その3.沖縄の歴史と沖縄戦

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 

 今回は沖縄の歴史を概観し、太平洋戦争で日本最大の地上戦となった沖縄戦を軸に当時の学校教育等も絡めて授業素材となる観点を提示していきます。

 

①沖縄の歩み

・中世:中継貿易(東南アジア、スペイン・ポルトガル、明、日本)の拠点として琉球王国繁栄(明と日本とに両属しながらも、基本的には独立的王国)

三山時代(北山・中山・南山)を経て1439年、尚巴志により三山統一=琉球王国成立。この辺りのことは「ももせ塾長【ばっちり歴史講座】」による以下の動画が詳しい。

○【日本】尚巴志~琉球むかしばなし~2020/11/22 27:49・・【日本】尚真王~琉球全盛を築いた国王~ 2020/11/24【日本】尚巴志~われこそは中山王、首里城今昔物語~2020/11/23 17:55・ 29:16・【日本】尚真王~ドキッ!倭寇と琉球のアブナイ関係~2020/11/25 26:15

…第一・第二尚氏王朝の動き、特に三山を統一した尚巴志及び琉球王国の全盛期を築いた第二尚王朝の三代目尚円王(1465~1527)を詳しく知りたい人にオススメ。

※世界遺産:5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)とその関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が2000年(平成12年)に世界遺産登録。 これらの公式名称は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」

万国津梁 琉球王国の歴史【公式】おきなわ彩発見NEXT 

 2023/07/26 11:00

 短時間で沖縄の歴史と伝統のエッセンスを理解するのはこの動画がイチオシ。

教科書には載っていない琉球王国の真の姿|小名木善行

   むすび大学チャンネル  2021/10/19  21:26

 相変わらず間違いだらけの歴史観で沖縄を論じている小名木氏であるが、特に「唐大和上東征伝」を「とうやまとじょうとうせいでん」と派手に読み間違えた挙句に沖縄と大和との密接な関係を説く、というとんでもない珍説を披露してしまっているのは情けない限り。さすがにネトウヨもこれほど稚拙な論説に耳を傾ける人はいないだろう…と思いきや、この動画が15万回ほどの視聴回数を稼いでいるところをみると、この間違いだらけの珍説が右翼界隈ではそれなりの支持を得ているようである。

 まじめな右翼の立場からしてもこうした情けない状況を漫然と看過するわけにはいくまい。これは日本や沖縄の伝統文化、歴史を尊重する立場からすれば歴史への深刻な無知、無理解、誤解に基づく日本や沖縄への許せない冒とくに値する珍説であると考えるがいかがだろう。そもそも繰り返し基本的な歴史的な用語を読み間違えるレベルの論者をなぜ、数多くの視聴者がこうもありがたがって視聴しているのか、不思議でならない。

 沖縄をどの国の帰属に委ねるのか、それとも独立国家として歩むのか…その決定権は今後も沖縄の人々にあるのであり、「大きな和(輪)」→「おきなわ」という、既に手あかのついたダジャレで沖縄を「大きな和」→「大和」の配下に置くのは必然、などと決めつけるごとき、根拠薄弱な論理展開には唖然とするほかあるまい。

琉球王国のグスク及び関連遺跡群

 2016/06/03 OPEN EV 沖縄県教育委員会 教育支援ビデオ 6:29

JAL×沖縄CLIPムービー 【沖縄の世界遺産を巡る旅】

 2017/10/17 沖縄CLIP沖縄の観光情報サイト 16:16

3琉球歴史ロマン探訪~琉球の英雄とグスクの魅力を辿る~【VR】

 2020/01/22 沖縄県公式チャンネル 5:00

※一つ一つの詳しい動画は「その1」のオススメ動画を参照してください。また築城の技法や第一尚氏王

 朝の興亡について詳しく知るには、築城の天才と謳われた護佐丸(?~1458)の生涯を辿ったyo

 utube動画「護佐丸クロニクル」(2017~2018 第一話~第二十話 一話につき3分30秒)が

 オススメ。護佐丸は世界遺産に登録された五つのグスクの内、座喜味城と中城城の築城に関わり、尚

 巴志による三山統一に協力した人物。「歴史に翻弄された王女から見た15世紀の琉球王国『百十踏

 揚』【#22 琉球・沖縄本レビュー】 2020/11/04 阿波根あずさの沖縄観光チャンネル」も参考に

 なる。

世界自然遺産(2021):沖縄本島北部及び西表島・・・他に奄美大島、徳之島

・近世:薩摩藩に支配されつつ清にも仕える両属関係継続

Q.この絵は誰がいつ頃、何処を描いたのだろう?

 絵は「琉球八景」(1832年秋頃版行)の一つ「長虹秋霽(ちょうこうしゅうせい)」。明からの冊封使を迎える為、かつて三角州であった那覇と琉球島を結ぶために築かれた海中道路「長虹堤」を描いたもの。長虹堤は、1451年、琉球王国によって建設された全長約1キロメートルの堤防と橋からなる道路であり、崇元寺付近(那覇市泊)と伊辺嘉麻(いべがま、那覇市松山付近)を結んでいた。かつての那覇は浅い入り江とその入口をふさぐように横たわる浮島と呼ばれる島から成っていた。浮島は現在の久米および松山付近に相当する。中国王朝からの使者は浮島に上陸し浅い海を渡って首里へと向かうことになっており、琉球王府は使者を迎える際に国中の船を集めて舟橋としていた。1450年(景泰元年)に琉球国王に即位した尚金福王は1451年、翌年の明からの冊封使を迎えるにあたり浮島と首里とを結ぶ堤防と橋からなる道路の建設を決めた。工事には身分の高い者から低い者まで多くの人々が参加したという。那覇はその後、河川からの土砂堆積で陸繋島となった。

 絵を描いた葛飾北斎は実際に琉球を訪れた訳ではなく、1756年に来琉した冊封使・周煌が書いた琉球の見聞録『琉球国志略』に収録された絵図(「中山八景」)を元に描き、想像で着色したものとされている。そのため、描かれているのは実在した場所だが、幻想的な雰囲気の作品になっている。北斎の想像力で元絵にはない舟や人物も描き加えられており、中には琉球には無い雪や富士山(黄色い★印)と思しき山が描かれたものまである(「長虹秋霽」、「城嶽靈泉」)。

 1832年天保3年)10月から11月にかけて、第二尚氏王統第18代尚育王の襲封謝恩使として、豊見城王子を正使として江戸上りが行われ、久しぶりのお祭り気分も手伝って、この時、江戸を中心にちょっとした琉球ブームが訪れていた。このブームに便乗しようとして描かれたのが北斎の「琉球八景」であった。ちなみに北斎の代表作と言われる「冨嶽三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に刊行されており、琉球八景と制作時期が重なっている。江戸での富士講の隆盛にあてこんで大ヒットした「富嶽三十六景」にあやかるかのようにこの琉球八景にも富士山が遠景にちゃっかりと描き込まれている。さすが商売上手。「絵空事の天才」と言われるだけのことはある。

 琉球王国使節の江戸上りは、薩摩の琉球侵攻後の1634年から、幕末の1850年まで間に18回行われた。これらには、琉球国王即位の際に派遣される謝恩使と、幕府将軍襲職の際に派遣される慶賀使とがあった。その道中は「異国を支配する薩摩藩」および「異国からの使節の来訪を受ける幕府」を前面に出すことによって両者の権威高揚に利用されたと考えられる。

 

【沖縄観光】国際通りの裏側は面白い!王国時代の海中道路をぶらりご紹介! 

 2021/02/25 ふぁじちゃんねる、沖縄 16:18

【琉球サウダーヂ】橋巡り 第二話「美栄橋」

 2021/10/15 RBCチャンネル 【琉球放送】 2:30

 

幕末、薩摩藩の財政再建に利用され「黒糖地獄」

  蝦夷地で入手した俵物を清に輸出(抜け荷)し、巨利を得る⇒財政再建

  アメリカなどの接近(1853年、ペリー来航等)、琉球の帰属問題表面化

・近代:琉球処分:沖縄県設置、尚氏、東京に移住

 清との両属関係を清算し、日本の単独支配へ(領有の確立)

 北海道と同様、特殊な立場に置かれる(「旧慣温存策」=差別的待遇)

 ただし北海道は開拓使が置かれてアメリカ式の農業や牧畜が導入されるなど、近代化政策の恩恵を多少なりとも受けることができたが・・・

 ⇒近代化の遅れ(貧困問題の遠因の一つ)

残っていた明治古写真29枚 琉球処分後の時代生々しく

 2014/05/03 KyodoNews 1:37

 2019年に首里城正殿等が焼失し、現在、再建中の正殿前の龍柱が戦前はどの方角を向いていたか議論になった。古写真では正面を向いている時期があったことも分かっている。

Q.焼失した首里城正殿等は誰が所有する土地?

Q・正殿等の復興の主体は誰?

RBC NEWS「首里城謎めぐり(1)神秘の「京の内」」~(4)王族眠る「玉城」

 の不思議2020 【琉球放送】RBC NEWS 各7~8分

 首里城を詳しく知る上で役立つ。

首里真和志町の獅子頭 78年ぶりに帰った「守り神」(沖縄テレビ)2023/6/ 8 

 OTV沖縄テレビ 2023.6.9 9:22

太平洋戦争末期に流出の文化財を沖縄に返還 FBI「戦争中に持ち去られた可能性

   高い」ANNnewsCH 2024/03/16 1:34

初めてわかった御後絵の色彩 琉球国王の肖像画 FBI捜査で見つかる  

   OTV沖縄テレビ  2024/04/30 3:46

那覇歴史博物館が国宝「王冠」を特別公開 (24/05/02 19:15)

 OTV沖縄テレビ 1:16

 参考記事

  〇[社説]沖縄戦の「戦利品」 国の責任で調査収集を

   沖縄タイムス社 によるストーリー 2023.5.31

      琉球国王の肖像画、米で発見され返還 沖縄戦で不明、FBIに要請

          毎日新聞 によるストーリー  2024.3.15

   日本本土最大の地上戦がもたらした悲劇の一つが米兵による「戦利品」という名の違法な略奪行

         為であったことは知っておきたい。これまで実物の遺品が確認できなかった琉球国王の肖像画が

   二点、アメリカから返還されたことは琉球史、美術史の空白を埋める画期的な出来事。

【昔の沖縄】往時の那覇を巡る 大正・明治時代の風景と文化

 OKINAWA A LA CARTE   2022/09/12 11:24

 戦災に遭う前の那覇の姿を貴重な古写真を通じて確認できる。