千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館北海道の古代文化に関する特集展示を見て来たことを綴りつつ、予て読もうと思っていた本をいよいよ手にとることに。西條 奈加の小説『六つの村を越えて髭をなびかせる者』は、「九度蝦夷地へ渡り、アイヌ文化を後世に伝えた最上徳内の半生を壮大なスケールで描く歴史巨編」ということでありまして。

 

 

ここで「いよいよ…」と申しますのは、この小説の存在に気づいたのが昨2022年の1月でして、やはり最上徳内を取り上げた一冊『北冥の白虹』を読んだ頃だったからでして。同じ題材を続けて2冊というよりは折を見てもう一度と思いましたし、また当時はこの話、連載を終えて単行本化がなっていない時期であったかと。それが折を見てと思っていたところ、ようやくにして個人的な「折」が巡ってきたという次第でありますよ。

 

江戸期の、今から比べると装備も十分でない頃に北の大地を9回にわたり踏査するというのは、それだけで「壮大なスケール」と想像されるところで、『北冥の白虹』を読んだときにも「大河ドラマネタだね」と思いましたですね。さりながら、語り口はことさらに壮大さを想像させるというよりも、人を描いていたような。徳内と取り巻く人々、もちろんアイヌの人々を含めてのことを。このあたり、長らく江戸町人の日常を描き続けてきた作者ならではと言えるのかもしれません(もっともそっち系の話は読んだことが無いのですけれど…)。そんな中では異色作かとも思える本作ながら、北海道出身という作者がたどりつくべくしてたどりついた題材なのかも(ちと安直な発想ですが)。

 

ともあれ、山形の貧村に生れ育った徳内は算術好きが昂じて江戸へ出、さまざまな学問を修める中、蝦夷地見分隊の末端に連なることになるのですな。江戸を出てひたすらに北へ。進むにしたがってお江戸の賑わいとはかけ慣れた土地土地の暮らしぶりをつぶさに見ていくことになります。いざ津軽海峡を越えて蝦夷地に到着してみれば、そこには手つかずの原野が広がっており、これを開墾できたならば…と思いは広がっていくのですな。

 

ただ気候もそこに生きる動植物も独特のものがある蝦夷地だけに、そこにうまく根付くには長年ここで暮らしているアイヌの人々の知恵を借りなければいかんともしがたいと気付く。ところが、蝦夷地を治める松前藩の対アイヌ政策はあまりに過酷な状況をも思い知ることになるわけですね。また、蝦夷地そのものに対する幕府の政策も一貫していないことで、徳内の心中は千々に乱れて…というように。

 

徳内が初めて蝦夷地に渡った見分隊が組織されたのは田沼意次が政治の実権を握っていた時代。田沼政治は金権的な面が強調される一方で、金回りが経済を動かすものとして、各種の商業・農業振興事業も行っていたわけですが、蝦夷地もまた対外(対露)防衛の点がありつつも、交易にも目を向けていたことになりましょう。

 

それが、見分隊が帰着してみると、田沼は失脚、政権は松平定信の手に帰していた。良くも悪くも一途な人であるのか、松平定信は田沼の政策を全否定することからスタートするわけですね。つまり、田沼が発した蝦夷地見分隊も江戸にもどってみれば、「幕府御用にあらず」と苦難の果てにまとめた報告書が一顧だにされず、隊員たちはお役御免として浪々の身となってしまうのですなあ。「幕府、なにやってんだか…」と士分でもない徳内でさえ思うのも無理からぬところでありましょう。

 

以前読んだ『北冥の白虹』ではアイヌ対応を巡って、蝦夷地取締御用掛の立場にあった松平忠明との確執が描かましたけれど、今回はおよそそれに触れることなしに、幕府の蝦夷地政策の思惑は偏に松平定信の妄信(田沼嫌いも含めて)にかかっていたようになっておりました。やはり、いろいろ別の語り口で読んでみるものですな。

 

ところでこうした書きようでまいりますと、松平定信がやたらに悪者(?)に思えたり(実際、読んでいる途中では義憤にかられたりも)するわけですが、最後の方で徳内に改めて蝦夷地へ赴くよう求められるくだりでは、定信についてこんなふうに書かれたりもしています。

定信は清廉潔白を旨としている。蚤を一匹ずつ潰すようにして、しくこく田沼派を一掃したのもその表れであり、逆に働けば、仁を通す人でもある。「公平な交易」は、定信の信条としごく合致して、御救交易が実現する運びとなった。

本書の筋からは離れますけれど、教科書的に「寛政の改革を行った人」としか知るところのない松平定信が果たしてどのような人物であったのか、もそっと知っておきたいように思ったりも。それともうひとつ、どうにも松前藩のありようが(今の目からみれば)あまりにアイヌ蔑視であったと受け止められるわけですが、果たしてその実態は…と、折あらばそもっと知りたいような気がしたものでありますよ。

 

あ、そうそう、本書のタイトルはアイヌの言葉に由来するのですけれど、意味合いは「ひと口にこうです」と言ってしまうよりも、小説を読んで玩味していただくのがよろしいかと。