※ワンコと私の日常をユーモア交えて綴ります
大吉くんが旅立って3カ月余りが経った。薄情かもしれないが、今では思い出さない日もある。自分でも不思議だ。あんなに可愛がっていたし、寝たきりになってからは私の全てをかけてこれ以上出来ないぐらいの愛情を持って世話をした。あまりに存在が大きすぎて、完全燃焼したつもりでもまだ気持ちの整理がついていないのかもしれない。無意識にあえて距離を取っているのかもしれない。時々、無性に骨壺が愛おしくなる。その重みを感じ少し揺すってみたりして、その存在を確認する。キミは確かにそこにいる。魂は確かにボクのココロにいる。キミのお蔭で大切な存在を命懸けで守る尊さを知った。その喜びを知った。そして責任感を強く感じた。一番私に欠けていたことかもしれない。だけどね、それもすべてキミが愛おしくて仕方なかったからだよ。ありがとうね。あの時から、ボクは空っぽになった。これといった目標もなく、新たなことにチャレンジをする気にもなれず、ただ淡々と毎日を生きている。でも、気分の落ち込みはさほどでもないから大丈夫だよ。そろそろまた未来に向かって進んでいかないとね。
注意:最後に写真を4枚載せておりますが、4枚目の写真にはお花で飾った大吉くんが写っています。苦手な方はご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます。5月30日の夕方、大吉くんが旅立ちました。以前から月に一回ぐらい発作が起きていましたが、今回は治まる気配がなく獣医さんに連れて行き、鎮静剤を打ってもらいしばし夢うつつ。信頼している獣医さんに、考えうる処置をして頂きました。しかし意識がハッキリして来ると、再び発作が始まってしまいました。直感でもうダメかなと感じました。獣医さん曰く、9割方発作は治まらないのではないかとのこと。「どうしますか。自宅に連れて帰ってまた明日鎮静剤を打ちに来ますか。」そう言ってくれましたが、私は覚悟を決めていました。獣医さんも同じ気持ちだったのではないかと思います。鎮静剤は徐々に耐性が付くそうで、効果が切れたらまた発作が起きてしまいますし、発作が起こる間隔も短くなってしまうでしょう。発作が治まらないまま自宅に連れて帰り、一晩中苦しませることなどできるはずもなく、大吉くんだけでなく私のココロも完全に壊れてしまう。もう解放してあげようと思いました。大吉くんを連れて行くときからそうなる可能性が高いだろうなと覚悟していました。今までの発作とレベルが違いました。獣医さんの経験も含めた詳しい説明をお聞きし、気持ちがさらに固まりました。「苦しみを長引かせるだけの延命はしない。」そう決めました。自宅に電話をかけ、「大吉くんはもう回復の見込みがない。。楽にしてあげていいかな。」と父に確認しました。18年間、苦楽を共にした家族ですからね。私が精一杯世話をして、誰よりも可愛がっているのを知っていますので、返事は聞かずともわかっていました。大吉くんを抱っこして、しばらく外のベンチに座り新鮮な空気を吸っていました。「色んなことがあったね、カラーを2つ付けたまま10年間過ごしたこともあったね、のどに大やけどをしたこともあったね、よく頑張ったね、もう苦しい思いをしなくていいからね。」まもなく冷たくなってしまう大吉くんの体温と息遣いを脳裏に焼き付けながら、そんな言葉をかけていたような気がします。想い出が走馬灯のように流れます。最期の時を迎える決心がついたので病室に入っていき、「先生お願いします。楽にしてやってください。」とお伝えしました。私の気持ちの整理がつくまで待っていてくれました。詳細は省きますが、いよいよお別れの時です。まだ大吉くんの意識があるうちに、声にならない声で、「ありがとう!大吉くん!ありがとう!」「先に待っててね!」「今の私があるのは大吉くんのお陰だよ!」「ありがとー!!」などと最後まで声をかけていました。聴力は一番最後まで残っていると、知識として持っていましたので。大の大人が恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。最後に悔いは絶対に残したくなかった。悔いを残すと長いこと苦しむことになってしまう。そのことを過去の苦い経験から嫌というほど学んでいました。耳が遠いので、大きめの声で耳元で精一杯話しかけました。すると間もなく旅立ちました。たぶん、急な出来事で私の頭は混乱していたと思います。涙ぐんだり、尊敬する先生や看護師さんに急に笑顔になったり。「精一杯世話しましたので悔いはないです。大丈夫です!」と強がったりしました。そして、「長い間本当にお世話になりました。」「先生に出逢えたことはラッキーでした。」「ありがとうございました!」などと妙なテンションでお世話になったお礼の気持ちを伝えさせて頂き、大吉くんを大事に抱きかかえ車に乗せて自宅へと帰りました。実は母は心臓を悪くして入院しているのです。母が知ったらさぞかし悲しむだろうなぁと脳裏をよぎります。ですので、自宅では父が玄関を開けて待っていてくれました。その父も体調不良で弱っているのです。もうガリガリです。「辛かったなぁ、お前が一番辛かったなぁ。」消え入りそうな声でそう言って、私の腕や背中をさすってくれました。そんなことをしてくれたのは生まれて初めてかもしれません。父も涙ぐんでいましたし、さすってくれたことに驚くとともにとても嬉しかったです。何よりも、とても労りの気持ちというか温もりが伝わってきました。きれいに整えたベッドに寝かせ、庭に咲いている草花を供えました。その間に父がお線香の準備をしてくれて、2人でしばしお焼香しました。まるで寝ているような穏やかな顔でした。身体はかなり長い間温かく、しかし時とともに末端から徐々に熱が失われて行きます。数時間が経ち、温かかったお腹もほとんど熱を感じなくなりました。今日はいつものように大吉くんの隣で寝袋で寝よう。一緒に過ごす最後の夜だから。しかしなかなか寝付けず、というか寝る気になりませんでした。台所の換気扇の下でタバコを吸いながら、気晴らしにスマホでYouTubeを観ていました。時々、視線の端で大吉くんが動く気配を感じるのです。何度も何度も。もちろん、身じろぎひとつしていません。だけど条件反射的に、オシッコしたのかな?と思うのでした。眠剤を飲み、寝袋に入り、大吉くんを撫でながら眠りにつきました。朝起きてビックリしました。1年以上ぶりに中途覚醒せずにぐっすり眠れたのです。いつもは2~3時間おきにトイレで起こされていたので。時には吠えて教えてくれたり、それでも私が起きない時は鼻先で腕を何度も何度も持ち上げたりして起こします。するとまずはチリ紙で拭きとり、ボディータオルでキレイにし、ドライヤーをかけて完全に乾かします。時にウンチもこねこねしてるので、30分以上かかることもあります。するともう、眠気が飛びます。疲労と心労の限界だったのでしょう。そして肩の荷が下りたのでしょう。熟睡ってこんなに身体が楽になるものだったのかと再認識しました。そこにはやりきったという満足感も寄与したに違いありません。そして大吉くんの気持ちを感じたのです。「今までご苦労だったぞなもし、もう下僕も限界だから虹の橋を渡ることにしたぞい。」大吉くんはきっと、私の心身を案じてくれたのだろうと。たしかにいつ倒れてもおかしくない状態でした。すごい長々と思いつくままに書いてしまいました。納得はしていても、気持ちのやり場がなかったのです。ちょっとおかしくなりそうだったのです。だからせめて書きなぐるしかなかったのです。お陰様で少しだけ気持ちの整理ができたような気がします。でもね、「寂しくてたまらないよ!」「悲しいよ!」「喪失感ハンパないよ!」同時に、「私を選んでくれて、わが家に来てくれて、ありがとーーー!!」キミの一部をペンダントに入れて、お守りにしているからね。しばらくは気持ちが不安定だろうけど大丈夫。会社も辞めて、腰も痛めて、1年2ヵ月ろくに眠れず、キミが少しでも快適に安心して過ごせるように精一杯のことはした。だから、今度はキミがあの世で特等席を確保しておいてくれよ!黄色い旗でも立てておいてくれ!まだまだ当分先だけど、キミをすぐに見つけることが出来るように。カラーを2つしていた頃(10年間、お風呂に入れる時以外はほぼこのままでした。こうしないと自分の肉球を噛みちぎってしまいます。すでに耳と尻尾は一部欠損しています)長椅子の下でおやつを頬張る下半身が動かず上半身だけでよく頑張りました。それから、夜中によくちょっかいを出して起こしてくれました。寂しかったのかい?大好物の玉子焼き(甘め)を手土産に持たせました(お友達にも分けてあげるんだよ)
お久しぶりです!前回の記事から約8ヶ月が経ちました。もういろいろと忙しく、バタバタしていてとてもブログを書くココロの余裕がなかったです。色んなことがありました。元気も食欲もなく、いよいよもうダメだろうと思う日もありました。「明日は庭の日当たりの良いところに墓穴を掘ってあげよう。そしてお花を供えよう」なんて覚悟しながら大吉くんに「今までありがとうね。」なんて話しかけていました。しかーし!!題名にも書いた通り大吉くん、元気にしてますよ!!(≧∇≦)きっと、生まれ持った丈夫な身体のお陰でしょう。まさに不死身のワンコ。超高齢犬にもかかわらず、さすがに今回はダメかと思っても回復してしまうのです。こちらがビックリです。(゚д゚)!寝たきりになってから1年と2ヵ月。まさか18歳の誕生日(5月9日)を迎えることが出来るとは、当初夢にも思っていませんでした。今では両前足がしっかりと動き、ほふく前進のようにある程度は動き回ることが出来るようになっています。自分でふせの姿勢になることも余裕です。(^^♪すでにわが家の希望の星となっています。超高齢の両親も、大吉くんの脅威の回復力に勇気づけられているようです。ただですね。。私の体力・気力がもう限界を迎えまして、昨年末で14年間勤めた会社を退職しました。深夜に何度もトイレなどの世話をしなくてはならず、常に寝不足の状態でした。通勤の時に、眠気を飛ばすために頭を振りながら運転することもしばしば。さすがに限界でした。幸運にも私にはいくつかの不労所得があり、合わせると会社を辞めても生活できる状態でしたので迷いはありませんでした。ですので、今年に入ってからは大吉くんの世話と両親のサポートに専念しています。まだまだ書き足りないのですが、取り急ぎ近況報告までに。ノシご飯を食べる時はふせの状態で食べさせるようにしています夜中に何度も起こされるので、足に挟んで強引に眠らせます。寝ませんが。。(笑)
さて、いよいよ寝たきりになった大吉くんの介護生活が本格的に幕を開けた。ステロイド剤をきっかけに、首や左前脚がだいぶ動かせるようになっていた。それまではベッドの上でただじっとしていたのだが、動かせる部位をフルに使いベッドの上で動き回れるようになっていた。当初はオムツを履かせていたのだが、いつの間にかズレてしまい、もしくは完全に脱いでしまうことが多くなってしまった。なのでオムツはほぼ役に立たないので諦めた。なにより窮屈そうで可哀そうな感じがしていたのだ。そこでベッドサイズの大きなトイレシーツを敷き、トイレの度に交換することにした。オシッコをすると鳴くので急いで駆けつけ、別のベッドに抱えて移動させる。10kg近くあるので中腰はけっこう堪える。(汗)大型犬はさぞかし大変だろう。そして濡れた身体の水分をまずはチリ紙で吸い取り、次にボディータオルでキレイに拭いていく。最後にトイレシーツを新しいものに交換してから、大吉くんを抱えて再び元のベッドに移動させてひと段落。だが問題が生じてきた。お腹や皮膚の一部がかぶれてきてしまったのだ。おそらく完全に乾かぬままトイレシーツに横たわっているので、蒸れてしまったのが原因だと思う。そこで、最後にドライヤーで念入りに乾かすことにした。ヤケドしないように注意しながら。しばらくすると、かぶれることは殆どなくなった。この一連の作業に20~30分かかる。それが1日に数回程度。私が仕事に行っている間は年老いた両親にお願いしていた。私は思った。これは一人で世話するのは難しいだろうなと。なにせ自分では水も飲めないのだから。ごはんの時はふせの姿勢にして自分で食べさせるとともに、なるべく脚の筋肉を使わせるようにした。そして寝る前に脚のストレッチ。そんな毎日を繰り返していた。たしかに体力的には大変なのだが、嫌だと思ったことは不思議と一度もない。とにかく、可愛いのだ。夜中にトイレで何度起こされようとも。私がいなければ生きていけない無防備な大吉くんが、とても愛おしかった。私は気づいた。自由に大吉くんが歩ける時よりも、家族や大吉くんとの絆がより深まったことを。以前にも増して、大吉くんがかけがえのない大切な存在になっていることを。そして何よりも、私も大吉くんも今が一番幸せな時間を過ごしているであろうことを。自分でふせの姿勢が出来るようになりました!(≧∇≦)
大吉くんが寝たきりになってから3~4日はあまり元気がなく、不自由な身体に慣れていないようだった。ほとんど身じろぎもせず、吠えることもなかった。ただ、食欲だけはあった。生粋の食いしん坊は土壇場に強いのかもしれない。フードに大好物のサツマイモを細かく切って、丁寧に混ぜて手で食べさせる。すると美味しそうに食べるのだ。お水も針のない注射器のようなものに入れて寝たまま飲ませていた。頭を持ち上げることすらできない状態。その様子を獣医さんに電話すると、もしかするとある程度は回復するかもしれないとのこと。「そんな魔法のような治療方法があるのか!?」期待を胸にさっそく車で向かった。父に運転してもらい、私が抱っこして行った。身体に力が入らないので、ベッドに横たえたままでは車の揺れがかなりの負担になると判断したからだ。獣医さんに到着し、しばし順番を待って診てもらった。「思ったよりも元気そうだね。」意外な反応だった。口の中や身体のあちこちを診て、おおよその健康状態が分かるそうだ。特に口内の血色が良かったらしい。「ステロイド剤を試してみましょう。」劇薬なのだが消炎効果があり、椎間板ヘルニアで圧迫されて機能しなくなっている神経が回復するかもしれないとのこと。レントゲンを見せてもらうと、軟骨が白く映っていた。つまり硬くなっていて、それが神経を締め付けているようだった。1日に1回、きっちりと容量を守って飲ませることにした。それからまだ足に反射反応があるから、毎日10回でもいいから手足のストレッチをしてあげてくださいとのこと。なるほど、いわゆるリハビリか。人間も犬も一緒だね。たとえ自力で動かせなくても、関節は動いた方がケガ防止にもなるだろう。自宅に帰りステロイド剤を飲ませる。するとどうだ!!その日の夜には明らかに改善してきたのだ。「ご飯をくれ!」と元気に吠え、「トイレしたぞ!濡れてるぞ!気持ち悪いぞ!」とまたまた吠える。そしてなにより、首をかなりの角度まで持ち上げることができるようになったのだ。1日も経たずに。これにはさすがに驚いた。もしかすると、これは本当に回復するかもしれない。そう期待するには十分な初日であったし、家族の顔には自然と笑みがこぼれ、大吉くんを中心にして楽し気な声であふれていた。大吉くんとトイレに備えて隣に寝る私(寝相悪い)毎晩数回起こされるのであった
少し話を戻そう。大吉くんが行き倒れていた日の夜から隣で寝ることにした。2階の自室に居ては何かあっても気づかないし、トイレをしても濡れたままでは可哀そうだ。昔キャンプインストラクターをしていたので、幸いにも寝袋は捨てずに持っていた。さっそく大吉くんの横に寝袋を敷いた。右を向けば目の前にちょうど顔が見える。私は安心して眠りについた。深夜、苦しそうな鳴き声で目が覚めた。大吉くんが不自由な身体をくねらせて何やら訴えている。思い当たるふしがあった。もうかなりの時間オシッコをしていなかったのだ。寝たきりのままするのに抵抗があるのかもしれないと思った。「あ~、どうすればいいんだ。」かなりの時間、お腹を押したり念を込めてさすってみたが変化はない。そこで私は閃いた。「オシッコする姿勢にしてみよう!」大吉くんの身体を起こし、半ば強引に腹ばいの状態にしてみた。しばらくすると穏やかな表情になり大人しくなった。が、オシッコは結局しなかった。ひとまず苦しそうな様子ではなくなったので、私は再び眠りについた。遠い意識の中で、苦しんでいる鳴き声を断片的に聞いたような気がした。まだ完全には覚醒していない。「キャーン!!」さすがに今回は覚醒した。すると隣の部屋で寝ていた母が、「カタッ。」とふすまを閉める音がした。大吉くんの異変に気付き、ふすまを少し開けて様子を伺っていたらしい。同時に父に話しかけている。「大吉くんが死んだよ。最期にみんなに挨拶して逝ったよ。」私は血の気が引いた。しばしの静寂。物音ひとつしない。覚悟を決めて右を向き、大吉くんの安否を確認した。そこにはオシッコの海に浮かぶ大吉くんがいた。お腹を静かに上下させ、猛烈な尿意から解放されて死んだように眠っていた。「母さん、生きてるよ。。」父、母ともに超高齢者かつ要支援の認定を受けている。認知症ではないがけっこう怪しい。私はご存じ筋金入りの躁うつ病患者。そして頼みの綱の超高齢犬までが寝たきりになった。健康な人が一人もいない4人家族。(笑)これからどうなってしまうのやら。大吉くんお手入れセット(トイレシーツ大・小、チリ紙、ボディータオル、ドライヤー、ブラシ、ウエットティッシュ)寝たきりになる数日前の大吉くん(すでに後ろ脚がヨタヨタしていました)
3月初旬の頃、2週間ぐらい前から歩くときに足腰がおぼつかない時が多くなってきた。踏ん張りが利かず足が開いてしまう。なので少しでも歩きやすいように、敷物を敷いたりして対処していた。ある晩2階の自室から大吉くんのいる1階のリビングに下りて行くと、いつも寝ているベッドにいない。「あれ!?どこにいるんだ?」ベッドの方向に頭を向けて、2メートルほど手前で行き倒れのように転がっているのを見つけた。とうとう自力で歩くことができなくなっていた。ベッドにすら戻れないのだ。突然のことでそれはそれは驚いた。急いで抱きかかえてベッドに連れて行く。冷たい床で助けも呼べず、しばらく転がっていたかと思うと悲しくなった。元気もなく、吠える気力もなくなっていた。次の日獣医さんに電話をすると、ミニチュアダックスの持病である椎間板ヘルニアの影響だろうとのこと。以前からそういった話は聞いていた。とうとう来たか。。身体に力が入らずぐにゃぐにゃなので、車に乗せて連れて行くのは可哀そうだとその時は判断した。「いやこれは大変なことになった。」すぐにネット通販でおむつや床ずれ防止用のベッド、ボディータオルなどを買った。大吉くんは寝たきりになった。それにしてもネット通販は便利だ。ピンポイントで必要な物が翌日に届く。便利な世の中になったものだ。何もかも初めてのことで最初は試行錯誤、悪戦苦闘。おむつはサイズが合わなかったらしく、まるで若者の腰パンのようだ。その光景に思わず両親と笑った。何はともあれ、笑える余裕があるのはいいことだ。果たして、5月9日の17歳の誕生日を迎えることができるだろうか。不安が頭をよぎる。まだまだ一緒にいたいんだ。寝たきりだろうがそんなことは関係ない。居てくれるだけでいい。甘く見ていた。。(滝汗)寝たきりワンコを世話することは想像以上に大変なのであった。さて、さてさて、今日はこの辺で。こんな感じで毎晩寝ています(毎日がキャンプ)一昔前の若者顔負けの腰パンをキメる(腰ですらない)
小鳥たちがさえずり、爽やかでひんやりした空気に満ちた森の中。 やわらかな木漏れ日が地面に大小の円を歌うように描いていく。 仕立ての良い衣装に身を纏った青年が、白馬に跨りリズミカルに通り抜けていく。 よく見ると額にひし形の紋様が見える。 どうやら高貴な人物であるらしい。 そう、彼は名門ロスマンズ家の王子であった。 広大な森はロスマンズ家の領地であり、馬に乗って散策するのが日課であった。 しかし今日はいつもと少し様子が違う。 普段は物静かな青年だが、心なしかウキウキしているようだ。 平静を保とうとしているようだが、嬉しさは隠しきれないらしい。 王子はある場所へと向かっていた。
躁うつ病(双極性障害もしくは双極症とも呼ばれる)とは文字通り、躁状態とうつ状態を繰り返す精神疾患だ。ややこしいのだが、Ⅰ型とⅡ型があり両者はかなり違う。※私が「躁うつ病」と書くのは、なんとなく親しみやすいからです。躁鬱病って漢字で書くとなんか近寄りがたいじゃないですか。簡単に言うと、Ⅰ型は躁状態とうつ状態を繰り返す。そして躁状態が激しくなり、いわゆるぶっ飛んだ状態になったりもする。一方でⅡ型は躁状態にはあまりならない。なっても軽躁状態(軽い躁状態)止まりで、うつ状態の方が圧倒的に長いらしい。「らしい」というのは想像でしかないから。そう、私はⅠ型でなおかつラピッドサイクラーという躁状態とうつ状態がかなりの頻度で入れ替わる躁うつ病なのです。一番厄介なやつかもしれない。(゚д゚)!私は躁うつ病Ⅰ型だけど、他の精神疾患についてはあくまで想像しかできないのです。うつ状態はわかりやすい。世間一般に知られているような症状だ。気分が落ち込んだり、何もやる気がなくなったり、食欲がなくなったり、酷い時は消えたくなったりもする。私はそんな時はほぼほぼ寝てます。動けないからね。もう、トイレに行くのも億劫だし、お風呂に入るなんてとんでもない!もう、脱衣所で服を脱ぐのすら無理。(^^;散歩?効果的なのはわかるけど行けないよ!一方で躁状態は人それぞれだ。饒舌になったり、自分は何でもできると思ったり、ばんばんお金を使ったり、短気になったり、急に昔の友達に連絡したり、やたら行動力が増したりする。ま、一言で言うとどうにも止まらない超ハイテンションって感じですかね。こればかりはホント、人それぞれなんです。でもね、一線を越えなければいいんです!はい。(冷汗)私が躁状態になるとどうなるか知りたいですか?勝手に箇条書きにしますね。・饒舌になる。・早口になる。・話し声が大きくなる。・イライラしやすい。・気が大きくなる。・眠れなくなる。・天才じゃないかと勘違いする。・ブログを書き始める。ヾ(・・;)オイオイなどなど。あとは、「生きるとは?」「人生とは?」とかを語りだすと躁状態に入ったなと自覚します。(笑)躁うつ病のみなさん!今までよく生きてこれましたね!!これあげます。💮💮💮💮💮💮💮💮💮💮💮💮💮ではでは。スタスタ。。。こっち向いてよ!大吉くん。昨年、美ら海水族館に行きました。サイコーでした。🌟穏やかな夢を☆彡
現在の会社に入社にしてから、たしか3回は休職していると思う。今の私があるのは会社や上司、同僚たちのお陰と言っても過言ではない。言葉にはできない感謝とはこのことを言うのだろう。そう、私はとても幸運だった。メンタルの病気を抱えて仕事を続けることは想像以上に難しい。私の場合、今年で入社して14年目になる。周りを見渡してみても極めて珍しい例だと思う。11年目には係長という役職も頂いた。ではどうしてここまで続けることができたのか、思うところを箇条書きにしてみたい。まずは会社について・病気を理解してくれる職場環境。・勤務時間を体調に応じて配慮してもらえる。(時短勤務など)・体調不良による急な休みの連絡をしても、嫌味を言われるどころか心配してくれる。・仕事内容が私に向いている。(ほぼパソコンを使った事務職)次に私自身について・会社の戦力になりたいという思いが強く、会社にとって必要不可欠な社員になるための努力を無理のない範囲でしてきた。その姿勢によって信頼を得られたと自分では思っている。・体調がしんどい時も多いが、特に朝はしんどい時が多いのだが、少々無理してもとりあえず出社する。その方がかえってリズムを崩さず体調が上向くことも多々ある。・休日はなるべく気分転換する。しんどくて寝てばかりの時も多いが、出来る限りネットとかではなく外出する。私の場合はあちこちドライブとか食べ歩き。・家族(父、母、ワンコ)の存在は大きい。病気とはいえ相当な心配をかけてきたので、少なくとも彼らがこの世にいるうちは頑張りたいという気持ち。また、3人とも超高齢なので私が色々な面で力になってあげたいという気持ち。・最後に、このままで人生終わってたまるかという意地。負けず嫌いなんです。(笑)みなさんはどう感じたかな。もちろん、体調によってはどうにも動けない時もあるよね。経験しているからよくわかるし、今でも時々そうなる。だけど、理解ある職場や家族に支えられてここまで来れた。もう一度言うけれど、メンタルの病気を抱えて仕事を長く続けることはなかなかに難しい。だからチャレンジして結果ダメでも、どうか深刻に落ち込まないで欲しい。大丈夫、チャンスは思わぬところにあるものだから。でもね、運も必要だと思うけど、運を呼び込む努力はそれ以上に大切だと思うんだ。幸運はいきなりドアを叩いてやって来たりはしない。まずは目標を決めて、現在地からどうすればそこに辿り着けるのかを考える。線で結べるといいね、曲がりくねっていてもいいからさ。点線じゃダメだよ。(ウンウン線で結ぶことができれば、つまり具体的なイメージができれば、あとは実行あるのみ。一歩ずつ、一歩ずつ、地道にね。近道はないと思う。そして行動は思考をさらに前向きにする。この好循環の波に乗れれば半分は目標達成したようなもの。なんか偉そうなことを言ってしまったな。(滝汗)もしも今、出口のない苦しい毎日を過ごしている人がいるのならば、そんなキミに最初の一歩を「エイヤッ!」って踏み出す勇気が出ますように。「お前も頑張れよ!」←大吉くん【ワンコと私の闘病記】・躁うつ病患者が通りますよっと教師になって間もない頃にお迎えした大吉くん(4か月)現在の大吉くん(16歳9か月)獣医さんにて
およそ十数年ぶりに実家に帰った。甥っ子家族の新築祝いをするために。正確に言うと実家は取り壊されてもうないが、その場所の一部に家を建てたのだ。今までその場所を訪れなかったのは、まだ実家が存在していると思いたかったから。行かなければ私のココロの中では今でもそこに存在するのだ。行ってしまえば完全に消え去ってしまう。当時、家業が傾き実家を売却して3分割された。縁あってその内の1/3を甥っ子が買い戻したというわけだ。実家には私が幼稚園を卒園する時に貰って植えた藤棚があって、毎年咲き誇っていた。楽しい思い出のたくさん詰まった家だった。特に兄(次男)が生きていた子供の頃の記憶が圧倒的に強い。借金の返済のために実家を手放すことの何と寂しいことよ。その家には30年ぐらい住んでいた。さて、最初は新築祝いに行くことを少しためらったが大人気ないと思い行くことにした。甥っ子は2人いるが、2人とも私からは想像できないような立派な人間になっているし、とても誇りに思っているし、とてもかわいい。だから直接お祝いしたい気持ちが強かった。私にはとても勇気のいることだったけれど。久しぶりに元実家周辺を歩く。すっかり様変わりしていたけれど、当時のままの家も想像以上に点在していた。なんだか嬉しい気持ちになった。「あー、近所の友達と缶蹴りとかよくしたな。」「あの家の○○ちゃんのこと好きだったな。家の前で偶然を装って会ったふりとかしていたな。(笑)」みたいに子供の頃の思い出ばかりがよみがえる。大人になってからの記憶はあまりない。闘病の苦しい記憶に蓋をしていたのかもしれない。でも何よりも真っ先に気付いたことがある。それは家々の大きさや道路の幅の違和感。なんだかミニチュア模型のように感じた。あの頃の私には大きな世界であって、私のほぼ全てを占めていたんだな。もちろん実家は跡形もなく、藤棚の痕跡もなかった。だけど病気で死ぬほど苦しかった過去も含めて、ようやく受け止めることができた気がする。同時に、私の世界はあの頃よりもずいぶんと広く、逞しくなったことにも気づいた。悲しい気持ちにはこれっぽっちもならなかったし、余裕を持って思い出に浸ることができたから。今日、人生に大きな大きな区切りをつけることができた。そのきっかけを作ってくれた甥っ子に感謝している。キミたちの未来が輝かしいものでありますように。壁|(・_・)ノ 大吉くんである。久しぶりだぞなもし。吾輩はすっかり元気になったぞい。おい下僕!旨そうなもん食っておるな?な?お土産、はよよこせぞな。新築祝っちゃうよ~。スタスタ。。。甥っ子の父(私の兄:長男)の誕生日らしい。。ご、豪勢だ。。奮発したなぁ。
みなさんこんばんは。そして、祈ってくれてありがとー!!きっと大吉くんにとって大きな大きな力になったと思います。本当にそう思っています。世界は不思議で満ちていますから。(ウンウンえーと、経緯をお話ししますね。大吉くんですが、昨日無事に手術が終わったのです。まだ目は完全には覚めていませんでしたが、反射がありもう大丈夫とのことでした。その日の夕方に迎えに行くことになっていたので、安心してひとりで自宅に帰りました。さて、数時間が経ちウキウキして迎えに行くと診察台の上に大吉くんはちょこんと座っていました。「あー、よかった。。」ココロからそう思いました。しかし、なんだか様子がおかしいのです。撫でてやると急に「パタン」と横たわり脱力。完全に、脱力。ピクリともしません。目も虚ろというか眼球すら動いていないように見えました。電池が切れたような感じ。「えっ!こ、これはマズいんじゃないか。。(汗)」そして寝たまま脱糞。「えっ、えっ!(滝汗)」しばらくすると、何事もなかったかのようにむっくりと起き上がりちょこんと座りました。その様子を見た獣医さんの判断で急遽入院。もしかしたら、大吉くんは極度の不安や痛みにじーっと耐え、見慣れた顔(私)を見て緊張が一気に解けたのかもしれません。そして今日の夕方、仕事帰りに再び迎えに行ったのです。正直、ものすごく心配でした。「容態が急変したらどうしよう。」「超高齢犬には無謀な手術だったのか。」そんなことが頭をよぎり、気が気ではなかったです。ですが今回は大丈夫でした。もちろんまだ元のような元気さはありませんが、しっかりと回復してきているのがわかりました。今後の治療方針について獣医さんから説明を受け、薬や缶詰の療養食を受け取って自宅へ一緒に帰りました。自宅へ着くなり水をがぶ飲み。療養食をたいらげて、満足げに「ワン!」とひと吠え。いつもの力強い声です!!(≧∇≦)吠えろ吠えろ!もっと吠えろ!いつもとは正反対の感情です。(笑)病院では吠えることはもちろん、うんともすんとも言わずじっとしていたそうです。そうかそうか、怖かったんだね、痛かったんだね、ようやくリラックスできたんだね。その様子を見て、目頭が熱くなったのでした。リスクを負って手術をし、キミは無事に生還した。ま、そんなことは最初からわかっていたけどな!(キリッさぁ、これからは楽になった身体でもっともっと自由気ままに生きてくれ。どこでウンチしようがもうキミの自由だ!夜中に裸足で踏んづけて、何とも言えない感触を味わうのもまた一興。問題ない!フライ返しは常備してある。そんなキミと一緒にいると、意味もなく嬉しくなるんだ。自由っていいな!だって私には真似できないもの。←しなくていい目指せ20歳!!
みなさんこんばんは。今回はお願いがあるのです。今はもうブログもあまり書いていませんから、これを目にする方もあまりいないかもしれません。だけどたとえ一人でもいいから、お願いがあるのです。大吉くんは現在16歳と9カ月になりました。確実に、穏やかに歳をとっています。耳も遠くなり、足腰もめっきり弱くなりました。だけど元気で食欲旺盛です。それだけはずーっと変わっていません。子犬の頃も成犬の頃も可愛かったけれど、すっかり老犬になった今、一番可愛く愛おしいです。なんなんでしょう、このおとぎ話の世界の中のような優しい老犬という生き物は。その可愛さに、ただただビックリしています。大吉くんと出逢わなければ、このブログもきっと書いていなかったでしょう。悲しい時も苦しい時も、たまには嬉しい時も。いつもそばにいてくれました。大吉くんにだけはココロを許せました。まるでドラマのような、奇跡のような人生を二人で歩んできました。そんな大吉くんですが、とある病気を抱えています。今すぐどうにかなるわけではありませんが、放置しておくといずれ手遅れになってしまう可能性が高いです。そうなるととても苦しみます。だけどもう超高齢犬です。全身麻酔のリスクが一番怖いです。そのまま目を覚まさないかもしれません。悩んで悩んで手術をすることにしました。もしかしたら、症状が進んで苦しむようになるよりも先に寿命が来るかもしれません。でも、まだ元気なうちにするべきと思いました。事前に行った血液検査や心臓の超音波検査の結果を踏まえて、信頼する獣医さんと相談してリスクを承知で決めました。キミとまだまだ一緒にいたいから。だからもしよろしければ、その日その時ほんの少し力を貸して欲しいのです。ココロの中で大吉くんを思い出していただければ嬉しいです。2月6日(月)12:00に手術開始です。どうかどうか手術が上手くいきますように。また元気な姿で会えますように。後ろ足が弱くなってきたので滑り止めの敷物を敷いています。今シーズンから電気毛布でぬくぬくである。
先日母の誕生日だった。兄と妹がお祝いに今日やって来た。母は今年に入ったあたりから心臓の具合があまり良くない。それもあってか兄と妹は以前よりも顔を出す機会が多くなった。きっとまだ母が元気なうちに、直接会って話をしておきたいという気持ちもあるのだろう。自宅に来るとご馳走を食べてから麻雀の流れになる。ご馳走は兄と妹が必ず持参する。まるで鴨が葱を背負って来るように。( ^∇^)キャキャキャ麻雀を始めたきっかけは意外なものだった。私が中学生の時、何を思ったか母がNHKの麻雀教室に行き始めた。そして必然的に夜は家族麻雀になる。父、妹、そして私を強引に引きずり込む。負けず嫌いの母が上達するために。ちなみに、兄は家を出ていた。私に選択権はない。誰か一人でも欠けるとメンバーが足りないから。ちなみに、父も妹も私も麻雀をやったことがなかった。たまたまお客さんが来ると「待ってました!」とばかりに強引に雀卓に座らされる。当時私は中学3年生。高校受験の真っただ中。勉強をしていると母がやって来る。毎晩やってくる。30分でいいから麻雀やろう、と。受験生を持つ母としていかがなものか。(笑)そして30分で終わるはずもなく、時に深夜にまで及ぶ。そんな環境下で無事に高校生になれた私は表彰されていい。ふふふ。しかし麻雀は大学に入学してからも、社会人になってからも大いに役に立った。今では感謝している。そんなわけで、いまでも家族が集まると麻雀が始まるのだ。実はここ何年か、私は麻雀に参加しなかった。私がいなくても、父、母、兄、妹とメンバーはいるし、私自身、兄があまり得意ではないからだ。もちろん、体調が思わしくない時も多かったというのも理由の一つではある。だけど今日は母が少ししんどそうだった。だから母を少し休ませるために私がしばし代わりに打った。今日はかなり気合を入れた。勝っている状態で母に交代して、良い流れのまま勝って欲しかったから。楽しい思い出をつくって欲しかった。そういった気持ちは通じるもので、麻雀は私の思い通りの展開になった。そして良い流れのまま途中から母にバトンを渡し、結果的にいつもは負けてしまう母がトップを飾った。とても嬉しそうだった。私も満足。良い仕事をしたぜ。←カッコイイ!!思った以上に私は集中し、気合が入っていたのだろう。正直言うと体調はあまり良くなかった。今現在、心拍数が100回/分を超えたままだ。明日仕事に行けるかどうかわからないぐらい胸が苦しい。だけど楽しい思い出をつくれて気分はとても良い。私は神様を信じていない。だけど人知を超えた何かは存在すると信じている。今までの私の経験からそう確信するようになった。優しさは循環する。良い流れは循環する。幸せは循環する。いずれ私にも巡って来い!!щ(゚Д゚щ)カモーン☆大吉的おすすめ記事☆彡【ワンコと私の闘病記】・躁うつ病患者が通りますよっと【クスッと笑える話】・病気を乗り越えた先にあるもの・伝説の男・惚れんなよ!【真面目な話】・ブログを始めたきっかけ・軽躁状態のエピソード(その1)・人生は不思議に満ちている・自然は不思議に満ちている・精神疾患の理解のために(大吉くんギャラリー付き)【最後につぶやく大吉くん】・お相撲さん・走れ!大吉くん【昔の想い出】・風が吹くとき・白昼夢・親友Y君・まだまだ続くよ!親友Y君【出かけてきたよ】・Mr.小心者・地下帝国(前編)・地下帝国(中編)・地下帝国(後編)・恋人の聖地だってさ【深夜の独り言】・若くして苦しんでいる君へ・親愛なる君へ【なんちゃってポエム】・分岐点・決意・靴がヘビになった日・時空を超えたメッセージ
十数年前、この世と本気でおさらばしようとした。病気が過去最大に悪化して、教師を辞めざるを得なくなったから。これ以上の未来を想像することがどうしてもできなかった。どんなに頑張っても、結果を出しても、いつも最悪の結末を迎える。病気のせいで。いったいどれぐらい、そういった悔しい無念な思いを味わってきただろう。報われない努力を繰り返すのにも限界がある。何も感じない無の世界=「永久の眠り」につきたかった。だけど現実は残酷なもので、私はかろうじて生き残った。今でもたまに思う。実はあの時目的を完遂していて、ここはあの世なのではないかと。現実感がなくなる時がしばしばある。自分が半透明な弾力のある膜に覆われていて、世界と隔てられている感じがするのだ。今現在は様々な幸運に恵まれ、当時の私には夢にさえ思いつかないような状況にいる。だからなおさら、ここはあの世ではないかと思うのだ。あまりに出来すぎているから。パラレルワールドにでも迷い込んだかな。人生は不思議だ。希望をココロの片隅にそっと置き続けておきさえすれば、大抵の望みは叶うものなのかもしれない。だけどそれは案外、難しいことなのかもしれない。だけど同時に思う。あの時人生が終わっていても、それはそれでよかったなって。ここまで立て直すのに、筆舌に尽くしがたい地獄を見てきた。たぶん、死ぬより苦しかったと思う。2年間、一度も笑わなかった。当時の写真はすべて母が捨てた。目に生気がまるでなく、焦点も合わず、まるで死人のようだったから。相変わらず今でもしんどい時が多い。自我が崩壊してしまうかのような。どうにかこうにかバランスを取って騙し騙し生きてる。綱渡りのように必死で、ピエロのように滑稽な人生。せっかく手に入れた今の暮らしが、手のひらから零れ落ちないように。あの世とこの世、さて、どちらの人生が幸せだったかな。☆大吉的おすすめ記事☆彡【ワンコと私の闘病記】・躁うつ病患者が通りますよっと【クスッと笑える話】・病気を乗り越えた先にあるもの・伝説の男・惚れんなよ!【真面目な話】・ブログを始めたきっかけ・軽躁状態のエピソード(その1)・人生は不思議に満ちている・自然は不思議に満ちている・精神疾患の理解のために(大吉くんギャラリー付き)【最後につぶやく大吉くん】・お相撲さん・走れ!大吉くん【昔の想い出】・風が吹くとき・白昼夢・親友Y君・まだまだ続くよ!親友Y君【出かけてきたよ】・Mr.小心者・地下帝国(前編)・地下帝国(中編)・地下帝国(後編)・恋人の聖地だってさ【深夜の独り言】・若くして苦しんでいる君へ・親愛なる君へ【なんちゃってポエム】・分岐点・決意・靴がヘビになった日・時空を超えたメッセージ
最近、久しぶりにブログを書いている。昔は毎日のように書いていたな。たぶん、軽躁状態だったね。(笑)でもすごく楽しかった。ブログランキング1位の時期もあったなぁ。とても嬉しかったのを覚えている。まさに、「達成感」お陰で体調を思い切り崩してしまったけれど。(汗)懐かしい思い出だし、かけがえのない人生の1ページになっているよ。ところで趣味はいくつかあるけれど、もっと増やしたいと考えているんだ。今はドライブや食べ歩き、旅行(特に沖縄)、ネットサーフィン、もちろん大吉くんとの触れ合いなどもね。できればライフワークになるようなものがいいな、と考えている。私は自分を表現することをライフワークにしていきたい。表現する手段は色々あるけれど、私には文章を書くことが向いているように感じる。ごちゃごちゃした頭の整理にもなるし。だいたいとっちらかっているから。( ノД`)シクシク…脳内をアウトプットすることってとても大事だし、メンタルにもいいと思う。どうしても自分の中にため込んでしまいがちだから。そういう人、多いんじゃないかな。ため込んだら出さないと。( ^∇^)キャキャキャだから自分の体調のためにも、細々とでもいいからブログを続けていきたい。だけど単なる日記じゃ面白くない。誰かの目に触れるかもしれないという緊張感があるからこそ、そこに創意工夫が生まれるような気がするよ。誰かが見てくれたとき、何かを感じてもらえたらとても嬉しい。単に笑ってくれても、おバカな奴だなと思ってくれてももちろん嬉しい。だから自分の人生をより豊かにするためにも、時々思いついたときに気楽に書いていきたいんだ。趣味といえば釣りとか流行りのソロキャンプなんかもいいねぇ。仕事を辞めた後に、暇でしょうがないというような人生は送りたくないものだよ。みなさんは、熱中している趣味はありますか?おすすめの趣味がありましたら教えてくださいね。壁|(・_・)ノシ☆大吉的おすすめ記事☆彡【ワンコと私の闘病記】・躁うつ病患者が通りますよっと【クスッと笑える話】・病気を乗り越えた先にあるもの・伝説の男・惚れんなよ!【真面目な話】・ブログを始めたきっかけ・軽躁状態のエピソード(その1)・人生は不思議に満ちている・自然は不思議に満ちている・精神疾患の理解のために(大吉くんギャラリー付き)【最後につぶやく大吉くん】・お相撲さん・走れ!大吉くん【昔の想い出】・風が吹くとき・白昼夢・親友Y君・まだまだ続くよ!親友Y君【出かけてきたよ】・Mr.小心者・地下帝国(前編)・地下帝国(中編)・地下帝国(後編)・恋人の聖地だってさ【深夜の独り言】・若くして苦しんでいる君へ・親愛なる君へ【なんちゃってポエム】・分岐点・決意・靴がヘビになった日・時空を超えたメッセージ
十数年前から、両親とワンコの大吉くんと私の4人で森の中の一軒家で暮らしている。元々は別荘として使用していたけれど、家業が傾き実家を手放したからだ。自然豊かで様々な草木が咲き誇り、野生動物が顔を出し、小川が流れ、静かでとても気に入っている。この環境でなければ私の病気はここまで回復しなかったであろうし、働き続けることもできなかっただろう。私も歳を取ったし、両親と大吉くんも超高齢になった。兄と妹は地元で家庭を持ち暮らしている。ふと思う。私が病気にならなかったら、きっと家を出て家庭を持っていただろう。両親は要支援1に認定されているので、もしかしたら施設に入っていたかもしれない。超高齢者が2人で暮らすにはこの環境は無理がある。私はこれで良かったと思っている。中学2年で発病し、家族にも言えず文字通り苦しい人生を歩んできた。筆舌に尽くしがたい地獄も味わってきた。死に物狂いで努力しても報われず、自暴自棄の日々。だけど幸運にも今こうして経済的にも自立でき、将来の見通しも立てられるまでになった。だから、これでいいじゃないかと。ある時母を車で病院に送迎している時、私に半泣きの顔と声で言った。「○○が病気になったのは母さんのせいなんだよ。お腹の中にいる時に商売が忙しくてめちゃくちゃ無理をしていたから。人災なんだよ。」それを聞いて母の胸の内を知った。だけど今、私はどん底にいた頃からは考えられないほど上出来な人生を歩んでいる。この厳しい世の中で、挫折する人が多くいる中で、しぶとく生き抜いている。もし私が病気にならなかったら、違う人生があったのは間違いないだろう。だけどそれが果たして幸せであったかどうかはわからない。人生には度々予期せぬことが起こるものだから。「人生塞翁が馬」私には自負がある。同じ境遇で、私のような人生を歩むことができる人はそうはいないだろうと。妙な達成感と誇りまで勝手に感じている。死線を彷徨うような絶体絶命から生還したんだと。それはまるで、インディー・ジョーンズであるかのように感じている。だから私は即座に母にこう言った。「今それなりに幸せに暮らせているよ。」だから、それでいいじゃないかと。一見幸せそうに見えて、実は死ぬほどの苦悩を抱えている人もいる。逆もまたしかり。周りは私をどう見ているかわからない。そんなことはどうでもいい。私は私。誰にもマネのできない、誰かのマネでもない、オリジナルの人生を歩んでいきたい。それが私のプライド。☆大吉的おすすめ記事☆彡【ワンコと私の闘病記】・躁うつ病患者が通りますよっと【クスッと笑える話】・病気を乗り越えた先にあるもの・伝説の男・惚れんなよ!【真面目な話】・ブログを始めたきっかけ・軽躁状態のエピソード(その1)・人生は不思議に満ちている・自然は不思議に満ちている・精神疾患の理解のために(大吉くんギャラリー付き)【最後につぶやく大吉くん】・お相撲さん・走れ!大吉くん【昔の想い出】・風が吹くとき・白昼夢・親友Y君・まだまだ続くよ!親友Y君【出かけてきたよ】・Mr.小心者・地下帝国(前編)・地下帝国(中編)・地下帝国(後編)・恋人の聖地だってさ【深夜の独り言】・若くして苦しんでいる君へ・親愛なる君へ【なんちゃってポエム】・分岐点・決意・靴がヘビになった日・時空を超えたメッセージ
毎日のように夜更かしをしている。朝眠くて起きるの辛いのにね。夜型人間は遺伝で決まるとか何かで読んだな。遺伝といえば、私は生まれた時に人生はほぼほぼ決まると考えている。努力する能力も、知能も、好奇心も、創造力も、協調性も、優しさも、健康も、運動神経も、数えればキリがないが遺伝で決まるところが大きいように思う。また、どんな家庭で育つのか、どんな風に育てられるのか、学校の友達や先生、自分と関わる全ての人たち、といった環境面もとてもとても大きい。そして残念ながらそれらは選べない。。(´Д`)ショボン少なくとも、生まれてから物心つくまでは本人に選択の余地はほぼないだろう。ただ敷かれたレールに乗っているだけ。そんなこと考えると、世の中って不公平だなって思うよね。運だよなって思うよね。だけどね、一つだけ人生を変える方法があるんだ。何だと思う?それはね、「出逢い」だと思うんだ。例えば、・学校の先生がとても素晴らしい人だった。・自分とは考え方が全く違う友人と出逢って目からウロコが落ちた。・たまたま本屋さんで見つけて読んだ本に多大な影響を受けた。・楽器屋さんの前を通りかかったら、ギターを見てイナズマが走った。(浜田省吾さんの歌詞)・自分をとても褒めてくれる人がいて自信になった。・テレビやネットを見て、こういう人になりたいと強く思った。・ペットを飼って命の尊さと儚さを身をもって知った。などなど。ただしこういった出逢いは、脳天が痺れるくらいのインパクトが必要だと思うけどね。偶然の出逢いでしか、人生は大きくは変えられないのではないか。人生の幸福度を増やすことはできないのではないか。そんなことをたまに思ったりします。だけどね、そうやって運命的に掴み取った幸せはきっと格別。運命は、時に必然なんだぜ!!できる範囲で努力もしようよ、俺。幸運の女神に愛されるようにさ。道は自分で切り拓けばいいじゃない。たった一度の人生だもの。どうせ死んだらお星さま。「行けばわかるさ!ダーッ!!」※アントニオ猪木さん、ご冥福をお祈りいたします。この言葉大好きです。みなさんにも、もちろん私にも、これからもまだまだよき出逢いがありますように。幸運を逃さず掴み取ることができますように。出逢いをひたすら待つ受け身の大吉くん(16歳)←こういう生き方もまたよし☆大吉的おすすめ記事☆彡【ワンコと私の闘病記】・躁うつ病患者が通りますよっと【クスッと笑える話】・病気を乗り越えた先にあるもの・伝説の男・惚れんなよ!【真面目な話】・ブログを始めたきっかけ・軽躁状態のエピソード(その1)・人生は不思議に満ちている・自然は不思議に満ちている・精神疾患の理解のために(大吉くんギャラリー付き)【最後につぶやく大吉くん】・お相撲さん・走れ!大吉くん【昔の想い出】・風が吹くとき・白昼夢・親友Y君・まだまだ続くよ!親友Y君【出かけてきたよ】・Mr.小心者・地下帝国(前編)・地下帝国(中編)・地下帝国(後編)・恋人の聖地だってさ【深夜の独り言】・若くして苦しんでいる君へ・親愛なる君へ【なんちゃってポエム】・分岐点・決意・靴がヘビになった日・時空を超えたメッセージ
クスッと笑えた家族のエピソード教えてこんばんは、お久しぶりです!ハロウィン企画に乗っかってみたいと思います。。('-'。)(。'-')。ワクワク 十数年間、現在の家に高齢の両親と私の3人で住んでいます。ご存じの通り森の中です。夜ともなると、とても静かで辺りは静まり返ります。物音ひとつしません。まぁ、日中も静かなんですけどね。ヾ(・・;)オイオイそんなある日の夜、静寂を切り裂き私の名前を大声で呼ぶ母の声が聞こえてくるではありませんか!しかもかなり怒っています。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルはて!?何かやってしまったかな。。こんな風に怒られるのは中学生以来のことです。私の部屋は2階にあるので、恐る恐る階段を下りていきました。母:「〇〇!!」っと相変わらず怒りながら私の名前を叫んでいます。すると。。。大吉くんに向かって怒っているようです。私には気付いていません。大吉くんは神妙そうな、不思議そうな顔つきでジッとしています。そして困惑した顔で私の顔を見つめてきます。まるで「どうしたらいいんだ?」というように。ようやく理解できました。私:「母さん、名前間違えてるよ。。」母爆笑。そういえば母はもうすぐ誕生日でした。ハロウィン企画で思い出しました。普段は面と向かって言うことはありませんけれどこの場を借りて。「元気で長生きしてくださいね。いつもお弁当ありがとう。」それから、私もおかげさまでぼちぼち元気にやっています。(*^-^)ニコまたいずれ、ブログも書いていけたらいいなと思っています。どうかみなさんもお元気でー!!壁|(・_・)ノ 大吉くんである。15歳である。まだまだ元気だぞい。下僕よりも長生きするのは間違いないぞなもし。スタスタ。。。大吉くんの痒い所を恭しくさする私の左手私の部屋へ連れていけアピールする大吉くん
ふと目が覚めた。コップに残っているコーヒーを飲み干す。中学生の頃からコーヒーはブラックだ。当時、無理矢理目を覚ますために飲んでいた。試験の2週間ぐらい前から戦闘態勢に入る。深夜の3時過ぎまで勉強していた。短期間の詰め込み学習。これがとても効果的だったのを身をもって実感している。だけど長期的な視点から見れば、毎日コツコツと勉強する方が勝つ。これも身をもって実感している。短期間の詰め込み学習は試験が終わると同時に、大半が記憶から消え去ってしまう。見事なまでに。毎日ブラックのアイスコーヒーを数杯飲む。季節に関係なく、氷をたっぷり入れて飲む。目を覚ますためじゃなくて好きだから飲む。時々、当時のことを思い出す。孤独だった当時のことを思い出す。あの頃、心から頼れる人は誰もいなかった。ただ、輝かしい未来を勝ち取るために必死だった。学力こそ全てと信じていた。だけど大学卒業間際に病気を発症し、すべて水の泡に消えた。あざ笑うかのように。大変だったよ、ここまで立て直すのは。文字通り、山あり谷あり宇宙ありマリアナ海溝あり。映画のような人生だった。奇跡のような人生だった。人生は不思議だ。心掛けひとつでガラッと変えられる。真実を語っても、誰も信じやしないだろう。それぐらい、上出来な人生になりつつある。だけど、コツコツと自分なりに頑張ってきたんだよ。以前のように、簡単には消えないでおくれ。さて、そろそろ寝ようか。カフェインはもはや、私には効かないんだ。屏風が追加されてデラックスルームになった大吉くんの部屋※1泊3もふもふこちらも見てね!ワンコと私の闘病記【クスッと笑える話】・病気を乗り越えた先にあるもの・伝説の男・惚れんなよ!【真面目な話】・ブログを始めたきっかけ・軽躁状態のエピソード(その1)・人生は不思議に満ちている・自然は不思議に満ちている・精神疾患の理解のために(大吉くんギャラリー付き)【最後につぶやく大吉くん】・お相撲さん・走れ!大吉くん【昔の想い出】・風が吹くとき・白昼夢・親友Y君・まだまだ続くよ!親友Y君【出かけてきたよ】・Mr.小心者・恋人の聖地だってさ・地下帝国(前編)・地下帝国(中編)・地下帝国(後編)【深夜の独り言】・若くして苦しんでいる君へ・親愛なる君へ【なんちゃってポエム】・分岐点・決意・靴がヘビになった日・ 時空を超えたメッセージ【ギター弾き語り】・ダンスホール