毎日寒い寒いと思いつつ、読んでいた小説の主人公たちの体験したことは

「こんなもんじゃあなかったのだなあ」と。手にしていたのは『北冥の白虹』という一冊、

ちなみに「北冥」とは「北方の大海」のこと、「白虹」には「オーロラ」とルビが振られておりますよ。

北海道、というより江戸時代の蝦夷地が舞台なのでありました。

 

 

タイトルには「小説・最上徳内」と添えてありますとおり、

主人公は江戸期に数度の蝦夷地検分(探査)を行った人物・最上徳内が主人公なのですな。

 

歴史の教科書としては、北方探査で思い浮かぶ名前は近藤重蔵や間宮林蔵、

そして間宮の師匠で沿海地図を作った伊能忠敬あたりかと思いますけれど、

蝦夷地を振り返る点において、最上徳内は決して忘れてはいけん人物なのでありますなあ。

さらにもうひとり挙げるならば、松浦武四郎でしょうか。

 

東北・庄内の貧しい農家に生まれた徳内は、当時の身分制度下にあってこれに拘らず、

上昇志向のあった人なのでしょう、学問を志して苦労を重ね、天文・測量、算術などに長ずるようになり、

折しも北辺にロシア船が出没するようになっていた頃合い、幕府の蝦夷地検分に随行することになるのですな。

 

寛政二年(1790年)の探査では国後島に渡り、さらには択捉島、得撫島の北端にまで足跡を記します。

寛政四年(1792年)には、漂流民として長らくロシアに留め置かれていた大黒屋光太夫らの帰国にあたり、

彼らを乗せてきたロシア艦隊が根室に来航する、そんな時代ですね(その時、徳内は松前にいたようで)。

 

のちには士分に取り立てられた徳内、幕末のどさくさ以前としては破格の出世を遂げたと言えそうですが、

常に順風満帆だったわけではもちろんありませんな。蝦夷地の開拓に関して、上役との意見の相違から

一端は蝦夷地との関わりが一切無くなるといったことも経験しておるようで。

 

このときの意見対立は(この小説によりますと、ですが)

もっぱらアイヌの人たちに対する考え方の違いによるものであったようですね。

徳内は蝦夷地という厳しい気候条件の下では長年暮らしてきているアイヌの知恵に学ぶべきと考えますが、

以前より蝦夷地支配にあたった松前藩ではアイヌの人々に対して「愚民政策」を取っていたようで。

 

簡単に言えば、隷属的な労働力とか、交易で都合よく掠め取る対象として見ていなかったのでして、

これに常々憤りを感じていた徳内は予て「撫民政策」をこそ採るべきと考えていたのですが、

意見のぶつかった上役(探査の総裁の旗本・松平忠明)もまた考えは松前藩と同じのですなあ。

 

歴然とした身分社会の中、藻掻いて這い上がった徳内だけに当時としては開明的な考え方に至ったのか、

とも思うところではあるものの、おそらくは先人の知恵には活かすべきことがあり、それがたまたま蝦夷地では

アイヌだったということなのかもしれません。今の考え方でことさら開明的と考えてしまうのは当たっていないかも。

(このことは、もそっと後の松浦武四郎にも通じることなのかもしれません)

 

ただ、だからといって松前藩や松平忠明の示した方向性に比べ、

徳内の考え方は断然に支持されるべきところであろうとは思うところながら、

そうはならないのが「その時代」の限界だったのであるなとも考えたりしましたですよ。

 

晩年にはシーボルトとも交流し、アイヌ語・日本語・ドイツ語・オランダ語相互の辞書編纂にも

協力したといわれる最上徳内。その80年を超える波乱の生涯は(描きようによっては)十分に

「大河ドラマ」ものであるなと思ったりもしたのでありました。

(ただ、どうしても北方領土絡みの話になる点ではセンシティブなところもあろうかとは思いますが)