⑧インクルーシブという美名の陰で
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
私はかつて統合教育と呼ばれ、今はインクルーシブ教育と呼ばれている教育の理念そのものに反対するものではない。しかし、学校教師の業務の大胆な削減抜きで理念ばかり先行することへの懸念が現状ではきわめて大きいと感じている。
今から8~9年前のことになるが、クラス担任として障がいを抱える生徒を4年間(秋入試で入学してきたので年度で言えば5年度にまたがる)受け持っていた。週に16~18時間、2~3科目の授業、2時間のLHRと総合(実態としては進路指導の時間)を担当しつつ、週に5~6時間ほど、空き時間に当該生徒とつきっきりの対応をしてきた。突発的に奇声を発し、席を立って教師の妨害をし、女子生徒や女性教師に抱きつこうとしたりするので他の生徒たちとともに授業を受けることは難しかった。驚くほど瞬発力と体力があるため、副担任と私の二人がかりで制止する必要もあった。
担当してから4年目、疲労困憊の末に自分の心身の異常を感じ始めた。まず驚いたのは毎朝、何千回も繰り返してきてすっかり身に付いていたはずのコーヒーの淹れ方がふと分からなくなったのだ。突然のことでしばらく戸惑っていたが、ゆっくりと手順を思い出し、最終的にはコーヒーを淹れることができた。これが一度ならず、間をおいて数回、起きた。
しかし異変はこれだけに留まらなかった。休日に二階のベランダで干していた布団や毛布を一階の寝室に運ぼうとして階段を降りようとし、ふと自分の違和感に気付いた。普段、何気なく階下に降りれていたはずの階段が妙にしっくりとこない。リズムが合わないのだ。慣れていたはずの段差が今までと違うような気がする。もしかすると一段、とばして降りてしまうかも…そして最後の一段を降りようと一階の廊下に足を下した、と思った刹那、ふと気づいたら体は廊下に横倒しとなっていた。頭を打っていそうなものだが、ボォーとしていたのか痛みは感じず、何だか悪い夢を見ているようだった。これは二度、起きた。
おそらく脳に多少の異変が起きていることは確かだった。手続き記憶の障がいとバランス感覚の一時的喪失…ととらえれば小脳でのちょっとしたトラブルが考えられよう。本来ならば病院で精密検査を受けなければならない症状だったが、四年生の担任と就職指導の責任者であったため、病院には行かなかった。翌年は進路部長であったため、余計に病院に行くことは出来なくなった。
当時の勤務校に強いやり甲斐を感じていたことも病院へ行かなかった理由である。定時制、それも三部制というユニークな試みには問題も数多いが、やり甲斐もまた大きかった。私自身が大変な学校嫌いであり、長期間、場面緘黙症であったため、とりわけ不登校の生徒には少しでもプラスの存在となれるよう、努力したかった。そのためには授業を興味の湧く、面白い時間にしたくてできる限りの方法を駆使してきた。だからそう簡単に学校を休みたくはなかったのだ。
これは58~60歳の時の状況である。当然、加齢もこうした出来事の背景にあるだろうが、もちろん、それだけではあるまい。事の発端が一人の重い障がいを持つ生徒を担任した件であることは間違いない。明らかにそれに伴う過労と過度のストレスが主な原因である。今、当時の症状を思い返すと、小さな梗塞が小脳などに出来始めていたのかもしれない。アノまま勤務していれば大変な事態を招いていたはずである。
ただ、60歳での定年退職が私の健康を取り戻す大きな時間的、体力的ゆとりを与えてくれた。その結果、今、こうしていられるのだと思っている。65歳までフルの再任用をしよう、と以前は考えていたが、結果的に2年だけのそれもハーフ、という極めて軽い勤務で済ませ、ただちに完全退職したのは正しい判断であったと思う。
今や、学校現場の実情を知ろうとすらしない、政治家や文科省の官僚たちの教育に対する無責任な「きれいごと」には嫌悪感と反発しか覚えない。もう教師たちは断固として騙されてはなるまい。
参考記事
◎公立高のバリアフリー格差、調べた千葉の高校生「こんなに違うなんて」 エレベー
ター設置率が東京と段違い 東京新聞 2025.7.6
東京都立高・中等教育学校は85.9%、埼玉県立高の設置率は29.1%、神奈川県立高・中等教育学校は32.4%、千葉県立高では14.8%らしい。…東京と3県との格差について、千葉県教委の担当者は「財政的な違いではないか」と推測。2028年度までに設置率40%を目指し、車いすの生徒がいる学校への優先設置や、初期費用を抑えられるリース方式で導入を進める…らしい。
千葉県教委の担当者のおとぼけぶりには怒りを覚える。「財政的な違い」だけで埼玉の29.1%と千葉の14.8%、すなわち倍近くの格差をはたして説明できるのだろうか。財政的格差以上にバリアフリーへの意欲に格差があったに違いない。相変わらず上辺だけ改革するふりをして、その実、面倒なことは学校現場に丸投げする千葉の公教育の伝統が見事にこの格差に表れている、と思うが、いかがか。
他の46道府県と最初からケタ違いに財政状況の違う東京都なんかと比べるよりも、財政規模にさほど大差ない埼玉との格差「2倍」、にここは注目したい。財政の問題にすり替えてバリアフリー実現を埼玉よりも「2倍」サボり続けてきた、責任逃ればかりの千葉県教委こそが公教育における差別残存の黒幕である。
参考動画
◎【車いす生徒】合格しても入学しない約束で受験?入学拒否に波紋…設備面の配慮
すべき?|ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2025/04/16 20:00
災害時の避難場所とされている公立高校には本来、備えられてしかるべき冷房設備やエレベーター、バリアフリーの各種設備、障がい者用トイレがまったく無い、あるいは不足しているケースが決して少なくない。とりわけエレベーターは多くの公立高校に存在していない。日本の公教育の圧倒的な「古さと貧しさ」がその背景に広く存在しているのだ。根本的にはGDPに占める教育予算の割合が先進国の中で長く最低レベルであり続けたことに無頓着でいられる日本の政治の問題である。にもかかわらず設備の不備をもっぱら個々の学校や各教育委員会の責任と見なすこと自体、議論としてあまりにもズレ過ぎていると考えるが、いかがか。
高校の場合、ほとんどが4階建の校舎である。4月に重い教科書や機器などを幾度も往復して4階の教室まで運ぶ労力は並大抵のものではない。春を迎えるたびにエレベーターを備えている他校をうらやましく思う教師は今も圧倒的に多いだろう。
生徒の保護者にも車いすの利用者、杖などを必要とする人はいる。生徒だけではなく、障害を持つ教師や保護者、来校者、とりわけ避難時の住民たちの中には特別な配慮を必要とする人が少なからず存在する。だとすれば、元来がインクルーシブ教育を担い、避難先をも引き受けた学校にはバリアフリーの設備が当然のごとく備わっていなければならないはず…なのにこの有様だ。
日本の公教育の余りの古さ、貧しさに深く頭を垂れるほかあるまい。
参考記事
〇手取り月45万円、59歳・経験豊富な「公立中学校教師」が虚無感を覚えた「静か
な学級崩壊」【社会保険労務士が解説】 THE GOLD ONLINE 2024.12.19
多様性尊重の掛け声のもとに、特別な支援を要する児童生徒が数多く普通の学校にも入学するようになってきている。このために「静かな学級崩壊」が生じてしまうこともあるという。
ただでさえ学級定員が多い日本の学校では教師が一人一人に注げる時間は限られており、特別な支援を要する児童生徒であっても、その子にかかりきりになれるほど他の児童生徒が教師に協力的である保証はない。しかも指導が難しいと予想される学級ほど、新任の教師を担任にあてがう、といった非常識なトンデモ人事が横行している現在、下手な「多様性の尊重」は学級崩壊の大きな一因にもなりかねない。
きれいごとを並べ立てる前に、文科省や教育委員会はブラック化した学校現場の改善に努めるべきだろう。さもなくばいよいよ教員不足は増進するのみである。
〇「障害の無理解による判定」 定員内不合格で千葉県を提訴 原告の母親、憤り 地裁
初弁論 東京新聞 2025.1.29
〇「定員割れ」高校なのに不合格…知的障害の生徒が撤回求めた訴訟、千葉県側の反
論は? 東京新聞 2025.1.28
この問題のポイントは当該生徒の障がいが、一体どの程度まで授業進行の妨げとなるのか、妨げが生じたときに学校側は実際、どの程度まで対応が可能なのか、という一点に尽きるであろう。授業中、突然、叫び声を上げてしまう生徒は過去にも何人かいたが、叫び声は多くの場合、一時的に過ぎないので、さほど授業の妨げとはならなかった。しかし、常時、叫び続けてしまうとなれば話は別である。
当該高校ではかつて学習の障がいがかなり大きく、高校のどの教科もほぼほぼ理解できていない生徒は何人かいたが、基本的に授業中、大人しくしていればさほど学校としての支障は生じないはずである。元来が定時制なので日本語自体、ほとんど理解できていないケースだって少なからずある。中学校では長期間、不登校だったため、学力や学習意欲が相当不足していても、それを合否の判断基準には必ずしもできないだろう。とりわけ秋入試の場合には倍率が極めて低い。当然のことながら受験生を不合格とする基準は他校と比べてかなり「曖昧」となるほかない。
当該校は以前から「やり直し」を可能とする高校を謳ってきた。したがって入試の際、過去の成績や生活を過剰に問うことは、多少の例外はあるものの、原則としてできない(ウツ傾向の強い生徒が少なくないため、反社会的な傾向がある生徒を不合格とすることはある程度やむをえまい)。問われるのはあくまでも当該生徒が周囲に及ぼす影響の内容と程度、及びそれに対応する学校側がとりうる条件整備とのバランスである。そのバランスがとれない、との学校側の判断であったとして、その判断の根拠にはたして合理性、妥当性があったのか否かが、裁判では問われるであろう。
何はともあれ東京新聞のこの件に関する一連の報道は学校の現状に対する無理解、無関心に基づく偏見が極めて目立つと思うが、いかがか。ご指摘のように「障害の無理解」が高校側にあるのは決して否定できないが、同時に高校に対する圧倒的な無理解が東京新聞にはある、と考える。学校が置かれた現状に理解を示そうとしない報道は学校教育のさらなる崩壊に加担せんとする、極めて破壊的なものではないのか。
◎定員割れの県立高なのに不合格、「教育受ける権利を侵害」…難病の少女が入学許
可求め提訴 読売新聞 2024.12.13
まず「定員内不合格」の是非について考えたい。その際の前提として「教師はスーパーマンではない」という常識を改めて認識していただく必要がある。つまり出来ないことを出来る、と言うような無責任で欺瞞に満ちた言動は、数多くの児童生徒の安全及び教育を受ける権利を保証する立場にある教師として決して許されることではない。そのことへの共感的理解をまず前提としなければこの議論は一歩も前進しない。
それはあたかも「あなたは医者なのだから癌患者の治療ができるはずだ」と歯科医に迫ることが不合理そのものであるように、教師にも出来ないことが山ほど存在するのは当然のことなのである。高校教師だからと言って、社会科教師に数学科の授業がなぜできないのか、と文句を言っても的外れであるのと同様、それなりの専門的知識と技能を持つ職員と施設が整った特別支援学校が既にあるのに、それをほとんど備えていない普通科の学校に重い障がいを持つ児童生徒を入学させようとするのは基本的には筋違いであるとすべきなのだ。最悪の場合、当該生徒のみならず、他の生徒にも何らかの危害が及ぶ可能性を否定できず、その生徒の入学が他の生徒の「教育を受ける権利」を大きく侵害しないとも限らない。この点に同意してくれないと何一つ生産的な議論にはなるまい。
ただし障がいと言っても当然のことながら様々な種類がある。また障がいの程度にも差異がある。それらの要素については合否を決める際にそれぞれ一定の検討を要するだろう。実際、普通科高校にも軽い自閉症や肢体不自由といった障がいを抱えた児童生徒が入学することはこれまでも少なからずあった。つまりたとえ普通科の教師であっても、また通常の施設、設備であっても対応可能なレベルでの軽い障がいであるならば受け入れに大きな問題は生じないだろう。したがってここで問われるべきなのは当該生徒の障がいが当該高校において受け入れ可能なタイプやレベルでの障がいなのかどうか、という一点に絞られる。
実は同じ普通科の県立高校であっても施設、設備、あるいは組織体制にはかなりの差異がある。たとえ同じ県立高校だからと言って乱暴に一括りされては困ることも多いのだ。千葉県では同じ三部制の定時制高校であっても、ある学校にはエレベーターがあり、車椅子の生徒でも受け入れ可能だが、別の高校では5階建てであるにも関わらず、エレベーターは無い。エレベーターが無ければ車椅子の生徒、まして寝たきりの生徒はほぼ受け入れ不可能であろう。
あるいは同じ三部制の定時制高校であっても、ある学校には全日制が併置されておらず、学校全体での定時制としての共通理解がある程度、出来上がっているが、別の学校では全日制が併置されているため、教師間に一つの学校としての共通理解が極めて成立しがたい状況にある。つまり特別支援を要する生徒を普通科高校が受け入れるためには当該生徒の障がいの内容とレベルの問題に加えて、受け入れる側の高校の協力体制、様々なキャパシティをも注意深く勘案する必要があるのだ。
これまでの報道では残念ながらその点に関して第三者が判断できるほどの具体的な情報が見られず、今のところ、どうにもコメントしがたい状況であると思うが、いかがか。特に高校側の現状に関する情報が全くと言って良いほど欠失しており、基本的には公平性を欠く報道というほかあるまい。少なくとも今回の定員内不合格に関してはこの記事の内容をもって「教育を受ける権利」への侵害だと一方的に決めつけるだけの十分な根拠はどこにも見られない、と一般論としては判断できるだろう。
もっともこの件に関してはこれまでの歴史的経緯があるため、不合格への評価はまったく異なってくる可能性があるので実は要注意である。定員内不合格を出したこの高校ではかつてもっとはるかに重い障がいを持つ生徒を受け入れ、かつ無事に卒業までさせている、という重い事実の存在がある。したがって過去との整合性を重視する立場からは、今回の不合格について納得しがたいものがある、と抗議するのはある意味で当たり前なのだ。
私は当時を知る立場にあるので、個人的には今回の不合格についてやはり不可解な印象を受けないわけではなかった。ただし、繰り返しにはなるが手放しでインクルーシブ教育に賛同しているわけではない。あくまでも受け入れる学校側のキャパシティ及び受け入れ態勢整備の可能性をこそ問うべきなのだ。
問題はかつてこの学校が重い障がいを持つ生徒を受け入れた理由に潜んでいる。学校側には受け入れるキャパシティがほとんど無い、というのが当時の判定会議におけるほぼ教師たち全員の意見であった。しかし校長一人の独断で教師たちの意見は完全に無視され、受け入れが決定してしまったのである。したがってこの受け入れに至る経緯は、とりあえず民主主義を標榜する日本の学校としては決して前例として踏襲すべきものではあるまい。
加えてもう一つ無視できない重大な問題となるのが受け入れ後のキャパシティの整備がどうだったのか、という点であろう。半年間は若い非常勤講師を一人、特別にあてがわれて対応していたのだが、残りの卒業するまでの三年半は若い講師の副担が生徒の付き添いをしただけである。副担は重い障がいを持つ生徒へのほぼマンツーマンの対応に追われ、副担や教科担任としての業務がほとんどまともにできない状況に置かれてしまっていた。つまり、たちまち特別な対応は消えてしまったということ。この後の、担任としての苦労は到底、言葉では言い尽くせない過酷さがあった。
こうした悲劇的な事態を二度と繰り返さないために学校として出来る事は、実は極めて単純で簡単な事であろう。とりあえず県教委としては管理職が独断で学校のキャパシティを無視した受け入れを二度とさせないよう、責任を持って管理職を指導することに尽きる。今回の決断が判定会議の中でどんな議論の中で出てきたのか、今後の裁判の中でしっかりと明らかにされることを切に期待したい。これは本質的には個の学校の問題ではなく、県全体としての取り組みの問題なのだ。
〇知的障害の娘は、屈辱で泣いた…定員割れ高校に不合格 学校側は「学ぶ意欲なし」
と言うけれど【作文全文】 東京新聞 2024.11.26
〇障害児の「定員割れ不合格」なぜなくならない? 98%超が高校進学する時代、全て
の子に学業のチャンスを 東京新聞 2024.11.26
誰がこの問題の本当の責任者なのだろう。それは教育予算を長い間ケチり続けた歴代内閣ではないだろうか。新聞ならばGDPに占める教育予算の割合を国別に表示した資料を使ってそのことを明確に示しておくべきだろう。でなければ教師の疲弊は募るばかりとなってしまうに違いない。
また、過去、障害を持つ児童生徒を受け入れたケースがあるのだから、今回も受け入れるべきだ、などと思わせるような記事を載せるべきではない。低予算と人手不足の中でひたすら業務量が増えてきた学校の現状をまずは強調すべきであろう。今、インクルーシブ教育を担えるほどに余裕のある学校が一体全体、日本のどこに存在しうるのか、ひとまずしっかりと検証してから記事にするべきであると考えるが、いかがか。教師は何でも屋のスーパーマンではないのだ。
この手の表面的できれいごとの記事が、結果的に学校の業務量をさらに増やして学校教育をいよいよ破綻させつつあることを、加害者としてのマスコミは厳しく自戒すべきであると考える。こんな一面的な報道が続く限り、若者は教職を避け、教員の中途退職や長期休職は増えるばかりとなるだろう。
〇「定員割れで不合格」知的障害のある少女、裁判でも入学を認められず 住民票を千
葉から移して都立高に進学 東京新聞 2025.3.4
いかにも正義派ぶった、マスゴミらしい記事であり、批判的な文脈において授業でぜひ取り上げたい内容である。まずは一読させて生徒から感想、意見を募りたい。
都立高校ではどのような条件を付けて入学を認めたのか、知的障害などを抱える浜野さんに一体どのような特別対応をする予定なのか…この記事では肝心なことがまったく分からない。東京都では定員内不合格を出さない原則があるようだが、ならば入学前に深刻な傷害事件を引き起こした生徒でも入学させているのだろうか。
かつて中学生の時に二度、危険な刺傷事件を起こしていた生徒が高校入学直後に同学年生徒をナイフで切り付けてしまった事件が千葉県であった。東京都では同様の事があった時、これまでどのように対応してきたのだろうか。そのような生徒が再び事件を起こさないような、特別な働きかけを都立高校はしてきたのだろうか。
定員内不合格を出すこと自体が必ずしも悪いわけではないだろう。単純で機械的な決めつけは大きな誤りの元となる。他の生徒や教師たちに危害を及ぼす可能性が極めて高いと判断した時には、入学試験を不合格としても決して悪くはあるまい。高校は決して少年院や鑑別所ではない。凶悪な事件を起こしてきた少年たちを何人も受け入れられるだけの施設や人員、権限を、普通の高校では確保できていない。
障がいを持つ生徒の受け入れもまた、高校の施設やスタッフの状況に応じて柔軟に判断すべきであり、そうした条件が整っていないにもかかわらず、一律に受け入れようとするのはむしろ無責任過ぎるであろう。この新聞記事は一方的で片手落ち、内容的にあまりにもお粗末であろう。千葉県の高校実態に関する十分な知識もないまま、当該校への事実確認、現場への取材をサボっていることにすら記者は気付いていないようだ。単純に都立高校を判断基準にして千葉県の高校を一方的に断罪しているだけの軽薄な煽り記事…と感じてしまうのだが、いかがだろう。
◎公立高校「定員内不合格」 ダウン症の男性らが人権救済申し立て
朝日新聞社 によるストーリー 2024.7.13
インクルーシブ教育について考えるための導入にはうってつけの記事。障がい者を定員内不合格とした公立高校を糾弾するかのようなこうした上から目線のご指摘は、いかにも学校側が障がい者差別を助長しているかのような悪印象を与えかねず、陳腐きわまりない報道と言えよう。公立高校のブラック化した状況への取材をサボっておきながら、「定員内不合格」という公立高校として不適切な対応をとった学校を一方的に悪者にするかのような、こうした悪意に満ちた皮相な報道が公立高校のブラック化を一層、招いてきたと私は考えている。
確かに「定員内不合格」を出すことは公立高校として明らかに好ましくない。そんなことは分かり切っているのに不合格とせざるを得ない学校側の切羽詰まった窮状があるのだ。残業だらけで疲弊する教師たちに余力はほとんど残っていない。学校の予算もギリギリ。そんな中で管理職は何一つ動こうとせず、結果的に県からの支援がまったく無い中、一握りの教師にばかり重い負担がのしかかる。こんな光景はもうすっかり見飽きてしまった。だから千葉県では本音の部分で定員内不合格を容認する教師は極めて多い。潤沢な予算と障がい者対応が多少整えられている東京都とは事情がまったく違うのだ。
一言でいえば千葉県では多くの教師が公立高校の現状に絶望している。希望の光がどこにも見いだせないのだ。2023年度、千葉県で生じた教員の不祥事は過去最高の数に達した。2023年度入試の採点ミスが930件を超えた。2025年度教員採用試験の志願者状況は過去最低の倍率となっている。すべては起こるべくして起きている。そして今、二件の「定員内不合格者」が非難されている。個人的な本音を言えば、こんな県でまだ教師になりたい若者がいること自体、不思議でならない。
重い知的障がいを持つ生徒を受け入れた教師側は当然のことながら突発的な事故や授業妨害の恐れを最も警戒する。しかしそうした対応を一人の教師がとるヒマはまったくない。体力も精神力も技術もない。障がい者に対応できる支援員が千葉県の高校には派遣されないのだから当然である。精々が教員採用試験合格を目指して奮闘中の若手講師が割り当てられるだけである。そのような採用試験を控えた、しかも障がい者対応未経験の講師に重い知的障がい者の面倒を丸投げするバカはいないだろう。しかし千葉県ではそうした対応しか行ってこなかった。
糾弾されるべきは管理職であり、県教委であるはずなのに「定員内不合格者」を出した現場の教員たちばかりが責められる。明らかに公立高校の崩壊は近い…
◎「学ばない教師」が学級崩壊を招く! いま中学で求められている「特別支援教育」
のスキルとは 現代ビジネス 長谷川 博之 によるストーリー 2024.4.13
いちいちお説ごもっともだが、長谷川氏の言うような、一人一人に寄り添う特別支援教育を実行に移せる能力と時間的、体力的余裕を持つ教師がどれほどこの世の中にいるのかは疑わしい限りであろう。問題は「学ばない教師」なぞではなく、「学びたくとも学ぶ余裕のない教師」であり、教師になる以前に「肝心なことをほとんど学んだことの無い教師」たちではないのか。
まず急がれることは私たちがすっかりブラック化した学校現場において発達障がい児との触れ合いを十分に持ててこなかった、現在の未熟な若手の教師に山のような仕事と割に合わないレベルの大きな責任が押し付けられている…そうした学校の過酷な現状をしっかりと把握することだろう。まずはこうした現状認識を多くの人が共有しない限り、どんな提言も意味をなさない。いや、むしろ百害あって一利無し、の有害な議論に過ぎない。
教師の業務の大胆な削減抜きに特別支援教育を特別支援学校以外の学校で導入することには猛反対すべきである。インクルーシブ教育といった言葉に幻惑されてはなるまい。優先順位の議論を抜きにしたきれいごとの教育改革に学校の未来は無い。
〇「子どもたちのためなら常識にとらわれない」狛江第三小学校が挑むインクルーシ
ブへの道 学校に行きたいけど行けない子どもたち3
現代ビジネス 太田 美由紀 によるストーリー 2023.7.8
この取り組みでいつまでも笑顔でいられるのは教育長や管理職、そして管理職を目指す一部の教師に過ぎない、と疑ってしまうのは私だけであろうか。おそらくこの取り組みのために下々が作成しなければならなかった文書の量は膨大であり、教育委員会への報告書の類だけで誰か一人は過労死するレベルの量になっているだろう。私が預かった障がい者の記録は副担が記したものだけでわずか半年の間に段ボール箱の半分にも達していた。
当然、インクルーシブ教育導入のためにこの学校で実施された数々の研修は多くの教師たちの時間と労力を奪うことで辛うじて成り立っていたはず。この記事ではそうした闇の部分は一切語られず、笑顔の管理職と特別支援学級の先生が登場するだけ。どう見てもこの記事、上滑り気味でしかもきれいごと過ぎる。日本の学校教育の現状においては今やきれいごとほど質の悪いものはない。
本来、障がい者や不登校児童を受け入れる普通学級の担任こそが一番の苦労を背負わされる主役であるはず。しかし肝心の教師たちは縁の下に隠れていて当然、本音は言えず、素の姿を見せることがほとんどない。
この小学校がリーダーシップのある優れた校長の尽力によって実際に教師の事務仕事などが激減し、本当にすべての教師たちがゆとりをもって笑顔でいられる学校ならばインクルーシブ教育の導入があったとしても別段、文句は出ないかもしれない。
だが私が抱く学校のイメージではそんなことはありえない。もしかすると校長は配下の教師たちの疲弊ぶりをよそに、自分がより良い再就職先にありつく上での手柄作り、点数稼ぎのためにきちんとした話し合いの場を設けることなくほぼ独断でインクルーシブ教育の研究指定校に名乗りを上げたのかもしれない。
少なくとも私が経験した千葉県では凡そそんな具合であった。表面的な取材できれいごとばかり並べ、教師の仕事を増やすだけの報道は学校にとって百害あって一利無しであると思うが、いかがか。
○学校施設のバリアフリー化…トイレ70.4%、エレベーター29.0%
リシード 2022.12.28
十分な施設も無い、人員も圧倒的に不足する中でインクルーシブ教育という美名のために普通科の教師が車椅子や生徒を抱えて階段を上り下りし、さらには通学途中、突然歩行できなくなった生徒のために幾度も駅まで出迎えに行き、生徒を背負って帰ってくる…そんな担任がいた。
時と場合によっては命の危険があるため、常時マンツーマンの対応が不可欠な生徒を抱えた担任は副担任と共にクラスの他の生徒達をほぼ放置して修学旅行、遠足、球技大会などをこなす。当然、自分の授業が無い時には週6~8時限程度、一人の生徒につきっきりで同伴しつつ、週16~18時限の授業もこなしている。それでも割り当てられた自習監督や分掌の仕事は引き受けざるを得ない。
授業中、泣き叫んでリスカを試み、教室を血まみれにした挙げ句に窓から飛び降りようとする生徒を必死で制止し、授業を中断。結局、自殺予防のためにその都度、担任が現場に呼ばれ、最後は責任を持って担任が家まで送ることになる。
以上は特別支援学校での出来事ではなく、とある定時制普通科高校で私自身が目撃した事、あるいは自ら体験した事である。
文科省や教育委員会はきれい事を並べる前に、設備や人員の配置を見直すなど、障がい者の受け入れを可能とする条件整備にまずは着手すべきであった。
バリアフリーやインクルーシブ教育が進まないのは学校現場、とりわけ教師の無理解や怠惰によるもの、とされてしまうのであればそれは現場で悪戦苦闘する教師にとってあまりにも酷すぎる仕打ちである。
〇【教育困難校】授業が成立しない?児童生徒に合わせた教育とは?境界知能&グレ
ーゾーンが広がる?現役教師と考える|アベプラ
ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/12/19 14:01
この動画からも高校教育の現場を全く理解していない人たちが世の中にいかに多いか、痛切に感じざるを得ない。特にインクルーシブ教育を推進する中谷氏の意見には反発しか感じない。今、なぜ若者の間で教職離れが進んでいるのか、精神的に追い詰められる教師がなぜ増えてきているのか、この方には理解の欠片もないことがよく分かる。
これまで教師が文科省や教育委員会の「教育改革」にどれだけ振り回されてきたのか、35人以上の集団を相手に一人の教師が一体どのような指導が可能なのか、教師の仕事がどれほど多岐にわたっているのか、中谷氏がその一端ですら分かって発言しているとは到底思えない。無意味な研修や部活動などの負担による学校のブラック化を多少とも理解できているのは番組出席者の中では不登校問題に詳しい大空氏だけのように見える。
そもそも教育困難校問題を論ずるにあたって二年目の若手教師一人だけの発言で一体、困難校の何が分かるというのだろう。困難校の実態も多様であり、困難さの度合いだって学校や教師の置かれた状況によって大きく違う。この教師はわずか二年目にして授業がうまく進むようになった、と言っているが、この言葉を真に受ける困難校の教師はおそらく少ないだろう。若手がわずか二年目でうまくいくようならそこはもはや困難校とは言えまい。そもそも彼がどんな教科を何科目、週何時間教えているのか、一クラス平均何人の生徒たちが教室にいるのか、部活動は何を任され、どんな校務分掌を任されているのか、何学年に属し、何学年を教えているのか、全日制普通科なのか、そうではないのか、中退率はどの程度か、警察がかかわる事件は年間平均でどの程度の件数なのか…こうしたことの違いによって教師の負担は大きく異なってくるはずだ。
司会者自身が若さもあるのだろうが、高校教育に対して相当無知であるがゆえに、多様な意見をバランス良くさばけていない。そのため、議論がまったく深まっていない。
もしも中谷氏の言うように教師のインクルーシブに関する研修がさらに増やされてしまえばいよいよ教師志望者は少なくなると思うのだが、いかがだろう。教師の負担軽減が実行されないうちはインクルーシブ教育など前に進むわけはない。現状を知らぬ者の理想論ほどはた迷惑なものは無いのだ。
ただしある意味で極めて突っ込みどころの多い動画なので、ぜひ生徒に視聴させて意見を募りたい。