先に信州諏訪を往復する列車では、JR中央本線の富士見駅でもってぞろぞろ乗降する登山姿の人たちが見受けられたのですな。この駅が入笠山登山の入口にあたることは、個人的にも昨年6月に出かけてますので知っておりましたから、「ああ、こぞって入笠山であるか」と。

 

しかしまあ、それにしても年齢層が高いような…と、自らも結構な年齢にも関わらず、かように申してしまうほどの人たちに登山人気があるのであるなと改めて実感したりするわけで。ともあれ皆さん、お元気というか、お達者というか。

 

と、そんな光景を目の当たりにしてあと、たまたまにもせよAmazon Primeで『イーディ、83歳 はじめての山登り』なんつう英国映画のあることに気付かされ、見てみたのでありますよ。

 

 

長年にわたって関白亭主(支配欲至って強い系か)の支配下におかれ、後年には介護の日々に明け暮れることになったイーディ、夫から解放されたとき(要するに亭主が亡くなった時)にはすでに83歳になっており…。

 

そんなある日、一人になってがらんとした家の中を片付けていると(断捨離ですな)、古い古い絵ハガキが目に留まる。子供の頃には共にアクティブに過ごした父親が送ってきた絵ハガキには奇妙な形の山が写っており、「いつか登りに行こう」というひと言が。これを見たイーディ、矢も楯もたまらず、スコットランドのスイルベン山を目指すのでありました…。

 

子供時代、父親とキャンプをしたりする少女だったことが語られますので、「はじめての山登り」とは得心しにくいところですが、すでに何十年も経って昔取った杵柄があったとしても頼りにはならない。イーディがそうだとはいいませんが、往々にして過去の経験値を過大に見積もってしまうことは現実にはよくありますですねえ(かく申す自分自身にも…)。

 

ともあれ、初めはただただ登る(つまりは単独行で)ことしか頭になかったわけですが、スコットランドに到着したところでひょんな出会いをした青年にガイドを依頼することになり、着々と準備を進めていきますが、はたして登頂は?…とまあ、そんな展開になっていくのですね。

 

いわば起死回生の果敢な挑戦が描かれるところで、イーディを演じた女優さんの実年齢が83歳だったようで。見ていてもハードそうな道々を踏破するすべてをこの方が実際に歩いたとは思いませんがですが(実際はわかりませんけど)、ともかく若いときにできなかったことをやるといった話は多くありますですねえ。

 

ただ、思いついたときにはそれこそ体力的というか、身体的というか、もはや無謀という段階に入っている場合もあるわけで(イーディもまた)、「思い立ったが吉日」はいつも念頭に置いておきたいところではなかろうかと。

 

イーディの場合には日頃馴染みのコーヒーショップの店主に「閉店間際で、オーダーはもう遅い?」と問いかけたところ、「Not too late for you」という応えが返ってきたことで、一念発起の背中が押された恰好でして、この「Not too late」という言葉もまた心しておきたいところです。

 

で、イーディの山行のようすは映画そのものでご覧願うといたしまして、これまたたまたま見ることになった同工異曲?のもう一本のことにも触れておくとしましょうかね。

 

 

アメリカ映画の『ロング・トレイル!』という作品でして、老境に入ったロバート・レッドフォードとニック・ノルティの共演作。これまたやおらアメリカ東部を縦断する「アパラチアン・トレイル」という全長3500Km近い自然歩道を踏破しようと思い立ったビル(レッドフォード)に対して、妻のキャサリン(エマ・トンプソン)は大反対。妥協点として見出したのが「一人ではいかないこと」なのでありました。

 

同行してくれそうな友人知己に打診するビルですが、断りばかりが続々と。そんな中、敢えて知らせていなかった腐れ縁の幼馴染スティーヴン(ニック・ノルティ)がまた聞きで話を嗅ぎつけて同行を申し出る。当然にして巻き起こるへたれた二人旅の行方やいかに…という、コメディでありますよ。

 

ただ、物事なんでもやればできる!的な話ばかりでは比較的元気な?老齢者をミスリードするばかりでしょうけれど、この映画のへたれ具合はほどほどリアルとでもいいましょうか。コメディ映画として出来がいいかは別として、無理と過信は禁物で、どの辺で折り合いをつけるか、その判断も人それぞれ、そのことをとやかく言ってはいけんねと思わせてくれるのですなあ。

 

定年後の人生が(平均値として)長くなってきている昨今にあって、それぞれに考えどころのある映画ではあったように思ったものでありました。

先ごろ出向いた諏訪湖畔ぶらりの余談をもうひとつ。タケヤ味噌会館で信州味噌ラーメンを食しつつ、窓外に目をやれば、諏訪湖周回道路の向こう側に大きめの建物が見えておりまして、諏訪湖間欠泉センターであると。

 

昨秋の諏訪湖ぶらりでは間欠泉センターの脇を通り過ぎついでに、かつては高さ50mと世界第二位を誇った間欠泉が今ではぶわっ!と噴き出すことがなくなってしまった…ということだけ触れて、建物に寄ることはなかったものですから、「どんな具合になっておろうか、実見を」とこのほどは立ち寄った次第でありまして。

 

 

何せ天然自然のものですから、何か具合で様相が変わってしまうこともありましょうけれど、諏訪湖観光のひとつの目玉にもなっていた間欠泉、それが今では空高く噴き出すことはないのですよと知れ渡れば、来場者も激減でしょうなあ。確かに夏の旅行シーズン前の平日ではあるも、およそ立ち寄る人もなく…というふうでありましたですよ。

 

 

で、肝心の間欠泉はといえば、建物の裏手、諏訪湖を見晴らす位置にあるのですな。今でも天然温泉が噴出しているというだけでもありがたいことでしょうけれど、以前の50m噴き上げに合わせて周囲に近づけないようにしてあるようすが、現在の噴出量をなおのこと寂しく感じさせてもいるような…。

 

 

ということで目玉を失った諏訪湖間欠泉センター、施設として何とか生き残りを図るすべとして考えられたのが(?)2階フロアの大部分を占める「諏訪のロケ地レビュー展」でもあろうかと。

 

 

諏訪湖ばかりでなくして、周辺にある霧ヶ峰などの大自然を背景に映画やドラマの撮影が多々行われているというのですな。直近では映画『怪物』で使われたことが大きく紹介されておりましたですよ(見てないですが)。ここに立ち寄ったならば、「諏訪エリアのあちこちに行ってみたくなるでしょ!」と誘いかける思惑なのでしょうなあ。

 

それにしても、自然光頼みと言えば聞こえはいいですが、この薄暗い展示スペースはどうしたものか…。客の入り具合のせいとはいえ、迎えられた側の印象としては「貧すれば鈍する」のであるかと思ってしまったりも。

 

 

もひとつ上の最上階、3階には花火館という位置づけ。今年2025年で77回目を迎えるという歴史ある「諏訪湖の花火」は地域にとって相当な観光資源となっていましょうから、花火にまつわる展示スペースがあること自体は至極当然とも。ですが、ご覧のように「単なる休憩所?」と化しているようすには2階と同様の印象が湧き起こる。せめて、花火大会のビデオ映像でも上映してくれておればと、思うところですが…。

 

いわゆる名所とされるところには、日本三大がっかりは言うに及ばず「これなの?」的なものがあったりするわけですが、どうやら諏訪湖間欠泉センターもそちらの路線をまっしぐらといったふう。天然自然のいたずらでもって、再び間欠泉が空高く噴き上がるようなことがあれば別でしょうけれどねえ…。

 

先日はランチタイムコンサート@ミューザ川崎を聴きに行った…ということは、その度たびに覗いてみる川崎浮世絵ギャラリに今回もまた。ちょうど新しい展示が始まったところでしたので。夏休みの行楽シーズン(というには暑すぎる日々ですが)を前に「浮世絵で旅する海と山」という内容でありましたよ。

 

 

大きな戦乱の無くなった江戸時代、物見遊山の旅は江戸期の人たちにとって娯楽のひとつになっていた…とは、お伊勢参りの賑わいが思い浮かべられましょう。ただ、誰しも遠いところまで出かけられたわけでもなく、「多くの人は気軽に行ける江戸近郊の行楽地に足を運」んだのであると。「2,3泊程度の小旅行が、江戸っ子たちにとっては、日常から離れて見聞を広めるチャンスだった」ようでして、江戸っ子に人気だった行楽地を浮世絵から探ってみようという企画なのですなあ。

 

まず紹介されていたのは金沢八景でありました。三浦半島の付け根にあたるエリアで、今でこそ神奈川県ながら当時は武蔵国の範疇ですから、至って出向きやすいところだったかもです。ちなみに金沢八景が景勝地として知られるようになるきっかけは「江戸中期・元禄七年(1694年)頃、明から渡来した心越禅師が中国の瀟湘八景になぞらえて選定」したことにあるようで。

 

本家中国の方は元来、洞庭湖とその周辺の風光明媚さを言っているので、金沢八景よりも近江八景の方がイメージは近いような。ま、そっくりな場所というのでなくして、あくまでイメージが近いというだけですが。

 

ただ、金沢、近江いずれにしても、「八景」を構成する要素という要素というのは同じものだったのであるか…と今さらながら。地名の後に「夜雨」「晩鐘」「帰帆」「晴嵐」「秋月」「落雁」「夕照」「暮雪」が付く景観を選定してあったのでしたか…。とまれ、風景画の名手、歌川広重は八景を個々に描くシリーズ画を3種、八景を一望する鳥観図的な作品も3種残しているとか。やっぱり人気だったのでありましょう。

 

続いて、も少し足を延ばせる人たちには江の島が人気だったようですね。6世紀、欽明天皇の頃の創祀と伝わる江の島神社は「鎌倉時代に頼朝が文覚に命じて弁財天を勧進させてからは武士の信仰を集めた」そうですが、江戸期になりますと、弁財天が芸事と金運の神と考えられたところから多くの江戸っ子が押し寄せることに。

 

これも広重が幾種類も描いていますけれど、芸事成就を願ってか、揃いの紋所を染めた日傘を手に、常磐津やら清元やらの人たちが講を組んでわらわら押し掛けるようすが見てとれます。混雑する中で同じグループが迷わないようにと、先頭を行くガイドが巨大なパラソルを持って歩く姿をベネチアなどでも見かけましたが、参加者が皆それそれに日傘を持っていては混雑に拍車をかけることになったでしょうなあ。

 

で、もひとつ海浜リゾートとして紹介されていたのは大磯になりますけれど、これはもっぱら明治期のお話ですな。東海道の宿場ではありましたが、のんびりしたところだったようす。それが明治に入って「治療・保養・レクリエーションを目的とした近代的な海水浴場」の開発が始まると、明治18年(1885年)に大磯もそのひとつとなったと。

 

フライヤーの上の方、明治24年に描かれたという海水浴風景は(見えにくでしょうけれど)真ん中の女性は洋風の海水着を着ているのが何ともモダンな。被っている麦わら帽子も、今でこそ「農作業?」と思ってしまうところもありますが、西洋由来のこれまたモダンな被り物であったようでありますよ。文明開化ですなあ。

 

と、紹介されていた景勝地は海ばかりではありませんで、山岳リゾート的なるところも。ちょいと前のNHK『ブラタモリ』で大山参りの後には江の島の方も周遊して…てなことが出てきましたですが、山の方の第一はその大山でありました。

 

『ブラタモリ』でも大山参りの賑わいを浮世絵で紹介していましたけれど、番組に出てきた絵に見るほどの混み具合は本展展示作品から窺がえませんでしたが、それでもかなりの人出ではありました。と、ここでかの番組を補うように?展示解説にあった大山参りのエピソードをふたつほど。

 

ひとつは「納め太刀」のことでして、えっちらおっちら江戸から大きな太刀を担いでやってきた江戸っ子たち、奉納を終えると「前年納めたものと取り換え、持ち帰って護符とした」そうですが、大山阿夫利神社の神職の方はそうは言っていなかったような…。

 

もひとつは神社参拝に先立って滝に打たれる水垢離のこと。「参拝者は滝に打たれながら己の犯した罪を大声でざんげしないと天狗にさらわれる、と信じられていたそうです」とは、これまた番組では触れられておりませなんだ。歌川国芳描くところの『大山良弁瀧之図』は、そんな解説に触れて見てみれば、確かに大きな口を開けて何か叫んでいるっぽい人たちが見てとれましたですよ。

 

なんだか長くなってしまいましたが、最後にもうひとつの山岳リゾート、箱根のことを。ここのアドバンテージは何より温泉が豊富に湧いていることでありましょうね。で、箱根七湯と呼びならわされた温泉場のそれぞれは、みな箱根関所の手前にあったことがポイントのようで。つまりは箱根の湯治には通行手形無しで行けたということで。

 

で、その箱根七湯ですけれど、それぞれに客寄せの点では商売敵ながらも共存共栄の精神もあったのか、温泉場ごと名所絵に仕立てた団扇絵を作っていたとは。いずれも、景色を広重に、人物を国貞に依頼したシリーズ絵のようになっておりまして、スタンプラリーならぬ、団扇絵集めラリーでも行われていたのであるかと思ったりも。

 

団扇絵のことはちょいと前にも触れたですが、いわば販促品たる宣伝うちわに当時名うての絵師二人の共作作品を配するとは何とも贅沢なことではなかろうかと。団扇絵がたくさん海外流出したのもむべなるなかと思ったものなのでありました。

JR中央本線の上諏訪駅から北澤美術館サンリツ服部美術館と、ふたつの美術館を訪ねたわけですが、も少し駅に近いところに諏訪市美術館というものも。立ち寄ろうとしたところ、あいにくと展示替えで休館中だったもので、「さて、いずこで昼飯をとろうかいね…」と思いながらぶらりとしたあたり、余談として少々。

 

思い返せば…というほど遠い昔ではない昨秋に同じ2館を訪ねた際には、北澤美術館のカフェでランチとしたですが、また今度もでは工夫もないので…とは思うも、近辺には昼食処が見当たらない。やむなく…といってはなんですが、前回も立ち寄ることだけはしたタケヤ味噌会館のお世話になることに。

 

 

看板にはみそ汁、コーヒーくらいしか書かれてありませんが、信州味噌ラーメンが食せることは先に立ち寄った先に気付いておりましたのでね。陽気的には酷暑の中で「ラーメンか?!」と思わなくもなかったですが、一度は試してみようということで。当然に建物の中は冷房が効いておりましょうしね。

 

 

会館2階の食事処は「信州味噌ラーメン 竹屋本店」という看板だけに味噌ラーメン一点推しのメニューでしたですね。味噌ラーメンというと、赤味噌がっつりの「こんなに塩分摂っていいのかしらん」系をお好みとする方々もおいでとは思いますが、個人的にはここのような白味噌あっさり、旨味で勝負の方がありがたい。実においしくいただきましたですよ。

 

で、同じフロアには前回見たとおりに味噌の製造工程を解説するパネルが展示されていたりするわけですが、これの繰り返しは避けるといたしまして…と、この時、も少し奥に「ギャラリー」なるものがあることに気付いたのでありますよ。

 

その部分だけ照明が落ちて暗い室内が垣間見えるばかりながら、入口脇には「入ってはいけんよ」とは書かれておりませんし、むしろ「入ると照明が点ります」的な案内も。いささか恐る恐るながら、入り込んでみた次第です。

 

 

企業による美術コレクションのギャラリーと考えれば、先に訪ねた北澤、サンリツ服部という美術館と同系ながらも、学芸員を置いてそれらしくというところもまでのことはしておらないのでありましょう。ただ、「ほおほお、こんな作品が」と思ったりするものに遭遇したりしたという。

 

 

 

上は先に北澤美術館でも涼をもらった奥田元宋の『山湖清澄』、下が元宋の師匠であった児玉希望の『水辺雨霽』(って、最後の文字、ちゃんと表示されましょうか…)。児玉希望には色彩豊かな印象を持っていたのですけれど、この水辺の雨がまさに晴れんとしてきている空気感、これはまたいいですよねえ。

 

 

こちらは美術作品コレクションというよりも、創業家と個人的なつきあいでもあったか、立ち寄ったおりにか、「先生、ぜひひとつ揮毫を」なんつう求めに応じ、遊び心を交えて筆をとったものでもあろうかと。描いたのは陶芸の人間国宝・荒川豊蔵だそうですし。多治見市美濃焼ミュージアムを訪ねたときにも荒川がものした掛け軸が飾ってありましたっけ。

 

 

これまた似た類の展示品ですな。そういえば諏訪の出身であった作家・新田次郎が寄せたのが上の色紙でして、「ふるさとに自慢がひとつ竹屋味噌」と。で、下はもう、タケヤ味噌の看板ともいうべき女優・森光子が「ひと味ちがいます」と。ま、そんなタケヤ自慢のコレクション(?)を並べたギャラリーの締めくくりは当然に?こんな作品になりましょうかね。ラーメンついででしたが、そこそこ楽しめるギャラリーでありましたよ。

 

読響演奏会@東京オペラシティコンサートホールに出かけてきたのでありますよ。メイン・プロのリムスキー=コルサコフ『シェエラザード』は炎暑の最中、ちと熱すぎるのでは…などと思っておりましたが、確かに重厚な始まりではあるものの、むしろヴァイオリン・ソロの冷たい涼感とでも言いますか、シェエラザード姫の心のうちに秘められた青い炎にゾクッとしたりも。ま、怪談ではないですけれどね(笑)。

 

 

ところで今回プロの目玉のひとつは、「世界的名手が奏でる至福のモーツァルト」とフライヤーにもありますとおり、ベルリン・フィル首席のオーボエ奏者アルブレヒト・マイヤーがモーツァルトのオーボエ協奏曲を披露することでしたですね。

 

モーツァルトのオーボエ協奏曲といえばK.314だと思えば、さにあらず。ただ、他にオーボエ協奏曲を作っていたとも聞き及ばず…だったわけですが、ここで取り上げられたオーボエ協奏曲ヘ長調K.293についてはプログラム・ノートにこんな紹介が載っておりましたよ。

…オーボエ協奏曲ヘ長調は、1778年秋の(マンハイム)再訪時に着手された。おそらく宮廷楽団のオーボエの名手フリードリヒ・ラムのために書かれたと推測されるが、オーケストレーションは50小節、オーボエ・パートは70小節まで進んだところで放棄され、未完のまま残された。

要するにK.293の作品番号を持つものは断片と残されたに過ぎないのでしたか。もっともそのままで演奏会にかけるのはとてもとても…であるはずですから、曲名に添えて「G.オダーマット補筆版」とあるように、スイスの作曲家ゴットハルト・オダーマットが断片をもとに第一楽章を構成し、第二、第三楽章は新たに作曲したのであると。

 

果たしてどんな具合になっておろうか?と興味津々で聴き始めたわけですが、最初はいかにもなモーツァルト…であるのは当然ですなあ。最初の数十小節は自身の手によるのですから。さりながら、だんだんと「おやぁ?」と思うのもまた当然ではありましょう。進んで、第二、第三楽章となってきますと、これはもうオダーマットの完全な創作となれば、なおのことです。

 

どうなんでしょう、オダーマットが後半をつくりだすにあたって、モーツァルトらしさを意識はしたでしょうけれど、どうしたって本人の個性は入り込みましょうね、きっと。それだけに、モーツァルトっぽいフレーズのお尻だけひょいと捻って「あら?」てな感じを受けることもままあったような。

 

今や「らしさ」を追求するのであれば、生成AIにモーツァルトのすべての楽曲データを学習させて、続きをいくつか作ってね!とコマンドすれば、おそらくたちどころに幾種類かのバージョンで結果が提示されるのではないですかね。「らしさ」の追求という点では、人が試みる以上に「らしさ」のある曲が出来上がるかもしれない。

 

ことモーツァルトのこの曲に限らず、極端な話、シューベルトの未完成交響曲を完成させてしまうとかいうことも生成AIにはお茶の子問題ではありましょう。もちろん、それを命じる人がいるかどうかが分かれ目ですけれどね。

 

どこかで誰かがいろんな試みをしていて、もしかすると結果が動画で見られるてなこともあるのかもですが、それが大きく話題になるわけでもないのは、いくら「らしさ」を装っても機械が作った「らしさ」以外の何物でもない、といって「人が作ってこそ」感覚があるのかもしれませんですねえ。

 

結局のところ、創造性といったものまでがヒトから奪われるのを良しとしない、というか胡散臭く感じるような意識が働くのかもしれません。ブラインド・テストでもしてみれば、おそらく区別はつかないでしょうけれどね。

 

ま、ヒトが作るにせよ、Aiにやらせるにせよ、残念ながら未完で残されたものを完成させるのは、もはや別物を作るといったことと同じなのだと考えた方がいいのでしょうなあ。それだけにタイトル表記の仕方を、今回のようにオダーマット補筆とするのでなくして、モーツァルト/オダーマット作曲のオーボエ協奏曲とでも言ったらいいような。バッハ/グノーの『アヴェ・マリア』と言うがごとくに。

 

失礼ながら、オダーマットって誰?となるよりも「モーツァルト作曲の…」とした方が受けがよいということはあるにせよ、添え物表記では多くの部分を作った作曲家が浮かばれませんし、これがモーツァルトなのだと思い込むのもまた違うことですしね。

 

ただ、AIが作り出したものだったらどうなのであるか。もはやAIによる創作物は当たり前の状況になりかかってもおりましょうから、そのうちにAIがペンネームをもって、作曲家然とした?あるいは作家然とした名前を名乗って(名乗らせて)作品が発表されるようになるのかも。初音ミクのような存在(?)はもう十年以上も前からあるのですしね。

 

ともあれ、そんなふうになっていったとき、作り手はともかく受け手にとって「いい」と思えればそれでいいとなりましょうか。どうなのでしょうねえ…と、演奏会のお話からすっかり離れてしまいましたですが、すぐさま答えの出せそうもない問題に沈思するところなったものでありましたよ。