近所の工事に些か堪えかねておるわけですが、ブログ更新をお休みしている徒然に、興味本位でAI(具体的にはMicrosoft BingのCopilot)に自らのブログを「どんなブログ?」と尋ねてみることに。結果としては、「そういう傾向と受け止められているのだあね」ということが分かったのでありますよ。こんな具合です。

此処彼処見聞控 はこんなブログ
此処彼処見聞控(ここかしこ 見聞きのひかえ)は、筆者が「興味の赴くままに見聞きするあれやこれや」を自由に綴る個人ブログです。主な内容は以下のとおりです。
  • 本の感想や読書メモ
  • 映画の鑑賞記録
  • ミュージカルや演劇、クラシック音楽のレビュー
  • 絵画展や美術館訪問レポート
  • 旅日記(城めぐりや地方散策など)
  • 日常の雑感や時にはまじめな考察
このように、趣味のインプット/アウトプット記録を幅広く扱うライトなエンタメ・カルチャー系ブログと言えます。

AI解析をして「客観的な」と言っていいのかは定かでないものの、まあ、だいたい「そんな感じ」ではありますかねえ。ただ、「ライトなエンタメ・カルチャー系ブログ」と言われてしまいますと、「そうなのかかあ…」という気も。

 

ちなみに、この解析結果を受けて次なる質問項目を促す表示がありましたな、「このブログは他のブログとどう違いますか?」と聞いてみれば?てな具合に。それではお勧めに従って。

他のブログとの主な違い

1. カテゴリの多様性
  • 本・映画・音楽・演劇・美術館巡り・旅日記など、複数のカルチャー領域を一つのブログで扱う
  • 通常は旅行専門や美術館レビュー専門など、ひとつのテーマに絞るブログが多い中、「興味の赴くままに見聞きするあれやこれや」を雑多に綴るスタイルが特徴
2. パーソナルで砕けた視点
  • 筆者自身の率直な感想や気づきを軸に、あくまで“雑記メモ”的に軽く書き留める
  • 深い考察を交えつつも、大げさにならずに読者との距離感を保つカジュアルさが魅力
3. 更新スタイルと頻度
  • 毎日のように細かいトピックを複数投稿し、“見聞きメモ”を積み重ねる
  • 投稿内容は短文でスピーディーにまとまっており、気軽にサクッと楽しめる
4. 広告・商用要素の控えめさ
  • アフィリエイトリンクやスポンサー広告を多用せず、執筆者の純粋な体験を優先
  • 商用色が強いグルメや物販レビュー、旅プラン提案中心ではない
このように、ひとつのジャンルに縛られず、筆者独自の好奇心に従って幅広くコンテンツを提供するスタイルが、「此処彼処見聞控」を他のブログと一線を画す最大のポイントです。

てな具合に、あれもこれもという裾野の広さ(よく言えば、ですが)がどうやら個性的なようですね。ま、そういうスタイルなわけですのでね。

 

それにしても、「ふ~ん」てなことに気付かされたりもするこのAI検索。一度試してみると面白いかもしれませんですよ。結果がお気に召すかどうかは請け合いかねますが…。

 


 

と、お休み途中でちょいと顔出ししたものの、家にいて騒音が…と言っているくらいなら出かけた方がよかろうとようやく。唐突ながら山歩きでもしてこようかなと思っておりまして、明日もちとお休みということで。

8月15日を過ぎると、幾分か戦争を顧みるシーズンも終了に向かうようなところがありますけれど、そんな中で読み終えたのが中公選書の一冊『統帥権の独立 帝国日本「暴走」の実態』でありました。

 

 

版元HPの紹介にはまずこのように。

帝国陸海軍の作戦行動の指揮・決定権限である統帥権。天皇大権に属し、その「独立」は内閣からの干渉を阻止した。そのため満洲事変以降、陸軍の暴走をもたらした最大の要因とされてきた。

個人的認識も全くその通りであったように思いますが、この紹介に続けて曰く「しかし近年、通説の見直しが進む」のであるとは、いったいぜんたい…?ということで、読んでみたような次第です。

 

先のような認識の背景としては、政府の方針が軍部(特に陸軍でしょうか)の意向に適わぬようなものであった場合、陸軍大臣(もしくは海軍大臣)を辞職させ、その上で新しい大臣を推薦しないことで、当該内閣を瓦解させるといったことを何度もしてきたように思っていたものですから。中国大陸の独断専行も含め、暴走しとるなあと。

 

ですが、これに関わる統帥権の独立、これは政府・国務と軍部・統帥の折り合いをどうつけるかを考えた挙句、政府の側から生み出したものであるとは思いもよらず。考えてみれば、鎌倉幕府の成立以降、江戸幕府が終焉を迎えるまで、長きにわたって政治を担ってきたのは武士であって、武士はそもそも軍事政権のようなもの。政治と軍事の境界線など無かったのでもあろうかと。

 

それが明治になって、外国に倣った近代国家を目指すにあたり、いつでも臨戦態勢の武士が当たり前のように政治に口出しするのを避けなくてはならない、分けて考えますよという発想であるようで。実は、明治憲法(大日本帝国憲法)には統帥権の独立が明文化されているわけではないということで、第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあることが天皇に直属している政府とは一線を画した組織体と認識する慣行を生んでもいったと。

 

ただ、政府側の想定が甘かったのか、軍部は政治に口出すするなの半面、政治は軍部に口出しするなとして統帥権干犯といった問題が生じてしまったりするのですなあ。

 

考え方の背景として、日本では今でも「餅は餅屋」といったことわざが使われますように、専門性を有難がって余計な口出しを憚る傾向が関わっていそうとは本書にもあるところです。それぞれに政治のことは文官に任せておけ、軍事のことは武官以外が口を出すなといった雰囲気が慣行をより実体化させていったようで。

 

とにかく、日中戦争、太平洋戦争に至るまで、そして開戦後はなおのこと、こうした二項対立の下に政治の進め方にあいまいな点があるのに、どうも適切な論点で議論できないまま進んでいってしまったところがあるようです。天皇主権としつつも、最終的には天皇に責任を負わせない体制作りできましたから、政治・軍事いずれも最高責任者は天皇でありながら、輔弼の任にある者が宸襟を悩ませてはならないと取り組むも、結局のところ決定者がいないという状況も生まれたようですし。

 

大きな例としては対米開戦前夜のお話。中国で戦争を行っていて不足する物資を米国から輸入されるのを絶たれては困る陸軍は消極的で、外務省(もちろん文官ですな)を通じた日米交渉に期待がかかるも、結局のところ「ハル・ノート」を突き付けられて、交渉は決裂したと。ですが、決裂したといって、後は何もしないんですか…と話の中で、「ところで海軍さん、ようすはどう?」と常々気にかけられていたわけですね。

 

なにしろ、予て米国を仮想敵国として研究してきた海軍に目が向けられるのは分からなくないですし、連合艦隊司令長官の山本五十六が「それは是非やれと言われれば、初めの半歳や一年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる。しかしながら二年三年となれば全く確信はもてぬ」といった発言が知られておりますように、「まあ、やる気はあるのね」と目されていたような。

 

この言葉で肝心なのは後半部分で、海軍の対米研究は当面の軍事力でどう戦うかを仮想演習したしたかもしれませんけれど、長期化すればその後の兵力供給がどうなるか分からない国家予算の問題でもあるので、「勝てます。やりましょう」と海軍が言えるはずわけですよね。

 

ですが、海軍はやる気があるということもまた雰囲気として出来上がっていってしまい、時に海軍大臣でさえ、とてもできないとは言い出せない雰囲気があったと語ったりしておるとは…。

 

結局のところ、誰が決めたのかはっきりしないまま、雰囲気は開戦に向かってしまったようなわけでして、こうしたことは戦争終結時にも生じ、ポツダム宣言の受諾を巡ってああでもない、こうでもないしているうちに原爆投下を招いてしまったようでもあり。

 

ただ、このときはどうやら、ポツダム宣言が出た段階では交戦状態に無かったソ連に和平交渉の仲介を期待していて、ぎりぎりまでソ連の回答を待っていたから…てなこともあるようですけれど、連合国内部でソ連の対日参戦は決定済み事項だったとは、あまりの迷走ぶり。結果としてそんな言葉では済まないくらいの犠牲が生じることになってしまったわけで。

 

先に触れた「餅は餅屋」ばかりでなくして、とかく日本の風習の中には察する文化だったり、遠慮の文化だったり、相手を立てる文化だったり、斟酌・忖度する文化だったりがあって、物事をきっちりさせていくのを憚るところがあるような。それがそのまま政治の世界で展開されては困るわけですが、実のところこうしたことは今でも日本の政治にはあるような気がしますですねえ。

 

日頃の政治状況でも「なんだかな…」ということがあるだけに、そうした政治の現実があるのであればなおのこと戦争の「せ」の字を語るだけでも危ういことのように思えてきます。ことは、統帥権の独立云々という話ではないのでしょう。過去の反省も、統帥権独立に難があったことに押し込めて話を終わらせてしまっていたのかもしれんと思ったものなのでありました。

 


 

 

というところで、またまた唐突ながらお休みの告知を。ごくごく近所で建物の建築工事が行われておりまして、お盆休み中は中断されていたらしき工事が本日から全面再稼働に入ったようで。振動、騒音、作業員が何やら支持する叫び声(時に罵声のようにも聞こえ…)などに取り巻かれる状況に立ち至り、のんびりPCに向かう気にもなれないわけでして。

 

落ち着くまでと言いますと長引きそうな気がしますので、しばらく慣れるまで(慣れたいものではありませんが)お休みを頂戴いたします。引き続き暑さの厳しい折り、どうぞ皆さまはお健やかに。

 

山梨県立美術館の特別展『ポップ・アート 時代を変えた4人』の話が長くなってしまっておりますが、アンディ・ウォーホルロイ・リキテンスタインに続いて、あとの二人、ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズはまとめて振り返ることにしようかと。

 

 

またまた本展フライヤーの画像を持ってきますが、右上がラウシェンバーグ、その下がジャスパー・ジョーンズで、もちろん違う個性なのは一目瞭然ながら、ウォーホルやリキテンスタインから受ける手放しの?ポップさとは一線を画すものであろうとも、見て取れるのでないですかね。

 

奇しくも上の画像(見て取りにくいですが)でラウシェンバーグは「自由の女神」を配していますし、ジョーンズの方は見るからにアメリカの国旗、星条旗のデザインを使っているのですよね。先の二人ともども1960年代を時代背景としつつ、こちらの二人の方がより社会情勢を敏感に写し取ってもいるような。

 

同じような傾向を見た目、最も顕著に表しているのは、本展で「The FAB 4」に続く4人として紹介されている中のひとり、ジェームズ・ローゼンクイストが「アスペン・イースター・ジャズ」のポスターとして作った作品でしょうか。

 

真ん中に大きくあしらわれたマイクロフォンが音楽イベントを想起させるものの、背景には爆撃機が飛んでおり、そうなるとマイクは投下された爆弾にしか見えなくなってくるわけで。製作された1967年はベトナム反戦運動真っ盛りでしたでしょうから、今見るよりも明らかなメッセージ性があったものと思いますですよ。

 

ちなみにリキテンスタインが同年、「アスペン・ウインター・ジャズ」のポスターを手がけていて、フェルナン・レジェをよりポップにした印象のある作品になっているも、ローゼンクイストが示した方向性とは全く異なることがよおく分かりますですね。

 

で、ついでに思い付きをひとつ付け加えますと、ローゼンクイストのポスターの色遣いといいましょうか、かつてソ連や東欧の東側諸国が発行する切手(多分にプロパガンダを含んでいるわけですが)の配色を思い出させるところがある。そんなふうに思って話をラウシェンバーグに戻しますと、ラウシェンバーグの作品にもその気配が感じられたのでありますよ。なんとも地味な色遣いでして、薄ぼんやりした紫とか赤とか、その辺の色が多用されておりまして。

 

さて、もう一人のジャスパー・ジョーンズですけれど、星条旗ベースでさまざまな塗りこめ方をしたシリーズで知られる一方、標的を描いたもののシリーズになっておりますですね。ここにはまた、アートの深淵が見られるような気がしますけれど、何しろ「的そのものを写実的に描いた」という作品なのか、「描かれた的を描いた」という作品であるのか…何やら堂々巡りに陥ってしまいそうな気がします。これもまた時代の空気を掴んだ表現なのかもしれませんですよ。

 

てなことで、近頃はあれこれの想像を巡らしながら見る展覧会にご無沙汰しておりましたが、脳内のハードディスクをうぃーんと高速回転でクリーニングする経験を久しぶりに。面白くも興味深い展覧会でありましたよ。

若い頃、ディスクユニオンあたりにCD漁りに出かけていた頃かと思いますけれど、たぶんその店内でブルーノート・レーベルの名盤ガイド的な販促用冊子を見かけたのですな。お目当てCDのもっぱらクラシック音楽系であったものの、予て(その当時ですが)ジャズにはそこはかとなく憧れを誘うようなところがあった。他のジャンルよりもジャズはクラシックとクロスオーバーしやすい(実際、その手の録音も多々あるわけで)ことから親近感を抱きつつも、どうにもとっかかりが無いという状態だったわけです。

 

なにしろジョン・コルトレーンという名前は聞いたことがあるも、てっきりピアノの人だと思っていたくらい。今となっては笑うしかないところですが、そんな門外漢でも知っているブルーノートというレーベルの名盤ガイドが手に入ったとなれば、「ああ、こういうのを聴けばいいのね」と俄然弾みがつくわけなのですなあ。

 

以来、名盤ガイドを手に入れたディスクユニオンの都内各店のお世話になりつつ(つまりは中古盤探しで)次々とブルーノートで名盤の呼び声高いものを聴いて行ったり。果ては、その当時新橋にもあった「SWING」(今は銀座だけのようです)というジャズクラブに出入りするくらいになって、「ジャズにもいろいろあるのであるなあ」といかにも素人らしい思いに駆られたものでありましたよ。

 

ですが、結局のところ、個人的にジャズ熱は一過性のもの(麻疹みたいなものですかね、誰でも罹る?)で、徐々にフェードアウトしていき、今なおやっぱり素人なのですけれどね。ごくごくたまに、かつて買い集めたCDを取り出して聴いてみるくらいに落ち着いたわけで。

 

と、やおら昔語りを始めたですが、どうした加減であるのか、Amazon Primeで「あなたにおすすめ」的に出てきたのが、こんなドキュメンタリーだったのでありまして。

 

 

『オスカー・ピーターソン Oscar Peterson: Black + White)』。上に触れたとおりに多少聞きかじった程度のジャズながら、オスカー・ピーターソンの名前は知っている。さりながら、ジャズ関係のあれこれを渉猟しているときに、あまりに目に付く名前であったものですから、ジャズプレイヤーという以上にエンターティナー的な存在であるかと勝手に思い込み、その演奏に接することはついぞ無かったという。

 

てなことでしたので「まあ、この際に…」と見てみたドキュメンタリーだったわけですが、なかなかに凄い人だったのだなとは、今さらながら。映画の中で、彼にトリビュートの言葉を捧げていた人たち、例えばビリー・ジョエルやクインシー・ジョーンズ、ラムゼイ・ルイスにハービー・ハンコックといったあたりが「彼のおかげで今がある」といったふうで。オスカー・ピーターソン(の演奏)自体は知らずに来ていたものの、彼の影響下にあるという数々のミュージシャンの演奏には折々触れていたのであったかと、思ったものでありました。

 

ですので折角の機会ですので、映像とは別にCDでも一つ聴いてみることに。手持ちはありませんので、近隣図書館でもってオスカー・ピーターソン・トリオによる『プリーズ・リクエスト』を借りてきて。

 

 

一聴して思うところは「ああ、時代を感じるなあ」ということ。もちろん、自分自身が生まれる前の時代の雰囲気と言いましょうか。ちなみにオスカー・ピーターソンの演奏をWikipediaの記載から借用するとこんなふうなのですな。

スイング期の流れを汲む奏法にモダンな和声感覚を取り入れたスタイルで、ジャズ界きっての超絶技巧を誇り、ダイナミックかつ流麗な即興演奏で知られる。

スイング期とあることについては、CDのライナーノートの記載でも少し補っておきましょうかね。

1930年代、「スイング・ミュージック」とよばれたビッグ・バンド・ジャズが、ジャズ・ファンばかりでなく、一般大衆を湧(ママ)かせたのは、映画主題歌、ミュージカル主題歌、ポピュラー・ソングを素材として、親しみやい演奏を心掛けた点にあった。

何やら漠然とした印象でオスカー・ピーターソンに近づくことのなかった若い頃の想像は先に触れたとおりですが、どうやらあながち間違いでもなかったようでしたか。このCDの帯には「オスカー・ピーターソン永遠のベスト・セラー」てな言葉が載っていますので、いわゆる名盤のひとつでしょうけれど、曲目には(誰も知っているタイトルと思しき)『酒とバラの日々』や『イパネマの娘』といったスタンダードが見られますしね。

 

オスカー・ピーターソンの演奏活動は1950年代から2000年代まで、半世紀の長きにわたるかと思いますが、その間にもすっかりジャズも多様化していて、いわゆるモダン・ジャズの方向からすれば、分かりやすくも時代がかっているてな印象ということになりましょうかね。

 

ジャズというと何とは無し、灼熱のジャズライブみたいなイメージが浮かんできますけれど、真夏の夜のジャズとして耳を傾けるにはオスカー・ピーターソン・トリオあたりの演奏の方が安眠に導かれるのではなかろうかと思ったりもしたものでありますよ。ホットなものもいいですが…。

さて、山梨県立美術館で開催中の特別展『ポップ・アート 時代を変えた4人』の展示を振り返っておるわけですが、アンディ・ウォーホルに続く二人目はロイ・リキテンスタインということに。

 

個人的な興味対象としてはウォーホル以上にリキテンスタインなのでして、どうもウォーホルに付きまとう商売っ気といいますか、そのあたりが些か鼻についてしまいましてね。といって、リキテンスタインにしても、ウォーホルの『ブリロ・ボックス』を鳥取県立美術館が入手したほど直近の話ではないものの、1995年に東京都現代美術館がリキテンスタイン作品を6億円でこ購入したことが大きな話題となったことがありましたっけ。

 

おそらくは作家本人が自らの作品の高騰を思い描いていたのではなかろうと思いますが、ポップアートを取り巻く状況がアート投機的なところを結びついてしまっている点で、変わりがないとも言えましょうけれどね。

 

とまれ、東京都現代美術館が所蔵する『ヘアリボンの少女』のように、リキテンスタインと言えばアメリカン・コミックの一コマを切り出してきて、そのままに描いたもので取り分け知られる存在でありますね。本展フライヤーで左下に配されているものが、まさにリキテンスタインで。

 

 

オハイオ州立大で美術の修士を得た後、各地で教鞭を執ったというリキテンスタイン。ウォーホルがデザイン系であったのに対して、出自としてはファインアート系であったかと思うところですけれど、その点、あるものをあるがままに描いた古典的な静物画を思えば、漫画のコマをあるがままに描くのが常に「果たしてアートであるのか…」と問われたりするも、発想としては静物画などと同じなのかなと改めて。

 

ただ、静物画をあるがままにと言いましたですが、実のところものを配置するレイアウトや画面を切り取るアングル、あるいは見え方に至るまで、画家の思いがあらゆる点に入り込んでいる。決して単純に「まんま描く」ということでもないのですよねえ。実はリキテンスタインもまた、この点でもやっぱり同じであったと考えさせられることに。

 

オリジナル?であるコミックの一場面が作品と並べて展示されているものもあり、解説の指摘を参照しながら見比べて見ますと「なるほどなあ」と思ったものでありまして。これまで、コミックの一コマそのまんまと思い込んでいたところが、リキテンスタインが大画面のキャンバスに描くという大きさの違いのみならず、コマ枠(キャンバス)の形もコマの中の配置(トリミングの仕方やどこをどう強調して描くか)もそのまんまではないという。

 

コミックの戦闘シーンが続く場面から切り取った作品の展示解説に曰く「(忠実な)再現の一方、…本来の緊張感ある戦闘場面からの脱コンテクスト化がなされている」と。コミックの方は物語を語っていく場面場面として描かれているわけで、そこには当然にして流れがある。対して、リキテンスタインの方は一枚のタブロー(あるいは版画)として完結した作品であることが求められておりますよね。そこには、相当に作者の意図が入り込んでいるのでありますよ。

 

パッと見で見比べても、両者の違いを見てとることができる(ま、展示解説に助けられてますが)。何かしらをキャンバス上に再現する、絵画という芸術のありようをリキテンスタイン作品に見た思いがしたものなのでありました。

 

そうしたところに思い至りますと、後にコミック場面とは違う題材を描くようになった時に手掛けた「牛」の連作やら、ピカソ、ゴッホなどなどの先行作品を独自に再現した作品やら、見た目の画風は従来とはかなり異なるような気がするも、発想はやっぱり同根なのだろうなあと思えてくる。

 

さらに、画家としてはそれまでに個性を発揮してきた画家たちの影響から離れたものではないということも。コミック場面を見ているときには考えてもみなかったですが、全体を見通していきますと、そこにはピエト・モンドリアンやフェルナン・レジェ、カンディンスキーやジャン・デュビュッフェらの「既存芸術の影響」があったのであるかとしみじみと。

 

ということで、本展がクローズアップする4人の作家の、二人目を見てきたわけですが、次には最後に残り二人をまとめて思い返すことにいたしましょうかね、ひとつの話でちと引っ張りすぎてますので(笑)。