の教師たちや児童生徒の絶望感も半端ないだろう。

 加えてヤバイことに教師の質向上を専ら各教育委員会や学校長らが実施する、ろくでもない、時間の無駄ばかりだった官製研修にまたぞろ丸投げしようとの魂胆ものぞけてくる。下らない研修の連打で教師たちの貴重な時間をさらに奪い、一層持ち帰り残業を増やすだけの文科省の取り組みに、若者たちは一体どんな希望を見出せるのだろうか…教師も、児童生徒も、いよいよ生き地獄の始まりだ。

教員採用試験で“初の定員割れ” 小学校教員倍率「0.9倍」 採用予定者増やした一方

 で応募者減少 深刻な教員不足 FNNプライムオンライン 2025.5.26

 いよいよ小学校教員採用試験で定員割れの悲哀を味わう都道府県が出現してしまった。ただでさえ8年連続で教員不足に直面してきた佐賀県である。今後は中途退職や休職者の出現によってさらなる教員不足が予想されるだろう。数少ない現有の教員で今後、急速に不足していく教員の仕事を余分に担うとなれば、教員の負担は苛烈を極め、残念ながら教員の中途退職や休職は記録的な数となっていく事が予想される。

 これは次年度の教員採用受験者数のさらなる減少を招き、とめどない負の連鎖を学校現場に生み出すだろう。教員の過労死や精神疾患による休職者、退職者の増大も一層、懸念されてくる。にもかかわらず、教師に期待される技術、知識が増える一方なのだから、近い将来、笑えないレベルの悲劇が佐賀県の教育現場に訪れるかもしれない。その最大の犠牲者はまたもや児童生徒たちである。

 もうこうなってしまっては県レベルの裁量ではどうにもなるまい。完全な手遅れであり、採用試験の機会を増やす、青田刈りをする、教員免許の有無を問わない、給料を引き上げる…といったなりふり構わぬ、しかしただの場当たり的対応ではかえって教員の質を落とし、学校での不祥事や不登校、イジメ問題を激増させるだけである。今や本質的で根底的な教育改革が切実に問われているのだ。

 ここまで事態を悪化させ、有効な対策を打ててこなかった、あまりにもトンチンカンで無能、無責任な政府の責任はどう見ても極めて重大である。国民は子ども家庭庁の設置にどんな意味があったのか、厳しく問い直すべきだろう。おそらく現政権で検討されている防災庁の設置も同様の惨めな結果を招くに違いない。

 斎藤県政の混乱で疲弊する兵庫県とよく似た状況が、長期にわたって停滞を続ける日本の学校教育全体にも訪れていることを、兵庫県民に限らず、日本国民全体が一刻も早くしっかりと自覚する必要があるのではないか。

参考動画

自殺ほのめかしたノートに“花マル” 女児語ったいじめの実態…調査は9か月放置 

 「花丸を頼まれた」と担任主張、女児は「言ってない!」【スクープ】(2023年

 12月8日) MBS NEWS 2023/12/09  11:43

 授業で紹介するとこの学校の対応、教師の「はなまる」について生徒たちから多数の意見が活発に出てくるに違いない。ぜひ、動画を視聴させ、アンケートを用いて大勢の意見を吸い上げてから討論に持ち込みたい。

 「学校は警察ではないから、イジメの有無をきちんと調べることはできない」とした学校側の言い分は確かにイジメ問題において学校が対応しうる限界の一側面を示してはいる(※1参照)。しかしこれを言い訳にしてイジメを放置することは決して許されるべきことではない。やはり学校はいじめ防止対策推進法※2参照)に則り、イジメ問題対策委員会を招集して組織的に対応すべきであった。こうした言い訳が学校にはびこれば、いよいよ学校は治外法権の場、ただの無法地帯になってしまうだろう。市教委の対応に問題は見られないようなので、学校は市教委との連携を早くから積極的に図るべきだったのではないか。

※1.参考資料

 “任意”のいじめ調査には限界も。学校関係者も含まれる「調査委員会」の問題点と事実認定の3原

  則を元調査委員が解説 FNNプライムオンライン によるストーリー  2023.10.26

  刑事事件として警察が捜査に乗り出した場合にはその捜査には強制力が働き、ある程度までは証言

  や証拠を集める事が出来る。しかし「イジメ」の重大事態として調査委員会(教育関係者が加わる

  可能性あり)や第三者委員会が調査に乗り出したとしてもその調査に協力するか否かはあくまでも

  任意とされる。このため証言や証拠を提出することを拒否されてしまうケースでは調査が先に進ま

  なくなることも起こりうる。

   こうした場合には被害者側が刑事・民事事件として警察及び裁判所に訴え出ないと多くの場合、

  埒が明かない。加害者の特定やイジメの事実確認自体が困難なケースは少なくあるまい。「教育的

  配慮」の名のもとに加害者側の人権だけが守られ、被害者側が泣き寝入りするといった残念な印象

  がこの問題には常にまといつく。しかしその背景に教師や教育委員会の調査が場合によってはどう

  しても不十分になってしまう、法的な限界があることは予め知っておかねばなるまい。

※2.参考資料いじめ防止対策推進法(H.25)より

 ・いじめの定義

  第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍し

   ている等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える

   行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童

   等が心身の苦痛を感じているものをいう。

 ・学校及び学校の教職員の責務

  第八条 学校及び学校の教職員は、基本理念にのっとり、当該学校に在籍する児童等の保護者、地

   域住民、児童相談所その他の関係者との連携を図りつつ、学校全体でいじめの防止及び早期発見

   に取り組むとともに、当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、適切

   かつ迅速にこれに対処する責務を有する。

 クラス担任の明らかに不誠実で悪質な対応ぶりをみると、これは加害児童の問題というよりは担任の適性、資質の問題であり、児童以上に教師への厳しい対応(分限処分等)が求められるケースと思われるが、いかがか。当然、この担任をクラス担任として登用し、適切な指導を施さなかった校長の責任も軽くはない。また担任を放置してきた当該学年集団のチームワークも厳しく問われるはず。

 仮にそれぞれが教師としての資質、適性の有無を問われるとするならば、こうした教師たちを数多く生み出し続けている大学での教員養成や管理職を含む教員採用人事のあり方も根本から問い直されるべきだと私は考える。

 

参考記事

都の新任教諭239人が1年以内に退職 過去10年で最高の5.7%

    朝日新聞社 2025.4.24

 「都教委によると、昨年度に採用した公立小中高、特別支援学校などの新任教諭は4237人。うち、239人が1年以内に退職した。内訳は小学校146人、中学校46人、高校18人、特別支援学校28人、義務教育学校1人だった。懲戒免職も1人いた。

   9割にあたる217人が自己都合退職で、理由別には、精神面での不調が4割、転職などによる進路変更が3割、介護や転居など家庭の都合が1割だった。指導力不足などから正式採用に至らなかったのは22人だった。」という。

 学校のブラック化がどれほど酷いものか…特に小学校は深刻である。精神面の不調による退職の多さにも注目したい。「指導力不足」などによって正式採用にいたらなかったのが22人もいたということも衝撃的である。

〈教師のいじめ〉「病気でよく休むしアテにならん」「邪魔くさい」がん闘病後に

   復職した女性教師が受けた壮絶な仕打ち…深刻な教員不足の原因に潜む「教師の

   質」の低下とは 集英社オンライン 2025.2.22

 残念ながらどんなに教員採用試験の倍率が高くとも、教師の質は上がらない。採用試験自体の質が低く、採用にコネが幅を利かす状態では、どんなに倍率が高くともほとんど意味が無いのだ。記事の元女性教師が指摘した職務の大幅な削減に加えて、大学での教員養成教育の充実や教員採用試験や管理職登用試験の見直しなどが伴って初めて採用試験の高倍率が教師の質向上につながると思うのだが、いかがか。

教職不人気で加速する「教員の学力低下」の深刻度

   Yahoo!JAPAN ニュース 2025 2/6(木) 7:04配信

   当然のことながら教員採用試験の倍率低下が教師の学力低下を招くことは不可避である。ただでさえ教員免許の開放制をとる日本では、教師として必要とされる知識技術がたいして身につかないまま、安易に教員免許を取得できてしまう、構造的な欠陥を抱えてきた。現状の教師に対する社会的信用度の低さと待遇の悪さを考えると、大学での教員養成教育の改革を先行させることは、教員不足に拍車をかけることにつながってしまう。まずは指摘されているように教師の仕事量の大幅な削減を先行させるべきだろう。

教員採用倍率、小中高で過去最低に 「大量募集」以外に深刻な問題

   朝日新聞社 2024.12.26

   教師の職務を大幅に削減するとともに、文科省を含む教育行政のあり方を大幅に見直すことが無ければ教師不足の解消は進まないであろう。文科省が相変わらず、学校がうまくいかないのはすべて教師の責任であるかのように、学校現場へ責任転嫁を続ける限り、教育行政への信用は失墜し続けるであろう。文科省自ら身を切る覚悟で教育行政自体の改革を口にしない限り、教師の誰もが文科省の打ち出した改革を真に受けることは二度とないだろう。それほどに教師たちは教育行政へ不信感を募らせていることを文科省はまず気付くべきである。

名古屋市教委金品授受 教育指導部署でも教員団体から約300万円

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.2

 これはおそらく教師の人事の問題にとどまる案件ではあるまい。相次ぐイジメ事件の隠蔽に見られる学校と教育委員会とのなれ合いの背景にこうした金品の授受があるとすれば教育不信は深まるばかりである。名古屋市の教育界の闇深さに驚くばかり。

校長人事に外部団体が推薦、有無で昇進率に差 千葉市教委は影響否定

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.16

   千葉市教委は外部団体の推薦の影響を否定しているが、管理職に限らず、各教科部会や部活動の専門部などが異動や昇進人事に影響を及ぼしている可能性はゼロではあるまい。かつては政治家や学閥、校長会の有力者などが管理職選考に大きな影響力を持っていたという。それに比べれば教育職としての力量に関わる団体での活動実績が人事に反映されることの問題性はそう大きくはあるまい。

 ただし授業の指導力や部活動の指導力と学校経営の能力との相関はさほどあるようには思えない。ならばズバリ、現在の管理職登用試験で問われている能力、適性とは一体、何だろうか。個人的に校長、教頭を数多く見てきた印象として、学校の管理職に対してこれまで求められてきた「力量」の中身は極めてあやふやなものであると感じてきた。つまり私から見れば管理職としての適性を全く欠くような校長が少なからず存在していたということだ。

    評価の客観性が担保できるとしても学校管理規則の暗記力ばかりを問うのは選考基準として完全に間違っているだろう。管理職に求められているのは教職員の法令順守の徹底ばかりではあるまい。各学校によって直面する教育上の課題はかなり異なりつつ、多岐にわたっている。それらの課題を的確に把握し、優先順位をつけて有効な対策を打つ、そのために教職員とどのように問題意識の共有を図り、どのようにして組織的取り組みを実行していくのか…本来、管理職に厳しく問われるべきはそうした個々の学校の実情に応じた、柔軟で現実的な経営を実現する能力だと思いたい。

千葉県の7年度教員選考 志願者数と倍率ともに過去最低 見えぬ妙案

 産経新聞 2024/6/26 18:34

 「令和7年度採用の教員選考試験の志願者は計4560人と2年連続で減少し、平成以降で過去最低を更新した。志願倍率も2・4倍で最低」だったらしい。当然の報いであろう。いよいよ千葉県の学校教育は自ら破滅に向かってまっしぐら…傍から見れば誰もが分かるほどに危機的な状況がこれまでも続いてきたのに県教委の対応は相変わらずトンチンカンそのもの。

 …県教委は今後、志願者増のため、「教員免許を持つが、民間企業に勤めるなど教職には就かない『ペーパーティーチャー(先生)』にアプローチしたい」(担当者)として、教職の仕事の魅力発信に力を入れる…というのだから驚き呆れるほかあるまい。教員志望者の減少を「教職の魅力」のアピール不足とする、陳腐な発想があまりにも情けなさすぎる。

 商品の品質が悪いのに誇大広告で買わせようとするが如き詐欺まがいの対策は直ちに辞めた方が良いだろう。時間の無駄であるばかりか、それ自体、若者に対する犯罪行為である。進めるべきは見せかけの、偽りだらけの「働き方改革」ではなく、真の意味での「働き方改革」であり、教師が本来の職務の中心におくべき授業準備に専念できるだけの時間的余裕の確保なのだ。すなわち授業準備を除く大幅な職務の削減を抜きにして、一切の対応は意味をなさない。一体、いつまでこの不毛な茶番劇を千葉県教委は続けるつもりなのだろうか。厚顔無恥も甚だしい。

千葉で教員志願者減少 その背景は? 教育現場に余裕なく、ほど遠い理想像

 産経新聞 2024.6.26

 …管理職の男性は、教員志願者が減少する要因を「『ブラック』という現場のイメージが先行し過ぎている。確かに現場の負担は増えているが、『子供たちのために頑張る』という前向きな声があるのも事実だ…という。こうした現実離れした幼稚なレベルの分析しかできない管理職のいる学校に勤めたいと思う若者ははたしてどのくらいいるのだろうか…この管理職にとっては「ブラック」はあくまでマスコミが勝手に作り出した悪しき印象であり、一部の怠け者の教師たちの被害妄想に過ぎないらしい。この程度の貧弱な認識しか持てない管理職が千葉県には沢山存在している。だからこそ千葉県での教員志願者が減少し続けているのだが、こういう人たちはそれに気付こうとしない。あるいは気付かないふりをしている。

 …北総地域の小学校の40代女性教員は、現状について「児童のために何かしてあげたいと思っても、働き方改革で『早く帰れ』と言われ、報告書作成や保護者対応など最低限の仕事をこなす毎日」と、時間的な余裕のなさを嘆く…と記事にあるように、現状では表面を取り繕うだけの管理職による強制的な「働き方改革」が一層、現場の教師たちを圧迫している側面にも注目すべきだろう。一刻も早くブラックな学校の現状を変えていかない限り、教員不足による学校のさらなるブラック化は不可避である。しかしそのことへの認識を欠く管理職の存在が学校をさらなるブラックな世界に陥れている…それこそが千葉県教育界の大きな不幸の源なのだと思うが、いかがか。

校長の9割が生徒の未来に関心なし しか見ていないトップは「現場から早く

 て行け」 AERA dot. 2023.6.28

「冬はアップしたら終わり」神戸市の公立中学校“部活中止”教育委員会が明かし

 た“反対派も納得”の現実 SmartFLASH  2024.12.18

 地方の教育行政側も遅ればせながらようやく重い腰を上げ始めたようだ。文科省の指導に遅れること5年。この遅れは教師不足という破滅的な現象を学校にもたらし、公教育の危機を一層表面化させてしまった。教育行政側の怠慢は厳罰に値しよう。

 ただし、これまでとりわけ深刻な問題が数多く表面化していたアノ神戸市が、いち早く部活動の地域社会への完全移行に踏み切った意義は決して小さくあるまい。周辺地域に与える好ましい影響が多少は期待できるからである。

 他方で熊本市の考えるような不完全移行では教師の負担、財政的負担をさほど軽減できまい。残念ながら学校での部活動を相変わらず美化するような管理職が多い地方では、事態の改善を見るほどには教師の負担が軽減されないままであろう。そうした地域では今後、教員不足がさらに深刻化するに違いない。いつまでも教師たちへの自己犠牲に甘んじて、現実を直視しようとしない教育行政の怠慢はマスコミ等の報道によって今後も厳しく糾弾されるべきである。

 なお小学校教師の不足は多くの場合、部活動に起因するものではあるまい。指導の難しい大勢の児童に対して一人の小学校教師が多数の教科を教えることの困難さは、本来、もっと強調されてしかるべきである。加えて数多くの学校行事をこなし、清掃指導や登下校の指導など、教師たちの過酷な負担も世間にもっと周知されるべきである。さらには日本の小学校における平均的な管理職のレベルの低さにもぜひ注目すべきである。世間におけるこうしたことへの無理解が小学校を過酷なブラック職場にしてしまっているはずなのだ。

 冷静に広い視野からみれば、日本の小学校教師の仕事は本来、至難の業なのであり、常人が務まるレベルをはるかに超えている。にもかかわらず、そうした仕事をこなせるほどに充実した教員養成教育がこれまで大学で施されてきただろうか。それだけの優秀な人材を教育委員会は数多く採用してきたであろうか。また日本社会は「日本の小学校教師」という難易度の極めて高い仕事に耐えられるほどの優秀な人材にふさわしい待遇を教師たちに与えてきただろうか。すべて「否」である。

 実際に日本の小学校の現場で日々、行われている業務の困難さ、過酷さと世間における小学校教師への評価がこれほど決定的にズレてしまっている国は東アジアや途上国を除くと他にはあるまい。基礎教育、義務教育なのだから小学校教師は教える能力が低くても務まる、したがって給料や待遇が悪くても仕方ない…と捉えるのは完全な間違いである。たとえば小学生に分数、比率、割り算の概念を分かりやすく教える事は、塾の講師以外、誰であっても極めて難しい。

 そうした諸々の難易度の高い職務を十分な教員養成教育を受けてこなかった新人教師がいきなりスンナリとこなせるわけがないのに、長い間、それを無理強いしてきた。そうしたことのツケが現在、教師不足となって表面化しているに過ぎない、と考えられるのだが、いかがか。

※日本の大学での教員養成教育には極めて大きな問題が横たわっていると私は考えている。大学での教

 職科目の多くは学生を受け身にしがちな座学で、視聴覚教材を使う機会が増えてはいても所詮陳腐な

 一斉講義形式が主。日本の大学における充実した授業実習や実践重視の授業演習の少なさも重大問題

 だろう。そもそも模範的な授業実践を自ら示せるくらい教科教育の実践に通じた技術力のある教師が

 各教科ごと大学にきちんとそろっておられるのか、大いに疑問なのだ。

  大学の教師はあくまで学問的研究を主としていて、実際には学生の教育を二の次としているのでは

 あるまいか。しかしとりわけ教師養成教育に関しては授業実践力の向上を優先し、学者の卵を育てる

 ことは二の次とすべきなのだ。にもかかわらず、教師志望者にとって模範となれるほどに講義の工夫

 に長けている大学の先生が十分な数存在しているとは到底思えない。仮に授業力向上を柱とした教師

 養成教育にふさわしい人材がこれまでも大学にしっかりとそろっていたならば、日本の学校でのこの

 悲惨な現状を大学がこんなに長く放置してきたはずがないのだ。

  まさに自動車の構造とメカニズム、道路交通法といった規則や理屈ばかりを一斉講義形式で教える

 だけで実践ゼロ、ハンドルには一切触らせない…現実には存在を許されないはずの自動車教習所とほ

 ぼほぼ等しいのが今の日本の大学における教師養成教育の本質ではないのか。なぜこれほど貧弱な教

 師養成教育を放置してきたのか、問題視されてこなかったのか、理解に苦しむのは私だけだろうか。

  実践力に自信が持てないまま教壇に立たされた新米教師はせっかく身につけたかもしれない新しい

 教育観をかなぐり捨てて瞬く間に古臭い教育観を抱えた先輩教師の従順な下僕となるか、ブラックな

 職場で心身を病み、いずれ休職、離職に追い込まれたりする。こうしてとっくの昔に賞味期限切れし

 たはずの画一的で管理主義的な教育がいまだに日本では「教師のバトン」として伝統芸能のごとく現

 在に至るまで延々と受け継がれてきている…違わないだろうか。

  教師の誰一人として教育改革の意義を見出せずに頑迷固陋の因習に囚われたまま自浄能力の欠片も

 なく、ひたすらスクラムを組んで不祥事の隠蔽に励み、退屈な授業をダラダラと続けるだけ…もしも

 これが日本の学校の真の実態であるとするならば、明るい未来が日本に訪れるはずもない。

 

 振り返って我が国の教師教育の貧弱さと学校教育が抱える体質の古臭さを考えたとき、徒に「不適格教師の排除」を目指す政府の教師改革がいかに的外れで狡猾な責任逃れだったのかは容易に理解できるだろう。教育予算を削り続け、大学での教員養成教育をさんざん手抜きした挙げ句に不祥事が起きれば「トカゲの尻尾切り」のごとくすべて末端の現場にいる教師の責任にすり替える。加えて本人の意向を無視した転勤や分掌、担当科目、専門外の部活の押しつけ…

 職場イジメが横行するブラックな学校現場は手つかずのまま放置。それでもなお退職金や年金を減らしつつ質の悪い官製の研修、研修の連打で教師の負担を極大化しようとする酷薄な教育行政がまかり通ってしまう…そんな日本の学校教育に明るい未来が訪れるはずはない。

 私の経験からだけでもこうした日本の学校教育の有り様、教育行政の貧困さが学校現場の荒廃と若者の教職離れ、学校離れを招いた最大の原因であると断言できるが、果たして皆さんはどのように思われるだろうか?

※参考動画

【日経テレ東vsヨビノリ】理系離れ食い止めろ!【93万人登録!理系教育革命】

 2022/09/05 日経テレ東大学 1:00:59

「宿題、一斉授業を廃止」で偏差値アップ、公立学校の改革が凄い 【藤原和博 &

 工藤勇一】 NewsPicks /ニューズピックス 2022/11/29 12:28

理不尽クレーム】に対応できる「魔法の言葉」とは?

 NewsPicks /ニューズピックス 2022/12/05 13:10

※参考記事

臨時講師が足りない 「頑張るほどに疲弊する」教育現場の惨状 学年を1で” “教

    頭も担任”  AERA dot. 米倉昭仁 によるストーリー  2024.5.13

 少子化の進展により近い将来、教員不足は解消される見通しなので当分の間は我慢すれば良いとする考えと職場のブラック化が教員不足の本質的原因とする考えには学校教育の問題に関する認識においてかなりのすれ違いがあるだろう。前者は文科省側の視点に立った現状認識であり、当面の教員不足の打開策としては教員試験日程の前倒し(いわゆる「青田買い」)、教員採用資格要件の緩和、教職の魅力アピール、臨任講師の確保などといった、まさにその場しのぎの表層的な政策ばかりとなる。

 しかし本当にこうした政策が妥当なものなのか、生徒たちにも議論させたい。議論のポイントは現在の教員不足の本質的な原因とは一体何なのか、しっかり考える点にある。

国立大学と私立大学の「授業料」はどう推移している?昔は今じゃ考えられない

    らい安すぎるって本当? ファイナンシャルフィールド  2023.5.16

教員志望の学生が減っている理由は 「長時間労働など過酷な労働環境」と 94%が回

    答 教員志望者減少に関する教員志望の学生向けアンケート結果   

 一般社団法人日本若者協議会 2022.4.11

なぜ教員志望の学生は減少しているのか?学生アンケート結果から #教師のバトン 

    室橋祐貴日本若者協議会代表理事 Yahoo!ニュース 2022 4/17(日)  

公立小学校教員の採用倍率、4年連続で過去最低 文科省調査

     朝日新聞社 によるストーリー   2023.12.25

 なぜ過去最低の採用倍率を更新しているのか、その理由を生徒に挙げさせてみたい。本当に民間企業の内定時期が早いことが理由の最たるものなのか、他に大きな原因は無いのか…この記事を単純に鵜呑みしてはなるまい。

主体性のある子どもを育てたいと言いながら、教員と自治体の主体性は無視する

 科省と国会 妹尾昌俊 2022 4/30(土)  18:29

「日雇いバイト」で食いつなぐ40代教員の生活困窮 月収十数万円、生活保護を受け

 非常勤講師も  東洋経済オンライン 佐藤明彦  2022/07/31 07:20 

これから会社で重要視される意外なスキルとは? 社員も会社も得する学び直しを

 現する方法 東洋経済オンライン 後藤 宗明  2022/11/04 11:00

 学校における「境界連結者」をどのように養成し、現場に送り込むか、国は大学における教員養成教育や教員採用試験の在り方を早急に見直すべきだろう。

第四次産業革命が求める人材、三つの能力 

 ForbesJAPAN 田坂 広志  2022/11/14 

 AI失業の憂き目に遭わないで済ませるには「心のマネジメント能力」、「共感・支援型マネジメント能力」、「ホスピタリティ能力」、「ファシリテーション能力」といったAIでは代替が困難な能力を身に付けるべきだという。ならば高校での学習にもカウンセリングやコーチングの内容をどんどん取り入れるべきであろう。また授業方法としてファシリテーション能力を養う上でも対話や討論を軸とした授業がより一層大切になってくるはずである。

人助けをしない日本人に「グローバル人材」は無理 英語力以前に「見識と教養」が決

 的に足りない 東洋経済オンライン 武居 秀典  2022/11/17 07:00

 日本の人々が社会貢献への意識を高め、国際社会に通用する教養を身に付けていく上で社会科教師が果たす役割は極めて重大であろう。こうした教師の背負う重い責務を考慮したとき、教職のブラック化による教師志望者の減少という現状には怒りを禁じ得ない。

子どもがこれからの時代を生き抜くために教育においてできる3つのこと

 ダイアモンド・オンライン 朝倉祐介  2022.12.8

教員が「アイドルのコンサートに行くので授業を休みます」はありか…現役小学校

 員の痛快な答え プレジデントオンライン 松尾 英明  2022.12.18

 皆勤賞をめぐる意識や有給休暇の取り方に関しては確かに大きな問題が潜んでいただろう。本来、有給休暇の取得理由は不問なのであるからどんな理由でも構わないはず。しかし酷くブラック化した学校現場では親の死による特別な休暇ですら、職場復帰時に自習監督等で迷惑をかけたことを朝の打ち合わせで謝罪し、お菓子等を全員に配布する習わしが続いていた。

 しかも自習課題を用意するため、休暇中であるにもかかわらず、早朝、来校して課題のプリントを印刷するのが普通であった。ただでさえ、病院での徹夜同然の付き添い、葬儀やお通夜などで疲労困憊しているのに、復帰後は率先して自習監督を引き受けるのが教員社会の常識であるかのような空気感がどの学校にも漂っていた。

 自分達もこれに耐えてきたのだから他者が我慢するのは当然とする教師達の人権感覚の緩さが教師間でのイジメや管理職によるパワハラを横行させ、ついには生徒間のイジメ、教師による体罰や暴言を生じさせてきた原因の一つかもしれない。

なぜ日本人は「仕事のための読書」すらしないのか…「日本人は世界一学ばない

 け者」という誤解を解く 小林 祐児 プレジデントオンライン 2023/2/17(金)

 ここでの指摘はビジネスパーソンだけではなく、高校教師にも該当する部分が多いように思える。日本では個人的な努力によって大学や大学院で教師になるために必要と思われる学習や技術をどれほど習得したとしても、それが全くといって良いほど教員採用試験では評価されず、その後のキャリア形成にもまったく結びつかない。そもそも、赴任先の人事にすらほとんど影響を与えていない。

 たいていの場合、次年度に担当する部活や科目は教師の専門性などはわずかしか考慮されず、学校現場の都合によってほぼ一方的に決定されているのが実情なのだ。つまりジェネラリストの養成を前提にして企業の人事が成り立ってきたように、学校でも専門性よりは服従的で使い勝手の良いジェネラリストが求められてきたと言っても過言ではない。

 他方で高校教師は教科教育の専門家としてのみならず、世間的には各種運動部、文化部の指導においても高い専門性を求められてきた。加えて近年では不登校やいじめ問題の解決、貧困問題、進学・就職指導、保護者への対応など心理カウンセラーや進路カウンセラー、ソーシャルワーカーとしての能力まで期待されてきている。

 教育行政側は人事や待遇面で教師の専門性を完全に軽視しているクセに、これだけ多種多様で高度な専門性を、残業代もつかない安月給の公務員に要求してくるのだから厚かましい限りである。しかも幸運にも幾つかの専門性を身につけられたとして、それが人事考課や次年度の人事に結びつくとは限らない。コネやゴマすり、学閥などの方が出世にはよほど有効だろう。

 なので管理職を目指さない限りは専門性を身につけるインセンティブなど十全には働かなくなっている。また、たとえ教員側にやる気があったとしても、残念ながら真面目で有能な人ほど瞬く間に多種多様で難易度の高い仕事が集中してくるため、あっという間に潰される。真面目な教員ほど体力と気持ちがたちまちのうちににすり減ってしまうのだ。

 つまり学校に必要とされる教師ほど早めにバーンアウトしやすくなっているのだから、まさに 「やってられない」・・・これが今の教師たちの本音であり、絶望感の源泉にある感情であろう。

日本人の仕事満足度「わずか5%」で世界最低!賃上げの他に必要な改革とは?

 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫 によるストーリー  2023.6.27

 世界最低の仕事満足度を記録している日本の経済界の低迷ぶりは、おそらく児童生徒に対して世界最低レベルの授業満足度しか与えてこられなかった日本の学校教育と連動しているはず。高度成長期のモデルを性懲りもなく使いまわしている日本の企業と学校…ひたすら改革の足を引っ張るだけの「老害」政治家と企業経営陣と教育行政、学校管理職。これらが三つ巴となって日本の進歩を阻害し、青少年の自尊心と幸福感の低下を招いているのではあるまいか。

地域によっては新採用教員の大学偏差値が50を切る日本が"教員の質低下"を避

 られない構造的原因 プレジデントオンライン 藤原 和博 の意見  2023.6.14

【日本軍の敗因】「悲惨な結果を生むリーダー」7つの共通点

 ダイヤモンド・オンライン 書籍オンライン編集部 によるストーリー  2023.7.4

 先の大戦における日本軍の敗因を探る中で日本人が伝統的に抱えてきた7つの「失敗の本質」が見いだされるという。軍隊と学校とは日本の富国強兵化、近代化を推進するための車の両輪であり、両者は兄弟のように近しい関係にあるとされている。したがって、以下の7点は学校という組織にもほぼ共通する大きな弱点であると考えても差し支えないだろう。

  ① 「戦略性」──俯瞰的な視点から最終目標への道筋をつくれない

  ② 「思考法」──革新が苦手で錬磨と改善が得意

  ③ 「イノベーション」──ルールをつくり出せず既存のルールに習熟する

  ④ 「型の伝承」──創造ではなく「方法」に依存する

  ⑤ 「組織運営」──勝利につながる現場活用が苦手

  ⑥ 「リーダーシップ」──現実を直視できず、環境変化に合わせて判断できない

  ⑦ 「メンタリティ」──「空気」と同調圧力、リスク管理の誤解

 実際、太字にした部分などは日本の学校にもズバリ当てはまる組織風土に思える。現在の急速な技術革新にともない、柔軟で斬新な人材育成策が求められる中で、日本ばかりが多くの場面で世界に遅れをとってしまう大きな原因が企業社会だけではなく、日本の学校教育にもあることを示唆していると考えるが、いかがか。

 ブラック校則をいつまでもはびこらせ、相変わらず鍛錬を軸とした部活動や学校行事、個性や多様性を犠牲にした画一性の強要などを温存してきた学校教育の頑強な保守性は、日々の革新を迫る、変転目まぐるしい現代社会との間に大きな齟齬を生み出してきていると考えられないだろうか。

 もちろん学校教育に関わる法制度の見直しや文科省や教育委員会の組織改革だけでは学校を変えることが出来ない。学校教育の改革を実効あるものとするには現場における改革の担い手たるべき教師自身の改革が伴っていなければならないはず。まずは教師の意識や能力、技術、適性の見直しが必須となる。

 すなわち大学における教師養成教育の抜本的な改革(一斉講義形式からの脱却を目指すべく、探求型の個別学習・グループ学習や実験・調査・討論を軸とする授業力の養成を軸とする、今以上に実践的で充実したカリキュラムを大学では組むべきである)を基本的な前提とする包括的な観点からの法制度や組織などの見直しが行われる必要があると考えるがいかがか。

じつは「日本だけ」だった…海外とあまりに違う「日本の職場の特徴」が意外だ

 た 『日本社会のしくみ』現代ビジネス 小熊 英二 の意見 2023.7.5

 「個室と大部屋」に関する論考は高校の大職員室制や学年室常駐制と教科準備室制とに対応するだろう。大職員室制を採用する学校は義務教育の学校や生徒指導が困難な高校に比較的多い。教育困難校では学年室常駐制を採用するケースもかなりみられる。

 一方、教科準備室制を採用する学校は進学校に多い傾向がある。大学における教師養成教育が不十分な日本では新採用の教師に決定的な影響を与えるのは大学での講義ではなく、もっぱら初任校における準拠集団である。主にどの集団に属して多くの時間を過ごすか…これによってその後の教師生活はかなり方向づけられる。

 教科準備室にいる事が多い進学校に配属された教師は勢い、授業重視の教師文化を身につけ、専門科目を中心とした授業準備を念入りに行うようになる。

 しかし大職員室や学年室に常駐する教師は遅刻指導や学年の仕事、部活動の仕事といった授業以外の雑務に振り回されがちで管理職や主任、先輩教師からの助言と称する介入も頻繁に行われる。同調圧力がそこでは強く働くのだ。勢い新任教師は授業準備以外の仕事にも追われ、学校行事や部活指導、生徒指導をメインにする傾向が強くなる。

 そして進学校の数が少ない首都圏の公立高校では教師として最も重視されるべき授業力は二の次となり、むしろ生徒指導や部活指導の力が重視されがちになってしまう。体育科の教師に管理職志向の強い人物が多く、実際、管理職が多い傾向がある背景にこうした状況があるのではないか。

 日本企業は多くが大部屋であり、新入社員には専門性を強く求めず、交換可能で使い勝手の良いジェネラリストであることを求められる。これに対応して大学でも仕事の高度な専門知識・技術を養成する意識は低く、あくまで学者の養成を念頭に置いた学問的な講義ばかりとなりがち。

 したがって日本では長期にわたって専門の職務に専念し、仕事のレベルアップをはかるという欧米型、ジョブ型の勤務が最初から条件的に難しい。また採用選考時も大学での専攻や学位についてはほとんど重視されず、学校歴、サークル活動や学外でのボランティア活動などが注目されてしまう。

 つまり日本の学校組織の文化と企業組織の文化とは極めて共通する要素が多いのだ。日本の大学での教師養成教育が授業実践の面では教育系大学あるいは教育学部ですら極めて不十分であるのもこれで首肯できるだろう。だからこそ大胆な授業改革が求められる現在、授業実践力の向上を軸とした大学における教員養成教育の、より一層の充実が必要不可欠だと私は考える。

全国で「潜在」教員発掘 不足解消へ企業と連携

      共同通信社 によるストーリー   2023.11.3

    付け焼刃の弥縫策ばかりやっていても無意味であろう。文科省が本気でこれまでの政策を反省し、新たな観点から現場の実情に根差した学校改革を行う姿勢を明示することからしか、新しい時代は始まらない。

 しかしその姿勢が微塵も見られない今、敢えてブラック職場に身を沈めて「火中の栗を拾う」ような危険を犯す若者は少ないに違いない。このままでは次年度以降も教員不足の解消はおそらく無理と考える。

「やっぱり日本で教師は無理だよ。こんなブラックなのは無理だよ」やる気に満

 た大学生が教育実習で絶望 専門家「法を変えるのが一番」

 ABEMA TIMES によるストーリー  2023.11.16

 教師の劣悪な労働環境の改善は確かに急ぐべきであるが、ことの本質はおそらくそこにはあるまい。行き過ぎた画一的管理主義的学校教育の在り方そのものを問う必要がある。

 かなり以前から教師たちの置かれていた環境は劣悪であったが、その実態がいつまでたっても世間に知られてこなかった背景をこそ問うべきなのである。おそらくはジャニーズ事務所での性加害問題と同類の、日本の公教育界がはらむ根深い隠蔽体質に守られてきた悪しき伝統が今、厳しく問われなければなるまい。

 「教師のやりがい」などという美名に隠されてしまいがちな、公教育が本質的に抱える悪しき側面にも、今こそ目を逸らさずにきちんとメスをいれるべきだと思うが、いかがか。

 もちろん官僚制の機能を全否定するわけではない。国家のため、公共のための教育を全否定するわけでもない。「行き過ぎた官僚制」がもたらす弊害、すなわち個の尊厳と自由を激しく脅かし始めている、あまりにも行き過ぎた画一的、管理主義的公教育を問題視しているのだ。

 すべては自由と平等とのバランスの問題であり、見かけの平等ばかりが重視されて個人の自由が侵害されている…すなわち双方のバランスが日本の場合、極端に崩れてきていることを問題視すべきであろう。

 公平性、平等性を盾にとって個人の自由や個性を一方的に侵害する傾向が著しい日本の公教育の悪しき側面の改革を抜きにしては、教師がおかれている環境の改善だけに問題が矮小化されてしまいかねない。教師不足の解消という、ただのその場しのぎの弥縫策に議論が終始してしまうおそれがあるのだ。

 たとえば教師不足が一時的に解消されたとしても不登校やイジメの問題が本質的に改善するとは到底、私には思えない。教員定数の充足によって多少、教師の目が隅々まで行き届くようにはなるだろうが、そのことが管理主義を隅々まで行きわたらせることでかえって学校生活を窮屈にしてしまい、児童生徒の居場所をなくすことにもつながりかねないとさえ、私は危惧している。

 他の投稿でも再三指摘してきたように日本の教員養成教育は教師の採用方法を含めて極めてお粗末であり、不登校やイジメ問題に十分な対応ができる教師の養成と教員組織の体制作りに関してはこれまでも明らかに失敗し続けている。

 そもそも、不登校やイジメ問題の原因は学校現場のブラック化だけではあるまい。硬直化した教育行政のシステムに加え、教育の方法論や学習内容自体の問題(画一的で管理主義的な要素)が学校での諸問題の発生において少なからぬウェイトを占めているはずである。

 つまり現在、生じている種々の学校教育の問題は日本の場合、戦後の公教育のみならず、近代国家における公教育の在り方全体が制度的な限界を迎え、根本から見直されるべき危機的フェーズに達していると私は考えているのだ。したがって「教員不足の解消」という小手先のごまかし戦術は問題解決の先送りであり、あまりに表層的過ぎる泥縄式の弥縫策なのである。

 この段階に至っては「教師のバトン」などという妙に耳障りの良いキャッチフレーズを用いて教師のやりがいをアピールする文科省や教育委員会での教員集めの手法はもはや悪質な詐欺商法まがいの卑劣さをはらんでいるとさえ、私は感じている。

 たとえばブルシット・ジョブの拡大再生産を続ける、文科省を頂点とした中央集権的教育行政の在り方を土台から見直さない限り、部活動の民間委託程度では学校のブラック化を本質的にはくい止められまい。長い目で見ればそれだけでは一時的な効果にとどまり、たちまちのうちに新たなブルシット・ジョブの拡大再生産が上意下達式に復活するだけであろう。

 地方に丸投げして責任ばかりを押し付ける文科省の無反省なこれまでの姿勢を変えない限り、事態は一向に改善しそうにない…

 さて、皆さんはどう考えるだろうか。

参考記事

〈教育困難校の実態〉同級生へのストーカー、食事を与えられず校庭の草を食べ

 る…教師も対処に困惑する発達障害と家庭問題を抱える生徒

 集英社オンライン 2023.12.16

 公立高校の学校間格差が極めて大きいことは残念ながらこれまで世間的には十分知られてこなかったように感じている。公立中学校と同じ感覚で高校を捉えてしまいがちな現今の世論の傾向は高校教育に対する大きな誤解を生んでしまう可能性があるだろう。一方で中学校の場合には多少の地域間格差は認められるものの、高校ほどの学校間格差は大きくない。この記事にあるように公立高校の場合、学校間格差の大きさは中学校の比ではないのである。

 しかし公立高校の場合、職業高校、定時制や通信制などを除くとすべての全日制普通科高校はあたかも学校間格差が存在しないかのような、一見すると「公平」極まりない待遇となってきた。発達障害、貧困、DVの問題を数多く抱えた生徒たちが大勢集まる教育困難校と学習意欲の高い、比較的恵まれた家庭環境で育ってきた生徒が大勢集まる有名進学校とでは授業一つとっても教師の仕事量と激しさ、厳しさの程度には大きな差が生じているのが現実である。にもかかわらず、学校に配置される教師の定数に学校差はほとんど反映されないのが実情であろう。しかも困難校や進路多様校の経験が一切、無い人物が平気で困難校や定時制、通信制の校長となって赴任してくるような、教育委員会のいい加減で学校破壊的な人事にもカッパは大きな疑問を感じるざるを得ない。

 確かに進学校、中位校、困難校それぞれにタイプの異なる仕事が持つ特有の難しさがあるのは認めるが、授業中ですら頻繁に生徒指導に追われる困難校での困難さと常時、ほぼほぼ学習指導だけに専念できる進学校での困難さには大きな質と量の違いがある。同じように就職から進学まで手広く指導する必要のある進路多様校の学力中位校と進学指導に絞り切って取り組める進学校とでは進路指導上の煩雑さにも大差が生じている。教師の負担に学校の種別間で大きな格差がある厳粛な事実は今まであまり世間的に認知されてはこなかったが、良く考えれば当然の現実なのである。

 多くの教師の出身校が全日制普通科の進学校であることを考慮に入れれば、現状の大学における教師養成教育の不十分さは誰でも理解できるのではあるまいか。本来ならば大学での高校教師養成教育は教育困難校を念頭に置く授業の在り方や学級指導の在り方を教えることを専門にする講座、及び多様な進路希望に応えられる進路指導の在り方を教えることを専門にする講座を必ず設置すべきだろうし、その講座を必修とすべきだろう。当然、定時制や通信制高校の特色程度も大学で一定程度、必ず教えられるべきであろうが、大学の講座にそうした内容の講座が必修化されているのをカッパは聞いたことが無い。

 どうやら大学の教員養成教育の実態は高校の実情とはかけ離れた空疎な内容に終始しているのではあるまいか。教育法規や教育哲学が無用というわけではない。しかしそれらと同様に、学校現場の実態を知り、学校タイプ別の指導方法や授業の在り方を模索する、より実践的な講座が大学での教員養成には不可欠のはずである。それらの講座が十分な数、設けられていない大学に高校教師の免許申請を可能としている現状の制度の方が異常なのだ。

 実際に大学で教鞭をとる先生たちに教育困難校や進路多様校の実態を踏まえた実践的な指導ができる人がどれほどいるのか、管見ではあるが、極めて怪しい限り。大学の授業はあくまでも教育学という学問の手ほどきであり、実践的な知識や技術は二の次と考えている、研究重視の大学教師は残念ながらいまだに決して少なくあるまい。しかし教育学者の養成講座に終始しているような授業は教師志望者にとってほとんど無益であろう。教育困難校という戦場並みの厳しい教育現場に何一つ実践的な武器を持たない新人をいきなり放り込むような、無責任極まりない大学教育、そして惨い教員養成制度を日本はいつまで許容し続けるのだろう。

 そもそも小学校や中学校における義務教育ばかりを念頭に置いた講座が教員養成の中心にのさばり、学校間格差の大きい高校の実態を十分に視野に入れていない貧弱なレベルの教育課程しか用意できない国立大学の教育学部も全国には少なからず存在するのではあるまいか。学校現場の実情を十分に踏まえた、現実的で実践的な教員養成教育を各大学はしっかりと用意すべきであり、それは教員養成に関わる高等教育機関としての当然の義務ではないのか。

 カッパは大学での教員養成教育の貧弱さを今はもう廃止された教員免許更新講習で十二分に目の当たりにしてきた。この程度の教育内容では学校現場へのリアルな心構えすらまともには身につくまい。困難校に赴任した新人教師が精々出来る事といえば必ずしも質を保証できない先輩教師たちによる当てにならない指導、助言とお粗末な官製研修による偏った洗脳によって悪しき学校文化の継承者になることくらいが関の山ではないのか。

 以上、長々と厳しめに指摘してきたが、近年、教師の中途退職、休職が増加し、教職志望者が減少する教育危機の背景に、実は大学側のカリキュラム上の大きな欠陥と教員免許状取得資格の制度的不備が大きな一因となっている側面があるとカッパは考えている。この問題は相当深刻であり、喫緊の課題だと思うが、いかがだろう。

その1.修学旅行と沖縄観光(前編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

  

 21世紀に入る頃から関東の高校では沖縄修学旅行が急増してきました。それまで東日本においては京都、大阪、奈良、兵庫(多くは神戸)の近畿圏かスキーを軸にした東北、北海道方面が旅行先としては圧倒的だったように記憶しています。なぜ、近年の旅行先が沖縄に集中し始めたのか?いや、そもそも修学旅行に行く必要はあるのか?欧米の学校はどうなっているのか?その辺りから見直してみましょう。まずは沖縄の美しい海をドローンで鑑賞し、南国気分を味わってみる事から。

【ドローン絶景/空撮】沖縄・古宇利島の夕日「OKINAWA-Remote island of  Okinawa 」2016/12/21 2:55

 中頃には万座毛のシーンもあるので、テーマとは違って古宇利島のみの撮影ではな

いようです。さっと手早く沖縄の絶景ポイントを海辺中心に上空からドローンで眺めたい方にはお薦めの動画。沖縄修学旅行への期待感を高める上でも役立つかも。

【日本地理】沖縄県民以外激ムズ!沖縄あるある42連発【ゆっくり解説】

   日本地理おもしろ特捜部【ゆっくり解説】 2024/09/23 23:18

   沖縄の特色を分かりやすく、かつ多面的に紹介しており、沖縄関連の授業を始める導入部にオススメ。ただし、視聴時間がやや長めなので、時間が十分とれない場合はウチカビを紹介する「12:33」まで視聴し、残りは視聴プリントで要約して紹介すると良いだろう。また教師側にある程度の知識があらかじめ必要となる箇所があるので、適宜、補足説明が出来ようにしておきたい。

【思わず納得】他県民が『コイツ沖縄県民だな』と思う瞬間【地理ふしぎ】

   地理ふしぎ発見【ゆっくり解説】2024/12/31  19:28

   他の動画にない、新鮮な切り口で興味深い内容。沖縄旅行の引率教師としては予め視聴しておいた方が良いだろう。

東大超え"謎"の理系集団「OIST」大学に迫る。最先端がん研究、死なない生き物ま

  で、驚きの研究が続々登場!ホリエモン/佐藤真希子/神谷明采【HORIE ONE×

  イクマネーサバイブ】NewsPicks  2024/10/29  10:15

 文科省ではなく内閣府配下にあり、学生、教員は外国人が多くを占め、学部が無い。基本的に理系であるにもかかわらず女性の博士課程在籍者が4割も占めている世界最先端の研究機関。それが沖縄の恩納村にある意義は決して小さくはない。

   世界が沖縄に注目するきっかけにもなりうる、日本で最もユニークな学校が沖縄にあり、かつ文科省の配下に置かれていない点にも注目したい。

 生徒にはなぜこのような先進的な研究機関が文科省の配下に置かれず、東京にも置かれなかった理由について、まず推理させてみたい。沖縄学習の先頭に、意外なほどに豊かな沖縄の将来性についてあらかじめ気付いておく事は沖縄学習を今後、展開していく上でも極めて意義深いと考える。

沖縄移住が最悪な理由 2024.6.22 0:59

 この手の動画は一方的に沖縄をディスるものが多いように感じるが、この動画はそれなりにバランスが良く、「娯楽が少ない」の一点を除けば他はかなり正鵠を射ていると思うが、いかがか。

   「沖縄観光」をテーマにする際に沖縄の魅力を発信することがメインになるのは当然のことだが、「沖縄学習」をテーマにするならば沖縄の明と暗を冷静に浮き彫りにする必要があるだろう。その点で、この動画はショートであるため、極めて要領よくまとめてあり、授業で視聴するには大変便利。

 まずは早めに視聴して、バランス感覚を整えておきたい。

参考記事

「平和なときに戦争は準備される」 80年後のいま「戦後」は「戦前」になったの

   か【報道特集】 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.6.29

   沖縄国際大学の石原昌家名誉教授によると…

      沖縄戦開始の7か月前。沖縄に着任した牛島満第32軍司令官は早速すべての兵団

   長にこう訓示したという。

   ・現地物資を活用し一木一草といえどもこれを戦力化すべし

   ・地方官民をして喜んで軍の作戦に寄与し進んで郷土を防衛するごとく指導すべし

      さらに、極秘の印が押された県民指導要綱に示した大方針が「軍官民共生共死の

   一体化」であったという。

      沖縄戦での住民の犠牲者数の多さを解き明かす、第32軍の方針であろう。摩文仁

   で自決したことをもって牛島司令官らを美化しようとする動きが「内地」を中心に

   相変わらず続いていることに苛立ちを覚える。せっかくの沖縄修学旅行も、ナイチ

   ャーの沖縄戦への認識を深める点に関しては何ら貢献できていないようだ。修学旅

 行の事前学習が多くの場合、極めて不十分なものであることを痛感する。

      ただし軍のこうした方針は沖縄だけに限られたものではない。小磯内閣が打ち出

 した一億玉砕の覚悟で臨む本土決戦の方針と牛島司令官の方針とは見事に調和して

 おり、牛島司令官の方針は決して政府の方針から逸脱したものではない。

  本土決戦時におけるアメリカ軍の有力な上陸候補地の一つと考えられていた千葉

 県では消防や青年団、学校などがことごとく臨戦態勢下に置かれ、郷土防衛隊とし

 て戦場に立たされる予定であった。仮にアメリカ軍が九十九里浜に上陸すれば、千

 葉県民の犠牲者は沖縄のそれをはるかに上回っていた可能性は極めて高いだろう。

  帝国臣民であるならば沖縄のウチナーに限らず、臣民すべて国家の指令にひたす

 らなびく「民草(たみぐさ)」に過ぎず、一旦、緩急有れば天皇を守る「醜(し

 こ)の御楯(みたて)」に過ぎなかったことの罪深さについて私たちはしっかりと

 理解しておくべきだと考えるが、いかがか。

  帝国臣民がすべて「天皇の赤子(せきし)」である、との観点ばかり強調して天

 皇の「慈愛」に満ちた「一視同仁」の思し召しにわけもなくありがたくひれ伏し、

 感激するだけのネトウヨの軽薄さに乗っかっている場合ではあるまい。      

沖縄差別の上になりたつ東京の平和な空 基地をめぐる沖縄と本土の温度差は無自覚

   で残酷 AERA dot. 安田浩一 によるストーリー  2023.10.3

 この観点は沖縄を学ぶ際に最も重要なものだと考える。観光地としての沖縄が大好

きなヤマトンチュは数多いが、沖縄に偏見を持たないヤマトンチュは未だに極めて少ないのではあるまいか。沖縄学習を始めるにあたって沖縄への偏見の有無を自らに厳しく問いただしておくことは沖縄学習最初の作法として真っ先に終わらせておくべきだと考える。

   少しイジワルな展開になるが、「ドローン絶景…」をまず視聴させて、観光気分を煽っておいてから、この記事を要約したものを読ませたい。生徒各自が沖縄への偏った見方を共有している事実に気付かないままであると、この後の沖縄学習は「修学旅行」の名にそぐわない、ただの観光旅行として沖縄の観光地としての表層を滑り続けることに終始しかねないと思うが、いかがか。

 しかしこの記事に対してはもう少し突っ込んでいく必要もあるだろう。本当に日本の現状は「沖縄差別の上になりたつ東京の平和な空」という、ある意味生ぬるく感じられる表現の仕方で良いのだろうか。

 実はかなり疑問符のつく表現なのである。この表現に対するモヤモヤ感はおそらく東京および東京周辺に配置された米軍基地の役割を考えてみれば少しスッキリするかもしれない。

 首都東京は米軍が横田基地(東京)によって首都圏の制空権を、神奈川の横須賀基地、厚木基地によって東京湾の制海権を、同じく神奈川の座間基地によって首都東京の陸上の要所をほぼ完全に握れる状態にある。これに対して日本の自衛隊はアメリカの領土内に自らの基地を一箇所たりとも所有していない。

 これは軍事的に見れば日本がアメリカに一方的に隷属している事を意味するだけではない。実は米軍基地問題が沖縄だけのものではなく、ほとんど大差ない程度に首都東京の問題でもある、すなわち日本全体の重大な問題であることに人々は本来ならば気付くべきである、ということを示唆しているのだ。

 したがって本来ならば米軍基地問題に対して同じ立場にあり、ウチナーと共闘できるはずのヤマトンチュがなぜ沖縄の米軍基地問題をあたかも他人事のようにとらえがちになってしまうのか、その背景にもしっかりと迫る必要があるだろう。

 多くの日本人が沖縄の基地問題を自分事として自覚できないのは一体なぜなのか、沖縄の人々への偏見・差別感の残存がそのこととどうかかわっているのか、これは一種の分断統治なのではあるまいか…こうしたことこそが米軍基地問題に対して私たちが考えるべき最重要ポイントの一つなのではあるまいか。

 すなわち日本の学校教育、とりわけ「臭いものに蓋」をしがちな検定教科書の記

述、とりわけアメリカに忖度しがちな日本の政治経済、日本史の教科書における表現の仕方に大きな落とし穴があるのではないのか。

 試しに生徒たちに以下の質問をして挙手させてみたらよい。

 「過去、日本は他国から占領されたことは一度もない…イエスかノーか」

 おそらく沖縄ではほぼ100%の正解となるだろうが、東京都ではどうだろう。80%以上正解できたならそこそこの高校であると思うが。私の教育困難校(千葉県)での経験では6~8割の正答率であった。また日本がアメリカという国に占領されていたことを知っている率はだいたい5~6割前後に過ぎなかった。まして日本国憲法がアメリカの占領下で制定されていることを知っている生徒はせいぜい2~3割に過ぎない。

 横田基地、横須賀基地、厚木基地、座間基地の存在や自衛隊基地がアメリカに存在しない意味についてわずかでも自分の意見を持つ生徒は中程度の進学校でさえほぼ皆無である。そのことの重大さを自覚できている社会科教師もまた決して多くはないであろう。

 安全保障の観点から見れば沖縄の基地問題は実際、米軍基地以外のものに目を奪われやすい東京よりもはるかに目に見えて分かりやすい。つまり日本が今もアメリカの巨大な影響下にあることは沖縄に行けば一層明確になるだろう。だからこそ、沖縄修学旅行が持つ政治的意義があるわけだが、アメリカによっていまだに首都東京の喉元にナイフを突きつけられた現在の日本の姿こそ、本来は国民としてしっかりと自覚すべき戦後日本の悲しい現状なのだと思うが、いかがだろう。

 

沖縄のATMには「二千円札優先ボタン」があるほどなのに 唯一新紙幣にならな

 かった「二千円札」 【琉球放送】RBC NEWS  2024/07/02 5:51

 沖縄における2000円札の価値、意義とは何なのか、そのデザインと発行の経緯などから生徒たちに考えさせたい。

【沖縄観光NEWS】2023年11月12月の沖縄を最高に楽しむならこちら!気温•

   服装グルメおみやげ観光などたくさん紹介するよー!

   阿波根あずさの沖縄観光チャンネル 2023/11/10  28:52

Spirit of Okinawa: 50 Years Since its Reversion

 JIB - Japan International Broadcasting  2022/06/14 27:59

 沖縄への理解を深めてもらうために外国向けに作成された動画。字幕には少なから

ず間違いがあるので生徒に視聴させる場合には注意が必要。ただ、教員が沖縄の概略を要領よく知るには最適の動画だろう。

Q.沖縄と聞いて真っ先に思い浮かぶのは何?

※沖縄入門書として「歩く・知る・対話する琉球学~歴史・社会・文化を体験しよう~」(松島泰勝編 

 明石書店 2021)がオススメ。沖縄の習俗、芸能、食文化、物産、琉球史などを手早く知るには

 「沖縄の神と食の文化」(赤嶺政信監修 青春出版社 2003)が重宝する。

万国津梁 琉球王国の歴史

 【公式】おきなわ彩発見NEXT  2023/07/26 11:00

 やや堅苦しいが、沖縄の歴史と文化を理解するには役立つ。

RBC NEWS「HOPE50 「琉球切手」が映すもの」2022/02/01

 【琉球放送】RBC NEWS  2022/02/01 8:22

沖縄燦燦(沖縄版ミュージカル)

 【劇場は命薬】ACO沖縄 公式 channel  2021/05/12  11:16

 沖縄の伝統芸能入門にあたるミュージカル。ところどころ民謡「谷茶前」(たんちゃめ)節」、童歌「赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)」、組踊(くみおどり)などの場面を入れながら全体を一組の男女の恋物語にまとめている。

 沖縄の芸能を楽しむなら舞台『沖縄燦燦』がオススメ!ヒロインの上原唯さんにインタビューして

       みました!阿波根あずさの沖縄観光チャンネル  2023/10/20  12:41

沖縄】ミュージシャン、タレント…数々の芸能人を輩出する理由【山田玲司/切り抜

 き】山田玲司の原作が10倍おもしろくなる解説 2022/07/26  9:18

 この観点はユニークでかつ重要。生徒も興味を持ちやすく、とっつきやすい内容な

ので沖縄学習の導入に持ってくるのにウッテツケ。

【沖縄】アナタにはわかる!?激ムズ沖縄弁【秘密のケンミンSHOW極公式|2022

 年7月7日 放送】【公式】 2022/12/23 8:45

 沖縄の方言で特に誤解されやすい言葉遣いを紹介しており、沖縄への興味・関心を

高めるにはもってこいの動画。

【アフレコ】鏡よ鏡 沖縄の地名 編 まとめ +オマケ【 沖縄方言 すぎる 白雪姫】 

   rain@沖縄方言で歌ってみた  2024/07/06 5:32

【アフレコ】鏡よ鏡『沖縄の名前編』 まとめ +オマケ【 沖縄方言 すぎる 白雪姫

   】rain@沖縄方言で歌ってみた  2024/02/17 4:35

 以上、二つの動画は沖縄の地名、人名の本当の読み方が実はかなり難しいことを面白おかしくかつキッチリと分からせてくれる。二つともぜひ視聴させたい。

【アニメ】琉球タイムライン -未来少女と古(いにしえ)の王- 【沖縄県 浦添市】

 浦添市観光協会うらそえナビ  2021/03/08 8:47

【アニメ】琉球タイムライン2 -てだこのまち探訪- 【沖縄県 浦添市】

 浦添市観光協会うらそえナビ  2022/02/21 10:02

 沖縄の歴史を尚巴志による三山統一の直前まで遡り、明との交易で栄えた察度王 

(14世紀末)の時代を分かりやすく理解できる。やがて東南アジアと東アジアとの仲介役を果たし、南蛮貿易にも関わった琉球の繁栄の基は天女の子との伝説が残る察度王の決断によるところが大きいだろう。

 察度王と女子高生あかりがお互いの時代にそれぞれタイムスリップするという設定のアニメで親しみやすい。首里を中心とした尚氏王朝の直前までは浦添が中山国の中心であったことは知っておいても良い。浦添グスク、前田高地を見学するなら必見。

LIFE IN OKINAWA | 沖縄の生活空間

 2017/05/09 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー 12:11

 外国人から見た沖縄:「東洋のハワイ」、「楽園」、「人が優しい」、「ゆったりとしていてリラックスできる」、「安全」、「海が美しい」、「山もある」、「スーパーやショッピングモールが多くて便利」、「外国人への偏見が少ない」、「空気がキレイ」、「モノレールやバスなどがあるので移動が便利」

琉球王国の建築技術が詰まった『築300年超の仲村家住宅』 その文化的価値と建

   築的価値とは 【琉球放送】RBC NEWS  2022/12/01 5:51

沖縄そばの日 かつて”そばの名称”禁止されたこと(沖縄テレビ)

 2022/10/17 OTV沖縄テレビ 1:48

 沖縄そばの呼称が禁止されていたことに驚く。今や沖縄を代表するソールフードの

一つとしてすっかり定着した沖縄そばだが、歴史はさほど古くない。

沖縄県の基礎知識

 2012/04/06 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー 6:58

 やや古いが沖縄の概略を知るにはこの動画

【危険度MAX】知らないとヤバい!?沖縄の海に潜む危険な生物!

   根間ういちゃんねる【おきなわ部】 2024/04/16  8:53

 修学旅行中、海岸での自由行動や釣り等の予定がある場合は、必見の動画。

沖縄修学旅行の学習効果~先生の声・生徒の声~

 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー  2012/04/07 8:05

 これも古いが、事前学習の最初に見せる動画としては悪くないだろう。

おきなわ修学旅行「沖縄を知る ~自然・環境編~」

 2019/05/07 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー 5:09

 沖縄の亜熱帯の自然を短時間で知るにはこの動画

AKISAMIYO事前学習動画 東村観光推進協議会 2023/01/26 12:29

 世界自然遺産に指定されたヤンバルの森の素晴らしさと現状での課題や自然保護の

取り組みを把握するならこの動画。

「それは一生の思い出になる体験」ひがしの民泊 東村修学旅行民泊の下見動画 

   東村観光推進協議会  2019/04/08 7:50

 ヤンバルの魅力や体験学習の内容を知るならこの動画。

沖縄で世界旅_4min 2022/02/03 

 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー4:08 

 インターナショナルな沖縄の良さを感じさせたいならこの動画

沖縄修学旅行 歓迎動画~皆様を沖縄でお待ちしております~

 2021/12/14 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー 2:59

おきなわ修学旅行「沖縄を知る ~産業編~」

 2019/05/07 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー 6:12

 沖縄の産業の特色、概略を知るにはこの動画

おきなわ修学旅行「沖縄を知る ~歴史・文化編~」

 2019/05/07 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー 6:00

 沖縄の歴史文化の概略を知るにはこの動画

参考記事

TBS「歴史的背景についての十分な検討ができておりませんでした」 沖縄出身俳優

 に「方言禁止記者会見」 バラエティ番組が物議

 まいどなニュース によるストーリー 2024.1.23

 議論のたたき台にはうってつけの記事。まずは方言と標準語との歴史的関係を知りたい。さらに島言葉、ウチナーグチが学校教育でどう扱われたのか、現状の使用状況はどうなのか、方言は今後とも必要なのか、問うべきポイントは多いだろう。まずはこの番組についてどう思うのか、アンケートなどで生徒たちの考えの趨勢を把握したい。そしてアンケートの結果を踏まえて議論に持ち込みたい。

 

 唄から入ると抵抗感無く沖縄の世界に溶け込みやすいだろう。そこで・・・

沖縄修学旅行事前指導の授業導入例:「ウチナーポップの世界より」を次回配信。

 

その4.安保体制と基地問題 ①沖縄の戦後と日米関係

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

参考動画

フェンスの向こう側 ~在日米軍基地の今~【ニュース ジグザグ】

    読売テレビニュース 2025/05/17  12:07

 戦闘機のパイロットが着用するヘルメットの価格が6000万円ほどという事に驚かされる。基地内の様子を多少、知ることが出来ると同時に、沖縄県民の基地に対する思いに世代間の違いが若干みられる点も興味深い。基地内の小学校が3校もあり、一クラス15人程度の少人編成である点など、随所に日米の差が伺われ、基地問題の導入の際に視聴させると学習内容の発展性が期待できるだろう。

平和教育アンケート30年 戦後80年 高校生 歴史との向き合いは(沖縄テレビ)

    2025/6/04 沖縄ニュースOTV 2025/06/05 4:08

 平和教育の発展を妨げているのは各学校や教師の怠慢ではなく、もっぱら文科省や教育委員会による授業内容への過度の統制、制限ではないのか。事実として確定した過去の出来事、沖縄戦のみを学ぶ…という発想では今、話題となっている問題への児童生徒の興味関心を惹きだすことが極めて難しい。未来を生きる児童生徒の関心を惹きだすには現在、直面しているホットな課題から迫る必要があるだろう。そして沖縄においてのそれは基地問題であり、尖閣問題なのである。

    しかしこの問題を公教育で扱うには、文科省や教育委員会、管理職からの指導や管理といった横やり、介入の危険性が大きい。また教師側にもかなりの知識と授業力を必要とする。ゆえにともすれば実際の授業の中では敬遠されがちな話題となっているのではあるまいか。

    しかし知識の詰め込みや画一的一斉講義形式の授業から脱却する上で、現在、話題となっているテーマを扱いにくくしている教科書検定制度や教育内容の見直しは不可避の課題であろう。また児童生徒の授業参加度を高めるうえで議論を軸とした授業展開とそれを可能とする教師の力量が必須となるはず。とすれば授業力向上につながる大学での教員養成教育の充実がまずは求められるはずである。

"核"の最前線だった沖縄(沖縄テレビ)2025/6/03
    沖縄ニュースOTV 2025/06/04 8:05

 沖縄における核ミサイル配備について短時間で概観したいのなら、この動画が便利だろう。ただしミサイルの誤発射事故など、沖縄の住民を脅かした恐ろしい過去については別の資料を用いる必要がある。

【闇が深い】「禁断の質問」をした結果、大臣の様子がおかしくなる【最新国会】

   大石あきこ 国会質問 (2025年3月12日15:05頃~文科委員会)

   山本太郎 on the BEAT【切り抜きch】2025/03/13 15:35

   国会における政府側の答弁がいかにはぐらかし、誤魔化しばかりであるのか、高校生ならばよく分かる事例となるだろう。特に文科省の官僚の答弁がまさに官僚らしさがにじみ出ていて面白い。この程度だから日本の教育が危機的状況に直面しているのだろう。

発見された古墓、日本軍壕の姿は… 空自那覇基地内の発掘調査

   琉球新報 2022/12/23 3:47

   基地内であったために遺跡が破壊されずに済んできたという稀なケース。沖縄の場合、戦争や都市化の中で破壊されてしまった遺跡は膨大な数にのぼるだろう。しかし今後は沖縄史の空白を埋めるべく、日米の基地内の遺跡調査を積極的に進めていく必要があるだろう。

【琉球サウダーヂ】史跡と戦争 第2話「扁額」

 2021/02/15 RBCチャンネル 【琉球放送】 2:30

 この分野の導入に使えるだろう。敗戦後、トイレの用材として米軍によってくりぬかれたと言われる無惨な姿を留める扁額。乾隆3年(1737)の元号にも注目させたい。戦後の沖縄が置かれた悲惨な立場を象徴する遺産の一つであろう。できればCMをとばして視聴させたい。

【悲報】アメリカ人が持つ日本人への偏見が酷すぎる

 Chase & KenKen  2023/11/25  9:02

 この動画はこの分野や差別の授業で絶対に視聴させたい。日本と深く結びついている同盟国アメリカに日本が良く思われていると思い込んでいる日本人はかなり多いだろう。授業でこの動画を見せる前にアメリカ人は日本人についてどう思っているのか、アンケートしておくと面白い展開になりそうだ。

 日本の観光業の隆盛ぶりで現在、「日本万歳」に陥りがちな生徒たちの多さが予想できる。しかし多くのアメリカ人の本音、実態はおそらくこんなものなのだ。でなければアメリカは二度も日本に原爆を落とさないだろうし、いまも図々しく日本の各地に基地を持っていないはずである。沖縄で米兵の暴行事件が後を絶たない背景にアメリカ人の日本人、アジア人を見下す偏見や差別が広範に存在することを決して忘れてはなるまい。

【炎上】アメリカのアニメに出てくる日本人が偏見だらけで酷すぎた。

 SAGIRIX  2023/06/21 6:08

【炎上】海外のアニメに出る日本人が怖すぎる…

 SAGIRIX  2023/07/13 8:15

【炎上】アメリカのアニメに出てくる日本のシーンが失礼すぎた。

 SAGIRIX  2023/10/17 9:37

 差別する側と差別される側、双方の立場に立ってみないとお互いの理解は深まらないだろう。

日の丸と沖縄 屈折した歴史 ー復帰を知るーVol.1 (OTVライブラリ/2012

 年放送)OTV沖縄テレビ  2023/05/11 5:58

 日の丸に対する沖縄の人々の複雑な思いは一体何に起因するのか、早めに考えさせたい。特に平和憲法下への日本への復帰を熱望してきた沖縄の人々が、復帰後、なぜ日の丸を忌避し始めたのか、その理由を列挙させてから討論に持ち込みたい。

 

・敗戦と戦後の始まり

 1945年7月ポツダム宣言(アメリカ、原子爆弾の実用化に成功)で連合国は日本の無条件降伏を勧告⇒天皇制護持に執着した鈴木貫太郎内閣これを黙殺

 8月6日、広島に原子爆弾投下

   8日、ソ連、対日参戦を表明

   9日、長崎に原子爆弾(プルトニウム型)投下

    連合国側(アメリカ)、天皇制存続の可能性を留保する回答

   15日、終戦の詔勅「朕はここに国体を護持し得て・・・」

    ⇒鈴木内閣総辞職、アメリカ単独による間接統治へ(⇔ドイツ)

    ⇒東久邇宮稔彦(天皇の従姉妹で陸軍大将)内閣成立

     日本軍の武装解除と天皇制の存続が至上命題

 9月2日、日本政府代表重光葵外相と軍部代表梅津美治郎海軍大将がミズーリ号上で 

     降伏文書に調印。当初は天皇が調印する予定だった。

Q.なぜ天皇は国家元首として降伏文書の調印に参加しなかったのか?

A.天皇の権威を占領政策に利用する方向でマッカーサーは動き始めていたため、天皇

 に屈辱を与え、権威を傷つけるような調印式は控えることになった。つまりアメリ

 カ側からすれば天皇制の利用価値の低下を恐れたのであろう。

 

 9月7日、沖縄で降伏文書調印。本土と沖縄、奄美、小笠原等は区別された。本土はマッカーサー率いる国連軍(⇒GHQ)による占領となったが、沖縄などは「唯一の地上戦」を経てアメリカが獲得した戦利品という扱いで、直接的な軍政下に置かれてしまった。なお、敗戦後に焼け野原状態となった沖縄を救ったのはアメリカによる援助以外では海外の沖縄出身者による募金、物資支援(ハワイから550頭ものブタ⇒養豚業復興)が大きかった。

 東久邇宮内閣は治安維持法等の存続を図るなどGHQと対立し、総辞職へ。

 10月⇒幣原喜重郎(親英米派、協調外交)内閣成立

     財閥解体、農地解放、戦争犯罪人の逮捕、公職追放などを推進

     しかし大日本帝国憲法改正には消極的なため総辞職

 1946年5月、吉田茂(東条内閣打倒を計画)内閣成立

 1946年11月3日、日本国憲法公布

  マッカーサー三原則とGHQ草案が骨格⇒「押しつけ憲法」

  ・天皇制の存続と民主化(昭和天皇の続投を含む)

  ・平和主義(⇒日本国憲法第9条「戦争の放棄」)

  ・封建制の廃止(軍国主義の除去、非民主主義的制度・組織の廃止等)

1947年「天皇メッセージ」:昭和天皇、米国による沖縄占領を支持、長期の租借(25年以上)を提案

 ※東京裁判(1946~48)の最中であり、アメリカは天皇の自己保身と解釈。寺崎メモによると、天 

  皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得ら

  れるなどと記している。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治

  の関わりを示す文書として注目を集めた。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のた

  めに沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だっ

  たという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響については、なお論争がある。

米軍による占領・・・サンフランシスコ平和条約による独立回復?実質「占領」継続

日米安全保障体制の成立(1951~)と冷戦(米英vs.ソ連・中国)

※参考記事

 ◎「この部屋の中だけのお話でございます」昭和天皇の“過激な一言”…秘録に残る“戦争の恨”と“多

  くの人々への批判” 文春オンライン 河西 秀哉 によるストーリー 2023.8.15

 敗戦に関する昭和天皇の認識が垣間見える極めて貴重な証言。満州事変で結局は関東軍の暴走を追認

 した昭和天皇…しかしそのことには触れず、アメリカが強く日本を批判してくれたならば日米開戦は

 回避できたのでは…とアメリカ側の対応にもっぱら責任を転嫁している。張作霖爆殺事件への処罰が

 生ぬるかった田中義一内閣の時代が陸軍の増長を招き、戦争の拡大につながった大きな分岐点と天皇

 は認識。多少は自己責任に言及してはいるものの、昭和天皇に国家の最高権力者としての自覚と責任

 感がやや欠落していた点は否めないだろう。満州事変の際にも他国頼みの認識が天皇にあったという

 ことに注目したい。ただし、親英米派で海軍穏健派よりであった昭和天皇を軽視し、排除しようとい

 う動きすら陸軍の皇道派将校にはあったことも分かる。当時の昭和天皇が実際に発揮できたリーダー

 シップを過大評価してはなるまい。対米強硬派の伏見宮や秩父宮の存在が昭和天皇の立場をかなり微

 妙なものにしていた点は無視できない。天皇の戦争責任を考える際には昭和天皇の個人的責任に加え

 て天皇制を軸とする明治憲法体制の制度的・組織的欠陥に由来する責任も厳しく追及されねばならな

 い。問題は戦後日本がどの程度、明治憲法体制の制度的・組織的欠陥を是正できたのか、である。

4月28日“屈辱の日” 西銘沖縄担当大臣は

 2022/04/27 【琉球放送】RBC NEWS 1:09

 サンフランシスコ平和条約が沖縄の人々にどう受け止められていたのか、知っておくべきだろう。

沖縄県 国頭村・鹿児島県 与論町 4・28 を忘れない 絆を深めた歴史(沖縄テレ

 ビ)2022/4/28 OTV沖縄テレビ 9:38

予告編「海がつなげた、こころの絆」沖縄祖国復帰50周年記念事業映像

 2022/04/26 Yoron Island Japan 4:42

 

「原爆投下は正当だった」アメリカ人学生の言葉に日本人精神科医が返した言葉 

   現代ビジネス 内田 舞(医師・小児精神科医) の意見 2024.10.13

   敵国人であったとしても相手に共感できるかどうかは、とりあえず人間という生き物に対する深い理解と強い興味・関心が必須の前提条件となるだろう。

   2024年10月、ノーベル平和賞に日本被団協が選ばれた意義は大きい。これを一つにきっかけにして、これまでひたすらアメリカの言いなりになってきた日本政府の対米姿勢を少しでも変えられたら…と願うばかりである。

   授業では様々な観点から人間理解を深めることの意義を強調するとともに、戦後の対米屈従外交の経緯を知り、今後の日米関係のあり方を問いたい。

【外国人にインタビュー】広島で外国人観光客が伝えたいこと!アメリカ人ジャー

   ナリストの視点 インタビュー THE ワールド  2024/05/06  12:51

 最初のジャーナリストへのインタビューは大いに参考となるだろう。7:50までの視聴だけでも十分。

初の沖縄訪問で火炎瓶…「ひめゆりの塔事件」に見る、上皇ご夫婦の“沖縄への思

 い”【皇室アーカイブ】(2018年3月放送)|TBS NEWS DIG

 TBS NEWS DIG Powered by JNN  2023/05/03 3:06

 なぜ、沖縄で火炎瓶を投げられたのか…かつて昭和天皇がアメリカに対して沖縄の支配権を長期にわたって認める発言、いわゆる「沖縄メッセージ」があったことへ言及しないこの報道の姿勢については大きな疑問が湧いてくる。長年にわたるTBSの皇室報道に関するある種の忖度姿勢、偏向ぶりはマスメディア全体に対する不信感を強めるだけであろう。

 ※「沖縄メッセージ」とは、終戦から2年後の1947年9月19日、昭和天皇が側近の寺崎英成を通じ

  て、GHQ外交局長のウィリアム・ジョセフ・シーボルト氏に伝えたとされる昭和天皇の意向。

  1947年当時、天皇がアメリカによる琉球諸島の軍事占領継続を望んでいたことや、沖縄占領は日

  米双方に利益をもたらし、共産主義勢力の増大を懸念する日本国民の賛同も得られるなどと述べて

  いたことが記されていた。この発言は当然のことながら日本への復帰を望む沖縄の、多くの人々の

  気持ちを踏みにじるものであった。加えてそもそも天皇の政治的発言自体、その発言内容の是非を

  問わず、日本国憲法が施行(1947年5月3日施行)されていた1947年9月の段階では象徴天皇制を

  逸脱しており、明らかな憲法違反であった。

報道カメラマンが見た復帰の内実とは【沖縄本土復帰50年企画】(沖縄テレビ) 

 2021/08/27 OTV沖縄テレビ 6:52

 ひめゆり平和記念公園火炎瓶事件の写真撮影等、貴重な場面に立ち会ったカメラマンの証言は重く受け止めたい。

復帰50年…国会爆竹事件と沖縄の今【報道特集】

 TBS NEWS DIG Powered by JNN  2022/05/22 22:49

【沖縄の怒りと苦しみ】「本土はずるい」55年前の言葉は今も 73歳の思い 

 『news every.』18時特集 日テレNEWS  2022/05/21  16:59

【沖縄芸人】基地問題をコントに...タブーを笑いに変える葛藤「いつまでも米軍基

 地があれば」2022/05/16 ABEMAニュース【公式】 9:32

 お笑いを武器に基地問題を風刺する人気劇団の存在は若者の目を基地問題に向けさせるうえで重要な役割を果たしているようだ。重く、暗くなりがちなテーマなだけに貴重な取り組み。ぜひ、授業で視聴させたい。

【復帰50年】沖縄本土復帰に配られる予定だった「記念メダル」はなぜ配られなか

 ったのか(沖縄テレビ)2022/5/12 OTV沖縄テレビ 6:22

Q.なぜ記念メダルは配られなかったのか?

Q.「真の復帰」とはどういうことか?

映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』予告編

 2022/02/16 OTV沖縄テレビ 2:04

 ウチナーの心はなぜヤマトンチューに届かないのか?導入として見せたい。

【インタビュー】平良いずみ監督「リアル沖縄が主題なんですが、まずは沖縄のフ

 ァンになって欲しいという思いで作った映画」/15歳の少女が語る基地問題ドキュ

 メンタリー映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』

 2020/03/27 マガジンサミット 17:15

Q.菜の花さんが沖縄の現状に「ちむぐりさ」を感じる理由は何だろう?

 ※なお、この箇所ではyoutubeの動画で登場する図表の中に授業で利用できるものが多く見ら

  れる。しかしブログでは著作権の観点から図表の紹介は公的な資料を除き、掲載を控えることにし

  ている。授業で利用する際はスクリーンショットで動画の画面の図表を写し取り、トリミングして

  図表を拡大するなどしてからプリントに印刷しておく必要があるだろう。

RBC NEWS「ミサイル観測機「コブラボール」異例の長時間飛行」2022/05/01

 2022/05/01 【琉球放送】RBC NEWS 0:37

Q.コブラボールが嘉手納基地から長時間飛行に飛び立った目的は何?なぜ、この時に

 ミサイル観測が必要とされたのか?

Q.嘉手納基地の主な役割は何?

 

・沖縄と核

返還50年 沖縄の基地と核兵器【報道特集】

 TBS NEWS DIG Powered by JNN  2022/06/26 22:47

沖縄に生きて ~91歳の被爆者と「基地の島」~【ドキュメンタリー】

   広島テレビニュース 2023/07/19 

 沖縄にいる被爆者の問題に加えて沖縄と核兵器との関りが良く整理されている。どちらかと言えば沖縄における被爆者問題よりも沖縄における米軍基地と核兵器にかかわる映像の方が授業では利用価値が高いだろう。そこに限定して視聴させると良いかもしれない。

参考記事

日本国民に知られないように交わされた硫黄島「核密約」の具体的な中身

 現代ビジネス 酒井 聡平(北海道新聞記者) によるストーリー 2024.8.26

 沖縄に先立って返還された小笠原諸島も密約を通じて沖縄同様に核基地の役割を担

っていた。「密約」が既に公表された憲法や条約などを遥かに超える力を持ち始めた

時、法治国家は形骸化し、政治への信用は失墜するはずなのだが…

日本国民に知られないように交わされた硫黄島「核密約」の具体的な中身

 現代ビジネス 酒井 聡平(北海道新聞記者) によるストーリー 2024.5.30

なぜ小笠原諸島で「核貯蔵」が黙認されてきたのか…まったく不明だった「日米戦

 後史」の謎 現代ビジネス 酒井 聡平(北海道新聞記者)  2024.5.29

日本本土で実施できない米軍訓練が硫黄島で30年間行われている実態《すさまじい

 爆音は、島全体を揺るがすほど》 現代ビジネス

 酒井 聡平(北海道新聞記者) によるストーリー 2024.6.3

 沖縄返還に先立つ小笠原諸島返還時の日米密約において「核貯蔵」を日本は黙認していたようだ。これが沖縄返還時の密約にも踏襲されたと考えられよう。世界大戦発生の原因の一つとされて秘密外交の禁止が国際社会で叫ばれた戦後に、アメリカは相変わらず対米秘密外交を日本に対して強要していたようだ。硫黄島の問題は沖縄の基地問題の縮図としてあらかじめ触れておくと沖縄の現状への理解が一層深まるに違いない。

【原発と原爆】戦後日本の原子力問題 背後にあったアメリカの核戦略|ABEMAド

 キュメンタリー 2022/08/06 ABEMAニュース【公式】 54:18

 核問題、原発問題への隠蔽体質は民主党政権下でも牢固として変わらず。原子力への反発が強かった1950年代の日本の世論を僅かの間に原子力発電導入賛成に転じさせたのは一体、どういう人々だったのかが、問われるだろう。

有馬哲夫氏:正力松太郎はなぜ日本に原発を持ち込んだのか

 2011/06/26 videonewscom 6:22

阿波根あずさの沖縄観光チャンネル:衝撃的な内容の『沖縄と核』【#4 琉球・沖

 縄本レビュー】(2019/07/19) 13:32

・・・以下「沖縄と核」の記述も参考にポイントを列挙してみる。

・沖縄への核配備

 1953~54年、アメリカ政府(アイゼンハワー大統領)は敵対する中華人民共和国やソ連の脅威に対抗するため、ヨーロッパ及びアジアに核兵器を配備。沖縄ではまず伊江島が核戦略の中心とされ、核爆弾の投下訓練が繰り返されていく。背景には1954年3月のビキニ事件(第五福竜丸事件)による本土での反核運動の高まりがあった(翌1955年8月、広島で第一回原水爆禁止世界大会)。核戦争に備えて本土内に数多く配置されていた海兵隊は次第に沖縄への移動を余儀なくされていった。同時に核兵器も沖縄へ集中配備されていく。1957年にアメリカ文化情報局が日本人に対して行った調査で本土の人達の意識が沖縄への米軍基地配置に反発が小さいことを把握、1950年代後半、沖縄への米軍基地と核兵器の集中が加速されていった。

 ※1967年には沖縄の嘉手納基地中心に1300発ほどの核兵器が配備されていたという。

 沖縄への基地集中は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強制的な土地の接収を伴い、農地や住居を失った住民の多くは困窮を極め、危険な演習場で薬莢や模擬爆弾を金属資源として回収して売りさばき、生活を凌ぐ者も多かった。中には爆発事故で命を落とす者もいたが、米軍の部隊記録には「・・・伊江島の二人のクズ鉄収集人が自業自得の死を遂げた」という冷淡な記述があるのみであった。

 他方で米軍の高圧的な接収に反発した人々は「島ぐるみ闘争」(1956年がピーク)を引き起こした。こうした事態に米軍は1958年、住民の不満に多少、譲歩することで軍用地の接収を容易にし、かえって沖縄への基地集中を加速させていた。しかもいつの間にか核兵器が本土などから沖縄に移され、沖縄は「核の島」と化していた。

 ※伊江島に関しての視聴覚教材にはRBC NEWS「阿波根昌鴻さんが写した伊江島住民の素顔」

  2022/02/21 【琉球放送】RBC NEWS 1:12、○戦後70年の地平から「伊江島での戦闘」

  2015/05/08 【琉球放送】RBC NEWS 8:26などがある。

隠されていた核事故

 1959.6.19那覇空港に隣接する基地に配備されていた戦術核(都市を壊滅させる攻撃的な戦略核に対して防御的、迎撃的役割を担う核兵器。この戦術核の登場はその使いやすさから核戦争へのハードルを下げ、かえって人類滅亡の恐怖を高めたとも言われる)の核ミサイル(ナイキ・ハーキュリー)が一基、水平の状態で誤射され、海中へ。沖縄ではただの事故として報道。しかし搭載されていた核弾頭は広島に落とされたものとほぼ同じ破壊力があった。もしも安全装置の不具合が重なり、核爆発を誘発すれば那覇市の過半が灰燼に帰す可能性は無きにしも非ず。当時の隊員の中には沖縄の人々に伝える必要があったと回想する者も。

 ※同年同月、現在のうるま市宮森小学校に嘉手納基地の戦闘機が墜落し、児童、住民合わせて18人が

  死亡、220人が負傷している。

・核兵器を楽しんだ子供達

 1967.1~3月読谷村の残波岬で核ミサイル(攻撃型核ミサイル「メースB」で1961年から配備が進んでいた。中距離弾道ミサイルで射程は2400㎞ほど。専ら中国の都市部やソ連のウラジオストクなどに向けられていた)の発射訓練が行われていたが、周辺の子供達は花火大会か航空ショーのような感覚でそれを楽しみにしていた。住民の誰一人としてそれが核ミサイルの発射訓練だったことを知らされていなかった(そもそもアメリカは国外に配置した核兵器の存在を肯定もせず、否定もしないという原則=NCNDを楯にして核兵器の機密保持と威嚇効果を狙っているので、沖縄に限らず、核兵器の情報の多くは基本的には公表されていない)。

 なお、沖縄には読谷村の他に勝連半島のホワイトビーチ、金武村(今は町)、恩納村にもメースBが配備された、各基地に8発のミサイルが備えられ、一発の威力は広島型原爆の50倍以上もあった。1962年のキューバ危機の際にはそれらのミサイルが発射寸前のスタンバイとなり、核ミサイルの一部は嘉手納基地からソ連と中国により近い韓国の基地に運ばれている。核ミサイルを運んだ元米兵はソ連や中国との戦争が始まれば真っ先に沖縄への反撃が集中的に行われ、沖縄が滅ぶことは不可避となると覚悟したとの証言を残している。当時、沖縄は世界最大級の核兵器基地であった。もしも沖縄への核攻撃があればアメリカ軍は自軍の核兵器の奪取を避けるべく、自ら沖縄の主要基地を爆破する作戦であったため、沖縄本島が完全な「焦土」と化してしまう可能性は決して小さくなかっただろう。

・核密約

 「核抜き、本土並み」、「非核三原則を沖縄にも適用」を口にしていた佐藤栄作首相(当時)は裏でアメリカに対して核兵器の撤去をお願いしたものの、国民には極秘で核兵器の再持ち込みは認めていた。2009年、佐藤の遺品整理で密約を記した記録が発見され、密約の存在が確認された。

Q.沖縄の核兵器は本当に撤去されたままなのか?

 A.一旦は撤去されたようだが、「一時的持ち込み」の可能性は否定できない。密約 

  と隠蔽ばかりで真相は藪の中。国民の知る権利は蹂躙されたままである。

Q.本土にも核兵器は保管、持ち込みされていたのでは?

 A.Yes.当然、その後も領海内や領空を核兵器は幾度も持ち込まれていると考える

  べき。残念ながら阿波根氏の見方は甘過ぎると言うほかない。実際、1966年に岩

  国基地で核兵器が保管されていたことが発覚し、1981年のライシャワー発言によ

  って核兵器搭載の艦船が日本の港に寄港していることは明か。 

  ⇒日米合同委員会というラスボス的存在が視野に入っていない。

中華人民共和国成立(1949年)⇒朝鮮戦争(1950~53年)、中ソ接近

サンフランシスコ講和条約(1951年)調印:吉田茂内閣

日米安全保障条約(1951年)・・・旧安保、日米行政協定、吉田・アチソン交換公文

 第1条「平和条約および安保条約の効力が発生すると同時に、米軍を日本国内およ 

  びその周辺に配備する権利を、日本は認め、アメリカは受け入れる」

 交換公文:日本は主権回復後も米軍への支援を義務づけられる

 「占領軍」から「駐留軍」へと名称が変わっただけで実質的占領状態は継続

Q.「米軍基地は日本国内のどこに配備できる?」

A.全土基地方式(日本国内ならどこでもOK)

Q.「その周辺とはどの辺りまでを指している?」

A.当時アメリカが念頭に置いていたのは沖縄、朝鮮半島、台湾、北方領土。

指揮権密約(1952.7.23)吉田首相と米軍司令官マーク・クラーク大将との口頭による密約。同様の密約が2年後にも結ばれている。

 ⇒戦争状態の下では自衛隊はアメリカ軍の指揮下に置かれる

 ⇒シビリアンコントロール(文民統制)の形骸化、日本の属国化

日米合同委員会密約(1953.9.29) 「日本国の当局は、所在地の如何を問わず米軍の財産について、捜索、差し押さえ、または検証をおこなう権利を行使しない」

 日米合同委員会:1952年発足。「日米合同委員会の研究」(吉田敏治 創元社)によるとアメ

  リカ側の言いなりで「密約製造マシーン」とも。本会議にはアメリカ側7人(内6人は軍人)、日本

  側6人(官僚)が出席。会合は月二回程度開かれる。話し合いの内容は国会に報告する義務も外部

  に公表されることも無い米軍が事実上の占領政策を続けるための、日本政府や裁判所を操る、不

  可視の「リモコン装置」的存在。この会議で決められた「密約」は国会や憲法をも上回る効力を持

  つという点で、明治憲法体制下の「憲法外機関」のような存在。国権の最高機関とされた国会が完

  全に無視されている事から日本は「半主権国家」、「半法治国家」に過ぎない。有事の場合には自

  衛他の指揮権が米軍に移るとされる現状の下で日本における「文民統制」もあり得ないし、三権分

  立などあり得ない。そもそも日米合同委員会自体、アメリカ軍のゴリ押しを実現すべく、日本の官

  僚が日本の法体系との矛盾を突かれないよう、表面的な帳尻合わせをしつつ密約を練り上げてい

  く、本質的な意味での対米従属機関に過ぎない・・・ということになる。

   今後、吉田氏や矢部氏の指摘が定説となれば、社会科教科書の記述は大幅に改められる必要があ

  る。カッパ個人としては吉田氏らの指摘でこれまでモヤモヤし続けてきた日本の戦後史の闇にパッ

  と光がさしてきたような感慨を覚えている。と同時に検定教科書への不信感が一層、増してきた。

  皆さんはどちらを信じられるだろう?

 ※参考記事

  ◎「戦後日本」のヤバすぎる現実…「東京上空」に存在する「奇妙な空域」の「衝撃的な正体」

   現代ビジネス 矢部 宏治の意見 2023.07.23

  ◎なぜ日本はこれほど歪んだのか…ヤバすぎる「9つのオキテ」が招いた「日本の悲劇」

   現代ビジネス 矢部 宏治の意見 2023.07.23

  ぜったいに「米軍」にさからえない「日本の悲劇」…なぜ日本はこれほど歪んだのか

   現代ビジネス 矢部 宏治 の意見 2023.7.28

  【速報】「大東亜戦争」と表現のSNS修正 陸自部隊の活動紹介「誤解を招いた」

   FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.4.8

   沖縄の米軍基地が少しずつではあるが削減されつつある一方で、自衛隊の施設は急速に増えてき

   ている。自衛隊の体質に問題があるとすればこれは沖縄の新たな基地問題となりうる事象だろ

   う。自衛隊に潜むかもしれない、危険で古い体質から目を逸らせてはいけないことを今回の件は

   改めて気づかせてくれる。授業では「大東亜戦争」という呼称がなぜ問題視されるのか、生徒に

   考えさせることから始めたい。

 

 1953年以降、米軍基地建設のために「銃剣とブルドーザー」・・・強制的な退

  去と土地収用が本格化

・原発推進:「原子力の平和利用」の裏側

第五福竜丸事件(1954年)⇒本土での反米感情高まる⇒米軍基地、核兵器と海兵隊を

 沖縄へ集中させて本土の世論に配慮。しかし日本の核基地化と日本への原子力発電

 導入を推進していたアメリカとしては極めて困難な状況へ。

 そこで・・・1955年、正力松太郎、読売新聞を通じてアメリカの「平和のための原子力」キャンペーンに協力し、衆議院議員に当選。1956年、原子力基本法成立⇒

原子力委員会発足、初代委員長に正力就任。科学技術庁発足、初代長官に正力。原発建設地候補が横須賀から茨城県東海村に変更。1957年、岸信介内閣の国務大臣として原発導入を継続。

 正力は戦時中、大政翼賛会幹部で内閣情報局参与、貴族院議員、小磯内閣顧問等を

歴任し、戦後は岸信介らとA級戦争犯罪容疑者として拘留。しかし1947年にいち早く不起訴となり、釈放されるとたちまち「プロ野球の父」「テレビの父」(日テレ初代社長で、電通にも影響力)「原子力の父」と呼ばれる存在へのし上がる。背後にはCIA(テレビや新聞を通じてアメリカが都合の良いように日本人を洗脳する目的で岸や正力らをエージェントとして利用)がおり、やはりA級犯罪容疑者だった岸信介

児玉誉士夫博報堂に影響力)もCIAのエージェントとして登録されていたらしい。

 アメリカはソ連の急成長(1957年、「スプートニクショック」:ソ連、アメリカに先駆けて人類初の人工衛星打ち上げ成功)に焦り、日本を強力な「反共の砦」とすべく日本の再軍備と沖縄の核基地化を推進すると共に反共産主義キャンペーン、および原発導入推進キャンペーンを戦前から警視庁で活躍し、プロパガンダの得意な正力等に行わせていたと思われる。

 ※1955年9月、嘉手納基地の米兵が現うるま市の6歳の少女を暴行、殺害。

検証】第五福竜丸被ばくはアメリカの人体実験だった?ビキニ事件の真実|

 ABEMAドキュメンタリー 2022/08/13 ABEMAニュース【公式】 39:18

ジラード事件(1957) 群馬県で21歳の米兵が主婦を射殺⇒懲役3年、執行猶予4年

 の判決⇒2週間後には帰国(事実上の無罪判決)

・・・米兵は治外法権の対象

1954~64年にかけて米軍関係者による事件の受理人数は日本全体で48257人にのぼる。その内、

 訴されたのは2147人で全体の約4%に過ぎない。強姦ですら11%しか起訴されず、詐欺・横領・脅

 迫に至っては起訴率0%である。同時期の一般刑法犯の起訴率が45.4%なのでその10分の1にも満た

 ない。

アメリカ戦闘機墜落事故(1959) 宮森小学校に墜落、死者17人、負傷者220人

砂川裁判で東京地裁の判決:「在日米軍基地は日本国憲法第九条に違反」との判決が

 最高裁では「統治行為論」により覆される(1959)。実は事前に田中耕太郎最高裁長官がマッカーサー駐日大使(マッカーサー元帥の甥)と密会し、調整⇒最高裁長官自ら情報漏洩及び「司法の独立」を侵犯。実は日米合同委員会のメンバーが最高裁の判事となる慣例統治行為論は原子力発電の可否を巡る裁判などにも適用され、憲法の形骸化を「憲法の番人」たる最高裁自らの手で進めていた。

安保条約の改訂(1960年) 岸信介内閣:新安保、日米地位協定

 旧安保に無かった在日米軍の日本を守る義務が明記された。しかし実際は基地権密

 約などによって在日米軍に実質的な変化は見られない。

 「日米安全保障条約(旧)=日米安全保障条約(新)+密約

 「日米行政協定=日米地位協定+密約

 という方程式が成り立つようである(「日米合同委員会の研究」吉田敏浩より)。

 同書によるとアメリカ側はこうした条約改訂で日本政府のメンツをたてつつ、日米合同委員会での実務的詰めの作業を通じて「一歩後退、二歩前進」を図ってきたらしい。1968年と1973年、富士演習場が日本に返還された際も、返還は上辺だけで、年270日間は米軍が優先的に使用できるようになっており、しかも演習場の維持管理費等はすべて日本の負担とされたため、実際には米軍のメリットの方が大きいという。とすれば「日本とアメリカとの関係を対等なものにしていく」と言った岸首相の言葉も上辺だけの結果に終わっていると考えて良いだろう。

キューバ危機(1962)以降、核戦略の要に。対中国、ソ連を睨む要衝の地沖縄で人類

 存亡の危機がひそかに進行。

【ガレッジセール・ゴリ】“日本でもアメリカでもない時代の沖縄”を描いたワケ 

 2022/04/29 日テレNEWS 4:55

Q.沖縄の核と基地問題はどうなったか?

 

・本土復帰と核密約

【ガレッジセール・ゴリ】“復帰っ子”から見た沖縄本土復帰50年

 2022/05/16 日テレNEWS 3:24

沖縄復帰50周年 屋良朝苗と復帰運動の歩み(沖縄テレビ)2022/04/07 OTV

 沖縄テレビ 8:29

機密文書から読み解く日米の思惑 沖縄返還交渉【本土復帰50年企画】(沖縄テレ

 ビ)2022/01/07 OTV沖縄テレビ 8:02

 参考文献

  「徹底検証 沖縄密約~新文書から浮かぶ実像~」藤田直央 朝日新聞出版 2023

復帰50周年】不条理が続く沖縄県民 主権はいつ帰ってくるのか(沖縄テレビ)

 2022/04/14 OTV沖縄テレビ 9:14

「へいりの様に踏みにじられた」建議書 沖縄復帰50年、変わらぬ願い

 2021/11/23 毎日新聞 6:53

昭和のノーベル賞 非核三原則・沖縄返還などで日本人初の平和賞 佐藤栄作氏

 (1974年)【映像記録 news archive】2021/10/08 ANNnewsCH 9:23

外務省元高官が法廷で沖縄返還での密約の存在認める(2009/12/01) 

 ANNnewsCH 1:29

「核兵器めぐる日米密約は存在した」岡田外務大臣(10/03/10) 

 ANNnewsCH 1:50

沖縄返還「密約文書」不開示が確定 最高裁 西山元記者らの上告棄却

 2014/07/14 KyodoNews 2:46

【復帰50年】茨の道だった沖縄返還の時代の言論の自由を守るために闘った記者

 (沖縄テレビ)2022/5/17 2022/05/18 OTV沖縄テレビ 8:43

 ここでの導入としてはこの動画が使いやすいだろう。

西山太吉×宮台真司×神保哲生:偽りの沖縄返還を暴いた伝説の記者・西山太吉の遺言【ダイジェスト】 2022/05/14 videonewscom 10:33

衆議院で“復帰50年決議採択 基地負担軽減など政府に求める

 2022/04/28 【琉球放送】RBC NEWS 1:10

【世界一】具志堅用高が語る沖縄と本土「先輩は本土でアパートが借りられなかっ

 た」 2022/05/16 ABEMAニュース【公式】13:01・・但し7:10でカット

 返還後に変わった事とは何か、が生々しく語られているが、変わらなかった事についてはほとんど語られていない。

 

特集「沖縄返還を巡る問題点」

 佐藤栄作は当初、日中国交回復に熱心であり、沖縄返還にそれほどの関心は無かったと言われる。佐藤が沖縄返還に拘るようになったのは師と仰ぐ吉田茂の助言があったようだ。自民党総裁選で争う相手は経済政策で実績のあった池田勇人であり、池田に対抗して佐藤の独自色を出すには失われた国土の返還という愛国心を刺激する沖縄返還こそ、最適のスローガンだと佐藤も考えるようになったらしい(「沖縄50年の憂鬱~新検証・対米返還交渉~」より。以下も同書を参考としている)。

 1965年、池田の病死によって首相になった佐藤は早速、沖縄を訪問して「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後が終わっていないことをよく承知しております。」と沖縄返還を公約する大胆な宣言を行った。ただし佐藤の狙いは決して沖縄の人々を喜ばすことではなかった。彼が最も恐れていた事態は兄岸信介が苦心して改訂した日米安全保障条約を見直しする1970年にあった。その時、50年安保の時と同様に再び安保闘争が高まり、左翼政党の台頭によってついには政権与党の座から自民党が滑り落ちてしまう・・・これこそが避けなければならぬ最悪の事態。この事態を回避するには国民の支持を集められる沖縄返還協定の締結を安保見直しまでの日程に上らせておく必要があったのである。

 アメリカ側としても反共産主義で親米派からなる佐藤政権は好ましい存在であり、日米安全保障体制の継続は沖縄の施政権維持よりも遙かに重視すべき課題であった。また沖縄での反米感情の高まりに苦慮してきた軍部内でも沖縄基地の移転論が出現していた。すなわちアメリカ側にも沖縄返還を巡って佐藤政権との交渉の余地が生じていたのである。佐藤は専らこの流れに乗って沖縄返還の手柄を挙げつつ、政権の維持を目指していたと言って良いだろう。

 佐藤の狙いに水を差したのはむしろ日本の外務省であった。当時の外務省は情報収集を怠っていたせいかアメリカの変化に気付かず、沖縄返還の可能性を低く見積もっていたらしい。結局、佐藤は返還交渉に後ろ向きだった外務省を見限り、沖縄問題等懇談会を1966年に創設。やがて若泉敬ら、密使を重用することになる。

 1967年時点で沖縄からすべての核兵器を撤去しても軍事的なダメージはない、とマクナマラ国防長官は述べているように、アメリカでは既に沖縄の施政権返還を「核抜き本土並み」という現実的な路線に据えて考えていた。佐藤が「核抜き本土並み」を口にしたのは1969年3月の事であり、これは密使の若泉敬がアメリカで収集した情報に基づき、佐藤が決断したもの。アメリカが率先して動き、それに日本が追随する形で沖縄返還交渉は進んでいたのである。

 佐藤自身は「相手が核を持ったならば、みずから核を持つのは常識的なことである」と1965年12月に発言しているように、根っからの反核論者ではなかった。しかし1969年1月、知日派のニクソンが大統領に就任すると沖縄返還交渉は加速していき、「核抜き本土並み」の返還交渉がアメリカのペースで詰められていく。受け身に立たされた日本は交渉の場でのしたたかな自己主張を欠き、「専守防衛」の原則を揺るがす決定を強いられていく。米軍による沖縄への核の再持ち込みと沖縄基地の自由使用である。

※その結果、自衛隊の役割は専守防衛から国際貢献に重心を移し、とりわけ対米貢献が主たる任務にな

 りつつあるようだ。特に安倍政権下での特定秘密保護法(2013年、武器輸出三原則の撤廃(2014

 年)、集団的自衛権の行使容認(2015年)はいずれもアメリカの要請に従ったものであり、日本は

 対米追従の度合いを強める一方となっていると言えよう。

 他方、佐藤政権は70年安保を見据えて沖縄の早期返還と核兵器の撤去を優先するあまり、核の再持ち込みなどの密約を飲まされてしまったようだ。1969年11月、日米共同声明で「1972年の沖縄核抜き本土並みの返還」が発表され、返還を喜ぶ声にかき消されたかのように70年の安保闘争は60年安保ほどの広がりを持つことは出来ずに収束する中で1970年6月、日米安保条約の自動延長が決定する。

 1971年(昭和46年)6月、沖縄返還協定が調印され、7月にキッシンジャーが訪中して米中間の対立が緩和された。11月17日、屋良朝苗の米軍基地削減を求めた建議書は日の目を見ること無く、返還協定は強行採決され24日、佐藤栄作は最終的に非核三原則を沖縄にも適用させるべきと決断。衆議院で沖縄返還協定の付帯決議として「非核兵器ならびに沖繩米軍基地縮小に関する決議」を議決した。

 1972年5月15日、沖縄、本土復帰。翌年、復帰を記念して沖縄特別国体開会非核三原則を示したことによって1974年(昭和49年)に、佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞した。受賞理由と佐藤の実態との乖離から、ノーベル平和委員会が発行した記念誌の執筆者の一人であるオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル委員会が犯した最大の誤り」とのちに見解を述べた。実際、2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が佐藤氏の遺品整理中、明らかになっている。非核三原則を表明した佐藤栄作は1969年(昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになってもいる。「核の持たず、つくらず」は堅持した上で「核の持ち込み」については日本の領土に配置を認めないが、日本の領海において寄港や通航を認めることを「非核二・五原則」と揶揄することがある。

・国是としての非核三原則の歩み

 1957年(昭和32年)に岸信介(安倍晋三の祖父)内閣総理大臣が「私はこの原子部隊を日本に進駐せしめるというような申し出がありました場合においても、政府としてこれに承諾を与える意思はもっておりません」と国会で答弁し、核兵器を装備した部隊の日本駐留を拒否する答弁を行った。

 核の持ち込みについて、日本政府は以下のような表明を行っていた。

・岸・ハーター交換公文において、日本への核の持込には事前協議が必要。

・事前協議が行われたことは一度もないので、核が持ち込まれたことも無い。

・事前協議があれば核持ち込みを拒否する。

 この見解は、1960年に旧安保条約から新安保条約へと改訂した際に、横路節雄の質問に対して岸内閣の防衛庁長官であった赤城宗徳が行った答弁から一貫して続いていた。1967年(昭和42年)に佐藤栄作内閣総理大臣が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を打ち出し、衆議院において非核三原則を遵守する旨の国会決議が行われた。それ以降の歴代内閣は三原則の厳守を表明しており、非自民首相であった細川護熙、羽田孜、村山富市も遵守を表明していた。

 アメリカによる核の持ち込みの可能性について日本政府は「事前協議がないのだから、核もないはず」としてきたが、「核を持ち込ませず」が実際に守られていたかどうかは疑わしい点が多い(事前協議を行えば拒否されるのは明白だからそれさえもしない可能性がある)。日本政府は自国民にもあからさまなウソを堂々と繰り返し公言してきたということになろう。

 佐藤の密使を務めたとされる若泉敬が「1969年(昭和44年)11月に佐藤・ニクソン会談後の共同声明の背後に、有事の場合は沖縄への核持ち込みを日本が事実上認めるという秘密協定に署名した」と1994年に発表した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で証言した。

※若泉 敬(わかいずみ けい:1930年3月29日 –~1996年7月27日)は、日本の国際政治学者。沖縄返

 還交渉において、佐藤栄作の密使として重要な役割を果たしたとされる人物。「核抜き・本土並み

 返還の道筋が見えてきたところ、日米首脳会談直前の1969年(昭和44年)9月30日、国家安全保障担

 当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーより、「緊急事態に際し、事前通告をもって核兵器を再

 び持ち込む権利、および通過させる権利」を認めるよう要求するペーパーが提示された(なお、密使

 としての活動で、若泉はコードネーム「ヨシダ」、キッシンジャーは「ジョーンズ」を用いた)。同

 年11月10日 - 11月12日の再交渉で、若泉は「事前通告」を「事前協議」に改めるよう主張、諒解を

 得る。この線で共同声明のシナリオが練られることとなり、11月21日に発せられた佐藤=ニクソン共

 同声明で、3年後の沖縄返還が決定されることとなった。

  なお若泉は極秘交渉の経緯を記した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋、1994年)に

 おいて、核持ち込みと繊維問題について作成した日米秘密合意議事録の存在について触れている。同

 書によれば、佐藤とニクソンは、ウエストウイング・オーバルルーム隣の「書斎」で、二人きりにな

 って署名したという。この覚書は佐藤により持ち去られ、のち2009年(平成21年)に本人宅で発見

 された。『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の上梓後、6月23日付で沖縄県知事・大田昌秀宛に「歴史

 に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁します」とする遺書

 を送り、同日国立戦没者墓苑に喪服姿で参拝したが自殺は思いとどまった。

  その後、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』英語版の編集に着手。完成稿を翻訳協力者に渡した1996

 年(平成8年)7月27日、福井県鯖江市の自宅にて逝去(享年67)。公式には癌性腹膜炎ということ

 になっているが、実際には青酸カリでの服毒自殺だった。若泉の自殺の報を聞いた大田昌秀は「核密

 約を結んだことは評価できないが、若泉さんは交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪し、『結果責任』

 を果たした。人間としては信頼できます」とコメントしている。

沖縄返還交渉:アメリカ政府と日本政府との裏取引・・・核密約

   「持ち込ませず」に疑問符、

 新安保条約の自動延長と沖縄・70年安保と学園紛争の敗北

  ⇒学校教育から政治色一掃(→政治学習の空洞化=主権者意識の後退)

   国防や安保を論ずることのタブー化→低投票率

  →組織票の比重大→自由民主党有利

  ⇒自国の防衛問題をアメリカと沖縄に丸投げ→安全保障体制の見直しが進まず、 

   防衛問題は他人事へ、沖縄の基地問題の不可視化、他人事化

安保闘争・反米闘争の衰退→なし崩し的な再軍備

  ⇒「日本における米国の好感度調査」(時事通信)によると

   1970年代の前半24%→1970年代の後半30%

    →1980年代前半39%→1990年代前半43%

    →2000年47%・・・アメリカの好感度は順調に上昇

Q.安保タダ乗り論についてどう思うか?

Q.本土にも核兵器は持ち込まれてきたのではあるまいか?

Q.日米安全保障条約を見直すべきか?

Q.日米地位協定を見直すべきか?

Q.自衛のための先制攻撃は可能か?

Q.憲法第9条の改正は必要か?

Q.非核三原則を見直すべきか?

※参考記事

「マイノリティーは存在しない」から四半世紀たっても…国連の勧告を突っぱね続

 ける日本 「今こそ学び直して」東京新聞 2024.6.17

 一体いつになったら日本は「人権後進国」の汚名を晴らせるのか。アイヌや沖縄への偏見、差別がどこに由来するのか、考えさせたい。

ロッキード事件を捜査した“カミソリ検事”堀田力氏が衝撃告白「P3C関係のやつは

   聴くなという、それが唯一の、尋問について私どもが受けておった命令です」

   「文藝春秋」編集部 によるストーリー 2024.10.10

   東京地検検事へのこの圧力が一体、どこからかけられていたのか…いずれにせよ日本が真の主権国家であることが疑われるのは、こうした件がいくつも存在しているからだろう。

 

※参考文献

・「沖縄50年の憂鬱」河原仁志 光文社新書 2022

 沖縄返還交渉の裏側で何が起きていたか…

・「在日米軍基地」川名晋史 中公新書 2024

 国連軍基地を兼ねた米軍基地の問題、という斬新な視点が極めて興味深い。

 

§5.日本の進路その1.政治と経済の混迷③

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 以下は多くの部分が過去の投稿(「政治と経済の低迷①、②」を中心に他の投稿も含む)と完全に重なりますが、今回の総選挙(2024.10.27)での与党の歴史的敗北という結果を受け、与党過半数割れの原因や今後の日本政治のあり方を授業で議論する際に役立つであろう内容に絞って敢えて再掲載することにしました。以前の投稿の内容も含めて改めて「政治と経済の低迷③」と題し、かなり重複することを承知の上で今回は投稿しております。

 過去の投稿の再掲載の件、以上の趣旨をご理解の上、ご了承ください。

 

・若者の政治離れ、それとも政治の若者離れ?

参考動画

旧日本軍731部隊の公文書について  日本共産党 2025/03/21  21:43

 かつてその存在すら日本政府が否定してきた731部隊の人体実験、細菌兵器の開発等の犯罪行為は、敗戦時の証拠隠滅のためその多くが散逸し、焼却されてしまったと思われる。しかし部隊長の石井史郎らと接触したアメリカ側は敗戦後、すぐに石井から多くの資料を入手しているとも言われた。つまり、資料の多くはアメリカ側に保管されている可能性が高いと思われる。

 731部隊に関しては、本来ならば東京裁判で裁かれるべき戦争犯罪がアメリカと石井との取引によって歴史の闇に葬られてしまった、と言われてきた。確たる資料の不在を盾にそ知らぬふりをして卑怯にも日本は平和国家を気取ってきたのではあるまいか。だとすればこのこと自体、世界や自国国民をも欺く国家的隠蔽そのものであり、隣国からの根深い不信を買う大きな歴史的汚点であろう。

 この際、日本政府はアメリカが保管している資料の公開をアメリカ大統領に強く要求し、それらの資料を通じて731部隊の戦争犯罪の有無をしっかりと検証していくべきではあるまいか。山添氏は国会内でわずかしか存在しない国内の資料解釈に拘るよりも、資料開示に向けてアメリカへの強力な働きかけを行うよう、石破首相に要求すべきだと思うが、いかがか。戦後80年経ってしまった。政府はいい加減、過去から目を背けずに自国の犯罪行為を直視すべきであろう。

 アメリカでは遺族の意向すら確認せず、トランプ大統領の一存で故J.F.ケネディ大統領の資料開示を強行している。今こそ戦後日本の最大の闇を暴く千載一遇のチャンスであり、この機運を利用しない手はあるまい。一刻も早く、731部隊の資料、併せてなぜか無罪放免された元A級戦犯容疑者らの資料をしっかりと開示してもらい、自国民および他国民からの不信を一気に解消していただきたい。

【都議選前に知るべき】石丸伸二が元都議に聞いた“知られざる都議会議員の実

    態”【暴露】 ミライにっぽん研究所 2025/05/06  23:41

 都議会議員の活動と収支の実態はこれまで公にされてこなかった部分が大きいと思われ、非常に貴重な動画となっている。政治の透明化と政治参加の意欲を高めていく上でこのような情報を公開することには大きな意義があるだろう。

    石丸氏は再生の道を創設して都議選の立候補者選びから動画を公開し、政治の透明化を図っているが、そうした試みをこれからは政治の世界にとどめず、多方面で行っていく必要があると思うが、いかがか。

 授業では特に前半部分の都議が割いている活動の内訳を紹介したい。選挙区の新年会に100回近く顔を出し、その都度、一万円を渡す…これはどう見ても禁止すべき風習であり、政治改革の先頭に位置づけても良いほどの悪習であろう。その結果、本来、政治家として力を入れるべき広聴・広報や政務調査などの時間が制約されてしまう事が、どれほど地方政治にとって非生産的、非効率的なのか、考えたい。

【再生の道 最終選考】「ケチってる自治体が...w」補助金と教育の闇に石丸伸二が

   激しく同意!深く頷く...【東京都墨田区/坪田幸典/東京都議会選挙】

   石丸伸二と日本を動かそう 2025/03/29  27:15

   石丸氏が2025年1月15日に立ち上げた「再生の道」がいよいよ6月の都議選にむけて動き出した。党議、党則を持たない、都議としての任期は2期までとする、他の政党に所属することも可等、異色の地域政党であり、今後の動きが注目される。この動画は石丸氏公認の切り抜きであり、授業でも視聴しやすく編集されている。とはいえ、視聴時間はかなり長い。さらにポイントを絞って部分的に視聴させたい。

   都議選立候補者の絞り込みを三次選考まで行っている。本動画は候補者がかつて教員志望者であった点、教育政策への関心が高い点など、高校生が親近感を抱きやすい人物であり、授業で取り上げるには最適かと思う。ただし残念ながら公募した面接官(16~24歳)が不在である。

   選挙のエンタメ化を図りつつ、若い人の政治への興味関心を高め、かつ有為な人材を発掘して地方議会に送ることで、地方から新しい政治の動きを広げていく…こうした石丸氏の戦略が今のところ、多くの人を捉えているようだ。

    重要なポイントとして面接官に敢えて若い人を公募し、ヒリヒリするような選考の場に招いて政治に関わる貴重な体験を積ませたこと。さらにこれまでの選挙のあり方では決して立候補しなかっただろう優秀で即戦力となりそうな人材を広く公募し、何と1000人以上が一次選考に応募した事、三次選考では石丸氏との面接場面を生配信して候補者の人となりを直接的に視聴者へ伝えるとともに、候補者選考の過程を広く開示し、出来る限り透明化した事…などであろうか。

 各生配信の視聴回数が10万回越えしており、今からでも6月の都議選が待ち遠しくなる動画内容となっている。立候補者の事をあまり知らないまま、ただ所属政党だけで選ぶ、地元の有名な議員へ機械的に投票する…高齢者にありがちな投票行動の繰り返しとは一線を画し、立候補者を絞る段階からスリリングな選考が始まる展開に心躍らされる。

 「再生の道」が若者の政治参加を促し、若者の投票率を実際に上げていけるのかどうか…6月の選挙結果を待ちたい。

【速報4/6】記者「社会的成功者ばかりで大丈夫?」石丸氏「ダメな理由とは?」 【石丸伸二 切り抜き】 炎の石丸伸二 2025/04/07  30:15

 政治の行き詰まりをどう打開していくのか、石丸氏の戦略は徹底して考え抜かれたものであることが分かるだろう。「再生の道」に期待するところ大である。

【速報4/13】全面接が終了、記者と共に20分の延長戦が始まる【石丸伸二 切り抜

    き】炎の石丸伸二 2025/04/14  22:58

    マスコミと政治との新しい関係性を創出しようとする石丸氏の試みの意義がよく分かる動画となっている点で極めて貴重な動画であろう。この場にいるマスコミ関係者がわずか3人に過ぎない点に、あらためてマスコミの問題点が露わになっている側面と石丸氏の試みの、容易には理解されないほどの斬新さが明瞭に見えてきているように思えるが、いかがか。

    日本の政治とマスコミに対してこれまでひたすらフラストレーションを溜めてきた人々が挙句の上に日本社会の変革を諦めつつある流れを、ようやくにして変えられるタイミングが来ているのかもしれない。国民の胸の内に長年わだかまり続けていたモヤモヤが再生の道を通じて少しずつ晴れていく感覚を覚えている人は少なくあるまい。どういう戦略が「政治屋の一掃」につながるのか、道筋はわずかでも見えてきていると個人的には感じている。再生の道の今後に注目していきたい。

これぞ政治家の鑑!全てがド正論!さいたま市議会議員吉田一郎の討論 #吉田一郎 

    政界ツッコミ道場 2025/06/01

 3:58~5:34の箇所だけ視聴すればよいだろう。短時間で済むので中学校の授業でもぜひ視聴させたい動画。さいたま市議会の様子であるが吉田議員の指摘が秀逸。

  「エッフェル姉さん」と揶揄された女性国会議員のフランス研修の実態が極めて怪しく、ほぼほぼただの観光旅行をかなりの割合で政務活動費、すなわち公費で行っている事への疑念が噴出したことは記憶に新しい。こうした「海外研修」と称する怪しげな議員たちの海外視察、旅行が国会だけではなく、頻繁に地方議会でも税金で賄われているのは周知の事実である。

    他方で、姉妹都市との交流のためにニュージーランドまで出かけた中学生は半額以上を自己負担させられている。もちろん中学生らは現地でそれなりに楽しい思いをしたであろうし、「視察、研修」ばかりではなかっただろう。しかし、その点では議員たちも大差あるまい。加えて議員、中学生どちらも「姉妹都市との交流」という公の目的を帯びている点で大差は無い。

 議員たちの海外旅行が公費で賄われ、なぜか中学生たちは過半を自己負担とさせられている…この理由についてぜひ生徒たちに考えさせたい。

参考記事

「仕事は多くて年間60日」「仕事しないが議員報酬アップ」「頑なに情報発信しな

   い」SNSの”自虐投稿が大反響…埼玉県加須市議が明かす《地方議員のヤバすぎる

   実態》現代ビジネス 週刊現代 2025.3.15

 地方議員の成り手がいない、との情報もある中でこの「自虐投稿」は実に衝撃的である。加須市だけがこうなのだ、とは到底思えない。議会の閉会時、年間300日以上をどのように過ごすのかは議員次第。中には副業感覚で議員としての広報活動すらしていない人が多いという。それでも再選されてしまう住民たちの政治意識の低さは一体どこから来るのだろう。

 おそらくそれは学校教育に多く由来するに違いない。生の地方政治の課題を討議させるといった欧米型の授業が、日本では一貫して禁止されてきた。実際、国政に文句のある高齢者は少なくないだろうが、地方となると恐ろしく無関心…そうした有権者は極めて多いに違いない。日本の学校教育が長い時間をかけて育んできた地方政治への徹底的とも見える無関心…安芸高田市で石丸氏が本当は何と闘ってきたのかが偲ばれる。改めて抜本的な教育改革の必要性を感じるが、いかがだろう。

日本復活に「経済政策」は不要どころか、逆効果だ 石破政権が今本当にやるべきこと

   とは何なのか 東洋経済オンライン 小幡 績 2024.11.1

    国立大学への偏重策は文科省の体質が変わらない限り、教育の国家統制を強める可能性が強くなる恐れがあり、どうなのかな、と思う部分がある。しかし中長期的には経済政策よりも教育政策を重視せよ、という主張には概ね賛成である。

 教育は「国家百年の大計」であり、人材の優秀さを最大の武器として今まで発展してきた日本が今、直面している学校教育の危機(教員不足、イジメ、不登校の増加…)は、日本の将来をいよいよ暗いものにしてしまうだろう。ただでさえ、猛烈なスピードで進んでいる少子高齢化が招くであろう深刻な事態を、現今の教育危機が深まることで絶望的なレベルにまで悪化させてしまうのではあるまいか。

 現政権が急ぐべきは学校教育の抜本的な改革であり、税金のバラマキ策による景気対策は急場しのぎとしては当面、仕方ない側面があるものの、事態の本質的な改善にはつながるまい。

 若者の絶望感が深まり、闇バイト事件が頻発する中で「無敵の人」が急増しつつある現在、若者対策の一環としての教育改革は後回しにして良いはずがなく、むしろ一刻を争う課題であろう。そして教育改革を断行するには現政権の顔ぶれでは完全に不可能であり、その場しのぎのバラマキ策が終われば直ちに総辞職に追い込んで政権の交代をはかる…とりあえず、これくらいしか今の日本の危機を打開する手はどこにも見当たらないように思えるのだが、いかがか。

衆議院選挙の18・19歳の投票率43・06%…全体を10・79ポイント下回

   る 読売新聞 によるストーリー 2024.10.31

     18歳の投票率が19歳よりも高い理由として高校などでの主権者教育の成果が出ているという読売の評価はいかがなものだろう。仮にそうだとして、主権者教育の影響がわずか1年で急校下してしまうということは、むしろ主権者教育が若者の意識を十分には捉えてはいなかった証拠なのではあるまいか。この点は生徒たちにアンケートをとって授業で確認してみても良いだろう。

 私としては教育や「政治の若者離れ」がとうとう「若者の政治離れ」、教育離れを引き起こしてしまったのではないか、と思うのだが、いかがだろう。

    …選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられてから初めて行われた16年参院選以降、6度目の国政選挙だった。制度導入以降、18、19歳の投票率は全体の投票率を大幅に下回り、30~40%台と低水準が続く。最も高かったのは16年参院選の46・78%で、最低は19年参院選の32・28%。今回の衆院選では、全体投票率との差が、16年参院選に次いで小さかった…とのこと。

    これらのデータは高校などでの主権者教育が相変わらず不十分のまま、格好だけつけて選挙権年齢の引き下げを行ったに過ぎない、という、日本の学校教育と政治の、ゴマカシだらけで古色蒼然たる惨めな状況を示していると捉えるべきであろう。

杉村太蔵氏「1票で日本は変わらない」発言 元放送作家が批判「この失言の罪は重

 い」 日刊スポーツ新聞社 によるストーリー 2024.10.29

 杉村氏の刺激的な発言は若者の政治離れ、政治の若者離れ現象を理解し、今後の民主主義のあり方を考える上で極めて重宝する内容だろう。ぜひ、授業で取り上げて賛否を問いたい。まず前半の「1票で日本は変わらない」という発言と後半の「日本は良い国なので何も変える必要は無い」という趣旨の発言とに分けて、それぞれ生徒たちから意見を募りたい。

世界幸福度ランキング1位・フィンランドの高校生は「人生観」を学んでいる。セレ

 ンディピティの概念や不公平への視点…人生を切り拓く教育とは

 婦人公論.jp 岩竹美加子 によるストーリー 2024.11.2

 …調査によると「私個人の力では、政府の決定に影響を与えられない」という考えについて、日本の高校生の83%が「全くそう思う」、または「まあそう思う」と答えたという。それは米国76.2%、韓国64.4%、中国59.4%の回答と比べて高い。フィンランドの教育は社会や政治に影響を与えることを非常に強調するが、日本でそうした教育はされていない。自分の力で政府の決定に影響を与えられるという感覚が低いのは、当然の結果であり不思議はないだろう。…

 日本の若者が投票に行かず、政治への関心や知識が不足し、自己有効感、当事者意識、主権者意識などに欠けてしまいがちなのも、抑圧的で管理主義的、画一的な日本の学校教育が生み出す弊害と考えられる。

 また心理学の有益なポイントを高校生の時から学習しているフィンランドに対してほとんど教えていない日本ではストレスなどへの対処法に習熟していない生徒が多い傾向が見られるようだ。加えて日本の学校では子どもから自己肯定感を奪うような規律順守の指導が目立つ。こうした事などから日本では過去2年間連続で小中高の年間自殺者数が500人を超えている。時に児童生徒を委縮させかねない日本の道徳の授業よりも科学的な見地から生き方を学び取るフィンランドの授業の方が子供たちの幸福感を高める効果があるのだろう。

杉村太蔵“あなたの一票で日本は変わらない”と発言したのはなぜ?2500字の長文

   で説明 スポーツニッポン新聞社 の意見  2024.10.29

31歳俳優が政治への無関心で私見「見てても見てなくても他のことやった方が」 

 日刊スポーツ新聞社 によるストーリー 2024.10.6

 今時の若者らしさが伺える率直な発言で、非常に興味深い。発言したのは31歳の俳優であり、既にそれなりの人生経験を積んできているはずの人物が、政治に対する無知と無関心ぶりをこれほどまで物おじせず、あからさまにさらけだした勇気に対し、私たちはむしろ感謝すべきなのかもしれない。

 もっとも彼は俳優であり、本当に彼が政治に対して無知であり、無関心ではあるのかは不明としておくべきだろう。ただし敢えて炎上覚悟で語った彼の真意が一体どこにあったのかは十分に斟酌すべきだと考える。

 彼の発言を通じて日本の若者の政治に対する無関心の裏側にある政治に対する深い諦め、絶望感を私たちは明確に感じとることができるはず。同時にいよいよ日本の将来が極めて危機的であることを私たちは予感せざるをえないのではあるまいか。

 彼の発言はその表層だけを捉えると多くの大人たちにとって呆れるほど無知で脆弱なものに響くかもしれない。しかし彼の発言の底に漂う尋常ならぬ絶望感は今の若者を理解し、今後の日本社会を考える上で指導的立場にある大人たちこそしっかりと共有すべき感覚なのではあるまいか。

 実際、今回の石破内閣のメンバーがヒナ壇に並んで写った写真を見たならば直ちに絶望しない人々の感覚の方こそ完全におかしいのかもしれない。そういえば私たちはこれまでの長い間、こうしたヒナ壇上の閣僚たちの、酷く加齢臭漂う男ばかりの集合写真を嫌になるほど繰り返し見させられ、すっかりならされてきてしまった。しかしそれは大抵の場合、年功序列、男尊女卑の、日本の差別的構造の、おぞましいばかりの残存ぶりを象徴したかのような写真たちではなかったのか。

 石破内閣の最前列に並んだ、良く言えばいかにも恰幅の良い、何だかふんぞりかえって妙に偉そうな、ズボンがたるんでだらしなく腹の出たおじいちゃんたちの一群。その後方のおじいちゃんとおじさんたちの大群の中にいかにも目立つように配置された、しかしたった二人の女性閣僚…

 これが日本国の「顔」役としてしばらくの間、国内外に流通してしまう、そのことの猛烈な恥ずかしさと虚しさ、恐ろしさ…一体、どこのどいつがこの顔ぶれで「裏金問題」で揺れた政局を無難に乗り切れる、と言語道断にも自分勝手に判断してしまったのだろう?…たった一枚のひな壇写真で現内閣が日本の若者や女性たちの不満、政治不信に何一つ興味、関心が無いことだけは、恥ずかしげもなく、一切隠すことすらせず、ハッキリと内外に大声で叫んでしまった!

 初入閣が13人もいるはずなのに、写真では若さの欠片も見えてこない。それもそのはず、40代以下はゼロの閣僚たちであり、最年少が51歳、平均年齢は63.55歳…しかも最前列のどんよりとした顔つきと右端の一人の視線があらぬ方向に彷徨うありさまを見ると若者が日本の政治に絶望したくなるのも無理はあるまい。おそらくプロの演出家がサポートしていれば、この写真は間違いなく日の目を見ずにお蔵入りになっていたはずだ。こんな写真を惜しげもなく国内外に発表してしまう石破内閣の、突拍子もない、あまりにも図太すぎる鈍感さに通常の人ならば恐怖すら覚えるだろう。

 今回もヒナ壇にのぼったのは日本の少子高齢化と年功序列の男性中心社会をものの見事に象徴したかのような、すっかり見飽きた、いつも通りの構成メンバーであり、このメンツで急変する時代の荒波を日本が無事乗り切れると信じられる方こそ、完全にピントがずれている…

 ひるがえってみれば、児童生徒の自主性を軽んじ、暗記中心の詰め込み教育を延命させて児童生徒たちの多くをひたすら受け身の忖度マシーンに作り替え、少なからぬ児童生徒たちを絶望させてきた日本の学校教育の、とどのつまり、日本社会にもたらした害毒がついには彼の発言と石破内閣の顔ぶれに臆面もなく表れてしまっている…そのように思えるのは私だけであろうか。

 授業ではまずアンケートを用いてこの記事と石破内閣のヒナ壇写真に対する生徒たちの素直な感想を様々な角度から引き出してみたい。次にその結果を踏まえて議論を展開してみると面白いのでは?良かれ悪しかれインパクトのある記事と写真であり、上手に使えば生徒の発言はそうとう活発になることが期待できるはず。また歴代内閣の集合写真や北欧の政府閣僚の写真も確認させてみるとより理解が深まるだろう。

柴田淳「どれほど恥知らずなんだろう」政治に全く“無関心”の人気俳優に大あきれ

 スポーツニッポン新聞社 によるストーリー 2024.10.7

    柴田氏の発言は最もよくありがちな大人たちの反応であろうが、石破内閣のヒナ壇写真の方こそ国民の政治に対する、まさに「恥知らず」なレベルでの無関心さを強烈に感じてしまうのだが…いかがだろう。女性蔑視の男性高齢者による政治があれほど「老害政治」とさんざん揶揄されてきた「人権後進国」日本であるにもかかわらず、石破内閣の顔ぶれは相も変わらぬ旧態依然の政治が延々と続くことを国内外に強烈にアピールしてしまった…と思う方が常識的な解釈ではあるまいか。まずは高校生らにヒナ壇の写真をじっくりと見ていただき、その素直な感想を聞いてみたい。

     一応、これでも日本は民主主義国家である。彼らを選んでしまった国民の方こそ、本来ならば一番の責任を問われるべきだろう。国民主権の国家であるはずだし、代議制民主政治の国なのだから、石破内閣の、明らかに特定の方向に偏った異様な顔ぶれは主権を持つ日本国民の総意を代表していると諸外国から捉えられてしまったとしても致し方ないはずだ。現状の政治を主権者として他人事ではなく自分事として捉えようとするならば、石破内閣の顔ぶれこそが現状としての日本国民の政治意識の忠実な写し鏡、象徴なのであり、それ以外の何ものでもないはずである。

 笠松氏の発言は不器用で不用意なものにも聞こえるが、むしろ若者たちの思いを正直に代弁しているのであり、私たちが嘆くべきは笠松氏個人に対してではなく、国家の主権を握っているはずの日本国民がどれほど酷く政治に対する意欲と関心を心底まで喪失してしまったのか、そして日本の政治がいかにして若者たちの意思を延々と無視し続けてきたのか…というこれまでの日本社会の歩みの方ではあるまいか。

 すなわち官僚と組んだ歴代政府が長年にわたって国民の知る権利を踏みにじり、マスコミと学校教育をただの洗脳道具として政治利用しようと企んできた結果がこの惨状を生み出してきた…そうした側面が実際にはあるのではないか。

 おそらく真剣に問われるべきは現在の日本国民の主権者としての自覚の、深刻なレベルでの形骸化と喪失、そしてその現象が一体何に由来しているのか、何が国民の政治的関心と意欲をこれほどまでに奪い去ってきたのか…といったような事であろう。

 主権者である国民は一旦、冷静になるためにもまさに自分たちの現状、ありのままの自画像として、目をそむけたくなるのを我慢してでも石破内閣の顔ぶれを何度でも何度でも自問自答しつつ、十分な時間をかけて繰り返し凝視すべきだろう。本当に日本の顔はこのメンツで良いのだろうか、と…

 そう考えてみると柴田氏の発言を単純に鵜呑みにするわけにはいくまい。彼の発言は余りにも表層的できれいごと過ぎるのではあるまいか。「けしからん」とばかりに批判されるべきは笠松氏ではなく、またもや絶望的な顔ぶれとなった石破内閣とそうした顔ぶれを性懲りもなく選び続けてきた主権者である日本国民の方であろう。

 だとすれば日本を民主主義の国家として捉える限りは、「けしからん」とばかりに笠松氏を批判するのはまさに天にむかって唾を吐く行為そのものとなる。結果としてその発言は「主権者」たる日本国民への面汚しになってしまうのではあるまいか。

 ただし以下の疑問を持つとき、この問題は笠松氏、柴田氏のどちらに与すべきなのか、といった二者択一の単純な話ではなくなってくるだろう。

 本当に日本は民主主義国家なのか、日本国民にまともな主権はあるのか、日本国憲法は本当に民主主義的なのか、日本国憲法は校訓と同じただの謳い文句に過ぎないのではないか、日本政治が悪いのは本当に国民の政治意識が低いからなのか…

 笠松氏の破壊的とも感じられる真っ正直な発言は深堀していくと日本の現状を根底から問い直すベクトルをも内包しているかもしれない。

 授業ではこの記事も紹介しておくと議論がかなりヒートアップすること、間違いなしだろう。

女性の当選、立民が最多30人…次いで自民19人・国民6人

   読売新聞 によるストーリー 2024.10.28

    女性の当選者が「73人に上り、2009年衆院選の54人を上回って過去最多となった。21年の前回選(45人)から28人増えた。全当選者に占める女性の割合も15・7%と過去最高で、前回選の9・7%から6ポイント増えた」という。この結果に民意が反映しているはずである。

     ただし自民党も女性候補者を数多く擁立したが、「自民は政治資金問題で比例選との重複立候補を認めなかった候補の代わりに女性を積極的に擁立したが、比例名簿の順位が低く、当選に届かない候補が多かった。」とのこと。「裏金問題」への対応の悪さに加えて、石破政権の隠しようもない女性蔑視の姿勢が総選挙の大敗を招いた一因ではないだろうか。

 しかも過去、自民党の女性議員たちが引き起こしたフランス研修旅行騒動と杉田議員による再三の差別的言動、さらには彼女たちの多くが実は裏金議員だった点も相まって、自民党の女性候補者への信用が失墜していた可能性も考えられなくはない。

   「女性の当選者が最も多かったのは立憲民主党の30人で、自民党の19人、国民民主党の6人が続いた。」という。立憲民主党の躍進を支えたのは新鮮な女性候補者の数の多さでもあったと考えられるが、いかがか。

参考動画

【NNN世論調査】衆院選の結果 「よかった」58% 「よくなかった」25%

 日テレNEWS  2024/10/29  1:53

 石破政権がいかに民意を読み違え、独りよがりの方向に突っ走っていこうとしていたかがわかる調査結果だろう。

【菅義偉】衝撃の変わり果てた姿6連発!

 世間を賑わすニュースあれこれ 2024/10/28  8:08

 菅氏の近影をまとめたもので、菅氏の病状が懸念されるとの指摘にはやはり同意せざるを得ないだろう。下の動画とともに視聴させたい。

首相経験者Sさんは認知症〜認知症専門医・長谷川嘉哉〜「ボケ日和 転ばぬ先の知

 恵」チャンネル  2024/10/16 8:29

 石破政権樹立をサポートした元首相菅氏のうつろな表情には確かに多少の違和感があったものの、実はこれまであまり気にしていなかった。しかし専門家に指摘されて改めて動画を確認(上の動画)してみると実際、症状が相当程度、進行しているように見受けられたが、いかがだろう。既にここまで症状があからさまになっていたとすれば、菅氏の周囲にいる人たちは彼ら自身の認知的な問題が無い限り、とっくの昔から症状の進行に気付いていたはずである。

 にもかかわらず認知的な問題を抱えている人物に後押しされて辛うじて成立してしまった石破政権の現状における、当然の報いとしての危うさ…やはり石破氏とその周りにいる政治家たちの政治的言動に対しては、菅氏の症状よりもはるかに重大な認知的深刻さを覚えてしまうのだが、いかがか。

 アメリカ大統領のブッシュ氏も早くから認知症の症状が顕著であった。にもかかわらず民主党はブッシュ氏に引導を渡すことなく、ズルズルと同氏に政権運営を委ねてしまった。その責任は極めて重大であろう。現在、大統領選でハリス候補がトランプ氏に苦戦を強いられている背景にはいつまでもブッシュ氏を担いできた民主党に対するアメリカ国民の強い不信感がくすぶっているのかもしれない。

 もちろん、誰かが認知症だからと言ってそうした人物が直ちに仕事を辞めるべきだ、ということではない。ただキングメーカーあるいは一国の宰相としてはいかがなものか、という疑念を持つとともに、そうした人物の後押しを受けて総裁選に臨んだ石破氏の見識を問うているだけである。どう見ても石破氏およびその周囲の政治家たちに、かなりの程度で「転ばぬ先の知恵」が足りていなかったのではあるまいか。

参考記事

「政治的活動なので、ポスターをはがすように」高校時代の経験から… 20歳が見た

 総裁選の「内輪感」 withnews2 2024.9.24

 若者の政治離れの原因は他にも数多く挙げられよう。しかし日本の政治システムが若者の意見をほとんど反映させない装置として機能していることに絶望し始めた点こそが若者の政治離れの要因として極めて大きいと思われるが、いかがだろう。

 若者の政治への絶望感は「少子高齢化」の進展による若者の一票の重さが悲惨なレベルまで軽くなってしまっていることだけに由来しているのではあるまい。成田氏が指摘しているように現代では急速に学問の高度化と専門分化が進み、科学技術が急ピッチで進化し続けている。こうした現状に対して従来の代議制が不適応を起こし始めている可能性は決して低くあるまい。

 成田氏の指摘する通り、高度に複雑化し、多様化する現代社会においては政治全般に対する議員一人一人の知識、理解、政策立案能力には大きな限界があり、すべての議題、政策、法律に通じている者などもはや一人もいない。にもかかわらず、有権者が一人の立候補者にだけ投票してすべての政策、立法をたった一人の代議士に委ねてしまうシステムは既に時代遅れなのかもしれないのだ。

 まずは参政権を付与する年齢の上限を決めて若者の不利な状況を少しでも解消していくことが急がれよう。さらには成田氏が提案しているように、議題によっては政策ごとにその賛否等をネットで投票して方向性を決定するような、現状の代議制に代わる新しいシステムの導入が検討されてしかるべきだと思う。

 具体例を考えてみよう。これまでの教育政策は実際には学校現場にほとんど無知な政治家と官僚が大き過ぎるほどの政策決定力を行使してきた。その害悪は今や計り知れないほど大きなものになりつつある。しかし、今後は新しい教育政策の導入や旧来の政策の見直しなどにおいては学校関係者(高校生以上の生徒・学生と教師)にネットを通じての投票を義務化して現場の意見を重視させる路線を打ち出す一方で、他の有権者にも同等の投票権を与えて政策の是非を決定していく。ただし政策の立案や細則などの専門性を要する部分は、国会や内閣、文科省などの配下に置かれた審議会ではなく、開かれた公正な選挙で選ばれた高い専門性と経験値の高いメンバーからなる新設の教育審議会に委ねる。

 以上のようなことが実現すれば教育政策において教師だけでなく高校生にも主権者としての当事者意識が多少は湧いてくるだろうし、政治家や財界からの時代錯誤な介入、下手な横やり、改革への妨害を少しは防止できるかもしれない。

 

・老害発言は年齢差別?

「もう出馬してほしくない」高齢議員ランキング…3位小沢一郎、2位麻生太郎を抑

   えた1位は? 女性自身 によるストーリー 2023.10.25

    高齢の政治家が年功序列によって指導層にいつまでも居座る日本の政界こそが、時代の流れに取り残されがちな、停滞し、低迷する日本の現状を引き起こしている元凶の最たるものであろう。財界もしかり。成田氏が指摘するような「集団切腹」ならぬ潔い「勇退」制度、年齢制限が求められているだろう。少子高齢化の中で不利な立場に置かれている若者への優遇措置も同時に必要となっている。

参考動画

「松本人志を本当に超えたい?」成田悠輔が”世代交代できない芸能界”を斬る【中

 田敦彦】 NewsPicks /ニューズピックス  2023/08/18  14:02

 「老害問題」と若者との関係をどう捉えるか、過激な発言で知られる二人の対談は非常に興味深い。キーワードは「世代交代」のあり方であろう。高齢化する日本社会の世代交代のあり方についてぜひ討論させてみたい。

若者よ、選挙に行くな 2019/07/12 たかまつななチャンネル 1:27

 辛口ではあるが、討論に使えるだろう。シルバー政治に対抗する手立てはあるのだろうか?日本の年齢別人口ピラミッドや世代別投票率のデータを示しつつ、ぜひ時間をかけて討論させたい。

「若者の政治離れ」と言ってる人に一言 2019/07/04 ワラしがみ 4:58

 「政治の若者離れ」という表現はお見事。

今後のことで画期的なアドバイスがあるから聞いてほしい

 2022/05/21 ワラしがみ 3:29

 税金の使途についてもう少し厳しい監視の目が必要だろう。

文通費問題の全部を丸く収める超絶アイデアを思いついた

 2021/12/18 ワラしがみ 5:00

 文通費の「クーポン券」配布はかなり有効なアイデアに思える。

【ひろゆき】爆笑問題太田が大炎上。これ理解できないバカが日本を滅ぼします。

 爆笑問題太田光の二階幹事長への炎上発言についてサンジャポファミリー

 ひろゆき【切り抜き】2021/12/11 3:05

【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化よ

 り無人化の方がマシ」少子化&人口減少前提で考える日本の未来|#アベプラ《ア

 ベマで放送中》 2021/12/19 20:28 

 過激だが説得力のある提案。

【名作】ネットで話題騒然となった問題発言の発端!!今の日本の現状を痛烈に批

 判!!居座り続ける老人達に成田悠輔が警告を放つ!!

 成田悠輔の動画  2023/08/06  7:14

 【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化よ

り無人化の方がマシ」ABEMA Prime (2021/12/19)において高齢者の集団切腹」といった過激な表現だけが切り取られ、高齢者差別を煽る暴言と決めつけられて一時、大炎上した成田発言だが、実際には物理的切腹という意味ではなく社会的切腹(過去の功績をもって上のポジションに居座り続ける高齢者に潔く引退を促す、というほどの意味)であるとの発言であったことが分かる。この炎上騒ぎが成田氏に悪意を持つ勢力の扇動である可能性は高いだろう。成田氏が社会的切腹をイメージしたのはおそらく二階元幹事長や森元首相の発言をめぐる一連の騒動であったと思われる。

女性めぐる発言「深く反省」森喜朗会長が発言撤回 辞任は否定

 2021/02/04 FNNプライムオンライン 4:35

森喜朗を救いたい 2021/02/06 ワラしがみ 12:51

【成田悠輔】誰もが興味を持つ話題にぶっ飛び発言!政治家になる可能性は?ひろ 

 ゆきと成田悠輔に聞く【成田悠輔切り抜き/成田祐輔/ひろゆき/日経テレ東大学/リ

 ハック/Yusuke Narita】2022/01/01 3:04

「僕らは武器を与えられず大人になっている」20代の若者が日本経済への心情を吐

 露 2022/08/15 NewsPicks /ニューズピックス 14:30

【衝撃結末】収録直後…天才がまさかの告白【選挙ってなんだSP】

 2022/06/21 日経テレ東大学 40:32

 ランク付けの投票は検討に値する投票プランの一つと思われる。

【22世紀の民主主義】成田悠輔が提唱する「政治家不要論」アルゴリズムが政

 策を決めていく時代 2022/07/26 中田敦彦のYouTube大学 – 40:40

22世紀の民主主義②】日本の停滞感を根本から変える「成田悠輔の新構想」とは?

 2022/07/27 中田敦彦のYouTube大学  42:00

 SNSの普及がポピュリズムをはびこらせ、民主主義の停滞を招いたとする成田氏の指摘は参考になるだろう。SNSの普及は他方で民主主義を再生するには「選挙」という古臭い、雑なシステムから離脱し、政治家を不要とする新しい社会を招く可能性を有している、という指摘も刺激的だが非常に面白い。本当の民意を反映させる方法としてAIを用いた政治を構想することも必要。「選挙に頼らない民主主義」という意表を突いた発想に注目したい。

【激論】成田悠輔×西田亮介 ニッポンの民主主義は限界?改良の余地は【参議院選

 挙】2022/06/24 ABEMAニュース【公式】 31:27

 二次投票のアイディアも現実的改善策としては検討に価するだろう。

参考記事

日本の「重症の民主主義」を再生させる3つの手段 「#投票に行こう」では変わらない

 現実を変える  成田 悠輔 2022/08/04 15:00 東洋経済オンライン

「若者の非婚化」を後押しする日本の絶望未来 実は「晩婚化」なんて起きていないとい

 う衝撃 荒川 和久 2022/08/14 07:30 東洋経済オンライン

成田悠輔氏の広報起用批判受け 内閣広報室、各省庁に「人選慎重に」

 毎日新聞 によるストーリー 2024.3.22

 まさしくこうした動きの背後に老害政治家たちの狡猾な動きが潜んでいるように見える。

キリン「氷結無糖」の“成田悠輔氏”広告取り下げが起こった本当の理由

 日刊SPA! の意見 2024.4.6

 上の記事とあわせて利用するとこの問題への理解が深まるだろう。

参考動画

【貧困大国ニッポン①】円安・賃金の停滞・国際競争力の低下…日本はなぜ貧困に

   なってしまったのか?その原因を徹底解明します

   中田敦彦のYouTube大学  2023/11/11 38:27

【貧困大国ニッポン②】官邸一強によって生まれた忖度…「内閣人事局」の功罪と

   は? 中田敦彦のYouTube大学 2023/11/12 34:48

 「失われた30年」がどのようなメカニズムで生じたのか、非常に明快な論理で解き明かした傑作動画。特に安部政治の負の側面を抉り出し、処断する論説が展開されている。確かに中田氏が強調するように、2012年に一人当たりのGDPが13位だった日本が、10年後の2022年に27位に転落した責任の過半は安部政治にあるだろう。

 失われた30年は小選挙区比例代表制と政党助成金が導入された細川護熙内閣から始まるという指摘は面白い。本来は金権政治への批判から導入された政治改革のための制度が政治の意思決定の面で族議員や大企業の力を弱め、相対的に首相官邸の指導力が高まる流れを創り出した点は確かに否めないだろう。加えて1996年に官庁が再編され、省庁の数がほぼ半減されたことで官僚の力も一気に後退し、これまた相対的に首相、及び官邸の力が伸長することにつながる。

 そしてこの流れが決定的になったのが安倍内閣による内閣人事局の設置(2014年)であったという。これによって政府は各省庁の幹部クラスの人事権を握るのみならず、日銀やNHKのトップを決める人事権まで握ってしまった。この人事は首相とそのお気に入り官僚(通産省出身者が多いらしい)とでほぼ決められてしまい、左遷、降格人事を恐れる官僚たちの過剰なまでの政権への忖度を生み出した。もちろんNHKや日銀も同様となる。安倍首相は検事総長の人事にも介入し、モリカケ問題や桜を見る会の隠蔽に走った。つまり首相のやりたい放題の政治が官邸主導で実現されてしまったことになる。総務省を通じてマスコミの統制にも成功した政府はついには政権に批判的なテレビキャスターを引きずり下ろす蛮行まで行うようになってしまった。

 他方で日本経済の立て直しはもっぱら日銀による異次元の金融緩和、すなわち莫大な通貨の市場への放出を行ったのみで、その効果は極めて一時的なものであったにもかかわらず、政策の検証を行わないままとうとう10年が経ってしまった。むしろ景気が後退する中でひたすら円安が進み、輸入価格の高騰に伴う物価上昇に対して賃金の上昇が間に合わないという、悲劇的な状況が日本の現状を覆っている。

 中田氏はこの「失われた30年」を取り戻し、「貧困大国」と揶揄される政治と経済の停滞から脱出するには「情報の透明化」が最大のポイントとなると指摘している。確かに過去30年間のしっかりとした検証抜きではいつまでたっても真剣な反省ができないまま停滞の沼につかっていく一方となるかもしれない。この状態はおそらくカッパが再三指摘してきた教育行政の停滞だけに限らない、極めて広範で根深い現象なのだろう。とりわけ「情報の透明化」は学校の強固な隠蔽体質の改善にもつながる、重要なキーワードであると感じた。

【成田悠輔 下村博文】そもそもの制度、構造の問題を指摘し続ける成田博士の視点

   は必要だと思う。

   天才博士の見る世界【成田悠輔 切り抜き】  2022/02/25  5:49

   成田氏の高齢政治家に対する一貫した主張が理解できる、貴重な切り抜き動画。ぜひ、この動画から「老害政治家」の問題や若者の閉塞感を明らかにしていきたい。

参考記事

 Z世代の約7割が日本社会の未来に「希望を感じていない」…理由2位「少子高齢

   化」を超えた1位は? まいどなニュース の意見 2023.10.6 

    やや調査対象の人数が少ないと思われるが、この分野の最初で使いたいデータである。なぜ、日本社会の未来に希望を感じられない若者が多いのか、その理由を出来るだけ多く考えさせたい。同時にどうしたら未来に希望を持てるようになるのか、その条件もできるだけ多く挙げさせたい。

二階元幹事長「不出馬」で考える スウェーデン82%、日本36.5% これが日の“

 じさん政治”を生む【報道1930】

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.3.26

   老害政治家が跋扈するする日本では若者の政治に対する無関心と諦めが蔓延している。とりあえず政治家の定年制と被選挙年齢の引き下げが同時に実現しないと若者の政治参加は進まないだろう。と同時に学校での政治的話題に関する議論形式の授業が小学校を含めて広く行われなければなるまい。日本の学校教育がいかに若者を政治的無関心に陥れているのか、特に社会科教師は深く自省すべきであろう。

「安倍派幹部は責任を果たした」自民党・大西英男衆院議員が主張 「われわれは選

 挙で選ばれた人間」 東京新聞 2024.1.25

岸田首相「責任は国民判断」波紋=自民反発、野党は解散要求

 時事通信 2024.4.5

二階元幹事長に新疑惑 3年間で3400万円以上の書籍代 裏金で出版かさらに

 「本もらった」と話す住民たち 禁止される寄付にあたる可能性

 FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.4.5

 パーティー券販売に関する会計処理の杜撰さ、不透明さが問題になり、ついには安倍派などによるこれまでの派閥政治への批判、安部派を中心とする自民党幹部の辞任に発展している。こうした一連の騒動によって国民の政治不信が高まる中で、一見、安倍派議員による開き直り、とも取れそうな発言が記事となっている。これをどう受け止めるのか、まず生徒の意見を確認したい。

 大西議員の発言は代議制民主主義の原理・原則から見れば決して間違っていると単純に決めつけられるものではなく、むしろ正当なものとさえ考えられるだろう。こうした事案に対して国民には選挙で政党や議員を断罪できる権利が与えられているのだから、本来ならば選挙を通じて国政を変えていくのが民主主義国家における国民のとるべき本道ではある。

 ところがこの本道自体、実は大きな落とし穴が随所に待ち受けていて、民主主義の根幹を揺さぶりかねない危険性をはらんでいることも、また事実だろう。ナチスの台頭を招いたのはドイツ国民の大多数によるヒトラーへの熱狂的な指示である。ドイツ第三帝国は最初から独裁体制だったわけではなく、むしろ最も民主主義的であったはずのワイマール共和国こそがファシズムを生み出す母胎の一部ですらあった…そうした側面は決して否めないだろう。民主主義的な多数決の原理が最悪の政治を引き寄せた過去があったとすれば、多数派の発言力、優位性はある程度まで認めるとしても、今日においてはその正当性全般をも軽々に判断することは避けるべきだろう。

 選挙に当選すれば議員としてのある程度の特権が法的には約束されている。しかし議員ならば何をしても良い、というわけではもちろんない。どこまでが議員としての特権でどこから先が禁じられたゾーンなのか、グレーゾーンも多少あるだろうが、出来る限り厳密に問うべきだろう。

 しかし残念ながらモリカケ問題、桜を見る会の問題、すべてこれまで証拠隠滅が疑われる中で証拠不十分というあいまいさを払しょくできずに不透明なまま過ぎてきている。どうやらこの国の証拠隠滅による誤魔化しだらけの政治は地方議会のみならず、地方行政組織、公立学校の隅々まで深刻で根深い隠蔽体質としてすでに広く浸透してしまっているのではあるまいか。

 つまり国民は民主主義が健全に機能する上で不可欠なはずの知る権利が常に侵害されている状況に置かれているため、選挙の際、どの政党を選べばよいのか、どの議員を選べばよいのかといった判断基準に関わる、信用するに足る肝心な情報を実は十分に持っていないのが実情だと私は考えている。

 このような状況で選ばれた議員に、そもそも国民を代表して国政に関わる代議士としての資格があるのかどうか、実際には疑わしい限りである。しかも比例代表制があるため、少なからぬ国民が落選させるべきだと考えている、差別的発言を繰り返してきた某国会議員を落選させることが出来ないシステムである点も、選挙制度の大きな欠陥として指摘できるだろう。またよく言われるように少子高齢化に伴う世代別選挙民人口の偏りは極めて大きな問題であり、若者を政治から遠ざけさせている無視できない一つの原因となっている。

 さらに日本の学校教育の不備がこの問題を一層深刻にしているだろう。高校ですらまともな政治教育が出来ない、知識詰込み型の授業が蔓延する現状では18歳になっても選挙に行くだけの政治的関心や意欲、知識を持つ若者が極めて限定されてしまっている。無論、成人したところで日本では信頼するに足る政治情報が極めて限定的にしか報道されないのだから、もはや、選挙結果自体、国民の世論を十分に反映しているとは考えられない…だとすれば今の議員たちが本当に国民の代表としてふさわしい存在なのか、もう一度真剣に問い直すべき時が来ているに違いない。

 要するに大西議員や岸田首相の発言はこうした日本の「知らしめず、よらしむべし」の封建的な政治風土、システム上の欠陥などについて政治家としてまったく考えが及ばない、いかにも今、ありがちな、特権意識丸出しの開き直りに過ぎない、と判断するが、いかがだろう。

 

・2024年の都知事選を考える

参考記事

【2024荒れた都知事選】「恥ずかしい」「これが民主主義」 ポスター掲示板、

   有権者はどう見た?日テレNEWS NNN によるストーリー 2024.7.10

    討論型授業に使うのならこの記事が良いかもしれない。ポスターを巡る意見の多様性に気付けるだろう。この問題をどう捉えるのか、議論百出してまとめるのは難しいのでここでは無理やりまとめるよりも、出来るだけ多様な意見を引き出してみることを最優先したい。考え方の多様性に気付くことの重要性について考えを深めるチャンスとなれれば結論が出なくとも議論する価値は決して小さくあるまい。

橋下徹氏 都知事選のポスター掲示板問題は「ある意味、今の都民の民主主義のレベ

 ル僕は事前規制に反対」 スポーツニッポン新聞社 の意見 2024.6.24

 「都民の民主主義のレベル」が低い、とのことだが、民主主義のレベルがとりわけ東京都に限って低いとは思えない。今や安芸高田市などを筆頭に地方議員のレベルの低さはあまねく知れ渡っている。今後、取り組むべきは国民の政治意識の低さがどの程度なのか、国際比較等を通じて明らかにし、日本での意識の低さがどのようにして生み出されてきたのかをまず明らかにすること。次に国民の政治意識を高めるには今後どうすべきか、その方策を練ることだろう。

車椅子アイドル、ほぼ全裸の都知事選ポスター騒動に私見 インプ稼ぎで「余裕で元

 が取れます」 日刊スポーツ新聞社 2024.6.21

ひろゆき氏 都知事選わいせつポスターに「本人以外の写真載せた人みんな…」番

 組で持論述べる スポニチ 2024/6/22 10:36

 ポスターへの対応という目先の観点では妥当な意見であるが、本質的に問うべき点はなぜこのようなことが今の日本で生じているのか、であろう。ぜひ生徒たちには事の本質、事件の背景を推理させたい。

有権者「ばかにしている」 都知事選の掲示板に大量の同じポスター

 毎日新聞 によるストーリー 2024.6.21

 今、最高に刺激的なニュースであり、授業で取り上げないわけにはいくまい。生徒たちの意見、感想をまずアンケートで募りたい。ある程度、対立的な意見にまとまりそうならば、討論に持ち込めるだろう。相当、ホットな議論が展開できそうな内容だが、特にNHK党の立花氏の見解が興味深い。この意見をどう評価するのか、多角的に考えることで日本政治の現状についてかなり深掘り出来そうである。またアンケートでは誰が当選するのか、予想させるとさらに面白くなるだろう。予想の根拠、理由もぜひ書かせたい。

 ※参考記事

  〇「YouTubeでバズってる」オリラジ中田 明かした都知事選で注目する候補者”コメント欄では

   対談求める声が 女性自身  2024.6.21

小倉智昭「言語道断だよ」都知事選のポスター問題&大量擁立「何か手を打った方

 が将来のため」日刊スポーツ新聞社 によるストーリー 2024.6.24

73歳大物タレントが苦言「いまの日本には一般常識が存在しないのか?」都知事選

   ポスター騒動に 日刊スポーツ新聞社 によるストーリー 2024.6.22

     高齢者による苦言には真剣に耳を傾けなくとも良いケースが少なくないだろう。いかにも「昔は良かった…」的な、高齢者のあやふやな記憶に基づく発言ほど「老害」臭が漂うものはない。堀江氏が指摘するように、昔から日本の選挙と政治は腐敗しており、残念な部分や滑稽な要素をいっぱい抱えてきたはず。それを今回の、児戯に等しいポスター騒ぎをもってして「今の日本には一般常識が存在しないのか」と大仰に嘆く方が滑稽だろう。何を今さら仰いますやら…なのである。

     昔から日本の選挙と政治は酷くねじ曲がっており、腐敗していた側面を持っていた残念な歴史がある。それを自覚できないでここまで来てしまったのか、それとも高齢者特有の記憶の揺らぎが生じてしまっているのか…現状を変える力を持たない、無意味なボヤキを発する前に、かつての日本の政治の闇と今の政治の闇との間に横たわり続けているどす黒い「何か」にしっかりと目を凝らし、向き合う方がはるかに有意義ではないのか。

 もちろん選挙のあり方について「何か手を打った」方が良いのは当然であり、むしろ言わずもがな、である。当たり前すぎて耳を貸したくもないし、問題の核心は選挙のあり方には存在しないだろう。

 どんな選挙に変えたとしても、おそらく別の弊害を生み出すやもしれず、どんな法にも抜け道はあるに違いない。つまり選挙どうのこうのは日本の政治を変える上ではあくまで対症療法に過ぎず、根本的な解決にはまったくつながりそうもないと思うがいかがか。

 そもそも地方政治から国政まで様々な問題が噴出している現状を許容してきたのは国民そのものであろう。議員や首長を選んだのは国民であり、国民が変わらなければ政治が変わらないのは民主主義の鉄則ですらある。今、問われるべきは民意の方なのだ。したがって都知事選のポスター問題は主権者たるべき国民が生み出している側面があると考えるべきであろう。

 では現状の無様な騒動を生み出す基盤たる国民の政治意識がどのように形成されてきたのか…問題の核心はそこにあると考えるが、いかがだろう。そして民意形成の要となっているのは学校教育とマスコミのふたつであることはほぼ議論の余地があるまい。すなわち私たちはこの騒動を機に、この騒動の主犯格たる戦後の学校教育とマスコミの歩み、学校とマスコミが高々と掲げてきた理念の裏側で実際にはたしてきた社会的機能の方をこそ、しっかりと振り返ってみるべきではないのか。

参考動画

【成田悠輔】評価と仕事と学校教育|好き勝手なことをやる意志|他人の評価、分

   類、肩書きに捉われない生き方|無感覚観

   日本経営合理化協会  2022/08/20  8:23

    少子高齢化の下で若者がどのような心構えで生きていくべきなのか…重要なヒントが潜んでいるだろう。他者による評価、自己承認欲求に足を掬われない事が最も重視されるという指摘は成田氏以外でも多くの識者が行っている。

成田悠輔&石丸伸二&ひろゆき※絶望的なデータが明らかに「石丸さんへの支持

 は希望というより絶望。政治家には死んでもなりたくない」

 成田悠輔の部屋【yusuke narita】  2024/07/12 11:22

 議員候補者に投票して政治を委ねる代議制度全体がそもそも時代的に見て限界にきており、少子高齢化は制度の機能不全を招いている要因の小さな一つに過ぎない…とする成田氏の指摘は鋭い。都知事選を巡る動きの背後で急激に進行する日本政治の危機は「若者の政治離れ」といった限られた世代の問題ではなく、もっと本質的で大規模な領域に及んできている…とするならば、一体、私たちは今何ができるのか、政治システムの根本から真剣に問い直すべきだろう。

 とりあえず教師としては地道に自分の授業のあり方を見直すことから始める他に手立ては無さそうだが…

車椅子アイドル、ほぼ全裸の都知事選ポスター騒動に私見 インプ稼ぎで「余裕で元

 が取れます」 日刊スポーツ新聞社 2024.6.21 7:39

【石丸伸二最新】※衝撃の支持率が発表され驚きを隠せない…当選確率の高さに腰

   を抜かしました ホリエモンのお前が終わってんだよ!【堀江貴文 切り抜き】

   2024/06/22  10:29

【石丸伸二】オールドメディアに厳しい石丸氏が入党を打診?新党『再生の道』の

   結党会見で石丸氏が記者をベタ褒め!?

   政治のミカタ  2025/01/15 19:42

     安芸高田市で高めた政治家としての経験値を、いよいよ全国的に生かしていく方途をかなり分かりやすく提示してくれる動画。今後の政治の行方を左右する重要な一人となるだろう石丸氏の動向に今後も注目していきたい。

日本の若者、自国の将来「良くなる」15% 米英中など6カ国中最低

   毎日新聞 によるストーリー 2024.4.9

 議論の材料としてうまく利用できれば面白いだろう。同じようなアンケートを事前に生徒に行ってから、結果を比較させて議論に持ち込みたい。

 

 

現代日本における公教育の病状と原因についての私見

 

参考動画

「社会性のない子どもを育てたい」データ×教育の専門家・成田悠輔の子育て論

 新R25チャンネル 2022/04/02 28:32

【究極の問題提起】『生きて行く上で社会性は本当に必要だと思いますか?』人生で

    一番大切なコトとは。。。 成田悠輔の教育論    半熟仮想 2024/06/14  13:27

   疑うことなく子供たちの社会性を高めることを至上命題にしてきた教師は今も少なくあるまい。学校で集団生活することを通じて社会性が涵養される、との信念は日本の場合、社会全体に行き渡っているとさえ感じるが、いかがか。

 社会性を身に付ける、という口実の下に資本主義的市場競争を軸とする競争社会への積極的参入をすべての児童生徒に促す…公教育の本質的狙いは、実はそこにあるのかもしれない。つまりある種の「社会性」の涵養こそが、現代の学校における社会化機能の中心なのかもしれない。

 国民の「社会性」の涵養を通じて全国民を同じ土俵に乗せ、競わせる。すなわち人材の選別と配分を効率的に実現する…という古典的な社会的機能を相変わらず公教育は果たしているわけだ。「社会性の涵養」というキレイごとを掲げていれば国家的には日本の経済競争力を高めつつ、社会秩序も高い水準で保てる…

 実際、強い協調性と没個性を強要しかねない同調圧力との境は私たちにとってかなり曖昧に見える。ある種の集団主義的社会性を身に付けさせることが明治期以降、日本の学校教育の究極的な目標として設定されてきた。しかしこの教育の流れは、ネット社会の進展の中でそろそろ見直されるべきかもしれない。多様性の尊重、という価値観を否定的に見る風潮が出てきている昨今、成田氏の主張は強烈なアンチテーゼとなっているように思える。

 個別最適化の教育と多様性の尊重とは重なることの多い重要な教育目標だ。これらはこれまでの一斉講義形式の授業に代表される画一的で管理主義的な公教育を少しでも多様性に満ちた柔軟な形に変えていく上で、高く掲げべき大切な理念であり続ける。成田氏のややトゲのある過激な口調に反発する前に、まずは学校がこれまで果たしてきた社会的機能の光と影の両面を見極めておきたい。

【日本の公教育は、古くて貧しい】東京と地方の差が大きい/不登校34万人/知識

 の詰め込み方も多様/学校のWiFiが繋がらない/フリースクールの月謝補助を/教

 育機会確保法による変化/軍隊教育マインドの名残

 PIVOT 公式チャンネル 2025/03/22  29:56

 白井氏が指摘しているように公教育の古さと貧しさは確かに日本の学校教育における大問題であろう。そしてフリースクールを含む学校の多様化を生み出すにはまず国家による学校教育への統制を緩めることが必要である。

 公教育だから統制を厳しくするのは不可避だ、とするのは教育観の古さと貧しさに由来する側面が小さくないのではあるまいか。教育行政の画一的管理主義こそが学校教育の管理主義を蔓延らせている根源ではないのか。

 軍隊教育のマインドが残存する学校教師の問題は確かにあるが、そもそも軍隊教育のマインドを持つ政治家と官僚の責任こそ、強く問われるべきであると考えるが、いかがか。教師の質の低下を問う以前に、問われるべき問題は数多くあるはずだ。

【車いす生徒】合格しても入学しない約束で受験?入学拒否に波紋…設備面の配慮

 すべき?|ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2025/04/16  20:00

 災害時の避難場所とされている公立高校には本来、備えられてしかるべき冷房設備やエレベーター、バリアフリーの各種設備、障がい者用トイレがまったく無い、ないしは不足しているケースが千葉県の場合、決して少なくない。とりわけエレベーターは多くの公立高校に一台も存在していない。日本の「公教育の古さと貧しさ」がその背景に広く存在しているのだ。根本的にはGDPに占める教育予算の割合が先進国の中で長く最低レベルであり続けたことに平気でいられる日本の政治の問題である。にもかかわらず設備の不備をもっぱら個々の学校や各教育委員会の責任と見なすこと自体、議論としてズレ過ぎていると考えるが、いかがか。

 高校の場合、ほとんどが4階建の校舎である。4月に重い教科書や機器などを幾度も往復して4階の教室まで運ぶ労力は並大抵のものではない。春を迎えるたびにエレベーターを備えている他校をうらやましく思う教師は今も圧倒的に多いだろう。

 生徒の保護者にも車いすの利用者、杖などを必要とする人はいる。生徒だけではなく、障害を持つ教師や保護者、来校者、とりわけ避難時の住民たちの中には特別な配慮を必要とする人が少なからず存在する。だとすれば、インクルーシブ教育を担い、避難先をも引き受けた学校にはどこであれバリアフリーの設備が当然のごとく備わっていなければならないはず…なのに、この有様だ。

 日本の公教育の余りの古さ、貧しさにうなだれるほかない。

【財務省】授業で四則演算やbe動詞義務教育の内容?大学側は?教育の質”は検

 証可能?中室牧子氏「人に投資・リターンの確認を」|アベヒル

 ABEMAニュース【公式】  2025/04/23  26:58

 財務省の学校に対する古臭い認識、無知さ加減には呆れるばかりだ。義務教育における「落ちこぼれ」の大量発生が有効な救済措置もとられないまま高校教育に引き継がれ、高校でもほとんどが救済されないまま大学にまで引き継がれている。大学進学率が50%に達した現在、大学生でアルファベットや割合、分数が理解できない者は決して少なくあるまい。

 学力どころか出席をも軽視する形式進級、形式卒業を当たり前とする義務教育の在り方が変わらない限り、日本の高校教育や大学教育を変えることはできないだろう。にもかかわらず、トップダウン的発想から高等教育、大学教育を変えるだけで教育の質の向上を図ろうとするのはまったくのナンセンスであり、教育全体を見渡すことの出来ない偏頗な発想に過ぎない。

 いわゆるFラン大学の存在は、大卒という学歴を偏重する日本企業の、あからさまな手抜き採用人事のあり方にも起因するのであり、「営利追及に走っている」とばかりに難癖をつけて一方的に大学側の責任を問うのは的外れであり、片手落ちだろう。たんに需要があるから供給が生じているだけではないのか。

 財務官僚のようなエリート進学校の卒業生たちに、日本におけるFラン大学の社会的な存在意義への理解がイマイチ足りないのは当然と言えば当然ではある。しかし自分たちのエリート主義的認識に大きな偏りがある事への自覚が不十分であることは認めるべきであろう。98%の進学率に達した日本の高校に存在する数多くの教育困難校もまた、それなりの存在意義はあるのだ。

 仮にFラン大学が日本から消えてしまうと、一体どんな不都合な事態が発生してしまうのか、少しでも想像してみればよい。若者の失業率と犯罪発生率、貧困率は急激に高まり、いわゆる「無敵の人」が急増してしまうに違いない。

 40年近く前に高校における教育困難校を「未成年失業者収容所」と表現した方(「当節定時制高校事情」佐々木賢 有斐閣新書 1987)がいたが、Fラン大学の存在意義もまたしかり、である。下手をすれば犯罪予備軍たりうる若者たちを収容する「予防拘禁施設」という社会的機能の側面から見れば、Fラン大学の存在価値をプラスに評価することも可能なはずなのだ。

 確かに「高校」とか「大学」とはあくまでも名ばかりで、実態としては一部、義務教育のやり直し施設、果ては一部、少年院、鑑別所兼職業訓練施設と化している学校も無いわけではあるまい。

 西欧や北欧のように高校レベルでの職業教育が発達していて、職人、技術者の社会的地位がさほど低くない社会では、大学に進学しない若者が路頭に迷い、犯罪に走る危険性は日本ほど高くはあるまい。リカレント教育が一般化した西欧や北欧ではいったん就職した後で大学進学する者が珍しくない。

 しかし日本では職業高校が低迷しがちであり、職人の社会的地位も決して高くはない。中卒や高校中退で就職した若者が社会的地位を高めていく方途は、プロスポーツや芸能界を除くと日本では極めて限られている。この問題を放置しておいて、学校教育ばかりに責任を転嫁するのはいかがか。

【問題提起】半径2メートルの教育観を壊せるか|元校長が、教育は宗教”と語

 る理由【後編】#8 東修平の対話チャンネル【公式】 2025/04/25  38:24

 高校教育の改革を主題とした記事や動画はこれまで極めて少なかったと思うが、いかがか。昨今の高校教育無償化を巡る論議によってようやく高校教育への注目度が高まってきたのだろうが、高校教師にとっては貴重な動画だと考える。

 元高校校長の荒井氏の指摘の中で同府県立高校の一部を市町村立にして地域社会活性化の核としていく案は極めて興味深い。公民館や小中学校、高校などが一体化して地域社会の核となれれば、部活動の地域社会への移管も進むだろうし、児童生徒の異年齢間の交流も活発化するだろう。また都道府県立高校が抱える均質化、同質化の圧力を低め、各学校の個性化、自由化が進むかもしれない

【教員とは】新任教師の退職が過去最多に?負担が大きい?給料が安い?

 ABEMA Prime #アベプラ【公式】2025/04/29  21:04

 職員会議の非民主化、教育内容への過剰統制、教員人事の歪み、学校の不透明性(隠蔽体質、ブラックボックス化、発信力の弱さ…)、管理主義的で画一的な教育行政、大学での教員養成教育の不十分さ、公教育全体の貧しさと遅れ…日本の学校教育が抱えている問題を挙げればキリがない。

 教員の中途退職や志望者数の減少は、そうした数多くの問題の上に次々と生起する沢山の症状の内の一つに過ぎない。教員の過剰労働ばかりに焦点を当てて教員不足の解消のみを目指す軽薄な議論では効果の極めて限られた、表層的な対症療法しか浮かんでこないだろう。

 それだけ根深い問題を数多く孕むこのテーマについて、まともな識者、専門家すら招いていないこのメンバーでしっかりとした議論が尽くせるわけはない。せっかく採用試験合格を辞退した人を二人呼んだのだから、もう少し議論を深められる発言の出来る人を複数人、ゲストに呼ぶべきだろう。にもかかわらず、このレベルの軽薄な企画しか思いつかないスタッフの学校教育に関する無知無理解ぶりにはただただ呆れるほかない。

参考記事

「休憩ほぼなし、休日勤務が当たり前」 教員5200人調査が映す過酷すぎる日常” 

    ITmedia ビジネスONLiNE 2025.8.29

   なぜこんな雑な記事しか書けないのか、不思議。せっかく5000人を超える本格的な調査なのに、学校種別、年代別、性別などによる細かい分析が記事にされていないことに呆れる。おそらく調査を行った係の人たちはt手間暇かけてきちんと分析をしているはずである。編集側に問題があるのかもしれない。

    学校を巡る深刻な問題の一つが学校のブラックボックス化であろう。それは頑固な学校の隠蔽体質に加えて、文科省のいい加減な調査のせいで学校の内部事情が酷くゆがめられた形でしか世間に知られてこなかった点に起因するだろう。したがって文科省や教育委員会以外の、第三者による調査結果の公表は極めて貴重であり、期待するところが大きい。しかし期待は完全に裏切られてしまった。残念の一言に尽きる。

    教員は休憩無し、休日勤務が当たり前…このレベルの事はとっくの昔に周知されている。だからこそ教員志望者が減ってきているのだ。なぜ5000人を超える教員への大規模調査を行ったのに、この程度の杜撰な分析しか記事に出来なかったのか…編集者の意図がまったく理解できない。まさに「マスゴミ」そのものの稚拙な記事である。

日本人は世界の中でも「人を信頼する傾向が極めて低い」人種…その背景にある残念

    な社会構造 プレジデントオンライン鈴木 裕介 2025.7.30

    数多くのテストや試合を通じて競わせることが、必ずしも自己肯定感を高める事には通じず、むしろ自他への信頼感を損ね、自己肯定感を下げる危険性があるかもしれない…という指摘は日本の児童生徒の自己肯定感、幸福感の低さを説明する観点かもしれない。

    相互監視の窮屈な社会が生み出す「安心」感は自他の効能感によって生み出され、裏切り者の排除という厳しい罰則で支えられている…という指摘は日本社会でのイジメ、パワハラ、不登校、引きこもり、自傷行為の発生要因を説明する重要な観点かもしれない。

    自己犠牲を美化し、自己効能感と協調性、集団の結束力ばかりを高めようとする日本の集団主義的学校教育風土を根本的に見直す上で、これらの観点は極めて有効ではあるまいか。

教育現場のリアルな実態…教員の8割が10時間以上勤務    リシード 2025.7.29

 …出勤してから退勤するまでの教員の勤務時間は平均11.17時間であることが2025年7月29日、小学館が運営する教員向けWebメディア「みんなの教育技術」の調査結果から明らかになった。8割を超える教員が10時間以上、4人に1人が12時間を超えて勤務している状況にあった。

 教員の勤務実態に関するアンケートは、5月20日から6月30日にかけて全国47都道府県の教育関係者を対象に実施。Webメディア「みんなの教育技術」でのアンケート形式で実施され、有効回答数は5,412人だった。…

 この調査は文科省や各教育委員会による同様の調査よりも、はるかに信用できるだろう。

教員悲鳴、プールは限界……学校水泳、持続可能な「令和モデル」は?

 All About 滝口 隆司 2025.7.25

 まずはプールでの水泳授業のための維持費用が一校につき平均して年間いくらかかるのか、明確に公開して欲しい。消毒や水道代だけで明らかに他分野の教育予算を大きく圧迫するほどの費用となっているはずである。冷暖房費だけでなく、印刷やコピー代すらケチるのが公立学校である。ただでさえ先進国において最低レベルの教育予算しか計上してこなかった日本が、なぜ水泳にだけはそれだけの潤沢な予算を用意したのか、まったく理解できない。水泳は戦前からオリンピックでメダルを狙える数少ない種目であり、国威発揚に役立つ…これが本当の狙いだったのではあるまいか。

 マリンスポーツのメッカ沖縄県では意外にもプールのある学校が少ないそうだ。実際、美しい海が身近にあってもそれなりに泳げる沖縄の人はあまり多くないと言われている。しかしかつては糸満スイミングスクールの選手がオリンピックに出場していた時もあった。学校にプールがなくとも水泳選手が誕生している過去は確かにあるのだ。やはり学校での水泳に特別な意味があるとは思えない。

 現に私の周辺ではコナミなどで水泳を習う児童が少なくない。室内温水プールなので天候や季節を問わず、安心して水泳を習うことが出来る利便性がある。水泳習得の希望者には都道府県から補助を出して民間施設で習わせればよい。全校にプールを完備する費用を考えればその際の補助の金額などとるに足らぬ。水泳授業における学校の甚大な経済的、労力的負担と事件(盗撮等)、事故の危険性などを考えれば、一刻も早く学校から水泳授業とプールをなくすべきだと思うが、いかがか。

小規模私立大の定員充足率が急降下 強まる著名大学志向、淘汰加速か

    毎日新聞 2025.7.26

 少子高齢化の度合いが進んでいる地方ではとりわけ地方私大の定員割れが激しいだろう。私大が無くなってしまえば若者の流出に歯止めが利かなくなる。地域経済がいよいよ立ち行かなくなるのは目に見えているが、残念ながらそれは仕方のないこと。そもそも大学に地域経済の活性化を期待すること自体、完全な筋違いである。

    むしろ他の教育予算の充実を図り、同時に国庫負担の軽減のためにもさらなる私大の淘汰は必要ですらある。結果的に、地方によっては荒廃が劇的に進むかもしれないが、その問題に関しては高等教育の社会的役割とは分けて考えるべきである。地方経済の活性化はもっぱら政治の問題であろう。

 問われるべきは高等教育の存在意義であり、中等教育や初等教育とのつながりの在り方である。初等教育から高等教育まで、いずれの段階においても日本の学校教育は今や問題だらけであり、根本的な見直しを迫られている。小手先の対症療法でどうにかなるものではあるまい。

    今まで「地方創生」の一環として私大を誘致し、経済の活性化に成功した自治体が一つでもあるのなら、ただちに貴重なモデルケースとなるはず。ぜひ政府においてはその詳細を広く国民に知らせて欲しいものである。

内申点の評価実態、名古屋市が全中学校調査へ 教育長「非常に驚き」

 朝日新聞社 2025.3.25

 この記事の内容には驚愕させられる。名古屋市内の中学校で一部、相対評価的性格の評価方法が適用されていることに、教育長や市長が憤激しているというのだ。

 中学校の内申点は進学校以外では高校入試の際に大きな評価ポイントとされることがある。したがって中学校では内申点ができるだけ公正な観点から評価され、かつ保護者や生徒にそれなりの説明責任を負えるよう、あらかじめ用心深く工夫されているはず。

 教師の立場からすれば、特に五段階評定に関してはできるかぎり教師の主観を排除し、明確に数値化された客観的基準によって機械的に算出された結果であると児童生徒や保護者に説明しておきたいだろう。自分が下した評価に対して、教師ならば誰であっても他者から特定の児童生徒へのエコ贔屓を疑われたくないに決まっている。

 なぜこの評定になったのか…これも観点別に細かく数値化すれば誰に対しても説明しやすい点においていかにも公正に見える。だから部活動の実績も数値化することは好ましい…少なくとも一般的にはそう考えられているはずだ。

 とはいえ、数値化できることが評価のすべてではない。しかも部活動の実績や平常点の数値化がどこまで妥当性、信頼性があるのかは極めて疑問である。いったん数値化されてしまうと、外部からは数字が独り歩きして公平性や客観性を帯びて見えてしまうが、教育的評価として怪しいケースは決して少なくあるまい。部活動で県大会に出場できたとしても、種目の状況、ブロック内の他校の状況等によってその難易度には大差があり、単純に一律、内申点として加点するのは明らかに不公平なのだ。

 評価には絶対評価と相対評価に加えて他にも形成的評価のような、よりきめの細かい、かつ児童生徒個々人の学びと成長に寄り添った評価の考え方が世界にはある。どちらが真の意味での教育的評価なのか、といえばただの絶対評価や相対評価よりも形成的評価の方であるのは一目瞭然である。しかし、大勢の生徒を相手に画一的で一斉講義形式の授業を続けてきた、旧態依然の日本の学校では多様性と個性を重視した形成的評価を行うこと自体まず不可能である。

 加えてこの記事も市長も教育長すらも、評価のあり方には多様性がある事、それぞれに長短がある事にきっちりと向き合おうとはしていない。単純に絶対評価が好ましく、相対評価が「悪い」と一方的に決めつけているだけである。しかもこうした人々の多くはおそらく、日本の画一的な一斉講義重視の授業と硬直化した評価方法という現実を疑うこともせずに自明の前提としている。

 そもそも相対評価は「悪」なのだろうか。そんなことはあるまい。教師がこの単元の達成目標をどのあたりに設定し、これまでにどんな授業をしてきたのかによって、テスト問題は学校間、学年間、教師間で大きく異なる場合が出てくる。もちろんその年の学校やクラスの様子によって、授業のレベルや内容、テスト問題の内容や難易度を少しばかり変えることはやむを得ない時もあるだろう。テスト問題作成者が問題を簡単にしすぎたり、難しくしすぎたり、出題分野が偏り過ぎたりしないよう、状況によってテスト内容を柔軟に変えていく事自体はむしろ教師の腕の見せ所ですらある。

 しかし厳密に考えれば、そうした工夫が場合によっては学年間に不公平を生み出すかもしれない。実際、教師たちの児童生徒の現状に合わせようとするそうした柔軟な工夫こそが、実はかの「悪の権化」とされがちな相対評価の考え方に通ずるものなのだ。ただ相対評価を排除し、上辺だけ絶対評価を取り入れれば事が済むほど、教育評価は単純ではない。

 一方で毎年、同じ問題を出題することは一見、公正に見えるが、当然、生徒の先輩から当該教師の出題傾向が後輩に伝授されることもあり、それがどんなに優良な問題だからといって結果的に公正とは限らない。したがってどうしても教師は毎年、出題内容を多少、変える必要を感じている。そしてその都度、教師たちは悶々として頭を悩ませるのだ。

 昨今の思考力を育てようとする試みは、場合によっては評価のあり方を、どうしても相対評価側に偏らせていくだろう。思考力育成のために論述問題を導入しようとすれば、その採点基準は大抵の場合、特定の集団の中での位置づけ、すなわち相対的評価となるほかあるまい。仮に絶対評価を絶対的な「善」と見なすのならば、社会科や国語科では論述問題の出題自体をためらうことになるはず。そして正解が一つに限られる選択問題や単語穴埋めの客観テストにいよいよ偏りがちになるだろう。説明責任を果たしやすいからだ。授業もこれまで通り、必然的に暗記中心に偏らざるを得ないはずだ。これらは論述の採点基準を誰もが納得できるように標準化して他者に説明できる余力を、ほとんどの教師が持たないのだから、仕方ない。

 定期考査の重みを考えれば、評価はテスト点を評価の7割程度にして、残りの3割程度は普段の提出物や発表などをいわゆる「平常点」として加味する、といったささやかな工夫を個人的には行ってきた。テスト問題も400字程度の論述問題を1~2問出すことで思考力も問うてきた。ただし、これが必ずしも評価の理想形でないことは百も承知である。一クラス35人を基準とするクラスで様々な雑務に追われる教師が出来ることは極めて限られている。

 ブラック化した学校を放置しておいて、無責任にも上から目線で自ら現場教師を「相対評価」し、一方的に責め立てている名古屋市の教育長様、かの名古屋市教育会の責任問題はどうなっているのでしょう?世間を唖然とさせたあれだけの不祥事を、ただ会を解散する事だけで済まそうとする市教委の厚顔無恥さには誰もが呆れるほかあるまい。

公立学校の廃校、延べ数は8,850校現存廃校の活用は7割超

 リシード 2025.4.10

 このデータが意味しているのは、かつて白井智子氏が指摘したごとく、まさに日本の公教育の古さと貧しさそのもの、であると考えるが、いかがか。

 将来的に児童生徒数が大幅に減少していけば、やがて学校の施設や教職員にゆとりが生まれる、一学級の児童生徒数が劇的に減少し、一人一人の児童生徒へのきめ細やかな配慮が可能となってくる…などといった30年ほど前の教師たちの期待は無残にも悉く裏切られてきた。

 むしろかつてよりも教師の負担が増大し、しかも不登校やイジメ件数は増加している。一クラスの児童生徒数が最悪の50人から35人程度まで減少したにもかかわらず、教師たちの中途退職や休職は増える一方となり、教員志望者数と正規教員数とが同時進行で急速に減少し、地方によっては学校としての体裁が危ぶまれるレベルにまで不足してきている。

 今後、高校の無償化が進むにつれて、公立を中心に高校の統廃合は一層加速していくに違いあるまい。そして東京や大阪に限らず、将来的に公立高校はいよいよジリ貧となり、全国規模で一気に縮小、削減されていくのかもしれぬ…

 児童生徒数の大幅な減少という、少人数教育、個別最適化教育実現に向けてせっかくの追い風を有効に生かせなかったばかりか、かつて以上に負担増という形で教師への逆風を強め、教師の疲弊と若者の教職離れを徒に加速させてしまった教育行政の責任は、今こそ間違いなく「万死に値する」ほど重い…と言うべきではないのか。

都の新任教諭239人が1年以内に退職 過去10年で最高の5.7

 朝日新聞社 2025.4.24

 「都教委によると、昨年度に採用した公立小中高、特別支援学校などの新任教諭は4237人。うち、239人が1年以内に退職した。内訳は小学校146人、中学校46人、高校18人、特別支援学校28人、義務教育学校1人だった。懲戒免職も1人いた。9割にあたる217人が自己都合退職で、理由別には、精神面での不調が4割、転職などによる進路変更が3割、介護や転居など家庭の都合が1割だった。指導力不足などから正式採用に至らなかったのは22人だった。」という。

 学校のブラック化がどれほど酷いものか…特に小学校は深刻である。精神面の不調による退職者の多さにも注目したい。

財務省VS文科省バトル再び 中学程度の私大授業に財務省「助成の在り方見直しを」

    求める 産経新聞 2025.6.7

 私大によっては小学校レベルの授業も必要となるはず。おそらく分数や比の問題が解けない大学生は少なからず存在しているはずだ。財務省の認識に学校教育の現実との大きな乖離を感じてしまうのは私だけではあるまい。

    基礎学力の欠如した大学生が発生してしまう背景には基礎知識や基礎学力を身に付けないまま児童生徒が進級し、形式卒業していく義務教育の在り方自体により大きな要因が潜んでいると見て間違いない。

    したがって財務省が「助成の在り方」の見直しを文科省に求めるのはお門違い。たとえ教育内容が大学にふさわしくないレベルだとしても、それだけで助成金をケチるほどの口実にはなるまい。社会全体から見れば「Fラン」大学にもそれなりの存在理由はある。

 要は「落ちこぼれ」を黙認し、学力の底上げを怠ってきた日本の学校教育全体の制度面の欠陥から生じた問題である。特定の大学の問題ではあるまい。需要があるから供給も生まれてきたのだ。そしてこの問題においても歴代内閣が長期にわたって教育予算をケチり続けてきた政治責任の方こそ、厳しく問われるべきなのだ。

「部活動は教員のボランティア」のままでよい? 学校部活動が「地域移行」するこ

    とで生まれる格差とは…今後保護者がお金で買うべきサービスに

    集英社オンライン 2025.5.14

 学校現場からこういう根拠の乏しい発言が出てくることに驚きを禁じ得ない。まず「…日本では、政治が教育に介入し、教育が戦争に加担してしまった第二次世界大戦の歴史から、政治が二度と教育に介入できないよう、教育の独立性が保障されてきました。」というが、この間違いだらけの認識には明らかにファクトチェックが必要であろう。

    戦後はアメリカの占領下、GHQによって日本の教育はアメリカの政治的影響を強く受けるようになっていた。そしてサンフランシスコ講和条約後にはたちまち戦前への回帰、「Uターン」が始まり、戦前の勢力が教育の世界にも復活してくる。そもそも学校現場では戦前と大差なく、画一的な一斉講義形式の授業と管理主義、そして体罰が横行していた。1960年代にはアニメ、漫画の世界にチャンバラや戦争物が再登場し、柔道、剣道が学校体育に武道として復活してくる。

    いずれにせよ日本の学校教育では政府や財界による教育への干渉が排除され、「教育の独立性が保障」されてきた…などといったことは、過去、一度たりとも無かったと言って良い。学校教育には時々の政治や経済の論理が現在に至るまで途切れることなく、強く、露骨に反映されてきたのだ。

    戦後教育の憲法とも言われる教育基本法にズラリと掲げられている理想的建前はほとんどがただのきれいごとに過ぎない。戦後における学校現場での体罰の横行などを見れば分かるように、学校は戦前からの伝統的な慣習と戦後の新たな法律に対して、常にダブルスタンダードな、矛盾した姿勢を取り続けていたと言っても過言ではあるまい。

    したがって教育基本法に定められた「教育における政治的中立性」などは、公教育ですらまともには守られて来なかったと言うべきなのだ。ただし公教育が政治や経済の影響を受けてはいけない、とは一切思わない。シンギュラリティの到来が目前に迫ってきたと指摘する識者が増えてきた現在、学校での生成AIの利用は必須である。それは児童生徒たちに対して、個別最適な学習の保障にもつながるだろう。

    ほとんど自浄能力を失い、自己改革の意欲にも欠ける公立学校は多い。児童生徒たちが時代の進展に取り残されないようにするためにも教育産業のみならず、特定の業界とのつながりが学校としては不可避となるであろう。学校業務や授業のDX化を推進する上でも業界のバックアップは必要となる。

    授業は今後、一斉講義形式中心から議論を通じた多様性の理解、さらに学習者主体の、個別最適化を軸とする授業へと大きく切り替えていくべきである。ただし授業方法の大きな変化は教師の負担を一時的にせよかなり重くする。結果的に多くの教師たちは部活動指導を行うヒマなどほとんど無くなるに違いない。部活動の地域社会への移管は不可避であり、そのためにも学校は地元の公民館などの社会教育との連携をさらに強めていくべきであろう。

【独自】教職課程の必要単位見直しへ 免許取得の負担軽減、文科省

    共同通信 2025.5.23

    どうして文科省はこんなトンチンカンな政策を繰り返してしまうのだろう。官僚としての資質を根本的に疑わざるを得ない。教員免許取得のハードルを下げれば教員志望者が増える…という安易な発想はいい加減、やめてもらおう。これは教員採用試験の倍率低下、さらに免許を持たない人を教師に採用する動きと相まって教師の質をひたすら低下させることにつながる明らかな愚策である。各地ではやり始めた教員採用試験の早期化も有害な弥縫策の一つに過ぎない。

    教員の労働負担の軽減こそが最優先させるべき課題であるはず。こちらは給与引き上げよりもはるかに重大な案件である。したがってこれからは高校においても真っ先に部活動の地域社会への移管を進めて校内での部活指導を全廃し、教員の力を授業力向上に全集中させるべきではないのか。

    部活動の学校から地域への移管は間違いなく人員と経費の負担が大きく増大する政策である。そして現政権が続く限り、そのための予算がまったく確保されそうもない。そこでほとんど予算をかけないで済む安易で安価な政策を文科省は立て続けに打ち出しているのだろう。

    くどいようだが、そうした「泥縄式」のゴマカシに過ぎない政策はもはや、百害あって一利無し、であろう。ただ単に旧態依然の学校教育の延命を図るに過ぎないような種々のエセ改革は、いたずらに貴重な時間と労力を空費し、いよいよ日本の教育を手詰まり状態の袋小路に追い込むだけに違いない。

    これからの高校教育の改革に必要不可欠で最も急がれる重要課題とは、教師の労働条件の劇的な改善(部活動の地域社会への移管に加えて学校行事の精選、学校事務のDX化、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー及びガイダンスカウンセラーなどの加配と待遇改善…)、それに加えて授業技術の高い教師の育成(授業技術の向上に力点を置いた大学での教員養成教育と教員免許取得要件の見直し)と採用(授業技術評価に重点を置く採用試験)、以上の二点であると考えるが、いかがか。

 もちろん、こうした改革を実現していくには、根本的な改革をひたすら妨げ続け、長期にわたって教育予算をケチってきただけの自公政権の、一刻も早い退場が前提となるのは言うまでもないことなのだが…

避難所となる公立学校の防災機能…冷房85.5%、断水時トイレ75.1%

    リシード 2025.6.26

    避難所に指定されている公立学校の防災機能が急速に高まっている…こう受け止められかねないような文科省の調査結果は本当に信用できるのだろうか?

    この記事では「別の調査(公立学校の体育館等における空調<冷房>設備の設置状況に係る調査)では2025年5月1日現在、公立小中学校における体育館等への冷房の設置は約2割にとどまっている今回の調査では、災害時に避難者が滞在することを想定している部屋等(体育館のほか、会議室や教室等を含む)のうち1部屋以上、利用可能な冷房機器を保有している部屋があれば保有しているものと取り扱っているためと考えられ、災害時におもな避難先となる体育館への設置を、引き続き推進していく必要があるという。」とある。

    ならば「冷房85.5%」という数字は現実的な防災機能のレベルを決して示してはいない、という事になる。よくよく注意して読めば、むしろ35度を超える猛暑日でも冷房施設のまったく無い学校=避難所がいまだに14.5%も存在している、という残念過ぎる実態の方が逆に浮かび上がってこないだろうか。

    学校での避難では教室よりもまず体育館の利用が優先されてきた経緯がある。体育館では冷房どころか暖房すら不十分であることはこれまでの報道でも明らかである。

    たとえジェットヒーターが数台、用意されているとしても、はたして燃料は何日分用意されているのだろう?おそらく多くの学校ではせいぜいが2~3日分に過ぎないのではあるまいか。保管上の安全面などを考慮して卒業式などに間に合う程度の燃料しか保管していないのかもしれない。

 自衛隊等による燃料の補給を当てにし、防災に必要な用意をしていない学校がどれほどあるのか、文科省には学校現場に踏み込んで本当の状況を調べる意欲がなさそうだ。回答者がいくらでも嘘をつける、盛ることの出来るアンケートごときで実態が把握できる、と思うこと自体、馬鹿げているだろう。ならば実際に避難を強いられ、惨めな思いをするだろう市民自身が厳しく学校の取り組みを監視するほかあるまい。

    いかにも防災にしっかりと取り組んでいます、と虚栄を張り、見栄えばかりを取り繕うとする公立学校の管理職たちの悪しき性癖を文科省が知らぬわけはあるまい。こんな杜撰な調査をして事足りる、と高をくくり、学校現場での欺瞞を平気で看過してきた文科省ごときにケチな財務省が防災に必要なだけの予算を用意してくれるとは到底思えない。馬鹿を見るのはいつでも避難する住民であることを忘れてはなるまい。

猛暑と熱中症対策で夏休み延長の学校が全国に拡大中!教育現場のホンネは

    アサ芸biz 2025.7.10

 ろくに自分で現場を取材せずに教育専門誌の記者の言葉を鵜呑みにするような記事を「アサ芸」はネット上に晒していても良いのだろうか。そもそも記者はどんな調査結果を元にしてこんなにも無責任な事を語っているのだろうか。

    …文部科学省が昨年発表した『公立学校施設における空調(冷房)設備の設置状況調査』によると、教室冷房設置率は小学校99.1%・中学校98.9%・高校99.4%といずれもほぼ100%近い。学校関係者からは、『気温の高い日は屋外での体育の授業を避ける必要はあるが、わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる』との意見もあります…とのご指摘、呆れるほかない。真面目に取材する意欲の欠片も見えないような、いい加減極まりない杜撰そのものの記事であろう。

    暑い日にわざわざ児童生徒たちを学校に来させるのならば、学校はせめて普通のご家庭並みの冷暖房を完備できていなければなるまい。しかし体育館に冷房が備わっているのだろうか、芸術科目の教室などの特別教室にも冷房は完備しているのだろうか、冷房費を節約するために、教室内の気温を無視して冷房時間を厳しく制限していないだろうか…児童生徒の命にもかかわりかねないほどの猛暑が続く現状の中で、「わざわざ夏休みを延長しなくても対応できる」という、誰のものとも分からない発言をあたかも教育現場のホンネであるかのように紹介する、その鈍感で無責任な報道姿勢には怒りすら覚える。

公立中35人学級、教員1万7000人増必要 400億円の予算見込む

    毎日新聞 2025.6.17

 少子化が急速に進む先進国であり、いまだに経済大国の端くれであるはずなのに、何とした事か、デレダラと何十年もの間、40人学級を放置してきた国があった…この日本と言う国は少子化という、学級の定員削減に絶好の追い風が吹き続ける中で、学級定員の見直しすら、まともに取り組もうとはしてこなかった。その国力から見ても35人学級程度の事くらい、とっくの昔に実現できていたはずである。マスプロ教育の弊害が叫ばれてから一体どれほどの歳月が経ったと思っているのだろう。

    にもかかわらず、21世紀に入って四半世紀が過ぎ、マスプロ教育という言葉自体が既に死語となった今の今となってようやくにして法改正を行い、35人学級を徐々に実現させていくのだという。かねてから口では「個別最適化」を唱えて生徒の個性、多様性に応じた丁寧な教育の実現を謳ってきたクセに、「個別最適化」の足を引っ張る張本人たる40人学級を文科省は長らく放置してきた。

    何という怠慢であろう。何という欺瞞であろう。国家百年の大計たるべき学校教育ですらこのザマである。この国の無策ぶりに呆れ果てるしかあるまい。しかも政府の無策ぶりが祟って学校のブラック化が進行し、近年は教職離れが顕著となって深刻な教員不足が慢性化している。

 こうした状況下、一体、どうやって公立中学校の教員を17000人も増やそうというのか。文科省はこれまで通り、自らの責任は棚に上げて厚顔無恥にも各教育委員会に、ひたすら困難を極めつつある教員募集という難題を平気で丸投げするつもりなのだろうか。このニュース、個人的には絶望しか感じられないのだが…

【参院選】「再生の道」またしても全敗! 石丸伸二氏の〝戦略ミス〟を指摘する声続

    出 東スポWEB 2025.7.21

 都議選に続く大敗であり、ついに再生の道の致命的な欠陥が露呈してしまったようだ。女性候補者を数多く送り出した国民民主党や参政党、立憲民主党とは違い、吉田氏以外は男性陣ばかり。しかも若さにやや欠けるという再生の道の顔ぶれには不安を感じた人は少なくあるまい。またひろゆき氏の指摘した通り、石丸氏の不出馬も敗因の一つである。が、それらは戦略としての欠点に過ぎず、敗因の大きなポイントではないだろう。本質的な敗因は以下の二つに集約できると考えるが、いかがか。

 一つは人選ミス。比例で石丸氏が選出した候補者は本当にこれで良かったのだろうか?都議選の際には「シゴデキ」を強調し、地方議会での財政チェック機能における候補者の優秀さをアピールしていた。

 しかし今回の参院選では国政であるため、外交から内政にわたる各種の政策立案能力といった、地方議会議員とは相当異なる能力が候補者には必要となる。とりわけ党が公教育の再生を訴えていたからには、再生の道独自の公教育に対する現状分析と具体的な改革案を各候補者がそれぞれ繰り返し明確に示すべきであった。候補者の主張が石丸氏の主張の二番煎じ、コピーの劣化版に過ぎないとすれば、政治家としての能力や適性が疑われてしまっても仕方あるまい。全員落選の原因は決して候補者の知名度の低さだけではない、と考えるが、いかがか。

 教育への投資額を増やす、といった程度の、実にボンヤリとした、精度に欠けるアピールなど、教育に関してほとんど無知な人間でも主張できるだろう。公教育のどこに問題があるのか、どこをどう変えていけば良いのか、候補者らは修正すべき法制度や改革へのキメ細やかな道筋を具体的に指摘できていただろうか…石丸氏らしさのある鋭い指摘が実際に候補者から公教育に関してなされてきたのだろうか…極めて疑問である。そもそも政策立案の基本的前提となる日本の公教育の実態把握すら、候補者によっては十分に出来ていたと感じられることがなかった。

 こうした疑問や不信を国民に抱かせてしまった責任は石丸氏にもあるだろう。再生の道の立ち上げから国政選挙までの日程の短さが、各候補者の主張に潜む公教育に対する知識、理解の底の浅さをあからさまに露呈させてしまった、と私は考えている。教育に関する勉強会を地道に繰り返してきた、とは到底思えないほどに、陳腐で皮相な綺麗ごとを並べただけの候補者たちを、私は結局、最後まで信用できなかった。

 もちろん石丸氏と再生の道が候補者の公募と選考のプロセスの透明化によって国民の間に広く政治への関心を高めてきた、その功績には計り知れないものがある。候補者らの勇気と努力に応えようとひろゆき氏が応援に駆け付けた理由も十分に理解できる。しかし致命的に足りなかったのは候補者の公教育に対する知識と理解の、それなりの広がりと深さだったのではないのか…

 せっかく立ち上げた再生の道がこのまま沈んでしまって良いはずがない。今後はぜひとも日本の公教育に関する学習会、学校現場への視察を地道に繰り返していき、しっかりとした教育政策を練り上げ、いつの日にか問題だらけの日本の公教育を再生していく、一つの現実的な力になっていくことを祈念してやまない。

【参院選】「再生の道」また議席ゼロ 石丸伸二氏が出馬しなかった理由 & 敗因を参

    謀が告白 東スポWEB 2025.7.22

 参謀たる者がこの程度の敗因分析しかできないのであるならば、今後、再生の道に期待できることは少ない。有権者の教育に対する関心の低さを敗因に挙げる時点で既に失格である。そもそも各候補者が日本の公教育の危機をどれだけ切迫したものであるのか、十分な説得力をもって語れたか否か…が、まず問われるだろう。私はこの点で候補者たちに大きな不満を感じていたが、いかがか。

「授業なんてできません」控室にひきこもった実習生…教育実習で心が折れた若者

    たちのリアル「同じような授業の繰り返しのはずなのに、毎日が本当にしんどかっ

    た」集英社オンライン 2025.7.20

 授業の実習に恐怖を感じる実習生は少なくない。そもそも多忙にあえぐ教師の中には教育実習生を邪魔者扱いする先生が実際、かなりの割合で存在していた。数は多くないが実習生に敵意さえ抱く教師すらいた。個人的な感想にはなるが、教師の過半は教育実習生を担当したくない、という本音を隠そうとすらしていなかったと思う。これは教育実習生にとっても不幸な状況であり、教育実習をきっかけにして若者が教職を諦めてしまうといった事態は教師不足の解消を相当難しくしているに違いない。教師の負担軽減が急がれる所以である。

 しかしここにはもう一つ大きな問題が隠れているはずだ。なぜ、教育実習生は授業の実習に対して大きな不安や恐怖を覚えてしまうのか、その原因をしっかりと考えてみるべきなのだ。もちろん指導教官の多忙感に由来する指導の厳しさ、威圧感も実習生が委縮してしまう原因の一つではあるだろうが、はたしてそれだけであろうか。

 個人的に再三にわたって指摘してきた事なのだが、実習生が委縮する最大の原因は教育実習前の大学における事前指導の欠陥、不十分さにあると思うが、いかがか。仮に教育実習前、ゼミ形式で実戦さながらの授業体験を大学で幾度も積み重ねていたならば、実習本番での不安や緊張はかなり軽減されるはずである。すなわち大学での的外れで非実戦的な教員養成講座の欠陥こそが、実習生の教員志望を挫けさせてしまう最大の要因であると私は考える。したがって教師負担の軽減とともに大学での教員養成教育の徹底的な見直しも同時に急がれるはずである。いかがか。

名古屋の教諭死亡で和解 市が5600万円支払い    共同通信 2025.7.17

 はたしてこれで良いのだろうか…どうも釈然としない。自殺してしまった教諭に対する仕事の集中はうつ病による休職後も続けられてしまっている。復職後に部活動や教育課程の編成にあたらせる、と言う明らかに非常識な校内人事を行った(あるいは許容した)校長ら、管理職の責任は一体どこまで追求されたのだろう。管理職だけではなく、関係した他の教師たちにも多少の責任はあるはずだ。にもかかわらず「市側に安全配慮義務違反があった」と監督庁の名古屋市の責任ばかりをクローズアップするような報道がなされるのは実に解せない。

 うつ病を理由に休職した教師に対しては管理職や周囲の教師たちが特別な配慮をすべきであることは言をまたない。しかし校務の分担を巡っては学校として特別な配慮がなされたとは思えない。なぜ配慮しなかったのか、故人に配慮できなかった理由をしっかりと公に明らかにしない限り、同様の事件が繰り返されても不思議ではあるまい。

 一義的に責任を問われるべきは当該学校の管理職たちであろう。したがって賠償義務は当時の管理職らにもあると考えるのが世間的に見ても筋なのではあるまいか。いずれ多額の退職金を受け取れる管理職の責任が厳しく問われるのは当然の理である。当事者に一義的な責任を問うことなく、徒に血税を賠償金に充てる今回の決定は、事件の真相を曖昧にしてしまうと同時に、当該管理職たちの逃げ得を許してしまうことにもつながるのではあるまいか。

 校務分担を巡っての問題はあくまでも当該校の管理職が責を負うべきであり、二度とこのような悲劇が繰り返されないようにするためにも、管理職への厳しい責任追及とそれなりの処罰を行うべきであると考えるが、いかがか。

日本の高校生が「社会に出たら理科は役に立たない」と考える理由

    ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者) 2025.7.16

 最も実験を必要とし、討論などを通じて児童生徒たち自身で仮説を練り上げ、検証していくことを授業の軸とすべき理科の授業実態が日本の場合、いかにお粗末なものであるのか、改めて痛感させられる。探究的な授業展開は何も理科だけのものではあるまい。社会科においても、探究的展開は興味関心を高めるために極めて有効な授業方法であろう。

 社会科の授業でも理科のような実験や調査を用いて探究的な授業が数多く展開できたなら…と常々考えてきた自分としてはこの調査結果は残念でならない。間違いなく理科以上に日本の社会科の授業は「社会に出たら役に立たない」教科となっているはずである。授業の在り方の改善はもはや日本の政治的課題であり、一刻を争う焦眉の急であろう。「国家百年の大計」である日本の公教育の現状はお寒い限りなのだ。

「えっ、体育の先生が技術の授業するの?」教員不足の学校の裏技“免許外教科担任

 制度”は違憲の可能性も…いちばんの被害者は生徒たち

 集英社オンライン 2025.7.8

「教員は減っても行事は減らない」全国で約200万人の子どもたちが無免許の臨時教

    員に教わっているという実態…教員免許の存在意義はいずこに

    集英社オンライン 2025.7.9

 昨今、教員の不祥事が性加害問題を中心に数多くマスコミで取り上げられている。教員による不祥事発生の背景を深堀せずに、ひたすら「学校叩き」「教員叩き」につながるような、偏ったマスコミの取り上げ方も結果的には教師志望者の減少につながっているように個人的には思える。

 もちろん、教師による不法行為はあってはならない事である。しかし学校現場では明らかな不法行為が以前から野放し状態であった。体罰は明治時代から違法であったが、この法律がまともに守られた形跡は戦後に至るまで無かった。もちろん、昭和の時代は戦後も1980年代まで、教師や保護者による体罰が公然と認められてきたはず。

 違法行為は教師に対しても横行してきた。教師の違法レベルの過重労働問題を日本政府、教育委員会は違法にも漫然と放置してきた。授業負担に限ってみても、自分の専門教科以外の教科や科目を受け持たされることは普通であった。決してそれは特別な事ではなく、特定の学校(例えば生徒数の少ない小規模校や、職業高校、定時制高校など)ではとっくの昔から常態化していたとすら言ってよいだろう。さすがに高校の場合には専門外の教科を担当することは滅多にないだろうが、中学校では3教科の授業を担当することもあったと聞いている。

 これらは明らかに違法状態であり、学校現場にはとっくの昔から違法を違法と感じられないレベルに至るほど、正常なコンプライアンス機能が存在していなかった、とみるべきであろう。根本的には違法、合法よりも優先されてきたある種の教育への偏った、アンバランスで強固な信念、教師聖職論の残存が敗戦後、より厳しく問われるべきであったのではあるまいか。

 少子化の中で小規模校が増えている。現状の規定で教員の数を減らしてしまえば、今後は高校においても複数科目どころか、複数教科を担当することになるだろう。生徒数が減った分に比例して授業の教科数や科目数が減るのならば特に新たな問題は生じない。しかし機械的に教員の数が減らされてしまうのが、現在の規定である。

 せっかく少子化が進み、ようやく生徒一人一人に目が行き届く環境が整いつつあるのに、政府はひたすら少子化を口実にした教員の削減、すなわち教育予算の削減を進めてきた。教員の数が減ってしまっては生徒一人一人に目が行き届く手厚い教育の実現は不可能である。そればかりか、複数教科や複数科目を負担する、となれば今まで以上に教師の負担は重くなる。ただでさえ情報、英語、金融教育、探究学習…と教科数や科目数が一気に増えてきていた。この状況は教師にとって地獄そのものなのだ。

 生徒数の減少に応じて学校行事も削減されるならばよいのだが、授業の教科数や科目数と同様にこちらも減らされていない。とすれば学校現場はいよいよ極限までブラック化が進むだろう。せめて部活動の地域移行くらいは一刻も早く実現してくれないと、教員志望者の減少と教員の休職、中途退職が増える一方となる。つまり日本の公教育は既に致命的な人手不足によって一気に破綻しつつある、と見るべきなのだ。

・教師不足

 まず看過できない悪性の症状として挙げられるのが各学校での正教員の不足であろう。これに休職者や中途退職者数の増加も加わり、一人一人の教師にかかる負担は重くなる一方…という学校が特に義務教育中心に増えてきている。さらに教師志望者の減少もこうした事態の悪化をもたらしているに違いない。しかも教員不足が休職者や退職者の増加につながるという、悪循環が既に生まれてきている現場もあるようだ。

 なお教師不足の一因としては景気回復傾向がもたらした民間企業への就職志向の高まりに伴う若者の公務員離れが考えられるが、それは主因というほどのものではあるまい。最大の原因と考えられるのは画一的管理主義の息苦しさに加えて、止まることの無い仕事量の増大による学校のブラック化がもたらした若者の教職離れである。

    残業手当・休日手当がつかない部活動指導の過熱化、数が多過ぎる上にそれぞれが過重な負担となっている学校行事、不登校やイジメの多発とそれに伴う保護者対応の増加、新教科・科目の設置などによる仕事の量と難易度の上昇、説明責任を果たすためだけの記録作成等のアリバイ作り(管理職や教育委員会への報告書、提出書類の増加が顕著でその多くは煩雑かつ形式的なものに過ぎず、教師の力量を向上させることにはほとんどつながらない。つまりほとんどがブルシットジョブ)の増加、教育行政による教員への過剰な統制・管理強化がもたらす心身両面への重圧(教師の創意工夫を挫く無意味な官製研修の増加、授業内容・方法への過剰な介入等)、残業時間短縮による持ち帰り仕事の増大、年齢構成の偏りや管理職の能力不足による職務分担の不均衡、進路の多様化による進路指導の煩雑さ、職員会議の形骸化や教職の階層化などによる職員集団の分断と対立、教職の社会的地位の低下、管理職のパワハラや教師間のイジメの横行等々、数え上げればきりがない。

    こうした事態に対して文科省や都道府県教委は上辺だけの対症療法、その場しのぎの誤魔化しをひたすら繰り返してきた。教育行政による対応を医療行為になぞらえれば、高熱を発した患者に漫然と解熱剤を処方するだけの藪医者のようなものである。

医者は本来、高熱の原因を様々な検査結果から割り出していき、症状を抑えるだけではなく、症状の主な原因となっている病気などを治療対象としていくべきであるのは言うまでもない。しかし文科省、都道府県教委は教員不足という症状に対して、揃いもそろって教職の魅力をアピールし、採用試験日程を増やしたり、早めたりして試験のハードルを下げることに専念してきた。

    もちろん「働き方改革」を推進して部活動の地域移行と残業時間の短縮を通じて学校のブラック化を押しとどめようとしているのも事実ではあるが、「持ち帰り残業」の問題を見ると、さほどの効果は上がってきていない。

    なぜ教職の魅力が低下してきたのか、教員が不足してきたのか、その原因には高熱の原因と同様、様々な要因が考えられるに違いない。ただ兎にも角にも教育行政側の最大の過ちは、その原因が自分たちにも少なからず存在する、という自覚を決定的に欠いてきた点であると思うが、いかがか。

    不登校の増加やイジメ事件の隠蔽、教員の不祥事の多発、教師の疲弊、授業における児童生徒の落ちこぼし、吹きこぼし…どれをとっても教育行政の過ち、不備に淵源する側面が大いにあるだろう。そのことの反省と改善を抜きに、ただ教職のやりがいと就職しやすさを追求しても、若者は二度と騙されないに決まっているのだ。

 

    教師不足以外の公教育における主な病状を以下に列挙しておく。

・不登校児童生徒の増加

・イジメ事件とその隠蔽、加害者側への指導不足、被害者側への配慮不足

・過剰な管理主義、画一主義

・一斉講義形式の残存による落ちこぼれと吹きこぼれ現象、形式卒業の弊害

・DX化の遅れ

 

 さらに各症状の主な原因として考えられるものを以下に列挙しておく。

・学校教育行政の体質悪化:悪しき前例主義と年功序列社会、上意下達の横行

・教員養成教育の貧弱さ:授業技術の向上への努力不足

・職務、職責の曖昧さ:教師の「何でも屋」化による弊害

・教育予算の貧弱さ:圧倒的な施設設備、人員の不足

・画一的管理主義の弊害:横並び主義(自らの頭では考えない…が習慣化)

 

 他にも論ずべき点は多いが、いったんこれで切り上げておく。

 なお石丸氏が立ち上げた再生の道が「公教育の立て直し」を基本政策として動き始めている。今後は日本の公教育をどうすべきかをめぐる議論が活発化してくるに違いない。ただ、残念ながらこれまでの再生の道が打ち出している公教育の「再生」プランにはまだまだ突っ込みが足りないように感じている。

 公教育において何が問題であり、何をどうすべきなのか…今後も再生の道の歩みを追っていきたい。

その5.②金八先生と脱学校論

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

本論

 私が教師となったのは1985年のことである。そこでまずは1970年代、1980年代を賑わしていた学校教育に関する教師、元教師の言説を取り上げてみよう。まず数多くの著作がある村田栄一氏(1935~2012)の活躍がこの時期は目立つ。村田氏は1958年から1980年まで川崎市立小学校勤務。退職後はしばらく著述活動に励んでいたが1996年から2004年まで国学院大学講師(教職課程/教育原理)であった。組合活動に熱心な左翼系言論人として反権力の立場から盛んに学校教育について発言し、かつてフレネ教育を推奨していたことを覚えている。

現在、私が所有している村田栄一氏の本は以下の通りである。

 ・「戦後教育論~国民教育批判の思想と主体~」(社会評論社 1970)

 ・「学級通信ガリバー」(社会評論社 1973)

 ・「飛べない教室」(田畑書店 1977)

 ・「じゃんけん党教育論」(社会評論社 1978)

 ・「戦後教育の現在」(教育出版社 1981)

 ・「生きているこども共和国~ドンキホーテの末裔たち~」(風媒社 1981)

 ・「教室のドンキホーテ~ぼくの戦後教育誌~」(筑摩書房 1982)

 里見実氏との共著「もう一つの学校へ向けて」(筑摩書房 1986)や村田氏が編集に加わった「教育実践の記録1 ことば教育」(筑摩書房 1981)もある。村田氏の著作は大学時代に課題として出されたことがあったため、就職後も読み続けていた。当時は「カバゴン」こと阿部進氏(1930~2017:やはり川崎市立小学校に勤務後、教育評論を手がける。村田氏の大学での先輩)や「山びこ学校」((1956)で知られる無着成恭氏(1927~)、灰谷健次郎氏(1934~2006:「兎の眼」、「太陽の子」などで知られる児童文学者)ら、なぜか小学校教師の経歴を持つ人物がマスコミなどにもよく登場していた時代である。

 村田氏の系列の本では他に中学校教師の相川忠亮氏(1934~2011)の「きまぐれ月報学級通信上・下」(社会評論社 1975)や同じく中学校教師の川津皓二氏(1935~)の「日常と幻視~学校空間から~」(社会評論社 1975)がある。彼らの影響もあったのか、当時は学級通信を発行する教師が私の周囲にもかなり多かったような気がする。

 先行する1970年代は校内暴力が荒れ狂った時代であったため、運動部の指導に熱心な体育会系熱血教師が学校の規律回復上の観点からもてはやされていた。実際、「校内暴力事例の総合的研究」(学事出版 1984)や「校内暴力問題講演集」(学事出版 1984)によると校内暴力で荒れた中学校の多くが秩序の回復を最優先して運動部の指導に熱心で強めの生徒指導が出来る教師を他校から数多く集めるという人事方策を取っている。

 しかしその管理主義的指導への反発からか、テレビドラマ「金八先生」(1979~2011)の影響も加わり、生徒に粘り強く、優しく寄り添う非体育会系タイプの教師が世間では次第に理想化されていく。1981年のテレビドラマ「父母の誤算」(原作は若林繁太「教育は死なず」1978)も金八先生と同じく、小山内美江子氏を脚本家として用い、金八に近い教師像を描いている。村田氏らはこの金八路線にやや近い立場と言えようか。

※参考記事

   〇日曜劇場『御上先生』の学校教育監修・工藤勇一先生が語る教育問題 金八先生以後に生じた「学校

      =悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考え方」…工藤勇一校長が指摘

      する<近年の教育現場が抱える問題点>とは 婦人公論.jp工藤勇一 2025.1.26

 ○金八先生以後に生じた「学校=悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考

      え方」…工藤勇一校長が指摘する<近年の教育現場が抱える問題点>とは 

      婦人公論.jp 工藤勇一 によるストーリー 2024.2.19

 

 ちなみに私は大学の授業で出された夏休みの課題で灰谷健次郎氏の「兎の眼」(1974)や「太陽の子」(1978)を読み、教師の道を選ぶことになった。こうした経緯から村田氏のものに加えて就職後もしばらくは灰谷氏や上野瞭氏、山中恒氏、あるいはミハエル・エンデといった児童文学作家の作品を読み続けていた。そしてもちろん灰谷氏らも金八先生と同様、徹底して子供の目線に立ち、子供に寄り添う姿勢を重視した作家であったと言えよう。

 他方で私は他の同世代の教師と同様に國分一太郎(1911~1985)氏、斎藤喜博(1911~1981)氏、特に教育困難校での授業実践で知られる林竹二氏(1906~1985)の「教育の再生を求めて 湊川でおこったこと」(筑摩書房 1977)、「教育亡国」(筑摩書房 1983)などからも授業のあり方に関して多少とも影響を受けている。加えてベテラン教師となった段階で読んだ大村はま(1906~2005)氏による国語の授業を論じた「教えることの復権」(苅谷剛彦・夏子 ちくま新書 2003)は、大村氏による単元学習を軸とした教科書を独自の視点から徹底的に「使い倒す」独特の授業手法が非常に興味深かった。

 國分氏や斎藤氏、大村氏は無着氏、阿部氏、村田氏らの先行世代に属する先輩教師でもあり、1980年代の教師にとってはまだまだ影響力の大きな存在であった。他方、学者の林氏は当時、猛威をふるっていた校内暴力との絡みもあってか、マスコミから大きな注目を集めていた教育哲学者である。彼は学者にありがちな「机上の空論」を潔しとしない、優れた授業実践家でもあった。また大村はま氏の著作集は当時、どの学校図書館でも一際、目立つ存在であり続けていた。確かに彼らの世代の影響を無視しては1980年代の教育論を語ることが出来ないだろう。

 とは言え、特に林氏の授業実践に関しては早くから学校現場からの根強い反発があった事は事実である。私自身、教職に就いてからはこの二人の感嘆すべき実践について「金八先生」に対するのと同様の違和感も同時に抱いてきた。金八先生を含め、彼らは運動部の指導をしていないではないか…多忙な学校教師にとって明らかに実践不可能なまでに難易度の高い、準備に骨の折れる教育実践をモデルとして示されても、現場は困惑するだけであろう。

 難易度の高すぎる授業を普通の教師に要求することはむしろ学校のブラック化を推し進めることに他ならない。これらの希有な実践が世間で賛美されればされるほど却って教師達の無力感を深めはしないのか。そうした疑問が止めどなく湧いてくるような学校現場の過酷な労働環境が私の勤め始めた1980年代には既に広がり始めていたのである。もちろん今の学校の絶望的な状況と比べれば当時はまだまだ牧歌的レベルではあったのだが…

 もう一つ、私にとって当時、見逃せなかった論考は児童読み物作家と自称していた山中恒氏(1931~)の「ボクラ少国民シリーズ」(辺境者 全5巻、補巻1、別冊1 1974~1982)など、戦時中の学校教育を論じた著作であった。「疑問だらけの中学教科書」(森本真章・滝原俊彦 ライフ社 1981)が世情を賑わせ、中曽根内閣によって臨時教育審議会が設置されてついに戦後教育の流れが大きく変えられようとしていた1980年代当時、教育方法論、授業論以上に教育内容それ自体の是非を強く問う傾向が家永教科書裁判の経過(1965~1997)と共にしぶとく学校教育の底流に残存していたように記憶している。

 戦時中の国家総動員体制下、教育者や学者、文化人がどのように戦争に加担していたのか…そして敗戦後、彼らは戦時中の言動をどのように反省し、戦後はどのように振る舞ってきたのか、吉本隆明氏の「叙情の論理」(未来社 1963)をはじめ、数多くの研究者がこのテーマに関心を持ち、これに関連する多くの著作が発表されてきた。ある意味では「疑問だらけの中学教科書」もそうした著作の一つと言えるだろう。森本氏とは対極にあって、個人的に最も注目したのが山中氏の「ボクラ少国民シリーズ」であった。国民学校を少国民として体験した山中氏が自ら精力的に資料収集に当たり、膨大な資料を元に国民学校における教育の実相を解き明かそうとした、大変な労作である。

 他には山中氏の「子ども達の太平洋戦争」(岩波新書 1986)、中内敏夫氏の「軍国美談と教科書」(岩波新書 1988)や櫻本富雄氏の「日の丸は見ていた」(明石書店 1982)、長浜功氏の「国民学校の研究~皇民化教育の実証的解明~」(明石書店 1985)、同「教育の戦争責任」(明石書店 1984)なども同様の関心に基づいた著作であった。これらの著作を通じて文学者や教育者の多くが戦時中は熱烈に戦争を賛美しておきながら、戦後はほとんどまともに反省することなく、熱心な民主主義者、平和主義者になりすまして戦後も活躍を続けている事に気付かされた。中には公職追放を受けた人々もいたが、追放はたちまち解除され、かつての政治家、財界人、特高、右翼、暴力団も含めて多くの指導者層が戦後も同様に日本の指導的な立場に復帰しているのである。

 敗戦によって教科書自体は国定教科書から「墨塗教科書」を経て検定教科書に変わったものの、とりわけ社会科教科書の内容面での信頼性、妥当性には未だに大きな問題が残り続けていると私は感じている。

※最近の著作では「帝国日本のプロパガンダ~戦争を煽った宣伝と報道~」(貴志俊

 彦 中公新書 2022)や「大東亜共栄圏のクールジャパン~協働する文化工作~」

 (大塚英志 集英社新書 2022)も興味深かった。

 

 大学院の授業では戦後の学校教育の歩みを辿ることをテーマにした門脇先生の授業があり、大田堯(1918~2018)編「戦後日本教育史」(岩波書店 1978)が主なテキストであった。憲法などの法制面の字面だけを見れば戦前と戦後の間には確かに大きな断絶と変化があった。しかしその変化を担った人々の顔ぶれはさほど変化していなかった。この途絶えることのなかった戦前からの人脈がアメリカ軍の占領下、戦後日本の形成期において決定的とも言えるような役割を果たしていた事の持つ意味は現在においても決して小さくあるまい。

 

 学者からの発信も見てみよう。1980年代、教育社会学における学校教育研究は日本では東大が中心的役割を果たしており、清水義弘(1917~2007)氏、天野郁夫(1936~)氏や藤田英典(1944~)氏、久冨善之氏(1946~)らが大きな存在であった。彼らの門下生である苅谷剛彦氏、耳塚寛明氏、岩見和彦氏らも盛んに研究論文を発表していた時代である。当時は社会学理論の一つの柱となってきたタルコット・パーソンズ(1902~1979)の構造機能分析を手法とする社会システム理論が批判され始め、「パラダイム転換」が世に叫ばれていた。イヴァン・イリイチらの脱学校化社会論、脱専門家社会論もそうした風潮の中で注目を集めていたのである。

 私は大学時代、教育社会学のゼミを受講しており、教育社会学で論文を書くために専ら苅谷氏らの論文が掲載されていた東大の研究紀要と自分の恩師門脇厚司先生の研究に注目していた。このため教職に就いてからもしばらくの間は、教育社会学の学会員ではないにもかかわらず東洋館出版の日本教育社会学会編「教育社会学研究」を定期的に購入し、教職の仕事に日々忙殺されながらも教育社会学の研究動向の把握に努めようとしていた。

 幸い私の初任校では社会科教員が月に一回、社会科会議の時間を割いて自分の好きなテーマを選び、社会科内で発表するという自主的研修が行われていた。その準備を兼ねて大学時代の学習を続ける事が出来ていたわけである。さらに年に一回、宿泊を伴う社会科の研修旅行が行われており、足尾銅山や東海村原子力発電所、長野の松代大本営跡などで貴重な見学が経験できるなど、若手教師の成長には欠かせない職場での自主的で有意義な取り組みが幾つか存在していた。

 ただし学校現場でこのような素晴らしい取り組みが行われていたのは残念ながらこの初任校のみであり、二校目などは社会科準備室がただの教科書や資料集等の書庫と化していて誰も常駐しておらず、研修も日帰りだけの貧弱なものに過ぎなかった。部活の指導や進路指導の仕事があった上に通勤時間も長かったため、帰り際に書店に立ち寄ることすらほとんど出来なくなり、この二校目でたちまち「教育社会学研究」の購入がほぼ途絶えてしまった。

 また三校目は教育困難校ということもあって時間的、体力的、精神的余裕が無くなり、思ったような自主研修を行えない状況が続いた。しかし毎年秋には僅かな数の有志で京都、奈良旅行を実施していたのは当時、日本史担当者としてせめてもの救いだった。また社会科有志で社会科教室を舞台に文化祭での展示を行える機会も僅かながらあった。こうした点は教師による自主的な取り組みの伝統がギリギリではあるものの辛うじて高校に生き残っていた証しではあるだろう。

 恐ろしい事に四校目以降(およそ20年前以降)、そうした教科単位での自主的試みは皆無となってしまった。これはもっぱら県教委が国の施策に基づき、初任研(1989年導入)や経験者研(2003年導入)、管理職の指導による校内研修(四校目の学校では何と年に20回以上!)などを次から次へと設置、拡充してみっちりと日程を組んでしまったことにより、現場での自主研修の機会がほとんど奪われてしまったからである。なお私の学校教育に関する読書習慣もこの四校目でほぼ完全に断たれてしまった。

 県教委や管理職が実施する校外、校内での強制的研修が授業力向上に繋がる有意義なものであるならばまだしも、その多くは現場感覚からズレまくった完全にトンチンカンな内容であり、総花的で時間の無駄と言えるものが多かった。現在の若手教師の研修はそうした官製研修ばかりとなってしまったため、特に勤務校の実情に沿った授業に関わる研修の薄さは教師の中途退職や精神疾患の増大などの問題を生み出す大きな原因の一つにさえなっていると私は考える。

 こうして生徒に寄り添う時間や楽しく分かりやすい授業を創り出すための現場での創意工夫のチャンスを教師達から根こそぎ奪い去っておきながら自らの責任を棚上げし、学校の不祥事を他人事のように騒ぎ立てて「不適格教師」のレッテル貼りに専念する、極めて冷酷無比な教育行政がこの20年余りの間に確立してきたと言えるのではないか。肝心の授業を蔑ろにして生徒指導や進路指導、部活指導に現を抜かす学校のブラックな体質は上からの的外れでお粗末な官製研修の一方的な押しつけによるところが決して小さくはないと考えるがいかがだろう。

 

 さて学者による発信の中で私が特に魅了されたのは久冨氏の著作の随所に見られた、現場の教師に寄り添うようなきめ細やかで温かい教育者の視点であった。教育社会学の立場から久冨氏(「教員文化の社会学的研究」多賀出版 1990年)は教員の置かれている、傷つきやすい不安定な立場をこう説明している。「学校という所は、少数ないし一人の教員が、多数の生徒たちを相手にし、彼らがもともと必ずしも好んでいない学習活動へと導かねばならない。その状況が教員の特別の権威と、教員の生徒に対する統制を不可避にしている。したがって、ディシプリン(統制の生徒への内面化過程)に失敗すると、教授活動においても失敗するだけでなく、父母・住民からの信頼を決定的に失う原因となる。…その意味では、教員がディシプリンに特別の関心を示すのは、その仕事の性格に起因する当然のことであり、そこに教員たちの苦心があり、苦悩もあるのだ…」

 すなわち学校現場でいたずらにマンツーマン的対応を前提とした「カウンセリング・マインド」(20数年ほど前の学校では一世を風靡した流行語だった)を唱えることは教師の依って立つ基盤を自ら突き崩す危険性を孕んでいたのである。久冨氏のこうした学校現場への深い洞察と共感的理解は教育困難校で苦悩する教師にとってまさに得がたい魅力であった。そして氏の著書の多くが実は編著であるのだが、これは若手研究者に発表の機会を出来るだけ多く与えることに尽くしてきた、優れた教育者としての久冨氏の人柄が偲ばれる証左だ…と当時の私は感嘆のまなざしで捉えていた。

 久冨氏に加え、天野氏の後継者と目された苅谷氏の広い視野から下される鋭い洞察力にも私は圧倒されていた。もちろん恩師門脇厚司先生の著作は主に高校教育を対象としていたため私にとって必要不可欠なものであった。以下、この3人が執筆された、私が所有する著書を一部だけ紹介してみる。おそらく本のテーマからだけでも一定の傾向、時代の風潮が伝わると思う。

 なお以下に紹介した著作(特に21世紀になってから出版された本)を私はすべて読了してはいない。その事情は既に記したとおりである。

久冨善之(1946~)氏

 編著「教員文化の社会学的研究<普及版>」(多賀出版 1990)」

 編著「豊かさの底辺に生きる~学校システムと弱者の再生産~」(青木書店

   1993)

 「競争の教育~なぜ受験競争はかくも激化するのか~」(労働旬報社 1993)

 編著「日本の教師文化」(稲垣忠彦氏との共編 東京大学出版会 1994)

 編著「希望をつむぐ学力」(田中孝彦氏との共編 明石書店 2005)

 編著「教師の専門性とアイデンティティ~教育改革時代の国際比較調査と国際シン

   ポジウムから~」(勁草書房 2008)

苅谷剛彦(1955~)氏

 「学校・職業・選抜の社会学~高卒就職の日本的メカニズム~」(東京大学出版会 

   1991)

 「大衆教育社会のゆくえ」(中公新書 1995)

 「学校って何だろう」(講談社 1998)

 「教育改革の幻想」(ちくま新書 2002)

 編著「学力の社会学~調査が示す学力の変化と学習の課題~」(志水宏吉氏との共

   編 岩波書店 2004)

 編著「教員評価」(諸田裕子、妹尾渉、金子真理子氏との共著 岩波ブックレット 

   2009)

 編著「教員評価の社会学」(金子真理子氏との共編 岩波書店 2010)

 「コロナ後の教育へ~オックスフォードからの提唱~」(中公新書ラクレ 2020)

 「コロナ後の教育へ・・・」で日本の教育行政に対し「…エセ演繹型思考と法治主義をセットにし

   たアプローチでは、設計段階での欠点や欠陥を見過ごし、思った成果を上げられるかどうかを不

   明にしたままでも制度改革が出来てしまう。さまざまな副作用についても思慮の外に置かれ

   (p.63)との指摘は実に鋭い。立て続けに断行されてきた教育改革の発想の根幹を揺さぶるもの

   であろう。また政治家や官僚側が常に自分達の謬見や過ちを棚に上げて学校を一方的に断罪し、

   改革と称する学校現場の破壊的政策をひたすら推進してきたこれまでの経緯の背景が見えてくる

   点で教師必読の書と考える。

門脇厚司(1940~)氏

 「現代学校論~生徒と教師の社会学~」(亜紀書房 1982)

 編著「高校教育の社会学~教育を蝕むみえざるメカニズムの解明~」(陣内靖彦氏

   との共編 東信堂 1992)

 編著「高等学校の社会史~新制高校の予期せぬ帰結~」(飯田浩之氏との共編 東

   信堂 1992)

 「子供と若者の異界」(東洋館出版 1992)

 「異界を生きる少年・少女」(東洋館出版 1995)

 「大人の条件~社会力を問う~」(佐高信氏との対談 岩波書店 2001)

 「学校の社会力~チカラのある子どもの育て方~」(朝日新聞社 2002)

 

 以上、挙げた本の題名からだけでも1990年代以降、日本の学校がお上からの息つく暇すら与えない「~改革」の洗礼を浴び続け、徐々に疲弊していった様が個人的には思い浮かぶ。学校教育の行き詰まりの原因を不適格教師の存在と決めつけて管理職による教員評価を強化し、免許更新制を導入して不適格者の排除を図る、官製研修を増やして現場の創意工夫を根絶やしにする傍らで「教師の質向上を図る…」とのご託宣。これらすべては教育行政の失敗を現場の教師へ一方的に転嫁する傍ら、肝心の改革(教師の仕事の精選、教科書検定制度の見直し、高校教師養成教育の見直し等)をサボり続けた行政側の欺瞞と怠慢の歴史の反映であると考えるがいかがだろう。

 なお私は他に藤田英典氏、天野郁夫氏、柴野昌山氏、竹内洋氏、今津孝次郎氏、岩見和彦氏、岩木英夫氏、志水宏吉氏、広田照幸氏、古賀正義氏、柳治男氏、油布佐和子氏、本田由紀氏、教育社会学者以外では中内敏夫氏、佐藤学氏、諸冨祥彦氏、小林正幸氏などの著作も読んでみている。

 外部からの発信という点ではジャーナリストの役割も大きい。林雅行(1953~)氏の「天皇を愛する子どもたち」(青木書店 1987)、鎌田慧(1938~)氏の「生きるための学校」(岩波書店同時代ライブラリー 1995)及び「「教育工場の子どもたち」(講談社文庫 1986)、吉岡忍(1948~)氏の「ルポ 学校の力」(朝日文庫 1992)、「ルポ 教師の休日」(朝日文庫 1992)、「街の夢 学校の力」(日本書籍 1981)、日垣隆(1958~)氏の「ルポ 高校って何だ」(岩波書店1992)、最近では朝比奈なを氏の「教員という仕事~なぜブラック化したのか~」(朝日新書 2020)など、いずれも大いに参考となった。

 

 現場からの発信に戻ろう。1980年代の後半以降、都内の定時制高校教師であった佐々木賢(1933~)氏の本を読むようになる。私は初任校や二校目の高校は中堅どころの進学校であったが、実は大学時代の恩師が教育困難校の調査をしていて神奈川県の高校調査にお供したことがあり、学校改革を論文のテーマとしたことから、困難校の実態には強い関心を抱いてきた。三校目の転勤先に敢えて困難校を希望したのも恩師や佐々木氏の影響が決定的に大きい。

 1980年代は山本哲士氏らの推奨でイヴァン・イリイチの脱学校化社会論がブームとなっていて私もその系列の本をそれなりに読んでいたが、佐々木氏もイリイチの影響を受けた言説を展開していた一人である。ただし山本氏の硬直した難解な言葉遣いとは違って佐々木氏は教師としての経験を踏まえた具体的で分かりやすい内容であり、その文章はたいへん魅力的であった。

 イリイチは学校や教師の機能の肥大化を警告し、それらの機能を縮小させて国家や学校から民衆の手に学びの主権を取り戻すことを主張していた。佐々木氏も同じ主張に属し、同時にこれまで賛美されてきた体育会系熱血教師像への批判をも試みたと考える。

 以下、私が所有する佐々木賢氏の著作を列挙しておこう。

 ・「学校はもうダメなのか~学校内格差と非行問題~」(三一書房 1981)

 ・「学校を疑う~学校化社会と生徒たち~」(三一書房 1984)

 ・「当節定時制高校事情」(有斐閣 1987)

 ・「怠学の研究~新資格社会と若者たち~」(三・一書房 1991)

 ・「商品化された教育~先生も生徒も困っている~」(青土社 2009)

 他に松田博公(1945~:ジャーナリスト)氏との共著で「教育という謎~消費社会の文化変容~」(北斗出版 1992)と「果てしない教育?~教育を超える対話~」(北斗出版 1986)の二冊がある。

 

 1980年代後半から佐々木氏とは異なる、やや保守的な立場から精力的に発言してきたのが「プロ教師の会」である。中心人物は埼玉県立高校の教師だった諏訪哲二(1941~)氏と埼玉県川越市立中学校教師だった河上亮一(1943~)氏。教職員組合が学校をダメにしてきたとして左派を攻撃し、学校経営の現実的観点から秩序回復のためには厳しい指導も有り、とする主張を展開した。主に別冊宝島で「プロ教師の会」の特集が相次いで組まれ、中曽根内閣の臨時教育審議会の方針に一部沿いつつ左派の平等主義が持つ欠陥を鋭く指摘していた。

 彼らに関して、立場によってはただの保守反動であると簡単に切り捨ててしまう向きがあるかもしれない。しかし彼らの多くは校内暴力が吹き荒れた、疾風怒濤の時代を学校現場の当事者として目の当たりにしてきた。その中で生徒集団の狂騒的な集団心理の恐ろしさ、御しがたさを痛感してきたはずである。一人の教師が40人を超える生徒達を狭い教室に閉じ込め、好きでもない勉強を長時間強いることの難しさを少しでも分かっている教師ならば、彼らの主張にはそれなりに共感できる側面があったはず。とりわけ心理的に不安定となりがちな思春期の中学生集団を相手にする難しさは時に想像を絶する瞬間があるものだ。

 観念的な理想論、教条主義的なイデオロギーに寄りかかった立場からのプロ教師の会批判はまったくの見当外れであると私は考える。40人以上の集団を相手にする場合、何らかの政治的権力が発生しないわけにはいくまい。経営論的観点も必要とされるに違いない。それらをリアルに感じて「管理」を武器に秩序回復を第一と定め、普通の教師と生徒達を校内暴力の嵐から力づくでも救い出そうとした試みこそがプロ教師の会の目指したものではなかったか、と思う。

 管理主義教育が悪い事など、今は誰でも分かる。しかし一クラス40人を優に超える途上国並みの学級編成の中での校内暴力の嵐がどれほど、当時の教師たちを追い詰めていたのか…上から目線ではなく、その辛さに対する共感的理解を抜きにして当時の学校を語るわけにはいくまい。

 実際、表では管理主義教育を批判して「金八先生」を気取っていても、実際には教科準備室にこもることで生徒指導の修羅場からひたすら逃げ続け、挙句の果てに学級を崩壊させてしまった教師たちを少なからず目撃してきた。そういう教師たちの多くは表向き、人権派、民主派を装いながら、その実、荒れた学級を放置し、大人しくて真面目な生徒たちを次々とイジメの被害者にして不登校や成績不振に追い込んでいたのではなかったか。そうした教師たちが口先だけでなく、本当に生徒たちの人権を重視しようとするならば、大人しい生徒たちの人権、授業を受ける権利をもしっかりと保障してあげるべきだったに違いないのだ。

 ※ちなみに諏訪哲二氏は教育社会学研究NO.50「教育社会学のパラダイム展開」(東洋館出版

  1992)の「転換期の教師モデル」(P.421~423)で報告者の一人として発表している。

 

 組合員であった私がプロ教師の会からの発信を数多く、重く受け止めようとしてきたのは困難校に努める立場に加えて以上のような理由からである。また彼らの多くは管理の必要性を主張してはいたが、行き過ぎた管理主義には基本的に反対していたという点も決して忘れてはなるまい。

 以下、私が所有する別冊宝島の特集、諏訪氏と河上氏の著作、及びプロ教師の会の喜入克氏の著作を列挙してみる。

別冊宝島の特集

 ・78号「ザ・中学教師~プロ教師へのステップ編~」(JICC出版局 1988)

 ・95号「ザ・中学教師~親を粉砕するやり方編~」(略 1989)

 ・108号「ザ・中学教師~ダメ教師殲滅作戦編~」(略 1990)

 ・129号「ザ・中学教師~子どもが変だ!~」(略 1991)

 ・プロ教師読本Vol.2「プロ教師の学校大論争!」(略 1993)

 ・プロ教師読本vol.3「プロ教師の教育改革総点検!」(略 1995)

  他に洋泉社MOOKプロ教師・読本Vol.4「プロ教師のしつけ論」(洋泉社 

  1997)

諏訪哲二氏の著作

 ・「反動的!~学校、この民主主義パラダイス~」(JICC出版局 1990)

 ・「日の丸」(JICC出版局 1991)

 ・「学校の終わり」(宝島社 1993)

 ・「平等主義が学校を殺した」(洋泉社 1997)

 ・「ただの教師に何ができるか」(洋泉社 1998)

 ・「なぜ勉強させるのか?~教育再生を根本から考える~」(光文社 2007)

河上亮一氏の著作

 ・「プロ教師の道~豊かな管理教育をつくるために~」(JICC出版局 1991)

 ・「プロ教師の生き方~学校バッシングに負けない極意と指針」(洋泉社 1996)

 ・「学校崩壊」(草思社 1999)

喜入克(1963~都立高校教師:)氏の著作

 ・「高校が崩壊する」(草思社 1999)

 ・「教師の仕事がブラック化する本当の理由」(草思社 2021)

 ※喜入氏の「教師の仕事…」には一部見当外れと思われる指摘があり、学校が変わるべき本質的課題

  を少しばかり見誤っているように思える。教育が商品化され教師が万能ロボットの「ドラえもん」

  と化している、官僚制が肥大化し、強権的となった教育行政が「スクラップアンドビルド」の原則

  から外れて際限なく「ビルドアンドビルド」を繰り返すようになり、学校現場を極度に疲弊させて

  いる…といった指摘には大いに共感するが、従来の「学校という枠」をアプリオリに前提とする傾

  向が見られるのは残念。今、学校側が見直すべきポイントの一つは旧態依然の「学校という枠」で

  あり、知識詰め込みと一斉講義形式に偏る授業方法であると思うが、いかがか。同じプロ教師の会

  では諏訪氏、河上氏の著作の方がより説得力があると私は感じている。

参考記事

 なぜ先生は学生を「怒れなく」なっているのか 教育現場を弱体化させている1つの

  「妄想」 東洋経済オンライン 鳥羽 和久,舟津 昌平 の意見 2024.7.16

 日本の教育を縛る「金八先生・泣き虫先生」モデル ーー教師のブラック環境が消

  えない「意外な難点」

  文春オンライン 永島 孝嗣 によるストーリー  2023.12.30

その3.沖縄の歴史と沖縄戦

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 今回は沖縄の歴史を概観し、太平洋戦争で日本最大の地上戦となった沖縄戦を軸に当時の学校教育等も絡めて授業素材となる観点を提示していきます。

 

 

①沖縄の歩み

驚きの発見!「伊礼原遺跡」が語る7000年の歴史 北谷町立博物館

   takaren-so-tv  2025/01/27  9:51

 アメリカンビレッジで有名な北谷町にある縄文時代の遺跡から沖縄のルーツが垣間見えてくる貴重な動画。短時間で分かりやすく、沖縄の歴史をざっと概観する上で非常に便利であり、イチオシの動画。ただし基地問題や沖縄戦とも関わってくるので、授業で視聴する際、教師としてはその辺りの知識があらかじめ必要となる。

・中世:中継貿易(東南アジア、スペイン・ポルトガル、明、日本)の拠点として琉球王国繁栄(明と日本とに両属しながらも、基本的には独立的王国)

三山時代(北山・中山・南山)を経て1439年、尚巴志により三山統一=琉球王国成立。この辺りのことは「ももせ塾長【ばっちり歴史講座】」による以下の動画が詳しい。

【日本】尚巴志~琉球むかしばなし~2020/11/22 27:49・・【日本】尚真王~琉球全盛を築いた国王~ 2020/11/24【日本】尚巴志~われこそは中山王、首里城今昔物語~2020/11/23 17:55・ 29:16・【日本】尚真王~ドキッ!倭寇と琉球のアブナイ関係~2020/11/25 26:15

…第一・第二尚氏王朝の動き、特に三山を統一した尚巴志及び琉球王国の全盛期を築いた第二尚王朝の三代目尚円王(1465~1527)を詳しく知りたい人にオススメ。

※世界遺産:5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)とその関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が2000年(平成12年)に世界遺産登録。 これらの公式名称は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」

万国津梁 琉球王国の歴史【公式】おきなわ彩発見NEXT 

 2023/07/26 11:00

 短時間で沖縄の歴史と伝統のエッセンスを理解するのはこの動画がイチオシ。

教科書には載っていない琉球王国の真の姿|小名木善行

   むすび大学チャンネル  2021/10/19  21:26

 相変わらず間違いだらけの歴史観で沖縄を論じている小名木氏であるが、特に「唐大和上東征伝」を「とうやまとじょうとうせいでん」と派手に読み間違えた挙句に沖縄と大和との密接な関係を説く、というとんでもない珍説を披露してしまっているのは情けない限り。さすがにネトウヨもこれほど稚拙な論説に耳を傾ける人はいないだろう…と思いきや、この動画が15万回ほどの視聴回数を稼いでいるところをみると、この間違いだらけの珍説が右翼界隈ではそれなりの支持を得ているようである。

 まじめな右翼の立場からしてもこうした情けない状況を漫然と看過するわけにはいくまい。これは日本や沖縄の伝統文化、歴史を尊重する立場からすれば歴史への深刻な無知、無理解、誤解に基づく日本や沖縄への許せない冒とくに値する珍説であると考えるがいかがだろう。そもそも繰り返し基本的な歴史的な用語を読み間違えるレベルの論者をなぜ、数多くの視聴者がこうもありがたがって視聴しているのか、不思議でならない。

 沖縄をどの国の帰属に委ねるのか、それとも独立国家として歩むのか…その決定権は今後も沖縄の人々にあるのであり、「大きな和(輪)」→「おきなわ」という、既に手あかのついたダジャレで沖縄を「大きな和」→「大和」の配下に置くのは必然、などと決めつけるごとき、根拠薄弱な論理展開には唖然とするほかあるまい。

琉球王国のグスク及び関連遺跡群

 2016/06/03 OPEN EV 沖縄県教育委員会 教育支援ビデオ 6:29

JAL×沖縄CLIPムービー 【沖縄の世界遺産を巡る旅】

 2017/10/17 沖縄CLIP沖縄の観光情報サイト 16:16

3琉球歴史ロマン探訪~琉球の英雄とグスクの魅力を辿る~【VR】

 2020/01/22 沖縄県公式チャンネル 5:00

※一つ一つの詳しい動画は「その1」のオススメ動画を参照してください。また築城の技法や第一尚氏王

 朝の興亡について詳しく知るには、築城の天才と謳われた護佐丸(?~1458)の生涯を辿ったyo

 utube動画「護佐丸クロニクル」(2017~2018 第一話~第二十話 一話につき3分30秒)が

 オススメ。護佐丸は世界遺産に登録された五つのグスクの内、座喜味城と中城城の築城に関わり、尚

 巴志による三山統一に協力した人物。「歴史に翻弄された王女から見た15世紀の琉球王国『百十踏

 揚』【#22 琉球・沖縄本レビュー】 2020/11/04 阿波根あずさの沖縄観光チャンネル」も参考に

 なる。

世界自然遺産(2021):沖縄本島北部及び西表島・・・他に奄美大島、徳之島

・近世:薩摩藩に支配されつつ清にも仕える両属関係継続

Q.この絵は誰がいつ頃、何処を描いたのだろう?

 絵は「琉球八景」(1832年秋頃版行)の一つ「長虹秋霽(ちょうこうしゅうせい)」。明からの冊封使を迎える為、かつて三角州であった那覇と琉球島を結ぶために築かれた海中道路「長虹堤」を描いたもの。長虹堤は、1451年、琉球王国によって建設された全長約1キロメートルの堤防と橋からなる道路であり、崇元寺付近(那覇市泊)と伊辺嘉麻(いべがま、那覇市松山付近)を結んでいた。かつての那覇は浅い入り江とその入口をふさぐように横たわる浮島と呼ばれる島から成っていた。浮島は現在の久米および松山付近に相当する。中国王朝からの使者は浮島に上陸し浅い海を渡って首里へと向かうことになっており、琉球王府は使者を迎える際に国中の船を集めて舟橋としていた。1450年(景泰元年)に琉球国王に即位した尚金福王は1451年、翌年の明からの冊封使を迎えるにあたり浮島と首里とを結ぶ堤防と橋からなる道路の建設を決めた。工事には身分の高い者から低い者まで多くの人々が参加したという。那覇はその後、河川からの土砂堆積で陸繋島となった。

 絵を描いた葛飾北斎は実際に琉球を訪れた訳ではなく、1756年に来琉した冊封使・周煌が書いた琉球の見聞録『琉球国志略』に収録された絵図(「中山八景」)を元に描き、想像で着色したものとされている。そのため、描かれているのは実在した場所だが、幻想的な雰囲気の作品になっている。北斎の想像力で元絵にはない舟や人物も描き加えられており、中には琉球には無い雪や富士山(黄色い★印)と思しき山が描かれたものまである(「長虹秋霽」、「城嶽靈泉」)。

 1832年天保3年)10月から11月にかけて、第二尚氏王統第18代尚育王の襲封謝恩使として、豊見城王子を正使として江戸上りが行われ、久しぶりのお祭り気分も手伝って、この時、江戸を中心にちょっとした琉球ブームが訪れていた。このブームに便乗しようとして描かれたのが北斎の「琉球八景」であった。ちなみに北斎の代表作と言われる「冨嶽三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に刊行されており、琉球八景と制作時期が重なっている。江戸での富士講の隆盛にあてこんで大ヒットした「富嶽三十六景」にあやかるかのようにこの琉球八景にも富士山が遠景にちゃっかりと描き込まれている。さすが商売上手。「絵空事の天才」と言われるだけのことはある。

 琉球王国使節の江戸上りは、薩摩の琉球侵攻後の1634年から、幕末の1850年まで間に18回行われた。これらには、琉球国王即位の際に派遣される謝恩使と、幕府将軍襲職の際に派遣される慶賀使とがあった。その道中は「異国を支配する薩摩藩」および「異国からの使節の来訪を受ける幕府」を前面に出すことによって両者の権威高揚に利用されたと考えられる。

 

【沖縄観光】国際通りの裏側は面白い!王国時代の海中道路をぶらりご紹介! 

 2021/02/25 ふぁじちゃんねる、沖縄 16:18

【琉球サウダーヂ】橋巡り 第二話「美栄橋」

 2021/10/15 RBCチャンネル 【琉球放送】 2:30

 

幕末、薩摩藩の財政再建に利用され「黒糖地獄」

  蝦夷地で入手した俵物を清に輸出(抜け荷)し、巨利を得る⇒財政再建

  アメリカなどの接近(1853年、ペリー来航等)、琉球の帰属問題表面化

・近代:琉球処分:沖縄県設置、尚氏、東京に移住

 清との両属関係を清算し、日本の単独支配へ(領有の確立)

 北海道と同様、特殊な立場に置かれる(「旧慣温存策」=差別的待遇)

 ただし北海道は開拓使が置かれてアメリカ式の農業や牧畜が導入されるなど、近代化政策の恩恵を多少なりとも受けることができたが・・・

 ⇒近代化の遅れ(貧困問題の遠因の一つ)

残っていた明治古写真29枚 琉球処分後の時代生々しく

 2014/05/03 KyodoNews 1:37

 2019年に首里城正殿等が焼失し、現在、再建中の正殿前の龍柱が戦前はどの方角を向いていたか議論になった。古写真では正面を向いている時期があったことも分かっている。

Q.焼失した首里城正殿等は誰が所有する土地?

Q・正殿等の復興の主体は誰?

RBC NEWS「首里城謎めぐり(1)神秘の「京の内」」~(4)王族眠る「玉城」

 の不思議2020 【琉球放送】RBC NEWS 各7~8分

 首里城を詳しく知る上で役立つ。

首里真和志町の獅子頭 78年ぶりに帰った「守り神」(沖縄テレビ)2023/6/ 8 

 OTV沖縄テレビ 2023.6.9 9:22

見どころ満載!那覇市歴史博物館の常設展示~「駅から5分の国宝」は伊達じゃな

   い~ 沖縄歴史倶楽部  2023/10/14 25:58

 10.10空襲以前の市役所近辺のジオラマや尚家文書(近代)の展示などは非常に興味深い。

太平洋戦争末期に流出の文化財を沖縄に返還 FBI「戦争中に持ち去られた可能性

   高い」ANNnewsCH 2024/03/16 1:34

初めてわかった御後絵の色彩 琉球国王の肖像画 FBI捜査で見つかる  

   OTV沖縄テレビ  2024/04/30 3:46

那覇歴史博物館が国宝「王冠」を特別公開 (24/05/02 19:15)

 OTV沖縄テレビ 1:16

戦世から80年 沖縄の白黒写真カラー化で見えたもの(沖縄テレビ)

    2025/4/08 沖縄ニュースOTV 2025/04/09 7:33

 いきなり残酷なシーンから入ってしまうと沖縄戦の学習自体に嫌悪感を植え付けてしまいかねない。今の児童生徒たちに沖縄戦を少しでも自分事として捉えてもらうためには、地味ではあるが、こうした取り組みも極めて大きな意義があると感じる。ぜひ沖縄戦を扱う際、最初の授業で視聴したい。特に水を飲む少女、那覇の戦火を逃れる二人の子どもを背負った母親、ポーズをとる少女(1945.4.9撮影)の写真3枚は私たちに様々な想像力を強く刺激する傑作。

 写真撮影の前に一体、何があったのか、撮影後にどんなことが起きたのか…被写体となった人々のストーリーと写真を撮影した人物のストーリーを、年表を用い、時系列に沿って想像させてみると、より、沖縄戦への理解が深まるかもしれない。

カラーでよみがえる80年前の沖縄 米軍上陸の2日目に捕虜となった住民自ら切った

    首を治療する女性… 白黒をカラーにすることで分かることも 

    300枚の写真をAIと手動で補正〈カンテレNEWS〉

    カンテレNEWS  2025/03/29 10:48

    OTVと同じ取材源をカンテレがニュース映像として取り上げているため、内容は非常に類似している。しかし教師としてはこちらも視聴しておくと、OTVの内容を授業で補える場面があるので役立つであろう。

 参考記事

      「首里の町あたり一面に死体が広がっていた」沖縄戦、民間人の半数以上は第32軍司令部の無謀

         な作戦が原因で命を落とした   集英社オンライン 2024.8.14

      [社説]沖縄戦の「戦利品」 国の責任で調査収集を

   沖縄タイムス社 によるストーリー 2023.5.31

      琉球国王の肖像画、米で発見され返還 沖縄戦で不明、FBIに要請

          毎日新聞 によるストーリー  2024.3.15

   日本本土最大の地上戦がもたらした悲劇の一つが米兵による「戦利品」という名の違法な略奪行

         為であったことは知っておきたい。これまで実物の遺品が確認できなかった琉球国王の肖像画が

   二点、アメリカから返還されたことは琉球史、美術史の空白を埋める画期的な出来事。

【昔の沖縄】往時の那覇を巡る 大正・明治時代の風景と文化

 OKINAWA A LA CARTE   2022/09/12 11:24

 戦災に遭う前の那覇の姿を貴重な古写真を通じて確認できる。

 

※補足:沖縄戦学習の導入部で利用可能な二つの動画

沖縄戦、閲覧注意 鳥になった少女/山羊になった少女

 sanzoku san 2015/08/10 13:58

 「動画のなかで記したきっかけで、これは生まれました。インスピレーションから書いたもので、取材や、下調べをした物ではないので、フィクションとして理解してください。ただし、その後の調べで、現実から乖離した物ではない事も確認しました。自分は沖縄の人間ではありませんが、沖縄から沢山の物を貰った恩返しの気持ちも込めてUPさせて頂きました。UPのために、高校生の時からほっといたギターを取り出して練習しました。続編のBGMも自家製です。PS.内地人の自分は,ひめゆりと直接関係は無いと思っていたのですが、師を同じくする大先輩がひめゆりの美術教師をしていた事を知りました。また、ダイビングで偶然訪れた大渡海岸の崖下で戦時中の遺骨を回収する体験もしてしまいました。」と動画の解説欄にある。したがってこの作品は沖縄出身者ではない人が空想して作ったものであるらしい。

 しかし「なーんだフィクションなら、視聴するほどの価値は無い…」などと視聴する前から断じてしまって良いのだろうか?ここでは宮沢氏の「島唄」に対する一部のウチナーンチュからの反発も踏まえつつ、こうしたフィクションが果たすプラスの役割についても考えてみたい。

 なお、視聴する際にはBGMが邪魔になると感じられる箇所もあるかと思う。音は最初からカットしておいたほうが字幕に集中でき、より一層、想像力を刺激されるかもしれない。また場面の切り替わりが早すぎて字幕を読むのが間に合わない箇所がかなりある。設定をクリックして再生速度を「0.5」にしておくと良いだろう。標準の再生速度で「12分11秒」あたりで字幕は終了するのでそこで視聴を終わりにしても鑑賞上は何ら問題がない。個人的にはBGMや終わりの1分以上続く沖縄の風景をカットすればこの作品の文章、悪くはないし、多少なりとも迫真的な描写力を感じられるが、いかがか。18万回の視聴回数にはそれなりの理由がありそうである。

 なお過去の沖縄修学旅行などでの写真・動画の蓄積があり、パワーポイントの操作にある程度の経験がある教師ならば、こうした作品をいくつか生徒たちとともに制作して次年度の事前学習の利用に供したり、文化祭などで発表することは十分に可能である。また修学旅行で訪れた戦跡や観光地の解説動画を生徒たちに作成させても良いだろう。その際にはグーグルマップなどの機能を駆使して距離や想定される移動時間、ストリートビューのスクリーンショットなどを利用すればたとえ自分たちの写真素材の蓄積が少なくともそれなりに臨場感のあるパワポ資料が出来るはず。生徒たちにとって生涯の記念となる作品ができるかもしれない。

 もう一つ、以下に紹介する「ひめゆりの願い」はかなり情緒的な内容でいかにも紙芝居的ストーリーではあるが、フィクションとしての総合的な完成度は高い。ひめゆりの塔を訪れるならば、ぜひ、あらかじめ視聴しておきたい。

 リニューアルされた資料館入口付近に新たに飾られた「ひめゆり」たちの楽し気な通学風景こそが、もう一つの平和教育の原点かもしれない。もちろん、戦争の残酷で悲劇的な内容からも目を背けてはなるまいが、こうした残酷さを強調する、今までの平和教育にありがちな展開ばかりでは生徒たちも辟易してしまい、平和教育自体に嫌悪感を覚えてしまうといった逆効果が懸念されよう。まずは彼女たちの笑顔いっぱいだった学校生活を、絵や写真を通じて自分たちの実体験と重ね合わせて想像してみることで、彼女たちの最期の悲しさがかえって強く胸に迫ってくるのでは…

ひめゆりの願い -Our memories of lily- YutaroHanten 

 2010/05/21 9:15

 「姫百合の願いーOur memories of lily~」 

  作詞shiori 作曲祐太郎飯店 (歌 初音ミク)

 概要欄で紹介された歌詞は以下のものになる。

挿入歌歌詞

 動画からカッパの耳に聞こえてくる実際の歌詞は以下のようなものであり、動画概要欄の歌詞とは所々異なっている。おそらく祐太郎飯店氏が編曲や「初音ミク」の歌声を調整している内に歌詞を微妙に変えていったものと思われる。ここではカッパが何とか聞き得た、最終版(↓)と思しき歌詞を元にして設問を考えてみた。

 

 空よ 海よ 聞いておくれ

 深い悲しみと嘆きの声を

 風よ 雲よ 運んでおくれ

 汚れた大地の記憶のすべて

     ―間奏―

 儚く消えた私の希望

 砕け散った心と体

 友は静かに眠りて永遠(とは)の別れを告げ 旅立つ

 今はただ 宇宙の星になることが願い

 今はただ 大地の糧(かて)となることが救い

     ―間奏―

 私は祈る 友よ 安らかに眠れ

 私は願う 共に 生きてることを

 空よ 海よ 聞いておくれ

 今有る悲しみと嘆きの声を

     ―間奏―

 夜空を飾る星達よ 

 山を越え 海を渡り 空を流れ 

 伝えておくれ

 私の深い悲しみを ひめゆりの花の音を 聴いたら

 

Q1.「わたしたちはなぜ争ってしまうのだろうか?」

Q2.「ひめゆりの願い」とは一体どんな願いなのだろう?

Q3.なぜ、この動画は英語をメインにテロップが作られているのだろう?

Q4.6分頃からテロップが日本語中心に変わっているのはなぜだろう?

Q5.「運命を変えたその日」、すなわち沖縄本島で最初に空襲があったのは何時のこ

  とか?

Q6.東堂さんはアメリカ軍の司令官が敵であるはずの自分を殺さないどころか、謝罪

  したことになぜ疑問を感じたのだろう?

Q7.恵美への墓参が命日の6月2日ではなく、6月23日に行われているのはなぜ?

Q8.作者は二人とも沖縄の人ではないし、戦争体験者でもないのに、なぜ、この作品

  を創作したのだろう?

 人物の名前や髪型は今風のものだが、非常によく考えられ、工夫された動画であり、作詞作曲も悪くない。配信されてから10年以上経っても決して古びない確かなメッセージ性を秘めていると感じる。この動画作成に二人がどれだけの努力と工夫を要したかは以下に示した「祐太郎飯店の円卓」と称するブログによって推察できるが、ブログの記述内容の一部に多少の思想的違和感を感じるかもしれない。

※ブログ「祐太郎飯店の円卓」(2015.7.2「ひめゆり五周年感謝増刊」)

 http://taxi-adam30.at.webry.info/2015...