その5.⑤教員養成と採用

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考記事

教員志願者増へ、教職課程の必修科目見直し案…文科省が審議会に提示

    読売新聞 2025.9.2

 ただでさえ不十分であるはずの教職課程の必修科目をさらに削減しようという、凄まじいほどの愚策が検討されているようだ。文科省の迷走ぶりも今や堂々たるもので、すっかり板についてきたようだ。今後とも文科省が先頭を切って公教育の脱線転覆に向けて何らためらうことなく猛烈な勢いで突き進んでいくに違いない。結果的に一体、どんな若者たちが教職を目指すことになるのか…暗澹たる気分にならざるをえない。

 「教師の質向上と量的確保の両立を目指す必要がある」とのことだが、これまでに文科省や教育委員会が行ってきたのは専ら、教師の「量的確保」であって「質向上」ではなかったはず。それが大失敗であることは教師の「量的確保」どころか、いよいよ教師不足を加速し、さらには現今の教員の不祥事となって噴出してきている現状が指し示しているはずなのだが…一体、文科省は自らの施策と学校教育の現状とをどのような根拠をもとにどのように分析しているのか…推察すればするほど不信感と絶望感しか覚えてしまうのは私だけではあるまい。

 特にヤバイ、と感じるのが、教師の質向上のためになぜか「元教員らを該当の公立学校に短期派遣する仕組み作り」が必要だという観点。これ、明らかに使い古しの安い労働力を半強制的に動員して教師の不足分を一時的に穴埋めする、という最も安易な方法に過ぎず、むしろ全体的な教師の質低下、学校の組織的教育力の低下にさえ、つながりかねない愚策。

 ただでさえDX化に戸惑う高齢者の再雇用は学校現場の助力になるどころか、足を引っ張りかねない側面があったはず。しかも既に現段階で高齢者の再任用は飽和状態に達しつつある現状がある。にもかかわらず文科省は教師としての新味に欠け、体力、意欲も減退気味の高齢者教員をさらに増やそうというのだから、もはや現有の教師たちや児童生徒の絶望感も半端ないだろう。

 加えてヤバイことに教師の質向上を専ら各教育委員会や学校長らが実施する、ろくでもない、時間の無駄ばかりだった官製研修にまたぞろ丸投げしようとの魂胆ものぞけてくる。下らない研修の連打で教師たちの貴重な時間をさらに奪い、一層持ち帰り残業を増やすだけの文科省の取り組みに、若者たちは一体どんな希望を見出せるのだろうか…教師も、児童生徒も、いよいよ生き地獄の始まりだ。

教員採用試験で“初の定員割れ” 小学校教員倍率「0.9倍」 採用予定者増やした一方

 で応募者減少 深刻な教員不足 FNNプライムオンライン 2025.5.26

 いよいよ小学校教員採用試験で定員割れの悲哀を味わう都道府県が出現してしまった。ただでさえ8年連続で教員不足に直面してきた佐賀県である。今後は中途退職や休職者の出現によってさらなる教員不足が予想されるだろう。数少ない現有の教員で今後、急速に不足していく教員の仕事を余分に担うとなれば、教員の負担は苛烈を極め、残念ながら教員の中途退職や休職は記録的な数となっていく事が予想される。

 これは次年度の教員採用受験者数のさらなる減少を招き、とめどない負の連鎖を学校現場に生み出すだろう。教員の過労死や精神疾患による休職者、退職者の増大も一層、懸念されてくる。にもかかわらず、教師に期待される技術、知識が増える一方なのだから、近い将来、笑えないレベルの悲劇が佐賀県の教育現場に訪れるかもしれない。その最大の犠牲者はまたもや児童生徒たちである。

 もうこうなってしまっては県レベルの裁量ではどうにもなるまい。完全な手遅れであり、採用試験の機会を増やす、青田刈りをする、教員免許の有無を問わない、給料を引き上げる…といったなりふり構わぬ、しかしただの場当たり的対応ではかえって教員の質を落とし、学校での不祥事や不登校、イジメ問題を激増させるだけである。今や本質的で根底的な教育改革が切実に問われているのだ。

 ここまで事態を悪化させ、有効な対策を打ててこなかった、あまりにもトンチンカンで無能、無責任な政府の責任はどう見ても極めて重大である。国民は子ども家庭庁の設置にどんな意味があったのか、厳しく問い直すべきだろう。おそらく現政権で検討されている防災庁の設置も同様の惨めな結果を招くに違いない。

 斎藤県政の混乱で疲弊する兵庫県とよく似た状況が、長期にわたって停滞を続ける日本の学校教育全体にも訪れていることを、兵庫県民に限らず、日本国民全体が一刻も早くしっかりと自覚する必要があるのではないか。

参考動画

自殺ほのめかしたノートに“花マル” 女児語ったいじめの実態…調査は9か月放置 

 「花丸を頼まれた」と担任主張、女児は「言ってない!」【スクープ】(2023年

 12月8日) MBS NEWS 2023/12/09  11:43

 授業で紹介するとこの学校の対応、教師の「はなまる」について生徒たちから多数の意見が活発に出てくるに違いない。ぜひ、動画を視聴させ、アンケートを用いて大勢の意見を吸い上げてから討論に持ち込みたい。

 「学校は警察ではないから、イジメの有無をきちんと調べることはできない」とした学校側の言い分は確かにイジメ問題において学校が対応しうる限界の一側面を示してはいる(※1参照)。しかしこれを言い訳にしてイジメを放置することは決して許されるべきことではない。やはり学校はいじめ防止対策推進法※2参照)に則り、イジメ問題対策委員会を招集して組織的に対応すべきであった。こうした言い訳が学校にはびこれば、いよいよ学校は治外法権の場、ただの無法地帯になってしまうだろう。市教委の対応に問題は見られないようなので、学校は市教委との連携を早くから積極的に図るべきだったのではないか。

※1.参考資料

 “任意”のいじめ調査には限界も。学校関係者も含まれる「調査委員会」の問題点と事実認定の3原

  則を元調査委員が解説 FNNプライムオンライン によるストーリー  2023.10.26

  刑事事件として警察が捜査に乗り出した場合にはその捜査には強制力が働き、ある程度までは証言

  や証拠を集める事が出来る。しかし「イジメ」の重大事態として調査委員会(教育関係者が加わる

  可能性あり)や第三者委員会が調査に乗り出したとしてもその調査に協力するか否かはあくまでも

  任意とされる。このため証言や証拠を提出することを拒否されてしまうケースでは調査が先に進ま

  なくなることも起こりうる。

   こうした場合には被害者側が刑事・民事事件として警察及び裁判所に訴え出ないと多くの場合、

  埒が明かない。加害者の特定やイジメの事実確認自体が困難なケースは少なくあるまい。「教育的

  配慮」の名のもとに加害者側の人権だけが守られ、被害者側が泣き寝入りするといった残念な印象

  がこの問題には常にまといつく。しかしその背景に教師や教育委員会の調査が場合によってはどう

  しても不十分になってしまう、法的な限界があることは予め知っておかねばなるまい。

※2.参考資料いじめ防止対策推進法(H.25)より

 ・いじめの定義

  第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍し

   ている等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える

   行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童

   等が心身の苦痛を感じているものをいう。

 ・学校及び学校の教職員の責務

  第八条 学校及び学校の教職員は、基本理念にのっとり、当該学校に在籍する児童等の保護者、地

   域住民、児童相談所その他の関係者との連携を図りつつ、学校全体でいじめの防止及び早期発見

   に取り組むとともに、当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、適切

   かつ迅速にこれに対処する責務を有する。

 クラス担任の明らかに不誠実で悪質な対応ぶりをみると、これは加害児童の問題というよりは担任の適性、資質の問題であり、児童以上に教師への厳しい対応(分限処分等)が求められるケースと思われるが、いかがか。当然、この担任をクラス担任として登用し、適切な指導を施さなかった校長の責任も軽くはない。また担任を放置してきた当該学年集団のチームワークも厳しく問われるはず。

 仮にそれぞれが教師としての資質、適性の有無を問われるとするならば、こうした教師たちを数多く生み出し続けている大学での教員養成や管理職を含む教員採用人事のあり方も根本から問い直されるべきだと私は考える。

 

参考記事

都の新任教諭239人が1年以内に退職 過去10年で最高の5.7%

    朝日新聞社 2025.4.24

 「都教委によると、昨年度に採用した公立小中高、特別支援学校などの新任教諭は4237人。うち、239人が1年以内に退職した。内訳は小学校146人、中学校46人、高校18人、特別支援学校28人、義務教育学校1人だった。懲戒免職も1人いた。

   9割にあたる217人が自己都合退職で、理由別には、精神面での不調が4割、転職などによる進路変更が3割、介護や転居など家庭の都合が1割だった。指導力不足などから正式採用に至らなかったのは22人だった。」という。

 学校のブラック化がどれほど酷いものか…特に小学校は深刻である。精神面の不調による退職の多さにも注目したい。「指導力不足」などによって正式採用にいたらなかったのが22人もいたということも衝撃的である。

〈教師のいじめ〉「病気でよく休むしアテにならん」「邪魔くさい」がん闘病後に

   復職した女性教師が受けた壮絶な仕打ち…深刻な教員不足の原因に潜む「教師の

   質」の低下とは 集英社オンライン 2025.2.22

 残念ながらどんなに教員採用試験の倍率が高くとも、教師の質は上がらない。採用試験自体の質が低く、採用にコネが幅を利かす状態では、どんなに倍率が高くともほとんど意味が無いのだ。記事の元女性教師が指摘した職務の大幅な削減に加えて、大学での教員養成教育の充実や教員採用試験や管理職登用試験の見直しなどが伴って初めて採用試験の高倍率が教師の質向上につながると思うのだが、いかがか。

教職不人気で加速する「教員の学力低下」の深刻度

   Yahoo!JAPAN ニュース 2025 2/6(木) 7:04配信

   当然のことながら教員採用試験の倍率低下が教師の学力低下を招くことは不可避である。ただでさえ教員免許の開放制をとる日本では、教師として必要とされる知識技術がたいして身につかないまま、安易に教員免許を取得できてしまう、構造的な欠陥を抱えてきた。現状の教師に対する社会的信用度の低さと待遇の悪さを考えると、大学での教員養成教育の改革を先行させることは、教員不足に拍車をかけることにつながってしまう。まずは指摘されているように教師の仕事量の大幅な削減を先行させるべきだろう。

教員採用倍率、小中高で過去最低に 「大量募集」以外に深刻な問題

   朝日新聞社 2024.12.26

   教師の職務を大幅に削減するとともに、文科省を含む教育行政のあり方を大幅に見直すことが無ければ教師不足の解消は進まないであろう。文科省が相変わらず、学校がうまくいかないのはすべて教師の責任であるかのように、学校現場へ責任転嫁を続ける限り、教育行政への信用は失墜し続けるであろう。文科省自ら身を切る覚悟で教育行政自体の改革を口にしない限り、教師の誰もが文科省の打ち出した改革を真に受けることは二度とないだろう。それほどに教師たちは教育行政へ不信感を募らせていることを文科省はまず気付くべきである。

名古屋市教委金品授受 教育指導部署でも教員団体から約300万円

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.2

 これはおそらく教師の人事の問題にとどまる案件ではあるまい。相次ぐイジメ事件の隠蔽に見られる学校と教育委員会とのなれ合いの背景にこうした金品の授受があるとすれば教育不信は深まるばかりである。名古屋市の教育界の闇深さに驚くばかり。

校長人事に外部団体が推薦、有無で昇進率に差 千葉市教委は影響否定

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.16

   千葉市教委は外部団体の推薦の影響を否定しているが、管理職に限らず、各教科部会や部活動の専門部などが異動や昇進人事に影響を及ぼしている可能性はゼロではあるまい。かつては政治家や学閥、校長会の有力者などが管理職選考に大きな影響力を持っていたという。それに比べれば教育職としての力量に関わる団体での活動実績が人事に反映されることの問題性はそう大きくはあるまい。

 ただし授業の指導力や部活動の指導力と学校経営の能力との相関はさほどあるようには思えない。ならばズバリ、現在の管理職登用試験で問われている能力、適性とは一体、何だろうか。個人的に校長、教頭を数多く見てきた印象として、学校の管理職に対してこれまで求められてきた「力量」の中身は極めてあやふやなものであると感じてきた。つまり私から見れば管理職としての適性を全く欠くような校長が少なからず存在していたということだ。

    評価の客観性が担保できるとしても学校管理規則の暗記力ばかりを問うのは選考基準として完全に間違っているだろう。管理職に求められているのは教職員の法令順守の徹底ばかりではあるまい。各学校によって直面する教育上の課題はかなり異なりつつ、多岐にわたっている。それらの課題を的確に把握し、優先順位をつけて有効な対策を打つ、そのために教職員とどのように問題意識の共有を図り、どのようにして組織的取り組みを実行していくのか…本来、管理職に厳しく問われるべきはそうした個々の学校の実情に応じた、柔軟で現実的な経営を実現する能力だと思いたい。

千葉県の7年度教員選考 志願者数と倍率ともに過去最低 見えぬ妙案

 産経新聞 2024/6/26 18:34

 「令和7年度採用の教員選考試験の志願者は計4560人と2年連続で減少し、平成以降で過去最低を更新した。志願倍率も2・4倍で最低」だったらしい。当然の報いであろう。いよいよ千葉県の学校教育は自ら破滅に向かってまっしぐら…傍から見れば誰もが分かるほどに危機的な状況がこれまでも続いてきたのに県教委の対応は相変わらずトンチンカンそのもの。

 …県教委は今後、志願者増のため、「教員免許を持つが、民間企業に勤めるなど教職には就かない『ペーパーティーチャー(先生)』にアプローチしたい」(担当者)として、教職の仕事の魅力発信に力を入れる…というのだから驚き呆れるほかあるまい。教員志望者の減少を「教職の魅力」のアピール不足とする、陳腐な発想があまりにも情けなさすぎる。

 商品の品質が悪いのに誇大広告で買わせようとするが如き詐欺まがいの対策は直ちに辞めた方が良いだろう。時間の無駄であるばかりか、それ自体、若者に対する犯罪行為である。進めるべきは見せかけの、偽りだらけの「働き方改革」ではなく、真の意味での「働き方改革」であり、教師が本来の職務の中心におくべき授業準備に専念できるだけの時間的余裕の確保なのだ。すなわち授業準備を除く大幅な職務の削減を抜きにして、一切の対応は意味をなさない。一体、いつまでこの不毛な茶番劇を千葉県教委は続けるつもりなのだろうか。厚顔無恥も甚だしい。

千葉で教員志願者減少 その背景は? 教育現場に余裕なく、ほど遠い理想像

 産経新聞 2024.6.26

 …管理職の男性は、教員志願者が減少する要因を「『ブラック』という現場のイメージが先行し過ぎている。確かに現場の負担は増えているが、『子供たちのために頑張る』という前向きな声があるのも事実だ…という。こうした現実離れした幼稚なレベルの分析しかできない管理職のいる学校に勤めたいと思う若者ははたしてどのくらいいるのだろうか…この管理職にとっては「ブラック」はあくまでマスコミが勝手に作り出した悪しき印象であり、一部の怠け者の教師たちの被害妄想に過ぎないらしい。この程度の貧弱な認識しか持てない管理職が千葉県には沢山存在している。だからこそ千葉県での教員志願者が減少し続けているのだが、こういう人たちはそれに気付こうとしない。あるいは気付かないふりをしている。

 …北総地域の小学校の40代女性教員は、現状について「児童のために何かしてあげたいと思っても、働き方改革で『早く帰れ』と言われ、報告書作成や保護者対応など最低限の仕事をこなす毎日」と、時間的な余裕のなさを嘆く…と記事にあるように、現状では表面を取り繕うだけの管理職による強制的な「働き方改革」が一層、現場の教師たちを圧迫している側面にも注目すべきだろう。一刻も早くブラックな学校の現状を変えていかない限り、教員不足による学校のさらなるブラック化は不可避である。しかしそのことへの認識を欠く管理職の存在が学校をさらなるブラックな世界に陥れている…それこそが千葉県教育界の大きな不幸の源なのだと思うが、いかがか。

校長の9割が生徒の未来に関心なし しか見ていないトップは「現場から早く

 て行け」 AERA dot. 2023.6.28

「冬はアップしたら終わり」神戸市の公立中学校“部活中止”教育委員会が明かし

 た“反対派も納得”の現実 SmartFLASH  2024.12.18

 地方の教育行政側も遅ればせながらようやく重い腰を上げ始めたようだ。文科省の指導に遅れること5年。この遅れは教師不足という破滅的な現象を学校にもたらし、公教育の危機を一層表面化させてしまった。教育行政側の怠慢は厳罰に値しよう。

 ただし、これまでとりわけ深刻な問題が数多く表面化していたアノ神戸市が、いち早く部活動の地域社会への完全移行に踏み切った意義は決して小さくあるまい。周辺地域に与える好ましい影響が多少は期待できるからである。

 他方で熊本市の考えるような不完全移行では教師の負担、財政的負担をさほど軽減できまい。残念ながら学校での部活動を相変わらず美化するような管理職が多い地方では、事態の改善を見るほどには教師の負担が軽減されないままであろう。そうした地域では今後、教員不足がさらに深刻化するに違いない。いつまでも教師たちへの自己犠牲に甘んじて、現実を直視しようとしない教育行政の怠慢はマスコミ等の報道によって今後も厳しく糾弾されるべきである。

 なお小学校教師の不足は多くの場合、部活動に起因するものではあるまい。指導の難しい大勢の児童に対して一人の小学校教師が多数の教科を教えることの困難さは、本来、もっと強調されてしかるべきである。加えて数多くの学校行事をこなし、清掃指導や登下校の指導など、教師たちの過酷な負担も世間にもっと周知されるべきである。さらには日本の小学校における平均的な管理職のレベルの低さにもぜひ注目すべきである。世間におけるこうしたことへの無理解が小学校を過酷なブラック職場にしてしまっているはずなのだ。

 冷静に広い視野からみれば、日本の小学校教師の仕事は本来、至難の業なのであり、常人が務まるレベルをはるかに超えている。にもかかわらず、そうした仕事をこなせるほどに充実した教員養成教育がこれまで大学で施されてきただろうか。それだけの優秀な人材を教育委員会は数多く採用してきたであろうか。また日本社会は「日本の小学校教師」という難易度の極めて高い仕事に耐えられるほどの優秀な人材にふさわしい待遇を教師たちに与えてきただろうか。すべて「否」である。

 実際に日本の小学校の現場で日々、行われている業務の困難さ、過酷さと世間における小学校教師への評価がこれほど決定的にズレてしまっている国は東アジアや途上国を除くと他にはあるまい。基礎教育、義務教育なのだから小学校教師は教える能力が低くても務まる、したがって給料や待遇が悪くても仕方ない…と捉えるのは完全な間違いである。たとえば小学生に分数、比率、割り算の概念を分かりやすく教える事は、塾の講師以外、誰であっても極めて難しい。

 そうした諸々の難易度の高い職務を十分な教員養成教育を受けてこなかった新人教師がいきなりスンナリとこなせるわけがないのに、長い間、それを無理強いしてきた。そうしたことのツケが現在、教師不足となって表面化しているに過ぎない、と考えられるのだが、いかがか。

※日本の大学での教員養成教育には極めて大きな問題が横たわっていると私は考えている。大学での教

 職科目の多くは学生を受け身にしがちな座学で、視聴覚教材を使う機会が増えてはいても所詮陳腐な

 一斉講義形式が主。日本の大学における充実した授業実習や実践重視の授業演習の少なさも重大問題

 だろう。そもそも模範的な授業実践を自ら示せるくらい教科教育の実践に通じた技術力のある教師が

 各教科ごと大学にきちんとそろっておられるのか、大いに疑問なのだ。

  大学の教師はあくまで学問的研究を主としていて、実際には学生の教育を二の次としているのでは

 あるまいか。しかしとりわけ教師養成教育に関しては授業実践力の向上を優先し、学者の卵を育てる

 ことは二の次とすべきなのだ。にもかかわらず、教師志望者にとって模範となれるほどに講義の工夫

 に長けている大学の先生が十分な数存在しているとは到底思えない。仮に授業力向上を柱とした教師

 養成教育にふさわしい人材がこれまでも大学にしっかりとそろっていたならば、日本の学校でのこの

 悲惨な現状を大学がこんなに長く放置してきたはずがないのだ。

  まさに自動車の構造とメカニズム、道路交通法といった規則や理屈ばかりを一斉講義形式で教える

 だけで実践ゼロ、ハンドルには一切触らせない…現実には存在を許されないはずの自動車教習所とほ

 ぼほぼ等しいのが今の日本の大学における教師養成教育の本質ではないのか。なぜこれほど貧弱な教

 師養成教育を放置してきたのか、問題視されてこなかったのか、理解に苦しむのは私だけだろうか。

  実践力に自信が持てないまま教壇に立たされた新米教師はせっかく身につけたかもしれない新しい

 教育観をかなぐり捨てて瞬く間に古臭い教育観を抱えた先輩教師の従順な下僕となるか、ブラックな

 職場で心身を病み、いずれ休職、離職に追い込まれたりする。こうしてとっくの昔に賞味期限切れし

 たはずの画一的で管理主義的な教育がいまだに日本では「教師のバトン」として伝統芸能のごとく現

 在に至るまで延々と受け継がれてきている…違わないだろうか。

  教師の誰一人として教育改革の意義を見出せずに頑迷固陋の因習に囚われたまま自浄能力の欠片も

 なく、ひたすらスクラムを組んで不祥事の隠蔽に励み、退屈な授業をダラダラと続けるだけ…もしも

 これが日本の学校の真の実態であるとするならば、明るい未来が日本に訪れるはずもない。

 

 振り返って我が国の教師教育の貧弱さと学校教育が抱える体質の古臭さを考えたとき、徒に「不適格教師の排除」を目指す政府の教師改革がいかに的外れで狡猾な責任逃れだったのかは容易に理解できるだろう。教育予算を削り続け、大学での教員養成教育をさんざん手抜きした挙げ句に不祥事が起きれば「トカゲの尻尾切り」のごとくすべて末端の現場にいる教師の責任にすり替える。加えて本人の意向を無視した転勤や分掌、担当科目、専門外の部活の押しつけ…

 職場イジメが横行するブラックな学校現場は手つかずのまま放置。それでもなお退職金や年金を減らしつつ質の悪い官製の研修、研修の連打で教師の負担を極大化しようとする酷薄な教育行政がまかり通ってしまう…そんな日本の学校教育に明るい未来が訪れるはずはない。

 私の経験からだけでもこうした日本の学校教育の有り様、教育行政の貧困さが学校現場の荒廃と若者の教職離れ、学校離れを招いた最大の原因であると断言できるが、果たして皆さんはどのように思われるだろうか?

※参考動画

【日経テレ東vsヨビノリ】理系離れ食い止めろ!【93万人登録!理系教育革命】

 2022/09/05 日経テレ東大学 1:00:59

「宿題、一斉授業を廃止」で偏差値アップ、公立学校の改革が凄い 【藤原和博 &

 工藤勇一】 NewsPicks /ニューズピックス 2022/11/29 12:28

理不尽クレーム】に対応できる「魔法の言葉」とは?

 NewsPicks /ニューズピックス 2022/12/05 13:10

※参考記事

臨時講師が足りない 「頑張るほどに疲弊する」教育現場の惨状 学年を1で” “教

    頭も担任”  AERA dot. 米倉昭仁 によるストーリー  2024.5.13

 少子化の進展により近い将来、教員不足は解消される見通しなので当分の間は我慢すれば良いとする考えと職場のブラック化が教員不足の本質的原因とする考えには学校教育の問題に関する認識においてかなりのすれ違いがあるだろう。前者は文科省側の視点に立った現状認識であり、当面の教員不足の打開策としては教員試験日程の前倒し(いわゆる「青田買い」)、教員採用資格要件の緩和、教職の魅力アピール、臨任講師の確保などといった、まさにその場しのぎの表層的な政策ばかりとなる。

 しかし本当にこうした政策が妥当なものなのか、生徒たちにも議論させたい。議論のポイントは現在の教員不足の本質的な原因とは一体何なのか、しっかり考える点にある。

国立大学と私立大学の「授業料」はどう推移している?昔は今じゃ考えられない

    らい安すぎるって本当? ファイナンシャルフィールド  2023.5.16

教員志望の学生が減っている理由は 「長時間労働など過酷な労働環境」と 94%が回

    答 教員志望者減少に関する教員志望の学生向けアンケート結果   

 一般社団法人日本若者協議会 2022.4.11

なぜ教員志望の学生は減少しているのか?学生アンケート結果から #教師のバトン 

    室橋祐貴日本若者協議会代表理事 Yahoo!ニュース 2022 4/17(日)  

公立小学校教員の採用倍率、4年連続で過去最低 文科省調査

     朝日新聞社 によるストーリー   2023.12.25

 なぜ過去最低の採用倍率を更新しているのか、その理由を生徒に挙げさせてみたい。本当に民間企業の内定時期が早いことが理由の最たるものなのか、他に大きな原因は無いのか…この記事を単純に鵜呑みしてはなるまい。

主体性のある子どもを育てたいと言いながら、教員と自治体の主体性は無視する

 科省と国会 妹尾昌俊 2022 4/30(土)  18:29

「日雇いバイト」で食いつなぐ40代教員の生活困窮 月収十数万円、生活保護を受け

 非常勤講師も  東洋経済オンライン 佐藤明彦  2022/07/31 07:20 

これから会社で重要視される意外なスキルとは? 社員も会社も得する学び直しを

 現する方法 東洋経済オンライン 後藤 宗明  2022/11/04 11:00

 学校における「境界連結者」をどのように養成し、現場に送り込むか、国は大学における教員養成教育や教員採用試験の在り方を早急に見直すべきだろう。

第四次産業革命が求める人材、三つの能力 

 ForbesJAPAN 田坂 広志  2022/11/14 

 AI失業の憂き目に遭わないで済ませるには「心のマネジメント能力」、「共感・支援型マネジメント能力」、「ホスピタリティ能力」、「ファシリテーション能力」といったAIでは代替が困難な能力を身に付けるべきだという。ならば高校での学習にもカウンセリングやコーチングの内容をどんどん取り入れるべきであろう。また授業方法としてファシリテーション能力を養う上でも対話や討論を軸とした授業がより一層大切になってくるはずである。

人助けをしない日本人に「グローバル人材」は無理 英語力以前に「見識と教養」が決

 的に足りない 東洋経済オンライン 武居 秀典  2022/11/17 07:00

 日本の人々が社会貢献への意識を高め、国際社会に通用する教養を身に付けていく上で社会科教師が果たす役割は極めて重大であろう。こうした教師の背負う重い責務を考慮したとき、教職のブラック化による教師志望者の減少という現状には怒りを禁じ得ない。

子どもがこれからの時代を生き抜くために教育においてできる3つのこと

 ダイアモンド・オンライン 朝倉祐介  2022.12.8

教員が「アイドルのコンサートに行くので授業を休みます」はありか…現役小学校

 員の痛快な答え プレジデントオンライン 松尾 英明  2022.12.18

 皆勤賞をめぐる意識や有給休暇の取り方に関しては確かに大きな問題が潜んでいただろう。本来、有給休暇の取得理由は不問なのであるからどんな理由でも構わないはず。しかし酷くブラック化した学校現場では親の死による特別な休暇ですら、職場復帰時に自習監督等で迷惑をかけたことを朝の打ち合わせで謝罪し、お菓子等を全員に配布する習わしが続いていた。

 しかも自習課題を用意するため、休暇中であるにもかかわらず、早朝、来校して課題のプリントを印刷するのが普通であった。ただでさえ、病院での徹夜同然の付き添い、葬儀やお通夜などで疲労困憊しているのに、復帰後は率先して自習監督を引き受けるのが教員社会の常識であるかのような空気感がどの学校にも漂っていた。

 自分達もこれに耐えてきたのだから他者が我慢するのは当然とする教師達の人権感覚の緩さが教師間でのイジメや管理職によるパワハラを横行させ、ついには生徒間のイジメ、教師による体罰や暴言を生じさせてきた原因の一つかもしれない。

なぜ日本人は「仕事のための読書」すらしないのか…「日本人は世界一学ばない

 け者」という誤解を解く 小林 祐児 プレジデントオンライン 2023/2/17(金)

 ここでの指摘はビジネスパーソンだけではなく、高校教師にも該当する部分が多いように思える。日本では個人的な努力によって大学や大学院で教師になるために必要と思われる学習や技術をどれほど習得したとしても、それが全くといって良いほど教員採用試験では評価されず、その後のキャリア形成にもまったく結びつかない。そもそも、赴任先の人事にすらほとんど影響を与えていない。

 たいていの場合、次年度に担当する部活や科目は教師の専門性などはわずかしか考慮されず、学校現場の都合によってほぼ一方的に決定されているのが実情なのだ。つまりジェネラリストの養成を前提にして企業の人事が成り立ってきたように、学校でも専門性よりは服従的で使い勝手の良いジェネラリストが求められてきたと言っても過言ではない。

 他方で高校教師は教科教育の専門家としてのみならず、世間的には各種運動部、文化部の指導においても高い専門性を求められてきた。加えて近年では不登校やいじめ問題の解決、貧困問題、進学・就職指導、保護者への対応など心理カウンセラーや進路カウンセラー、ソーシャルワーカーとしての能力まで期待されてきている。

 教育行政側は人事や待遇面で教師の専門性を完全に軽視しているクセに、これだけ多種多様で高度な専門性を、残業代もつかない安月給の公務員に要求してくるのだから厚かましい限りである。しかも幸運にも幾つかの専門性を身につけられたとして、それが人事考課や次年度の人事に結びつくとは限らない。コネやゴマすり、学閥などの方が出世にはよほど有効だろう。

 なので管理職を目指さない限りは専門性を身につけるインセンティブなど十全には働かなくなっている。また、たとえ教員側にやる気があったとしても、残念ながら真面目で有能な人ほど瞬く間に多種多様で難易度の高い仕事が集中してくるため、あっという間に潰される。真面目な教員ほど体力と気持ちがたちまちのうちににすり減ってしまうのだ。

 つまり学校に必要とされる教師ほど早めにバーンアウトしやすくなっているのだから、まさに 「やってられない」・・・これが今の教師たちの本音であり、絶望感の源泉にある感情であろう。

日本人の仕事満足度「わずか5%」で世界最低!賃上げの他に必要な改革とは?

 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫 によるストーリー  2023.6.27

 世界最低の仕事満足度を記録している日本の経済界の低迷ぶりは、おそらく児童生徒に対して世界最低レベルの授業満足度しか与えてこられなかった日本の学校教育と連動しているはず。高度成長期のモデルを性懲りもなく使いまわしている日本の企業と学校…ひたすら改革の足を引っ張るだけの「老害」政治家と企業経営陣と教育行政、学校管理職。これらが三つ巴となって日本の進歩を阻害し、青少年の自尊心と幸福感の低下を招いているのではあるまいか。

地域によっては新採用教員の大学偏差値が50を切る日本が"教員の質低下"を避

 られない構造的原因 プレジデントオンライン 藤原 和博 の意見  2023.6.14

【日本軍の敗因】「悲惨な結果を生むリーダー」7つの共通点

 ダイヤモンド・オンライン 書籍オンライン編集部 によるストーリー  2023.7.4

 先の大戦における日本軍の敗因を探る中で日本人が伝統的に抱えてきた7つの「失敗の本質」が見いだされるという。軍隊と学校とは日本の富国強兵化、近代化を推進するための車の両輪であり、両者は兄弟のように近しい関係にあるとされている。したがって、以下の7点は学校という組織にもほぼ共通する大きな弱点であると考えても差し支えないだろう。

  ① 「戦略性」──俯瞰的な視点から最終目標への道筋をつくれない

  ② 「思考法」──革新が苦手で錬磨と改善が得意

  ③ 「イノベーション」──ルールをつくり出せず既存のルールに習熟する

  ④ 「型の伝承」──創造ではなく「方法」に依存する

  ⑤ 「組織運営」──勝利につながる現場活用が苦手

  ⑥ 「リーダーシップ」──現実を直視できず、環境変化に合わせて判断できない

  ⑦ 「メンタリティ」──「空気」と同調圧力、リスク管理の誤解

 実際、太字にした部分などは日本の学校にもズバリ当てはまる組織風土に思える。現在の急速な技術革新にともない、柔軟で斬新な人材育成策が求められる中で、日本ばかりが多くの場面で世界に遅れをとってしまう大きな原因が企業社会だけではなく、日本の学校教育にもあることを示唆していると考えるが、いかがか。

 ブラック校則をいつまでもはびこらせ、相変わらず鍛錬を軸とした部活動や学校行事、個性や多様性を犠牲にした画一性の強要などを温存してきた学校教育の頑強な保守性は、日々の革新を迫る、変転目まぐるしい現代社会との間に大きな齟齬を生み出してきていると考えられないだろうか。

 もちろん学校教育に関わる法制度の見直しや文科省や教育委員会の組織改革だけでは学校を変えることが出来ない。学校教育の改革を実効あるものとするには現場における改革の担い手たるべき教師自身の改革が伴っていなければならないはず。まずは教師の意識や能力、技術、適性の見直しが必須となる。

 すなわち大学における教師養成教育の抜本的な改革(一斉講義形式からの脱却を目指すべく、探求型の個別学習・グループ学習や実験・調査・討論を軸とする授業力の養成を軸とする、今以上に実践的で充実したカリキュラムを大学では組むべきである)を基本的な前提とする包括的な観点からの法制度や組織などの見直しが行われる必要があると考えるがいかがか。

じつは「日本だけ」だった…海外とあまりに違う「日本の職場の特徴」が意外だ

 た 『日本社会のしくみ』現代ビジネス 小熊 英二 の意見 2023.7.5

 「個室と大部屋」に関する論考は高校の大職員室制や学年室常駐制と教科準備室制とに対応するだろう。大職員室制を採用する学校は義務教育の学校や生徒指導が困難な高校に比較的多い。教育困難校では学年室常駐制を採用するケースもかなりみられる。

 一方、教科準備室制を採用する学校は進学校に多い傾向がある。大学における教師養成教育が不十分な日本では新採用の教師に決定的な影響を与えるのは大学での講義ではなく、もっぱら初任校における準拠集団である。主にどの集団に属して多くの時間を過ごすか…これによってその後の教師生活はかなり方向づけられる。

 教科準備室にいる事が多い進学校に配属された教師は勢い、授業重視の教師文化を身につけ、専門科目を中心とした授業準備を念入りに行うようになる。

 しかし大職員室や学年室に常駐する教師は遅刻指導や学年の仕事、部活動の仕事といった授業以外の雑務に振り回されがちで管理職や主任、先輩教師からの助言と称する介入も頻繁に行われる。同調圧力がそこでは強く働くのだ。勢い新任教師は授業準備以外の仕事にも追われ、学校行事や部活指導、生徒指導をメインにする傾向が強くなる。

 そして進学校の数が少ない首都圏の公立高校では教師として最も重視されるべき授業力は二の次となり、むしろ生徒指導や部活指導の力が重視されがちになってしまう。体育科の教師に管理職志向の強い人物が多く、実際、管理職が多い傾向がある背景にこうした状況があるのではないか。

 日本企業は多くが大部屋であり、新入社員には専門性を強く求めず、交換可能で使い勝手の良いジェネラリストであることを求められる。これに対応して大学でも仕事の高度な専門知識・技術を養成する意識は低く、あくまで学者の養成を念頭に置いた学問的な講義ばかりとなりがち。

 したがって日本では長期にわたって専門の職務に専念し、仕事のレベルアップをはかるという欧米型、ジョブ型の勤務が最初から条件的に難しい。また採用選考時も大学での専攻や学位についてはほとんど重視されず、学校歴、サークル活動や学外でのボランティア活動などが注目されてしまう。

 つまり日本の学校組織の文化と企業組織の文化とは極めて共通する要素が多いのだ。日本の大学での教師養成教育が授業実践の面では教育系大学あるいは教育学部ですら極めて不十分であるのもこれで首肯できるだろう。だからこそ大胆な授業改革が求められる現在、授業実践力の向上を軸とした大学における教員養成教育の、より一層の充実が必要不可欠だと私は考える。

全国で「潜在」教員発掘 不足解消へ企業と連携

      共同通信社 によるストーリー   2023.11.3

    付け焼刃の弥縫策ばかりやっていても無意味であろう。文科省が本気でこれまでの政策を反省し、新たな観点から現場の実情に根差した学校改革を行う姿勢を明示することからしか、新しい時代は始まらない。

 しかしその姿勢が微塵も見られない今、敢えてブラック職場に身を沈めて「火中の栗を拾う」ような危険を犯す若者は少ないに違いない。このままでは次年度以降も教員不足の解消はおそらく無理と考える。

「やっぱり日本で教師は無理だよ。こんなブラックなのは無理だよ」やる気に満

 た大学生が教育実習で絶望 専門家「法を変えるのが一番」

 ABEMA TIMES によるストーリー  2023.11.16

 教師の劣悪な労働環境の改善は確かに急ぐべきであるが、ことの本質はおそらくそこにはあるまい。行き過ぎた画一的管理主義的学校教育の在り方そのものを問う必要がある。

 かなり以前から教師たちの置かれていた環境は劣悪であったが、その実態がいつまでたっても世間に知られてこなかった背景をこそ問うべきなのである。おそらくはジャニーズ事務所での性加害問題と同類の、日本の公教育界がはらむ根深い隠蔽体質に守られてきた悪しき伝統が今、厳しく問われなければなるまい。

 「教師のやりがい」などという美名に隠されてしまいがちな、公教育が本質的に抱える悪しき側面にも、今こそ目を逸らさずにきちんとメスをいれるべきだと思うが、いかがか。

 もちろん官僚制の機能を全否定するわけではない。国家のため、公共のための教育を全否定するわけでもない。「行き過ぎた官僚制」がもたらす弊害、すなわち個の尊厳と自由を激しく脅かし始めている、あまりにも行き過ぎた画一的、管理主義的公教育を問題視しているのだ。

 すべては自由と平等とのバランスの問題であり、見かけの平等ばかりが重視されて個人の自由が侵害されている…すなわち双方のバランスが日本の場合、極端に崩れてきていることを問題視すべきであろう。

 公平性、平等性を盾にとって個人の自由や個性を一方的に侵害する傾向が著しい日本の公教育の悪しき側面の改革を抜きにしては、教師がおかれている環境の改善だけに問題が矮小化されてしまいかねない。教師不足の解消という、ただのその場しのぎの弥縫策に議論が終始してしまうおそれがあるのだ。

 たとえば教師不足が一時的に解消されたとしても不登校やイジメの問題が本質的に改善するとは到底、私には思えない。教員定数の充足によって多少、教師の目が隅々まで行き届くようにはなるだろうが、そのことが管理主義を隅々まで行きわたらせることでかえって学校生活を窮屈にしてしまい、児童生徒の居場所をなくすことにもつながりかねないとさえ、私は危惧している。

 他の投稿でも再三指摘してきたように日本の教員養成教育は教師の採用方法を含めて極めてお粗末であり、不登校やイジメ問題に十分な対応ができる教師の養成と教員組織の体制作りに関してはこれまでも明らかに失敗し続けている。

 そもそも、不登校やイジメ問題の原因は学校現場のブラック化だけではあるまい。硬直化した教育行政のシステムに加え、教育の方法論や学習内容自体の問題(画一的で管理主義的な要素)が学校での諸問題の発生において少なからぬウェイトを占めているはずである。

 つまり現在、生じている種々の学校教育の問題は日本の場合、戦後の公教育のみならず、近代国家における公教育の在り方全体が制度的な限界を迎え、根本から見直されるべき危機的フェーズに達していると私は考えているのだ。したがって「教員不足の解消」という小手先のごまかし戦術は問題解決の先送りであり、あまりに表層的過ぎる泥縄式の弥縫策なのである。

 この段階に至っては「教師のバトン」などという妙に耳障りの良いキャッチフレーズを用いて教師のやりがいをアピールする文科省や教育委員会での教員集めの手法はもはや悪質な詐欺商法まがいの卑劣さをはらんでいるとさえ、私は感じている。

 たとえばブルシット・ジョブの拡大再生産を続ける、文科省を頂点とした中央集権的教育行政の在り方を土台から見直さない限り、部活動の民間委託程度では学校のブラック化を本質的にはくい止められまい。長い目で見ればそれだけでは一時的な効果にとどまり、たちまちのうちに新たなブルシット・ジョブの拡大再生産が上意下達式に復活するだけであろう。

 地方に丸投げして責任ばかりを押し付ける文科省の無反省なこれまでの姿勢を変えない限り、事態は一向に改善しそうにない…

 さて、皆さんはどう考えるだろうか。

参考記事

〈教育困難校の実態〉同級生へのストーカー、食事を与えられず校庭の草を食べ

 る…教師も対処に困惑する発達障害と家庭問題を抱える生徒

 集英社オンライン 2023.12.16

 公立高校の学校間格差が極めて大きいことは残念ながらこれまで世間的には十分知られてこなかったように感じている。公立中学校と同じ感覚で高校を捉えてしまいがちな現今の世論の傾向は高校教育に対する大きな誤解を生んでしまう可能性があるだろう。一方で中学校の場合には多少の地域間格差は認められるものの、高校ほどの学校間格差は大きくない。この記事にあるように公立高校の場合、学校間格差の大きさは中学校の比ではないのである。

 しかし公立高校の場合、職業高校、定時制や通信制などを除くとすべての全日制普通科高校はあたかも学校間格差が存在しないかのような、一見すると「公平」極まりない待遇となってきた。発達障害、貧困、DVの問題を数多く抱えた生徒たちが大勢集まる教育困難校と学習意欲の高い、比較的恵まれた家庭環境で育ってきた生徒が大勢集まる有名進学校とでは授業一つとっても教師の仕事量と激しさ、厳しさの程度には大きな差が生じているのが現実である。にもかかわらず、学校に配置される教師の定数に学校差はほとんど反映されないのが実情であろう。しかも困難校や進路多様校の経験が一切、無い人物が平気で困難校や定時制、通信制の校長となって赴任してくるような、教育委員会のいい加減で学校破壊的な人事にもカッパは大きな疑問を感じるざるを得ない。

 確かに進学校、中位校、困難校それぞれにタイプの異なる仕事が持つ特有の難しさがあるのは認めるが、授業中ですら頻繁に生徒指導に追われる困難校での困難さと常時、ほぼほぼ学習指導だけに専念できる進学校での困難さには大きな質と量の違いがある。同じように就職から進学まで手広く指導する必要のある進路多様校の学力中位校と進学指導に絞り切って取り組める進学校とでは進路指導上の煩雑さにも大差が生じている。教師の負担に学校の種別間で大きな格差がある厳粛な事実は今まであまり世間的に認知されてはこなかったが、良く考えれば当然の現実なのである。

 多くの教師の出身校が全日制普通科の進学校であることを考慮に入れれば、現状の大学における教師養成教育の不十分さは誰でも理解できるのではあるまいか。本来ならば大学での高校教師養成教育は教育困難校を念頭に置く授業の在り方や学級指導の在り方を教えることを専門にする講座、及び多様な進路希望に応えられる進路指導の在り方を教えることを専門にする講座を必ず設置すべきだろうし、その講座を必修とすべきだろう。当然、定時制や通信制高校の特色程度も大学で一定程度、必ず教えられるべきであろうが、大学の講座にそうした内容の講座が必修化されているのをカッパは聞いたことが無い。

 どうやら大学の教員養成教育の実態は高校の実情とはかけ離れた空疎な内容に終始しているのではあるまいか。教育法規や教育哲学が無用というわけではない。しかしそれらと同様に、学校現場の実態を知り、学校タイプ別の指導方法や授業の在り方を模索する、より実践的な講座が大学での教員養成には不可欠のはずである。それらの講座が十分な数、設けられていない大学に高校教師の免許申請を可能としている現状の制度の方が異常なのだ。

 実際に大学で教鞭をとる先生たちに教育困難校や進路多様校の実態を踏まえた実践的な指導ができる人がどれほどいるのか、管見ではあるが、極めて怪しい限り。大学の授業はあくまでも教育学という学問の手ほどきであり、実践的な知識や技術は二の次と考えている、研究重視の大学教師は残念ながらいまだに決して少なくあるまい。しかし教育学者の養成講座に終始しているような授業は教師志望者にとってほとんど無益であろう。教育困難校という戦場並みの厳しい教育現場に何一つ実践的な武器を持たない新人をいきなり放り込むような、無責任極まりない大学教育、そして惨い教員養成制度を日本はいつまで許容し続けるのだろう。

 そもそも小学校や中学校における義務教育ばかりを念頭に置いた講座が教員養成の中心にのさばり、学校間格差の大きい高校の実態を十分に視野に入れていない貧弱なレベルの教育課程しか用意できない国立大学の教育学部も全国には少なからず存在するのではあるまいか。学校現場の実情を十分に踏まえた、現実的で実践的な教員養成教育を各大学はしっかりと用意すべきであり、それは教員養成に関わる高等教育機関としての当然の義務ではないのか。

 カッパは大学での教員養成教育の貧弱さを今はもう廃止された教員免許更新講習で十二分に目の当たりにしてきた。この程度の教育内容では学校現場へのリアルな心構えすらまともには身につくまい。困難校に赴任した新人教師が精々出来る事といえば必ずしも質を保証できない先輩教師たちによる当てにならない指導、助言とお粗末な官製研修による偏った洗脳によって悪しき学校文化の継承者になることくらいが関の山ではないのか。

 以上、長々と厳しめに指摘してきたが、近年、教師の中途退職、休職が増加し、教職志望者が減少する教育危機の背景に、実は大学側のカリキュラム上の大きな欠陥と教員免許状取得資格の制度的不備が大きな一因となっている側面があるとカッパは考えている。この問題は相当深刻であり、喫緊の課題だと思うが、いかがだろう。