伊勢を訪ねて大黒屋光太夫 にゆかりある所を巡り、

近鉄線の千代崎駅から白子駅へ出たとは先に書きました。


ですが、千代崎からは白子を通り過ぎて一旦は伊勢中川まで出、

やがて白子へ取って返したのが実のところ。
白子湊を眺めやる頃にすっかり夕暮れ時になっていたのは、

この寄り道があったからなのでして。


で、伊勢中川まで出向いて寄り道した先は松浦武四郎 の生家と記念館。

閉館時刻の前に立ち寄りたかったのでありますよ。


さりながら、近鉄伊勢中川駅からはコミュニティーバスが一日に数本走るだけという交通の便。
歩けば40分余りと予測され、歩いて歩けなくはありませんけれど、

もここでも時間節約のため、タクシー利用ということにいたしました。


運転手さんに「松浦武四郎の生家まで」とお願いしますと、

「近くに記念館もあってね」と言って教えてくれたのが

「竹下さんときのふるさと創生ってあったでしょ、1億円。あれで建てたんだよ」。
「周り(の自治体)ではみんな温泉掘ってたけど」と笑いながら。


そんな話を聞いているうちに「松浦武四郎生誕地」へと到着…しましたけれど、
さて松浦武四郎とは何者?という方がもしかするとおいでかも。
昨2018年は生誕200年でそれなりに話題になったやに思うものの、
念のためざっくり言うとこのような(「松浦武四郎生誕地」リーフレットの引用です)。

松浦武四郎(まつうらたけしろう 1818~1888)
幕末にロシアとの緊張関係にあった蝦夷地(今の北海道)を6回にわたり探査し、その成果として詳細な調査記録と地図を残したほか、明治維新には、政府で開拓使の判官を務め、北海道の名前につながる道名や国名・郡名などの撰定に携わったことから「北海道の名付け親」と呼ばれています。

と、このような松浦武四郎の生家を訪ねたみたということなのでありまして、
昨年、生誕200年に合わせて整備が進められて公開に至ったのだそうです。

松浦武四郎生誕地@三重県松阪市

館内のボランティアガイド?の方曰く「この辺りの庄屋であった」という松浦家は
目の前を旧の伊勢街道、つまり伊勢神宮への参詣道が通っているのですよね。


松浦家の前を通る旧伊勢街道

このカーブ具合がいかにも旧道っぽい感じですけれど、
とにかく古いもの好きで集めた物の展覧会を開いてしまうような、

好奇心旺盛な武四郎少年は毎日この道の人どおりを眺めやっていたのでありましょう。


普段から往来の多い道だったところが、武四郎13歳の年に「お蔭参り」があり、
「日本の人口が約3千万人の当時、たった一年で5百万人もの人がお参りに来た」となれば
道は人であふれかえり、それの全国各地さまざまなところからの人が集まったのでしょうなあ。


そんな各地から来た人たちが語る諸国のよもやま話などを耳にするにつけ、
見知らぬ土地へ出かけて行きたいという気持ちを膨らませていったようでありますよ。


やがて16歳になると、矢も楯もたまらず家族に黙って家出同然の旅に出てしまう武四郎。
知り合いに残した手紙には、江戸、京都、大阪、長崎へ行くと書き残し、
唐、天竺へも行くかもしれないとは相当に夢は大きくなっていたのでありましょう。


この時は江戸へ着いてひと月ほどで連れ戻されてしまうのですが、
江戸滞在中に篆刻を倣い覚えたようで、後に全国を旅して周る際、路銀に困らなかったのは
印鑑を作っては売り、作っては売りしていたからとか。一日で百個作ったこともあったそうな。


とまれ、連れ戻された武四郎、やはりじっとしてはいられない性分と親も覚悟を決めたのか、
親の了承を得て全国周遊に出かけることになったのは武四郎17歳のときでありました。


長崎に出ると外国の脅威をいろいろと伝え聞き、
北方の蝦夷地もロシアに狙われているてな話を聞かされることになりますけれど、

ほかの地域と違って蝦夷地は日本から見てもまだだま全容の知れない場所だったのですな。


伊能忠敬 の日本地図でも沿岸部の測量により島の形はわかっても、
内陸部がどうなっているのかは未知の領域だったわけですが、それなら俺がと武四郎。
28歳の時に一念発起して蝦夷地探査へと出かけるのでありました。


その後、41歳までに都合6回、道内各地はもとより樺太や千島列島まで踏査。
内陸部まで詳細な地図を作り上げることになるのは、まあ、後の話でありますなあ。

内陸部の探査にはアイヌの人々の協力無くして成功は覚束ないというときに武四郎は…。
この辺りのことは生家の次に松浦武四郎記念館を訪ねたところでのお話ということに。



生家では通りに面した窓の脇に、小さな隠し窓が付いておりました。
どういった使われ方がしていたかは分かりませんけれど、
子供の武四郎がこっそり覗き見したくなるようなものでもあろうかと。
こんなところからも後の武四郎の姿を思い浮かべたりするのでありましたよ。