その5.⑤教員養成と採用

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

自殺ほのめかしたノートに“花マル” 女児語ったいじめの実態…調査は9か月放置 

 「花丸を頼まれた」と担任主張、女児は「言ってない!」【スクープ】(2023年

 12月8日) MBS NEWS 2023/12/09  11:43

 授業で紹介するとこの学校の対応、教師の「はなまる」について生徒たちから多数の意見が活発に出てくるに違いない。ぜひ、動画を視聴させ、アンケートを用いて大勢の意見を吸い上げてから討論に持ち込みたい。

 「学校は警察ではないから、イジメの有無をきちんと調べることはできない」とした学校側の言い分は確かにイジメ問題において学校が対応しうる限界の一側面を示してはいる(※1参照)。しかしこれを言い訳にしてイジメを放置することは決して許されるべきことではない。やはり学校はいじめ防止対策推進法※2参照)に則り、イジメ問題対策委員会を招集して組織的に対応すべきであった。こうした言い訳が学校にはびこれば、いよいよ学校は治外法権の場、ただの無法地帯になってしまうだろう。市教委の対応に問題は見られないようなので、学校は市教委との連携を早くから積極的に図るべきだったのではないか。

※1.参考資料

 “任意”のいじめ調査には限界も。学校関係者も含まれる「調査委員会」の問題点と事実認定の3原

  則を元調査委員が解説 FNNプライムオンライン によるストーリー  2023.10.26

  刑事事件として警察が捜査に乗り出した場合にはその捜査には強制力が働き、ある程度までは証言

  や証拠を集める事が出来る。しかし「イジメ」の重大事態として調査委員会(教育関係者が加わる

  可能性あり)や第三者委員会が調査に乗り出したとしてもその調査に協力するか否かはあくまでも

  任意とされる。このため証言や証拠を提出することを拒否されてしまうケースでは調査が先に進ま

  なくなることも起こりうる。

   こうした場合には被害者側が刑事・民事事件として警察及び裁判所に訴え出ないと多くの場合、

  埒が明かない。加害者の特定やイジメの事実確認自体が困難なケースは少なくあるまい。「教育的

  配慮」の名のもとに加害者側の人権だけが守られ、被害者側が泣き寝入りするといった残念な印象

  がこの問題には常にまといつく。しかしその背景に教師や教育委員会の調査が場合によってはどう

  しても不十分になってしまう、法的な限界があることは予め知っておかねばなるまい。

※2.参考資料いじめ防止対策推進法(H.25)より

 ・いじめの定義

  第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍し

   ている等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える

   行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童

   等が心身の苦痛を感じているものをいう。

 ・学校及び学校の教職員の責務

  第八条 学校及び学校の教職員は、基本理念にのっとり、当該学校に在籍する児童等の保護者、地

   域住民、児童相談所その他の関係者との連携を図りつつ、学校全体でいじめの防止及び早期発見

   に取り組むとともに、当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、適切

   かつ迅速にこれに対処する責務を有する。

 クラス担任の明らかに不誠実で悪質な対応ぶりをみると、これは加害児童の問題というよりは担任の適性、資質の問題であり、児童以上に教師への厳しい対応(分限処分等)が求められるケースと思われるが、いかがか。当然、この担任をクラス担任として登用し、適切な指導を施さなかった校長の責任も軽くはない。また担任を放置してきた当該学年集団のチームワークも厳しく問われるはず。

 仮にそれぞれが教師としての資質、適性の有無を問われるとするならば、こうした教師たちを数多く生み出し続けている大学での教員養成や管理職を含む教員採用人事のあり方も根本から問い直されるべきだと私は考える。

 

 以下は「カッパの伝言その5 1980年代以降の学校教育を巡る言説に関する私的覚え書き」の続き

 

 話を元に戻そう。やや石郷岡氏には厳しい言い方になってしまうが、いくら何でも学校とは何か、教育とは何か、教師とはどんな存在なのか・・・といった程度の基礎的事項は常識的にいって教壇に立つ前に誰もが一定の考えを持っておくべきであろう。それは大学にいる時から繰り返し教えられるべきことでもあろうし、また教師になろうとするくらいの人ならば、教員採用試験での面接対策としても教壇に立つ前から予めしっかりと自分なりの考えをまとめておくべきことだったと思うが、いかがだろう。

 著者の石郷岡氏は極めて内省的に自分の仕事を振り返り、誠実に生徒達と向き合おうという努力を続けておられたようである。しかし初任時に戸惑った若手教師の中には周囲や自分の「指導」を一切疑うことなく、ひたすら先輩教師の言うことを真に受けて瞬く間に旧態依然の学校風土にアッという間になじんでしまう人達も少なからずいただろう。その方が確かに出世しやすい。だからこそ上から押しつけられた改革の嵐に学校が幾度も揉まれ続けたとしても、学校現場の古臭い体質は何十年もの間停滞したまま生き残り続け、むしろ今となっては旭川女子中学生凍死事件の顛末で表面化したように、多くの学校が教育委員会も含めて組織としての自浄能力すら失ってしまっているのではないか。

参考記事

名古屋市教委金品授受 教育指導部署でも教員団体から約300万円

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.2

 これはおそらく教師の人事の問題にとどまる案件ではあるまい。相次ぐイジメ事件の隠蔽に見られる学校と教育委員会とのなれ合いの背景にこうした金品の授受があるとすれば教育不信は深まるばかりである。名古屋市の教育界の闇深さに驚くばかり。

校長人事に外部団体が推薦、有無で昇進率に差 千葉市教委は影響否定

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.16

   千葉市教委は外部団体の推薦の影響を否定しているが、管理職に限らず、各教科部会や部活動の専門部などが異動や昇進人事に影響を及ぼしている可能性はゼロではあるまい。かつては政治家や学閥、校長会の有力者などが管理職選考に大きな影響力を持っていたという。それに比べれば教育職としての力量に関わる団体での活動実績が人事に反映されることの問題性はそう大きくはあるまい。

 ただし授業の指導力や部活動の指導力と学校経営の能力との相関はさほどあるようには思えない。ならばズバリ、現在の管理職登用試験で問われている能力、適性とは一体、何だろうか。個人的に校長、教頭を数多く見てきた印象として、学校の管理職に対してこれまで求められてきた「力量」の中身は極めてあやふやなものであると感じてきた。つまり私から見れば管理職としての適性を全く欠くような校長が少なからず存在していたということだ。

 評価の客観性が担保できるとしても学校管理規則の暗記力ばかりを問うのは選考基準として完全に間違っているだろう。管理職に求められているのは教職員の法令順守の徹底ばかりではあるまい。各学校によって直面する教育上の課題はかなり異なりつつ、多岐にわたっている。それらの課題を的確に把握し、優先順位をつけて有効な対策を打つ、そのために教職員とどのように問題意識の共有を図り、どのようにして組織的取り組みを実行していくのか…本来、管理職に厳しく問われるべきはそうした個々の学校の実情に応じた、柔軟で現実的な経営を実現する能力だと思いたい。

千葉県の7年度教員選考 志願者数と倍率ともに過去最低 見えぬ妙案

 産経新聞 2024/6/26 18:34

 「令和7年度採用の教員選考試験の志願者は計4560人と2年連続で減少し、平成以降で過去最低を更新した。志願倍率も2・4倍で最低」だったらしい。当然の報いであろう。いよいよ千葉県の学校教育は自ら破滅に向かってまっしぐら…傍から見れば誰もが分かるほどに危機的な状況がこれまでも続いてきたのに県教委の対応は相変わらずトンチンカンそのもの。

 …県教委は今後、志願者増のため、「教員免許を持つが、民間企業に勤めるなど教職には就かない『ペーパーティーチャー(先生)』にアプローチしたい」(担当者)として、教職の仕事の魅力発信に力を入れる…というのだから驚き呆れるほかあるまい。教員志望者の減少を「教職の魅力」のアピール不足とする、陳腐な発想があまりにも情けなさすぎる。

 商品の品質が悪いのに誇大広告で買わせようとするが如き詐欺まがいの対策は直ちに辞めた方が良いだろう。時間の無駄であるばかりか、それ自体、若者に対する犯罪行為である。進めるべきは見せかけの、偽りだらけの「働き方改革」ではなく、真の意味での「働き方改革」であり、教師が本来の職務の中心におくべき授業準備に専念できるだけの時間的余裕の確保なのだ。すなわち授業準備を除く大幅な職務の削減を抜きにして、一切の対応は意味をなさない。一体、いつまでこの不毛な茶番劇を千葉県教委は続けるつもりなのだろうか。厚顔無恥も甚だしい。

千葉で教員志願者減少 その背景は? 教育現場に余裕なく、ほど遠い理想像

 産経新聞 2024.6.26

 …管理職の男性は、教員志願者が減少する要因を「『ブラック』という現場のイメージが先行し過ぎている。確かに現場の負担は増えているが、『子供たちのために頑張る』という前向きな声があるのも事実だ…という。こうした現実離れした幼稚なレベルの分析しかできない管理職のいる学校に勤めたいと思う若者ははたしてどのくらいいるのだろうか…この管理職にとっては「ブラック」はあくまでマスコミが勝手に作り出した悪しき印象であり、一部の怠け者の教師たちの被害妄想に過ぎないらしい。この程度の貧弱な認識しか持てない管理職が千葉県には沢山存在している。だからこそ千葉県での教員志願者が減少し続けているのだが、こういう人たちはそれに気付こうとしない。あるいは気付かないふりをしている。

 …北総地域の小学校の40代女性教員は、現状について「児童のために何かしてあげたいと思っても、働き方改革で『早く帰れ』と言われ、報告書作成や保護者対応など最低限の仕事をこなす毎日」と、時間的な余裕のなさを嘆く…と記事にあるように、現状では表面を取り繕うだけの管理職による強制的な「働き方改革」が一層、現場の教師たちを圧迫している側面にも注目すべきだろう。一刻も早くブラックな学校の現状を変えていかない限り、教員不足による学校のさらなるブラック化は不可避である。しかしそのことへの認識を欠く管理職の存在が学校をさらなるブラックな世界に陥れている…それこそが千葉県教育界の大きな不幸の源なのだと思うが、いかがか。

日本の大問題「風土が劣化した、重い組織」5大症状 「価値観」「上下関係」昔のまま

  で大丈夫? 遠藤 功 2022/08/12 09:00 東洋経済オンライン

校長の9割が生徒の未来に関心なし しか見ていないトップは「現場から早く

 て行け」 AERA dot. 2023.6.28

 

 ところで私が生まれ育った市内の高校を卒業している米村でんじろう(1955~)氏は今やテレビ番組の出演や監修、実験装置の開発などを手がける有名人だが、都立高校在職中は不適格教師として管理職から酷く睨まれたこともあったらしい。おそらく生徒指導や運動部の指導などは苦手だったのだろう。しかし彼は面白くて分かりやすい理科の実験を数多く開発し、大勢の理科好きの児童・生徒を育てられる能力を持つ点で北欧ならばその授業能力を高く評価されたはず。

 米村氏は本来ならば学校が最も必要とする優秀教師の一人であったのではないのか。国が本気で学校改革を進めたいのならば、教師の本務は授業であるとする北欧に日本も少しは見習えばよいのだ。

 学費が大学までほぼ無料のフィンランドでは教職教育にも力を注ぎ、大学院まで卒業しなければ小学校の教師にもなれないという。とりわけ同国が重視するのは理論面だけではなく実践的な授業の力であり、大学院では授業力の向上に力を入れているらしい。

※日本の大学での教員養成教育には極めて大きな問題が横たわっていると私は考えている。大学での教

 職科目の多くは学生を受け身にしがちな座学で、視聴覚教材を使う機会が増えてはいても所詮陳腐な

 一斉講義形式が主。日本の大学における充実した授業実習や実践重視の授業演習の少なさも重大問題

 だろう。そもそも模範的な授業実践を自ら示せるくらい教科教育の実践に通じた技術力のある教師が

 各教科ごと大学にきちんとそろっておられるのか、大いに疑問なのだ。

  大学の教師はあくまで学問的研究を主としていて、実際には学生の教育を二の次としているのでは

 あるまいか。しかしとりわけ教師養成教育に関しては授業実践力の向上を優先し、学者の卵を育てる

 ことは二の次とすべきなのだ。にもかかわらず、教師志望者にとって模範となれるほどに講義の工夫

 に長けている大学の先生が十分な数存在しているとは到底思えない。仮に授業力向上を柱とした教師

 養成教育にふさわしい人材がこれまでも大学にしっかりとそろっていたならば、日本の学校でのこの

 悲惨な現状を大学がこんなに長く放置してきたはずがないのだ。

  まさに自動車の構造とメカニズム、道路交通法といった規則や理屈ばかりを一斉講義形式で教える

 だけで実践ゼロ、ハンドルには一切触らせない…現実には存在を許されないはずの自動車教習所とほ

 ぼほぼ等しいのが今の日本の大学における教師養成教育の本質ではないのか。なぜこれほど貧弱な教

 師養成教育を放置してきたのか、問題視されてこなかったのか、理解に苦しむのは私だけだろうか。

  実践力に自信が持てないまま教壇に立たされた新米教師はせっかく身につけたかもしれない新しい

 教育観をかなぐり捨てて瞬く間に古臭い教育観を抱えた先輩教師の従順な下僕となるか、ブラックな

 職場で心身を病み、いずれ休職、離職に追い込まれたりする。こうしてとっくの昔に賞味期限切れし

 たはずの画一的で管理主義的な教育がいまだに日本では「教師のバトン」として伝統芸能のごとく現

 在に至るまで延々と受け継がれてきている…違わないだろうか。

  教師の誰一人として教育改革の意義を見出せずに頑迷固陋の因習に囚われたまま自浄能力の欠片も

 なく、ひたすらスクラムを組んで不祥事の隠蔽に励み、退屈な授業をダラダラと続けるだけ…もしも

 これが日本の学校の真の実態であるとするならば、明るい未来が日本に訪れるはずもない。

 

 フィンランドの学校では授業以外の教育相談や進路相談などは専門家を雇ってチームで面倒を見ているらしく、教師はほぼ授業だけに専念できるという。教科書の選定は各教師に一任され、本人の希望がなければ転勤しなくとも良い(そもそも北欧では学校間格差がほとんど無いという)、一クラスの定員は30人程度で一斉講義形式の授業はほとんど行われない、授業時数は日本よりも少ない、にも関わらず、生徒の学力はPISAにおいて常に世界トップクラスをキープしていた(近年、フィンランドではPISAの結果が思わしくないようだが)。

 当然のことながらフィンランドでは教師の実力が広く認められており、社会的地位も高い分、教師一人一人にそれなりの権限が認められているのだ。同国では生徒が憧れる職業のナンバーワンが常に教師であるのも至極当然である。

 振り返って我が国の教師教育の貧弱さと学校教育が抱える体質の古臭さを考えたとき、徒に「不適格教師の排除」を目指す政府の教師改革がいかに的外れで狡猾な責任逃れなのかは容易に理解できるだろう。教育予算を削り続け、大学での教員養成教育をさんざん手抜きした挙げ句に不祥事が起きれば「トカゲの尻尾切り」のごとくすべて末端の現場にいる教師の責任にすり替える。加えて本人の意向を無視した転勤や分掌、担当科目、専門外の部活の押しつけ・・・

 職場イジメが横行するブラックな学校現場は手つかずのまま放置。それでもなお退職金や年金を減らしつつ質の悪い官製の研修、研修の連打で教師の負担を極大化しようとする酷薄な教育行政がまかり通ってしまう・・・そんな日本の学校教育に明るい未来が訪れるはずはない。

 

 私の経験からだけでもこうした日本の学校教育の有り様、教育行政の貧困さが学校現場の荒廃と若者の教職離れ、学校離れを招いた最大の原因であると断言できるが、果たして皆さんはどのように思われるだろうか?

※参考動画

 ◎【日経テレ東vsヨビノリ】理系離れ食い止めろ!【93万人登録!理系教育革命】

  2022/09/05 日経テレ東大学 1:00:59

 ◎「宿題、一斉授業を廃止」で偏差値アップ、公立学校の改革が凄い 【藤原和博 &

   工藤勇一】 NewsPicks /ニューズピックス 2022/11/29 12:28

 ◎理不尽クレーム】に対応できる「魔法の言葉」とは?

  NewsPicks /ニューズピックス 2022/12/05 13:10

※参考記事

   臨時講師が足りない 「頑張るほどに疲弊する」教育現場の惨状 学年を1人

  で” “教頭も担任  AERA dot. 米倉昭仁 によるストーリー  2024.5.13

  少子化の進展により近い将来、教員不足は解消される見通しなので当分の間は我慢すれば良いとす

  る考えと職場のブラック化が教員不足の本質的原因とする考えには学校教育の問題に関する認識に

  おいてかなりのすれ違いがあるだろう。前者は文科省側の視点に立った現状認識であり、当面の教

  員不足の打開策としては教員試験日程の前倒し(いわゆる「青田買い」)、教員採用資格要件の緩

  和、教職の魅力アピール、臨任講師の確保などといった、まさにその場しのぎの表層的な政策ばか

  りとなる。

   しかし本当にこうした政策が妥当なものなのか、生徒たちにも議論させたい。議論のポイントは

  現在の教員不足の本質的な原因とは一体何なのか、しっかり考える点にある。

 ◎国立大学と私立大学の「授業料」はどう推移している?昔は今じゃ考えられない

  くらい安すぎるって本当? ファイナンシャルフィールド 2023.5.16

 ○教員志望の学生が減っている理由は 「長時間労働など過酷な労働環境」と 94%

  が回答 教員志望者減少に関する教員志望の学生向けアンケート結果   

  一般社団法人日本若者協議会 2022.4.11

 ◎なぜ教員志望の学生は減少しているのか?学生アンケート結果から #教師のバト

  ン 室橋祐貴日本若者協議会代表理事 

  2022 4/17(日) 7:30 Yahoo!ニュース

 公立小学校教員の採用倍率、4年連続で過去最低 文科省調査

      朝日新聞社 によるストーリー  2023.12.25

  なぜ過去最低の採用倍率を更新しているのか、その理由を生徒に挙げさせてみたい。本当に民間企

  業の内定時期が早いことが理由の最たるものなのか、他に大きな原因は無いのか、この記事を単純

  に鵜呑みしてはなるまい。

   ◎主体性のある子どもを育てたいと言いながら、教員と自治体の主体性は無視する

  文科省と国会 妹尾昌俊 教育研究家、学校・行政向けアドバイザー 

  2022 4/30(土)   18:29

 ◎「日雇いバイト」で食いつなぐ40代教員の生活困窮 月収十数万円、生活保護を受け

  る非常勤講師も  東洋経済オンライン 佐藤明彦 2022/07/31 07:20 

 ◎これから会社で重要視される意外なスキルとは? 社員も会社も得する学び直しを

  実現する方法 東洋経済オンライン 後藤 宗明 2022/11/04 11:00

  学校における「境界連結者」をどのように養成し、現場に送り込むか、国は大学における教員養成

  教育や教員採用試験の在り方を早急に見直すべきだろう。

 ◎第四次産業革命が求める人材、三つの能力

  ForbesJAPAN 田坂 広志 2022/11/14 15:00

  AI失業の憂き目に遭わないで済ませるには「心のマネジメント能力」、「共感・支援型マネジメ

  ント能力」、「ホスピタリティ能力」、「ファシリテーション能力」といったAIでは代替が困難

  な能力を身に付けるべきだという。ならば高校での学習にもカウンセリングやコーチングの内容を

  どんどん取り入れるべきであろう。また授業方法としてファシリテーション能力を養う上でも対話

  や討論を軸とした授業がより一層大切になってくるはずである。

 ◎人助けをしない日本人に「グローバル人材」は無理 英語力以前に「見識と教養」が決

  定的に足りない 東洋経済オンライン 武居 秀典 2022/11/17 07:00

  日本の人々が社会貢献への意識を高め、国際社会に通用する教養を身に付けていく上で社会科教師

  が果たす役割は極めて重大であろう。こうした教師の背負う重い責務を考慮したとき、教職のブラ

  ック化による教師志望者の減少という現状には怒りを禁じ得ない。

 ◎「元女性自衛官」校長が高校改革に成功した理由、自衛隊で学んだ“人の動かし

  方” DIAMONDOnline 松田小牧  2022.11.24

  元自衛官という異色の経歴を持つ女性校長が公立高校の改革にチャレンジしてそれなりの成果を収

  めた理由については是非知っておいた方が良いだろう。今、公立高校に必要とされている事の多く

  が分かるはず。

 ○子どもがこれからの時代を生き抜くために教育においてできる3つのこと

  ダイアモンド・オンライン 朝倉祐介 2022.12.8

 ◎教員が「アイドルのコンサートに行くので授業を休みます」はありか…現役小学校

  教員の痛快な答え プレジデントオンライン 松尾 英明 2022.12.18

  皆勤賞をめぐる意識や有給休暇の取り方に関しては確かに大きな問題が潜んでいただろう。本来、

  有給休暇の取得理由は不問なのであるからどんな理由でも構わないはず。しかし酷くブラック化し

  た学校現場では親の死による特別な休暇ですら、職場復帰時に自習監督等で迷惑をかけたことを朝

  の打ち合わせで謝罪し、お菓子等を全員に配布する習わしが続いていた。しかも自習課題を用意す

  るため、休暇中であるにもかかわらず、早朝、来校して課題のプリントを印刷するのが普通であっ

  た。ただでさえ、病院での徹夜同然の付き添い、葬儀やお通夜などで疲労困憊しているのに、復帰

  後は率先して自習監督を引き受けるのが教員社会の常識であるかのような空気感がどの学校にも漂

  っていた。自分達もこれに耐えてきたのだから他者が我慢するのは当然とする教師達の人権感覚の

  緩さが教師間でのイジメや管理職によるパワハラを横行させ、ついには生徒間のイジメ、教師によ

  る体罰や暴言を生じさせてきた原因の一つかもしれない。

 ◎なぜ日本人は「仕事のための読書」すらしないのか…「日本人は世界一学ばない

  怠け者」という誤解を解く 

  2023/2/17(金)   小林 祐児 プレジデントオンライン

  ここでの指摘はビジネスパーソンだけではなく、高校教師にも該当する部分が多いように思える。

  日本では個人的な努力によって大学や大学院で教師になるために必要と思われる学習や技術をどれ

  ほど習得したとしても、それが全くといって良いほど教員採用試験では評価されず、その後のキャ

  リア形成にもまったく結びつかない。そもそも、赴任先の人事にすらほとんど影響を与えていな

  い。たいていの場合、次年度に担当する部活や科目は教師の専門性などはわずかしか考慮されず、

  学校現場の都合によってほぼ一方的に決定されているのが実情なのだ。つまりジェネラリストの養

  成を前提にして企業の人事が成り立ってきたように、学校でも専門性よりは服従的で使い勝手の良

  いジェネラリストが求められてきたと言っても過言ではない。

   他方で高校教師は教科教育の専門家としてのみならず、世間的には各種運動部、文化部の指導に

  おいても高い専門性を求められてきた。加えて近年では不登校やいじめ問題の解決、貧困問題、進

  学・就職指導、保護者への対応など心理カウンセラーや進路カウンセラー、ソーシャルワーカーと

  しての能力まで期待されてきている。

   教育行政側は人事や待遇面で教師の専門性を完全に軽視しているクセに、これだけ多種多様で高

  度な専門性を残業代もつかない安月給の公務員に要求してくるのだから厚かましい限りである。し

  かも幸運にも幾つかの専門性を身につけられたとして、それが人事考課や次年度の人事に結びつく

  とは限らない。コネやゴマすり、学閥などの方が出世にはよほど有効だろう。

   なので管理職を目指さない限りは専門性を身につけるインセンティブなど十全には働かなくなっ

  ている。また、たとえ教員側にやる気があったとしても、残念ながら真面目で有能な人ほど瞬く間

  に多種多様で難易度の高い仕事が集中してくるため、あっという間に潰される。真面目な教員ほど

  体力と気持ちがたちまちのうちににすり減ってしまうのだ。

   つまり学校に必要とされる教師ほど早めにバーンアウトしやすくなっているのだから、まさに

  「やってられない」・・・これが今の教師たちの本音であり、絶望感の源泉にある感情であろう。

 〇日本人の仕事満足度「わずか5%」で世界最低!賃上げの他に必要な改革とは?

  ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫 によるストーリー 2023.6.27

  世界最低の仕事満足度を記録している日本の経済界の低迷ぶりは、おそらく児童生徒に対して世界

  最低レベルの授業満足度しか与えてこられなかった日本の学校教育と連動しているはず。高度成長

  期のモデルを性懲りもなく使いまわしている日本の企業と学校…ひたすら改革の足を引っ張るだけ

  の「老害」政治家と企業経営陣と教育行政、学校管理職。これらが三つ巴となって日本の進歩を阻

  害し、青少年の自尊心と幸福感の低下を招いているのではあるまいか。

 〇地域によっては新採用教員の大学偏差値が50を切る日本が"教員の質低下"を避

  けられない構造的原因 プレジデントオンライン 藤原 和博 の意見 2023.6.14

 ◎【日本軍の敗因】「悲惨な結果を生むリーダー」7つの共通点

  ダイヤモンド・オンライン 書籍オンライン編集部 によるストーリー 2023.7.4

  先の大戦における日本軍の敗因を探る中で日本人が伝統的に抱えてきた7つの「失敗の本質」が見

  いだされるという。軍隊と学校とは日本の富国強兵化、近代化を推進するための車の両輪であり、

  両者は兄弟のように近しい関係にあるとされている。したがって、以下の7点は学校という組織に

  もほぼ共通する大きな弱点であると考えても差し支えないだろう。

  ① 「戦略性」──俯瞰的な視点から最終目標への道筋をつくれない

  ② 「思考法」──革新が苦手で錬磨と改善が得意

  ③ 「イノベーション」──ルールをつくり出せず既存のルールに習熟する

  ④ 「型の伝承」──創造ではなく「方法」に依存する

  ⑤ 「組織運営」──勝利につながる現場活用が苦手

  ⑥ 「リーダーシップ」──現実を直視できず、環境変化に合わせて判断できない

  ⑦ 「メンタリティ」──「空気」と同調圧力、リスク管理の誤解

   実際、太字にした部分などは日本の学校にもズバリ当てはまる組織風土に思える。現在の急速な

  技術革新にともない、柔軟で斬新な人材育成策が求められる中で、日本ばかりが多くの場面で世界

  に遅れをとってしまう大きな原因が企業社会だけではなく、日本の学校教育にもあることを示唆し

  ていると考えるが、いかがか。

   ブラック校則をいつまでもはびこらせ、相変わらず鍛錬を軸とした部活動や学校行事、個性や多

  様性を犠牲にした画一性の強要などを温存してきた学校教育の頑強な保守性は、日々の革新を迫

  る、変転目まぐるしい現代社会との間に大きな齟齬を生み出してきていると考えられないだろう

  か。

   もちろん学校教育に関わる法制度の見直しや文科省や教育委員会の組織改革だけでは学校を変え

  ることが出来ない。学校教育の改革を実効あるものとするには現場における改革の担い手である教

  師自身の改革が伴っていなければならないはず。まずは教師の意識や能力、技術、適性の見直しが

  必須となる。

   すなわち大学における教師養成教育の抜本的な改革(一斉講義形式からの脱却を目指すべく、探

  求型の個別学習・グループ学習や実験・調査・討論を軸とする授業力の養成を軸とする、今以上に

  実践的で充実したカリキュラムを大学では組むべきである)を基本的な前提とする包括的な観点か

  らの法制度や組織などの見直しが行われる必要があると考えるがいかがか。

 ◎じつは「日本だけ」だった…海外とあまりに違う「日本の職場の特徴」が意外だ

  った 『日本社会のしくみ』現代ビジネス 小熊 英二 の意見 2023.7.5

  「個室と大部屋」に関する論考は高校の大職員室制や学年室常駐制と教科準備室制とに対応するだ

  ろう。大職員室制を採用する学校は義務教育の学校や生徒指導が困難な高校に比較的多い。教育困

  難校では学年室常駐制を採用するケースもかなりみられる。

   一方、教科準備室制を採用する学校は進学校に多い傾向がある。大学における教師養成教育が不

  十分な日本では新採用の教師に決定的な影響を与えるのは大学での講義ではなく、もっぱら初任校

  における準拠集団である。主にどの集団に属して多くの時間を過ごすか…これによってその後の教

  師生活はかなり方向づけられる。教科準備室にいる事が多い進学校に配属された教師は勢い、授業

  重視の教師文化を身につけ、専門科目を中心とした授業準備を念入りに行うようになる。

   しかし大職員室や学年室に常駐する教師は遅刻指導や学年の仕事、部活動の仕事といった授業以

  外の雑務に振り回されがちで管理職や主任、先輩教師からの助言と称する介入も頻繁に行われる。

  同調圧力がそこでは強く働くのだ。勢い新任教師は授業準備以外の仕事にも追われ、学校行事や部

  活指導、生徒指導をメインにする傾向が強くなる。

   そして進学校の数が少ない首都圏の公立高校では教師として最も重視されるべき授業力は二の次

  となり、むしろ生徒指導や部活指導の力が重視されがちになってしまう。体育科の教師に管理職志

  向の強い人物が多く、実際、管理職が多い傾向がある背景にこうした状況があるのではないか。

   日本企業は多くが大部屋であり、新入社員には専門性を強く求めず、交換可能で使い勝手の良い

  ジェネラリストであることを求められる。これに対応して大学でも仕事の高度な専門知識・技術を

  養成する意識は低く、あくまで学者の養成を念頭に置いた学問的な講義ばかりとなりがち。

   したがって日本では長期にわたって専門の職務に専念し、仕事のレベルアップをはかるという欧

  米型、ジョブ型の勤務が最初から条件的に難しい。また採用選考時も大学での専攻や学位について

  はほとんど重視されず、学校歴、サークル活動や学外でのボランティア活動などが注目されてしま

  う。つまり日本の学校組織の文化と企業組織の文化とは極めて共通する要素が多いのだ。日本の大

  学での教師養成教育が授業実践の面では教育系大学あるいは教育学部ですら極めて不十分であるの

  もこれで首肯できるだろう。だからこそ大胆な授業改革が求められる現在、授業実践力の向上を軸

  とした大学における教員養成教育の、より一層の充実が必要不可欠だと私は考える。

   ○全国で「潜在」教員発掘 不足解消へ企業と連携

      共同通信社 によるストーリー  2023.11.3

      付け焼刃の弥縫策ばかりやっていても無意味であろう。文科省が本気でこれまでの政策を反省し、

  新たな観点から現場の実情に根差した学校改革を行う姿勢を明示することからしか、新しい時代は

  始まらない。

   しかしその姿勢が微塵も見られない今、敢えてブラック職場に身を沈めて「火中の栗を拾う」よ

  うな危険を犯す若者は少ないに違いない。このままでは次年度以降も教員不足の解消はおそらく無

  理と考える。

 〇「やっぱり日本で教師は無理だよ。こんなブラックなのは無理だよ」やる気に満

  ちた大学生が教育実習で絶望 専門家「法を変えるのが一番」

  ABEMA TIMES によるストーリー  2023.11.16

  教師の劣悪な労働環境の改善は確かに急ぐべきであるが、ことの本質はおそらくそこにはあるま

  い。行き過ぎた画一的管理主義的学校教育の在り方そのものを問う必要がある。

   かなり以前から教師たちの置かれていた環境は劣悪であったが、その実態がいつまでたっても世

  間に知られてこなかった背景をこそ問うべきなのである。おそらくはジャニーズ事務所での性加害

  問題と同類の、日本の公教育界がはらむ根深い隠蔽体質に守られてきた悪しき伝統が今、厳しく問

  われなければなるまい。

   「教師のやりがい」などという美名に隠されてしまいがちな、公教育が本質的に抱える悪しき側

  面にも、今こそ目を逸らさずにきちんとメスをいれるべきだと思うが、いかがか。

   もちろん官僚制の機能を全否定するわけではない。国家のため、公共のための教育を全否定する

  わけでもない。「行き過ぎた官僚制」がもたらす弊害、すなわち個の尊厳と自由を激しく脅かし始

  めている、あまりにも行き過ぎた画一的、管理主義的公教育を問題視しているのだ。

   すべては自由と平等とのバランスの問題であり、見かけの平等ばかりが重視されて個人の自由が

  侵害されている…すなわち双方のバランスが日本の場合、極端に崩れてきていることを問題視すべ

  きであろう。

   公平性、平等性を盾にとって個人の自由や個性を一方的に侵害する傾向が著しい日本の公教育の

  悪しき側面の改革を抜きにしては、教師がおかれている環境の改善だけに問題が矮小化されてしま

  いかねない。教師不足の解消という、ただのその場しのぎの弥縫策に議論が終始してしまうおそれ

  があるのだ。

   たとえば教師不足が一時的に解消されたとしても不登校やイジメの問題が本質的に改善するとは

  到底、私には思えない。教員定数の充足によって多少、教師の目が隅々まで行き届くようにはなる

  だろうが、そのことが管理主義を隅々まで行きわたらせることでかえって学校生活を窮屈にしてし

  まい、児童生徒の居場所をなくすことにもつながりかねないとさえ、私は危惧している。

   他の投稿でも再三指摘してきたように日本の教員養成教育は教師の採用方法を含めて極めてお粗

  末であり、不登校やイジメ問題に十分な対応ができる教師の養成と教員組織の体制作りに関しては

  これまでも明らかに失敗し続けている。

   そもそも、不登校やイジメ問題の原因は学校現場のブラック化だけではあるまい。硬直化した教

  育行政のシステムに加え、教育の方法論や学習内容自体の問題(画一的で管理主義的な要素)が学

  校での諸問題の発生において少なからぬウェイトを占めているはずである。

   つまり現在、生じている種々の学校教育の問題は日本の場合、戦後の公教育のみならず、近代国

  家における公教育の在り方全体が制度的な限界を迎え、根本から見直されるべき危機的フェーズに

  達していると私は考えているのだ。したがって「教員不足の解消」という小手先のごまかし戦術は

  問題解決の先送りであり、あまりに表層的過ぎる泥縄式の弥縫策なのである。

   この段階に至っては「教師のバトン」などという妙に耳障りの良いキャッチフレーズを用いて教

  師のやりがいをアピールする文科省や教育委員会での教員集めの手法はもはや悪質な詐欺商法まが

  いの卑劣さをはらんでいるとさえ、私は感じている。たとえばブルシット・ジョブの拡大再生産を

  続ける、文科省を頂点とした中央集権的教育行政の在り方を土台から見直さない限り、部活動の民

  間委託程度では学校のブラック化を本質的にはくい止められまい。長い目で見ればそれだけでは一

  時的な効果にとどまり、たちまちのうちに新たなブルシット・ジョブの拡大再生産が上意下達式に

  復活するだけであろう。地方に丸投げして責任を押し付ける文科省の無反省なこれまでの姿勢を変

  えない限り、事態は一向に改善しそうにない…

   さて、皆さんはどう考えるだろうか。

参考記事

〈教育困難校の実態〉同級生へのストーカー、食事を与えられず校庭の草を食べ

 る…教師も対処に困惑する発達障害と家庭問題を抱える生徒

 集英社オンライン 2023.12.16

 公立高校の学校間格差が極めて大きいことは残念ながらこれまで世間的には十分知られてこなかったように感じている。公立中学校と同じ感覚で高校を捉えてしまいがちな現今の世論の傾向は高校教育に対する大きな誤解を生んでしまう可能性があるだろう。一方で中学校の場合には多少の地域間格差は認められるものの、高校ほどの学校間格差は大きくない。この記事にあるように公立高校の場合、学校間格差の大きさは中学校の比ではないのである。

 しかし公立高校の場合、職業高校、定時制や通信制などを除くとすべての全日制普通科高校はあたかも学校間格差が存在しないかのような、一見すると「公平」極まりない待遇となってきた。発達障害、貧困、DVの問題を数多く抱えた生徒たちが大勢集まる教育困難校と学習意欲の高い、比較的恵まれた家庭環境で育ってきた生徒が大勢集まる有名進学校とでは授業一つとっても教師の仕事量と激しさ、厳しさの程度には大きな差が生じているのが現実である。にもかかわらず、学校に配置される教師の定数に学校差はほとんど反映されないのが実情であろう。しかも困難校や進路多様校の経験が一切、無い人物が平気で困難校や定時制、通信制の校長となって赴任してくるような、教育委員会のいい加減で学校破壊的な人事にもカッパは大きな疑問を感じるざるを得ない。

 確かに進学校、中位校、困難校それぞれにタイプの異なる仕事が持つ特有の難しさがあるのは認めるが、授業中ですら頻繁に生徒指導に追われる困難校での困難さと常時、ほぼほぼ学習指導だけに専念できる進学校での困難さには大きな質と量の違いがある。同じように就職から進学まで手広く指導する必要のある進路多様校の学力中位校と進学指導に絞り切って取り組める進学校とでは進路指導上の煩雑さにも大差が生じている。教師の負担に学校の種別間で大きな格差がある厳粛な事実は今まであまり世間的に認知されてはこなかったが、良く考えれば当然の現実なのである。

 多くの教師の出身校が全日制普通科の進学校であることを考慮に入れれば、現状の大学における教師養成教育の不十分さは誰でも理解できるのではあるまいか。本来ならば大学での高校教師養成教育は教育困難校を念頭に置く授業の在り方や学級指導の在り方を教えることを専門にする講座、及び多様な進路希望に応えられる進路指導の在り方を教えることを専門にする講座を必ず設置すべきだろうし、その講座を必修とすべきだろう。当然、定時制や通信制高校の特色程度も大学で一定程度、必ず教えられるべきであろうが、大学の講座にそうした内容の講座が必修化されているのをカッパは聞いたことが無い。

 どうやら大学の教員養成教育の実態は高校の実情とはかけ離れた空疎な内容に終始しているのではあるまいか。教育法規や教育哲学が無用というわけではない。しかしそれらと同様に、学校現場の実態を知り、学校タイプ別の指導方法や授業の在り方を模索する、より実践的な講座が大学での教員養成には不可欠のはずである。それらの講座が十分な数、設けられていない大学に高校教師の免許申請を可能としている現状の制度の方が異常なのだ。

 実際に大学で教鞭をとる先生たちに教育困難校や進路多様校の実態を踏まえた実践的な指導ができる人がどれほどいるのか、管見ではあるが、極めて怪しい限り。大学の授業はあくまでも教育学という学問の手ほどきであり、実践的な知識や技術は二の次と考えている、研究重視の大学教師は残念ながらいまだに決して少なくあるまい。しかし教育学者の養成講座に終始しているような授業は教師志望者にとってほとんど無益であろう。教育困難校という戦場並みの厳しい教育現場に何一つ実践的な武器を持たない新人をいきなり放り込むような、無責任極まりない大学教育、そして惨い教員養成制度を日本はいつまで許容し続けるのだろう。

 そもそも小学校や中学校における義務教育ばかりを念頭に置いた講座が教員養成の中心にのさばり、学校間格差の大きい高校の実態を十分に視野に入れていない貧弱なレベルの教育課程しか用意できない国立大学の教育学部も全国には少なからず存在するのではあるまいか。学校現場の実情を十分に踏まえた、現実的で実践的な教員養成教育を各大学はしっかりと用意すべきであり、それは教員養成に関わる高等教育機関としての当然の義務ではないのか。

 カッパは大学での教員養成教育の貧弱さを今はもう廃止された教員免許更新講習で十二分に目の当たりにしてきた。この程度の教育内容では学校現場へのリアルな心構えすらまともには身につくまい。困難校に赴任した新人教師が精々出来る事といえば必ずしも質を保証できない先輩教師たちによる当てにならない指導、助言とお粗末な官製研修による偏った洗脳によって悪しき学校文化の継承者になることくらいが関の山ではないのか。

 以上、長々と厳しめに指摘してきたが、近年、教師の中途退職、休職が増加し、教職志望者が減少する教育危機の背景に、実は大学側のカリキュラム上の大きな欠陥と教員免許状取得資格の制度的不備が大きな一因となっている側面があるとカッパは考えている。この問題は相当深刻であり、喫緊の課題だと思うが、いかがだろう。