みなかみ町の児童下半身検診事件

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参考記事

【群馬県みなかみ町】「いきなり下着をめくってヘアを確認」学校健診でやりたい

   放題事件…卑劣医師の見分け方   アサ芸プラス によるストーリー 2024.6.11

なぜ?小学校の健康診断で医師が女子児童の下半身をのぞく 群馬県みなかみ町 下半

 身触診も…「本当に必要なのか」保護者からは不安の声相次ぐ

 日テレNEWS NNN によるストーリー 2024.6.7

健康診断で“下半身見られた” 教育委など謝罪「プライバシーや心情に配慮できず」

 日テレNEWS NNN によるストーリー 2024.6.8

学校の健診で「下半身見られた」複数児童訴え 医師「成長みるため」

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.6.8

小学校の検診で下着めくって下腹部確認 医師「必要な対応だった」 群馬・みなかみ

 町 TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.6.8

健康診断“下半身見られた” 男子児童「パンツごと引っ張られて…」 保護者会で謝罪

 は? 保護者「医師をやめてほしい」

 日テレNEWS NNN によるストーリー  2024.6.8

日医「診察は妥当だが事前説明必要」 児童健診問題で文科省と協議へ

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.6.19

 「診察は妥当」とする日本医師会の判断に驚きあきれるほかない。これは誰がどう見ても学校検診に名を借りた変態行為であり、医者という社会的地位を悪用した犯罪そのものである。事前説明の有無を問うことすらほとんど無意味だろう。高い社会的地位に胡坐をかいた一部の医師たちの傲慢さがうかがえる。

 仮に婦人科の検診であっても、病院側からの事前の説明や患者への了解なく、医師がいきなり下着を下ろしたとしたら、それはもちろん犯罪と見なすべきである。まして相手は小学校の高学年であり、自分の身体的変化に恥ずかしさを強くおぼえる、最も敏感なお年頃である。たとえどんな事前説明があったとしても児童全員を対象とする、子どもに拒否権の無い集団検診においては決して許される行為ではない。

 ベテランの医者という社会的地位に対しては大人でさえ気持ち的に逆らい難い、心理的劣位に置かれがちになる。小学生ならばなおさらだ。検診という名目で酷いことをされてもすぐには逆らえないのは当然である。たとえ個人的治療であっても児童に対しては大人以上の配慮が求められるのは言うまでもない。ましてこれは学校で行われる集団検診なのである。同室の教師や前後の同級生たちの気配を感じながら、児童がこの「検診」で何を思ったのか、想像するだけで切なくなる。

 個人のプライバシーを部分的に目にする特権を持つ専門家にはそれ相応の専門的知識や技術に加えて高い倫理性が要求される。だからこそ彼らは高い報酬を得られるのだ。そして当然のことながら、専門家集団には付与された特権に相応するだけの厳しい自浄能力が備わっている必要がある。そうした高い技術と倫理性を持つ集団の一員だと信じるからこそ、私たちは医者や弁護士などに自分のプライバシーの一部をさらけだすことができるのだ。今回の医師の行いは明らかな信用失墜行為であり、むしろ日本医師会自らこの医師に厳しい処分を科すべきケースなのだ。身内の庇い合いをするような、馴れ合いの集団は専門家の名に値しないだろう。

 精神的なショックから泣き出す児童まで出現させてしまった今回の卑劣な行為を診察として「妥当」とする日本医師会の専門家としての判断力、および組織の自浄能力の無さがまたもや露呈してしまったと見るがいかがか。やはりこの団体、精神科医療の闇を抱える、怪しい似非専門家集団、ただの政治的圧力団体に過ぎないらしい。この件で傷ついた児童の側に専門家としてきちんと寄り添えないようでは、彼らはもはや特権的専門家集団としての資格を完全に失っているというほかあるまい。

 だとすれば目の前で行われたこの医師の犯罪を制止できず、最後まで検診を続けさせて結果的に多くの児童を不快にさせ、傷つけてしまった学校側の責任も決して軽くはあるまい。保護者の信頼をも裏切ったからだ。教師もまた教育の専門家として児童を見守り、教育するという点で児童生徒や保護者のプライバシーの一部を目にする特権を付与された存在である。当然、教師たちにもそれ相応の高い判断力と倫理性が求められる。それがなければ学校が長時間、児童生徒を預かる資格はあるまい。

 この問題で問われているのはそれぞれの専門家としての能力と責任のあり方であるはずだ。私たちは今一度、専門職とはどうあるべきなのか、しっかりと考え直してみなければなるまい。

群馬の学校健診問題で注目 見落としがちな「思春期早発症」の怖さ

 毎日新聞 によるストーリー 2024.6.30

 驚くほどトンチンカンな記事である。どれほど「思春期早発症」が怖いものであっても、この医師の行為は変態そのものであり、大人のお医者さんごっこと見紛う低レベルのものだろう。泣き出した児童の出現時、直ちに下半身の検診を止められなかった医師及び臨席していた教師たちの判断力自体がまず厳しく問われなければなるまい。それに関する責任問題は思春期早発症の怖さとは完全に無関係であり、この行為自体を何一つ正当化するものではないだろう。

 繰り返すが、親から委託された100人近くの無防備な児童をこのような恐怖と恥辱に直面させてしまった教師たちの責任は決して軽くない。相手が医者といえどもその変態行為から児童を守れなかった大人の責任は決して「教育」や「検診」の名のもとに軽減されるものではないのだ。

 かつては気になった児童を個別に呼び出して丁寧に説明し、了解をとりつけてから行っていたと言われる下半身の検診を、そもそも件の医者が今回、なぜ説明も了解もなしに、しかも泣き出す児童がいたにもかかわらず、乱暴にも最後まで強行してしまったのか。その判断は一体どこからきているのか、校長や教育委員会は厳しく繰り返し問いただすべきなのである。

 次に教師たちはなぜ、泣き出す児童を放置して最後まで医師の下半身検診を黙認してしまったのか。その判断が一体どこからきているのか、やはり校長や教育委員会は再発防止のためにも厳しく問いただすべきだったのだ。

 最低でも以上の手続きがまずはとられなければ、保護者も児童も納得が出来ないだろう。とりわけ、在校時の児童を守る、という重大な任務を一時的にも放棄してしまった学校教師たちである。このままでは彼らが自ら一旦崩してしまった保護者、児童との信頼関係を再構築することは不可能ではないのか。

 ※参考記事

  〇「低学力」「だらしない」と生徒の特徴記した資料、札幌市立中学校で流出…市教委「配慮欠く

   表現」 読売新聞 によるストーリー 2024.6.21

   教育の専門家であるとされているからこそ、教師には児童生徒のプライバシーにかかわる情報の

   一部に接することが許されている。保護者もまた教師の専門的能力を多かれ少なかれ信じている

   からこそ子供たちを学校に長時間預けている。

    そしてこのことへの十分な自覚が教師たちに足りないからこそ学校はたびたび児童生徒のプラ

   イバシーや人権を踏みにじるような過失や犯罪を犯してしまうのではあるまいか。過去の膨大な

   数にのぼる学校での事故、事件を振り返るとやはり、大学での教員養成教育の不十分さを痛感せ

   ざるを得ない。

    日本の学校の現状を直視すれば、専門職としてふさわしい教育を教師たちは大学できちんと受

   けてきたのだろうか…目の前にいる人々が教育に関する深い知識と優れた技術を身につけている

   本当の教師たちなのかどうか、心底疑われてしまっても仕方ないのではあるまいか。

「健康診断で下半身を触られた」 児童18人が不快感 北九州市

 毎日新聞 によるストーリー 2024.6.12

 こうした事例は今後も発生するおそれがある。これはどう見てみても明らかな犯罪行為であり、今、毅然とした対応を取らなければ似たような事件が各学校で続発するに違いない。現在の学校現場はどこもかしこも悪質なイジメとイジメの隠蔽が野放しで横行してしまうほど、ある種の無政府状態、無法状態にあるからだ。

 ひとたびその場を「教育」という名の魔法のベールで覆うことが出来ればそこは警察がほとんど介入できない聖域と化し、あたかも法の埒外となるかのよう…学校という場で密かに働く、外部からは見えにくい特殊で強力な歪んだ力学の存在をこそ、公の場にさらけだす努力と工夫が今ほど必要となっている時代はあるまい。

 ※参考動画

      【学校の健康診断で上半身裸】国が『子供の気持ちに配慮を』と通知 医師は「着衣でも診察に

          問題ない」ただ、学校医にもつらい事情あり「胸を見せずに診察できる最新機器欲しいが予算

          が、、、」  カンテレNEWS 2024/02/16 9:47

         文科省からの通知が出ていたはずなのに、みなかみ町などではまったく通知が周知されていなか

   ったことが分かる。日本医師会の見解は文科省の通知を無視したものであり、耳を貸す必要はあ

   るまい。当然の事、みなかみ町の医師の検診は破廉恥行為として罰せられるべき物であろう。

  ◎小学校でパンツの中をのぞく“不適切検診” 教育委員会が謝罪 医師「ショックを受けると思っ

   ていなかった」【news23】|TBS NEWS DIG Powered by JNN  2024/06/08  2:14

  【上裸】なぜ服を脱ぐ?異変を見落とす?なぜ男性医師が多い?プライベートゾーンどう診る?

   学校検診を議論|アベプラ ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2024/06/11  18:10

   徴兵検査を連想させる半強制的な検査方法の問題点は明らかであろう。日本医師会の見解は時代

   遅れのものであり、老害臭が漂ってくる。もっと児童生徒側の意見に寄り添う必要がある。

 

 授業で取り上げれば、似たような経験を口にする生徒が少なからず出てくるかもしれない。今回の件は経験上、氷山の一角に過ぎない、と感じている。ぜひ討論の題材にしてみてはいかがか。予想以上に活発な意見が飛び交う可能性はあるだろう。

 仮に内科医がこうした明らかな逸脱行為を自分の病院で繰り返し行っていたとしたら、事態はどう進展していたのだろう。おそらく憤慨した保護者の一部が直ちに警察へ通報し、医師は遅かれ早かれ逮捕されていたのではあるまいか。

 医師の意見の中には、そうした検診を30年ほど前まで行っていた、専門的な関心からの行為であり、性的な興味に基づくものではない、などとして内科医を擁護する、まさに仲間内の庇い合いのような醜い意見も散見される。が、検診対象が面と向かって抗議しにくい児童という弱い立場にある点や、予告もなしに下着を下げるという、明らかな違法行為を簡単に見逃して良いはずはない。世界的に見ればこれは明らかに子どもの権利条約に違反した不法行為である。元高級官僚で「上級国民」と揶揄された飯塚氏の事件(車を暴走させて母子を二人死亡させた)と同様、たとえ元大学教授の肩書を持つ性的成熟に関する内分泌の専門家であったとしても絶対に許せる行為ではあるまい。

 ならば学校側はなぜ、この明らかな逸脱行為、違法行為を直ちに制止できなかったのか、警察に通報しなかったのか…児童らの保護者が臨席できない現場で児童への違法行為が生じた場合、教師たちには保護者の代理人として大切な児童生徒の心身の安全を守るべく、被害が拡大する前にせめてその行為を制止する程度の義務はあったはずだ。しかしこの件が発覚したのは児童が保護者に訴え出てからである。児童が誰一人教師たちに訴えていなかったとは思えまい(もし訴えていなかったとしたらそれはそれで児童と教師との信頼関係に大きな問題があったことが疑われよう)。

 また医師や教師による内科検診時の盗撮事件が立て続けにあった事などで、近年はこうした検診に必ず養護教諭らが立ち会うようになってきている。今回は養護教師以外に女性教師も一人立ち会っていたというから驚きである。しかも泣き出した児童までいたのだから養護教諭や担当教師らが何も知らない、自分の責任ではない、で済むはずがない。

 ここで問われるのはこうした犯罪行為が、なぜ学校という場、衆人環視の場で白昼堂々と行われ、かつ見過ごされたり、対応が先送りされたり、隠蔽されたりする傾向が見られるのか、という点である。おそらく件の医師は相手は小学生であり、しかも学校というブラックボックス化した場にあれば大抵のことは見過ごされるだろうとタカをくくり、大胆にもこうした逸脱行動に走ったに違いあるまい。

 学校側の責任はマスコミの報道以上に重大である。教師たちに子どもの権利条約の趣旨が徹底されていればこの件が安易に見過ごされるはずは無かっただろう。相も変わらず「女、子ども」と一括して上から目線でマウントを取り続ける老害男性教師が管理職や教育委員会にはびこっている現状にも問題はあるだろう。

 「事前に了解を得るべきだった」と平気で述べる会見を見るとこの医師にまともな反省の念は微塵も見られず、そのふてぶてしさから多くの余罪があると見られてしまっても仕方ない。少なくとも近年のコンプライアンス意識の変化に対応できなくなった、いわゆる「老害」医師の一人に過ぎないことだけは間違いあるまい。仮に件の医師に認知症の疑いがあるのならば医療行為全般から直ちに手を引くべきであろう。繰り返しになるが、この件は現代の日本で誰がどう見ても事前の了解すら得られるはずのない、あくまでも常識はずれの変態行為に過ぎない。

 学校現場で相次ぐ性加害、イジメ、暴言暴行さらにはそうしたことの隠蔽が繰り返し行われてしまう要因の一つとして「学校」という場をあたかも治外法権の場であるかのように錯覚させてしまうほどに何か特殊で強力な、場の力のようなものを私たちはブラックボックス化してしまった学校に想定したくなってくる。

 元教師としてはこの場の力を生み出す最たるものが「ほうれんそう」(「報告・連絡・相談」の略称)という言葉に象徴される官僚制にありがちな上意下達的、管理主義的システムだと考える。大きな問題が生じた場合、教師は個人で判断せず、まず同僚、上司、そして管理職に報告し、その対応に関する指示を待つ。深刻なケースと判断されれば管理職はさらに教育委員会に報告し、その対応に関する指示を待つ…といった具合。これでは肝心の問題解決はどんどん先送りされてしまうだろう。たとえ教師側に即断即決が求められる事態でも、学校の責任が強く問われるようなケースでは「ほうれんそう」が順守されるため、学校の判断がどうしても遅れがちになるのだ。

 今回の件は残念ながら子どもたちや保護者の間に学校に対する大きな不信感を残すだろう。仮に近くにいた教師がいち早く行動していたならば、間違いなく被害者の数は最小限の人数で済んでいたはずである。したがって教師たちの責任は極めて重大であり、なぜ素早く動こうとしなかったのか、厳しくその判断を問われるべきである。どうみても当事者としての責任は免れまい。しかし、他方で教師を取り巻く強烈な場の力、歪んだ管理主義の力学にもぜひ思いをはせていただきたい。これは明らかに教育行政のあり方の問題でもあるのだ。

 何と教育委員会は検診の内容を事前に知らせて学校医を替えるとのことだが、その程度の対応で納得できる人は極めて少ないだろう。当該教師への厳しい指導すら口にしない…変に教師たちをかばう、こうした教育委員会の気色悪い内向きの姿勢が教師たちの自主性、責任感、当事者意識を損なうだけでなく、児童生徒の人権への配慮の乏しさをも学校現場に蔓延させているのではあるまいか。

 私たちは「教育」という名の営為に覆われた玉虫色のベールの裏側で実際には何が行われているのか、しっかりと監視しなければならなかったのだ。「教育」という美名に接した刹那、私たちの目は誰もが完全な節穴となるか、少なくとも酷く曇らされがちになる…この点は心しておくべきだろう。