52.名古屋市教委金品授受問題
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
参考動画
○徹底追及 名古屋市教育委員会の金品問題 不可解な“名簿とカネ” 学閥で校長
が…? CBCニュース【CBCテレビ公式】 2024/03/26 7:43
○「愛教大による支配を完全に崩壊させる」と河村たかし市長 名古屋市教委の金品
授受問題 名簿とカネと学閥 CBCニュース 2024/04/01 5:33
◎【カネで人事は動いたのか…】名古屋市教委の金品授受問題 調査チーム最終報告
中京テレビNEWS 2024/08/28 6:46
◎謎の教育助成団体「名古屋市教育会」 事務局員3人の給与に約900万円 市教委と
勘違いする親も メ〜テレニュース 2024/09/20 5:23
ここでも寺脇氏の学校現場への無知がさらけ出されている。管理職候補を推薦する名簿の存在は千葉県でも古くから知られていた。管理職採用を巡っては学閥や校長会の影響力がかなり大きいのは教師たちにとってはむしろ常識でさえある。とりわけ愛知教育大出身者が管理職の多くを占める名古屋市の場合には管理職採用試験にまともな公正さがある、と思う方が圧倒的に非常識であり、ピンボケなのである。
メーテレニュースでは児童生徒の保護者たちからほぼ半強制的に集めた資金で運営される名古屋市教育会という奇妙な団体が実は退職校長会と相部屋であった場面が動画の中で一瞬、垣間見えた。年功序列と学閥が物言う世界では斯界の長老たちが人事に幅を利かす傾向は少なからずあるだろう。まさに学校教育界は長老たちによる内密の打ち合わせ…つまり「院政」時のような恣意的人事が行われていたといえる。しかもこの任意団体、恐ろしいことに年間の活動費3000万円近くの内、1000万円ほどを会の専従3人の人件費に充てている。河村市長が怒るのも無理はない。
40年ほど前だが、私も元校長たちが次の某高校の校長人事について話し合っていた場面に遭遇したことがある。そうした様々な経験(実際、この場では書けないような、余りにも酷過ぎる場面を数々見てきた)を重ねてきた結果、私は千葉県において校長や教頭の人事が公正な試験で決定しているはずは絶対に無い、という信念を抱えて退職の日まできている。40年ほど前、「東の千葉か、西の愛知か」と呼ばれたほどに愛知県と肩を並べて管理主義教育が徹底されていた千葉県である。さすがに名古屋市ほどでは無いにせよ、管理職人事の不公正さや隠蔽体質に関しては千葉県も大差あるまい。
何はともあれ、しつこいようだが寺脇氏の見事に現実離れした、学校現場の実情に疎いがために発せられる空疎極まりない見解には暗澹たる気分にさせられる。
北海道旭川市教委もまた北海道教育大学旭川分校出身者で占められているらしい。学校での不祥事が続発する地域にありがちな問題である。特定の大学出身者に偏っている市町村教育委員会は他にも沢山あるだろう。全国的にも突出して学校での不祥事を連発してきた神戸市などにもはたして出身大学の偏りは見られるのだろうか…
寺脇氏のような、学校現場への知識にまったく欠ける人物が堂々と文科省の官僚となって教育政策を主導する立場にいたわけだから、教育行政が迷走してトンチンカンな政策をとり続けるのも無理はない。文科省の抜本的改革抜きでの教育改革など、文科省の官僚が口にするのも愚かである。今の日本では政府や文科省による教育改革など決して許容できるものではあるまい。
授業では上記の動画を随時、視聴させて日本の学校教育が抱える問題とそれが日本社会の将来に与える悪影響についてしっかりと考えるきっかけにしたい。
参考記事
〇絶対評価のはずが「A B Cを1:2:1目安に」名古屋市の中学校で“相対評価”促す内部
文書 現役教師「改ざんになる」 FNNプライムオンライン 2025.5.6
こうした事が起きてしまう背景には同じような成績でも学校や教師が異なると教科の内申点にかなり差が生じてしまい、結果的に高校入試の際、学校間や教師間で少なからぬ不公平が生じている危険性がありはしまいか…といった事への強い懸念、疑惑が生徒や保護者たちの間に広くくすぶっている…そうした現状が名古屋には強く見られると推察するが、いかがか。
また兵庫県の様に公立高校の入試において内申点の占める割合が比較的大きく、結果的に学校の内申点の付け方に中学校の生徒や保護者がかなり神経質になっている可能性も同時に考えられる。
ただでさえ以前から、学科における成績においても平常点、態度、意欲などの観点を加味することで結果的には生徒たちをじんわりと管理統制することに貢献する評価のあり方が強化されてきた。そしてついには学業成績だけではなく、委員会や部活動等の活動実績も内申点の大きなポイントとされてきた。
学力に偏ってきたこれまでの評価を是正し、学業以外の取り組みも評価の対象とすべきだ、たった一度の学力検査だけで高校入試の合否が決定するのはおかしい…などといった、いかにももっともらしい表向きの理屈に流され、その実、学校生活の隅々にまで教師たちの管理と評価の眼差しが及び、生徒たちはいつの間にか自主性を奪われ、学校生活にひたすら順応することばかりが求められる。こうして画一的で窮屈な管理主義的教育体制が名古屋の公教育全体にわたり、再確立してきたのだと思うがいかがだろう。不登校がひたすら増加してきたのも当然の結末ではないのか。
そういえば愛知県はかつて「西の愛知、東の千葉」と言われたごとく、50年ほど前に全国で吹き荒れていた校内暴力をいったん管理主義的教育で沈静化してみせた、千葉県と並ぶ管理主義教育の先進県であった。その燦然と「輝ける」伝統が今また、息を吹き返したのかもしれない。
授業を含む学校生活における態度や意欲への評価はどうしても教師の主観に左右されがちとなる。こうした評価のあり方が教師に対する過剰なまでの迎合、忖度を生徒たちに強い、挙句の果てに学校の意向に服従する傾向を生徒、保護者間に生み出してきたのではあるまいか。名古屋教育会なる怪しげな組織が生まれ、つい最近までその存在を許さてきたのも、こうした愛知県特有の息苦しい教育風土があったからこそではなかったか。
◎内申点の評価実態、名古屋市が全中学校調査へ 教育長「非常に驚き」
朝日新聞社 2025.3.25
この記事の内容には驚愕させられる。名古屋市内の中学校で一部、相対評価的性格の評価方法が適用されていることに、教育長や市長が憤激しているというのだ。中学校の内申点は進学校以外では高校入試の際に大きな評価ポイントとされることがある。したがって中学校では内申点ができるだけ公正な観点から評価され、かつ保護者や生徒に対してそれなりの説明責任を負えるよう、あらかじめ用心深く工夫されているはず。
教師の立場からすれば、特に五段階評定に関してはできるかぎり教師の主観を排除し、明確に数値化された客観的基準によって機械的に算出された結果であると児童生徒や保護者に説明しておきたいだろう。なぜこの評定になったのか…これも観点別に細かく数値化すれば誰に対しても説明しやすい点においていかにも公正に見える。だから部活動の実績も数値化することは好ましい…少なくとも一般的にはそう考えられているはずだ。
とはいえ、数値化できることが評価のすべてではない。しかも部活動の実績や平常点の数値化がどこまで妥当性、信頼性があるのかは極めて疑問である。いったん数値化されてしまうと、外部からは数字が独り歩きして公平性や客観性を帯びて見えてしまうが、教育的評価として怪しいケースは決して少なくあるまい。部活動で県大会に出場できたとしても、種目の状況、ブロック内の他校の状況等によってその難易度には大差があり、単純に一律、内申点として加点するのは明らかに不公平なのだ。
現実問題として高校は調査書の内申点において「県大会出場」を絶対評価、それとも相対評価、どちらとして捉えているのだろう。おそらく個々の事情を勘案するヒマは無いので一律、「~点」と絶対評価しているのだろうが、本来ならば個々の事情を勘案してきちんと相対評価した方が、より公正であるはずだ。
評価には絶対評価と相対評価に加えて他にも形成的評価のような、よりきめの細かい、かつ児童生徒個々人の学びと成長に寄り添った評価の考え方が世界にはある。どちらが真の意味での教育的評価なのか、といえばただの絶対評価や相対評価よりも形成的評価の方であるのは一目瞭然である。しかし、大勢の生徒を相手に画一的で一斉講義形式の授業を続けてきた、旧態依然の日本の学校では多様性と個性を重視した形成的評価を行うこと自体がまず不可能である。
加えてこの記事も市長も教育長すらも、評価のあり方には多様性がある事、それぞれに長短がある事にきっちりと向き合おうとはしていない。単純に絶対評価が好ましく、相対評価が「悪い」と一方的に決めつけているだけである。しかもこうした人々の多くはおそらく、日本の画一的な一斉講義軽視の授業と硬直化した評価方法という現実を疑うこともせずに自明の前提としている。
そもそも相対評価は「悪」なのだろうか。そんなことはあるまい。教師がこの単元の達成目標をどのあたりに設定し、これまでにどんな授業をしてきたのかによって、テスト問題は学校間、学年間、教師間で大きく異なる場合が出てくる。もちろんその年の学校やクラスの様子によって、授業のレベルや内容、テスト問題の内容や難易度を少しばかり変えることはやむを得ない時もあるだろう。テスト問題作成者が問題を簡単にし過ぎたり、難しくし過ぎたり、出題分野が偏り過ぎたりしないよう、状況に応じてテスト内容を柔軟に変えていく事自体はむしろ教師の腕の見せ所ですらある。
しかし厳密に考えれば、そうした工夫が場合によっては異なる学年間に不公平を生み出すかもしれない。実際、教師たちの児童生徒の現状に合わせようとするそうした柔軟な工夫こそが、実はかの「悪の権化」とされがちな相対評価の考え方にも通ずるものなのだ。ただ現場の種々の実情を考慮せずに相対評価を排除し、上辺だけ絶対評価を取り入れれば事が済む…ほどに教育評価は単純ではない。
一方で毎年、同じ問題を出題することは一見、公正に見えるが、当然、生徒の先輩から当該教師の出題傾向が後輩に伝授されることもあり、それがどんなに優良な問題だからといって結果的に公正とは限らない。したがってどうしても教師は毎年、出題内容を多少、変える必要を感じている。そしてその都度、教師たちはが学年間、クラス間の調整に悶々として頭を悩ませるのだ。
昨今の思考力を育てようとする試みは、場合によっては評価のあり方を、どうしても相対評価側に偏らせていくだろう。思考力育成のために論述問題を導入しようとすれば、その採点基準は大抵の場合、特定の集団の中での位置づけ、すなわち相対的評価となるほかあるまい。仮に絶対評価を絶対的な「善」と見なすのならば、社会科や国語科では論述問題の出題自体をためらうことになるはず。そして正解が一つに限られる選択問題や単語穴埋めの客観テストにいよいよ偏りがちになるだろう。得点に対する説明責任を果たしやすいからだ。授業もこれまで通り、必然的に暗記中心に偏らざるを得ないはずだ。これらは論述の採点基準を誰もが納得できるように標準化して他者に説明できるだけの余力を、ほとんどの教師が持たないのだから、仕方ない。
定期考査の重みを考えつつ、評価はテスト点を評価の7割程度にして、残りの3割程度は普段の提出物や発表などをいわゆる「平常点」として加味する、といったささやかな工夫を個人的には行ってきた。テスト問題も400字程度の論述問題を1~2問出すことで思考力も生徒たちに問うてきた。ただし、これが必ずしも評価として理想形でないことは百も承知である。一クラス35人を基準とするクラスで様々な雑務に追われる教師が出来ることは極めて限られている。
ブラック化した学校を放置しておいて、無責任にも上から目線で学校現場で苦悩する教師を何やら「相対評価」し、一方的に責め立てている名古屋市の教育長様、かの名古屋市教育会の責任問題はどうなっているのでしょう?世間を唖然とさせたあれだけの不祥事を、ただ会を解散し、一部の職員を減給処分だけで済まそうとする市教委の厚顔無恥さと傲岸不遜さには誰もが呆れるほかあるまい。
〇名古屋市教委の金品授受問題 職員20人を減給など処分 直近7年間で総額1300万円
以上の金品授受 中京テレビNEWS によるストーリー 2024.11.8
元校長らがいわゆる「内覧」を行っていたことが判明し、彼らが管理職人事に深く介入していたであろうことはほぼ明らかである。あたかも摂関政治の時代のような、恐ろしく時代遅れの閉鎖的で恣意的な人事が横行する名古屋市の教育界…これはまさに「老害」教育行政を象徴する人事介入であり、こんな密室の中での管理職人事が今後もまかり通るようでは、ただでさえ保守的で牢固な隠蔽体質が芯まで染み込んでいる学校教育界に新風を吹き込むことなどまったく不可能といえるだろう。
しかも名古屋教育会という、極めて怪しげなネーミングの組織の実態が結局は明らかにされず、ウヤムヤにされたまま。職員20人の処分も形だけの極めて軽微なものに過ぎない。加えて地方公務員法により、退職した元職員を罰することは出来ないらしい。まさに公務員は「やり得」、「逃げ得」である。
はたしてこんなレベルで名古屋市教委は失われた公教育への信頼をしっかりと取り戻すことができるのだろうか。これで完全決着させるつもりなのか、はたまた有効な再発防止策を打ち出せるのか…名古屋教委の良識が試されているだろう。
○名古屋市教委の金品受領 「最終報告は分析不十分」 シンポで批判
毎日新聞 によるストーリー 2024.9.28
やはり調査する側の人選に大きな問題があったようで問題の核心に迫る調査とは程遠い、極めて薄っぺらな最終報告であったようだ。教員やその管理職の人事が実際にどのような基準で行われてきたのか、この際、新たに第三者委員会を設けてもう一度精査し直すべきだろう。
特に名古屋教育界といういかにも怪しい団体が保護者から集めた資金を用いて3人の専従を雇い、年間であわせて1000万円近い給与を与えていた、非常に闇深い問題の究明も、この際、新しい第三者委員会で行うべきだろう。3人の専従が一体どのような基準で選ばれていて実際にどんな仕事をしていたのか…まさか裏側では元校長たちのサロンに過ぎず、彼らの悠々自適な老後を支えるための団体…ではないはずだが。
この組織の実態と本当の役割をぜひともはっきりさせてもらいたい。どこをどう見てもその存在自体が公的に許されるような性格の組織ではない雰囲気が、他の報道からはプンプン漂うのだが、いかがか。
○座長「なれ合い構造あった」 名古屋市教育委の金品授受問題報告書
毎日新聞 によるストーリー 2024.8.28
そもそも文科省の官僚だった寺脇氏が座長を務めるような調査検証チームが出す報告書なぞ、一体誰が信用するのだろうか。ただの茶番に過ぎないのは見るまでもなく明らかであろう。チームは「…名簿や金品による人事への影響は否定」したというから呆れる。一体、どんなデータ、資料を根拠にこんな結論が出されたのか…限りなく疑わしい。かつて現実を見ようともしなかった寺脇氏のことである。どうせまともな調査など、行われるわけがあるまい。
他方で「教員集団の閉鎖的・排他的な仲間意識、なれ合いの構造があった」と厳しく批判したというが、これは明らかに口先だけ。世間を欺くための、やはりただの茶番であろう。教育行政側のメンバーだった人物を座長とするような、厳格さ、公正さ、第三者性に欠けるこの調査検証チーム自体が市教委側と連携してズブズブの馴れ合いを演じているのは想像に難くない。
教職員課長や教育長も務めた前市長の松原武久氏へヒアリングしたというが、こんなもの、岸田首相がオリンピック問題で電話を通じて行ったという森元首相へのヒアリング並みに信用できない。市教委および調査検証チームと馴れ合い、じゃれ合う関係性の中で松原氏が知らぬ存ぜぬを貫くのは極めて容易であっただろう。
○教育関係者「闇深い」 名古屋市教委の金品受領問題報告書
毎日新聞 によるストーリー 2024.8.28
管理職の選考を巡る厳格さ、公正さに欠ける金品授受は教育公務員として見逃せないはずの大きな信用失墜行為であり、関係者の分限問題に関わるべきレベルの深刻さがある。にもかかわらず、調査検証チームの報告書には危機感の欠片も見られない、生ぬるさがある。再調査が必要なのは言を俟たない。
○名古屋市教委の金品授受、総額1300万円超に…検証チーム「癒着と映らないか
との視点が欠落」 読売新聞 によるストーリー 2024.3.30
文科省の官僚だった寺脇氏が「…推薦名簿がまかり通っていたことも驚きだ」と指摘していることに驚く。文科省にいた人物が「推薦名簿」すら知らぬこと自体、恥ずかしい事だろう。学校現場の事を知ろうとしない人物が平気で官僚を務めている文科省というお役所のオワコンぶりに私はむしろ興冷めしてしまう。文科省がこんなテイタラクだから教育現場での不祥事が絶えないのではあるまいか。官僚たちの学校現場に対する無関心、無知、勉強不足こそが諸悪の根源なのかもしれない。
◎元校長らへの人事案「内覧」会合費にも支出 名古屋市教委の金品授受
朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.29
金品の授受に関しては公にされると良くない、との認識が関係者の間で共有されていたという。同様の話はかつて名古屋に限らず、全国的にあったはずで、教員に採用されるためには教育委員会の有力者や政治家に金品を送るのが必須だった県があるとも聞いている。しかし声高にコンプラが叫ばれている現在、この悪習はとっくの昔に無くなっているものと不覚にも私自身、思っていた。相も変わらず「不適切にもほどがある」ということだ。
とはいえ数々のイジメ事件隠蔽など、大きな不祥事を繰り返してきたこれまでの学校社会の異様さを思えば、実はこの程度の事があったとしてもさほど驚くほどのことではなかったのかも。世界や時代の進展に背を向け、百年一日のごとく因循姑息な、馴れ合いだらけの村社会に安住してきた日本の学校教育界である。おそらく同様の悪習を続けてきた市町村が他にも少なからずあるに違いない。
一皮むいてしまえば日本の学校社会全体が政治家の世界に負けず劣らず、とっくの昔に「不適切にもほどがある」状態であったはず。政治家の裏金問題は教育委員会の裏金問題とよく似た構造をはらんでいるのではあるまいか。
〇「大学教授は雑務に追われて研究時間がないから」は疑わしい…日本の研究力が落ち
ている"意外な理由" プレジデントオンライン 竹中 亨 2024.12.13
内部出身者の登用を禁止し、海外にも広く人材を求めるドイツの大学教員採用ルールは極めて魅力的であり、博士課程や博士号を持ちながら貧困に直面している日本の若手研究者にとっては救いの手となりうる要素を持っているだろう。同時に閉鎖的な地方大学の組織を改善して教育力を高めていく可能性も感じられる。
名古屋市教育委員会にはびこる愛知教育大学出身者の学閥が様々な腐敗を生み出している元凶であることはほぼ間違いあるまい。また旭川市の女子中学生凍死事件も北海道教育大学旭川分校出身の学閥が元凶の一つとなっている可能性が極めて高いだろう。日本の教師社会を蝕んでいる学閥を徹底的に解体する上でも、ドイツ方式は極めて有効ではあるまいか。
〇名古屋市教育会、3月末で解散へ 保護者らから年2800万円徴収
毎日新聞 2025.1.23
「会費が集まりにくい状況となり、市教育会は運営の継続が困難と判断」したから3月末で解散…このあまりにもふてぶてしい解散理由にまずビックリである。盗人猛々しいとはこのこと。厚顔無恥にも程がある。あれほどその存在自体が問題視されていたはず。まだ自主解散していなかったことに驚きを禁じ得ない。
教育会は何を言われようが「自分たちは子どもたちのために貢献しているのだ」と思い込んでいるらしいが、見当違いも甚だしい。それほど立派な活動であるならば、入学時のドサクサに紛れて保護者から半強制的な献金で資金をちょろまかすのではなく、正々堂々とクラウドファンディングなどで広く活動資金を集めるべきだろう。もちろん、こんな団体に寄付する人が元校長以外にいるとは思えないのだが…
怪しげな老害団体がいかにも偉そうに上から目線で、ただでさえ忙しい4月早々、クラス担任の手を集金で煩わせてきた…と考えるだけで、虫唾が走る。
以下、参考までに名古屋市で生じた重大な学校の不祥事を一件だけ、挙げておく。教育委員会の対応に注目!この一件だけでも名古屋市の教育委員会の頑迷固陋な村社会的体質が良く伝わってくるはず。
・名古屋市中一女子イジメ自殺
参考動画
○【衝撃の告白】隠ぺい不正の正体と真実。生音声公開!
加藤秀視 2022/12/04 37:04
自死から5年近く経ってもほとんど進展を見ない事件。マスコミへの露出度が高い名古屋市長の河村氏だが、この件に関しては神戸市と同様、市長の真剣さとリーダーシップがやや不足しているのは否めないだろう。このままではウヤムヤのままで終了しかねない状況。不誠実な対応しか出来なかった当時の教育委員会や校長の責任がまったく問われないまま時間だけが過ぎていく。
◎名古屋市いじめ問題 遺族が激怒 一言で救えたかもしれない命
2021/09/10 CBCニュース【CBCテレビ公式】 11:15
…イジメていた生徒達を「加害者」と呼ばないよう、教育委員会側が遺族の父親に対してお願いした時に父親が激怒した。にもかかわらず再度、執拗に父親が加害者と呼ぶことを否定し続けた教育委員会の頑なな姿勢をどう考えたら良いのか?是非、次の二つの動画も視聴させてから授業で討論の議題にしたい。
◎中1女子自殺、3年以上して「いじめ」認定、市教委が『家庭の問題』という先入観
をもち対応か 名古屋 2021/10/13 5:17
◎「娘を返せ!歯を食いしばってきょうまで来た」父の心の叫び‥それでも教育委員
会は‥責任はどこに? 2022/06/27 CBCドキュメンタリー 10:18
この動画を最初に視聴すると良いだろう。…「お気持ちはよく分かりますが、イジメた生徒の事を加害者と呼ばないで欲しい」という教育委員会側の発言の趣旨とそれに対して遺族(父親)が激怒した理由を問いたい。
○娘がいじめを苦に自殺…「学校に責任」両親が訴えた裁判で市が争う姿勢「いじめ
認識は不可能又は著しく困難」 東海テレビ NEWS ONE 2022/11/16 1:06
※参考記事
〇名古屋中1いじめ自殺事件「なんですか、これは?」個人情報“誤廃棄”に遺族が怒
り…国所管の独立行政法人で人為的ミス
弁護士JPニュース によるストーリー 2024.10.5
公文書管理の杜撰さがいつまでたっても改善されない背景には一体、何があるのだろう。やはり人手不足は大きな要因の一つであろうが、他にも思いつく要因はある。そもそも日本の行政はその古くからの根深い隠蔽体質も手伝って記録保存に前向きではなく、記録の改ざんや廃棄にかかわる事件が今も絶えない。
いかにも文科省や子ども家庭庁の官僚が天下りしていそうな独立行政法人「日本スポーツ振興センター(JSC)」という組織(現理事長は元文科省官僚)の体質にも大きな問題がありそうだ。
名古屋市教育委員会の問題も小さくはあるまい。災害共済給付制度について学校側が一年間、保護者に通知していなかった点は、このイジメ自殺事件に対して再三にわたって見せてきた学校側や市教委のイジメ被害者、遺族への冷淡な姿勢、イジメ問題に解決への消極的対応の表れだろう。
・日本ばかり「いじめ加害者に甘い」のはなぜ?厳罰化の海外と広がる格差
DIAMOND online 吉岡 暁 2022/09/19
◎名古屋市教委、いじめ重大事態の保護者を呼び捨て 発言を謝罪
毎日新聞 によるストーリー 2023.11.9
こういうふとした瞬間に教育委員会の職員の本音が見えてしまうのだろう。
しつこいようだがもう一つ、例を挙げて名古屋市教育委員会の問題を確認したい。
◎下校時間は“男女別”やコートは許可が必要等…『驚きの校則』はまだあった 見直し
や試験的に廃止する学校も 東海テレビ NEWS ONE 2023/06/29 13:18
生徒指導提要の改訂に対する取り組みの鈍さ、遅さにも名古屋市教育委員会の体質が見え隠れしている。愛知県のブラック校則は40年ほど前からつとに有名だったことを考えると、その保守的体質の根深さに驚かされる。教育委員会だけでなく、愛知教育大における教員養成教育の内容にも強い疑念が湧いてくるだろう。
まず第一に北海道教育大旭川分校もそうであろうが、愛知教育大の教員養成教育に携わっている教員の内、少なからぬ人が母校の大学出身者であるはず。しかも中学校や高校の校長や教頭、教育委員会のメンバーであった人物がそれなりの数で大学でも教鞭を取っているだろう。もちろんそうした経歴の持ち主全員を丸ごと批判しようというのではない。学校現場での体験がまったく無い教員が大学で教員養成教育に携わるのはむしろ好ましくないとすら思える。
問題は教員養成に関わる大学教員の技能や知識が、本当に将来の学校教育を担う若者を育てる上で十分に必要なレベルまで達しているのか…という一点に絞られるだろう。個人的に知っている範囲でも、特に大学院修了者ですらなく、本格的な学習、研究すら重ねてこなかった元管理職を平気で教員養成教育に充てている地方大学は決して少なくない。元管理職、という肩書だけで採用している大学は意外なほど多いだろう。どう見ても彼らが全員、本当に世界レベルでの最新の授業技術、学校論を身につけているのか…に関しては明らかに怪しいのだ。将来の教師として必要不可欠なはずの最新の知識や技術に大きな欠損、欠陥のある斯界の長老教員が大学において旧態依然の学校教育のあり方をひたすら再生産している可能性は決して低くはあるまい。
巷では長年、研究者として安定した地位に就けずに厳しい貧困状態となっているオーバードクターがあふれかえっているにもかかわらず、学校の元管理職だった者だけがマスター、ドクターですらないのに優先的に地元の大学で再就職でき、安定した地位を得る…この状態は遅れに遅れている日本の学校教育の刷新が焦眉の急となっている現在、はたして健全と言えるのだろうか?
おそらく地方私大では教員採用試験合格者数を増やして大学の評判を上げたいがために、元校長らを積極的に教員養成教育の担当者として採用しているのだろう。しかしその背後には名古屋市のような、学閥と長老が新規採用での人事にも強い影響力を持つという旧態依然の体質を逆手にとって利用しようとする経営戦略がきっと潜んでいるに違いないのだ。これは結果的に大学と教育委員会の癒着を生み出しすだけでなく、画一的管理主義教育の再生産にも寄与する…世間ではあまり目につきにくいが、その実、極めてヤバイ馴れ合いの人脈形成システムとすら言えるのではあるまいか。
河村市長にはそうした構造にも深くメスを入れて名古屋市の学校教育界の刷新を図ってもらいたいのだが、おそらくこの構造的欠陥、腐敗は旭川市と同様、想像以上に根が深く、かつ様々な利権と裏で広く、かつガッチリとつながっているに違いない。
市長の立場であってもそうやすやすとは変えられないだろうが、教育に携わってきた者として、せめて今後の成り行きだけはしっかりと見守っていきたい。