§6.126.「房総の石仏百選」に見る市内の石造物
今回は「房総の石仏百選」でとりあげられた市原市内の石造物をご紹介いたします。この本は房総石造文化財研究会編で執筆者はかの「日本の石仏」(青蛾書房)を発行してきた日本石仏協会の会員が中心となっています。
すでに過去のブログで登場した石造物が多く含まれていますが、千葉県の中でも特に注目された石造物たちです。下表に紹介した順にそれぞれ注目ポイントについて簡単に解説いたしましょう。
「房総の石仏百選」(平成11年 たけしま出版)掲載の石造物一覧
飯沼供養塚 |
大日如来 |
寛文3年=1663 |
椎津路傍 |
馬乗り馬頭観音 |
安永5年=1776 |
不入斗医王寺門前 |
六地蔵(石幢) |
寛永21年=1644 |
飯給真高寺 |
四国八十八所尊 |
寛政7年=1795 |
同 |
四天王 |
寛政7年=1795 |
菊間若宮八幡 |
大山権現 |
天明3年=1783 |
武士鹿島神社 |
愛宕権現 |
元禄7年=1694 |
八幡妙長寺 |
日蓮上人 |
寛文4年=1664 |
飯沼供養塚(三山塚)の大日如来
京葉高校のすぐ近くの三山塚に祀られた大日如来(湯殿山の本地仏)です。光背などに多少の欠損が見られますが、大きさと古さもあり、県内の供養塚上の大日如来としては傑出した石仏と言えるでしょう。
椎津新田路傍の馬乗り馬頭観音
西上総や東総地方に数多く祀られているのが馬にまたがる姿のローカル色豊かな馬頭観音。その中でもひときわ秀麗な姿で知られるのがこの石仏です。笠上観音などがある長浦方面に向かう巡礼路に祀られています。詳しくは「房総の馬乗り馬頭観音」(町田茂 たけしま出版 2004)をお読みください。
不入斗医王寺門前の六地蔵(石幢)
六道を輪廻転生する衆生救済のためにそれぞれの世界に表れる地蔵を表現したものが六地蔵となります。こちらは一個の石材に六地蔵を浮き彫りにした一石六地蔵としては市内最古のものとなります。一石六地蔵には石幢型(石材を六角柱に整形し、各面に地蔵を浮き彫りにしたもの)や角柱塔の三面にそれぞれ二体ずつ地蔵を浮き彫りにしたものが市内では数多く見られます。概して石幢型は古い年代のものが多い傾向があり、こちらはその中でも非常に古い作例に属します。ちなみに六地蔵としては一体ずつ丸彫りにされたタイプも多く、その様式はかなりバラエティに富んでいます。
飯給真高寺四国八十八所尊の笠付き角柱塔と四天王像
「波の伊八」の彫刻がある山門で知られる真高寺には他にも百八十八か所巡拝塔と三山供養塔を兼ねる笠付き角柱塔(安永7年=1778)があり、18世紀後半には飯給に熱心な巡礼者がいたことが分かります。市内には類例のない石造物であり、「お遍路」の地方における浸透ぶりが伝わる遺物です。
石造物の四天王像も市内ではやはりここにしかない、貴重な作例となります。石造物の神仏像は圧倒的に浮き彫りが多く、地蔵を除くと丸彫りの像自体が希少です。
菊間若宮八幡の大山権現
「大山権現」、「雨降神社」、「石尊大権現」はいずれも相模大山の神のこと。「大山詣で」は江戸時代に大流行し、大山登拝のついでに鎌倉や江の島弁天を詣でることもあって、江戸の男たちにとっては気晴らしを兼ねた小旅行でした。市内には数多くの祠が残っていますが、神像が刻まれているのはこれだけです。そもそも子安神を除きますと、市内では神像の石造物自体、きわめて希少となります。
武士鹿島神社の愛宕権現(勝軍地蔵)
愛宕権現は秋葉権現とともに火伏の神として江戸時代、篤く信仰されました。しかし市内では極めて珍しく、特に本地仏の勝軍地蔵像は唯一ここだけに存在します。
八幡妙長寺の日蓮上人像
日蓮宗寺院の多い市原ですが、日蓮像自体はかなり少なく、これは貴重な作例の一つです。一時期、地中に埋もれていたそうで、そのためか、保存状態はさほど悪くありません。近年、大きな題目塔などが二基、補修されました。塔の大きさから見て、かつてはかなり有力な寺院だったと思われます。
なお2010年には続編となる「続房総の石仏百選」が刊行されており、市内の石造物が新に市原光善寺の石灯籠(15世紀前半)、下矢田・川間お塚の日記念仏塔(寛文6年=1666)、本郷西光寺の結界石(寛政7年=1795)の三点、掲載されております。
以下、簡単にご紹介いたしましょう。
市原光善寺の石灯籠
県内最古の石灯籠であり、古い石造物が少ない市原としてはきわめて貴重な石造物。お寺や神社などにも数多く存在する石造物でありながら、地震等で倒壊しやすく、意外にも江戸時代のものですら数は多いとは言えません。
下矢田・川間お塚の日記念仏塔
基本的には女性たちの念仏講で造塔されたもの。日記念仏塔としては県内最古。毎月、特定の日(功徳日)に集まって年に十二回、念仏を唱えていたようです。この念仏塔は聖観音を主尊としていますが、このすぐ近くの墓地には阿弥陀如来を主尊とする日記念仏塔があります。市内にはこのほかに山倉共同墓地内の三山塚上と石塚墓地内に阿弥陀如来を主尊とする日記念仏塔があります。市内で合わせて5基の日記念仏塔を確認しており、希少な石造物です。
川間お塚は基本的には三山塚(供養塚)ですが、人工的に築かれたとは思えないほどの高さと規模があり、自然の丘陵部を利用しているのかもしれません。テレビのロケ地に使われることがある小湊鉄道の川間駅のすぐ近くにあります。
本郷西光寺結界石「禁芸術͡賈買輩」
結界石にはよく「不許葷酒入山門」などと刻まれていて、禅宗寺院に多く見られますが、他の宗派でも結界石は存在します。左手の結界石が上の写真のものですが、右側には「不許葷酒入山門」と刻まれた結界石が建てられています。
「芸術͡賈買輩」とは旅芸人や物売りなどの俗人を指し、修行の妨げになるとされて彼らが山門内に入り込むことを禁じた石塔になりますので門前に置かれるのが普通。飯給の真高寺などにも同様の文言の結界石がありますが、市内では数が少なく、希少です。なお西光寺という寺は別に日蓮宗のお寺もありますのでお間違えなきよう。