注意:最後に写真を4枚載せておりますが、4枚目の写真にはお花で飾った大吉くんが写っています。苦手な方はご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます。

5月30日の夕方、大吉くんが旅立ちました。
以前から月に一回ぐらい発作が起きていましたが、今回は治まる気配がなく獣医さんに連れて行き、鎮静剤を打ってもらいしばし夢うつつ。

信頼している獣医さんに、考えうる処置をして頂きました。
しかし意識がハッキリして来ると、再び発作が始まってしまいました。
直感でもうダメかなと感じました。
獣医さん曰く、9割方発作は治まらないのではないかとのこと。

「どうしますか。自宅に連れて帰ってまた明日鎮静剤を打ちに来ますか。」

そう言ってくれましたが、私は覚悟を決めていました。
獣医さんも同じ気持ちだったのではないかと思います。
鎮静剤は徐々に耐性が付くそうで、効果が切れたらまた発作が起きてしまいますし、発作が起こる間隔も短くなってしまうでしょう。

発作が治まらないまま自宅に連れて帰り、一晩中苦しませることなどできるはずもなく、大吉くんだけでなく私のココロも完全に壊れてしまう。
もう解放してあげようと思いました。

大吉くんを連れて行くときからそうなる可能性が高いだろうなと覚悟していました。
今までの発作とレベルが違いました。
獣医さんの経験も含めた詳しい説明をお聞きし、気持ちがさらに固まりました。

「苦しみを長引かせるだけの延命はしない。」

そう決めました。
自宅に電話をかけ、

「大吉くんはもう回復の見込みがない。。楽にしてあげていいかな。」

と父に確認しました。
18年間、苦楽を共にした家族ですからね。
私が精一杯世話をして、誰よりも可愛がっているのを知っていますので、返事は聞かずともわかっていました。

大吉くんを抱っこして、しばらく外のベンチに座り新鮮な空気を吸っていました。

「色んなことがあったね、カラーを2つ付けたまま10年間過ごしたこともあったね、のどに大やけどをしたこともあったね、よく頑張ったね、もう苦しい思いをしなくていいからね。」

まもなく冷たくなってしまう大吉くんの体温と息遣いを脳裏に焼き付けながら、そんな言葉をかけていたような気がします。
想い出が走馬灯のように流れます。
最期の時を迎える決心がついたので病室に入っていき、

「先生お願いします。楽にしてやってください。」

とお伝えしました。
私の気持ちの整理がつくまで待っていてくれました。
詳細は省きますが、いよいよお別れの時です。
まだ大吉くんの意識があるうちに、声にならない声で、

「ありがとう!大吉くん!ありがとう!」
「先に待っててね!」
「今の私があるのは大吉くんのお陰だよ!」
「ありがとー!!」

などと最後まで声をかけていました。
聴力は一番最後まで残っていると、知識として持っていましたので。

大の大人が恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。
最後に悔いは絶対に残したくなかった。
悔いを残すと長いこと苦しむことになってしまう。
そのことを過去の苦い経験から嫌というほど学んでいました。
耳が遠いので、大きめの声で耳元で精一杯話しかけました。

すると間もなく旅立ちました。
たぶん、急な出来事で私の頭は混乱していたと思います。
涙ぐんだり、尊敬する先生や看護師さんに急に笑顔になったり。

「精一杯世話しましたので悔いはないです。大丈夫です!」

と強がったりしました。
そして、

「長い間本当にお世話になりました。」
「先生に出逢えたことはラッキーでした。」
「ありがとうございました!」

などと妙なテンションでお世話になったお礼の気持ちを伝えさせて頂き、大吉くんを大事に抱きかかえ車に乗せて自宅へと帰りました。

実は母は心臓を悪くして入院しているのです。
母が知ったらさぞかし悲しむだろうなぁと脳裏をよぎります。
ですので、自宅では父が玄関を開けて待っていてくれました。
その父も体調不良で弱っているのです。
もうガリガリです。

「辛かったなぁ、お前が一番辛かったなぁ。」

消え入りそうな声でそう言って、私の腕や背中をさすってくれました。
そんなことをしてくれたのは生まれて初めてかもしれません。
父も涙ぐんでいましたし、さすってくれたことに驚くとともにとても嬉しかったです。
何よりも、とても労りの気持ちというか温もりが伝わってきました。

きれいに整えたベッドに寝かせ、庭に咲いている草花を供えました。
その間に父がお線香の準備をしてくれて、2人でしばしお焼香しました。
まるで寝ているような穏やかな顔でした。

身体はかなり長い間温かく、しかし時とともに末端から徐々に熱が失われて行きます。
数時間が経ち、温かかったお腹もほとんど熱を感じなくなりました。
今日はいつものように大吉くんの隣で寝袋で寝よう。
一緒に過ごす最後の夜だから。

しかしなかなか寝付けず、というか寝る気になりませんでした。
台所の換気扇の下でタバコを吸いながら、気晴らしにスマホでYouTubeを観ていました。
時々、視線の端で大吉くんが動く気配を感じるのです。
何度も何度も。
もちろん、身じろぎひとつしていません。
だけど条件反射的に、オシッコしたのかな?と思うのでした。

眠剤を飲み、寝袋に入り、大吉くんを撫でながら眠りにつきました。
朝起きてビックリしました。
1年以上ぶりに中途覚醒せずにぐっすり眠れたのです。

いつもは2~3時間おきにトイレで起こされていたので。
時には吠えて教えてくれたり、それでも私が起きない時は鼻先で腕を何度も何度も持ち上げたりして起こします。

するとまずはチリ紙で拭きとり、ボディータオルでキレイにし、ドライヤーをかけて完全に乾かします。
時にウンチもこねこねしてるので、30分以上かかることもあります。
するともう、眠気が飛びます。

疲労と心労の限界だったのでしょう。
そして肩の荷が下りたのでしょう。
熟睡ってこんなに身体が楽になるものだったのかと再認識しました。
そこにはやりきったという満足感も寄与したに違いありません。

そして大吉くんの気持ちを感じたのです。

「今までご苦労だったぞなもし、もう下僕も限界だから虹の橋を渡ることにしたぞい。」

大吉くんはきっと、私の心身を案じてくれたのだろうと。
たしかにいつ倒れてもおかしくない状態でした。

すごい長々と思いつくままに書いてしまいました。
納得はしていても、気持ちのやり場がなかったのです。
ちょっとおかしくなりそうだったのです。
だからせめて書きなぐるしかなかったのです。
お陰様で少しだけ気持ちの整理ができたような気がします。
でもね、

「寂しくてたまらないよ!」
「悲しいよ!」
「喪失感ハンパないよ!」

同時に、

「私を選んでくれて、わが家に来てくれて、ありがとーーー!!」

キミの一部をペンダントに入れて、お守りにしているからね。
しばらくは気持ちが不安定だろうけど大丈夫。
会社も辞めて、腰も痛めて、1年2ヵ月ろくに眠れず、キミが少しでも快適に安心して過ごせるように精一杯のことはした。

だから、今度はキミがあの世で特等席を確保しておいてくれよ!
黄色い旗でも立てておいてくれ!
まだまだ当分先だけど、キミをすぐに見つけることが出来るように。



カラーを2つしていた頃(10年間、お風呂に入れる時以外はほぼこのままでした。こうしないと自分の肉球を噛みちぎってしまいます。すでに耳と尻尾は一部欠損しています)



長椅子の下でおやつを頬張る



下半身が動かず上半身だけでよく頑張りました。それから、夜中によくちょっかいを出して起こしてくれました。寂しかったのかい?



大好物の玉子焼き(甘め)を手土産に持たせました(お友達にも分けてあげるんだよ)